ベヴィンとボスは、オランダのユトレヒト州にある小さな村、ビルトホーフェン郊外の森の中にひっそりと小屋”デ・ベレンパン”でアップライトピアノと一緒に過ごすため、レコーディング機材、様々なシンセ、チェロなどの荷物を解いた後、2023年7月に『vision of contentment』の大半を書き、レコーディングしました。
ボスは「vision of contentment」の心に響くサウンドを「想像力豊かな探求を促す音の風景」であると考えており、デュオは「音楽的ガイド」としてモートン・フェルドマンを、そして「メンター」として、坂本龍一とアルヴァ・ノトを挙げています。一方、ベヴィンは、リスナーにシンプルな愛の感覚を残すつもりであると語り、「調和と理解の探求」を可能にし、「ファシストと恐怖に大いなるファック・ユー!!」を届けてくれるであろうことを願っていると付け加えています。
ひるがえって、「visions of contestment」に関して言えば、ユップ・べヴィンの「マネージャーの死」というのが制作過程で一つのイデアとして組み込まれることになりました。それがすべてではないのかもしれませんが、人間の避けられぬ運命、目をそむけてしまうような暗さ、そして、それを肯定的に捉えること……。
冒頭を飾る「on what must be」は前奏曲、つまり、インタリュードのような意味を持っています。ホーンセクションを模したシンセで始まり、葬送曲のように演奏された後、ベヴィンのショパンのノクターンのような曲風を踏襲したアコースティックピアノの演奏がはじまります。悲しみに充ちた演奏は、音楽の背景となる風の音のようなアンビエントのシークエンスによって強化され、音楽の雰囲気が作り出される。ユップ・べヴィンの作品の中で、これほど前衛的な試みが行われたことは、私の知るかぎりでは、それほど多くはなかったかもしれません。
「A night in Reno」は、シンセサイザーによって時計の針の動きような緊張感のあるリズムを作り出し、サティの系譜にあるベヴィンのミニマリズムのピアノが続く。迫りくる友人の死をビートやピアノの旋律でかたどるかのように、悲しみや暗さに充ちたイメージを作り上げ、亡霊のようなイメージで縁取る。その後、チェロかギターが加わる。アウトロでは、ジョン・ケージの最初期の名曲「In a Landscape」に見受けられるような、ピアノの低音部とともに何かが消滅するようなSEの音響効果が登場し、いよいよ描写音楽としての迫力味を増していきます。
この日の演奏は印象的なモノクロのトーンで放送され、演奏の合間に短いインタビューが収録された。作曲家の最後の闘病の様子を追ったドキュメンタリー番組も同放送局で放映された。プライベートピアノコンサートでは、「The Last Emperr」等の代表的な楽曲を中心に、モダンクラシカルやジャズの性質を反映させた楽曲が披露された。その中には、2023年始めに発表された日記のような形で書かれた生前最後のアルバム『12』の収録曲もパフォーマンスされた。
精神分析医であり、サンフランシスコのサイケデリック集団、Citay(Dead Oceans / Important Records)の元創設メンバーでもあるエズラ・ファインバーグは、ニューヨーク州北部のハドソン川流域の芸術的飛び地に住んでいる。ファインバーグは、リスナーを芸術的に豊かな場所へと超越させる。彼の作曲は、その核にある深い人間性によって際立ち、リスナーの目を見開き、開放的で生き生きとした状態へと導く。ソフト・パワーは、エズラ自身のマントラであると同時に、色彩豊かなカタルシスを音楽に変換した、パワーを与えるマントラでもある。
Released in full yesterday - Friday May 31st is the new album 'Soft Power' by New York composer-guitarist - Ezra Feinberg’s whose third album Soft Power sees the composer-guitarist enlist an impressive array of fellow musicians including Mary Lattimore, David Moore (Bing & Ruth), Jefre Cantu-Ledesma, Robbie Lee.
Already supported by Pitchfork, The Fader, The Guardian, Uncut, Mojo.
Defined by its abundance of melodies, repeating figures and ecstatic improvisations, Soft Power exudes an enlightened and transformative spirit to empower the listener. Feinberg artfully transcends the listener to an enriched place, his compositions distinguished by the deep humanity that lies at their core, plugging the listener into a state of wide eyed being, open and alive. Soft Power then is Ezra’s own mantra but also one of power giving - a colourful catharsis translated into music.
Feinberg’s music always speaks to the listener, but Soft Power, in whispering, speaks loudest.
Ezra Feinberg:
Feinberg, a practising psychoanalyst and former founding member of the San Francisco psychedelic collective Citay (Dead Oceans / Important Records) resides in the artistic enclave of upstate New York's Hudson River valley. Feinberg artfully transcends the listener to an enriched place, his compositions distinguished by the deep humanity that lies at their core, plugging the listener into a state of wide eyed being, open and alive. Soft Power then is Ezra’s own mantra but also one of power giving - a colourful catharsis translated into music.
Feinberg’s music always speaks to the listener, but Soft Power, in whispering, speaks loudest.
“Much like everyday life, I wanted to convey these very plain, simple, tranquil, nearly quotidian aspects, but each piece contains this arc in which that form expands, is broken out of, so what starts out like a painting of flowers in a seaside motel turns into a riot of color and sound, or you feel slipped into a dream that feels like it could go on forever”
ピアニストのJoep Beving(ユップ・ベヴィン)とチェリストのMartin Vos(マーテン・ヴォス)は、ニルス・フラームが主催するドイツのレーベルLeiterから7月19日にリリースされる初のコラボレーションアルバム「vision of contentment」の詳細を発表しました。両者ともオランダのコンテンポラリークラシックの象徴的なミュージシャンです。
「vision of contentment」は、Joep Beving(ユップ・ベヴィン)の3作目のアルバム「Henosis」(2019)での共同作業に続く作品で、2人の音楽家が2018年にアムステルダムのライブで共演したことから生まれました。
マーテン・ヴォスは、『vision of contentment』の心に響くサウンドを「イマジネーション豊かな探求を促す音の風景」と考えており、デュオは音楽のガイドとしてモートン・フェルドマン、そして「メンター」として坂本龍一とアルヴァ・ノトを挙げてます。
一方、ユップ・ベヴィンは、リスナーにシンプルな愛の感覚を残すつもりだと語り、「調和と理解の探求」を可能にし、「ファシストと恐怖に批判的な意見」も届けたいと付け加えています。確かに、このアルバムは、我々の世界であれ、死後の世界であれ、平穏というアイデアの上に成り立っているようです。「on what must be」の生意気なサウンドで始まり、それに続くイーノとバッド風のミニマリズムは、悲しみ、諦め、美しさとさまざまな感覚をかけあわせています。
その瞬間は、多くのリスナーに深い感銘を与えるであろう「02:07」に収められており、この曲はその知らせが届いた時間にちなんで名付けられましたが、「vision of contentment」の各作品も同様、彼らの人生における彼の存在に照らし出される。実際のところ、かけがえのない友人ブルーネンとの家族のように温かな心の触れ合いに加え、アルバムジャケットには、カナダのアレックス・コマの印象的な絵が描かれています。
英国の現代音楽家、マックス・リヒター(Max Richter)が新作アルバム「In A Landscape」を9月6日にリリースする。ジョン・ケージの名曲と同名で、リヒターは内的な静けさを基にしたピアノアルバムを提供する。リスナーとの会話を誘うこのレコードは、彼の作品のさまざまな側面を融合させている。
マックス・リヒターは続けて次のように說明している。「エレクトロニクスとアコースティック楽器、自然界と人間界、人生の大きなアイデアと個人的な親密さの融合。これは、『The Blue Notebooks』で私が探求し始めたダイナミックなもので、新しいプロジェクトはそのアルバムの懸念の多くを共有しているんだ。ある意味、このアルバムは、以前の作品のテーマを、2024年の私たちの世界と私たちの生活という視点から、もう1度見つめたなおしたものなんだ」
リードシングル「Movement Before All Flower」はリヒターのピアノの演奏に気品に満ち溢れたチェロの演奏が加わる。演奏の簡素化や単純化に焦点を当ててきたマックス・リヒターの音楽は、今回もやはり質実剛健である。2000年代の名作アルバム『The Blue Notebook』からそうであったように、聞き手を平穏と静けさ、内的な安らぎに導き、感覚が最も大切であることを示す。彼の音楽は、喧騒から人々を解き放つ力があり、その音楽に静かに耳を傾けていると、自分自身が誰であるのかを思い出させてくれる。
近年、リゾートのための理想的な音楽とはどのようなものであるのかを探求してきたギタリストによる端的な答えが、アルバムの中盤から終盤の移行部に収録される「Wo du Wir」に示されています。この曲では、クラリネットの演奏は控え目、むしろミュラーによるチェロのレガートの美しさ、ボサノヴァのような変則的なリズムを重視したF.Sブラームの演奏の素晴らしさが際立っています。実際、リスナーをリゾートに誘うようなイメージの換気力に満ち溢れている。この曲の補佐的な役割を果たすのが続く「Frag」で、ブラームの演奏はハワイアンギターのような乾いたナイロンのギターの音響をもとに贅沢なリスニングの時間を作り出しています。
序盤のいくつかの収録曲と合わせて、アイスランドやノルウェーを中心とする北欧のエレクトロニックジャズに触発された音楽も発見できます。例えば、ミヒャエルのクラリネットの巧緻なスタッカートの前衛的な響きが強調される「kurz vor weiter Ferne」/「Hollergrund」は、ブラームトリオの音楽のユニークな印象を掴むのに最適となるかもしれません。ここでは、リゾート地に吹く涼やかな風を思わせる心地よさが音楽という形で表現されているようにも思えます。
彼はこれまでに、パシフィコ(2019年のアルバム『Bastasse il Cielo』から引用された曲「Canzone Fragile」)において、アラン・クラーク(Dire Straits)、シモーネ・パチェ(Blonde Redhead)といった名だたるアーティストとコラボレーションしている。
デミアン・ドレリはまた、ポンデローザ・ミュージック&アートから『Nick Drake's PINK MOON, a Journey on Piano』を発表している。このアルバムは、ピーター・ガブリエルのリアルワールド・スタジオでティム・オリバーと共にレコーディングされ、ドレリがピアノを弾きながら故ニック・ドレイクに敬意を表し、過去と現在の間で彼との対話を行う11曲で構成されている。
本日(4月19日)、ピアノ(デミアン・ドレリ)、チェロ(キャロライン・デール)、フレンチ・ホルン(エリサ・ジョヴァングランディ)のための長編作品を収録した、これまでの作風とは異なる3枚目のレコードが発売される。「A Romance of Many Dimensions(多次元のロマンス)」は、エドウィン・A・アボットによる1884年の小説「Flatland(平地)」の要素を刺激として取り入れつつ、タペストリー空間を自在に旅する7部のパートのエモーショナルな作品に仕上がっている。
『A Romance of So Many Dimensions』‐ Ponderosa Music Recordings Sri
デミアン・ドレリの音楽には、ドビュッシー以降の色彩的な和音の影響があり、朝の太陽の光のような清々しさがある。音楽に深みを与えているのが、キャロラインのチェロ、そして、エリサのフレンチ・ホルンの情感を生かした巧みな演奏である。特に、二曲目の「Theory Of Three」はマックス・リヒターの楽曲性を思わせ、曲の終わりに、ソロ・ピアノの演奏を止め、チェロとフレンチ・ホルンの演奏をフィーチャーすることで、一瞬の音の閃きを逃すことはない。
「Universal Color BB」はマックス・リヒターの系譜に位置する曲で、 ドビュッシーの「La cathédrale engloutie - 沈める寺」の縦構造の和音にジャズの和声法を付加している。これらの重厚かつ色彩的な和音を微妙に変化させながら、安らいだ音楽空間を作りだす。しかし、イントロではミニマリズムに属すると思われた曲風は中盤において、チェロとフレンチホルンの演奏、アラビア音楽のスケールを織り交ぜたジャズピアノのパッセージによって、ストーリー性のある音楽へと変遷を辿ってゆく。
続く「Stranger from Spaceland」を聴いて、フランツ・リストの『Anees de pelerinage: Premiere anee: Suisse‐ 巡礼の年 スイス』に収録されている「Au Lac de Wallenstadt‐ ワレンシュタットの湖で」を思い浮かべたとしても不思議ではない。ただ、デミアン・ドレリの場合は、それを簡素化し、マックス・リヒターの系譜にあるミニマリズム構造に置き換える。ただ、単なる和音構造のミニマリズムで終わらない点にデミアンの音楽の魅力がある。ジャズピアノの即興的な遊びの要素を取り入れ、構成に水のような流れをもたらし、映画音楽のサントラに象徴される視覚性に富む音楽的な効果を促す。途中、やや激したパッセージに向かう瞬間もあるが、クライマックスでは、ジャズの和声法を交え、基本的なカデンツァを用い、落ち着いた終止形を作り上げる。
Demian Dorelli(デミアン・ドレリ)の『Romance of The So Many Dimensions(ロマンス・オブ・ザ・ソーメニー・デメンションズ)』はPonderosa Music Recordingsから本日発売。楽曲のストリーミング/ご視聴、海外のヴァイナル盤の購入はこちらより。
二曲目「Haec Est Regular Recti」は同様にアナログシンセの重低音により始まるが、重厚ではあるものの心苦しい雰囲気で始まった一曲目とは対象的に、開放的なメディエーションの作風に変化する。解釈の仕方によっては、ヨーロッパのチロル地方やその隣接地域のフォーク音楽の源流に近づきながら、同じように、混声のクワイアによって全体的なアンビエンスを作り出す。
アルバムは、声楽をもとにした合唱曲、エレクトロニック、アンビエント、そしてトーン・クラスター等、マリア・ホーンが持ちうる音楽的な蓄積が表れているが、その後、クローズ曲では、男女混声による声楽を基調とした柔らかい印象を持つ、二分ほどの簡潔なクワイアが収録されている。アルバムの最後を飾る「Langtans Vita Duva」 では、驚くべき音楽的な転換点を迎える。
一曲目「The Drowned Not Abandoned」では、Arvo Partの「Fratress」等で用いられた鈴声の様式ーティンティナブリ(tintinnabuli)ーを継承し、それをミクロの視点からマクロの視点に置き換えている。チェロ、ヴィオラ、バイオリンを中心に構成される四声のオーケストラレーションは、ほとんどユニゾンという形式で繰り広げられていると思われるが、音が鳴り響いている瞬間ではなく、音が鳴り止んだ後の減退音に空間的な処理を施し、音響の未知なる可能性を追求している。
「The Drowned Not Abandoned」は、大きな枠組みで見れば、ひとつの楽節を反復するに過ぎない、現代音楽らしいミニマリズムの範疇にあるコンポジションではありながら、 その中に微妙なバリエーションの変化を用い、音響の中に変容をもたらそうとしている。それはバイオリンが表情の変化をもたらすこともあれば、同じようにヴィオラが、また、チェロが、それらのパッセージに微細な変容をもたらす場合もある。
「I Want and Shamble Beyond the Cemetery Wall」は、ウクライナ戦争における死者への弔いの念が捧げられている。室内楽のピアノとチェロの合奏という形の演奏だが、ナタリアによるものと思われるピアノの伴奏は、神妙かつ悲痛な情感を漂わせ、その上に加わるチェロの主旋律はブラームスの書いた室内楽のように清廉な気風を反映させている。この曲では、かつてオスロの作家/作曲家であるKetil Bjornstadが「The River」という長大な変奏形式を通じて探求した重厚感のある作風をありありと彷彿とさせるものがある。
これまで、制作者は、フィクション、ドキュメンタリー、シネマ、アニメーション等、映像音楽におけるオリジナルスコアも手掛けてきたが、そういったシナリオを強化するための音楽制作の経験が続く「St. Michael Golden-Domed Monastery」には見出すことが出来る。題名には「黄金のドーム」という東方教会に関するキリスト教の建築概念が含まれているが、実際の曲はそれほど宗教的とは言いがたく、現代的な映画のような感じで音の推移を楽しめる。同じように、重厚感のある弦楽の演奏を元に、シンセのアルペジエーターのフレーズを交え、映画音楽に類する作風を示そうとしているように感じられる。
EPを通じて、一貫した作風が貫かれている。「beyond the cemetery wall」は連曲というより、この作品におけるcoda.(作曲家が言い残したことを付加する)のような役割を担っている。ボーカルのハミングからピアノの演奏が続く。ピアノの演奏はポスト・クラシカルの系譜に属するが、最近の作品では珍しく、ピアノ・バラードに属するトラックで、アイルランド民謡に象徴される旋律やスケールの進行の中に取り入れられている。その簡素さが、むしろ大げさな表現性よりも哀感を誘う。
スウェーデンの現代音楽家/実験音楽家、エレン・アルクブロ(Ellen Arkbro)は2019年に、パイプオルガンの音色を用いたシンセサイザーとギターのドローン音による和声法を対比的に構築した2015年のアルバム『CHORD』で同地のミュージック・シーンに台頭すると、続く、2017年の2ndアルバムでは、本格派の実験音楽に取り組むようになり、パイプオルガンとブラスを用いた「For Organ and Brass」を発表した。スウェーデンにはドローン音を制作する現代音楽家が数多い印象があるが、気鋭のドローン制作者として注目しておきたいアーティストである。
同様に、『Sounds While Waiting』のオープニングでは、「音は、その音を生じさせる有機体が存在するかぎり、音の実存を消し去ることは不可能である」という発見が示されている。「Changes」では、音響学の観点から、「音の発生と減退」というパターンを組み合わせ、音響の変容を及ぼそうとしている。マスタリングソフトをデスクトップに出すのが面倒なので、Hzの帯域に関しては確認してはいないが、このオープニングは、おそらく人間の聴覚では一般的に捉えることが出来ない超低音域をある音と、対極にある超高音域にある音が聞き手の印象を様変わりさせている。つまり、聴覚や音響発生学の観点から見た変化ということである。二、三の音のパターンが変化するに過ぎないのに、この曲には、それ以上の変容があるように感じる。