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 日本のシューゲイズシーンについて



日本のシューゲイザーシーンの注目アーティスト、揺らぎ


2010年代辺りから、魅力的なシューゲイズ・リバイバルシーンが、米国、NYを中心にして活発なインディーズシーンが形成されるようになった。ここ日本でも、同じく、ここ数年、アメリカのシーンと連動するような形で、魅力的なシューゲイザーバンドが台頭している。


そして、80-90’sの英国のインディーミュージック・シーンで発生したこのシューゲイズというジャンルが、日本でも一定の人気を獲得、多くのコアな音楽ファンを魅了しているのは事実である。これは、意外なことに思えるものの、実は、元々、日本のインディーズシーンでは、このジャンルに似たバンドが数多く活躍してきた。 


その始まりというのは、相当マニアックな伝説的な存在、”裸のラリーズ”。このバンドは実に、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインに先駆けて、同じような雰囲気を持つ轟音サウンドをバンドの特質の中に取り入れていた。 


以後、メインストリームに近い存在として例を挙げると、例えば、90年代のスーパーカーは、最初期にパワーポップとシューゲイザーを見事に融合したJ-Pop/Rockを炸裂させていた。それは、彼らのデビューアルバム「Three Out Change」を聞けば理解していただけると思います。また、その後、凛として時雨は、オルタナティヴというより、シューゲイザーに近い苛烈なディストーションサウンドをクールに炸裂させてオーバーグラウンドのシーンで人気を博した。  


しかし、この日本で、イギリスやアメリカのように、大々的なシューゲイズシーンが形成されていたような記憶はあまりない。


近年までは、ロキノン系のロックバンドの台頭の影響を受けて、東京の、新宿、渋谷、下北沢においては、特に、歌物のオルタナティブ・ロック、また、メロディック・パンクというジャンルがミュージシャンの間で盛んで、その辺りのバンドにそれらしい雰囲気のあるバンドは数多く活躍していたが、シューゲイズというジャンルを旗印に掲げるバンドはそれほど多くは見当たらなかった。


ということは、シューゲイズというジャンルは、これまでメインカルチャーでもカウンターカルチャー界隈でも、リスナーの間ではそれなりに知られているけれど、ミュージシャンとしては演奏する人があまりいなかった印象を受ける。


それはひとつ、MBVという伝説的存在のせいなのか、演奏するにあたって敷居が高い、つまり、あまりお手軽さがないというのが一因としてあって、パンクロックがレスポール一本で音を組み立てられ、フォークではアコースティックギター一本で、音を組みたてられる一方で、このシューゲイズというジャンルは、バンド形態を取らないと再現させるのが難しいジャンルで、ギター・マガジンを毎回読み耽るくらいの音作りマニアでないと、説得力のある音楽として確立しえなかったんじゃないかと思う。


つまり、ギターの音作りをバンドサウンドとして組み立てる面で、コアな知識を必要とするため、バンドとして演奏するのに、ちょっとなあと戸惑うような難しい音楽だったのだ。

 

このジャンルは、これまでオルタナから枝分かれした音楽として日本の音楽シーンに存在していたものの、その音楽性が取り入れられるといっても、音楽マニアにしかわからないような風味の形でしか取り入れられなかった。そして、一部の音楽ファンの間でひそかに愛されるインディージャンルとして、これまでの日本の地下音楽シーンで生きながられてきたという印象を受ける。


ところが、アメリカのシーンの流れを受けてか、日本でもシューゲイズに色濃い影響を受けたロックバンドが、メジャー/インディーズに関わらず登場して来ている。有名所では、羊文学がシューゲイズ寄りのアプローチをJpopの中に取り入れている。そして、近年、音作りの面でメーカーのエフェクターが徐々に進化してきているかもしれず、また、サウンド面でもリマスタリングの段階で、シューゲイズらしい音が作りやすくなっている。その辺のミュージシャン事情が、以前より遥かに音作りの面でハードルが下がり、日本でも、オリジナルシューゲイズの轟音性を再現する、魅惑的なロックバンドが数多く台頭してきた要因なのだ。


このジャンルは、ポストロックの後の日本のインディーシーンのトレンドとなりそうな予感もあり。ここは業界の人がガンガン宣伝していくかどうかにかかっているでしょう。そして、インディーシーンの音楽これらのロックバンドの音楽性の意図には、このシューゲイズというジャンルに、今一度、華々しいスポットライトを浴びせよう、というリバイバルの狙いが込められているのが頼もしく感じられる。これはもちろんニューヨークのインディーシーンと同じだ。 


もちろん、シューゲイズは、それほど一般的には有名でこそないニッチな音楽ジャンルといえるものの、現在、オーバーグラウンドからアンダーグラウンド界隈のアーティストまで、幅広い分布を見せているジャンルであり、十年前くらいから、個性的なロックバンドが続々登場してきている。スター不在のまま他の人はあれをやっているが、俺だけはこれをやる、私だけはこれをやる、というように、個性的なロックバンドが日本の地下シーンを賑わせつづけている。


これが実は、文化というものの始まりで、最後になって、大きな渦を巻き起こすような華々しいムーブメントに成長していくのは、往年のシカゴ界隈とか、ニューヨークのシーンを見てもおわかりの通り。大体のミュージシャンたちが、結成当初、きわめてコアな存在としてシーンに台頭してきたバンドが多いが、徐々にその数と裾野を広げつつある。


あまり大それたことはいいたくありませんが、もしかすると、このあたりのシーンから明日のビックアーティストが、一つか二つ出て来そうな予感もあり、俄然ロックファンとしては目を離すことが出来ませんよ。


今回は、この日本の現代シューゲイズシーンの魅力的なロックバンドの名盤を紹介していこうと思ってます。

 

1.揺らぎ(Yuragi) 「Nightlife」EP 2016


 


揺らぎは、Vo. Gu,Mirako Gt.Synth Kntr Dr. Sampler.Yuseの三人によって、2015年に滋賀で結成。


大阪、名古屋といった関西圏を中心にライブ活動を行っていて、今、現在の日本のインディーズシーンで最も勢いのあるバンド。


これまで四作のシングル、EPをリリースし、そして今年、1st Album「For You,Adroit It but soft」をリリースし、俄然、注目度が高まっているアーティストで、アメリカのワイルド・ナッシングに匹敵する、いや、それ以上の可能性に満ちたロックバンドと言っておきたい。


ここでは、シューゲイズという括りで紹介させていただくものの、幅広いサウンド面での特徴を持つバンドで、デビューEP「Nghtlife」2016では、Soonという楽曲で、アメリカのニューヨークのニューゲイズシーンにいち早く呼応するような現代的なシューゲイズ音楽を前面展開している。

             

また、他のシューゲイズバンドと異なるのは、シューゲイズだけではなく、多くの音楽性を吸収していることである。サンプラー、シンセといったDTMを駆使し、エレクトロニカサウンド、ハウス、あるいはポストロックに対する接近も見られ、とにかく、幅広い音楽性が揺らぎの魅力である。


轟音性だけではなく、それと対極にある落ち着いた静かなエレクトロニカ寄りの楽曲も揺らぎの持ち味で、その醍醐味は「Still Dreaming,Still Deafening」のリミックスで味わう事ができる。マイ・ブラッディ・バレンタインというより、最近のNYのキャプチャード・トラックスのバンドの音楽性とMumの電子音楽性をかけ合わせたかのようなセンスの良さである。


そして、最新作のスタジオ・アルバム「For You,Adroit It but soft」が現時点の揺らぎの最高傑作であることは間違い無しで、ここでは、ポストロック、エレクトロニカ、そして、ニューゲイズを融合させた見事な音楽を体現させている。ときに、モグワイのような静謐な轟音の領域に踏み込んでいくのが最近の揺らぎのサウンドの特徴である。


しかし、現代日本のシューゲイズとしての名盤を挙げるなら、間違いなく、彼らのデビュー作「Nightlife」一択といえるでしょう。このアルバムの中では特に、「soon」「nightlife」の二曲の出来がすんごく際立っている。 ここでは、往年のリアルタイムのシューゲイズを日本のオルタナとして解釈しなおしたような雰囲気があって素晴らしい。


ここでは、まだ、バンドとしては荒削りでな完成度ではあるものの、反面で、その短所が長所に転じ、デビューアルバムらしいプリミティヴな質感が病みつきになりそうな見事のシューゲイズ/ドリーム・ポップサウンドが展開されている。このなんともドリーミー雰囲気に満ちた世界観も抜群の良さ、文句なし。フロントマンのミラコのアンニュイなボーカルも◎、そして、どことなく息のわずかに漏れるようなボーカルスタイルが、他のバンドとはちょっと異なる”揺らぎ”らしいワイアードな魅力である。



2.Burrrn 「Blaze Down His Way Like The Space Show」2011


 


バーンは、2005年に東京で結成された三人組編成のシューゲイズロック・バンド。2007年のミニアルバム「song without Words」でデビューを飾る。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとソニック・ユースにかなり影響を受けているらしく、実験的なシューゲイズバンドというように言える。


シューゲイズのギターのグワングワン、ボワンボワンな轟音の特徴というのはもちろん引き継いでおり、そこにさらに、ドラムのタムに独特なエフェクトがかかっていて、バンドサウンドに巧緻にとりいれられているあたりが面白い。また、さらに、Trii Hitomiのボーカルというのもアンニュイがあって、センスの良さが感じられる。


正直、彼らはこれまで三作品のリリースがありますが、全作品入手が困難です。唯一入手しやすく、またサブスクでも聴けるるのが、このスタジオ・アルバム「Braze Down His Way Like The Space Show」です。


このアルバム中では、独特なドリーム・ポップの旨みがとことん味わえいつくせる、六曲目「Picture Story Show」、最終曲の「Shut My Eyes」が傑出しています。アルバム全体としても、アメリカのニューヨークのワイルド・ナッシングにも似た質感がある。


もちろん、ソニック・ユースから影響を受けているということで、都会的なクールさのある音楽性もスンバラシイ。表向きには、「これでもか!!」というくらい、ド直球のシューゲイズを放り込んできているのが好ましい。しかし、ときに、それよりも音楽性が深度を増していき、ローファイ/ポストロックの轟音性の領域にたどり着いちゃうあたりは、通を唸らせること間違いなし!! 


3.Oeil 「Urban Twilght」remaster  2017

 

 

 

ウイユは、日比野隆史とほしのみつこによって、2007年に結成された東京発のシューゲイザーユニット。 


Bandcampを中心として活動していたバンドで、これまでにアルバムはリリースしておらず、シングルとEPを三作発表しています。もしかすると、幻のシューゲイズバンドと言えるかもしれません。 

 

音楽性としては、イギリスのリアルタイムのシューゲイズムーブメントに触発された音であり、Chapterhouse,Jesus and Mary chain,My Bloody Valentine直系のド直球のシューゲイズを奏でている。音がかなりグワングワンしており、往年のシューゲイズバンド以上のドラッギーな轟音感を持つ。                


「Urban Twilight」は、彼らのデビューEPとしてSubmarineからのリリース。2016年にリマスター盤が再発されている。


おそらく一般受けはしないであろうものの、シューゲイズのビックバンドが不在の合間を縫って登場したというべきか、マイブラ好きには堪らないギターのトレモロによる音の揺らぎを見事に再現。シンセサイザーとギターの絶妙な絡み、そしてほしのみつこのぽわんとしたドリーミーなボーカル、陶然とした雰囲気のあるボーカルを聴くかぎりは、マイブラ寄りのロックバンドといえる。。


このアルバム「Urban Twilight」の中では、一曲目の「Strawberry Cream」の出来が抜きん出ている。往年のシューゲイズファンにはたまらない、涎のたれそうな名シューゲイズです。二曲目の「White」もMBVのラブレスを彷彿とさせるサウンド。


このギターのうねり揺らぎのニュアンスは、ケヴィン・シールズのギターサウンドを巧みに研究していると感心してしまいます。シューゲイズーニューゲイズの中間を行く抜群のセンスの良さに脱帽するよりほかなし。 



4.CQ 「Communication,Cultual,Curiosity,Quatient」2016


CQというバンドの前進、東京酒吐座というバンドを知っている人は、正直、あまりいないでしょう。もし知っていたとしたら、重度のシューゲイズ中毒者かもしれません。


しかし、これはくだらない冗談としても、この東京酒吐座(トウキョウシューゲーザ)というダジャレみたいな名を冠するグループというのは、東京の伝説的なオルタナティヴロックバンドであり、一部界隈に限定されるものの、2010年代近辺にカルト的な人気を誇っていたインディー・ロックバンドである。            


    

その東京酒吐座のメンバーが解散後に組んだバンドがこのCQ。しかし、そういった要素抜きにしても、日本語で歌うシューゲイズバンドとしてここではぜひとも取り上げておきたい。


2010年代の東京のオルタナシーンを牽引していたという自負があるからか、他のシューゲイズバンドと比べ、本格的なロック色が強く、そして、音自体もプリミティヴな輝きを持っている。


そして、日本語の歌詞を歌うことをむしろ誇らしげにし、轟音サウンドを掲げているあたりがかっこいい。アメリカのダイナソーJr.のJ Mascisのような轟音ギターと聞きやすい日本語歌詞が雰囲気が絶妙にマッチしたサウンドで、 独特な清涼感が感じられる。                      

          

既に解散しているCQの作品は、Burrrnと同じく入手困難。唯一、サブスクで聴くことが出来る「Communication,Cultual,Curiosity,Quatient」が、そのあたりの心残りを埋め合わせてくれるはず。 


CQは、オルタナサウンドの直系にあたる音楽性で、最近流行のニューゲイズからは距離をおいているように思えますが、時代逆行感が良い味を出している。


海外には海外のロックがあるが、ここ日本には日本のロックがある、ということを高らかに宣言しているのが素晴らしい。また、純粋に、「日本語で歌うロックって、こんなにもかっこいいんだ」ということを教えてくれる希少なバンドといえる。


札幌のインディーシーンの伝説”naht”、Bloodthirsty Butchersのギタープレイを彷彿とさせ、激烈で苛烈な日本インディーロックサウンドらしい音の質感。誇張抜きにして、ギターの轟音のウネリ具合、キレキレ感、バリバリにエッジの効いたサウンドは世界水準。


また、そこに、日本の歌謡曲の世界観が、風味としてそっと添えられているのがかっこいい。知られざる日本のオルタナロックの名バンド。 



  5.宇宙ネコ子 「君のように生きられたら」 2019

  

 


この宇宙ネコ子というのは、バイオグラフィにしても、また、詳細なプロフィールにしても謎に包まれている。


おそらくこれからも、この謎が完全解明されることはないでしょう。ここで紹介できる記述は、神奈川県のインディーロックバンドであるということ、メンバー構成も常に流動的であり、まるで、サッカーのフォーメーションのような柔軟性。常に何人で、というこだわりがなく、三人であったか思うと、五人まで膨れ上がり、かと思うと、現在は二人のユニット構成となっている。               

 

作品中のコラボレーションの相手も慎重に選んでおり、慈恵医大出身という異色の経歴を持つ宅録ミュージシャン、入江陽、あるいは、ラブリーサマーちゃん、度肝を抜かれるようなアーティスト名がずらりと並んでおり、正直面食らいます。しかし、何故か、妙に心惹かれるものがある。そして、あまり表側に出てこないバンドプロフィール情報というのも、この膨大な情報化社会の中にひとつくらいあってはいいかなと思うのは、多分、B'zのマーケティングの前例があるから。ツイートにしても、基本的に謎めいたワードを中心に構成されているのはニンマリするしかなく、これは、狙いなのか、天然なのか、いよいよ「謎」だけが深まっていく。 


しかし、こういった謎めいた要素を先入観として、この宇宙ネコ子のサウンドを聴くと、その意外性に驚くはず。表向きのイメージとは異なり、本格派のミュージシャンであるのが、このアーティストである。 


しかも、ポップセンスというのが際立っており、往年の平成のJ-pop、もしくはそれより古い懐メロを踏襲している感じもある。そして、Perfumeであるとか、やくしまるえつこのようなテクノポップ、シティポップからの影響も感じられる、奇妙でワイアードなサウンドが魅力。


そして、どうやら、宇宙ネコ子は、DIIVを始めとする、NYのキャプチャードトラックのサウンドにも影響を受けているらしく、相当な濃いシューゲイズフリークであることは確かのようです。そして、どことなく、JーPopとしても聴ける音楽性、青春の甘酸っぱさを余すことなく体現したような歌詞、切ない甘酸っぱいサウンドが、宇宙ネコ子の最大の魅力といえる。


宇宙ネコ子は、これまで、”P-Vine”というポストロックを中心にリリースするレーベルからアルバムを二作品発表している。


「日々のあわ」も、良質なポップソングが満載の作品ではありますが、最新作「君のように生きられたら」で、宇宙ネコ子はさらなる先の領域に進んだといえる。


一曲目の「Virgin Suscide」は、日本のシューゲイズの台頭を世界に対して完全に告げ知らせている。ここでは、他に比肩するところのない甘酸っぱい青春ソングを追究しており、そこに、シューゲイズの轟音サウンドが、センスよく付加される。歌詞の言葉選びも秀逸で、手の届かない青春の輝きに照準が絞られており、この微妙な切なさ、甘酸っぱさは世界的に見ても群をぬいている。 


ニューヨークのシューゲイズリバイバルシーンに対し、J-Popとしていち早く呼応した現代風のサウンド。ジャケットのアニメイラストの可愛らしさもこのユニットの最大の醍醐味といえる。 

 

6.Pasteboard 「Glitter」

 

 

 

現在の活動状況がどうなっているのかまではわからないものの、オリジナルシューゲイズの本来のサウンドを踏襲しつつ、現代的なサウンドを追求する埼玉県にて結成された”Pasteboard”というロックバンドである。


このPasteboardは、近年アメリカで流行りのクラブミュージックとシューゲイズを融合させたニューゲイズサウンドに近いアプローチをとっているグループ。そして、渋谷系サウンド、小沢健二、フリッパーズ・ギター 、コーネリアスの系譜にあるおしゃれなサウンドを継承している面白いバンドです。 


この渋谷系(Sibuya-kei)というのは、英語ジャンルとしても確立されている日本独自のジャンルで、シティポップと共に、アメリカでもひっそりと人気のある日本のポップスジャンルで、他の海外の音楽シーンにはない独特なおしゃれな音の質感が魅力だ。


Pasteboardは、日本語歌詞の曖昧さとシューゲイズの轟音性の甘美さを上手く掛け合わせ、日本語の淡いアンニュイさのある男女ボーカルの甘美な雰囲気を生み出すという点で、どことなくSupercarの初期のサウンドを彷彿とさせる。


シングル盤が一、二作品。コンピレーションが一作、アルバムがこの一作と、寡作なバンドでありますが、特にこの「Glitter」という唯一のスタジオ・アルバムは渋谷系のような雰囲気を持つ独特な魅力のある日本シューゲイズシーンの隠れた名盤として挙げられる。

 

 7.LuminousOrange 「luminousorangesuperplastic」 1999 


 

 

最後に御紹介するのは、日本のシューゲイズシーンのドンともいえるルミナスオレンジしかないでしょう。


ルミナスオレンジは、1992年から横浜を中心に活動していますが、最も早い日本のシューゲイズバンドとして、この周辺のシーンを牽引してきた伝説的存在。イギリスのChapterhouse,Jesus and Mary Chain,といったシューゲイズバンドの台頭にいち早く呼応してみせたロックバンドであり、女性中心の四人組というメンバー構成というのも目を惹く特徴です。  

1999年の「luminousorangesuperplastic」は、今や日本シューゲイズの伝説的な名盤といえ、非常にクールな質感に彩られた名作でもある。ここで、展開されるのは、マイ・ブラッディ・バレンタイン直系のジャズマスターのジャキジャキ感満載のプリミティヴなサウンドであり、今、聞いても尖りまくっており、しかも、現代的の耳にも心地よい洗練された雰囲気に満ちている。 


ツインギターの轟音のハーモニーの熱さというのはメタルバンドの様式美にもなぞらえられ、硬派なロックバンドだからこそ紡ぎ得る。また、そこに、疾走感のあるドラミング、小刻みなギターフレーズのタイトさ、ベースの分厚い強かなフレージング、これは、シューゲイズの目くるめく大スペクタルともいえ、あるいは、コード進行の不協和音も、ポストロックが日本で流行らない時代において、当時の最新鋭をいっている。 


さらに、そこに竹内のボーカルというのも、クールな質感を持つ。アナログシンセのフレージングというのもオシャレ感がある。また、ルミナスオレンジのサウンドの最大の特質は、変拍子により、曲の表情がくるくると様変わりし、楽曲の立体的な構成を形作っていくことである。このあたりの近年の日本のポストロックに先駆ける前衛性は、他のバンドとまったく異なるルミナスオレンジの最大の魅力である。表向きの音楽は苛烈で前衛的ではあるものの、メロディーの良さを追求しているあたりは、ソニック・ユースとマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの性質を巧みにかけ合わせたといえる。


おそらく、世界的に見ても、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(MBV)に対抗し得る日本の唯一モンスター・ロックバンドであることは疑いなし。


MBVに全然引けを取らないどころか、そのポップセンスの秀逸さという面でまさっている。付け焼き刃ではない轟音感と甘美なメロディー、硬派なロックバンドならではのクールさを併せ持つシューゲイズサウンドは、シューゲイズ界隈が賑わいを見せている現在だから再評価されるべきである。



 

MASS OF THE FERMENTING DREGS

 

 

 

MASS OF THE FERMENTING DREGSは、2002年、兵庫県神戸で結成された女性三人組のオルタナティヴロック・バンド。

 

2010年のアルバムリリースの後、メンバーが大幅に入れ替わる際、期間活動休止を余儀なくされた。

 

しかし、2015年になって、新しいサポートメンバーを招いて、マスドレは再始動する。

 

結果としては、このバンドの中心人物、ベース・ボーカルの宮本菜津子さんだけがオリジナルメンバーとしてバンドに残り、MASS OF THE FERMENTING DREGS、通称"マスドレ"を現在まで頼もしく率いています。 

 

 

Mass Of The Fermenting Dregs"Mass Of The Fermenting Dregs" by Steve Leggat is licensed under CC BY-NC 2.0

 

 

 

女性ベース・ボーカルの日本のロックバンドとしては、凛として時雨、Base Ball Bearが思い浮かべられる。しかし、日本の女性のみのスリーピースのオルタナロック・バンドというのは寡聞にして知りません。上記2つのアーティストと異なる雰囲気のある本格派ロックバンドといえる。個人的な意見としてはどちらかというと、日本より海外で人気の出そうなオルタナティヴロックバンドです。

 

このマスドレというバンドを知ったのは、今から十数年前に遡る。これは仕様もない胡散臭い昔話と思って聞きながしてほしい。まだこのバンドがレコードデビューをするかしないかという時期、インディーズ系のバンド視聴サイト"auiodleaf"を介してだった。私の友人で、当時、新興サイトでしかなたAudioleafの営業部長を務めていた人物がこのバンドがいいんだと教えてくれた。家に帰って聴いてみたところ、ナンバーガールに近い質感を持ったクールなバンド、まさにあの時の自分が求めていた音でした。

 

音楽性としては、フェンダー・ジャズマスターのギターの歪みを特徴としていて、そこにかなり芯の太いベースライン、そして、タイトなドラミング。親しみやすいポップ性を擁し、現在流行りのドリームポップのような質感、そして、青春の淡い情感もこのバンドのずっと変わらない普遍的な長所だ。つまり、ややもすると、EMIのスカウトの目は、このバンドをナンバーガールの再来というように捉えたのかもしれません。

 

このバンドの音楽には表向きには、グランジロック的な雰囲気もありますが、近年、アメリカの影響を受けて、日本でも隆盛しつつある、ニューゲイズ、ドリームポップの雰囲気がそれとなく漂っている。当時の一部の耳の肥えたロックファンは、明らかにこのバンドに、ただならぬ期待を寄せていただろうと思う。マスドレがいつか、日本のロックを背負って立つ存在になるかもしれない。そして、実際、それから、MASS OF THE FERMENTING DREGSの躍進ぶりというのは、目にも留まらぬ勢いだった。

 

それまでは東京近辺の知る人ぞ知る感じのインディーロック・バンドであったのが、二年間のうちに、Fuji Rockに出演を果たし、見事なシンデレラーストーリーを描いてみせた。つまり、こういった成功例を身近で見てきた人間の意見として、成功するバンド、アーティストというのはなんらかの大きな足がかりをつけさえすれば、スターダムの階段を駆け上るときは一瞬なのでしょう。

 

デビューアルバム「Mass of The Farmating Dreds」2008は、サウンドエンジニアとして世界的な大御所といえるデイヴ・フリードマンをプロデューサーに迎え入れて録音制作される。それからすぐ、バンドとしての勢いが冷めやらぬ中で、翌年、ナンバーガールのベーシスト、ナカケンこと中尾憲太郎をプロデューサに迎え入れ、二作目のスタジオ・アルバム「World is Yours」2009をリリース。そして、一躍、日本で有数のオルタナロック・バンドとして知られるようになりました。 

 

ナンバーガールも再結成を果たしたことから、再評価の機運が上昇している最注目の日本語オルタナティヴ・ロックバンドといえます。

 

 

Mass Of The Fermenting Dregs 推薦作品




1.「World Is Yours」EP  2009



 

 

 

 

 

 

1.このスピードの先へ

2.青い、濃い、橙色の日

3.かくいうもの

4.She is inside,He is Outside

5.なんなん

6.ワールドイズユアーズ

 

 

通称、マスドレの活動休止前の最も勢いのある瞬間を捉えた奇跡的なアルバム。ナンバーガールのベーシスト、中尾憲太郎をプロデューサーとして迎え入れたという面でも話題性に富んだ作品といえるかもしれない。そして、やはり、このアルバムは何度聴いても永久不変の大名盤。

 

宮本菜津子さんのボーカルは先述したように、ハスキーでありながら、意外にも高音の伸びというのが素晴らしい。

 

彼女のボーカルの高音の伸びを聞いていると、なぜだかしれないが切なくもあり、また、さっぱりした気分になることができる。珍しいタイプのシンガー。もちろんバンドとしての音も、結成から七年目にして最高潮を迎えたといえます。

 

ギタリスト、石本知恵美のフェンダーの歪みに歪んだディストーションというのは、全盛期のナンバーガールの田淵ひさ子のギタープレー、The Wedding Presentsの最初期を彷彿とさせるような凄さがある。

 

そこに、宮本菜津子の骨太のベースライン、リズミカルとベースがバンドサウンドを背後から支え、後藤玲子のタイトで尖った激烈な迫力のあるドラムのダイナミクスが加わる。

 

彼女たち三人の七年間の活動の集大成のようなものが、ここに熱いロックンロールとして体現されています。「このスピードの先へ」では、日本人アーティストとしてオルタナ音楽へ一石を投じていて、怒涛の迫力と勢いで、アルバムの最後をかざる名曲「World is Your」まで息つくところなく瞬く間に過ぎ去っていく。

 

ライブを目の前で見ているかのような凄まじい音の迫力は、ナカケンさんの耳の良さ、彼の音楽上の深い経験によって培われた敏腕プロデュースによるもの。まさに”マスドレ”という青春をロックンロールで凝縮した1枚。日本のオルタナを頂点に持っていった、問答無用の大傑作です。

 

 

 

 

2. 「No New World」2018 

 


 

 

 

 

 

 

1.New Order

2.あさひなぐ

3.だったらいいのにな

4.YAH YAH YAH

5.No New World

6.HuHuHu

7.Sugar

8.スローモーションリプレイ


 

 

2012年の活動休止後、新たなメンバーを迎え入れて、新生マスドレとして活動を再開。実に、8年振りとなるスタジオ・アルバムとなる。ここでは前作「ゼロコンマ、色とりどりの世界」からバンドとしても、実際のサウンドとしてより洗練され、そこにさらに強さが加わったように思えます。

 

「New Order」は、これぞマスドレという感じの爽やかさ、清らかさ、そして、切なさの感じられる楽曲だ。「あさひなぐ」は、これまでのマスドレの音楽性を引き継いだ上で、それをさらに時代の先に推し進めた名曲。誰にでもわかりやすい共感できる歌詞という特徴は健在。聞いていると、なんだか不思議と元気と勇気に満ちあふれてくる日本語ロックの名曲です。

 

また、バンドとしての前進が感じられる楽曲ーーこのスタジオアルバムのラストに収録されているーー「スローモーションリプレイ」では、新たな新境地を開拓し、”日本語ロック”というジャンルを押し広げようとしている。

 

アルバム全体を通して、以前よりも親しみやすい楽曲が増え、よりバンドサウンドとしての爽やかさと涼やかさが加わった印象を受ける。もちろん、このバンドの最初期からの骨格といえるオルタナティヴ性、歪んだギター、ドラムのダイナミクスという特徴も引き継がれている。多くの人の共感を呼ぶような痛快な作品。マスドレの入門編としてもオススメしたい1枚です。

 

 

 

 

MASS OF THE FERMENTING DREGS 公式HP

 

 

https://www.motfd.com/


 

 

 

参考


Wikipedia-MASS OF THE FERMENTING DREGS 

 

gellers 

 

 

gellersは、現在、ソロ活動として大活躍中のトクマルシューゴさんが、学生時代の同級生と組んだオルタナ/ローファイインディーロックバンドです。一時期、”どついたるねん”と企画を組んでいましたが、シングル「Cumparsita」リリース後、2018年から活動を休止中のようです。この辺りは、トクマルシューゴさんの仕事の忙しさとも関係している部分も少なからずあるかもしれません。

 

 

トクマルシューゴさんの名盤については、そのうちに、あらためて取り上げていくつもりですが、トクマルさんの簡単なバイオグラフィーを記しておくと、彼のデビューアルバム「NIGHT PIECES」2004は、当初、米国のインディーズレコード会社からリリースされ、現地の音楽メディアに称賛されたという面で、デビュー時から、天才性を遺憾なく発揮しつづけている。その後、活動拠点を日本に置きつつ、サポートメンバーを交え、バンド活動を行ってきており、TONOFONというインディーレーベルから作品のリリースを継続しています。このレーベルには、”王舟”という様々な個性的な楽器を演奏する良いバンドがいることも追記しておきたい。

 

 

トクマルシューゴさんは、本来、楽器ではない玩具を、楽器としてインプロヴァイゼーション風に自身の作品の中に取り入れ、Electronicaから派生したToytoronicaを日本で最初に導入したアーティスト。もちろん、ジャンルの括りを差し引いても、音楽においての独創性、クリエイティヴィティにおいて抜群のJポップ・アーティストという事実には変わりないでしょう。

 

 

このGellersは、先にも述べたとおり、メンバー全員が幼馴染で結成され、トクマルシューゴとしてのソロ活動のポピュラー音楽性とは対極にある雰囲気を持ったバンドと言えるでしょう。

 

 

ギター、ベース、ドラムの基本編成に加えて、アート・リンゼイやD.N.Aの実在した「NO NEW YORK」の時代にタイムスリップしたような、耳をつんざくような激烈ノイズを追求するキーボードをバンドサウンドの主な表情づけとし、また、時には、The StoogesやThe Velvet Undergroundの時代の強いタブー性を現代に蘇らせたかのようなアクの強いロックサウンドが特徴でしょう。

 

 

近年では、音楽性が徐々に変わってきて、掴みやすいポップ性を追求したシティポップ風のノスタルジックなサウンドを、最新作「Cumparsita」においては見せています。また、最初期のメンバーで、途中で脱退したミュージシャン、”ハラ・カズトシ”がゲスト・ボーカルに参加、肩の力の抜けた良質なJーインディ・ポップを展開する場合もあって、異質なほどの音楽性の間口の広さがこのバンドには感じられます。

 

 

そして、今回、再発掘する彼等のデビュー・アルバム「Gellers」は、日本の隠れたインディー・ローファイの名盤として、日本の往年のインディーシーンの伝説的ロックバンド”裸のラリーズ”的な意味合いで、ここで取り上げおこうと思います。

 

 

どちらかというと、海外の音楽フリークの間でひそかに人気の出そうな隠れたローファイの名盤のひとつかもしれません。

 

 

 

Gellers 「Gellers」 2007

 

 

 

このジャケットがはっきりと表すように、インディーローファイ、もしくは、サイケデリックロックという音を見事に昇華させた名盤。

 

一応いっておくと、世界的にもこういう音はメルト・バナナ以外では聴いたことがない珍しさもあるかと思います。

 

 

 

 

「9 teeth picabia」のイントロでは、映画の活弁士のようなサンプリングが挿入され、そこから突如、サイケデリックノイズとも、往年のThe Sonicsのようなガレージ・ロックともつかない、まさにゲラーズ・ワールドともいえる世界観を全面展開していく。

 

 

このアルバムとしてのイントロにぶちのめされる理由というのは、やはり、ブライアン・イーノ、プロデュースのニューヨークの前衛ミュージシャンのコンピレーション・アルバム「NO NEW YORK」を初めて聞いた時のような、のけぞってしまうあの直覚的な感じだ。

 

 

耳をつんざくぐしゃっと潰れたようなノイズ、テンポ感をあえてぶち壊すことにより、ザ・レジデンツを思わせるサイケで衝動的で異質なロックを現代のローファイとして再現し、また、出来上がったものを一瞬にしてぶち壊してしまうのもかなり面白い。

 

 

一見、とんでもない滅茶苦茶をやっているようで、バンドとしての演奏は巧緻な部分もある。両極端なアンビバレントな要素を交え、それを、バンドサウンドとしてダイナミックに展開していくのが、このゲラーズです。よくわからないけど、なんだか凄い。つまり、この名盤はパンクをひとっとびに越えて、もしかすると”サイケ・コア”の領域にまで踏み込んでいるんではないでしょうか。

 

 

それはあの底なし沼に踏み込んでいくときのような危なっかしい魅力を放つかのようでもある。彼等Gellersのライブでも、お馴染みの重要なレパートリー、「Buscape」も痛快な曲で、ここでは、楽曲の持つ異質な勢いの魅力もさることながら、日本語歌詞としてのタブー性に果敢に挑戦しているのも素晴らしく、暴力的な衝動性というのが遺憾なく発揮されている。

 

 

川副さんのボーカルは、ロックバンドというよりも、パンク・ハードコアに比する激烈さといえ、凄まじいアジテーションの雰囲気を、このアルバムに収録されている楽曲にもたらしている。このアルバムリリースのあとでも、その基本的なスタンスは変わらず、今日においてタブー視される言語を臆することなく歌詞の中に込め、実際にステージ上で激しさをもって歌い上げるのは、昔ならばいざしらず、近年では、相当な勇気が必要でもあるはず。にもかかわらずなんなくやってのけているのはさすがで、これこそまさにパンク・ロック精神といえるでしょう。

 

 

そして、このバンドイメージに柔らかなニュアンスを添えているのが、トクマルシューゴさんで、「Colorad」「Locomotion」「Sugar」においては、川副さんに代わってマイクをとり、この緊張感のあるサウンドにゆるさのある、癖になるようなインディー・ポップ性を添えることに成功している。

 

 

このあたりは、やはり、トクマルさんのポップセンスの高さというものが伺え、割と多くの人に受け入れられるようなキャッチーさもある。それほど過激さはなくて、万人受けするゆる〜い感じのギターロックの楽曲としてたのしむことが出来るでしょう。

 

 

しかし、このあたりにも、トクマルさんのローファイ趣味が伺え、そこに彼のソロ活動とはまた異なる一面が味わえるといえるかもしれません。

 

 

彼の歌詞性というのもやはり、なんとなく直感的、抽象的な言葉が使われているのが特徴でしょう。そして、彼の際立ったポップセンスが、これらの楽曲をどことなく、ノスタルジックにさせ、往年の古い日本のロック、はっぴいえんどの大滝詠一のような音楽性、渋く古臭い、それでいながら懐かしみのあるサウンドに昇華させているのもお見事。

 

 

また、このバンドの実験的なサウンドを 背後からしっかり支えているのが、大久保さんのベースラインでしょう。シンプルでありながら、リズムというものの深さ、そして対旋律的なメロディーを感じさせてくれる彼の職人気質のテクニックについても、このバンドサウンドの骨組みを強固にしている。

 

 

さらに、そこに、ドラムの轟音性を重視するダイナミクスと、キーボードのノイズが加わることにより、ゲラーズらしいサウンドが、既にデビューアルバムながら完成されているといえるでしょう。これは90年代から長く活動してきたからこそのぴたりと息のあったバンドサウンドといえるでしょう。

 

 

このデビューアルバムは彼等の勢い、そして、痛快なほどのアバンギャルド性を打ち出した日本のインディー・ロックの隠れた名盤として、推薦しておきたいアルバムです。