bdrmm "I Don’t Know" ハル出身のポストロック/シューゲイズバンドの意欲作

Weekly Music Feature

 

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世界が社会的に距離を置くようになった2020年、ハル出身のポスト・シューゲイザー、ドリーム・ポップ、ヘヴィ・ギター・エフェクト・カルテット、bdrmmは、若いバンドなら誰もが夢見るようなデビュー・アルバムで衝撃を与えた。その年の7月に小さなレーベル、ソニック・カセドラルからリリースされた『Bedroom』は、CLASH誌に「先鋭的なシューゲイザーの蒸留」と称された。


あれから3年、バンドのニュー・アルバム『I Don't Know』は、冒険を別の場所に連れて行く。ある意味コンテンポラリー・シューゲイザーだが、それ以上のものをバンドは追求している。プロデューサーに、バンドの五人目のメンバーであるアレックス・グリーヴス(ワーキング・メンズ・クラブ、ボー・ニンゲン)を迎え、リーズのザ・ネイヴ・スタジオで再びレコーディングされた。本作では、バンドのトレードマークであるエフェクトを多用したギターとモーターリックなNeu!を彷彿とさせるグルーヴに、ピアノ、ストリングス、エレクトロニカ、サンプリング、そして時折ダンス・ビートまでが加わっている。


レディオヘッド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、キュア、ブライアン・イーノ、おそらくはエリック・サティのようなミニマリズム・クラシックからの影響や参照点は多岐にわたる。結果的に何が生み出されたにせよ、このセカンドアルバムは、自分たちのやっていることを確信し、そのすべてを愛してやまない4人の若者による、より大きく、よりチューニングされた、実にファンタスティックなセカンド・ステートメントとなる。


彼らは”Rock Action Records"と契約したことについて、「ロック・アクションと契約できたことにとても興奮している」と付け加えている。「モグワイとツアーを行い、彼らと親密な関係を築いた後、彼らや彼らのチームと一緒に仕事をするように誘われたことに、私たちは恵まれていると感じています。Arab Strapと同じレーベルになるなんて。つまり、これ以上言うことはない」



『I Don't Know』は2020年のデビュー・アルバム『Bedroom』に続く作品となり、再びリーズのThe NaveスタジオでプロデューサーのAlex Greavesとともに録音された。シンガー兼ギタリストのライアン・スミスは説明している。「全てはおそらくまだ自分に起こったことがベースになっているけれど、他の人がどんな状況にあっても理解できるように、より曖昧な書き方をしている。最初のレコードは一人の人間の関係のように感じられるといつも思うんだけど、今回はもっと広くて、いろいろな解釈ができるんだ」


「このセカンドアルバムは間違いなくバンドとしての私たちを凝縮したものだと思います。私たちのすべての痕跡がそこにあります」とライアンは認めます。


「一方、最初のレコードは『シューゲイザーに恋をした』だったような気がする。それから私たちは、シューゲイザーのアルバムを書いてレコーディングすることになりましたが、それは素晴らしい経験でしたし、私は今でもシューゲイザーを心の中に持ち続けています。でも、それは間違いなく、『私が曲を書き、そしてバンドがいる』ということが多かったです。このことは、他の人に不利益をもたらすものではありません。しかし、このレコードではジョーダンが曲を書きました。ジョーがビットを持ってやって来た。それは私たち全員であり、とてもいい気分です。常にすべてを書き続けなければならないというプレッシャーは少しありましたが、私は常にそれが全員であることを望んでいました。今はそうなんです」



 
 
 
『I Don’t Know』 Rock Action / Tugboat
 


アルバムのアートワークは、ロシアのモダンアート画家、ワシリー・カンディンスキーの抽象主義へのオマージュとなっているという。

 

カンディンスキー、ドイツのバウハウスの教官として勤務した後、ナチス・ドイツ占領下のフランスで絵画を制作しつづけた。彼はイゴール・ストラヴィンスキーのように米国に亡命をしなかったのだ。現在のように、アートをやるのがそれほど安全ではなかった時代、カンディンスキーのような大胆なフォルムを取り入れることは、すなわち現実の悲劇的な瞬間への強烈な反駁で、またそれは魂の生きる術でもあった。カンディンスキーは線形や幾何学模様等、象徴的なフォルムを取り入れ、アートシーンにデザインの要素を取り入れたのが、このカンディンスキーである。



 

そして、時代はまったく変わるが、bdrmmというカルテットを語る上でも、音のデザインという要素は、彼らの代名詞となるドリームポップ/シューゲイズの要素と分かちがたくむすびついているように思える。それはときに、ドイツの実験音楽集団NEU!を始めとするエレクトロニック、あるいはブライアン・イーノのようなアンビエント、ボーズ・オブ・カナダのモダンなエレクトロニック、それから彼らのサウンドを発掘したポストロックの伝説、モグワイの音響派のサウンドが立体的に複雑に絡み合い、上記のような平面の中に立体が存在するようないわばポストモダニズムやキュビズムの世界が形成されるに至った。何を彼らが音楽の中に込めようとしているのか、考えれば考えるほどミステリアスな領域へと入り込んでいく。かつてのカンディンスキーの絵画のように。



 

特に、イギリスのロンドンを中心に、いくつかのポストパンクバンドに感じられることではあるが、bdrmmは、それほど高尚な考えに裏打ちされたものではないにせよ、少なからず商業主義に対する疑いを持っているようである。よく「反商業主義」とレビューでも書くのだが、誤解がないように念のために断っておきたいのは、反商業主義は商業性を完全に否定することではない。音楽産業を潤すものがなければ、そもそも音楽産業は存在しえない。とすれば、音楽は一部のニッチな好事家のための虚偽的な慰みの範疇を出なくなるのである。それだけは避けなければならぬのは事実としても、反面、そういった商業主義の音楽に一定の許容を与えた上で、それとは対極にある音楽の存在も許容せねばならない。



ある程度の見識が備わるようになれば、音楽を例えば単なる宣伝材料のように見立て、それを需要者を騙し、売りつけることに対する疑念を持つようになることは当然なのだ。こういった搾取は、実は、ピラミッドの頂点の金融社会でも普通に横行している。今日の世界は金融により牛耳られているが、それとは別の指標のようなものがこの世に存在しえないものか。昨今、富の分配といういささか疑わしい近代資本主義の限界が見受けられる中、また、それがあちこちで破綻しかけている中、これはシティという金融街を持つロンドンに生きる人々、また、ロンドンの文化に少なからず触れてきた人々にとっては度外視できぬことなのかもしれない。もちろん、それは若い人であればあるほど、さらに自分の感覚に正直であればあるほど、貨幣社会以外の価値をどこかに見出すことはできないだろうか。そのことを切実に模索したくなることが一度くらいはあるはずだ。おそらく、それが今日のアートというものであり、そして、表現主義というものの正体なのかもしれない。少なくとも昨晩聴いた『I Don’t Know』という彼らの2ndアルバムはそういった意味を持つ作品であるように感じられる。



 

 

デビューアルバムは、軒並み高評価だった。そして複数の現地のメディアは、この二作目をデビュー作とは別の方向性を探ったものであると位置付けている。 アルバムのオープナーを飾る「Alps」は、彼らを見初めたモグワイとのツアー中に書かれたといい、事実、スイスのアルプスで書かれた楽曲である。イントロは、Board Of Canadaのようなエレクトロニックを下地にして、ドイツのNEU!のような電子的なパーカッシヴの要素を加えている。以降は、グラスやライヒのようなミニマリズムに根ざした展開へと引き継がれる。曲の構成自体はミニマルビートの性質が強く、旧来のケミカル・ブラザーズに近いものが感じられる。bdrmmの音楽はロックサウンドとクラブビートの中間点にあり、ある意味では、Squidのようにバンドの音楽という観点とは別のエレクトロニックの要素を追求した楽曲で、シューゲイズやドリーム・ポップという先入観を抱え、このアルバムに触れるリスナーに意外性を与えるようなオープニングとなっている。



 

2ndアルバムはデビュー・アルバムと同じように、一曲目からギア全開とはならず、徐々にゆっくりと、アルバムの序盤から中盤にかけて綿密な音の世界観を構築されていく。二曲目の「Be Careful」も一曲目のNEU!へのオマージュと同様、ドイツ音楽へのリスペクトが感じられる。2017年に亡くなったベーシスト、Holger Czukay(ホルガー・シューカイ)のような反復的なダビーなリズムは、ダモ鈴木の在籍時代のCANとの親和性も感じさせ、心地よさをもたらすはずだ。

 

この二曲目からbdrmmは、カルテットとしての本領を発揮しはじめる。しかし、それは徐々にギアをアップしていくといった感じで、ライブのセッションを通じてアルバムのテーマとなる核心へと徐々に近づいていく試みであるようにも感じられる。ボーカリストのライアン・スミスのボーカルは一見すると、シューゲイズ/ドリーム・ポップという前情報を念頭に入れて聴くと、チャプター・ハウス、スロウ・ダイヴ、ライドといった系譜にあるように感じられるが、実際は、キュアーやストーン・ローゼズ、あるいはその後の90年代のブリット・ポップ勢にも近いものである。中空に彷徨うかのような拠り所のないスミスのボーカルは、これらの年代のUKミュージック・シーンの面白みを知るリスナーに、程よい陶酔感を与え、幻惑へと誘い込む。

 

 「It's Just a Bit of Blood」



 

 

アルバムの3曲目でこのバンドの目指す音楽性の断片的なものがわずかながら見えてくるようになる。実際に、トム・ヨークのボーカルを意識したという「It's Just a Bit of Blood」では、「Hail To Thief」時代のレディオ・ヘッドのようなサウンドが貫かれている。そしてようやくディストーションとリバーヴをかけ合わせたシューゲイズ/ドリームポップらしいサウンドが全開となる。ギターサウンドやその雰囲気を盛り上げるドラムは、スローダイヴに近いものがあるが、サビにかけてはモダンな雰囲気を帯びるようになり、Deerhunter、Beach Fossils、Wild Nothingに象徴される米国のポストシューゲイズを織り込んでいる。



ライアン・スミスのボーカルは、中性的であり、ほのかに切なさと叙情性が漂わせているが、それは、彼らの出身地であるHullの寒々しい空気感や情景を脳裏に呼び覚まさせる。イントロのタムの連打によって溜めを作り、その後の轟音とは対極にある静謐な曲展開へと繋げるドラムは、ほどよい緊迫感があり、迫力ある。また、サビの部分でのボーカルは、アンセミックな雰囲気を帯びており、この曲がライブでどのように演奏されるのかと期待させるものがある。正直なところ、この曲は、それほど新しい試みとは言えないだろうし、カナダのBodywashほど先鋭的でもないけれども、英国的なポスト・シューゲイズサウンドをどうにか確立していこうという意図も見受けられる。

 

「We Fall Apart」は、bdrmmが必ずしもシューゲイズ/ドリーム・ポップに執着していないことを示しており、ポスト・パンクやオルトロックに近い前衛性も取り入れようとしている様子が伺える。ローファイやプロトパンクの影響を残すこの曲では、Sonic Youthの最初期のアヴァンギャルドなアプローチを再現し、『Daydream Nation』の収録曲「Teen Age Riot」に近いUSインディーのハードコアな世界を探求する。これらの瞑想的なギターの反復性は、ソニック・ユースがこの後の時代に商業的な成功を収めるうち、サーストン・ムーアが急進的に失っていった要素だった。この時代の前には、サーストン・ムーアは変則チューニングを始め、ギターの演奏に革新性をもたらしたが、それらの前衛的な手法を、bdrmmはイギリスのバンドとして受け継ごうというのである。それは冒頭にも述べたように、商業主義に対する疑念の発露がこういったアート・ロックのサウンドの中にイデアとして織り込まれていると見るのが妥当なのだろう。

 

また現代のイギリスのポスト・パンク、ハードコアバンドやその他の多少マニアックなバンドと同じように、既にロックミュージックのなかにアンビエントを取り入れることは珍しくもなく、そして今日のトレンドともなっている。


「Advertise One」では、Mogwaiの音楽が、特に日本で「音響系」と呼ばれるに至った原初的なポスト・ロック・ソングを提示している。確かに、アンビエントとロックの混淆という側面では、既に古典的になりつつあることは疑いないが、bdrmmはドローンに近い音楽性を取り入れ、また、ドゥームの要素を付け加えている。ドゥームに関してはメタルが発祥であると思うが、それらの90年代から00年代にかけてのミクスチャーの極北をこの曲に捉えることが出来る。もちろん、途中に挿入されるピアノのフレーズはロックを他ジャンルに開放させてみせた、アイスランドのSigur Rosの音楽性の影響を見出すリスナーも少なからずいるのではないだろうか。



 

アルバムの中で最もスリリングな曲が続く「Hidden Cinema」である。多少、展開がもたつく場合があるが、このバンドのシューゲイズとポスト・パンクの融合性の真骨頂を、この楽曲に見出すことが出来る。ボーカルとバンドアンサンブルは、Deerhunter、Beach Fosiilsに近いものがあるが、何と言っても、この曲では、他のパートに対する複合的なポリリズムを交えたベースラインが際立っている。このビートを撹乱するようなベースラインは見事で、立体的な構造性を楽曲に及ぼし、スリリングさをもたらしている。また、そこには、ロンドンのSquidに比するポスト・パンクバンドらしいひねりや、シニカルな主張性も少なからず含まれていることも理解出来るはずである。一曲の全体的な構造として、溜めを作るフレーズとその溜めを開放させるためのフレーズが並列されることにより、ジャズのコールアンドレスポンスやハードコアのストップ・アンド・ゴーのような前衛的な効果が生み出されている。ただ一つだけ難点を挙げるとするなら、構成力は凄く巧みに感じられるものの、フレーズの移行の際に多少もたつくような瞬間があり、これがスムースな流れを妨げている場合もあることを指摘しておきたい。これがよりバンドの演奏として熟練したものになると、今までになかった何かが生み出される可能性がある。



続く、「Pulling Stitches」では、彼らのシューゲイズ/ドリームポップサウンドの一つの完成形が示されている。ポンゴのような民族楽器のシンセ・パーカッションの挿入、及び、モダンなインディーポップの要素は、捉え方によっては、彼らの新しい音楽性が確かな形になりつつある瞬間と言えるかもしれない。ライアン・スミスのボーカルは、他の主要な曲と同様に、夢遊の雰囲気を帯び、轟音のシューゲイズサウンドにちょっとした華を添えている。他のインディーポップバンドと同じように、現代の寄る辺なき人々の感覚を上手く捉えた瞬間とも言える。

 

「Pulling Stitches」

 

 

アルバムの最後に収録されている「A Final Moment」は、 作品全体で提示してきたロックミュージックへの新たな挑戦のひとつの区切りを意味するのだろうか。バンドが影響を指摘するボーズ・オブ・カナダのようなワープ・レコーズの主要なエレクトロニカサウンドを下地にし、大掛かりなシネマティックなサウンドを彼らは生み出している。アルバムを聞き終えようとする瞬間、何かこのアルバムが次なる希望に溢れた瞬間に続いている気がした。それは単なるイメージに過ぎなかったのだが、何か一筋の狭い道が続いた後、その道がある瞬間にぱっと大きく開けていき、理想的な領域へと続くのが思い浮かんできたような気がした。



 

勿論、これは私見であり、個人の単なる感想に過ぎないが、アルバムの最後の曲を聞くかぎりでは、bdrmmは他のロンドンの有望視されるポストパンクのバンドにも比する期待値を持ったカルテットであると感じられた。bdrmmの才覚はその片鱗をみせたに過ぎず、完全には花開いていないのかもしれない。これから、どんな未来のサウンドが生み出されるのか楽しみにしたい。 


 

 84/100

 

 

 bdrmmのニューアルバム『I Don't Know』は、Rock Action/Tugboatから本日より発売中です。