ご存知の通り、ヤヤ・ベイは、ヒップホップとR&Bの中間にある音楽的なアプローチで知られている。『do it afraind』にも、それは明瞭に引き継がれている。ただ、全般的な音楽性は、ソフトで聴きやすいネオソウルのトラックがおおい。元々ソウルに傾倒した歌手であることを考え合わせたとしても、近年のヒップホップはよりマイルドでソフトな音楽性が流行している。それに加えて、ヤヤ・ベイがアーティスト的なキャラクターとして打ち出すラグジュアリーなイメージが音楽を通して体現されている。しかし、安らぎと癒やしというヒップホップの意外な局面を刻印した今作には、表向きの印象とは裏腹にシリアスなテーマが内在しているという。
ヤヤ・ベイは、これまでミュージシャンという職業、それにまつわる倫理観について誰よりも考えてきた。このアルバムは端的に言えば、見世物になることを忌避し、本格派のソウルシンガーになる過程を描いている。「1-wake up bitch」はマイルドなヒップホップトラックに乗せて世の中の女性に対して、たくましい精神を持つようにと勇ましく鼓舞し啓発するかのようだ。それがリラックスしたリズム/ビートに乗せてラップが乗せられる。この巧みなリリック裁きのトラックを聴けば、女性版のケンドリックはベイであることが理解していただけるだろう。 とりわけコーラスに力が入っていて、独特なピッチのゆらめきは幻想的なソウルの世界へと誘う。
ベイの作曲はいつも独特な雰囲気がある。古典的なソウルをベースに、それらを現代のニューヨークのフィールドに持ち込む力がある。つまり、聞き手を別の空間に誘うパワーがあるわけだ。 「2- end of the world」は、移民的な感情が含まれているのだろうか。しかし、対象的に、曲はダブステップのリズムを生かしたアーバンなR&Bである。この曲では、ボーカルや背景のシンセのシークエンスのハーモニーが重要視され、コラボレーターのハミングやエレクトリック・ピアノ/エレクトーンと合致している。この曲は、往年のソウルミュージックの名曲にも劣らない。続く「3-real years unite」も素晴らしいトラックで、ラップとニュアンスの中間にあるメロディアスなボーカルが複合的に組み合わされて、美しいコーラスワークを作り出している。
アルバムは決してシリアスになりすぎることはない。ミュージシャンとしての遊び心も満載である。「8-merlot and grigolo」はトロピカルな音楽で、彼女のアフロカリビアンのルーツを伺わせる。デモトラックのようにラフな質感のレコーディングだが、ミュージシャンのユニークな一面を垣間見れる。その後、ジャズとヒップホップのクロスオーバーが続く。「9-beakthrough」は完全には洗練されていないものの、ラグタイムジャズのリズムとヒップホップのイディオムを結びつけ、ブラックミュージックの最新の形式を示唆している。「10- a surrender」はテクノとネオソウルを融合したトラックで、やはりこのシンガーらしいファッショナブルでスタイリッシュな感覚に満ちている。その後、ヤヤ・ベイの多趣味な音楽性が反映され、無限に音楽性が敷衍していく。以降は、ポピュラーで聴きやすいダンスミュージックが続き、 「11-in a circle」、「12-aye noche」はアグレッシヴなダンスミュージックがお好きなリスナーにおすすめしたい。「13-not for real, wtf?」はケンドリックの「Mother I Sober」を彷彿とさせる。
モータウン・サウンド(ノーザン・ソウル)か、もしくはサザン・ソウルなのか。60~70年代のオーティス・レディングのようなソウルミュージックもある。これらの拳の効いた古典的なソウルミュージックがヤヤ・ベイにとって非常に大きな存在であることは、「14-blicky」、「15-ask the question」を聴けば明らかだろう。前者は、言葉が過剰になりすぎた印象もあるが、後者はファンクとして秀逸だ。リズミカルなベースとギターのカッティングが心地よい空気感を作り出している。これらは、1970年代ごろのファンクバンドの音楽的なスタイルを踏襲している。
「4-What We Are And What We Are Mean To Be」は、ディープ・ハウスの打ち込みの重厚感のあるキック音で始まり、ジャズトリオの伝統を活かし、多彩な音楽的な変遷を描く。ウッドベースがソロの立場を担い、次にピアノ、さらにドラムへと、ソロの受け渡しが行われる。ニックのベースの演奏は背景となるアンビエントのシークエンスと重なり、エレクトロジャズの先鋒とも言える曲が作り上げられる。Kiasmos、Jaga Jazzist、Tychoを彷彿とさせる、見事な音の運びにより、圧巻の演奏が繰り広げられる。 曲の中盤以降は、オランダのKettelの系統にあるプリズムのように澄んだシンセピアノの音色を中心に、プログレッシヴ・ジャズのアンサンブルが綿密に構築される。物語の基本である起承転結のように、音楽そのものが次のシークエンスへとスムーズに転回していく効果については、このジャズトリオの演奏力の賜物と言えるかもしれない。
「5- Background Hiss Reminds Me of Rain」は短いムーブメントで、電子音楽に拠る間奏曲である。エイフェックス・ツインの『Ambient Works』の系譜にあるトラックである。この曲では、改めてモジュラーシンセの流動的な音のうねりを活かし、それらを雨音を模したサンプリングーーホワイトノイズーーとリンクさせている。クールダウンのための休止を挟んだ後、滑らかなシンセピアノのパッセージが華麗に始まる。「6-The Turn With」は前曲のオマージュを受け継ぎ、エイフェックス・ツインの電子音楽をモダンジャズの側面から再構築しようという意図である。
例えば、「7-Living Bricks In Dead Morter」は、スネア/タムのディレイ等のダブ的な効果をドラムの生演奏で再現し、ダイナミズムを作り出す。この曲のドラムは、チューニングや叩き方の細かなニュアンスにより、音の印象が著しく変化することを改めて意識付ける。また、アンビエントや実験音楽の祖であるエリック・サティの『ジムノペティ』のような近代のフランス楽派のセンス溢れる和声法(主音【トニック】に対する11、13、15度以降の音階を重ねる和声法、ジャズ和声の基礎となった)を用い、クラシックとジャズ、ミニマル・テクノの中間点を作り、同心円を描くような多彩なニュアンスを持つ音楽が繰り広げられる。この曲は、次の曲「Naga Ghost」と並んで、エレクトロニックの歴代の名曲と見ても、それほど違和感がないかもしれない。
「11-State Of Fruit」では、ジャズ・アンサンブルとしての真骨頂を、音源という形で収めている。この曲では、Killing Jokeの時代から受け継がれる、英国の音楽の重要な主題である"リズムの革新性"をアンサンブルの観点から探求していく。シンセピアノの色彩的なアルペジオ、対旋律としての役割を持つウッドベース、それらに力学的な効果を与えるドラム。全てが完璧な構成である。
2022年発表のアルバム『Songs Without Jokes』はデビュー作であり、リセット作でもあった。『Freak Out City』は彼の次のステップであり、8人編成のバンド、ザ・ステイト・ハイウェイ・ワンダーズとともにニュージーランドとアメリカ全土でライブを行いながら制作された。
8月15日にリリースされるこのアルバムは、ロサンゼルスとニュージーランドの両方でレコーディングされ、ブレットと長年のコラボレーターであるミッキー・ペトラリアが共同プロデュースした。ニュー・シングル「All I Need」は、ビートルズ/ストーンズライクのロックンロール、ソウルファンクとブルースを融合した人生の円熟味を漂わせる楽曲だ。エレクトリックピアノ、ゴスペル風のコーラス、そしてマッケンジーのブルージーな歌声が音楽の合間を変幻自在に戯れる。この曲の温かいエモーションは、妻への愛情やファミリアーを表したものだという。
フライト・オブ・ザ・コンチョーズでの活動により、ブレットはコメディと音楽の両エンターテインメントの世界で確固たる地位を築き、アメリカ映画界への扉を開いた。それ以来、彼は一貫して映画やテレビのプロジェクトに携わっている。2012年にはディズニー映画『ザ・マペッツ』のバラード「Man or Muppet」でアカデミー賞オリジナル楽曲賞を受賞。
この間、ブレットと妻ハンナ・クラークには3人の子供が生まれ、ブレットは家族と一緒にニュージーランドの自宅で過ごせるプロジェクトに集中し始めた。2022年、ブレットはソロアルバム『Songs Without Jokes』をリリースし、パンチラインのない曲作りを探求した。FarOut』誌は、この曲を「カート・ヴォネガットの小説のミュージカル版のようだ」と評した。
Bret Mckenzie 『Freak Out City』
Label: Sub Pop
Release: 2025年8月15日
Tracklist:
1.Bethnal Green Blues 2.Freak Out City 3.The Only Dream I Know 4.All the Time 5.That's the Way That the World Goes 'Round 6.All I Need 7. Eyes on the Sun 8.Too Young 9. Highs and Lows 10.Shouldna Come Here Tonight
前作では「Hold The Line」という曲を中心に、黒人社会の団結を描いたバーティーズ・ストレンジ。2作目は過激なアルバムになるだろうと予想していたが、意外とそうでもなかった。しかしやはり、バーティーズ・ストレンジは、ブラックミュージックの重要な継承者だと思う。どうやら、バーティーズ・ストレンジは幼い頃、家でホラー映画を見たりして、恐怖という感覚を共有していたという。どうやら精神を鍛え上げるための訓練だったということらしい。
「Too Much」のイントロはツインギターの録音で始まり、その後、まったりとしたR&Bへと移り変わる。それは、通勤電車やバスの向こうに見える人生の景色の変化のようである。そしてバーティーズはデビューの頃から培われたソウルフルなヴォーカルで聞き手を魅了する。ラフな感じで始まったこのアルバムだが、続く「Hit It Quit It」ではヒップホップとR&Bの融合というブラックミュージックの重要な主題を受け継いでいる。しかし、バーティーズのリリックは、それほど思想的にはならない。音楽的な響きや表現性が重要視されているので、言葉が耳にすんなり入ってくる。ファンカデリック、パーラメント好きにはたまらないナンバーとなるだろう。バーティーズはまた、哀愁のあるR&Bやソウルのバラードの系譜を受け継いでいる。「Sober」は、デビュー作に収録されている「Hold The Line」と同じ系統にある楽曲だが、しんみりしすぎず、リズムの軽やかさを感じさせる。エレクトリック・ピアノ(ローズピアノ)とセンチメンタルなボーカルが融合する。この曲は、ジャック・アントノフ&ブリーチャーズが志向するようなAOR、ソフィスティポップといった80年代のUSポップを下地にした切ないナンバーだ。
エレクトロニック、アフロ・パンク、エッジの効いたポップ、クワイト、ヒップホップの感性の間を揺れ動くクラブレディなビートなど、音楽的には際限がなく、きわめて幅広いアプローチが取り入れられている。南アフリカのコミュニティでポエトリーリーディングの表現に磨きをかけてきたサネリーは、リリックにおいても独自の表現性を獲得しつつある。例えば、ムーンチャイルドが自分の体へのラブレターを朗読する「Big Booty」や、「Rich n*ggah d*ck don't hit Like a broke n*ggah d*ck」と赤裸々に公言する「Boom」のような、リスナーを自己賛美に誘うトラックである。 ムーンチャイルドの巧みさとユーモアのセンスは、テキーラを使った惜別の曲「To Kill A Single Girl」の言葉遊びで発揮されている。そして、ファースト・シングルであり「大胆なアンセム」(CLASH)でもある「Scrambled Eggs」では、平凡な日常業務にパワーを与える。
ムーンチャイルド・サネリーが掲げる音楽テーマ「フューチャー・ゲットゥー・ファンク」というのをこのアルバムのどこかに探すとするなら、三曲目「In My Kitchen」が最適となるかもしれない。ケンドリック・ラマーが最新作において示唆したフューチャーベースのサウンドに依拠したヒップホップに近く、サネリーの場合はさらにゲットゥーの独特な緊張感をはらんでいる。表向きには聴きやすいのだが、よくよく耳をすましてみてほしい。ヨハネスブルグの裏通りの危険な香り、まさにマフィアやアウトライダーたちの躍動する奇妙な暗黒街の雰囲気、一触触発の空気感がサネリーのボーカルの背後に漂っている。彼女は、南アフリカの独特な空気感を味方につけ、まるで自分はそのなかで生きてきたといわんばかりにリリックを炸裂させる。彼女はまるで過去の自分になりきったかのように、かなりリアルな歌を歌い上げるのだ。
続く「Tequila」は、前曲とは対照的である。アルコールで真実を語ることの危険性を訴えた曲で、 ムーンチャイルドのテキーラとの愛憎関係を遊び心で表現したものだ。酩酊のあとの疲れた感覚が表され、オートチューンをかけたボーカルは、まるでアルバムの序盤とは対象的に余所行きのように聞こえる。しかし、序盤から中盤にかけて、開放的なアフロ・トロピカルに曲風が以降していく。イントロのマイルドな感じから、開放的な中盤、そしてアフロ・ビートやポップスを吸収した清涼感のある音楽へと移ろい変わる。アルコールの微妙な感覚が的確に表現されている。さらに、BBCのジュールズ・ホランドのテレビ番組でも披露された「Do My Dance」は、アルバムの中で最も聴きやすく、アンセミックなトラックである。この曲はまた、南アフリカのダンスカルチャーを的確に体現させた一曲と称せるかもしれない。アフロハウスの軽妙なビートを活かし、ドライブ感のあるクラブビートを背景に、サネリーは音楽を華やかに盛り上げる。しかし、注目すべきはサビになると、奇妙な癒やしや開放的な感覚が沸き起こるということだ。
「Sweet & Savage」では、ドラムンベースが主体となっている。ブンブンうなるサブベースを背景に、南アフリカの流行ジャンルであるヒップホップと融合させる。現地の著名なDJは、アマピアノはもちろん、Gqomというジャンルがラップと相性が良いということを明らかにしているが、この点を踏まえて、サネリーは、それらをポストパンクの鋭い響きに昇華させる。また、この曲の中ではサネリーのポエトリーやスポークンワードの技法の巧みさを見いだせる。そして同時に、それはどこかの時代において掻き消された誰かの声の代わりとも言えるのかもしれない。ラップやスポークンワードの性質が最も色濃く現れるのが、続く「I Love People」である。ここでは、他の曲では控えめであったラッパーとしてのサネリーの姿を見出すことが出来る。おそらく南アフリカでは、女性がラップをするのは当たり前ではないのだろう。そのことを考えると、ムーンチャイルド・サネリーのヒップホップは重要な意義があり、そして真実味がある。もちろん、ダーバンには、ヒップホップをやりたくてもできない人も中にはいるのだろう。
これまでフォークミュージックとエレクトロニックを結びつけた”フォークトロニカ”の作品『Sleep On The Wing』(2020)、チルアウト/チルウェイヴを中心にしたクールダウンのためのダンスミュージック『All This Love』(2024)、他にも、ギター/ボーカルトラックを中心にAORのような印象を持つポピュラーアルバム『BIB 10』など、近年、ジャンルや形式にとらわれない作品を多数輩出してきたBibio(スティーヴン・ジェイムス・ウィルキンソン)は、EDMと合わせてIDM(Intelligence Dance Music)を主体に制作してきたプロデューサーである。
アルバムの冒頭を飾る「If He Changed My Name」は、ジム・オルークが最初期に確立したアヴァンフォークを中心に展開され、不安定なスケール進行の曲線が描かれている。しかし、それ対するコンツアーのボーカルは、ボサノヴァの範疇にあり、ジョアン・ジルベルト、カルロス・ジョビンのように、粋なニュアンスで縁取られている。「粋」というのは、息があるから粋というのであり、生命体としての息吹が存在しえないものを粋ということは難しい。その点では、人生の息吹を吸収した音楽を、ルーカスはかなりソフトにアウトプットする。アコースティックギターの演奏はヤスミン・ウィリアムズのように巧みで、アルペジオを中心に組み立てられ、ジャズのスケールを基底にし、対旋律となる高音部は無調が組み込まれている。協和音と不協和音を複合させた多角的な旋法の使用が色彩的な音楽の印象をもたらす。 そしてコンツアーのボーカルは、ラテンの雰囲気に縁取られ、どことなく粋に歌をうたいこなすのである。
意外なスポークンワードで始まる「Ark of Bones」は、アルバムの冒頭部のように緩やかなトロピカリアとして流れていく。しかし、ピアノの演奏がこの曲に部分的にスタイリッシュな印象を及ぼしている。これは、フォーク、ジャズ、ネオソウルという領域で展開される新しい音楽の一つなのかもしれない。少なくとも、オルークのように巧みなギタープレイと霊妙なボーカル、コーラス、これらが渾然一体となり、得難いような音楽体験をリスナーに授けてくれるのは事実だろう。続いて、「Guitar Bains」も見事な一曲である。同じくボサやジャズのスケールと無調の要素を用いながら新しいフォークミュージックの形を確立している。しかし、聴いて美しい民謡の形式にとどまることなく、ダンス・ミュージックやEDMをセンスよく吸収し、フィルターを掛けたドラムが、独特なグルーヴをもたらす。ドラムンベース、ダブステップ、フューチャーステップを経た現代的なリズムの新鮮な息吹を、この曲に捉えることが出来るはずだ。
近年でも、これらの「ストーリーテリングの要素を持つテクノ」という系譜は受け継がれていて、Floating Pointsの最新作『Cascade』、ないしは、Oneohtrix Point Neverの『Again』ということになるだろうか。さらに言えば、それは、単にサンプラーやシンセで作曲したり、DJがフロアで鳴らす音楽が、独自形態の言語性を持ち、感情伝達の手段を持ち始めたということでもある。
ミシガン/ランシング近郊を拠点に活動するベルトランは、デリック・メイ(インディオ名義)と仕事をし、カール・クレイグのレーベル、レトロアクティブから数枚のレコードをリリースしている(マーク・ウィルソンと共にオープン・ハウス名義)。ジョン・ベルトランは、ワールド・ミュージックやニューエイジ・ミュージックから着想を得て、PeacefrogやDot(Placid Anglesとして)といったホームリスニング志向のレーベルから作品をリリース。90年代初頭にアメリカのレーベル”Fragmented”と”Centrifugal”からシングルをリリースした後、1995年にR&Sレコードからデビューアルバム『Earth and Nightfall』をレコーディングした。
『Ten Days Of Blue』は2000年代以降のテクノの基礎を作った。ミニマル・テクノが中心のアルバムだが、駆け出しのプロデューサーとしての野心がある。現在のBibloのような作風でもあり、他のアコースティック楽器を模したシンセの音色を持ちている。かと思えば、アシッド・ハウスや現在のダブステップに通じるような陶酔的なビートが炸裂することもある。サウンド・デザインのテクノの先駆的な作品であり、時代の最先端を行く画期的なアルバムである。
最近では、「Come To Daddy EP」、『Richard D Jamse』等のテクノの名盤を90年代に数多く残したが、実のところ、ハウス/テクノとして最も優れているのは『Digeridoo』ではないか。ゴア・トランス、アシッド・ハウスといった海外のダンスミュージックを直輸入し、それらをUK国内のハードコアと結びつけ、オリジナリティ溢れる音楽性へと昇華させている。いわば最初期のアンビエント/チルウェイブからの脱却を図ったアルバムで、むしろ90年代後半の名作群は、この作品から枝分かれしたものに過ぎないかもしれない。2024年にはExpanted Versionがリリースされた。名作が音質が良くなって帰ってきた!!
デッティンガーのトラックは、KompaktのTotal and Pop AmbientシリーズやMille PlateauxのClick + Cutsシリーズなど、様々なコンピレーションに収録されている。ペット・ショップ・ボーイズ、クローサー・ムジーク、ユルゲン・パーペなどのアーティストのリミックスも手がけている。また、フランク・ルンペルトやM.G.ボンディーノともコラボレーションしている。
1994年にリリースした『Flow EP』などで、フェールマンはよりアンビエントなテクスチャーの探求を始め、ケルンのレーベル”Kompakt”からリリースした数多くのアルバムに見られるような瑞々しいパレットを確立した。パートナーのグドゥルン・グートとのマルチメディア・プラットフォーム「Ocean Club」のようなサイド・プロジェクトの中でも、フェールマンはアレックス・パターソンのアンビエント・プロジェクト「The Orb」の長年のコラボレーターであり、時にはゲスト・ミュージシャンとして、時には(2005年の『Okie Dokie It's The Orb On Kompakt』のように)グループの正式メンバーとして参加している。
『 Good Fridge. Flowing: Ninezeronineight』はベテランプロデューサーの集大成のような意味を持つアルバム。ジャーマンテクノの原点から、UKやヨーロッパのダンスミュージック、そしてテクノ、アンビエント、ハードコアテクノ、アシッド・ハウスまでを吸収したアルバム。98年の作品とは思えず、最近発売されたテクノアルバムのような感じもある。ある意味ではジャーマンテクノの金字塔とも呼ぶべき傑作。