CLARK 『Cave Dog 』- New Album Review

 CLARK 『Cave Dog』

 

Label: Throttle Records

Release: 2023/12/1

 

Review

 


90年代からテクノシーンを牽引してきたCLARKによる『Sus Dog』に続く最新アルバムが到着。最近、トム・ヨークにボーカル指導を仰いでいるというクラーク。前作では珍しくボーカルにも挑戦。ベテラン・テクノプロデューサーによる飽くなき挑戦はまだまだ終わる気配がない。


正直、前作『Sus Dog』は、制作者のプランが完全に形になったとは言い難かったが、『Cave Dog』はプロデューサーの構想が徐々ではあるが明瞭に見えてくるようになった。テクノ/テックハウスのスタイルとしては、クラーク作品の原点回帰の意義があり、その作風は最近リイシューを行った「Boddy Riddle」に近い。さらに着目すべきは、アルバムのオープナー「Vardo」を見ると分かるように、90年代の活動当初のテクノ/ハウスの熱狂性を取り戻していることに尽きる。


シンプルな4ビートのテックハウスを下地に、ブレイクを挟み、レトロなテクノの音色を駆使することにより、堅固なグルーブをもたらしている。テック・ハウスは、極論を言えば、John Tejadaの最新アルバム『Resound』を聴くと分かる通り、強いビート感でリードし、オーディオ・リスナーやフロアの観客の体を揺らせるまで辿り着くかが良作と駄作を分ける重要なポイントとなりえる。


特に今作『Cave Dog』のオープニングを飾る「Vardo」では、従来のクラークの複数作品よりもはるかに強いキックが出ており、そこに新たに複数のボーカルが加わることで、ユーロビートのような乗りやすさ、つまりコアなグルーブを付与している。アウトロの静謐なピアノも余韻十分で、「Playground In a Lake」でのモダン・クラシカルへの挑戦が次の展開に繋がったとも解せる。 

 

 

「Vardo」

 

 

今一つ着目すべき点は、クラークがシンセサイザーの音色の聴覚的なユニークさをトラックの中に音階的に組み込んでいること。二曲目「Silver Pet Crank」では、ミニマル・テクノの中に音階構造をもたらし、その中にトム・ヨークのボーカル・トラックを組み込んでいる。わけても興味を惹かれるのは、ヨークのメインプロジェクト、The Smile、Radioheadでは、彼の声はどうしてもシリアスに聞こえてしまうが、CLARKの作品の中に組み込まれると、意外にもユニークな印象に変化する。これは旧来のトム・ヨークのファンにとって「目から鱗」とも称すべき現象だ。

 

この曲は展開の発想力も素晴らしくて、いわゆる「音の抜き差し」を駆使し、変幻自在に独自のテックハウスの作風を確立している。ビートは一定に続いているが、強迫と弱拍の変化(ずらし方)に重点が置かれており、曲を飽きさせないように工夫が凝らされている。さらにもうひとつ画期的な点を挙げると、ブラジル音楽のサンバに見られるワールドミュージックのリズムの影響を取り入れようとしている。これはプロデューサーのしたたかなチャレンジ精神が伺える。

 

三曲目「Medicine Doves」では、2000年代にApparat(ドイツのSasha Ring)が好んで使用していた、ピアノとシンセサイザーを組み合わせた音色を使用し、デトロイトの原始的なハウス・ミュージックと00年代のジャーマン・テクノを掛け合せている。そこにボーカロイドのような人工的なボーカルをスタイリッシュに配することで、クールで新鮮味のある曲に仕上げている。 


しかし、リバイバルに近い意義が込められているとはいえ、ベースラインの強固さについては独創的なテックハウスと呼べる。軽いシンセの音色とヘヴィーなビートが対比的な構造を形成している。特に前曲と同様、音の抜き差しに工夫が凝らされ、熱狂的な展開の後に突如立ち現れる和風のピアノの旋律による侘び寂びに近い感覚、そして、その後に続く、抽象的なダウンテンポに近い独創的な展開については「圧巻!」としか言いようがない。特に、ミニマルなフレーズを組み合わせながら大掛かりな音響性を綿密に作り上げていく曲のクライマックスに注目したい。

 

「Domes of Pearl」については、レトロな音色を使用し、エレクトロニックのビートの未知の魅力に焦点を当てようとしている。テック・ハウスをベースにして、その上にチップ・チューンの影響を交え、ファミリー・コンピューターのゲーム音楽のようなユニークさを追求している。Aphex Twinが使用するような音色を駆使し、ベースラインのような変則的なビートを作り上げていく。この曲は「Ted」をレトロにした感じで、プロデューサーの遊び心が凝縮されている。


続く、「Doamz Ov Pirl」は、クラークの代名詞的なサウンド、アシッド・ハウスの作風をもとにして、そこにボーカル・トラックを加えることで、どのような音楽上のイノベーションがもたらせるかという試行錯誤でもある。実際、前作アルバム『Sus Dog』よりもボーカル曲として洗練されたような印象を受ける。前曲と同じように、別のジャンルの音楽からの影響があり、それはアシッド・ジャズからラップのドリルに至るまで、新奇なリズムを追求していることが分かる。ボーカルやコーラスの部分に関しては、ブラジル音楽からの影響があるように思える。これが奇妙な清涼感をもたらしている。何より聴いていると、気分が爽やかになる一曲だ。

  

「Dismised」も同じように、根底にある音楽はイタロ・ディスコのようなポピュラーなダンスミュージックであるように感じられるが、その中に民族音楽の要素を付加し、クラークの作品としては稀有な作風を構築している。ビートやリズムに関しては、ステレオタイプに属するとも言えるのに、構成の中にエスニックな音響性を付与することで、意外な作風に仕上げている。ボーカルに関しては、アフリカ音楽や儀式音楽に近い独特な雰囲気にあふれているが、これは現在のUKのポピュラー音楽に見受けられるように、ワールド・ミュージックとアーティストが得意とするダンスミュージックの要素を掛け合わせようという試みであるように感じられる。

 

「Reformed Bully」は、連曲のような感じで、多次元的とも言える複雑な構造性を交えたブレイクビーツに導かれるようにし、ポピュラー・ミュージックの範疇にあるボーカルが展開される。この曲でも、トム・ヨークらしき人物のボーカルが途中で登場するが、その声の印象はやはり、The Smileとは全然別人のようである。ここにも彼のユニークな人柄をうかがい知ることが出来る。

 

ここまでをアルバムの前半部としておくと、後半部の導入となる「Unladder」は、『Playground In A Lake』における映画音楽やモダン・クラシカルへの挑戦が次なる形になった瞬間と呼べるだろう。ピアノの演奏をモチーフにした「Unladder」は骨休みのような意味があり、重要なポイントを形成している。ピアノ曲という側面では、Aphex Twinの「April 15th」を彷彿とさせるが、この曲はエレクトロニックの範疇にあるというよりも、ポスト・クラシカルに属している。エレクトロニックの高揚感や多幸感とは対極にあるサイレンスの美しさを凝縮した曲である。制作者は、現行のポスト・クラシカルの曲と同様、ハンマーに深いリバーブを掛け、叙情的な空気感を生み出す。中盤からアウトロにかけての余韻については静かに耳を傾けたくなる。

 

続く、「Oblivious/Portal」に関しては、『Playground In A Lake』を制作しなければ作り得なかった形式と言える。オーケストラ・ストリングスをドローン音楽として処理し、前衛的な作風を確立している。壮大なハリウッド映画のようなシネマティックな音像はもちろん、作曲家としての傑出した才覚を窺い知れる曲である。アンビエント/ドローンという二つの音楽技法を通して、ベテラン・プロデューサーは音楽により、見事なサウンドスケープの変遷を描いている。中盤からクライマックスにかけての鋭い音像の変化がどのような結末を迎えるのかに注目したい。

 

「Pumpkin」では、 クラシカルの影響を元にして、それをミニマル・テクノとして置き換えている。シンセサイザーとピアノを組み合わせて、格調高い音楽を生み出している。曲の構造性の中にはバッハのインベンションからの影響を感じる人もいるかもしれないし、テリー・ライリーのモダンなミニマル・ミュージックの要素を見つける人もいるかもしれない。いずれにせよ、CLARKはシンセとピアノの融合により、ミクロコスモス的な世界観を生み出し、聞き手の集中を2分強の音の中に惹きつける。制作者の生み出す音楽的なベクトルは、外側に向かうのではなく、内側に進む。そのベクトルは極小な要素により構築されているにもかかわらず、驚くべきことに、極大なコスモス(宇宙)を内包させている。曲の終盤では、ピアノの柔らかい音色が癒やしの感覚をもたらす。こういった超大な作風は、Oneohtrix Pointneveの『Again』に近い。

 

アルバムの中盤に向かうと、序盤よりも神秘性や宇宙的な概念性が立ち現れる。「Meadow Alien」ではついに地球を離れ、宇宙に接近しはじめる。まさしくタイトルに見えるように、エイリアンとの邂逅を描いたものなのか……。はっきりとした事はわからないが、少なくともスペースシップの船内に浮遊するような得難い感覚をアンビバレントな電子音楽として構築している。そのサウンドスケープは、意外にもアンビエントという形をとり現れる。クラークはその中に映画音楽で使用されるマテリアルを配し、短い効果音のような演出的な音楽を作り上げている。

 

いよいよ、クラークはミクロコスモスともマクロコスモスともつかない電子音楽によるミステリアスな空間を「Alyosya Lying」で敷衍させ、近年、トム・ヨークの指導を仰ぎながら取り組んできたボーカル曲としての集大成を形作る。以後、アルバムの最終盤でも、ジャンルレスな音楽性が展開される。


例えば、近年のギリシャ/トルコをはじめとする世界の大規模な森林火災をモチーフを選んだとも解釈出来る「Disappeared Forest」では、電子音楽にソウル/ゴスペルのコーラスを組み合わせ、これまで誰も到達し得なかった前人未到の地点に到達する。クラークが今後どのような音楽を構築していくのか。尤もそれは誰にも分からないことだし、予測不可能でもある。アルバムの最後の曲「Secular Holding Pattern」では、Tim Heckerの音楽性をわずかに思わせる抽象的なアンビエント/ドローンの極北へと辿り着く。クローズ曲では、オーケストラで繰り広げられるドローン・ミュージックとは別軸にある電子音楽におけるこのジャンルの未来が示唆されている。

 

 

 

92/100