「D・I・Y」の精神って何だ?? ワシントンDC発、DISCHORD RECORDとイアン・マッケイ。その周辺について語る。

 

1980年代初頭、ワシントンDCを中心として、パンク・ロックムーブメントの大きな運動が起こりました。もちろん、同時代のイギリスでも、このムーブメントは盛んになっており、革ジャンを着て、ド派手なスパイキーヘアと呼ばれる逆立ったカラフルな髪型をし、硬派なアップテンポなロックンロールをふてぶてしく奏でる。 そんなミュージックシーンが徐々に形成されていきました。

 

その一方、もうひとつの主要なパンク・ロックシーンの形成地のアメリカでは、イギリスとは異なる独特なシーンが形作られるようになっていきます。

 

後になると、このハードコア・ムーブメントは、NY、LA、もしくは、ボストンをはじめとする大都市に広がりを見せはじめ、独自の熱を帯びた魅力的なインディーズ・シーンを形成していくようになっていきます。このムーブメントの立役者となったのは、TEEN IDLES 、S.O.A、そして、もうひとつなんと言っても避けては通れないのが、MINOR THREATというアーティスト。この3つのバンドが中心となり、ムーブメントの旋風を巻き起こしました。これはまた、一部の界隈にしか影響を及ぼさなかったわけではなく、オーバーグラウンドにいるニルヴァーナのデイブ・グロールのようなスター的な存在も、当時こういったバンドの動向に着目していて、少なからず影響を受けたと後になって回想しています。

 

 

 

このハードコア・パンクというジャンルの特徴というのは一言でいうと、とにかく攻撃的でアグレッシヴで、2ビートや8ビートを主体としたアップテンポな楽曲で構成されるという特色があります。 ライブパフォーマンスにおいても、過激で剣呑な雰囲気に包まれていて、ほとんど暴動といっても過言ではない危なっかしさ。

 

およそ観客同士だけではなく、アーティストと観客が喧嘩をおっぱじめるのではなかろうか、当時の貴重な映像などを見ていると、ヒヤヒヤするような雰囲気もあります。 

 

Love minor threat.jpg
Public Domain, Link

ときに、嵩じた観客がステージ上までのぼり、多数のファンが入り乱れながら、ボーカリストのマイクを奪い取り、代わりに曲をシンガロングするという熱いスタイル。

 

これはのちのニュースクールハードコアとなると、さらに観客たちの過激性はましていき、跳ねまわるように踊る”モッシュピット”、腕を振りまわしながら踊る”ハードコア・フリースタイル”という独特の踊りまで出てきます。

 

こういった音楽に対して、血の気の多い野郎だけが、共感を示していたのかというと必ずしもそうではありません。少なくとも、そこには社会のなかのマジョリティという網からこぼれ落ちた存在を、受け入れる余地を作るという良い側面もあって、そういった存在を受け入れ、彼等の社会的に虐げられた精神を奮い立たせ、その足でしっかり立つように発破をかけていました。

 

これこそが、ハードコアの主義主張の際立った役割であったのかもしれません。この頃、すでに、往年のオーバーグラウンドの多くのパンクロック・バンドがスターダムの方に押し上げられていってしまい、およそ、そのシーンの渦中にあるジョニー・ロットンをのぞいて、カウンターカルチャーとしての意義を見失いつつあった風潮を、ワシントンDC界隈の苛烈な音を奏でるミュージシャンはあまり良しとせず、インディーミュージックという形で、彼等が手中に取り戻そうとしていたのでしょう。

 

MINOR THREATのツアーをドキュメンタリー風に追ったフィルム、「At The Space・Buff Hall・9:30 Club」という作品があって、この映像を見ると、観客のほとんどが無骨な風貌をした若い男性客で占められていますが、そこに、ひとりの黒人女性が、他のほとんど暴徒化寸前の男の観客に臆することなく、途中でステージ上にあがってきて、マイナー・スレットの歌をシンガロングしている様子が映り込んでいます。

 

ここには、まさに、ハードコア・パンクというジャンルが、オーバーグラウンドの白人音楽に共感を示しえないマイノリティである黒人女性の心をしっかりと捉えたような印象が伺えます。 また、このハードコア・パンクという武骨なジャンルの中には、さまざまな思想的側面が込められています。

 

その中のひとつに、”DIY”という精神が挙げられます。 これは日曜大工などで、よく聞く言葉でしょうけれど、その名の通り、「Do It Yourself」という概念がこの音楽の主張には貫流しています。

 

それは、「他に依存したり、頼るのでなく、君自身の力でやれ」というスタイルが、こういったバンドの音楽性からにじみ出てくる主題でした。

 

それから、ひとつは、自身のMinor Threatにおける活動を軌道にのせていくため、もうひとつは、こういった主義に近いバンドの活動を応援していくため、イアン・マッケイは、独立したファンジン「DISCHORD RECORD」をワシントンDCに旗揚げし、起業家としての顔も垣間みせつつ、周辺のバンドを音源という形で支援し、上記したTeen IdlesやS.O.Dの楽曲リリースを続けていきます。これらのバンドのメンバーが、レコード会社を立ち上げ、自身の音源を次々にリリースしていく活動自体に、「D・I・Y」の源流、”Do It Your Self”精神が垣間見えるようです。

 

そのスピリットというのは、以降のパンクカルチャーに根深い影響を与え、米国内においては、Bad Religionのメンバーが立ち上げた「EPITAPH RECORD」というのも、インディペンデントレーベルの活動の一環として挙げられるでしょう。

 

実は、日本においても、同じような事例があり、HI-STANDARDの横山健が「PIZZA OF DEATH」を立ち上げ、自身のバンドのレコードのリリースだけにとどまらず、有望そうなバンドを発掘、後進育成のため、現在もリリースを重ねています。

 

彼等のような存在は、はじめから潤沢な資金に恵まれたから、レコード会社が設立出来たわけではありません。これは綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、人一倍の情熱があったから、ベンチャー企業的な思い切った舵取りが出来た。

 

何より、このイアン・マッケイが設立した「DISCORD」のビジネスモデルが確立された前例があったからこそ、上記の後進のアーティスト達は恐れることなくインディーレーベルの経営を進めていくことができたわけです。

 

 

DISCHORD LABELからリリースされた初期のバンドで秀逸な名盤を挙げておくと、RITES OF SPRINGの「End ON END」、アップテンポでキャッチーな楽曲が魅力であるメロディックハードコアの草分け的な存在ともいえる、DAG NASTYの「Can I Say」と、イアン・マッケイの弟、アレックのバンド、FAITHのリリース音源「VOID:FAITH」等がカタログ初期の名盤として挙げられます。

 

その後、Dischordの主宰者、イアン・マッケイは、ハードコア・バンドのリリースを続けていく傍ら、自身のMinor Threatの活動においても、「Straight Edge」という楽曲から汲み出された禁欲的な思想性、 

 

(俺は、酒を飲まない、タバコを吸わない、享楽的なセックスもしない」

 

と、イアン・マッケイの激しいアジテーションによって歌われている)

 

を前面に押し出していって、国内全体のハードコアシーンを牽引する象徴的な存在に押し上げられていきます。

 

しかし、彼自身は、ややもすると、自身がそういった神格化をされることをさほど快く考えていなかったのでしょう。

加えて、1980年代中頃あたりから、こういったハードコア界隈のバンドの音楽性は、押し付けがましく、また思想めいてきて、政治色、もしくは宗教的なカルト性を帯びたバンドが出始めた頃から、イアン・マッケイはこのシーンに対して徐々に距離をとっていくようになります。 

 

おそらく、マッケイ自身は、もちろん、様々な音楽の楽しみ方があると思いつつも、元来、そういった野暮というのか、無骨で横柄な振る舞いをする観客を本心ではあまり快く思っておらず、上記した「Buff Hall」のツアードキュメンタリーにおいて、そういった音楽や詩に耳を傾けないで、ストレス発散のために自分のライブを無茶苦茶にするような輩を見ると、自分でもどうしたら良いかわからないという具合に、不満げに顔をしかめています。時に、そういった暴徒的な観客に対し、本気で叱責するようなシーンも見られる箇所もあるのが興味深いところ。

 

その後、Minor Threatのすさまじいアジテーションを有した音楽性は、徐々になりをひそめていき、どことなくメロディアス、ポップでありながら、深い哲学性を感じさせる音楽のテイストに変わっていきます。

 

Minor Threat自体の活動は、それほど長くは続かず、三年後にあっけなく解散にいたります。その後、イアン・マッケイは、それまでとは異なる方向性を追求していくため、1987年、 Rites Of Springのガイ・ピチョトーと、Fugaziを結成するに至ります。

 

この”Fugazi”というバンドはRites Of spiringの音楽性の延長線上にあり、ポスト・ロック色の濃い音楽性を特徴としており、後発のパンクロック・バンドに啓示を与え、音楽性だけにとどまらず、バンドのマネージメントスタイルにおいても、今なお多大な影響を与え続けています。彼等は、商業的な活動と距離を置いて、反商業主義を旗印として掲げ、長い活動を続けていきます

 
Discordレーベルの金字塔「In on the Kill Taker」
 その後、イアン・マッケイの心変わりを反映したのか、Dischord Recordのリリース作品というのも、年を経るごとに音楽性が変遷していき、レーベル発足当初は、ほとんどハードコア一辺倒であったのが、 カタログを見てみると、90年代に入ると、オルタナティヴ、ダンス、もしくは、ポスト・ロック風味を感じさせる、多種多様な音楽性のバンドのアルバム作品を続々とリリースするようになっていきます。
 
 

その中において、シーンで際立った存在、Jawbox,Pupils、Q And Not You、どのジャンルにも属しがたい、独自色の強いバンドを発掘していきます。

 

殊に、Jawboxというバンドは、ピクシーズをよりパンク色を強めた音楽を奏でており、良質な大人向けの渋いオルタナロックバンドとしておすすめしておきたい。  もちろん、リリースしていくバンドの音楽性が多種多様になっていく中、音楽性の根幹的な目的自体が様変わりしたのかといえば全然そうでなく、相変わらず、「D・I・Y」精神に則り、既存のシーンに対するカウンター・カルチャー的存在を90年代、00年代にかけて、Dischordは続々と輩出していきました。 

このような反体制的なレーベルが、こともあろうに、米国の首府ワシントンDCから出てきたという点が、他の国家ではありえない信じがたいことでしょう。

今日のミュージックシーンには、「ひとりでやる」という精神を掲げ、シーンを形成していくような気概あるバンドに乏しい中、このレーベルの周辺にまつわる逸話は、米国の本来の意味での自由が約束されていた時代の良きエピソードが垣間見える。一世紀近いロック史を概観した上でもかなりユニークな出来事と思えたため、今回、このような形で、DIY精神と銘打ってディスコード・レーベルをご紹介させていただきました。

 

 

総括すると、このディスコード界隈のバンドは、現代の管理の行き届いた社会に比べると、はるかに自由奔放で独立した精神「Do It Youeself」というキャッチコピーを高らかに掲げ、実際それを実践していたという面で、他のシーンにない独特な魅力にあふれるアーティストばかりであったように思えます。

現在では、すでに解散をしているバンドが多いです。また、表面上では、巨大市場を形作るまでに至らなかったのは事実でしょう。しかし、ワシントンDC発、”Dischord”は、米国のインディペンデント・レーベル「Touch& GO」「Matador」「Sub Pop」と共に、1980年代から今日に至るまでの米国インディーズ・ミュージックシーンを逞しく牽引し、文化的貢献を担ってきた象徴的存在であるということだけは間違いありません。

 

 

 「参考資料」 DISCHORD DISC GUIDE disk UNION staff selection 


*記事内のビートの説明に関して誤りがございました。訂正とお詫び申し上げます。教えていただいた方に感謝いたします。

1 件のコメント:

  1. 「16ビートを主体としたアップテンポな楽曲で」とありますけど、ハードコアパンクってほぼ2ビートか8ビートが主体だと思うのですが…。あと、「DISCORD」はTypoしちゃってます。

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