My Bloody Valentine アイルランドのミュージック・シーンのもう一つの原点

 

MBV

 

オリジナルと呼ばれる何かを生み出すために遠回りを避けることはできません。オリジナルが生み出される瞬間とは、それ以前に数々の試行錯誤を経た後、最初の原型のようなものが出来上がる。もちろん、アイルランドのケヴィン・シールズは、ギターサウンドに変革をもたらすため、音作りに気の遠くなるような時間を掛けたと思われます。シューゲイズのギターの音作りや機材、エフェクターに関する詳細については、ギター・マガジンをはじめとする専門誌のバックナンバーを紐解いてもらうのが最善でしょう。このミュージックコラムでは、シューゲイザーの先駆者であるMBVがどのような変遷を経て、オルタナティヴロックの金字塔を打ち立てたのか考察していきたいと思います。以下のサウンドの変遷の系譜を見ると、気の遠くなる様な数の音楽性やギターサウンドの試行錯誤を経た後にようやくMBVの代名詞となるギターロックサウンドが確立されたことが分かるはずです。

 

そもそも、アイルランドのマイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、どちらかと言えば、現在のポスト・パンクに近いアンダーグランドのシーンから登場しました。無論、バンドは最初から90年代のシューゲイズサウンドを確立していたわけではないのです。昨今では、Fontaines D.C、Inhaler,Murder Capitalなど個性的で魅力溢れるバンドが数多く輩出されるアイルランドのシーンではあるものの、80年代にはまだアイルランドには現在のような音楽のコミューンは存在しなかった。このエピソードを裏付けるものとして一般的に知られていないエピソードを以下にご紹介します。

 

アイルランドのMy Bloody Valentineは、デビュー当初、大きな市場規模を持つイギリスのミュージックシーンではなく、ベルリンの壁崩壊前の西ドイツのインディーズレーベルからデビューしています。彼らの1984年のデビュー作『This Is Your Bloody Valentine』(残念ながらサブスクリプションでは視聴できない)リリースを行ったドイツのレーベル”Dossier”では、複数のアートパンク/ニューウェイブのバンドのリリースを行っており、その中には、イギリスのアートパンクシーンの伝説的な存在であるChrome、そして、さらにマニアックなところでは、Vanishing Heat,Deleriumが所属していました。つまり、表向きにはあまり知られていないことなんですが、My Bloody Valentineはロック・バンドというよりも、そのルーツの出発点には、ポストパンク/アートパンクがあるといっても過言ではないのです。なぜ、こんなことを言うのかというと、91年の『Loveless』だけをこのバンドのキャラクターであると考えると、実際の音楽性を見誤り、間違ったイメージが定着する可能性があるからです。さらにシューゲイズという音楽はシンプルに出来上がったとは言い難いものがあるのです。


また、なぜ、My Bloody Valentineがイギリスではなくドイツからデビューしたのかについては、憶測にすぎませんが、それ以前の70年代からクラウドロックをはじめとする前衛的な音楽を許容するミュージックシーンがドイツに存在したことと、また80年代はどちらかといえば、アイルランドではなくスコットランドのミュージックシーンにイギリスの主要なインディーズレーベルの注目が集まっていたからなのではないかと思われます。特に、この年代には、フォーク・ミュージックとロックを融合させたネオ・アコースティック、ギターポップがスコットランドで隆盛をきわめていたからなのかもしれません。特に、サブスクリプションで聞きやすいところで言えば、88年から91年のレアトラックを集めたEPでは、このバンドの"クラブ・ミュージックとロックの融合"という表向きのイメージとは異なる荒削りでラウドなポストパンクバンドの性質を伺うことができるはずです。

 

そして、My Bloody Valentineが活動初期からシューゲイズと呼ばれるサウンドを作り出していたわけではないことは熱心なファンの間では既知のことでしょう。当初、どのようなバンドであったのかは、特に、フィジカル盤のみのリリースとなっているファースト・アルバム『This Is Your Bloody Valentine』を聴くと分かるはずです。アルバムのクレジットを見ると、西ドイツ時代のベルリンにあるスタジオで制作され、Dimitri HegemannとManfred Shiekがプロデュースを手掛けています。レコーディングでは、Kevin、Colm,Dave,Tinaという名前が見い出せますが、さらに、ケヴィン・シールズがボーカルを取り、ベースもケヴィンがレコーディングで弾いているところを見ると、この頃は彼のワンマンに近いバンドであるという印象が強い。そして、デビュー当時はケヴィン・シールズが多くの曲を歌っており、ツインボーカルになったのは2nd『Isn't anything』前後のこと。また、このデビュー作でMBVがどんな音楽をやっていたのかいうと、明らかにそれ以前に流行ったポスト・パンク/ニューウェイブを志向したサウンドに位置付けられ、また、ケヴィン・シールズのボーカルは、ジョイ・デイヴィジョンのイアン・カーティスやバウハウスのピーター・マーフィーを彷彿とさせるものがある。バンドサウンドについても、ゴシック・ロックとポスト・パンク/ノイズ・パンクの中間点にある特異な音楽性を探っています。この辺りには、数年前にデビューしたThe Cureの影響も見てとることができるかもしれません。

 

ただ、結成から一年後に発売されたデビュー・アルバムに関して、後の90年代のシューゲイズサウンドの萌芽が全く見られないかといえば、どうやらそういうわけではないようです。アルバムの最後に収録されている「The Last Supper(最後の晩餐)」は、『Loveless』の象徴的なサウンドの代名詞となる"陶酔的、甘美的"と称されるロマンティックなサウンドの出発点と捉えることが出来る。さらに、シューゲイズの象徴的なギターサウンド、つまりオーバードライブ/ファズとアナログディレイを複合させた抽象的な音作りに加えて、クラブミュージックサウンドの影響もわずかに留めています。


ただし、2ndアルバムに比べると、バンドのサウンドは、お世辞にも90年代のように洗練されているとはいえず、現在のロンドンのポストパンクパンドのようにプリミティヴです。さらに、ケヴィン・シールズのボーカルとシンセサイザーの掛け合いは、ロサンゼルスのロック詩人、ジム・モリソン率いるザ・ドアーズの音楽性のサイケデリアの影響を伺い知ることが出来るはずです。

 

「The Last Supper」

 

 

当初、イギリスを中心に一世を風靡したJoy Division、Bauhaus、The Cureのニューウェイブの範疇にあるポスト・パンク/ゴシックロックの音楽性を引き継いだ形で始まったMy Bloody Valentineのサウンドは、その後、80年代終わりにかけて、さらに大きな変貌を遂げていくことになります。セカンドアルバムでのドリーム・ポップに近い方向性も以前の年代と同じように、相当な音楽性における試行錯誤が重ねられた末に生み出されたのでしょう。この時代と並行するようにして、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、ファースト・アルバムの音楽性から完全に脱却し、スコットランドのグラスゴーで盛んだったネオ・アコースティック/ギターポップを、アイルランドのバンドとしてどのように組み直すのかという作業に専心していくようになるのです。

 

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、80年代の終りに、最初のポスト・パンク/アートパンクの性質を踏襲した上で、スコットランドのThe Vaseline、The Pastelsのような牧歌的なネオ・アコースティックのバンド、また、JAPANのようなニュー・ロマンティックの影響を反映させた3曲収録のシングル「Strawberry Wine」をリリースしています。これらのサウンドには、エレクトリックギターの背後に薄くアコースティックギターをダビングするという後のシューゲイズサウンドのレコーディングの手法の始まりを見つけることが出来るかもしれません。シングルに収録されている三曲は、残念ながら主要なアルバムやEPに収録されておらず、また、サブスクリプションでも聴くことができません。ファンの間ではレア・トラックとして認知されているはずです。

 

「Strawberry Wine」

 

 

この後の年代になると、My Bloody Valentineは、メンバーを少しずつ入れ替えながら『Loveless』の初盤をリリースするイギリスのレーベル、クリエイションと契約を交わし、『Isn’t Anything』を88年にリリースし、オリジナルサウンドを確立するに至ります。この時代からよりサウンドの変更に拍車が掛かり、大幅にモデルチェンジを行うにしたがい、MBVの最初期を象徴する80年代のネオアコースティック/ギターポップサウンドはやや弱められていきます。




『Isn’t Anything』は、既に知られている通り、バンドのファンの中では隠れた名盤として知られるようになるアルバムではありますが、のちの90年代の象徴的なシューゲイズサウンドとは少し異なり、暗鬱なゴシックパンクと恍惚としたオルトロックを融合した前衛性を見出すことが出来ます。シューゲイズのクラブミュージック以外の特徴的なサウンドは、この作品でほとんど確立されたとかんがえても良いかもしれません。

 

「No More Sorry」

 

さらに、この90年前後から『Loveless』に見受けられるケヴィン・シールズのシューゲイズと呼ばれるギターサウンドと合わせて象徴的な意味を持つようになる、甘いメロディーを擁するボーカルの合致が、バンドの音楽性の謂わば屋台骨ともなっていきます。また、その後、バンドは同レーベルから90年代の不朽の名作『Loveless』をリリースし、シングル「Soon」を皮切りにし、初めて全英チャート入りを果たす。また、このアルバムは最初のヒット作となり、その後、長い時間をかけて、My Bloody ValentineはU2に次ぐアイルランドの象徴的なロックバンド(オルタナティブロックバンド)と見做されるようになりました。


さらに、シューゲイズ/オルタナティヴの金字塔とも呼ばれる『Loveless』のレコーディングにも逸話があり、販売元のクリエイションは、この世紀の傑作を生み出すため、レコーディング費用を掛けすぎ、後にレーベル会社として経営破綻することになったのです。以後、アイルランドのバンドの代表作である『Loveless』はオルタナ・ファンから長い間支持を得るように。しかし実のところ、この伝説的なサードアルバムは、レーベルのクリエイションとマイ・ブラッディ・バレンタインの双方の命運を賭けて録音制作された、いわば"背水の陣"とも例えるべき作品でもあったのです。

 

「When You Sleep」




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