【Review】 Beth Gibbons - Lives Outgrown ベス・ギボンズの音楽家としての多彩な表情

Beth Gibbons - Lives Outgrown  

 

 

Label: Domino

Release: 2024/05/17

 

 

Review      ベス・ギボンズの音楽家としての多彩な表情

 

ケンドリック・ラマーの最新作『Mr. Morale & The Big Steppers』の「Mother I Sober」へのボーカル提供や、ヘンリク・グレツキの交響曲第3番等をライブで演奏し、最近では、ほとんどジャンルにとらわれることのないボーカルアートの領域へと挑戦を試みてきたベス・ギボンズの最新作『Live Outgrown』は、ストリングスやオーケストラヒットを頻繁に使用した多角的なポピュラー・ミュージックだ。これらの収録曲にPJ Harveyのような現代詩のような試みがあるのかは寡聞にして知らない。

 

少なくとも、冒頭の楽曲「Tell Me What Who You Are Today」ではヴェルヴェットアンダーグラウンドのようなオーケストラヒットとストリングスが重なり合い、やや重苦しい感じの音楽で始まる。それはバロックポップの現代版ともいえ、もちろん、それは90年代以降のトリップ・ホップの形とはまったく異なる。メインプロジェクトを離れたミュージシャンにとっては、定冠詞のようなグループ名は重荷になることがあるかもしれない。そういった意味では、このアルバムはソロアーティストとしての従来とは異なる音楽性を捉えることが出来る。しかし、以前からの音楽的な蓄積を投げ打ったと見ることも賢明ではないだろう。そこには、”ブリストルサウンド”ともいうべきアンニュイなボーカルのニュアンスを捉えることも出来、ある意味では、アルバムの最初のイメージは、やはり旧来のギボンズの音楽的な感性の上に構築されていると見るべきか。

 

アルバムの冒頭のオープナーは、鈍重とも、暗鬱とも、重厚感があるとも、複数の見方や解釈が用意されている。続く「Floating A Moment」では、オルタナティヴフォークともエクスペリメンタルフォークともつかないアブストラクトな作風へと舵を取る。そのギターサウンドに載せられるギボンズのボーカルも明るいとも暗いともつかない、微妙な感覚が背景となるギターの繊細なアルペジオに重なる。それは''瞬間性''という得難い概念の中にあり、熟練のボーカリストが自らの声の表現性を介して、その時々の感覚を形がないものとして表するかのようである。


いわば曲そのものを聴く時、多くのリスナーは、明るいとか、暗いとか、それとも扇動的であるとか、正反対に瞑想的であるとか、一つの局面を捉えることが多いように思われるが、ギボンズのボーカルはそういった一面性を遠ざけて、人間の感情の持つ複雑で多彩な側面を声という表現において訪ね求める。しずかな印象で始まった曲は、その後、オーケストラヒットやストリングスの音響的な効果を用い、ダイナミックなサウンドに近づくが、これらの曲の流れを重視した音楽性に関しては、今後開かれるロイヤル・アルバートホールでの公演を見据え、ライブでどのような効果が求められるのかを重視した作風である。音源での音楽性とライブでの音楽性は、再現性に価値があるわけではなく、それぞれ異なる音楽の異なる側面を示すことが要請されるが、その点において、ギボンズの曲は音源に最大の魅力が宿るというよりも、むしろ、ライブステージの演出の助力を得ることにより、真価が発揮されるといえるかもしれない。



アルバムのプレスリリースでは、アーティストによる絶望や諦観の思いが赤裸々に語られていた。「#2 Burden Of Life」はいわば、理想主義に生きるアーティストやミュージシャンがどこかの時代の節目において何らかの絶望性を捉えることを反映している。それはオーケストラヒットとストリングスを併用したオーケストラポップという形で昇華されている。ギボンズの楽曲性は、内面に溢れる軋轢を反映するかのように、不協和音を描き、それに対して、嘆きや祈りのような意味を持つ奥深いボーカルのニュアンスへと変化することもある。そして、それらは、背後のストリングスとパーカッションの効果を受け、リアリティに充ちた音楽性へと続いている。これらの現実的な感覚は、弦楽器のクレッシェンドや巧みなレガート、ボーカルを器楽的に見立てたギボンズの声によって、柔らかくも強固な印象を持つサウンドが形作られていく。


「#3  Lost Change」もオーケストラのパーカッションをアンビエンスとしてトラックの背景に配置し、それらの音響効果の中でマイナー調の憂いに充ちたバラードへと昇華させている。多少、ギボンズの歌声には重苦しさもあるが、ボーカルの中には、何かしら不思議な癒やしの感覚がにじみ出て来る場合もある。


映画「オペラ座の怪人」のテーマ曲を思わせるアコースティックギター、ダブの録音を意識した前衛的な音響効果の中で、ベテラン・ボーカリストはまるで道しるべのない世界を歩くような寂しさを表現している。哀感もあるが、同時に憐憫もある。どのような存在に向けられるのか分からないが、それらの感情は、90年代のアーティストの楽曲のようにどこに向かうとも知れず、一連の音楽世界の中に構築された奇妙な空間を揺らめきつづける。答えのない世界……、さながらその果てなき荒野の中をボーカリストとして何かに向かい訪ね歩くような不思議さ。


ギボンズが、たとえポピュラリティという側面にポイントを置いているとしても、アーティストの音楽性の中には、不思議とオルタナティヴな要素が含まれている。それは私見としては、ルー・リードやその系譜にあるようなメインから一歩距離を置いたような表現性である。そして、それは続く「Rewind」に捉えることが出来、エキゾチックな民族音楽、かつてルー・リードがオルタナティヴロックの原点を東欧のフォーク・ミュージックに求めたように、それらの異国性を探求し、最終的にはロックともフォークとも付かないアンビバレントな音楽性に落とし込んでいる。これらはややノイジーなギターと相まって、Velvet Undergroundの名曲「White Light」のような原始的なニューヨークのプロトパンクの源流に接近する。しかし、旧来のルー・リードが示したようなロックのアマチュアリズムにとどまらず、自らの音楽的な経験を活かしながら、プロフェッショナリティの中にあるアマチュアリズムをギボンズは探求しているのである。なおかつオーケストラポップとも称すべき形式は「Reaching Out」にも見いだせるが、本曲ではアクション映画のようなユニークさを押し出し、「007」のテーマ曲のような演出効果的なポピュラーミュージックが繰り広げられる。スリリングかどうかは聴いてのお楽しみ。

 

そして、意外にも従来のポーティスヘッドでの活動経験が活かされることもある。もちろん、ヒップホップやブレイクビーツではなくエクスペリメンタルポップという形で。「Oceans」はボーカルのダブーーダビングの要素を効果的に用いて、新たなポピュラー・ミュージックの領域に差し掛かる。しかし、以前のような新奇性のみを訪ねるような先鋭的な表現ではなくて、より古典を意識したマイルドで聞きやすさのある音楽性を重視しながら、ストリングのレガートを背後にシネマティックなポップソングを形作る。オーケストラ風のポップスという側面ではアメリカのソロシンガーが最近よくフィーチャーすることがあるが、ギボンズの場合は、それらをR&B/ソウルの観点から昇華させるべく試みる。ここにアルバムのアートワークに見て取れるようなギボンズの''複数の表情''を捉えられる。背後のトラックはモダンオーケストラで、演出は映画音楽のようで、さらにギボンズの声は、R&Bに近い感覚に満ちている。それはアーバンなソウルではなく、サザン・ソウルのような渋さに満ちている。これらのクロスオーバーの要素は、現代の2020年代のミュージック・シーンの流れを見据えての音楽と言えるかも知れない。

 

 

シネマティックな音楽性の要素は続く「For Sale」でも引き継がれている。具体的な映画名は、よく分からないが、シネマのあるワンシーンに登場するような印象的なサウンドスケープをシンプルなフォーク・ソングという形で昇華させている。そして曲の途中では、バグパイプのような音響効果を持つ管楽器を導入することで、セルティック・フォークに近い牧歌的な感覚を引き出す。個人的には、牧歌的な風景、霧がかった空、古典的なイギリスの家屋、玄関の前にプラカードでぶら下げられる「売出し中」というシーンが想起された。これはたぶん、BBCの『Downton Abbey- ダウントン・アビー』のような人気ドラマにも見出されるワンシーン。言うなれば、誰かの記憶のワンカットを、ギボンズは音楽による物語で描写すべく試みるのだ。この曲には、タイトルから引き出される複数のイメージがサウンドスケープに変わり、それらが一連のストーリーのように繰り広げられる。もちろん、そういったイメージを引き起こすのは聞き手側の体験による。そう、聞き手がいかなる情景を思い浮かべるかは、もちろん聞き手次第なのだ。同時に、想像性をもたらさない音楽は、それ以上の意味を持つことは稀有なのである。

 

本作の終盤では、アヴァンギャルド・ジャズとワールド・ミュージックへの傾倒が見いだせる。「Beyond The Sun」では、オーネット・コールマンが探し求めたニュージャズの対極にある原始的なアヴァンジャズの魅力をとどめたサクスフォーンやクラリネットの演奏を基底にして、ギボンズは唯一無二のボーカルアートを探求している。分けてもドラムのリズムに関しては、クラシックなジャズドラマーが演奏したような民族音楽とジャズの合間にある表現性を重視している。これらは、本作の気品に充ちた音楽性の中でスリリングな印象をもたらす。以上の9曲を聴いていると、意外性に満ち溢あふれ、最後にどんな曲が来るのか容易に想像出来ない。意外にも最後は、マイルドな感覚を持つポップソングで『Lives Outgrown』は締めくくられる。この最終曲は、言い知れない安心感と信頼感に満ちている。鳥の声の平らかなサンプリングが脳裏から遠ざかる時、アルバムの音楽から何を読み取るべきなのかがあらわとなる。この段階に来てようやく、ベス・ギボンズが何を表現しようとしていたのかが明らかになるのである。

 

 

 

88/100

 

 

 

「Wispering Love」