カナダのウィニペグで生まれ育ったJayWood(ヘイウッド=スミス)は、2015年から自己発見と心痛の旅をユニークなソングライティングで捉えてきた。2019年に母親を亡くし、2020年を通して複数の社会的危機が発生し世界的に行き詰まったヘイウッド=スミスは、前進するための勢いに憧れていた。
ヘイウッド=スミスは、両親の死後、自分の過去や祖先とのつながりを断ち切られたと感じて、白人が多いマニトバ州で暮らす自分のアイデンティティと黒人特有の経験を理解するべく意識的に取り組んだ。現在は音楽活動の拠点をマニトバ州ウィニペグからモントリオールに移し、新たな境地を開拓しようとしている。
新作アルバム『レオ・ネグロ』は自己との再接続とアイデンティティの探求を主題に、これまでとは異なる響きを奏でる。 制御された混沌が主導権を握る意味ある変革の瞬間を刻み、実験主義者であることの真髄を哲学的に探求。これまで以上に大胆で遊び心にあふれ、真実味のあるサウンドを通じ、ジャンルを超越した多面的な世界を構築する。
「これは最も正直でパーソナルな自分だ。だが、このアルバムに臨むには、異なるバージョンの自分から書く必要があった。意図的に各曲で脳を分割したことで、単に好きなものを書き散らして意味を期待する散漫な音楽的思考よりも、むしろ一貫性が増した」
タイトルこそレオ(獅子座)だが、本質はそうではない。11の『Jays』は真実と不確実性を貪る。鋭いサンプリングと幾重にも絡み合う展開にもかかわらず、レオ・ネグロは見せびらかすことなく、脆弱性の前で咆哮する。アイデンティティ危機を乗り越える手段として、個人の絶対的な価値観を見つめながら。
「注目を欲しがるのは認める。それはどうしようもないことだ。なにしろ俺は獅子座だからね」と彼は『Pistachios』でヴィンテージ・ヒップホップのサウンドの合間に語る。子供の頃、注目の的でありたかった欲求を思い出しつつ、大人になってスポットライトから降りたことを振り返る。 「レオは自信に満ちて自己を確信しているが、このレコードは必ずしもそうではない。だからタイトルを翻訳すると『黒い自信』を喚起する。真実を歪め、内なる全てを体現する、居心地悪く奇妙でシュールな言葉なのだ」
新たな章の不快感と断絶に向き合いながら、彼は、日記のように音楽を書き綴る新たな習慣と実践で地に足をつけた。誰しもそれを感じつつも直視を恐れる感情の寄せ集めを、自らの体験を通じて克明に記録していった。
制作のペースを落としながら内省を深める中で、彼は他のミュージシャンのツアーや自然の多様な風景、ストリートアートに触れ、リック・ルービンの賢明な言葉から『アーティストの道』、エリザベス・ギルバートの『ビッグ・マジック』に至るまで、芸術家の苦境を描いた著作に触発され(二度も!)フランス語を学んだのだった。
「アーティストであるとは、芸術的に生き、呼吸することなんだ。つまり、実験し、挑戦し、失敗し、再挑戦し、それを続けることなんだ。私はそれを人生のあらゆる場面で実践する必要があると気づきました。服装の仕方から人との接し方まで。あらゆることに実験を続け、他者が共感できる自分自身の新たな側面を引き出したかった」
人生と音楽の両面で飽くなき実験を重ねるレオ・ネグロと、その初作『Big Tings』(カリフォルニアのアートポップ・デュオ、チューン・ヤーズをフィーチャー)は、2023年のEP『Grow On』や前年の洗練された前作『Slingshot』とは明確に対極に位置する。
D'Angeloを思わせる流れとToro Y Moiの質感で進むこの曲は、渦巻くシンセのきらめくイントロと遊び心のあるアプローチで、ジェレミーがパソコンのメディアプレーヤーでお気に入りの曲を巻き戻したり、スロー再生したり、早送りしたりしていた思春期へと回帰する。
「自分は現実から離れた音楽作り、世界構築するというアイデアが大好きなんだ」と彼は語る。「このレコードはポケットサイズの体験のようなものです。でも、おそらくここに根ざしたものではないかもしれない」
レコード全体に散りばめられたダイヤルアップ音で点と点を繋ぐか、DJとして自身のプレイリストに反応する客席の動きを観察するか――ジェイウッドは創造の境界を押し広げる構成要素を介して、自らの制作全般を刷新された芸術形態へと昇華させた。
音楽仲間ウィル・グリアソン、アーサー・アントニー、ブレット・ティクゾンに励まされ、スタイリストや古着好きの友人たちを起用してレオ・ネグロの美学を表現するジェイウッドの2025年の大きなテーマはコラボレーションだ。
Instagramのグリッドに輝くセッション写真の笑顔には、結束の固い音楽仲間たちの姿が映し出されている。 楽曲はウィルとアーサーのコレクター・スタジオで録音され、アイデアをぶつけ合いながらジェレミーの音響的な想像力を捕らえた。「このレコードは頭の中で起こっていることそのものだから、めちゃくちゃ多くのことが起こっているように聞こえるはずだ」と彼は語る。
「これは、あらゆるものの集大成であり、その二面性でもあります。私の中にあるすべてのメロディーやアイデンティティは、すべて私の一部であり、連携して機能している。それらはすべて現実のものであり、すべて私そのものであり、それはまさに祝賀の瞬間のように感じられる」 もちろんアートワークにも意味がある。「アルバムに近づくためにさまざまなバージョンの自分の視点から曲を書く必要があった」とジェイウッド。そして、これこそがこの作品に多角的な印象をもたらす。
カナダでいちばん権威のあるポラリス音楽賞にノミネートされたことで、臆病なライオンのように、これまで成功してきたことを繰り返して安住するのは簡単だっただろう。 しかしジェイウッドにとって、生まれ持った「もしも?」という好奇心に身を任せ、その場その場で自らの好きなようにルールを作り上げ(「そもそも最初からルールなんて知らなかった」)、安心と自信を求め、深いつながりを築くため、正直さという危険な領域へ踏み込むことこそ、彼にとって唯一の選択肢だった。何しろ彼は獅子座だ。そうせざるを得ない性分があったのだ。
『Leo Negro』- Captured Tracks
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ジェイウッドはカナダ/ウィニペグから登場したソングライターで、ヒップホップやインディーソウルを融合させ、これらのジャンルを次世代に導く。『Slingshot』では自己のアイデンティティを探求し、繊細な側面をとどめていたが、今作にその面影はない。現在の音楽の最前線であるモントリオールに活動拠点を移し、先鋭的なネオソウル/ヒップホップアルバムを制作した。ここで"ヒップホップはアートだ"ということを強烈に意識させてくれたことに感謝したい。
いくつかの楽曲からは強いエナジーとエフィカシーがみなぎり、このアルバムにふれるリスナーを圧倒する。ジェイウッドは、電話のメッセージなど音楽的なストーリーテリングの要素を用い、起伏に富んだソウル/ヒップホップソングアルバムを提供している。また、その中には、デ・ラ・ソウル、ドレなどが好んで用いた古典的なチョップやサンプリングの技法も登場したりする。
直近のヒップホップ・アルバムの中では、圧倒的にリズムトラックがかっこいいと思った。彼はこのアルバムで、トロイ・モアの系譜にあるメロディアスなチルウェイブとキング・ダビーが乗り移ったかのような激烈なダブのテクニックを披露し、ドラムンベースらベースラインを含めるダブステップの音楽性と連鎖させる。彼は次世代の音楽を『Leo Negro』で部分的に予見している。
オープニングトラック「WOOZY」はサイケデリックなプレリュードである。文字通り、ウージーでメロウなギターで始まり、深いリバーブ/ディレイのエフェクトをかけたボーカルを通して、催眠的なソウルのリスニング体験に導く。きわどいサウンドエフェクトはダブに属し、サイケソウルの領域に到達している。目のくらむような、寝る前のまどろみのような、心地よい雰囲気がヴォーカルのテイク、そして多重録音によりもたらされ、聞き手の興味を引きつける。
アルバムには古典から最新の形式に至るまで、ソウルミュージックへの普遍的な愛着が感じられ、それらはビンテージのアナログレコードのようなミックスやマスターに明瞭に表れ出ている。ギターのリサンプリング、そしてサンプル、ボーカルが混在し、サイケでカオスな音響空間を形成する。しかし、その抽象的な音の運びの中には、メロウなファンクソウルが偏在している。
「PISTACHIOS」はイントロにサンプリングとDJのスクラッチを混在させ、その後、古典的なファンクソウルのリズムを配して、乗りの良いグルーヴを作り上げる。R&Bの古典的なコーラスワークをサンプルし、その後、ジェイウッドのニューヨークスタイルのラップが披露される。リリックは都会的な空気感を吸い込んでおり、それらが前のめりのリズムに反映されている。
全体的には2000年代前後のヒップホップをベースにし、ピアノのサンプリングを織り交ぜ、ジャズの響きを作り出す。モントリオールの音楽が新しく加わり、ジェイウッドの音楽は驚くほど華麗でゴージャスになっている。実際的にジャズ和声を組み合わせながら、それをリズムと連動させ、強固なグルーブを作り出す。
ニューヨークの前衛的なヒップホップの影響を織り交ぜられ、激烈な印象を持つギターが入ることもある。これらの古典性と先進性が混在したヒップホップソングは、スクラッチの技法を挟みながら、時空の流れを軽々と飛び越えていく。これは本当にすごい。
ジェイは華麗なラップのテクニックを披露したかと思えば、ソウルフルな歌唱に変わり、スポークンワードにも変わる。トラック全体の怒涛のごとき容量は、ナイル・ロジャースに匹敵する。ネオソウルを吸収したヒップホップとして聴けるが、和音の配置や音感の良さが傑出している。特に、一つの和音をくるくると転調させて、別のフェーズに持っていく力量が天才的と言える。
「PISTACHIOS」
「BIG TINGS」は、D’angeloのゴスペルを吸収したソウルをヒップホップの領域に近づけている。 いわば、ニューゴスペルともいうべきスタイルが誕生している。コラボレーターにTune- Yardsが参加している。古典的なブレイクビーツを主体にしており、ブレイクビーツのぶっ飛び方が独創的。曲の後半では、R&Bらしい幸福感のある雰囲気を漂わせ、トリッピーな感覚が広がっていく。この曲において、ジェイウッドは、ある政治的な揶揄を込めているらしい。
「みんな気をつけたほうがいい。これから大きなことが起きると誰かが言うのを何度も聞いた。けれど、その後に続くことがないなんておかしいじゃないか。そういうことをいうためにこの曲を書いた」また、コラボレーターのTune-Yardsのガーバスは次のように説明している。「送られて来たファイル名が”BIg TIngs”だったから、”Big Things Coming, Coming Our Way”って歌ってみた。ジェイウッドにとって大きなことがやってくる」 これらの言葉は政治的な皮肉として作用するだけではなく、楽しみは自分自身で作っていくことの大切さが歌われているようだ。ジェイウッドのボーカルも素晴らしいが、ガーバスのボーカルも同様に素晴らしいエフェクトを与えている。ゴスペルの手拍子とヒップホップの普遍的なスタイルが見事なほど合致している。
インタリュード「J.O.Y」は曲間の接着剤に過ぎないかと言えば、そうではない。ジェイウッドが若い時代にサンプリングを楽しんでいた時代を思い起こさせ、それらは音楽という形態を超え、様々な感情や概念の混在という形で成立している。音楽的にはチルウェイブに近く、それが半ば夢見心地に展開される。 全般的にはサイケソウルのような抽象的な音楽がゆっくり流れていく。
「ASSUMPTIONS」は、シカゴ/ニューヨーク・ドリルに形式を受け継いだ現代的なヒップホップソング。イントロでは様々なアイディアが凝らされている。手拍子を入れたり、アフロカリブの音楽性を吸収し、民族音楽のエキゾチズムが反映されている。その後、モダンなドリルに移行していくが、ジェイウッドのボーカルは少しソウルに傾倒していて、旋律的なニュアンスをどこかに留めている。ラップスタイルは、ケンドリック・ラマーの影響が見受けられる。また、バッドバニーを筆頭とする、プエルトリコのヒップホップの影響も含まれているような気がする。
しかし、これらのライムをいかにもジェイウッドらしくしているのが、彼の繊細なエモーションとメロディーである。ドリルの後に登場するパワフルなベースラインやドラムンベースのリズムと華麗なコントラストを描いている。それらは、結局、ニュアンスに近いリリックにより、旋律的な効果を帯びる。さらに、2分49秒以降は、音楽が一瞬でトリップして、チルアウトなソウルへと様変わり。曲の後半では、南米やプエルトリコのダンサンブルなラップソングへと移り変わる。これらのエポックメイキングな曲展開は、一聴の価値があると思う。
英国/ロンドンのネオソウルからの影響もありそうだ。「GRATITUDE」はダンスミュージックの休憩時にかかるチルアウトとネオソウルの融合である。そして、グリッチやシンセポップ等のエレクトリックからの影響を交えながら、心地よいネオソウルの音響世界を構築している。このアルバムにおけるソウル・バラードとは、エレクトリックやダンス・ミュージックを反映させたもの。それらが2015年頃から培ってきたヒップホップとラップの中間にあるメロウで淡いジェイウッドのボーカルにより、まったりして落ち着いたハーモニーを作り上げている。この曲の一分後半での抽象的なハーモニーは、Samphaのような音楽性が体現されている。その後、エレクトリックやEDMのイディオムを通して、トロピカルで天国的な音楽性が形成される。
アルバムの終盤にもう一つ注目すべき曲が収録されているが、「ASK 4 HELP」も個人的にはイチオシの曲だと思う。イントロは、アブストラクトなサイケソウルだが、その後のブレイクビーツの音やリズムの運びが強烈である。感覚的なソウルやヒップホップのように聞こえるかもしれないが、論理的な構成力を誇っている。ギターのサンプリングを織り交ぜたり、チルウェイブのリズムを配して、トロイモア(Toro Y Moi)のような音楽的な構造を作り上げる。
また、アコースティックギターのリサンプリングにフィルターやデチューンをかけ、ローファイの音楽性を織り込んでいる。しかし、一方のジェイウッドのボーカルはどこまでも甘美的で、聞き手をほどよく酔わせる魅力がある。これらは、西海岸のダンスミュージックを反映させたヒップホップや、イギリスのネオソウルを巻き込み、世界的なブラックミュージックへと到達する。規則や規律をある程度は意識した上で、その規律を超える瞬間が込められている。
これぞまさにジェイウッドのソングライティングが優れているといえる理由なのだ。それは規律の中にこそ自由が見つかるというソングライターの美学を反映しているのである。そもそも、一定の規律や規則のないところに、ほんとうの自由は存在する余地がない。そして、音楽のクロスオーバーに拍車がかかり、この曲の最後ではモントリオールを象徴づけるジャズのイディオムが明確に登場する。ウッドベースの響きがラップと心地よく溶け合っている。
「ASK 4 HELP」
「PALMA WISE」は、内省的なヒップホップ/ネオソウルとして聴きいらせる。しかし、ナイーブな印象が従来の曲では少し弱点となっていたが、この曲ではそういった弱々しさは微塵も感じられない。本作の副次的なテーマと呼応するように多角性とパワフルな印象を擁している。ネオソウルのコーラスワークを取り入れたこの曲は、現代的なヒップホップの模範例とも言える。2分後半以降の女性コーラスは従来のジェイウッドの作品にはなかった陶酔感、そしてソウルミュージックとしてのスピリットを復刻していて、このジャンルの音楽の魅力を見事なまでに体現させている。
「DSNTRLYMTTR」は80年代のダンスミュージックやディスコを引用し、それを現代的なリズム感を持つダンスミュージックにアップデートさせている。これらのサンプリングの抜群のセンスや技術の高さもまた、アルバムの一つの魅力となるはずだ。
「UNTITLED」ではデジタル社会やSNS時代の人間のコミュニケーションの危険性について警鐘が鳴らされる。「この曲は私達と携帯電話の関係やそれが生み出す誤ったつながりについて歌っている。私たちは心のどこかで本物のつながりを求めていて、エネルギーや時間を費やし、友達のいるとこへ行こうとしている」という。 この曲は、本格派のゴスペルタイプのR&Bで、「太陽の下で私を愛しているといわないで/まるであなたがだれかに時間を作るかのように/あなたはフィードに隠れることはできない」と歌われている。ゆったりとしたドラムのビートが刻まれる中、ジェイウッドは根本的な交流の重要性を訴えかけるべく、心温まるような歌を披露している。曲はだんだんメロウさを増していき、顕在意識を離れて、潜在意識へと迫っていく。
クローズ曲「SUN BABY」は、ジェイウッドが言うところの''様々な自己''が的確に反映されている。ロック風のギター、ノーザンソウルからサザンソウルまでを飲み込み、それらを現代的なフィルターで通し、途中のコーラスの箇所では、ドラムの迫力のあるテイクを交え、迫力のあるボーカルをジェイウッドは披露している。それは多彩なブラックミュージックを融合させる傍ら、その根源的な意味を探るかのようである。
この曲において、ジェイは部分的には、これまで親しんできた音楽家に居並ぶように力感のあるボーカルを歌っている。いかなる前衛的な形式も以前の音楽なしでは成立しえない。ジェイウッドは、旧来の系譜を踏まえた上で、それらの常識を破り、臨界点を突破する。常識を破るときには、前例や規則を放棄するという意図が必要となるが、それを実際にやるためには、決意の力が試される。さらに、付け加えると、ジェイウッドは、多角性の観点から全体を見事にまとめ上げた。そのさい、論理思考が作品に一貫性を付与したのは言うまでもない。
ジェイウッドは、この曲で自分の力を信じきり、既存の扉をぶち破り、革新的な領域へと到達している。しかし、さまざまなアイデアを自分の力で試したりする中、強大なカオスに飲み込まれまいとするアーティストの姿も見い出せることは明らかである。様々な音楽性が錯綜し、混沌とする中、アルバムの最後にアーティストの代名詞となるメロウなR&Bへと回帰している。
ジェイウッドは多様な文化性に影響を受けつつ、あらゆる未知の可能性を試しているが、時代に翻弄されず、自己を見失わない。これが、ジェイウッドを真のアーティストたらしめている理由なのだ。性別、年齢、時代を問わず、その人がすべての偽りを遠ざけ、まことにその人であろうとする時、人生の中で最も輝かしい瞬間を獲得する。
90/100
Best Track-「SUN BABY」
▪JayWoodのニューアルバム『Leo Nego』 は本日、Captured Tracksから発売。ストリーミングはこちら。
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