Review - Kim Gordon 『The Collective』

 Kim Gordon 『The Collective』



 

Label: Matador

Release: 2023/03/08


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【Review】

 


ニューヨークのアンダーグランドシーンの大御所のジョン・ケールがソロ・アルバムをリリースしたとなれば、手をこまねいているわけにはいかなかったのだろう。ノイズロックとアートロックを融合させた『No Home Record』に続く『The Collective』は、ボーカリストーーキム・ゴードンがいまだ芸術的な感性を失わず、先鋭的なアヴァンギャルド性とアイデンティティを内側に秘めていることを明らかにする。

 

キム・ゴードンはこのアルバムを通して、ヤー・ヤー・ヤーズ(YYY’s)、リル・ヨッティ(Lil Yachty)、Charli XCX,イヴ・トゥモア(Yves Tumor)といった現代のポピュラーシーンに一家言を持つバンドやアーティストとコラボレーションを行い、同じように、一家言を持つレコードを制作したということになる。


アルバムの冒頭を飾る「BYE BYE」ではNYドリルが炸裂し、不敵なスポークンワードが披露される。ノイズロックとオルトロックを通過した、いかにもこのアーティストらしいナンバーは、ソニック・ユース時代からの定番のノイズ・ギターによって絡め取られる。そんな中、縦横無尽に張り巡らされた蜘蛛の巣を縫うかのように、スタイリッシュかつパンチ力のあるボーカルを披露する。ロックシンガー、そしてラッパーでもあるキム・ゴードンは、それらの合間のアンビバレントな領域を探ろうと試みる。


このレコードは率直に言えば、旧来のロックという文脈からしばし離れ、ハイパーポップの領域へと歩みを進めたことを示唆している。アプローチが多少遊び心に満ちているとは言え、ゴードンのボーカルは従来と変わらず緊張感があり、リスニングに際して程よいストレスを生じさせる。それはつまり、このレコードがヘヴィネスの切り口から制作されていることを示すのである。


二曲目の「The Candy House」では、NYドリルとトラップをかけあわせた前衛的なスタイルを介し、JPEGMAFIA、Billy Woods、Armand Hammerといった米国のアブストラクトヒップホップシーンの最前線にいる、いかにもやばげなラッパーの感性を吸収しようとする。


''甦るロックとラップの吸血鬼''ーーそんな呼称がふさわしいかは定かではないが、実際のところ、ニューヨークのアンダーグランドの気風を吸い込んだロックとラップの融合は、先鋭的な気風を持ち合わせている。

 

最初期のソニック・ユースの象徴的なサウンドと言えばメタルに近い硬質なノイズギターが挙げられるが、サーストン・ムーアが不在だとしても、3曲目「I Don't Miss A Mind」では文字通り、それらの原初的なノイズ性(アーティストが持つスピリット)を未だに失っていないことを示唆している。


インダストリアル・ロック風の苛烈なノイズに支えられ、NYドリルの先鋭的なリズムを交え、”ノイズ・ラップ”とも称すべきスタイルにより、JPEGMAFIAのアブストラクト・ヒップホップに肉薄していこうとする。


トラックに乗せられるライオットガールを基調としたアジテーションに富むゴードンのボーカル。そこに加えられるわずかなメロディー、セント・ヴィンセントのシンセポップの風味。これらは、この数年間、ゴードンが現代のミュージックシーンに無関心ではなかったことを象徴付けている。そして、改めてアーティストが知る最もクールな手法でそれらを体現させている。

 

ラップとノイズの融合性は、続く「I'm A Man」により、最高潮に達する。アーティストは、現代的なノンバイナリーの感覚や、トランスジェンダーの感覚を聡く捉えながら、まるで秘められた内的な男性性、獣的な感性を外側に開放するかのように、ワイルドで迫力のあるボーカルを披露する。

 

シネマティックなサウンドはビートの実験性と結びつくこともある。「Tropies」では、ハリウッド映画のアクションシーン等で使用されるオーケストラ・ヒットをラップのドリルから解釈し、前衛的なリズムを生み出す。そして、ゴードンは、ハリウッドスターやムービースターに与えられる栄誉に対し、若干のシニカルな眼差しを向ける。


それはゴードンによる「横目の疑いの眼差し」とも呼ぶべきものである。そのトロフィーは墓場に持っていくほど価値のあるものなのか、というような現代的な虚栄に対する内在的な指摘は、ライオット・ガールの範疇にあるボーカルという表現を以て昇華される。そして、そこには確かに華美なアワードやレセプションに見いだせる虚偽への皮肉や揶揄が含まれている。これが奇妙な共感やカタルシスを呼び起こす。

 

キム・ゴードンは根幹となる音楽観こそ持つけれど、決して決め打ちはしない。アルバムの中に見えるノイズロック、ヒップホップという2つの両極的な性質は、常にせめぎ合い、収録曲ごとにどちら側に傾くのか全然分からない。いわば、曲の再生をしてみないと、どちらの方向にかたむくのか分からないという「シュレディンガーの猫」のような同時性とパラレルの面白みがある。


続く「I’m A Dark Inside」では、ブレイクビーツの手法を選び、ノイズと融合させる。音が次の瞬間に飛ぶようなトリッピーな感覚を活かし、Yves Tumorのデビューアルバムに近い音楽の方向性を選んでいる。それに「No New York」の頃の前衛性とサイケデリアの要素を加えているが、それは最終的に「ハイパーポップのノイズ性」というフィルターを通してアウトプットされる。


また、方法論的なディレクションが全面的なレコードの印象を作るが、感覚的で抽象的な音楽も収録される。「Pychedelic Orgasm」ではアーティストの中に棲まう2つの人格を対比させながら、ソニック・ユース時代から培われたスポークンワードに近いクールなボーカルで表現しようとする。


音楽表現という範疇に収まらず、ボーカルアート、パフォーミングアートという切り口からゴードンは語りを解釈し、2つの性質を持ち合わせたボーカルを対角線上に交差させる。そして、その2つの別の性質を持つエネルギーを掛け合わせ、中心点に別の異なるエネルギーを生じさせる。これは平均的な歌手ではなしえない神業で、新しいボーカル・パフォーマンスの手法が示されたと見て良い。ここにも音楽的な蓄積を重ねてきたゴードンの真骨頂が垣間見える。

 

ヒップホップのドリルという比較的オーバーグラウンドに位置する音楽スタイルを選ぼうとも、その表現性がNYのアンダーグラウンドの系譜の属するのは、ゴードンが平凡なミュージシャンでないことの証である。

 

「Tree House」では、アーティストが知りうるかぎりのアヴァン・ロックの手法が示されている。ガレージロック、「No New York」のノーウェイヴ、ドイツのインダストリアルロックがカオスに混ざり合いながら、アナログレコードの向こうから流れてくるかのようだ。レコードの回転数を変えるかのように、ローファイな質感を持つこともある。この曲には、10年どころか、いや、それ以上の時間の流れていて、30年、40年のアヴァン・ロックの音楽が追憶の形式をとり、かすかに立ち上ってくる。


終盤でも、ゴードンがソニック・ユースやソロ活動を通して表現しようとしてきたことの集大成が構築されている。そこには一部の隙もなければ、遠慮会釈もない。「Shelf Warmer」では、ロンドンのドリルに近い手法が示される。しかし、オーバーグラウンドの音楽に属するとはいえども、商業主義やコマーシャリズムに一切媚びることなく、絶妙なラインを探っている。続く「The Believer」は、インダストリアル・ノイズに精妙な感覚を織り交ぜたワイアードなサウンドである。

 

クローズでは、Sleaford Modsの英国のポストパンク(当局が宣伝するものとは異なる)を吸収して、ゴツゴツとした硬派な感覚のあるアプローチを図る。そこに、盟友のYYY'sのサイケ・ガレージの色合いを添えていることは言うまでもない。『The Collective』はロサンゼルスでレコーディングされたアルバム。にもかかわらず、驚くほどニューヨークの香りが漂う作品なのである。



80/100

 


Best Track‐ 「Dream Dollar」

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