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 聞いてほしい、とエリザベス・ウィットモアはジュリアン・ベイカーとトーレスの新作を紹介する際にアメリカの現状を訴えかけている。


 私たちの何人かにとって、あるいはほとんどの人にとっても、今年は大変な年だった。 この原稿を書いている11月中旬のシカゴは、記録的な暖秋で、悪いニュースが続いている。 


 南部の田舎では家族や動物、家が流されてしまった。 山火事の季節は終わらない。 ある場所では水が多すぎるし、ある場所では水が足りない。 私の故郷のテキサス州では、幼少期を終えたばかりの妊娠中の人々が、医療を受けられず命を落としている。 そして、あなたやあなたの愛する人が不法移民であったり、トランス、クィア、貧困、黒人などということは数え上げればきりがない。


  時々、呪われた世界全体が、きっぱりと自滅する決意を固めたように感じることがある。 だから私は、ジュリアン・ベイカーが歌う、「これ以上悪くなることはない」という言葉を骨の髄まで自分のことのように感じる。 もしかしたらあなたもそれを感じているかもしれないし、絶賛されたアーティスト、ジュリアン・ベイカー&トレス(別名マッケンジー・スコット)によるこの待望のカントリー・アルバムの良い仲間を利用できるかもしれない。


 「Send A Prayer My Way」は何年も前から制作されていた。このアルバムは楽屋での意気投合から始まった。 2人の若いミュージシャンが、ここシカゴで愛されているリンカーン・ホールで初めて一緒にライヴをするところを想像してみてほしい。 2016年1月15日、外は底冷えするほど寒く、特に南部に住む2人組にとってはなおさら。 ライヴが終わり、クソみたいなことを言い合っているとき、一人のシンガーがもう一人に言った。"私たちはカントリー・アルバムを作るべきだよ"。 


 これはカントリー・ミュージックの世界では伝説的な原点であり、余裕のあるエレガントな歌詞と、彼らの音楽を愛する人々と苦悩を分かち合う勇気ですでに賞賛されている2人のアーティストのコラボレーションの始まりでもある。 


 それは不朽のカントリー・アルバムのように、歌い手と聴き手の双方を支え、鼓舞し、この世で孤独な人間など一人もいないこと、音楽は安定した伴侶であることを思い起こさせる作品作りの始まりでもある。'' なぜ泣いているの? '' 「No Desert Flower」で彼らは歌う。 ''少しくらいの雨なら平気さ/辛いことがあってもへこたれない/過ぎゆく歳月が僕を洗い流すことはない''。


 「Send A Prayer My Way」は、アウトローの伝統に則って書かれ、そして歌われた、とても素晴らしいカントリー・アルバムだ。 (最高のアウトロー・カントリーでは、法律も男も味方ではない。トレスとベイカーの音楽では、宗教の吹き溜まりも、娘のセクシュアリティを我慢できない母親もそうだ)。 これらの曲は、長い勤務を終え、疲れて家路につくとき、マリファナと静かな場所で足を休めたいと願う歌であり、ワゴン車から(またもや)落ちてしまい、今度こそ、車輪の下に引きずり込まれるのではないかと思う歌であり、間違った決断をすることだけが自分の知っている決断なのだと思う歌である。 ベイカーは、冒頭の「Dirt」でこう歌い、その数行後にはこんな美しさがある。''きれいになるために一生を費やす/ただ汚れの中で終わるために''

 

 

 Julien Baker & TORRES 『Send A Prayer My Way』 - Matador



 

 ジュリアン・ベイカー、トーレスはともにアメリカ国内では著名な歌手である。双方ともに、歌手としてだけではなく、ギタリストとしても活動している。近年、ベイカーは、ボーイ・ジーニアスのメンバーとして活動し、様々なイベントにも出演してきた。一方のトーレスは昨年、ソロ・アルバム『What an enormous room』を発表し、ポピュラーシンガーとして成功を収めた。この度、二人が挑戦したのは純正のカントリー・アルバム。聞けば分かる通り、ポピュラーに薄められたカントリーではなく、戦前の時代、つまり、20世紀中葉の本格的なカントリーソングの系譜にある曲も含まれている。ベイカー/トーレスは、ふたりとも若い年代のシンガーであるが、こういった古典的な作風に挑戦したのに大きな驚きを覚える。なぜなら、このアルバムの音楽の中には、両者がまだ生まれていない時代のものも含まれているからである。

 

 カントリー/フォークというのは、一般的な日本の音楽ファンは同じようなものと考えることが多いのではないかと思われる。 カントリーは田舎の音楽であって、フォークは民謡.......。いずれも、世俗的な音楽である。2つの音楽の共通点は、どちらもその土地の風土を音楽として織り込んでいる。ただ、この2つの音楽を漠然と一括りにするのは妥当ではないのかもしれない。とくに、カントリーを語る上では、この音楽がゴスペルやブルースと密接な関係を保ちながら発展してきたことを考えると、キリスト教の霊歌としての教会音楽と切り離すことが出来ない。

 

 元々、教会音楽と対象的な構造を持つものとして、世俗音楽というのがヨーロッパ社会には厳存してきた。そして、これこそが現代のフォークやカントリーのルーツであろう。結局、教会の祭礼で歌われる霊歌やカンタータを共同体の外に持ち出し、それを民衆化し大衆化した瞬間、ポピュラーの歴史が始まった。それ以降、ジャズやポピュラーという形で発展してきたのが、アメリカの音楽の系譜である。それからは、ポピュラーは徐々に均一化していった。そして、アメリカの音楽というのはキリスト教の概念を元に発展してきていることは忘れてはいけない。

 

 おそらく、この点が、単にアメリカの音楽をなぞらえただけでは同じものにならない理由なのだろう。仮に、一般的には、汎神論や一神論を否定する、つまり得難い存在の実在を完全に否定するとしても、概念のどこかに神が存在すること、これは完璧には否定出来ない。例えば、神様なんかいないぜ、と現代の人々の多くは考えるかもしれないが、神様という言葉が概念のどこかに出てきたとき、それはすでにその存在を認めているも同然なのである。もちろん、我が日本では、往古より、汎神論的な考えが優勢であり、山や空にも神様がいると考えてきた。

 

 今回、若いシンガー二人が取り組んだ「カントリー」というのは、日本の音楽ファンにとっては単なる符牒や意気投合のための共通点だったと考えるかもしれない。このアルバムを聴く人々の多くはそのように捉えるに違いない。しかし、そう考えるのは、あまりにも浅薄であり、理解に乏しい。少なくとも、驚きを覚えたのは、このアルバムを聴くとわかるように、ジュリアン・ベイカーにせよ、トーレスにせよ、カントリーを単なるツールのように考えていないらしいということである。つまり、カントリーという音楽を通して、二人のミュージシャンは、人生を考えたり、悩みを共有したり、ときには、喜びや安らぎを共有している。ようするに、個人的な感覚を別の人間が共有したその瞬間、ソロという役割が変化し、本当の意味での”コラボレーション”が実現するのである。ジュリアンとトーレスには、カントリーをツールにするような考えは微塵もかんじられない。しかも、カントリー音楽に神聖な感覚を見出そうとさえしている。ジュリアン・ベイカーに関しては、そういうイメージがなかったが、音楽に対して敬虔な気持ちすら読み取ることも出来る。そして、ぼんやりと目に浮かんできたのは、帽子を深く被って録音マイクの前に立つ歌手の姿……。良い音楽を作るためには、こういった厳粛で慎ましい感情を、自分の作り出す音楽に対して抱くことも、時には必要なのではないか。

 

 カントリーという音楽は、アメリカ国内では、WW2の戦前、戦後にかけて最盛期を迎えた。ハンク・ウィリアムズ、ジョン・デンバー、レッド・フォーリー、ジョニー・キャッシュなど、偉大な歌手を輩出した。これらの音楽は、共同体の中の文化を外に持ち出し、霊歌を一般化したり、世俗化するような意味があった。もうひとつは、音楽の持つ意義の変化が要因ではなかったか。戦争の前後の時代の国威発揚のような意味をもたらし、外地から望郷の念などをワイルドに歌うことが多かった。兵士に向けて歌われることもあり、また、従軍キャンプのようなパーティーでも演奏される機会が多かったはずである。そこでは、当然、離れていた恋人が一緒に踊りながら、カントリーに合わせて歌うこともあったはず。欧州では、ポルカやジーグ、メヌエットという、三拍子を中心とする舞踏音楽の形式があるが、これらの20世紀バージョンがアメリカの南部を中心に発展していった。これが、カントリーの正体だろう。アコースティックギターで軽快なリズムを刻み、ときに、ジャズのリズムの影響を受けてスイングする(拍を後ろにずらすシンコペーションの一種)のは、この音楽が本来は舞踏的だからなのだろう。

 

 カントリーは、男性中心の音楽として栄えてきたようなイメージがある。私自身もつい数分前まではそうとばかり思っていた。しかし、ロレッタ・リンというデュエットの名手がいる。ロレッタ・リンは、2022年に死去しているが、特に、男性のカントリーシンガーとのデュエットで、素晴らしく甘い雰囲気を添えた。そして、コンウェイ・トゥッティ、アーネスト・タブなどのデュエット曲を通じてリンが表現したのは、切ない純粋な恋心であった。そして、これもまた、どちらかといえば、ジャズのクラシックをボーカル化したような音楽でもあった。


 重要なのは、カントリーは、離れたところにいる恋人への恋慕や望郷の念など、何らかの対象物に対して、慎ましい気持ちを表現するものだった。それは、時々、大きな社会情勢に個人の命運が翻弄されることがあったのに加えて、恋人という欠かさざる存在や故郷の姿が自己よりも大きいことの表れでもあった。それが戦後にかけて反戦歌などが作られるようになり、政治的な趣旨の色合いを増すこともあった。例えば、ジョニー・キャッシュはそのアイコンだろう。いわば、カントリーという音楽そのものが神棚に祭り上げられるようになってしまった。これには確かに弊害もあった。本来は、世俗的な音楽や一般的な市民の感情を歌うものであったはずなのに、それとは対象的にエルヴィスのようなカリスマの象徴になっていってしまった。キャッシュはあまりにもこの音楽を神格化しすぎていて、それを贖罪の対象としたのだった。本来はカントリーというのは、世俗的な音楽であり、誰でも楽しめるように設計されている。もちろん、音楽にまったく詳しくないような人でも気楽に歌えるようになっているのである。

 

 ジュリアン・ベイカーとトーレスは、アルバムの録音の価値と並行し、文化的な側面からこの音楽に取り組もうとしている。「カントリーの民衆化」という元来の音楽の意義を蘇らせ、それを現代的な感性で包み込んでいる。このアルバムは、アメリカの長いカントリーの歴史を網羅するものであるのと同時に、現代的な感性からそれを再解釈し、聴きやすい音楽として出力している。

 

 

 ジュリアン・ベイカーとトーレスの声質は似ているようでいて似ていない。逆に言えば、似ていないようで似ている。モダンなポップソングを、両者ともに軽やかに歌うが、ソロアルバムより覇気がこもっている。ただ、それは気負いとはならず、音楽のリスニングに際して、敬虔な気持ちを授けてくれる。


 この録音には、二人のシンガーが実在していること、そして音楽を作ってくれたことに深く感謝したくなるものが込められている。二人の歌声には、心を落ち着かせるものがあり、それがアルバム全体に共鳴する内容だ。Ⅰ、Ⅴ、Ⅳ、Ⅵを中心とする基本的な和声構成を中心に、エレクトリックとアコースティックのギターの両方を巧みにボーカルの録音の間に織り交ぜ、時には心を落ち着かせ、また時には、切なさを呼び起こす素敵なカントリーソングが紡がれていく。

 

 

 現代におけるカントリーの精神とはどのようなものだろう。それはボブ・ディランの中期のような、やるせないような感覚である。クイア、移民、そして、混乱する国内経済(日本にもその影響は波及している)は、多くの国民に苦境をもたらしている。それは、上記のライターの記述を見ると明らかである。一般的な歌手は問題から目をそむけがちだが、この二人の歌手はそうではない。自分の環境やミュージシャンとしての生き方、現代アメリカの社会問題などに関心を向け、それらを自分たちが出来る形で、カントリーソングに乗せて歌う。ふたりとも有名な歌手なので、そういったイメージはなかったが、「1−Dirt」では人生の悲哀が歌われることがある。そして、それはパーソナルとグローバルの問題を結びつけるような役割を担っている。

 

 シンプルで精細なイメージをもたらすアルバムの冒頭を飾るこの曲は、アメリカに生きる市民の実情について考え合わせたとき、驚くほど音楽の印象が変化する。牧歌的な感覚の中に満ち渡る望郷の念というカントリーの原義に加え、哀愁にも似た淡い感覚を呼び覚ますのである。スムースなアコースティックギターの演奏、甘い雰囲気をもたらす一番の歌詞を歌うジュリアンのボーカル、メロウな雰囲気を持つハモンド・オルガン、フィドルの音色を想起させるヴァイオリン、ブルースのように渋いエレクトリック・ギターのソロ、そして、二番の歌詞をリードするトーレス、続いて、デュエットで歌われる二人のボーカル……。こういった両者の人生の関わりや友情を感じさせる素晴らしいカントリーソングがアルバムの音楽の手ほどきをする。

 

 オールドタイプのカントリーソング「2−The Only Marble I've Got Left」は、ジョン・デンバーやハンク・ウィリアムズを彷彿とさせ、スティールギターの音色で始まる。その瞬間、雄大な感覚を呼び起こし、カントリーに対する讃歌へと変わる。古典的な二拍子のリズムを基にして、トーレスのボーカルで始まり、音楽のワイルドなイメージを敷衍させる。そして望郷の念や恋慕の気持ちなど、カントリーソングの基本的な作法を活かし、本格的で精度の高い洗練された音楽構造を作り上げていく。サビの箇所では、「Daydream Believer」を想起させる心地よいフレーズを二人で歌い上げる。

 

  ここでは、未来に対する漠然とした希望、もしくは希望への道筋が歌われる。デュエットとしての相性も抜群で、アルトの音域を担うトーレス、そして、ソプラノの音域を担うジュリアンというように、音域の棲み分けが出来ている。さらに、両者の声質もデュエットとしての最大の効果を発揮し、甘美な感覚を呼び起こす。音楽というのは、実際の音を通して、どのようなインスピレーションを呼び起すのかが一番大切と思われる。それは、AIのようなテクノロジーを駆使しようとも普遍のテーマである。この点を、二人の秀逸な歌手は知り尽くしており、明るく穏やかなイメージを彼女たちのボーカルを通して、丹念に体現させていくのである。いわば”悪しき時代の星”となるため、ジュリアンとトーレスは肩を組むように歌を快活にうたうのだ。

 

 

 カントリーソングの中には、世俗的な人生観を歌うというのが通例である。 「3-Sugar In The Tank」はその好例だ。アコースティックギターのラフなストロークから始まり、Ⅲ-Ⅳのスケールを行き来しながら、スティールギターの対旋律を楔にして歌が始まる。ジュリアン・ベイカーのリードボーカルは、彼女のポピュラー性という側面を強調させ、くつろいだ感覚を付与する。その後、ドラムの演奏が心地よいリズムを刻み、休符を途中にはさみながら、軽快なカントリーソングが紡がれる。そして、この曲では、日頃の生活から汲み出される感情を、つややかに歌い上げている。近年の均一化したポピュラーという内在的な音楽性を古典的なカントリーと組み合わせているのが秀逸だ。現在、この曲のストリーミング再生数は、アルバムの中では最も高くなっている。アルバムの中で、最も聴きやすく、そして親しみやすい一曲でもある。また、この曲ではバンジョーの演奏も登場する。これが曲全体に遊び心を付け加えている。

 

 「4-Bottom of the a Bottle」は、デヴィッド・ボウイの最初期のフォーク・ソングを想起させるイントロではじまり、フィドル(弦楽器)の演奏を配したアメリカーナの雰囲気を強調させる。 この曲ではトーレスがリードボーカルを担い、精神的に円熟した感覚を思わせる。ポピュラーソングの普遍的な音楽は、トーレスの安定感のある重厚なボーカル、そして、ジュリアンの甘い雰囲気のある高いボーカルを中心として、明るい曲調から憂いのある曲調へと変遷を辿る。

 

 ”ⅥーⅣーⅤ(ーⅡ)”という、基本的な和声構成をアコースティックギターで演奏しながら、ドミナントのドミナント(Ⅴ-Ⅴ 短三和音)を効果的に用い、憂いの感覚を表現し、雄大なスティールギター、ペダルスティールと組み合わせて、切ない印象が呼び覚まされる。このシークエンスは劇的だ。

 

 その後、タイトルの歌詞が端的に歌われ、弦楽器の演奏を介して音楽が面白いように次にロールしていく。意外とシンプルなようでいて、和声の構成がきわめて卓越している。そして、強進行の和音を導入し、その後に休符を入れているから、その後の音楽に弾みがついて、リズミカルになる。いわば曲の流れが出てくる。


それ以降、トニック(主音)に戻り、シンガロングを誘う瞬間が訪れる。曲の始まりは、不安定な印象であるが、中盤にかけて安定感を持つようになる。この曲では、基本的な和音構成が安定しているからこそ、ポピュラーソングとしての安定感や均衡感を持つ。

 

 

 「Bottom of the a Bottle」

 

 

 「5-Downhill Both Ways」は段階的に半音ずつ降りていくスケールが導入されている。前の曲が和声的だとすれば、この曲は、対旋律的である。イントロから続くアコースティックギターを中心とする通奏低音を担う演奏にはスティールギターの伸びやかな対旋律をもたらし、そして、その後、アルペジオ(分散和音)が奏でられるアコースティックギターがもう一本追加される。

 

 この時点で、曲の大まかな伴奏が組み上げられる。この全般的な伴奏は、パット・メセニー/ライル・メイズの最初期のフュージョン・ジャズの一貫として登場したカントリーとジャズのクロスオーバーのようにリラックスした感覚をもたらす。ボーカルははじめからデュエット形式で歌われる。

 

 ジュリアン・ベイカーがソプラノの音域を歌い、そして、トーレスがアルトを歌っていると思われる。これらは、カウンターポイントの基礎である3度(短3度の場合もある)の音程の組み合わせを中心に構成され、心地良い音楽性が作り上げられる。簡単に聞こえるが、高度な音楽形式が繰り広げられる。いわばアメリカのポピュラーが単なる感覚や感性だけに依拠せず、音楽理論の基礎が定着していることに驚きを覚える。

 

 その中で、ピッチやトーンの微細なズレを活かし、いわばブルースのような渋いボーカルのテイストを生み出している。もちろん、両者の歌の素晴らしさを引き出す録音の水準の高さは言うまでもない。南部のカントリーを意識した軽やかなポピュラーソングで、良い雰囲気が漂う。さらにバンジョーの演奏も二度登場する。一回目は一番の後のソロ、そしてアウトロのソロ。感覚的に曲を作っているように思えるかもしれないが、ソングライティングは構成的である。

 

 舞楽的な音楽は「6-No Desert Flower」に見出だせる。歌だけを聴くと、四拍子に聞こえるが、ドラムは二拍を刻んでいくというように、変則的なリズムが取り入れられている。短調の曲の中で、哀愁を感じさせるボーカルをダブルで披露している。例えば、こういった曲は、ルー・リードがヴェルヴェットアンダーグラウンド時代に書いていたと思われるが、東欧の民謡を吸収した、新時代のカントリーとしての効力を持っていた。この曲では、バロック音楽のジーグ(Gigue)のような、古典音楽の要素がバラードタイプの音楽として新たに生まれ変わっている。同じように、スティールギターの演奏が組み合わされ、エキゾチックな雰囲気を醸し出す。

 

 一方、アルバムの中盤では70年代ごろのウェストコーストロックの色合いが強まる。ドゥービー・ブラザーズやイーグルスの最初期の西海岸のサウンドで、別名”バーバンク”とも呼ばれ、ハリウッドお抱えのロック音楽としてワーナーが押し出していた。

 

 そして、このアルバムの場合は、 「7-Tapes Runs Out」、「8-Off The Wagon」などの録音を通じて、アナログのコンソールを使用してクラシカルなフォーク・ソングを作り上げている。

 

 ジュリアンがリードボーカルを担うが、トーレスのコーラスが入ると、サザンロックの要素が強まる。ウェスト・コーストのロック音楽は、アメリカ南部のソウルやブルースの影響下にあるサウンドを織り交ぜていたのは周知の通りであるが、これらの南部と西海岸の中間にあるようなフォークロックに取り組んでいる。しかし、モダンな要素も同時に強調される。弦楽器の演奏はオーケストレーションのような壮大さを生み出す。

 

 ただ、ギミックの演出のような大仰な感じはほとんどない。曲の延長線上にあるアレンジメントである。一方の「Off The Wagon」ではライブツアーのワンシーンのような情景が映画さながらに切り取られる。前の曲と聴き比べると、続き物のような感じで楽しむことが出来る。後者の曲は、ジャクソン・ブラウンの『Running On Empty』の収録曲「The Road」をわずかに彷彿とさせる。このアルバムの中盤の2曲ではアメリカらしい雄大さと哀愁を味わうことが出来るはずだ。

 

 

 その後、アルバムはカントリーの古典性に回帰している。「9-Tuesday」は再び本格的なデュエットの形式が繰り広げられる。しかし、同じアルバムの収録曲のデュエットとして聴くと、両者の人間関係が少しずつ移ろい変わっているように感じられる。そして、制作者の人生の周囲を通り過ぎていく風景のように流れる。それは、実際のレコーディングにも反映され、収録曲の時系列としての並び方はさておき、アルバムを一緒に制作したことで、デュエットの歌がもたらす空気感や雰囲気にも一定の変化が生じている。つまり、このアルバムは、ジュリアンとトーレスという、二人のシンガーソングライターの人生が徐々に転変していく様子を捉えている。

 

 これは言ってみれば、音楽におけるドキュメンタリーのような意味合いが含まれているのではないか。そして、従来のジュリアン、トーレスという二人の歌手を知る人々にとっては、元来のイメージが先入観であったと気づくかもしれない。そこには誰よりも真摯な姿勢で録音や音楽に向き合おうとするふたりのミュージシャンの姿が、実際の音源を通して目にまざまざと浮かんでくるかのようである。それは音楽を聞いていても、クール、かっこいい、というイメージを抱かざるをえない。そして最後にはトーレスの得意とするスポークンワード風のボーカルが登場するのにも注目したい。

 

 「10-Showdown」はジュリアンがリードボーカルを担う。静かな雰囲気に満ちた美しいバラードソングで、そして内的な静けさという今までになかった気風が漂う。この数年、制作者が作ってきたポピュラーソングを改めて回顧するような内容になっている。しかし、例えば、2021年のソロアルバムと比べてみると、本格派のシンガーとしての威風堂々たる雰囲気を感じさせる。明言こそできないが、シンガーソングライターとしての進化の気配が伺えるのである。

 

 「11-Silvia」は異なる個性を持つシンガーソングライターの才能が見事に花開いた瞬間である。イントロは哀愁あふれるフレーズをトーレスが歌い、その後、デュエット形式に変わり、美麗なハーモニーを形成する。個人的な出来事をリリカルに歌う歌手は多いが、この曲のポイントは両者で共有される第三者への思い。そこには痛切な感覚が漂い、シンプルな「シルビア、私を忘れないで.......」というフレーズが深い慕情を持つに至る。きっと、トーレス、ジュリアンともに言葉の重さを痛感しているからこそ、こういった心に響く曲を書くことが出来た。カントリーと銘打たれた本格派のアルバムの中で、この曲はポピュラーソングとして異彩を放つ。ダークで気だるいような感覚からもたらされる最も美しい感情の結晶が生み出されたのである。

 

 

 聴き応え十分だし、マタドールのレコーディングの素晴らしさも美点で、惚れ惚れしてしまう。ジュリアン・ベイカーとトーレスの真摯な音楽に対する姿勢と、意外な一面を感じさせる素晴らしいアルバム。このアルバムが、アメリカの音楽市場に、どのような影響をもたらすのかは定かではない。しかし、良質なカントリーアルバムとして、後世にさりげなく語り継がれるでしょう。もちろん、少数派の人間としての意見やスターダムに押し上げられた歌手の気持ちをストレートに反映させているのも、ひとつの魅力となりえる。少しシリアスな内容に傾きかけたアルバムは、その後、穏やかで柔らかい雰囲気を持ってクライマックスを迎える。トーレスはジュリアンに語りかけ、ジュリアンがそれに答え、軽快なカントリーソングが展開される。 レコーディングや音楽として高水準にあるだけではなく、伝えたいことが明確なのである。

 



90/100

 

 

 

 

Best Track-「Sylvia」

 


▪Julien Baker & TORRESのニューアルバム『Send A Prayer My Way』はマタドールより本日発売。ストリーミング/購入はこちらより。日本国内では、beatink/ディスクユニオンで販売中。



1969年、ニューヨークの歴史的なフィルモア・イーストでのコンサートは、その最初のツアーの初期の瞬間をとらえたもので、2枚組のライヴ・アルバムとして10月25日にリリースされる。


『Live At The Fillmore East, 1969』は、Rhino.comからビニール盤(2LP)とCDで発売される。同日、一部の小売店のみで特別クリア・ビニール・エディションが発売される。Helplessly Hoping」の未発表ライヴ・ヴァージョンが本日デジタル配信開始。試聴はこちらから。


Crosby Stills Nash & Young(クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング)は、1969年8月のウッドストック・フェスティバルで2度目のパフォーマンスを行ったことで有名だ。その後彼らは1970年のアルバム『Déjà Vu』の制作に取り掛かった。数十年後、1969年9月にニューヨークのフィルモア・イーストで行われたカルテットによる4度目のライヴのマルチトラック録音が発見された。LP『Live At The Fillmore East』として来月発売されることになった。


クロスビー、スティルス、ナッシュ、ヤングは、この未発表ライヴの制作に大きく関わった。スティルスとヤングは、ロサンゼルスのサンセット・サウンド・スタジオで、ジョン・ハンロンと共にオリジナルの8トラック・コンサート録音をコンパイル、ミックスした。このオーディオは、最高のオーディオ忠実度を提供するために、レコード・リリース用にAAAラッカー・カットされている。


ヤングは最近こう語っている。「私たちはテープを持っていて、とてもリアルに聞こえる。ミキシングはサンセット・サウンドで行ったんだ。制作中はずっとアナログなんだ。アナログ。デジタルは一切なし、アナログ・オリジナルだ。


ウッドストックからわずか1ヵ月後にレコーディングされた9月20日のコンサートは、フィルモア・イーストでの2日間で4回目のライヴで、アコースティックとエレクトリックの両方のセットが披露された。

 

「アコースティック・ショーは自分たちでやったけど、ダラス(・テイラー、ドラムス)とグレッグ(・リーヴス、ベース)の機材と大きなショーができたから、とにかくやってみたんだ。僕らに欠けていた繊細さは、熱意で補ったんだ」


ニール・ヤングとスティーヴン・スティルスは、来月LAで『Harvest Moon』のベネフィットを一緒に演奏する予定で、サンセット・サウンド・スタジオでジョン・ハンロンと共に『Live At The Fillmore East』をミックスした。

 

プレスリリースの中で、ニール・ヤングはこう語っている。「サンセット・サウンドのアナログ・エコー・チェンバーでミックスしたんだ。制作中はずっとアナログだったんだ」このアルバムには、バンドのアコースティック・セットとエレクトリック・セットが収録されており、後のグループのレコードに収録される曲や、メンバーの別のプロジェクトの曲も収録されている。

 

 

 



Crosby Stills Nash & Young 『Live At Fillmore East. 1969』


Live At The Fillmore East, 1969

 

LP Tracklist


Acoustic Set

Side One

1. “Suite: Judy Blue Eyes”


2. “Blackbird”


3. “Helplessly Hoping”


4. “Guinnevere”


5. “Lady Of The Island”


Side Two

6. “Go Back Home”


7. “On The Way Home”


8. “4 + 20”


9. “Our House”


10. “I’ve Loved Her So Long”


11. “You Don’t Have To Cry”


Electric Set

Side One

1. “Long Time Gone”


2. “Wooden Ships”


3. “Bluebird Revisited”


4. “Sea Of Madness”


Side Two

5. “Down By The River”


6. “Find The Cost Of Freedom”


CD Tracklist


Acoustic Set

1. “Suite: Judy Blue Eyes”


2. “Blackbird”


3. “Helplessly Hoping”


4. “Guinnevere”


5. “Lady Of The Island”


6. “Go Back Home”


7. “On The Way Home”


8. “4 + 20”


9. “Our House”


10. “I’ve Loved Her So Long”


11. “You Don’t Have To Cry”


Electric Set

12. “Long Time Gone”


13. “Wooden Ships”


14. “Bluebird Revisited”


15. “Sea Of Madness”


16. “Down By The River”


17. “Find The Cost Of Freedom”

 


アメリカのフォークシンガー、Cass McCombsがサプライズアルバム『Seed Cake On Leap Year』をDominoからリリースした。本作はアーティストの初期の未発表曲を収録。渋さと円熟味を兼ね備えたアルバムで、シンガーソングライターの若い時代の音楽的な魅力を再訪出来る。

 

1999年から2000年にかけてキャス・マコームスがバークレーに住んでいた頃、サンフランシスコのフルトン924番地にあるジェイソン・クイーバーのアパートで録音された初期の未発表曲集『Seed Cake On Leap Year』。1990年代後半のサンフランシスコのベイエリアには、Papercuts、Casiotone for the Painfully Alone、Chris Cohen's Curtains、Mt.Egyptなど、特別なアーティストのコミュニティが存在した。最大限の誠実さと親密さがモットーで、音楽は親しい友人とだけ共有されることが多かった。グラフィティ・ライター、スケーター、60年代の古株たちは、決して遠い存在ではなく、心の片隅にもいなかった。


常に前へ、前へと進むというマインドセットを貫いたマッコムスのキャリアにおいて、この時期は短いながらも実りの多い時期であった。『Seed Cake On Leap Year』の驚くべき点は、これらの楽曲がいかに生き生きと生々しく、洞察と驚きに満ち、まだ来ていないものすべてと対話しながら残されているか、ということ。

 

 

 

 

Cass McCombs  『Seed Cake On Leap Year』


Tracklist:

1I’ve Played This Song Before

2Anchor Child

3Baby

4Gum Tree

5Wasted Again

1If I Was A Stranger

2You’re So Satanic

3Always In Transit

4What Else Can A Poor Boy Do

5Northern Train


 

Nick Cave

 

ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ(Nick Cave &The Bad Seeds)が、近日発売のアルバム『Wild God』から新曲「Long Dark Night」を発表した。前作「Frogs」とタイトル曲に続く新曲だ。以下よりチェックしてほしい。


この新曲は、ウォーレン・エリスと共同制作を行ってきたケイヴらしい映画的なコンセプトが音楽の中に織り交ぜられている。

 

「スペインの16世紀の詩人、十字架の聖ヨハネの「魂の闇夜」からインスピレーションを得ている」ニック・ケイヴは声明で説明している。

 

「『長い闇夜』は、これまで書かれた中で最も偉大で力強い転換の詩のひとつにインスパイアされた。最終的には、美しいカントリー・チューン。この曲は、"Wild God "の甘い伴侶のように感じられるんだ」

 

ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズによる新作アルバム『Wild God』は8月30日に発売されます。


「Long Dark Night」

Bob Dylan's 431-song, 27-CD box set to be released September 20; includes 1974 arena tour

©Barry Feinstein
フォーク・ロックの伝説、ボブ・ディランは、1974年のバンドとのアリーナ・ツアーを収めた27枚組の巨大ボックス・セットを発表した。

 

9月20日発売予定の『Bob Dylan - The 1974 Live Recordings』には、なんと431曲(うち417曲は未発表曲、133曲はオリジナルの16トラック・テープから新たにミックス)が収録され、ジャーナリストのエリザベス・ネルソンによるライナーノーツも付いている。日本の大手レコードショップでも販売される。

 

本日の発表では、1974年2月9日(土)にシアトルでライヴ録音された「Forever Young」のヴァージョンがリリースされる。試聴は以下から。


CDボックス・セットに加え、サード・マン・レコードは、ディランとザ・バンドのライヴ・アルバム『Before The Flood』のオリジナル・トラックリストに収録されていない1974年ツアーの全曲のヴァージョンを収録した3xLPレコード・ボックス・セット『The 1974 Live Recordings - The Missing Songs From Before The Flood』をリリースする。このセットは、サード・マンのサブスクリプション・シリーズ、ヴォールトを通じてのみ入手可能である。

 


「Forever Young」

 Lankum - Live In Dublin

Lankum-『Live In Dublin』

 

Label: Rough Trade

Release: 2024年6月21日

 


Review

 

 

昨年、ダブリンの四人組のフォークバンドLankumは、Rough Tradeから4作目のアルバム『False Lankum』を発表し、イギリス/アイルランド圏の最優秀アルバムを選ぶマーキュリー賞にノミネートされた。

 

昨年のアルバムに続いて発売されたライブ・アルバム『Live In Dublin』は、2023年のダブリン市街地にあるヴィッカー・ストリートでの三夜のソールドアウト公演の模様を収録。音源を聴くと分かるように、ライブパフォーマンスにこそ、Lankumの真価が垣間見える。ティンパニ(タム)、フィドル、ヴァイオリン、アイリッシュ・フルート、アコーディオン、キーボード、エレクトロニクス、ダラのボーカルを中心に構成される重厚感のあるコーラスワークは、ドローンのように響き渡る弦楽器の重低音に支えられるようにして、ダブリンの3つの夜の濃密な公演を生々しく活写している。

 

ダラ・リンチ、イアン・リンチ、コーマック・マクディアマーダ、ラディ・ビートの四人組は、故郷のライブのステージで他のいかなる会場よりも大胆な演奏をしている。もちろん、ステージでのMCに関しても遠慮会釈がなかったという。具体的な言及は控えておくが、アイルランドのルーツを誰よりも誇らしく思う四人組の勇姿が、この音源を通して手に取るように伝わって来る。

 

本作はあらためてバンドとしての結束力を顕著な形で示す内容である。弦楽器、ボーカル、リコーダー、パーカッション、別々に分離した場所から発せられる異なる音は、Lankumの手にかかると、一体感を帯び、リアリティのある音楽に組み上げられる。


ダブリンの四人組は、『False Lankum』において、中世のアイルランドの儀式音楽の古いスコアをもとにして親しみやすいフォークを制作した。が、彼らの音楽は必ずしもクラシックの範疇にとどまるわけではない。


彼らは、エレクトロニクス、ドローンという前衛主義の手法を通じて、新しい音楽をダブリンから出発させる。これは実は、かつてオノ・ヨーコのコミュニティに属していた日本の音楽家”YoshiWada”がニューヨークで自作のバクパイプを制作し、ドローンという音楽の技法を生み出した経緯、要するに、ドローン音楽がスコットランドのバグパイプから出発していると考えると、フォークバンドが通奏低音を活かしたパフォーマンスをすることは当然のことなのである。

 

ライブはポストパンクバンドのようなSEから始まる。本作の序盤は古典的なスタイルを図るアイルランドのフォークミュージックが続いている。


「The Wild River」が弦楽器の短いフレーズを何度も反復させ、ベース音を作り、哀愁のあるフレーズをダラ・リンチが紡ぐ。他のメンバーのコーラスワークが入ると、彼らにしか作り得ないスペシャリティが生み出され、短調のスケールを中心に構成されるアイルランドフォーク音楽の核心に迫る。


このアルバムのイントロには彼らの儀式音楽の性質が現れるが、その後、比較的聴きやすいフォークミュージック「The Young People」が続いている。アコースティックギター、フィドルの演奏とエレクトロニクスを織り交ぜ、古典的なニュアンスにモダンな印象を添えている。(イアン・リンチの)ボーカルは渋さと温かさがあり、ホームタウンへのノスタルジアを醸し出す。

 

「The Rocky to Road to Dublin」はイギリスの会場では演奏されたなかったらしく、アイルランドのルーツが最も色濃いナンバーだ。ボーカルの同音反復の多いフレーズと対比的に導入される弦楽器のドローンと組み合わされ、重厚な音響性が作り出される。男女混合のダブルボーカルは一貫して抑制が効いているが、同じ楽節や音階を積み重ねることによって、内側から放たれる熱狂的なエナジーを作り出す。ボーカルの合間に入る観客の歓声も、その場のボルテージを引き上げる。Lankumは、この曲で、音楽研究家がこれまであまり注目してこなかったフォークの「ドローン(通奏低音)」という要素をライブパフォーマンスという形で引き出そうとしている。そしてスタジオ・アルバムより、このグループの音楽の迫力がリアルに伝わってくるのが驚き。

 

Lankumは、一般的にはフォークバンドとして紹介されることが多いが、「The Pride Of Petravore」を聴くと、モダンな実験音楽を得意とするグループであることが分かる。特に、この曲ではダークなドローンを最新のエレクトロニクスで作り出し、ボウド・ギターを使用して前衛主義としての一面を見せる。


この曲は、間違いなく重要なハイライトとなり、また、Lankumは硬化しかけたイギリス圏の実験音楽シーンに容赦ない一石を投じている。 前衛的なエレクトロニクスとアイリッシュ・フルートの演奏の融合に続く、古典的なフォークミュージックへの移行は、バンドの可能性を拡大させると共に、表現形式をコンテンポラリー・クラシックへと敷衍させていることを示唆している。

 

アルバムは中盤のスリリングな展開を経て、その後、クールダウンともいうべき静謐なフォーク・ミュージックが続いている。「On A Monday Morning」はアコースティックギターの緩やかな弾き語りで、このライブアルバムの中では最も繊細かつ悲哀に充ちたフォークナンバーである。

 

あいにくのところ、アイルランドの歴史に関する知識を持ち合わせていないが、この曲は、同地の長きにわたる侵略の歴史、もしくはその悲しみへの悼みとも言うべきなのだろうか。しかし、その出発点となる悲しみとしてのフォークは、その後、明るく開けたような、やや爽快な音楽の印象に変わる。これは、背後に過ぎ去った過去を治癒するような神秘的な力が込められている。


「Go Dig My Grave」は『False Lankum』の収録曲で、バンジョーのような楽器の音響性を活かし、忘れられた時代、ないしは航海時代の中世ヨーロッパへのロマンチズムを示している。中世ヨーロッパの葬礼のための儀式音楽の再構成であるが、ライブになると、「土の音楽」ではなく、その先にある「海の音楽」に変わる。一貫して、弦のドローンの迫力ある音楽形式により構成されているが、このことはおそらく、中世のアイルランドの音楽が、海上交易を通じて、アルフォンソ国王が治世するスペイン王朝はもとより、イスラムやアラブ圏の文化と一連なりであったことを象徴づけている。


スコットランドとアイルランドの文化の中庸としてのフォークミュージック、セルティックの影響下にある「Hunting The Wren」も、ライブ・アルバムの重要なポイントを形成しているようだ。蛇腹楽器のアコーディオンの演奏を取り入れつつ、パブカルチャーを反映させたように感じられる。


ただ、ランカムの全般的な音楽はやはり単なる消費文化とは一線を画していて、中世から何世紀にもわたって継承される国民性や、その土地の持つ独特なスペシャリティがしたたかに反映されている。また、そこには、南欧のスペイン圏のジプシー音楽の持つ流浪(永住する土地を持たない民族)の息吹が内含されているようにも感じられる。


何らかの歴史が反映されているがゆえなのか、音楽そのものが概して安価にならず、淡い深みと哀愁を漂わせている。続く「Fugue」は、「The Pride Of Petravore」と同様、ドローン音楽としても圧巻である。ダブリンのフォークバンドの意外な一面を楽しめる。更にクローズ「Beer Cleek」では、舞踏音楽(ダンスミュージック)としてのアイルランド・フォークの醍醐味を堪能出来る。

 


88/100

 

 

Best Track - 「The Pride Of Petravore」

 

©Samantha Tellez

シカゴのDIYのコミュニティから登場したボリヴァイナル所属のロックシンガー、Squirrel Flower(スクイレル・フラワー)はニール・ヤング&クレイジー・ホースの「Cortez the Killer」のカヴァーを公開した。スクイレル・フラワーは、ニール・ヤングの1975年のアルバム『Zuma』の収録曲を今年3月にオースティンの''Cheer Up Charlies''で行われたライブでカバーし、レコーディングした。

 

このシングルには複数のミュージシャンが参加している。その中には、アレクサローンのアレックス・ピーターソン、グレッグ・フリーマン、ホース・ジャンパー・オブ・ラブのディミトリ・ジャンノポラス、トゥルース・クラブのトラヴィス・ハリントンのギター、マイケル・カンテラのベース、そしてティーテのカイ・ワイルドのドラムが含まれている。試聴は以下から。


「あの週、テキサスで私たちを取り囲んでいたファシズムの中で、コミュニティの力を感じる方法として、友人と『Cortez』をカバーすることにしました」とウィリアムズは声明で説明した。

 

「私はニール・ヤングと彼の妥協のない信念が大好きだから、起こっているすべての現象に対して表現できると思いました。ショーの前日に思いついた。アレックスが練習場所を提供してくれ、何度か練習した後、ディミトリとグレッグが当日クルーに加わった。すべてを出し切った。ニールの言葉を借りれば、"この人たちとこのステージに立てたことは、私の人生の喜びのひとつ”」



「Cortez the Killer」

 



アパラチアとはニューヨーク州からミシシッピやアラバマ州まで、その稜線を伸ばす山岳地帯である。その地域は約二十万平方マイルを網羅している。古くは、イングランド、スコットランド/アイルランドの移民が多く住んでいて、ニューイングランドの文化性を最初期のアメリカの建国において築き上げて来た。この民族は、日本の北海道の奥地にいたアイヌ民族によく似た生活を送り、口伝の伝統性、自給自足の生活、そして民間伝承を特徴としていた。後には「アパラチアン・トレイル」という区域が設けられ、山岳登山者にも親しまれる場所となった。

 

アパラチア山脈の地域の産業は、農業の他、石炭の採掘が盛んだった。山岳地帯で冬はひときわ寒い。真冬は大雪が降る。家の中を温めるため、石炭と石油は必須であった。男性は石炭を採掘するため山の奥深くに踏み入った。彼らが日中を仕事に費やし、木造りの小屋の灯芯の油が途絶えようとする頃、山に仕事に行っていた男が石炭と埃にまみれて戻って来る。その間、女性たちは農業や紡績等の仕事を行い、家族が帰ってくるのを待っていたのは想像にかたくない。

 

アパラチアの文化を見るときにフォーク音楽という要素を欠かすことは出来ない。なぜならアパラチアは鉱業と音楽によって、その文化性を構築してきたからである。フォークとは平たく言えば、民謡のことで、その地域で親しまれる流行歌と言える。アパラチアはカントリーとブルーグラスの発祥の土地であり、もちろん、アメリカーナの出発の土地でもある。スコットランドやニューイングランドの移民は、はてない太洋の向こう、遠く離れた故郷のイギリスの望洋の念をアコースティックギターに乗せて歌ったのだろうか。アパラチアの家族の中には、必ずといっていいほど、楽器演奏者がいた。多くの鉱業や農業を営む家族は非常に貧しかった。高級なピアノを買うほどのお金はない。そこで、彼らは、スコットランドから持ってきたフィドルやバンジョー、あるいは、ダルシマーを演奏したのだった。山の枝を伐り、薪とし、それを小屋の向こうで燃やし、薪の周りに円居し、フォーク音楽を演奏した。この地域からはドリー・パートン、パッツィ・クライン、ロレッタ・リンを始めとする偉大な音楽家が輩出された。

 

こういった山岳地帯の生活の中でアパラチアン・フォークは育まれたわけだが、この音楽用語は20世紀初頭に少数の学者のグループによって名付けられた人工的なカテゴリーだった。アパラチアの民族性は音楽だけではなく、民間伝承や産業を切り離して語ることは難しい。それに加えて、民族的にもアフリカ系が住んでいた。単一主義の地域ではなく、出発からして多民族の地帯だ。しかし、この地域の音楽が、後世のフォーク/カントリーの一部を形成しているのは事実のようである。スコットランド民謡の伝承という要素がアパラチア音楽の素地の一側面を形成しているのも明確なのだ。

 

 

アパラチア音楽に求められる民俗性

 



19世紀から始まり、1920年代まで続いたアパラチア音楽に関する初期研究は、すべてアイルランド等で盛んだった「バラード」という形式、及び、他の類に属する新しい当世の流行歌や歌謡曲の再発見である「バラード・ハンティング」、「ソングキャッチ」という側面に焦点が絞られていた。ジェームス・チャイルドの「イギリスとスコットランドの人気バラード(1898)」という書籍を元に音楽研究が進んだ。実際、この本に書かれていた記述によって、アパラチアの音楽とイギリス諸島の民謡の中に歴史的なつながりを見出す契機をもたらしたのだった。

 

アパラチア音楽の最初期の評価は、モチーフの価値観や興味よりも、作家の個別の価値観や興味に基軸が置かれていた。例えば、1928年に米国議会図書館にフォーク・ソングアーカイブを設立したロバート・ウィンスロー・ゴードン氏は、イギリスの歌との直接的な関係によって定義付けられるアパラチアのフォーク音楽こそが「純正なもの」であり、「本物」であるとしている。ロバート・ゴードン氏は、「アパラチアを、アフリカ系アメリカ人やユダヤ系アメリカ人に代わるアメリカ人」として指摘した上で、次のように言及している。


「個人的には、私達の本当のアメリカ人のフォークを復活させ、知らせるためのプロジェクト全体が今日率先して行うべき価値のあることだと信じています。真のアメリカニズムの見方ーー、それはまさに私達の過去、開拓者、アメリカの作った人々の魂そのものです。現代のブロードウェイ、ジャズだけではないのです」ロバート氏の言葉には、現代性を見た上で、「過去の民族性が、現在にどのような形で反映されているのか」を最も重視すべきということが痛感出来る。

 

ただ、音楽専門家の意見とは異なる民俗学の研究者の視点が入ったとき、アパラチア音楽の研究は別の意義を与えられることになった。英国の伝統に関する視点は必ずしも絶対的なものではなかったのだ。ション・ローマックスとアラン・ ローマックスを筆頭にする民族学者、活動家の一派は、アパラチアの住民の民族性を調査するため、1930年代から40年代にかけて、時事的な曲や流行歌を蒐集した。このとき、必ずしもニューイングランド系の移民のみでこの音楽が演奏されるわけではなく、非白人のアパラチア人が演奏していたものもあったことが明るみに出るようになった。

 

稀少な事例であるが、ジェームズ・ムーニーによる「チェロキーの神話」、アフリカ系アメリカ人の鉄道バラード「ジョン・ヘンリー」の物語を明らかにした1920年のルイ・チャペルの未発表曲等が発見されると、必ずしもアパラチア音楽が白人のために限定された音楽とは言い難くなった。つまり、この点は20世紀前後のブルースの原点にあるプランテーションソングや鉄道員の歌と連動して、これらのアパラチア音楽が形成されていったことを伺わせるのである。

 

 

Dulcimerという謎の多い楽器


さらにアパラチア地帯には、スコットランド/アイルランド系の移民だけが生活していたわけではないことが歴史的な研究で明らかになっている。

 

他にもドイツ系、フランス系ユグノー、東ヨーロッパ人等多様な民族がこの山岳地帯に定住している。他にも20世紀初頭、アフリカ系アメリカ人がアパラチアの人工の約12パーセントを占めていたとの調査もある。さらにこれらのグループは、密接な関係を持ち、孤立していたわけではなかったことが判明している。アパラチア音楽のアイコンとなっている楽器「マウンテン・ダルシマー」は、ドイツのシャイトルトの系譜に当たる楽器と言われている。この点から、スコットランド人に留まらず、ドイツ人もヨーロッパ固有の楽器をこのアパラチア地域にもたらしたことを意味している。

 

さらに、ダルシマーという楽器は、フォルテ・ピアノの音響の元になったもので、フィレンツェのメディチ家が楽器製作者の”バルトメオ・クリストフォリ”に制作させた。クリストフォリはダルシマーをヒントに、いくつかの段階を経て、ピアノという楽器を製作した。ダルシマーは、アメリカーナの楽器のスティールギターの元祖であるとともに、驚くべきことに、イスラム圏の「ウード」にも似ており、日本の和楽器の「琵琶」にも良く似ている。つまり、この楽器はヨーロッパにとどまらず、イスラム、アジアとも何らかの関連性があることも推測される。

 

ブルーグラスやカントリーでお馴染みの楽器、バンジョーやマンドリン、ストリングスバンドが取り入れられたのはかなり早い時期で、1840年代であった。この時代にはミンストレル・ショーと呼ばれる演芸が行われ、アパラチア音楽が一般的に普及していく契機を作った。ジョーン・ベッカーは、「バラードや伝統的なゴスペルのような賛美歌だけではなく、登山家はその時代、伝統的なアングロサクソンの歌をうたっていた」と述べている。「もちろん、バラードや伝統的な歌にとどまらず、現代的な話題を題材にした新しいバラードも楽しんでいたのです。彼らは郵送で購入したギター、バンジョー、マンドリンと並べて手作りのフィドルも演奏していた」

 

20世紀の初頭、アパラチア音楽とは何を意味していたのか。1927年の夏、ラルフ・ピアという人物がビクター・レコードのためにブリストル(テネシーとバージニアの間にある)で行ったこの音楽のアーカイブ録音が存在する。録音の演奏者と曲のレパートリーを決定する上で、ラルフ・ピアは実際の演奏者に現代的な曲を避けるように指示している。しかし、なかなか実際に演奏出来るミュージシャンが見つからず、アパラチア音楽の録音は暗礁に乗り上げかけた。

 

しかし、そこには明るい兆しもあった。テネブ・ランブラーズは当時、ジミー・ロジャースというミシシッピの若手歌手を加入させたばかりで、レコーディング前に「自分たちが持っている曲よりも古く、田舎風の曲を探さなければいけない」と言われていた。バンドは解散してしまったものの、ロジャースは初のレコーディングを行い、カントリー・ミュージックの最初のスターとなった。

 

その時代と並んで、ゴスペルスタイルの歌をうたうカーター・ファミリー・プロテスト、同じくゴスペルシンガー、ブラインド・アルフレッド・リード、さらに、ホーリネス教会の牧師であったアーネスト・フィリップス、BFシェルトン、フィドル奏者でセッションにアフリカ系アメリカ人として最初に参加したエル・ワトソンなどが、そのサークルに加わることになる。上記の演奏家や歌手は、フォーク音楽の出発が、紡績の糸から組み上げられていることを示した。

 

 

アパラチア音楽の本質とは何か




アパラチア民族が山岳での農業、紡績、あるいは鉱業を営む傍ら、これらの音楽にどのような意義を与えていたのか。あるいは意義を与えられたのか。それは少なくとも、生活に密着した音楽的な表現を生み出すことであり、また、日頃の生活に潤いを与えるために音楽を歌ったことは、19世紀の綿花を生産するプランテーション農場で黒人の女性たちが歌った「プランテーション・ソング」、鉄道員によるワイルドな気風を持つ労働歌である「レイルロード・ソング」と同様である。そして、アパラチア音楽の場合は、単一の民族ではなく多民族で構成され、複数の楽器、フィドル、ダルシマーといったヨーロッパ、イギリス諸島の固有の楽器が持ち込まれ、独自の進化ーーアパラチアン・フォークーーというスタイルが生み出されることになった。これらの基礎を作り上げた中には、アフリカ系アメリカ人もいたことは付記しておくべきか。

 

また、著名な研究家であるウィリアム・フォスターは、アパラチア音楽の本質について次のように述べている。「アパラチア音楽が”アメリカ文化の特徴的で信頼すべき変種である”という意見は、依然として少数派の意見であると考える人がいるかもしれません。しかし、それは音楽が重要でなくなったからではなく、時代が進むごとに音楽用語として廃れつつあったからなのです。少なくとも、アパラチア地方の音楽は単一のものではなく、20世紀の音楽の創造におけるもうひとつの多角的な側面を示しています」 

 

「少なくとも、ブルース、ジャズ、ブルーグラス、ホンキートンク、カントリー、ゴスペル、ポップスにアパラチア音楽の影響は顕著に反映されています。これらの音楽のスタイルは、それ以外の地域の固有の音楽と同じように、アパラチアの文化性を担っている。アパラチアの音楽はアメリカの物語とよく似ています」とフォスター氏は語る。「アメリカでは、ミュージシャンはカテゴリーや系統の純度をあまり気にすることはありません。彼らはそれ以前の音楽を新しい翻案の素材として見なし、自らに適したスタイルや形式を熱心に掘り下げて来たのです」



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 サウスロンドンのシンガー、Matt Malteseは昨年、インディペンデントレーベルを立ち上げたばかりである。


その出発点として、ポートランドのシンガーソングライター、Searows(アレック・ダッカート)のシングル「Older」をリリースした。続いて、マット・マルテーゼはアレック・ダッカートと組み、ニール・ヤングの「Philadelphia」のカバーに取組んでいる。古典的なフォークミュージックとメロウなマルテーゼのソウル、フォークに対する愛着が見事なカバーソングとして昇華されている。両ミュージシャンによる息の取れた美麗なデュエットは人を酔わせる力がある。

 

 

「Philadelphia」-Best New Tracks

 

 

Matt Malteseは、3月8日にカバーを中心に構成されるニューアルバム『Songs That Aren't Mine』のリリースを発表した。アルバムはNettwerkから発売予定。収録曲は現時点で非公開。

 

シックスペンス・ノーン・ザ・リッチャーの曲で有名な「Kiss Me」は、アルバムのファースト・シングルで、本作には、様々な音楽のインスピレーションを受けた曲が収録されている。

 

昨年、マット・マルテーゼは、バロックポップ風のノスタルジアを込めたアルバム『Driving Just To Drive』 をリリースした。


 

Matt Maltese 『Songs That Aren't Mine』


 

マット・マルテーゼの新しい解釈は、2月13日にリーズで幕を開け、14カ国を回る、これまでで最大規模の2024年春のワールド・ツアーと時を同じくしている。

 

このツアーには、ロンドンのブリクストン・エレクトリックとロサンゼルスのウィルターンでのソールドアウト・ヘッドライン・ライヴや、ボナルー、ロック・ウェルチター、ヴィダ・フェストなどのフェスティバルでのパフォーマンスも含まれる。

 

アルバムの概要についてマルテーゼは次のように述べている。

 

「”Songs That Aren't Mine”は、子供の頃から好きだった曲ばかりを集めたアルバムで、昨年友人たちと自宅でレコーディングした。去年の夏の初めに、初めて一緒に仕事をしたプロデューサー、アレックス・ビュレーと再会して、他人の曲のヴァージョンを作って遊び始めたんだ。それは、アルバム制作のサイクルからの逃避のようなものだった」

 

「Kiss Me」


def.fo(トム・パウエルによるプロジェクト)が本日ニューシングル「Autumn Leaves」を発表した。ラップ、ファンク、R&B,ポップスをクロスオーバーするプロジェクトによる「Godly」に続く最新シングル。ベル・アンド・セバスチャンのクリス・ゲッデスが鍵盤で参加しているのに注目。


前作のシングル「Godly」とは異なり、def.foが柔らかなギターポップへとドラスティックな転換を図ったニューシングル。今週のベスト・トラックとしてご紹介します。



「Autumn Leaves」は、ソウルフルで爽やかなポップ・フォークの傑作である。この曲は、作り手にも聴き手にも安らぎと安心感を与えてくれる。太陽に照らされた霜のように輝き、内省的な歌詞が暖かな希望の毛布を織りなしているように、私たちはどのような逆境を乗り越えられ、どんなに暗い時でも明るい日がやってくることを教え諭してくれる。朗らかな春は必ずやってくる。さあ、刻々と変化する人生の季節を心を込めて振り返る素晴らしい旅に出てみよう!!



この曲では、トム・パウエル(マイケル・ヘッド・アンド・ザ・レッド・エラスティック・バンド)がヴォーカル、ギター、ベースを担当。彼の隣には、尊敬するミュージシャン、フィル・マーフィー(マイケル・ヘッド・アンド・ザ・レッド・エラスティック・バンド、ビル・ライダー・ジョーンズ)のドラム、クリス・ゲッデス(ベル・アンド・セバスチャン)の鍵盤が並び、全員が曲のダイナミックな深みに貢献している。



プロダクションは、トム・パウエルとスティーヴ・パウエル(ザ・ストランズ、ジョン・パワー、ザ・ステアーズ)のシームレスなコラボレーションで、情緒的で安心感のあるサウンドスケープを実現している。ミックスはロイ・マーチャント(オマー、M.I.A.、イグザンプル)が担当し、マスタリング/エンジニアのハウィー・ワインバーグ(ジェフ・バックリー、PJハーヴェイ、シェリル・クロウ)が魔法のようなタッチで仕上げている。

 

 ニューシングル『Autumn Leaves」は2023年12月1日により発売。def.foのニューアルバム『Eternity』の最終シングルである。新作アルバムのプリオーダーはこちら

 

 

def.fo (a project by Tom Powell) announces its new single "Autumn Leaves". This is the latest single from the artist who crosses over rap, funk, and pop music, following "Godly".

Autumn Leaves" is a soulful, breezy pop-folk masterpiece. Carefully crafted, the song offers comfort and reassurance to both the creator and the listener. Glistening like frost in the sun, the introspective lyrics weave a warm blanket of hope, reminding us that adversity can be overcome and that even in the darkest of times, brighter days will surely come. Spring will always come. Let us embark on a journey to reflect wholeheartedly on the ever-changing seasons of life.

Tom Powell (Michael Head and the Red Elastic Band) provides vocals, guitar, and bass on this song. Alongside him are respected musicians Phil Murphy (Michael Head and the Red Elastic Band, Bill Ryder Jones) on drums and Chris Geddes (Belle and Sebastian) on keys, all contributing to the song's dynamic depth.

Production is a seamless collaboration between Tom Powell and Steve Powell (The Strands, John Power, The Stairs), resulting in an emotional and reassuring soundscape. Mixed by Roy Merchant (Omar, M.I.A., Ixample), mastering engineer Howie Weinberg (Jeff Buckley, PJ Harvey, Sheryl Crow) adds his magical touch.

The new single "Autumn Leaves" is released by December 1, 2023 and is the final single from def.fo's EP "Eternity". Pre-order the album here.




 「Autumn Leaves」

 


グラミー賞の主要部門にノミネートされたboygenius(ボーイ・ジーニアス)が、アイルランドのフォークデュオ、Ye Vagabons(イェ・バガボンズ)と組み、故シネイド・オコナーがレコーディングしたアイルランドとスコットランドの伝統的な曲「The Parting Glass」を演奏した。


この曲の全収益は、ダブリンの恵まれない子供たちや若者たちのために活動するエイスリング・プロジェクトに寄付されるという。アイスリング・プロジェクトは、5つの異なる場所で150人以上の若者に温かい夕食と放課後のサポートを提供し、彼らが歓迎され、安全で、大切にされていると感じられる環境で、様々な活動に参加できるようにしている。


「boygeniusがこのリリースの収益をエイスリング・プロジェクトに寄付することを選んでくれて、本当に感激しています。シネイド・オコナーへの驚くほど美しいオマージュに関わることができるのは絶対的な特権であり、ボーイ・ジニアスに感謝してもしきれません」



Madi Diaz(マディ・ディアス)がケイシー・マスグレイヴスのデュエット曲を公開した。このニューシングルは『Weird Faith』の収録曲。新作アルバムは来年2月9日にAntiから発売される。


ケーシーのデュエットについてマディは、「私が『Don't Do Me Good』で歌ってほしいと頼んだ時、ケーシーが『イエス』と言ってくれてとても嬉しい。彼女がいなかったらこの曲はとても寂しいものになっていただろうし、彼女の歌声を私の歌声と一緒に聴けることにとても感謝している」


この曲は、私たちが何度失望させられても、何度も戻ってくる人について歌っている。毎日目を覚まし、その人を無条件に愛するという選択をすること、同時に、関係が何も良くなっていないことを無視することがどんどん難しくなっていくこと。

 

それは頑固であり、反抗的であり、希望的であり、積極的に楽観的である。少しマゾヒストであり、人を愛するという大変な仕事に恋をしていて、その人からどう立ち去ればいいのかわからなくなるということなのだ。


この曲には、共同プロデューサーであるサム・コーエンとコンラッド・スナイダーがそれぞれベースとパーカッションで参加、ウォークメンのマット・バリックがドラム/パーカッションで参加している。エリザベス・オルムステッドが監督したビデオが公開。下記からチェックできる。

 

「Don't Do Me Good」

 

©Chris Phelps

米国のカントリー・シンガー、Margo Priceは、再構成アルバムである『Strays II』から3曲のシングルを同時公開した。先日、「Malibu」が最初のシングルとして先行公開されている。

 

カントリー・シンガーのマーゴ・プライスは、このアルバムを3回に分けてリリースする予定で、第1幕ではビック・シーフのギタリスト、バック・ミークとジョナサン・ウィルソンとのコラボレーションをフィーチャーしている。第2幕、『Mind Travel』には、夫でシンガーソングライターのジェレミー・アイヴィーと共作した「Black Wolf Blues」と「Mind Travel」、そしてマイク・キャンベルとのコラボ曲「Unoriginal Sin」が収録されている。試聴は以下から。


マーゴ・プライスは新曲について次のように語っている。


サイケデリックな旅は、時間と空間のぼんやりとしたウサギの穴に続いている。マイク・キャンベルに「Unoriginal Sin」というダークなロッカーを共作してもらえたのは幸運だった。彼との作業は、曲作りのマスタークラスを受けたようなものだった。時には、しばらく探っていなかった暗いコーナーがあるものだが、それを掃除するのはいいことだ。


「Mind Travel」は、私が書いた曲の中で最も奇妙な歌詞の曲のひとつだ。ジェレミーとサウスカロライナで書いたんだ。シロシビンで体外離脱を体験したことが影響している。私たち2人は、死を受け入れること、そしてすべてがいかに早く過ぎていくかを思い知ることについて、信じられないような突破口を開いたんだ。過去にとらわれない限り、反省したり過去を思い出したりしてもいいんだ。旅のこの部分は、現在に満足することを学ぶ場所なんだ。


これらの曲がどのように組み合わされたのかが好きだ。特に「Black Wolf Blues」は、ジェレミーが私の視点から歌詞を書き始めたんだ。私の祖先、祖父母(ポール&メアリー・プライス)、そして彼らの愛と、干ばつで農場を失ったにもかかわらず、それがどのように育っていったかを振り返っている自分に気づいたんだ。私はコードとメロディーを書き、詩とコーラスの仕上げを手伝った。この曲には甘さとノスタルジックさがあるけれど、そこには迫り来る闇がある。アルバム全体を通して、迷子のように目を光らせ、道を切り開いてきたオオカミがいる。彼を探して。目に見えない疫病が宙を漂っているようなもので、スーツを着てネクタイを締めた男が、まっすぐな白い歯を見せて嘘をついているのだ。彼は物陰に隠れている。


昨年の『Strays』に続く『Strays II』は、10月12日にLoma Vistaからリリースされる。

 

「Black Wolf Blues」  

「Mind Travel」  

「Unoriginal Sin」

Buck Meek  『Haunted Mountain』 

 

 

Label: 4AD

Release: 2023/8/25



Review



ビッグ・シーフのギタリストとして知られるバック・ミークのソロ・アーティストとして通算3作目のフルアルバム。バック・ミークは、オルト・フォークの世界的なバンドとして知られるメイン・プロジェクトとは少し異なる音楽性に取り組んでいる。ただもちろん、バック・ミークの重要なルーツであるカントリー/フォークの性格は本作の音楽性の根底に据えられている。

 

アルバムを聴いていると、エイドリアン・レンカーのボーカルを取り払ったビッグ・シーフの奥深いルーツが、ぼんやり浮かび上がってくる気がする。ミークは、実質的な表向きの音楽性というよりもムードやアンビエンスを強く意識している。それは、バック・ミーク自身のボーカルにも同様のことが言える。歌を意識するというより、カントリー/ウェスタンをローファイの側面から解釈したトラックに、器楽的なバック・ミークのヴォーカルがふんわりと乗せられる。その場の空間の雰囲気をできるだけ損ねぬよう、ミークは優しく和らいだ感じの歌をうたうのだ。


バック・ミークのソングライティング性には、サイモン&ガーファンクル、レナード・コーエンのような古き良きフォーク・ミュージックの影響が伺える。どちらかと言えば、中性的なフォークの性質が、このアルバムの核心にはある。バック・ミークの深いアメリカーナへの愛着が余すことなく示され、それは70年代のポピュラー・ソングへの憧憬にも似た感慨が滲んでいる。


ここには、彼の得意とするアコースティック・ギターのアルペジオ、ペダル・スティールや、グロッケンシュピール、そして声をわざと裏返すボーカルライン、ミュートを掛けたドラムといった複数のカントリー音楽の鍵となる要素を変幻自在に散りばめることにより、淡さと深さを兼ね備えた極上のフォーク・ミュージックが誕生している。音楽性の手法は、きわめて現代的で、”モダン”とも称せる。歌声は、中性的な感性に満ちあふれている。しかし、バック・ミークの音楽は、上部だけをすくったカントリーに堕することはない。時には、ハンク・ウィリアムズのような、奥深いアメリカの源流に接近する場合もある。表向きの幕の裏側にある秘密に迫れるかどうかが、このアルバムを解き明かすために最重要視すべき点といえるかもしれない。

 

アルバムのオープニングを飾る「Mood Ring」は、現代的な4ADのサウンドの性質に縁取られている。たとえば、Golden Dregsの最新作『On Grace & Dignity』にも比する、渋さのある雰囲気に浸されている。しかし、バック・ミークの場合、それらのフォーク音楽の要素は、70年代の米国のアナログのポピュラー音楽と結びついて、控えめなノスタルジアを生み出す。


サビは、わかりやすい形では存在しないように思えるが、リズム・トラックと重なり合うようにして、部分的なフレーズとして紡がれる。それがインディーロック風のギターと重なり合った時、バック・ミークの恬淡とした歌が激しいエモーションを帯びる。さらに曲の終盤では、パーカッションに導かれるように、シンセのシークエンスが広がっていき、アンビエントともサイケとも付かない抽象的な音像を楔とし、再度、モチーフのフレーズが舞い戻ってくる。淡々とはしているが、これらの構造的な要素は、イントロダクションにミステリアスな雰囲気を及ぼしている。

 


バック・ミークのボヘミアンのごとく寛いだ性格は、アルバムのタイトルトラック「Haunted Mountain」でさらに鮮明になる。アコースティック・ギターの軽妙で流れるようなストロークで始まるこの曲は、ガット・ギターのしなるような音色に導かれるようにして、米国南部に代表される、山岳地帯のフォーク・ミュージックの源流に迫ろうとしている。主なイメージとしては、夏の盛りの青空の下、山岳の中腹をオープン・カーで疾走しながら、山頂に向けて上っていく……。そんな爽快な感覚に満たされている。アコースティック・ギターの背後に導入されるバンジョーの演奏は、この曲のロマンティックな印象を強化している。ミークのファルセットを駆使したボーカルも軽やかな印象を付与している。後半では、ペダル・スティールが導入され、ウェスタン調の音楽に変遷を辿り、ご機嫌な雰囲気が最高潮に達する。この曲から、テキサスのカウボーイ・ハットやテキーラを想像することは、それほど難しいことではない。

 

「Paradise」

 


#3「Paradise」はメロウな雰囲気のフォーク・バラードで、アルバムの中でもハイライトと称すべき素晴らしいトラックである。ギターラインは、例えば、Jeff Parker(Tortoise)が好むようなジャジーな音色で、ムードを引き立てている。それらの芳醇なギター・ラインに乗せられるミークのソフトなボーカルが優しげな表情を形作っている。アルバムの序盤とは異なり、夜の雰囲気にまみれた大人のバラードで、ボーカルラインは、サイモン&ガーファンクルの懐古的なフォーク・バラードを彷彿とさせる。特に、2分22秒以後のメイン・ボーカルとコーラスのファルセットを交えたハーモニーに、息を呑むような美麗な瞬間が現れる。ペダル・スティールやクランチなギターが主要なフレーズを演出しているのは前曲と同様だが、それは全く異なる内省的な印象に彩られている。同じようなものが別に見えるのはどういうことだろう?


#4「Cyclade」は、現代的なフォーク・ロックとも解せる。アルバムの序盤では最もアップテンポのナンバーではあるが、ここでは、序盤のガーファンクルというよりも、ボブ・ディランへの傾倒が伺えるような気がする。ただ、ディランの最初期のフォーク時代ではなくて、ロックの巨人としてのディランに対する最大限のリスペクトが込められているとも解釈できる。しかし、やはり、バック・ミーク特有の独特なアメリカーナのファルセットが異彩を放つ。これらのアンビバレントな感性は、これらの旧来の音楽に慣れ親しんでいるリスナーを懐古的な気分に浸らせ、実際的に、フォーク音楽の未来が抽象的に示されていると解釈することができる。 

 

 

「Secret  Side」

 

もちろん、バック・ミークは、多分、このソロ・プロジェクトをビッグ・シーフの延長線上にある音楽性として捉えているのかもしれない。#5「Secret Side」では、ファンに対してささやかなプレゼントが捧げられている。ビッグ・シーフの最新作や、Floristの最新作にも似た可愛らしいナチュラルなフォーク音楽の良さを全体に詰め込み、それをアメリカーナへの弛まぬ愛情によって包み込む。3分半の曲に及ぶ素朴で優しげな曲の表情は、時には、Niel Young(ニール・ヤング)の「Harvest Moon」を彷彿とさせる瞬間もあり、穏やかなピアノのフレーズやアコースティック・ギター、ロマンティックなヴィブラフォンによってロマンティックな雰囲気が引き立てられている。聴いていると、どのような険しい表情も綻び、笑顔になるような一曲だ。

 

同様に、#6「Didn't Know You Then」は、素朴なロックソングとして楽しめる。ここでは、オーケストラのクレスタを効果的に用い、Buddy Holly(バディ・ホリー)/The Crickets(ザ・クリケッツ)が名曲「Everyday」で示したロックンロールの原初的な魅力に光を当てようとしている。ただ、バック・ミークの手に掛かるやいなや、古典的な形式がインディー・フォーク調のモダンな音楽性に変化してしまうのに大きな驚きをおぼえる。しかし、この曲がトレンドのモダンのフォーク音楽を意識しつつも、それが決して軽薄なものにならないのは理由があり、旧来の時代への深い文化的な理解がソングライティングに通底しているからだろう。


ただ、これらのBig Thefの延長線上にある音楽性を第一義として捉えながらも、遊び心や冒険心にあふれている点が、このアルバム、ひいてはバック・ミークの凄さではないだろうか。#7「Undae Dunes」では、イントロにおいて、ブレイクビーツ的な手法を用いたり、ネオ・ソウルへの愛着を滲ませたりと、アーティストの意外な一面が伺える。そして、その後は、フォークの要素を絡めたダンサンブルなロックに挑んでいる。ザ・キラーズにも近い冒険心溢れる音楽性は、ソロ・プロジェクトであるからこそ実現したとも言えるのではないか。

 

#8「Where You're Coming From」のイントロは、ディランの名曲「Don't Think Twice~」(邦題:くよくよするな)に対する最高のオマージュとなっているのではないか。表向きのワイルドなイメージとは正反対の内省的な一面を示した繊細なギターのアルペジオに象徴されるこの曲は、ベトナム戦争時代、戦地に赴かねばならぬ米国の若者を勇気づけ、その肩を支えるための意義深いフォーク・ソングだった。この形式をバック・ミークは受け継ごうとしている。


果たして、これがどの人々への賛歌であるかまでは推測しかねる。しかし、イントロの悲しみは、サビにかけて、和らいだ優しさへと変化していく。これらの印象の変化、あるいは変遷は、バック・ミークのソングライティングの想像性の豊かさを象徴づけている。イントロのアコースティック・ギターが印象的なナンバーは、さらに中盤にかけて、インディーロック/フォーク・ロック調の明るいエネルギーに満ち溢れた曲調に変遷を辿っていく。部分的には、ギルバート・オサリバンのような良質なソングライティング性も内包される。他方、アメリカーナのファルセットを下地にした歌声は、ミークの唯一無二の個性的な音楽性を確立させている。何らかの影響こそ受けているものの、完全なオリジナルとして昇華されているのが素晴らしい。

 

#9「Lullabies」は、タイトルに見える通り、アイリッシュ・フォークの哀愁を漂わせる一曲となっている。ただ、曲の終盤ではブルースのギターラインが顔をのぞかせる。しかし、日常の暮らしを送る人々への勇気づけや細やかな楽しみを与えるために生み出された「ララバイ」なる形式は、ミークの極上の手腕により、弱い人々の肩を支える力強い曲として存在感を放つ。ときに、人生の中には落胆や失望がつきものだが、そういった沼からこの曲は救い出してくれる力がある。

 


一転して、#10「Lagrimas」では、最初期のパット・メセニーが書いたような、米国の農場風景を思わせるフォーク音楽の源泉へと迫ろうとしている。他の曲とは別のギターで演奏していると推測できるが、ナイロンの弦のギターは、少なくとも、これらの米国のカントリーの果てなきロマンスの極地へと落着する。マーチングにも似た3拍子のドラムのリズムに支えられるようにして紡がれるギターラインは、やはりアーティストのボヘミアン的な性質が色濃く反映されている。これらの農場風景や見渡すかぎり広がる地平線のない、空が抜け落ちたかのような心象風景は、最後にバンジョーの楽しげな楽器が加わり、心楽しいクライマックスへ導かれていく。全収録曲のアメリカーナに象徴される音楽は、一面的な印象性にとどまらず、聞き手の想像力を喚起する多面性を持ち合わせている。これがこのアルバムの最も素晴らしい点だと思う。

 

 

87/100

Niel Young(ニール・ヤング)が、ニューシングル「Sedan Delivery」とともに、"失われたアルバム"『Chrome Dreams』を発表した。『Chrome Dreams』は、Reprise Recordsより8月11日にリリースされます。。

 

『Chrome Dreams』はニール・ヤングの最も個性的でパワフルなアルバムのひとつで、1974年から1976年にかけてのスタジオ録音から構成され、1977年にリリースされる予定だったが、現在まで正式発表に至らず、長年、お蔵入りしたままだった。


『Chrome Dreams』に収録されている12曲は、別の時期に別の形で存在していたかもしれないし、それも創作過程の一部である。これらの多くはオリジナルで、ヤングが最初に認識したとおりの形で今、命を吹き込まれている。アルバムには、「Pocahontas」、「Like a Hurricane」、「Powderfinger」、「Homegrown」、「Stringman」、「Look Out for My Love」が収録されている。

 

米国のフォーク・ロックのレジェンド、ニール・ヤングは去年から複数のリイシューを継続しており、その中には、『Harvest Moon』の50周年盤や『World Record』も含まれている。


「Sedan Delivery」

 

©David Cleary

マルケタ・イルグロヴァーとグレン・ハンサードは、The Swell Season(スウェル・シーズン)として10年以上ぶりとなる新曲を発表した。ダブリンのフォークロック・デュオは2005年に結成された。

 

映画『Once』の公開15周年を記念したデュオの夏のツアーに先駆けて発表された「The Answer Is Yes」は、アイスランドのマスターキー・スタジオでレコーディングされ、Sturla Mio Thorissonがプロデュースした。この曲には、度々コラボレートしているマルヤ・ゲイナーとベルトラン・ガレン、アイスランドのミュージシャン、ティナ・ディコとヘルギ・フラフン・ヨンソンがヴォーカル、Þorvaldur Þór Þorvaldssonがドラム、Guðmundur Óskar Guðmundssonがベースで参加している。


「グレンと私は、今度のアメリカ・ツアーの前に新曲をリリースしようと話していた。「毎晩一緒に歌えるような美しいデュエットを書きたかった。深く個人的でありながら、広く普遍的である。かつてあったものすべてに敬意を表し、今あるものすべてを祝福するような、過去20年の私たちの旅を要約するようなものをね」


ハンサードはこう付け加えた。「私たちは一緒になって、古い曲を通して作業しているうちに、新曲のチャンスはほとんど必然的なものになった。マルケタはクリエイティブな部分でジョニを彷彿とさせるところがある。それはとても威圧的でもあるけれど、私の作曲方法とは対照的な素晴らしいものだ。僕にとって、一緒にいるときに湧き上がってくるアイデアこそが、彼女が参加すべきものなんだ」

 

「The Answer Is Yes」

 

©︎Sanne Ahremark

オレゴン州のシンガーソングライター、M.Wardは、今週末のニューアルバム『Supernatural Thing』のリリースに先駆けて、最終シングル「too young to die」を公開しました。これまで、アメリカーナ、ロックンロールと変遷を辿ってきたWardは、3曲目のシングルで古き良きコンテンポラリー・フォークへの旅を企てている。この曲は、スウェーデンのフォーク・デュオのFirst Aid Kitがフィーチャーされ、ソダーバーグ姉妹はミュージックビデオにも出演していますよ。

 

ニューシングル「too young to die」は、メディエーション風の緩やかなフォーク・ミュージックで、ファースト・エイド・キットのボーカルの美麗なハーモニーが心に染みるナンバーで、心に静かな潤いを与えてくれます。今週最初のHot New Singlesとして読者の皆様にご紹介します。


「First Aid Kitは、ストックホルム出身の姉妹で、彼女たちが口を開くと何かすごいことが起こるんだ」M.Wardはこのコラボレーションについて話しています。

 

「ストックホルムに行き、そこで数曲レコーディングするのは、とてもスリリングなことだったね。血のつながったハーモニー・シンガーが奏でるサウンドは、他の方法では得られないものなんだ。"The Everly Brothers、The Delmores、The Louvins、The Carters、The Söderbergs、どれもボーカルに同じようなフィーリングを感じることができるはずだよ」

 

「too young to die」

 

 

ニューアルバム『Supernatural Thing』は今週金曜日、6月23日にANTI-より発売されます。先行シングルとして、タイトル曲「New Kerrang」が公開されています。 また、M.WardはTiny Desk Concertにも出演しています。また、スウェーデンのフォークデュオ、First Aid Kitは昨年、最新アルバム『Palomio』を発表しました。こちらのレビューも合わせてお読みください。

©︎Jacob  Boll

M. Wardが、ニューアルバム『Supernatural Thing』を発表しました。ANTI-から6月23日に発売される。First Aid Kit、Shovels & Rope、Scott McMicken、Neko Case、Jim Jamesがゲスト参加した作品となっています。

 

本日の発表では、アルバムのタイトル曲と、Joe Trusselが監督したビデオが公開されています。Supernatural Thingの詳細は下記をご覧ください。


私が初めてLady In Satinを聴いたのは、サンフランシスコのどこかのメガショッピングモールの中でした。私は20歳くらいで、ビリーのレコードや彼女の人生について、また彼女の声が何年もかけてどのように変化していったかについて、あまり知りませんでした。とにかく、その音はモールの反対側から聞こえてきて、私は彼女の声を美しく完璧に歪んだエレキギターと勘違いしたのを覚えています。この奇妙な哀愁のある弦の海に浮かぶ別世界のもので、私は一生夢中になることになりました。


それから10年後の2006年、私はアルバム『Post-War』のために「I'm A Fool To Want You」のエレキギター・インストゥルメンタルバージョンをレコーディングしました。2018年、私はLA.で『Lady In Satin』の全曲をクインテットで演奏し、このアルバム『Think of Spring』にまとめられた録音のためのギターアレンジの準備を始めた。タイトルは、ジェーン・ブラウン=トンプソンが1924年に書いた詩に由来し、やがて1938年に「I Get Along Without You Very Well」となり、ここでの1曲目となりました。


Think of Springのコンセプトは、Lady In Satinの曲とストリングスを、様々なオルタネイト・チューニングと最小限のテクスチャーとスタジオ操作で、1本のアコースティック・ギターでフィルターすることです。


Think of Springは、Billie Holiday、Ray Ellis、J.J. Johnson、John Fahey、Robert Johnsonからインスピレーションを受けています。


このレコードからの収益は、Inner-City Arts & DonorsChoose via PLUS1 for Black Lives Fundに寄付されます。


 

 




M.Ward 『Supernatural Thing』

 


Label: ANTI-

Release: 2023/6/23


Tracklist:


1. lifeline


2. too young to die [feat. First Aid Kit]


3. supernatural thing


4. new kerrang [feat. Scott McMicken]


5. dedication hour [feat. Neko Case]


6. i can’t give everything away [feat. Jim James]


7. engine 5 [feat. First Aid Kit]


8. mr. dixon [feat. Shovels & Rope]


9. for good [feat. Kelly Pratt]


10. story of an artist

 

©Shervin Lainez


アメリカーナのニュースター、Madison Cunningham(マディソン・カニンガム)は、アルバム「Revealer」のデラックスエディションを発表しました。5月5日にVerve Forecastから発売される予定。


アルバムの収録曲は、「Who Are You Now」と「Life According to Raechel」のデモ、Remi Wolfをフィーチャーした「Hospital」の新バージョン、そして未発表曲「Inventing the Wheel」で、現在リリースされています。以下、ご視聴ください。

 

マディソン・カニンガムは「Inventing the Wheel」について次のように語っています。「この曲は、一度実現したら、自分で書くことができるような曲のひとつだった」

 

この曲は、自分の外側に目を向けたときに起こる啓示のようなもので、自分の感情の幅に限界を感じているのは、自分が最初でも最後でもないことがわかると思う。そして、その啓示によって、仲間、家族、アイドル、敵、すべてがゼロ地点に立ち、同じ問いを掻き立てながら見上げているのがわかるのです。「Revealer」では喪失感という考え方に重きを置いていて、この曲は私の中でその考えを何らかの形で完成させてくれたんだ。

 

 Lankum  『False Lankum』

 

 

Label: Rough Trade

Release Date: 2023年3月24日



Review

 

アイルランド/ダブリンの四人組フォークグループ、Lankumは先週末4作目のフルアルバム『False Lankum』をリリースした。現代の音楽の主流のコンテクストから見ると、フォーク・ミュージックはポップネスやオルタナティヴロックと融合し、その原初的な音楽を核心に置くグループは年々少なくなってきているように思える。しかしながら、ダブリンの四人組はこのフォーク-つまり、民謡の源流を辿り、再びアイルランド地方の歴史性、そして文化性に脚光を当てようとしている。


バンドは、この4作目のアルバムを制作するに際して、かなり古いアイルランド民謡のアーカイブを丹念に調査し、そして実際の楽譜や歌詞を読み込み、それらを組み直している。このアルバムに収録されている曲の多くは、米国にもイングランドにも存在しえないアイルランド固有の音楽でもある。そして、アイルランド民謡が祭礼的な音楽として出発したという歴史的な事実を現代のアーティストとして再考するという意味が込められている。


例えば、オープニングトラック「Go Dig My Grave」は、そのタイトルの通り、葬儀における祭礼的な音楽として生み出された。そして、キリスト教のカソリックの葬儀の祭礼で演奏された宗教音楽やバラッドの幻影をランカムは辿っている。「Go Dig My Grave」は、ランカムのレイディ・ピートが1963年にアルバム『Jean Ritchie and Doc Watson at Folk City』に収録したジーン・リッチーの歌声からアルバムに収録されている特定のヴァージョンを発見したことに端を発する。この曲は、元々様々なバラッドのスタンザ(押韻構成のこと)として作曲された、いわゆる「浮遊詩」で構成されている曲の一つで、17世紀にそのルーツが求められる。

 

この曲は死者との交信といういくらか霊的な要素を備えており、ボーカルとアイルランドの民族楽器の融合は、悠久の歴史のロマンへの扉を開くかのようである。歴史家が古代の遺跡の探査にロマンチシズムを覚えるように、この曲には、アイルランドの歴史的なロマンと憧憬すら見出すことが出来る。そして複数の民族楽器の融合は、死靈へ祈りとも言いかえられ、曲の中盤から終盤にかけて独特な高揚感をもたらす。これはクラブミュージックともロック・ミュージックとも異なるフォーク・ミュージック特有の祈りに充ちた器楽的な抑揚が表現されている。

 

同じく、先行シングルとして公開された8曲目の「New York Trader」は、2021年一月に制作が開始された。

 

この曲はバンドがリングゼンド出身のルーク・チーヴァースから教わったという。この曲はまた19世紀にイギリスのブロードサイドに印刷された人気曲で、その後、20世紀ウィルトシャー、ノーフォーク、ノバスコシアでバージョンが集められた。渋さとダイナミックさを兼ね備えたバラードは、淡い哀愁に満ちており、舟歌としてのバラッドがどのようなものであるのかを再確認することが出来る。

 

アルバム発売前の最終シングルとしてリリースされた「New Castle」は、他の先行シングルと同様に17世紀のフォークミュージックを再考したものである。この曲については、The DeadliansのSeán Fitzgeraldから学びんだという。


このフォークバラッドは、『The English Dancing Master』1651年)という媒体に初めて掲載されたのが初出となる。一方、この曲の歌詞は、1620年に印刷された「The contented Couckould, Or a pleasant new Songe of a New-Castle man whose wife being gon from him,shewing how he came to London to her, and when he found her carried her backee again to New-Castle Towne」というタイトルのバラッドと何らかの関連があるかもしれないという。いくらか宗教的なバラッドとしてアクの強さすら感じられるフォーク・ミュージックの中にあって、最もハートフルで、聞きやすい曲として楽しむことが出来る。爽やかで自然味溢れるフォークソングは、バンドがアイルランドの名曲を発掘した瞬間とも言える。それらをランカムは、ノスタルジアたっぷりに、そして現代の音楽ファンにもわかりやすい形で土地の伝統性を伝えようとしている。それはアイルランド地方の自然や、その土地に暮らす人々への温かな讃歌とも称することが出来るかもしれない。

 

 

4作目のアルバム『False Lankum』では、古典音楽の一であるフーガ形式の3つの曲を取り巻くようにして、ロマンチックかつダイナミックなアイルランドのフォークバラッドの世界が飽くなき形で追求されている。あらためてアイルランド民謡の醍醐味に触れるのにうってつけの作品といえ、最終的に、本作の音楽はランカムのメンバーのこの土地の文化への類稀なる愛着という形で結実を果たす。上記に挙げた曲と合わせて、クライマックスを飾る「The Turn」には、これまでのランカムとはひと味異なるフォーク・バラッドの集大成を見出すことが出来るはずだ。

 

 

78/100

 

 

 Featured Track  「New Castle」