Squirrel Flower ”Tomorrow’s Fire" シカゴのDIYロックシンガー、成長しない人生に断固としてコミットする 

Squirrel Flower/ ©Polyvinyle


シカゴから南へ1時間足らず、ミシガン湖畔に広がるインディアナ砂丘は、近年国立公園に指定された保護された海岸線である。


エラ・ウィリアムズが初めて砂丘を訪れたとき、周囲の工業地帯の中に自然の素晴らしさが並存していることに驚嘆した。「湿原に立つと、左手には火を噴く鉄鋼工場があり、右手には原子力発電所がある。海の向こうにはシカゴがあり、その輝くタワーはここで生まれた鉄鋼によって実現したんです」 同じように、彼女が音楽を作り続けている限り、エラ・ウィリアムズの曲は、その曲の書かれた環境の産物であり、同じ世界から生まれたものである。この環境こそ、彼女の魅力的なニューアルバム『Tomorrow's Fire』が生きている場所なのだ。


ウィリアムズがスクイレル・フラワーとして作る音楽は、常に強い場所の感覚を伝えてきた。2015年にリリースされたデビューEP『Early winter songs from middle america』は、彼女がアイオワに住み始めた最初の年に書かれたもので、アイオワの冬は、彼女の故郷であるボストンの冬と比べても古風に思えるほどである。




この最初の作品以来、スクイレル・フラワーはボストンのDIYシーンを超えたファン層を獲得し、さらに2枚のEPと2枚のフルアルバムをリリースした。最新作『Planet (i)』は気候への不安を孕んでいたが、続く『Planet EP』は、ウィリアムズの多作なキャリアの中で重要な転機となった。


プロデューサーとしての自信を新たにした彼女は、アッシュヴィルのドロップ・オブ・サン・スタジオで、著名なエンジニア、アレックス・ファーラー(『Wednesday』、『Indigo de Souza』、『Snail Mail』)と共に『Tomorrow's Fire』を指揮した。ウィリアムズとファーラーは、最初の1週間で多くの楽器をトラックし、一緒に曲を作り上げ、マット・マコーガン(ボン・イヴェール)、セス・カウフマン(エンジェル・オルセン・バンド)、ジェイク・レンダーマン(別名MJレンダーマン)、デイヴ・ハートリー(ザ・ウォー・オン・ドラッグス)らが参加するスタジオ・バンドを結成した。


『Tomorrow's Fire』以前のスクイレル・フラワーは「インディー・フォーク」などと呼ばれていたかもしれないが、これは大音量で演奏されることを前提に作られたロックのレコードだ。この転換を告げるかのように、アルバムはスクイレル・フラワー初の曲を再構築した「i don't use a trashcan」で幕を開ける。ウィリアムズは、アーティストとしての成長を示すために、また、ループしたミニマルな彼女の声が空間を静寂にする力を持っていた初期のライヴを思い起こすために、過去に立ち戻ったのだ。


リード・シングルの "Full Time Job "と "When a Plant is Dying "は、アーティストとして生き、それが挑戦的なことである世界に立ち向かうことから来る普遍的な絶望を物語っている。ウィリアムズの歌詞に込められたフラストレーションは、音楽の自由奔放でアグレッシヴなプロダクションと呼応している。「人生には、時間を守ることよりも大切なことがあるに違いない」と、後者の高くそびえ立つコーラスで彼女は歌う。このような歌詞はアンセミックになる運命にあり、『Tomorrow's Fire』にはそれが溢れている。「私のベストを尽くすことはフルタイムの仕事/でも家賃は払えない」ウィリアムズは「Full Time Job」で、不安定なフィードバックに乗せて歌う。




ウィリアムズは、『Tomorrow's Fire』のインスピレーションの源として、ジェイソン・モリーナ、トム・ウェイツ、スプリングスティーンといったアーティストの名前を挙げている。「私が書く曲は必ずしも自伝的なものばかりではないが、常に真実なんだ」とウィリアムズは言う。スプリングスティーンの歌声がこれほどはっきりと聴けるのは「Alley Light」だけ。この曲は、今にも車で死んでしまいそうな運の悪い男と、ただ逃げ出したいだけの女の視点から語られる衝撃的な歌である。この曲にはヴィンテージの輝きがあるが、「路地の灯」は、21世紀の都市に住んでいて、瞬きをすれば店先が変わってしまうような、喪失感というとても身近な感情をとらえている。ウィリアムズは、"それは私の中の男性、あるいは私が愛する男性、あるいは私にとって見知らぬ男性のことなのです "と記している。


このアルバムは、感情的な状態、軽さと重さを難なく滑っていく。4年後の2019年の夏に書かれた "Intheskatepark "は、過ぎ去った世界からの派遣のように聞こえる。スカスカでポップなプロダクションはGuided By Voicesを彷彿とさせ、ウィリアムズは夏の日差しの下、屈託なく潰れそうになることを歌っている。


"私には光があった "とウィリアムズは "Stick "で悲しげに繰り返し、彼女の声は痛々しくも力強く、曲が進むにつれて怒りが発酵し、後半で爆発する。「この曲は、妥協したくない、もう限界だということを歌っている」とウィリアムズは言う。「Stick 」はその苛立ちを利用し、疲れ果てているのに働き足りないように感じている人、家賃を稼ぐために嫌な仕事に就かなければならなかった人、光を失い、再び光を見つけられそうにない人のための叫びへと変えている。


『Tomorrow's Fire』は黙示録的なアルバムのタイトルのように聞こえるかもしれないが、そうではない。『Tomorrow's Fire』は、ウィリアムズの曽祖父ジェイが書いたトルバドゥール(吟遊詩人)を題材にした小説のタイトルを引用した。自らもトルバドゥール(吟遊詩人)であった中世フランスの詩人ルトブーフの一節にちなんでいる。"明日の望みが私の夕食を提供する/明日の火が今夜を暖めなければならない"。何世紀も経った今、この言葉はウィリアムズに語りかけられ、ウィリアムズは火をニヒリズムに立ち向かうための道具と表現した。明日の火は、私たちが慰めを得るものであり、朝には大丈夫だと感じるものであり、私たちが歩む道を照らすものなのだ。


アルバムのクロージング・トラック "Finally Rain "は、地球には賞味期限があると知りながら、若者であることの曖昧さを語っている。最後の詩は、彼女と愛する人々との関係へのオマージュ。  厳しい現実だが、マニフェストでもある。『成長しない』人生に断固としてコミットすること、私たちがまだここにいる間に、私たちの驚き、私たちの表現センス、私たちの愛を失わないこと。

 

 

 


  Squirrel Flower 『Tomorrow's Fire』 Polyvinyle


 

多くのリスナーは、例えば、ある程度成功した音楽作品を手に取ると、そのアルバムの制作に関して最善の環境が与えられたから、完成度の高いものが作り出されたと思うかもしれない。現在、制作面で、最善とは言えない環境にあるミュージシャンは、その完成品を目の前に、高いプロダクションの水準が用意されたから良いものが生み出されたと思うかもしれない。そして、そういった作品を見、自分たちは恵まれていないから良質なものが生み出すことが出来ない、制作面で何らかの不備があるからだと思う制作者もいるかもしれない。でも、少なくとも、今年、週末に紹介してきたアルバムのいくつかは、必ずしも最善のなにかが制作者に与えられなくとも、多くのリスナーの心を揺り動かすアルバムを作ることは可能だし、また、むしろそれほどミュージシャンとしては最高の環境にあるとは限らない人の方がむしろ、平均的なアーティストより優れた作品を生み出すケースがあることを実例として紹介してきた。

 

そのことをあらためて教唆してくれるのが、スクイレル・フラワーこと、エラ・ウィリアムズの最新作。そして、制作のバックグラウンドである。エラ・ウィリアムズは、アイオワの大学でスタジオアートと、ジェンダー研究に取り組んでいたが、ドロップアウトを検討しながら、春学期を休学した。その後、コミュニティ・カレッジで授業を受けていたという。2015年、アルバム『Early Winter Songs From Middle America』をレコーディングすると、その夏に最初のツアーに出た。その過程で、ウィリアムズは、みずからビデオカメラを手に、ミュージックビデオを制作した。以後、複数のアルバムとEPを発表したウィリアムズは、「なにかをリリースすることは簡単だけれど、それが100万人の耳に届かない場合は、別のことをしようという感じでやってきた」と語る。現在も、その言葉を実践してきている。ミュージシャンはダブルワークの一貫で、ツアーを終えた後、ウィリアムズは、結婚式のケータリングの仕事に戻る場合もあるという。最新作『Tomorrow’s Fire』の制作は2015年に開始された。いくつかの曲をプレイしながら、曲を煮詰めていくことになった。「私の歴史と、現在の音楽的な自分と過去の音楽的な自分を肯定するために、曲は複雑に絡み合っていて、曲自体と対話を重ねることにした。それ以外の方法でこのアルバムを始めることは正当なこととは思えなかった」というのだ。

 

アルバムを聴いて思ったのは、神妙な感覚がいくつかの収録曲には漂っている。音楽に対する敬虔な思いがないものに関して、優れた作品が生み出されることは稀である。曲との対話、もっと言えば、自らとの対話ということを重視してきたアーティストの人生が色濃く反映されている。孤独であるから誰かとつるむのではなく、孤独であることを選び、内面の奥深くまで直視しているというのが、『Tomorrow's Fire』の制作の核心にはあるように思える。もちろん、アルバムには、アレックス・ファーラーのプロデュースや、バンド形式でのレコーディングという形で行われているので、ソロ作品とは決めつけられないものがあることは確かなのだけれども。

 

「I don't use a trash can」はそのことが顕著に反映されているのではないか。驚くのは、曲そのものがそのことを雄弁に物語っている。「ベッド・シーツ」という日常的な寝具は、シンガーソングライターにとって、そのもの以上の意味を持つ。そこには、人生の断片的な感覚が反映されており、エラ・ウィリアムズの音楽の物語は、いくらかの悲しみを持ち、聞き手の心を激しく揺さぶるのだ。エレクトリックギターの弾き語りに、「I'm Not Gonna Change/ I 'm Not Gonna Be Queen〜」といった純粋な述懐を交えた後、ウィリアムズ自身のコーラスの多重録音がその合間に漂うかのように取り入れられ、ヒーリング音楽のような精妙な空気感が生み出される。曲の後半部では、シーツという言葉を用いて、ほとんど涙ぐませるような余韻をもたらしている。その悲しみや、やるせなさは表向きに語られることはないが、つまり、その言葉の背後に、深い人生の体験や、それにまつわる切ない思いがサブテクストという形で滲んでいる。

 

 

「I don't use a trash can」

 

 

マット・マコーガン(ボン・イヴェール)、セス・カウフマン(エンジェル・オルセン・バンド)、ジェイク・レンダーマン(MJレンダーマン)、デイヴ・ハートリー(ザ・ウォー・オン・ドラッグス)といったバンド編成のレコーディングの最初の成果が先行シングル「Full Time Job」に現れる。

 

この曲には、最近のウィリアムズの人生経験が色濃く反映されており、事務の仕事をしながら、過度なインフレーションにより、取り立ててしたくもない仕事に長く従事しないことについての悲嘆が歌われる。ある種、それは単なるロックソングよりも生々しい質感を伴うこともある。当時のことについて、ウィリアムズは次のように回想している。「創造的で、活気に充ちた人たちに多く出会いましたが、彼らは家賃を払うためにやらざるをえない仕事に打ちのめされていました」「私のまわりの人々が年を取っていくのを見るにつれて、これまでとは異なるライフスタイルを送り、生きていくことさえ困難な世界で、どうやって生きていくのか、それを見出すべく、みな絶えず葛藤しているのだと思います」という、ウィリアムズの言葉は、バラード的な悲哀とはならず、フラストレーションを交えたシューゲイズのギターを強調したインディーロックソングという形で昇華されている。しかし、Dinosaur Jr.のJ Mascisを彷彿とさせるダイナミックな音像を持つギターロックは、悲哀を漂わせるウィリアムズのボーカルラインと絶妙に絡み合い、豊かな感性を持つインディーロックソングとしてアウトプットされている。 


 

同じく先行シングルとして公開された「Alley Light」でも、そういった日々の嘆きが描かれている。この曲では、アメリカン・ロックの古典的なスタイル、ブルース・スプリングスティーンや、ブライアン・アダムスのような雄大さとワイルドさを兼ね備えた良質なロックソングを踏襲している。そのフレーズの合間には、ピクシーズのジョーイ・サンティアゴが弾くようなオルタネイトなギターラインも取り入れられ、鮮烈な印象を放つ瞬間もある。米国の音楽シーンとして軽視される場合があるという米国中西部の情景を思わせるようなロックソングである。ここには、スプリングスティーンやトム・ウェイツといった伝説を始め、アーティストがリスペクトしてやまない米国のシンガーソングライターの影響が親しみやすいバラード・ロックを生み出す契機をもたらした。スプリングスティーンもウェイツも、日頃の生活から滲み出る悲哀や、やるせなさをワイルドなロックバラードに置き換える才質を持っていたが、同じようにエラ・ウィリアムズもまた、先祖代々の系譜を受け継いで、一般的な労働者に寄り添うようなヒットソングを書き上げようと試みている。これは彼女の親戚が作家というバックグランドを持ち、共産主義的な考えを持ち、アーティストに手ほどきをしていたこと、また、アルバムの制作前、キム・ゴードンの著書を読んだ後、レコーディング・ブースに向かったことが大きい。

 

続く、「Almost Pulled Away」では題名にも見える通り、疎外感について歌われた渋いドリーム・ポップである。しかし、トレンドばかりをなぞらえるのではなく、良質なソングライティングの影響を受け継ぎ、普遍的なUSロックの伝統性が垣間見える。トム・ウェイツの「Closing Time」のソングライティング性を継承した上で、真夜中のロマンティックな空気感を思わせる、アンニュイかつ物憂げでブルージーなバラードを書き上げている。そして、曲の中盤からは、Diosaur Jr.の苛烈なディストーション/ファズのギターラインがドリーム・ポップ風のメロディーと融合を果たして、同レーベルに所属するPalehoundのギターロックと、Samiaの繊細なベッドルームポップが掛け合わされたような奇妙な感覚が広がりを増していく。それらのアンニュイな悲しみに充ちた感覚の中には、他では得難いカタルシスと癒やしを感じ取ることが出来る。

 

しかし、普遍的なUSロックのソングライターからの影響もありながら、中西部のインディーロックシーンに根ざした楽曲も収録されている。「Stick」では、Wednesday,Slow Pulp,Truth Clubのオルタナティヴ・ロック性に焦点を当て、感覚的なものを余さず表現しようと努めている。ダイナミックなギターの音像を強調したサウンド・プロダクションは他のロックソングと同様であるが、ピクシーズの「Where IS My Mind」に見受けられる、コード進行の捻りが鮮烈な印象を及ぼす。オルタナティヴ・ロックバンドとして使い古されたと思えるような意外性のあるコードラインが、2023年のインディーロックソングとして聴くと、新鮮に思えてくる。反復的なギターラインとバラードにも似た感覚を擁するウィリアムズのボーカルの融合は、むしろ音源として楽しむというよりも、今後のライブツアーで大きな成果を発揮しそうである。

 

「When A Plant Is Dying」では、オープニングの雰囲気に戻るが、同じ様な感覚が表現されながらも、一曲目とはまったく異なる形のエモーションが示唆されている。最初期のラナ・デル・レイを彷彿とさせるサッドコア/スロウコアをパワフルなギターラインと融合させている。楽曲はハードロックや、インディーロックを下地にしているように思えるが、しかし、その中には、アメリカーナやカントリー等の音楽の影響が装飾的に散りばめられている。この曲は、ブルース・スプリングスティーンのUSロックの源流をたどりながら、より現代的な感性に親和性のあるものに組み上げている。しかし、轟音のギターロック・サウンドが途絶え、終盤に最初のバラードのモチーフに戻る時、癒やしの瞬間が訪れる。アウトロの後、幽玄な余韻が残される。ここには滅びゆくものへの傍観者の視点を交え、それを内的な感覚とうまく結びつけている。

 

 

アルバムの中で、最も心惹かれる曲が「intheskatepark」である。アルバムでは珍しくメロディック・パンク/ポップ・パンクの影響を留めたトラックであり、聞き方によっては、Blink-182のデビュー当時やアヴィリル・ラヴィーンの最盛期のパンク・スピリットを復刻しようとしている。しかし、それが単なるイミテーションにならず、リアルな感覚があるのは、ウィリアムズの人生が、このトラックに色濃く反映されているがゆえ。アルバム制作の当初、ウィリアムズはシカゴの古いスケーター倉庫に恋人や兄弟と住んでいた。隣人がいなかったので、好きな時に好きなだけ騒ぎ、暮らしていた。「私のまわりの人々は」と、ウィリアムズは回想している。「実際に仕事にありつくことが出来ず、ストレスの多い時期にいて、多くの絶望を感じていた」という。「私達は日がな一日、ただ演奏をしていたのでしたが、その頃、世界が様々な意味で崩壊しかけているように感じていた」 そういった中で、唯一信じられるものは、仲間意識と、近くの人々に支えられている、つまり親密なコミュニティの属するという感覚だった。「この時期をお互いにサポートしながら一緒に音楽を作ることで乗り越えていったんです」

 

米国のインディーロックシーンの一角を担ってきた、Polyvinyleらしさのある一曲であり、パンキッシュなフックもあり、またエバーグリーンの雰囲気にも溢れている。まさに、日常の生活的な感覚が絶妙に曲そのものに乗り移り、軽快な質感を持つインディーロックナンバーが生み出されている。

 


「intheskatepark」

 

 

 

こういった五年にも及ぶ、様々な人生を反映させたインディーロック/パンクロックには、実際の音を楽しむという以上に大いに学ぶべき点があるように思える。これとは決めつけがたい形で、多彩な概念を織り交ぜたアルバムは、その後、最もアメリカの情景的なロマンチシズムへと最接近する。「Canyon」 では、アイオワの農場を思わせる中西部の雄大な土地の幻影をギターロックとして描出している。ギターラインと歌の力だけで、サウンドスケープの幻想性を浮かび上がらせる表現力、及び感受性には感嘆すべきものがある。曲そのものから匂い立つイメージ、もしくは、曲から立ち上るイメージ、それは続く、「What Kind Of Dream Is This?」において、未知なるものに向けられる切なげなロマンチシズムに繋がり、スロウコア/サッドコアの緩やかな感覚に浸される。その後、その感覚がふと、米国の中西部に浮かぶ幻影の火のように立ち上ったかと思えば、クロージング・トラック「Finally Rain」にスムーズに移行してゆく。米国の中西部の『Tomorrow’s Fire - 明日の火』は、空からしとしと降り落ちるぼんやりとした広い雨つぶによってかき消されてしまうが、やがて、それとは別の目的地にさして向かってゆく。

 

 

90/100  

 


Weekend Featured Track ー 「Finally Rain」

 

 

 

Squirrel Flowerのニュー・アルバム『Tomorrow's Fire』は、Polyvinyleから現在発売中です。