ラベル Experimental Music の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Experimental Music の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

 


 フランスのミュージシャン、アーティスト、詩人として活動する、Merle Bardenoir(メル・バルドゥノワール)のプロジェクト、Glamourieがデビュー・アルバム『Imaginal Stage』をKalamine Recordsから9月24日にリリースしました。是非、下記よりチェックしてみて下さい。

 

Glamourieの音楽は、ほとんどがインストゥルメンタルで、プロジェクトを構成する幻想的なテーマの展開は、タイトルだけでなく、ビジュアルを通じても展開される。また、メル・バルドゥノワールは、画家/イラストレーターとしても活動しており、美しく幻想的なアートワークを幾つか製作しています。(アートワークの作品の詳細については、アーティストの公式ホームページを御覧下さい)

 

『Imaginal Stage』は、オーガニック・アンビエント、サイケデリック・フォーク、ポスト・ミニマリズムを融合した画期的な作風であり、どことなくエキゾチックな雰囲気を漂わせている。

 

この電子音響作品のタイトルは、昆虫の最終段階である”イマーゴ”に因んでいるという。この作品では、妖精のような雰囲気が、プログレッシブなレイヤーとヒプノティックなループを通して、音のさなぎから姿を現す。このアルバムには、ハンマーダルシマー、アルトフルート、幽玄な声、レゾナンスボックス、伝統的なパーカッションが含まれ、様々な電子効果が変換されている。

 

各トラックは、Merle Bardenoirによるオリジナルアートワークで描かれています。アルバムの楽曲はBandcampにてご視聴/ご購入することが出来ます。 アートワークとともに下記より御覧下さい。

 

 

 

 

 

『Imaginal Stage』 Artwork

 

 


 

グアテマラ出身、現在、メキシコシティで活動を行うチェロ奏者、Mabe Fratti(メイべ・フラッティ)は、10月14日に”Unheard of Hope”からリリースされるニューアルバム『Se Ve Desde Aquí』を発表しました。

 

そのファーストシングル「Cada músculo」が、Nika Milano監督によるビデオとともに本日リリースされました。以下でお楽しみください。


「Cada músculo」は、Mabe Frattiが世界がどのように形作られるかというメタファーを探求している。

 

あなたの人生、空間、私たちの周囲のあらゆる部分が自動的にあなたの一部となり、あなたが世界を経験し、感じ、それに伴い、あなたがどう変化するのかを表しています。ビデオでは、マイクロフォンをシンボルとして(空に見える)空間に声が与えられており、「すべての筋肉には声がある」という歌詞の中で言及しています。


フラッティは、このアルバムのサウンドを「あまり規則が守られていない」「生の美学、そして "汚さ "を通して知らされる」と表現している。

 

「レイヤリングはしたけれど、それはもっと特定の瞬間のもの。できるだけ生っぽくしたかったし、同じ楽器をオーバーダビングするのはできるかぎり避け、その過程で自分自身のルールを破るスペースを残したかった」

 


 

『Se Ve Desde Aquí』は、Frattiの2021年発表の2nd LP『Será que ahora podremos entendernos?』に続く作品となる。

 

 

 

Mabe Fratti      『Se Ve Desde Aquí』

 


 

Tracklist:

1. Con Esfuerzo
2. Desde el cielo
3. No se ve desde acá
4. Esta Vez
5. Cuestión de tiempo
6. Algo grandioso
7. Cada Músculo
8. Deja de empujar
9. Siempre tocas algo


 


日本のアンダーグラウンドミュージックの大御所ー灰野敬二、そして、カナダのヘヴィロックバンドーSUMACが、新たなコラボレーション・アルバム『Into This Juvenile Apocalypse Our Golden Blood to Pour Let Us Never』でタッグを組んでいる。


6つのエクスパンテッドバージョンとしてリリースされるこのアルバムは、2019年5月、バンクーバーのアストリア・ホテルで、前者の北米ツアー中に灰野敬二とSUMACが一度限りのパフォーマンスで集った際にレコーディングが行われた。この公演の前に "楽曲の方向性に関わる事前の話し合いや企画等は一切行われなかった "という。

 

『Into This Juvenile Apocalypse Our Golden Blood to Pour Let Us Never』は、2018年の『American Dollar Bill - Keep Facing Sideways, You're Too Hideous To Look At Face On』、そして、2019年の『Even For Just The Briefest Moment Keep Charging This "Expiation" / Plug In To Make It Slightly Better』に続く作品。灰野敬二とSUMACの共同フルアルバムとしては通算三作目となる。


アルバム『Into This Juvenile Apocalypse Our Golden Blood to Pour Let Us Never』、2022年10月7日にThrill Jockyからリリースされる。



Kali Maloneは、Portraits GRMから『Living Torch』と題された二曲収録の新しいアルバムを7月7日にリリースしました。

 

スウェーデン・ストックホルムを拠点に活動を行うカリ・マローンは、新世代のサウンド・アーティストであり、ポスト・ミニマル音楽の作曲家。 そして、西洋音楽を歴史を継承する現代音楽家で、2010年代のエクスペリメンタル・ミュージック・パフォーマーでもある。

 

2020年から2021年にかけて、フランス・パリのGRMスタジオで作曲された『Living Torch』は、トロンボーン、バスクラリネット、boîte à bourdon、Éliane RadigueのARP 2500シンセサイザーなどの電子音響アンサンブルが収録された作品で、2019年の『The Sacrificial Code』のフォローアップとなります。 

 

 





Kali Malone 「Living Tourch』




Tracklist:

1. Living Torch I
2. Living Torch II

坂本龍一とアルヴァ・ノトの2005年に発売されたコラボレーションアルバム「インセン」が、今年、7月下旬にNotonからリイシュー盤として再発される。

 

今回、発売が決定した「Insen」のリイシュー盤は、二人のコラボレーションアルバムの再発プロジェクト「V.I.R.U.S.」の第二弾となる。全ラインナップは、「Varioon」「Insen」「Revep」「Utp」「Summvs」。最初のリイシューとなる「Varicoon」は、5月下旬にリリースされており、「Insen」に後に、三作品の発売が年内に予定されています。また、各新装版はCD/LPとして再発され、オリジナル音源のリマスターバージョンに加え、未発表の音源も追加収録される。

 

今回、発売が公表された「Insen」のリイシューバージョンには、アルバムツアーのために作曲された未発表曲「Barco」が追加収録されている。世界的な音楽家のコラボによるグリッチテクノの普及の傑作の再発をお見逃しなく。 

 


 

7月29日のリリースに先立ち、Phonica Recordsにて予約注文が開始されています。

 

 


Ryuichi Sakamoto&Alva Noto 「Insen」 Reissue





Tracklist:

1. Aurora
2. Morning
3. Logic Moon
4. Moon
5. Berlin
6. Iano
7. Avaol
8. Barco


 Hatis Noit 「Aura」

 

 

 

 

Label:  Erased Tapes

 

Release Date:  2022年6月24日

 

 

ーロンドン、ミュンヘン、ネパール、フクシマーー異なる時間、異なる場所、それぞれに響く真摯な歌声ー

 

 

6月24日、Erased Tapesからリリースされたアルバム「Aura」は、現在ロンドンを拠点に活動するヴォーカルアーティスト、ハチス・ノイトの記念すべきデビュー作となります。

 

既に、ハチス・ノイトは、イタリアの新聞でアーティスト特集が組まれており、さらに、英国の隔月間マガジン、Loud&Quietの昨日付のレビューで、8/10の評価を獲得しています。さらに、現在、渋谷の街頭スクリーン9面にて、三年かけて制作されたMVがオンエアされている最中です。

 

不運にも、英国内の最大の音楽のお祭り「グラストンベリー・フェスティヴァル」とリリース日が重なってしまった事実は、それほど大きな問題とはならないはずです。「Aura」は、時間が経過したとしてもその良さが損なわれるような作品ではなく、時代の経過に耐えうるような普遍的な価値が込められている。ヴォーカルアートの美しさ、ライブに比する生彩感のある音楽性が貫かれた2022年最大の傑作のひとつに挙げられます。もちろん、タイトルは、20世紀のドイツの文芸評論家、哲学者としても活躍したヴォルター・ベンヤミンの名著「Aura」に依り、この著作に因むと、ハチス・ノイトのこのセンセーショナルな印象を持ったデビューアルバムには、複製品ではない、本物だけが持つ芸術作品のオーラが随所に込められている。少なくとも、聴けば聴くほど、この作品の持つ真価がより顕著になっていくだろうと思われます。

 

「Aura」は、非常に長い時間をかけて制作が行われた正真正銘の声楽による芸術作品です。制作には、コラボレーターとして、アイスランドのビョーク、M.I.A、さらにマルタ・サロニが招聘されていることにも注目です。

 

先行シングルとしてリリースされた「Aura」、「Angelus Novas」のように、クラシックのオペラ、日本の伝統舞踊、スイスのヨーデル、ネパール、インドの民族音楽を中心に、それらの伝統的な歌唱法を受け継いで、デビュー作ではありながら、前衛的な作風を完全に確立しているのに大きな驚きを覚える。一例を挙げると、アメリカ合衆国の偉大なボーカリスト、メレディス・モンクのヴォーカルアートを、さらに、民族音楽やワールドミュージックの観点から捉え直した作品と解することが出来る。また、「Aura」は、「声の芸術」の持つ、華やかさ、麗しさ、清々しさといった魅力を、ダブに近い多重録音により、壮大な物語性を持つ、いわば、ハチスノイト特有の文学的なサーガのような意味を持つヴォーカルアートとして完成させています。

 

2020年に世界的に蔓延したパンデミックの最初期をロンドンで体験したハチス・ノイトは、ロックダウンの閉塞感のある時間の中で、ライブにおける観客との空間をともにすることの重要性に気づき、さらに、人生の喜びと豊かさを見出している。この時代についてハチス・ノイトは、「パンデミックの間、私は、本当に苦労しました」と回想し、さらに「歌手として、私はコンピューターの作業があまり得意ではありません。私は、(インターネット配信ライブよりも)物理的な空間でライブを行うほうが好きで、人と一緒に居て、同空間を共有し、その瞬間のエネルギーを感じることが、毎回、豊かなインスピレーションを与えてくれる」と述べています。

 

その後、ハチス・ノイトは、Erased Tapesと共にアルバムの制作に取り掛かり、ドイツ・ミュンヘンのスタジオで行われた最初のレコーディングをわずか8時間で終了させる。その後、レコーディング場所を、英国のイーストロンドンに移し、ミックス作業を行った。最終段階のミキシング作業では、録音されたマスターテープをイーストロンドンの教会に持ち込み、プロデューサーと共に、建築が持つ反響音「リバーブ」を含めて再録音を行う「リアビング」という斬新な技法が導入しました。このことによって、デジタル形式で生み出しえないアナログ形式の温かく豊かな響きが生み出されている。ここには、まさしく生きたライブ音楽が生み出されています。

 

ハチス・ノイトは、このアルバムにおいて、ワールド・ミュージックの様々な歌唱法、複数の声楽の技法、能楽、オペラ、ウィスパー、その他、喉元を震わせる独特な歌唱法を取り入れ、そして、フィールドレコーディングにより、自身が深い思い入れのある時間、場所を真摯に探求していきます。

 

先行シングルの二曲「Aura」や「Angelus Novas」の声楽の表現に見いだされるように、彼女が最初に声楽を志したネバールの寺院に始まり、自身の生存について思いを馳せることになった北海道、知床の森のミステリアスな雰囲気、さらに、活動拠点を置くイースト・ロンドンの生きた音楽を訪ね求め、さらに、アルバムのクライマックスをなす最大の聞き所となる「Inori」で、ハチス・ノイトは、日本の福島の海岸を自らの声の多彩な表現により訪ね求めようとします。

 

実際、福島の原発から1キロの場所でフィールドレコーディングがおこなわれた「Inori」には、多重録音されたヴォーカルトラックの背後に、しずかで、あたたかく、美しい、福島の波の音を聞き取ることが出来る。それは、単なる音の良し悪しではなく、本当に重要な音の記録、音楽の持つ最大限の魅力でもある。つまり、ハチス・ノイトのデビュー・アルバム「Aura」は、ポピュラー音楽としても楽しめる一方、単なる消費音楽ではなく、声楽を通じて表現された「音の記録ーサウンド・ドキュメンタリー」でもあり、そこには、異なる時間、場所、それぞれの空間にある生きた音楽ーーライブサウンドーーを読み取ることが出来るわけです。

 

福島の海の音の本当の素晴らしさが「音楽」として収録されていることは、このアルバムに普遍的な価値が込められていることを証明しています。日本には、いまだ帰宅が困難な福島の人々が数多く存在し、2011年の東日本大震災の出来事は解決がついていません、だからこそ、この作品「Aura」は、普遍的な意味を持つアルバムと断言出来る。こういった本当の意味で、他者に寄り添うような美しさの籠もった作品は他を探しても見出しがたい。また、それを、国際的なバックグランドを持ち、さらに、実際、帰宅困難区域が解除された時、福島の死者を追悼する祝典に出席した震災の当事者のハチス・ノイトが生み出すことに重要な価値が見いだされる。つまり、ハチスノイトはこの作品において、福島の全ての人たちの思いを一身に背負っているのです。

 

96/100

 

 

 

Weekend Featured Track「Inori」

 

 

 

 

 

 Erased Tapes official:

 

https://www.erasedtapes.com/release/eratp152-hatis-noit-aura 



bandcamp:

 

https://hatisnoit.bandcamp.com/album/aura 

 

 

Tizah Credit: Lillie Eiger
 

英国・ロンドンを拠点に活動するTizah(テルザ)は、ポピュラー、エレクトロニック、エクスペリメンタル、ジャズをクロスオーバーし、実験的なアプローチを取る注目するべきシンガーの一人です。

 

数ヶ月前、テルザは、ニューアルバム「Colourgrade」を発表し、未来に向けた創造性を発揮した最高のアーティストとなりました。

 

Tirzahは、前作「Colourgrade」をベースに新たなリミックスプロジェクトを立ち上げた。今回リリースされた「Highgrade」は、Arca、Loraine James、Lafawndah、Actressなどの複数のアーティストよるリミックスが行われており、それぞれの楽曲が新鮮な方向性を持っている。

 

9月23日にはフルヴァイナルバージョンがリリースされる。Tirzahのコメントは以下の通りです。

 

「作品は別の人生を歩むことができ、ハイブリッドのコレクションとして一緒になることができます。すべてのアーティストにとても感謝しています。音楽に感謝します"

 

ロンドンでのUKツアーを皮切りにして、Tirzahは、本日(6月21日)Bristol Fiddlersに出演し、22日にはグラスゴーのSWG3、23日にはマンチェスターのStoller Hallで公演する予定だ。




 

実験音楽について

 

 

 

今日、現代の実験音楽、いわゆるエクスペリメンタル・ミュージックと称されるジャンルは、きわめて多彩なアプローチを取るアーティストが多く見受けられる。


それは現代音楽としての系譜にあたる純性音楽としてのバックグラウンドを持つアーティストから、それとは一見対極にあるような電子音楽のバックグランドを持つアーティストまで、作曲者によって各々表現方法もさまざま。

 

もちろん、シュトックハウゼンの時代から、無調音楽としての電子音楽家は数多く存在した。それがいつしか、古典音楽家としての音楽の一派と、電子音楽家としての音楽の一派と、枝分かれしていくようになった。

 

しかし、かつて、武満徹が実験工房で、湯浅譲二らとテープ音楽を作成していたが、これこそつまり、その意図はないかもしれないが、クラブミュージック的な音楽を時代に先駆けて体現しようと試みていたように思える。

 

もちろん、オリヴィエ・メシアンのフランス和声を研究し、その音楽性に影響を受けつつも、現代のクラブミュージック、中でもIDMに通じるようなアプローチが世界のタケミツの音のアプローチには感じられる。


このあたりのエピソードから引き出される結論があるなら、現代音楽とクラブミュージックは、一見して相容れない水と油の関係のようでいて、源流を辿ってみると、実は、同じ場所にたどり着くような気がする、つまり、同じ祖先を持っているといえなくもないかもしれません。




現在のミュージックシーン

 



現在において、全く分離した古典音楽、そして、電子音楽あるいは、クラブ音楽を繋げるような役割を持つアーティストが2000年代あたりから出て来た。ドイツの気鋭アーティスト、ニルス・フラームを筆頭にして、アイスランドのオラブル・アーノルズらがその流れを形作っている。


他方、イギリスの音楽シーンでは、Clarkが、このヨーロッパを中心とする流れを汲み取ってのことか、それまでのテクノ界のカリスマというキャリアを手放し、イギリスからドイツに移住し、ドイツグラムフォンと契約、ポスト・クラシカル、現代音楽の系譜にある新しい音楽に方向性を転じ始めている。これは、この周辺のクラブシーンを知る人にとっては衝撃的な出来事だったはず。

 

いよいよ、2021年、ヨーロッパを中心として今、最もトレンドといえるポスト・クラシカル、現代音楽シーンは、ほとんど、各国の音楽家の群雄割拠ともいえる状況になっている様子が伺われる。


そして、このポスト・クラシカル勢の台頭にあたり、クラシック音楽界隈の人々は、彼等のことをどう考えていたのかまで明確に言及できないものの、少なくとも、最近では、彼等は、クラシック音楽に馴染みのない音楽リスナー層も取り込んで、古典音楽への橋渡しをしようとしている。

 

実際、アイスランド交響楽団、BBC交響楽団をはじめとする古典音楽を中心として活動する集団も、これらのポスト・クラシカル勢の活躍に対しては、協力的な姿勢を示しているように思われる。

 

もちろん、ポスト・クラシカルという音楽は、それほど、クラシック音楽に馴染みのない人にも、クラシックへの重要な入り口をもうけ、”古典音楽の雰囲気を持った聞きやすいポピュラー”音楽を提示し、その先にある古典音楽へのバトンを繋げるという文化的な役割を担っているようだ。

 


現在の実験、現代音楽としてのトレンドの傾向を伺うなら、やはり、アメリカ、イギリスのアンビエント寄りのアプローチを取るクラブミュージック勢、あるいは、古典音楽家、ロベルト・シューマンやフランツ・シューベルト、フレドリック・ショパンのピアノの小品集の雰囲気を受け継いだドイツロマン派の系譜にある、ヨーロッパの現代ポスト・クラシカル勢の二派に絞られるかと思う。そして、その中にも、多種多様なアプローチを図る気鋭の音楽家達が今日のミュージックシーンを活気づけており、俄然、この辺りのシーンからは目を離すことができない。


今回の新しい特集「Modern Experimenral Music」では、上記のようなポスト・クラシカルとはまた異なる雰囲気を持った生粋の世界の最新鋭の実験音楽を紹介していこうと思っています。

 




Eli Keszler

 

 

ニューヨーク在住、イーライ・ケスラーは、現在のエクスペリメンタル音楽シーンの中で今、最も注目すべきアーティストの一人。パーカッショニストとして、そして、ヴィジュアルアーティストとしても活躍中の芸術家。 

 

 

 

Eli Keszler 1.jpg CC BY 2.0, Link

 

 

元々は、ハードロックやハードコアに親しみ、十代の頃からすでに作曲に取り組んでいたという。ニューイングランド音楽院を卒業を機に、マンハッタンに移住、ニューヨークを拠点にして活動中のアーティストです。

  

イーライ・ケスラーは、楽器のマルチプレイヤーであり、パーカッションだけにとどまらず、ヴィブラフォンやギターも演奏している。

 

最初の作品「Cold Pan」をイギリスのエレクトロやダンスミュージックを取り扱うレーベル、Panからリリースしている。


最初期は、アバンギャルド性の強い、ピアノの弦を打楽器的なサウンド処理を施し、それにくわえ、彼自身の音楽の最も重要な特長、パーカッションの小刻みなサウンドプログラミング的な音色加工をほどこしている。元来、イーライの音楽の本質がどこにあるのかと言うと、一例を挙げると、ジョン・ケージのプリペイドピアノの技法をより打楽器としての解釈を試み、それをきわめて前衛的な手法で解釈した音楽といえ、しかも、そこには、UKのエレクトロ界隈の最もコアな音楽性を取り入れている。またそこに、ブレイクビーツ、ドラムンベース、その先にあるドリルンベースを、イーライ・ケスラー自身のパーカッションの演奏で試みようとしているように感じられる。


ときに、スネアドラムの縁の部分を叩く”リムショット”の技法が取り入れられ、スティック捌き、そして、実際のストライクは、凄まじい速度である。つまり、生演奏のスネアやリムの素早いストライクにより、生演奏ではありながら電子音楽のグリッチに近い領域に踏み込んでいる。これをさらに楽曲アナライズとして解釈するなら、パーカッションの演奏にトーン・クラスターの技法を取り入れ、そこにクラブミュージックの要素、アシッド・ハウス、ダブ的な要素を付加し、異質なグルーブ感を生み出している。そして、実際にケスラーのパーカッションの演奏を聴いてみると、AIが演奏しているのではと聴き間違うかのような自動演奏に近い印象を受ける。


また、イーライ・ケスラーの音楽をトラックメイクという別の切り口から解釈するなら、自身の生演奏を録音した後に、ダブ的な手法で、短いサンプリングをかけ合わせて、それを一つのリズムとして入念に繋げるという、いうなればサウンド・デザイナー的な手法が取り入れられる。そこにビブラフォン、メロトロン、シンセサイザーのテクスチャーが重層的に加えられていく。これがこのケスラーという現代音楽家の生み出す音を、立体的構造的な構造にしているというわけである。

 

現地のニューヨーク・タイムズ誌は、イーライ・ケスラーの音楽的な背景について、「パンク・ロック、アバンギャルド・ジャズにある」としている。つまり、このケスラーの前衛性というのは、偶然に生まれでたものではなく、ましてや破れかぶれにアヴァンギャルドの領域に踏み込んだわけでもなく、まえの時代のニューヨークの前衛音楽、とりわけ、サックス奏者、ジョン・ゾーンをはじめとするフリージャズ、あるいは、往年のニューヨークパンクス達を生んだニューヨークに育まれた前衛音楽、つまり、この2つの文化側面を受け継いだがゆえのモダンミュージックなのである。

 

たしかに、ニューヨーク・タイムズが、彼の音楽を評して言うことは非常に理にかなっているように思え、イーライの最初期の作品においては、アヴァンギャルド・ジャズに近い手法が積極的に取り入れられている。また、よくよく聴いてみると、彼のリムショット、スネアのストライクには、ニュースクール・ハードコアの極限までBPMを押し上げたスピードチューンからの影響もあるように思える。

 

最初期のイーライ・ケスラーの作品は、お世辞にも親しみやすいとはいいがたものの、ここ数年、秀逸なトラックメイカーとしての真価を発揮しつつあり、作曲家として覚醒しつつあるように思え、楽曲においても一般的なクラブ・ミュージック等に理解があるリスナーを惹きつけるに足る音楽性に近づいている。

 

また、電子音楽家としてのキャリアも順調に積み上げている。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのツアーにドラマーとしてのサポート参加、あるいは、イギリスのエレクトロ/ダブ・アーティスト、ローレル・ヘイローの作品制作への参加等の事例を見てもわかるとおり、元々は、現代音楽寄りのアプローチを選んでいたイーライ・ケスラーではあるものの、近年では、少しずつではあるが、電子音楽、クラブ・ミュージックに近い立ち位置を取るようになって来ている。





「Stadium」 2018

 

 

 

 

 

この「Studiam」は、ケスラーの七年目のキャリアで発表された作品であり、フランスの実験音楽を主に取り扱うインディペンデントレーベル「Shelter Press」からのリリースされている。  

 

 

 

アルバムのトラック全体には、どことなく清涼感のある雰囲気が漂っていて、そして、ヴィジュアルアーティストとしてのサウンドスケープが、電子音楽として見事に描きだされているように思える。  


2011年ー12頃のアヴァンギャルド色の強い作品に比べると、今作「Stadium」で、イーライ・ケスラーはより多くのリスナーに向けて、このトラックをかなり緻密に作り込んでいる様子が伺える。


実際、今作は、彼の作品としては非常に親しみやすい部類にあり、落ち着いた感じのあるIDM(intelligence Dance Music)として楽しむことができるはず。


全体的にどことなく涼し気な雰囲気が満ちているのは、Caribouやレイ・ハラカミに近い質感があり、その中にも、イーライ・ケスラーにしか生み出し得ないパーカショニストとしての進化がこの作品には見られる。


それまでの作品に比べ、全体的な都会的な質感に富んだ雰囲気に満ちている。数学的な計算が緻密にほどこされた打楽器の小さな単位が、緻密に重層的に積み上げられ、彼独特の現代最新鋭のクールなブレイクビーツが形成される。

 

この作品で、イーライ・ケスラーが取り組んでいるのは、簡潔に言えば、パーカショニストとしての新たな領域への挑戦、冒険といえる。打楽器の音ひとつの音響の単位を極限まで縮小し、それを、サンプリングとしてつなぎあわすことにより、独特のビート、特殊なリズム感を生み出している。しかし、最初から最後まで、自分自身の実際のパーカッション演奏のマテリアルを利用している。リズム自体は、徹頭徹尾オリジナルで、これは、ほとんど驚愕に値する技法である。

 

パーカッションの音は、トーン・クラスターに近いものがある。それをリマスタリング作業で、音域を自由自在に操り、ダブ的なサウンド加工を施すことにより、アシッド・ハウスの雰囲気に近い現代的なグルーブ感を生みだすことに成功している。


そして、それは、楽曲中において、リズム自体が極限までたどり着いて、リズム性としての行き詰まりを見せたとき、エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーのようなダイナミックなドリルンベースへと様変わりを果たす。これは、ほとんど驚愕すべき現代音楽のひとつといえるでしょう。


パーカッションの生演奏により、電子音楽の最新鋭に近づき、それを乗り越えた未来の音楽が今作では心ゆくまで味わえるはず。 

 

 

 

 Listen on Apple Music

 

 

 

 

「Icons」 2021 

 

 

 

 

 

 

イーライ・ケスラーは、今作「Icons」においてさらなる新境地へと進んだ、と、いえるかもしれない。レコーディング作業はニューヨークのロックダウン中に行われ、彼は人が途絶えた夜のマンハッタンをそぞろ歩き、実際のバイクや車のモーター音を丹念に記録し、今作「Icons」の楽曲のサンプリングとして取り入れている。もちろん、それ以前にフィールドレコーディングは、断続的に行われており、世界中の生きた音がここではサンプリングとして取り入れられている。

 

イーライ・ケスラーは、このロックダウン中において、文明の移り変わりの瞬間を肯定的な側面から物事を捉え、それを音楽として表現する。もちろん、サンプリングとして取り入れられているのは、何も現代の人々の生活音だけにとどまらない。中には、古い時代のフィルム・ノワールも存在する。そういった新旧の音楽が組み合わさることで、ひとつの強固な音響世界が形成される。

 

アルバム全体のアプローチとして、前作「Stadium」と聴き比べると、その違いが理解できるかと思う。ここでは、ローレル・ヘイローへの作品参加の影響もあってか、ダブ寄りのアプローチに進み、アシッド・ハウスに代表されるような音の質感に彩られる。そして、この独特の陶酔的な雰囲気は、間違いなく、ロックダウン中のニューヨークのマンハッタンでの夜の文明の新たな移り変わりの瞬間を、彼は、見事に音楽として描出することに成功している。それは、マンハッタンの夜の街の姿が見る影もなく変貌した瞬間を捉えたすさまじい作品であるとも言える。

 

今作「Icons」では、シンセサインザーの音源に加え、グロッケンシュピール、(チベットボウル)をはじめ、新しい楽器も数多く取り入れられているように伺え、それも、旋律楽器と打楽器的の中間点にある演出が施されている。この独特なイーライ独自のアンビエンス、環境音楽の雰囲気は、2021年にマンハッタンの夜の街角で彼自身が体感した大都会の静寂を”音”で表したといえる。そして、この作品には、どことなく、イギリスのダブ・ステップのアーティスト、アンディ・ストットに近い質感に彩られており、不思議なほど甘美な印象を聞き手にもたらすことだろう。

 

今作においての、イーライ・ケスラーの楽曲の中に感じられる静寂、その奇妙で得がたいサイレンスというのは一体、何によってもたらされたのか。ウイルスの蔓延なのか? また、あるいは、それとも、蔓延を押しとどめようとする圧力なのか? 

 

そこまで踏み込んで明言することは難しいかもしれない。しかし、少なくとも、この名作において、ケスラーは、真実を、真実よりもはるかに信憑性のある「音」により明確に浮かび上がらせている。ニューヨークの殆どの経済活動がロックダウンにより、たちどころにせき止められた瞬間、その向こうから不意をついて立ちのぼってきたマンハッタンの姿を、その夜の果てにほのみえる摩天楼の立ち並ぶ奇妙な世界を、気鋭の現代音楽家、イーライ・ケスラーは、最新作「icons」において、パーカッショニストとしての現代/実験音楽により、異質なほどの現実感をもって克明に描き出してみせている。 

 

 

 


Listen on Apple Music


 

 

 

 

参考サイト

 

 Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Eli_Keszler

 

 

BEATNIK.com https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11877

 20年代のクイア・アーティストの台頭

 

 


 

 

20年代のアーティストの生み出す音楽というのはかなり特徴的だ。まるで何十年も音楽をやってきたかのような風格があるのがこういったミュージシャン達の特質であり、素人臭さであったり、青臭さというのが彼等には全然感じられず、異質なほどのプロフェッショナル性によって裏打ちされた音楽がサブスクリプションの配信曲としてパッケージされ、一般のリスナーの元に届けられる。

 

 

なぜ、彼等彼女らは、こうもあっけなく完成度の高い音楽を、時にはティーンネイジャーの段階で、やすやすと作り上げてしまうのだろう?

 

 

考えるにその理由というのは、サブスク配信の申し子である彼等彼女らがたとえ実際の音楽遍歴が十年くらいだとしても、その情報量、蓄積量の多さが何十年もの音楽フリークにも比するものがあるからかもしれない。つまり、極めて早い速度での音楽体験をこういったアーティストは日々、当たり前にしているため、音楽の洗練、醸成に以前ほどの時間を要さなくなって来ている印象を受ける。

 

 

これらのアーティストの中で有名な一ジャンルは、”ベッドルームポップ”といわれ、必ずしもバンド形態をとらず、アーティストひとりでその完成品をマスタリング作業までやり、完成品としてパッケージしてしまうという器用さ。いわゆる宅録として展開されるロック、ポップスともいうべきその代表格ともいえるのが、ノルウェーの”Girls in Red”で、今一番シーンで勢いが感じられるアーティストだ。

 

 

そして、最も世界的に有名なビリー・アイリッシュも同じで、これらの00年代を境に出生したアーティストというのは、全時代の人間に比べて「性の種別」という概念が薄く、その音楽性というのも、どことなく中性的である。女性アーティストなのに男らしさを感じさせたり、男性アーティストなのに女らしさがあるように、古い世代から見ると、実に風変わりな印象を受けるはず。

 

 

これらのアーティストとしての魅せ方、引いては、そのアーティストの内奥にふつふつと湧き上がる精神、概念というのは、往年のマドンナであったり、マライアの時代から見ると信じがたいくらいかけ離れたものといえるだろう。むろん、デヴィッド・ボウイやマーク・ボラン、ニューヨーク・ドールズ周辺の、往年のグラムロックアーティストを知る人から見れば、彼等彼女らの概念というのそれほど珍奇に感じられないだろうし、ごく自然なものと飲み込んでもらえるだろうかと思います。只、ここで付言すべきは、そういった中性的なキャラクターを舞台俳優のように演じでいるわけではなく、それを自らの生き方に取り入れ、アイデンティティを誇らしく掲げているのが、これらのアーティストの以前のグラムロックアーティストとは異なる点だろう。


 

 

クィアー・ミュージックの新星 Ana Roxanne

 

 

 

今回、ご紹介するAna RoxanneというLA在住のアーティストも、近年流行中の、クイアというムーブメントから出てきた個性的で、面白い音楽家のひとりだ。

 

 

一般には、ニューエイジをはじめ様々な呼称が彼女の音楽に与えられている。一応、与えられてはいるものの、他方では、アンナ・ロクサーヌの作品を扱っているセールス側に大きな困惑を与えているのは確かだろう。なぜなら、単純にこの音楽は新しいから、以前の耳では咀嚼できない。”耳”を数年先まで推し進める必要性があるのだ。その辺りに市場側も、このアーティストに単色のイメージをラベリングすることに躊躇を感じているようにも思える。ゆえに、他のアーティストよりもはるかに難物な雰囲気すら滲んでいる。

 

 

もちろん、作品を実際に聴いてみればそのことがよく理解できるはずだ。ビリー・アイリッシュ、ガールズ・イン・レッドのような分かりやさ、キャッチーさは、ロクサーヌの音楽にはのぞむべくもない。これは海のものとも山のものともつかない風変わりな音楽なのかもしれない——。しかし、それはこれまでになかった新しい音楽の台頭を感じさせる。

 

 

ここ二、三年の数少ないリリース作品を聴くかぎりで、そういったジャンル、音楽上の種別というのは、アンナ・ロクサーヌを前にしては、何の意味もなさないと理解できる。そもそも、アンナ・ロクサーヌという音楽のジャンルは、他者からの識別、ラベリング、ジャンル分けを強烈に拒絶し、そして、それを”音の芸術表現”という強烈な個性で描き出そうと努めている様子が感じられる。

 

 

アンナ・ロクサーヌの音楽性の中に見出すべきなのはリスナーに対する媚や安っぽいおためごかしなどではない。そこに感じられるのは、強い、異質なほど内的なクールなストイックさなのだ。いや、そのためにむしろ、Ana Roxanneの音楽は、他にはないほどの強烈な個性と輝きを放っている。

 

 

 

「Because of a Flower」2020

 

 


 

 

Ana Roxanneを知るための手がかりというのはまだ非常に少ないのが少しだけ残念だ。それはほとんど雲をつかむような話でもある。

 

 

デビューして間もない音楽家でありアルバムリリースというのはこれまで一作。だから、その数少ない音の情報を頼りにし、このアーティストの良さについて静かに熱狂を抑え、非常に慎重に語るよりほかない。

 

 

最新作「 because of flower」は前作のEP「ーーー」の方向性を引き継いで、”アンナ・ロクサーヌという音楽性を明瞭に決定づけた作品”というふうに呼べるかもしれない。1stトラック「Untitled」から、会話式の語りが挿入され、これが非常に、舞台的、もしくは、映像的な音の効果を与えている。

 

 

そして、この語りというのが、古典音楽のモチーフのようについて回り、作品のどこかで再登場するというのは、少なくとも、付け焼き刃の思いつきなどでは出来ない音楽に対する高度な見識を伺わせる。

 

 

2ndトラック「A study in Vastness」では、米国で有名な声楽家、メレディス・モンクのような声としての前衛芸術、ミニマリスムを思わせるテクスチャを形成することにあっけなく成功している。自身の声を多重録音することにより、それをアンビエンスとして解釈し、奥行きのある音響世界を構築していく。

 

 

そして、このあたりに漂っている奇妙で異質さのある雰囲気、これこそ「クィア」という概念そのものの体現であり、ドローン、アンビエントともつかない、異質なエスニック風味すら思わせる独特でエキゾチックなシークエンスというのは、このアンナ・ロクサーヌという芸術家にしか描き得ない、内的な心象風景の音の現れだろう。

 

 

また、こんなふうにいうと、少しばかり、このアーティストが崇高な感じもうけるかもしれない。だけれども、このアルバム全体のイメージに関して言えばそのかぎりではない、その中に近寄りやすさというのもある。

 

 

「Suite Pour L'invisible」では、ドイツの前衛電子音楽家、NEU!のファーストアルバムに収録されている「Seeland」を彷彿とさせる静かでアンビエント風の電子音楽に取り組んでおり、さらに、ロクサーヌの伸びやかな美声が心ゆくまで堪能できる。これは、ナチュラリストとしての彼女の精神の姿を映し出した透徹した鏡のような楽曲であり、ヒーリング効果のある音楽としての聴き方もできるかもしれない。

 

 

前年にEPという形でリリースされていた楽曲をアルバムに再収録した「ーーー」も、往年の古いタイプの電子音楽を踏襲した楽曲であり、これまた全曲のように心やすらぐような雰囲気を味わえる。アナログシンセをマレットシンセのような使用法をすることにより、連続的な音を積み上げていき、立体的なテクスチャのもたらす快感性を生み出すことに難なく成功している。流石だ。

 

 

さらに、また、このアーティストが只のヒーリング音楽家ではないことを明かし立てているのが次曲「Camillie」といえ、ここでは、ごくごくシンプルなマシンビートを、曲の主な表情づけとし、そこにアシッド・ハウス的なアダルティな風味をそっと添え、夜の都会のアンニュイさを感じさせる雰囲気も滲み出ている。楽曲の連結部として、対旋律風に導入されるフランス語の会話のサンプリングというのも一方ならぬ知性を感じさせる。

 

 

ラストトラック「Take The Thorn,Leave the Rose」では、フュージョンジャズ的なギターが特徴のこのアルバムでは異色の楽曲といえ、アウトロにはバッハの平均律の前奏曲の旋律がヒスノイズを交えて流れてくるあたりも唸らせる。この辺りに、古典音楽にたいしての親和性、音楽フリークとしての矜持が窺え、非常に興味深い。

 

 

音楽的なバックグラウンドの広さ、そして、クイアという概念を強固な音の表現性により、ひとつの芸術として完成させているのが今作の特徴といえるかもしれない。その内面からの強い性格がヒーリング的な寛いだ印象とあいまって、これまで存在しえなかった新しい二十年代の最新鋭の音楽のニュアンスを生み出すことに成功している。個人的に、かなり期待したい有望なアーティストの一人だ。