イングリッシュ・バロックの世界 シェイクスピアと演劇 ヘンリー・パーセルのセミオペラの登場
・北フランスとの交流 イギリス国教会との音楽の歩み
イタリアやフランスで沸き起こったルネサンス運動は、イギリスでも16世紀から17世紀にかけて隆盛をきわめた。元々、イギリス文化に関しては、単一民族で成立したものではない。10世紀にノルマン人が北フランスのコタンタン半島にノルマンディー公国を打ち立てた。6世紀ごろからノルマンディはイングランドに侵攻し、専有地を設けた。その後、1066年になると、ノルマンディー公国のウィリアムがイングランドを征服、やがてノルマン朝を樹立した。
このあと、およそ300年にもわたってイギリスは、フランスとの文化的な交流を続けた。おのずと、宮廷文化の形式、教会文化を両国は共有することになった。また、それ以降、イギリスにはフランスの音楽が伝来し、12世紀から13世紀にかけてイギリスの音楽のほとんどはパリの影響下にあった。イギリス音楽はノートルダム楽派の影響を受け、発展し、やがてそれはフランスのブルゴーニュ楽派の成立を後押しした。
こうした中、イギリス音楽は第二期とも呼ぶべき発展の時代を迎えた。それが宗教音楽の時代である。イギリス国教会ではカトリック的な典礼の中で、音楽文化を育んできたが、ヘンリ8世の時代から従来のカトリック式の典礼を改革した。従来のラテン語での歌唱を取りやめ、音楽的にもカルヴァン派の手法を取り入れることになった。その中で、アンセムが登場し、合唱隊が活躍。エリザベス一世の時代には、バード、タリスといった宗教音楽の優れた作曲家が登場した。
いかにイギリス音楽の発展が公国や王族、そして宗教音楽によって支えられてきた側面があるとはいえども、16世紀から17世紀以降に差し掛かると、イタリアのオペラが登場し、イギリスンの音楽も変容せざるを得なくなった。そして、このイタリアやフランスでのオペラやバレエの発展を期に、イギリスのバロック音楽も歴史上において重要な分岐点を迎えたのだった。
・シェイクスピアと演劇、そしてオペラ
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その音楽発展を支えたのが、戯曲や演劇で有名なウィリアム・シェイクスピアである。現在ではシェイクスピアのオペラは総数300以上にものぼり、もはや定番化している。通称ロミジュリこと「ロミオとジュリエット」、 「マクベス」、「夏の夜の夢」など、グノー、ヴェルディ、ブリテンなど国内外の優れた作曲家たちが、シェイクスピアの劇伴音楽に取り組んできた。
シェイクスピアの戯曲は、文章だけで読んでも味気なく、舞台上の人物たちの動き、口頭劇、そして時には音楽的な内容が伴わないと、物足りなさを覚える。言ってみれば、シェイクスピアが目指したのは、オペラそのものだったのではないかとさえ思える。
ウィリアム・シェイクスピアはゲーテ、セルバンデスと並ぶ世界的な文豪という一般的な評価を与えられている。実際的に、彼の戯曲を読んで見ればわかるが、その圧倒されるような文章量は、他の追随を許さない。しかし、他方、やはりシェイクスピアは必ずしも文学者だけにとどまる人物ではなかった。演劇の世界に革命を起こし、そしてその中で、音楽的な要素をもたらし、従来のイギリスの演劇の世界に音楽をもたらしたマルチクリエイターでもあったのである。
そもそもシェイクスピアは劇の中で音楽を巧みに使用し、その技術が非常に長けていたと言われている。彼は音楽によって、物語そのものを際立たせたり、あるいは、ストーリーの変化を効果音的に表現することによって、ワーグナーの歌劇のような音楽的な音響効果を付け加えた。
シェイクスピアの時代の演劇に使用された音楽の資料は残されていない。しかし、それらのほとんどはポピュラー音楽に近く、短い効果音のような音響にとどめられていた。一方で、その劇伴音楽の使用法はきわめて多彩な内容であった。例えば、宴会、夜会、行進、決闘など、演劇の象徴的なシーンで、演劇のイメージを強調するような効果音が使用されていた。しかも、それは台本のト書きにも記され、「オーボエ、トランペットなど静かな音楽」と音楽監督のような指示が明確に記載されていたのである。これはシェイクスピアが完全なオペラには至らないにせよ、フランスのバレエやイタリアのオペラを演劇に導入しようとしていた形跡でもある。
また、意外と重要視されないが、シェイクスピアの演劇には音楽が不可欠だった。彼の演劇では出演者の俳優が単独で歌唱を披露したり、 リュートがその歌の伴奏として演奏されることもあった。ポピュラー音楽としての歌曲が導入されることもあり、また、詩学としての効果を強調し、短い韻を踏んだ歌曲まで披露されることもあった。イギリスのスポークンワードのような形式は元をただせば、すでに16−17世紀のシェイクスピアの時代に始まっていたのである。
・イギリスのオペラの貢献者、ヘンリー・パーセル
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どうも音楽史を概観すると、他国の文化をライバル視することがあり、それらを巧みに輸入した上で、自国の文化として組み替える動向がある。しかし、翻って、音楽文化の源流をなすイタリアですら、ブルゴーニュやフランドル地方の音楽とは無縁ではなく、何らかの関連性を持っている。このことを勘案すると、文化という概念が一国の生産の集積だけによって形成されるとは考えがたい。それは民族が移動し、流動的な文化の側面を持つ、''ヨーロッパの歴史の実態''とも言えるのである。その一方で、やはりというべきか、イギリスにもいよいよ国教会の音楽やカルヴァン派の宗教音楽に続く、イングリッシュオペラが17世紀に登場することになった。
それまでにも、イギリスは「シアター(劇場)」の文化が国内に定着していたというが、1642年にピューリタン革命によって劇場が封鎖された。しばらく劇場の文化は遠ざかっていたが、それが王政復古の時代に入り、復活を遂げた。これがおのずと、優れた作曲家を輩出する機会を形作った。ヘンリー・パーセルは、宮廷の侍従の父親を持ち、幼い時代を英国王室の礼拝堂合唱団で過ごした''王室お抱えの人物''である。そして、フランスがルイ国王を称賛するためのバレエを推進してみせように、イギリスもまた、絶対王政の基盤を支えるための芸術や、その制作を推進したのである。専らパーセルが取り組んだのが、「セミオペラ」と呼ばれる形式で、音楽的には、ブルゴーニュやフランドル学派の素地や、イタリアンバロックに近い、どことなく優雅な雰囲気を持つ内容である。専門家によれば「演劇とオペラのハイブリッド」だという。
ヘンリー・パーセルは、ロイヤル礼拝堂、ウェストミンスター大聖堂や、その他宗教音楽の作曲家として知られている。その一方で、オペラの発展に寄与し、1688年には、ギリシア悲劇的な色合いを持つオペラ「ディドとエネアス」を作曲した。これは最も古いオペラの一つと言われている。また、その他にも、「ディオクレシアン」、「アーサー王」、「ディモン・オブ・アテネ」、そして有名な「妖精の女王」など、音楽的な側面で、歌劇に大きな発展性をもたらした。
「セミ・オペラ」はイングリッシュ・オペラの異名を取り、 歌、踊り、器楽を交え、演劇的なエピソードや口語劇を組み合わせた。特に、セミ・オペラは、エンターテインメントの性質が強調され、演劇の中でのストーリーの変化、機械装置、そして飛行など、ダイナミックな演出効果が用いられ、1673年から1719年にかけて発展していった。一般的に、セミオペラの音響効果は、シーンの切り替わりや超自然的な変化の際に使用されることが多かった。しかし、パーセルは、「マスク」としての側面で完結し、 いわば独立した音楽としての性質を強めたのである。そのため、プロットや演劇の動作と直接的にリンクすることはきわめて少なかった。
・シェイクスピア原作 ヘンリー・パーセル「妖精と女王」
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こうした中、ヘンリー・パーセルはシェイクスピア原作を見事なセミオペラとして再編した。その音楽には、イタリアとフランスの古楽を受け継ぎ、演劇化するという意図が込められていた。
『Fairy Queen(妖精の女王』は当時一般的だったように、復古期の観客の好みに合わせるため、劇が改変された。ここでは、無名の改編者がシェイクスピア戯曲を編集し、独自の台詞や舞台指示を追加し、シェイクスピアの台詞の多くを削除し、一部を現代化、変更し、通常は各幕の終盤に向け音楽劇を挿入する機会を創出した。しかし、劇中に、多数の音楽を盛り込むため、物語の一部は簡略化され、複数の出来事の順序も変更された。1692年に初演された際、原作のシェイクスピア劇はまだ''認識''できたが、翌年の二度目の上演ではさらに音楽が追加され、劇のカットや再構成が進んだため、原作を知らない観客には物語を追うのが難しい部分も出ていた。
1692年のこの作品の初演は豪華で費用がかさんだ。パーセルの同時代人が記すところによれば、『妖精の女王』は「シェイクスピア氏の喜劇を基にオペラとして制作された」という。 「装飾の豪華さにおいては比類なく…特に歌手と舞踊家の衣装、舞台装置、機械仕掛け、装飾品は豪華に整えられ、舞台が演じられた。宮廷の人々も町の大衆もこれに大いに満足したが、制作費が膨大だったため、劇団の利益はごくわずかであった。 初期費用の一部を帳消しため、翌年には「改訂・追加と数曲の新曲を追加して再演されたのは間違いない」と記されている。ここにもイタリアのオペラに匹敵する長大な作品を上映しようとする並々ならぬ熱意が感じられる。
題名は、1世紀前に書かれたスペンサーの『妖精の女王』と結びついている。これはシェイクスピアの戯曲とほぼ同時期の作品。スペンサーの寓意叙事詩はエリザベス1世を称えるプロパガンダの重要な要素であり、彼女の血筋を伝説のアーサー王に結びつけ、処女王の美徳を神話化した。
『妖精の女王』の劇は五幕構成で、各幕の冒頭に器楽曲が置かれている。観客が着席する間、それぞれ二曲ずつの第一楽章と第二楽章が演奏された。その後、トランペットのファンファーレで始まる序曲が劇の幕開けを告げる。幕間には場面転換中に演奏される器楽の幕間曲が配置されている。以下に紹介するのは現代的な演劇と歌劇を組み合わせたセミオペラらしいパフォーマンス。


















