Weekly Music Feature: Marissa Nadler
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ナッシュヴィルのシンガーソングライター、Marissa Nadlerは、アメリカの首都、ワシントンD.C出身である。マリッサ・ナドラーは、これまで9作のアルバムを発表してきましたが、ほとんどのアートワークは白と黒の色調でデザインされ、モノトーンで統一され、ゴシックの世界観を打ち出して活動してきたといえる。同時に、ナドラーは歌手の他にも学生時代から絵画を専攻し、画家として活動を行っている。アーティストの公式サイトで絵画を購入することが出来る。
本日、マリッサ・ナドラーは、記念すべき10作目のアルバム『New Radiations』をリリースします。『New Radiations』を通じて、ナドラーは11曲の異世界的な楽曲からなる粗くも親密で息を飲むようなコレクションを提供しています。最初の一つの音から、ナドラーの豊かなボーカルと複雑なフィンガーピッキングが全面的に押し出されている。彼女は、エバリー・ブラザーズ風のハーモニーを夢のような孤独なサウンドスケープ——ファズのかかった歪んだディストーション、ハモンド・オルガン、そしてシンセサイザー——に重ねあわせて、その温かい脆弱性をテクスチャーと雰囲気により高めようとする。各トラックは、人生の一場面のようなエピソードとして展開され、カーテンが引き上げられたことで「強く響く」感情の重みを届けようとする。
『New Radiations』を通じて、甘いキャッチーなメロディと暗く生々しい歌詞の対比が深く刻にこまれている。「Light Years」において彼女は回想する。「昔は、あなたが流行の頂点だった。彼女を催眠術にかけることができた頃…、あなたは彼女の中に何光年を見ることができた。あなたは彼女と共にいたのだった」「You Called Her Camellia」では、語り手が嘆く。「これが取引ではなかった!(彼女の消えゆく姿)」と嘆いたかと思えば、『Smoke Screen Selene』では「私のように彼女に破壊されないように」と警告する。宇宙的な殺人バラード『Hatchet Man』では、寒気を感じさせるホテルシーンが描かれる。「天使が彼にそうさせた。そして彼は、私に見せた——彼は誰も彼女が消えたことに気づかないと思っていた」語り手は夜へと逃れていく。
このアルバムは、ナッシュビルのHaptown Studiosで友人のロジャー・ムートノットの協力を得て、彼女の自宅スタジオでレコーディングされた。ミキシングは、ランドール・ダン(アース、サン・オー)が手掛け、長年のコラボレーターであるミルキー・バーグスの繊細で没入感のあるアレンジが主な特徴となっている。うっとりするようなスライドギター、催眠的なシンセサイザー、荒々しいリフが折り重なり、音楽全体が海洋的な強度で波打つがごとく展開される。
マリッサ・ナドラーの過去2作のゲストアーティストを多く起用した作品とは対照的に、『New Radiations』は内省的で個人的なビジョンを提示している。ポップ、フォークをはじめとするジャンルを超越しつつも、彼女独自のスタイルを体現し、世界の騒音を美しさと荘厳さの瞬間に聞き手をとどまらせる。『New Radiations』は、単なるアルバムではないかもしれない——それはキャリアのハイライトであり、マリッサ・ナドラーの唯一無二のビジョンと芸術性の証でもある。
アルバムには奇想天外な着想もある。ロケット工学の父、ロバート・ゴダードに因む曲も収録されている。ナドラーはアルバムについて次のように明かしている。「作風は前のアルバムとは明らかに異なり、内省的で生々しく、個人的な作品である」という。「他の人々について歌った曲であろうと、他人と自身の生活に共通点を見出すような内容になっていると思います」といい、さらに「シンプルなアルバムである」と語る。また、このアルバムのサウンドは基本的にボーカルとギターが中心となっている。「前のアルバムには自分の演奏は使われず、他の人が演奏していました。そのために楽器とのつながりを取り戻したいと考えていました。ピアノは弾けるけれど、あまり上手ではないんです。単にそれは表現方法のひとつにすぎません」
また、マリッサ・ナドラーは、実際のフォークミュージック中心の音楽性からは想像できないが、若い時代にはパンクやグランジに夢中になっていたという。それを止めたのが、彼女の母親だった。ナドラーは次のように話している。「10代の頃、グランジやライオット・ガール、パンクに夢中になっていた。しかし、私の母親はそれにうんざりしていました。高校三年生のころ、ジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、レナード・コーエンを紹介してくれた」という。
作曲の過程について、ナドラーは次のように説明している。「特に、歌詞に一生懸命に取り組みました。何事にも全力で取り組むので、おそらくそれが原因で、夏の真っ只中に体調を崩しているのかもしれない。これらの歌詞には、いくつかの着眼点が存在しましたが、最初のテーマとは別の内容になりました。最初の曲では物語的な手法を曲の入り口として用い、後からその曲のテーマを決めるようにしています。例えば、”世界中を飛ぶ人について書く”と決めてから書くのではなく、それはアルバムのテーマについて物語るための道筋のようなものでした」 また、ナドラーは、アルバムの一番のお気に入り曲として「To Be The Moon King」を挙げている。
「この曲は、現代ロケット工学の父、ロバート・ゴダードから着想を得ています。彼に関する記事を読みましたが、彼は生涯をロケットを空に飛ばしたことに費やした」また、ナドラーは続ける。「これらの曲の中には、特定の人物について歌ったものもあれば、普遍的なテーマについて歌ったものもあるということです。アルバムの最初の曲は、最初に世界一周旅行を単独で行おうとした女性(注: ジャーナリストのネリー・ブライのこと。1889年に新聞社の企画で世界一周を成功させた)からインスピレーションを得ています。しかし、実際には、ある人を忘れたい、という気持ちについて歌っています。アルバムの最初の行は、”あなたを忘れるために私は世界一周旅行をする”という内容です。アルバムの最後の曲も誰かとの別れについて歌っています」
このアルバムについて、マリッサ・ナドラーは総括する。「もし、このアルバムを聴く時間を費やしてくれたら、テーマはそれほど難しくないことがわかってもらえると思う。同時に、多くの人々が本を読む時にそうするように、キャラクターを自分で想像してみたり、曲の意味を自分なりに解釈する余地をどこかに残しています。想像する余地があること、それこそが私の世代が幸福であった理由なのです」ナドラーは言う。「私は、アナログな子供時代を過ごしていた。私は本当に、CDやカセットテープのブックレットの媒体以外ではミュージシャンのことをよく知りませんでした。もちろん曲についても。しかし、現在はネットでインタビューを読んで、それらのことを簡単に知ることができますね。今では状況は大きく変化してしまいました」
『New Radiations』 - Sacred Bones/ Bella Union
最近は、国内外を問わず、マイナー・スケール(単調)の音楽というのが倦厭されつつある傾向にあるように思える。暗い印象を与える音楽は、いわば音楽に明るいイメージを求める聞き手にとっては面食らうものがあるのかもしれない。しかし、どのような物事も陰陽の性質から成立していて、つまり、光と影を持ち、明るさを感じる光というのも、それを何らかの対象物に映し出す影から生じる。音楽もまた、明るい印象を持つだけで真善美に到達出来ない。ダークな曲を恬淡に書き上げ、ブライトな曲と併置させるのが本物のシンガーソングライターである。例えば、ケネディ暗殺の時代にS&Gの名曲「Sound Of Silence」が支持されたのは、暗黒的な時代に、大学の友人を気遣うような二人のシンガーの作風がこの上なく合致したからである。
さて、ナッシュビルを拠点に活動を行うマリッサ・ナドラーは古き良きフォークシンガーの系譜に属する。彼女は、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェルのような普遍的な音楽を発表してきたミュージシャンに影響を受けてきた。暗い感情をそのまま吐露するかのように、淡々と歌を紡ぐナドラー。歌手は、物悲しいバラッドを最も得意としていて、それらの曲を涼しげにさらりと歌う。全般的には、このミュージシャンの表向きにイメージであるモノトーンのゴシック調の雰囲気に彩られている。ただ、そのフォークバラッドに内在するのは、暗さだけではない。その暗さの向こうから静かに、そしてゆっくりと癒やされるようなカタルシスが生じることがある。ナドラーのキャリアハイの象徴的なアルバム『New Radiations』は光と影のコントラストから生じている。学生時代から絵画を専門に専攻し、絵をサイドワークに据えてきた人物らしい抜群のコントラストーー色彩感覚がこのアルバムのハイライトになっているのである。
音楽という分野は紀元前から存在しており、それほど浅いものではない。年を経るにつれて、様々な見えなかった事実や印象が明らかになってきて、理解できなかったことがなんとなく分かるようになる。そのとき、ぼんやりと音楽という存在の正体が掴めてくる。それは理論的に解釈するというよりかは、ようやく腑に落ちたという感覚である。そして、それらの音楽に対する深遠な理解を、実際の作品に反映させてこそ、本当の音楽になりえる。多くの時代を超えた音楽家たちは、断片的であるにせよ、自分たちの理解を作品に真摯に込めてきた。 『New Radiations』は、時代を超えた魅力を持つアルバムで、ミッチェルの『Blue』に比するフォークバラッドの傑作である。一度聴いただけで、すべてが理解出来るアルバムは、多くの場合、大したものであったことは多くない。時間が経つと徐々に形骸化していってしまう。その点で、アートワークのイメージと合致するように、このアルバムにはミステリアスな謎が残されている。
ただアーティストが言うように難解な音楽ではなく、一度聴いただけでその魅力は伝わってくる。しかし、アルバムに込められたメッセージを掴むためには、音楽を待っているだけでは不十分で、聞き手が音楽や制作者の方に近寄っていかないといけない。「インスピレーションは待っているだけではやってこない。棍棒を持って追いかける」と言ったのは、船乗りの作家、ジャック・ロンドンであったが、本当に優れた音楽を本当に楽しむためには、時折、名画を鑑賞するときのように、作品の方に自分から背伸びをして近づかないといけないのかもしれない。
今作には単調の曲がきわめて多く、その合間を縫うように長調の曲が点在する。ぼんやり聴いていると、ナドラーの歌声が永遠にどこかに続いている気がする。アルバムの入り口から出口までを聞き手は歩いていくことになるが、その出口を出た後も、音楽的な情景がどこかにやきついているような気がする。アルバムを聞き終わってもまだ、聴覚の奥には、ボーカルがわだかまっている。そして、音の余韻に浸らせるというよりかは、外側の感覚が抜け落ちたような奇異な脱力感を覚えさせる。音楽そのものがだんだんと途絶えていき、最後には何も残らない、というとても珍らかな手法である。本で喩えれば、読後の独特なエモーションが残るという点で、きわめて文学的なアルバムと言えるかもしれない。残念ながら、ここでは、歌詞について注釈を設けて詳述するのは出来ないが、音楽的な方向から、アルバムのミステリアスなベールの向こう側に迫っていければと思っている。まず、マリッサ・ナドラーの音楽的なストリーテリングの手法とは、”すべてを明らかにせず、含みをもたせる”ことにある。アーティストの言葉を借りれば、”聞き手側に想像する余地をもたせる”ということになろう。例えば、何らかのプロパガンダ的な音楽は、これとは全く対照的である。聞き手側の想像を拒絶するのである。
「It Hits Harder」は他の収録曲の指針や基礎となる楽曲である。いってみれば、このアルバム全体の音楽性を決定づけ、紹介するようなイントロダクションである。イントロはアコースティックギターのフィンガーピッキングを中心とした優しい歌声のフォークバラッドで始まる。精妙な感じで始まるが、背景にシンセサイザーのシーケンスが敷き詰められ、フォークミュージックの背後にはアンビエント的な空気感が優勢になり、ドラマティックな質感を増していく。その音楽的なストラクチャーを強化するのが他でもない、ナドラーの歌声である。この曲の場合は、ボーカルを重ねることで、その声の印象はコラール風のチャントへと変わり、賛美歌のような印象を持つようになる。ボーカルの2つの録音を対比し、十分な空間的な奥行きのあるリバーブ/ディレイを用い、音楽の印象を広やかにし、音像全体を少しずつ拡大させていく。そして、その間には、ファジーなロックギターがアレンジで取り入れられ、フレーズの節目の調性や和音の縁取りを行っている。静けさと騒がしさが混在する奇異な音楽が、アルバムの最初のイメージを形成している。そして音楽的には、この曲は単調で始まるが、細かなセクションの中で、長調に変わったり、単調に戻ったりというように、幅広い和声感覚が発現している。基本的な音楽は、単調だけで終わることもなければ、長調だけで終わることがない。いわば音楽やポピュラーソングの基本的なルーツに回帰したような素晴らしいオープナーだ。
日本には、かつて”ムード歌謡”というジャンルがあった。戦後、アメリカの文化が日本に紹介される中で、映画音楽と演歌のスタイルをかけ合わせるというものだ。シティポップなどの音楽には明確にムード歌謡の影響がどこかに残っている。このアルバムには、いくつかそういった類の音楽が見いだせる。二曲目「Bad Dream Summertime」は、映画音楽とポピュラーの融合体で、ムードたっぷりの曲である。 どちらかと言えば、大瀧詠一や細野晴臣のような音楽性を微かに彷彿とさせる。この曲は、ハワイアン音楽のようなリゾートの雰囲気に包まれ、スライド・ギターがムードたっぷりに鳴り響き、その枠組みの中で、ナドラーらしい音楽が繰り広げられる。アコースティックギター、ボーカル、スライド・ギターを重ね、それらの音楽的な枠組みとして、幻想的なボーカルを披露し、バカンスやトロピカルなムードを強調している。ヴァース→コーラスというシンプルな構成だが、コーラスの箇所では曲の夢想的な感覚があらわとなる。その中で、心地よさと悪夢が混在する微妙な感覚が感情を込めて歌い上げられている。
三曲目の「You Called Her Camilla」は、レナード・コーエンの系譜にある、古き良きタイプのフォークソングである。アコースティックギターの分散和音が涼し気に鳴り響き、そして、ナドラーはメロディーを丁寧に歌い上げようとしている。その中には、ビートルズの主要曲のような王道のポピュラーの和声進行も含まているが、特にコーラスの箇所に琴線に触れるものがある。そのムードと呼応するように、スライドギターのような楽器が入ってくる。音楽がどのような感情性を呼び起こすのかを歌手は熟知しており、その感覚の発露に合わせて、使用する楽器も変わってくる。楽器が感情を表現するための媒体であるということを歌手は理解しているのである。また、この曲も同様に、イントロからヴァースにかけては長調が優勢であるが、徐々に曲風が変わり、コーラスの箇所では半音階進行の単調のスケールが顕著となり、和声の解決やカデンツアに向かい、切ない余韻を残しながら、ほんわかするような安堵感をもたらす。この曲を聴けば、ナドラーの人生観のようなものを読み解くことが出来るのではないだろうか。
四曲目「Smoke Screen Selene」は、20世紀のフランスの古典的なモノクロ映画のようでもあり、また、 「ゴッドファーザーのテーマ」のようなピカレスク・ロマンが反映されているように思える。ここでは、音楽そのものがよりミステリアスな雰囲気を帯び、映画音楽のオーケストラストリングスが模擬的に導入され、そして映画館の暗闇の中で古典的な映画を鑑賞するような雰囲気が出現する。その煙の向こうにあるスクリーンには何か見えるのか。アコースティックギターはミステリアスな音楽性を反映させ、そしてボーカルはそのアトモスフィアを助長させる。
特に中盤のハイライト曲として「New Radiations」を挙げておきたい。 ゴシック的な雰囲気もあるが、フォーク・バラッドの歴代の名曲と言っても良いかもしれない。ダークでミステリアスなイメージから一転して、空を覆っていた分厚い霧が晴れわたるようにアコースティックギターとボーカルがイントロから続く。その中で、曲は、明るさと暗さの間にあるミステリアスな領域をさまよい、そして、ナドラーのボーカルは浮遊するかのようにふわふわしたような印象を抱かせる。しかし、この曲はアルバムの中で最もシリアスな雰囲気をどこかにとどめている。この曲でも2つのボーカルを対比させて、明るさと暗さのコントラストをうまく描いている。
全般的なアルバムの作風の共通点として、「同じ人間が作っているので........」と断っているナドラーではあるが、一つの曲の中で、別の人物を登場させるような多義的なボーカルが傑出している。そして、歌手の記憶に向けて歌われるかのようなコーラスの部分は、過去の自分に向けたレクイエムのような悲しげな興趣を持つ。過去の自分へのささやかな別れを告げるような感覚は、このアルバムの最初の曲、そして最後の曲の共通のテーマである''惜別''という考えと合致する。そして、実際に、そのボーカルを聴いて確かめてもらいたいが、じっくり聴くと、迫真ともいうべきハイライトとして聞き手の脳裏に残りつづける。歌手としての迫力を感じさせる。そして、その歌声の後、間奏の箇所では、シンセサイザーのソロが深い物悲しさを漂わせる。
「New Radiations」
アルバムは二部形式で構成される。5曲目までが第一部で、6曲目以降は、第二部として聴くことが出来るはず。一つの作品なので、大きく音楽性は変わるわけではない。しかしダークなイメージを持つが、その中に現れる心温まる感覚が後半では強調され、アルバムの終盤部に向かって繋がっていく。「It's An Illusion」も素晴らしい一曲で、牧歌的なフォークバラッドを通じて、悲しみや喜びを始めとする複雑な感情の機微を丹念に物語ろうとする。一貫して物悲しさも感じるが、ときに、ほろりとさせる琴線に触れるフレーズが登場することもある。さらにその感覚を引き立てるかのように、ファジーなギター、ロマンティックなハモンドオルガンのシンセ、スライドギターなどが、シンガーの歌をミューズのごとき印象で縁取る。最短距離でバンガーの曲を書こうとするのではなく、作品をじっくりと作り上げていったことが、こういった良質な楽曲を完成させる要因になったのかもしれない。このあたりのいくつかの曲はミュージシャンとしての完成ともいうべき瞬間なのではないか。驚くべき聴き応えのある曲である。
「Hachest Man」は、ピカレスクロマンの曲である。「天使が彼にそうさせた。そして彼は、私に見せた——彼は誰も彼女が消えたことに気づかないと思っていた」という歌詞を織り交ぜ、ミステリー映画のような音楽を出現させる。それはまるでマリッサ・ナドラーという人物を中心に繰り広げられる一連のミステリアスな群像劇のようでもある。この曲もイントロはダークな雰囲気だが、コーラスの箇所「I was in over my head(どうしようもなかった)」という箇所では、長調に変わり、切ない雰囲気を帯びる。そして、単調と長調を巧みに織り交ぜつつ、曲はつづら折りのように続き、アウトロに向かっていく。その感情の発露がすごく簡素なものであるから、胸に響くものがある。アウトロではシンセサイザーのストリングスが入り、ふと涙ぐませるものがある。歴代のポピュラーソングと比べても遜色がない素晴らしい楽曲となっている。
アルバムの後半に向かうにつれて、このアルバムの音楽は荘厳な雰囲気に包まれ、天上的な音楽性が出現する。「Light Years」は文句なしのフォークミュージックの名曲である。ナドラーはこの曲において、ジョニ・ミッチェルの全盛期に匹敵する音楽性を作り上げた。牧歌的なフォークミュージックの系譜を受け継いだ上で、ロマンティックな雰囲気を添えている。ゆったりとしたアコースティックギターとボーカル、楽園的な趣を持つスライド・ギター、その全体的な音楽の枠組みを印象づけるシンセサイザー等、すべてが完璧に混在し融合している。ミックスなどの側面も傑出しているが、何より曲そのものが素晴らしく、非の打ち所がない。
ナドラーの全般的なソングライティングは、サイモン&ガーファンクルが「Sound Of Silence」を書き上げた時とほとんど同じように、個人的な出来事やパーソナリティから出発しているが、それが社会的な性質と直結していることに感動を覚える。「Weightless Above The Water」は、このアルバムの中で最もダークな曲である。サイモン&ガーファンクルのように茫洋的なロマンスに満ち溢れた良曲である。それは以前の男性的な視点から女性的な視点へと変化している。これは時代の変化とともに、フォーク・ミュージックがどのように変化したのかを知るためのまたとないチャンスである。
マリッサ・ナドラーが''一番重要な曲である''と指摘する「To Be The Moon King」は、先にも述べたように、ロケット工学の父にちなんだ一曲である。この曲は、アルバムの最後の曲「Sad Satellite」と連動するような機能を果たし、アルバムの最初の曲、そして最後の曲とも呼応しながら、悲劇的な側面を暗示している。同時に「バラッド」という音楽形態が、ヨーロッパの中世時代の一般階級の女性を中心とした「恋歌」から生じているのを考えると、これほど理にかなった音楽は存在しない。しかし、その中で、最も音楽を強固にしているのが、それらの歌詞が基本的には、''個人的な出来事から出発している''ということ。時にそういった個人的なことを歌った方が、社会的な意義を持つという先例はいくつも存在する。 こういった曲は、個人的な感覚に共感を誘うような意味もあり、広義における社会を俯瞰するためには不可欠な音楽と言える。仮に社会という形態が個人意識の集積体であることを考えれば。
アルバムの終曲「Sad Satellite」は悲歌の寂しいような感覚を単調のフォークミュージックで縁取っている。そしてやはり、アルバムの冒頭部のように賛美歌のようなボーカルワークが顕著である。思い出の中にある悲しみを浄められた感情で鎮めようとするためのある種の儀式。しかし、基本的には暗い感覚に満ちているが、その向こうには、それとは対象的な音楽の世界が満ち広がっている。このアルバムは''悲歌という形式の真髄''を意味するが、それと同時に、対照的な楽園的な世界を描出している。これは実は、画家ナドラーの絵画には見受けられない作風なのが面白いと思う。耳を澄ますと、美しく、どこまでも澄明な音楽の世界が無限に広がり、そして、それはときおり絵画的な領域に差し掛かることがある。アウトロのフェードアウトを聴いて、なにか脱力感があるのは、その音楽の持つ世界が息を飲むほど美しいからなのだろう。
95/100
「Light Years」
▪Marissa Nadlerのニューアルバム『New Radiations』は本日、Sacred Bones/Bella Unionから発売されました。ストリーミングはこちらから。