O2は、英国の14歳から25歳の若者の音楽とライブ・エンターテイメントとメンタルヘルスとの関連性を調査した新たな研究結果を発表しました。


世界メンタルヘルス・デー(10月10日)に合わせて発表されたこの調査は、同会場の公式チャリティ・パートナーであり、子供と若者のメンタルヘルス分野で活動するYoungMindsの活動に触発されてなされました。調査によると、若者の大半は、音楽(88%)やライブ・イベント(83%)が気分やウェルビーイングに良い影響を与えることに同意しています。


若者の5分の1(20%)は、この精神的健康への好影響が、ライブ・イベントに参加することの最大の楽しみであると述べており、4分の1以上(27%)は、ライブ・イベントに参加することで、他のすべてのことを忘れられることが楽しみの要因であると答えています。


この新しい調査の発表を受けて、O2はグリニッジの地元青少年のライブ・イベントへのアクセスを改善するための新しい取り組みを発表しました。2023年12月から2024年にかけて、同会場は地元の慈善青少年団体YoungGreenwichと協力し、若者とその家族に1,000枚以上のアリーナチケットを寄付することを約束しました。これらのチケットは、音楽、コメディ、スポーツなど、今後1年間にO2アリーナで開催されるさまざまな種類のイベントに使われる予定です。


The O2のコマーシャル・ディレクター、アダム・ピアソンはこう語る。「1月にYoungMindsを公式チャリティとして発表したとき、O2アリーナとしての立場を利用したいと考えました。


O2のコマーシャル・ディレクターであるアダム・ピアソンは、次のように語っています。 「1月にヤングマインズを公式チャリティとして発表したとき、私たちは世界をリードする会場としての立場を利用して、真の影響と変化を促したいと考えていました。この調査は、ライブ・イベントと、それが若者のメンタルヘルスとウェルビーイングに与えるポジティブな影響との間に否定できないつながりがあることを浮き彫りにしており、私たちにとって常に大きな優先事項である地域コミュニティに真の変化をもたらすまたとない機会を与えてくれています。ヤンググリニッジの素晴らしいチームと協力し、来年、O2アリーナで開催される最高クラスのイベントにさらに多くのアクセスを提供できることに興奮しています」


ヤングマインズのリレーションシップ開発責任者、ミシェル・ケリガンは述べています。 「O2の公式チャリティ・パートナーに選ばれたことを嬉しく思いますし、この調査を歓迎します。私たちは、音楽やライブ・イベントを聴くことが若者のメンタルヘルスに非常に良い影響を与えることを知っており、このイニシアチブは、グリニッジの1,000人の若者が、他の方法では体験できないようなイベントにアクセスする機会を得ることを意味します。私たちは、会場の継続的な支援と、若者のメンタルヘルスをサポートする私たちの今後の活動を楽しみにしています」

 Peter Broderick & Ensemble 0 『Give It To The Sky』



Label: Erased Tapes

Release: 2023/10/6


Review


米国のモダン・クラシカルの象徴的な存在、ピーター・ブロデリックによる最新作。ブリデリックは、これまでのバックカタログで、ピアノを主体とするポスト・クラシカルや、インディー・フォーク、はては自身によるボーカル・トラック、いわゆる歌ものまで多岐にわたる音楽に挑戦している。

 

ブロデリックは、ロンドンのモダン・クラシカルの名門レーベル、Erased Tapesの看板アーティストである。特に「Eyes Closed and Traveling」は、ポスト・クラシカルの稀代の名曲である。今回、プロデリックはフランスのアンサンブル”Ensemble O”と組み、リアルなオーケストラ録音に着手した。彼は、アイオワのチェロ奏者、アーサー・ラッセルの隠れた録音に目を付けた。ラッセルは、チェロ奏者ではありながら、作曲家として活躍し、複数の録音を残している。ある意味、ブロデリックとラッセルには共通点があり、両者ともジャンルや形態を問わず、音楽をある種の表現の手段として考え、それを録音という形に収めてきた。ブロデリックは、ラッセルの一般的には知られていない録音に脚光を当て、この録音の一般的な普及させるという目的と合わせて、それらを洗練されたモダン・クラシカルとして再構成するべく試みている。

 

アーサー・ラッセルのオリジナルスコアの中には、どのような魅力が隠されていたのか? 考えるだけでワクワクするものがあるが、彼は、実際にスコアを元にして、ピアノ/木管楽器を中心としたフランスのアンサンブルと二人三脚で制作が行われた。同じたぐいの作品として、今年、フランスのル・ソールから発売されたアントワーヌ・ロワイエのアルバムがある。ベルギーのアヴァン・フォーク界隈で活躍するロワイエではあるが、クラシカルとフォークを結びつけ、壮大な作品を完成させた。Peter Broderick & Ensemble 0による『Give It To The Sky』は、ロワイエの最新作に近い音楽性があるが、純正なクラシカルや現代音楽に真っ向から勝負を挑んだ作品と称せる。

 

アルバムの構成は連曲か、あるいは、変奏曲の形式が並んでおり、「Tower Of Meaning」が、ⅰ〜ⅹⅱまで収録され、その合間に独立したタイトル曲や、別の曲が収録されている。録音風景を写した写真を見て驚いたのだが、実際のレコーディングは、オーケストラの編成のライブ録音のような形でホールで行われたものらしい。マリンバや木管楽器、そして、ピアノのすぐ近くに志向性のマイクを配置し、おそらくラインで録音したアルバムであると思われる。しかし、近年、教会に見られるような天井の高い音響を生かしたプロダクションを特徴とするErased Tapesの質の高いサウンドの渦中にあって、本作は単なる再構成というよりも、過去のスコアを元にし、原曲の持つ魅力を引き出し、オーケストラの演奏やコンサートの空間の醍醐味を最大限に生かそうという点に主眼が置かれている。実際、聞けば分かる通りで、複数のパートの木管楽器は美麗なハーモニーを描き、そしてその間に導入される断片的なマリンバの演奏や、ピアノのリズム性を生かした演奏のきらびやかな音の響きが空間内を動き回り、精彩なオーケストラサウンドとして昇華されている。マイクの配置の巧緻さには目を瞠るものがあり、いわば、音の粒子に至るまで、微細な動きが感じられる。クリアなプロダクションの中に変革性が込められていることは、これらの一連の連曲や変奏曲を見ると一目瞭然である。



木管楽器のアンサンブルを主体とする、ハーモニーの調和や美しさに焦点が絞られている連曲「Tower Of Meaning」は、一貫してスムーズな音の運びが重視されており、ECMのNew Seriesのマンフレッド・アイヒャーの好む精彩な音の志向性に近い。これらの木管楽器のハーモニーは、かなり古い中性の時代のヨーロッパの古楽や教会音楽が下地になっているらしく、古楽に詳しい人ならば、パレストリーナ様式の旋法を始めとする、フランスの近代音楽の下地となったヨーロッパの教会旋法の対位法の数々の断片を捉えることが出来るだろう。そして実際に、徹底してマイクの志向性と、その響きの印象性に重点が置かれた玄人好みのサウンドは、ドイツ/ロマン派以降の複雑な対位法や和音法こそ取り入れられていないが、グレゴリオの系譜にあるラッセルの単旋律を生かしたポリフォニーの形式に共感を覚えるはずである。これらの技法は、例えば、クラシックのシーンで言えば、ある指揮者がモーツアルトのオーケストラ譜を通じて、「クリアトーン」という概念で再現させようとしていたが、実際、それに似た手法が図られている。しかし、ピーター・ブロデリックとアンサンブルは、オーストリアの古典派ではなく、教会旋法を下地にしたラッセルの古楽的な手法で録音の完成系を生み出そうとしている。

 

そしてハーモニーの美しさとは別に、リズムの前衛性に焦点を絞った曲もあり、それらの二つの観点から見た現代音楽の面白みを追求している。何より、セリエル等の無調音楽は、それほど現代音楽に詳しくないリスナーにとっては、取っ付きづらく、不気味なものでしかないのだが、このアルバムはそうではなく、ハーモニーの調和とリズムのおもしろさに重点が置かれているので、それほど聞き苦しさはない。クルターグ・ジェルジュがサミュエル・ベケットに捧げた曲のように難解でもなければ、セリエルの知識を持ち合わせていなくとも楽しむことが十分出来る。特に、複数の木管楽器のオーケストラレーションの中で、芳醇さと重厚感さを兼ね備えた美しいハーモニーが連曲の中で生み出される瞬間があり、その前衛的な和音に注目すべき箇所がある。これらの和音の構成は、スクリャービンの神秘和音やフランクの楽曲ほどに難解ではない。上記の近代と現代の合間に位置する作曲家の多くは、演奏することよりも、演奏することが出来ないという点において、実際より高い評価を受けてきた経緯があるが、最早、現代の音楽において、そのような衒学性をひけらかすことに意味があるのか? ラッセルの作品は改めて、音楽における純なる喜びがないものに関して、疑念を投げかけているようにも思える。


アーサー・ラッセルは、作曲家であるとともに、チェロ奏者として活躍した音楽家だが、チェロの演奏に関して、瞠目すべき変奏曲も「Ⅵ」に見られる。ピチカートを活かし、リズム性を重視した奏法は、クラシックという領域を離れ、始原的なジャズの雰囲気を留めた一曲である。カウンターとしてのジャズとメインストリームのクラシックが合わないというのは思い違いで、かつてマイルス・ディヴィスは、ストラヴィンスキーの春の祭典を聴き、感激し、モード奏法を生み出したわけなのだし、ジャズの祖先は、ひとつは、アフリカのグリオの以後のブルースやゴスペルがあると思うが、もう一つは、西洋的な音楽ーー、ガーシュウィン、プロコフィエフ、ラヴェル、フランス音楽院の教育の根幹を担っていたフォーレにまで遡る必要がある。

 

音楽が好きで、ジャズかクラシックのいずれかしか聞かないというのはもったいないことで、偏った考えにより音楽を捉えていることの証でもある。そういった面では、ジャズとクラシックという、二つの偏った考えを、あらためてフラットに戻してくれるのが、ラッセルのスコアであり、また、プロデリックとフランスのアンサンブルの再構成でもある。何より、このアルバムが良いと思うのは、ジャンルという観念に縛られることなく、通奏低音のように響くモチーフが、一つの線を最初から最後まで通わせていることである。その中に織り交ぜられるブロデリックの自作のボーカルトラックも、良いアクセントになっている。つまり、オーケストラやクラシックにそれほど親しみがない人にも、ちょっとした掴みが用意されているのが素敵だ。

 

本作は、BBCが高評価したKit Downesのジャズ/クラシックの中間層に位置づけられるECMサウンドに触発された二次的な音楽という欠点も散見されるが、木管楽器のハーモニー、リズム的な面白さ、そして控えめに登場するチェロの前衛的な奏法が美麗な印象を形作る。再構成が中心のアルバムではあるが、時代の底に埋もれていた良い音楽の再発見という機会をもたらすとともに、ブロデリックのカタログの中でも象徴的な作品が生み出されたことの証ともなるだろう。



85/100

 


 Truth Club 『Running From The Chase』

 


Label: Double Double Whammy

Release: 2023/10/6


Review


ノースカロライナ・ローリーの四人組、Truth Club(トゥルース・クラブ)の2ndアルバム。バンドは、内省的なスロウコア、それとは対比的なシューゲイザーの轟音を飲み込み、変則的なポスト・ロックの構成を絡めている。このアルバムの音作りは、今流行りのインディーロックバンドやアーティストの作品を手掛けるAlex Farrar(アレックス・ファーラー)によるプロデュース作。今流行りのWednesdayが好きな人はぜひともチェックしておきたいバンドでしよう。

 

バンドの音楽性は、Wednesdayに近いものがあるが、その中にも変拍子を交え、テクニカルなポストロックバンドとしての表情を見せる瞬間もある。スロウコア/サッドコアのアプローチはわずかな安寧と心地よさを与えるが、意表を突く展開力は曲を聞いた時に強い印象を及ぼす。

 

このことは、オープニング「Suffer Debt」を聴くと、瞭然ではないだろうか。トゥルース・クラブが持つスロウコアの音楽性、その裏側には同時にわずかなエモーションを持ち合わせているが、その内的な幻惑の中にバンドは長くとどまることを良しとせず、時に目の覚めるようなテクニカルな展開によって束の間の休眠を破る。アルバムのサウンドの中で繰り広げられる微妙な変化は、スタンダードなスロウコアに飽食気味なリスナーに若干の驚愕を与えることだろう。ボーカリストの感情は、遣る瀬なさや内的な憂鬱という形で、かつてのエリオット・スミスのような雰囲気を漂わせ、ボーカルラインに乗り移る。同音反復的なギターラインが物憂げなボーカルと溶け合い、気だるい午後のように、または、午後の空の向こうに立ち込める蜃気楼のように、インディーロックの核心を綿密に作り上げる。しかし、「Uh Oh」のイントロにおけるダウナーな感情は徐々に変遷をたどり、シンセのフレーズやゲット・アップ・キッズのようなエモーショナルが立ち込めると、にわかに活気づくような瞬間がある。感情は下降線を辿るのだが、リズムを強調したベースを中心とするバンドサウンドに支えられるようにして、それらのダウナーな感情はある種の催眠的な効果、あるいはアンセミックな瞬間を呼び起こす。


しかしながら、スロウコア/サッドコアというジャンルの本質がそうであるように、トゥルース・クラブの音楽性に内包される感情性は下降線を辿る一方ではない。「Blue Eternal」でのバンドサウンドは、本作で最もアグレッシヴかつ才気煥発な瞬間を見せる。上記2曲とは対象的に、Foo Fightersを基調としたアメリカン・ロックサウンドで、瞑想的なサウンドの雰囲気を一挙に打ち破る。フー・ファイが好きかどうかは別として、本曲には、アメリカン・ロックの魅力が凝縮されている。そしてバンドはそれらをシューゲイズの甘いメロディーと結びつけて、新鮮なロックサウンドとしてアウトプットしている。パンキッシュなビートも掴みどころ満載だ。

 

その後、雰囲気はするりと様変わりし、ストーナー・ロックのような雰囲気を持つサウンドにシフトチェンジを果たす。しかし、Kyuss、Foo Manchuに代表される米国の砂漠地帯の轟音ロックは、トゥールース・クラブの感性のフィルターを通すと、内省的なサッドコアに近いサウンドに変化してしまう。ストーナーからガレージ・ロックの部分を削ぎ落とし、それをスマートなロックサウンドにより彩ってみせている。好き嫌いの分かれるアプローチだろうし、また、ジョッシュ・ホームは、このサウンドに関してストーナーではないと言いそうであるが、しかし意外にも、近年のQueen Of The Stone Ageにも比する哀愁のあるロックサウンドの魅力が漂う。


アルバムの序盤では、USのロックバンドらしさが満載となっているが、中盤の「Clover」では、UKロックを下地にしたポスト・パンクサウンドへと変遷していく。現実に相対するシニカルな眼差し、そして、どことなく覚めた感性を宿しながらも、Stoogesのようなプロト・パンクの熱狂性を、サウンドの中に読み解くことはそれほど難しいことではないだろう、やがて印象は変化し、それらのシニカルでどことなく覚めたような眼差しは、Strokesに近いイメージに近づいていく。ボーカルのそれらの風刺的な雰囲気も相まってか、骨格となるバンドサウンドは、グランジに近い印象性を携えて、このバンドのオリジナリティーが組み上げられていく。そして出来上がったものといえば、The Smileのポスト・パンクの轟音性を抽出したような現代的なサウンドである。クラシカルとも称すべき複数の影響を反映させながらも、こういったモダンなロックに近づけていくバンドの技術力、そしてテクニックの高さが伺える一曲となっている。

 


 

 

 

「Exit  Cycle」は、先々週に紹介したSlow Pulp(スロウ・パルプ)と同じようなメロディーの曲線を描く。ある意味では2020年代の同時代的なみずみずしい感性がはっきりとした形で示されているように思える。ただ、男性ボーカルという面で、Phoebe Bridgersのモダンなポップ性を下地にしたインディーロックサウンドの印象が、どのように変化するのかをその目で確認してもらいたい。そして、その中には、さりげなくエモからの影響も伺え、Chamberlain(Doghouseに所属)あたりのサザン・ロックに触発されたエモ・サウンドの萌芽も見て取ることも出来る。これらの多彩なアプローチは、トム・ヨーク的な感性と結びついて、「Siphon」ではエモとポスト・パンクが合致し、アンセミックな響きを持つ一曲も生み出されている。もちろん、それはサッドコアの憂鬱的な感覚に根ざしたダウナーなインディーロックの方向性が選ばれている。

 

しかし、他方、ギターやベースには、エネルギッシュな性質が反映される瞬間があり、これが現代のロックバンドとして、どのような感じでリスナーの目に映るのかという点が最重要視されるべきだろう。これらのキャッチーさとスノビズムを併せ持つ絶妙なバランス感覚を示した後、アルバムの後半部では、彼らのスロウコア/サッドコアの一面が最も色濃く表出する。「Dancing Around My Tongue」では、Bar Italiaがメインの楽曲の合間に書くようなダウナーなサウンドを反映させている。この曲には、Televisionのようなプロトパンクからの影響も伺い知ることが出来る。そして、アルバムの序盤のインディーロック・サウンドの中に見えづらい形で織り交ぜられていたThe Doorsを思わせる瞑想性は、続く、タイトル曲の前奏曲である「Chase」にて、最も痛烈な瞬間を迎える。内的な瞑想性の中に無限に漂いつづけるかのような感覚は、シンプルなギターロックサウンドと相まって、シュールレアリスティックな印象性を呼び起こす。

 

さらに、その雰囲気は続くタイトル曲「Running From The Chase」で最高潮を迎える。Strokesなのか、Lutaloなのか、Smileなのか、それとも、Bar Italiaなのか、Truth Clubは一見したところこのすべてに属するようでいて、反面、どこにも属することのないバンドでもある。バンドサウンドの中に見られるパンク・スピリットーー独立したバンドであるという表明、あるいは彼らがいかなる機構のコントロール下にもないという感覚ーーは、ポスト・ロックの影響を鏡の様に映し出した残りの2曲「Break The Stones」「Is This Working?」ではっきりと示唆されている。

 

 

78/100 

 

 

 


bdrmmがニューシングル「Mud」を発表しました。このシングルは、ハルを拠点とするシューゲイザー・バンドの2ndアルバム『I Don't Know』に続くもので、今年初めにモグワイのレーベル、ロック・アクションからリリースされました。


この曲は、リーズのネイブ・スタジオで行われたアルバム・セッションで、長年のコラボレーターであるアレックス・グリーヴスと共にレコーディングされた。「Mud」はシンセに縁取られ、ヴォーカルがため息をつくかのよう。「Mud」の本質的なもろさは、曇ったような美しさを含み、歌詞を映し出しています。


記憶と、過去をいかに保とうとするかについての曲で、フロントマンのライアン・スミスは「Mud」について、「喪失へのアプローチについての曲」と表現しています。「終わりが来る前に、それに対処しようとする。創り出された記憶は、流されることを恐れ、それを保持し続けることで、良いことよりも害を及ぼすことがある」


  Slauson Malone  『Excelsior』

 

Label: Warp

Release: 2023/10/6


Review 



最近、電子音楽/エレクトロニックの界隈を見ると、その要素が、全般的あるいは部分的に取り入れられるかに依らず、「コラージュ」の手法を図った音楽が多いという印象を受ける。例えば、先々週のローレル・ヘイローの『Atlus』は、かなり画期的なアルバムであり、今後の音楽シーンに強い影響をもたらす可能性がきわめて高い。このアルバムは、ワシントン・ポストでレビューで取り上げられたし、また、ロレイン・ジェイムスが「美しい作品」と形容していた。

 

「ミクロのマテリアルを組み合わせて、元の音楽を別の何かに再構成する」というのがコラージュの手法である。この制作法はプロセスを通じて、当初意図していたものとは異なる予期せぬ何かが出来上がる。自分の手を離れた時、また、言い換えれば、コントロール下を離れた時に、音楽というのは傑出したものに変化する。スティーヴ・ライヒやバシンスキーのようにラジオの録音を元にし、再構成するのか。はたまた、ウィルコの『Cousin』のプロディースを務めた、ケイト・ル・ボンのように、バンドのスタジオ録音を元に、何か別の意味合いを持つ構成に組み直すのか。考えられるだけでも、色々なコラージュの手法があり、未知の可能性がある。

 

ライセンス的には、オリジナルのものなのか、元あるものを再構成したものなのか、という点は重要視されることは避けられないが、リスナーにとっては、その音楽の大本が何によって構成されているのかは大して重要ではない。一般的な聞き手としては、完成されたものを聴くので、そのプロセスはどうしても第二義的な要素となる。ともあれ、過去は、ヒップホップのサンプリングという手法で親しまれ、また、モダン・アートの一般的な形式でもある「コラージュ」という形式、つまり、別のものをランダムに組み合わせて、新しいものを作り出すというスタイルは、今後、電子音楽にとどまらず、 ロックやヒップホップに頻繁に使用されていくかもしれない。少なくともこれは、「ローファイ」というジャンルの進化系が示されているのである。

 

Slauson Malone 1の『Excelsior』でもコラージュの手法が部分的に示されている。近年、ロサンゼルスに移住したというスラウソーン・マローンによる6作目のアルバム。プレスリリースでは「エッセイのような作品として組み上げられている」と説明されている。本作は、Oneohtrix Point Neverが『AGAIN』で示された個人的な思索や、Jayda Gの『GUY』で示された父祖の時代の出来事を描いた文学的な意味を持つ構成をR&Bやハウスとして昇華させた作品に近似するものがある。上記の作品は、表向きに現れる成果がどうであれ、現代の音楽の強い触発を与え、一定の影響を及ぼす可能性が高い。未だミステリアスな印象のあるスラウソン・マローンの作品も、エレクトロニックの位置づけにありながら、本来別のリベラルアーツに属し、また、その表現方法が音楽が最適解とは言いがたいものを、あえて音楽の形式として昇華しているのである。そしてエッセイ的な叙述は断片的に組み合わせたコラージュの要素により示唆されている。


今回、曲数が多いため、Track By Trackは遠慮させていただきたいが、このアルバムには無数の音楽的な要素がひしめいていることがわかる。ヒップホップのドリルや、Caribouのようなグリッチ/ミニマル、ハウス、ネオソウル、ダブ/ダブステップ、アヴァン・ポップ、ボーカルのコラージュ、モダン・クラシカル、インディーロック/フォーク、ジャズ。広汎なマテリアルを吸収し、前衛的な音楽が作り出された。根幹にあるのは電子音楽ではありながら、多様な音楽の要素を散りばめて、一定の音楽のジャンルに規定されない前衛的なスタイルが生み出されている。

 

電子音楽の側面では、エイフェックス・ツインのようなミクロなビートを生かした曲もあれば、スクエアプッシャーのようなパーカッシヴな観点から生のジャズ・ドラムやベースを電子音楽として再構成した曲もあり、この点はワープ・レコードのアーティストらしい。音楽性の多彩さに関しては、Kassa Overallの最新作を彷彿とさせる。しかし、スラウソン・マローンの音楽的な感性の中には落ち着きと重々しさがある。一見、散漫な印象を与えかねない無尽蔵の音のマテリアルのコラージュをもとにした電子音楽は、比較的纏まりのある作品として提示されている。

 

数えきれない音楽性の中には、Alva Notoを思わせる精彩な電子音楽も「Undercommons」に見いだせる。他にも、モダンジャズと電子音楽を絡めた「Olde Joy」では、ヒップホップやネオソウルを風味をまぶし、前衛的な形式に昇華している。また、「New Joy」では、ジェフ・パーカーが好むようなジャズと電子音楽の融合を探求している。Gaster Del Solのようなアヴァン・フォークをネオソウルから捉え直した「Arms, Armor」も個性的な印象を残す。ボーカルをコラージュ的な手法で昇華した「Fission For Drums, Pianos & Voice」は、アヴァン・ジャズの性質を部分的に織り交ぜている。「Love Letter zzz」も同じように、チェロの演奏とスポークンワードを掛け合わせ、画期的な作風を生み出している。これらの無尽蔵な音楽性には白旗を振るよりほかない。

 

『Excelsior』の中盤の収録曲には冗長さがあるものの、 終盤に至ると、静謐な印象に彩られた作風がクールな雰囲気を醸し出している。「Destroyer x」は、エヴァンスのような高級感のある古典的なジャズ・ピアノの雰囲気を留めている。「Voyager」は、インディーフォークと電子音楽を掛け合せ、安らいだイメージが漂う。「Decades,Castle Romeo」では、ジェフ・パーカー、ジム・オルークに近い、先鋭的な作風を示している。クローズ曲「Us(Towar of Love)」では、アコースティックギターの弾き語りによって、インディーフォークの進化系を示している。この曲のスラウソン・マローンのアンニュイなボーカルは、バイオリンの演奏に溶け込むようにし、メロウな瞬間を呼び起こし、アルバムを聞き終えた後、じんわりとした余韻を残す。

 

Slauson Malone 1のアルバム『Excelsior』は、革新的な手法が各所に取り入れられながらも、全般的に切なさを中心としたエモーションが漂っている。こういった情感豊かな電子音楽やフォーク、ネオソウルやラップの混合体が今後どのように洗練されていくのか楽しみにしていきたい。 

 

80/100

 

 

 

「New Joy」


 

カナダのインディーロックバンド、Alvvaysは先週末、CBS サタデー・モーニングに出演し、『Blue Rev』発売1周年を記念して、アルバムから「After The Earthquake」、「Easy on Your Own?」「Belinda Says」を披露しました。ライブパフォーマンスの模様は以下からご覧下さい。

 

また、Alvvaysは2023年度のカナダの音楽賞、ポラリス賞にノミネートされました。



 くるり 『感覚は道標』

Label: Victor

Release:2023/10/4

 

Review 

 

立命館大学のサークルで結成されたQurulli(くるり)。1990年代から日本のロックシーンを支えてきた貢献者でもある。


親しみやすいメロディー、ロックバンドとしての卓越した演奏力、そしてグルーブ感を生かしたライブサウンドをモットーに、これまで数々の邦楽のロックを作り出してきた。2021年の『天才の愛』発表後、パンデミックを経て、お目見えとなった『感覚は道標』は、輝かしいロックンナンバーが満載である。(先日、Real Soundに掲載された田中宗一郎さんとのインタビューにおいて、その全貌が語られています。曲の採点もなさっているので、ぜひ興味のある方はチェックしてみましょう)

 

このインタビューでも語られている通り、岸田繁さんは「片面がはっぴいえんど、もう片方がビートルズ」と、このアルバムについて仰っている。また、田中宗一郎さんは「桑田佳祐を思わせるものがあった」と語っていた。

 

個人的な感想としては、はっぴいえんど、及び、大滝詠一のソロ作品が一番近いのではないだろうかという印象を持った。加えて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが好むようなブギーやブルースを取り入れたギター・リフを活かし、時には、ビートルズの『ラバー・ソウル』時代の音楽性を取り入れ、それらをQurulliらしい戯けたような感じのロックとして昇華している。くしゃみから始まる「Happy Turn」はオアシスの「ワンダーウォール」の咳払いに対するオマージュ。しかし、その後に始まるのは、ビートルズ/ローリング・ストーンズ調のギターリフと、大瀧詠一のソロ作品のような甘い感じのメロディーが歌われる。その合間には、ザ・フーのピート・タウンゼントのモッズ・ロック時代の爽快なリフが小節間に導入され、軽やかな印象を生み出す。他にも、繋ぎとしてローリング・ストーンズの「Rocks Off」のギターラインのオマージュを導入し、彼等のキャリアの中でも最もロックンロール性を感じさせる。

 

 

大瀧詠一の「君は天然色」、「幸せな結末」に象徴されるサウンドからの影響は次の「I'm Really Sleepy」においても反映されている。しかし、岸田繁が歌うと、それがいささか渋みのある印象に縁取られる。おそらく、このあたりがタナソーさんが指摘する、桑田佳祐らしさなのかもしれない。続く「朝顔」は、後に、レイ・ハラカミがリミックスとして発表した「バラの花」のミュートを用いた軽妙なバッキングギターで始まる。これらは旧来のファンとしてはイントロを聴くだけで、気持ちが沸き立つものがある。そして、その期待感を裏切らず、エレクトロニックを取り入れた洗練されたロックサウンドへと移行していく。センチメンタルで湿っぽい歌詞は、Qurulliの代名詞的なリリックであるが、シンプルではありながら掴みのあるサウンドは、The Policeのスティングが書いたMTV時代のポップサウンドに近い雰囲気が漂っている。現在のUKロックにも近い清涼感のあるナンバーは、多くのファンの期待に添えるものとなっている。

 

大滝詠一を彷彿とさせるサウンドの風味は「California coconuts」でも受け継がれ、甘酸っぱい感覚が全体に迸っている。コード進行はきわめてシンプルではありながら、長調の中に単調を巧緻に取り入れながら、ジャングル・ポップやパワー・ポップ風のサウンドとして昇華している。リズムを生かしたバッキング・ギターは、The Knackの「Oh Tara」を思わせる。このあたりの口当たりの良さと渋さを兼ね備えたロックサウンドは、Qurulliの代名詞的なものである。サビの前に現れるメロディーの駆け上がりもワクワクした感覚を与え、軽快なウェイヴを生み出している。ここには三人組であるがゆえに作り出せる綿密なバンドサウンドと、岸田繁の傑出したメロディーセンスが、2020年代の優れたJ-POPサウンドの精髄を生み出すことに繋がった。

 

 もうひとつ、新しい要素として加わったのが、幻想的なアメリカーナ(カントリー/ウェスタン)からの影響である。これらの幻惑的なサウンドの影響を彼らは巧みに取り入れ、それをやはり親しみやすいロックサウンドの中に落とし込んでいる。これは、くるりのオルタナティヴ・ロック・バンドとしての性質が色濃く反映されている。例えば、現行の米国のインディーロックバンドの多くはごく普通のアメリカーナの影響を昇華し、現代的なループ・サウンドの中に反映させているが、そういった現代的なUSロック・バンドからヒントを得た一曲でもある。まったりとしていながらも乾いたギターサウンドが、聞き手を安らいだ幻惑の中に引き込む。

 

バグパイプの演奏をイントロに取り入れた「LV69」もQurulliが常に新鮮なサウンドを思索していることの証左となる。 ここでは、サザン・オールスターズのようなソウルフルかつニヒリスティックなリリック、そしてボーカルの節回しを卒なく取り入れ、ブギー/ブルース色の強い個性的なロックサウンドを生み出してみせている。ループ・サウンドを基調としているが、それらの中に印象の変化があるのは、セッションから生じる実験的な部分を重んじているがゆえなのだろう。特に中盤のギターソロに関しては、白熱したバンドセッションの息吹を録音に留めている。これらの精細感のあるライブサウンドは、旧来のスタジオ・アルバムという観点を飛び越え、ライブ録音とスタジオ録音の中間にあるユニークな性質をもたらすことに成功している。

 

ロックバンドとしての多彩な性質は以後、才気煥発な瞬間性を見せる。続く「daraneko」ではサーフ・ロックやヨット・ロックを意識したコアなギターサウンドを特徴としている。 しかし、そういったイントロの印象も前衛的な印象性を擁するシンセサイザーのシークエンスや、岸田繁の抽象的なボーカルが加わると、化学反応を起こし、単なるリバイバルサウンドの範疇から離れ、清新な印象のあるロックサウンドへと様変わりする。さらにシンセにより具象的なドラネコの声を表現したりと、遊び心溢れるロックサウンドに仕上げているのは見事としか言いようがない。これまでのくるりの主要なイメージであるユニークさが反映された一曲として楽しめる。

 

 

アルバムの終盤に至ると、より渋みのあるサウンドが立ち現れる。「馬鹿な脳」では、ブルースとミュージカルを掛け合せたようなサウンドに挑戦し、「世界はこのままでは終わらない」では、スライド・ギターを取り入れ、はっぴいえんどに近い70年代のロックサウンドを体現している。ローリング・ストーンズ、はっぴいえんどの「台風」のようなブルージーなロックサウンドに果敢に挑戦し、しかもときには、ブリット・ポップのメロディーラインと合致し、最終的には、90年代のBlurのような精細感のあるロックサウンドへと昇華されている。以上の変幻自在なアプローチは、ロック、ポップ、J-POPと、その楽曲の展開ごとに、くるくると印象が様変わりする。歌詞の中では、世の嘆かわしい出来事を断片的に織り交ぜながらも、表現性は明るい未来に向けられている。これらの批評的な精神とメッセージ性に溢れた曲は、現代の日本の音楽の中にあって鮮やかな印象を及ぼす。事実、この曲で繰り広げられるサウンドは、くるりがロックバンドとして、これまでとは別のステップに歩みを進めたことの証となるだろう。 

 

くるりが三十年近いキャリアの中で一貫して示してきたのは、音楽をそれほどシリアスに捉えず、万人が楽しめ、なおかつまたユニークなものとしてアウトプットしようということである。「お化けのピーナッツ」は、タイトルからも絵本のような可愛らしさがあるが、実際の音楽性も、それ以上にユニークである。サルサ、フラメンコを始めとする南米圏の音楽の旋律とリズムを巧みに取り入れて、それらを奇妙なほど親しみやすい日本語のポップスに組み上げている。戯けたような印象は、サザン・オールスターズの全般的な楽曲や、松任谷由実の「真夏の夜の夢」の時代の華やいだJ-POPの最盛期を彷彿とさせる。


日本の音楽と世界の音楽の双方の影響を織り交ぜた新たなクロスオーバーの手法は、その後も続き、「no cherry no deal」では、ミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ、ギター・ウルフを思わせる、硬派で直情的なシンプルなガレージ・ロックへと変貌し、更に「In Your Life」では、Sebadoh、Guded By Voices、Pavementに象徴される90/00年代の米国のオルト・ロックの影響を反映させたコアなアプローチへと変遷を辿る。また、クローズで示される「aleha」における、ニック・ドレイク、ジャック・ジャクソンを思わせるオーガニックなフォーク音楽へのアプローチもまた、彼らが音楽に真正面から向き合い、それをいかなる形で日本の音楽にもたらすべきか、数しれない試行錯誤を重ねてきたことを明かし立てている。

 

アーティストやバンドは、よくデビューして数年が旬であり、華であるように言われる。しかし、アメリカやイギリスの例を見ていて、最近つくづく感じるのは、デビューから30年目前後に一つの大きな節目がやって来るということである。音楽家としての研鑽を重ねた結果、十年後、二十年後、時には、三十年後になって、最大の報酬が巡ってくる場合もある。今回のQurulliの新作アルバム『感覚は道標(Driven By Impulse)』には心底から驚かされるものがあった。

 

 

90/100

©︎Tatiana Pozuero

 

イングリッシュ・ティーチャーがニューシングル「Nearly Daffodils」をリリースしました。アイランド・レコードからリリースされるこの曲は、今月末から始まる彼らの最大規模のUKヘッドライン・ツアーに先駆けてリリースされた。


リリー・フォンテーンはこう説明しています。『Nearly Daffodils』は、失恋と満たされない可能性を受け入れることについて歌っている。どんなに何かを望んでも、どんなに何かの成長や発展に力を注いでも、どんなに美しい結実を思い描いても、人生はクソみたいなもので、貨物列車と同じくらい止められないもの」




キラー・マイクが「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」に音楽ゲストとして出演し、ロバート・グラスパー、エリン・アレン・ケインと共に「Motherless」を披露しました。その模様は以下より。


「Motherless」は、6月にリリースされたキラー・マイクの最新アルバム『Michael』から引用されています。先月、アトランタのラッパーは、アルバム・セッションからの4曲を追加したLPのデラックス・バージョンをリリースしました。


Meerena ©︎ Keeled  Scales



Meernaaは、このニューアルバムを通じて、ネオ・ソウル、R&B、インディー・ポップの情熱的な側面を参照し、セード、ケイト・ル・ボン、ミニー・リパートン、トーク・トークなど様々な影響を受けたソングライター、カーリー・ボンドのくすんだボーカルと、官能的で技術的に洗練された楽曲を提供している。


Meernaa(ミールナー)名義の作品を通して、カーリー・ボンドは中毒や喪失といった重いテーマを愛というレンズを通して捉えようとしている。


「I Believe In You」について彼女はこう語っている。「彼らはやがて麻薬と手を切りましたが、断酒中も彼らの精神衛生は軽視され、私も、彼らと同じ運命からは逃れられないという物語が私の観念に植え付けられた。この曲は、自己成就的予言に挑戦し、変えていくこと、そして、自分の人生にポジティブなことが起きる権利があると自らに信じさせる気概を奮い立たせることについて歌っている」


「On My Line」は、ジョニ・ミッチェルの「Car On A Hill」にインスパイアされた。拒絶されることを悲しく、クールに受け入れ、その中で解放される感覚を表現している。


「Another Dimension」は、ボンドが実際に出会う10年前にタイムスリップしてパートナーに会うという鮮明な夢を見たことを歌っている。目覚めた後、彼女は内面に残る余韻を振り払うことができずにいた。


カーリー・ボンドは、ベイエリア北部の町で育ち、詩や音楽を逃避や感情処理の手段として使っていた。幼い頃、ホイットニー・ヒューストンのセルフタイトルアルバムのカセットを贈られ、音楽がいかにパワフルで癒しであるかを学んだ。クラシック・ロックのラジオ局を聴いたり、オークランドのジャズ・クラブ「Yoshi's」に行ったり、Daytrotterからダウンロードできるものは何でもダウンロードしたりと、思春期を通じてさまざまなジャンルを聴き、探求することで、しばしば自己を癒していた。


やがて、ボンドは、高校のジャズ・プログラムでギターを習い始め、自分で曲を作るようになった。音楽の知識を深めたいと思い、大学に進学するかどうか悩んでいたボンドは、2013年にサンフランシスコのタイニー・テレフォン・レコーディングでインターンを始めた。このスタジオに魅了されたボンドは、ピザ・レストランでのバイト代を貯めて、1日レコーディングをする余裕を作り、後にバンドメイトとなる夫のロブ・シェルトンと仕事をすることになった。


シェルトンとボンドは、その後すぐに一緒に音楽を演奏し始め、ボンドはベイエリアのミュージシャン、ダグ・スチュアート(ブリジャン)やアンドリュー・マグワイアとコラボし、Meernaaとして音楽を発表し始めた。2020年、シェルトンとボンドは一緒にロサンゼルスに移住し、タイニー・テレフォンのOBであるジェームス・リオット、アンドリュー・マグワイアとともに、自身のスタジオ、アルタミラ・サウンドをオープンした。


ロサンゼルスの音楽シーンで花開いたカーリー・ボンドは、ルーク・テンプル、ジェリー・ペーパー、スザンヌ・ヴァリー、ミヤ・フォリックらとセッションやツアーを行うギタリストでもある。




『So Far So Good』/ Keeled  Scales



2019年のデビュー・アルバム『Heart Hunger』に続いて発表された『So Far So Good』は、Meernaaのシンガーソングライターとしての飛躍を約束するような画期的なアルバムとなっている。

 

アーティストはみずからの持ちうる音楽的な語法を駆使し、気品のあるロック/ポップスの世界を構築しようとしている。ホイットニー・ヒューストンやジョニ・ミッチェルから習得した音感の良さと普遍的な音楽に対する親しみは、セカンドアルバムの10曲に艷やかな印象性をもたらす。70、80年代のポップスからの影響は、ダンサンブルなビートと軽快なグルーブ感を付与している。ソロアーティスト名義ではありながら、バンドサウンドの醍醐味を多分に意識したケイト・ル・ボン(シカゴのロックバンド、Wilcoの最新アルバム『Cousin』のプロデュースを手掛けている)のプロダクションも、Meernaの音楽に初めて触れる人々に抜けさがないイメージを与えるに違いない。 

 

 

「Oh My Line」

 

 

アートワークの印象もあいまってか、Meernaの音楽は、心なしかスタイリッシュな感覚を与える。そしてミールナーの音楽は、カルフォルニアの青い空、燦々たる太陽に対する陰影をわずかに留めているように思える。


アルバム『So Far So Good』のオープナー「Oh My Line」を聞けば、彼女がどのような音楽的な知識の蓄積を築き上げて来たのか、その一端に触れることが出来るだろう。


ジョージ・クリントン擁する Funkadelic(ファンカデリック)の『Maggot Brain』、William ”Bootsy” Collins(ウィリアム・ブーツイー・コリンズ)のアルバムに見受けられるファンクやソウルを基調としたミクスチャーサウンドを反映させ、しなやかなロックとポップスの形に落とし込む。バンドサウンドの上に軽快に乗せられるカール・ボンド(その名は映画俳優のようであるが、彼女は歌手である)の飄々としたボーカルが舞う。


ボンドのボーカルは、サザン・ソウル/ノーザン・ソウルの影響下にあると思えるが、スタックスやモータウンのアーティスト程には泥臭くはない。ボーカルの佇まいから匂い立つのは、しなやかな印象である。段階的にスケールを駆け上がっていく軽妙なギターライン、そして、ほんのりと哀愁を漂わせるエレクトリック・ピアノのフレーズがカーリー・ボンドのボーカルを艶やかに引き立てる。ベースラインはグルーヴに重点が置かれているが、それらはサビの中で跳躍するような影響を及ぼし、カール・ボンドのスタイリッシュなボーカルの感覚を上手く引き出している。

 

 

一曲目でファンク/ソウルという切り口を見せた後、カーリー・ボンドは「Another Dimention」において、彼女のもう一つのルーツであるインディーロックやフォークへの傾倒をみせている。マイルドではありながら深みを併せ持つ豊かな感性に根差したボーカルは、ボーイ・ジーニアスとして活動するLucy Dacus(ルーシー・デイカス)の2021年のアルバム『Home Video』で披露した秀逸なメロディーラインと重なるものがある。


そういった2020年代前後の現代的なポップスへのアクセスに加え、ソウルの進化系であるネオソウルからの影響を巧緻に取り入れ、夢見心地に浸されたうるわしきポピュラー・ワールドを追求している。そして、それらのドリーミーな感覚を擁する軽妙なギターラインと上品なストリングスが、感覚的な要素を引き上げていく。音楽の中には聞き手を惑わす心地良さがあり、その音の波の中にいついつまでも浸っていたいと思わせるものがある。それは、制作者が80年代のヒューストンの音楽から学び取った音楽の愉楽であり、そしてポップネスの核心でもあるのかもしれない。

 

「As Many Birds Flying」でも同じように、ソフト・ロック/AORに近い音楽を下地にして、感覚的なポップスを作り上げる。イントロのギターラインとシンセの組み合わせは、The Policeの80年代のMTV時代の全盛期の音楽の影響をわずかに留めているが、カーリー・ボンドのボーカルが独特な抑揚を交え、それらのバックバンドの演奏をミューズさながらにリードすると、その印象は、立ちどころにAOR/ソフト・ロックとは別の何かに変貌する。 


ネオソウルなのか、ニューロマンティックなのか、それとも……? いかなる音楽がその背後にあるかは定かではないが、官能的な雰囲気を擁するボンドのボーカルは、ドリーム・ポップのようなアンニュイな空気感を帯びる。それらの夢見心地の雰囲気はやがて、ロサンゼルスのAriel Pink(アリエル・ピンク)のようなローファイ/サイケを下地にしたプロダクションと結びつき、最終的に先鋭的な印象を及ぼすに至る。これらの1980年代から2010年代にひとっ飛びするような感覚は、『Back To The Future』とまではいかないが、SFに近い快感や爽快味を覚えさせる。

 

「Mirror Heart」でも、それらの現代的な感覚を擁する音楽を踏襲している。 インディーフォークやフリー・フォークを根底に置いた曲で、アコースティックギターのストロークとシンセのシークエンスという2つの側面からポップスへのアクセスしている。そして、その上に乗せられるカーリー・ボンドのヴォーカルは、やはり一貫して、涼しげでしなやかな印象に彩られている。これは例えば、昨年、SUB POPからデビューしたNaima Bock(ナイマ・ボック)による爽やかなモダン・ポップのアプローチにも近いものがある。


もちろん、ボンドの場合は、微妙なフレーズのニュアンスの変化、言葉の持つ抑揚の微細な変容により、それらの内面的な音楽を艶気のある表現性に変貌させている。さらに、驚くべきことに、曲の中にサビや見せ場のような形で現れる高音部のビブラートで抑揚をもたらそうとも、その歌の表現性は中音域のときと同じように昂じるわけでもなく、また、激しくなるわけでもなく、一定の落ち着きとしなやかさを維持し続けていることが美点である。


こういった歌による精彩なニュアンスの変化は、平均的な才質の歌手では表現しきれない高水準にカーリー・ボンドが到達していることの確かなエヴィデンスとなるかもしれない。またそれらの歌の世界観を巧緻に引き出すのが、シンセサイザーのトーンシフターによる変化なのである。

 

アルバムの序盤を通じ、こういった盤石かつ安定感のある音楽の世界を示した上で、ボンドは、中盤の収録曲を通じてさらに多彩な表現性を示す。特に、『Black Eyed Susan』では、ワールド・ミュージックに傾倒を見せる。バックビートを意識した軽妙なアコースティック・ギターの演奏は、ボサノヴァ・ブームの火付け役である、Stan Gets(スタン・ゲッツ)/Joao Gilbert(ジョアン・ジルベルト)のオシャレなブラジル音楽のポップスの性質を取り込み、それをモダン・ポップスという形で昇華している。

 

ボンゴのような打楽器のリズムを活かしたワールド・ミュージックを踏襲した音楽はやがて、Miya Folickに象徴されるアヴァン・ポップの性質を帯びる。本作の主な特徴である新時代と旧時代を往来するような不可思議な感覚は、現行の世界のポップス・シーンを俯瞰した際、新鮮な印象を受ける。



続いて、アヴァン・ポップにも近い雰囲気のある曲調は、曲の中盤から終盤にかけて、木管楽器やオーケストラ・ストリングスを配することで、アーティストの重要なルーツの一つであるジャズの気風を反映させ、ノルウェーのJaga Jazzist(ジャガ・ジャジスト)や、クラリネット奏者/Lars Horntvethの『Pooka』で見受けられる、フォークトロニカ/ジャズトロニカの範疇にある先鋭的な音楽へと変遷を辿っていく。これらの一曲を通じて繰り広げられる変容の過程には瞠目すべき点がある。次曲と共にアルバム中盤のハイライトを形成している。


 

その後も、多彩な音楽性はその奥行きを敷衍していく。「I Believe In You」では、シンプルなマシンビートと、「Hum〜」というフレーズを通じて、甘酸っぱく、メロウなムードを反映させたAOR/ソフト・ロックの音楽性を楔にし、彼女の音楽の重要なルーツであるホイットニー・ヒューストンの1985年のセルフタイトル・アルバムの懐かしいR&Bを基調にしたポップスを展開させる。



プレスリリースで紹介されている通り、ボーカリストの艶やかで官能的なイメージは、80年代への懐古的な印象とともに、聞き手を現代のノイズや喧騒から遠ざけ、音楽の持つ深層へと至らせる。


これらのアーカイブからもたらされる音の懐かしさを、カーリー・ボンドはいかなるアーティストよりも巧みに表現しようとしている。ある意味では、ビヨンセの前の時代のR&Bの核心を誰よりも聡く捉え、それらを超えの微妙なトーンの変化、その歌声の背後にある感情の変化により、温かみのある感情性へと変換させる。この技術には感嘆すべき点がある。


もちろん、彼女の夫を擁するバンドアンサンブルの妙も素晴らしい。中盤における金管楽器/木管楽器の芳醇な響きにも注目したいが、ファンク/ソウルを反映させたベースラインがグルーブ感を付加している。音楽はリズムが混沌としていると、メロディーが優れていても残念なものになってしまうが、これらの均衡が絶妙に保たれていることが、こういった、ハリのある音楽を生み出す要因となったのである。

 

「Believe In You」

 

アルバムの中で最も繊細でありながら大胆さを兼ね備えるバラード「Framed In A Different State」も聴き逃せない。静かなギターとエレクトリック・ピアノ、そしてビートルズがよく使用していたメロトロンの音色を掛け合せ、チェンバー・ポップを下地にしたバラードに挑戦している。



そして、この情感溢れる傑出したバラードは、ギターラインやシンセのフレーズをコール&レスポンスのように織り交ぜることにより、温かな雰囲気を持つ曲へと仕上がっている。また、アメリカーナの影響もあり、ペダルスチールの音色が聞き手を陶酔した境地へと誘う。


その上に漂う、ボンドのボーカルは、往年のフォークシンガーのような信頼感がある。そして一方で、涙ぐみそうな情感を込めて歌われるボンドのヴォーカルは、曲の中盤にかけて何かしら神々しい雰囲気に変わる。それはシンガーという人間の性質が変化し、神聖な雰囲気のある光を、その歌の印象の中に留めるということでもある。しかもそれは感情を高ぶらせることではなく、心を包み込むかのような慈しみによってもたらされるものなのである。

 

アルバムのタイトル曲「So Far So Good」は、レトロな感覚を持つテクノを主体として繰り広げられる、少しユニークな感覚を持つポップミュージックである。それほど真新しい手法ではないにも関わらず、インディーロックに触発されたギターライン、そして、やはり一貫して飄々とした印象のあるボンドのボーカルに好印象を覚えない人はいないはず。



しかし、やはりアルバムの全般的な楽曲と同じように、序盤のユニークな印象は中盤にかけて変化していき、Funkadelicの演奏に見られる休符とシンコペーションを効かせた巧みなアンサンブルに導かれるようにし、ボーカルラインは、気品に満ちた印象を帯びながら、淑やかなポップスへと変化してゆく。


それほど意図的にアンセミックなフレーズを作ろうとはしていないにもかかわらず、なぜか歌を口ずさんでしまう。この音楽的な親しみやすさにこそ、Meernaの音楽の醍醐味が求められる。そして、アルバムのタイトル曲として申し分のない名刺代わりの一曲である。

 

これらのコアなポップスのアプローチは最終的に、クローズを飾る「Love Is Good」という答えに導かれる。トライアングルを織り交ぜたパーカッシヴな手法は、ベースラインとシンセの緊張感のあと、ドラムのロールにより劇的な導入部となって、カール・ボンドの歌の存在感を引き立てる。その期待感に違わず、ネオ・ソウルやモダン・ポップの王道にあるフレーズを丹念に紡いでいく。


コーラスワークや、背後にあるシンセやギターは、より深みのあるソウルミュージックの領域へと達する。それはスタックス・レコードのソウルや、カーティス・メイフィールドのジャズ/フュージョン/ファンクに触発された演奏に比する水準に位置する。しかしながら、こういったコアなアプローチを取りつつも、しっとりとしたボーカルラインが維持されることで、ポップスとしての妙味を失うことがない。 



さらに、バンドアンサンブルの妙は、この曲の中盤から後半にかけて最高潮に達し、Jeff Beckの『Blue Wind』、Eric Claptonを擁するCreamの「Sunshine Of Your Love」で示されたような、ロックンロールの真髄である玄人好みのロックサウンドへと瞬間的に変化していく様は圧巻と言える。


数限りない音楽が内包されながらも、全くブレることのない本作の根幹には、どのような音楽の背景があるのか。少なくとも、表面的なものばかり持てはやされる音楽が散見される現代のシーンにあって、こういった本当の音楽は、他のいかなる音楽よりも深い意義を持つ。Meernaaというシンガーが今後どれくらいの活躍をするのかは予測出来ない。しかし、このアルバムを手にした、あるいは、聴くという幸運に肖った人々は、このアーティストに出会えて良かったという実感をもっていただけると思う。

 

 

Weekend Featured Track- 「So Far So Good」

 

 

 

 

90/100

 

 

Meernaのニュー・アルバム『So far So Good』はKeeled Scalesから発売中です。

 Akumi 『Lines』

 

Label: Total Union

Release: 2023/10/6


Review


先日、ロンドンのレーベルのオーナーから連絡が入り、ぜひレビューをしてもらいたいというご要望をいただきました。その手始めとして、フランス出身、現在、ロンドンを拠点に活動する実験音楽家、Akumi(パスカル・ビドー)の新作アルバム『Lines』を読者の皆様にご紹介したいと思います。

 

ロンドンの自宅スタジオで全曲録音されたこの作品について、Akumiこと、パスカル・ビドーは次のように語っている。「もう少し水平的でアンビエントな感じで、点線か直線かわからないような線を何層にも重ね、それを展開させながら、その線が私をどこに連れて行くかを見てみたかった」

 

このアルバムは、アルトサックス、クラリネット、ピアノの演奏を中心に徹底したミニマリズムと点描主義が貫かれている。またアートワークからも伺えるように、パターン芸術のようなコンセプトが作品全体に散りばめられて、インテリアのような趣のあるスタイリッシュな音楽が出来上がった。


オープニング「Secant」では、ピアノの演奏を通じて、ミニマリズムの極致を表現し、そしてさらに、このアルバム全体のコンセプトでもあるスティーヴ・ライヒへのオマージュをパスカル・ビドーは示そうとしている。ピアノとクラリネット、アルトサックスという組み合わせは、既にECMから発表されたライヒの『Octet Music For A Large Ensemble」で示された前衛音楽の作風である。しかし、これらのオマージュは、アルトサックスのリズムと、クラリネットのレガートという微細な点まで網羅しているが、その中にマニュエル・ゲッチングのような電子音楽の要素が加わることで、新鮮な印象をもたらす瞬間もある。そしてこの電子音の要素は、やがてパルス音のような形式へと変化する。現代音楽としても電子音楽としても楽しめる。


同じようにアルトサックスのリズムの要素を強調する二曲目「Oblique」でも、スティーヴ・ライヒのミニマリズムを継承しているが、パスカル・ビドーは、のちのミニマル・ミュージックが見落としていたジャズの要素を反映させて、清新な作風を追求している。そして一曲目と同様にゲッチングのテクノのパルス音を組み合わせ、ミクロな電子音楽へと変容していく。そしてそのパルス音はやがてクラスター音のように音像を変えていき、短い楽曲の中で印象が面白いように変わっていく過程を捉えることが出来る。やがて、曲の後半部では、ピアノの奥行きのある演奏が加わることにより、この実験音楽はある種の美麗な瞬間を出現させるのである。

 

上記2曲で一貫したミニマリズムを表現しているパスカル・ビドーではあるが、前曲の連曲である三曲目「Oblique」は少しだけ作風が異なり、パターン芸術とは別のインプロヴァイゼーションの面白みを追求している。前曲のパルス音/クラスター音の余韻を巧みに活かし、アンビエントに近い印象のある音楽を変奏的な手法で示している。その中に、アヴァン・ジャズの影響を加味した木管楽器のトリルを加えることで、空間芸術のようなテクノ/アンビエントの領域へと移行していく。その複数の楽器や電子音が織りなすシークエンスを背後にし、クラリネットの響きがソリストのような働きをもたらすことによって、前衛的な音像空間を生み出している。前の2曲と同様に断続的な音響の変化という点に焦点が絞られていることは疑いないが、しかし、それはより自由性の高い寛いだ印象のある音楽性がしめされていることが理解出来る。

 

四曲目「Parallel」でも、アンビエントに近い癒やしと安らいだ印象のある楽曲が続く。そして上品なピアノやクラリネットの演奏を交え、温かみのある音像を生み出している。オーケストラ楽器の演奏は稀に前衛的な奏法も取り入れられているが、それらの前衛性を安らいだ感じのピアノの優しげな響きが包み込む。何かこの複数の楽器によりもたらされる音像空間に身を任せていたいと思わせるような一曲である。時に、クラリネットの演奏は抽象的な概念に限らず、具象的な何か、心安らぐ風景や温かな情景を巧みにその音の中に映し出し、聞き手の心を捉える。アヴァンギャルドな方向性を取りながらも、その中には人間味溢れる温かさが漂っている。

 

五曲目「Tangent」では再び、スティーヴ・ライヒやのミニマリズムの手法に回帰している。冒頭の2曲とは異なり、ライヒがエレクトリック・ギターという観点からミニマリズムを探求した画期的な作品『Electric Counterpoint』の作曲技法を踏襲している。ミクロの音の要素が所狭しと敷き詰められているが、そのパターン的な印象性を変化させるのがベース音だ。表面的なフレーズは反復に過ぎないけれど、高音部と対比的に導入される低音部の迫力ある響きが全く違う印象を及ぼす。 この曲で示されているのは、バッハからライヒ、グラス、ライリーまで継承されている現代音楽におけるカウンター・ポイント(対旋律)の未知なる技法である。

 

ヴァイナル・バージョンには続いて2曲が収録されている。「Oblique」の長尺バージョンである「Oblique (Exclusive)」に加えて、「Longing For Tomorrow」が収録されている。そしてこのアルバムの中では最も着想性と想像性に溢れる一曲として聞き逃すことが出来ない。特に、後者の楽曲は、笙のような音色と、マニュエル・ゲッチングの前衛的な響きを重ね、独特な音響性を生み出している。さらに曲調はやがて中盤では、ロンドンのエレクトロニック・デュオであるMarmoの音楽を彷彿とさせるアヴァンギャルドなテクノへと転化する瞬間が留められている。最終的に、この曲はIDMの領域を離れて、EDMのライブセットを思わせるフロアのダンスミュージックへと劇的に変化する。『Lines』は、ミニマリズムを中心として作風では有りながら、同時に、電子音楽家のファンの好奇心を十分に掻き立てる素晴らしい内容となっている。 

 

 

 

 

 

 

88/100 

 

 

 In English--


We were recently contacted by the owner of a London-based label and asked us to do a review for them. As a start, we would like to introduce to our readers the new album "Lines" by Akumi (Pascal Bideau), a French-born experimental musician currently based in London.

Recorded entirely at his home studio in London, "Pascal Bideau", aka "Akumi", describes the album as follows: "It's a bit more horizontal, more ambient. I wanted it to be a little more horizontal and ambient, with layers of lines that I don't know if they are dotted lines or straight lines, and I wanted to let them unfold and see where they would take me."
 

The album is thoroughly minimalist and pointillist, with alto saxophone, clarinet, and piano playing at its core. Also, as the artwork suggests, the concept of pattern art is scattered throughout the work, creating a stylish music with the quaintness of an interior.


In the opening track, "Secant," Pascal Bideau attempts to pay homage to Steve Reich through the piano, the ultimate expression of minimalism, and also the concept of the entire album. The combination of piano, clarinet, and alto saxophone is in the style of the avant-garde music already presented in Reich's "Octet:Music For A Large Ensemble," released on ECM Records. However, while these homages cover the minute details of alto saxophone rhythm and clarinet legato, there are moments when the addition of electronic music elements, such as Manuel Göttsching, bring a fresh impression. And this electronic sound element eventually transforms into a pulsing form of sound. It can be enjoyed as both contemporary music and electronic music.

The second track, "Oblique," which similarly emphasizes the alto saxophone rhythmic element, continues Steve Reich's minimalism, but Pascal Bideau pursues a fresh style by reflecting elements of jazz that were overlooked by later minimal music. Then, as in the first track, he combines the pulsing sounds of Göttsching,' techno and transforms it into a micro electronic music. The pulsing sound eventually changes its sound image like a clustered sound, and the listener can capture the process of the interesting change of impression in the short piece. Eventually, in the latter part of the piece, the piano adds depth to the piece, and this experimental music emerges as a kind of beautiful moment.

Although Pascal Bideau expresses a consistent minimalism in the above two pieces, the third piece, "Oblique," which is a series of the previous pieces, has a slightly different style and pursues the interest of improvisation, which is different from pattern art. It skillfully utilizes the lingering pulse/cluster sounds of the previous piece to present music with an almost ambient impression in a variant manner. The addition of woodwind trills, which add an Avant-jazz influence, moves the piece into the techno/ambient realm of space art. With its multiple instruments and electronic sound sequences behind it, the clarinet's resonance brings a soloist-like function to the piece, creating an avant-garde sonic space. Like the previous two pieces, there is no doubt that the focus is on intermittent sonic changes, but it can be understood that the music has a freer and more relaxed impression. 

 

The fourth track, "Parallel," also continues with a soothing and restful, almost ambient impression. It is then interspersed with elegant piano and clarinet playing, creating a warm and welcoming soundscape. The orchestral instruments play with some avant-garde techniques, but these avant-garde elements are enveloped by the gentle sounds of the piano, which seems to be at ease. This is a piece that makes one want to lose oneself in the soundscape created by the multiple instruments. At times, the clarinet's performance is not limited to abstract concepts, but it skillfully projects something concrete, a comforting landscape or a warm scene in its sound, capturing the listener's heart. While taking an avant-garde direction, there is a humanistic warmth in the music.

The fifth track, "Tangent," once again returns to the minimalist approach of Steve Reich and others. Unlike the first two tracks, it follows the compositional techniques of "Electric Counterpoint," Reich's groundbreaking exploration of minimalism from the perspective of the electric guitar. Microscopic sound elements are laid down in many places, but it is the bass sound that changes the patterned impressionistic nature of the music. The superficial phrases are merely repetitive, but the powerful sound of the bass part, introduced in contrast to the treble part, creates a completely different impression. What this piece demonstrates is the unknown technique of counterpoint in contemporary music, which has been inherited from Bach to Reich, Glass, and Riley.


The vinyl version includes two more pieces. The vinyl version is followed by two more songs: "Oblique (Exclusive)," a longer version of "Oblique," and "Longing For Tomorrow. And it is one of the most imaginative and imaginative songs on the album that cannot be missed. The latter piece, in particular, layers sho-like tones with Manuel Göttsching avant-garde sound, creating a unique acoustic quality. Furthermore, there are moments in the middle of the song where the tune eventually turns into avant-garde techno, reminiscent of the music of London electronic duo "Marmo". Ultimately, the song leaves the realm of IDM and dramatically transforms into dance music for the floor, reminiscent of a live EDM set. ''Lines" is an excellent listen, with a style centered on minimalism, but at the same time, enough to pique the curiosity of fans of electronic music.


ベルリンを拠点に活動する日本人アーティスト、Tetsumasaが新作EP『Lots of Questions』のリリースを発表しました。MVや先行シングルは発売日当日解禁とのことです。下記よりアートワークと収録曲をチェックしてみて下さい。

 

Tetsumasaは名古屋市出身の日本のエレクトロニック・プロデューサー、DJ、シンガー/ラッパー。Downtempo、Hip Hop、House、Dub、Bass Music全般に深い影響を受け、2016年よりベルリンを拠点に活動中。類似アーティストは、Yaeji, 박혜진 Park Hye Jin, BABii, Sassy009, Moderat.が挙げられている。


Tetsumasaは、2000年代には別名義の”Dececly Bitte”としてU-cover、Sublime Porte、AUN Muteや+MUS等、ヨーロッパ/日本のレーベルから、ダブ/テクノ/アンビエント等の音響作品を発表してきた。その後、”Tetsumasa”名義で活動を開始し、実験的な電子音楽の作品 『ASA EP (vinyl)”』、『Obake EP (cassette)』をリリースしました。Urban Spree for Libel Null Berlin、Griessmühle (Berlin)、OHM Berlin、ATOM Festival (ウクライナ) などでもライブセットでプレイしている。

 

Tetsumasaの新作『Lots Of Questions』は、2023年11月2日木曜日に発売予定。神秘的な音の迷宮に足を踏み入れ、Tetsumasaは幅広い影響力を活かした電子サウンドの折衷的な融合を提供する。



「Moment in Berlin」で始まるこのトラックは、暗く謎めいた低音と突き刺すような明快な瞬間を融合させた実験的なサウンドスケープにリスナーを引き込む。それはベルリンの霧の夜の感覚を呼び起こし、そこでは何でも可能であるように見えるが、実のところは明確なものは何もない。



より内省的な「Lots Of Questions」は、ミニマリズムの痕跡を呼び起こしながらも、親しみやすくも独特なTetsumasaの雰囲気を醸し出している。 あたかもアーティストがあなたを、ささやき声の会話と反響する思考で満たされた薄暗い部屋に招待したかのようである。


 

「Leave Now」はTetsumasaの心の奥深くに突き刺さる曲。抽象的なシンセの組み合わせの深さを掘り下げて、リスナーに別世界のサウンドスケープを思い出させる要素を組み合わせた。



一瞬、親近感を覚える瞬間もあるが、『Lots Of Questions』は本質的には自己探求の旅。それはすべて音楽の曖昧さによる美しさ。 Tetsumasaの世界では、答えよりも質問が強力で、目的地よりも旅が重要である。 

 

 


Tetsumasa's new release, "Lots Of Questions," is set to land on Thursday, November 2, 2023. Venturing into the mysterious labyrinth of sound, Tetsumasa offers an eclectic fusion of electronic sounds, drawing on a broad spectrum of influences.

Starting off with "Moment In Berlin", the track immerses listeners in an experimental soundscape, blending dark, enigmatic undertones with moments of piercing clarity. It evokes the feeling of a foggy night in Berlin, where anything seems possible but nothing is quite clear.

The more introspective "Lots Of Questions" beckons with traces of minimalism yet exuding a familiar yet uniquely Tetsumasa vibe. It's as if the artist has invited you into a dimly lit room, filled with whispered conversations and echoing thoughts.

Finally, "Leave Now" is the deepest plunge into Tetsumasa's mind. A track that delves into the depths of abstract synth combinations, combining elements that may remind listeners of the otherworldly soundscapes.

While there are fleeting moments of familiarity, "Lots Of Questions" is, at its core, a journey of self-exploration. it is all about the beauty of musical ambiguity. Let Tetsumasa guide you through his universe - one where questions are more potent than answers, and the journey is more important than the destination.



Tetsumasa 『Lots Of Questions』 EP


Tracklist:

1. Moment In Berlin
2. Lots Of Questions
3. Leave Now



Pre-order(先行予約):

 

https://linktr.ee/tetsumasa 

 

Blondeshellが前作のセルフタイトルアルバム『Blondeshell』のデラックス・ヴァージョンをリリースしました。


「恋をしていると思っていたのに、実は憧れや絶望、あるいは自分の価値に対する戸惑いを感じていたことがたくさんあった。

 

 アルバムに書いた恋愛の多くがそうだったと思う。私は、自分の中のもっと根本的な葛藤について語る方法として、愛やロマンスについて語った。この曲は、そうした過去の関係や、特にクィアな関係という文脈の中で、実際に愛と認められるものについて、私の視点が変わったということを伝えるためのものなんだ」


デラックス・アルバムの全曲は以下をチェック。

 

 

 

©︎Petros


今年、来日公演を開催したUKのシンガー、シグリッドがニューシングル「Ghost」をリリースしました。このシングルは、セカンド・アルバム『How To Let Go』リリース後初となる新曲「The Hype」に続く作品。「The Hype」と名付けられた10月27日発売予定のEPの収録曲となる。


「物心ついたときから、キャッチーなもの、特に頭から離れないメロディーが好きだった」とシグリッドは説明する。特に、頭から離れないメロディーが好き」とシグリッドは説明する。

 

「どうりでポップミュージックを作り始めたわけだ!ひとつのタイプのポップ・ソングを作りたいと思ったことは一度もない。書き続けてきたけど、今年シングルを1枚出すだけじゃ物足りない気がして、音楽的に今の自分の位置を示すためにEPを出すことにした。この形式が好き。短くて簡潔だけど、曲作りやストーリー、サウンドのさまざまな側面を見せるのに十分な時間がある」


 

 

「”Hype EP”では、本当に期待に応えられているのか、失敗してしまったのか、誰かを乗り越えているのか、そして「きっと大丈夫!」ということについて書いた」


「Ghost」




Sigrid 「The Hype』 EP
 

Tracklist:

The Hype
Borderline
Ghost
Wanted It To Be You

©Joelle Grace Taylor
 

mxmtoonが新作EP「plum blossom (revisited) 」を発表しました。このEPには、ティーザー・トラック「feelings are fatal (revisited)」を含む、彼女の初期の曲の新バージョンが収録されています。新作EPは11月10日にリリースされます。


マイアはこう説明しています。「5年の間に多くの変化が起こるもので、その中で10代から大人になるときは特にそう。最初のEPをリリースしたのは18歳のときで、『plum blossom』は17歳のときに書いた曲で構成されている。その時点では、頭の中にあるすべてのアイデアを効果的に歌にするためのツールもボキャブラリーも持っていなかったから、私が作っていた音楽は、私が思い描いていた形にはならなかった。


「23歳になった今、若い頃の自分の夢を叶えるためのリソースを持っていることに、とても感謝している。”plum blossom (revisited)”は、自分がどこからスタートしたのかに敬意を表し、この5年間で一緒に成長してくれたみんなに感謝し、若い自分を受け入れることから逃げないように励ますための私の方法だ」



「feelings are fatal (revisited)」


 


ラモーンズが復活!? と思ったら・・・、blink-182だった・・・。彼らは今回、ラモーンズへのリスペクトとオマージュを示したニューシングル「Dance With Me」をリリースし、ファンを楽しませてくれています。


この曲は、最近リリースされた「One More Time」と「More Than You Know」に続くシングル。これらの曲は、2011年以来マーク・ホッパス、トム・デロンゲ、トラヴィス・バーカーが参加した彼らの復活作『One More Time...』からのシングル・カット。ニューアルバムは10月20日にリリースされる。


プレスリリースによると、この17曲は、「悲劇、勝利、そして、最も重要な兄弟愛というテーマを重ね合わせながら、彼らの絶頂期のバンドを捉えている」という。

 


「Dance With Me」