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JPEGMAFIAとDanny Brownがコラボレーション・アルバム『SCARING THE HOES』を拡張し、「DLC PACK」と名付けた4曲入りの特別版のEPをリリースした。この作品はビデオゲームからヒントを得て制作された。現在、アップル・ミュージックまたはスポティファイ、バンドキャンプでストリーミング出来る。各種ストリーミング/EPのご購入はこちらからどうぞ。


Youtube版も公開されていますが、年齢制限が設けられているため、18才未満はご視聴をお控え下さい。ご視聴はYoutubeの下記の公式リンクより。


オリジナル・アルバム同様、『SCARING THE HOES: DLC PackはJPEGMAFIAによって制作された。

 

オープニング・トラックの 「Guess What Bitch, We Back Hoe!」はアップテンポでクラブ・テイストのプロダクションだ。「Hermanos 」はデュオのシャープなフロウとは対照的なゴージャスなヴォーカル・サンプル。「Tell Me Where to Go」はソウル・フリップを取り入れた驚くほどレイドバックした曲。エンディング曲「No! ー」では、壮大なクワイア・サンプルが、"Bitch, I ain't Baby Keem, My cousin ain't gave me shit "のようなJPEGMAFIAの小粋なパンチラインと見事に合致している。曲を締めくくるため、ブラウンは率直な話し言葉のアウトで、"囚われの身のような気分で、逃げ出したい/晴れの日は憂鬱だから、雨の日を祈る "と自らの繊細さを告白している。

 

 

マーク・リンカスの遺作となるSparkle Horseのアルバム『Bird Machine』が9月8日に発売される。

 

スパークル・ホースはアルバムからの2ndシングル「The Scull of Lucia」を公開した。これはアルバム発表と同時に発表された「Evening Star Supercharger」に続くシングルである。このアルバムはマーク・リンカスの遺族が偶然、生前の音源を発見したことで発売されることになった幻の音源で、また、彼の家族が音楽的な遺産を引き継ぎ、それを完成させるアルバムでもある。

 

「The Scull of Lucia "の最初の数秒から、私は違う時代に連れて行かれた」とバード・マシーンのミックスを担当したプロデューサーのジョエル・ハミルトンは述べている。

 

「ペース、サウンド、声の全体的な質感。すべての音が声と歌詞を支えているようだ。メランコリーの海を渡る、おんぼろイカダに浮かんだ世界の重みを感じるんだ」


マットとメリッサは、スパークルホースと仕事をしたことがあり、マークのことを深く思っている。マットとメリッサと一緒に『バード・マシーン』をプロデュースしたアラン・ウェザーヘッド、レコードのミックスを担当したジョエル・ハミルトン、最終の共同マスタリングを担当したグレッグ・カルビを含むミュージシャン・チームと、今度のアルバムを作るために協力した。


「The Scull of Lucia」


 

Courtney Barnett

オーストラリアのSSW,Courtney Barnett(コートニー・バーネット)が、インストゥルメンタル・アルバム「End Of The Day」をMom +Popより9月8日にリリースすると発表しました。元々は即興演奏から始まったこのアルバムは、ステレオタイプな曲の構成では得られない雰囲気や質感を探求している。


前作アルバム『Things Take Time,Take Time』でインディーロックアンセムを作り出した後、同じく2022年に複数の米国のインディーロックアーティストとのライブ企画『Here And There』を実現させた。このライブ・イベントは、アーティストが中心となってキュレーションされ、スリーター・キニー、オールウェイズ、ジャパニーズ・ブレックファースト(ミシェル・ザウナー)、ルーシー・ダカス、ワクサハッチー、インディゴ・デ・ソウザ、スネイル・メイル、ベス、キャロライン・ローズ、ウェット・レッグ、ジュリア・ジャックリン、リド。ピミエンタ、バーティーズ・ストレンジ、フェイ・ウェブスタ等が参加した。世界のインディー・ロックのカリスマが参加した。ハンドメイドの企画ポスターも目を惹くものがあった。



2021年5月、コートニー・バーネットとコラボレーター/プロデューサーのステラ・モズガワは、バーネットのサード・アルバム『Things Take Time, Take Time』の最終マスターを提出した時、メルボルンのスタジオで映像作家のダニー・コーエンと出会った。バーネットは新しい機材を試し、一人の聴衆のために瞑想的な長編作品を作った。ステラ・モズガワはオーバーハイムOB6を購入したばかりで、テープ・エコーを通して音を送る彼女のセットアップの中心となった。バーネットが世界的なインディー・ロックの寵児となるまでの苦難と苦闘の末の個人的な勝利を率直に描いたドキュメンタリー『アノニマス・クラブ』が完成間近だった。あとは楽譜が必要だったのだ。



その日、コーエンがフィルムの最終編集をする中、バーネットとモズガワはひとつの指針を掲げて即興演奏を行った。『アノニマス・クラブ』では、バーネットの音楽が提供され、彼女のライブ・セットや、スタート・アンド・ストップ・アンド・サーチ・ソングライティング・プロセスが記録されている。しかし、彼女とモズガワがその日、作った作品は、完成したシーンの端々に浮遊し、コーエンの16ミリフィルムの粒子のように画面を彩っていた。『アノニマス・クラブ』を見ても、バーネットがそのために特別な音楽を作ったものとは予想だにできないだろう。


それから1年が過ぎ、コットニー・バーネットはメルボルンで彼らが作った作品を聴くのが好きなことに気づいた。これは映画のインストゥルメンタル音楽以上のものかもしれない。彼女はパズルのピースのように、小さなインストゥルメンタルの数々を整理し、それらが完全で説得力のある構図に収まるまで、調整していく方法を考案した。結果、彼女が現在『エンド・オブ・ザ・デイ』と呼ぶ、17のインストゥルメンタル・インプロヴィゼーションから構成される作品が誕生した。シームレスな一連の作品に収録されている多くが、このドキュメンタリー映画から生まれている。しかし、これはアートのコラージュとしてのサウンドトラックであり、過去の出来事を並べ替えたり、再構築することによって、私たちが誰であったのか、そして、私たちが何になる可能性があるのかについての異なるストーリーを形成し、共有する内容となっている。


アルバムの最初のティーザーである「Start Somewhere」「Life Balance」「First Slow」を同時収録したクラリー・ヴォーゲル監督による映像とともに公開された。下記よりチェックしてみて下さい。

 

 

 「Start Somewhere/「Life Balance」/「First Slow」

 



4ADは、イギリスの幻のシューゲイザー/ドリームポップバンド、Lushの3作のスタジオ・アルバム『Spooky』、『Split』、『Lovelife』を8月11日に再発する。

 

バンドのフロントパーソン/ヴォーカリスト、ミキ・ベレーニは、ハンガリーと日本人のハーフ。彼女はバンドを結成する以前、ロンドンの大学で英文学を専攻していた。バンドはRIDEとともにUKのオルトロックシーンの一角として90年代に活躍した。バンドはこの数年間で、『Gale』(90年)、『Spooky』(92年)、『Spilit』{94年)、『Lovelife』{96年)、『Topolino』{96年)の4作のアルバムを発表した。96年、メンバーのクリスが自殺をし、翌年、Lushは解散することになった。その後、ミキ・ベレーニは元ウィーザーのマット・シャープのレンタルズの作品に参加している。バンドは2015年に再結成し最終ライブを行った。

 

2023年現在の4ADの幅広いレーベルのラインナップからは想像できないが、当初このレーベルには、Cocteau Twins、Pale Saints、LUSHを含め、秀逸なドリーム・ポップ/シューゲイズバンドが活躍し、インディーズシーンを牽引した。無論、オルタナティヴロックバンドとしては米国/ニューポートのThrowing Musesもレーベルの歴史を作った最重要バンドの一つに挙げられる。

 

90年代以来、入手不可能だったLUSHの再プレス盤は、レーベルのドリーム・ポップ/シューゲイズの音楽性に再度脚光を当てる内容と言っても差し支えないだろう。エンジニア兼プロデューサーのケヴィン・ヴァンバーゲンのオリジナル・テープからリマスターされて発売が決定した。

 

『Spooky』と『Split』はオリジナル・アートワークをそのままに、『Lovelife』は2016年のボックスセットのアートを使用し、1996年のオリジナル・プレス専用の印象的な集合トレーシング・ペーパー・スリーブをそのまま残して発売される。

 


「Hypocrite」

 

 


Spooky


 



 

A1. Stray


A2. Nothing Natural


A3. Tiny Smiles


A4. Covert


A5. Ocean


A6. For Love


B1. Superblast!


B2. Untogether


B3. Fantasy


B4. Take


B5. Laura


B6. Monochrome

 


『Split
』

 



 

A1. Light From A Dead Star


A2. Kiss Chase


A3. Blackout


A4. Hypocrite


A5. Lovelife


A6. Desire Lines


A7. The Invisible Man
B1. Undertow


B2. Never-Never


B3. Lit Up
B4. Starlust


B5. When I Die



『Lovelife
』



 

A1. Ladykillers


A2. Heavenly Nobodies


A3. 500
A4. I’ve Been Here Before


A5. Papasan


A6. Single Girl


A7. Ciao!


B1. Tralala


B2. Last Night


B3. Runaway


B4. The Childcatcher


B5. Olympia






Lush  Biography(Wikipediaより)
 
 
 イングランドのクイーンズカレッジで、14歳だったハンガリー人と日本人のハーフであるミキ・ベレーニと、エマ・アンダーソンが知り合う。
 

1988年にロンドンのPolytechnic Universityで英文学を勉強していたミキは、そこでクリス・アクランドとスティーヴ・リッポン、メリエル・バーハムと知り合い、エマと一緒に「The Baby Machines」というバンドを結成する。



 

エマの友人であるケヴィン・ピカリング (Kevin Pickering)がバンドを「ラッシュ (Lush)」と命名する。1988年の3月に最初のライブを行い、プレスから好意的な評価を受けた。しかし、当時ボーカルだったメリエルが脱退してペイル・セインツに加入したため、代わりにミキがボーカルを取ることになる。
 

1989年に4ADと契約して、ジョン・フライアー (John Fryer)のプロデュースで6曲入りミニアルバム『Scar』をリリースする。翌1990年、コクトー・ツインズのロビン・ガスリーによるプロデュースでシングル「Mad Love」をリリースし、続けてティム・フリーズ・グリーンのプロデュースで「Sweetness and Light」をリリースする。また、これまでの3つのリリースの曲をまとめた編集盤『ガラ』がアメリカでリリースされる。このタイトルは、画家のサルバドール・ダリの妻ガラ・エリュアールの名前から取っている。 
 

1991年にはライドと共にアメリカ・ツアーを行う。同年末にスティーヴが小説を書くことに専念するために脱退し、代わりに元『NME』誌の記者であるフィル・キングが加入する。1992年、ロビン・ガスリーのプロデュースでファースト・アルバム『スプーキー』をリリースし、全英アルバムチャートで7位に入るヒットとなる。
 

1994年、マイク・ヘッジ (Mike Hedges)のプロデュースとアラン・モウルダーのミックスによるセカンド・アルバム『スプリット』をリリース。また、同時に『Hypocrite』と『Desire Lines』の2枚のEPをリリースする。
 

1996年、最後のアルバムとなる『ラヴライフ』をリリースする。シューゲイザー的なサウンドは薄れ、パルプのフロントマンであるジャーヴィス・コッカーが参加するなど、当時流行していたブリットポップの影響を受けた作風に変化し、全英アルバムチャートで8位に入っている。



同年10月、クリスが実家で首を吊って自殺。残されたメンバーは長い間悲嘆に暮れ、翌1997年2月に解散(公式に解散が宣言されたのは翌年2月)

 


解散後、ミキは、レンタルズのアルバム『セヴン・モア・ミニッツ』や、コクトー・ツインズのサポートメンバーだったタテ・ミツヲのソロユニットFlat7の『Lost in Blue』にゲストとして参加している。エマは、リサ・オニール (Lisa O'Neil)とSing-Singを結成する。フィルは、ジーザス&メリーチェインに参加している。
 

2015年、20年ぶりに再結成を発表。翌年5月6日にロンドンのラウンドハウスにて、再結成後初ライブを行った。ドラマーには元エラスティカのジャスティン・ウェルチが参加した。10月18日にベースのフィル・キングが抜け、モダン・イングリッシュのマイケル・コンロイのベース演奏による最終ライブを11月25日にマンチェスター・アカデミーで行った。


Tycho

 

Tychoが「Time To Run」を7月10日にリリースした。このニューシングルでは、スコット・ハンセンがドラムのケーリン・エリス、ミキシングにグリズリー・ベアのクリス・テイラーとコラボレーションしている。

 

当初、エレクトロニック・プロデューサーとして活躍してきたサンフランシスコのプロデューサー、Tyco(ティコ)ではあるが、近作では、ロック的なアプローチを取り入れるようになっている。これらの成果は、「Epoch」、「Simulcast」、「Awake」等の代表作で発揮されることになった。また、Saint Sinnerをゲストボーカルに迎えた「Weather」は、ティコのキャリアの中で最もオルタネイトな作品として聴き逃がせない。ティコらしいチルアウト/ダウンテンポの清涼感あふれる音楽性は最新曲でも健在だ。監督のパトリック・エルモアが制作したビデオは以下よりご視聴下さい。


「音楽は、創作を始めるずっと以前から、僕にとって瞑想のような役割を果たしてきた」スコット・ハンセンはコメントしている。「幼い頃、競技ランナーだった私は、レースのストレスに対処するため、頭の中で曲のループを再生していた。”走る”という瞑想的な練習を通して、私は独特の明晰さを見出した。「Time To Run」は、このような考えを音楽に置き換えた私の試みなんだ」

 

 

「Time To Run」


ギタリストのザック・ブラウンは声明の中で、「『Time To Run』は、プロセス的に私が想像していた通りの作品だ」と述べている。「スコットは、よりきれいで控えめな雰囲気だった最初のギターのアイディアを、スピードアップしてギターにサンプル・ベースの処理を施し、スタッカートのシンセ・ベースも加えて、このトラックを超ファンキーで弾むような内容にしたんだ」


「Time to Runのビデオは、僕が走ったクロスカントリーの大会を題材にした自伝的なものなんだ。例えば、クロスカントリーのレースは、とても孤独なものだろう? スタート地点には観客、コーチ、関係者がいるけれど、レースが始まるやいなや、他のランナーに対して自分一人しかいない森の中に消えていくじゃないか。その瞬間の強烈なプレッシャーと圧倒的な肉体的ストレスは、ただ走り続けて後ろを振り返りたくない気持ちにさせる。つまり、この物語は、他者からの期待を手放して、自分自身の平穏と充足感を見出すことをテーマにしているんだ」


Tychoの最後のアルバムは2020年の『Simulcast』。2021年7月には、デス・キャブ・フォー・キューティのフロントマン、ベンジャミン・ギバードと「Only Love」という曲でコラボしている。

 



スウェーデンのガレージロックバンド、The Hivesは、多忙なコンサート・スケジュールと『The Death of Randy Fitzsimmons』と題された次作となるアルバムのサードシングル『Rigor Mortis Radio』をリリースし、最近のステージ復帰のイメージをまとめたビデオクリップを添えている。中には過去のグラストンベリー・フェスティバルの映像も収録されている。

 

ハイヴズは、ストロークス、リバティーンズ、キングス・オブ・レオン等、ロック・リヴァイヴァルの時代に登場し、シンプルなロックンロールで観客を魅了してきた。彼らは改めてロックバンドとして大人に成長することを拒否し、純粋なロックバンドであることを表明付けている。

 

このグループの楽曲は、”ランディ・フィッツシモンズ”という謎のスヴェンガリによって書かれたと長い間言われてきたが、都合よく一度も一般人の目に触れることはなかった。そして、最近になって、そのフィッツシモンズが "死んだ "らしく、ハイブスは彼の墓を探し回っていたところ、偶然、デモ音源を発見し、『ランディ・フィッツシモンズの死』というタイトルにふさわしいアルバムに仕上げた(と言う設定となっている)。


ザ・ハイヴスの10年以上ぶりとなる待望の復活作『The Death of Randy Fitzsimmons』は8月11日にFUGAからリリースされる。

 

これまでにバンドは、「Bogus Operandi」「Countdown To Shotdown」で新作アルバムのプレビューを行ってきた。これまでの先行シングルは、三作ともにオルタネイトなロックは一つもなく痛快なほどのど真ん中のロックを展開している。最新シングルはバンドの友情や結束力を感じさせる内容となっている。

 

 「Rido Mortis Radio」

 


ハニア・ラニは、2019年にゴンドワナ・レコードからピアノ独奏曲集「Esja」をリリースして以来、話題を呼んでいる。


セカンド・アルバム「Home」をリリースしたラニは、ヴォーカルと繊細なエレクトロニック・サウンドを音楽に取り入れ、彼女の音域は年々進化している。彼女はまた、いくつかの曲でベーシストのジーモヴィット・クリメックとドラマーのヴォイテク・ワーミジャックの助けを借りている。10曲入りのレコーディングには、パトリック・ワトソン、オラファー・アーナルズ、ダンカン・ベラミーが特別ゲストとして参加している。



『Ghosts』では、ゼロから何かを始めたいと思い、馴染みのないツールや物語を選んだ
『Ghosts』は、生と死、光と闇、現実と非現実についての物語だ。究極の特質に触れ、私自身の神話を作り上げようとする試みであり、恐怖に直面し、私を怖がらせ、同時に無意識のうちに私を誘惑するものに深く潜り込むことでもある。これらすべてを集め、過去、現在、未来をミックスして、私の新しいサウンドに仕上げた。


サード・アルバム『Ghost』からのリード・シングルである「Dancing With Ghosts」は、ラニのサウンドをさらに拡大させた魅惑的な作品だ。彼女の幽玄で落ち着いたソングライティング・スタイルのショーケースだ。トラックは、パトリック・ワトソンのハスキーなトーンと繊細なピアノのメロディーが絡み合う中、彼女の妖艶なヴォーカルを中心に構成されている。

 

「Dancing With Ghosts」


全13曲収録のこの作品には、オラファー・アーナルズとダンカン・ベラミーもゲスト参加している。


「Ghost」は10月6日に発売される。


Hania Rani  『Ghosts』


Label: Gondwana

Release: 2023/10/6


Tracklist:

 

1.Oltre Terra

2.Hello

3.Don't Break My Heart

4.24.03

5.Dancing With Ghosts

6.A Day In Never

7.Whispering House

8.The Boat

9.Moans

10.Thin Line

11.Komeda

12.Utrata

13.Nostalgia


 

Squid

 

先日、最新アルバム『O Monolith』をリリースしたばかりのロンドンのポストパンクバンド、Squidの来日公演が決定しました。

 

クリエイティヴマン(BEATINKが協力)が企画する本公演は、11月27日(月)に東京の渋谷WWWX、28日(火)には京都メトロで開催されます。Squidは昨年、Summer Sonicで公演を行っており、約一年ぶりの来日となります。ロンドンの気鋭のポストパンクバンドの公演を見逃すことが出来ません。公演の詳細につきましては、クリエイティヴマン公式サイトをご覧下さい。

 

 

・11月28日(Mon) 渋谷WWWX

 

開場: OPEN 18:30 / START 19:30


チケット:¥7,000-(税込/All Standing/1Drink別)


チケット先行販売:クリエイティブマン 3A 会員先行


期間:7/12 (水) 15:00〜7/14 (金) 18:00
クリエイティブマン モバイル 会員先行
期間:7/12 (水) 18:00〜7/14 (金) 18:00


・11月29日(Tue) 京都メトロ


開場:OPEN 18:30 / START 19:30

チケット:¥7,000-(税込/All Standing/1Drink別)

 

チケット先行販売:

クリエイティブマン 3A 会員先行
期間:7/12 (水) 15:00〜7/14 (金) 18:00
クリエイティブマン モバイル 会員先行
期間:7/12 (水) 18:00〜7/14 (金) 18:00



オジー・オズボーンは、今年10月にカリフォルニア州インディオで開催される予定されていたアメリカのフェスティバル、Power Tripでのパフォーマンスを "痛みを伴う "決断を下したと語った。


74歳のイギリス人ロッカーは、カリフォルニア州インディオで開催されるパワー・トリップ・フェスティバルの出演オファーを受けてから「楽観的」であったが、ショーが「中途半端」なものになるのは避けたかったと語った。


オズボーンは10月7日、AC/DCとともにこのフェスティバルのステージに立つことになっており、他にもガンズ・アンド・ローゼズやアイアン・メイデンなどが出演する予定だった。


月曜日にソーシャルメディアで発表された声明の中で、彼はこう語っている。「辛いことですが、10月のパワー・トリップへの出演を断念せざるを得なくなりました。辛いことですが、10月のパワートリップの出演を辞退する決断をせざるを得ませんでした。当初の予定では、2024年の夏にステージに復帰するつもりだったし、このショーのオファーが来た時には、楽観的に前へ進んでいた。残念ながら、僕の体は...」


当初の計画では、2024年の夏にステージに復帰するつもりだったが、このショーのオファーが来た時、楽観的に前に進んだ。


「残念なことに、私の体はまだ準備が整っていないと言っているし、約5年ぶりに行うショーが中途半端なものになるのは、あまりにも誇らしいことではない」


オズボーンは、パワー・トリップ・フェスティバルでの彼の代役はまもなく発表されると語った。


「彼らは私の個人的な友人であり、皆さんが失望することはないと約束できます。そして、「何よりも、無条件の忠誠心と継続的なサポートをしてくれたファン、バンド、クルーに感謝したい。みなさんを愛しています。


私の当初の計画では、2024年の夏にステージに戻るつもりでした。そして、このショーのオファーが来たとき、私は楽観的に前に進みました。残念なことに、私の体はまだ準備が整っていないと言っているし、約5年ぶりに行うショーが中途半端なものになるのはあまりにも誇らしい。


オズボーンは2月、大規模な脊椎手術の後、移動に体がもたないため、「今のところ」ツアーを休止すると発表した。


2019年、彼は自宅で転倒し、2003年に四輪バイクで瀕死の重傷を負った際の傷が悪化したため、ヨーロッパとイギリスでの『No More Tours 2』公演を中止した。


このツアーは過去4年間、病気やコヴィッド・パンデミック、ロジスティクスの問題で何度も延期されていた。


オズボーンは、13枚目のソロ・アルバム『Patient Number 9』で最優秀ロック・アルバム賞を、ブラック・サバスのバンドメイトであるトニー・アイオミをフィーチャーしたシングル『Degradation Rules』で最優秀メタル・パフォーマンス賞を受賞した。


プリンス・オブ・ダークネスは、ガンズ・アンド・ローゼズ、アイアン・メイデン、AC/DC、メタリカ、ツールとともに、このフェスティバルの第1回目に出演する6組のパフォーマーの一人だった。オズボーンは、AC/DCがブライアン・ジョンソンと共に2016年以来のステージ復帰を果たした後、第2夜(10月7日)の最後を飾る予定だった。


このフェスティバルは、オズボーンにとって2018年以来のソロ・ライブとなるはずだった。しかし、声明によると、レジェンドは現在進行中の健康上の闘いにより、フェスティバルを辞退することになったという。


「残念なことに、私の体はまだ準備が整っていないことを教えてくれているし、約5年ぶりに行うショーが中途半端なものになるのはあまりにも誇らしい。私の後任としてPower Tripに参加するバンドはまもなく発表される。彼らは私の個人的な友人であり、あなたが失望することはないと約束できる」


何よりも、無条件の忠誠心と継続的なサポートをしてくれたファン、バンド、スタッフに感謝したい。


みなさんを愛しています。


神のご加護を」


オジー

 Julie Byrne   『The Greater Wings』

Label: Ghostly International

Release: 2023/7/7

 

Review

 

「The Greater Wings」の音楽は古典的なフォーク・ミュージックを踏襲しつつも、その中には米国の雄大な大地へのロマンに満ちている。それはニューヨークからみた自然の雄大さへの賛美とも考えられる。そして、そのロマンチシズムは前作「Not Even Happiness」よりも深みを増し、このアルバム全体の印象を形作っている。前作において、個人的な感慨を歌っていたバーンは、この最新作では、前作の作風を敷衍させ、忍耐と決意、喪失の寂寥感、再生の活力、喪失の寂寥感、再生の活力、そして永遠に変わって立ち上がる勇気等、多彩な感情を込めようとしている。少なくとも、このアルバムでは、アーティストが伝えたいことが明確で、それを忠実なフォーク/カントリーという形で丹念に歌やトラックとして紡いでいったような様子が伺える。

 

ジュディ・バーンの歌は素直で、それほどオルタネイトを加えようとしていない。だからこそ、オープニングを飾るタイトル曲「The Greater Wings」は、一般的な音楽ファンの心を捉える可能性を秘めている。繊細なアコースティック・ギターに合わせて歌われるジュリー・バーンの歌声は、海の風景などへの賛美が込められている。ストリングスや管楽器のささやかな音色で強化され、その深度を増していく。途中からは映画的な音楽効果が表れ、この曲のドラマ性を引き立てている。ジュディー・バーンのボーカルは繊細な感覚とそれとは正反対のダイナミックな感覚を持ち合わせており、バックトラックのオーケストラに支えられて実際に羽ばたいていくかのような雄大さに満ちている。アウトロの指弾きのギターは、ほろりと涙を誘うような深い情感が込められている。アルバムのオープニングとしては理にかなった楽曲で、その後に続くフォークミュージックのストーリー性への興味を掻き立てる働きをなしている。

 

続く、「Portrait of Clear Day」で、バーンはより古典的なフォーク/カントリーの時代への憧憬を交える。しかし、この曲では、個人的な日常が主に歌われていると思われるのに、一曲めと同様に雄大な自然を感じさせる。それは何か草原の上を爽やかに駆け抜ける涼風を思わせ、また都会生活での忙しない瞬間を忘却させる力を備えている。カントリーのトロットのリズムを踏襲したギタープレイを披露しているが、彼女のフィンガーピッキングは繊細でありながらダイナミックな効果を及ぼし、さらに曲の流れをスムーズにしている。ジュリー・バーンの歌声はそれらの中音域の音塊の上を行き、それらの中空を軽やかに飛び抜けるような清々しさが込められいる。また、シャロン・ヴァン・エッテンのような形式のポピュラー音楽とフォーク音楽の融合を本曲には見い出すことが出来、低音部のギターホールの音響がバーンの歌の情感を引き立てている。曲の後半では、カントリー/フォークからポピュラー・ソングのサビのような展開へと移行する。これは聞き手にわかりやすい形で音楽を提供しようという制作者の意図も伺える。そして実際にその試みは成功し、後半ではアンセミックな響きを帯びるようになるのだ。


これらの2曲で一般的なリスナーの期待に応え、さらに本作の音楽世界を後の曲を通じて深めていこうとする。ジュリー・バーンのセンチメンタルな感慨を込めた「Moonless」は月のない夜の憂いを歌ったものか、少なくとも素朴な感情に彩られ、ほんのりした切なさとしてわたしたちの聴覚を捉える。途中から加わるピアノのフレーズはそれらのエモーションをさらに引き立て、切なげな雰囲気を及ぼしている。バーンの描き出す世界は、その入口にいると、舞台の書き割りのようにも見えなくもないが、その入口に入っていくと、奥深い迷宮のような空間が続いている。それはアーティストのアコースティックギターとボーカルの導きにより、果てない深層の領域へと続いていく。ちょっとした圧力で毀たれてしまいそうな脆さのあるボーカルは、アーティストの悲哀を柔らかい感覚として伝えようとしたとも取れる、実際、中盤から終盤にかけてのセンチメンタルなボーカルは、そういった感情の中に聞き手を惹き込むような力をしっかりと備えている。曲はアンビエントのような静かな展開がメインとなっているが、バーンの歌が入り、またストリングスのアレンジが加わるや否や、その雰囲気がガラリと一変し、堂々たるポピュラー音楽へと表情を変化させ、表向きの印象と裏側の見えない印象の差異を曲の展開の中で巧みに織り交ぜている。また、曲の終盤では、ロマンチストとしてのアーティストの人物姿が垣間見える。


古典的なフォーク/カントリーの他にも現代的な音楽性が内包されるのも本作の重要なポイントとなるだろう。

 

続いて、「Summer Glass」はシンセサイザーのアルペジエーターを駆使し、シンセポップに近い領域へと進んでいく。曲の序盤まではエクスペリメンタルポップを想起させるものがあるが、中盤からはこのアーティストらしい古典的な作風へと引き継がれていき、それはやはりストリングスのレガートの重なりの後、予想しない形でダイナミックなバーンの歌声が現れ、力強いポップソングへと変容していく。前曲と同様に、一曲の中で意外性のある展開力を見せるが、これこそジュリー・バーンのクリエイティヴィティの豊富さを象徴付けている。そして曲の最後では中盤に姿を消していたシンセのアルペジエーターが再度出現し、驚きを与える。それは驚きを与えるのみならず、ダイナミックなエンディングを演出しようという狙いがこういった形になっている。これは、荘厳な雰囲気とまではいかないものの、アルバムの前半にはなかった神秘性が立ち現れた瞬間でもある。更に、続く「Summer End」は、連曲として夏の記憶を少し可愛らしさのあるシンセで表現しようとしている。本作の中で最初に登場インストウルメンタル曲で、シンセのマレットを中音域のモジュラーシンセと対比させることによって、涼し気な効果を与えている。夏の暑い季節に爽やかさをもたらすアンビエント風のトラックとして楽しめる。


「Lightning Comes Up From The Ground」では、アルバムの序盤のフォークとポップスの癒合というこの音楽家の主要な形式へと回帰する。しかし、前二曲の変則的な曲を聴いた後ではアルバム序盤と同じような作風もまったくそのインプレッションが異なり、結果的に新鮮な印象をもたらす。 上記の曲のように、この曲でも、ジュリー・バーンの歌声は中空を彷徨うような抽象性があり、それは実際に心地よい感覚を与えている。 そしてディランのように淡々と歌われるボーカルは稀にシンセの効果により、その印象をわずかに様変わりさせる。曲の中盤から後半にかけては緩急のある展開を織り交ぜながら、最終的な着地点を探ろうとしている。結果的に、抽象的な音像から最後にはアコースティックギターのフレーズが背後から不意に浮かびあがり、ジュリー・バーンの抽象的なボーカルと合致した瞬間、また、一方の音が他の音の休止により出現することで、何らかの化学反応のような瞬間も訪れることに驚かずにはいられない。そして、その最後には、その複雑な音の渦中からシンプルで素朴なバーンの歌声がスッと浮かび上がる。これは周りにある障害物が取り払われ、主役がバーンのボーカルであることを強く印象付けている。そしてアウトロでは、ストリング、シンセ、ギターが一体化し、バーンの歌声をさらにドラマティックかつダイナミックに演出する。アルバムの中のハイライトはこの曲のクライマックスに訪れる。

 

本作の終盤に収録されている「Flare」では、しっとりとしたフォーク音楽で聞き手の聴覚をクールダウンさせる。それほど真新しいとも言えないけれども、この10年来、アーティストが探求してきた感情表現としてのフォーク音楽の一つの到達点にたどり着いた瞬間である。それはシンプルで極力華美さを抑制しているが、その表現が素朴であるがゆえ、心に響く感覚を内包させている。この曲でも終盤に至ると、シンセのシークエンスを使用し、ダイナミックな山場が設けられている。続いて、「Conversation Is A Flowstate」では、アーティストの美的センスが他の曲よりも反映され、それは実験的なシンセポップという形で繰り広げられる。

 

続く「Hope’s Return」では、アルバムの中盤を通じて描出された喪失や悲しみといった感覚から立ち直る瞬間がオルタナティヴ・フォークという形で紡がれている。それはアルバム全体の起伏あるストーリーをはっきりと強化する役割を担っている。しかし、再生の瞬間が断片的に示された後、最後の曲の「Death Is Diamond」というタイトルは意外な感を与え、少しドキッとさせるものがある。しかし、以前の曲と同様、ここには、ジュリー・バーンの耽美的なセンスの真骨頂が示されており、演劇の終盤に用意されている最もセンチメンタルなシーンがこの曲にはピクチャレスクな形をとって織り交ぜられている。エンディング曲のポップバラードを聞き終えた後、印象的な映画や演劇を観た後のような余韻を覚えたとしても、それほど不思議ではない。

 

 

78/100


 



先月、マドンナは深刻な細菌感染症で突然入院し、大規模なセレブレーション・ツアーの延期を余儀なくされた後、初めて公の場でコメントを発表した。


「ポジティブなエネルギー、祈り、励ましの言葉をありがとう。私は回復に向かっていますし、私の人生のすべての祝福に信じられないほど感謝しています」


ニューヨーク州ユニオンデールのナッソー・コロシアムでの本番リハーサルの後、セレブレーション・ツアーは7月17日にバンクーバーでスタートする予定だったが、マドンナはメッセージの中で、北米公演は予定を変更し、ヨーロッパ公演は10月14日にロンドンでスタートすることを確認した。


「病院で目覚めたとき、最初に思ったのは子供たちのことだつた。2番目に思ったのは、私のツアーのチケットを買ってくれた人たちをがっかりさせたくなかったということ。また、この数週間、私のショーを作るために精力的に働いてくれた人たちを失望させたくなかった。誰も失望させたくない」


1月にセレブレーション・ツアーが発表されたとき、マドンナは "私のファンが待ち望んでいたショーを提供したいと思い、できるだけ多くの曲を探求することにエキサイトしている "と語っていた。マドンナは長い間、ライブで彼女の伝説的なバック・カタログを掘り下げることに抵抗があり、2019年から2020年にかけてのアルバム『マダムX』をサポートするツアーでは、毎晩11曲か12曲がそのプロジェクトから演奏され、以前の名作からはほんの一握りの曲しか演奏されなかった。


週末、ニューヨーク州サラトガスプリングスで開催されたノエル・ギャラガーの『ハイ・フライング・バーズ』北米ツアーは、爆破予告を受けてコンサート会場からの避難を余儀なくされた。


同日に出演が予定されていたメトリックとガービッジは無事公演を行ったが、、ギャラガーがヘッドライナーのセットを始める前に、サラトガ・パフォーミング・アーツ・センターの観客は現地時間午後10時頃、一番近い出口に進むよう求められた。WNYCのレポーター、ジョン・キャンベルによると、その時点で誰かがステージに上がり、「我々の手に負えない状況のため ショーは続行されない」と観客に告げたという。


その後、会場のデジタルモニターにこんなアナウンスが流れた。「注意。ただちに会場から避難してください。落ち着いて最寄りの出口にお進みください。係員、警察官の指示に従ってください。皆様の安全のため、押したり、急いだりしないでください。ご協力ありがとうございました」

 

「今夜何が起こったのか、まったくわからなかった」とガービッジは事件後、こうツイートしている。"ただ、全員が避難していて、みんなが心配でした !!!」

 

昨日(7月9日)になって、突然のキャンセルの理由が爆破予告だったことが明らかになった。ニューヨーク州警察はフェイスブックを通じて事態の最新情報を提供し、コンサート参加者の安全に対する脅威の正体を知らせた。


「用心のため、サラトガ・パフォーミング・アーツ・センターでのコンサートは午後9時40分に中断され、コンサート参加者は無事避難しました。観客が退場した後、K9が会場を捜索しましたが、爆発物は検知されなかったという。


最初、サブカルチャーとして、ラスタファリアニズムについて取り上げる予定だったが、それから早一年以上が経過してしまった。

 

結果的に、レゲエの神様について、サブカルチャーやサブジャンルのように取り扱うのは無礼ではないのかという答えにいたったわけだ。レゲエについては、近年でもヒップホップやソウルにごく普通に取り入れられるジャンルで、レコードコレクターとしては避けることが出来ない。この音楽はそもそも、トリニダードのカリプソなどを祖先に持ち、Ⅱ拍目とⅣ拍目に強拍を置くのが主な特徴という側面では、スカ/ダブと同様である。ただし、このジャンルはソウルの影響が色濃く、ほとんどモータウンの音楽のリズム的な再解釈という見解を避けて通ることは出来まい。Trojan時代の音源を聴くとこのことはよくわかっていただけると思うが、レゲエはそもそも、ジャンルとしては、ビンテージ・ソウルであり、ロックの主流の素地を形成している。基本的には、レゲエはクラブ・ミュージックなのではなく、ソウルミュージックに属しており、それが後にダンスホールでも普通に親しまれるようになったというのが順当な見方なのだ。

 

結果的に、64年頃にデビューしたボブ・マーリーが、レゲエを世界的に普及させたという説に異論を唱える人は少ないと思われる。日本でも島国という性質から、レゲエに共感を覚えるリスナーは多い。ジャマイカも日本も、海に囲まれた国という共通項があるからだ。当初、日本でのレゲエ人気が到来したのは、90年代だ。J-POPの最盛期であった95年頃と同時的に、街角の到る場所でレゲエがかかっていたそうで、レコード屋でもよく売れたジャンルだった。現在は、著作権の関係であまり街中で音楽がかからなくなってしまったが、結局、これは音楽の売上に大きな効果を及ぼし、また、産業自体を潤していたことは最早疑いを入れる余地はない。

 

さて、日本で最初にレゲエが親しまれることになったのは、74年のこと。エリック・クラプトンが「I Shot the Sheriff(警官を打っちまった)」をカバーしたからという説が濃厚である。最早このナンバーはCREAMの演奏としてはお馴染み過ぎる。当時、一部の音楽マニア、ロックファンを中心に親しまれていたが、1979年にボブ・マーリーは来日公演を行い、日本国内でもレゲエという代名詞とともにその名を知られるようになる。しかしながら、その二年後、正確に言えば、81年の5月11日、36歳という若さでマーリーは死去する。捉え方によっては彼が推進したエチオピア皇帝を唯一神とするラスタファリアニズムとともに、またジャマイカの三色旗とともに、彼の存在は半ば、クラブ27の面々のように神格化されるに至った。

 

その後、70年代の2Tone、ニューウェイブの到来とともに、日本でもレゲエの人気が沸騰していく。80年代、ダンスホールが隆盛をきわめるに従い、日本ではレゲエの2ndウェイヴが到来。ただし、クラブミュージックの最盛期、 先駆者のボブ・マーリーは聞かないという場合があったようだ。というのは、クラブ・ミュージックを織り込んだアスワド、ビック・マウンテン等が十代の若者に人気だったらしく、マーリーは踊れないので倦厭するリスナーがいたらしい。これらのリスナー層は、マーリーを尊敬しながらも、リスナーとしては多少遠慮するというケースが多かったそうだ。これは、アスワド、ビック・マウンテンらが身近な存在であるのに対し、マーリーは神がかっており、思想的なので、近づきがたい存在だったという話もある。

 

その後、J-POPの中にごく普通にレゲエ色を取り入れるグループもでてきたのは周知の通りである。

 

ただ、時代を経ると、アスワドやビッグ・マウンテンは当時の流行の音楽ではあったが、今、考えると少しだけ時代に埋もれてしまった印象もある。結局、ボブ・マーリーとジミー・クリフは別格というのがレゲエファンの答えではないか。二人は、商業音楽を生み出しておきながら、民族音楽、ワールド・ミュージックとしての音楽性をその中に内在させていた。今回、大まかにマーリーの生涯について下記に記しておく。

 

 

 ・最も貧しい区域、トレンチタウンの音楽

 

ボブ・マーリーは、1945年、2月6日にジャマイカのセント・アン地区に生まれる。十代の黒人の母親、かなりの年上で後に不在となった白人の父親の間に生まれた。

 

後に、彼のもとから去った父親という人生の中の出来事は、彼の音楽性や思想に深い影響を及ぼしたという指摘があり、マーリーは「父の不在」というテーマを音楽活動を通じて追い求めていくことになる。彼は、”ナイン・マイルズ”と呼ばれる地方の村にあるセントアン教区で幼少期を過ごしたという。セント・アンでの彼の幼馴染のひとりに、ネヴィル・バニー・オライリー・リビングストンという少年がいた。同じ学校に通っていた彼らは、音楽への愛情を深めたという。バニーの影響により、ボブ・マーリーはギターを演奏するようになった。ここに後にレスポールギターをトレードマークとする音楽家のルーツを伺うことが出来る。のちに、リビングストンの父親とマーリーの母親も、この関係に関与するようになったとクリストファー・ジョン・ファーリーは、マーリーの伝記『Before The Legend: The Rise Of Bob Marly』で指摘している。1950年代に、キングストンに転居したマーリーは、市内の最も貧しい区域の一つ、トレンチ・タウンに住むようになる。この時の経験は、彼の後の代表曲「トレンチ・タウンロック(Trench Town Rock」の着想の元になったと推測される。この年代を通じ、マーリーと彼の友人であるリビングストンは音楽に多くの時間を費やした。ジョー・ヒッグスという人物の指導のもと、彼はボーカルの訓練にも精励するようになった。

 

また街なかで流れていた音楽がボブ・マーリーの音楽観を形成していくようになる。幸運なことに、トレンチ・タウンは貧しい街だったが、地元の音楽パフォーマーが活躍し、さらに米国からの新鮮な音楽が、ラジオやジュークボックスを通じて届けられた。マーリーは聴いていた、レイ・チャールズ、ファッツ・ドミノ、ドリフターズ、そして、プレスリーを聴いていた。彼はこの時代を通じて、多くの音楽的な経験をし、そしてジョー・ヒッグスの仲介を通じて、ピーター・マッキントッシュ(後のピーター・トッシュ)と運命的な出会いを果たすことになる。

 

 

 ・ウェイラーズの時代 レゲエ音楽の普及

 

地元で影響力のあるレコード・プロデューサー、レスリー・コングは、マーリーのボーカルを痛く気に入った。コングはマーリーを呼びよせ、その後、数枚のシングルをレコーディングさせ、最初の作品が1962年に発売された。それが「ジャッジ・ノット」という最初のシングルだった。ボブ・マーリーはソロアーティストとしては最初の成功を収めることが出来なかった。しかし、その後、翌年、彼は友人と彼のバンドの代名詞となるボブ・マーリー&ウェイラーズを結成する。もちろん、そのメンバーの中には、幼馴染のリビングストン、マッキントッシュがいた。彼らはバンド結成後、最初のシングルとなる「シマー・ダウン」をリリースする。このウェイラーズの最初のシングルはジャマイカのチャートで第一位を獲得する。この時、幼馴染の二人に加えて、ジュニア・ブレイスウェイト、ビバリー・ケルソ、チェリー・スミスもウェイラーズに参加した。

 

ウェイラーズはチャートの首位を獲得したものの、商業的な成功とは縁遠かった。 ブレイスウェイト、ケルソ、スミスが程なくグループを離脱する。残されたメンバーは一時的に疎遠となるが、マーリーは母親が当時住んでいた米国へ向かう。出発直前の1966年の2月にリタ・アンダーソンと結婚した。8ヶ月後、マーリーはジャマイカに帰国し、リビングストンとマッキントッシュとウェイラーズを再結成する。この頃、マーリーは思想的な側面を探求するようになる、ラスタファリアン運動への関心を高めるようになった。一般的にはマーリーが普及させたといわれるこの運動は実はそれ以前から発生しており、1930年代のジャマイカで沸き起こった。そのドグマについては、ジャマイカの思想的な面でのヨーロッパを中心とするキリスト教圏からの脱却が掲げられ、民族主義者のマーカス・ガーベイ、旧約聖書、アフリカの伝統文化等が、その教義の中に取り入れられていた。一見すると、世迷言にも思えるこの運動ではあるが、フェラ・クティの掲げたアフリカ主義の一貫として台頭した”アフロ・フューチャリズム”の思想性を国家レベルで体現させようという考えが、その中に含まれていたのだった。


60年代後半になると、ボブ・マーリーはポップ歌手のジョニー・ナッシュと仕事を行った。ナッシュはマーリーの曲「Stir It Up」で世界的なヒットを記録する。ウェイラーズはこの時代に、プロデューサーのリー・ペリーとも仕事をするようになった。リー・ペリーはウェイラーズの最盛期の活躍を支え、「トレンチタウン・ロック」、「ソウル・レベル」、「フォー・ハンドレド・イヤーズ」を世に送り出した。この時代を通じて、ウェイラーズの名は徐々に世界の音楽ファンに親しまれるようになった。またウェイラーズは、1970年代に入ると、ラインナップを変更し、アストン・バレット、彼の弟であるドラマーのカールトン・バレットを新たなメンバーに迎え入れ、サウンドの強化を図った。翌年、フロントマンのマーリーは、スウェーデンでジョニー・ナッシュと一緒に人生で初の映画のサウンドトラックの制作に取り組んだという。



・アイランド・レコード所属の時代 レゲエの最盛期 数々の大ヒット

 

 

その後、ウェイラーズは1972年になると、クリス・ブラックウェルが設立したアイランド・レコードと契約を結び、世界的な大ブレイクを果たす。アイランドは現在も良質なリリースを続ける大手のメジャー・レーベルの一つだ。

 

この時代、モータウン・ソウルやファンク、オールディーズに根ざした古典的な音楽性から、スタンダードなロックやポップスへと音楽性のモデルチェンジを行い、モダンなサウンドで一世を風靡し、世界的にウェイラーズ旋風を巻き起こす。グループは初めて、フルアルバムをレコーディングするためにメンバー揃ってスタジオ入りする。

 

その結果、バンドの出世作となる「Catch a Fire」が誕生したのは当然の成り行きだった。ウェイラーズはアルバムの発表後の73年に、イギリスとアメリカをツアーし、アメリカン・ロックのボス、ブルース・スプリングスティーン、スライザ・ファミリーストーンといった当時最大の人気を誇った音楽家やグループの前座としてステージに登場し、その名を普及させた。ウェイラーズはデビューからまもなくその人気を不動のものにしていく。同じ年に、ヒット曲「I Shot The Sheriff」を収録する2ndアルバム『Burnin'』を発表し、世界的な人気を集中に収めた。発売から一年後、イギリスのギタリスト、エリック・クラプトンがこの曲をカバーし、全米チャート第一位を獲得する。ウェイラーズの名は一躍世界的なものとなっていく。


次のアルバム『Natty Dread』は1975年に発表された。この間、オリジナルのメンバーの内二人がグループを脱退した。最初期からマーリーと活動していたリビングストンとマッキントッシュは、ソロアーティストとしてキャリアを追求するために、ウェイラーズを去っていった。「Natty Dread」はウェイラーズの作品の中で一番の問題作で、マーリーは少なからずの政治的な主張をこの中に取り入れた。ジャマイカにおける人民国民党と労働党の間の政治的な緊張をテーマに取り入れている。

 

このアルバムに収録されている「Level Music」では、マーリーの最も政治的な人生経験が表れ、彼が1972年に国政選挙前で夜遅くに軍関係者に呼び止められた緊迫した経験をモチーフにしている。「Revolution」は彼がPNPに対して支持を表明しているというのが主流の説である。

 

ウェイラーズはその後、マーリーの妻であるリタをメンバーに擁する女性グループのアイ・スリーズとともに共演を果たし、単独のウェイラーズではなく、ボブ・マーリー&ウィラーズの名で親しまれることになる。彼らは大規模なスアーを行い、レゲエ人気を普及させていく。またこの時代の男性と女性の混合の構成は、この家父長制的であった音楽に革新をもたらし、より柔らかな音楽として親しまれる要因となった。1975年にリリースされた彼らの代表曲「No Woman, No Cry」は特にイギリスでトップ40位内にランクインを果たし、英国でも彼らの名は知られるようになった。

 

その頃、すでにボブ・マーリーは祖国で大人気のスターとなっていたが、国際的なスターとしても目されるようになっていた。1976年のアルバム『Rastaman Vibration』をリリースし、マーリーはキャリア初の全米チャート・トップ10入りを果たし、アメリカでの人気を獲得した。またビルボードチャートでもR&Bのアルバム・チャートで健闘し、最高11位を記録した。彼はこの作品で戦争のテーマを織り交ぜ、エチオピア皇帝のハイレ・セラシエの演説から歌詞を引用した。抑圧からの自由を求める戦いというメッセージを込めたこの曲では、植民地支配による階級から人々を開放することが歌われ、新たなアフリカの概念についても言及されている。

 


・政治的な主張  暗殺の影

 



この時代、人気絶頂中のボブ・マーリーに不穏な影が忍び寄った。マーリーは人民国民党の支持者と目されていたが、対抗する政党であるPNPのグループにとっては彼は大きな脅威とみなされていた。そしてその後、実際に、彼は暗殺の影に脅かされることになった。1976年、12月3日の夜、キングストンのナショナル・ヒーローズ・パークで予定されていたコンサートの二日前、リハーサルを行っていたマーリー&ウェイラーズを武装集団が襲撃する。これがPNPが派遣した暗殺グループだったのかは定かではない。しかし、実際一発の銃弾がマーリーの胸骨と上腕二頭筋をかすめ、もう一発は妻のリタの頭に命中した。またドンテイラーは五発を体に受け、即刻緊急の手術を行う必要にさらされた。その襲撃にもかかわらず、マーリーはショーにその後の出演し続けた。現在も、攻撃の真意がいかなるものであったのかは明らかになっていない。この事件については、後にNetflixの映像『Remastered』で緻密な検証が行われている。

 

その当時、イギリスのロンドンに住んでいたボブ・マーリーは続編となる『Exodus』の制作に取り掛かる。この時期より、マーリーは大掛かりな作風を志向するようになる。タイトル曲に、聖書のモーセと亡命を逃れたイスラエル人の物語を織り交ぜ、マーリー自身の人生の状況をかけ合わせていた。またラスタファリアニズムの時代から続く、アフリカの伝統性に対する回帰というテーマも前の年代から引き継がれている。シングルとして発売されたタイトル曲『Exodus』は、「ウェイティング・イン・ヴェイン」、「ジャミング」と合わせてイギリスでヒットし、アルバム自体は一年間チャートインしつづけるという未曾有の継続的なヒットとなった。この作品は、現在でもボブ・マーリー&ウェイラーズの最高傑作との呼び声も高い。


音楽家としては最盛期にあったマーリーではあるが、その後に健康不安を抱えるようになる。その年のはじめ,足を負傷し、その治療を7月に受けた。診断を下した医師は、その怪我を通じてがん細胞を発見したが、マーリーは宗教的な理由により、細胞を除去する手術を受けることを拒否した。

 

 

 

 ・崇高なものへの親しみ  音楽を超える根源的なものへの接近

 



ボブ・マーリーは生前こんな言葉を残しているのを皆さんはご存知だろうか。

 

音楽は”祈り”のようなものなんだ。祈るときには、何を言ってもいいわけじゃないだろう? 大切なことを言葉にし、苦しんでいる人たちのために祈るんだよ。音楽を冗談半分なんかでやるんじゃない。真面目にやらないのなら、一切すべきじゃないよ。

 

この言葉は多くの音楽家を志す人々、また、それを専業としている人たちもよく胸に刻んでおいていただきたい箴言である。ボブ・マーリーは、現実主義者であるとともに、神秘主義者のような一面があり、言葉はいわば日本語でいう「言霊」のように捉えていた。言霊というのは、つまり、言葉には、その人の魂が乗り移り、それはやがて生きたものとなるということだ。聖書にも書かれている。「心はその人を汚さぬが、言葉がその人を汚す」。この後の時代からマーリーは命を脅かされたことにより、崇高な表現近づいていく。それは実際、このアーティストを神格化させている要因でもある。

 

ウェイラーズとして最大のヒット作である『Exodus』をリリースした後も、マーリーの創作意欲は衰え知らずだった。彼はバンドとともに「愛」という感情(をモチーフにし、「サティスファイ・マイ・ソウル」、「イズ・ディス・ラブ」という2つのヒット作を世に送り出した。何らかの直感により自らの人生がこの後どのように変遷していくのか、その運命的なものがマーリーの脳裏をかすめたことは容易く想像出来る。1978年、マーリーは平和に対する考えを明らかにするようになり、ワン・ラブ・ピース・コンサートを開催するため、イギリスからジャマイカに帰国し、主流政党であるPNPのマイケル・マンリー首相とJLPの野党党首であるエドワード・シーガーとステージ上で握手した。音楽家としめのキャリアの中盤において、政治的な対立を取り上げていたマーリーは、この時はじめて政治的な主張として「ノーサイド」を表明づけたのだった。

 

同じ年、彼は自らの重要なルーツに位置づけるアフリカを訪問し、ラスタファリアンの重要なルーツでもあるケニアとアフリカを訪問した。その時の旅行は音楽の側面でも重要なインスピレーションとなり、1979年にリリースされた次作アルバム『Survival』の素地を形成した。翌年、マーリーとウェイラーズはジンバブエの国家式典に出席している。この年代に差し掛かると、音楽家ではなく政治家としてのボブ・マーリーの存在感が際立つようになる。彼はその翌年、遺作となるアルバム『Uprising』を発表する。このアルバムでは、詩的な歌詞を取り入れ、政治的な主張と社会的な立場を織り交ぜた作品として重要視されている。中でも「Redemption Song」はこのアーティストの才能が最も花開いた瞬間であるという指摘もなされる。マーリーはこのトラックで次のように歌い、民衆の心を鼓舞している。「精神的な奴隷の状態から自分を開放しなさい。自らの心を開放出来るのはわたしたち以外に誰もいないのだから」と。

 

その後、アルバムの発売を記念するリリースツアーの最中、ヨーロッパでのコンサートを実現した。その後、アメリカにも立ちより、マディソン・スクエア・ガーデン、スタンレー・シアターでのコンサートを開催する。しかし、その頃には当初、足の怪我の時期に発見されたがん細胞は全身に転移していた。

 

晩年、ボブ・マーリーはがん治療に専心する必要にかられた。ドイツで治療を受けた後、幾ヶ月も彼は闘病生活を送った。しかし、余命がそう長くないのを悟ると、マーリーは祖国のジャマイカの地を踏むことに決めた。ところが彼の末期的な病状が祖国への期間を許さなかった。マーリーは、ジャマイカに戻ることなく、1981年5月11日にフロリダ州マイアミで息を引き取った。

 

マーリーは生前最後に、ジャマイカの政府から勲章を授与されており、また、80年には平和勲章を国連から授与されている。


生前における功績は称えられ、ジャマイカで英雄として見送られた。ジャマイカのキングストンにあるナショナル・シアターで彼の式典は開催され、そこでは彼の妻であるリタ・マーリー、その他、マーシア・グリフィス、ジュディ・モワットが追悼のための歌を捧げた。ボブ・マーリーは1994年に、ロックの殿堂入りを果たした。レゲエの神様の影響力は今日も留まることを知らない。レゲエがこの世に存在するかぎり、マーリーの栄光は途絶えることはないだろう。


 

©Ashley Gellman


Slaughter Beach, Dogは、9月22日にLame-O Recordsよりリリースされる次作『Crying, Laughing, Waving, Smiling』を発表した。本日の発表では、先日公開された「Strange Weather」に続くニュー・シングル「Float Away」が公開された。以下よりチェックしてほしい。


「この曲は失恋ソングなんだ」グループのジェイク・イーウォルドはこの曲について声明で説明している。この頃、トム・T・ホールをよく聴いていたという。

 

「トム・T・ホールの曲には即効性があって、曲ごとに新しい小さな世界に入り込んでいくような感じがする。テイラー・スウィフトと同様に、彼らは異なる感情的な合図を拾い上げ、異なる方法でそれに反応するが、結局、同じツールを使い、同じストーリーを語っている。どちらの声に共感するかということ。これは、私自身の声でその仕事をすることを熱望しているのだ」


「音楽的には、この曲の、ドンドンと転がるようなハミングが好きなんだ」とエワルドは続けた。「Slaughter Beach, Dogのメンバーであるザック・ロビンス、イアン・ファーマー、アダム・マイスターハンス、そしてローガン・ロスのサウンドは、正真正銘のロックンロール・マシーンのようだ。エルヴィス・コステロが、モダン・ロックの不満はもうロールしないことだと言っていたのを聞いた気がする。これが我々の正式な返事としよう。再び声を貸してくれたエリン・ライに感謝し、歌の中で "rolling stone "と言ってしまったことをお詫びしておきたい」


プレスリリースの中で、ホールド・ステディのクレイグ・フィンはこう語っている。「すべてに美しい空間がある。忍耐と意識がある。私はいつもジェイクの細部に対する目を賞賛してきたが、このアルバムではそれが存分に発揮されている。ゴージャスなイメージに満ちたアルバムで、それぞれの曲の中に鮮やかな世界が構築されている。私にはすべてが見える。私にとって最も印象的なのは、彼が一貫して日常の中に神と神聖なものを見出していることだ」


「Float Away」
 

 

 

Slaughter Beach,Dog 『Crying, Laughing, Waving, Smiling』

 


Label: Lama-O

Release: 2023/9/2

 

 

Tracklist:

 
1. Surfin’ New Jersey


2. Strange Weather


3. Float Away


4. My Sister in Jesus Christ


5. Summer Windows


6. Bobcat Club


7. Tommy


8. Engine


9. Henry


10. Easter


 1962年の初夏、世界を変えたこの曲のリリースを前に、若きボブ・ディランの意識の中にこの曲が入り込んだとき、それがどんな風であったにせよ、それは確かに、追いつこうとするアドレナリンで転がる草のように未来を運んだ。彼の神秘的な言葉がレコードにプレスされたとき、彼は22歳であり、彼が完璧なメロディーで賞賛した美徳は、年老いた父なる時間さえも逃れていたのだ。


この曲の美しさは、それ自体が霊廟に値するが、隣の建物はその遺産に捧げられるべきものだ。そして1年後、サム・クックがインスピレーションを得て、公民権運動の賛歌を書き下ろしたとき、最初の波紋が広がった。


ボブ・ディランのレコードには、悲劇的な予感があった。How many times must the cannonballs fly, before they're forever band? "というようなセリフは、誰かが事態を一時停止させる前に、さらなる暴力が起こることを予見していたのです。6月中旬から9月末までの14週間の間に、6件の殺人、29件の銃撃、50件の爆破、60件の殴打が公民権運動の労働者を襲ったのである。



6月21日、3人の公民権運動家が失踪した。その後、ミシシッピ州の警官が彼らを殺害したことが判明する。また、ミシシッピ州の法執行官の約半数がク・クラックス・クランと関係があったことも、後に明らかになるのである。砲弾が飛び交う中、ディランのアンセムは暴力に呑み込まれることなく、彼が語る風のように、歌は物語を織り成すのである。




サムの弟で音楽仲間でもあるL.C.クックはBBCの取材に対して、「あなたがボブ・ディランの『風に吹かれて』を知っていることは知っています。「サムはいつも、黒人が'風に吹かれて'を書くべきだ、それは不公平だ、と言っていた。それで彼は、"いや、もし彼があんな曲を書けるなら、きっと私も同じくらい良いものを作れる "と言って、'A Change Gonna Come'を書くために座ったんだ。彼は'Blowin' in the Wind'に対抗するアンセムを書こうとしていたんだ。'Blowin' in the Wind'は素晴らしい曲だから、彼は座って'I was born by the river'を書いたんだ」とLCは続ける。


サム・クックの反応は、他の多くのアーティストが真似をしたものだ。ある意味で、その素晴らしさの一端は、無名のまま触れられたことにあるため、人々はこの低俗なフォークアーティストにこの曲について尋ねなければならず、彼の回答は、曲そのものと同様に、この曲の遺産の一部となっている。ディランはこう言った。


「私は今でも、最大の犯罪者は、間違ったことを見、それが間違っていることを知ったときに、目をそらす人たちだと言っているんだ。私は、まだ21歳だが、あまりにも多くの戦争があったことを知っている......21歳以上の君達は、もっと年を取っていて賢いはずなんだ」と。



ディランは、この曲の傍らで、商業的な成功などどうでもいいから、自分たちの声を出していこうと呼びかけた。例えば、モータウンは、アーティストが政治的な活動をしてはいけないという不動のルールを持っていた。しかし、1966年、スティーヴィー・ワンダーはこの曲に感動し、16歳にもかかわらず、ボスのベリー・ゴーディーJrに反抗し、カヴァーを発表するまでになったのだ。


ビートルズもこの伝説的な曲を聴いて、自分たちもレベルアップしなければならないと思い、大きな壁にぶつかることになる。彼らは、形式的な意味での政治家にはならなかったかもしれないが、手のひらを返したようにそれまでの精神主義を捨てたのである。ジョン・レノンはこの曲についてこう語っている。「メディアや大衆のために、人々を特定し、レッテルを貼ることが常に必要だっただけだ。たぶん、何百万人もの人が生まれ変わったのに、次の金曜日にはすっかり忘れてしまっている。たまたまディランがそれを公衆の面前でやっただけなんだ。"


スピリチュアルで、詩的で、荒々しく、他のすべてに中指を立てるような曲だ。この曲は、精神的であり、詩的であり、荒々しくもある。なぜ、高騰したのだろうか。彼は、嗄れた喉と、腰の振りがはっきりしない、ダイビングバーの地下室から出てきたばかりの、元祖ヒッピーだったのだ。 


しかし、それを聴いた人たちは無視できなかった。ピーター・ポール・アンド・メアリーのピーター・ヤロウは、それを聴いた初期の人たちの一人で、こうコメントしている。「ディランの曲はピーター・ポール・アンド・メアリーを別の次元に押し上げた。彼のデモを聴いて、アルバート(・グロスマン)は、大曲は『Don't Think Twice, It's All Right』だと思っていたが、我々は『Blowin' In The Wind』に夢中になっていたんだ。私たちは本能的に、この曲がその時々の瞬間を担っていることを知っていた。彼は、詩のレベルも表現のレベルも、誰よりも速く、粉々になるほど見事なまでに上昇していた」。8月に発売された彼らのカバーは、100万枚を超えるセールスを記録し、全米チャートのにおけるにおける2位にまで上昇した。ディランは、袋の外に出てきたのだ。


まもなく彼は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと並んで、同じような団結と理性の物語を歌うようになる。


そして、数年後、彼はローマ法王ヨハネ・パウロ2世と30万人のファンの前でこの曲を演奏し、カトリックの指導者はこうコメントした。「君は、答えは風に吹かれていると言うが、私の友人だ。その通りだ "と。ヤローは、「彼は、まさに輝きの泉、詩の泉だった。そして、人としては普通の人間だった」。普通の男が自分の声を使うのは悪くない、他の人もすぐに後に続くだろう。





グラミー賞にノミネートされたスウェーデン/ヨーテボリの人気バンド、Little Dragon(リトル・ドラゴン)がニューアルバム「Slugs Of Love」をNinja Tuneからリリースする。

 

この発表と同時にリリースされたニュー・シングル「Kenneth」は、ソウルフルでローファイな、幼なじみへのトリビュートだ。「この曲は友情と愛について歌っている」とバンドは説明する。バンドは、Khruangbin、Leon Bridges、Tevaなどを手がけてきたUnlimited Time Onlyと再びタッグを組み、この曲に合わせた素晴らしく遊び心のあるビデオを制作した。


学生時代の友人であるErik Bodin(ドラムとパーカッション)、Fredrik Wallin(ベース)、Håkan Wirenstarnd(キーボード)、Yukimi Nagano(ヴォーカル)で構成されるこのバンドは、ここ最近で最も一貫性があり、敬愛され、誰からも親しまれるバンドのひとつとなった。「Slugs Of Love」では、リード・シンガーであるユキミの一目でそれとわかるヴォーカルに支えられた、ソウルフルなポップ、エレクトロニクス、R&Bの独特なブレンドが前面に押し出されている。


このアルバムの制作過程について、彼らは次のように語っている。「パターンを解消し、新しいパターンを作る。キーボードを好奇心旺盛に押したり、時には激しく、時にはやさしく叩いたり、弦をかき鳴らしたり、音を録音したり、音の微調整の限界を調べたり......前へ、後ろへ、横へ、あらゆる方向へ進化してきたこの音楽を、一緒に開発し、再生し、踊り、泣いたり笑ったりしてきた。とても誇りに思っています」


このアルバムには、先にリリースされたシングル表題曲「Slugs Of Love」も収録されている。バンド曰く、この陽気でアップビートなトラックは、「様々なキラキラした色のゴム長靴を履いた若者たちによって演奏される」ことを想像させるもので、同じくアンリミテッド・タイム・オンリーが監督し、バンド自身が出演した公式ビデオとともに到着した。この曲は、「この瞬間、この人生に乾杯」し、「一呼吸一呼吸を謳歌しよう、あっという間に過ぎ去ってしまうのだから」とリスナーに呼びかける。そして、「お金では買えない豊かさについての考察」である「Gold」は、90年代と00年代のポップ・ヒット曲を屈折させたもので、シンセの重く緩慢なグルーヴの上に、ホイットニー・ヒューストンを思わせるコーラスのリフレインが乗っている。


前作「New Me, Same Us」は2020年にNinja Tuneからリリースされ、ニューヨーク・タイムズ、NPR、ピッチフォーク、ザ・ガーディアン、ミックスマグ、クラック・マガジンなど多くのメディアから賞賛を受けた。バンドはNPRミュージックに参加し、スウェーデンのヨーテボリにある長期的な自作スタジオで撮影された親密なタイニー・デスク(ホーム)・コンサートを行った。

 

スウェーデンのパイオニア的存在である彼らのスタジオでレコーディングされた『Slugs Of Love』は、ビルボードの集計するトップ・ダンス/エレクトロニック・アルバム・チャートで5位を獲得し、ミックス・マグ誌は「みずみずしいテクスチャーが炸裂し、リード・シンガーのユキミ・ナガノの崇高なヴォーカルによって昇華された未来的なレコード」と評し、ガーディアン紙は彼らを「美味しくソウルフルなフォーム」と評した。

 

彼らはこのリリースに続き、Midland、Octo Octa、Georgia Anne Muldrow、Ela Minusなどをフィーチャーした "New Me, Same Us Remix EP "をリリースした。


 

Little Dragon  『Slugs Of Love』 Ninja Tune




今年初めの同レーベルより発売されたスコットランドのYoung Fathersに続く話題作が、スウェーデンのリトル・ドラゴンの『Signs Of Love』となる。日系スウェーデン人、ユキミ・ナガノをフロントパーソンに擁する四人組グループは、この4thアルバムを最高傑作と自認しており、リリースするに際して大きな手応えを感じているようです。2020年のグラミー・ノミネートから3年、リトル・ドラゴンの四人は大きく成長し、さらに個性的な音楽を生み出すことを恐れなかった。これまで、リトル・ドラゴンは、ダンス・ポップ、R&Bをメインテーマに置き、それらをクラブ・ミュージックとして、どのように昇華するのかを模索してきた。3作目の『New Me, Some Us』では、商業的なクラブミュージックの決定盤を完成させたが、ヨーテボリのグループの音楽的な探究心は止まることを知らない。4作目では、よりベースメントのクラブ・ミュージックの影響を交え、ネオ・ソウル/エレクトロニックの決定盤を完成させたと言える。

 

2ndアルバムに比べると、UKのベースメントのクラブ・ミュージックの影響が色濃くなったように思える。その中には、ベースライン、UKガラージ、トリップ・ホップ、 ディープ・ハウスの要素が複雑に絡み合い、リトル・ドラゴンがキャリア全般を通じて提示してきたネオソウルやゴスペル、ダンス・ポップやディスコポップに影響を及ぼしている。捉えようによってはこの三作目で唯一無二のクラブ・ミュージックが誕生したと考えても、それほど違和感はないだろう。


アルバムのオープナー「Amoban」のイントロでは、アシッド・ハウス/アシッド・ジャズの中間点にあるバックトラックに、トリップ・ホップに近いアンニュイなユキミ・ナガノのボーカルがふわりと乗せられ、何が次に起こるのかと期待させるものがある。もちろん、リトル・ドラゴンはその期待を裏切ることはないのだ。そのミクスチャーとしての要素は、落ち着いてしっとりとしたネオソウルへと展開していく。方法論として述べると複雑ではあるが、リトル・ドラゴンは感覚的なものを失っておらず、これらのソウルフルなエレクトロの音楽性を淡い情感が包み込む。ロンドンのJames Blake(ジェイムス・ブレイク)が最初期に挙げたような「温かみのあるソウル」という要素がモダンなエレクトロニックと分かちがたく結びついている。また、バック・ビートはナガノの歌の情感を引き立てることはあっても損ねることはない。イントロはメロウな雰囲気が醸し出されるが、途中から口笛とドラムンベース風のパーカッションにより、ドライブ感のある展開に繋がる。圧縮した管楽器の断片的なサンプルの導入に加え、薄く重ねられるギターラインは、このオープニング・トラック全体にディープなグルーブ感を与えている。

 

特に、UKベースメントのクラブ・ミュージックの影響が色濃く反映されているのが二曲目の「Frisco」となる。これらの90年代から00年代のUKのクラブ・シーンには無数の魅力的なダンス・ミュージックが存在して来た。そして、それは今も、Overmonoのようなプロデューサーに強い影響を及ぼしつづけているが、それはスウェーデンのリトル・ドラゴンについてもまったく同じことが言える。ダブ・ステップが有名になる以前に隆盛をきわめたベースラインのハードコアなリズムに支えられ、また、このジャンルの特徴的なシーケンサーのセンス抜群の飾り付けにより、この曲は進行していくが、ときに、パーカションのトーン(打楽器に音階がないと考えるのは誤謬だ)の微細な変化により、コードやスケールのアシッド・ハウスのような畝りをもたらす。トラックメイクはかなり手が込んでおり、複雑であるにも関わらず、曲自体はマニアックな印象を与えない。それはボーカルが徹底して軽快な感じで、さらりと歌われるからなのだ。つまり、曲の上澄みでは王道のポピュラー・ミュージックが響いている一方で、その最下部ではUKのベースメントのクラブミュージックがタフに鳴り響いているという有様なのである。

 

「Slugs Of Love」

 

 

アルバムは、これらのメジャーさとマニアックさを兼ね備えた2つの曲で始まるが、タイトル曲でもある3曲目の「Slugs of Love」は、ダンス・ポップ/ディスコポップの軽快なナンバーで聞き手を魅了することだろう。そして、3rdアルバムにはなかったファニーな要素が加わり、摩訶不思議なエレクトロサウンドへと昇華されている。ホイットニー・ヒューストンの時代のダンス・ミュージックを踏襲し、それを歌モノとして昇華するのではなく、ドライブ感のあるクラブビートへと変容させるのが見事だ。80年代のディスコ・ポップ全盛期のレトロなモジュラーシンセのフレーズを交え、Kraftwerkを彷彿とさせるテクノへと展開していく。これは、リトル・ドラゴンのFredrik Wallin(ベース)、Håkan Wirenstarnd(キーボード)というメンバーが70年代のレトロなテクノに深い理解を持っているからなのだろう。しかし、それは70年代のニューウェイブを意識したナガノのボーカルによって、Sci-fi、スチームパンクの要素、そして、ジャズのホーンのフレーズが加わると、Krafrwerkとは別の何かに変化する。この変身ぶりというか、変化の多彩さには驚愕を覚える。この曲はテクノであるとともにニューウェイヴでもあるのだ。


 

前曲と同じように、4曲目もアルバムにまつわる茫漠としたイメージを強化する力を備えている。前曲と地続きにある感じの「Disco Dangerous」は、ディスコ音楽に対する親和性とそれとは相反するアンチテーゼと両方の意味が込められている。彼らは、旧来のミラーボールのディスコ時代を肯定するとともに、それを痛快に否定する。新しいものを生み出すために、である。Fredrik Wallinのファンクとベースラインを下地にしたベースの演奏は、Squarepusherのように巧みで聴き逃がせないが、それらのコアなファンクのアプローチとは正反対に、ナガノのボーカルはUKソウルのトレンドであるJUNGLEのように、現代的なソウルのニュートレンドを開拓している。ある意味で、アース・ウインド&ファイアーのレコードへの肯定と否定がネオソウルというジャンルを生み出したと仮定づけるなら、JUNGLEが巻き起こしたUKソウルの旋風にリトル・ドラゴンも乗り、「Disco Dangerous」を介して、その恩恵にあやかろうというのだ。そしてJUNGLEがそうであるように、リトル・ドラゴンもフロアのサブベースのラウドな音響性を意識したソウルの最深部の領域へとしたたかに歩みを進め、ターンテーブルの転調の手法を踏襲することによって、ラップとソウルの中間点を探る。結果として、それは”エンターテイメントとしてのソウルの真骨頂”をアルバムの中盤において形づくることに成功しているのである。

 

アルバムの中盤部においてシネマティック/シアトリカルな要素を具える「Lily's Call」も面白い一曲で、作品全体に何らかのストーリー性をもたらしている。それほど映画には詳しくないが、何らかの印象的なシーンの導入部として取り入れられてもおかしくはないこの曲は、シンセストリングス/シンセパッドのゴージャスな響きと、水の泡を想起させるブクブクという音により、聞き手の想像力をかきたてずにはいられない。更に続いて、アルバムの前半部とは異なるアヴァン・ポップがナガノのボーカルによって始まるが、ソウルをはっきりと意識していたアルバムの前半部とはまったく異なる印象を与える。今年度のポピュラー・ミュージックの女性シンガーの最高峰と称しても違和感がないバルセロナのキャロライン・ポラチェクのようなモダンポップをこの曲で楽しむことが出来る。しかし、このトラックには、近年のトレンドであるラテンやアーバン・フラメンコの影響は全くなく、それとは対極にあるアイスランドのエレクトロニックのような、神話的でファンタジックな性質を付加したアヴァン・ポップが展開される。これはファンタジック・ポップとも形容してもおかしくない奇妙な曲のひとつなのだ。

 

刮目すべきは、「ラップはないの!?」という例の要求の多いファンの期待に答えようというのが続く「Stay」だ。この曲では、アトランタのタンクトップとゴールドのチェーンがユニークなラッパー/JIDがフィーチャーされ、彼のまったりとしたボーカルとフロウが十分堪能出来る。しかも、ラップとネオソウル、エレクトロニックを融合させたトラックとJIDのボーカルは相性抜群であり、彼のラップとは別のソウルのバックグラウンドの一端に触れることが出来る。ユキミ・ナガノの清涼感のあるボーカルと、渋さのあるJIDのボーカルの合致も良い雰囲気を醸し出されている。アルバムの中では最もエンターテイメント性の魅力に迫った一曲として楽しめるはずだ。

 

続く「Gold」 は、金銭的な幸福とは別の仕合わせがこの世に存在するのか、というテーマに根ざして制作された。この曲では、アルバムの冒頭のUKガラージやベースライン、あるいはディープ・ハウス/アシッド・ハウスのコアなクラブミュージックへと舞い戻るが、一曲目や二曲目よりもはるかにナガノのボーカルはソウルフルでスモーキーな雰囲気を帯びている。ユキミ・ナガノが「Like Million Dollars……」というフレーズに抑揚を込めて歌う瞬間は、ディープハウスとネオソウルの中間にあるこの曲に強いアクセントをもたらし、また、ディープなグルーブ感を及ぼしている。加えて、ブリストルのトリップポップを意識した曲調は、リトルドラゴンの明るい側面とは別の暗鬱とした瞬間を捉えている。そして当然のことながら、Portisheadほどではないものの、ヒップホップのビートを加味したトラックにはアンニュイな雰囲気も込められている。このあたりのマニアックなポピュラー音楽へのアプローチについては大きく意見が分かれそうだ。しかし、少なくとも、これらの哀愁を交えたソウルの要素は、アルバム全体に聴きごたえと、上記のようなテーマについて熟考させるような機会をリスナーもたらすはずだ。

 

 

先行シングルとして公開された「Kenneth」は、Aphex Twinのようなノイズを下地にしたコアなエレクトロニックのイントロが印象的だ。その後はレゲエやダブといったジャマイカ音楽をこのエレクトロの中に(忍者の如く)忍ばせている。この曲もまた、アルバム冒頭の主要曲と同様に、上辺の部分と下部では鳴り響く音楽が異なり、「ミルフィーユ構造」とも称すべき奇妙な音楽性が貫かれている。 しかしながら、その後も一定のジャンルに規定されず、曲の流れの中で印象はランタイムとともに劇的に変遷を辿り、アイスランドのエレクトロニカのファンタジックな要素を加味することにより、ビョークの音楽性を思わせるアヴァン・ポップの最北へと落着する。ユキミ・ナガノのボーカルは相変わらずネオソウルの範疇にあるのだが、結果的にクレスタのような音色を配したトラック全体との兼ね合いにより、mumのフォークトロニカにも近い性質を帯びるようになる。しかし、この曲はテクノなのではない、レゲエやダブの強いグルーブが背後からファンタジックな音色とボーカルを支え、旧来にない摩訶不思議なダンス・ポップが生み出されている。それは「Fossora」においてビョークが探求したオーケストラ・ポップの音楽性とも異なり、リトル・ドラゴンにしか生み出し得ないスペシャル・ワンでもある。

 

Blurのデーモン・アルバーンが参加した「Glow」も奇妙な一曲だ。手法論としてはブリストルのトリップ・ホップや、かつてのUnderworldが制作したようなメインストリームのエレクトロの範疇にあるトラックではありながら、ここには暗澹たる雰囲気もなければ、雨模様を思わせるアンニュイな雰囲気もない。いや、どころか、この曲はアルバムの中で最も清々しさと清涼感が感じられる。しかも、それも月並みな感覚ではない。内側の暗がりからふと一筋の不可解なエナジーが放射され、その対面にある壁全体をそれらのエナジーでひたひたと満たしていくかのような抽象性の高いイメージにより彩られている。また、言い換えれば、真夜中の海の水面の上にふっと得難いものが浮かびあがるような神秘的な瞬間が、このアヴァン・ポップの象徴的なトラックに見出せる。デーモン・アルバーンのボーカルについては、これらのマニアックな要素にどっしりとした安定感を与え、また、それは同時に聴いていて安堵感を覚えさせるものもある。

 

10曲目まで一曲も捨て曲がないことを見ると、力作以上の評価がつけられなければ不自然である。アルバム発売のために仕方なく収録した曲が存在しないことに驚かずにはいられない。老舗レーベル”Ninja Tune”の真骨頂ともいえるこれらの高水準にある楽曲は、その後の2曲でもそのクオリティーは維持される。 「Tumbling Dice」はキュートな雰囲気を感じさせるネオソウル/エレクトロニックで、温和な雰囲気が漂わせる。ソウルとディープハウスの融合という彼らの主要な印象をわかりやすい形でとどめ、心をほんのり和ませてくれる。エンディング曲「Easy Falling」では、ニューヨークのソウル・シーンの新星、マディソン・マクファーリンのクラシカルなソウルとジャズ、リトル・ドラゴンの代名詞のエレクトロ・サウンドを融合させている。

 

これらの曲は、マニアックであるだけではなくメジャーである。言い換えれば、亜流でありながら王道を行く。それがスウェーデン・ヨーテボリのリトル・ドラゴンの頼もしいところだ!! いかにもNinja Tuneらしい作品で、旧来のレーベルのファンはリトル・ドラゴンの新作をマストアイテムとして必携することになろう。アーティスト自ら最高傑作と位置づける『Slugs Of Love』が、どれほどの商業的な効果を及ぼすのかは想像も出来ないが、前作に続き、グラミー賞にノミネートされたとしても、(あるいは受賞したとしても)それほど大きな驚きはない。”スウェーデンにはリトル・ドラゴンあり”ということを証明付ける画期的な一作である。

 

 

92/100

 


Little Dragonのニューアルバム『 Slugs Of Love』は Ninja Tuneより発売中です。オフィシャルショップでのご購入/ストリーミングはこちらから。

 

 

 Weekend Featured Track-「Easy Falling」