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Release: 2025年9月5日
Review
昨年、ニューヨーク市のパワー・ステーションで録音された『Double Infinity』は、ビックシーフの代表的なアルバム『Dragon New Warm Mountain〜』の続編となっている。 彼らは、ブルックリンとマンハッタンを自転車で移動しながら、毎日のように9時間に及ぶ録音を行った。ドム・モンクスがプロデューサーを務め、アンビエント/ニューエイジの音楽家Laraajiが参加している。録音は同時にトラックを録音しながら、即興でアレンジを組み立て、最小限のオーバーダビングが施されている。基本的なアルトフォークの方向性に大きな変更はないが、先行シングルのコメントを見るとわかる通り、ニューエイジ思想のようなものが込められている。従来のエレクトロニックの要素は維持されている一方で、普遍的なフォーク・ミュージックやボーカルメロディーの良さが強調されている。 ビッグ・シーフの中では最も渋いアルバムと言える。
アルバムのオープナーを飾る「Incomprehensible」は宇宙的なサウンドスケープが敷き詰められ、壮大な序章のような印象をもたらす。Pear Jamの最新アルバム『Dark Matter』のような映画的なイントロ。しかし、その後に始まるのはサイケのテイストを漂わせるビックシーフらしいアルトフォーク。流れるようなバンドサウンドにシンセの効果的なシークエンスが加わり、飄々としたディランタイプの音程をぼかしたようなボーカル。音楽的な手法は従来と変わらずだが、そこにはウィルコのような2000年代以降のインディーフォークサウンドが付け加えられている。
”生きている美しさとは、真実以外の何物でもないのだろうか” この曲のなかでエイドリアンヌは、子供の頃の思い出の品々を未来に突きつけながら問いかける。従来とは打って変わって、哲学的な歌詞が歌われている。ある意味では、この曲の中にある陶酔的な感覚が、これらの玄妙なフォークサウンドと融合し、ビックシーフとしての新たな視点が加わっている。
「Words」は爽やかで牧歌的なイメージを呼び覚ますアコースティックギターから始まり、ボーカルの逆再生等の遊び心のあるアレンジを加えたアルトフォークである。 ギターやドラムのアレンジはかなり複雑で込み入っているが、ⅠーVーⅣの和声進行がこの曲にわかりやすさをもたらしている。ボーカルは王道のポピュラー/フォークなので、あまり言われないことだが、この曲には繊細な感覚、それはより脆い感覚が漂い、それらがエモに近い雰囲気を添えている。この曲では、従来よりも繊細な自己が歌われているような気がした。ドラムの演奏/ミックスが素晴らしく、背景となるギターと重なり合い良質なハーモニーを形成している。曲の途中にはエレキギター風のシンセも登場したりというように、これまであまり試されてこなかった前衛的な音楽性が取り入れられているのにも注目だ。「Los Angels」はスタンダードなフォーク・ソングに依拠しているが、ゴスペル風のコーラスを取り入れたりと、様々な工夫が凝らされている。
「All Night All Day」ではエイドリアンヌ節が炸裂し、こぶしの効いたビブラートを聴くことが出来る。旧来のBTのファンは違和感なく楽しめるはずだ。特にこの曲を聴くとわかるように、リズムトラックに力が入れられている。これはベーシストのマックスが脱退した影響なのかもしれない。この曲のサビ(コーラス)の部分では、ビックシーフらしい大陸的なロマンを込めた音楽性が登場する。そしてやはり、こういったわかりやすい部分にこのバンドにシンパシーを持ち、思わず口ずさんでしまう。ゆったりしたドラム、ボーカルの多重録音、メロディーを縁取るベースラインなど、コンパクトな構成であるが、アルバムの中では傑出した曲と言えるだろうか。特にメインボーカルとサブボーカル(ソプラノの音域)の組み合わせは息を飲むような美しさがある。これほど練度の高いフォーク/カントリーの歌唱が出来る歌手は他にいない。
タイトル曲「Double Infinity」はブルージーな味わいを持つフォークロックである。ニューヨーカーの古き良き南部的なロマンチズムを表した曲とも解釈出来る。The Byrdのような渋い一曲であるが、この曲に聴きやすさやとっつきやすさをもたらしているのが、やはりエイドリアンヌの高い音域にあるボーカルである。そしてこの曲では、アンセミックなコーラスを強調し、ポピュラー・ソング寄りのアプローチも取り入れられている。フォークロックをよりオーバーグラウンドな領域にお仕上げたいという思いが、この曲の中に込められているという気がする。
今回のアルバムではItascaのようなサイケフォークのサウンドが取り入れられていて、それが一つの核のようになっている。また、スタジオ録音でしか得られないジャム・セッションの醍醐味を続く「No Fear」で追求したりしている。器楽的なスタジオセッションをもとにした曲だが、その音楽からは抽象的なアンビエンスが立ち上り、心地よさをもたらす。この曲ではベースが曲の中心となっている。また、ニューエイジの象徴的なミュージシャン、Laraajiが参加した「Grandmother」では古典的なフォークロックに挑戦しており、70年代のバーバンクサウンドに近い雰囲気がある。ララージのボーカルは後半に登場し、かなり渋い雰囲気を添えている。
アルバムの終盤の2曲は従来のビックシーフの延長線上にあるサウンドと言えるだろうか。軽快なアコースティックギターのストロークで始まる「Happy With You」はダンサンブルなフォークロックの印象を押し出し、アルバムの中では軽快に聞こえる。しかし、歌詞の側面で少し歌うべきテーマを探しあぐねているという印象があった。また、全体的なバンドサウンドとしても斬新なアイディアが出てくるまでには至っていないような気がした。これは全体的に忙しない感じがあり、ハードワークが過ぎた面もあったのかもしれない。冗長な録音セッションから思わぬ名作が出てくることもまれにあるので、ゆったりした録音スケジュールを取ってみてもよかったのではないか。
ただ、最後には聴き応えのある曲を収録しているのが流石といえ、これぞビックシーフのプロフェッショナリティである。「How Could I Have Seen」は融和的な感覚をバンドとして表現し、その中には、アメリカの大陸的なロマンが叙情的なサウンドに乗り移っている。アルバムでは、ビックシーフの性質が最も強いトラックではないだろうか。
個人的な私見に過ぎないが、『Double Infinity』はニューヨーカーによるロサンゼルスに対する賛歌が込められているのではないか。カルフォルニアの砂漠地帯のような幻想的なサウンドスケープが彼らのフォークロックサウンドから立ち上ってくることがあった。 まとまりがつかなかった部分もあるが、力作であることは間違いない。
82/100
「Incomprehensible」
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