Wild Nothing  『Hold』 / New Album Review

 Wild Nothing  『Hold』 

Label: Captured Tracks

Release: 2023/10/28



Review


2010年に発表された『Gemini』からニューヨークのキャプチャード・トラックスの屋台骨となり、同レーベルの象徴的な存在として名を馳せてきたWild Nothing(ワイルド・ナッシング)こと、ジャック・テイタム。

 

デビュー時からの盟友とも称せるBeach Fossils(ビーチ・フォッシルズ)のジャスティン・ペイザーと同様に、ミュージシャンとしての道のりを歩む傍ら、家庭を持つに至り、人生における視野を広げ、新たな価値観を作りあげつつあるのを見ると、確実に十三年という時の流れを象徴づけている。5thアルバムは、ジェフ・スワン(キャロライン・ポラチェックやチャーリーXCXの作品を手掛ける)がミックスを担当。パンデミック時に書かれ、現代的な時代背景から「模索的で実存的な音楽になるのは必然だった」とレーベルのプレスリリースには明記されている。

 

デビュー当時の名曲「Golden Haze」(同名のEPに収録)の時代からインディーロックやシューゲイズ/ドリーム・ポップのポスト世代の担い手として日本国内でも紹介されてきたワイルド・ナッシングではありながら、プレスリリースでも言及されている通り、オルタネイトなロックのみが、このアーティストの音楽的なバックグランドを構築しているわけではないことは瞭然である。そして、ひとつこのアルバムを聴くとよく分かることがあるとするなら、シューゲイズ/ドリームポップと、ポスト世代で多くのバンドが追求してきた当該ジャンルの主要な要素であるメロディーの甘美さや陶酔感と併行して、ダンス・ミュージックからの強いフィードバックが、テイタムのオルタナティヴ・ロックサウンドの背後には鳴り響き、重要なバックボーンを形成していたという意外な事実である。さらに、「ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュに最も触発を受けた」とテイタム自身が説明している通り、彼がこの13年間を通じて、良質なポピュラー音楽から何かを掴み、それを一般的に親しめる曲としてアウトプットしてきたという事実を物語っている。つまり、表面上からは伺いしれないワイルド・ナッシングの本質的な音楽性にふれることが出来るという点に、本作の最大の魅力が反映されているのだ。デビュー時の派手な印象は薄れてはいるものの、一方、かなり聴き応えのある作品となっている。少なくとも、オルトロックファンとしては素通りできないレコードとなるかもしれない。おそらく、このアーティストの作品に幾度となく慣れ親しんできたリスナーにとどまらず、新たにワイルド・ナッシングの作品に触れようという方も、そのことを痛感いただけるものと思われる。

 

ファーストシングルとして公開された「Headlights On」は、ホルヘ・エルブレヒトやBeach Fossilsのトミー・デイヴィッドソン、ハッチーが参加し、「アシッド・ハウスに匹敵するベースグルーヴとブレイクビーツが特徴ではあるが、このクラブの雰囲気はミスディレクション」と記されている。テイタムはオープニング曲を通じて、バランスを取ることを念頭に置いており、背後のダンスビートの中にAOR/ソフト・ロックに象徴される軽やかで涼し気なサウンドを反映させる。表面的な印象に関しては、ダンスロックやシンセポップからのフィードバックを感じ取る場合もあるかもしれないが、同時にビリー・ジョエルのサウンドに関連付けられる良質なバラードやポップスにおけるソングライティングがグルーブの中に何気なく反映されている。モダンなトラックとしても楽しめるのはもちろんなのだが、往年の名バラードのような感じで聞き入る事も出来るはずだ。「Headlights On」は、いわば、キャッチーさと深みを併せ持つ音楽の面白みを凝縮させたシングルなのである。アルバムのイントロとも称すべき一曲目で、懐かしさと新しさの融合性を示した後、#2「Basement El Dorado」では、さらにユニークなダンス・ポップが続く。Dan Hartmanの「Dream About You」を思い起こさせる懐かしのシンセ・ポップを背後に、テイタムはそれとは別の彼らしいオリジナリティを発揮する。現在、ニューヨークでトレンドとなっているシンセ・ポップのモダンな解釈を交え、それらにHuman Leagueのような軽やかなノリを付加している。

 

こういった新鮮な音の方向性を選んだ後、#3「The Bodybuilder」では2010年のデビュー当時から続くドリームポップのメロディー性を踏襲し、新鮮な音楽性を開拓しようとしているように感じられる。メロディーの中にはSheeranのようなポップネスもあり、LAのPoolsideと同様にヨット・ロックからのフィードバックも感じとれる。リゾート的な気分を反映しつつも、Cocteau Twinsのような陶酔的なメロディーもその音の中に波のように揺らめいている。しかし、曲の途中からは雰囲気が一変し、マーチングのようなドラムビートを交えた聴き応えのあるギターロックへと移行していく。断片的なバンドサウンドとしての熱狂性を見せた後、クラブのクールダウンのような感じで、曲も落ち着いた印象のあるコーラスが続き、そして再び、サウンドのバランスを取りながら、それらの二つの音楽性を融合させ、メロディーとビートの両方の均衡を絶妙に保ち、曲はアウトロへと向かう。そのサウンドの中に一瞬生じるグルーブは旧来のワイルド・ナッシングの音楽とは別の何かが示されていると思う。

 

中盤でもダンスミュージックを意識したモダン/レトロのクロスオーバー・サウンドが続く。 「Suburban Solutions」でも、やはりドリーム・ポップの基礎的なサウンドを形成しているAOR/ソフト・ロックのサウンドからの影響を織り交ぜ、MTV時代のディスコサウンドに近いナンバーとして昇華している。こういったサウンドでは、旧来よりもエンターテイメント性に照準を絞っているという印象も受ける。実際に、そのことはアウトロでのコーラスワークに反映されており、単なる旋律の良さにとどまらず、清涼感を重視した意外性のあるナンバーとなっている。その後、「Presidio」でも同じように、比較的新しい試みがなされ、アンビエント/エレクトロニックの中間の安らいだ電子音楽を制作している。クオリティーの高さに照準を置くのではなくて、聴きやすさと安らぎに重点を置いているのに親近感を覚える。電子音楽ではありながら、シンセ音源のシンプルな配置を通じて、温かい感情が波のように緩やかに流れていく。こういった心がほんわかするような気分は、もちろん、次の曲でも健在だ。「Dial Tone」では日本のJ-POPの音楽性にも近い叙情的なインディーロック・サウンドが展開される。この曲もまた同様にローファイな感覚が生かされていて、欠点があることに最高の美点が潜んでいる。

 

 「Histrion」でもダンス・ミュージックとソフト・ロックが曲の核心を形成しているが、その中にはやはりオープニング曲と同じように現代的なポップネスが反映されており、彼が尊敬するガブリエルやケイト・ブッシュの良質なソングライティング性を継承し、それらをどのような形で次のポピュラー音楽に昇華するのかという試行をリアルなサウンドメイクにより示している。それはまだ完全に完成されたとは言えない。ところが、その中に何かきらめいた一瞬を見出せる。デペッシュ・モードを彷彿とさせるダンスビートを背に歌われるボーカルラインの節々に本質的な概念が現れ、きらびやかな印象を醸し出す。そのことをひときわ強く象徴づけるのが、アウトロにかけて導入されるダンスビートをバックに歌われるアンセミックなフレーズなのだ。

 

「Prima」では、アルバムのハイライト、象徴的な音楽性が表れている。言い換えれば、今までになかった次なる音楽が出現したという感じだ。ミステリアスな印象のあるシンセサイザーのシークエンスの中に、それらの抽象的な空間に向けて歌われるジャック・テイタムのボーカルに要注目である。和音的な枠組みの中にテイタムのボーカルのメロディーが対旋律のような効果を与える瞬間がある。従来のインディーロックという枠組みを離れて、まだ見ぬ未知の段階にアーティストが歩みを進めた瞬間でもある。レーベルのプレスリリースにも書かれている通り、ジャック・テイタムは、地球の温暖化や、その他、政治的な問題に無関心というわけではない。しかし、それらの考えを言葉でストレートに表現するのではなく、言葉の先にある音楽という形に落とし込んでいる。つまり咀嚼しているということなのだ。ワイルド・ナッシングの音楽に対する探究心は尽きることがないし、それは本作のクライマックスを飾る収録曲においても断続的に示されている。「Alex」では、親しみやすい良質なインディー・フォーク、「Little Chaos」ではエレクトロニック/アンビエント。クローズ曲は『Toto Ⅳ』に見いだせるような、爽やかな感じで、アルバムはさらりと終わる。

 

 

 

88/100