今年8月、コールドプレイの元マネージャーであるデイヴ・ホームズが、10枚目のアルバム『Music Of The Spheres』(2021年)と、未発表の11枚目のアルバム得た1200万ドル相当の未払い手数料を求め、バンド側を相手取って訴訟に踏み切った。今回、この件を受け、バンド側は20年間彼らをマネージメントしてきたホームズに対し、反訴し、多額の賠償金を請求したことが判明した。


『Variety』誌の報道によれば、コールドプレイの反訴の請求額は1700万ドルにも上るという。バンドは、ホームズが『Music Of The Spheres』ツアーを財政的に制御不能に陥らせたと主張している。その中には、使用不可能な特注のステージ用パイロンや大きすぎるビデオスクリーンに1000万ドルも費やしたことも含まれている。また、ホームズはツアー・プロモーターのライヴ・ネイションから2000万ドルを借り入れ、カナダでの不動産開発資金に充てたとも主張している。

 

デイヴ・ホームズの代理人は『サンデー・タイムズ』紙に対し、「コールドプレイは自分たちの弁護が問題になることを知っている。コールドプレイはデイヴと契約を交わしていたが、彼らはそれを守ることを拒否している」と述べるに留まった。

©︎Megan Elyse

ウェンズデーは、『Rat Bastards of Haw Creek』というタイトルの新しいドキュメンタリーに出演したことを発表しました。


プレスリリースによると、ザック・ロメオ監督によるこの映画は、メンバーの「ノースカロライナ州西部の山間部での静かな田舎暮らしと、その存在が彼らの魅惑的なライヴ・ショウの騒々しい運動エネルギーや、新たな成功の急速なペースといかに対照的であるか」を紹介している。


Wednesdayは今年初めに最新アルバム『Rat Saw God』をリリースした。



 



キャロライン・ポラチェクが先日、タイニー・デスク・コンサートのためにNPRオフィスに立ち寄り、2023年2月にリリースされた『Desire, I Want to Turn Into You』の収録曲を披露しました。


ポラチェクは、4曲のセットリストを "Pretty In Possible "でスタートさせた。タイニーデスクのセッティングは、彼女のいつものダークな美学と相容れないものでしたが、それでも彼女は自分の音楽に没頭しているかのように、彼女の魅惑的な気まぐれな感覚を持ち込むことに成功しました。


タイニーデスク・コンサートは通常、アーティストが観客の参加を促すタイプの会場ではないというが、ポラチェックは、「Sunset」において会場全体を巻き込み、カメラの後ろにいる全員を手拍子でリードさせた。


ポラチェクの2023年ツアーは、日本とオーストラリアを残すのみとなっている。今年の初めには、アイルランドでザ・1975のサポートとしてステージに上がり、「Oh Caroline」をデュエットした。


©Steve Gullick


今年、マタドールと契約を交わしたばかりのロンドンのトリオ、bar italiaが、近日発売予定のアルバム『The Twits』から新曲「Jelsy」を発表しました。この新曲は「my little tony」に続く2ndシングル。この曲のビデオは以下からご覧下さい。前回のリード・シングルは地下のパーティーをスニペットとして映し出した内容だったが、今回は、バーでの光景が映し出されています。


5月にリリースされた『Tracey Denim』に続くアルバム『The Twits』は、11月3日にMatadorからリリースされる。


後日掲載されたレビューはこちらからお読みください。

 

「Jelsy」

 



フロリダ州タラハシー出身の男女混合4人組のオルタナティブ・ロックバンド、Pool Kidsの初来日ツアーが決定しました。

 

USインディーにテクニカルなエモ/マスロックのエッセンスを融合し、パワフルなフィメールヴォーカルをフィーチャーした唯一無二のオルタナティブロックを奏でるPool Kids。本国アメリカでは多数のフェスに出演して人気と注目を集め、これまでに2枚のフルアルバムをリリース。2022年の最新セルフタイトル作は、名立たる音楽メディアからも大絶賛された。そして10月には日本公演に先駆けて、Sunny Day Real Estateとのツアーも開催している。

 

Pool Kidsは昨年、セルフタイトルのアルバムを発表し、Consequence,Stereogum、Brooklyn Vegaの年末のベスト入りを果たしている。エモコアバンドとしては要注目のバンドです。

 

 

 The Lost Boys Present POOL KIDS Japan Tour 2023

 


 

 Tour Date:

 
・2023年12月13日(水)@東京・新宿 NINE SPICES


・2023年12月14日(木)@大阪・心斎橋 CONPASS


・2023年12月15日(金)@愛知・名古屋 R.A.D


・2023年12月16日(土)@東京・西永福JAM


・2023年12月17日(日)@東京・西永福JAM


:¥5000-
 
Twitter:https://twitter.com/the_lost_boys
Web:https://thelostboys.shoreandwoods.com/
主催:The Lost Boys
制作:Shore&Woods Recordings

 



今年、「Ohio」のリリースと併せてブルーノートと契約を交わした注目のR&Bシンガーソングライター、コーシャス・クレイのブルーノート東京での来日公演が決定しました。本公演は、今年11月19日から三日間にわたり開催されます。コーシャス・クレイは8月にブルーノートからのデビューアルバム『KAPEH』を発表しました。ライブ公演の概要は以下の通りです。

 

楽曲総再生数2億回超、YouTube1,500万再生を記録。ジャンルを横断したユニークなサウンドと繊細なヴォーカルでシーンを席巻するシンガー・ソングライター/マルチ奏者、コ―シャス・クレイが初登場。1993年、オハイオ州クリーヴランド生まれ。幼い頃から音楽に親しみ、大学時代に楽曲制作を開始。

 

2017年に発表した「Cold War」がテイラー・スウィフトにサンプリングされたほか、ビリー・アイリッシュやジョン・メイヤー、ジョン・レジェンドら錚々たるアーティストとのコラボレーションも話題に。今年は名門ブルーノートからメジャー・デビュー・アルバム『カルぺ』(本名のジョシュア・カルぺに由来)をリリース。ジュリアン・ラージら現在の重要プレイヤーを迎え、自身のルーツを掘り下げたこの作品でさらなる進化を遂げた才人の初来日は見逃せない!


 

 

DATE & SHOWTIMES

2023 11.19 sun., 11.20 mon., 11.21 tue.



11.19 sun.

[1st]Open3:30pm Start4:30pm [2nd]Open6:30pm Start7:30pm

11.20 mon., 11.21 tue.

[1st]Open5:00pm Start6:00pm [2nd]Open7:45pm Start8:30pm

 

PLACE

Blue Note Tokyo

 

MEMBER

Cautious Clay(vo,g,sax,fl)

コーシャス・クレイ(ヴォーカル、ギター、サックス、フルート)

Nir Felder(g) 

ニア・フェルダー(ギター)

Joshua Crumbly(b)

ジョシュア・クランブリー(ベース)

 

 さらなる公演情報につきましては、ブルーノート東京の公式サイトをご覧下さい。

©︎Elizabeth De La Piedra

シカゴのR&Bシンガー、ジャミーラ・ウッズが、今週金曜日(10月13日)にリリースされるニュー・アルバム『Water Made Us』のラスト・シングルを発表した。「Practice」はシカゴのラッパー、Sabaをフィーチャーし、プロデュースは、McClenneyが手がけている。サプライズのリリースを除けば、2023年度後半の話題作となる可能性が大きいでしょう。要チェックのアルバムです。


「"Practice "は、人間関係において自分自身にかかるプレッシャーを解放することについて、マクレニーと一緒に作った曲だ。その瞬間に自分がどう感じるかよりも、長続きする可能性で人間関係を評価することが多いことを変えようとした。この曲は、"すべてを正しく "あるいは "すべてを一緒に "する必要なく、ただ自分自身を楽しみ、誰かと一緒にいることを学ぶ方法について歌っています」


「友人のカルロス・ロペス・エストラーダは、官能的であると同時に愚かな方法で、身体を使って顔を作るというこのコンセプトを思いついた。全工程はとても遊び心があり実験的で、この曲にぴったりだ」


この曲のミュージック・ビデオは以下からご覧ください。『Water Made Us』には、デュエンディータをフィーチャーした 「Tiny Garden」、「Boomerang」、「Good News 」が収録されます。


 



O2は、英国の14歳から25歳の若者の音楽とライブ・エンターテイメントとメンタルヘルスとの関連性を調査した新たな研究結果を発表しました。


世界メンタルヘルス・デー(10月10日)に合わせて発表されたこの調査は、同会場の公式チャリティ・パートナーであり、子供と若者のメンタルヘルス分野で活動するYoungMindsの活動に触発されてなされました。調査によると、若者の大半は、音楽(88%)やライブ・イベント(83%)が気分やウェルビーイングに良い影響を与えることに同意しています。


若者の5分の1(20%)は、この精神的健康への好影響が、ライブ・イベントに参加することの最大の楽しみであると述べており、4分の1以上(27%)は、ライブ・イベントに参加することで、他のすべてのことを忘れられることが楽しみの要因であると答えています。


この新しい調査の発表を受けて、O2はグリニッジの地元青少年のライブ・イベントへのアクセスを改善するための新しい取り組みを発表しました。2023年12月から2024年にかけて、同会場は地元の慈善青少年団体YoungGreenwichと協力し、若者とその家族に1,000枚以上のアリーナチケットを寄付することを約束しました。これらのチケットは、音楽、コメディ、スポーツなど、今後1年間にO2アリーナで開催されるさまざまな種類のイベントに使われる予定です。


The O2のコマーシャル・ディレクター、アダム・ピアソンはこう語る。「1月にYoungMindsを公式チャリティとして発表したとき、O2アリーナとしての立場を利用したいと考えました。


O2のコマーシャル・ディレクターであるアダム・ピアソンは、次のように語っています。 「1月にヤングマインズを公式チャリティとして発表したとき、私たちは世界をリードする会場としての立場を利用して、真の影響と変化を促したいと考えていました。この調査は、ライブ・イベントと、それが若者のメンタルヘルスとウェルビーイングに与えるポジティブな影響との間に否定できないつながりがあることを浮き彫りにしており、私たちにとって常に大きな優先事項である地域コミュニティに真の変化をもたらすまたとない機会を与えてくれています。ヤンググリニッジの素晴らしいチームと協力し、来年、O2アリーナで開催される最高クラスのイベントにさらに多くのアクセスを提供できることに興奮しています」


ヤングマインズのリレーションシップ開発責任者、ミシェル・ケリガンは述べています。 「O2の公式チャリティ・パートナーに選ばれたことを嬉しく思いますし、この調査を歓迎します。私たちは、音楽やライブ・イベントを聴くことが若者のメンタルヘルスに非常に良い影響を与えることを知っており、このイニシアチブは、グリニッジの1,000人の若者が、他の方法では体験できないようなイベントにアクセスする機会を得ることを意味します。私たちは、会場の継続的な支援と、若者のメンタルヘルスをサポートする私たちの今後の活動を楽しみにしています」

 Peter Broderick & Ensemble 0 『Give It To The Sky』



Label: Erased Tapes

Release: 2023/10/6


Review


米国のモダン・クラシカルの象徴的な存在、ピーター・ブロデリックによる最新作。ブリデリックは、これまでのバックカタログで、ピアノを主体とするポスト・クラシカルや、インディー・フォーク、はては自身によるボーカル・トラック、いわゆる歌ものまで多岐にわたる音楽に挑戦している。

 

ブロデリックは、ロンドンのモダン・クラシカルの名門レーベル、Erased Tapesの看板アーティストである。特に「Eyes Closed and Traveling」は、ポスト・クラシカルの稀代の名曲である。今回、プロデリックはフランスのアンサンブル”Ensemble O”と組み、リアルなオーケストラ録音に着手した。彼は、アイオワのチェロ奏者、アーサー・ラッセルの隠れた録音に目を付けた。ラッセルは、チェロ奏者ではありながら、作曲家として活躍し、複数の録音を残している。ある意味、ブロデリックとラッセルには共通点があり、両者ともジャンルや形態を問わず、音楽をある種の表現の手段として考え、それを録音という形に収めてきた。ブロデリックは、ラッセルの一般的には知られていない録音に脚光を当て、この録音の一般的な普及させるという目的と合わせて、それらを洗練されたモダン・クラシカルとして再構成するべく試みている。

 

アーサー・ラッセルのオリジナルスコアの中には、どのような魅力が隠されていたのか? 考えるだけでワクワクするものがあるが、彼は、実際にスコアを元にして、ピアノ/木管楽器を中心としたフランスのアンサンブルと二人三脚で制作が行われた。同じたぐいの作品として、今年、フランスのル・ソールから発売されたアントワーヌ・ロワイエのアルバムがある。ベルギーのアヴァン・フォーク界隈で活躍するロワイエではあるが、クラシカルとフォークを結びつけ、壮大な作品を完成させた。Peter Broderick & Ensemble 0による『Give It To The Sky』は、ロワイエの最新作に近い音楽性があるが、純正なクラシカルや現代音楽に真っ向から勝負を挑んだ作品と称せる。

 

アルバムの構成は連曲か、あるいは、変奏曲の形式が並んでおり、「Tower Of Meaning」が、ⅰ〜ⅹⅱまで収録され、その合間に独立したタイトル曲や、別の曲が収録されている。録音風景を写した写真を見て驚いたのだが、実際のレコーディングは、オーケストラの編成のライブ録音のような形でホールで行われたものらしい。マリンバや木管楽器、そして、ピアノのすぐ近くに志向性のマイクを配置し、おそらくラインで録音したアルバムであると思われる。しかし、近年、教会に見られるような天井の高い音響を生かしたプロダクションを特徴とするErased Tapesの質の高いサウンドの渦中にあって、本作は単なる再構成というよりも、過去のスコアを元にし、原曲の持つ魅力を引き出し、オーケストラの演奏やコンサートの空間の醍醐味を最大限に生かそうという点に主眼が置かれている。実際、聞けば分かる通りで、複数のパートの木管楽器は美麗なハーモニーを描き、そしてその間に導入される断片的なマリンバの演奏や、ピアノのリズム性を生かした演奏のきらびやかな音の響きが空間内を動き回り、精彩なオーケストラサウンドとして昇華されている。マイクの配置の巧緻さには目を瞠るものがあり、いわば、音の粒子に至るまで、微細な動きが感じられる。クリアなプロダクションの中に変革性が込められていることは、これらの一連の連曲や変奏曲を見ると一目瞭然である。



木管楽器のアンサンブルを主体とする、ハーモニーの調和や美しさに焦点が絞られている連曲「Tower Of Meaning」は、一貫してスムーズな音の運びが重視されており、ECMのNew Seriesのマンフレッド・アイヒャーの好む精彩な音の志向性に近い。これらの木管楽器のハーモニーは、かなり古い中性の時代のヨーロッパの古楽や教会音楽が下地になっているらしく、古楽に詳しい人ならば、パレストリーナ様式の旋法を始めとする、フランスの近代音楽の下地となったヨーロッパの教会旋法の対位法の数々の断片を捉えることが出来るだろう。そして実際に、徹底してマイクの志向性と、その響きの印象性に重点が置かれた玄人好みのサウンドは、ドイツ/ロマン派以降の複雑な対位法や和音法こそ取り入れられていないが、グレゴリオの系譜にあるラッセルの単旋律を生かしたポリフォニーの形式に共感を覚えるはずである。これらの技法は、例えば、クラシックのシーンで言えば、ある指揮者がモーツアルトのオーケストラ譜を通じて、「クリアトーン」という概念で再現させようとしていたが、実際、それに似た手法が図られている。しかし、ピーター・ブロデリックとアンサンブルは、オーストリアの古典派ではなく、教会旋法を下地にしたラッセルの古楽的な手法で録音の完成系を生み出そうとしている。

 

そしてハーモニーの美しさとは別に、リズムの前衛性に焦点を絞った曲もあり、それらの二つの観点から見た現代音楽の面白みを追求している。何より、セリエル等の無調音楽は、それほど現代音楽に詳しくないリスナーにとっては、取っ付きづらく、不気味なものでしかないのだが、このアルバムはそうではなく、ハーモニーの調和とリズムのおもしろさに重点が置かれているので、それほど聞き苦しさはない。クルターグ・ジェルジュがサミュエル・ベケットに捧げた曲のように難解でもなければ、セリエルの知識を持ち合わせていなくとも楽しむことが十分出来る。特に、複数の木管楽器のオーケストラレーションの中で、芳醇さと重厚感さを兼ね備えた美しいハーモニーが連曲の中で生み出される瞬間があり、その前衛的な和音に注目すべき箇所がある。これらの和音の構成は、スクリャービンの神秘和音やフランクの楽曲ほどに難解ではない。上記の近代と現代の合間に位置する作曲家の多くは、演奏することよりも、演奏することが出来ないという点において、実際より高い評価を受けてきた経緯があるが、最早、現代の音楽において、そのような衒学性をひけらかすことに意味があるのか? ラッセルの作品は改めて、音楽における純なる喜びがないものに関して、疑念を投げかけているようにも思える。


アーサー・ラッセルは、作曲家であるとともに、チェロ奏者として活躍した音楽家だが、チェロの演奏に関して、瞠目すべき変奏曲も「Ⅵ」に見られる。ピチカートを活かし、リズム性を重視した奏法は、クラシックという領域を離れ、始原的なジャズの雰囲気を留めた一曲である。カウンターとしてのジャズとメインストリームのクラシックが合わないというのは思い違いで、かつてマイルス・ディヴィスは、ストラヴィンスキーの春の祭典を聴き、感激し、モード奏法を生み出したわけなのだし、ジャズの祖先は、ひとつは、アフリカのグリオの以後のブルースやゴスペルがあると思うが、もう一つは、西洋的な音楽ーー、ガーシュウィン、プロコフィエフ、ラヴェル、フランス音楽院の教育の根幹を担っていたフォーレにまで遡る必要がある。

 

音楽が好きで、ジャズかクラシックのいずれかしか聞かないというのはもったいないことで、偏った考えにより音楽を捉えていることの証でもある。そういった面では、ジャズとクラシックという、二つの偏った考えを、あらためてフラットに戻してくれるのが、ラッセルのスコアであり、また、プロデリックとフランスのアンサンブルの再構成でもある。何より、このアルバムが良いと思うのは、ジャンルという観念に縛られることなく、通奏低音のように響くモチーフが、一つの線を最初から最後まで通わせていることである。その中に織り交ぜられるブロデリックの自作のボーカルトラックも、良いアクセントになっている。つまり、オーケストラやクラシックにそれほど親しみがない人にも、ちょっとした掴みが用意されているのが素敵だ。

 

本作は、BBCが高評価したKit Downesのジャズ/クラシックの中間層に位置づけられるECMサウンドに触発された二次的な音楽という欠点も散見されるが、木管楽器のハーモニー、リズム的な面白さ、そして控えめに登場するチェロの前衛的な奏法が美麗な印象を形作る。再構成が中心のアルバムではあるが、時代の底に埋もれていた良い音楽の再発見という機会をもたらすとともに、ブロデリックのカタログの中でも象徴的な作品が生み出されたことの証ともなるだろう。



85/100

 


 Truth Club 『Running From The Chase』

 


Label: Double Double Whammy

Release: 2023/10/6


Review


ノースカロライナ・ローリーの四人組、Truth Club(トゥルース・クラブ)の2ndアルバム。バンドは、内省的なスロウコア、それとは対比的なシューゲイザーの轟音を飲み込み、変則的なポスト・ロックの構成を絡めている。このアルバムの音作りは、今流行りのインディーロックバンドやアーティストの作品を手掛けるAlex Farrar(アレックス・ファーラー)によるプロデュース作。今流行りのWednesdayが好きな人はぜひともチェックしておきたいバンドでしよう。

 

バンドの音楽性は、Wednesdayに近いものがあるが、その中にも変拍子を交え、テクニカルなポストロックバンドとしての表情を見せる瞬間もある。スロウコア/サッドコアのアプローチはわずかな安寧と心地よさを与えるが、意表を突く展開力は曲を聞いた時に強い印象を及ぼす。

 

このことは、オープニング「Suffer Debt」を聴くと、瞭然ではないだろうか。トゥルース・クラブが持つスロウコアの音楽性、その裏側には同時にわずかなエモーションを持ち合わせているが、その内的な幻惑の中にバンドは長くとどまることを良しとせず、時に目の覚めるようなテクニカルな展開によって束の間の休眠を破る。アルバムのサウンドの中で繰り広げられる微妙な変化は、スタンダードなスロウコアに飽食気味なリスナーに若干の驚愕を与えることだろう。ボーカリストの感情は、遣る瀬なさや内的な憂鬱という形で、かつてのエリオット・スミスのような雰囲気を漂わせ、ボーカルラインに乗り移る。同音反復的なギターラインが物憂げなボーカルと溶け合い、気だるい午後のように、または、午後の空の向こうに立ち込める蜃気楼のように、インディーロックの核心を綿密に作り上げる。しかし、「Uh Oh」のイントロにおけるダウナーな感情は徐々に変遷をたどり、シンセのフレーズやゲット・アップ・キッズのようなエモーショナルが立ち込めると、にわかに活気づくような瞬間がある。感情は下降線を辿るのだが、リズムを強調したベースを中心とするバンドサウンドに支えられるようにして、それらのダウナーな感情はある種の催眠的な効果、あるいはアンセミックな瞬間を呼び起こす。


しかしながら、スロウコア/サッドコアというジャンルの本質がそうであるように、トゥルース・クラブの音楽性に内包される感情性は下降線を辿る一方ではない。「Blue Eternal」でのバンドサウンドは、本作で最もアグレッシヴかつ才気煥発な瞬間を見せる。上記2曲とは対象的に、Foo Fightersを基調としたアメリカン・ロックサウンドで、瞑想的なサウンドの雰囲気を一挙に打ち破る。フー・ファイが好きかどうかは別として、本曲には、アメリカン・ロックの魅力が凝縮されている。そしてバンドはそれらをシューゲイズの甘いメロディーと結びつけて、新鮮なロックサウンドとしてアウトプットしている。パンキッシュなビートも掴みどころ満載だ。

 

その後、雰囲気はするりと様変わりし、ストーナー・ロックのような雰囲気を持つサウンドにシフトチェンジを果たす。しかし、Kyuss、Foo Manchuに代表される米国の砂漠地帯の轟音ロックは、トゥールース・クラブの感性のフィルターを通すと、内省的なサッドコアに近いサウンドに変化してしまう。ストーナーからガレージ・ロックの部分を削ぎ落とし、それをスマートなロックサウンドにより彩ってみせている。好き嫌いの分かれるアプローチだろうし、また、ジョッシュ・ホームは、このサウンドに関してストーナーではないと言いそうであるが、しかし意外にも、近年のQueen Of The Stone Ageにも比する哀愁のあるロックサウンドの魅力が漂う。


アルバムの序盤では、USのロックバンドらしさが満載となっているが、中盤の「Clover」では、UKロックを下地にしたポスト・パンクサウンドへと変遷していく。現実に相対するシニカルな眼差し、そして、どことなく覚めた感性を宿しながらも、Stoogesのようなプロト・パンクの熱狂性を、サウンドの中に読み解くことはそれほど難しいことではないだろう、やがて印象は変化し、それらのシニカルでどことなく覚めたような眼差しは、Strokesに近いイメージに近づいていく。ボーカルのそれらの風刺的な雰囲気も相まってか、骨格となるバンドサウンドは、グランジに近い印象性を携えて、このバンドのオリジナリティーが組み上げられていく。そして出来上がったものといえば、The Smileのポスト・パンクの轟音性を抽出したような現代的なサウンドである。クラシカルとも称すべき複数の影響を反映させながらも、こういったモダンなロックに近づけていくバンドの技術力、そしてテクニックの高さが伺える一曲となっている。

 


 

 

 

「Exit  Cycle」は、先々週に紹介したSlow Pulp(スロウ・パルプ)と同じようなメロディーの曲線を描く。ある意味では2020年代の同時代的なみずみずしい感性がはっきりとした形で示されているように思える。ただ、男性ボーカルという面で、Phoebe Bridgersのモダンなポップ性を下地にしたインディーロックサウンドの印象が、どのように変化するのかをその目で確認してもらいたい。そして、その中には、さりげなくエモからの影響も伺え、Chamberlain(Doghouseに所属)あたりのサザン・ロックに触発されたエモ・サウンドの萌芽も見て取ることも出来る。これらの多彩なアプローチは、トム・ヨーク的な感性と結びついて、「Siphon」ではエモとポスト・パンクが合致し、アンセミックな響きを持つ一曲も生み出されている。もちろん、それはサッドコアの憂鬱的な感覚に根ざしたダウナーなインディーロックの方向性が選ばれている。

 

しかし、他方、ギターやベースには、エネルギッシュな性質が反映される瞬間があり、これが現代のロックバンドとして、どのような感じでリスナーの目に映るのかという点が最重要視されるべきだろう。これらのキャッチーさとスノビズムを併せ持つ絶妙なバランス感覚を示した後、アルバムの後半部では、彼らのスロウコア/サッドコアの一面が最も色濃く表出する。「Dancing Around My Tongue」では、Bar Italiaがメインの楽曲の合間に書くようなダウナーなサウンドを反映させている。この曲には、Televisionのようなプロトパンクからの影響も伺い知ることが出来る。そして、アルバムの序盤のインディーロック・サウンドの中に見えづらい形で織り交ぜられていたThe Doorsを思わせる瞑想性は、続く、タイトル曲の前奏曲である「Chase」にて、最も痛烈な瞬間を迎える。内的な瞑想性の中に無限に漂いつづけるかのような感覚は、シンプルなギターロックサウンドと相まって、シュールレアリスティックな印象性を呼び起こす。

 

さらに、その雰囲気は続くタイトル曲「Running From The Chase」で最高潮を迎える。Strokesなのか、Lutaloなのか、Smileなのか、それとも、Bar Italiaなのか、Truth Clubは一見したところこのすべてに属するようでいて、反面、どこにも属することのないバンドでもある。バンドサウンドの中に見られるパンク・スピリットーー独立したバンドであるという表明、あるいは彼らがいかなる機構のコントロール下にもないという感覚ーーは、ポスト・ロックの影響を鏡の様に映し出した残りの2曲「Break The Stones」「Is This Working?」ではっきりと示唆されている。

 

 

78/100 

 

 

 


bdrmmがニューシングル「Mud」を発表しました。このシングルは、ハルを拠点とするシューゲイザー・バンドの2ndアルバム『I Don't Know』に続くもので、今年初めにモグワイのレーベル、ロック・アクションからリリースされました。


この曲は、リーズのネイブ・スタジオで行われたアルバム・セッションで、長年のコラボレーターであるアレックス・グリーヴスと共にレコーディングされた。「Mud」はシンセに縁取られ、ヴォーカルがため息をつくかのよう。「Mud」の本質的なもろさは、曇ったような美しさを含み、歌詞を映し出しています。


記憶と、過去をいかに保とうとするかについての曲で、フロントマンのライアン・スミスは「Mud」について、「喪失へのアプローチについての曲」と表現しています。「終わりが来る前に、それに対処しようとする。創り出された記憶は、流されることを恐れ、それを保持し続けることで、良いことよりも害を及ぼすことがある」


  Slauson Malone  『Excelsior』

 

Label: Warp

Release: 2023/10/6


Review 



最近、電子音楽/エレクトロニックの界隈を見ると、その要素が、全般的あるいは部分的に取り入れられるかに依らず、「コラージュ」の手法を図った音楽が多いという印象を受ける。例えば、先々週のローレル・ヘイローの『Atlus』は、かなり画期的なアルバムであり、今後の音楽シーンに強い影響をもたらす可能性がきわめて高い。このアルバムは、ワシントン・ポストでレビューで取り上げられたし、また、ロレイン・ジェイムスが「美しい作品」と形容していた。

 

「ミクロのマテリアルを組み合わせて、元の音楽を別の何かに再構成する」というのがコラージュの手法である。この制作法はプロセスを通じて、当初意図していたものとは異なる予期せぬ何かが出来上がる。自分の手を離れた時、また、言い換えれば、コントロール下を離れた時に、音楽というのは傑出したものに変化する。スティーヴ・ライヒやバシンスキーのようにラジオの録音を元にし、再構成するのか。はたまた、ウィルコの『Cousin』のプロディースを務めた、ケイト・ル・ボンのように、バンドのスタジオ録音を元に、何か別の意味合いを持つ構成に組み直すのか。考えられるだけでも、色々なコラージュの手法があり、未知の可能性がある。

 

ライセンス的には、オリジナルのものなのか、元あるものを再構成したものなのか、という点は重要視されることは避けられないが、リスナーにとっては、その音楽の大本が何によって構成されているのかは大して重要ではない。一般的な聞き手としては、完成されたものを聴くので、そのプロセスはどうしても第二義的な要素となる。ともあれ、過去は、ヒップホップのサンプリングという手法で親しまれ、また、モダン・アートの一般的な形式でもある「コラージュ」という形式、つまり、別のものをランダムに組み合わせて、新しいものを作り出すというスタイルは、今後、電子音楽にとどまらず、 ロックやヒップホップに頻繁に使用されていくかもしれない。少なくともこれは、「ローファイ」というジャンルの進化系が示されているのである。

 

Slauson Malone 1の『Excelsior』でもコラージュの手法が部分的に示されている。近年、ロサンゼルスに移住したというスラウソーン・マローンによる6作目のアルバム。プレスリリースでは「エッセイのような作品として組み上げられている」と説明されている。本作は、Oneohtrix Point Neverが『AGAIN』で示された個人的な思索や、Jayda Gの『GUY』で示された父祖の時代の出来事を描いた文学的な意味を持つ構成をR&Bやハウスとして昇華させた作品に近似するものがある。上記の作品は、表向きに現れる成果がどうであれ、現代の音楽の強い触発を与え、一定の影響を及ぼす可能性が高い。未だミステリアスな印象のあるスラウソン・マローンの作品も、エレクトロニックの位置づけにありながら、本来別のリベラルアーツに属し、また、その表現方法が音楽が最適解とは言いがたいものを、あえて音楽の形式として昇華しているのである。そしてエッセイ的な叙述は断片的に組み合わせたコラージュの要素により示唆されている。


今回、曲数が多いため、Track By Trackは遠慮させていただきたいが、このアルバムには無数の音楽的な要素がひしめいていることがわかる。ヒップホップのドリルや、Caribouのようなグリッチ/ミニマル、ハウス、ネオソウル、ダブ/ダブステップ、アヴァン・ポップ、ボーカルのコラージュ、モダン・クラシカル、インディーロック/フォーク、ジャズ。広汎なマテリアルを吸収し、前衛的な音楽が作り出された。根幹にあるのは電子音楽ではありながら、多様な音楽の要素を散りばめて、一定の音楽のジャンルに規定されない前衛的なスタイルが生み出されている。

 

電子音楽の側面では、エイフェックス・ツインのようなミクロなビートを生かした曲もあれば、スクエアプッシャーのようなパーカッシヴな観点から生のジャズ・ドラムやベースを電子音楽として再構成した曲もあり、この点はワープ・レコードのアーティストらしい。音楽性の多彩さに関しては、Kassa Overallの最新作を彷彿とさせる。しかし、スラウソン・マローンの音楽的な感性の中には落ち着きと重々しさがある。一見、散漫な印象を与えかねない無尽蔵の音のマテリアルのコラージュをもとにした電子音楽は、比較的纏まりのある作品として提示されている。

 

数えきれない音楽性の中には、Alva Notoを思わせる精彩な電子音楽も「Undercommons」に見いだせる。他にも、モダンジャズと電子音楽を絡めた「Olde Joy」では、ヒップホップやネオソウルを風味をまぶし、前衛的な形式に昇華している。また、「New Joy」では、ジェフ・パーカーが好むようなジャズと電子音楽の融合を探求している。Gaster Del Solのようなアヴァン・フォークをネオソウルから捉え直した「Arms, Armor」も個性的な印象を残す。ボーカルをコラージュ的な手法で昇華した「Fission For Drums, Pianos & Voice」は、アヴァン・ジャズの性質を部分的に織り交ぜている。「Love Letter zzz」も同じように、チェロの演奏とスポークンワードを掛け合わせ、画期的な作風を生み出している。これらの無尽蔵な音楽性には白旗を振るよりほかない。

 

『Excelsior』の中盤の収録曲には冗長さがあるものの、 終盤に至ると、静謐な印象に彩られた作風がクールな雰囲気を醸し出している。「Destroyer x」は、エヴァンスのような高級感のある古典的なジャズ・ピアノの雰囲気を留めている。「Voyager」は、インディーフォークと電子音楽を掛け合せ、安らいだイメージが漂う。「Decades,Castle Romeo」では、ジェフ・パーカー、ジム・オルークに近い、先鋭的な作風を示している。クローズ曲「Us(Towar of Love)」では、アコースティックギターの弾き語りによって、インディーフォークの進化系を示している。この曲のスラウソン・マローンのアンニュイなボーカルは、バイオリンの演奏に溶け込むようにし、メロウな瞬間を呼び起こし、アルバムを聞き終えた後、じんわりとした余韻を残す。

 

Slauson Malone 1のアルバム『Excelsior』は、革新的な手法が各所に取り入れられながらも、全般的に切なさを中心としたエモーションが漂っている。こういった情感豊かな電子音楽やフォーク、ネオソウルやラップの混合体が今後どのように洗練されていくのか楽しみにしていきたい。 

 

80/100

 

 

 

「New Joy」


 

カナダのインディーロックバンド、Alvvaysは先週末、CBS サタデー・モーニングに出演し、『Blue Rev』発売1周年を記念して、アルバムから「After The Earthquake」、「Easy on Your Own?」「Belinda Says」を披露しました。ライブパフォーマンスの模様は以下からご覧下さい。

 

また、Alvvaysは2023年度のカナダの音楽賞、ポラリス賞にノミネートされました。



 くるり 『感覚は道標』

Label: Victor

Release:2023/10/4

 

Review 

 

立命館大学のサークルで結成されたQurulli(くるり)。1990年代から日本のロックシーンを支えてきた貢献者でもある。


親しみやすいメロディー、ロックバンドとしての卓越した演奏力、そしてグルーブ感を生かしたライブサウンドをモットーに、これまで数々の邦楽のロックを作り出してきた。2021年の『天才の愛』発表後、パンデミックを経て、お目見えとなった『感覚は道標』は、輝かしいロックンナンバーが満載である。(先日、Real Soundに掲載された田中宗一郎さんとのインタビューにおいて、その全貌が語られています。曲の採点もなさっているので、ぜひ興味のある方はチェックしてみましょう)

 

このインタビューでも語られている通り、岸田繁さんは「片面がはっぴいえんど、もう片方がビートルズ」と、このアルバムについて仰っている。また、田中宗一郎さんは「桑田佳祐を思わせるものがあった」と語っていた。

 

個人的な感想としては、はっぴいえんど、及び、大滝詠一のソロ作品が一番近いのではないだろうかという印象を持った。加えて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが好むようなブギーやブルースを取り入れたギター・リフを活かし、時には、ビートルズの『ラバー・ソウル』時代の音楽性を取り入れ、それらをQurulliらしい戯けたような感じのロックとして昇華している。くしゃみから始まる「Happy Turn」はオアシスの「ワンダーウォール」の咳払いに対するオマージュ。しかし、その後に始まるのは、ビートルズ/ローリング・ストーンズ調のギターリフと、大瀧詠一のソロ作品のような甘い感じのメロディーが歌われる。その合間には、ザ・フーのピート・タウンゼントのモッズ・ロック時代の爽快なリフが小節間に導入され、軽やかな印象を生み出す。他にも、繋ぎとしてローリング・ストーンズの「Rocks Off」のギターラインのオマージュを導入し、彼等のキャリアの中でも最もロックンロール性を感じさせる。

 

 

大瀧詠一の「君は天然色」、「幸せな結末」に象徴されるサウンドからの影響は次の「I'm Really Sleepy」においても反映されている。しかし、岸田繁が歌うと、それがいささか渋みのある印象に縁取られる。おそらく、このあたりがタナソーさんが指摘する、桑田佳祐らしさなのかもしれない。続く「朝顔」は、後に、レイ・ハラカミがリミックスとして発表した「バラの花」のミュートを用いた軽妙なバッキングギターで始まる。これらは旧来のファンとしてはイントロを聴くだけで、気持ちが沸き立つものがある。そして、その期待感を裏切らず、エレクトロニックを取り入れた洗練されたロックサウンドへと移行していく。センチメンタルで湿っぽい歌詞は、Qurulliの代名詞的なリリックであるが、シンプルではありながら掴みのあるサウンドは、The Policeのスティングが書いたMTV時代のポップサウンドに近い雰囲気が漂っている。現在のUKロックにも近い清涼感のあるナンバーは、多くのファンの期待に添えるものとなっている。

 

大滝詠一を彷彿とさせるサウンドの風味は「California coconuts」でも受け継がれ、甘酸っぱい感覚が全体に迸っている。コード進行はきわめてシンプルではありながら、長調の中に単調を巧緻に取り入れながら、ジャングル・ポップやパワー・ポップ風のサウンドとして昇華している。リズムを生かしたバッキング・ギターは、The Knackの「Oh Tara」を思わせる。このあたりの口当たりの良さと渋さを兼ね備えたロックサウンドは、Qurulliの代名詞的なものである。サビの前に現れるメロディーの駆け上がりもワクワクした感覚を与え、軽快なウェイヴを生み出している。ここには三人組であるがゆえに作り出せる綿密なバンドサウンドと、岸田繁の傑出したメロディーセンスが、2020年代の優れたJ-POPサウンドの精髄を生み出すことに繋がった。

 

 もうひとつ、新しい要素として加わったのが、幻想的なアメリカーナ(カントリー/ウェスタン)からの影響である。これらの幻惑的なサウンドの影響を彼らは巧みに取り入れ、それをやはり親しみやすいロックサウンドの中に落とし込んでいる。これは、くるりのオルタナティヴ・ロック・バンドとしての性質が色濃く反映されている。例えば、現行の米国のインディーロックバンドの多くはごく普通のアメリカーナの影響を昇華し、現代的なループ・サウンドの中に反映させているが、そういった現代的なUSロック・バンドからヒントを得た一曲でもある。まったりとしていながらも乾いたギターサウンドが、聞き手を安らいだ幻惑の中に引き込む。

 

バグパイプの演奏をイントロに取り入れた「LV69」もQurulliが常に新鮮なサウンドを思索していることの証左となる。 ここでは、サザン・オールスターズのようなソウルフルかつニヒリスティックなリリック、そしてボーカルの節回しを卒なく取り入れ、ブギー/ブルース色の強い個性的なロックサウンドを生み出してみせている。ループ・サウンドを基調としているが、それらの中に印象の変化があるのは、セッションから生じる実験的な部分を重んじているがゆえなのだろう。特に中盤のギターソロに関しては、白熱したバンドセッションの息吹を録音に留めている。これらの精細感のあるライブサウンドは、旧来のスタジオ・アルバムという観点を飛び越え、ライブ録音とスタジオ録音の中間にあるユニークな性質をもたらすことに成功している。

 

ロックバンドとしての多彩な性質は以後、才気煥発な瞬間性を見せる。続く「daraneko」ではサーフ・ロックやヨット・ロックを意識したコアなギターサウンドを特徴としている。 しかし、そういったイントロの印象も前衛的な印象性を擁するシンセサイザーのシークエンスや、岸田繁の抽象的なボーカルが加わると、化学反応を起こし、単なるリバイバルサウンドの範疇から離れ、清新な印象のあるロックサウンドへと様変わりする。さらにシンセにより具象的なドラネコの声を表現したりと、遊び心溢れるロックサウンドに仕上げているのは見事としか言いようがない。これまでのくるりの主要なイメージであるユニークさが反映された一曲として楽しめる。

 

 

アルバムの終盤に至ると、より渋みのあるサウンドが立ち現れる。「馬鹿な脳」では、ブルースとミュージカルを掛け合せたようなサウンドに挑戦し、「世界はこのままでは終わらない」では、スライド・ギターを取り入れ、はっぴいえんどに近い70年代のロックサウンドを体現している。ローリング・ストーンズ、はっぴいえんどの「台風」のようなブルージーなロックサウンドに果敢に挑戦し、しかもときには、ブリット・ポップのメロディーラインと合致し、最終的には、90年代のBlurのような精細感のあるロックサウンドへと昇華されている。以上の変幻自在なアプローチは、ロック、ポップ、J-POPと、その楽曲の展開ごとに、くるくると印象が様変わりする。歌詞の中では、世の嘆かわしい出来事を断片的に織り交ぜながらも、表現性は明るい未来に向けられている。これらの批評的な精神とメッセージ性に溢れた曲は、現代の日本の音楽の中にあって鮮やかな印象を及ぼす。事実、この曲で繰り広げられるサウンドは、くるりがロックバンドとして、これまでとは別のステップに歩みを進めたことの証となるだろう。 

 

くるりが三十年近いキャリアの中で一貫して示してきたのは、音楽をそれほどシリアスに捉えず、万人が楽しめ、なおかつまたユニークなものとしてアウトプットしようということである。「お化けのピーナッツ」は、タイトルからも絵本のような可愛らしさがあるが、実際の音楽性も、それ以上にユニークである。サルサ、フラメンコを始めとする南米圏の音楽の旋律とリズムを巧みに取り入れて、それらを奇妙なほど親しみやすい日本語のポップスに組み上げている。戯けたような印象は、サザン・オールスターズの全般的な楽曲や、松任谷由実の「真夏の夜の夢」の時代の華やいだJ-POPの最盛期を彷彿とさせる。


日本の音楽と世界の音楽の双方の影響を織り交ぜた新たなクロスオーバーの手法は、その後も続き、「no cherry no deal」では、ミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ、ギター・ウルフを思わせる、硬派で直情的なシンプルなガレージ・ロックへと変貌し、更に「In Your Life」では、Sebadoh、Guded By Voices、Pavementに象徴される90/00年代の米国のオルト・ロックの影響を反映させたコアなアプローチへと変遷を辿る。また、クローズで示される「aleha」における、ニック・ドレイク、ジャック・ジャクソンを思わせるオーガニックなフォーク音楽へのアプローチもまた、彼らが音楽に真正面から向き合い、それをいかなる形で日本の音楽にもたらすべきか、数しれない試行錯誤を重ねてきたことを明かし立てている。

 

アーティストやバンドは、よくデビューして数年が旬であり、華であるように言われる。しかし、アメリカやイギリスの例を見ていて、最近つくづく感じるのは、デビューから30年目前後に一つの大きな節目がやって来るということである。音楽家としての研鑽を重ねた結果、十年後、二十年後、時には、三十年後になって、最大の報酬が巡ってくる場合もある。今回のQurulliの新作アルバム『感覚は道標(Driven By Impulse)』には心底から驚かされるものがあった。

 

 

90/100

©︎Tatiana Pozuero

 

イングリッシュ・ティーチャーがニューシングル「Nearly Daffodils」をリリースしました。アイランド・レコードからリリースされるこの曲は、今月末から始まる彼らの最大規模のUKヘッドライン・ツアーに先駆けてリリースされた。


リリー・フォンテーンはこう説明しています。『Nearly Daffodils』は、失恋と満たされない可能性を受け入れることについて歌っている。どんなに何かを望んでも、どんなに何かの成長や発展に力を注いでも、どんなに美しい結実を思い描いても、人生はクソみたいなもので、貨物列車と同じくらい止められないもの」




キラー・マイクが「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」に音楽ゲストとして出演し、ロバート・グラスパー、エリン・アレン・ケインと共に「Motherless」を披露しました。その模様は以下より。


「Motherless」は、6月にリリースされたキラー・マイクの最新アルバム『Michael』から引用されています。先月、アトランタのラッパーは、アルバム・セッションからの4曲を追加したLPのデラックス・バージョンをリリースしました。