Daneshevskaya(ダネシェフスカヤ)   NYの新進気鋭の歌手による劇伴的なポップス  パッチワークのような思い出、人生に関わる人々へのエレジー "Long Is A Tunnel" 

Weekly Music Feature


Daneshevskaya




ニューヨーク/ブルックリンのアンナ・ベッカーマンのプロジェクトであるダネシェフスカヤ(Dawn-eh-shev-sky-uh)は、彼女自身の個人的な歴史のフォークロアに浸った曲を書く。

 

アーティスト名(本当のミドルネーム)は、ロシア系ユダヤ人の曾祖母に由来する。ベッカーマンは音楽一家に育ち、父親は音楽教授でありアンナ・ベッカーマンのプロジェクト。

 

ベッカーマンは音楽一家に育ち、父親は音楽教授、母親はオペラを学び、兄弟は家で様々な楽器を演奏していた。彼女は父親の大学院生からピアノを習い、自分で作曲を試みる前は、シナゴーグで教えられた祈りを歌った。彼女自身の曲は、宗教的な意味合いというよりは、ベッカーマン自身の過去、現在、未来の賛美歌のような、アーカイブ的な記録として、スピリチュアルなものを感じることが多い。「音楽の楽しみは人と繋がること、私はそうして育ってきたの」と彼女は言う。


彼女のデビューEP『Bury Your Horses』が人と人とのつながりの定点と謎を縫い合わせたのに対し、『Long Is The Tunnel』(Winspearからの1作目)は、出会った人々がどのように自分の進む道に影響を与えるかを考察している。ベッカーマンはずっとニューヨークに住んでいるが、彼女のアーティスト名(そして本当のミドルネーム)はロシア系ユダヤ人の曾祖母に由来する。『ロング・イズ・ザ・トンネル』を構成する曲を書いている最中に、彼女の祖父母は2人とも他界した。祖母(詩人であり教師でもあった)に関する話は、「過去の自分の姿」のように感じられると同時に、ベッカーマンがどこから来たのかという線に色をつけたいという燃えるような好奇心に火をつけた。

 

ベッカーマンは祖母の手紙を頻繁に読み返したが、その手紙は「憧れを繊細かつ満足のいくリアルな方法で伝えていた」という。痛烈な「Somewhere in the Middle」のような曲は、彼女の人生に残された人々を不滅のものとし(「もう二度と会うことはないだろう」)、過去を再現することで、しばしば暗い真実が表面化する。殺伐とした現実にもかかわらず、このEPは伝統的なソングライティングと現代的な言い回しの間の独特のコラージュを描いており、自己発見の純粋な輝きに魅せられる。


昼間はブルックリンの幼稚園児のためのソーシャルワーカーを務めるベッカーマンの音楽は、すべてが険しいと感じるときに生きる子供のような純粋さを追求することが多い。「子供が登校時に親に別れを告げるとき、もう二度と会えないような気がするものです」と彼女は説明する。

 

『ロング・イズ・ザ・トンネル』は、そのような心の傷の感覚を強調している。「人に別れを告げることは、私にとってとても神秘的なことなの」と彼女は言う。2017年から数年間かけて書かれた7曲は、パッチワークのような思い出/日記で、彼女の人生に関わる人々へのエレジーでもある。Model/ActrizのRuben Radlauer、Hayden Ticehurst、Artur Szerejkoによる共同プロデュースで、これらの初期デモの最終バージョンには、Black Country, New RoadのLewis Evans(サックス)、Maddy Leshner(鍵盤)、Finnegan Shanahan(ヴァイオリン)も参加し、各曲をそれ自身の中の世界のように聴かせるきらびやかな楽器編成を加えている。


ベッカーマンは、音楽を聴くときはまず歌詞に惹かれると強調する。「私が曲を書くことを学んだ方法の多くは詩を通してであり、それは私にとって言語についての新しい考え方なのです」 

 

彼女の祖母の足跡をたどる新作EPは、古典的な構成に、別世界のようでもあり、地に足のついた独特なメタファーが組み込まれている。『ロング・イズ・ザ・トンネル』は、逃避の形を示す超現実的なイメージで満たされている。曲のうち2曲は、鳥を題材にしており、ベッカーマンは、目を離せないものに目を奪われる一方で、自由にその場を離れることもできると説明している。「水中にいるような気分にさせてくれるアートが好きなんだ」とベッカーマンは過去のインタビューで語っているが、『ロング・イズ・ザ・トンネル』は、欲望、感情、ファンタジーに完全に没入しているような感覚を長引かせる。と同時に、「『ピンク・モールド』のような曲は、私が違うバージョンの愛を学ぼうとしていることを歌っているの」と彼女は説明する。彼女のラブソングの陰鬱なメランコリアは、しばしば他の誰よりも彼女の内面に現れている。彼女が本当に求めているのは健全な関係の自立だ。「私たちは互いのものにはならないけれど、この人生を分かち合う」 多くの場合、このような魅惑的なおとぎ話は途切れてしまうにしても。 


「私は運命の人じゃない!、私は運命の人じゃない!"と繰り返すフレーズは、新しい存在の野生の中に生まれた呪文のようである。


『Bury Your Horses』と『Long Is The Tunnel』のタイトルはどちらも特定のカーゲームにちなんだもので、後者はトンネルが何秒続くかを当てる内容だ。ベッカーマンは、それぞれの曲を通して建築的な注意深さを維持し、彼女の視点を越えてゆっくりと世界を構築していく。「海が出会う場所がある/その下には暗闇がある」と彼女は「Challenger Deep」の軽やかさの中で歌いながら夢想する。誰かを理解しようと近づけば近づくほど、その人の欠点が明らかになることがある。しかしながら、結局のところ、愛とは、目的のための手段にすぎないのかもしれない。

 

 -Winspear




『Long Is A Tunnel』/ Winspear


 

このアルバムは、ブルックリンのシンガー、ダネシェフスカヤの「個人的なフォークロア」と称されている通り、奥深い人間性が音楽の中に表出している。それは21世紀の音楽である場合もあり、それよりも古い時代である場合もある。最近の音楽でよくあるように、自分の生きる現代から、父祖の年代、また、複数の時代に生きていた無数の人々の記憶のようなものを呼び覚まそうという試みなのかもしれない。それは、現代的な側面として音楽にアウトプットされるケースもあれば、20世紀のザ・ビートルズが全盛期だった時代、それよりも古いオペラや、東ヨーロッパの民謡にまで遡る瞬間もある。しかし、音楽的にはゆったりとしていて、親しみやすいポップスが中心となっている。フォーク、バロック・ポップ、チェンバー・ポップ、現代的なオルト・ロックまで、多角的なアプローチが敷かれている。そして、アルバムを形成する7曲には、普遍的な音楽の魅力に焦点が絞られている。時代を越えたポップスの魅力。

 

「Challenger Deep」

 



アルバムは、幻想的な雰囲気に充ちており、安らかさが主要なサウンドのイメージを形成している。全般的に、おとぎ話のようなファンタジー性で紡がれていくのが幸いである。ダネシェフスカヤは、自分の日頃の暮らしとリンクさせるように、子供向けの絵本を読み聞かせるかのように、雨の涼やかな音を背後に、懐深さのある歌を歌い始める。ニューヨークのフォークグループ、Floristは、昨年のセルフタイトルのアルバムにおいて、フォーク・ミュージックにフィールドレコーディングやアンビエントの要素をかけ合わせて、画期的な作風で音楽ファンを驚かせたが、『Long Is A Tunnel』のオープニング「Challenger Deep」も同様に『Florist』に近い志向性で始まる。ナチュラルかつオーガニックな感覚のあるギターのイントロに続き、ダネシェフスカヤのボーカルは、それらの音色や空気感を柔らかく包み込む。童話的な雰囲気を重んじ、和やかな空気感を大切にし、優しげなボーカルを紡ぐ。デモソングは、ほとんどGaragebandで制作されたため、ループサウンドが基礎になっているというが、その中に安息的な箇所を設け、バイオリンのレガートやハモンド・オルガンの神妙な音色を交え、賛美歌のような美しい瞬間を呼び覚ます。驚くべきことに、シンガーとして広い音域を持つわけでも、劇的な旋律の跳躍や、華美なプロデュースの演出が用意されているわけではない。ところが、ダネシェフスカヤのゆるやかに上昇する旋律は、なにかしら琴線に触れるものがあり、ほろ苦い悲しみを誘う瞬間がある。

 

「Somewhere in The Middle」は「Challenger Deep」の空気感を引き継ぐような感じで始まる。同じようにアコースティックギターのループサウンドを起点として、インディーロック的な曲風へと移行していく。

 

イントロではフォーク調の音楽を通じて、吟遊詩人のような性質が立ち現れる。続いて、ギターにベースラインとシンプルなドラムが加わると、アップテンポなナンバーに様変わりする。この曲には、Violent Femmesのようなオルタナティヴ性もあるが、それをポップスの切り口から解釈しようという制作者の意図を読み取る事もできる。ときに、フランスのMelody Echoes Chamberのインディー・ポップやバロック・ポップに対する親和性も感じられるが、トラックには、それよりも更に古いフレンチ・ポップに近いおしゃれさに充ちている。曲の雰囲気はシルヴィ・バルタンのソングライティングに見られる涼やかで開放的な感覚を呼び覚ますこともある。曲の最後には、テンポがスロウダウンしていき、全体的な音の混沌に歌の夢想性が包み込まれる。 

 

 

「Bougainvilla」



「Bougainvilla」には、歌手のソングライティングにおける特異性を見いだせる。ダネシェフスカヤは、さながら演劇の主役に扮するかのように、シアトリカルな音楽性を展開させる。ミュージカルの音楽を明瞭に想起させる軽妙なポップスは、音階の華麗な駆け上がりや、チェンバー・ポップの夢想的な感覚と掛け合わされて、アルバムの重要なファクターであるファンタジー性を呼び覚ます。そして、シンガー自身の緩やかで和らいだ歌により、曲に纏わる幻想性を高めている。さらにヴィンテージ・ピアノ、ヴィブラフォン、コーラスを散りばめて、幻想的な雰囲気を引き上げる。しかしながら、嵩じたような感覚を表現しようとも、音楽としての気品を失うことはほとんどない。それはメインボーカルの合間に導入される複数のコーラスに、要因が求められる。アルバム制作中に亡くなったという祖(父)母の時代の言葉、不確かな何かを自らのソングライティングにアーカイブ的に声として取り入れているのは、(英国のJayda Gが既に試みているものの)非常に画期的であると言える。さらに、ダネシェフスカヤは驚くべきことに、自分の知りうることだけを音に昇華しようとしているのではなく、自分がそれまで知り得なかったことを音にしている。だからこそ、その音楽の中に多彩性が見いだせるのである。

 

アルバムには「鳥」をモチーフにした曲が収録されているという。なぜ、鳥に魅せられる瞬間があるのかといえば、私達にとって不可解であり、ミステリアスな印象があるからなのだ。「Big Bird」は、ニューヨークで盛んな印象のあるシンセ・ポップ/インディーフォークを基調とし、それをダイナミックなロックバンガーへと変化させている。特に、ゆったりとしたテンポから歪んだギターライン、ダイナミック性のあるドラムへと変化する段階は、鳥が空に羽ばたくようなシーンを想起させる。ドリーム・ポップの影響を感じさせるのは、Winspearのレーベルカラーとも言える。そして、そのシューゲイズ的な轟音性は曲の中盤で途切れ、ベッドルームポップ的な曲に変化したり、童話的なインディーフォークに変化したり、曲の展開は流動的である。しかし、その中で唯一不変なるものがあるとするなら、それらの劇的な変化を見届けるダナシェフスカヤの視点である。劇的なウェイブ、それと対象的な停滞するウェイブと複数の段階を経ようとも、その対象に注がれる眼差しは、穏やかで、和やかである。もちろん外側の環境が劇的に移ろおうとも、ボーカルは柔らかさを失うことがない。ゆえに、最終的にシューゲイザーのような轟音性が途切れた瞬間、言いしれない清々しい感覚に浸されるのである。

 

 

例えば、ニューヨークのBigThief/Floristに象徴されるモダンなフォークの音楽性とは別に、続く「Pink Mold」において、ダネシェフスカヤはより古典的な民謡やフォークへの音楽に傾倒を見せる。アメリカーナ、アパラチア・フォークのような米国音楽の根幹も含まれているかもしれない。一方、アルプスやチロル地方やコーカサス、はては、スラブ系の民族が奏でていたような哀愁に充ちた、想像だにできない往古の時代の民謡へと舵を取っている。これは、米国のブルックリンのハドソン川から大西洋を越え、見果てぬユーラシア大陸への長い旅を試みるかのようでもある。セルビア系の英国のシンガー、Dana Gavanskiの音楽性をはっきりと想起させる国土を超越したコスモポリタンとしてのフォーク音楽である。それはまた、どこかの時代でジョージ・ハリソンが自分らしい表現として確立しようと企てていた音楽でもあるのかもしれない。これらの西欧的な感覚は、さながら中世の船旅のようなロマンチシズムを呼び覚まし、どのような民族ですら、そういった時代背景を経て現在を生きていることをあらためて痛感させる。

 

メロトロン、淑やかなピアノ、ダネシェフスカヤのボーカルが掛け合わされる「Roy G Biv」は、60、70年代のヴィンテージ・レコードやジューク・ボックスの時代へ優しくみちびかれていく。夢想的な歌詞を元にし、同じようにフォーク音楽とポピュラー音楽を融合を図り、緩急ある展開を交えて、ビートルズのアート・ポップの魅力を呼び覚ます。後半にかけてのアンセミックなフレーズは、オーケストラのストリングスと融合し、すべては完璧な順序で/降りていく最中なのだとダネシェフスカヤは歌い、美麗なハーモニーを生み出す。最後の2曲は、ソロの時代のジョン・レノンのソングライティング性を継承していると思えるが、こういった至福的な気分と柔らかさに充ちた雰囲気は、「Ice Pigeon」において更に魅力的な形で表される。

 

シンプルなピアノの弾き語りの形で歌われる「Ice Pigeon」では、「Now And Then」に託けるわけではないけれど、ジョン・レノンのソングライティングのメロディーが、リアルに蘇ったかのようでもある。この曲に見受けられる、ほろ苦さ、さみしさ、人生の側面を力強く反映させたような深みのある感覚は、他のシンガーソングライターの曲には容易に見出しがたいものである。考えられる中で、最もシンプルであり、最も素朴であるがゆえ、深く胸を打つ。ダネシェフスカヤのボーカルは、ときに信頼をしたがゆえの人生における失望とやるせなさを表している。最後の曲の中で、ダネシェフスカヤは、現実に対する愛着と冷厳の間にある複雑な感情性を交えながら、次のように歌い、アルバムを締めくくっている。「信じてるのは私じゃない/やってくるもの全部が私には役に立たない/なぜならそれが何を意味するのか知っているから」

 

 

 

92/100

 

 

 

 「Ice Pigeon」