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 Kate Bollinger 『Songs of A Thousand Frames of Mind』


 

Label: Ghostly International

Release: 2024年9月27日

 

 

Review

 

ヴァージニアのシンガー、ケイト・ボリンジャーのソングライティングは、基本的に前作のEPの頃からそれほど大きな変更はなく、最初のフルレングスに受け継がれている。フレンチポップやイエイエのおしゃれさ、そして、夢見るような感覚を織り交ぜた軽快なポップスで、そのソングライティングの文脈の中には、懐かしのチェンバーポップやバロックポップが含まれている。口当たりが良いポップスで聴きやすく、実力派のシンガーであることは疑いがない。

 

ケイト・ボリンジャーは、作曲を行う際に音楽がもたらすイメージを大切にしているという。つまり、音楽が映画のようにイメージとして流れれば理想的というわけである。個人的には、ボリンジャーの音楽が呼び覚ますのは、映像のイメージというよりも、映画のサウンドトラックに近いものがあり、音楽に付随してストーリーのようなものが組み上がっていくという感じである。


おそらく歌手が理想とするのは、「Nouvelle Vague」のようなフランス・パリの最盛期の映画作品のサウンドトラックである。つまり、映像のストーリーの本筋を補強するような役割を持つのがボリンジャーの曲ともいえ、その点で、このデビューアルバムはある程度成功したと言えるのではないか。また、デビュー・アーティストとしては、平均以上のものを体現させている。そして新奇なポップスとは正反対に、懐古的なポップスという側面では、Clairoのような歌手に代表される現代の米国のポピュラーのトレンドの波に上手く乗っていると言えるだろう。つまり、流れに逆らわないで、身を任せているのが、このアーティストの音楽を魅力的にしているのだ。


同じ系譜に属するSSWとして、Dominoに所属するMelody's  Echo Chamber(メロディーズ・エコー・チャンバー)がいる。いずれの歌手もフレンチポップやチェンバーポップの影響下にあるポピュラーを披露するという点で共通しているが、ケイト・ボリンジャーの場合は、先鋭的な側面は控え目で、アーティスト自身が影響を受けたというニューヨークのマルゴ・ガリヤンのジャズ/オーケストラとポピュラー音楽の融合という命題を次世代に受け継ぐ歌手である。


ケイト・ボリンジャーの作曲は、60、70年代の古典的なポップスの文脈に則っているが、シンガーの魅力はそれだけにとどまらない。オルタナティブ・ロックやアメリカーナといった現代的な米国のポップスの潮流を捉え、親しみやすいポップソングに昇華している。例えば、ラナ・デル・レイが、2024年のグラミー賞の頃に「カントリーのような音楽が今後の主流になる」と発言していたが、それは一側面では的を射ている。ただ、もうひとつの主流がクレイロの最新アルバムを見ても分かる通り、「チェンバー・ポップ/バロック・ポップ」ではないだろうか。これは、10年くらい、マニアックなパワーポップバンドが、冗談交じりにこれらのジャンルをなぞらえることがあったが、どうやら主流のポピュラー音楽の一部となりそうな予感がする。



◾️バロックポップ/チェンバーポップの系譜  ビートルズからメロディーズ・エコーズ・チェンバーまで  



オープニングを飾る「What's About A La La La」は、ピアノのイントロからノスタルジアたっぷりのチェンバーポップ/バロックポップが展開される。この曲はビートルズのリバイバル、もしくはフレンチ・ポップのリバイバルともいえ、ボリンジャーがイエイエのフォロワーであることを伺わせる。アコースティック/エレクトリックを組み合わせた軽快なインディーロックのバックバンドの演奏の助力を得て、ときには懐かしいハープシコードの音色を交え、普遍的なポピュラー音楽の形を示している。アウトロの古いラジオから聞こえてくるようなMCもなんだか茶目っ気たっぷり。


そうかと思えば、続く「To Your Own Devices」は一転して、南国のリゾート地の波の上を漂うような心地よく癒やしに充ちたアメリカーナ/ヨットロックに変遷する。声はウィスパーボイスに近く、包み込むような温かさがある。ヴェルベット・アンダーグラウンドの「Sunday Morning」のような懐古的なフレーズを織り交ぜて、懐かしい米国のポップスを巧みに体現させる。


続く2曲は軽快なフォークソングやネオアコースティックとして楽しめる。映像的な側面では、のどかな草原の光景を脳裏に呼び覚ます。


「Amy Day Now」はアコースティックギターで始まり、フレンチポップの影響を織り交ぜながら、フォーク・ミュージックの理想的な形を探求している。さらに「God Interlude」ではニール・ヤングの系譜にある古典的なフォークソングを継承している。こういった若手シンガーが父親以上の年代??の音楽家を手本にしているのに驚く。しかし、この点にも、現代的な米国のポップスの潮流が力強く反映されている。さらに正統派のポップスに属する曲もある。


「Lonely」は、ジョエルやオサリバンのピアノバラードを受け継いだ落ち着いた一曲で、どことなく切なげなピアノのイントロから見事な歌唱をボリンジャーは披露する。ハイトーンの声は出てこないが、ミドルトーンをベースに無理のない音域でしんみりした感覚を素朴に歌い上げる。こういった細やかな音楽を志すスタンスは、一定の共感やカタルシスを呼び起こすに違いない。

 

最近の女性シンガーソングライターは、明るい曲調にとどまらず、陰のある曲を制作するケースが多い。それはまた、日常的な思いを包み隠さずストレートに表そうというのである。「Running」は、アルバムの序盤の朝昼の光景から夕暮れの時刻に移り変わる印象があり、往年の名シンガーほどではないけれど、切ない感覚を巧みに表現している。アコースティックギターの簡素なアルペジオに合わさる憂いのあるボーカルは、スロウコアのような雰囲気を帯びる。


この点には、Ethel Cain(エセル・ケイン)の作曲性と共通点が見つかるかもしれない。そういった明るい側面だけではなく、陰のある音楽性が、アルバム全体に美麗なコントラストを形作り、絶妙な陰影を作り出す。ポピュラーの表現性はもちろん、ポジティヴな側面だけで終始するわけではなく、とは対象的に憂いや悲しみのような感覚を鋭く表する場合もある。そういった曲の起伏を設けた後、やはり夢想的な雰囲気を持つアメリカーナをベースにした曲が続く。


「In A Smile」は、ヨットロックの夢想的な感覚を交え、さながらビーチパラソルの下がった夕暮れの浜辺に寝転がり、海の上にゆらめく帆船をぼんやり眺めるようなロマンチックな雰囲気がある。シンセがボーカルとユニゾンを描いたり、ギターが背景の雰囲気付けをしたり、ピアノが和声を強調したりというように、作曲の側面でも新人のシンガーらしからぬ円熟味が感じられる。


前曲の雰囲気を受け継いだ「Postcard From a Cloud」は、インディーポップというよりインディーロックに傾倒している。背後のバンドの演奏は、CCR、The Byrdsのような渋さがあるが、ボリンジャーのボーカルはSylvie Vartan(シルヴィ・バルタン)のように華麗。跳ねるようなリズムはブレイクビーツの役割を持ち、親しみやすいボーカルのメロディーにグルーヴをもたらしている。

 

 

デビューアルバムとは思えぬほどの完成度を持つことは明白である。三作目の作品のような経験値を持っている。しかし、これは、既存のEPを聴いていたリスナーにとっては想定の範囲と思われるが、ボリンジャーはプラスアルファをもたらしている。「I See It Now」は、心地良いポップスから泣かせるポップスへと作曲性を変化させている。シンプルなバラードタイプの曲であるが、普遍的なものから独自の音楽性を汲み出そうという苦心の形跡が見出される。


実際的に、同曲は、アルバムの中のハイライトになるかもしれない。この曲で、ボリンジャーは優しさや温かさといったポップスを制作する上で最も不可欠な要素を見事に体現させている。同音進行や四拍子といったバロックポップの核心を受け継いだ上で、多角的な構成要素を設けている。ここには、表向きからは見えづらい歌手の(意外な??)インテリジェンスを見て取れるはず。全体的には、数学的な要素を持った拍の配分で構成されていることに注目したい。


本作にはラナ・デル・レイのようなポピュラーの要素も含まれ、それは小悪魔的なコケティッシュなボーカルという形をとって現れる。そしてボリンジャーの場合も、それらのキュートなイメージが計算づくなのか、それとも天然であるのか分からない点に魅力があり、それらがセンチメンタルな感覚やエバーグリーンな感覚を持つポップスに昇華される。「Sweet Devil」では、メロトロンの音色が押し出され、レトロな感覚が鮮やかに浮かび上がる。そういった古いものに対する親しみは、アートワークと合致し、音楽を上手い具合にかたどっている。


このアルバムは、ボリンジャーのソロ作であると同時に、バックバンドの作品でもあるのかも知れない。本作が聴き応えのあるものに仕上がったのは、バンドメンバーの多大な貢献があったからではないだろうか。

 

 

 

84/100




Best Track-「I See It Now」

 

 

◆ Kate Bollingerのデビューアルバム『Songs of A Thousand Frames of Mind』はGhostly Internationalから発売中。ストリーミングはこちらから。

Roger Eno 『The Skies: Rarities』 

 


Label: Deutsche Grammophon

Release: 2024年9月27日

 

 

Review

 

 

ロキシー・ミュージックのメンバーであり、その後、名プロデューサー、そして、アンビエントの先駆的な活動、あるいは環境音楽の制作等、近年では、インスタレーション展など多岐にわたる分野で活躍するブライアン・イーノと、その弟であるロジャー・イーノは、ギリシャ/アクロポリスでのライブを共に行ったりというように、単なる肉親以上の強いきずなで結ばれているのかもしれない。しかしながら、両者の経歴はまったく異なる。いわば、ベルリン三部作などボウイのプロデューサーとしての表情を持つブライアンとは異なり、ロジャー・イーノは華々しさとは無縁の一般的な人生を歩んできた。肉屋で勤務した給料を基にアップライトピアノを購入し、それで演奏を始めた。おそらく、音楽を始めたのは一般的な人々よりもおそかったはずだ。

 

 

ロジャー・イーノという作曲家は、とても不思議な人物である。いわば、それほど専門のミュージシャンとしては華々しい経歴を持つわけではないにもかかわらず、それに近い活躍をしてきた音楽家のような風格がある。それはもしかすると、いついかなる時代も、兄弟の音楽に耳を澄ませてきたからなのかもしれないし、また、その他にも多様な音楽を聴いてきたからなのかもしれない。少なくとも『Rarites』は、無類の音楽ファンとしての姿、そして音楽者としての姿、この2つを持ち合わせる作品である。このアルバムには、ベルリン・スコアリングの協力のもと制作されたオーケストラのための楽曲、クワイアを元にした重厚な声楽作品、それから、Harold Budd(ハロルド・バッド)やPeter Broderick(ピーター・ブロデリック)の主要な作品を彷彿とさせるピアノの細やかな小品が収録されている。そして、このアルバムのリスニングを行う上で、音楽そのものの純粋な楽しみのほかに、もうひとつ見過ごせない箇所や、素通り出来ない点があるのにお気づきだろうか?


それは、これらの作品は、基本的には即興演奏により制作されたこと、そして今一つは、その後の「クリア」という作曲家の考えを経て制作され、余計な付加物や夾雑物を削ぎ落とすというプロセスである。近年の音楽で問題視すべきは、選択肢があまりに増えすぎたせいで、猫も杓子も音をゴテゴテにし、派手にし、脚色しすぎるということだろう。それらの変奏的な作法やプロデュース的な脚色は、確かに現代のレコーディングの醍醐味でもあるのだが、物事を核心を覆い隠したり、本質を曇らせたり、濁らせたりすることに繋がる。それらが昂ずると、いわば音楽は濁った水になり、さらには薄汚い不純物だらけになる。例えば、川や海にたくさんのゴミがプカプカ浮かんでいるのを見て、「美しい」と言う人はいるだろうか? ジャンルを問わず、多彩な脚色を施すことは避けられぬが、少なくとも、本質を暈したりするのは得策とは言えまい。また、それらを覆い隠したりするのもまた言語道断と言うべきだろう。プロデュースや編曲は、本質を強調するためにあり、本質をすげ替えたりはできないのだ。

 

 

ロジャー・イーノは、一般的な音楽家であるにとどまらず、「純粋な表現者」であると言える。それは、彼の音楽が単なる未然の時代の復権や模倣に終わらず、制作者としての概念を音楽に浸透させているから。それは思考形態としての塑像が音楽を通じて作り上げられるかのようであり、見方を変えれば、音楽全体がそれらの概念形態の象徴となる役割を持つのである。こう言うと、大げさになるが、少なくとも、それがモダン・クラシカルとして聴きやすい形に昇華されているのは事実だろう。現代的なクラシックの一つの潮流である「ポスト・クラシカル」の流れを汲み、アンビエントや電子音楽と結びつけるという意味では、坂本龍一のピアノ作品に近いニュアンスがある。もちろん、これらのポスト・クラシカルの作風の普及に率先して取り組む演奏家の多くは、古典音楽を博物的なアーカイヴに収めるのを忌避し、現代的な枠組みの範疇にある一般的な音楽として普及させようと試みる。要約するに、彼らは古典音楽が「現代の音楽」ということを明示するのである。換言すれば、坂本龍一の遺作『12』のレビューで書いたように、「ポピュラーのためのクラシック」に位置付けられるかも知れない。これは実は、一般的にフォーマルなイメージがあるクラシック音楽は、時代の流れの中で、王族の権威付けや教会組織のための音楽から、一般大衆のための音楽へと変遷してきた経緯があるわけなのだ。そのことをあらためて踏まえると、ポピュラーのためのクラシック音楽が台頭したのは、自然の摂理と言えるかも知れない。今やクラシックは、一部の権力者のためだけの音楽ではなくなったのである。


「Breaking The Surface」は、サミュエル・バーバーの作風を思わせる重厚なストリングスのレガートで始まるが、その後には、映画音楽の演出的なスコアや、それとは対極にある室内楽のための四重奏のような変遷を辿っていく。ストリングスは、感情的な流れを象徴付け、悲しみや喜び、その中間にある複雑な感情性を、現代的な演奏効果を用いて表現している。まるでそれは、音楽的な一つの枠組みの中で繰り広げられる多彩性のようであり、それらが絵の具のようにスムーズに描かれる。表面的にはバーバーのように近代的な音響性が強調されるが、一方、その内側に鳴り渡る音楽は、JSバッハの室内楽やアントニオ・ヴィヴァルディのイタリアン・バロックである。この曲は、近年、ギリシア/アクロポリスの公演等の演劇的な音楽の演奏の系譜に属する。


「Patterned Ground」は重厚なクワイアを用いた楽曲で、楽曲の表面的なモチーフは、聴き方によってはブライアン・イーノのアルバム『FOEVEREVERNOMORE』の作風に近い。しかし、同時に独自の音楽的な表現が見出せる。メディエーションやドローン風の通奏低音を強調する声楽、対旋律を描く低音部のストリングスの対比的な構造性が瞑想的な雰囲気を帯びる。この曲は、アンビエントをクラシック側から見たようなもので、電子音楽の未来が予兆されている。

 

ロジャー・イーノの音楽者としての作風は、現時点では、オーケストラとピアノという2つの側面に焦点が絞られているようだ。重厚で荘厳な雰囲気を帯びる最初の2曲でアルバムのイメージを決定付けたあと、 アメリカの伝説的な実験音楽家ハロルド・バッドの系譜にあるピアノ曲を展開させる。そして、現代的なポスト・クラシカルの系譜にある作曲技法を用い、反復的な音楽構造を作り上げる。しかし、「Through The Blue」は、平板なミニマリズムに陥ることなく、一連の流れのような構成を兼ね備えている。それは水の流れのように澄みわたり、聞き手の気持ちを和ませる。全体的な主旋律と伴奏となる和音の運行の中には、バッハの平均律クラヴィーアのプレリュードの要素が含まれている。しかし、それらは飽くまで、簡素化、及び、省略化された音楽として提示される。ここに、音を増やすのではなく、「音を減らす」という作曲家の考えがはっきりと反映されている。それは、気忙しさではなく、開放的なイメージを呼び起こすのである。

 

続く「Above and Below」は同様に、ブライアン・イーノとハロルド・バッドのアンビエント・シリーズの影響下にあるピアノ曲。しかし、おそらく制作者は、音楽の構造性ではなく、音楽の中にある概念的な核心を受け継ごうとしている。 アンビエントの核心は、単なる癒やしにあるのではなくて、松尾芭蕉の俳句のように、気づきや知覚、自己の実存と宇宙の存在の対比や合一にこそ内在する。つまり、抽象的なシークエンスの中に、一点の閃きのような音が導入されると、それまでの静寂に気づくという意味である。例えば、「サイレンス」を説明する際に、現代音楽家のジョン・ケージは、モーツァルトの楽曲に準えたことがあった。それは表向きの概念とは異なり、「内側の静けさ」に気づき、それはいかなる場合も不動であることを意味する。それはまた、哲学的にいえば、自己の本質に気づくということでもある。この点を踏まえて、ロジャー・イーノさんは、サイレンスという概念に迫ろうとしている。この曲に接すると、いかに自分たちが日頃、異質なほどの雑音や騒音の中で暮らしていることが分かるかもしれない。また、「本物の静けさ」とは外側にあるのではなく、心の内側にしか存在しえない。まるでそのことを弁別するかのように、制作者は内面的な静寂と癒やしを見事なまでに呼び起こすのである。

 

ピアノの演奏に関しては、フランツ・リストのような華やかな技巧が出てくることはない。しかしながら、ピアノ音楽の系譜を再確認し、それらを現代的な音楽としてどんな風に解釈するかという試作が行われていることに注目したい。 「Now And Then」は、ビートルズの新曲と同じタイトルだが、その曲風は全く異なる。フォーレの『シシリエンヌ』のような導入部のアルペジオから、表現力豊かな主旋律が導き出され、ドイツ・ロマン派と近代フランス和声の響きを取り入れ、スタイリッシュなピアノ曲を作り上げる。この曲はまた、ピアノ曲のポピュラー性という側面に焦点が当てられ、初歩的な練習曲のような演奏の簡素な技術性の範疇から逸れることはない。


分けても、ピアノ曲として強く推薦したいのが、続く「Changing Light」である。ピーター・ブロデリックの作風に近いものがあるが、二声の旋律を基に休符を取り入れて、瞑想的な感覚を生み出す。この音楽の主役は、音の間にある休符、つまり「間」であり、空間性が補佐的な役割を持つモチーフと、その間に入る低音部と組み合わされて、シンプルな進行を持つ主旋律が音楽の持つ雰囲気を強調づける。そして音の減退音を維持し、ペダルで強調させ、余韻や余白という側面を演奏を通じて強調している。これらの音の減退の過程が美麗なハーモニーを生み出す。内的な世界と宇宙の持つ極大の世界が一つに結びつくような感じで、広やかで神秘的な響きがある。この曲を聞く限りでは、必ずしも現代のピアノ曲に超絶的な技巧は必要ではないことが分かる。

 

それ以降も、サステインや休符を強調するピアノ曲が続いている。「Time Will Tell」でも同じように、減退音に焦点が置かれ、繊細な音の響きが強調される。曲風としては、坂本龍一に非常に近いものがある。何か外側から突くと、壊れそうに繊細なのだが、その内側に非常に強いエネルギーを持つ。こういった感覚的なピアノ曲が、シンプルな構成、即興演奏で展開される。 Hot Chipのジョー・ゴダードとの共同クレジットである「Into The Silence」は、まさしく、アルバムの重要な根幹となる一曲だろう。


現在、ゴダードはバンドのほかにも、プロデュースやリミックス等を中心に活躍目覚ましいが、彼の参加は現代的な電子音楽の要素をもたらしている。空のように澄明で艶やかなイーノさんのピアノ演奏に、ジョン・ゴダードは果たしてどのようなエレクトロの効果を付与したのだろうか。ぜひ、実際の作品を聴いて確かめてみていただきたいと思う。少なくとも、ロジャー・イーノは古典的な音楽をよくよく吟味した上で、それらに現代的なエッセンスを付与しようとしている。ジョー&ロジャー……。両者の息の取れたコンビネーションは本当に素晴らしい。もしかすると、ハロルド&ブライアンという伝説的なコラボレーションの次世代のシンボルとなるかもしれない。



 

86/100

 

 

  

「Changing Light」




 Lutalo  『The Academy』

 

Label: Winspear 

Release: 2024年9月20日



Review


意外なことに、『The Academy』は、ルタロのフルレングスのデビュー作となる。バーモントのシンガーソングライターは、2022年から、2作のEP『Once Now, Then Again』、『Again』を発表してきた。最初のEPのリリース後、ガーディアン誌から注目され、続く『Again』ではソングライターとしての地位をしっかりと踏み固めたと言える。ルタロの作曲は非常に幅広い、レーナード・スキナードのサザンロック、ボブ・ディランのようなフォーク・ロック、さらには、ヒップホップの系譜にあるブレイクビーツ、そして何よりレディオヘッドから2010年代にかけてのオルタナティヴ・ロックなど、ジョーンズの音楽からはレコードショップで良盤を探す、フリークとしての姿を見出せる。また、ギターロックとしては、Beach Fossilsの系譜にあるニューヨークのベースメントロックの位置づけにある。もちろん、バーモントというニューヨークの意外な一面を紹介するシンガーソングライターでもある。

 

最近では、ルタロは、マンチェスターでのギグを始めとする英国圏でのライブ、そして、Nilfur Yanyaのツアーサポートを務めていることもあり、イギリスでの知名度をじわじわ上昇させているといえるのではないだろうか。少なくとも、ローファイ以降のヒップホップを吸い込んだロックをベースにし、その上にフォーク・ロック、オルタナティヴロックなどのエッセンスをまぶした曲はかなり聴きやすく、そして時々、前作の収録曲「Strange Folk」のように何かすごみのある雰囲気が漂うこともある。ジョーンズの声はかなり渋めで、低いトーンで歌われるが、むしろそれは、90年代以降のインディーフォークやスロウコアの系譜にあると言えるかもしれない。そしてもちろん、ダウンタウンや地下鉄の空気感を吸収したストリート向けのロックソングは、むしろ、今まで見過ごされてきたオルタナティブロックの可能性を示唆する。

 

これまでアンダーグラウンドなロックやフォークのあらたな可能性を追求してきたルタロは、このデビュー・アルバムにおいて、過去の自分の姿を回想している。 スコット・フィッツジェラルドが卒業したスクールに通っていたジョーンズは、幼い頃にそれほど裕福ではなかったというが、奨学金制度を受けて、セントポール・アカデミーに通っていた。イギリスでいえば、パブリック・スクールのような学校だろうか。若い頃のルタロ・ジョーンズにとって、セントポールに通うことは、ある意味では米国の古典的な貴族社会の一面を垣間見ることが出来、もうひとつの人生の扉を開いたということができよう。実際的にこのアルバムでは、『グレート・ギャツビー』の持つ世界に触れることが出来た自分自身の過去の姿を振り返る。それは現代では、金融社会や資本主義社会の構造の中に絡め取られ、その本義的な意義を失いつつあるエリート社会への原初的な憧れを意味する。しかし、多くの場合は、現代的な人々の場合は、これらのエリート意識は、学校を卒業したのち、全く別のものに成り代わり、虚栄心や特権意識、はたまた社会的な名誉心等といった奇妙な概念に変化してしまうことがあるが、少なくとも、このアルバムでは、そういった考えとは無縁なところにあると思う。ある意味では、ダークなトーンに縁取られながらも、青春の意味合いを持つオルタナティヴ・ロック、あるいはフォーク・ロックを、従来の彼の音楽的な蓄積の上に積み上げたという感じである。これらのロックソングは、耳にすんなり入ってくるにとどまらず、これらのアメリカの旧社会に存在していたイギリス的な気風をブレイクビーツを配したロックソングという形で表現していくのである。

 

このアルバムは、爽やかな雰囲気のあるフォーク・ソング「Summit Hill」で始まる。しかし、それはワールド・ミュージックやマスロックのような構成を用いて、旧来のフォーク・ロックからの脱却を意味する。彼は単にアナクロニズムに陥ることなく、現代的なポピュラー・ソングのメチエを用いて、時にはBon Iverの編集的なサウンドを活用して、モダンなインディーロックソングを書いている。これらのIverの系譜にあるサウンドは二曲目でも続くが、やはり古典的なサザン・ロックやフォークロックに対する敬意を欠かさない。そして、これらは音楽的に言えば、アナログレコードを聞くようなノスタルジア、そして反対に、モダンなデジタルなロックを聞く時のようなモダニズム、これらの合間の新しい音楽の息吹を擁する楽曲なのである。「Ganon」は旧来のリスナーであれば、ボブ・ディランやヤングの楽曲のように聞こえるかもしれないし、もしくは現代的なリスナーであれば、マック・デマルコやHorseyの楽曲のように聞こえるかもしれない。面白いのは、聞き手側の音楽的な嗜好性によって、その音楽の聞こえ方が全然異なってくる。古典的なものを好むリスナーには、間違いなくフォーク・ロックのリバイバルに聞こえ、そして、現代的なものを好むリスナーにはローファイやミッドファイ、それらに纏わるテープミュージックやミックステープ、あるいはNinja Tuneの90年代のサンプリングサウンドに聞こえるかもしれない。多面体としての音楽の要素を持つ音楽なのである。


これらの合間を縫って、ニューヨークのシンセポップの音楽性を吸い込んだ楽曲が続く。Nation Of Language,Porches、それ以前のBlack Marbleの系譜にあるレトロな音質をあえて強調させ、それらを2010年代のニューヨークのベースメントロックで縁取っている。これらは、レトロなシンセポップとシンプルな8ビートのロックソングという2つの要素により、現代的な印象を持つ楽曲へと昇華されている。ダンサンブルな要素はビートの乗りやすさ、そしてオルタナティヴロックの要素は、メロディー的な親しみやすさという利点をもたらす。いわば、リズムに乗れるし、メロディーに聞き惚れる、一挙両得のロックソングなのである。もうひとつルタロの現時点のソングライティングの強みは、フレーズのリフレインを介して、アンセミックな響きをもたらすということである。これらは、ロック的な方向に傾く場合もあれば、フォークの静かな方向に傾倒する場合もある。リフレインの要素は、ルタロの作曲において、最も強いエナジーを持つ瞬間でもあり、欠かせないものである。少なくとも、「Broken Twins」では、背後のリズムとビートに合わせて、コステロやトム・ペティのようなギターロックの系譜を踏襲することで、改めてこのジャンルの魅力に肉薄しようとする。もちろん、リズムの側面は、ブレイクビーツの要素を付与して、この曲に強いグルーブをもたらす。

 

また、Nilfur Yanyaのツアーサポートを務める理由は、続く「Big Brother」のような曲を書けるという点にある。この曲はネオソウルとまではいかないが、R&Bのビートのエッセンスをまぶし、 それらを掴みやすいフォーク・ソングとしてアウトプットしている。やはり、ヤンヤと同じようにルタロの作曲の中心には、アコースティックギターがあると思われるが、ギターのストリークはリズム的な側面を強調し、ジョーンズの温和なボーカルを巧みに引き立てるのだ。はたしてタイトルが、ジョージ・オーウェルにちなむのかは定かではないが、ややウィットに富んだ表現でこれらの生真面目な側面にジョークのようなものを添えようとするのである。「Caster」では、古典的な70年代のフォーク・ミュージックをサンプリング的に処理し、それらにブレイクビーツとネオソウルの要素を付け加えている。女性的な音楽がYanyamの手のうちにあるとすれば、この曲はそれらを男性的な性質を強調させたものなのかもしれない。少なくともビートの制作には刮目すべき瞬間があり、グリッチやドリルの要素を部分的に散りばめている。表向きにはそれほど強調されることはないけれども、ダンスミュージックや近年のNYドリルの要素をフォークやソウルの中に付け加えている。センスの良さを感じさせる。

 

 それがすべてというわけではないが、前の2作のEPではややサウンドそのものがシリアスになりすぎることもあった。それは美点でもあるのだが、このアルバムでは、少し肩の力を抜くかのように開けた感じの曲が収録されている。「3」はルタロ・ジョーンズの人物的にフランクな姿勢がこういったユニークなギターロックソングになった。曲の雰囲気はロンドンのオスカーラングに少し似ていて、せわしなく移調を繰り返しながら、おなじみの少し脱力したようなロックソングを展開させる。しかし、やはりリズム感という側面では傑出していて、それほど背後のビートやリズムは強調されていないにもかかわらず、強いグルーブを感じさせる。これはまたアコースティクギターのみでグルーブを作り出すという演奏者としての個性を印象付ける。

 

また、いつものように、ファズやディストーションを強調させたギターロックソングも収録されている。今回は、Dinasour Jr.やJ Masicisのような極大の音像を持つオルタナティヴロックソングで、これらのグランジ以降の90年代のロックの系譜を踏襲しているようだ。しかし、イミテーションになることはなく、現代のミュージシャンとして何をもたらすのか、という考えが含まれていることに注目しておきたい。「Oh Well」は、新しいアメリカン・ロックのスタイルが登場したと言えるかもしれない。 そしてこれらは、ギターのリバーブやディレイを使用して、抽象的な音像をアンビエントのように敷き詰めて、ドリーム・ポップやシューゲイズ、あるいはそれ以降のダンスミュージックを反映させたポスト世代のシューゲイズへと移行していく。ルタロのオルタナティヴロック好きの姿はこの曲を聞けば瞭然なのではないだろうか。

 

ルタロのボーカルはいつもダークな雰囲気があり、独特な格好良さがある。それは明確には言えないが、バッファローのストリートの空気感が含まれているような印象を受ける。例えば、それは地下鉄の空気感だったり、ダウンタウンの狭い通りだったり、はたまたそれとは対極にある。ストリートからぼんやりと煉瓦壁の摩天楼を見上げる感覚である。ボーカリストとしての最も強い性質が続く「About」に登場する。それは、ラップとも言えず、ソウルのファルセットとも言えず、またオルタナティヴロックのシンガーのようなアーティスティックな側面とも異なり、ニュアンスに近いものである。明確に言えば、旋律性があるのだが、節回しはラップに近いというロンドンのWu-Luに近い歌唱法であるが、これらの曖昧で抽象的なボーカルのニュアンスは、2020年代のロックの一つのスタンダードとなっていきそうな気配である。いわゆる抽象絵画の暈しの技法のような感じで、歌う音程をあえてぼかすというものである。

 

これらのダークな感覚はそれほど深刻になることはなく、その一歩手前のユニークな感覚にとどまっている。また、それはブラックジョークの範疇にあるようで、続く「 Haha Halo」に見出すことが出来る。この曲に満ちる夢想的なダークネスは、ある意味ではゴシック的な文化性を通過した結果とも言える。やはり女性的なドリーム・ポップ音楽ではなく、男性的な性質を持つドリーム・ポップという側面では、もしかすると、The Cureのような音楽性に近いかもしれない。 前の2曲でやや暗鬱な印象を持つロック/ポップソングを挟んだ後、やはりこのアルバムの最大のテーマである、回想的なフォーク・ロックソングでこのアルバムは締めくくられる。

 

「Lightning Strike」は、ルー・リードのソロアルバムの作風を彷彿とさせる。たとえば、「Walk On Wild Side」のような懐かしさが溢れ出す。 これらはアメリカの黄金時代の音楽を思わせるし、重要であるのは、音楽的な表現に温和さと穏やかさが内包されているということだろう。アルバムのクローズ「The Bed」は、果たして寮生活を送っていたセントポール・アカデミーの時代を振り返ったものなのか。かりにそうであるとするなら、それらの追憶は、同じような体験を聞き手がしたか否かを問わず、追体験のような意義をもたらす。誰もが経験したことのある学生時代の思い出、少なくとも、ルタロ・ジョーンズにとっては、フィッツジェラルドのように、文学的な才能や最初の音楽的な経験を深めるきっかけとなったのかもしれない。個人的な体験や追憶、それは意外なことに、時に、一般的な広い意味を持つ場合があるのだ。

 

 

 

82/100

 



「Bed/ Broke Twin」



Lutalo  『The Academy』はWinspearから発売中。ストリーミングはこちら



【先行情報】




【レビュー】


 Joan As Police Woman 『Lemon Limes, and Orchid』



 Label: PIAS

Release: 2024年9月20日

 

 

Review

 

 

ニューヨークのシンガー、ジョアン・アズ・ポリス・ウーマンは、ポピュラー、ソウルをメインテーマに起きつつも、クラシック音楽に通底するミュージシャンである。かつて、十代の頃、ボストン大学公共楽団でヴァイオリンを演奏していた。しかし、古典音楽はすでに気の遠くなるような回数が演奏されており、すでに最高の演奏は時代のどこかで演奏済みで、それ以上の演奏を出来ることは難しい、という考えを基にオリジナルソングの制作を行うようになった。当初はエレクトラでバイオリン奏者として活躍した後、ソロシンガーに転向した。以後は、ソロ・アルバムを多数リリースしてきたが、彼女は同時にコラボレーションを行ってきた。エルトン・ジョン、ルー・リード、スパークルホース、シェリル・クロウ等を上げれば十分だろう。ソウルシンガーでありながら、ロックやインディーズバンドとの交流も欠かさなかった。

 

主要なチャートにランクインすることもあったジョアン・アズ・ポリス・ウーマンはこの最新作で、純粋なポピュラー・ミュージックを制作しようとしている。それはまたジャズやソウルが含まれたポピュラーとも称せる。これまでのソロ作、及び、コラボレーションの経験を総動員したようなアルバムである。少なくとも近年の作品の中では、象徴的なカタログとなるかもしれず、古典的なソウル(ノーザン・ソウル、サザン・ソウル)、ゴスペル、ファンクソウル、そして現代的なポピュラーやロックの文脈を交え、聴き応え十分のアルバムを制作している。ファンク・ソウルのテイストが強く、リズムは70年代のソウルに根ざしている。そこにヒップホップ的なビートを加えて、モダンなソウルのテイストを醸し出すことに成功している。ファンクの性質の強いビートは、主に、プリンスが登場する以前のグループのサウンドを参考にして、グルーヴィーなビートを抽出している。「Long For Ruin」等はその象徴的なトラックで、ハスキーボイスを基に、ファンクのギターやゴスペル風のコーラスを背景としながら、しんみりとした感じとまた雄大さを兼ね備えたブラック・ミュージックの真骨頂を示している。

 

同様に先行シングルとして公開された「Full Time Heist」はサザン・ソウル/ディープ・ソウルのビートを基に、聴きごたえのあるバラードソングを作り上げている。オーティス・レディングのような深みを持つこの曲を取り巻くクインシー・ジョーンズのアーバンコンテンポラリーの要素は、やはりピアノの演奏や渋みのあるゴスペル風の深みのあるコーラスと合わさると、陶酔的な感覚や安らいだ感覚を呼び起こす。特に、細部のトラック制作の作り込みを疎かにしない姿勢、そして、ファルセットからミドルトーンに至るまで、細かなボーカルのニュアンスを軽視せずに、歌を大切に歌い込んでいるため、聴き入らせる何かが存在しているのかもしれない。

 

また、それとはかなり対象的に、「Back Again」では、70,80年代以降のファンクソウルを踏襲し、ディスコビートを反映させ、キャッチーなヴォーカルを披露している。懐古的なナンバーであるが、ポリス・ウーマンは一貫して現代的なポピュラーの要素を付け加えている。また、デスティニーズ・チャイルドのダンス・ナンバーに近い「Remember The Voice」等などを聞くと分かる通り、古典的なソウルだけがポリス・ウーマンのテーマではなく、一大的なブラックミュージックの系譜を改めて確認しなおすような狙いを読み取ることもできる。

 

 こういったポピュラーな良曲が含まれている中で、フルアルバムとして精彩を欠く箇所があることは指摘しておくべきかもしれない。しかし、それはソングライターとしてポピュラー性を意識したことの証であり、音楽的な表現が間延びしたり、選択が広汎になりすぎたせいで、そういった印象を受けるということも考えられる。そんな中で、タイトル曲は、チャカ・カーンが追求した編集的なソウルミュージックの系譜を捉えなおし、その中でニューヨークで盛んなエクスペリメンタルポップという要素を付け加えている。

 

ただ、全体的にはエレクトロニクスを追加し、リズムを複雑化したとしても、全体的なサウンドプロダクションは、古典的なバラードに焦点が絞られているため、やはり上記の主要曲と同じように静かに聞き入らせる何かが存在している。 エレクトリック・ピアノとシンセサイザーの組み合わせの中から、ボーカルの力によって何か霊妙な力を呼び起こすことがある。これまでの音楽的な蓄積を踏まえて、エルトン・ジョンのような親しみやすいバラードを書こうという意識がこういった良曲を生み出す契機となったのかもしれない。それに続く「Tribute to Holding On」は、ソウルミュージックとして秀逸なナンバーである。ポリス・ウーマンはハスキーな声を基に、シンプルなバンド構成を通じて、サザンソウルの醍醐味を探求しようとしている。バックバンドの演奏も巧みで、カスタネット等のパーカッション、ヴォーカルの合間に入るギター等、ポリス・ウーマンのヴォーカルを巧みに演出している。これらのバンドサウンドは少しジャズに近くなることがあり、それらのムードたっぷりな中で、アーバンソウルの系譜にある渋いボーカルを披露している。ニューヨークの夜景を思わせるようなメロウさがある。

 

従来から培ってきたソングライターとしての経験の精華がアルバムのクローズ曲「Help Is On It's way」に顕著に現れている。ジャズピアノをフィーチャーし、良質なポピュラー・ソングとは何かを探求する。この曲はまた現代的なバラードの理想形を示したとも言えるかもしれない。


 


80/100

 

 

Best Track 「Tribune To Holding On」

The WAEVE 



 ザ・ウェーヴの新作『シティ・ライツ』と彼らのデビュー作『2023』を並べてみると、2枚のまったく異なるレコードが浮かび上がってくる。グラハム・コクソンとローズ・エリナー・ドーガルの初共演作で、2人は不穏と恐怖の影に美と優しさが存在する、時に夢のような世界を作り出した。


 2人のヴォーカル、モジュラー・シンセ、コクソンのサックスは、ブロードキャスト、トーク・トーク、70年代フォークの影を引き寄せるのに役立つ一方で、プログレやポスト・パンクの影響を受けた、より複雑な下草に引っかかることを可能にしている。

 

 これらの要素は『City Lights』でも健在だが("Simple Days "のアコースティック・ドリフト、"You Saw "の浮遊感溢れるモーターリク・ポップ、"Druantia "の8分に及ぶプログレッシブ・ロックの冒険など)、今回はより大胆で広がりのある、自信に満ちたものに仕上がっている。

 

 ジェームス・フォードとの共同プロデュースにより、タイトル曲の煽情的なアート・ロックのスコールや「Broken Boys」のキャバレー・ヴォルテールのような騒々しさなど、よりトゲトゲしく、よりアグレッシブな作品に仕上がっている。以前はイメージや寓話を通して感情やメッセージを投影していたかもしれないが、ここでは何を、あるいは誰について歌っているのかがより明確になっている。


「今回はバンドにアイデンティティがあったから、自分たちがどう動くか、もう少し枠組みがあったんだ。しかし、明らかに状況はかなり異なっていた...」


 2020年当時、コクソンとドーガルは漂流していた。ある夜、ロンドンのジャズ喫茶で行われたチャリティ・ギグの楽屋で出会ったドゥーガルは、一緒に曲を書こうと提案した。レトロ・ポップ・トリオ、ザ・ピペッツのメンバーだったドーガルは、前年に3枚目のソロ・アルバム『A New Illusion』をリリースしており、コヴィッドの襲来と同時にLAからロンドンに戻ってきたコクソンは、流動的な状態にあった。ローズが "一緒に書いてみない?"と言ってくれるまで、いつまた仕事をするのか、また書いてみるのか、わからなかったんだ」とギタリストは言う。

 

「ファースト・アルバムを聴くと、僕とグラハムがレコード制作を通してお互いを知っていくのがわかるんだ。一緒に曲を書き、レコーディングをする過程で、コクソンとドゥーガルはお互いを知るようになっただけでなく、恋に落ち、2022年8月には娘のイライザがこの世に誕生した。

 

「最初のアルバムは、世の中で起こっていることの窮屈さから逃れるための方法だった。「このアルバムは、より家庭的な制約に立ち向かうためのものだったと思う。それが、いくつかの曲の切迫感にもつながっているんだ」


 しかし、オープニングのタイトル・トラックの最初の数小節を聴けば、この曲が独りよがりの満足のレコードでないことは明らかだ。この曲のベルリン時代のデヴィッド・ボウイのような眩しさで描かれる夜の外出には、影に潜む恐ろしい怪物や、常に頭をもたげようとしている不安がある。

 

 この光と影の組み合わせが、『シティ・ライツ』を聴き応えのあるものにしている。I Belong To's "のようなポップで軽快な献身宣言や、ある朝コクソンが娘に叩きつけたコードから始まった "Sunrise "の牧歌的な素晴らしさなど、穏やかな瞬間には必ず現実があり、不和や厳しさが牡蠣の中にある。


 グラハム・コクソンはアルバムの制作について次のように説明する。「このアルバムは間違いなく、より神経質で、より不機嫌だ。醜いものであれ美しいものであれ、私はいつも感情をストレートに表現してきた。音は必ずしも聴き心地がよくなければならないとは思わない。本当に素敵なものの隣に不快感を置くというダイナミズムは、私がいつも興味を持っていることなんだ」

 

「Song For Eliza May」は間違いなくアルバムのハイライトのひとつだ。フェアポート/レッド・ツェッペリン3世フォーク・ロックの嵐が吹き荒れる中、ドゥーガルが自分たちがこの世に送り出した娘が直面するかもしれない危険や困難について詳しく語り始める。

 

 ダガールにとって、娘の誕生について率直に書くという決断は、当初は難しいものだった。「出産について言及することにしばらくは抵抗がありました。でも実際、その経験をもっと大きなテーマを探求するのに使えると気づいたの。ニュースで起きていること、残虐な行為、世界が崩壊していく様子を見てね。そしてそれと並行して、人生がどのように進化していくのか、自分自身の感覚がどのように発展してきたのかを考える。それは曲作りのプロセスにとって本当に良い手段となった」

 

 コクソンのギター・プレイもより際立っている。Moth To The Flame」のロボティックなニューウェーブではロバート・フリップのようなグライドを、「Girl Of The Endless Night」ではバート・ヤンシュのような巧みなフィンガー・ピッキングでオールド・ワールド・テイストを、そして至福のフロイド・スライド・ギターでアルバムを地平線の彼方へと送り出している。

 

 ファースト・アルバムの暫定的な歩み以上に、『City Lights』はグラハム・コクソンとローズ・エリナー・ドーガルを如実に表している。ミュージシャンとしての彼ら、そして人間としての彼ら。最初の曲から最後の曲までの旅が終わりに近づくにつれ、このアルバムが彼らの物語を語るレコードでもあり、一緒に音楽を作ることが彼らをどこに連れて行ったかという物語でもあることに気づくかも知れない。




Though there’s been little over a year between the two releases, line up The Waeve’s new album City Lights next to their 2023 debut and two very different records emerge. On Graham Coxon and Rose Elinor Dougall’s first record together, the pair conjured up an at times dreamlike world where beauty and tenderness existed under a shadow of disquiet and dread. The pair’s vocals, modular synths and Coxon’s saxophone helping to draw together shades of Broadcast, Talk Talk and 70s folk, while allowing them to get snagged on a knottier undergrowth of prog and post-punk influences.

 

While those elements are still present on City Lights (witness "Simple Days’" beatific acoustic drift, "You Saw’s" floating motorik pop or the eight-minute progressive rock adventuring within "Druantia,") this time around they’ve solidified into something bolder, more expansive and self-assured.

 

Co-produced by James Ford, it’s at times spikier and more aggressive, as on the title track’s agitated, art-rock squall or "Broken Boys’" Cabaret Voltaire-like racket, and swaps out the more oblique lyrical imagery of its predecessor for something more personal and direct. Where before they might have projected an emotion or a message through imagery or allegory, here it’s much clearer what, or who, they might be singing about.

“The band had an identity this time around so we had a little bit more of a framework to know how we might operate,” notes Dougall of their differing approaches. “But obviously, the circumstances were quite different…”

 

Back in 2020, Coxon and Dougall were adrift. When they met backstage at a charity gig at London’s Jazz Café one night, Dougall suggested they write some songs together. Formerly of retro-pop trio The Pipettes, Dougall had released her third solo album A New Illusion the previous year and having relocated from LA back to London just as Covid struck, Coxon was in a state of flux. “I didn’t know when I was going to work again or try writing again until Rose came out and said, ‘How about we try writing together?’” says the guitarist.

 

“When I listen to the first album, I can hear me and Graham getting to know each other through making the record,” says Dougall today. Through the process of writing and recording together, not only did Coxon and Dougall get to know each other, they fell in love, and in August 2022 welcomed their baby daughter Eliza into the world.

 

“The first record was a way of escaping the constrictions of what was going on in the world,” says Dougall. “I think this one was a way of railing against the more domestic constraints that we had. That’s partly where some of the urgency of some of the songs come from.”

Domesticity isn’t always the richest of wellsprings when it comes to artistic inspiration, but from the first few bars of the opening title track, it’s clear this isn’t a record of smug contentment. The night out detailed in the song’s Berlin-era Bowie dazzle has scary monsters lurking in its shadows, anxieties always ready to rear their head.

 

That combination of light and shade is what makes City Lights such a rewarding listen. For every moment of serenity – "I Belong To's" wonky pop declaration of devotion or the pastoral splendour of "Sunrise", which began life as chords Coxon strummed to their daughter one morning - there’s a bump of reality, some discord and grit in the oyster.

 

“This album is definitely more neurotic and more grumpy - and that comes from me!” laughs Coxon. “I’ve always liked to be pretty straightforward about feelings, whether they’re ugly or beautiful, and I’ve always approached sound in the same way. I don’t always think that sound needs to be comfortable to listen to. That dynamic of putting discomfort next to something that is really lovely is something that I’ve always been interested in.”

 

"Song For Eliza May" is undoubtedly one of the album’s highlights. A mandolin strummed ode to their daughter during which a surging Fairport/Led Zeppelin III folk rock storm begins to build as Dougall starts to detail dangers and difficulties the person they’ve brought into the world might face.

 

For Dougall, the decision to write quite frankly about the birth of their daughter was initially a difficult one. “I was really resistant for a while to even consider referencing it," she says. “But actually, when I realized that I could use that experience to explore bigger themes - watching what’s happening in the news, all these terrible atrocities and the world falling apart. And in tandem with that, thinking about how life evolves and how my own sense of self has developed. It became a really good vehicle for the song-writing process.”

 

Coxon’s guitar playing is more prominent, too. Not overtly, it’s more deconstructed to help build up layers - a Robert Fripp-like glide in "Moth To The Flame’s" robotic new wave, some deft finger picking a lá Bert Jansch to really dredge up an olde worlde feel for "Girl Of The Endless Night," or some blissful Floydian slide guitar to help send the album off over the horizon.

 

Even more so than on the tentative steps of their first album, City Lights is a true representation of Graham Coxon and Rose Elinor Dougall. Who they are as musicians and who they are as people. As the journey from the first song to the last comes to an end, you realize that it’s also a record that tells their story, the story of where making music together has taken them.   -Transgressive


 『City Lights』 

 

 

・グラハム・コクソンとローズ・エリナー・ドーガルのセカンドアルバム。ロンドンの音楽文化の奥深さ

 

 実は、Blurが再始動する以前から、グラハム・コクソンは新しいプロジェクト、The WAEVEを立ち上げていたことをご存知だろうか。それはブラーのドラマーであるDave Rowntree(デイヴ・ロウントゥリー)がソロ・アルバムを発表した時期と大方重なっていた。The Waeve(ザ・ウェイヴ)は、グラハム・コクソンとその妻であるローズ・ドーガルのデュオとして発足した。グラハム・コクソンの英国の音楽シーンでの目覚ましい活躍については最早くだくだしく説明するまでもないだろう。ローズ・ドーガルについては''ローズ・ピペット''というガールズ・グループで活動していた。異なる才能の化学反応、似た性質を持つ二人の男女のユニットであるThe WAEVEの音楽性は、70年代後半のニューウェイヴから、80、90年代のポピュラーミュージックを踏襲し、次いで現代的なポピュラー・ミュージックのニュアンスや文脈をもたらすという趣旨である。


 ファースト・アルバム『The WAEVE』を聞けば分かる通り、このユニットは単なるサイドプロジェクトのようなお遊びのためのプロジェクトではない。いわばブラーのアート・ロックの側面を受け継ぎ、そして、ニューウェイヴやノーウェイヴのニュアンスから、ビートルズ時代のチェンバーポップ、90年代のオアシスのブリット・ポップ、2010年代以降のエクスペリメンタルポップを隈なく吸収し、それらを現代的なポピュラーミュージックとして昇華するという趣旨である。楽曲のスタイルは、二人の音楽的な見識の深さを反映するかのように幅広い。グラハム・コクソンのボーカルの渋さ、そして、一方、クリアで清涼感のある高いトーンを主な特徴とするローズ・ドーガルの対象的な声の性質により、聴き応え十分のポピュラーソングが生み出される。その中には、現代のパンクバンドが失いかけている反抗心もある。しかし、グラハム・コクソンがこのニューウェイヴというアウトプットの形式を選んだのは、おそらくこのジャンルにはまだ未知の潜在的な可能性が眠っていて、そして最も夢のある音楽だからである。

 

 

 The WAEVEの音楽には表向きに聞こえるものよりも、かなり深甚な文化性が内包されている。それは、先日、ラフ・トレードが公開した大掛かりなロンドンの音楽の数十年の歩みを収めたプレイリストを見ると分かる通り、70年代から20年代にかけてのUKミュージックの50年の流れを現代人としてあらためて俯瞰するかのようである。1970年代頃、一大的なムーヴメントとなったロンドン・パンクというジャンルは、三大バンドを始め、無数のサブジャンルとフォロワーを輩出したが、他方、ジョニー・ロットンのバンドがメジャーレーベルと契約した頃から、急速に最初のウェイブは衰退していくことになった。それは、簡単に言えば、パンクバンドが次々とメジャーレーベルと契約を交わしたことに大きな原因があった。パンクバンドが商業的な成功を収めていく中、音楽性そのものに精神性が失われていったことが要因であった。

 

 しかしながら、この最初のロンドンのパンク・ウェイブが衰退しかけた頃、もうひとつのジャンルがニューヨークと連動するようにして台頭した。それが、現在では「Post Punk」と称されるウェイヴであり、Crass、The Fall、1/2 Japanese、PILを始めとするムーヴメントを発生させた。その最終形が、当時、公務員と音楽家の兼業をしていたイアン・カーティス率いるJoy Division。ニューウェイヴのサウンドには特徴があり、Kraftwerk、NEUといったヨーロッパの実験的な電子音楽、ポピュラーミュージック、先行していたパンクロック、これらの3つの文脈を結びつけるというものである。更に的確に言えば、「アート・ロック」の音楽性が含まれていた。

 

 それが、1980年代後半からのマンチェスターのハシエンダ(カタログ形式のリリース番号の発祥)のクラブカルチャー、及び、米国のノーザン・ソウルを受け継いで登場したStone Roses、Smithという最初の形になり、以後、それらの総決算としての90年代初頭のブリット・ポップのブームが沸き起こった。メインストリーム、アンダーグラウンド問わず、イギリスの音楽の系譜を結実させたのが、1990年代のバンドであり、それはまた、60年代のビートルズ、ストーンズのチェンバーポップという側面をも映し出していた。しかし、このウェイヴは、音楽産業が最も盛んだった時代の流れを受け、宣伝的な側面も含まれていたことは改めて指摘しておくべきだろう。以降、新しい音楽はいくつも登場したが、どうしても「宣伝のための音楽」という範疇から逃れられないという長年の課題を抱えざるを得なかった。これは現在の音楽業界が抱える問題でもある。企業としての利益性を重視せざるを得ない側面があるからである。

 

 

 ある意味では、イギリスの音楽は、過去を振り返って懐かしむというより、何らかの別のジャンルを吸収したり、もしくは、クロスオーバーを図ることで、音楽をアップデートさせてきた。それは、むしろ過去を全て肯定するというより、半ば否定しつつ、新しい表現を生み出すという、英国人らしい気風を象徴付けている。この点においては、ブライアン・イーノがプロデュースを務め、主導したニューヨークの「No Wave」の動きと連動するような傾向があったと言える。これは単に、アナクロニズム(時代錯誤)に陥ることが、現代人としての沽券に関わると考えるミュージシャンが一定数いたことを表す。要するに、現代人として生きるからには過去の遺産をそのまま提示するのではなく、「新しい意味を与えたい」という欲求を抱えざるを得ない。The WAEVEは、これらの系譜に属し、過去を半ば否定し、新しい表現を生み出すようなタイプのユニットである。もちろん、往年の音楽を踏襲しつつ、それに敬意を払いながらも、その中には、自分たちが過去に埋没することを拒絶する何かが存在する。これがおそらく、グラハム・コクソンが示したいもので、それは表向きの人気バンドのギタリストという姿とは異なる、もう一人のミュージシャンの実像のようなものをありありと浮かび上がらせるのだ。

 

 セカンドアルバムの冒頭を飾る「1-City Light」では、ニューウェイヴ、あるいはニューヨークのノーウェイヴの系譜にある不協和音が、現代的なポスト・パンクサウンドの向こうに揺らめく。それはエレクトリック・ギターのノイズ的な側面に立ち現れたかと思えば、曲の中盤部のギターソロの代わりに登場するサクソフォンのジョン・ゾーンのような前衛的なフリージャズの文脈中に登場することもある。しかし、包括的な音楽のディレクションは、一貫して絶妙なバランスが保たれている。音楽そのものが危うくなることを許容しつつも、グラハム・コクソンのボーカルは、ポピュラリティと歌いやすさにポイントが置かれている。それはパブ・カルチャーのような気風を反映させたり、もしくは、The Clashの『London Calling』の作風に見受けられるブリクストンの夜の雰囲気を音楽的な表現としてかたどった秀逸なロックソングとして繰り広げられる。大げさに言えば、The WAEVE(ザ・ウェイヴ)はノスタルジアとモダニズムの中間を歩くような音楽で聞き手の心を鷲掴みにする。全体的なサウンドプロダクションとしては、70年代のニューウェイヴの性質が押し出されている。そして、このアルバムの一曲目を通じて、The Waeveは失われた夢のある音楽、未知の可能性に充ちた音楽を私達に見せてくれる。


 そうかと思えば、コクソンの妻であるローズ・ドーガルがメインボーカルを取る「2-You Saw」は、一曲目とはまったく対象的なトラックである。ドーガルの清涼感のあるボーカル、そして音楽性は、80年代のガールズ・グループに象徴付けられる楽しげな音楽の気風をもたらす。これらは、70年代のX-Rey Specsや、それ以降のアメリカのミラーボールの華やかで煌びやかなディスコサウンド、そしてアート・ロックという複数の音楽形式を取り巻くようにして進行していく。全体的には、長調の曲であるが、アルバムの一曲目と同じように、部分的に単調の旋律進行や不協和音を織り交ぜ、多彩なスケールとコード進行を描く。それは現実に生じた抽象的な空間を彷徨うかのようで、シュールレアリスティックな音楽性が内包されているといえる。


 しかし、これらの音楽性が多少マニアックだとしても、グラハム・コクソンの曲と同じように、ドーガルのボーカルがポピュラリティを付与している。不協和音や奇妙な移調が取り入れられようとも、全体的にはキャッチーなポップソングとして楽しむことが出来る。そして、3分06秒近辺からいきなり曲調が一変し、チェンバーポップ/バロックポップの要素が顔をのぞかせる。そして、グラハム・コクソンの紳士的なボーカルが入ると、曲の雰囲気がガラリと変化してゆく。


 「You Saw」のイントロでは、ニューウェイブや同年代のディスコ・サウンドをベースにした音楽か、と思わせておきながら、曲の後半では、壮大なスケールを持つ現代的なポップソングへと変遷を辿っていく。そして、メインボーカルがグラハム・コクソンへとスムーズに引き継がれ、ドーガルの夢想的なコーラスワークを背景にして、Televison、Talking Headsに代表されるNYのプロトパンクを掛け合わせたアブストラクトな音楽へと変化していき、最終的にはドーガルのボーカルが現代的なポップソングの印象を形作る。まるで、この曲は、種子に水をやり、その苗がゆっくりと成長し、美しい花を咲かせる様子を見届けるかのような素晴らしい一曲である。

 

 ポストパンク・ユニットとしての性質は、「3-Moth To The Flame」においてひとまず発揮される。ゴツゴツとしたオーバードライブのかかったベースラインに、グラハム・コクソンは、拡張器のようなボーカルのエフェクトを掛け、「声明代わり」と言わんばかりにふてぶてしいボーカルを披露し、この曲を牽引していく。求心力がある曲で、ライブではかなり盛り上がりそうだ。しかし、ルート進行のベースに対して歌われるコクソンのボーカルは、意外なことにかなり迫力があり、そして精細感もある。いわばコクソンさんが現代のミュージシャン/ボーカリストであることを実証するようなパンクサウンドである。


 何より、アルバムの一曲目と同じように、フリージャズやフュージョンの影響を反映させたサックスフォンのスムーズなレガートが、この曲にダンサンブルな印象と楽しげな気風を添えている。ニューウェイブのジャンルを紐解く上で不可欠であるシンセサイザーの同音進行は、この曲の持つエナジーを巧みに引き立てている。


 コクソンのボーカルにも力がこもっていて、言葉が上滑りになったり、キャッチフレーズに終始しないのに驚きを覚える。これは、The Waeveの音楽的な表現が尖っていて、少なからず体制的な考えや気風に対する反抗心を持ち合わせていることを表す。これは、表面的な反抗心ではなく、長年の間培われた尽くせぬ思いや感情を内側から反映させたかのようである。少なくとも、従来のグラハム・コクソンというミュージシャンのイメージを覆すことに成功しているのではないか。

 

 

 こういったパンク的な性質を持ち合わせた上で、オーケストラと電子音楽をポピュラーソングの形に落とし込む曲も収録されている。「4-I Belong To」は、1970年代の夢のあった時代の何かを現代に蘇らせ、それを新たにアップデートしている。そして、The Who、The Jamのモッズ・ロック、『Tommy』に象徴付けられるロック・オペラまでを的確に吸収し、ハードロック、プログレッシヴ、電子音楽、そして、ブリット・ポップに至るまで多角的に捉えた音楽を示している。音楽的に深い領域に入り込んでいるのは事実だが、何より大切なのは、ロック・オペラの核心にある音楽性をこのユニットが的確に捉えていることである。この音楽に欠かさざるものは、今や現代的に失われつつある英国人としての矜持や、紳士性、いわばジェントリーな節回しをするスポークンワードに近いボーカルの形式にある。ロック・オペラの核心にあるもの、それは扇動性ではなく、古典的な演劇に象徴される紳士的な表現にあったことが判然とする。

 

 特に、アルバムの中で最も素晴らしいのが続く2曲である。「5-Simple Days」は、ボサノヴァのような南米のワールド・ミュージックやフュージョンジャズを、80年代のノスタルジックなポピュラーセンスで包み込み、夢想的な感覚と安らいだ感覚を結びつける。アコースティックギター/エレクトリック・ギターの演奏も素晴らしいが、この曲の天国的な雰囲気を的確に表現しているのが、ドーガルのボーカルとシンセサイザーの心地よいテクスチャーである。スライド・ギターを中心とする抽象的なギター、そして、エンリオ・モリコーネの口笛をモチーフとしたマカロニ・ウェスタンは、音楽の持つ開放的な素晴らしさ、そして祝福的な感覚を体現させている。

 

 それは南国に束の間の休暇にやって来て、ヤシの木や海の向こうに沈んでいく太陽の残光を目の端に捉えるような幻想的な美しさに縁取られている。これらの美的な感覚は、アウトロのギターのアルペジオに至るとき最高潮に達する。この曲にはコクソンとドーガルのこの世界の美しさへの賛美とも言える。それはまた、さらに言えば、自然や情景の驚異に接する際の慈しみにも似た眼差しが、こういった天国的な雰囲気を持つ楽曲を生み出す契機となったのか。続く「6-Broken Boys」は、UNCUT誌が絶賛し、ユニットのポスト・パンク的な側面が色濃く反映されている。これらの天国的な音楽から、現実的な側面を何らかの考えで縁取った曲への移行は、対象的な印象で聞き手に驚きを及ぼし、大きなインパクトをもたらすかもしれない。実際的に、苛烈なイメージのあるギター、ベースに対して歌われるドーガルのボーカルは、このシンガーがガールズグループの性質をThe Waeveのサウンドにもたらしていることが分かる。彼らの最もクールな側面が立ち表れ、それは都会の街を肩で風を切るような感覚がにじみ出ている。


 アルバムの音楽的な性質は収録曲ごとに変化し、スムーズでゆるやかな変遷をたどる。UKの70年代のフォーク・ミュージックの受け継いだ「7-Song For Eliza May」では、再び、ローズ・ドーガルがメインボーカルを取り、コクソンのバンジョーの巧みな演奏に合わせて、スコットランドのケルト民謡のテイストを作り出す。6/8のワルツの形式を踏まえ、バンジョー、ギター、ピアノの演奏が舞楽的な音楽的な効果を生み出し、ドーガルのボーカルは、優雅さや開放的な空気感、ケルト民謡の持つ牧歌的なアトモスフィアを醸成する。ひとつひとつのアコースティック楽器の演奏がきわめて精妙に演奏、録音されているため、比較的自由な歌い方をしても、曲全体の構成が崩れることがない。これらの卓越した演奏力と録音技術に合わせて、実際的にボーカルの夢想的な感覚は、実際的に聞き手をイギリスの中世的な世界の奥底へと優しく誘う。


 曲そのものから立ち上るイメージもあり、サウンドスケープを呼び覚ますが、これらは弦楽器が入ると、最終的にThe Smithのモリッシーが80年代後半に描き出したような孤独感やクラシカルなロック性へと結び付けられる。曲の後半では、ギターソロが入り、白熱した空気感を帯びる。巧みなベースラインを挟み、この曲は大掛かりでシアトリカルな音楽へと変遷していく。曲の後半部には70年代のUKのハードロックや、The Doorsのようなサイケロックの要素も含まれている。いわばロックの教科書を徹底的に読み込んだ上で、それらをライヴサウンドとして映えるような形で昇華させている。ロックオペラの次世代に位置づけられる革新的な一曲。

 


 The Waeveの音楽はロンドンのカルチャーを反映させるかのように多彩で、一定の音楽の中に収まることはない。それは、二人がどれだけ音楽を愛しているかを表し、同時に深い信頼関係で結ばれていることを表すかのようである。音楽的なバリエーションやイマジネーションは、その後の収録曲でも衰えることはなく、少しずつ広がりを増していくような感覚がある。「8-Druantia」では再び、ニューウェイブサウンドに回帰し、ユニークなサクソフォンの演奏を取り入れて、フュージョン・ジャズとポスト・パンクの中間にあるダンサンブルなサウンドを生み出す。かと思えば、続く「9-Girl Of The Endless Night」では、Lankumのようなダブリナーズのアイルランド民謡をベースに、現代的なイギリスのフォーク・ミュージックの理想的な形を示す。

 

 アルバムのクライマックスを飾る「10-Sunrise」では、60,70年代のポップスをベースに、グラハム・コクソンのソングライターとしての才覚が見事な形で花開く。トム・ウェイツやM.Wardのような渋さのあるボーカル、そして、サクソフォンのジャズをテイストを加え、サビでは、相方のローズ・ドーガルのメインボーカルを受け渡す。これはデュオという形でしか実現しえない新しいデュエットの形式を示したにとどまらず、古典的なポピュラー音楽を踏まえ、それらをどのように現代のスタイルに繋げるのか。両者の飽くなき探究心がもたらした最大の成果でもある。


 チェンバー・ポップ、AOR、それ以降のアーバン・コンテンポラリー、ABBAのような北欧のポップスといった良質な音楽を隈なく吸収し、フローレンス・ウェルチの系譜にある演劇的なポップスへと昇華させる。この曲の最後では、それまで長らく抑えていた感覚が暴発するかのように一挙に溢れ出てくる。シアトリカルな音楽的な表現が見事なオーケストラストリングスの駆け上がり、及び、掛け下がりと結びつき、オリジナリティ溢れるポピュラー音楽が構築される。それは表題にも表されているように、日の出の瞬間を体現させるかのようである。最後の曲のクライマックスは圧巻というよりほかなく、音楽の持つ素晴らしさに触れることができる。

 

 

「Song For Eliza May」

 

 

86/100

 

 

*The WAEVEのセカンドアルバム 『City Lights」はTransgressiveから今週末(9月20日)に発売されます。 



【先行情報】


 THE WAEVE、セカンドアルバム『CITY LIGHTS』を正式に発表 9月20日にTRANSGRESSIVEよりリリース


THE WAEVE、ニューシングル「BROKEN BOYS」をリリース  ライブパフォーマンスを収録した「CITY LIGHTS SESSIONS」もスタート!! 



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【REVIEW〛 THE WAEVE 「THE WAEVE」 グラハム・コクソンによる新プロジェクトのデビュー作






Second album by Graham Coxon and Rose Elinor Dougal. The depth of London's musical culture.



In fact, even before Blur was relaunched, Graham Coxon had launched a new project, The Weave. It largely coincided with the release of Blur drummer Dave Rowntree's solo album The Waeve began as a duo between Graham Coxsone and his wife Rose Dougal.


Graham Coxon's remarkable success on the British music scene needs no brief description. As for Rose Dougal, she was active in a girl group called Rose Pippet. The chemistry of different talents, the musicality of The WAEVE, a unit of two men and two women with similar qualities, is intended to follow the popular music of the late 70s new wave, the 80s and 90s, and then bring in the nuances and context of contemporary popular music.


As you can tell from listening to the first album, The WAEVE, the unit is not just a side project for fun. The WAEVE takes the art-rock side of Blur, so to speak, and then, from the nuances of new wave and no wave, absorbs the chamber pop of the Beatles era, the Brit-pop of Oasis in the 90s and the experimental pop of the 2010s and beyond, and sublimates them into a contemporary popular music. The aim is to sublimate them as contemporary popular music. 


The style of the songs is wide-ranging, as if to reflect the depth of the duo's musical insight. The austerity of Graham Coxon's vocals and the contrasting nature of Rose Dougal's voice, which is mainly characterised by clear, clean, high tones, produce popular songs that are highly enjoyable to listen to. There is a defiance in them that modern punk bands are losing. However, Graham Coxon has chosen this form of new wave output, perhaps because the genre still has untapped potential, and because it is the most dreamy music of all.



The WAEVE's music encompasses a considerably more profound cultural nature than what it sounds like on the surface. It's as if we, as modern-day people, have a bird's eye view of 50 years of UK music from the 1970s to the ‘20s, as evidenced by the recent Rough Trade playlist that chronicles decades of music in London on a grand scale. The London punk genre, which became a huge movement around the 1970s, produced three major bands and countless sub-genres and followers, but on the other hand, the first wave rapidly began to decline from the time John Lydon's band signed to a major label. 

 

This was largely due to the fact that, simply put, punk bands signed to major labels one after the other. This was due to the fact that as punk bands became more and more commercially successful, the musicality itself lost its spirituality.



However, as this first London punk wave was on the wane, another genre emerged in tandem with New York. This was the wave now known as ‘Post Punk’, which gave rise to movements including Crass, The Fall, 1/2 Japanese and Public Image LTD.. Its final form was Manchester's Joy Division, led by Ian Curtis, who at the time was both a civil servant and a indipendent musician, and whose new wave sound was distinctive, combining European experimental electronic music such as Kraftwerk and NEU, popular music and the punk rock that had preceded it. The idea is to link the three contexts. Even more precisely, it contained an ‘art-rock’ musicality.


This took its first form in the club culture of Manchester's "Hacienda" (the birthplace of catalogue-style release numbers) from the late 1980s onwards, and The Stone Roses and The Smith, who emerged as the inheritors of Northern Soul in the USA, and subsequently, in the early 1990s, as the sum total of these The Brit-pop boom was booming. 

 

It was the bands of the 1990s that brought the genealogy of British music, both mainstream and underground, to fruition, and it also mirrored the chamber pop aspect of the The Beatles and The Rolling Stones of the 1960s. However, it should be pointed out again that the wave also contained a promotional aspect, as the music industry was at its most prolific. Since then, a number of new music acts have emerged, but they have inevitably had to deal with the perennial problem of not being able to escape the category of ‘music for publicity’. This is also a problem facing the music industry today. This is because of the aspect of corporate profitability that it is forced to focus on.
 

In a sense, British music has updated itself by absorbing or crossovering into some other genre, rather than looking back and nostalgically remembering the past. This is symbolic of the typically British disposition to create new forms of expression, rather than affirming the past in its entirety, but half-negating it. In this respect, there was a tendency to link up with the "No Wave" movement in New York, produced and led by Brian Eno. This simply means that there were a certain number of musicians who thought that falling into anachronism was a matter of good name as a modern man. 

 

The WAEVE is a unit that belongs to these groups, half-denying the past and creating a new form of expression. Of course, while following and paying homage to the music of yesteryear, there is something in it that refuses to bury itself in the past. This is, perhaps, what Graham Coxon wants to show, and it reveals something of the real image of another musician, ostensibly different from that of a guitarist in a popular band.

 

On ‘1-City Light’, which opens the second album, dissonant sounds from the New Wave or New York no-wave lineage shimmer over a contemporary post-punk sound. It seems to rise to the noisy side of electric guitar, or avant-garde like saxophonist John Zorn, who replaces the guitar solo in the middle part of the song.


On the contrary, ‘2-You Saw’, in which Coxson's wife Rose Dougal takes the main vocals, is a track that is completely opposite to the first one. Dougal's plaintive vocals, and musicality, bring a joyful musical flair that can be associated with the girl groups of the 80s. 

 

These progress around the multiple musical forms of the X-Rey Specs of the 70s, the glitz and glamour of the American disco sound of later years, and art rock. Overall, the song is in a major key, but like the first track on the album, it weaves together partially monotonous melodic progressions and dissonances, drawing on a variety of scales and chord progressions. It seems to wander through abstract spaces that arise in reality, and it can be said to contain a surrealistic musicality.


However, if these musicalities are somewhat manic, Dougal's vocals, like Graham Coxon's songs, give them a populist quality. Even if dissonance and strange transpositions are introduced, the song can still be enjoyed as a catchy pop song on the whole. Then, around the 3:06 minute mark, the tone suddenly changes and elements of chamber pop/baroque pop appear. The atmosphere of the song changes drastically when Graham Coxon's gentlemanly vocals enter the song.


The intro to ‘You Saw’ leads one to believe that the music is based on new wave or disco sounds of the same era, but in the second half of the song, it transitions into a contemporary pop song of epic proportions. Then the main vocals are smoothly taken over by Graham Coxon, with Dougal's dreamy chorus work in the background, and the music turns into abstract music crossed with New York proto-punk represented by Televison and Talking Heads, and eventually Dougal's vocals form the impression of a contemporary pop song. It is a wonderful piece of music, as if one were to water a seed and watch the seedling slowly grow and blossom into a beautiful flower.
 

The nature of the band as a post-punk unit is momentarily demonstrated on ‘3-Moth To The Flame’. Over a lumbering, overdriven bassline, Graham Coxon drives the song along with augmented vocal effects and a swaggering vocal delivery that is a ‘statement replacement’. The song has a centripetal force and would be quite exciting live. However, Coxson's vocals, sung against a root-progressed bass, are surprisingly quite powerful and detailed. It is, so to speak, a punk sound that demonstrates that Coxson is a modern musician/vocalist.


Above all, the smooth legato of the saxophone, which, like the first track on the album, reflects free jazz and fusion influences, adds a dancelike impression and a joyful air to the song.The synthesiser homophonic progression, which is essential in unravelling the new wave genre, cleverly enhances the energy of the song.


Coxson's vocals are also very powerful, and it's surprising that the words don't go over the top or end up in catchphrases. This is a sign that The WAEVE's musical expression is pointed, and in no small part a rebellion against the ideas and temperaments of the establishment. This is not a superficial rebellion, but an inward reflection of the inexhaustible thoughts and feelings that have been cultivated over the years.



In addition to these punk qualities, the songs also include orchestral and electronic music in the form of popular songs. ‘4-I Belong To’ brings something from the dreamy days of the 1970s back to the present day and updates it anew. And it shows a multifaceted take on hard rock, progressive, electronic and even Brit-pop music, accurately absorbing the mod-rock of The Who and The Jam, and even the rock opera epitomised by ‘Tommy’. 


It is true that they are entering deep musical territory, but what is most important is that the unit has accurately captured the musicality at the heart of rock opera. What is missing from this music is a form of vocalism that is now losing its contemporary Britishness, its gentlemanliness, its near-spoken-word form of gentry versification, so to speak. It is discernible that at the heart of rock opera, it was not incendiary, but the gentlemanly expression symbolised by classical theatre.

 

In particular, the two following tracks are the finest on the album. ‘5-Simple Days’ combines dreamy and restful sensations, wrapping bossa nova-like South American world music and fusion jazz with a nostalgic 80s popular sensibility. The acoustic/electric guitar playing is excellent, but it is Rose Dougal's vocals and the pleasant textures of the synthesizers that aptly capture the heavenly atmosphere of the song. The abstract slide-guitar-led guitar and Ennio Morricone's whistling macaroni western motifs embody the open splendour and celebratory feel of the music.

 
It is framed by a magical beauty, like coming on a brief holiday to a tropical country and catching the afterglow of the sun setting behind palm trees and the sea out of the corner of your eye. These aesthetic sensations culminate in the outro guitar arpeggio. This song can be seen as Coxson and Dougal's paean to the beauty of this world. It is also, and perhaps more importantly, a compassionate look at the wonders of nature and the landscape that led to the creation of these heavenly atmospheric songs. 


The following track, ‘6-Broken Boys’, was praised by ”UNCUT magazine” and reflects the post-punk side of the unit. These transitions from heavenly music to songs that frame the realistic aspect with some thought may surprise the listener with their targeted impression and have a significant impact. Practically, Dougal's vocals, sung against the caustic image of guitar and bass, show that the singer brings a girl-group quality to The Waeve's sound. Their coolest side rises to the surface and it oozes with the feeling of wind whipping across an urban city on your shoulders.

 

The musical nature of the album changes from track to track, with a smooth and gradual transition: on ‘7-Song For Eliza May’, a legacy of UK 70s folk music, Rose Dougal once again takes the main vocals, accompanied by Coxson's deft banjo playing. Building on the 6/8 waltz form, the banjo, guitar and piano create a dancelike musical effect, while Dougal's vocals foster the elegance, openness and pastoral atmospheres of Celtic folk music. The individual acoustic instruments are played and recorded extremely exquisitely, so that even when the singing is relatively free, the overall structure of the song is not disrupted. In conjunction with these outstanding musicianship and recording techniques, the dreamy sense of the vocals in practical terms gently takes the listener deep into the medieval world of England.


There are also images rising from the song itself, evoking soundscapes, but these are ultimately linked to the kind of solitude and classical rockiness that The Smith's Morrissey portrayed in the late 80s, once the strings enter. The second half of the song takes on a white-hot air with a guitar solo. Interrupted by a clever bass line, the song transitions into big, theatrical music. 

 

The second half of the song also contains elements of 70s British hard rock and LA's psychedelic rock such as The Doors(Jim Morrison). The band has thoroughly read the rock textbooks, so to speak, and sublimated them in such a way that they sound great live. An innovative piece of music that places them in the next generation of rock opera.

 


The WAEVE's music is as diverse as it is reflective of London's culture, and it never fits within a certain musical category. It is an expression of how much they love music, but also of their deep trust in each other. 

 

The musical variations and imagination do not diminish in the subsequent recordings, and there is a sense of gradual expansion. ‘8-Druantia’ once again returns to the new wave sound, incorporating unique saxophone playing to create a danceable sound somewhere between fusion jazz and post-punk. On the other hand, the following ‘9-Girl Of The Endless Night’ demonstrates the ideal form of contemporary British folk music, based on Dubliners' Irish folk songs such as Lankum.


The album's climax, ‘10-Sunrise’, is based on the pop songs of the 60s and 70s, where Graham Coxon's talent as a songwriter flourishes in a spectacular way. He adds an austere vocal, akin to Tom Waits or M.Ward, and a touch of saxophone jazz, before handing over the main vocal to his partner Rose Dougal in the chorus. This not only demonstrated a new duet form that could only be achieved in the form of a duo, but also how to connect them to a contemporary style, taking into account classical popular music. This is the greatest result of the insatiable inquisitiveness of both musicians.

 

The band absorbs all the good music - chamber pop, AOR, later urban contemporary, Scandinavian pop like ABBA - and sublimates it into theatrical pop music in the vein of Florence Welch. 

 

At the end of this song, the sensations that had been suppressed for so long come pouring out, as if in an outburst. Theatrical musical expression is combined with a magnificent orchestral string run up and down to create a popular music full of originality. As the title suggests, it seems to embody the moment of "sunrise". The climax of the final piece is nothing short of spectacular, and allows the listener to experience "the splendour of the music". It's great!!

 


* The Waeve's second album, City Lights, is out this weekend (20 September) on Transgressive. 


 

 

■ The WAEVE(ザ・ウェイヴ)

©︎Kalpesh Lathigra


The coming together of two musicians who, through working together have formed a new, singular, sonic identity. A powerful elixir of cinematic British folk-rock, post-punk, organic song-writing and freefall jamming. Themes of oblivion and surrender are juxtaposed with suggestions of hopefulness and light. Against a brutal global backdrop of impending apocalypse and despair, Graham Coxon and Rose Elinor Dougall strive to free themselves through the defiant optimism of making music.
 
With the release of their acclaimed eponymous debut album in February 2023, The WAEVE established themselves as a songwriting partnership to watch, with a body of work that was “...ambitiously structured, lovingly arranged… unhurriedly crafted songs full of bona fide thrills, unexpected twists, and an elegant but never gratuitous grandeur.” (UNCUT); a collection of tracks… ”Cinematic in scope, often luscious in its arrangements, it’s a singular gem.” (DIY).
 
Now, after a year of touring and studio sessions, The WAEVE are back with their sophomore studio album City Lights, 10 brand new tracks that illustrate the evolution of their collaborative musicianship, allowing this meeting of musical minds to further push the boundaries of their individual creativity.


 
2人のミュージシャンが一緒に活動することで、新たな唯一無二のサウンド・アイデンティティを形成した。シネマティック・ブリティッシュ・フォーク・ロック、ポスト・パンク、オーガニックなソングライティング、フリーフォール・ジャムのパワフルなエリクサー。忘却と降伏のテーマは、希望と光の暗示と並置されている。迫り来る終末と絶望という残酷な世界的背景の中で、グレアム・コクソンとローズ・エリナー・ドーガルは、音楽を作るという反抗的な楽観主義を通して、自分たちを解放しようと努力している。


 
「2023年2月にリリースされた同名のデビュー・アルバムで、ザ・ウェイヴは注目すべきソングライティング・パートナーとしての地位を確立」(UNCUT) 「シネマティックな広がりを持ち、しばしば甘美なアレンジが施された、唯一無二の逸品」(DIY)


 
1年間のツアーとスタジオ・セッションを経て、The WAEVEは2枚目のスタジオ・アルバム『City Lights』をリリースする。このアルバムには、彼らの共同作業による音楽性の進化を示す10曲の新曲が収録されており、音楽的精神の出会いが、個々の創造性の限界をさらに押し広げた。

 

 

■『City Lights」


Respectively, Graham Coxon and Rose Elinor Dougall are titans of UK rock music.
Coxon made a name for himself as a founding member of Blur, while Dougall came up playing in alternative girl group The Pipettes. In recent years, the duo have teamed up in the project The WAEVE. This Friday, September 20th, 2024, they'll release their second album, City Lights, via Transgressive Records. 


To celebrate the release of City Lights, The WAEVE will play four very special live performances at Rough Trade, as follows: Rough Trade Liverpool on 20th September;Rough Trade Nottingham (SOLD OUT); Rough Trade Bristol (SOLD OUT), and Rough Trade East, London. The band will return to London later this year for a sold out performance - and their largest headline show to date - at the Village Underground in late October.


The Rough Trade shows follow an extensive summer tour which has seen The WAEVE play to 100,000 plus fans across a run of festival and show dates including a headline slot atLatitude's Sunrise Arena, Green Man Festival; eight dates with Elbow including a performance at Audley End; plus a high profile show at Warwick Castle with Noel Gallagher.


A year on from their acclaimed eponymous debut album, The WAEVE is back with City Lights, a collection of 10 songs that illustrate the evolution of their collaborative musicianship and sees the band’s sound solidified into something bolder, more expansive and self-assured. Written by Graham Coxon and Rose Elinor Dougall, and produced once again by James Ford, the album features Graham and Rose on vocals, as well as keyboards, guitar, bass guitar, drums and saxophone.


 

グレアム・コクソンとローズ・エリナー・ドーガルは、それぞれUKロック界の巨匠である。コクソンはブラーの創設メンバーとして名を馳せ、ドーガルはオルタナティブ・ガールズ・グループ、ザ・ピペッツで活躍した。近年、このデュオはThe WAEVEというプロジェクトでチームを組んでいる。

 

今週金曜日、2024年9月20日、彼らはセカンド・アルバム『City Lights』をTransgressive Recordsからリリースする。


シティ・ライツ』のリリースを記念して、ザ・ウェイヴはラフ・トレードで以下の4つのスペシャル・ライヴを行う: ラフ・トレード・リバプール(9月20日)、ラフ・トレード・ノッティンガム(SOLD OUT)、ラフ・トレード・ブリストル(SOLD OUT)、ラフ・トレード・イースト(ロンドン)。バンドは今年後半にロンドンに戻り、10月下旬にヴィレッジ・アンダーグラウンドでソールドアウト公演を行う。


ラフ・トレードでの公演は、夏の大規模なツアーに続くもので、ザ・ウェイヴは、ラティテュードのサンライズ・アリーナでのヘッドライン・スロット、グリーン・マン・フェスティバル、オードリー・エンドでの公演を含むエルボーとの8日間、ノエル・ギャラガーとのウォリック城での公演など、フェスティバルやショーで10万人以上のファンを動員した。


高い評価を得た同名のデビューアルバムから1年、ザ・ウェイヴは『City Lights』をリリースする。この10曲のコレクションは、彼らの共同作業による音楽性の進化を物語っており、バンドのサウンドが、より大胆で、より広がりと自信に満ちたものへと固まったことを物語っている。グレアム・コクソンとローズ・エリナー・ドーガルが作詞作曲を手がけ、プロデュースを手掛けている。

 



■Live Dates

 
20/09 - Liverpool, UK @ Rough Trade
21/09 - Nottingham, UK @Rough Trade - SOLD OUT
23/09- Bristol, UK @ Rough Trade - SOLD OUT
24/09 - London, UK @ Rough Trade East
29/10 – London, UK @ Village Underground - SOLD OUT

CLYDE&Algernon Cornelius  『Stick a Fork in It』


Label: Instinctive People 

Release: 2024年9月13日



Review

 

ロンドンとマンチェスターのヒップホップの異なるタレントの融合を楽しめるのが、今作『Stick Fork in It』である。CLYDE/Algernon Corneliusは、両者ともお世辞にもオーバーグラウンドな存在とは言えず、アンダーグラウンド・ヒップホップの次世代を担うMC/プロデューサーである。コラボレーション・アルバムというのは、2つの異なる才覚や音楽的な性質が掛け合わされて、それまで全く考えも及ばなかったような化学反応を起こすという利点がある。ある意味、『Stick a Fork in It』はそんなコラボレーションの醍醐味が凝縮された作品となっている。


このアルバムはシンプルに言えば、サンプリングの楽しさを徹底的に追求したアルバムである。ブレイクビーツのリズムを元にして、チョップ的な音飛びを作り、その合間にどのようなサンプリングを挿入するのか、そのアイディアの豊富さには瞠目すべきものがある。CLYDEとCorneliusのサンプリングの考えは、De La Soul、Dr.Dreの系譜に属し、古典的な内容でありながらも、楽しさと遊び心に満ちあふれている。二人のプロデューサーの手に掛かると、驚くべきことに、どのような素材もサンプリングのネタになってしまう。昔のTV番組や映画のオープニングや挿入歌や、エキゾチックなインドや中東のポップス、ボーカルのダビング録音など、あらゆる題材が彼らの音楽的なアイディアになってしまう。つまり、本来、音楽と見なされないものまでヒップホップのサンプリングやトラックメイクのテーマになってしまうのだ。あらためて、サンプリングの持つ楽しみや面白さが本作の随所に散りばめられている。それは子供の遊びのような純粋さと音楽的な興味を介して、彼らのオルタネイトなヒップホップが繰り広げられる。

 

両者は、ジャズやネオソウル、ヴィンテージソウル、アフロソウル、現代的なアブストラクトヒップホップに至るまで、多角的にこのジャンルの作法や技法を吸収し、オリジナリティ溢れるトラックを制作する。ラップとしてもかなり多彩な音楽性が含まれていて、米国のサザン・ヒップホップなどのギャングスタラップの系譜にあるドラッギーな文脈や表現も内包されている。

 

そして、もうひとつ、厳密に言うなら、両者のうち、どちらがこの要素をもたらしたのかは不明なのだが、エキゾチックな音楽が彼らのヒップホップには織り交ぜられていることがわかる。パキスタンやインドの中東のポピュラー音楽がブレイクビーツやトラップの流れの中を変幻自在に揺らめく。どことなくいかがわしげで、不思議な感覚を持つそれらのエキゾチズムは、彼らの都会的な空気を吸い込んだマイルドなリリック、フロウ、そしてラップバトルのように白熱したマイク捌きにより、それらのエキゾチズムは中和される。さらに、そこにより深みをもたらすのが、De La SoulやDreの系譜にある古典的なソウルからの引用であり、全体的に聞くと、サイケ・ソウルや、アフロ・ソウルのような極彩色のR&Bのように聞こえなくもない。  


しかし、こう言うと、過激な音楽性を思い浮かべる人もいるかもしれないが、実際のCLYDE、Algernon Corneliusのボーカルのニュアンスは基本的に、かなりナイーヴであり、繊細である。例えば、このアルバムには、サブリミナル効果のような働きをなす同一のフレーズが何度も別の曲に登場する。もちろん、曲調によって、それは楽しいイメージを呼び起こしたかと思えば、悲痛な叫びへと変わる。両者の現代社会に生きる中での感覚の鋭い変化や内的な感覚を巧みに表現したのが、本作の凄さなのである。そして、その内的な叫びのようなものは、まるで日常生活においてタブーとされているもの、あるいは表側に吐露することが叶わぬもの、こういったラップでしか表現しえないことを時にストレートに、それとは正反対にオルタネイトにリリックやライムとして外側に吐き出しているから、何かしら胸を打つものがあるわけである。

 

現代のヒップホップはどうしても、商業主義を度外視するのが年々難しくなっているのではないか。それは米国やカナダからビックスターが登場し、そして、ロンドンでもStormzyなどこのジャンルのスターが登場している。それはある意味では、1980年代のジャクスンの時代と重複する部分があり、ヒップホップ自体が宣伝的な役割を持つ音楽に変わったということである。しかし、前の時代の経緯を知ってか知らずか、この流れに対抗する勢力がアンダーグラウンドで息を巻いている。これらのグループは、ヒップホップの原初的な魅力を再発見しようと試み、新しい音楽的なニュアンスや、これまでになかった実験的な要素をもたらそうとしている。いわば、ヒップホップがミックステープの文化の範疇にあった頃の魅力を呼び覚まそうというのである。ヒップホップの最大の魅力とは洗練されていることではなく、音楽にちょっとした遊び心や、他の主流の音楽とは異なるアンダーグラウンド性を再発見することなのである。


そういった側面では、『Stick a Fork in It』は、ヒップホップが未だ主流派ではなかった時代のマニア性、いかがわしさが体現されている。本作においては、「Lemons」のように、サイケ・ソウルのサンプリングを背後に繰り広げられる前のめりなフロウ、サンプリングの楽しさをアナログ時代のダブと結びつけ、さらにUKベース等のアンダーグラウンドのクラブミュージックと融合させた「Mudd」をはじめ、JUNGLEのような音楽性を見出すことができる。特に、逆再生とテープディレイを掛けたボーカルが、これらの古典的なソウルを基底にしたクラブミュージックの最中を駆け抜ける。両者の音楽は、ローファイな感覚に縁取られているのは事実だが、本作のクローズ「Fathers」を聞くと、スコットランドのYoung Fathersのようなスター性の片鱗も捉えられるかも知れない。両者はUKヒップホップの注目の存在であることは疑いがないようだ。

 

 





78/100
 
 
 

CLYDE:


リアル・ヒップホップの研究者であるCLYDEは、ダークなビートもライトなビートも同様に、サンプル・ヘビーな連打を生み出す。イギリス生まれのイギリス育ち。池の向こうで作られる音楽から多大な影響を受けながら、彼はオリジナルでインスパイアされたものを作ろうとしている。


CLYDEは、友人が家に置いていったRoland MC-307でエレクトロニックとサンプル・ベースの音楽を作り始めて約6年になる。ジャズやメタル・ドラムの経験もあり、パーカッションは彼の音楽において重く確固たる位置を占めている。2016年初めにDome Of Doom Recordsに加入し、同レーベルの唯一の英国人メンバーであるCLYDEから初のフルレングス・テープをリリースして以来、CLYDEはライブ・アプリケーションで小さな成長を遂げている。DaedelusとSamiyamのサポート(本当に夢が叶った)やヘッドライナーを務めるなど、ライブへの出演が少しずつ増えている。

 


Algernon Cornelius:

 

アルジャーノン・コーネリアスは、マンチェスター(リーズ経由)出身のラッパー、プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリストであり、リーズとマンチェスターのDIYシーンの中心的存在として、アーマンド・ハマー、ケイクス・ダ・キラ、ムーア・マザー、シャバズ・パレイス、ザ・バグ、ティーブスらと共演してきた。

 

コンピレーション、ミックステープ、EP、インストゥルメンタル・ビート・テープ、サイド・プロジェクト、分身アルバムなどをリリースしてきたが、この12ヶ月で「Neither Gloaming Nor Argent」、ラップ・シングルのコンピレーション・アルバム『Both Before And After The Dark』と、"公式 "デビュー・ラップ・アルバム『The Miraculous Weapons of Clarkus_Dark』をリリースした。アルジャーノンのスタイルは「冷酷でエモーショナル」(Exposed Magazine)と評されている。「アルジャーノン・コーネリアスは、今ヒップホップで最も興味深いアーティストの一人だ」(Focus Hip Hop誌)

Allegra Krieger 『Art of the Unseen Infinity Machine』

 

Label: Duble Double Whammy

Release: 2024年9月13日

 

Review

 

Rolling Stone、Pitchforkの両メディアが先週注目していたのが、ニューヨークのシンガーソングライター、アレグラ・クリーガーである。先週のアメリカのインディーロック/フォークの注目作の一。大げさに騒ぐほどのアルバムではないかも知れないが、良質なメロディーや切ない感覚を織り交ぜ、ソングライター/ギタリストは一応のことニューヨークの音楽シーンで存在感を堅持している。 以前のアルバムまでは、分散的な音楽という印象もあり、少し散漫な感じであったが、この最新作『Art of the Unseen Infinity Machine』ではフォーク・ロックやオルタナティヴロックを起点として、秀作を制作している。アルバム全体には、何かしら淡いペーソスのようなものが漂うが、これは制作時、アーティストの住居の一室が燃えたという不幸に見舞われたことのよるものか。そして、ぼんやりとしているが、何かそういった哀感が漂う作品である。


アレグラ・クリーガーのソングライティングは基本的に、レナード・コーエンのような古典的なアメリカのフォークロックをベースに、現代的なオルタナティヴロックのテイストを添えるというもの。しかし、それとて、すでに90年代か00年代にいくつかのロックバンドの音楽性に準じたものなのかもしれない。たとえば、ルー・バーロウのサイドプロジェクトであるSebadohのようなローファイ風の色合いがラフで心地よいロックソングを思い浮かべる人もいるかもしれない。そして、クリーガーは悲しみを元にした歌をシンプルな演奏の中に乗せる。それも歌うといよりも、やるせないような感じでつぶやくという感覚に近い。気負いがなく、それほど上昇志向もない感覚は、現代的なニューヨーカーの気風を何らかの形で反映しているのかもしれない。新自由主義の渦中に生きることや、徹底した競争主義に疲弊し、さらには、Jesus Lizardのヨウが指摘するような後期資本主義の限界を、現代的な人々は肌身で感じ取っているのかも知れない。かつては頂点を目指すことが社会人としての嗜みを意味していたが、最早、この考えには限界があることを示唆している。このフォークロックソング集は、個人的な記録、もしくは個人的な回想とも呼ぶべきもので、実際的にそれは誰かが体験したかもしれない追憶のロマンチシズムに誘う。それはまた内的な魂の痛みを癒やすような響きが込められているのである。


また、現代的なアメリカのフォークロックのシンガーソングライターと同じように、ニューヨークの歌手でありながら、地域性や田舎性が削ぎ落とされている。まるでクリーガーの声は、時代感を失い、錯綜の中に彷徨い、そして、捉え難くなったアメリカという得難い存在をシンプルで親しみやすいフォークソングに乗せるかのようである。「Roosevelt Ave.」は、懐古的に昔の時代を振り返るかのようで、それは歌手の若い忘れ去られた時代や、それよりも古い時代へのロマンが抽象的に体現されているように感じられる。最近、生きている時代よりもさらに古い時代への憧れを示すアメリカのミュージシャンが増加傾向にあるのは、親の世代やその上の世代から子供の頃の米国の話を聞いているからなのかもしれない。そしてまた現代的な人々は、現在の自分の見る国家の姿を驚きと違和感を持って、ぼんやりと眺めているのかもしれない。それは目の前を流れていったかと思うと、すぐさま背後に過ぎ去っていってしまうのである。ロックソングのテイストを押し出した曲もあるが、バラードの性質が色濃い曲もある。

 

「Came」は、現代的なフォークロックバンドの影響を引き継ぎ、Big Thief(ピッグ・シーフ)やエイドリアン・レンカーの系譜にあるニューヨークのフォークソングを体現させている。かつてアメリカのフォーク・ロックは、渋さとマディーな感覚を併せ持ち、友愛的な側面や健全な精神を歌っていたことはCSN&Yなどの代表作を見れば明らかだが、他方、現代的なミュージシャンはそれらをモダンな感覚で縁取り、あまり深い領域まで踏み込まず、表向きの表現でとどめているという印象もある。ヒッピー主義は、かつてのサンフランシスコやUCLAの学生などで盛んだった思想で、ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」をベースに平和主義やコミューンのような共同体を作るというものだった。過去には左翼的であるとか、それ以降のリベラリズムの萌芽のようにも見なされることもあるかもしれないが、それは基本的には時代錯誤とも言える。

 

西海岸のカルチャー「フラワー・ムーブメント」とも称されるこれらの現代的な牧歌性は、「Burning Wings」にも見出すことが出来る。例えば、この感覚が太平洋を隔てたリスナーにも共鳴するものがあるとしたら、それは、現代の競争主義、新自由経済社会、後期資本主義社会に疲弊していることを意味している。主流派とは別の指標や価値観がないものか、多くの現代人はそれらの考えをシェルターに見立て、その場所を安息所とする。謂わば、そうではないふりをしていても、日常的な違和感や何らかのボタンの掛け違いのような感覚は日を追うごとに増えている。そういった現代的な感覚ではなく、牧歌的な空気感や平和主義を折衷したフォークソングは、「I'm So Happy I Can't Face Tomorrow」にわかりやすい形で表れ出ているのではないか。Florist、Big Thiefの系譜にある紛うことなくニューヨークのフォークロックソングであるが、やはりこの曲に滲み出ているのは、現代的な人間として生きる「しがらみ」のようなものを抱えながらも、そこから一歩踏み出したいというような思いである。それらの思想はやはりアコースティックギターをベースにした牧歌的で温和なフォーク・ソングという形に乗り移っている



アルバムの中盤の3曲「Over And Over」、「Into Eternity」、「Interude to Eternity」では、華美なサウンドを避け、徹底して70年代のレオナード・コーエンのような古典的なフォーク・ロック主義に沈潜しながら、アルバムの序盤の切ないような感覚を織り交ぜる。これらは表面的な思想に潜っていくというよりも、その音楽的な感覚をより深い場所へと踏み込もうと試みているように感じられる。それはまたフォーク・ロックの音楽性に基底に含まれる瞑想的なイメージを呼び覚ますような感じなのである。これらの感覚的なフォークロックは、現代的なサウンドプロダクションではなく、アナログのレコーディング寄りのミックスやマスターによって、ビンテージな感覚を呼び覚ますことがある。中盤から中盤にかけて、クリーガーはより内面の世界に一歩ずつ降りていくかのように、内省的なフォーク・ロックソングの世界を作り上げている。これらは稀に、エリオット・スミスのようなサッドコア「How Do You Sleep」に近づく。

 

本作は単なるフォークロックの集積というより、個人的な感覚の流れをエモーショナルなフォークソングで縁取ったかのようである。それは一定して暗鬱な印象が起点となっているが、アルバムの終盤で、アレグラ・クリーガーの曲は少しだけ明るい場所へと抜け出る。謂わば悲しみからの再起や立ち上がる瞬間の過程を縁取るかのように。「Where You Want To Go」では、力強いボーカルと巧みなドラム、ギターに支えられるようにし、はつらつとした瞬間を描き出す。 クローズ「New Mexico」では、古典的なカントリーの文脈に近づく。しかし、やはり、そこには包み込むような温かさと優しさという感覚が内在している。懐古的な音楽というイメージは表向きのもので、むしろ現代的なフォークロックのサウンドといえるのではないか。

 

 

 

76/100

 

 

 



 Nilufer Yanya 『My Method Actor』

 

Label: Ninja Tune

Release: 2024年9月13日

 


Review

 

『Method Actor(メソッド・アクター)』について、ニルファーは、曲のコンセプトがどのように生まれたかを次のように語っている。「メソッド演技について調べていたんだけど、読んだところによると、メソッド演技は、人生を左右するような、人生を変えるような思い出を見つけることに基づいているんだ。メソッド演技がトラウマになったり、精神的に安全でないと感じる人がいるのは、常にその瞬間に立ち戻るからなんだ。良いことも悪いこともあるけれど、常にそのエネルギー、自分を定義づける何かを糧にしている。それはミュージシャンになるのと少し似ている。演奏しているときも、最初に書いたときのエネルギーや感情を、その瞬間に呼び起こそうとしている。その瞬間、その瞬間のエネルギーや感情を呼び起こそうとして試みた」

 

ロンドンのシンガーソングライター/ギタリスト、Nilufer Yanya(ニルファー・ヤンヤ)は、多彩な表情を持つ。多角的なクロスオーバー性とハイブリットな音楽性により、2022年頃から熱心な音楽ファンの注目を集めてきた。そして、The Faderが「衝撃的な復活」と称したように、今年の5月頃に、「Like I Say(I Runaway)」を引っ提げて、久しぶりのカムバックを果たした。

 

このシングルでは、2022年のアルバム「Painless」のR&B、ベッドルームポップ、ブレイクビーツ、ラップ、オルタナティヴ・ロック(グランジ)を劇的に結びつけた。歌詞の中では少し棘のあるリリックの表現を取り入れている。それはミュージシャンとしての深化を意味し、人間的に一歩先へと踏み込んだことへの表れでもある。これはアルバムのオープニングを飾る「Keep On Dancing」にも顕著に表れ出ているかもしれない。表向きをなぞらえるソングライティングの影は立ち消え、より深い領域に踏み込むことをためらわなくなった。おそらくそれがシンガーソングライターをして、「より過激なアルバム」と言わしめることになった。過激さとは、表現性において、今までよりも一歩先に踏み込み、未知の領域へと差し掛かることを意味している。実際的に、それは、轟音性の強いディストーションギターに反映される場合がある。しかし、2022年頃の音楽と同様、エレクトリックギターによるサウンド・デザインの趣旨が強い。ヤーニャのギターの演奏の趣旨は、まごうことなきサウンド・デザインなのであり、それらのイメージを的確に体現させ、強調させるのが彼女自身のボーカルというわけである。

 

もうひとつ、これらのサウンド・デザインの方向性は、トラック制作全般にも適用され、ブレイクビーツを反映させたビートメイク、そして、しなるようなリズムに組み合わされるソフトな感覚を持つR&Bのテイストを加え、独立した音楽を構築していく。ヤンヤのソングライティングは、ビートを組み合わせることにより、それらにグルーヴ感を付与し、最終的に、そのグルーブにどのようなギターやボーカルを乗せるべきか、デザインやテキスタイルのような観点から幾つかの可能性を検討するという趣旨である。ゼロからイチを作り出すというよりも、複数ある選択肢からソングライターにとって最善のものを選び、それらを聞きやすく、乗りやすいキャッチーなナンバーへ昇華させる。これらは、人物的なセンスを象徴づけるだけではなく、歌手がファッション的なセンスを重視していることを表す。他の一般的なミュージシャンとは異なり、ニルファー・ヤンヤにとって音楽制作とは、自分に最も似合う服を選び、それらをデコレート、つまり装飾し、まったく想像だにしえない音楽作品へと仕上げるということである。

 

このアルバムでは、本来の自分とは別の何かを演ずることにより、別の視点から本来の自己の姿を見出すという概念的なテーマも含まれていることは事実なのだろうが、それは音楽性の基底にある肉付けのような要素、スクリプトのように内側に埋め込まれており、表面的に表れ出てくることはほとんどない。このアルバムの中に含まれているテーマやイデアは、それはもっと言えば、聞き手側がやって来るのを口を開けて待つだけでは不十分で、自分の方から近づいていかないと発見出来ないのである。つまり、より的確に言えば、受動的なポピュラーアルバムではなく、能動的なリスニングを促されるポピュラーミュージックなのである。このアルバムの真価を求めるためには、みずから、アルバムのジャングルのなかに分け入っていかないといけないかもしれない。それは、表面的な音楽の響きの奥底に、観念的なものが情念の炎のように揺らめき、その炎の幻影を、聞き手は表面的な掴みやすく親しみやすいポピュラーミュージックの渦中に発見することを意味する。つまり、ニルファーの『My Method Actor』は、ミルフィールのような構造を持った奇妙なアルバムなのである。フォークをひとつその表面に差し込むと、その先に別の何かが見出だせる。言い換えれば、音楽というページをめくるたびに、別のストーリーや局面が見つかるという、これまでにあまりなかったタイプの音楽なのである。


 

音楽的に言えば、ベッドルームポップや、エレクトリックギターの細かな演奏をコラージュのように組み合わせ、それらをトラック全体の背景となるヒップホップのビートとかけ合わせる、というスタイルが際立っている。これはしかし、何も最近生み出されたものではなく、2022年のアルバムから続いているスタイルである。ところが、『My Method Actor』では、前作アルバムよりも音楽的な選択肢が広がり、そしてアウトプットの受け皿のようなものが多くなった。それらは、序盤の流れを形づくる「Binding」、「Mutations」という2曲において、メロウでアーバンなネオソウルという形にはっきりと表れている。特に、「Mutations」は前作アルバムの収録曲ほどには派手さはないけれど、よりソングライターとして深い領域へと踏み入れたことを象徴付けている。それはオルタナティヴロック/マス・ロックのギターとネオソウルの艷やかなボーカル、及び、コーラスというフランク・オーシャンの次世代に位置づけられるポスト・ネオソウルのスタイルに立ち表れている。さらに曲の後半では、シンセサイザーによるストリングスを配置させ、R&Bミュージックの中に複数の新しい要素をもたらそうとしている。

 

別のジャンルからの引用や影響を元の自分の音楽的なスタイルとかけ合わせるというこのアルバムのソングライティングの方向性は、続く「Ready For Sun」を聞くとより瞭然かもしれない。オーケストラストリングスをシンセサイザーのシーケンスのように敷き詰め、その空間的な音の処理の中で、何が出来るのかというのが、この曲の目論見であると推測される。それはやはり、前作アルバムの延長線上にあるネオソウルとオルタナティヴ・ヒップホップの中間にある形式をとって繰り広げられる。しかし、注目すべきは、今回のアルバムでは、ヤンヤは必ずしも彼女自身の声を主体としているとは限らないということである。ときには、優雅なオーケストラストリングが前面に出てきたり、ビートがそれと立ち代わりに主体になったりと、流動的な音楽を重視している。もちろん、歌手の声がメインになることもあるのだが、必要以上にその音楽的な空間を専有するということがないのである。そしてこれは、内的な感覚の告白ともいうべき際どい感覚を持つリリックの印象とは異なり、非常に控えめな音楽的な態度を取り、主体となる音楽に対して、一歩距離を置くような姿勢を全面的に維持し続けている。いわばそういった柔軟性のある音楽性が、このアルバムに一度聴いただけでは分からない深みを付与する。

 

ニルファー・ヤンヤの音楽は、制作時の観点における難易度とは裏腹に、それほど難しくなりすぎることはない。基本的には、誰にでも親しめるようなポピュラーアルバムを制作しようとしているのは明らかで、たとえソングライターとしての視点が高い水準にあろうとも、初歩的なリスナーにも聞きやすい曲を制作することを最優先事項にしている。これは作曲家としての親切心であり、過度なサウンドエフェクトや、難解な展開を極力避けて、一貫してグルーヴ感を意識した曲構成を心がけている。これはまた、ニルファー・ヤンヤが構成的な側面に心を配りながらも、感覚的な側面を軽視しないことに理由がある。「なんとなく良い感じ」とヤンヤが言うように、理想的な音楽とは、言葉では言い表せず、また、文章にも出来ない部分があることを踏まえ、それらをしなやかな感覚を持つポピュラー・ミュージックに仕上げる。この感覚的なポピュラー、ロック、R&Bを制作する手腕にかけては、現時点のところ、このシンガーソングライターに比肩する存在は見当たらない。「Call It Love」、「Faith's Late」は、このアルバムにおいて、制作者が単に曲の寄せ集めではなく、音楽性のバリエーションを基にし、一連の流れを持つレコードを制作しようとしたことを伺わせる。そして、反面、少し意外なことに、それは同時に、名曲とまではいかないかもしれないが、良曲を輩出させる重要な契機ともなった。

 

このアルバムでは、音楽そのものが個人的な告白や軽薄なロマンチシズムに終始するのを避けている傾向がある。それでもなお、一貫して、人生の中から引き出される感覚的なものはコントロールされているが、終盤になって、それらの何かに恋い焦がれたり、理想的な人生の側面を追い求めるような、夢想的な感覚が堰を切るようにして溢れ出る。AOR(ソフィスティ・ポップ)、ヨットロック、ボサノヴァを題材にし、80年代のポップのフィルターに通した「Faith's Late」、オルタナティヴフォークをシリアスな風味を持つネオソウルとして解釈した「Just A Woman」に反映させている。これは古典的なポップやソウルをアーティストが咀嚼していることの証でもある。現代的なものを作り上げるためには、時々、過去にも目を向けねばならない。

 

現代的なサウンド・プロダクションによって、表向きには隠されているが、後者のトラックには、ザ・スプリームスのようなディスコソウルの古典的なR&Bに対する憧れが示されている。ニルファー・ヤンヤのディスコの概念とは、きらびやかなミラーボールの華やかさにあるのではなく、フロアのサイドにあるメロウでまったりとした空間なのだろうか。それはまた、このアーティストがチルウェイブに近い音楽を推していることを示唆し、表面的なオルタナティヴ・ポップの裏側にある、ヨット・ロック、AOR、あるいは、ブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーといった、複数の音楽的な文脈を浮かび上がらせる。もうひとつのギターヒーローのアーティストとしての表情は「Wingspan」に見出せる。もしかすると、性別こそ異なれ、ニルファー・ヤンヤはフランク・オーシャンの次世代の立場を担うかもしれない。時代が変わり、ソロアーティストでもバンドのような音楽を制作することは困難ではなくなっている。これは今後の音楽シーンで一層顕著になっていく可能性がある。それを受け、ソロアーティストとバンドは一体何が違うのかを示す必要がある。『My Method Actor』は、密林のカメレオンのように多彩な保護色に変化する。従来の音楽の聴き方の常識を覆すような作品。

 

 

 

88/100


 

 

Best Track 「Faith's Late」






On ‘Method Actor’, Nilufer Yanya explains how the concept for the song came about. 'I've been researching Method Acting and from what I've read, Method Acting is based on finding life-altering, life-altering memories. The reason why some people find method acting traumatic or mentally unsafe is because they always go back to that moment. There are good and bad moments, but you always feed off that energy, something that defines you. It's a bit like being a musician. Even when I'm playing, I'm trying to evoke the energy and emotion that I had when I first wrote it, in that moment. I try to try and evoke the energy and emotion of that moment, that moment in time.’

 
London singer-songwriter/guitarist Nilufer Yanya is a man of many faces. His multifaceted crossover and hybrid musicality has attracted the attention of dedicated music fans since around 2022. Then, around May this year, in what The Fader called a ‘shocking comeback’, they made their first comeback in a long time with the song ‘Like I Say (I Runaway)’.

 
The single dramatically links R&B, bedroom pop, breakbeats, rap and alternative rock (grunge) from the 2022 album ‘Painless’. The lyrics incorporate a slightly thorny lyrical expression. It signifies a deepening as a musician and a sign that he has taken a step further as a human being. This may be most evident in the album's opener ‘Keep On Dancing’. 

 

The shadows of songwriting that traced the surface have disappeared, and the band no longer hesitates to venture into deeper territory. Perhaps that is what led the singer-songwriter to call it a ‘more radical album’. Radicality means going one step further than before in terms of expressiveness and entering uncharted territory. Practically, this is sometimes reflected in the roaring distortion guitars. However, as with the music of around 2022, the aim of sound design with electric guitars is strong. The intent of Janya's guitar playing is unmistakably sound design, and it is her own vocals that embody and emphasise these images precisely.


Another of these sound design directions is applied to track production in general, with beat-making reflecting breakbeats and adding a soft feel of R&B flavours combined with sinewy rhythms to build independent music. Janya's songwriting is about combining beats to give them a groove, and then finally considering several possibilities in terms of what kind of guitars and vocals to put on top of the groove, like design and textiles. Rather than creating something from scratch, the songwriter chooses the best of several options and sublimates them into a catchy number that is easy to listen to and ride. These not only symbolise a sense of personhood, but also a singer's emphasis on fashionable taste. Unlike most musicians, for Nilufer Janja, making music means choosing the clothes that suit her best, decorating them and turning them into a completely unimaginable piece of music.


It may be true that the album also contains a conceptual theme of finding one's true self from a different perspective by playing something other than one's true self, but it is embedded inside like a script, a fleshed-out element at the base of the musicality, and rarely surfaces on the surface. It rarely surfaces. The themes and ideas contained within the album are, moreover, not enough to wait with open mouth for the listener to come to them; they can only be discovered if you approach them yourself. In other words, to be more precise, this is not a passive popular album, but popular music that encourages active listening. 

 

To find the true value of this album, you may have to wade into the jungle of the album yourself. This means that deep within the superficial musical resonance, the conceptual flickers like a flame of emotion, and the listener discovers a phantom of that flame within the superficial, easy-to-grasp, familiar whirlpool of popular music. In other words, Nilufer's My Method Actor is a strange album with a milfoil-like structure. Insert one fork into its surface and you find something else beyond it. In other words, it is a type of music that has rarely been heard before, where each turn of the musical page reveals a different story or aspect.

 

Musically speaking, the style is marked by a collage-like combination of bedroom pop and detailed electric guitar playing, which is interlaced with hip-hop beats that form the backdrop to the track as a whole. This is not, however, a recent development, but a style that has continued since the 2022 album. However, My Method Actor offers more musical options and more receptacles for output than the previous album. This is clearly evident in the form of mellow, urban neo-soul in the two tracks ‘Binding’ and ‘Mutations’, which shape the flow of the early part of the album. ‘Mutations’, in particular, is not as flashy as the songs on the previous album, but it symbolises the band's entry into deeper songwriting territory. This is evident in the post-neo-soul style of Frank Ocean's next generation, with alternative rock/math-rock guitars and neo-soul lustrous vocals and choruses. In the second half of the song, he attempts to bring multiple new elements into R&B music by placing synthesised strings.



The direction of the album's songwriting, in which references and influences from other genres are crossed with his original musical style, may be more apparent in the following track ‘Ready For Sun’. Laying down orchestral strings like a synthesiser sequence, the song is presumably intended to show what can be done with that spatial treatment of sound. It still unfolds in a format somewhere between neo-soul and alternative hip-hop, an extension of the previous album. It is worth noting, however, that on this album, Yanya does not necessarily use her own voice as the main instrument. At times, the emphasis is on fluid music, with graceful orchestral strings coming to the fore and beats taking their place. Of course, the singer's voice is sometimes the main focus, but it does not occupy the musical space any more than necessary. And this is different from the impression given by the lyric, which has a harsh sense of confession of inner feeling, and adopts a very reserved musical attitude, maintaining an overall attitude of keeping one step away from the music as the main subject. This musical flexibility, so to speak, gives the album a depth that cannot be understood after just one listen.


Nilufer Yanya's music is not overly difficult, despite the level of difficulty from a production point of view. Basically, it is clear that he is trying to produce a popular album that is accessible to everyone, and even if his songwriting perspective is of a high standard, he makes it a priority to produce songs that are easy to listen to for even the most rudimentary listener. This is a kindness as a composer, and he tries to avoid excessive sound effects and esoteric developments as much as possible, and to consistently structure his songs with a groove in mind. This is also the reason why Nilufer Janja pays attention to the compositional aspect but does not neglect the sensory aspect. As Yanya says, ‘It's kind of nice’, he is aware that there are aspects of ideal music that cannot be described in words, nor can they be put into writing, and he turns them into supple sensory popular music. At the moment, no singer-songwriter can compare to her skill in creating sensual popular, rock and R&B music. ‘Call It Love’ and ‘Faith's Late’ suggest that, on this album, the producers have tried to create a record that is not simply a collection of songs, but a series of records based on variations in musicality. On the other hand, somewhat surprisingly, it was also an important opportunity to produce good songs, if not masterpieces.
 

On this album, the music itself tends to avoid being all about personal confessions and frivolous romanticism. Nevertheless, the sensuality drawn from life is consistently under control, but towards the end of the album, a dreamy sense of longing for something of those things and the pursuit of idealised aspects of life floods in like a weir: AOR (sophisti-pop), yacht rock, and the album is a perfect example of the kind of music that is often used in the music of the late 1960s and early 1970s, Bossa Nova as reflected in ‘Faith's Late’, which takes its subject matter and passes it through the filter of 80s pop, and ‘Just A Woman’, which interprets alternative folk as neo-soul with a serious flavour. This is also a testament to the artist's mastication of classic pop and soul. In order to create something contemporary, one has to look to the past from time to time.


Although ostensibly hidden by the contemporary sound production, the latter tracks show a yearning for classic R&B disco-soul classics such as The Supremes. Is Nilufer Yanya's concept of disco not in the glitz and glamour of glittering mirror balls, but in the mellow and mellow space on the side of the floor? It also suggests that the artist is pushing music closer to chillwave, bringing up the multiple musical contexts behind the superficial alternative pop: yacht rock, AOR or black contemporary/urban contemporary. Another expression of Guitar Hero as an artist can be found in ‘Wingspan’. 

 

Perhaps Nilufer Yanya, although of a different gender, could take the place of Frank Ocean's next generation. Times have changed and it is no longer difficult for solo artists to produce music like a band. This is likely to become even more pronounced in the music scene in the future. In response, it is necessary to show what the difference is between a solo artist and a band. ‘My Method Actor’ is as diverse as a chameleon in a jungle. This is a work that breaks with conventional ways of listening to music.

 Jessie Murph 『That Ain't No Man That's The Devil』

 

 

 Label: Columbia

Release: 2024年9月6日

 

Review  

 

アラバマ州出身のジェシー・マーフは、驚くべきことに若干19歳のシンガーだ。2021年、コロンビア・レコードとレコード契約を結び、デビューシングル「Upgrade」をリリースした。現代的なシンガーソングライターと同様に、TikTokやYoutubeから登場したシンガーである。すでに彼女の楽曲「Pray」は、UKチャート、ビルボードチャート、それからカナダのチャートの100位以内にランクインしている。今後ブレイクする可能性の高い歌手と見るのが妥当だろうか。


ジェシー・マーフは、エイミー・ワインハウスのポスト世代の歌手である。喉を潰したような、この年齢からは想像の出来ないハスキーな声の性質は、むしろこの歌手の最大の強みであり、スペシャリティとも言えるだろう。そして、巧みなビブラートを駆使することによって、ハスキーな声は、人間的な奥深さや業へと変化する。そして、アラバマ出身という長所は、「サザン・ソウルの継承」という音楽的なテーマに転化し、カントリー、ブルース、R&Bを変幻自在に横断する。さながら今は亡きエイミー・ワインハウスの歌声が現代に蘇ったかのようでもあり、リリックの内容も歌手のプライベートのきわどい話題に触れている。実際的にオープナー「Gotta Hold」でのブレイクビーツに反映されているように、ヒップホップのビートからの影響も含まれていることがわかる。ソーシャルメディア全盛期に登場したシンガーと言うと、耳障りの良いライトな感じのインディーポップを思い浮かべる方もいるかもしれないが、ジェシー・マーフの音楽性はそれとは対極にあり、現代のミュージックシーンから孤絶している。マーフは、むしろ自分自身の声色のダーティーさや醜さをいとわず、米国南部的な感覚を徹底して押し出そうと試みる。それもまたワインハウスの人間的な業のようなものを引き継いでいると言える。近年のR&Bの流れに与せず、70年代のソウルミュージックのヘヴィーさに重点が置かれている。この点に、並み居るシンガーとはまったく異なる個性を見出すことが出来る。

 

ジェシー・マーフの曲は、お世辞にもきれいだとか都会的に洗練されているとは言いがたい。いや、むしろその粗削りで、どこまで行くか分からない、潜在的な凄みがデビューアルバムの醍醐味でもある。現代の歌手は、どこにいようと、インターネットで楽曲をオープンにすると、音楽ファンやレーベルに見出されてしまうが、コロンビアがこういったある意味、現代性とは対極にある古典的なR&Bシンガーに期待していることは、この名門レーベルが時代を超越するような存在、そして現代の音楽シーンを変えうる存在、さらに宣伝的なアイコンではなく、本物の歌のパワーで音楽そのものの意味を塗り替えてしまう存在を待望していることの証でもある。トラックの編集や他の楽器による脚色、ないしは、マスタリングのエフェクトとは関連のない「音楽そのものの良さ」を表現することが、2020年代後半の音楽家やアーティストの使命である。そういった重圧にジェシー・マーフが応えられるかどうかはまだ定かではない。

 

しかしながら、このデビューアルバムでポップスターとしての前兆は十分見えはじめている。もちろん、ラディカルな側面だけが歌手の魅力ではあるまい。「Dirty」では、Teddy Swimsとの華麗なデュエットを披露し、カントリーやアメリカーナ、そしてロックをR&Bと結びつけて、古典的な音楽から現代への架橋をする素晴らしい楽曲を制作している。ジェシー・マーフの歌声には偉大な力が存在し、そしてどこまでも伸びやかで、太陽の逆光を浴びるかのような美しさと雄大さを内含している。この曲こそ、南部のソウル・ミュージックの本筋であり、メンフィスのR&Bを次世代へと受け継ぐものである。そこにブルースの影響があることは言うまでもない。さらに「Son Of A Bitch」も、バンジョーの演奏を織り交ぜ、カントリーをベースにして、ロック的な文脈からヒップホップ、そしてモダンなR&Bへ、まるで1970年代から50年のブラック・ミュージックの歩みや変遷を再確認するような奥深い音楽的な試みがなされている。


ヒップホップに近いボーカルのニュアンスが披露されるケースもある。「It Ain't Right」は、背景となるソウルミュージックのトラックに、ポピュラー、ラップ、ロックの中間にある歌声を披露している。音楽としての軸足がラップに置かれたかと思うと、次の瞬間にはロックへと向かい、そしてポップスへと向かう。これらの変幻自在のアプローチが音楽そのものに開放的な感覚を付与し、聞き手側にもリラックスした感覚を授けることは疑いがない。一つの形式に拘泥せず、テーマとなる音楽を取り巻くように音楽を緩やかに展開させていることが素晴らしい。


アルバムの冒頭では、マスタリング的なサウンドは多くは登場しないが、反面、中盤にはエクスペリメンタルポップの範疇にある前衛的なポップスの楽曲が登場する。例えば、「I Hope It Hurts」はノイズポップの編集的なサウンドを織り交ぜ、シネマティックなR&Bを展開させている。また、続く「Love Lies」では、ヒップホップの文脈の中で、ロックやカントリーといった音楽を敷衍させていく。これらは、「ビルボードびいきのサウンド」とも言えるのだが、やはり聞かせる何かが存在する。単に耳障りの良い音楽で終わらず、リスナーを一つ先の世界に引き連れるような扇動力と深み、そして音楽における奥行きのようなものを持ち合わせているのだ。

 

アルバムの中盤の2曲では、形骸化したサウンドに陥っているが、終盤になって音楽的な核心を取り戻す。いや、むしろ19歳という若さで音楽的な主題を持っているというのが尋常なことではない。探しあぐねるはずの年代に、ジェシー・マーフは一般的な歌手が知らない何かを知っている。それらは、「High Road」を聞くと明らかではないだろうか。マーフはこの曲で基本的には、主役から脇役へと役柄を変えながら、デュエットを披露している。実際的に、Koe Wetzelのボーカルは、80年代のMTVの全盛期のブラック・コンテンポラリー/アーバン・コンテンポラリーのR&Bの世界へと聞き手を誘うのである。サビやコーラス、そしてその合間のギター・ソロも曲の美しさを引き立てている。何より清涼感と開放感を持ち合わせた素晴らしいポップスだ。さらに、Baily Zimmmermanとのデュエット曲「Someone In The Room」では、アコースティックギターの演奏を基にこの年代らしいナイーヴさ、そしてセンチメンタルな感覚を織り交ぜ、見事なポップソングとして昇華させている。また、マーフのボーカルには、やはり、南部のR&Bの歌唱法やビブラートが登場する。もちろん、デュエットとしての息もピッタリ。二人のボーカリストの相性の良さ、そして録音現場の温和な雰囲気が目に浮かんできそうだ。

 

 

アルバムの最終盤では、エイミー・ワインハウスのポスト世代としての声明代わりのアンセム「Bang Bang」が登場する。この曲では、自身のダーティーな歌声や独特なトーンを活かして、フックの効いたR&Bを生み出している。やはり19歳とは思えない渋みと力感のある歌声であり、ただならぬ存在感を見せつける。デビューアルバムでは、そのアーティストが何者なのかを対外的に明示する必要があるが、『That Ain't No Man That's The Devil』では、その水準を難なくクリアしている。何より、商業主義の音楽でありながら、一度聴いて終わりという代物ではない。

 

本作のクローズでは、現代のトレンドであるアメリカーナを主体とし、アラバマの大地を思い浮かばせるような幽玄なカントリー/フォークでアルバムを締めくくっている。音楽や歌の素晴らしさとは、同じ表現性を示す均一化にあるわけではなく、他者とは異なる相違点に存在する。最新の音楽は「特別なキャラクターが尊重される」ということを「I Could Go Bad」は暗示する。2020年代後半の音楽シーンに必要視されるのは、一般化や標準化ではなく、他者とは異なる性質を披瀝すること。誰かから弱点と指摘されようとも、徹底して弱点を押し出せば、意味が反転し、最終的には大きな武器ともなりえる。そのことをジェシー・マーフのデビュー作は教唆してくれる。文句なしの素晴らしいアルバム。名門コロンビアから渾身の一作の登場だ。



 

90/100




Best Track 「Dirty」




Jessie Murphのデビューアルバム『That Ain't No Man That's The Devil』はコロンビアから発売中。ストリーミングはこちらから。