College Rock Essencial Guide  オルタナティヴロックを形作るラジオカルチャー カレッジロックとは??

 

R.E.M


・カレッジロックの原点 ジョージアの大学のラジオ局

 

カレッジロックとは1980年代にアメリカやカナダで発生したカルチャーを意味する。明確な音楽的な特徴こそ存在しないが、大学のキャンバスの中にあるラジオ局でオンエアされたロックである。

 

このジャンルは90年代のオルトロックのブームへの流れを作った。カレッジロックは、マサチューセッツ、ミネソタ、ジョージア等がカレッジロックのシーンの出発点に挙げられる。最も最初の原点を辿ると、ローリング・ストーンが指摘しているジョージア州のアテネの大学ラジオ局に求められる。これらのラジオ局では、Sonic Youth等、ニューヨークのプロトパンクバンドの楽曲もオンエアされたが、 特にミネソタのバンドを中心にそれまで脚光を浴びてこなかった地域の魅力的なバンドをプッシュする効果があった。

 

カレッジロックは、実際に大学の寮のパーティー等で学生の間で親しまれることになったが、特にコマーシャリズムや商業主義に反する音楽を紹介する傾向にあった。特にインディペンデントでの活動を行うバンドを中心にプッシュすることが多かった。これは後に、リプレイスメンツやスミス等がメジャーレーベルからリリースを行うようになると、当初のインディーズのスノビズムの意義は薄れていくことになる。特に、R.E.M、リプレイスメンツやスミスは、ヒットチャートで上位を獲得したことがあるため、インディーズバンドというにはあまりにも有名すぎるのである。


現時点から見ると、インディーズミュージックというのは一昔前に比べると、本来の意義を失っているのは事実である。というのも、90年代以前にはインディーズレーベルが米国にはほとんど存在せず、カレッジラジオの曲のオンエアがレーベルの紹介やリリースの代役を果たしていたからである。そもそも、カレッジロックでオンエアされる音楽がすべて現在のストリーミングのように、リスナーが簡単に入手出来るとも限らなかったはずである。そこで、カレッジロックは、次世代の音楽シーンの橋渡しのような役割を担った。そして、この動きに続いて、サブ・ポップがシングル・コレクション(今も現役)等を通じて、アンダーグラウンドのバンドを紹介し、のちの世代のグランジやオルトロックへと繋がっていく。

 


・カレッジロックはオルトロックの原点なのか?

 

もしカレッジロックが一般的に大学生や若い世代に普及していなければ、その後の90年代のオルタナやミクスチャーロックは存在しなかったはずである。なぜなら、このラジオ曲のオンエアの中にはニルヴァーナやRHCP(マザーズ・ミルク等)の最初期の音楽もオンエアされていたからである。


当時、ラジオ曲を聴いたり、学生寮のパーティー等でこれらの音楽を自然に聴いていた学生が数年後、音楽を始め、それらのムーブメントを担っていったと考えるのが妥当である。また反商業主義的な音楽の宣伝と同時に、このカレッジロックというジャンルには何らかの音楽的な共通項がある。

 

演奏が上手いとは言えないが、ザラザラとしたギター、ときにエモの原点となる音楽的な叙情性、粗野なボーカル、そして音質こそ良くないが、純粋なエネルギーがこもっているということ。これらの長所と短所を兼ね備えたロックは、当時の若者の心を奮い立たせる効果があったかもしれない。そして、演奏がベテランバンドのように上手くなかったことも、当時のティーンネイジャー等に大きな触発を与えたものと思われる。そこには専門性の欠落という瑕疵こそあれ、これだったら自分でも演奏できるかもしれない、と思わせることはかなり重要だったのである。

 

カレッジ・ロックは1980年代からおよそ数年間でそのムーブメントの役割を終える。ある意味、オルト・ロックに飲み込まれていったのである。厳密に言えば、カレッジ・ロックが終わったのは92年で、これはその代表的なバンドのR.E.Mが商業的な成功を収めはじめ、ほとんどシアトルのバンドがメインストリームに引き上げられた年代と時を同じくしている。これらの対抗勢力として、アンダーグランドでは、スロウコアやオルトフォークがミレニアムの時代に向けての醸成期間を形成する。最初のオルトフォークの立役者は間違いなくエリオット・スミスである。

 

1992年以降、カレッジ・ロックが以前のような影響力を失い、宣伝力や求心力を急速に失った要因としては、アメリカのNPRなど次世代のラジオメディアが台頭し、前の世代のカレッジ・ラジオの文化観を塗り替えたことが要因に挙げられる。90年代の後半になると、依然として大学のラジオの影響下にあるインディーズバンドは数多く台頭し、その一派は、パンクという形で、または、エモという形で、これらのUSオルトを受け継いでいく。カレッジ・ロックは、インターネットの一般普及により、デジタルカルチャーの一貫として組み込まれることになる。


その後のインターネットの普及により、2000年前後からブログメディアが誕生し、かつてのカレッジ・ラジオのような影響力を持つに至る。それらが一般的となり、デジタルに勝機があるとみるや、それを大手企業のメディアも追従するという構図が作られた。以後の時代の音楽文化の宣伝はSNSやソーシャルという形に変わるが、以降の20年間は、その延長線上にあると言っても過言ではなく、それらの基礎はすべて90年代後半から00年代初頭にかけて構築されていった。

 

 


・カレッジロックの代表的なバンドとその音楽



・R.E.M

 



 

R.E.M.(アール・イー・エム)は、カレッジ・ロックの象徴的なバンドで大きな成功を収めた。米国、ジョージア州アセンズ出身のロック・バンド。1980年結成。2011年9月21日解散。バンド名はレム睡眠時の眼球運動(Rapid Eye Movement)に由来すると言われているが、本人らは明言しておらず諸説ある。

 

アメリカのインディ・レーベルIRSよりデビュー。6枚目のアルバム『グリーン』よりワーナーへと移籍。以後、現在に至るまでオルタナティブ・ロックの代表的なバンドの一つとして活動を続けている。


高い音楽性、歌詞にこめられたメッセージ性から「世界で最も重要なロックバンド」と称されることもある。デビュー当時は4人組のバンドだったが、1997年にドラムのビル・ベリーが健康上の理由により脱退。以後はメンバーを追加することなく3人で活動している。 2007年、ロックの殿堂入りを果たした。

 

 

 


・Sonic Youth

 



写真が大学生っぽいのは置いておくが、ソニック・ユース (Sonic Youth) は1981年に結成されたニューヨーク出身のバンド。1970年代後半から活動を開始する。現代音楽家グレン・ブランカが主宰するギター・オーケストレーションのグループでサーストン・ムーアとリー・ラナルドが出会いサーストンの彼女のキムを誘いソニックユースの原型が誕生した。ごく初期の数年間、ドラムにはあまり恵まれず、実力不足で何回か交代している。

 

グループ名は元MC5のギタリスト、フレッド “ソニック” スミス(パティ・スミスの亡き夫)が好きだったのと、サーストンが好きなレゲエのアーティストに”ユース”という言葉の付いた者が多かったので思いついた名前。本人曰くあまり意味は無いらしい。バンド名を変えてアルバムを出すことも多かったことから、それほどバンド名に執着は無い様子でもある。


ジャンルとしてはノイズロック、グランジ、オルタナに分類される。サーストン・ムーアは「エレキ・ギターを聞くということはノイズを聞くこと」との持論があり、ギターノイズだけの曲、リーディング・ポエトリーのような曲、実験的な曲も多い。自分でオリジナルのコードや変則的チューニングを考えたこともある。


当初、アメリカで人気が出ず、当時ニューウェイブが全盛期だったイギリスを始めとするヨーロッパで評価された。長年インディーズ・レーベルで活動。しかしアルバム「デイドリーム・ネイション」が傑作と評されメジャーへの足がかりとなる。自分たちがメジャーシーンに移行することでオルタナ全体の過小評価を上げたいとの思いが強かった。しかし「無冠の帝王」などと揶揄されることもあり、売れることより実験性を重んじるようなところがある。


メンバーであるスティーブ・シェリーは自主レーベル、スメルズ・ライク・レコードを運営するなどアンダー・グラウンドへ目を向け有能なアーティストをオーバー・グラウンドへ紹介することもあり「ソニック・ユースがお気に入りにあげている」といった冠詞はよく目にするものである。ニルヴァーナやダイナソーJr.といったバンドもソニック・ユースに見初められたバンドである。

 

 

 

 

 

・Husker Du(-Sugar)

 



 

Hüsker Dü(ハスカー・ドゥ)は、1979年アメリカ・ミネアポリスで結成されたハードコアバンド。Germs、Black Flag,X、Misfitsと並んで、USパンク/ハードコアの最重要バンドである。のちのALL、Discendentsを始めとするカルフォルニアのパンクの一部を形成している。

 

オルタナティヴ・シーンに強い影響を与えた最重要バンドとして知られる。バンド名はスウェーデンのボード・ゲームから。81年、地元で行われたライブ音源をCD化したアルバム『ランド・スピード・レコード(Land Speed Record)』でデビュー。

 

ロサンゼルス以外の北米パンク/ハードコアを吸収し、UKテイストをミックスしたサウンドである。初期の彼らはこういったカラーが濃く、とにかく「速い・やかましい・短い」の強行突破ぶりを見せつけていた。その後、激しい演奏にとことん美しいメロディと非反逆的な歌詞を乗せるという「脱・ハードコア」スタイルにシフト・チェンジする。楽曲の数々は、爆発と沈降を繰り返しながら、オーディエンスの支持を増やしていった。

 

だが、バンドの中心人物であったボヴ・モウルド(vo&g)が、「勢いで燃え尽きてしまったバンド」と自ら語っている通り、 87年のアルバム『ウェアハウス:ソングス・アンド・ストーリーズ』を最後に(86年にメジャーに移籍したばかりだった)、彼らは活動にピリオドを打った。

 

その後、ボブ・モールドはソロを通過してシュガー(Sugar)を結成、グラント・ハート(vo&dr)もソロを経てノヴァ・モヴで活動している。ソロ転向後は、スタンダードなロックに転じ、メロディック性が強まり、モールドのソングライターとしての性質が強まった。

 

  

 



・The Replacements

 


 

リプレイスメンツはミネソタ州ミネアポリスのバンドで、ハスカー・ドゥとともに中西部の最初のミュージック・シーンの立役者である。その野生味のあるロックサウンドは現在もなお得意な煌めきを放つ。

 

当初は荒削りなハードコアパンクやガレージロックを主体としていたが、84年の『Let It Be』からスイング・ジャズやロックンロール等多彩なジャンルを織り交ぜるようになった。バンドの商業的な成功はゲフィンからリリースされた「Don’t Tell A Soul」で訪れる。


以後、フロントマンのポール・ウェスターバーグのソングライティング性を押し出すようになり、インディーフォークやカントリーなどを音楽性の中心に据えるようになった。91年の解散後、ポール・ウェスターバーグはソロアーティストとして、カントリー/フォークロックの象徴的なアーティストとして目されるようになった。

 

 

 

 

・Pixies (-Breeders,Amps)

 

旧ラインナップ

ピクシーズ(Pixies)は、1985年に結成されたアメリカ合衆国のロックバンドである。初期オルタナティブ・ロックシーンに活躍したバンドのひとつであり、乾いた轟音ギターにブラック・フランシスの絶叫ボーカルが重なったサウンドは、後のインディーズミュージシャンに影響を与えた。


バンド名は、ギターのジョーイ・サンティアゴが適当に辞書を引いたところが「pixies」だったため。このバンドの正式名称は "Pixies in Panoply"であり、略してPixiesと読んでいる。
ピクシーズに影響を受けたバンドは数多く、ニルヴァーナのカート・コバーン、U2のボノ、ウィーザー、ブラー、レディオヘッド、ストロークス、the pillows、ナンバーガールなどが挙げられる。特にカート・コバーンがピクシーズを崇拝していたのは有名な話で、ニルヴァーナの代表曲ともいえる「スメルズ・ライク・ティーンスピリット」は、カート・コバーンがピクシーズの曲("Debaser"とも"WhereIs My Mind?"とも言われる)をコピーしている時に出来た曲だといわれている。

 

ニルヴァーナやナンバーガールといったバンドの特徴でもある、AメロやBメロは静かに、そしてサビ部分で絶叫というボーカルスタイルは彼らが発祥である。1曲1曲は短く、2分もない曲も多い。




・Throwing Muses

 



Throwing Musesはニューポートのバンドで、現在のオルトロックの源流を形成している。

 

同じ高校の同級生であり、異父姉妹でもあるクリスティン・ハーシュとタニヤ・ドネリーを中心に結成された。当初のバンド名は「Kristin Hersh and the Muses」だったという。その後ベーシストにエレイン・アダムデス、ドラマーにベッカ・ブルーメンが加入するが1983年に脱退。新ベーシストにレスリー・ランストン、新ドラマーにデヴィッド・ナルシーゾが加入した。


1984年に自主レーベルよりEP『Stand Up』をリリースしデビュー。その後バンドはアメリカのバンドとして初めて4ADと契約する。1986年にギル・ノートンプロデュースのセルフタイトルの1stアルバムをリリース。続けて1988年に2ndアルバム『ハウス・トルネード』をサイアー・レコードからリリース。1989年に3rdアルバム『Hunkpapa』を発表後、1990年にベーシストのランストンが脱退。新しくフレッド・アボンが加入し4枚目のアルバム『リアル・ラモーナ』を1991年にリリースするが、ドネリーがブリーダーズでの活動に専念するため脱退。


1992年にバンドは新ベーシストのバーナード・ジョージズを迎え5枚目のアルバム『レッド・ヘヴン』をリリース。アルバムには元ハスカー・ドゥのボブ・モールドがデュエット参加している[1]。1994年にハーシュはソロ・アルバム『Hips and Makers』を発表した。1995年発表の6枚目のアルバム『ユニヴァーシティ』の内容はプレスから賞賛されるが売れ行きは思わしくなく、その後サイアーを解雇される。

 

1996年に7枚目のアルバム『リンボー』をライコディスクよりリリース。1997年にバンドは解散し、ハーシュはソロ活動を本格化させる2003年にバンドは再結成を発表、同時期に8枚目のアルバム『スローイング・ミュージズ』をリリース。タニヤ・ドネリーもコーラスで参加した。2013年に10年ぶり9枚目のアルバム『Purgatory / Paradise』を発表した。 






・Guided By Voices

 




オハイオ州デイトン市の中学教師だったRobert Pollard率いるGuided By Voicesは、レコーディングに着手して以来大量の音楽を産み出してきた。

 

「ローファイ」というレッテルを貼られたおかげで、彼らの音楽が売上を伸ばしたことは間違いないが、彼らがほとんどの作品を安い機材で録音してきたのは、趣味の問題であると同時に予算の制約があったからだ。メジャー・レーベルと協力関係にあるインディー・レーベルから作品を発表するようになってからも、彼らは一貫してこの「ローファイ」というコンセプトにこだわっている。彼らのようなアンダーグラウンドのはぐれ者にとって、メインストリームでの成功は価値がないようだ。Pollardはつねに、現実のロックスターであるより、彼の空想のなかでロックスターであることを選んできた。

 

『Box』というそっけないタイトルの5枚組ボックス CDは、彼らの初期の作品を収録している。しかし、ほとんどの曲は、焦点が定まっていない。『King Shit And The Golden Boys』と題された付録CDは未発表作品を集めたものだが、このカルトバンドの未発表曲を聴きたいと待ち焦がれていたファンがそれほど大勢いたのだろうか。


なんらかの意味でPollardがポップの高みに達したのは、'92年の『Propeller』からである。このアルバムの数曲は、暗闇の前方に'60年代のハーモニーとパワーポップへの圧倒的な愛情が垣間見える。彼らは(と言っても、正式メンバー以外につねに何人かの酔っ払いが群がっているようだ・・・)『Vampire On Titus』をリリースすべくScat Recordsと契約した。しかし、そのように認知されただけで、Pollardは動揺した。彼は再び、AMラジオの夢の国というお得意のコンセプトで曲を作り出した。

 

それ以後Guided By Voicesがリリースした数枚のアルバムは、'60年代ポップ世界の再構築に関心がある者にとって貴重である。全米ツアーでの、Pollardと仲間たちは、歌の合間にビールを飲んでいた。ライヴが2時間に及ぶ頃には、彼らはたいてい出来あがっていて、最後にPollardが観客からリクエスト曲を募ったり、その場で曲を作ったりしていた。'96年には、Pollardと(元)メンバーのTobin Sproutがそれぞれソロアルバムを発表。'97年、Pollardは、クリーヴランド出身のロッカーCobra Verdeを新メンバーに迎え、『Mag Earwhig!』をリリースした。バンドは昨年、最新アルバム『Nowhere To Go But Up』をリリースし、変わらぬ健在ぶりをみせた。

 

 

 

 

・Superchunk

 


        

1989年にノースカロライナ州チャペル・ヒルで結成されたスーパー・チャンクは、マック・マコーガン(ギター、ヴォーカル)、ジム・ウィルバー(ギター、バッキング・ヴォーカル)、ジョン・ウースター(ドラムス、バッキング・ヴォーカル)、ローラ・バランス(ベース、バッキング・ヴォーカル)の4人組。

 

1989年に最初の7インチをリリースして以来、スーパーシャンクは、初期のパンク・ロック・ストンプ、キャリア中期の洗練された傑作、瑞々しく冒険的なカーブボールなど、さまざまなマイルストーンアルバムを発表してきた。 

 

Superchunkはピクシーズとともに90年代以降のオルタナティヴロックに強い影響を及ぼしている。また2000年代以降のメロディック・パンクバンドにも影響を及ぼしたという指摘もある。彼らの音楽の中には、現在のアメリカーナ、パンク、そしてロック、ポップに至るまですべてが凝縮されている。


 

 

・Dinosaur Jr.

 


 

 

Dinosaur Jrは1983年、マサチューセッツ州アムハーストにて、Deep Woundというハードコア・パンクバンドをやっていたJ Mascis(G/Vo)と、ハイスクールのクラスメートだったLou Barlow(B)により結成され、その後すぐに、Murph (Emmet Patrick Murphy/Dr)がメンバーに加わった。


Country Joe and The Fish、Jeffeson Airplaneの元メンバーのバンドがThe Dinosaurと名乗っており、法に抵触する可能性があったため、デビューアルバムである『Dinasour』(1985年)を発表後すぐに、バンド名を変えている(少なくとも1987年までは、Dinosaurの名前を使っていた。

 

1987年、彼らはSonic YouthからのすすめでSST Recordsと契約、彼らのベスト作とされている『Your' re Living All Over Me』をリリースした。次の年には『Bug』を発表する。イギリスで『Bug』は、Sonic YouthやBig Black、Butthole SurfersらのレーベルであったPaul SmithのBlast First Recordsからリリースされた。この時期、彼らは大音量のライブをやるバンドとして知られるようになった。

 

大きな商業的な成功はなかったものの、カルト的な熱狂を獲得していた。『Freak Scene』と『Just Like Heaven』の成功は、Sonic YouthやNirvanaと仲がよかったことも相まって、結果的にWarner Brothersとの契約に結びつくことになった。彼らの曲はギターノイズに包まれ、メロディックで構成も単純であったため、同時代のPixiesとともに、その後に登場してくるNirvanaに大きな影響を与えている。以後、『Green Mind』でようやく商業的な成功を収める。


面白いことに、ルー・バーロウとJ・マシスの音楽性はすべて1987年の「Little Funny Things」で完成されており、のちの商業的な成功はその付加物でしかないように思える。バンドの音楽は当初サイケデリックロックやフォークの融合という形で登場したが、それをよりスタンダードな音楽性へと変化させていった。


「Green Mind」の商業的な成功はその時代のグランジの影響下にあった。もちろん、「Flying Cloud」でのインディーフォークのアプローチや、「Muck」のサイケとファンク、そしてカレッジロックの融合というセンスの良さがあるとしてもである。それでも、やはり、Jマシスのギタリストとしての凄さは最初期や90年代にかけての音源にはっきりと見出すことが出来る。



                                  

 


・Built to Spill

 



                
Built to Spillはアイダホ州ボイシを拠点に活動するインディーロックバンド。キャッチーなギター・フックとフロントマンDoug Martschのユニークな歌声で有名だ。


元Treepeopleのフロントマンだったダグ・マートシュは、1992年にブレット・ネットソン、ラルフ・ユーツと共にビルト・トゥ・スピルを結成。GBVと並んで、オルタナティヴロックの源流にあるバンド。

 

当時のSpin誌のインタビューで、ダグ・マートシュは「アルバムの度にバンドのラインナップを変えるつもりだった」と語っている。


マートシュは唯一のパーマネント・メンバーだった。バンドのファースト・アルバムバンドのファースト・アルバム『アルティメット・オルタナティヴ・ウェイヴァーズ』(1993年)の後、ラインナップを変えるという考えは真実となった。ネッツォンとユッツの後任にブレットNelson(Netsonではない)とAndy Cappsに交代し、1994年の『There's Nothing Wrong With Love』をリリースした。コンピレーション・アルバム『The Normal Years、 というコンピレーション・アルバムが1996年にリリースされた。1995年のアルバム録音の合間に、バンドは ロラパルーザ・ツアーに参加。マーシュは1995年、ビルト・トゥ・スピルとワーナー・ブラザースと契約。


1997年、『Perfect From Now On』で初のメジャー・レーベルからのリリースを果たした。この時、バンドはマートシュ、ネルソン、ネットソン、スコット・プルーフで構成されていた。Perfect From Now On』は批評家からも高評価を受け、ビルト・トゥ・スピルはアメリカで最もステディなインディーロックバンドのひとつとなった。

 



・Sebadoh




Dinosaur.Jrに在籍していたルー・バーロウとエリック・ガフニーとの宅録テープ交換から生まれたバンド。ダイナソー脱退後、ルーはSebadohを中心とするソロ活動に専念するようになった。

 

安い機材でのレコーディングにこだわり、PavementやBeat Happening同様に、ロー・ファイを確立した重要なバンドと言われている。80年代前半から後半の宅録テープをリリースした後、92年からSUB POPに在籍。ルーのワンマンバンドというわけではなく、ルー以外のメンバーの曲も多い。メンバーチェンジを繰り返しながらも4枚のアルバムをリリースしている。

 

ルー・バーロウはSentridoやFolk Implosion 、ソロ名義などSebadoh以外のプロジェクトでも活動的だった。Sebadohは2000年頃に終止符が打たれ、ルーは他のプロジェクトに力を注ぐようになった。

 

2005年にはDinosaur Jrが再結成、2007年にはエリックを含むオリジナルラインナップでのSebadohでツアーをすると宣言。現在、ルーのメインバンドはDinosaur Jrのようだが、合間を縫って様々な活動を展開中らしい。

 

 

 

・上記で紹介したバンドのほか、カレッジロックの最重要バンドとして、Soul Asylum、The Smithereens、Buffalo Tomが挙げられる。他にも米国のラジオではUKロックがオンエアされており、その中にはThe La's,The Smith,The Cureといったバンドの楽曲がプッシュされていた。