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アンビエントを形作る基本概念とは? 


既によく知られている通り、アンビエント音楽の出発は、ブライアン・イーノが怪我をして入院中に、友人が病室に持ってきてくれた壊れたハープのレコードをかけた瞬間にもたらされた。音楽を介しての崇高な啓示という言葉が相応しいのかどうかはわかりませんが、傑出した音楽家には人生のある分岐点において、何らかの音楽を介しての悟りのようなものがもたらされるのが常です。


この後、ブライアン・イーノは既に「Discreet Music」で、その音の萌芽は充分見られるものの、Ambientシリーズという傑作を1978年から1982年にかけて発表、アンビエントという概念を広めていくわけです。


現代では、アンビエント=環境音楽という概念は広義において使用されることが常であり、アシッド・ハウス系のアーティストの音楽にも、このカテゴライズが与えられ、リズム性が希薄なクラブ・ミュージックのアーティストにも適用されるようになりました。厳密に言えば、両者の音楽はリスニングに特化した音楽と、工学的な機能を持つ音楽に分類されるのは事実ですが、広義の意味でのアンビエントという概念として今回は言及させていただきます。


しかし、基本的に、このアンビエント音楽の本義は「主役を引きたてるため」にある存在する音楽であり、例えば、演劇でいうところの舞台の書き割りであるとか舞台照明のような主役の舞台上での演技を引き立てるような役割を果たすものです。


それが、後のWindows98の起動音、横断歩道を渡る際の機械音楽、駅のホームで流れている環境音楽という概念に引き継がれていく。これらの音楽は、その場に交通する多くの人が主役であり、起動音、横断歩道の短い音楽、駅で流れている音楽は、常に脇役であり主役ではありえないわけです。  


もちろん、これらの環境音楽の作曲者も自分の作製した音楽を聞き手の空間に際立たせようと作曲するのでなく、その場の空気を尊重して短いBGMを作製しているのが常です。

 

これは、初期の任天堂等のゲーム音楽においても同じ。つまり、アンビエント音楽の真髄は、演劇の舞台背景のような機能を果たす音楽=BGM(バッググランドミュージック)であり、演奏者のいる空間性を重視するのではなく、聞き手のいる空間性を重視し、それを尊重する音楽であると言えかもしれません。


ですから、近代フランスの酒場で、ショパンを客前で好んで演奏していたエリック・サティが一般にアンビエントの元祖としてみなされるわけです。エリック・サティは客のおしゃべりの引き立てとしてショパンを弾いていたわけです。


しかし、これは、近年、このアンビエントという語があまりに広い範囲で使われるようになったため、見えづらくなった本義といえる。

 

そのため、実を言うと、エイフェックス・ツインの初期作品はアンビエントに該当するものの、ティム・ヘッカーはドローンであるものの、本流に属さないオルタネイティヴなアンビエントと言っておきたいのです。


元々、ブライアン・イーノは、最初期の作品をアナログシンセサイザーを用い、「空間の広がり=アンビエンス」を発生させていましたが、多分、イーノが表現しようとしていたものは音というよりも概念に近かったろうと思われます。


おそらく彼にとって病室で身動きがままならなかった際に聴いた壊れたハープのレコードの音楽は疲弊した精神に潤いを与えるものであったろうし、その音楽的啓示が与えられた「祝福された瞬間」を再現しようと試みようとしたことが「Ambient」シリーズ、「Apollo」「The Pearl」という名作群の誕生に繋がった。これらの作品においてイーノが表現したかったもの、おそらくそれは、病室でいたんだ肉体、そして、疲れた精神を癒す、ハートがじんわりする音楽です。


昨今、このアンビエント音楽が多くの人に求められるようになったのはひとつ理由があり、現代の人々がより温かな癒やしを求めているからなのかもしれません。


常に、日常の中にまみれる喧騒、常に、毎日のようにもたらされる無数の情報、常に、何かに忙殺される時間、常に、劇的に移ろい変わり、混沌としつつある世の中の状況、常に、 おびただしくもたらされる無数の刺激の数々。

 

実は、21世紀に入るまでに、我々、現代人は、これらの自分では抱えきれないものを所有していることに辟易としており、自分は既に生涯における充分なものを既に所有しているのに、外側から常に何かが供給されているため、コレ以上は何も要らないと思う「本心」を常に覆い隠し生きねばなない。


世の中で重要だとされている出来事、多くの人が重要という出来事の殆どが我々にとって不必要でとるにたらぬもの。そして、本当に重要な出来事が見えにくくなっていることことに気が付かねばなりません。


現代社会において、人間にとってもっとも必要なものが何なのか。明言しませんが、現代社会を生き得る人たちが見失ってしまったように思える「何か」を探すきっかけを、アンビエント音楽、アーティストの名盤は、音という言語よりも高らかな啓示により授けてくれるかもしれません。


ここでは、定番の作品から風変わりな作品まで、様々な側面からアンビエントをご紹介致します。是非、以下、リストアップする作品の中から貴方にとってピッタリな癒やしの音楽を探してみて下さい。

   



アンビエントの名盤ガイド


 

・Brian Eno

 

「Ambient1 Music For Airport」1978

 



アンビエントという概念は全てこの作品「Ambient 1 Music For Airport」から出発したというべきでしょう。 

 
「人を落ち着かせ、考える空間を作り出そう」
 

ブライアン・イーノは、ドイツのケルン・ボン空港で暇を潰していた時、この伝説的な環境音楽の着想を思いついたようです。
 
 
ジャケットワークのデザインもまたブライアン・イーノ自身が手掛けたこの作品は、アンビエントの祖でもあり、ミニマルミュージックの究極系。異なるテープレコーダーを介して録音したシンセサイザーの音色を同期し、さらにその音色をランダムに変えることにより生み出されています。
 
 
アコースティック・ピアノのシンプルな音色は、洗練された空港内の空間、そして無数の人々がいる会話をする空間という本来、2つの分離した空間を音楽によって合一させる効果を持っています。会話をするのにも邪魔にならず、空港のロビーの広々とした空間というものの静かに馴染む音楽が前半部。 
 
 
一方、後半部では、パッヘルバルのカノンをサンプリング的に処理、テンポ、ピッチを変更した楽曲。どちらも、イーノの考案した人を落ち着かせるというコンセプトに沿った音楽と言えます。実際に「Music For Airport」は、NYのラガーディア空港で環境音楽として使用されていました。 
 
 
 

 

「Plateux Of Mirror」1978

 



 

アンビエント音楽の感じを何となく掴むためには、このブライアン・イーノ、そして故ハロルド・バッドの共作が最適と言えます。


ジョン・ケージが考案したピアノの本来ディケイするはずの音を極限まで伸ばす手法を、さらに、ここで、イーノは「Above Chiangmai」という世紀の傑作において自身のサウンドエンジニアとしての手腕により見事に実現してみせました。

 

加えて、ハロルド・バッドのピアノ演奏というのも、徹底的に聞き手のいる空間を重視した家具の音楽としての概念を両者の音楽家はアンビエントという新たな形に昇華させてみせています。 

 

ロキシー・ミュージックのキーボード奏者として活動したのち、事故による負傷、その病室で壊れたハープのレコードを聴いたときに、ブライアン・イーノが体感した一種の音楽的な啓示がここで音によって体現されています。

 

それは、アンビエンスー空間に既に満ちている音をピアノの演奏、アナログシンセを駆使して奥行きのある空間を生み出すことにより体現されています。

 

また、忘れてはならないのは、ここでは、他では得難い癒やしが込められ、傷ついた魂、精神を癒やす効果も込められている特異な音楽。心が疲れているときに聴く音楽として、オススメしておきたいところです。  


 

 

「Apollo Atmospheres and Soundtracks 」 1983

 



 

もうひとつ、ブライアン・イーノがアンビエント音楽という得難い概念を明確に定義づけたのが伝説的な作品「Apollo(Ascent)」。

ここで得られる音楽的な体験は神秘的ともいえ、これまでにはないような異質な感慨を与えてくれるでしょう。

 

特にアンビエントの歴史からみても屈指の名曲「An Ending」では、地球を離れた宇宙に普遍的に満ちている空間、音、そこに満ちている概念を克明にアンビエンスにより捉えてみせています。この宇宙的な音を表現するスタイルは、その後のアンビエントの重要なファクターとして引き継がれていきます。

 

またその他の楽曲においても、ブライアン・イーノは電子音楽としての新たな実験性に挑んだ作品が多く収録されており、この次の世代に繋がっていくアンビエントの基礎を生み出した。

 

その後、生み出されるアンビエントの多くの作品の重要なインスピレーションの源泉となった伝説的な作品です。  

 


・Jon Hassell 

 

 

「Vernal Equinox」1977(original)  2020(remastered)

 


 

1978年にイーノがアンビエントという概念を生み出す以前に実はアンビエントの本流に当たる音楽を既に生み出していた人物、それが2021年6月下旬に亡くなられたジョン・ハッセルという伝説的な名トランペット奏者です。

 

ジョン・ハッセルはダブ音楽に代表されるようなトランペットの録音をダビング、サンプリングにより、新たな手法のジャズ音楽を追求した音楽家でもあります。

 

特に、この1977年の作品「Vernal Equinox」は、クロスオーバージャズの先駆的作品としてもよく知られていて、また、アンビエントをモダンジャズ的手法で体現した最初の作品でもある。

 

このスタジオ・アルバムには、モダンジャズ、ダブ、民族音楽(インドネシアのガムラン)、電子音楽と、様々な前衛的な音楽のアプローチが見受けられます。四曲目の「Blues Nite」には後のドローンアンビエントのも通じる音楽をハッセルは1977年において生み出していることに驚く。

 

非常にエクスペリメンタル色の強い作品ではありますが、アンビエント音楽の歴史を線として捉えた場合には、この作品を度外視することは難しいでしょう。 

 

 

・Harold Budd

 

 

「Avalon Sutra」2005

 



 

1978年の共作において、アンビエントという概念を提言したのち、バッドはピアノ音楽としてのアンビエントを追求していくようになる。 

 

その一つの音楽としての探求が逸早く明瞭な形となったのがデイヴィッド・シルヴィアンをゲストとして迎え入れた「Avalon Sutra」。

 

ここではハロルド・バッドの生み出す音楽の重要な鍵となる癒やしの効果が作品全体に漂っている。ひたすら穏やかで、甘美で、心温まるようなピアノ音楽がここでは味わえます。サウンド面でも革新的な処理がなされており、シンセ音楽とクラシカル,ジャズと、3つのジャンルのクロスオーバーに取りくんだ画期的な作品です。 

 

シンセサイザーのシークエンスとの融合、広い空間処理により、さながら天井の高い石造りの教会の中で音が響くような独特のピアノの音色を生み出しています。このピアノ作品は、のちのアンビエントの派生ジャンルの一、ピアノ・アビエントの重要なルーツとなった傑作。

 

もちろん、アンビエントだけではなく、弦楽器、金管楽器、木管楽器との合奏と言う面で、ポスト・クラシカル、クラシカルクロスオーバーの先駆的作品と称すべきなのかもしれません。

   

 

 

「After The Night Falls」2007

 

 


 

ブライアン・イーノの提唱した最初のアンビエント作品「Ambient」の共同制作者として知られるハロルド・バッド。

 

その後、バッドはソロ活動において、ピアノ演奏を介して彼にしか生みだしえないアンビエント音楽、音の空間性を音楽的な探求者として独自に追求していくようになります。 

 

バッドの長年の音楽的な探求の集大成を形作ったといえる作品が「After The Night Falls」。ここではアンビエント音楽の理想形が追求され、それがピアノ音楽によって見事に昇華されています。

 

この作品において際限なくひろがっていく心地よい空間、癒やし、穏やかさ、温和さ、といった感覚が慎ましやかな音楽性により彩られています。バッドの音楽で体感できる思索的な感覚は他の音楽では得難いもので、ここに、ハロルド・バッドの奥ゆかしい人格が滲み出ています。

 

ブライアン・イーノとの共作「Ambient」の延長線上にあるアンビエント音楽のひとつの頂点と言えるでしょう。



 


・William Basinsky 

 

 

「The Disintegration Loops」original 2002  Remastered 2014

 

 

 


ウィリアム・バシンスキーは既にアメリカのアンビエント界きっての重鎮と称してもおかしくはない存在。

 

元々はテキサス大学でジャズのサックスを体系的に学んだ後にイーノ、ギャヴィン・ブライヤーズといった音楽家に影響を受け、アンビエント制作を行うようになる。

 

バシンスキーのアンビエント音楽作製において革新的な技法をもたらし、ダンスフロアのDJのように、元あるサンプルネタを引用(たとえば、ラジオ放送でかかっているクラシック音楽)し、それをテープの切り貼りしていき、ターンテーブルのスクラッチのような手法を駆使することにより、ぶつ切りのホワイトノイズを発生させ、サンプリングネタの原型をとどめないような斬新で複雑怪奇な作品を生み出すのがバシンスキーの作曲の特徴。

 

一つの短いシンプルなフレーズを入念にトラック上で複合的に組み合わせ、それを徐々に重層的なヴァリエーションとして変形させていくという点では、ライヒのようなミニマル音楽の要素も多分に持ち合わせています。 

 

バシンスキーのDJ的手法がひとつの完成形を成したのが2002から2003年にかけて発表された「The Disintegration Loops」。

 

ここでは、わずか数秒楽節がLPレコードを再生する際に生ずるノイズのブツッという音をフレーズの合間に挟み、永遠と同じフレーズが繰り返される音楽。しかし、最終盤では、完全に元の原型が破壊され、ノイズだけが鳴りひびく摩訶不可思議なアヴァンギャルド音楽に様変わり。

 

ドローン・アンビエントとニュアンスが異なる「アンビエント・ノイズ」というこれまでに存在しえなかった新しいジャンルを生み出したモンスターアルバム、ウィリアム・バシンスキーの最高傑作の一つ。    


アーティスト名に誤りがありました。訂正とお詫び申し上げます。(2023年9月5日)

 

 

「92982」2009

 



 

元は故郷テキサスでアンビエント制作を行っていたウィリアム・バシンスキーは、その後、ニューヨークに移住し、映像と音楽を融合させた独特な活動を行う。

 

最初期は明らかにイーノやブライヤーズを意識した音楽を作曲していたバシンスキーではありますが、徐々にニューヨークに移住した影響はあってか、SF的というべきか宇宙的な広大なスケールを持つアンビエント制作を行うようになっていきます。

 

そして、どことなくバシンスキーの作品では彼らしくない作風ともいえるのが2009年発表の「92983」。

 

ここでは最初期からの特徴である変奏方式を導入しているバシンスキーではありますが、どことなくNYの街に満ちている生活の風景、人々の雑踏や哀愁をアンビエントとして叙情的に切り取ってみせた作品。

 

他の作品とは異なり、目の前の日常的な空間性を表現したバシンスキーの異色のスタジオアルバム。

 

この作品からさらにバシンスキーはSF的なアンビエントの作風に取りくんでその最終形となったのが2019年にリリースされた「On  Time Out Of Time」この作品も併せてオススメします。    



・Aphex Twin 

 

 

「Selected Ambient Works 85-92」1992

 

 


 

実験音楽としてのアンビエントではなく、クラブ・ミュージックや、デトロイト中心に盛んだったテクノ、アシッド・ハウスの影響をドラムンベースと融合し、ドリルンベースというこれまでになかったジャンルを生み出したことでも知られているエイフェックス・ツイン(リチャード・D・ジェイムス)。

 

既にスクエアプッシャーと共に、ワープ・レコードの看板アーティストといえるリチャード・D.ジェイムスは、クラブミュージック以外にも、ジョン・ケージをはじめとする現代音楽や実験音楽に色濃く影響を受けている実験的なグラブ音楽を生み出すアーティストです。 

 

エイフェックス・ツインとして、ソロ活動を始める以前の宅録時代の未発表作品を収録した「Selected Ambient Works 85-92」はエイフェックスの最良の名盤。ここには実験的なクラブミュージックの宅録の名曲に加え、テクノ、アシッド・ハウスからみたアンビエント音楽ともいえる楽曲が「Xtal」を中心に見られます。

 

クラブミュージック界にアンビエントの概念を持ち込み、その後のクラブ・ミュージックのシーンを導いた重要な作品です。   



 ・Gas

 

 

 「Pop」2000

 

 
 
GASは、ジャーマン・テクノ・シーンを1990年代に率いていたウルフガング・フォイトによる電子音楽プロジェクト。ミニマル・テクノを最初にドイツのクラブシーンに導入したオリジネーターです。
 
 
GASの電子音楽は、ハウス、テクノ、アンビエントといった3つのジャンルを自由に行き来するような作風であり、ドローン、ゴアトランスにも近い質感のあるフロアで踊るための音楽も数多くリリースしています。  
 
 
特に、アンビエントの名盤としてあげたいのが、2000年発表の「Pop」でしょう。
 
 
テクノ音楽からみたアンビエントと称するべきダンスフロア向けの独特な作風を生み出しています。
 
 
他のアンビエントアーティストに比べ、フロアで踊るための縦ノリの音楽は、まさにウルフガング・フォイトのお家芸というべき。テクノ音楽もグルーブ感を追求し、コアな電子音楽を生み出そうすると、徐々にリズム性が希薄になり、最終的には、テクノ、ハウスとは対極にあるアシッド・ハウスに近い独特なアンビエントに行き着くということが理解出来ます。   



・Dead Texan 

 

 

「Aegina  Airlines」2004

 



 

既に、アルバム・レビューの方で一度取り上げている作品「Aegina Airlines」ですが、良い作品なので、再びここで取り上げておきたいと思います。

 

2000年代以降の密かなアンビエントムーブメントをさきがけて発表されたこの作品は後にStars Of The lidを結成し、アメリカのアンビエントシーンで著名な存在となるアダム・ウィリツィー。そして、後に実験音楽、アンビエントのソロアーティストとして活躍するクリスティーナ・ヴァンゾーのツインプロジェクト。

 

後に、スターズ・オブ・ザ・リッドのメンバーとしてアンビエントの名物的な存在となるアダム・ウィリツィー、その後、映像作家から音楽家に転向を果たし、アンビエントの傑作を数多くリリースしているクリスティーナ・ヴァンゾーの音楽家としての活動を始める契機となった「幻の傑作」。

 

一般的にはあまり知られていない作品ですが、ブライアン・イーノの「Music For Film」にも比する甘美なピアノのフレーズ、シンセサイザーのシークエンスが絶妙に融合を果たしている。思わず、美しいと言いたくなる傑作、アンビエント・ファンは必聴の名盤です。 

 



・Biosphere

 

 

「Dropsonde」2006

 



バイオスフェアこと、ゲイル・イエンセンは、ノルウェー/トロムソ出身のアンビエント・アーティスト。ブライアン・イーノやデペッシュ・モードに影響を受けて、1983年に音楽制作をはじめる。 
 
 
元々、イエンセンは、シンセポップユニットとして活動していましたが、後にバイオスフィアとしてソロ活動を開始、電子音楽、アンビエント制作に入る。
 
 
1991年には、デビュー作「Microgravity」を発表、アンビエントテクノの先駆けと称される。1997年発表の「Substrata」は、90年代最高のアンビエント作品と高評価を受けています。
 
 
バイオスフェアのアンビエントは、イーノからの強い影響を感じさせ、存在感の希薄で、どことなく温かみのあるような空気感に包まれている。音というのではなく、心地よい空気感を感じるための音楽。
 
 
「Dropsonde」はモダン・ジャズとアンビエントを図った前衛的なクロスオーバーの作風で、様々なジャンルの音楽が入り乱れながら、イエンセンらしい穏やかな空気感が生み出されている傑作。  
 
 
特に、一曲目の「Dissolving Clouds」はアンビエント屈指の名曲の一つに数えられます。 



・Brian Mcbride

 

 

「When the Detail Lost its Freedom」2005

 



ロスシルにも比する美麗な音像の世界を提供しているブライアン・マクブライド。テキサス州、アーヴィング出身のアンビエント・アーティスト。

 

アダム・ウィリツィーとのユニット、スター・オブ・ザ・リッドのメンバーとしてもよく知られています。 

 

特に、ブライアン・マクブライドの生み出すアンビエントは、電子音楽的なアプローチではあるものの、大いなる自然の恵みを感じさせるような、穏やかで、大いなる手のひらに包み込まれるような作風です。

 

特に、スター・オブ・ザ・リッドの音楽性の全体的な印象を形作っているのはブライアン・マクブライドの方であると思われ、そのあたりの上記のユニットにも似たアンビエントの質感を持っています。

 

特に2005年にリリースされた「When the Detail Losts Its Freedom」はパンフルートのようなシンセサイザーの音色を生かし、ひたすらやさしく、穏やかで、温かなシンセサイザー音楽が立体的な構造として紡がれていく作品。

 

シンセサイザーの織りなす壮大なオーケストラレーション。特に、「Overture」は大いなる自然の息吹を眼前にしたときに感じる、あの奇妙なほどの神々しさを彷彿とさせるアンビエント屈指の美しい名曲です。   



・Rafael Anton Irisarri

 

 

「Daydreaming」2007

 


 

ラファエル・アントン・イリサリは、シアトルを拠点に活動するアンビエント・アーティスト。

 

最初期はポスト・クラシカル寄りのピアノ音楽をフューチャーしたアンビエント音楽に取り組んでいました。 

 

他の電子音楽家に先駆けてドローン音楽を追求し、このジャンルの先駆者のひとりともいえます。

 

アントン・イリッサーリの音楽性には独特な暗鬱さ、そして、ロマンティックさが滲んでおり、それが上品で官能的な美を生み出す。絵画芸術にも近い雰囲気のあるピクチャレスクな趣向性を打ち出し、およそイリサーリ節と称するべき独特なゴシック調の世界観により彩られています。 


ラファエル・アントン・イリサリのアンビエントの名盤は近年のコアでマニアックなドローン作品も捨てがたくはありますが、ポスト・クラシカル寄りのアプローチを図った美麗な印象のあるデビュー作「Daydream」はアンビエントの名盤として挙げられる。暗鬱で静謐なゴシック的な世界観は、深い霧の中を歩くようなおぼろげな雰囲気により彩られてます。

 

特に、一曲目の「Walking Expectations」はアンビエントの屈指の名曲、フィールドレコーディングの手法を取り入れた作品です。

 

深いおぼろげな深い霧の中をひとり歩くような独特な寂寞感が漂う。ここに現れているのは美麗なだけでなく、甘美な音楽の追求者として荒野を切り開くイリサリの姿。その後のアンビエントドローン音楽の流行の予言となった一枚。  


   

・Fennesz & Ryuichi Sakamoto

 

 

 「cendre」 2007



 

オーストリアのエレクトリック・ギターでアンビエント世界を追求するクリスティアン・フェネス。

 

そして、近年ゴルトムントを始め、若手の電子音楽家と共同作業を行ってきたご存知、元YMOの坂本龍一の両者の才覚が十二分に発揮されたピアノアンビエントの最高峰とも言える作品が「Cendre」。

 

ここではフィールドレコーディングのサンプリングを用いた独特なアンビエンスの中に坂本龍一らしい繊細なビアノの旋律が絶妙に溶け込んでいる。

 

坂本龍一の作品の中でも日本的な感性が色濃く感じられる作品。西欧の電子音楽の最先端と日本の現代音楽の純粋な合体はきわめて完成度の高い非の打ち所がない作品。

 

このスタジオ・アルバム収録の「haru」は特に、坂本龍一のピアノ作品として間違いなく最高傑作の一つ。

 

メシアンをはじめとするフランス近代和声を下地にした和音構成、繊細でわびさびのきいた叙情性、そして、”やさしみ”にあふれる感性こそが坂本音楽の真骨頂と言えるでしょう。フェネス、サカモトという抜群の相性を持つ二人の秀逸な音楽家による最高のコラボレート作品です。     



・Loscil

 

 

「Coast/Range/Arc」2011

 



 

カナダ、ヴァンクーバー出身の電子音楽家、別名、音響彫刻家とも呼ばれるロスシルはスコット・モーガンのソロプロジェクト。

 

1998年からMultiplexというマルチメディア集団のメンバーとして活動。アメリカの電子音楽専門レーベル、クランキーレコードの代表的な存在としてアンビエント界をリードし、アメリカでのアンビエントという音楽、このレーベルの知名度を高めるのに貢献的な役割を果たした重要なアーティスト。

 

既に、イーノやシャルティエ、バシンスキーに並んでアンビエント界の巨匠といっても良いかも知れません。それほどアメリカではアンビエントが盛んでなかった時代から勇猛果敢にこの音楽にスポットライトを当ててきた気骨あるミュージシャンです。 

 

ロスシルは、2001年の「Triple Point」クラブミュージック、実験音楽、そして、アンビエント、ドローンにいたるまで多角的なアプローチを図り、音楽性も幅広いですが、ロスシルの音楽の魅力は粒の精細な音作り、知性的な構成を持った楽曲を生み出すことにかけては名人級です。 

 

特に、ロスシルの名作として名高い「Coast/range/Arc」は、非常に美しいサウンドスケープを思い浮かべられるエモーションに富んだ傑作。

 

ひたすら穏やかな波に揺られるかのような心地よい空気感をシンセサイザーにより表現した名作。ロスシルは、長いアンビエントの道のりの最果てにほのみえるこの世のものと思えない、癒やしに満ち溢れた音像風景を描出する。    



・Tim Hecker 

 

 

「Ravedeath 1972」 2011

 



ティム・ヘッカーは、カナダ、ヴァンクーバー出身の電子音楽家。コンコルディア大学卒業後、カナダ政府で政治アナリストとして活動した後、DJ活動を行い、2001年に「Haunt Me」にて鮮烈なデビューを飾る。 

 

特に、この「Ravedeath 1972」がリリースされた年は、相当なセンセーショナルな影響をミュージック・シーンにもたらしました。

 

基本的には実験色の強い電子音楽家としての表情を持つティムヘッカーですが、この作品はアンビエント・ドローンの最高傑作との呼び声が高い。知性派のアーティストであり、空間内に音がどのように広がっていくか、音響学を一つのアンビエンスとして解釈しようと最初期から取りくんでいたティム・へッカーは、この作品でひとつの頂点を極めてしまった。

 

「Ravedeath 1972」はコンセプト・アルバム色の強い実験音楽にも関わらず、ティム・ヘッカーの名を一躍アンビエント界にとどまらず、一般的な音楽シーンに知らしめた伝説的なスタジオ・アルバム。

 

この年にリリースされた中で最高作品の一つです。未だこの作品の衝撃性というのはおよそ十年が立っても色褪せていない、音楽の未来を変えた独特なアンビエント。2023年に発表された『No Highs』もヘッカーのキャリアの最高峰に位置する作品となる。    



・Eluvium 

 

 

「VirgaⅠ」 2020 




 

Eluviumは、ポートランドを拠点に活動するマシュー・クーパーによる電子音楽のプロジェクト。

 

最初期は、ポスト・クラシカル寄りの美麗なピアノ曲を中心とした「An Accidental Memory In the Case Of Death」を2007年に発表してデビュー。この作品はポスト・クラシカルの隠れた名盤として挙げておきたい。

 

特に、2020年の連作シリーズとしてリリースされている「VirgaⅠ」は、エルヴィムの最高傑作のひとつ。「Viga-Abyss Forms-House Taken Ober」と同じ主題をバリエーションとして変奏させる手法はバシンスキーに通じるものがありますが、エルヴィウムの生み出すアンビエントはひたすら心地よさ、そして、癒やしに重点を置いた作風です。

   

本作において展開されるアンビエントは、他のアーティストに比べると、それほど目新しさはないものの、一方では、アンビエント音楽の真髄を突いている。ひたすら、奥行きのある心地よい空間が広がりを増していく音楽は、古典音楽の未来を形作る電子音楽の華麗な交響曲とでも称するべき。

 

このアルバムは、マシュー・クーパーの飽くなき音楽の探究心から生み出された音楽に対する深い愛の顕現にほかなりません。

 

アンビエント・ドローン寄りの音楽性を追求した次作「Virga Ⅱ」と共に、2020年代のアンビエントの大作と言えそうです。 


 


・Roji Ikeda

 

 

「Ryoji Ikeda EP」 2021

 



 

現在、フランス、パリを拠点に活動する池田亮司は、映像と音楽の劇的な同期を行う前衛音楽家。 

 

テクノ、グリッチやクリックとして有名な電子音楽家です。最初期はオーケストラレーションを配した現代音楽寄りの音楽を生み出していましたが、徐々に先鋭的で実験的な電子音楽を追求する。

 

アルヴァ・ノトとの共同制作者としても知られ、超音波、周波数から音楽を解釈した物理学、及び数学的な観点から精密なアプローチを行うのが池田亮司の音楽の特徴。特に前衛派としての印象の強い池田亮司は最新作においてアンビエントの世界へ踏み入れていきました。 

 

今作で繰り広げられているのは、精妙な音の粒子の質感が如実に感じられるひたすら心地よいアンビエントであり、旧来の池田作品より、比較的聞きやすく、親しみやすい作風となっています。

 

ウィリアム・バシンスキーの近年のアプローチにも近い宇宙的引力を持つ独特な音楽であり、暗闇の中で、音に耳を静かに傾けていると、さながら広い宇宙と対峙するかのような偉大な迫力に満ちた作品。

 

音楽の世界は、ついに、2020年代に入り、未来の電子音楽家たちは、宇宙的な概念を表現する世界に突入したことを告げ知らせる2020年代。いや、2030年代の未来を行くアンビエントの傑作。

 

 

・Laurel Halo 

 

 

『Atlas』2023




ロサンゼルスを拠点に活動するLaurel Halo(ローレル・ヘイロー)のインプリント”Awe”から発売された『Atlas』(Reviewを読む)は、2023年の実験音楽/アンビエントの最高傑作です。

 

アルバムの発売後、NPRのインタビューが行われた他、Washington Postでレビューが掲載されました。米国の実験音楽の歴史を変える画期的な作品と見ても違和感がありません。



2018年頃の「Raw Silk Uncut Wood」の発表の時期には、モダンなエレクトロニックの作風を通じて実験的な音楽を追求してきたローレル・ヘイロー。彼女は、最新作でミュージック・コンクレートの技法を用い、ストリングス、ボーカル、ピアノの録音を通じて刺激的な作風を確立しています。


『Atlas』の音楽的な構想には、イギリスのコントラバス奏者、Gavin Bryers(ギャヴィン・ブライヤーズ)の傑作『The Sinking Of The Titanic』、William Basinskiの傑作群があるかもしれないという印象を抱きました。それは、音響工学の革新性の追求を意味し、モダン・アートの技法であるコラージュの手法を用い、ドローン・ミュージックの範疇にある稀有な音楽構造を生み出すことを意味する。元ある素材を別のものに組み替えるという、ミュージック・コンクレート等の難解な技法を差し置いたとしても、作品全体には、甘いロマンチシズムが魅惑的に漂う。制作時期を見ても、パンデミックの非現実な感覚を前衛音楽の技法を介して表現しようと試みたと考えられます。

 

アルバムの中では、「Last Night Drive」、「Sick Eros」の2曲の出来が際立っている。ドローン・ミュージックやエレクトロニックを始めとする現代音楽の手法を、グスタフ・マーラー、ウェーベルンといった新ウィーン学派の範疇にあるクラシックの管弦楽法に置き換えた手腕には最大限の敬意を表します。もちろん、アルバムの醍醐味は、「Belleville」に見受けられる通り、コクトー・ツインズやブライアン・イーノとのコラボレーションでお馴染みのHarold Budd(ハロルド・バッド)のソロ・ピアノを思わせる柔らかな響きを持つ曲にも求められます。


表向きに前衛性ばかりが際立つアルバムに思えますが、本作の魅力はそれだけにとどまりません。音楽全体に、優しげなエモーションと穏やかなサウンドが漂うのにも注目です。


昨日(12月18日)、ローレル・ヘイローは来日公演を行い、ロンドンのイベンター「Mode」が開催する淀橋教会のレジデンスに出演。ドローン・ミュージックの先駆者、Yoshi Wadaの息子で、彼の共同制作者でもある電子音楽家、Tashi Wadaと共演を果たしました。



Selah Broderick & Peter Broderick 


『Moon in the Monastery』 2024



『Moon in the Monastery』(Reviewを読む)は、彼の母親との共作であり、瞑想的なセラのスポークンワード、フルートの演奏をもとにして、ピーター・ブロデリックがそれらの音楽的な表現と適合させるように、アンビエント風のシークエンスやパーカッション、ピアノ、バイオリンの演奏を巧みに織り交ぜている。アルバムのプロダクションの基幹をなすのは、セラ・ブロデリックの声とフルートの演奏です。


ピーターは、それらを補佐するような形でアンビエント、ミニマル音楽、アフロ・ジャズ、ニュージャズ、エクゾチック・ジャズ、ニューエイジ、民族音楽というようにおどろくほど多種多様な音楽性を散りばめる。それは舞台芸術のようでもあり、暗転した舞台に主役が登場し、その主役の語りとともに、その場を演出する音楽が流れていく。主役は一歩たりとも舞台中央から動くことはありませんが、しかし、まわりを取り巻く音楽によって、着実にその物語は変化し、そして流れていき、別の異なるシーンを呼び覚ます。 


主役は、セラ・ブロデリックの声であり、そして彼女の紡ぐ物語にあることは疑いを入れる余地がないですが、セラのナラティヴな試みは、飽くまで音楽の端緒にすぎず、ピーターはそれらの物語を発展させるプロデューサーのごとき役割を果たしています。


プレスリリースで説明されている通り、セラは、「オレゴンの田舎町の丘に日が沈むある晩、野生の鹿との神秘的な出会い」というシーンを、スポークンワードという形で紡ぐ。声のトーンは一定であり、昂じることもなければ、打ち沈むこともない。ある意味では、語られるものに対して従属的な役割を担いながら、言葉の持つ力によって、一連の物語を淡々と紡ぐ。 


 シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』の米国の良き時代への懐古的なロマンチズムなのか、それとも、『ベルリン 天使の詩』で知られるペーター・ハントケの『反復』における旧ユーゴスラビア時代のスロヴェニアの感覚的な回想の手法に基づくスポークンワードなのか。はたまた、アーノルト・シェーンベルクの「グレの歌」の原始的なミュージカルにも似た前衛性なのでしょうか。いずれにしても、それは語られる対象物に関しての多大なる敬意が含まれ、それはまた、自己という得難い存在と相対する様々な現象に対する深い尊崇の念が抱かれていることに気づく。



是非こちらの記事も併せてお読みください:





 ・パワーポップとはどんなジャンル??

 

今更、パワー・ポップというジャンルについて語るのはいかがなものかという話もあるかもしれませんが、元々、ビートルズやビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズにしても、普通のロックンロールとは異なる原始的なロックンロールサウンドに甘酸っぱいメロディを散りばめた楽曲というのが見受けられる。

 

中期から後期にかけてアート・ロック色を強めていくビートルズの最初期は、センチメンタルで甘酸っぱいラブソングも多く、最初期のローリング・ストーンズも「アウト・オブ・ザ・タイム」といった楽曲では、センチメンタルなポップス/ロックのアプローチを図っている。


米カルフォルニアのビーチ・ボーイズについては言わずもがな、このバンドの表面的な魅力のひとつパーティーロック、サーフロックというのは分かりやすいバンドキャラクターに過ぎず、実際のビーチボーイズの音楽的な魅力というのは、「All Summer Long」に代表されるようなパワー・ポップ寄りの軽快なバンドサウンドにこそ、彼等の音楽性の真価があるようにおもえてならないのである。


しかし、もちろん、ビーチ・ボーイズどころか、その後のザ・フー、チープ・トリックの時代に入ってもまだ「パワーポップ」なるジャンルは確定していなかった。日本の音楽評論家は一般的に、特にザ・フーのようなモッズシーンの代表格のロックバンドに対して、「ニューウェイヴ世代によるポップでシンプルなロックンロール」と評していたようである。そもそも、このパワー・ポップというジャンルは、1970年代のロンドンパンク、ニューウェイブの時代に登場したロックバンドの一部がニューウェイブ・パンクサウンドとは少しニュアンスの異なる音楽(甘くキャッチーで切ないセンチメンタルだけども一本気のあるプリミティヴな輝きを放つシンプルなロックンロール)を奏でていたため、便宜上、適用されることになったジャンル名なんだそう。


つまり、パワーポップの始まりというのは、音楽が先にあって、評論家がその一つのジャンルに呼称を与えたというわけではないらしく、どちらかといえば、独立したファンジンの編集者によって扇動的に使い始められた言葉であるらしい。パワーポップという言葉が一般的に知られるようになったのは、主に1970年代の終わりから1980年代の始めで、他でもない、ニューヨークのファンジンにおいて、ニューヨークの女性パンクロックバンド、ラナウェイズのプロディーサーを務めていたキム・フォウリーは、彼自身が編纂を務めるファンジン誌「Bomb」78年3月号において、

 

「パンク・ロックは終わった。ニューウェイヴの未来は、パワーポップにある」と、大々的に書いている。

 

なんとももの凄い書きぶりだ。そして、この謳い文句は、いかにも扇動的で、このジャンルの温和でフレンドリーな音楽性とはそぐわないセンセーショナルな宣伝文句のように思える。


それでも、好意的な見方をしてみれば、キム・フォウリーは、パティ・スミス、テレヴィジョン、ラモーンズを始めとするNYパンク、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドといったロンドンパンクの後に新たな気風を感じる音楽ジャンルとして、少々、過激な言葉を選び扇動的に紹介する必要があったかもしれない。彼はおそらく、マルコム・マクラーレンがロンドンパンクというシーンを打ち立ててみせたように、プロデューサー、出版人として、このパワーポップシーンをファンジンにおいて大々的に宣伝し、センセーションを生み出したかったのかもしれない。(いわば、かつては、ザ・フーが「マイ・ジェネレーション」の歌詞において扇動的に歌ったように)


しかし、キム・フォウリー氏の狙いは少し外れた。パワー・ポップは、主流の音楽とはならず、あくまで亜流のジャンルとしてインディーロックファンの間で根強い人気を博するにとどまった。

 

つまり、パワー・ポップはチープトリックやその後のウィーザーをのぞいては、ロンドンパンクやニューウェイヴのようなメインカルチャーとはならず、1993年から1997年にかけて発売された「Yellow Pills」、1996年の「The Roots Of Power Pop」、「Shake Some Action」というコンピレーション文化に代表されるように、少なくとも、パワー・ポップは、インディー系統のロックンロールとして、マニア向けの人気を誇るジャンルにとどまったような印象を受けなくもない。


しかし、1990年代に入ると、さりげな〜くパワー・ポップムーヴメントが到来、マシュー・スウィート、ウィーザー、ファンテインズ・オブ・ウェインといったロックバンドが台頭、セールス面でも健闘をみせた。それから、グリーン・デイ、シュガー・カルトをはじめとするポップ・パンクバンドがパワーポップの甘酸っぱいサウンドに再び脚光を当てたことにより、一般的な音楽ファンの興味がこのジャンルに注がれはじめた。それまではアレックス・チルトンをはじめインディーロックアーティストがこのジャンルを広め、「パワー・ポップ・スター」というべき存在がシーンに続々と登場していたが、アレックス・チルトンはインディー・ロック界のスターであり、ややこしい言い方になるが、一般的なロックスターとは言いづらいのである。


つまり、どこまでいっても、このジャンルは、ザ・ナックやチープ・トリックをはじめ、商業的には大成功を収めているものの、メインカルチャーとして認知されたのではなく、ローファイ等と同じように、インディー中のインディー音楽、サブカルチャーの真髄と称するべき音楽とも言える。


だからこそ、マニア心をくすぐられると言うべきか、より探求してみたくなるジャンルなのである。


常に、何らかのフリークというのは、その対象物がわからないものであるほど興味を惹かれるからである。対象物の印象がぼんやりしていればなおさら。しかし、なぜ、パワー・ポップがこれまで、チープトリック、ウィーザーを除いてメインカルチャーとして浸透しなかったのだろうか疑問に思う。


未だこのジャンルについては曖昧模糊としている部分もあり、評論の専門家にしても、明確な言葉で定義づけるのは難しいように思える。そもそも、ビリー・アイドル擁するジェネレーション・Xはロンドンパンクシーンに位置づけられるロックバンドはよく聴いてみると、パワー・ポップの雰囲気もなくはない。そして、ザ・フーについても、最初期の音楽性は明らかに、モッズであるとともに、パワー・ポップを志向している面もある。こんなことを言うのは他でもないピート・タウンゼント自身が「自分たちの演奏しているのは、パワー・ポップである」とまで明言しているからである。


このジャンルは、1970、1980,1990というように年代別の流れとして追うことは出来る。おびただしい数のバンドを列挙していけば、実際、名盤ガイドは書籍としていくつか発行されているが、相当見栄えのするフローチャートが完成するだろう。しかし、このジャンルはときに、ロックであり、パンクであり、メタルであり、さらに、AOR,ニューロマンティック、フォークでもある。

 

さながら様々に七変化する様相を呈しているといえる。しかし、普通であれば、書いていくうち、物事の核心へと迫っていくはずであるのに、書けば書くほど理解しがたい雰囲気のあるジャンル、それがパワー・ポップというジャンルの正体でもある。これは、実際に聴いて、その善し悪しを自分の耳で判断するしかないかもしれない。ある人にとっては「サイテー!」というものが、ある人にとっては「サイコー!」にもなりえる。でも、それこそがこの音楽の素晴らしさではないだろうか?


言い添えておきたいのは、パワー・ポップというのは、リスナーの数だけ答えが用意されている自由性の高いジャンルでもある。


それぞれ異なる考え、聴き方があってしかるべきジャンルだ。そして、良い音楽を、常に自発的に探しもとめるしか、この問いに対する答え、餓えを癒やす方法は見つからない。でも、だからこそ、というべきか、このジャンルの奥深さは、多分、一生涯かけても知り尽くすことは叶わないだろう。言ってみれば、無類の食通のために用意された味わい深いロックンロールなのである。



パワー・ポップの名盤ガイド


今回は、マシュー・スイートをはじめとすつ後の九十年代のパワーポップバンドは取り扱わず、70年代の初期のパワーポップシーンを担ったバンドについて取り上げていきます。パワーポップ関連の名盤を探す手引にしてみて下さい。


1.Rasberries

「Fresh」1972


ラズベリーズは、エリック・カルメンを中心に、ウォリー・ブライトン、デイヴ・スモール、ジム・ボンファウンティによってオハイオ州で結成されたアメリカンロックバンド。ビートルズの初期の音楽性に比するポップセンスを持ち、甘酸っぱいメロディーを散りばめたキャッチーかつセンチメンタルな楽曲で一世を風靡した。原題は「Fresh」なのに、邦題はなぜか「明日を生きよう」となっている。


日本で、アイドルグループとして最初期に売り出された経緯があるようで、実際の音楽性はシンプルでキャッチーではあるものの、ロックンロールとしても芯の太さを持つ。


そのあたりが、最初、レコード会社が彼等をアイドルとして売出そうとしたため、その事が元で、バンドメンバー間で方向性の違いが生じ、74年のリリースを機に、ラズベリーズとしては解散を迎える。しかし、のち、2017年に見事なリユニオンを果たし、ライブ盤「Pop Live」をリリースして、往年の名曲を披露し、ラズベリーズのパワフルなサウンドが未だなお健在であると証明してみせた。


特に、パワーポップの名盤として名高いのが1972年にリリースされた2ndアルバム「Fresh」である。


一曲目にされている「I Wanna Be With You」はシングルとして日本でも大ヒットしたのを記憶されている方も少なくないはず。この楽曲に刻み込まれている爽やかさ、甘酸っぱっさ、青春の雰囲気はいまだなお輝かしさに彩られている。アルバム全体としてはアメリカン・ロック色が強いが、その他にも「Let's Pretend」といったパワーポップの珠玉の名曲ばかりが収録されている。  

                

 

 

2.Badfinger 

「No Dice」1970


 

ビートルズと同じインディー・レーベル、英アップルからデビューを飾り、世界的なロックバンドとして知られるバッド・フィンガー。メンフィスのビッグ・スターと共に、アメリカのインディーロックバンドの先駆けとして見なしても不思議ではない重要なロックバンド。


後の、マライア・キャリー、ニルソンといったアメリカのポップス界の大御所が彼らの名曲「Without You」をカバーしている。しかし、どことなくその代表曲「Without You」に象徴されるように、メンバーの死、金銭における問題というこの世の儚さがこのバンドイメージを悲哀あふれるものにし、ラズベリーズとは異なる影をこのバンドのイメージに落としているような感じもある。以前は、この英、アップルから発売した「No Dice」は入手困難だったそうなのだけれども、後にリマスター版が再発され、現在は入手しやすくなったのはファンとしては嬉しいかぎり。


「No Dice」に収録されている中では、「No Matter What」「Baby Blue」の二曲がパワーポップの先駆的な楽曲といえるかもしれないが、なんと言っても、このスタジオアルバムの醍醐味は「Without You」という名バラードに集約されている。サビの「君なしでは生きられない」というストレートな歌詞、喉を引き絞るようにして紡ぎ出される純粋な叫びというのは痛烈であり、今でもこの楽曲に匹敵するバラードソングというのは存在しない。後のニルソンのカバーヴァージョンも素晴らしい出来であるものの、切なく物憂げでありながら壮大な世界観を持つこのオリジナルヴァージョン「Without You」は、パワーポップの名曲としてだけでなく、アメリカのポップス史に残る偉大な名曲として、後世に語り継がれていってもらいたいと願うばかり。 

 

                     

 

3.The Flaming Groovies 

「Shake Some Action」1976

 


フレイミング・グルーヴィーズは、ロイ・ロニー、シリル・ジョーダンを中心にサンフランシスコで結成されたロックバンド。


上記の二バンドに比べ、商業的な成功には恵まれなかったものの、ガレージロック、パブロックをはじめとする後のインディー・ロックシーンに影響を与えたロックバンド。


初期はMC5に触発されたガレージロックバンドの荒削りなロックの雰囲気を持っているが、特に、ロイ・ロニーVoが脱退し、後任として抜擢されたクリス・ウイルソンが加入した後は、長髪だったメンバーがすべてビートルズ風のマッシュルームカットにし、そして、スーツ姿を着込み、ストーンズ直系のマージー・ビート、バーズ寄りのフォーク・ロックを奏でるようになった。


特に、 フレーミング・グルーヴィー図の通算六作目となる「Shake Some Action」は、後に同名のパワー・ポップコンピレーション「Shake Some Action」がリリースされるほど、パワー・ポップの代名詞的なスタジオ・アルバムとなった。ビートルズやストーンズにいかになりきるかを探求したアメリカンロックバンドで、この米Sireからリリースされたスタジオ・アルバムも大半がカバー曲で占められているが、パワー・ポップというジャンルの意味合いを掴むためには、表題曲「Shake Some Action」を素通りすることは難しい。確かに、コピーバンド、コスプレバンドという指摘もされているロックバンドであって、お世辞にも一般的な知名度は高くはないけれど、パワー・ポップというジャンルを知るためには欠かすことのできない重要な傑作。 


                    

 

 

3.The Rubinoors

「Back To The Drawing Board」1979


1970年代後半、ジョン・ルビノー、トミー・ダンバー、ドン・スピント、ロイス・エイダーらによってカルフォルニア、バークレーで1973年に結成されたルビノーズ。特に、コーラス・グループとしてビーチ・ボーイズに匹敵するほどの美麗なハーモニーを生み出す数奇なロックバンド。特にメーンヴォーカルのジョン・ルビノーの裏声ファルセットは息を飲むような美しさがある。


1977年の1stアルバム「The Rubinoos」の後にリリースされた「Back To The Drawing Board」1979はイギリスでレコーディングされた作品で、デビューアルバムに続いて、弾けるようなフレシュな青春の息吹の感じられるスタジオアルバム。特に二曲目「I Wanna Be your Boyfriend」は永遠のパワー・ポップの名曲といっても過言ではなく、後に、イギリスのファラーがカヴァーし、一躍有名となった。ジョン・ルビノーのリードヴォーカルには混じりけのない純粋さ、そして爽やかさ、さらに跳ねるようなポップス感があり、パワー・ポップとしての三拍子が揃った名曲。


この後に、ルビノーズは、この二作目のアルバム「Back To The Drawing Boardリリース後、エルヴィス・コステロのツアー「アームド・フォーセズ・ツアー」に同行し、世界的なロックバンドとして知られるようになった。1985年には、解散するものの、1999年にリユニオンを果たし、現役のロックバンドであり、長く頑張ってほしい良質なロックバンドのひとつでもある。 

 

 


 

4.Big Star 

「#1 Record」1972


ビッグ・スターはアメリカのインディーロックの大御所、アレックス・チルトンの在籍した伝説的なロックバンドである。


しかし、それほど一般的な知名度に恵まれていないのは、スタジオ・アルバムが三作しかリリースされず短命なバンドに終わったからだろうか。 しかし、特にこのロックバンドは歴代のインディーロックシーンを概観した上で、決して見過ごすことの出来ない最重要バンドでもある。


というか、この人物を出発点として、アメリカのインディーシーンはつくられていった側面もなくはない(かもしれない)。アレックス・チルトンは後にザ・リプレイスメンツの「Tim」に参加したりもしているが、特に後発のアメリカのインディーシーンに与えた影響はきわめて大きいものがある。


ビッグ・スターの音楽性は、インディー・フォークの先駆的な音楽で、どことなく牧歌的な雰囲気を持ち、アレックス・チルトンの甘い歌声からもたらされる甘酸っぱいような青春の息吹が込められている。マニアとしては2ndの「Radio City」も聞き逃す事はできないが、やはり永遠のパワー・ポップの名盤としては1stの「Big Star」を挙げておきたい。


特に、「The Ballad of El Goodo」はバッド・フィンガーの「Without You」に匹敵するほどの背筋がゾクリとするような名曲。きっと聴いていただければ、この一曲に出会えて本当に良かったと思っていただけるはず。他にも、インディー・フォークの名曲「Thirteen」「India Song」なども未だにアルバムジャケットデザインに描かれるスターのように、燦然とした輝きを放ち続けている。       

 

 

5.The Scruffs

「Wanna Meet The Scrauffs」  


ビック・スターと同じメンフィスから登場したスティーヴ・バーンズ率いるスクラフスを外すことは出来ない。


メンフィスのインディーレーベル、パワー・プレイからリリースされたこのデビューアルバムは、当初2500枚しかプレスされなかったというが、何故かパワー・ポップ名盤ガイドには必ずと言っていいほど登場する評論家贔屓の一作である。


初回のプレスが2500枚と、そのレア感もあってのことなのか、まだ学生時代に買ったときも中古レコードショップでは相当な高値がついていて、ディスクユニオンに売りさばいた時にも結構な音で売れた作品だったのだ。


スクラフスは、幻のパワーポップバンドであるらしく、後にコンピレーション作品「D. I. Y American Power Pop 1 Come Out And Play」がリリース、一般的にパワー・ポップというジャンルが知られるようになってからも、スクラフスの知名度だけはちっとも上がらなかったという皮肉じみたエピソードもある。


実際に聞いてみたとき、もう少しだけマニアックかと思いきや、意外にもスタンダードな音楽性だったため、逆に驚かされたというか肩透かしを食らったおぼえがある。それは、例えるなら、最初、ラモーンズがデビュー作が表向きは、相当デンジャラスな印象なのに実際聴いてみたら案外ポップだった!!というあの喜ばしい感じ。


スクラフスの音楽性は、ビートルズ、キンクス直系のブリティッシュ・ビートを少し荒削りにしたロックバンドで、どことなく荒削りなガレージ色もあり。ラズベリースにも似た雰囲気を持つ良質なロックバンドとして知られている。 

 

 

 

6.Cheap Trick

 「In Color」1977


日本武道館の公演の大成功により、おそらく日本ではビートルズに次ぐ人気を誇ったチープ・トリック。ロビン・サンダーとトム・ピーターソンの甘いマスクは、特に女性ファンの人気を獲得するのに一役買った。


しかし、このアイドルバンドとして日本で大きな人気を博してきたチープ・トリックサウンドの影の立役者は、まず、間違いなく、ギタリストのリック・ニールセンの紡ぎ出す職人気質なギターリフ、ドラマーのバン・E・カルロスのシンプルなタムストライク。それから、もうひとつは現在のオルタナティヴロックに通じるような雰囲気を漂わせるポップソングにあるように思えてならない。


そして、数々のオマージュ、ビッグ・ブラックのカバーや、リバティーンズのデビュー作のアートワークのオマージュを見ても、意外にもメインストリームのバンドでありながら、米国や英国のインディー・ロック界にかなり影響を及ぼしているロックバンドであることが分かる。


もちろん、商業的に大成功を収めた作品といえば、”Surrender”が収録されている「Heaven Tonight」、日本公演の熱狂性を音としてパッケージした「At Budokan」が真っ先に思い浮かぶが、パワー・ポップの名盤としては、2ndアルバム「In Color」を挙げておきたいところである。


この作品には「I Want You,You Want Me」。後の彼等のライブレパートリーとなる名曲も魅力だが、「Hello There」「Come On,Come On」といったパワー・ポップの傑作、本格派のクールなアメリカン・ロックの楽曲がずらりと並んでいる。もちろん、ジャケットデザインも◎。

 

 


 

7.Elvis Costello

 「My Aim Is True」1977

 

エルヴィス・コステロは世界的な知名度を持つミュージシャンであり、ロンドンパンクのリアル世代の体験者としても知られるミュージシャンである。


ニューヨークのインディーロックのカリスマ、イギー・ポップとも長きにわたる親交があり、当時のシーンを共に語り合うインタビューも記事として残されている。そこで、イギー・ポップですらこのエルヴィス・コステロには頭が上がらないような雰囲気があり、つまり、ミュージシャンの大御所からも敬愛されるような偉大なミュージシャンだ。


コステロのイメージとしてロックンロール、ポップスミュージシャンとしての印象が強いものの、この最初期に発表された「My aim is True」はロックンロールとしての名作でありながらちょっと甘酸っぱいフレーズ満載のパワー・ポップとしての名作にあげても不思議ではない。


特に名曲「Alisson」の素晴らしさについて、最早なんらかの講釈を交える事自体が無粋というもの。このまったりとしていて、さらに心が温かくなるような曲、聴いていると、自然と心に染みスッと渡るようなハートフルな名曲というのは意外に少ない。難しい事抜きにして、メロディーが心に染み入るのがコステロというアーティストの凄さなのだ。コステロの歴代作品の中でも、一二を争う最良の名スタジオ・アルバムとして、ぜひ聴いてもらいたい。1977年のリリースでありながら、ロックンロールとしても未だに色褪せない輝きを放つ作品である。また、ポップチューンとしても文句のつけどころのない。ロックンロールを最もよく知る数少ないミュージシャンの傑作、個人的にも、何度聴いたかわからない思い入れのあるスタジオ・アルバム。

            

 

参考

power pop selected 500 over title of albums&singles シンコー・ミュージック 監修 渡辺睦夫

ガレージロックの魅力

2000年代から、再びニューヨークのロックバンドがこぞってこのガレージロックを取り上げて、一躍脚光を浴び、その一連のムーブメントはガレージロックリバイバルというように名付けられた。

アメリカでは、ストロークスやホワイトストライプ、ヤー・ヤー・ヤーズを初め、イギリスでも同時代にガレージ・ロックの音楽性を引き継いだロックバンド、リバティーンズ、もしくは最初期のアークティック・モンキーズもプリミティヴなガレージロックサウンドを引っさげてシーンに台頭してきた。もしくはオーストラリアのダットサンズ、スウェーデンではハイヴズも出てきた。これは、一地域に限定されるものではなく、世界的なムーブメントであったように思える。

いかにも俺たちは昔のロックンロールを知っているという顔をしてクールに演奏するのがストロークスだったし、直情的に、60年代のプリミティヴなサウンドを引き継いで情熱的に演奏するのがハイヴズだった。日本のロックシーンで言えば、ミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ。インディーズ界隈でいうと、ギターウルフがこのジャンルに該当する。もちろん、ミッシェルのアベフトシさんは世界に通用する伝説的なギタリストの一人だった。

また、これらのロックバンドは、往年のロックンロールのコアな部分を受け継いでそれを洗練させただけで、新しいことはやっていないように思える。新しい音楽なんて洒落臭えという突慳貪さなのである。それにも関わらず、これらのガレージロックリバイバルのシーンを牽引していたバンドは、実際にライブパフォーマンスを見ると、どのバンドより輝いており、問答無用にステージパフォーマンスがカッコいいのは不思議でならなかった。(特に、ストロークスとハイヴズ)。ただ、ロックンロールを、寡黙に、朴訥に、演奏する、と言う面では、ラモーンズに近い雰囲気も感じられるようだ。つまり、ニューヨークのインディースタイルが色濃く感じられるジャンル。

ある程度このガレージロックの音楽性というのには限界があり、同じスタイルをながく続けて行くと、 聞き手も演奏者もそのうち飽きが来て、方向性の転換を余儀なくされることが多いのはいくらか仕方のないことかもしれない。(何十年も同じ音楽を続けていけるのはAC/DCだけの特権といえるかもしれない)しかし、それでもやはり、このガレージロックというのは、時代を越えて楽しめるロックンロールの本来の魅力が詰まっている音楽であることは間違いなし。

このガレージ・ロックっていうのは誰が始めたのか。このジャンルが流行るようになっていたのか、またどんな音楽性なのか、その大まかな概要を簡単に説明しておきたい。大まかに言えば、一般的にその先駆者は、アメリカのワシントン州のロックバンド、ザ・ソニックス、また、ミシガン州のザ・リッターから始まったムーブメントで、1965年前後に、その発祥が求められる。


ガレージロックの音楽性 

ガレージロックというのは、アメリカのガレージ、車を止めておくスペースで、めいめいの機材を持ち寄り、アンプからフルテンのどでかい音量でロックンロールを奏でるというスタイルだ。フルテンというのは、アンプリフターのメーターをすべてフルに回し、音作りもへったくれもない素人感丸出しのすさまじい爆音サウンドが生み出される。そして、ガレージロックという語源は、そのままの意味で、ガレージで演奏するロックだから、ガレージロックと呼ばれる。

もちろん、これらの最初期のガレージロックバンドは、演奏自体の荒々しさという点においては、最初期のパンクロック、ロンドン、ニューヨーク・パンク勢との共通項も見いだせるようだ。その音楽性についても、六十年代らしく、ビートルズ、ストーンズサウンドに対する傾倒も伺える。つまり、シンプルなロックンロール性がその内郭に宿っている。代表格のザ・ソニックスやザ・リッターの音楽性には、アメリカのブラックミュージックの影響も色濃く滲んでいる。 

そして、ビートルズとは全く異なる雰囲気がある。これらのガレージ・ロックバンド、とくに、ザ・ソニックスの演奏から醸し出される異様な熱気、すべてをなぎたおしていくようなパワフルさが、こういった直情的なロックンロールが展開されているので、聞き手にスカッとするような痛快味を与える。すなわち、これがガレージロックの最大の醍醐味といえるのである。このガレージのような場所で演奏する独特なスタイルはのちシアトルのグランジ界の大御所、メルヴィンズも積極的に行っていたが、やがて、90年代の”ストーナー”というアメリカの砂漠地帯で発生した男臭くワイルドなロックンロールに引き継がれていく。(Kyuss,Fu Manchuなどが有名) 

この60年代のガレージ・ロックというジャンルは、いかにもインディペンデント形態で活動を行うロックバンドが多かった。

ソニックス、リッターズを始め、リトル・リチャーズやチャック・ベリーの最初期の踊れるロックンロールの原始的な音の雰囲気を受け継ぎ、それを耳をつんざくような大音量で奏でるというスタイルが徐々に確立されていくようになる。のちの音楽シーンのように、どこどこの地域で広がりを見せていったわけではなく、このガレージロックのスタイルを掲げるバンドがそのアメリカ全体に裾野を広げていったのではないだろうか。その過程において、MC5のようなアングラな人気を誇るガレージロック勢も出てくるようになる。これらのロックバンドに共通するのは、パンクロックに近い荒削りなサウンドを掲げ、分かりやすい形でオーディエンスに提示するというスタイル。

 

ここで、そもそもガレージロックというのが、完全なインディームーブメントの土壌の上に築かれたコアな音楽のムーブメントであったのか? そして、メインストリームではこういうプリミティヴな質感を持つロックンロール音楽はまったく存在しなかったのか? という二つの疑問がおのずと浮かんでくる。しかし、この疑問についてはある程度否定しておかなければならない。実は、著名なロックバンドにも、ガレージ・ロックに近い雰囲気を持った楽曲は数多く存在していた。例を挙げるなら、ジミー・ペイジやエリック・クラブトンが在籍したヤードバーズも、ガレージロックに近い雰囲気を持ったロックンロールを演奏していた。またローリング・ストーンズの「(I Can't Get No)Satisfaction」ビートルズの「Helter Skelter」には、ガレージ・ロックに比する荒々しさ、轟音性が見られることからも分かる通り、実は、結構メインストリームにいるミュージシャンは当たり前のように、こういったプリミティブな質感を持つガレージロック風の音楽性を、ガレージではなくリハーサルスタジオで好んで演奏していたように思える。

そして、ガレージロックという音楽は、Mainstream=主流ではなく、Alternative=亜流的な雰囲気を擁したジャンルとして、音楽通の間で、長年、しぶとく地下で生きながらえていたように思える。そして、ニューヨークのザ・ストゥージズ、ジョニー・サンダース・アンド・ハートブレーカーズも、このあたりのジャンル性を引き継いだ音楽で一世を風靡したものの、一時期、他のジャンル、ハードロック、メタル音楽が世界的に優勢になっていくにつれて、このガレージロックというロックンロールの申し子は、ロックンロール愛好家の間においても忘れ去られてしまったように思えていた。ところが、イギリスのザ・リバティーンズ、あるいは、スウェーデンのザ・ハイヴス、アメリカのザ・ストロークスの台頭を筆頭にして、それがロックンロールというジャンル自体が行き詰まりを見せていた1990年代、00年代、見事にガレージロックは復活を果たした。それからの流れについては多くの人がご存じであろうと思われる。まるで堰を切ったかのように、世界的にこのジャンルを引き継いだアーティストがドッと台頭してくるようになったのである。このリバイバルシーンの流れは音楽メディアによって、ガレージロックリバイバルと称された。


 ガレージロックの名盤選 

 

The Sonics

「Here Are The Sonics」




ザ・ソニックスは、ワシントン州で結成されたガレージロックバンド。ガレージロックの創始者として知られている。このソニックスの原始的なサウンド、そして、荒削りな演奏、ソウルフルな音楽性、さらに、つんざくようなハイテンションサウンドにすべてのガレージロックの源流は求められる。

特に、ザ・ソニックスのデビュー作「Here are The Sonics」1965は、ガレージロックの金字塔として名高い伝説的なアルバムである。

ここで展開されるプリミティブなサウンドの凄みは言葉に尽くしがたい。チャック・ベリーやリトル・リチャードのロックンロールをそのまま復刻したような音楽性に陶酔すら覚えるはず。一曲目の「Witch」から、とんでもないテンションロックンロールが目くるめく速さで通り過ぎていく。この圧倒的な迫力による痛快感は、遊園地のジェットコースターの刺激性など足元にも及ばない。

 

ディストーションをてきめんにきかせたギターのすさまじいど迫力、タムのハイエンドが強調されたしなるようなドラムの切れ味、さらに、ジェリー・ロスリーのソウルフルな渋みのあるボーカルもめちゃくちゃ良い。また、「Wah!!」というこぶしのきいた叫び、ここには、なんとも言えない若さゆえのみずみずしい魅力が詰まっている。しかし、ソニックスの本来の魅力は、若さによる外向きのエナジーだけにとどまらず、音楽面での年齢不相応の内面的な渋みが込められていることを忘れてはいけない。バンドサンドの中に、ちゃっかりサックスフォン、エレクトーンを取り入れているのも、若いロックバンドとしてはあまりに渋い特徴である。この音楽性が、現在でもソニックスを現役のロックバンドとして息の長い活動を支えているのだ。また、それに加え、ギターの癖になるようなフレージング、ぶんぶん唸るベースの厚み、そう、ここに録音されているすべてが、ロックンロールとして完璧!と言って良いのかもしれない。

もちろん、ザ・ソニックスの魅力は、楽曲そのものの痛快さ、若さゆえの無謀にも思えるハイテンション、それらをぐいぐい引っ張っていくリズム隊、バンドサウンドの力強さにある。これは、アメリカのガレージで行われた壮大なロックンロールパーティー。未熟さというのを臆面もなく前面に押し出し、それを輝かしい音で見事に刻印してみせたガレージロックの傑作なのである。

ザ・ソニックスは、アンダーグランドシーンの代表的なバンドとして世に膾炙されているが、その後のインディーシーンに多大な影響を及ぼしたロックバンド。魂のこもった本来のソウルの申し子としてのロックンロールの要素が詰められた伝説的な作品。とくに、新旧問わず、ロックファンとしては、このアルバム収録「Do You Love Me」「Psyco」 「Roll Over Beethoven」は聞き逃せない。

 

The Kinks

「Kinks」


 

 

イギリスのロックバンドとしては、ビートルズやストーンズ、ザ・フーの次に大きな人気を誇るザ・キンクス。

意外にも初期にはガレージ・ロックバンドに近い質感のある荒々しいロックンロールを奏でていることには驚嘆するよりほかなし。特に、このキンクスの鮮烈なデビュー作「The Kinks」で聴くことの出来るプリミティヴな音楽性は明らかにガレージ・ロック寄りの雰囲気を滲ませている。特にアルバム全体のギターのサウンド処理がギターという楽器の原始的な響きを重視しているため、いかにもソニックにも近い原始的なロックンロールの魅力を余す所なく体現している。

ザ・キンクスの代名詞、ロック史において名曲に挙げられる「You've Really Got Me」は、シンプルかつソリッドなロックンロールとして知られる。しかし、驚くべきことに、キンクスはソニックスより一年早くガレージ・ロックサウンドを確立させている。他にも「Revenge」のイントロを聴くと、スタンダードなロックというよりか、ガレージ・ロックの雰囲気が感じられる。

ロック史の名盤としてのみならず、ガレージロックの名盤としても挙げられることが多い今作。ストーンズに比べると軽視されがちなロックバンドではあるが、実は、ロック史を概観してみたとき、後のブラーといったイギリスのロックバンドの本流の重要な音楽性を形作っている。

 

The Litter

「Distortion」

 

 


ザ・リッターは、1966年に結成されたミネソタ州ミネアポリスの五人組ガレージロックバンド。

ガレージロックの祖、ザ・ソニックスに比する原始的なロックンロールサウンドが魅力。特にデビュー作「Distortion」は、ガレージロック隆盛の時代の勢いを時代的に刻印してみせた傑作。

ここではエフェクター「ビックマフ」のような苛烈なディストーションサウンドが体感できる。そして、なんと言っても、このザ・リッターの魅力は、痛快なビートルズやザ・フー直系のプリミティヴなロックンロールテイストにあり。ロックンロールとしてもひしゃげていてめちゃくちゃカッコいい。

特に、コーラス・グループとして、又は、極上のポップスとしても充分たのしめるような雰囲気もある。オリジナル曲「Whatcha Gonna Do About It」のノリの良い痛快なロックンロールも素晴らしく、ここにはザ・フー、イギリスのモッズシーンに対する憧憬も存分に込められている。

 

ザ・フーのカバー、「Substitute」。それからなんと言っても、「Legal Matter」はかなり秀逸なアレンジメント。この若々しく、みずみずしく、ちょっとだけ切ないような青春の響きは、ガレージロックとしてでだけはなく、パワー・ポップあたりの音楽性との共通点も見いだされるはず。また、ベルベット・アンダーグラウンドの中期の方向性のようなソリッドな荒削りさも持ち合わせている。六年間という短い期間で解散したロックバンドであるものの、ザ・ソニックスとは異なる魅力を持つ、ザ・リッター。隠れた名ロックバンドとしてここで御紹介しておきたい。

 

The Velvet Underground 

「White Heat/White Light」

 

 


所謂、アンディー・ウォーホルととの関係性上において語られることが多く、なおかつニューヨークのオルタナティヴバンドの始祖として語られることの多い、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

しかし全体的なロックバンドとしての印象は、現代のアートポップの先駆者といえるのかもしれない。その固定的なアートのイメージに比べ、「Sunday Morning」「Sweet Jane」等の歴代の代表曲を見ても分かる通り、意外にポピュラーの要素が強いロックバンドであるように思える。これは、ルー・リードがいかに傑出したソングライターであるかのを証立てているように思える。

一般的なロックバンドとして評価される一方で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、パンクロック/ガレージロックのアングラな流れを最初に形作ったと見なされることもある。一例を挙げるなら、デビュー作「The Velvet Undergoround」においては「European Sun」「Heroin」に代表されるように、この1960年代でプリミティブな退廃的なロックンロールを既に完成させている。

デビュー作の翌年リリースされた二作目の「White heat/White Light」は、ガレージ・ロックの名盤として挙げておきたい原始的なロックンロールの魅力を体現した一枚である。特に、表題曲「White heat/White Light」この一作目とは打って変わって、粗削りでプリミティヴなロックンロールサウンドに回帰を果たしている。また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影の名曲として語り継がれている「Sister Ray」は、ガレージ・ロック本来の響きを収めた17分半の歴史的超大作である。そして、この楽曲のロックンロールバンドとしてのアバンギャルド性、最終盤の狂気的なすさまじい迫力にこそ、ガレージロック、ひいてはロックンロールの醍醐味が詰めこまれているのだ。

 

この「Sister Ray」という一曲が後世のロックシーン、2000年代の、ストロークス、リバティーンズといったリバイバルシーンのアーティストの創作性に与えた影響というのは凡そ計り知れないものがある。最も有名なファーストアルバムだけで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本来の魅力は掴みきれるというわけではない。正に、この二作目にこそヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本当のロックバンドとしての超絶性が刻印されている。そして、この伝説的な作品は、いかにロックンロール音楽が芸術的であり、素晴らしいものであるのかを見事に物語っている。

 

MC5

「Kick Out The Jams(Live)」

 

 


MC5は、グランド・ファンク・レイルロード、ブルー・チアーズに並ぶとんでもない大音量のアメリカンロックサウンドを確立させたデトロイトの五人組。1960年代の終盤、アメリカではレッド・ツェッペリンを始めとするハードロック勢に対抗する形で、続々とヘヴィ・ロック性を打ち出したロックバンドが台頭した。イギリスのロックバンドが音楽性や藝術性で勝負するロックバンドが多いのに対して、アメリカは、このMC5やブルー・チアーズ、そして、グランド・ファンク・レイルロードをはじめ、いかに大音量のロックンロールをライヴで体現出来るか競い合っていた。
 

最もロックンロールが熱狂的な文化であった時代、このMC5のデビュー作でもありライブ盤でもある「Kick Out The Jams」は、特に七十年代前後のロックムーブメントのリアルタイムの狂乱が心ゆくまで味わえる歴史的傑作。この作品には異質な空気感に満ちている。演奏者と観客がもたらす熱気、そして、演奏者、観客ともに一触即発の雰囲気に満ちている。この建前ではなしに、演奏者スターではなく、同じ目線で眺めている雰囲気がロックンロールの真髄といえる。
 
 
ちなみに、オリジナル盤においては、一曲目、表題曲の最初のMC「Kick Out The Jams」の後の「Motherfuker!!」の部分がマスタリング段階で検閲によってカット。しかし、何故かしれないが、日本盤だけは、このカットされた部分が残されており、「Motherfuker!!」の激烈なアジテーションを体感することが出来る。とにかく、この音源を聞いたときほど日本人であることに感謝したことはない。実際、この部分がカットされた原盤は、興奮性が欠けていて物足りなくなってしまう。しかし、この後に急にファンの方が異様な盛り上がりを見せて、バンドサウンドに対して歩み寄りを見せるのも一体感にあふれていて素晴らしい。

もちろん、このMC5のデビュー作は、ロックンロールとしても一級品である、ギターのディストーションの荒削りさとうねり具合、原始的な衝動性を感じるという点においては、ガレージ・ロックの元祖、ザ・ソニックスに匹敵する、いや、それどころか、さらにひとつ上を行くものが込められている。
 
いまだロックンロール音楽が本当の意味で不可解なもの、そして、ロックンロールがまだ全然よくわからないものとされていた1969年のアメリカの工業都市デトロイトにおいて、民衆がいかにこの音楽に夢とあこがれを抱いていたのか痛感できる一枚。これは、ロックンロールとしての文化の一時代性を体感できる数奇な作品である。何一つも誇張でなく、この作品以上の凄まじいアジテーションに彩られた轟音ロックサウンドというのは、他には、これまでブラック・フラッグのイタリアのブートレッグのライブ盤くらいしか聴いたことがない。熱狂的な原始的ガレージロックとしても楽しめるが、ロック史にも刻まれるべきライブ盤の金字塔である。

 

The Stooges

「the stooges」 



 

ザ・ストゥージズは、MC5と同じように、工業都市デトロイトから出発した、ミシガン大学で、イギー・ポップを中心に結成された伝説的な四人組ロックバンドである。このロックバンド、ザ・ストゥージズの解散後、このバンドの中心人物、イギー・ポップは、のちにデヴィッド・ボウイ等、世界的なスターミュージシャンとも関わりを持ち、イギーは、彼等二人に比する存在感を持つようになる伝説的なロックミュジシャンとなった。ソロ活動としては、結構、「Lust For Life」を始め、ポップスに近い雰囲気をもった楽曲のイメージがまとわりつくロックミュージシャンである。しかしながら、イギー・ポップの本質的な音楽性はやはり、このデトロイト時代、ザ・ストゥージズにおけるデンジャラスでプリミティヴなガレージロックに求められる。

とりわけ、このストゥージズのデビュー作品 「the stooges」は、のちにジョン・ケイルやデヴィッド・ボウイがリミックスを手掛けた歴史的名盤。後の「Raw Power」と共に、パンクロックの祖といわれる伝説的な名盤。また、ニューヨークに最初にガレージ・ロックを呼び込んで見せたイギー・ポップのデビュー作にして代表作である。

特に、アルバムの一曲目「1969」で展開されるガレージ・ロックの原始的な輝きは未だに失われていない。このワウを噛ませたギターサウンドの渋みは一聴の価値あり。続く「I Wanna Be You Dog」もギターサウンドの面でガレージロックらしいディストーションの轟音性を味わうことが出来る。

そして、後のイギー・ポップの狂気性、獰猛性、すさまじいハイテンション性の萌芽もここにうっすらとであるものの見うけられる。一方、ここでは、きわめてその性質とは対照的なクールなイギーの雰囲気も感じられる。それから、なんといっても、ガレージロックの一番重要な要素、ディストーションで歪みに歪んだロックンロールの危うさが、この作品ではシンプルに端的に提示される。以後の作品「Raw Power」「Fun house」では、サイケデリックロック、パンクロックと次の領域に踏み込んでいったストゥージズ。しかし、この鮮烈なロックンロール性を提げてシーンに華々しく登場したデビュー作にこそ、このロックバンド、ひいてはイギー・ポップの最大の醍醐味、荒削りなガレージ・ロックの元祖としての魅力が存分に詰め込まれている。

 

Johnny Thunders&The Heartbreakers

「L.A.M.F」The Lost '77 Mixes

 

 


ジョニー・サンダースは、ロンドンパンクスのジョニー・ロットンに比べ、コアなファンをのぞいては、それほど一般的な知名度を持たないロックミュージシャンである。

もちろん、サンダースの人生の最期が、何かしら彼のイメージに暗い影を落としている側面もなくはないのかもしれない。

それでも、元は、ニューヨーク・ドールズのメンバーとして活躍していたニューヨークシーンの名物的な存在、ジョニー・サンダースは、その全生涯の短さにも関わらず、いや、その生涯の短さゆえ、後世の音楽に大きな影響を及ぼした偉大なロックミュージシャンである。もちろん、このハートブレーカーズ、ジョニー・サンダースがもしかりに存在していなかったとしたら、セックス・ピストルズどころか、ロンドン・パンクすらこの世に生まれ出なかった可能性もある。それくらい、ロックンロール性を生涯において体現した素晴らしいミュージシャンなのだ。

ソロ活動では、穏やかでやさしげな一面を覗かせるフォークロック寄りの音楽を奏でるジョニサンであるが、ハートブレーカーズとしてのリリースされた「L.A.M.F」は、引き締まった捨て曲のないロックンロールの旨味を抽出したような名作。もちろん、後世のロックンロール、ロンドンパンク、ガレージロックと多岐に渡るジャンルの橋渡しのような役割を果たしたロック史からみて最重要の名作と言える。

「L.A.M.F」。

あらためて、この伝説的なアルバム全体として捉え直してみると、スタンダードなR&B色の感じられる、実に軽快なロックンロールの珠玉の名曲ばかりがずらりと並ぶ。特に、「Going Steady」「Do You Love Me」「Born to Lose」といったロックンロール史に燦然と輝く名曲は、ニューヨーク・ドールズ時代の音楽性を受け継いでおり、今、じっくり聴いてみると、たしかにロンドン・パンクの音楽性の萌芽も見えなくはないにしても、実は、ド直球のガレージ・ロックとしても楽しめるプリミティブな魅力を持つロックンロールナンバーがずらりと並べられている。

あまりに、大きな影響を後世のロック史に与えてしまったためか、ジョニー・サンダースの生涯は38年と余りにも短かった。

いや、それでも、もちろん、サンダースの破天荒でデンジャラスな生き様を手放しで称賛するわけではないのだけれども、誰よりも、太く短く、逞しく生きたのがジョニー・サンダースというミュージシャンだった。これぞ、まさしく、最もクールなロックンローラーらしい生き様ではないか。