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 サウスロンドンのヒップホップシーン

 

サウスロンドンは、既に、前にも記事で取り上げたが、ダブステップの発祥の地であり、またこのクラブミュージックが盛んな地域として知られているようです。

 

現在、サウスロンドンは、ヒップホップシーンが盛んな印象を受けます。元々、ロンドンのクラブシーンといえば、イーストロンドンが多くのアーティストが在住し、活動を行っている印象がありましたが、近年、このサウスロンドンにコアでホットなアーティストが数多く見られています。それほどヒップホップシーンには詳しくないけれども、サンファ、ストームジーらの台頭を見ても、サウスロンドンには魅力的なトラックメイカーが数多く存在します。

 

そして、現在においてもこれらのヒップホップアーティストは、ジャズ、ディープソウル、R&B,そして、サウスロンドンの地域的な音楽といえるダブステップを雰囲気を見事にラップの中に浸透させ、新たな潮流を形作るような音楽性が育まれているように思える。これからのヒップホップシーンの課題としては、こういった以前、ロックシーンが行ったようなミクスチャーという概念により、どこまでその音楽性に奥行きをもたせられるか。

 

もちろん、これらのアーティストは、エド・シーランやカニエ・ウェストといったビックアーティストのステージングのサポート・アクトを務めたり、と少なからず関係を持っているが、その音楽性については似て非なるものがある。特に、これらのサウスロンドンのアーティストは、ヒップホップという音楽にジャズ、ディープソウル的な洗練性を加えて、比較的落ち着いた雰囲気のトラック制作を行っている。そこにはIDMといった電子音楽の要素も少なからず込められているような雰囲気もあって面白い。つまり、無節操というわけではないが、近年のサウスロンドンのヒップホップは様々な他のジャンルを取り入れるのがごくごく自然なことになっているように思えます。

 

これは、これらのヒップホップアーティストの音楽が付け焼き刃なものでなく、なんとなく、このサウスロンドンに当たり前のように満ちている音楽がこういったトラックメイカーの素地を形作っている様子が伺えます。また、サンファのように、ポスト・クラシカルのピアノ曲を取り入れていたりするのもかなり興味深い特徴。直近では、アメリカでは、カニエ・ウェストや、ドレイク(Jay-Zをゲストヴォーカルに迎えた)と、ビックアーティストの新譜も続々リリースされていて目が離せないラップというカテゴリ。そして、アメリカのヒップホップと並んで、イギリスのサウスロンドンは、特にクラブシーンが熱い地域で、ヒップホップフリークとしても要チェックでしょう。



Loyle Carner

 

 

そして、 サンファ、ストームジーに続くサウスロンドンの期待のトラックメイカーが、ロイル・カーナー。まだ二十代半ばにも関わらず、大人の雰囲気を持った、また精神的に進んだ人格を感じさせる秀逸なヒップホップアーティストです。特に、世界的に見て、最も有望株のヒップホップシンガーと言っても差し支えないはず。 

 

Loyle Carner 1"Loyle Carner 1" by Stéphane GUEGUEN - Capo @ HiU is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

 ロイル・カーナーは、幼少期からADHDとディスクレシアといった症状を克服しようとたえず格闘してきた人物。そのため、中々、子供の時代から学校の勉強に適応しづらかったようではあるが、後には、アデルやワインハウスを輩出したブリットスクールで音楽を学んでいます。

 

2013年に、Rejjie SnowのEP作品「Rejovich」収録のトラック「1992」に共同制作者として名を連ねたところから始まる。この作品で一躍、ロイル・カーナーの名はラップシーンの間にまたたく間に浸透して行きます。

 

また、翌年、ロイル・カーナー、ソロ名義の作品として、シングル「A Little Late」を自身のウェブサイトで発表し、大きな話題を呼びました。また、同年には、ケイト・テンペストとの共同制作、7inch「Guts」をリリース。続いて、マーベリック・セイバー、トム・ミッシュとコラボレートした作品を発表して、徐々に、英国のヒップホップシーンにおいて知名度を高めていくようになります。


英国国内でのツアーを成功させた後は、コンスタントにシングル作をリリースしていき、2017年にはスタジオ・アルバム「Yesterdays Gone」を発表。この作品は、2017年度のマーキュリー賞にノミネートされています。次いで、2019年には「Not Waving,But Drowing」をリリースして大きな注目を集めました。これまでのキャリアにおいて、ブリット・アワーズにもノミネートされている英国のクラブシーンで最も旬なアーティストと言えそうだ。さて、今回は、サウスロンドンの期待の新星、ロイル・カーナーのこれまでのスタジオ・アルバム二作の魅力について触れておきましょう。

 

 

Yesterday's Gone 

 


 
 

TrackListing 

 

1.The Isle Of Arran

2.Mean It In the Morning

3.+44

4.Damselfly

5.Ain't Nothing Changed

6.Swear

7.Florence

8.The Seamstress

9.Stars&Shards

10.No Worries

11.Rebel 101

12.NO CD

13.Mrs C

14.Sun Of Jean

15. Yesterday's Gone


 

 

 

一躍、ロイル・カーナーの名を、英国のヒップホップシーンに知らしめた鮮烈的デビュー作。「Yesterday’s Gone」は、古典的なイギリスのヒップホップの旨味を引き継いだ作品といえる。

 

リードトラックの「The Isle Of Arran」は、普遍的な輝きを持ったヒップホップの名曲と言っても誇張にはならないはず。

 

ここで、展開される軽快なライムの爽快感、そして、そこにディープ・ソウルの音楽性が見事な融合を果たしている。この辺りは、ワインハウスを輩出したブリットスクール出身のアーティストらしい感性の鋭さ。しかも、自分のライムが首座にあるというより、彼自身は引き立て役に回り、英国発祥のディープ・ソウルをトラックメイクの主役に持ってきている辺りが秀逸。ディープ・ソウルに対するリスペクトが込められている。

 

興味深いのは、「Ain't Nothing Changed」では、ジャズとヒップホップを巧緻に融合させた見事なトラックメイキングが行われている。普遍的なヒップホップの軽快なライムに加え、サックスの芳醇な響きがサンプリングとして配置される。その合間に繰り広げられるカーナーの生み出す言葉のリズム感には独特の哀愁が漂っている。そして、トラックの最終盤では、ジャズに対し、主役の座を譲るあたりもトラック全体に奥行きをもたらす。平面的なヒップホップでなく、立体的な音の質感とアンビエンスを演出することに成功している。


特に、このデビュー作「Yesterday's Gone 」の中で全体な印象に最もクールな質感をもたしているのが、「The Seamstress(Tooting Masala」。ここで、ロイル・カーナーは、クラブシーンのコアな音楽性の領域に挑戦している、アシッドハウス、チルアウトに近い雰囲気を持ったトラック。ヒップホップバラードと呼べるような、独特な哀愁が漂っており、これまでありそうでなかった清新な雰囲気が滲んでいる。

 

カーナーのスポークン・ワードというのは、一貫して落ち着いており、気分が抑制されており、徹底してひたひたと同じ音程の間を漂っている。

 

どのトラックの場面においても、彼は、このスタイルをストイックに貫いている。それは独特な、波間を穏やかにたゆたうかのような情感をもたらす。ロイル・カーナーのライムの独特な雰囲気に滲んでいるのは、ヒップホップ音楽としての深い抒情性、ただならぬエモーションである。

 

また、その一種の冷徹さの中に、キラリと光る原石のような質感が込められていると思えてならない。特に、カーナー独特なライムとしてのリズムの刻み、Aha、といった間投詞が特に他のラッパーと異なるダウナーな印象を与え、語法にクールさをもたらしている。

 

このカーナー独自の要素、あるいは、スポークンワードとしての語法は、二作目のライムにもしっかりと引き継がれている。つまり、カーナーという人物、ひいては彼の音楽性の中核を形作っている。純粋に、フレーズの合間に出来た空白の中に、頷き一つをそつなく込めるだけで、トラックに、グルーブ感とタイトさをもたらし、アンニュイな抒情性を与えもし、さらに、それを徐々に渦巻くように拡張していく。しかし、それは徹底して内省的、つまり内向きなエナジーに満ちている事が理解出来る。カーナーは、このデビュー作においてこれまでありそうでなかったラップスタイルを生み出した。このロイル・カーナー特有の語法はほとんどお見事としか言うよりほかない。

 

 

 

「Not Waving,But Drowing」

 



 

TrackListing

 

1.Dear Jean

2.Angel

3.Ice Water

4.Ottolenghi

5.You Don't Know

6.Still

7.It's Coming Home

8.Desoleil(Brilliant Coners) 

9.Loose Ends

10.Not Waving,But Drowing

11.Krispy

12.Sail Away Freestyle

13.Looking Back

14.Carluccio

15.Dear Ben 



 

そして、ロイル・カーナーの完全なる進化、トラックメイカーとしてただならぬ才覚の迸りを感じさせるのが二作目のスタジオ・アルバム「Not Waving,But Drowing」。UKのアルバムチャートでは最高3位を、そして、R&Bチャートでは堂々1位を獲得している。

 

リードトラック「Dear Jean」は前作の流れを受け継いだ作品で、彼特有のスポークン・ワードのリズムがクールに紡がれている。どことなくジェイムス・ブレイクの音楽性に対する憧憬のも滲んでいるように思える。また、そして、前作よりも落ち着いた哀愁が漂う。


今作の中で最も聞きやすいと思われるトラックは「Ottolenghi」。ここではエレクトリック・ピアノをフーチャーしたR&B寄りのバラードが軽快に展開される。しかも前作よりもカーナーのスポークンワードはパワーアップし、よりラッパーとしてのハリと艶気が漂う。

 

特にこのアルバムで個人的に最も気に入っているトラックは、Samphaとの共同作品なっている「Dersoleli(Blilliant Corners) 」。

 

このトラックでは、サウスロンドンらしいダブステップの雰囲気とディープ・ソウルが見事な融合を果たしている。どことなく、憂鬱さを漂わせるピアノのアレンジメント、そして、この作品に参加している二人のラッパーの声質も絶妙にマッチしている。全体的に カーナーのスポークンワードは切れ味が鋭さを持つが、やはり、一作目のように徹底に抑制が取れたクールな雰囲気が漂う。そして、痛烈なエモーションな質感によって彩られている。この切なさは何だろうか? いかにもサウスロンドンという感じで、アンニュイな夜の空気感にトラックは彩られていて、異質なほどの艶気を漂わせている。リズムトラックも低音のバス、高音域のタムの抜けのバランスが心地よい。アウトロの爽やかに鼻で笑い飛ばす感じも、クールとしか言いようがない。 

 

また「Krispy」は、ミニマリストとしてのサンプリングが際立つ爽やかな楽曲、終盤にかけてはジャズとヒップホップの融合に挑戦している。トランペットのジャズ的なフレージングも豪奢な感じに満ちている。特にアウトロにかけての独特な雰囲気はほのかな陶酔感によって彩られる。

 

全体的な作風としては、前作よりも落ち着いたディープ・ソウル寄りの渋めのヒップホップ。そして、なんと言っても、このスタジオアルバムが素晴らしいと思うのは、新たなヒップホップの可能性というのが示されていることだろう。ここではロンドン発祥のディープ・ソウル、ダブステップ、ジャズを見事にかけ合わせ、それを絶妙にブレンドしてみせ、更にこのジャンルの未来型を見事に示してみせた痛快な作品である。

 

特に、ラストトラックは、次の作品への序章のようなニュアンスを感じさせ、何かしら未来への希望に満ち溢れている。

 

つまり、まだ、この素晴らしいヒップホップアーティスト、ロイル・カーナーの壮大な物語は始まりを告げたばかりであることを示しているように思える。イギリスの音楽メディアが彼を「ヒップホップ界のホープ」と呼びならわすのには大きな理由があり、彼のスポークンワード、トラックメイク自体がそのことを、なめらかに物語っている。 


Gina Birch 『I Play My Bass Loud』


 


Label: Third Man Records

Release: 2023年2月24日




Review



ジーナ・バーチはレインコーツのメンバー、ベーシストとしてお馴染みである。レインコーツは合唱のイラストのデザインで有名なセルフタイトルが代表作に挙げられる。が、印象としては日本でCD盤の流通が一般的だった00年初頭の頃、レコード店に毎日のように通っていた学生時代、なかなかレコードストアで入手しづらかった記憶もある。今では、どの曲をよく聴いていたのかもよく覚えてはいませんが、少なくとも、Raincoatsは、スコットランドのPastelsとともに私の記憶に強烈に残っている。そして、今でもよく思うのは、レインコーツというバンドは掴みどころがないというか、ジャンルを規定することがすごく難しいガールズバンドだったのです。


レインコーツはポスト・パンク・バンドのノイジーな部分もあり、いわゆるネオアコにも近いキャッチーさもあり、かと思えば、ガールズバンド特有のファンシーさも併せ持つ奇妙なバンドというイメージを私自身は抱いていた。それはたとえば、The Slitsのわかりやすいパーティーを志向したダブよりもはるかにレインコーツという存在に対して不可解な印象を持っていました。

 

時代を経て、ベーシストのギーナ・バーチはソロ転向し、サード・マン・レコーズからデビュー・アルバム『I Plat My Bas Loud」をリリースしている。既にそれ以前の時代に有名なバンドのメンバーがソロ転向して何かそれまでと異なる新しい音楽性を生み出すことは非常に稀有なことである。それは以前の成功体験のようなものがむしろ足かせとなり、新しいことにチャレンジできなくなる場合が多いからです。もちろんすべてがこのケースに当てはまるとは言えません。ザ・スマイルのトム・ヨークは少なくとも、レディオヘッドとは違い、ポスト・パンクやダブ、エレクトロの要素を上手く取り入れており、そして、ギーナ・バーチも同様にこのソロ・デビュー作で見違えるような転身をみせています。いや、それは前時代の延長線上にあるが、少なくともレインコーツの時代を知るリスナーに意外性を与えるような新鮮味に富んでいる。そしてかのアーティストが傑出したベーシストであることを対外的に示し、さらにレインコーツの時代見えづらかった副次的なテーマのようなものが随所に感じ取れる作品となっているのです。

 

一曲目のタイトルトラックでギーナ・バーチは分厚いベースラインとともにダブを展開する。そしてかつてのポスト・パンクの実験性、そしてスリッツのような痛快なコーラスワークを通じて現代のポピュラー・ミュージックを踏まえつつも、それとは異なる側面を提示しています。そして、ギーナ・バーチは裏拍を強調したツー・ステップに近いビートを交えつつ、ダブとレゲエの中間を行くようなトロピカルなボーカルを披露します。ヴォーカルのトラックにディレイを分厚くかけることにより、自分の声そのものを背後にあるビートのように処理している。時に自分の声を主役においたかと思えば、他の部分ではベースが主役になったりするのです。


これらのサウンドはいつも流動的な立ち位置を示し、一つのパートに収まることがない、ボーカルは軽妙でキャッチーさを意識してはいますが、何十年も音楽を愛してきた無類の音楽愛好家にしか生み出すことの出来ないコアなサウンドをギーナ・バーチは提示しています。続く「And Then〜」では、ポエトリー・リーディングの手法を見せ、未だにポスト・パンク世代の実験性を失っていないことを示している。

 

このデビュー・アルバムには面白い曲が満載です。没時代的なロックバンガー「Wish I Was You」は、キム・ディール擁するBreedersにも比する快活なオルタナティヴサウンドとなっている。ポストパンクの実験性を交え、ガールズバンドの出身者らしくロックンロールの見過ごされてきたユニークな魅力を再提示する。まさにこの曲はステージでのライブを意識しており、近年のポストパンクバンドにも引けを取らない迫力満点のロックサウンドを生み出してみせたのです。

 

続く、ダブのリズムを突き出した「Big Mouth」は近年のトレンドのポピュラー・ミュージックを意識し、ボコーダーを取り入れつつ、ロボット風のボーカルとして昇華し、SF的な世界観を提示し、特にアルバムの中では1番ベースラインのクールさが引きだれた一曲となっている。驚きなのは、つづく「Pussy Riot」であり、ダブ・ステップに近いビートをイントロに取り入れてレゲトン風のノリを生み出している。これはギーナ・バーチが少し前に流行ったレゲトンや、最近話題に上るアーバン・フラメンコのようなサウンドをセンスよく吸収していることを表しています。


そこには例えば、トーキング・ヘッズに象徴される旧来のポスト・パンクサウンドの影響もあるにしても、旧時代の音楽に埋もれることなく最新鋭のサウンドを刺激的に取り入れている。これはいまだにギーナ・バーチがミュージシャンとしての冒険心を忘れていないことの証となる。おそらく新しいものを古いものと上手く組み合わせることの重要性を知っているのでしょう。

 

 「I Am Rage」、「I Will Never Wear Stilettos」、「Dance Like A Devil」などなど、その他、レインコーツの時代のジャンルレスの要素を継承するかのように、アートポップ、ノイズポップ、アヴァンギャルドポップを始めとする、最近のジョックストラップのような前衛性を感じさせる特異な音楽が続く。


ギーナ・バーチは、テクノ/ハウスのシンプルな4ビートを踏まえながら、それをポピュラーミュージックの領域にある音楽として解釈していますが、これらの曲は常に表面的な音楽の裏側にこのアーティストの主張性や考えのようなものが暗示的に込められているような気がして、なかなか一筋縄ではいかないサウンドとなっています。そして、かつてのレインコーツの時代と同様、規定できない要素を実験的に掛け合わせることで、未曾有のサウンドが随所に生み出されているような気もします。とりわけ、圧巻なのは、アルバムの10曲目を飾る「Feminist Song」で、この曲はアーティストが70年代からポスト・パンクの気鋭としてシーンに台頭し、いまだに主体的な考えや主張性を失っていないことを表しています。音楽シーンや社会に対しての提言や意見を持ち合わせているからこそこういった表現が生み出されるのだろうと思われます。

 

 

84/100

 

 

Featured Track 「I Play My Bass Loud」

Wu-Lu


英国・ロンドンを拠点に活動するWu-Luは、7月8日にWarp Recordsと契約を結んで初のアルバム「Loggerhead」のリリースを予定している。

 

兼ねてから、ウー・ルーは物事を穏やかに定めるタイプではなかったという。彼の音楽は大胆でありながら、非常に繊細で、感受性豊か、時に、ひどく傷つきやすい性質を持っていたのだ。

 

ウー・ルーの音楽スタイルを定義付けるのは不可能である。世の中のラベリングに抗う。そして、狭小な固定概念こそ差別を増長させることをよく知っている。彼の音楽は、異質であり、広大で、世の中の常識を打ち破るに足る。ラップでありながら、明らかにグランジを内包している。その他、Aphex Twinのドリルンベースを通過し、UK・ダブステップの影響を隠そうともしない。

 

ウー・ルーは、ラップをしながら、歌い、叫び、複数の楽器を演奏するマルチインストゥルメンタル奏者でもある。しかし、彼は、純粋なラッパーではない。音楽的なルーツであるパンク・ロッカーと自分の音楽を比べながら、アーティストとしての道のりを歩んできた。つまり、近年、電子音楽にとどまらず、多彩なジャンルのカタログをリリースするようになった英国のワープ・レコードにとっては願ってもない、レーベル一押しのビック・アーティストの台頭である。

 

彼は、2015年にセルフリリースのデビュー・アルバム「Ginga」 を提げ、サウスロンドンのシーンに彗星のごとく登場し、2018年と2019年に「NAIS」と「SUFOS」をリリースします。その後、2021年4月に「Times」、12月には「Broken Homes」のリードシングルをドロップ。

 

新作アルバム『Loggerhead』の3作目のプレビューシングル「Blame」を5月27日にリリースしている。 

 

 

「Blame/Ten」

 

 

 

 

この新曲で、ウー・ルーは内面にわだかまる毒気を容赦なく吐き出す。実際の音楽として表現されるのは、ソウルフルなピアノのサウンプリング、そして、交互に現れる静かなブレイクビーツ、さらに、曲の中に繰り広げられる混沌としたボーカル・コーラス。実に多彩な要素を交えています。

 

基本的なリズムについては、UKエレクトロ、ベースライン、ダブ/ダブステップの要素が込められ、それらにラップの要素を絡め、アフリカ民族音楽のようなアクの強い独特のリズム性を擁する。

 

さらに、Wu-Luは、新作アルバムの先行トラックとして、5月27日にリリースされた「Blame」のフォローアップとなるニューシングル「Scrambled Tricks」を公開した。ウー・ルーはこの新曲について話す。


「この曲は、人生というゲームについて歌っている。 バケツの中のカニ、シーンの希望、血を吸う吸血鬼、自分の利益を得るために行き過ぎる人々の声がより大きくなるわけだ」

 

 

「Scrambled Tricks」

 

 

 

Wu-Luは、先に述べたように、これまでとはかなり異質なクロスオーバーミュージックを掲げる。それは既存のミュージックジャンルに定義されない。英国のダンス/エレクトロニックの名門レーベル、Warp Recordsからの期待のアーティストの登場ということで、是非、チェックしていただきたい。

 

 

WU-LU 「Loggerhead」

 

WARPCDD342

 



 

Relaese:July 8th,2022


Tracklisting


1.Take Stage

2.Night Pill(feat。Asha)

3.Facts

4.Scrambled Tricks

5.South(feat.Lex Amor)

6.Calo Paste(feat.Lea Sen)

7.Slightly

8.Blame

9.Ten

10.Road Trip

11.Times

12.Broken Homes

 


 

Warp Records

 

https://warp.net/releases/307313-wu-lu-loggerhead 


bandcamp


https://wu-lu.bandcamp.com/album/loggerhead

 


 Pole  『Tempus』

 

 

 Label: Mute

 Release: 2022年11月18日

 

 

Review

 

 

ドイツ/ベルリンのプロデューサー、ステファン・ベトケは、既に長いキャリアを持つ電子音楽家で、ドイツのテクノ・ミュージックの伝統性を受け継ぐミュージシャンとして知られている。2000年代後半に発表した、三部作『I』『Ⅱ』『Ⅲ』において、このサウンド・デザイナーの持つ強固な個性を見事な電子音楽として昇華した。この三部作は、コンピューターシステムのエラーを介して発生するグリッチを最大限に活かした傑作として名高い。冷徹なマシンビートが重層的に組み合わされて生み出される特異なグルーブ感は、ベトケの固有の表現性と言えるだろう。


先週金曜日に発売された『Tempus』は、ステファン・ベトケ曰く、2020年の前作アルバム『Fading』の流れを受け継いだもので、その延長線上にあるという。しかし、2000年代の三部作とは異なる作風を今作を通じてベトケが追い求めようとしているのは、耳の肥えたリスナーならばきっとお気づきのことだろう。ステファン・ベトケは、今回の制作に際して、母親の認知症という出来事に遭遇したのを契機として、その記憶のおぼつかなさ、認知症の母に接する際の戸惑いのような感覚を、今作に込めようとしたものと推測される。しかし、記憶というのは、常に現在の地点から過去を振り返ることによって発生する概念ではあるが、ーー過去、現在、未来ーー、と、ベトケは異なる時間を1つに結びつけようとしている。これが何か、本作を聴いた時に感じられる不可思議な感覚、時間という感覚が薄れ、日頃、私達が接している時間軸というものから開放されるような奇異な感覚が充ちている理由とも言えるのである。


今作のアプローチには、2000年代のグリッチ/ミニマルの範疇には留まらず、実に幅広いベトケの音楽的な背景も窺える。そこには、メインとするグリッチの変拍子のリズムに加え、CANの『Future Days』のクラウト・ロック/インダストリアルへの傾倒もそこかしこに見受けられる。他にも二曲目の「Grauer Saound」では同じベルリンを活動拠点とするF.S. Blummのようなダブへの傾倒も見られる。しかし、ベトケの生み出すリズムは常に不規則であり、リスナーがリズムを規定しようとすると、すぐにその予想を裏切られ、まさに肩透かしを喰らってしまう。そして、ダブのようにリバーブを施したスネアの打音が不規則に重ねられることによって、ダブというよりもダブステップに近い複雑怪奇なグルーブ感が生み出される。聞き手はステファン・ベトケの概念的なテクノサウンドに、すっかり幻惑されてしまうという始末なのである。

 

アンビエントに近いテクスチャーにこういったダブに近いリズムが綿密に組み合わされ、『Tempus』の音楽性は構築されていくが、時に、これらの楽曲にはジャズに近いピアノのフレーズが配置され、これが無機質なアプローチの中に、僅かな叙情性を漂わせる理由といえる。しかし、それらのフレーズは常に断片的であり、何か人間の認識下に置かれるのを拒絶するかのような、独特な冷たさが全編を通じて漂っている。このあたりの没交渉的な感覚にクールさを見出すかどうかが、この最新アルバムを好ましく思うかの分かれ目となるかもしれない。

 

『Tempus』は、かなり前衛的なアプローチが図られており、聴く人を選ぶというより、聴く人が選ばれる、というような作品となる。しかし、この近未来へのロマンチシズムを思わせるようなアプローチ、モダン・インダストリアルな雰囲気の中に、今回の制作において、ステファン・ベトケの構想した、過去、現在、未来を1つに繋げるという、SFの手法が上手く落としこまれているのもまた事実だ。ステファン・ベトケは、リズムの面白さを脱構築的に解釈し、あえて不規則なリズムをランダムに配置することによって、自身の不安めいた感覚を電子音楽として表現しようとしているように思える、それは彼の内面の多彩性がこのような複雑な形で表れ出たとも言える。

 

最新作『Tempus』において、ドイツテクノシーンの最前線に位置するステファン・ベトケは、新しい立体的な電子音の構築を試みているが、彼の模索する新たなリズム構築の計画は未だ途上にあると思われ、今作で、ステファン・ベトケの最新の作風が打ち立てられたと考えるのは、やや早計となるかもしれない。しかし本作は、CANを始めとする、プリミティブなクラウト・ロックを現代的な視点から電子音楽により再構築したアルバムとして、多様な解釈を持って聴き込めるような作風となっている。


78/100


 

 

©T-Bone Fletcher


ロンドンのクラブミュージックの象徴的な存在であるMount Kimbie(マウント・キンビー)は、約7年ぶりとなるアルバム『The Sunset Violent』を発表した。ダブステップの先を行くポスト・ダブステップに関連付けられるプロデューサーの作品がどのような内容になるのか。

 

2017年の『Love What Survives』に続くこのアルバムは、4月5日にWarpからリリースされる。新曲「Fishbrain」はテゲン・ウィリアムズが監督したミュージック・ビデオも公開された。(ストリーミングはこちら

 

『サンセット・ヴァイオレント』はカリフォルニアのユッカ・バレーで書かれ、ロンドンで完成した。11月にリリースされた「Dumb Guitar」のほか、盟友とも言えるキング・クルールとの2曲(以前シェアされた「Boxing」を含む)が収録されている。日本盤は各レコードショップにて。

 

 

 「Fishbrain」




Mount Kimbie 『The Sunset Violent』


Label: Warp 

Release: 2024/04/05


Tracklist:


1. The Trail

2. Dumb Guitar

3. Shipwreck

4. Boxing [feat. King Krule]

5. Got Me

6. A Figure in the Surf

7. Fishbrain

8. Yukka Tree

9. Empty and Silent [feat. King Krule]

 

Pre-order:

https://mountkimbie.warp.net/ 




2023年度のエレクトロニック・シーンの話題の中で、最も注目すべきは、イギリスのエイフェックス・ツインがライブに復帰し、そして新作EP『Blackbox Lif Recorder 21F/In a Room7 F760 』をリリースしたことに尽きる。

 

フレッシュな存在としては、ウェールズからはトム/ラッセル兄妹によるデュオ、Overmonoが台頭し、ニューヨークのシンセ・ポップ・デュオ、Water From Your Eyesが登場している。また中堅アーティストの活躍も目覚ましく、ジェイムス・ブレイクも最新作でネオソウルとヒップホップを絡めたエレクトロニックに挑戦している。さらに、アイルランドのロイシン・マーフィーもDJ/ボーカリストとしての才覚を発揮し、最新作で好調ぶりをみせている。

 

2023年度のエレクトロニックの注目作を下記に取り上げていきます。あらためてチェックしてみて下さい。

 



Overmono 『Good Lies』


 

ウェールズから登場したトム/ラッセル兄妹によるデュオはデビュー・アルバム『Good Lies』(Review)でロンドンやマンチェスターの主要なメディアから注目を集めた。

 

ダブステップを意識した変奏ク的なベースに、ボコーダーなどを掛けたボーカルトラックを追加し、ポピュラーなダンスミュージックを制作している。少なくとも軽快なダンスミュージックとしては今年の作品の中でも抜群の出来であり、現地のフロアシーンを盛り上がらせることは間違いない。


全般的にはボーカルを交えたキャッチーなトラックが目立ち、それが彼等の名刺がわりともなっている。だが彼らの魅力はそれだけに留まらない。


その他にも二つ目のハイライト「Is U」では、ダブステップの要素を交えたグルーブ感満載のトラックを提示している。同レーベルから作品をリリースしているBurialが好きなリスナーはこの曲に惹かれるものがあると思われる。そして、それは彼らのもうひとつのルーツであるテクノという形へと発展する。この曲の展開力を通じ、ループの要素とは別にデュオの確かな創造性を感じ取ることができるはずである。

 

更にユーロビートやレイヴの多幸感を重視したクローズ曲「Calling Out」では、Overmonが一定のスタイルにとらわれていないことや、シンプルな構成を交えてどのようにフロアや観客に熱狂性を与えるのか、制作を通じて試行錯誤した跡が残されている。これらのリアルなダンスミュージックは、デュオのクラブフロアへの愛着が感じられ、それが今作の魅力になっている。

 

 


 

Aphex Twin 『Blackbox Lif Recorder 21F/In a Room7 F760 』 EP

 

 


 

近年、実験音楽をエレクトロニックの中に組み込んでいた印象のあるAphex Twin。久しぶりの復帰作は『Ambient Works』のアンビエント/ダウンテンポの時代から『Richard D James』アルバムまでのハード・テクノ、ドリルン・ベースの要素を取り入れた作風と言えるか。


しかし、パンデミックの期間を経て、何らかの制作者の心境が変わったように思え、スタジオの音源というよりも、ライブセットの中でのリアルな音響を意識した作風が目立つ。今年、ライブステージでもバーチャル・テクノロジーを活かし、画期的な演出を披露している。少なくとも、ここ近年には乏しかったリズムの変革を意識したEPであり、先行シングルとして公開されたタイトル曲は旧来のファンにとどまらず、新規のファンもチェックしておきたいシングルである。


 

 

 

 

James Blake 『Playing Robot Into Heaven』


 

来年のグラミー賞にノミネートされている本作。ロンドンのプロデューサー/シンガーソングライターによる『Playing Robot Into Heaven』は、ネオソウル、ラップ、そしてエレクトロニックとアーティストの多彩な才覚が遺憾なく発揮された作品である。前作はボーカル曲の印象が強かったが、続く今作は、ダンス・ミュージックを基調としたポピュラー音楽へと舵取りを果たした。

 

しかし、その中にはアーティストが10代の頃からロンドンのクラブ・ミュージックに親しんでいたこともあり、グライム、ベースライン、ハウス、ノイズテクノなど多彩な手法が組み込まれている。これは制作者がライブセットを多分に意識したことから、こういった作風になったものと思われる。しかし、ボーカルトラックとしては、最初期から追求してきたネオソウルを下地にした「If You Can Hear Me」が傑出している。特に面白いと思ったのは、クローズ曲で、パイプオルガンのシンセ音色を使用したクラシカルとポップスの融合にチャレンジしている。これはBBCでもお馴染みのKit Downesの作風を意識しているように思える。意欲的な作品と言える。




Loraine James 『Gentle Controntation』

 


 

ロンドンのエレクトロニックプロデューサー、ロレイン・ジェイムスは、ローレル・ヘイローの『Atlas』に関して「美しい」と評していました。

 

しかし、 『Gentle Controntation』も音の方向性こそ違えど、『Atlas』に引けを取らない素晴らしいアルバムであり、もしかりにエレクトロニックのベスト・アルバムを選ぶとしたら、『Gentle Controntation』、もしくはアメリカのJohn Tejadaの『Resound』であると考えている。

 

特に、「Post-Aphex」とも称すべきドラムンベース/ドリルンベースの変則的なリズムの妙が光り、そしてその中に独特な叙情性が漂う。おそらく、アコースティックのドラム・フィルをKassa Overall/Eli Keszlerのような感じで、ミュージック・コンクレートとして処理し、その上にシンセサイザーの音源や、ビートやパーカッションを追加した作品であると推測される。現在最も才覚のあるエレクトロニック・プロデューサーを挙げるとしたら、ロレイン・ジェイムスである。女性プロデューサーは、それほど旧来多くは活躍してこなかった印象もあるけれども、きっとこのアーティスト(ロレイン・ジェイムス)が、その流れを変えてくれるものと信じている。



 

 


Rosin Murphy 『Hit Parade』

 


 

世界的な影響力という側面で語るならば、今年度のNinja Tuneのリリースの中では、Young Fathers(ヤング・ファーザーズ)の1択なんだけれど、個人的にはアイルランド出身のSSW/DJのロイシン・マーフィーのDJ Kozeをフィーチャーした最新作『Hit Parade』が好き。

 

本作の発売前、LGBTQに関してアーティストは発言を行っていますが、別に間違ったことは言っていない。多分、ラベリングせず、個人としての尊厳を重んじてという真っ当な考えが曲解されたと思われる。言葉尻だけ捉えるかぎり、ロイシン・マーフィーの発言の真意に迫ることは難しいのだ。


マーフィーの故郷であるアイルランドで撮影されたビデオも本当に美しかった。DJセットを意識したダンスミュージックの範疇にあるネオソウルとしてはかなりの完成度を誇っている。ディスコソウルの範疇にある80年代のダンスミュージックの懐古的な雰囲気も今作の雰囲気にあっている。特にアルバムの中では、「CooCool」、「The Universe」、「Fader」はソウルミュージックのニュートレンドと言える。アルバムジャケットで敬遠するのはもったいない。

 


 

 


Sofia Kourtesis 『Madres』

 


 

ベルリンを拠点にするエレクトロニック・プロデューサー、ソフィア・クルテシスの最新作もコアなレベルでかっこいい。どちらかと言えば、エレクトロニックの初心者向けの作品ではなく、かなり聴き込んだ後に楽しむような作品。ワールドミュージックの要素を内包させたエレクトロニックだ。

 

アルバムの制作の前に、アーティストはペルーへの旅をしているが、こういったエキゾチックなサウンドスケープは、続く「Si Te Portas Bonito」でも継続している。よりローエンドを押し出したベースラインの要素を付け加え、やはり4ビートのシンプルなハウスミュージックを起点としてエネルギーを上昇させていくような感じがある。さらにスペイン語/ポルトガル語で歌われるボーカルもリラックスした気分に浸らせてくれる。Kali Uchisのような艶やかさには欠けるかもしれないが、ソフィア・クルテシスのボーカルには、やはりリラックスした感じがある。やがて、イントロから中盤にかけ、ハウスやチルアウトと思われていたビートは、終盤にかけて心楽しいサンバ風のブラジリアン・ビートへと変遷をたどり、クルテシスのボーカルを上手くフォローしながら、そして彼女持つメロディーの美麗さを引き出していく。やがてバック・ビートはシンコペーションを駆使し裏拍を強調しながら、お祭り気分を演出する。もし旅行でブラジルを訪れ、サンバのお祭りをやっていたらと、そんな不思議な気分にひたらせてくれる。

 

 

 

 

 

Water From Your Eyes 『Everyone's Crushed』

 


 

2023年、ニューヨークのMatadorと契約を交わした通称「あなたの目から水」、Water From Your Eyesのネイサンとレイチェルは、二人とも輝かしい天才性に満ちあふれている。

 

デュオはソロアーティストとして、インディーポップのマニアックな作品に取り組んでいるが、デビュー・アルバム『Everyone's Crushed』では、エレクトロニックやシンセポップ、ポスト・パンク、ノーウェイブ、インディーポップをミックスした新鮮な音楽に取り組んでいる。しかし、「あなたの目から涙」の最大の魅力は実験音楽や現代音楽に近いアヴァンギャルド性に求められる。またアルバムアートワークに象徴づけられる「AKIRA」のようなSFコミック風のイメージもデュオの魅力と言える。本作では、「Barley」のビートの変革、あるいは「14」でのオーケストラとポップス、エレクトロニックをクロスオーバーしたような作風も素晴らしい。

 

 

 


 

Avalon Emerson  『&the Charm』

 


 

イギリスのDJとして現地のクラブシーンで鳴らしてきたアヴァロン・エマーソン。実は、現地でしか聞けない音楽というのがある。それは他のどの地域でも聴くことが出来ず、またレコードなどの音源でも知ることが出来ないもの。アヴァロン・エマーソンのエレクトロニックはそういったスペシャルなダンスミュージックだ。旧来は、DJとしてクラブのフロアでならしてきたアーティスト。今作では彼女が得意とするスタイルに、ボーカルを加えたポップとして仕上げている。

 

『& the Charm』は、コアなDJとしての矜持がアルバムのいたるところに散りばめられている。テクノ、ディープハウス、オールド・スクールのUKエレクトロ、グライム、2Step、Dub Step、とフロアシーンで鳴らしてきた人物であるからこそ、バックトラックは単体で聴いたとしても高い完成度を誇っている。さらに、エマーソンの清涼感のあるボーカルは、彼女を単なるDJと見くびるリスナーの期待を良い意味で裏切るに違いあるまい。今回、アヴァン・ポップ界でその名をよく知られるブリオンをプロデューサーに起用したことからも、エマーソンがこのジャンルを志向した作曲を行おうとしたことは想像には難くない。何より、これらの曲は、踊りやすさと聞きやすいメロディーに裏打ちされポピュラーミュージックを志向していることが理解出来る。

 

 

 

 

John Tejada 『Resound』

 

 


 

オーストリア/ウィーン出身で、現在は米国のテック/ハウスの重鎮といっても過言ではない、ジョン・テハダ。このアルバムはベースの鳴りが今年度聴いた中で一番凄くて驚いてしまった。 


今年既に3作目となる『Resound』(Review)はテハダ自身がこれまで手掛けてきた音楽や映画からインスピレーションを得ている。クラシックなアナログのドラムマシンとフィードバック、そしてノイジーなディレイによるテクスチャを基盤として、テハダは元ある素材を引き伸ばしたり、曲げたり、歪ませたりしてトーンに変容をもたらす。さらにはシンセを通じてギターのような音色を作り出し、テックハウスの先にあるロック・ミュージックに近いウェイブを作り出すこともある。その広範なダンスミュージックの知識は、ゴアトランス、Massve Attackのようなロックテイストのテクノ、そして、制作者の代名詞的なサウンド、ダウンテンポを基調としたテック/ハウスと数限りない。

 

特に圧巻と思ったのは、「Fight or Flight」では、Aphex Twinの影響を感じさせる珍しいアプローチをとっている。さぞかしこの曲をDJライブセットで聴いたらかっこいいだろうなあと思う。



 

 

 Marmo  『Epistolae』


 


ロンドンのアンダーグラウンドのミュージック・シーンで着目すべきなのは、何もSaultだけではない。エレクトロ・デュオ、Marmoもまたその全容は謎めいており、あまり多くは紹介されない。以前、The Vinyle Facotryが紹介してくれたので、Marmoを知る機会に恵まれた。デュオは最初からエレクトロニックを演奏していたのではなく、10年前はメタルバンドとして活動していたという。

 

ラテン語で「書かれた手紙」を意味するという『Epistolae』は、COV期間中にロンドンとボローニャの間で制作された。COVID-19のパンデミックの最中に、ロンドンとボローニャの間で作られた作品。友情への頌歌であり、また、パンデミックの間につながりを保つ方法として作られた。

 

この作品については、デュオの謎めいたキャリアを伺わせるアヴァンギャルドな電子音楽が貫かれている。 その中には、トーン・クラスターを鋭利に表現するシンセ、ノイズ、アンビエント風の抽象的な音作り、そしてインダストリアル風の空気感も漂う。一度聴いただけでは、その音楽の全容を把握することはきわめて難しい。ロンドンの気鋭の電子音楽デュオとして要注目。






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 Actress 『Statik』

 

Label: Smalltown Supersound

Release: 2024/06/07

 

 

Review


ロンドンのエレクトロニック・プロデューサー、ダニエル・カニンガムによるプロジェクト、Actressは、摩訶不思議なサウンドテクスチャーを作り上げる。イギリス/ロンドンのベースメントのクラブミュージックを反映させ、ベースラインからダブステップ等、変則的なリズムを配し、ブレイクビーツに基軸を置いたアブストラクトなテイストを持つエレクトロニックを制作する。

 

カニンガムの作風は、ロサンゼルスのローレル・ヘイローの最初期の作風を想起させ、いわば電子音楽によるミステリアスな世界へとリスナーを誘う。音のモジュレーションの変化により、トーンが徐々に変化していき、その中にリサンプリングの手法を交え、グリッチノイズやダブステップのリズムを配置する。

 

アルバムの収録曲には、Autechre(オウテカ)のようにノンリズムによる構成も見受けられる。ヒップホップのチョップやブレイクビーツの手法が織り交ぜられ、ミニマルテクノの範疇にある前衛的なリズムが構築されている。ただ、2022年のアルバム『Karma & Desire』を聴くと分かるように、ダニエル・カニンガムの作風は、なかなか一筋縄ではいかないものがある。彼のテクノは、リチャード・ジェイムスの系譜にあるモダンクラシカルとエレクトロニックの中間にあるものから、Four TetやBibloの系譜にあるサウンドデザインのようなものまで実に広汎なのだ。

 

このアルバムのリリースに関して、カニンガムは現代詩のような謎めいたメッセージを添えていた。それはまるでダンテの『神曲』のような謎めいたリリック。ある意味では、Oneohtrix Point Neverの最新アルバム『Again』のような大作かと身構えさせるが、意外にもコンパクトな作品に纏まっている。『Statik』はヒップホップのミックステープのような感じで楽しめると思う。アルバムのオープナーを飾る「Hell」は、2000年代のローファイでサイケなヒップホップのトラックを思い起こさせる。アシッド・ハウス風のサンプラーによるリズムが織り交ぜられることによって、現代的なデジタルレコーディングとは対極にあるアナログ・サウンドが構築される。続くタイトル曲はドローン風のアンビエントをモジュレーションによって作り出している。

 

その後、どちらかといえば、IDMとEDMの中間にあるディープなクラブミュージックが展開される。「My Way」は、ダニエル・カニンガムの代名詞的なサウンドで、Boards Of Canada、Four Tetに代表されるカラフルな印象を持つミニマルテクノとして存分に楽しめる。今回、カニンガムはボーカルサンプリングを配して、Aphex Twinの系譜にあるサウンドに取り組んでいるようだ。「Rainlines」はバスドラムを強調したアシッドハウス/ミニマルテクノ風の作風だが、アクトレスの他の作風と同じように言い知れない落ち着きと深みがある。バスドラムの響きが続くと、その中に瞑想的な響きがもたらされ、最終的にはチルウェイブ風の安らぎがもたらされる。

 

ダニエル・カニンガムは、90年代や00年頃のテクノブームの時代の流行を踏まえ、それらの作風にややモダンな印象を添えている。「Ray」は、例えば、Sam Prekopのような懐古的なサウンドと現代的なサウンドを結びつけている。それほど革新的ではないものの、新鮮な息吹を持つミニマルテクノを制作している。ハイハットをグリッチサウンドのように見立てて、叙情的なモーフィングシンセのシーケンスを配し、水の上に揺られるような心地よいヴァイヴを作り出す。

 

アルバムのオープナー「Hell」を除けば、プレスリリースの現代詩のようなイメージとは異なるサウンドが展開されている。しかし、後半部に差し掛かると、制作者の志向する異質なエレクトロニックを垣間見ることが出来るはずだ。例えば、「Six」では、ダウンテンポの作風を選び、モーフィングやモジュレーションによってミステリアスな印象を持つシーケンスを作り出す。しかし、カニンガムのサウンドは一貫して落ち着いており、連続的なリズムに聞き手の注意を引き付ける。いわば、軽はずみな多幸感や即効性を避けることによって、曲に集中性をもたらす。


現代的なテクノの依拠した収録曲もある一方で、アクトレスはやはり90年代や00年代初頭や、それよりも古いレトロな電子音楽のサウンドに軸足を置いているらしい。「Cafe De Mars」は、サウンドのパレットをモーフィングのような形で捉え、巧みなトーンの変化を生み出している。「Dolphin Spray」では、モジュレーションによりシンプルなビートを作りだし、それにレトロな感じの旋律を付け加えている。解釈次第では、Silver Applesの時代のアナログテクノの原点にあるビートを踏まえ、ゲーム音楽の系譜にあるチップチューンのエッセンスをさり気なく添えている。ここにカニンガムの制作者としてのユニークな表情をうかがい知ることが出来よう。

 

その後も意外に聞きやすい曲が続いている。表向きにはディストピア的な考えはほとんど出てこない。ただアルバムの中盤のリスニングの際の面白い点を挙げるとするなら、「System Verse」は、最初期のローレル・ヘイローのような抽象的で摩訶不思議なサウンドに挑んでいる。これらは遊びや思いつきの延長線上にあると思われるが、聴いていて不思議な楽しさがある。


そしてようやくプレスリリースでのコンセプチュアルな試みが「Doves Over Atlantis」で表れる。この曲では、ダニエル・カニンガムのかなり意外な幻想主義が表れ、アトランティス大陸に関するファンタジックなイメージを、彼のアーティスティックな感性と上手い具合に結びつける。


さらにファンタジックな印象が最後の最後で浮かび上がってくる。「Mellow Checx」は、同じく抽象的なサウンドだが、従来のアクトレスとは異なるナラティヴな試みが含まれている。ダニエル・カニンガムは、楽園を描くでもなく、地獄を描くでもなく、中間にある煉獄やそれにまつわる幻想を結びつけ、独特な雰囲気のエレクトロニックを制作している。アルバムを聞くかぎり、現行のエレクトロニックは、他の総合芸術のような意味を持ち始め、その中に絵画的なニュアンス、あるいは文学や映像的なニュアンスを込めるのがトレンドになりつつあるらしい。

 

近年、モダン・クラシカルの作品であったり、トム・ヨークとのコラボレーションやボーカルトラックに取り組んでいるClarkはいわずもがな、WarpのSlouson Malone 1のような現代的なプロデューサーが示唆するように、エレクトロニックは音の集合体という枠組みを超越し、いよいよ別の総合芸術との融合を図る段階に来ているのだろうか。これは例えば、リチャード・ジェイムスがライブでサウンドインスタレーションのような試みを始めているのを見ると分かりやすい。

 

 

 

78/100

 

 

 Sofia Kourtesis 『Madras』


 

Label: Ninja Tune

Release: 2023/10/27

 


Review



ドイツ、ベルリンを拠点とするシンガーソングライター、ソフィア・クルテシスの最新アルバム『Madras』は、ハウスをベースとして、清涼感と強いグルーブを併せ持つ快作となっている。


『マドレス』は、レーベルのプレスリリースによると、クルテシスの母親に捧げられた作品だ。しかし、もっと驚くべきことに、この曲は世界的に有名な神経外科医ピーター・ヴァイコッツィにも捧げられている。世界的に有名な神経外科医がこのレコードのライナーノーツに登場することになった経緯は、粘り強さ、奇跡、すべてを飲み込む愛、そして最終的には希望の物語である。オープニング曲「Madras」を聴くと分かる通り、原始的なハウスの4つ打ちのビートを背に、ソフィア・クルテシスの抽象的なメロディーが美麗に舞う。歌の中には取り立てて、主義主張は見当たらない。しかし、そういった緩やかな感じが心地よさを誘う場合がある。メロディーには、ジャングルの風景を思わせる鳥の声のサンプリングが導入され、南米やアフリカの民族音楽を思わせる時もあり、それが一貫してクリアな感じで耳に迫る。フロアで聴いても乗れる曲であり、もちろんIDMとしても楽しめる。オープニングの癒やしに充ちた感覚はバックビートを背に、少しずつボーカルそのものにエナジーを纏うかのように上昇していく。

 

アルバムの制作の前に、アーティストはペルーへの旅をしているが、こういったエキゾチックなサウンドスケープは、続く「Si Te Portas Bonito」でも継続している。よりローエンドを押し出したベースラインの要素を付け加え、やはり4ビートのシンプルなハウスミュージックを起点としてエネルギーを上昇させていくような感じがある。さらにスペイン語/ポルトガル語で歌われるボーカルもリラックスした気分に浸らせてくれる。Kali Uchisのような艶やかさには欠けるかもしれないが、ソフィア・クルテシスのボーカルにはやはりリラックスした感じがある。やがて、イントロから中盤にかけて、ハウスやチルと思われていたビートは、終盤にかけて心楽しいサンバ風のブラジリアン・ビートへと変遷をたどり、クルテシスのボーカルを上手くフォローしながら、そして彼女の持つメロディーの美麗さを引き出していく。やがてバック・ビートはシンコペーションを駆使し裏拍を強調しながら、 お祭り気分を演出する。もし旅行でブラジルを訪れて、サンバのお祭りをやっていたらと、そんな不思議な気分にひたらせてくれる。

 

クルテシスの朗らかな音の旅は続く。北欧/アイスランドのシーンの主要な音楽であるFolktoronica/Toytoronicaの実験的な音楽性が、それまでとは違い、おとぎ話への扉を開くかのようでもある。しかしながら、クルテシスはこの後、このイントロの印象を上手く反転させ、スペインのバレアック等のコアなダンスフロアのためのミュージックが展開される。途中では、金管楽器のサンプリング等を配して、この南欧のリゾート地の祝祭的な雰囲気を上手くエレクトロニックにより演出する。しかしながらクルテシスのトラックメイクはほとんど陳腐にならないのが驚きで、トラックの後半部では、やはりイントロのモチーフへと回帰し、それらの祝祭的な気風にちょっとしたエスプリや可愛らしさを添える。ヨーロッパの洋菓子のような美しさ。


「How Music Makes You Better」では、Burialのデビュー当時を思わせるベースライン/ダブステップのビートが炸裂する。表向きには、ダブステップの裏拍を徹底的に強調したトラックメイクとなっているが、その背後には、よく耳を済ますと、サザン・ソウルやアレサ・フランクリンのような古典的な型を継承したソフィア・クルテシス自身のR&Bがサンプリング的に配されている。それらのボーカルラインをゴージャスにしているのが、同じくディープソウルの影響を織り交ぜたゴスペル/クワイア風のコーラスである。そしてコーラスには男性女性問わず様々な声がメインボーカルのウェイブを美麗なものとしている。 曲の後半部ではシンセリードが重層的に積み重ねられ、ビートやグルーヴをより強調し、ベースラインの最深部へと向かっていく。


「Habla Con Ella」は、サイモン・グリーンことBonoboが書くようなチルアウト風の涼し気なエレクトリックで、仮想的なダンスフロアにいるリスナーをクールダウンさせる。しかし、先にも述べたようにこのアルバムの楽曲がステレオタイプに陥ることはない。ソフィア・クルテシスは、このシンプルなテクノに南米的なアトモスフィアを添えることにより、エキゾチックな雰囲気へとリスナーを誘う。ビートは最終的にサンバのような音楽に変わり、エスニックな気分は最高潮に達する。特に、ループサウンドの形態を取りつつも、その中に複雑なリズム性を巧みに織り交ぜているので、ほとんど飽きを覚えさせることがない。分けてもメインボーカルとコーラスのコールアンドレスポンスのようなやり取りには迫力がある。ダンスビートの最もコアな部分を取り入れながらも、アルバムのオープナーのようなくつろぎがこぼたれることはない。

 

 

「Funkhaus」はおそらくベルリン・ファンクハウスに因んでいる。2000年代、ニューヨークからベルリンへとハウス音楽が伝播した時期に、一大的な拠点となった歴史的なスタジオである。この曲では、スペーシーなシンセのフレーズを巧みに駆使し、ハウスミュージックの真髄へと迫る。00年代にベルリンのホールで響いていたのはかくなるものかと想像させるものがある。しなるようなビートが特徴で、特に中盤にかけて、ハイレベルなビートの変容を見いだせる。このあたりは詳細に説明することは出来ない。しかし、ここには強いウェイブとグルーブがあるのは確かで、そのリズムの連続は同じように聞き手に強いノリを与えることだろう。この曲もコーラスワークを駆使して、リズム的なものと、メロディー的なものをかけあわせてどのような化学反応を起こすのかという実験が行われている。それはクライマックスで示される。

 

一転して「Moving House」はアルバムで唯一、アンビエント風のトラックに制作者は挑戦している。テープディレイを用いながら、ちょっとした遊び心のある実験的なテクノを制作している。ただこの曲もまたインストでは終わらずに、エクスペリメンタルポップのようなトラックへと直結していく。しかし、こういったジャンルにある音楽がほとんどそうであるように、ボーカルは器楽的な解釈がなされている。これはすでにトム・ヨークが「KID A」で示していたことである。



アルバムの終盤にかけては、タイトルを見るとわかる通り、南欧や南米のお祭り的な気分がいよいよ最高潮を迎える。「Estacion Esperanza」は、土着的なお祭りで聴かれるような現地の音楽ではないかと思わせるものがあり、それは鈴のような不思議な音色を用いたパーカッション的な側面にも顕著に表れている。ただイントロでの民族音楽的な音楽はやはり、アーバン・フラメンコを吸収したハウスへと変遷を辿っていく。この両者の音楽の相性の良さはもはや説明するまでもないが、特にボーカルやコーラスを複雑に組み合わせ、さらに金管楽器のコラージュを混ぜることで、単なる多幸感というよりも、スパニッシュ風の哀愁を秘めた魅惑的なダンスミュージックへと最終的に変遷を辿っていく。ベースラインを吸収し、「Cecilla」はサブウーファーを吹き飛ばす勢いがある。さらにダンス・ミュージックの核心を突いており、おしゃれさもある。クローズ「El Carmen」はタイトルの通り、カルメンをミニマル的なテクノへと昇華させて、南欧的な雰囲気はかなり深い領域にまで迫っていく。これらの音楽は南欧文化にしか見られない哀愁的な気分をひたらせるとともに、その場所へ旅したかのような雰囲気に浸ることができる。そういった面では、Poolsideの最新作とコンセプト的に非常に近いものがあると思う。



82/100


Album of the year  2021   


ーElectronicー





・Squarepusher 

 

「Feed Me Weird Things」 Warp Records

 

Squarepusher「Feed Me Weird Things」 

 

Feed Me Weird Things [先着特典キーホルダー付/リマスター/高音質UHQCD仕様/本人よる各曲解説対訳・解説 / 紙ジャケット仕様 / 国内盤] (BRC671)  


今年6月4日リリースされたスクエアプッシャーの「Feed Me Weird Things」はトム・ジェンキンソンの幻のデビュー作、今から25年前の1996年、エイフェックス・ツインの所属するレーベルからアナログ盤としてリリースされた再発盤である。


この作品は、英国のドラムンベースの伝説的な作品で有るとともに、その後のイギリスのエレクトロニックシーンの潮流をひとつの作品のみの力で一変させてしまった、超がつくほどの名盤である。


この作品は、当時、トム・ジェンキンソンは、チェルシー・カレッジ・オブ・アートの学生であったが、入学時に還付された奨学金をレコーディング機材に充て、制作されたアルバムでもある。


トム・ジェンキンソンは、これらの奨学金で購入した90年代のレコーディング機器、そして友人から借りたベース等の楽器、そして、旧来の英国のダンスミュージックにはなかった音楽を新たに生み出した。


作品がリリースされた当時、英国の音楽メディアはこの作品をフュージョンジャズの名作として取り上げたけれど、当の本人、トム・ジェンキンソンはその評価を意に介しはしなかった。なぜなら、ジェンキンソンは、このデビュー作において、彼が若い時代に夢中になった、ジミ・ヘンドリックスのようなハードロックの音楽の熱狂性をあろうことか、ホームレコーディングにおいて、電子音楽で再現しようと試みていたのだ。リリースから二十五年、初めて今作はデジタル盤、CD盤として、音楽ファンの前にお目見えしたが、2021年になっても、今作を上回る電子音楽は存在しないと言って良い、おそらく、今年の中で最も衝撃的な作品のリリースだった。 

 

 

  

 

 

 

 

・Andy Stott 

 

「Never The Right Time」 Modern Lovers 

 

Andy Stott 「Never The Right Time」 

 

 Never The Right Time  

 

ダムダイク・ステアと共にマンチェスターのモダン・ラヴァーズのコアメンバーとしてダブステップ・シーンの最前線を行くアンディ・ストットの4月16日にリリースされた最新作は今年の一枚にふさわしい出来栄えである。


「ノスタルジアと自己省察」という哲学的なテーマを掲げて制作された「Never The Right Time」は世界情勢が混迷を極める2021年という年に最もふさわしいアルバムである。

 

これまでストットは、複雑なダビングの手法を用い、リズム、メロディ、曲構成という多角的な視点から、作品ごとに異なるアプローチに取り組んできた電子音楽アーティストで、この作品は、ストットの十年の活動の集大成と捉えたとしても的外れではない。テクノ、ダブステップ、ダウンテンポ、ヴォーカルトラック、この十年で取り組んできたアプローチを総まとめするような形で今作の楽曲は構成されている。


特に、「Faith In Stranger」時代からゲストヴォーカルとして長年制作をともにしてきたストットのピアノの先生を務めるアリスン・スキッドモアの独特な妖艶ともいえるヴォーカルの妙味は今作においても健在である。


「決して(未だ)正しい時ではない」と銘打たれたアルバムタイトルについてもレコーディングが行われた2020年の英マンチェスターの世相を色濃く反映している。作品中には、民族音楽、特にインド音楽の香りが漂うが、アンディストットの描き出す世界というのは、ーー現実性を失い、場所も時間もない、完全に観照者が行き場を失ったーーような孤絶性にまみれている。

でも、この奇妙な感覚というのは、ほぼ間違いなく、2020年のロックダウン中のマンチェスターの人々の多くが感じていた情感ではなかっただろうか。そして、この作品には、なにかしら窓ガラスを透かして、「現実性の乏しい夢のような現実社会」を、束の間ながらぼんやり眺めるような瞬間、そのなんともいえない退廃美が克明に電子音楽として昇華されている。「Never The Right Time」は、電子音楽でありながら、非常に内的な感情を表現した人間味あふれる作品である。 

 

 

 

 

 

 

 

・John Tejada

 

 「Year of the Living Dead」Kompakt 

 

John Tejada 「Year of the Living Dead」  

 

Year Of The Living Dead  

 

オーストリア・ウィーン生まれ、現在LAを拠点とするジョン・テハダはアメリカ西海岸のテックハウスシーンの生みの親ともいうべき偉大な電子音楽家で、アメリカで最も実力派のサウンドプロデューサーのひとりだ。これまで、二十年以上にも渡り、自主レーベルPalette recordingを主宰してきたジョン・テハダは、今年2月26日にドイツのKompaktからリリースされた今作において、実にしたたかで、名人芸ともいうべき、巧みなデトロイトテクノを完成させている。


「Year of the Living Dead」というアルバム・タイトルも上記のアンディ・ストットと同じくロックダウンの世相を反映した作品である。


今回、ジョン・テハダは、思うように、外的な活動が叶わなかった年、それを逆に良い機会と捉えて、新たな機材、これまで録音に使ったことのない機材をいくつか新たに使用し、今作を生み出している。既に、名人、達人ともいうべき領域に達してもなお、チャレンジ精神を失わず、そういった新たな機材、音色を使用する楽しみをその苦境の中に見出していたのだ。

 

「Year of the Living Dead」は、デトロイト・テクノの正統派として受け継いだ数少ない作品である。

 

中には、グリッチ、ダウンテンポ、といったテクノの歴史を忠実になぞらえるかのようなアプローチが図られ、やはり、今作でも、テハダの音楽性は、知的であり、哲学的でもある。それは一見、電子音楽として冷ややかな印象を受けるかもしれないが、それこそ、まさに表題に銘打たれている通り、ーー生きているもの、と、死んでいるものーー、これは、必ずしも有機体とはかぎらないように思えるが、これらまったく相容れないなにかが混在する今日の世界において、生きている自分、貴方、それから、我々のことを、電子音楽として体現した実に見事な作品である。

 

ドイツのKompaktのレビューにも書かれているとおり、この電子音楽は、極めて現実的でありながら、その中にテハダのユニークさが見いだされる。何か、その冷厳で抜き差しならない現実を、一歩引いて、ほがらかな眼差しで眺めてみようという、この電子音楽アーティストからの提言なのかもしれない。


もちろん、ジョン・テハダのこれまでの作風と同じように、頭脳明晰で、いくらか怜悧な雰囲気も漂うが、その上に叙情性もほのかに感じられる作品でもある。


実に、2020年の世の中に生きる我々の姿を、哲学的な鏡のように反映させた作品であり、生者と死者の間に彷徨う幽玄さに満ち溢れた傑作に挙げられる。


もちろん、本作「Year of The Living Dead」のアルバムアートワークを手掛けた「瞑想的なアーティスト」と称されるグラフィックデザイナー、デイヴィッド・グレイの仕事もまた音源と同じように名人芸といえるだろうか。  

 


 

 

 


 

・Clark

 

「Playground In a Lake」 Deutsche Grammphon

 

Clark「Playground In a Lake」  

 

プレイグラウンド・イン・ア・レイク  

 

これまでエイフェックス・ツイン、上記のスクエアプッシャーと列んでWarp Recordsの代表格として活躍してきたクラークは、近年、イギリスからドイツに拠点を移して、クラシックレコードのリリースを主に手掛けるドイツグラムフォンに移籍した。


代表作「Turning Dragon」では、ゴアな感じのテクノ、相当、重低音を聴かせたダンスフロア向けのトラックメイクを行っていたクラークは、ドイツグラムフォンに移籍する以前からより静謐なテクノ、またクラシックと電子音楽の融合を自身の作風の中に取り入れていこうという気配があった。


クリス・クラークのそういった近年のクラシックへの歩み寄りが見事な形で昇華されたのが「Playground In a Lake」の醍醐味と言えそうだ。


ブダペストアートオーケストラをはじめ、本格派のクラシック奏者を複数レコーディングに招聘し制作された今作はリリース当初からクラークが相当気に入っていた作品であった。ポスト・クラシカルとも、映画音楽のサウンドトラックとも、また、旧来のテクノ、エレクトリックとも異なる新時代のクロスオーバーミュージックが新たに産み落とされた、といっても誇張にはならない。


この高級感のある弦楽器のハーモニーの流麗さ、端麗さの凄さについては、実際の音楽に接していただければ充分と思う。


ピアノのタッチ、弦楽の重厚感のあるパッセージ、電子音楽家としてのシンセサイザーのアーキテクチャー、これらの要素は全て、新たな時代のクリス・クラークの芸術性を驚くほど多彩に高めている。


 

 

 

 


ロンドンを拠点に活動するダニエル・カニンガムによるプロジェクト、Actress(アクトレス)が昨年の『LXXXVIII』に続く作品を発表した。タイトルは『Statik』で、Smalltown Supersoundから6月7日に発売される。

 

本日、シングル「Dolphin Spray」、「Static」が先行公開された。前者はモジュラーシンセを駆使したミニマル・テクノ/アシッド・ハウスで、後者は、抽象的なアンビエント/ドローンである。

 

アルバムについての声明で、カニンガムは次のように書いている。これはアーティストによる現代詩としても読めなくもない。

 


暗い森の中、血に染まった松の向こうに、静かなプール(ポータル)が煌めく。

見つめて。目を凝らして。心の目をグリッチする。

煙に包まれた空に静止した新月を見る。

不気味だ。あなたはここに映っていない。

(あなたはここにはいない)。

水が渦を巻いても目をそらさないで。

より深く見つめ、より近づき、その流れに身を委ねるんだ。

落ちる。

(落ちる)

落ちる...

地獄でも楽園でもない

銀のモノクロームの壮大な幻影が明滅する。

オリハルカムの鉢の中で炎が踊り、大理石の広間には反射池が並ぶ。

この廃墟のような寺院には、いまだに驚かされる。静まれ。

静まれ。聞け。ここには恐怖はない。

聞け。生きてきた瞬間のスペクトラルな響きに耳を澄ますんだ:

メロディー、モチーフ、リフレインが滴り、飛び散り、流れ落ちる。

ポセイドンの壁にアズド・レインが降り注ぎ、輝く玉座の前に薪がそびえ立つ。

儀式(レクイエム)が始まる。

絹のような音と水色の靄に包まれ、青黒い炎の上に浮かび上がる。

上へ下へ、下へ上へ。上へ下へ、無限の海へ。

波の下の鳩グレーの空では、突き刺すような月の光の中でイルカがおしゃべりし、水しぶきを上げる。

木々や森や土や血の下で、この鳩のようにまろやかな場所こそ、あなたがいる(映し出される)場所だ。

今も、これからも

 

 

「Dolphin Spray」

 

 

カニンガムの最新アルバムは、自由と静寂の感覚に満ちている。構想から制作、リリースに至るまで、「スタティック」は不自然なほどのシンプルさがある。アルバムの大半をフロー状態で書き上げたアクトレスにとって、この天空のように広大なプロジェクトは芸術的解放の証なのだ。



昨年の『LXXXVIII』(ニンジャ・チューンからリリース)に続く、繊細かつ荘厳な『Statik』は、アクトレスにとってSmalltown Supersoundからリリースする初のフルアルバムとなる。

 
カニンガムとオスロを拠点とする高音質サウンドを提供する尊敬すべきアーティストとのコラボレーションに注目。アクトレスがカルメン・ヴィラン(北欧のダブ・ステップの急峰。きわめて前衛的な作風で知られる)のカットを”Only Love From Now On LP”の12インチ用にリミックスした。


「Statik」



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ACTRESS 『Statik』


Label: Smalltown Supersound

Release: 2024/06/07

 

Tracklist:


1. Hell

2. Static

3. My Ways

4. Rainlines

5. Ray

6. Six

7. Cafe Del Mars

8. Dolphin Spray

9. System Verse

10. Doves Over Atlantis

11. Mello Checx

 Bartees Strange 『Horror』


Label: 4AD

Release: 2025年2月14日

 

 

Review

 

前作では「Hold The Line」という曲を中心に、黒人社会の団結を描いたバーティーズ・ストレンジ。2作目は過激なアルバムになるだろうと予想していたが、意外とそうでもなかった。しかしやはり、バーティーズ・ストレンジは、ブラックミュージックの重要な継承者だと思う。どうやら、バーティーズ・ストレンジは幼い頃、家でホラー映画を見たりして、恐怖という感覚を共有していたという。どうやら精神を鍛え上げるための訓練だったということらしい。

 

ということで、この2ndアルバムは「Horror」というタイトルがつけられたが、さほど「ホラー」を感じさせない。つまり、このアルバムは、Misfitsのようでもなければ、White Zombieのようでもないということである。アルバムの序盤は、ラジオからふと流れてくるような懐かしい感じの音楽が多い。その中には、インディーロック、ソウル、ファンク、ヒップホップ、むしろ、そういった未知なるものの恐怖の中にある''癒やし''のような瞬間を感じさせる。もしかすると、映画のワンシーンに流れているような、ホッと息をつける音楽に幼い頃に癒やされたのだろうか。そして、それが実現者となった今では、バーティーズがそういった次の世代に伝えるための曲を制作する順番になったというわけだ。ホラーの要素が全くないとは言えないかもしれない。それはブレイクビーツやチョップといったサンプルの技法の中に、偶発的にそれらの怖〜い感覚を感じさせる。しかしながら、たとえ、表面的な怖さがあるとしても、その内側に偏在するのは、デラソウルのような慈しみに溢れる人間的な温かさ、博愛主義者の精神の発露である。これはむしろ、ソングライターの幼少期の思い出を音楽として象ったものなのかもしれない。

 

バーティーズ・ストレンジは、オペラ歌手と軍人という特異な家庭に育ったミュージシャンであるが、結局、彼はギタリストとしての印象が強い。例えば、数年前にはロンドンにあるカムデンのマーケットでギターを選んでいる様子をドキュメント映像として残している。ギターに対する愛情は、アルバムの始めから溢れ出ている。そして、彼の家でかかっていたというパーラメント、ファンカデリック、フリートウッド・マック、テディ・ペンダーグラス、ニール・ヤング、そういった懐かしのR&B、そしてロック、さらにコンテンポラリーフォークまでもがこのアルバム全体を横断する。

 

「Too Much」のイントロはツインギターの録音で始まり、その後、まったりとしたR&Bへと移り変わる。それは、通勤電車やバスの向こうに見える人生の景色の変化のようである。そしてバーティーズはデビューの頃から培われたソウルフルなヴォーカルで聞き手を魅了する。ラフな感じで始まったこのアルバムだが、続く「Hit It Quit It」ではヒップホップとR&Bの融合というブラックミュージックの重要な主題を受け継いでいる。しかし、バーティーズのリリックは、それほど思想的にはならない。音楽的な響きや表現性が重要視されているので、言葉が耳にすんなり入ってくる。ファンカデリック、パーラメント好きにはたまらないナンバーとなるだろう。バーティーズはまた、哀愁のあるR&Bやソウルのバラードの系譜を受け継いでいる。「Sober」は、デビュー作に収録されている「Hold The Line」と同じ系統にある楽曲だが、しんみりしすぎず、リズムの軽やかさを感じさせる。エレクトリック・ピアノ(ローズピアノ)とセンチメンタルなボーカルが融合する。この曲は、ジャック・アントノフ&ブリーチャーズが志向するようなAOR、ソフィスティポップといった80年代のUSポップを下地にした切ないナンバーだ。


米国のトレンドに準じた形でアメリカーナを取り入れた曲が続く。「Baltimore」は、もしかすると、この土地に対するアーティストの何らかの繋がりのようなもの描いているのかもしれない。しかし、それほど、バーティーズの音楽はモダンにならず、70年代のUSロックの懐かしさに留まっている。これは彼の音楽観のようなものが幼い頃に出発しており、それらを現代のアーティストとして再現するのが理想だと考えるからなのだろうか。そして、アメリカーナ(カントリー)の要素は、バーティーズ・ストレンジが子供の頃に聴いていたニール・ヤングの世界観と結びつき、普遍的な響きのあるポップスとして蘇る。そして、それらは、南部のブルースの影響下にある渋いギターや曲調と繋がっている。むしろ、前作では、黒人社会について誰よりも真摯に考えていたシンガーであるが、この二作目では、人種的な枠組みを超えるような良質な曲を書いている。これは、明らかにシンガーソングライターとしての大きな成長といえる。なぜなら、この世界に住んでいるのは一つや二つの人種だけではないのだから。

 

「Lie 95」は、たぶんマイケル・ジャクソンのようなナンバーにすることも出来たかもしれない。しかし、この曲は少し控えめな感覚が維持されている。見え透いたようなきらびやかなポップスからは距離を置いているのが分かる。それが、渋さや深みのような奥深い感覚を漂わせている。もちろん、ポップソングとしての分かりやすさや聞きやすさという点はしっかりと維持した上で、深い感覚がしっかりと宿っている。従来のポピュラーソングの聞き方が少し変わるような面白い音楽である。結果的に、この曲は80年代のディスコとYves Tumorのハイパーポップのセンスを巧みに結びつけて、古さと新しさを瞬時にクロスオーバーするようなユニークな感じに仕上がっている。

 

中盤にもハイライト曲がある。最もロックソングの性質を前面に押し出した「Wants Need」は、ブリーチャーズとも共通点のあるナンバーである。 この曲はスプリングスティーンから受け継がれる定番のようなロックソング。しかし、それほどマッチョイズムにそまらず、中性的な感じが生かされているのが新しい。この曲でも、古典的な観念に染まりきらず、現代的な考えを共有しようという、ソングライターの心意気のようなものが伝わってくる。歌詞に関しても、無駄な言葉を削ぎ落としたような洗練性があり、耳にすんなり入ってくることが多い。「Love」は、アーティストがこれまでに作ったことが少ないタイプの曲ではないかと推測される。EDMに依拠したダンストラックで、この曲の全体に漂うダブステップの感覚に注目してもらいたい。

 

『Horror』は単なる懐古主義のアルバムではないらしく、温故知新ともいうべき作品である。例えば、エレクトロニックのベースとなる曲調の中には、ダブステップの次世代に当たる''フューチャーステップ''の要素が取り入れられている。こういった次世代の音楽が過去のファンクやヒップホップ、そしてインディーロックなどを通過し、フランク・オーシャン、イヴ・トゥモールで止まりかけていたブラックミュージックの時計の針を未来へと進めている。おそらくバーティーズ・ストレンジが今後目指すのは"次世代のR&B"なのかもしれない。


終盤のハイライト曲「Loop Defenders」「Norf Gun」には、未知なるジャンルの萌芽を見出すことが出来るはずだ。後者の曲については、Nilfer Yanyaが2022年のアルバム『Painless』で行ったR&Bの前衛性を受け継いだということになるだろうか。こういったフレッシュな音楽が次の作品ではどのように変容していくのかとても楽しみだ。

 


 

85/100 

 


 

 Best Track-「Norf Gun」

 Vagabon  『Sorry I Haven't Called』


Label: Nonesuch

Release: 2023/9/19



Review


現在、ニューヨークを拠点に活動するVagabonこと、ラティティア・タムコは、実はカメルーン出身のシンガーであることをご存知だろうか。


幼い頃はフランス語を母国語としていた。機運が変わったのは、17歳の頃。母親が法律の勉強をするため、ニューヨークに渡った関係で、彼女も家族とともに米国に移住。かなりのカルチャー・ショックを受けたというが、その後、英語を習得し、ハイスクールに進学し、シティ・カレッジ・オブ・ニューヨークでエデュケーションを受けた。最初に楽器を触ったのは17歳のときだ。コストコで購入したFenderのギターを演奏しはじめ、その後、シンセ、ドラムといった楽器にも慣れ親しむようになり、DIYベースでの音楽制作に熱中するようになった。2014年にVagabon名義で最初の作品を発表する。17年にフルレングス『Infinite Worlds』を発表。続いて、セルフタイトルの2ndアルバムを発表した。以上の二作のフルレングスでは、ベッドルーム・ポップのアプローチに加え、シンセ・ポップをベースにした作風でSSWとしての才覚の鋭さを見せた。


続く「Sorry I Haven't Called」もベッドルームポップ、シンセ・ポップという2つのジャンルの中間点にあるモダン・ポップであることにそれほど大きな変更はない。ただ、前作のアルバムとは歌い方に若干の変更が見られる。前作までは少しハスキーなボーカルを特徴としていたが、この最新作では少し癖が抜けて、清涼感のある声質が力強い印象を放っている。スタイリッシュでヌケの良い音楽性に関しては、ベッドルームポップの象徴的なアーティスト、Clairoに比するものがあり、同時に、Arlo Parksの最新作『Soft Machine』に近い音楽性である。

 

従来の2作のフルアルバムでは、ギターを中心にして、シンセ・ポップという型を組み上げている印象もあった。これはたぶん、セイント・ヴィンセントの影響下にある音楽をどのような形で昇華するのか、またそれはブラックミュージックという観点から新しい要素を付け加える余地があるのかという試みでもあり、さらに、カメルーンのルーツ的なものを音楽に取り入れようと試みたり、ビヨンセのようにディープ・ハウスへのアプローチや、ネオソウルの影響下にあるリズムの心地よさを追求していこうという気配もあった。けれど、すでにそういった気負いは感じられなくなくなっている。アーティストは、シンプルなシンセ・ポップ/クラブ・ミュージックに取り組んでいる。音楽自体もオープンハートな感覚に浸され、アクセスのしやすさがある。


今作の最大の特徴は、ハウス/テクノへのヘヴィーなアプローチが取り入れられ、なおかつダンス・ミュージックとポップスの融合が主眼に置かれている点にある。特に、ローエンドの響きが強調され、「You Know How」ではディープ・ハウスに近い強烈なビートが全体を跳ね回る。「Do Your Worst」でのドラムンベースへのアプローチは従来にはなかった作風であり、次なるフェーズへと歩みを進めた証拠となるだろう。ダンスミュージックに関する感覚の鋭さは、「Made Out With Your Best Friend」でも示されている。Modern Lovers周辺のダブステップのリズムをセンス良く吸収し、前作のシンセ・ポップと結びつけている。「Carpernter」では、民族音楽的な変則リズムとハウスのビートを融合させ、斬新なビートを生み出す。以上の4つのトラックでは、旧来のメロディアスなポップの型に縛られず、リズムの面白みを探求している。そして、そのリズムの複合的な構成は、アシッド的なコアなグルーヴを生み出すことに繋がったのである。


こういったコアなクラブ・ミュージックへのアクセスに加えて、もうひとつこのアルバムの最大の特色となっているのが、ネオ・ソウルやベッドルーム・ポップのハートウォーミングな感覚を持つバラードやポップスである。Krafwerkのジャーマン・テクノへのオマージュが捧げられた「Autobahn」は、意外にも神妙なハモンド・オルガンで始まり、しっとりとしたバラードに移行していく。この曲には近来になくセンチメンタルかつナイーヴなアーティストの感覚がシンプルに示され、その歌声が胸に迫る。こういったオルタネイトなアプローチはやはり『Soft Machine』の音楽性を踏襲しているが、それをバラードや哀愁のあるポップとして昇華しているのが興味深い。一方、センチメンタルで内省的な感覚は、前作までのシンセポップの文脈の延長線上にある「Nothing To Lose」で花開き、ダンス・ミュージックという今作の重要なアプローチを介し、洗練された作風へと昇華している。つまり、Avalon EmersonのようなDJのフロア音楽をベースに置いたアヴァン・ポップという形で中盤以降の展開を強固に支えているのである。

 

「Passing By Me」はアルバムのハイライトの一つとして注目しておきたい。クラブ・ミュージックを主体にしたポップソングではあるが、従来まで追求してきたこのアーティストのアフリカ音楽の変則的なリズムが強固なグルーヴを生み出し、それが軽快かつ爽やかなシンセ・ポップという形でアウトプットされる。旧来までは、シンセ・ポップといえば、ローエンドが薄いテクノに近い作風が主流派だったが、Vagabonはそれを、ローエンドを強調したディープ・ハウスに傾倒したポップという形に反転させている。おそらく、アーティストが敬愛していると思われる、Beyonce、Nia Archieveが示した型を、より親しみやすいメロディーを擁するポップスとして構築していこうというのかもしれない。そして、ハウス・ミュージックとポップの融合というスタイルは、今後のブラック・ミュージックの範疇にあるシンガーのトレンドとなっていきそうな気配もある。無論、今作を見ても分かる通り、その中には、ドラムンベース、ベースライン、ダブ・ステップ、ディープ・ハウス、テクノが含まれ、これらのジャンルが渾然一体となり、ブラック・ミュージックの2020年代のニュートレンドを形成しようとしているのである。



84/100

 


Saint Sinner  『hydration」 

 

 

Label:Grace Tron

Release: 2023/7/14


Review


Saint Sinnerは、テキサス/オースティンのDJ/プロデューサー/ボーカリストで、既にTychoの作品に親しんでいるファンにはとってはお馴染みのシンガーだろう。そのスタイリッシュな佇まいを裏切らないセンス抜群のボーカルで着実にファンベースを広げてきた。セイント・シナーは、「Pink & Blue」、「Japan」でゲスト・ボーカルで参加し、見事なボーカルを披露している。個人的にイチオシのボーカリストだ。このシンガーの最大の魅力は、エレクトロニックと劇的にマッチする力強いボーカル、そして、電子音楽に対して情感を失わない繊細性を見せる瞬間に宿る。ベースラインの強いエレクトロと融合したとき、セイント・シナーのヴォイスはトラック全体にポップネスをもたらす。インスト曲として寂しい感じがある場合に素晴らしい貢献を果たすボーカリストなのだ。いくつかの声色とトーンを自在に使い分け、様々な音楽に対応して見せる器用さはもちろん、歌声の迫力はバルセロナのキャロライン・ポラチェクにも引けを取らない。 

 

既に、グラミー賞にノミネート経験のあるセイント・シナーは、2021年にソロ・デビュー作「Silver Tears」を発表している。 このデビュー・アルバムではギターやピアノを通じてポピュラー音楽のメインストリームにある音楽を探求していた。その中で、ティコのフィーチャー曲でもお馴染みの内省的でメロウなヴォーカリストとしての評価を不動のものにした。ギターの録音を駆使し、それをベッドルームポップのような感じの軽やかなポップソングとして昇華していたのがこのデビュー作だった。プロダクションの中にはギタリストとしての音作りもこだわりが感じられ、リバーブ/ディレイを深く施したギターラインは、アンビエントギターに近い印象性をもたらした。そして、その実験的な要素に加え、シナーのボーカルは徹底してアートポップの領域に属し、Tiktokなどで話題を呼ぶギターロックシンガーとの一定の線引きを図っていた。親しみやすいが、そこに深い内省的な情感がこのデビュー作には漂っていたのだ。 

 

2ndアルバムは、はっきり言えば、デビュー作とは似ても似つかない新たな音楽性へ方向転換を図り、想像もできない劇的な変化が表れ、ベッドルームポップアーティストとしてトレンドに準じたファーストアルバムから、ベースラインの強いディープハウスの最もコアな領域へと華麗な転身を果たした。ハウスはそもそも、古典的なジャンルとしては4つうちのジャンルではあるが、その後に台頭したディープ・ハウスやUKのガラージ/ベースラインのジャンルはその簡素なリズムにより複雑性をもたらすために発生した。結局、同じスタイルの音楽をフロアで続けていると、どこかで飽きが来るのは当然のことであって、基本的なリズムのバリエーションを作ろうとする。リズムの変容の試行錯誤の過程で行き着くのは、その後のドラムンベース、はてはドリルンベースの極北にあるリズムの徹底的な刻み、つまり、ビートの細分化と複雑化である。これがクラスターのようになるか、もしくは正反対のベクトルに行くとアンビエントになる。


セイント・シナーは考えようによっては、ティコとのコラボレーションを介してリアルなエレクトロの洗礼を受けたとも捉えられる。それは言い換えれば、ダンスミュージックに本当の意味で目を開かれたとも言えよう。その経験がこの2ndでは存分に生かされ、ガラージをはじめとする複雑なリズムが既にオープニングを飾る「surf on me」の中に見えている。それはダブステップほど流動的ではないが、深いベースラインが幻惑を誘い、その抽象的なムードの合間を縫うようにして、アンニュイで聞きようによっては物憂げなシナーのボーカルが音響性を拡張していく。ジャリジャリとしたパーカションとディープなベースラインはアーティストがDJとして鋭いセンスを持ち合わせていることの証だ。そこに憂いに満ちているが、セクシャルなシナーのボーカルが重なると、アシッド・ハウスのディープな要素が加わる、つまり、リスニング空間をベースメントの真夜中のフロアに変容させるほどの魔力をそのボーカルは兼ね備えている。 

 

ティコとのコラボの経験は続く「gold brick」でもわかりやすく生かされている。清涼感のあるエレクトロのトラックの上を軽やかに舞うセイント・シナーのボーカルは、「Pink & Blue」、「Japan」を聴いてファンになったリスナーの期待に答えるにとどまらず、それ以上のものを示している。コラボの域を越え、ソロアーティストとしての自立性が音楽的な魅力となって耳に迫ってくる。アートポップを意識したトラックメイクの上に流れる親しみやすいメロディーラインはこのアーティストの近年のリリースで最もオープンハートな瞬間が垣間見える。普及力のあるインフルエンサーとしてのポップ・アーティストの潜在性が遺憾なく発揮された瞬間となった。

 

二曲目で暗示的に提示されたアートポップの要素は次曲「diamonds」でより深い領域に差し掛かる。カラフルな音色をトラック全体に散りばめ、マレットシンセを基調としたリズムを駆使し、そこに複数のポイントを設けるように、セイントシナーのボーカルが加わる。そしてマレットシンセの音色とボーカルが掛け合わされると、どことなくエキゾジックな感じが立ち現れる。インドなのか、それともパキスタン地方なのか、いずれにせよ、アジアンテイストあふれる奇妙なエレクトロニックは奇妙な新鮮さと清涼感すら漂わせている。また、一曲の流れの中でその音楽の持つ印象はゆっくりと変化していき、最後までリスナーの興味を惹きつけ続ける。これはDJ/プロデューサーとしてのアーティストの才覚が最も目に見える形で現れたトラックでもある。 

 

続く、「drive by」は、例えば、わかりやすく言えば、ビヨンセが最新作でみせたようなハウスの要素をポップネスとして昇華している。ボーカル・トラックの波形にエフェクトを薄く掛けており、裏拍の強い音楽性を見るかぎり、オーバーグラウンドの現行のハウス音楽を基調としているが、ヴォイスの中に情感が失われていないのが最も素晴らしい点に挙げられる。厳密に言えば、ジャンルこそ異なるが、ビブラートの微細な変化やピッチの変容の中に微妙なソウルフルな要素が取り入れられている。機械的なものを駆使した上で人間的な情感を失わないことはその逆のアプローチを取るより遥かに難しいが、その機械的なものと人間的なものの両面性をもたらそうというセイント・シナーの音作りは洗練されていて、2つの対極にある音楽性の間に絶妙にせめぎ合うようにして、個性味溢れるポップ音楽として昇華されている。特にバックビートが入念に作り込まれているため、楽曲そのものに強度と聞き応えもたらしている。

 

その後、メインストリームのディープ・ハウスに準じた「Careface」が続くが、この音楽の中には、Andy Stottや Laurel Haloのようなダブステップで使われるようなシンセの音色の影響があり、それがトラック全体にエキゾチシズムをもたらしている。上層の部分では、トレンドのハウスが流れているにも関わらず、その最下層ではベースメントのコアなクラブ音楽が流れているのに驚きを覚える。この奇妙な二面性が、楽曲を聴いたときに、一番面白いと感じる部分かもしれない。表面的には、チャーリー・XCXのような現行のモダンポップに近いニュアンスを感じるが、しぶといベースラインはヘヴィーな感覚をもたらし、消費的な音楽を聴いているという気分を沸き起こらせない。おそらく、トラックの細部にはエレクトロに対するセイント・シナーのマニアックな興味が取り入れられることで、タフな感じをもたらしている。ただ、それはアーティストのボーカルの主要な特徴のひとつであるスタイリッシュな感覚に裏打ちされている。

 

このアルバムは、クラブミュージックや、モダンポップを意識してはいるが、それほど多幸感を感じさせないのは不思議だ。

 

続く「switch」では、さらに落ち着いたモダンなアートポップが提示されている。ピアノの音色を交え、それらを前の曲と同様にスタイリッシュな音楽性へと昇華されているが、これは例えば、アイスランドのSSWであるJFDRが志向するようなモダンクラシカルとアートポップの中間点にあるような音楽として楽しむことが出来る。そこには何かふと考えさせられるものもある。それは思弁的な瞬間が歌詞の中に表れ、実際の録音ではその思弁性から離れたところでボーカルが披露されていることから生じるものである。相変わらず、セイント・シナーのボーカルは軽やかで爽やかだが、ときにその中に意外な哀感や孤独性を見せる場合もある。この明るい部分と暗い部分の奇妙な抑揚の揺れ動きのようなものがたえず感情性を表するヴォイスとして曲のメロディーの中をさまよう。それは受け手側の感覚と瞬間的に折り重なった時、それまでまったく遠い場所にいると思われた歌手の存在がすごく身近にあると感じさせるときがある。また、それは受け手側との感覚の中にセンチメンタリズムとして浸透してくることもある。いわば、これまでにない共感性を重視したバラードに近い雰囲気のあるナンバーとなっている。


憂いのある曲の後には同じようにしっとりとしたハウスを基調にしたポップが続く。アルバムの曲の中で、セイント・シナーは最も淡々としたボーカルを披露している。ここではティコの「Skate」というナンバーで披露した妙に切ない感覚を再び四年の月日を経て呼び覚まそうとしている。ただそれは、それほど「Skate」のような音程の跳躍はなく、かなりまったりとした感じで中音域を彷徨う。「sky」と銘打たれてはいるものの、それを単なる苦悩と断定づけることは出来ないが、少なくともそのボーカルの感情性の中には何か悩ましげな感覚に充ちている。また、それほど考えこまずとも、ダンサンブルなポップとして楽しむための余地も残されている。

 

一転して、コアなハウスから少し遠ざかり、テクノやシンセ・ポップの要素をまぶした「for Lily」もまた聴き応え十分だ。特にDJ/プロデューサーとしての手腕が光る一曲で、リズムトラックにフィルターを掛け、遠近感のあるアートポップを追求している。それほど抑揚があるわけではないけれど、手前の音楽ではなく、背後の音楽の抑揚によって、曲全体に絶妙なダイナミクスを設けている。リズムトラックのダイナミクスの変化は、シンプルで中音域を中心に流れる心地よいシナーのボーカルに一定の迫力をもたらしている。途中まではかなり難解な構成ではあるのだが、曲の後半ではキャッチーさに焦点が絞られ、アンセミックとまではいかないものの、つかみやすいメロディーとボーカルは、この曲そのものにわかりやすい側面をもたらしている。 

 

アルバムの収録曲の中で最も劇的なのがエンディング曲「3:38am」であり、おそらく前曲のテーマの続きのような役割を担っているのではないか。少なくとも、アーティストからの解き明かされることのない問いが提示された瞬間とも取れる。これはミステリアスな感覚、いわば音楽そのものを奇怪なベールにより覆うような感覚。曲の途中ではミステリアスな曲調から、セイント・シナーらしい清涼感のあるポップ・アンセムへと変遷を辿る。曲の最後では、最もラウドなベースラインを強調した瞬間が出現する。それまで徹底してそのラウド性をコントロールしてきたからこそ、奇妙な印象をリスニング後の余韻として残しもするのである。

 

このアルバムのミステリアスな要素が単なる憶測なのかどうかまでは定かならぬこと。しかし、その真偽がどうであれ、このアルバムのクローズは、エグみのあるクラブミュージックの最深部へと迫っている。これらの独創的なクラブ・ミュージックとアート・ポップの融合は、現行のポピュラー音楽に準じているが、同時にそれに倣っているわけでもない。いうなれば、独立したソロアーティストの音楽として現代アートの造形のような存在感を持って屹立している。

 

 

90/100