ヘイリー・デイヴィスは、ローレル・キャニオンのソングライティング全盛期を彷彿とさせる数々のアーティスト――アレックス・アーメン、ドラッグディーラー、シルヴィー、サム・バートンなど――が活躍する、ロサンゼルスの魅力的なシーンに属しており、彼女自身も彼らのプロジェクトに数多く参加している。サイケデリック・フォーク・ポップや70年代のコズミック・アメリカーナのルーツに立ち返りつつ、ヘイリーのサウンドは、キャッチーなフックと壮大なコーラスをふんだんに盛り込んだ、現代のポップミュージックに対する中毒性のある独自の解釈だ。彼女はまさに、Z世代以降の世代のためのカーリー・サイモンと言えるだろう。その高揚感あふれる歌声の幅は、ジョーン・バエズ、キャロル・キング、エミルー・ハリスの間にある。
デイヴィスの成長物語であるこのデビュー作は、迂回されたインターチェンジの脇にある人けのないダイナーを舞台にしたタウンズ・ヴァン・ザントの物語のように展開する――親密で、映画的で、静かな大胆さを秘めている。
ヘイリー・デイヴィスは、キャロル・キングやジョニ・ミッチェルがソングライティングの概念を再定義した1970年代初頭の精神を受け継いでいる。そのタイムトラベル的な感性は、アルバムのタイトルトラックである「Wandering Star」で称えられている。ピアノが主導するこの曲は、切なさに満ちた瞑想的な楽曲であり、カレン・カーペンターの不気味な影を帯びつつ、輝かしくも切ないサブメロディーに支えられている。
「私は夢を追うために、家と慣れ親しんだすべてを後にしました。それは私がこれまでにした中で最も困難なことでしたが、最も重要なことでした」
デイヴィスは、サム・バートンやドラッグディーラー、アレックス・アメンらと共に、活気あふれる西海岸のシーンの中で居場所を見出しました。デイヴィスはこう語ります。
「誰もが心の奥底でささやく、天からの呼び声を持っていると信じています。その声に耳を傾ける決断は、不可能な選択のように感じられるかもしれません。少なくとも私にとってはそうでした。『放浪の星』であるには、大きな勇気も必要です。道に迷いながらも、前に進む意志を見出すことは、非常に困難なことなのです」
音楽コミュニティについて、デイヴィスは次のように語っている。「私たちは似たような音楽への深い愛を共有していますが、それぞれが独自の方法で創作に取り組んでいます。これまで私を信じてくれた人々に心から感謝しています。彼らがいなければ、これは実現しなかったでしょう。このアルバムは、苦労の末に生まれたグループの共同作業の結晶です。サム・バートンとバンドの皆に感謝します。彼ら一人ひとりが、今の私というアーティストになるまでの物語に、深く織り込まれているのです」
『Wandering Star』は、ヘイリーの人生、勝利、敗北、出会ったすべての人々、訪れた場所、そしてこれまでの道のりの集大成である。
『ローリング・ストーン』誌は、デイヴィスの過去の作品を「柔らかな色合いのローレル・キャニオン・フォーク・ポップ」と称賛してきたが、『Wandering Star』では、その音楽的視野はさらに広がっている。成熟した世界観と独特な歌声は、時にラナ・デル・レイやウェイズ・ブラッドを彷彿とさせ、グラム・パーソンズへのオマージュを紡ぎ出す。そのハイブリッドな要素は、自己省察に満ちた情熱的な楽曲「I Was Wrong」において、存分に発揮されている。
現代のポップスに対する新鮮なアプローチである『Wandering Star』は、耳に残るフック、高揚感あふれるコーラス、そして心に響くストーリーラインに満ち溢れ、聴く者を魅了する。ヘイリー・デイヴィスは、ポストZ世代のためのカーリー・サイモンとして登場した――その感覚は時代を超越しつつも、紛れもなく今を生きている。
デイヴィスはこう締めくくる。「何かの一部であると感じていても、私は自分のやり方で物事を進めている。友達もできたし、敵もできた。幸運に恵まれたこともあれば、失敗したこともある。アルゴリズムやフォロワーに振り回されないために、自分が誰なのかを忘れないことが大切だ……曲を書くことは、この世界で私にとって意味を成す数少ないことの一つ。それは、私が迷いながら歩む時の北極星のような存在だった」
ヘイリー・デイヴィスは、サンフランシスコから北へ約1時間のところにある、カリフォルニア州北部の小さな農業の町出身だ。幼少期、カントリー音楽のラジオ局「Froggy 92.9」に合わせて歌う母親の歌声が耳に響き、それがデイヴィスに歌うきっかけを与えた。両親は共にブルーカラー労働者だったため、ヘイリーは芸術を単なる趣味以上のものとは考えず、一生懸命働き、必死に努力するよう教えられてきた。
19歳で学校を中退し夢を追うようになったデイヴィスは、その大半をレストランでの仕事やダイブバーでのライブ演奏に費やし、できる限りいつでもどこでもレコーディングを行い、試行錯誤しながら学んでいった。LAの音楽シーンで仲間を得た後、デイヴィスは楽曲制作とレコーディングに取り組み、ついにデビュー・フルアルバム『Wandering Star』の楽曲をまとめ上げた。この作品は、愛、失恋、模索、発見、苦難、そして勝利の集大成となっている。
至福のバラード「Horns of Time」は、エミルー・ハリスを彷彿とさせる哀愁を帯びたコズミック・カントリーの色彩を紡ぎ出す。続く『Give Me a Rainbow』は、クレイロを彷彿とさせるローファイなフォークの夢想曲であり、まるで裏庭のポーチに腰掛け、自らのルーツに畏敬の念を抱く、目を輝かせたドリー・パートンをフィルターにかけたかのようだ。『ローリング・ストーン』誌は、デイヴィスの過去の作品を「柔らかな色合いのローレル・キャニオン・フォーク・ポップ」と称賛してきたが、『Wandering Star』において、彼女の音楽的視野はさらに広がっている。成熟した世界観と独特な歌声は、時にラナ・デル・レイやウェイ・ブラッドを彷彿とさせ、グラム・パーソンズへの賛歌を紡ぎ出している。このハイブリッドな要素は、自己省察に満ちた情熱が込められた『I Was Wrong』において、余すところなく発揮されている。
現代ポップへの斬新なアプローチである『Wandering Star』は、中毒性が高く、キャッチーなフック、高揚感あふれるコーラス、そして聴く者の心を揺さぶるストーリーラインに満ち溢れている。
Haylie Davis 『Wandering Star』- Fire Records
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ローリング・ストーン誌が名付けた「キャニオン・フォークポップ」という呼称は言い得て妙だ。ロサンゼルスのソングライター、ヘイリー・デイヴィスの音楽は、グランドキャニオンのような雄大な渓谷の風景を思いこさせる。その雄壮な音楽的な舞台を通じて、人生や感情、そして時間が流れていく。ゆったりとしているが、核心があり、もちろん何度も聴きたくなるような魅力に満ち溢れている。デイヴィスは歌の持つ本当の力を巧みに引き出す類まれなシンガーだ。
2026年度のリリースはフォークミュージックがすこぶる堅調な印象だ。『Wandering Star』は「第?次フォークブームの到来」を印象づける。ジョニ・ミッチェルからキャロル・キング、そして現代的なラナ・デル・レイからウェイズ・ブラッドにいたるまで、新旧の女性主導のフォークポップを吸収し聴き応えのある作品に仕上がっている。特に、ヘイリー・デイヴィスはハイトーンの伸びやかなビブラートのボーカルが傑出し、その歌声には、ほれぼれとしてしまうものがある、少なくとも、作品全体にはロマンティックで陶酔感のある雰囲気に満ちている。
70年代の「コズミック・アメリカーナ」は、The Byrdsのグラム・パーソンズが最初に提唱したもので、ルーツミュージックから、サイケデリック、フォーク、ブルース、R&Bなどアメリカ独自の音楽を抽出したジャンルだ。この年代のアメリカのUSポップ/ロックを聞くと、いかにもアメリカな匂いがあるが、これらはルーツ音楽を活かし、大衆的なロック/ポップソングに昇華させようという試みでもあった。もちろん、それは憶測に過ぎないのだが、音楽の背景が最も重要であり、『Wandering Star』に出てくるようなアメリカンカルチャーの生活様式、西海岸のヒッピー思想、それからファッションスタイルなど、さまざまな文化的な背景を織り込んでいたことはおそらく事実なのだろう。また、ローリング・ストーン誌の指摘に加え、カーリー・サイモンの系譜に属する心温まるフォークポップがヘイリー・デイヴィスの実質的なデビューアルバムに共通している。というか、『Wandering Star』はベテランミュージシャンが作るような渋い作品で、三作目か五作目ではないか、とさえ錯覚させる。 ようするに音楽が完成されていて、ボーカルにしても、すでに多数の作品を歌ってきたような貫禄が感じられるわけだ。これはまた、ハイリー・デイヴィスという人物がすでに完成された人格を持つことを印象づける。
現代的な人々は、ITを始めとする現代的なテクノロジー社会の中で生きているが、このアルバムで感じさせるのは、本質的な生き方や考えというのは、50年くらい経ってもあんまり変わらない、ということである。むしろ現代的な人々は、数十年前の人よりも、はるかに利便性の高い社会で生きている。しかしながら、人間の本質的な考えや苦悩は、その時代からほとんど変わらない。ハイリー・デイヴィスは、デジタル・デバイスに生きる現代人が見落としがちな視点を探り、それらを雄大でロマンあふれる形のフォークポップ集に昇華させている。これはまた、見方を変えれば、現代的なテクノロジーに翻弄される現代人の悲しみを歌ってもいるのだ。アルバムには、古典的なテーマも内在しているが、それは古びたわけではない。いや、時代を超越するような概念を盛り込んでいるからこそ、その歌やメロディーが共鳴するのである。
一曲目の収録される「Country Boy」は故郷の少年を歌った郷愁的な内容の楽曲である。イントロから、ヘイリー・デイヴィスの伸びやかな歌声がただならぬ存在感を放つ。歌い方が自然で、声の使い方に無理がない。アコースティックギター、ドラムを伴奏に今や遠く離れた人への慕情を歌い上げる。さらりとしているが淡白な感じはない。それどころか、琴線に触れるようなフレーズを通じて、このアルバムの核心となる哀愁に満ちたフォークポップが繰り広げられる。どことなく無味乾燥で淡白になりがちな現代的な歌手の中で、ハイリー・デイヴィスは驚くほど叙情的で、ときにラウンドスケープすら感じさせる雄大なフォークバラードを歌い上げる。ボーカル自体は繊細であるが、同時に力強さもある。己の力で人生を切り拓いてきたというようなデビューアルバムらしくない、パワフルな自負心のような感覚が宿っているのだ。あるいは、その後に続く、ペダルスティールというより、スティールギターのように聞こえるエレクトリックギターが、円熟味を感じさせるような深みや奥行きを呼び起こす。音楽そのものが、新しいとか古いとか、そういった指針だけでは語り尽くせぬものがあることを証明する。ハイリー・デイヴィスの音楽には確かに、時代を超えるような広やかな感覚に溢れている。
「Country Boy」
一方で、「Golden Age」はThe Byrdsの系譜に属し、フォーク・ロックとポップの中間に位置する。現代的なフォークシンガーは、ブルースやR&Bといった音楽の影響を薄めてしまったが、ヘイリー・デイヴィスはミッチェルやキング、ジョップリンのようなシンガーと同様に、R&Bやブルースの影響を保持している。まあ、こういった音楽は現代の音楽ファンにとっては、どうしても博物誌的な聴き方になってしまうかもしれないが、実際的には、それは音楽というより啓示的な内容なのである。デイヴィスは、アメリカのルーツ音楽へと接近しながら、 カントリー、フォーク、R&B、ポピュラーといった、際限のない多彩なジャンルを踏襲しながら、メンフィスのような地域のR&Bのリズムを巧みに駆使し、オーティス・レディングのようなサウンドを現代的な質感を持つカントリーポップへと置き換えている。音楽のテーマは、古典的なのだが、 モダンな印象を持つさらりと歌うデイヴィスのボーカルが涼し気な雰囲気を呼び起こす。
「I Was Wong」のような曲は、周りに惑わされず、自分軸で生きようというヘイリー・デイヴィスの考えが滲み出ている。R&B/ゴスペル/ブルースの影響をもとに、メロウな雰囲気を呼び起こすギター、そしてボーカルなどを混在させながら、シンガーは過去の記憶を捉えつつ、抒情的に歌い上げる。そして解き明かし難い感情を、内面を吐露するような告白的な歌詞によって紡いでゆく。この曲は基本的にマイナー調の曲だが、ときに内的な感情を暗示するかのように、暗くなったり、明るくなったり、変遷を描きながら、癒やされるような音楽性を引き出していく。
そして、このアルバムの歌で共通する「No No No」という自らの考えを遠ざけるような歌詞を織り交ぜながら、音楽的にもあるいは詩的にも奥行きのある独自の世界を展開させるのである。
「Born to Be Blue」は、ポピュラー音楽の基本要素を構成する起承転結を強く意識した楽曲で、渋いながら名曲である。R&Bの印象が強く、アレサ・フランクリンやジャニス・ジョップリンのような、往年の名シンガーの名曲を彷彿とさせる。お決まりのピアノとドラムのイントロから、ゆったりとしたテンポを通じて、タイトルにあるようなブルージーな音楽を作り上げる。ある一つの歌詞やフレーズが繋がっていき、物語のように転がっていく非常に面白い楽曲である。間奏のギターソロもかっこいいが、特にサビの終わりの素晴らしいボーカルに注目したい。
「Born to Be Blue」
ヘイリー・デイヴィスの曲は、まるで人生の流れを象徴するかのように、その音楽の背景に、実際的な出来事や人生観を映し出していく、まるでそれは音楽による映画のようなもので、時々、ふっと映像的な印象を帯びることもある。しかし、同時に映画的な音楽を作ろうとすると、たぶんこういった音楽にはならない。つまり、デイヴィスはみずからの人生を映画のように見立て、それらを的確な歌詞や音楽によって丹念に作り上げていくだけなのである。音楽は流れていき、「Lily of The Valley」のような曲では、コズミック・カントリーと称されるような壮大な趣を持つカントリー・ポップを聴くことができる。今やほとんどのロックやポップで使用されるペダルスティールですら、それは借り物の音楽ではなく、ましてや、博物誌的な表現でもなく、農場や田舎の小道のような音楽的な風景の印象と相まって、生きた有機物のようにリアルに機能している。音楽自体が生きているようにはつらつとしていて、メロディ、リズム、テンポ、さらにハーモニーの要素にいたるまで、楽しげで広大な印象性に縁取られている。そして、同時にそれは、アーティストにとって、原体験の意味を持つ子供の頃のラジオでカントリー音楽を聴いていた時代へと誘い、共鳴的な感覚を呼び起こすのである。それは同時カタルシスを呼び起こし、聴き手の忘れ去られた過去の不明瞭な記憶をぼんやり呼び起こすのだ。
以降の「Give Me A Rainbow」にしても、「Young Man」にしても、ヘイリー・デイヴィスが、ルーツミュージックを志していることに変わりはない。しかし、それはアメリカ的な黄金期を表すゴールデン・エイジやオールド・タイムのような概念というよりも、現代的な風景の中に残る古き良き時代を思わせる。 The Byrdsのようなロック、ブルース、フォークの中間にある渋いリズムの中、へイリー・デイヴィスは、カレン・カーペンターを彷彿とさせる純真なボーカルを紡ぎ出す。その中で、サビを通じ、牧歌的な良心とも呼ぶべき善良な感覚を引き出す。それらは結局、協力してくれた人々への感謝、たゆまぬ愛情といった感覚を表現するためのものであろう。それらは曲の最後で登場するような夢想的なスキャットの部分で高らかな感覚に行き着く。一方、「Young Man」 はカントリーを基調としたポップソングで、南部的な空気感を持ち合わせている。ヘイリー・デイヴィスは映画のワンカットで流れる印象的なボーカル曲を歌う上げるように、物語性をにじませながら、カントリーポップの雄大な音楽世界を跋渉していく。
ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングを彷彿とさせる繊細なフォークポップソングが『Wandering Star』の重要な流れを形作る。「Horns Of Time」はその象徴であり、懐かしく、少し憂いに満ちた切なさが、心地よい大きめのサウンドホールを持つアコースティックギター、そして大気や雲のように渦巻くスティールギター、温かみを持つデイヴィスのボーカルと巧みな形で融合している。こういった曲を聴くかぎり、ルーツミュージックのような文化的な歴史を持つ音楽は長い時間をかけて熟成されていくもので、一日や二日で完成されるものではない。
ローマは三日でならず、という慣用句が象徴するように、こういったルーツ音楽というのは、付け焼き刃や模倣ではないしえないのである。ヘイリー・デイヴィスは自国の文化を尊重し、愛しているから、こういった音楽が制作できるのだろうか。また、一文化の持つ時間の流れや重さを弁別してもいるといえるかもしれない。実際的に、この曲はアメリカのインスタントな体験などではなく、奥深い思想的な領域や、生活様式や考えといった表向きには得られない概念のような核心を把捉できる。バンジョーのような民俗的な弦楽器の音色も、不思議な安らぎと癒やしを感じさせてくれる。こういった曲は多忙な現代人の心にほどよい空白を作ってくれる。
他の曲に埋もれがちだが、意外と聴きのがせないのが「Lonely Too」である。ギルバート・オサリバンの「Alone Again」のような効果的なポップソングのリズムを通じて、デイヴィスはやや天真爛漫な印象を持つボーカルを披露する。しかし、オサリバンの曲とは対象的に、この曲はモータウンのソウルの音楽性を踏襲し、かなり渋い領域にまで踏み込んでいる。特にピアノの同音反復のベース的な効果を活かしながら、アルバムでは最もカラフルな印象を持つポップソングへと昇華させている。先にも述べたように、デビュー作らしからぬ傑出したポップセンスで、こういったジャンル(ポップソング)の基本的な形が凝縮されているのではないかと思う。この曲を聴くと分かる通り、現代の歌手ではボーカルが傑出していて、またセンスも抜群。
こういった中で、全体の「起承転結」のクライマックスの部分が出てくる。アルバムを聴くときの密かな楽しみは、ロックにせよ、ポップにせよ、様々な音楽が混在しながら、そのコアのような部分が出てくる瞬間である。そしてその時、見ず知らずのアーティストやシンガーの存在に近づけたかもしれない、という気がする。そういった意味では、一貫して、レビューというのは、アーティストやバンドに近い場所にいると出来ないという慣例になっているかもしれない。
さて、終盤で登場するタイトル曲「Wandering Star」は本作全体の結尾の箇所である。現代的に言うと、ウェイズ・ブラッドのような西海岸のクラシカルなポップ運動に列する。しかし、デイヴィスの場合は、R&Bの影響が色濃い。70年代のソウルを中心に音楽が機能している。その中には、愛、失恋、模索、発見、苦難、そして、勝利といった、一連のテーマが暗示されている。アルバムでは、最もドラマティックな印象を帯び、単なる音楽以上の概念が示されている。
曲のアウトロでは、特殊なミックスとマスタリングが施され、R&Bの古典的なソウルが徐々にサイケデリック風の「デチューン」の印象を帯びる。アナログ・レコードの回転数が少しずつ変化していくような摩訶不思議なイメージを形作る。その時、リスナーはまるで過去の時代に迷い込んだように、ノスタルジックな、あるいはアナクロティスティックな気分に陥るのである。
「Mouring Dove」は、デモソングのようにささやかなフォークポップソングである。言ってみれば、フォークミュージックのコーダの部分で、作者の言い残したことを、ちょっと付け加える内容となっている。このクローズ曲は、たとえば、英国の歌手、ローラ・マーリング(Laura Marling)のような現代的なフォークバラードの名手の音楽を彷彿とさせる。この曲が収録されているおかげなのか、作品全体は、爽やかなエンディングを形作り、心地よい後味を残してくれる。そういう意味では、先週のグレッグ・メンデスのフォークソングとは対照的な印象を帯びる。この曲はやはり、現代的な生活で忘れられがちな純真なエモーションが織り交ぜられている。
日々、生きていると様々な問題に翻弄されることがある。それでもヘイリー・デイヴィスの音楽は確かにそういった苦悩を忘れさせてくれる力がある。時を忘れ聞き入ってしまう類まれな傑作だ。
94/100
「Wandering Star」






















