【バロック音楽の世界】オペラの誕生  モンテヴェルディ、スカルラッティの台頭

 ▪バロック音楽の時代背景 

ヴィラ・メディチ
 

16世紀までの古典音楽は、その多くが宗教音楽に終始していた。また、それと同時に、民衆のための音楽、イタリアのトレチェントやマドリガーレ、バラードなどの民謡や舞曲も登場した。そして、前回までのバロックの以前の音楽の歴史を概観した際、音楽という形式は、たえず社会の風潮を反映させ、さらに、ときには政治とも関連付けられることもあったといえるだろう。17世紀に入ると、フランスでは絶対王政が始まり、王による治世の時代が始まった。


ヴェルサイユ


同時に、17世紀は、フランスのヴェルサイユを中心とする宮廷文化が花開き、これらが芸術の本流を形成するようになった。ルイ13世は、反抗的な貴族やユグノーを弾圧し、絶対王政を確立する。しかし、社会学として、この絶対王政を見た時、やはり、暴政という点が問題となる。フランス革命を焚き付けたのが、どのような勢力であれ、これらの王政には、社会的な問題が付随した。問題となったのは、現在の資本主義の一つの課題でもある、富の不均衡である。民衆の怒りが、王政に向けられ、以降の革命に至ったのは当然の摂理だった。

 

 

民主主義政治の萌芽が各地で見える中、バロック音楽が登場した。バロックというのは「歪んだ真珠」を意味している。 ルネサンス期の芸術と異なるのは、個人的な情熱や感情を端的に表現することも可能になった。個人的な解釈としては、ヨーロッパにおけるバロック期とは、大きな組織や機構を中心に動いていた社会において、個人やそれらのグループが社会と同様のレベルの力を持つ、その発端を形成した重要な時代とも言えるかもしれない。

 

さこうした中で、登場したのがイタリアの歌曲(カンツォーネ)やオペラという新しい芸術だった。バロックと聞くと、短調を中心としたいかにも重苦しい音楽や古めかしい音楽を皆さんは想像するかも知れないが、バロック音楽の出発は、どう考えても、そして、どこからどう見ても、華やかなイメージに縁取られている。 イタリアのオペラは、ギリシア芸術の演劇を音楽と結びつけたもので、クロスオーバーやハイブリッドの先駆的な事例に該当する。オペラが登場したときの当時の衝撃はすさまじかった。そのメッカであるフィレンツェでは、「新しい音楽」が出てきたと言われた。 オペラは、フィレンツェで始まり、その後、イタリア各地で普及していき、さらに、フランス、そして演劇が盛んなイギリスにも大きな影響を及ぼしていった。

 

 

オペラの誕生 ギリシア悲劇の復興

カヴァリエーリ像 ミラノ

イタリアのオペラは、貴族のサロンに集まった音楽家や詩人のリバイバル運動の一環として始まった。16世紀末に、カメラータという文人サークルが作られ、そこにはガリレオ・ガリレイの父、ヴィンセンツォ・ガリレイ、作曲家のカッチーニ、フィレンツェの宮廷楽長をつとめたペーリなど著名人が在籍していた。彼らは、古代ギリシアの悲劇を、より魅力的な音楽劇にすべく、知恵を出し合い、それらを明確な作品として仕上げようと試みた。カメラータの面々は、歌詞の意味と言葉のリズムを重んじていたという点を踏まえ、それらをモノディーと呼ばれる形式へと組み替えた。これらは演劇でいうところの、モノローグの出発点ではないかと推測される。オペラが誕生する段階に当たって、それらの歌は、明確な音調を帯びるようになり、ストーリーやシーンと呼応するような形になったことは、それほど想像に難くありません。


メディチ家の邸宅群


こうした中で、オペラの普及に貢献したのが、メディチ家である。フィレンツェの大富豪の娘、マリア・デ・メディチが、フランス国王アンリⅣ世のための催しものとして、「エウリディーチェ」が上演。これが1600年のオペラの始まりでもあった。リヌッチーニが手掛けたイタリア語の台本に、ペーリとカッチーニが共同で作曲し、歌をつけた現存する最古のオペラ作品だ。カバリエーリがより本格的なオペラを発表し、『魂と肉体の劇』が同じ年に制作された。カヴァリエーリは、ローマの出身であり、バロック期の宗教音楽の先駆的な存在であった。


彼はオラトリオという独自の形式を確立した。後にJS バッハがこの形式を崇高な領域に引き上げてみせた。このオラトリオという形式は、演劇に焦点を置いた、一般的なオペラとは対極にある純正音楽を重んじる内容であった。舞台装置や衣装を使用せず、演奏会で披露されるケースが多かったという。

 

オペラの一般的な普及に一役買ったのが、モンテヴェルディだった。オペラの作曲家として名をはせた後、サンマルコ大聖堂の楽長をつとめた。現在でも演奏される機会があると思われるが、モンテヴェルディはマントヴァの公爵につかえていた人物であり、彼の作曲した『オルフェオ』はイタリアで有名になった。

 

その後、イタリアの作曲家、アレッサンドロ・スカルラッティが登場した。アレッサンドロは、ナポリのオペラの発展を後押しした重要人物でもある。これらは、後の時代に、さらに一般化され、民衆的な音楽に変化する過程で、カンツォーネと呼ばれるようになった。


もちろん、今でもヴェネチアでゴンドラに乗ると、船を漕ぐ人が歌をうたうことがある。これはバルカローレといい、ヴェネチアの民謡の一形式にもなった。ナポリのオペラの後代のクラシック音楽への貢献度は計り知れない。ソナタ形式の原型である「急ー緩ー急」の原初的なスタイルを確立したほか、「Sinfonia」という形式を出発させた。イタリアのシンフォニアは、のちのドイツ古典派の重要な作曲の一部分を担った。

 

その後、オペラはイタリアから各国に伝わったフランスやイギリスで独自の進化を遂げた。フランスでは、リュリが中心となり、バレ・ド・クール(宮廷バレ)にイタリアのオペラの要素を追加した。イギリスでは、マスクと呼ばれる、仮面劇を基本としたオペラが発展していく。18世紀以降は、それぞれ各地域のオペラの形式が細分化していき、セリアとブッファの2つの形式に分割された。


その後、母国語を生かしたローカルなオペラが登場した。また、イギリスではバラッド、フランスではコミック、ドイツでは、シングシュピールが登場した。シングシュピールの代表的な作品は、稀代の天才、クラシック音楽の至宝モーツァルトの『魔笛』が挙げられる。現在では、多様な形のオペラが存在しています。今回の記事がオペラを楽しむためのきっかけとなれば幸いです。

 




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