New Album Review  Blonde Redhead 『Sit Down For Dinner』

Blonde Redhead 『Sit Down For Dinner』

 




Label:  Selection 1

Release: 2023/9/29



Review



Blonde Redheadは、日本から米国に移民として渡ったカズ・マキノ、イタリアからの移民、パーチェ兄弟によるプロジェクトである。1995年、セルフ・タイトルを発表時、当初、ロックシーンの批評家ではなく、ニューヨークのアヴァン・ジャズに精通したジャーナリストから絶賛された。

 

最初期のトリオは「ポスト・ソニック・ユース」とも称すべきアヴァン・ロックの象徴的な存在であったが、以後、彼らは作品ごとにその音楽性を絶えず変化させて来た。パーチェ兄弟のイタリアのバロック音楽からの影響から、パンク的なアプローチはもちろん、クラシック音楽のスケールや旋法を取り入れ、独自の音楽観を確立した。


1995年、自主制作盤の発表後、シカゴのTouch & Goと契約を交わし、『In an Expression of the Inexpressive』ではプロト・パンクの影響を絡めた前衛的なロックの集大成を成し、バロック・ポップを推進したメロディアスな印象を擁する『Misery Is A Butterfly』も象徴的なアルバムである。その後、比較的、ダンス・ポップのアプローチを前面に打ち出すようになり、4ADと契約を結んで発表されたNINのトレント・レズナーのプロデュース作『Penny  Sparkle』では、時代に先んじてアヴァン・ポップの新境地を切り開いた。その過程では、フジロック・フェスティバルにも出演したことは記憶に新しい。

  

現代の多くのバンドやソロアーティストと同様、 パンデミックのロックダウンの瞬間は、ブロンド・レッドヘッドにも人生を回顧する機会をもたらした。あるいは、生きるということに関しての述懐を音楽に取り入れることの重要性を思い出させることになった。このアルバムは、トリオにとって重要な分岐点を形成するカタログなのであり、また、28年に及ぶ音楽活動の集大成が刻印されている。本作は、潜在的なファンにアピールするものであるとともに、旧来のファンに何か深く考え込ませ、さらに内面に浸らせる契機を与えてくれるはずだ。


『Sit Down for Dinner』は、ニューヨーク、ニューヨーク北部、ミラノ、トスカーナで5年間かけてじっくりと作曲・録音された。完璧な構成であり、繊細さと明瞭さ、ただならぬ決意が込められたアルバムが制作された。全体を通して、控えめでありながら直感的なメロディーが避けがたい葛藤を描いた歌詞に印象深さをもたらす。2021年の時代の永続的な関係におけるコミュニケーションの断絶、どちらに向かえばいいのか悩むなど、夢を持ち続けることの困難について描かれている。

 

2020年春のこと、カズ・マキノは、アルバム制作の過程で、ジョーン・ディディオンが2005年に発表した悲嘆の回想録『The Year of Magical Thinking』の一節に出会い、食卓で夫の急死を目撃した衝撃的な体験を振り返っている。パンデミック初期に起こった深刻な不安が世界に蔓延するなか、マキノは遠く離れた日本にいる自分の両親のこと、当時、不意に失われた家族と夕食を共にする儀式、私たちの誰もが一瞬にして人生が変わってしまうという重々しく遍在する感覚に思いを馳せざるを得なかった。そういった複雑な思いや、アーティストの人生観にまつわる感覚が渦巻く、従来のブロンド・レッドヘッドのカタログの中で最も意義深いアルバムとなっている。

 

Blonde Redheadは、ベースなしの編成で作品制作に取り組んできた経緯があり、バンドとしては特異なトリオであることは相違ない。ただ、ベースレスのバンドであるからといえ、彼らの音楽が軽薄であったことはなかった。それは、バンドの中期の代表作『Misery Is A Butterfly』でのバロック・ポップの手法を選んでもなお、最初期のノーウェイヴに触発された前衛性やパンク性は、彼らの音楽性の一端を担っていたのだ。パーチェ兄弟の悲哀を織り交ぜたソングライティング、プロト・パンクやダンス・ポップに触発されたマキノのメロディー性が合わさることで、ブロンド・レッドヘッドは唯一無二の存在として名を馳せてきたのだったが、今作においても、それらの音楽性は不変であり、ダブル・ボーカルというアプローチにも変更はない。


アルバムのオープナー「Snowman」を見ると分かる通り、パーカッションの実験性が以前よりも押し出されたというような印象を受ける。その中には、The SlitsGina Birchがソロアーティストとして志向するポスト・パンク性が含まれていることがわかる。また、スカ/ダブや民族音楽からの影響が細やかなリズム性を生み出し、長い活動によって培われた独自のポップネスと融合し、先鋭的なアヴァン・ポップが抽出される。また、近年、ポップネスをその音楽性の主体においてきたバンドにとって、原点回帰のような狙いを見出すことも出来る。

 

今作における実験性、アヴァンギャルド性は最初期の過激さとは比べるべくもない。しかしながら、その反面、ポップスの中にアクセントをもたらし、聴き応えのあるナンバーをいくつか完成させるに至った。現在でも、ブロンド・レッドヘッドはニューヨークの現行のシーンに親近感を持ち、鋭い感性によりリアルなウェイブを掴み、バンドの音楽性の中に上手く取り入れている。

 

例えば、「I Thought You Should Know」でのニューヨークのブルックリンを中心に隆盛をみせるシンセ・ポップのアプローチ、「Before」でのヨーロッパのアヴァン・ポップに対する親和性という形を通じて、現行のウェイブの影響を巧緻に取り入れている。しかし、これらの現代的な手法は、独自のポップセンスや、パーカッシブな音楽的な技法、そして卓越したメロディーセンスにより、バンドしか持ち得ない持ち味が追求され、代名詞となるサウンドとして昇華される。他のアーティストからの影響を断片的に取り入れようとも、オリジナリティー溢れるサウンドになるのは不思議でならない。カズ・マキノ、パーチェ兄弟の持つ深いペーソスが楽曲の構成や旋律、そして、スケール、リズム全般に乗り移り、バンドの象徴的な音楽性が生み出されるのだ。


特に、人生の中での考えさせられるような体験は、「Kiss Her Kiss Her」の中に反映されているという気がする。それらは貴重な何かが失われた時に感じる悲哀をもとに、カズ・マキノなりの愛情という観念を探し求めているように思える。その核心に触れられたかどうかは別としても、この曲に満ちる感情の流れは、水のゆらめきのように、繊細な感覚を作りだす。最初期は、ライオットガールという観念にがんじがらめになっていた印象もあったにせよ、それらは今や労りや慈しみという観念に変化し、感情をやさしく包み込む。この曲を聴くかぎりでは、ことさらジャンルという観念にもこだわっていないという気がするし、普遍的な影響力を持つロックバンドとしての風格も随所に感じられるようになった。

 

これは、今や、アヴァンギャルドや前衛主義という印象を一面的に示唆する必要性がなくなった、つまり、衒学性を表向きに示す必要がなくなったとも解釈できる。それは以前からバンドを知るファンにとってはある種の安心感をもたらし、肩の荷が下りたような感覚を覚えさせる。ただ、普遍的なロックの手法の中にも、トリオらしい実験的な音楽の趣向が見いだせることも事実だろう。特に「melody experiment」では、裏拍を強調したギターラインを、ドリーム・ポップに近いボーカルのメロディーと結びつけている。これらは、Touch & Go所属時代のバンドの夢想的な感覚の復刻であるとともに、「This is Not」に代表されるポップネスの進化系を示したとも解釈出来よう。ダンス・ポップという切り口は、この曲でも健在だが、終盤にかけて、ライブ・セッションでしか発生しえないアグレッシヴな瞬間も見出せる。


この28年間において、バンドは連曲という形式を通して、アヴァンギャルドの精髄を探求してきた経緯があるが、旧来の形式を捨て去ったというわけではない。ブロンド・レッドヘッドの独自の美学は「Sit down for Dinner 1/2」に見出せる。しかし、その手法は以前とは若干異なる。前者ではフレンチ・ポップの踏襲という形で、後者においては、ニューヨークのプロト・パンクを形成するSuicide、Silver Apples、DNAを始めとするノーウェイヴの復刻という形で現れる。そう、たとえ制作やレコーディングの拠点が、ニューヨーク、ミラノ、トスカーナ、複数の国家に跨ったとしても、やはりブロンド・レッドヘッドはブロンド・レッドヘッド。ニューヨークの象徴的なロックバンドであり、同地のカルチャーの重要な継承者であることに変わりはないのだ。



84/100

 

 

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