Weekly Music Feature-   Slow Pulp 『Yard』  

 Weekly Music Feature


 Slow Pulp






エミリー・マッシー(ヴォーカル/ギター)、ヘンリー・ストーア(ギター/プロデューサー)、テディ・マシューズ(ドラムス)、アレックス・リーズ(ベース)の4人は、『Yard』で新たなサウンドの高みに到達し、劇的な化学反応を起こしている。初期の楽曲に見られた粘着性のあるフックとドリーミーなロックをベースに、Yardはより大きなサウンドを作り上げた。落ち着いたギター、泣きのアメリカーナ、骨太のピアノ・バラード、そしてベルト・アロングにふさわしいポップ・パンクを通し、彼らは孤独というテーマと、自分自身と心地よく付き合うことを学ぶ過程、そして他者を信頼し、愛し、寄り添うことを学ぶ重要性に向き合った。

 

『Yard』の中毒性のあるニュー・シングル「Slugs」のコードは、ギタリスト兼プロデューサーのヘンリー・ストーアが小学6年生の時に片思いの相手のために書いた。マッシーは、暖かいギターのファズとシロップのようなバック・ヴォーカルに乗せ、「君は夏のヒット曲だ // 僕はそれを歌っているんだ」と歌う。「スラッグスは簡単に言えば、夏に恋に落ちることを歌っている」


「この曲は、誰かと知り合うことの新鮮さとフレッシュさが、その人のことをどれだけ気にかけるようになったかを実感することで、一抹の恐怖に変わるようなシーンに生きている。私は人間関係に関して、不安や無常感に支配されがちだ。おそらく、過去に人間関係の基盤が不安定だったり、複雑だったりしたせいだろう。それでも、突然、初めて、健全な愛着と相互賞賛のある、安全だと感じられるものの中にいる自分に気づき、不確実性の必然性がより簡単に受け入れられるようになった。この曲は、恋愛におけるさまざまなタイプの初めての瞬間という時代を超越したもので、この一周の瞬間を見つけたというのは、とても素敵なことだと思う」

 

 

スロー・パルプは、ウィスコンシン出身であり、この土地に大きな思い入れを抱いているという。そして、10年以上の長い友情に根ざしている。ストウアとマシューズは、マディソンの小学校に一緒に通い、地元の音楽プログラムを通じてリーズと知り合った。マッシーは大学で仲間入りし、リーズはミネアポリスの大学に、他のメンバーはマディソンにいた。カルテットはレコーディングを始め、中西部でライヴを行い、最終的に2017年のEP2をリリースした。親密で落ち着きがなく、明らかにローファイな17分のデビュー作で、YouTubeチャンネルやブログで人気を集めた。


2018年、バンドはシカゴに拠点を移した。『Big Day EP』の大半を書き、レコーディングした。ステージやスタジオで時間を費やしながら、彼らは作品に磨きをかけ、2019年までには、Alex Gとツアーを行い、デビュー・フルレングス・レコード『Moveys』の制作に取り掛かった。マッシーのライム病と慢性モノラルの診断、そして、彼女の両親を巻き込んだ重大な交通事故により、バンドは孤立した状態で『Moveys』を完成させた。エミリーは一時的に家に戻り、病院に通い介護をしながら、父親のマイケルの小さな自宅スタジオでヴォーカルを録音した。紆余曲折あったが、バンドは『Yard』で再びマイケルとヴォーカルを録音することを選んだ。

 

「一緒に仕事をすることで、見知らぬ人や家族ではないプロデューサーとはできないような方法で、お互いにとても正直になれる」とマッシーは言う。


「彼は、私の人生をとても親密に知っているので、曲の内容についてすでに多くの背景を持っている。彼はとても率直で、私が聞きたくないけど聞く必要があることをよく言ってくれる。それが僕から最高のテイクを引き出すことにつながっている」スロー・パルプのパンデミック時代のアルバム制作から、バンドが次のアルバムに持ち込んだ教訓はそれだけではなかった。


『Yard』は2022年2月、マッシーがウィスコンシン州北部の友人宅の山小屋に1人で滞在していたとき、形になり始めた。


『Yard』の制作プロセスにおいて孤立は重要な要素だったが、彼らはそれを戦略的に用いた。「私たちが発見したことのひとつは、意図的に孤立する時間を取ることが本当に重要だということ。このプロセスを通して、バランスをとること、意図的にそれを行うことについて多くを学んだ」

 

スロー・パルプの中で、メンバー間の信頼関係は、彼らのクリエイティブ・プロセスの源である遊び心にあふれたコラボに表れている。『Yard』では、ニュアンス、印象、矛盾、つまり、これまで適切な言葉が見つからなかったフィーリング特有の緊張感をボトルに詰め込み、微調整された音と歌詞のポケットに、心地よく寄り添った。おそらくこれは、バンド自身が共有する歴史と化学反応から生まれた。様々な意味で、4人は共に育ち、今も共に成長し続ける。



Slow Pulp 『Yard』/ Anti-




元々は、シューゲイズの括りで語られることもあったSlow Pulpではあるが、今やそのようなマニアックな呼称は相応しくないだろう。


高評価を受けた前作アルバム『Moveys』に続いて、Anti- Recordsと契約を結んで発表された2ndアルバムは、四人組の広汎な音楽の背景を感じさせるとともに、彼らの友情の温かみ溢れるインディーロックサウンドが生み出された。およそ、いくつかの困難がアルバム制作前後に立ちはだかったとは思えない作品である。


そして、最も称賛すべきなのは、これらの10曲を通して、インディーロックという括りではあるものの、バンドの人生が深く反映され、聴き応え十分のサウンドが生み出されたこと。他でもなく、四人組のフレンドシップが、こういった聞きやすくも強固なバンドサウンドを形成したのだ。

 

アルバムのオープニング「Gone 2」は、「RHCPの曲のビデオを無音で見た時に思いついた」という。ギターのカウントから始まる現代的なベッドルームポップとAlex Gのようなクールなインディーロックを合体させ、エミリー・マッシーのエモーショナルなボーカルが心地よい雰囲気を生み出す。

 

その背景にはアメリカーナへの愛着が示され、アコースティックギターやほろりとさせるシンセ、ベースのカンターポイントが複雑に絡み、Superchunkのごとき温かみのあるサウンドが生み出された。前作で確立したディストーション・サウンドをポップスという形に落とし込んでいる。もちろん、Anti- Recordsらしいポップ・パンクからの影響もある。彼らはこの曲で、一つのサウンドから多くのサウンドへ拡散させるのではなく、複数のサウンドから一つのサウンドへと収束させる。感覚的な面でも、多彩なエモーションが現れている。ほろ苦さを思わせたかと思えば、少し明るくなる。そして、明るくなったかと思えば、また、ほろ苦い。その繰り返しなのだ。

 

「Doubt」は、Slow Pulpがポップ・パンク/メロディックパンクのフォロワーであることの表明代わりとなる。Blink-182の若々しい感性と青春を彩るメロディーラインがスリーコードとAlex Gのごときテクニカルなミックスと結びつく。ポップ・パンク最盛期のメロディーラインやビートの影響を巧みに反映させ、それらをベッドルーム・ポップの感性と結びつけ、最終的には複数の音楽性を吸収し、全般的にカナダのAlvvaysの様なフォーク・パンクとして昇華させる。バンドサウンドとしての完成度もずば抜けて高い。この曲の緻密に作り込まれた精巧なプロダクションは一秒もずれることがない精密機器のようである。さらに、マッシーのボーカルには、Fall Out Boyのようなオーバーグラウンドのエモコア・バンドの旋律に加え、ダイナミックさと繊細さが内包されている。ここに2020年代のポップ・パンクの珠玉の名曲が誕生している。 

 

前作アルバムで構築したディストーション・サウンドの妙は「Cramps」において引き継がれている。イントロの華麗なタム回しの後に始まる痛快なメロディック・パンクは、多くのファンが待ち望んでいたものであり、未知なるリスナーの心を鷲掴みにするに違いない。キム・ディール擁するThe Breedersのオルト・ロックとフォークの融合性を継承し、パンキッシュなグルーブを散りばめている。上記2曲に比べ、グランジの影響が強く、ギターサウンドの尖り具合は、Dinosaur Jr.のJ Mascisが『You're Living All Over Me』においてもたらした、ワウとファズの融合に匹敵する。彼等はそれを誰にでも分かりやすく親しみやすいサウンドへと昇華する。これらのパンクとロックの中間にあるアプローチは、エモコア・サウンドに変貌を遂げる瞬間もある。

 

 

 

 

 「Slugs」は、前曲と同様に、彼らのライブのアンセムとなっても違和感がないように思える。この曲では、Phoebe Bridgersのソロでのベッドルーム・ポップやインディー・フォークの音楽性を上手く吸収し、それを親しみやすく、まったりとしたサウンドへと落とし込んでいる。そしてエバーグリーンな感性がリリックやボーカルに巧みに転化されている。これらは、大学生時代のモラトリアムのような感覚を鋭く捉え、内省的で感覚的な波が揺らめくような切ないポップという形でアプトプットしている。そのポップネスにスパイスをもたらしているのがファズを徹底して突き出した歪んだギターだ。これは、マット・シャープのThe Rentalsが『Friend Of P』で実験していたサウンドである。決してパブリーではなく、ナードであるかもしれないが、何れにしても、それは心地よいインディーロックソングに落着していることは言うまでもない。

 

「Yard」も前曲と同様にプレビューとして公開された。 ここでは、彼らが信奉するAndy Shaufのインディーフォーク性を受け継ぎ、古めかしいピアノの音色を交えて、オルタネイトなソングライティングの方向性を選んでいる。コード進行に関しては、Weezerの「Undone- The Sweater Song」とほぼ同じである。しかし、普遍的なアメリカン・ポップスの影響も見受けられ、フィービー・ブリジャーズのベッドルーム・ポップとビリー・ジョエルの往年のクラシック・ポップが合体し、さらに、それがPixiesの「Where Is My Mind」と融合し、ある種の化学反応を起こしたかのようである。難しい例えになってしまったが、普遍的なUSポップスのスタイルを巧みに踏襲し、オルタネイトなポップとして昇華させている点に醍醐味がある。少なくともこの曲は、アンディ・シャウフのような幻想性は乏しいものの、良質なポップソングとして楽しめる。

 

このアルバムでは、現在ニューヨークを拠点とする若きホープであるWhy Bonnieのようにインディーロックに加え、アメリカーナ(フォーク/カントリー)の影響が重要なファクターとなっており、パンクとベッドルームポップとともに今作を解き明かすための欠かさざるテーマとなっている。『Yard』の後半部では、落ち着いたインディーフォーク的な手法が立ち表れ、その中に強い印象を持つノイジーなインディーロックがコントラストを描くかのように収録されている。


バンドは、作曲に際して、映画作品にインスピレーションを受けるときがあるとのことだが、「Carina Phone 1000」は、Slow Pulpのアウトプットされる音楽とは別のバックグランドを読み解くことが出来る。


これらのシネマティックな媒体からの影響は、この曲のインディーフォークのアプローチの向こう側に、ある種のイメージを立ち上らせ、イマジネーションにおけるナラティヴな効果を発揮するに至る。それは例えば、彼らの故郷、ウィスコンシンやミネアポリスの中西部の風景を喚起させる力を兼ね備えている。耳障りの良いサウンドはもちろんのこと、音により想像性を掻き立てられる瞬間にこそ、このアルバムの最大の魅力を感じ取ることが出来るのではないだろうか。

 

この落ち着いたインディー・フォークを基調とした楽曲の後、再び、このアルバムのサウンドの核心を担う、エバーグリーンかつ才気煥発なオルト・ロックバンドとしての姿に立ち返る。「Worm」は再度ベッドルームポップとポップ・パンク、そしてインディーロックを融合させたSlow Pulpの代名詞のサウンドで、鮮やかな息吹をもたらす。そこにはバンドアンサンブルとしての妙も表れ、鋭いブレイクを挟み、スタジオ録音ではありながらアグレッシヴなライブサウンドの精細感を追求する。オーディオやヘッドフォンを通じてでさえ、Slow Pulpのサウンドが、スタジオライブのごとき密接かつ刺激的な瞬間を呼び覚ます力があることを示唆している。

 

従来、バンドが書きたくても書けなかった、あるいは書くことが出来たのに書かなかった理想的なインディーロックサウンドの真骨頂が、アルバムの終盤のハイライトとなる「MUD」に現れる。この曲では、フィービー・ブリジャーズのソングライティングの手法を踏襲し、甘いポップサウンドの後に訪れるファズ/ディストーションを基底に置いたインディーロック・サウンドで、鮮烈なアルバムのイメージを完成させる。もちろんそれは、アルバム序盤から一貫して示唆されていたエモーショナルな感覚と複雑に溶け合うようにし、新時代のインディーロックサウンドのアンセムを作り出す。「again」というフレーズのボーカル・ループの後の傑出したバンドサウンドは、イントロのモチーフに回帰し、アンセミックなフレーズを相携え、シンセの切ないフレーズを折り混ぜながら、シューゲイズのディストーションの渦中に消え果てていく。 

 

「MUD」

 

 

アルバムのクライマックスを飾る2曲は、落ち着いたアメリカーナ・サウンドを体現している。これらは、Why Bonnieが示すように、現代のUSインディーロックは、The Breedersの時代と同じように、ロックとアメリカーナの融合に焦点が絞られていることが分かる。 もちろん、そこには、ロマンティックなペダル・スティール、バンジョーのような特殊な楽器も登場する。しかし、これらの複合的なサウンドアプローチが散漫にもならず、飽きさせもしないのが本作の1番興味を惹かれる点なのだ。そして、それはクローズで示されているように、Slow Pulpが映画のようなストーリー性をインディーロックサウンドの背景に滲ませているからである。もちろん、それはプレスリリースにも書かれておらず、もちろん、表向きには語られないことである。

 

しかし、「Bordview」「Fishes」というアルバムのエンディングを飾る2曲を聴いた後に、米国のユース・カルチャーを題材においた短編映画を見終えた後のような爽快感をおぼえてもらえると思う。そして、それは皮相の構造的な話法ではなく、音やバンドサウンドで語られるべきものがしっかり語られているがゆえ、こういった好印象なアルバムが生み出されることになった。


多数のロックファンの間で話題になっている今作。しばらく聴かずに過ごせそうもない。少なくとも、2023年度のインディーロックとしては最高に楽しめるアルバムとなっているのではないだろうか。

 

 

86/100 


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