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Interview

 

Satomimagae

©Kanako Sakamoto

 


  なるほど、”それなら曲を書こうとしちゃダメだ”と思い、ひとまず家中/家周辺の「気配」を感じる音をレコーダーに録り溜めました。 --Satomimagae



日本のエクスペリメンタル・フォーク・シーンで活躍するアーティスト、 Satomimageさんのインタビューを読者の皆様にお届けします。


2012年に初のアルバム「awa」を自主制作でリリース。2014年に、畠山地平が主宰するレーベル、White Paddy Mountainより2ndアルバム「Koko」をリリース後、2017年に同レーベルから3rdアルバム「Kemri」をリリースしました。2021年、ニューヨーク/ブルックリンのレーベル、”RVNG Intl. ”と契約を結び、4rdアルバム「Hanazono」が同レーベルとGuruguru Brainと共同でリリースされた。

 

今年に入って、同レーベルから『awa』の拡張版を発売しました。先日、福岡のアンビエント・プロデューサーとの共作アルバム『境界 Kyokai』を発売、ソーシャルを中心に話題を呼びました。

 

今回のインタビューはデビュー作から最新作、また、環境音をどのように制作の中に取り入れるようになったのか。網羅的にお話を伺うことができました。そのエピソードを読者の皆様にご紹介致します。



2月の発売日から少し時間経過していまいましたが、あらためて『Awa』のエクスパンデッド・バージョン(拡張版)の発売についてお伺いしたいと思います。

 

オリジナル盤のリリースから10周年{正確には11年)を記念して再発バージョンが、国内ではPlanchaより、海外では米国のRVNGより発売されました。どういった経緯で、このリイシューが決定したのか、その詳細についてお伺いしたいと思います。

 

また、「inu」のミュージック・ビデオではご自身が出演なさっています。撮影について何か印象に残っていることはありますか?

 

 

「Hanazono」リリースの際に、RVNG(ニューヨーク/ブルックリンに本拠を置くレーベル)を主催しているMatt(Matt Werth)が自分の過去のリリースを全てチェックしてくれて、「いずれ、”awa”もフィジカルで再発することを考えたい」と提案してくれました。その時は「awa」は、RVNGからレコードで出すのには見合わないと思ってすぐに断ってしまいました。


その後いくつかのリリースが済み、改めて自分の過去の作品を振り返る過程で久しぶりに「awa」を再生していた時に再発の話を思い出しました。

 

Mattから話があった時は、「awa」の特にミックスなど技術的な面で足りない部分が多くお断りしたのですが、後悔している部分を納得いくまで仕上げて別の形で生まれ変わらせてもいいのかもしれないと思えてきました。

 

「awa」は自分にとって思い入れのある曲がいくつかあるのですが、演奏やミックスで悔いの残る箇所が多くて自信を持てないまま来ていたので・・・。ちょうどリリース10周年になることにも気付いて、これは良い機会なのではないかと、急いでMattにメールで提案したところ快く承諾をいただきました。



「Inu」のビデオですが、私自身は出演していないです。この作品は元々自分の音楽を聴いてくれていた写真家の坂本奏子さんが、去年のはじめ頃ライブで声を掛けて下さって交流が始まり撮影していただくことになりました。

 

ミュージック・ビデオを作るのは初めてだったそうですが、「awa」も私にとって初めてのアルバムだったので、まだ自分のやり方やマニュアルのようなものが無い中で、とにかく一人だけでやってみたいことを試すという初めての実験で注がれる独特のエネルギーが「Inu」と融合しているように感じました。


 

当時、このアルバムは自主制作盤としてリリースされたという話なんですが、この音源はどういった経緯でレコーディングされたものだったのでしょうか? 

 

録音やフィールドレコーディングがどのような感じで行われたのかお聞きしたいです。また、当時、大学で化学の研究を行っていたと聞きますが、あえてこの自主制作として音源を残しておきたかった理由などがありましたらお伺いしたいです。

 

14歳頃から曲を作っていたので自然と溜まってきて、大学を卒業したらまとめてリリースできたらいいな、と思っていました。作品が無いと音楽を作っている人間だと紹介できないと思っていたので、名刺を用意するような気持ちで「awa」へ取り組み始めました。


フィールド・レコーディングもこれまで録り溜めていたものを使いました。いつもICレコーダーを持ち歩いて気になる音がしたらすぐ録るようにしていたんです。


卒業後はアパートに住み、研究所で実験するバイトをしていたのですが、その研究所が実家の近くだったので、仕事が終わると実家に寄って録音して帰るという日々を繰り返していました。アパートでは大きな音が出せないし、スタジオはお金がかかるため、周りに畑と森しか無く、音も好きな時に出せる実家で制作を進めました。


自主制作というスタイルを自ら選んだというよりは、その他に方法が無かったということです。やり方が分からなかったんですね。


ちゃんとしたエンジニアにミックスをお願いするとか、まずレーベルを探すとか、全てが身の丈に合っていなくて非現実的なことのように感じられた。コネも無かったし、人に頼むにしても慎重にリサーチしないといけない…と考えて、ひとまず全部自分で進めていこうと決めました。



今になって考えると、この作品は、トクマル・シューゴの『L. S. T』と並んで、日本のフォークトロニカ/トイトロニカの初期の傑作と言っても過言ではないと思うんですが、2000年代から、アイスランドのmumなども、日本の音楽ファンの間でよく知られるようになったわけですが、当時、そういった新しい時代の音楽に取り組んでいるという意識はあったのでしょうか?


また、制作過程で何か伝えたいことや、テーマなどが録音のバックグラウンドにあったのか知りたいです。作品をリリースした当初の周囲の反応などはいかがでしたか?

 

時代という点では、その時に流行しているスタイルとは少し距離をおきたいという意識はあったかなと思います。

 

そういう方針でひとより良いものを作る自信は無かったし、そのような音楽を、もちろん好んで聴いていたことはありますが、自分で作る音楽として目指すものではないと感じていたと思います。

 

だから当時人気だった軽やかなエレクトロニカの手法は取り入れず、なるべくフィールド・レコーディングのザラザラした質感を活かしたアルバムにしようと思っていました。


シンセやドラムマシン等も、その時の流行が大きく反映される音だと思いますが、そういうデジタル音も極力使いたくなかった。ふわふわした気持ちいい音にはしないし、リバーブもディレイもなるべく使わない、など、今思えば、結構変なこだわりをもって、レコーディングしていました。自然の音や車、遊具の音などあえてより普遍的な音を使おうとしていたと思います。

 

『awa』をリリースした時、周りの音楽好きな友達の一部はとてもいいと言ってくれました。でも、よく覚えているのは、上にも書いた通り技術面で未熟なのは分かっていたし、曲も改めて聴くと奇妙なのがいくつもあって、自分でリリースしておきながら、積極的に人に勧められないなと思っていたことです。

 

当時はロックバンドが出演するような一般的なライブハウスで演奏することが多かったのですが、そのようなシーンでは受け入れられている様子は無かったです。ある時ライブをした後共演者の方から、”pastel records”というショップを勧められ、試しにメールをしてみたらCDを取り扱ってもらえることになり、少し自信がつき、そこから何となく方針が分かったような気がしました。


やはり、実験的な音楽を探している人や、そういう音楽をやっているアーティスト/学生が、少しずつ注目してくれたように記憶しています。


 

このアルバムにはブルースの影響も反映されていると聞きます。プロフィールでは、幼少期に米国で過ごしていた時にブルースに出会ったと書かれていますが、今も記憶に残っているアメリカでの音楽体験に関して印象的なエピソードなどありましたら、詳しくお伺いしたいです



アメリカでの音楽体験は、言われてみると、ほとんど無いような気がします。アメリカでも日本でも、父親が現地で手に入れたカセットかCDをよく車の中で流していたのですが、当時の私は特別それを注意して聴いていたわけではありませんでした。家でも音楽が流れていたことはほとんど無かったように記憶しています。


ただ、それらの音楽を自分自身がギターを弾くようになってから改めて聴いた時に、初めて良さに気付き影響を受けましたね。


アメリカでの音楽体験はそれよりも保育園で昼寝の時間が終わる時にかかる「Over The Rainbow」(ジュディ・ガーランドの名曲。名画『オズの魔法使い』でも使用されている)です。毎回それが流れると、悲しいような虚しいような不思議な気持ちになっていたのを覚えています。今でも聴くとその記憶が蘇ります。

 

ミュージシャンとして活躍する以前から環境音などに興味があったと聞きますが、音楽制作に取り入れるようになったきっかけなどがあれば教えてください。また、実際に、こういった音に関して、ご自身のフォーク・ミュージックにどのような形で取り入れていったのか教えてください。

 

環境音に興味を持ったきっかけは二つあって、一つは美大にいた姉の展示の手伝いをしたこと、二つ目は既存の曲に外で偶然鳴っていた音が混ざって別の音楽に変身した体験です。


私のほとんどのアルバムアートワークは、姉の馬替夏美によるものなのですが、彼女が在学中に、インスタレーションの展示をすることになり、その音楽を作って欲しいと頼まれました。

 

それまで作ってきたような曲では展示の邪魔になるということで新しい手法を探しました。先輩からシンセを借り、なるべくリズムなどを排除した曲を作ったのですが、どうしても展示に合いそうな(さり気ない)曲ができませんでした。

 

その時に姉が『サイレント・ヒル』(編注: コナミから発売されたホラー・ゲーム。当時、日本の若いユーザーの間ではブームとなり、2013年の時点で全世界で840万本を売り上げを記録した)というゲームを例に、「何か背後にいる気配のような音だよね」と説明してくれて、なるほど、”それなら曲を書こうとしちゃダメだ”と思い、ひとまず家中/家周辺の「気配」を感じる音をレコーダーに録り溜めました。

 

環境音を制作するようになったのは、集めた音を使って展示用の音楽を作ったのがきっかけの一つです。その時に、普段気にしていなかった生活音が実はズームインすると複雑な音の層になっていると気付きました。


その展示では他に音を使ったインスタレーションをしている学生も居てサウンドアートの分野に出会い衝撃を受けました。現代アートの文脈での音楽というのでしょうか? よりアカデミック/エクスペリメンタルな音楽に興味が湧き、本などたくさん読み、音楽はこんなに自由でいいのかと知ったんです。


二つ目の方は、外でイヤホンをつけて音楽を聞いていたら、偶然近くで鳴ったサイレンか何かの音が入り込んできて、曲に溶け込んできたという体験なんですが、その時に生活音をただサウンド・エフェクトとして使うのでは無く、メインの音楽の一部にできるのではないかと考え始めました。    

                                              
当時読んでいた本に、日本の水琴窟(編注: 水琴窟は、日本庭園の装飾の一。手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ)の話が載っていて、山梨の神社にそれがあると知って、実際に音を録音しに行ったんです。


実物を見つけ、中の繊細な音だけ拾ったつもりでいたのに、帰って聴くと、近くで飼育されていた鶏の鳴き声とか、人の話し声とか余計な音がいくつか混ざって、奇妙なハーモニーができていた。”優しい鉄琴のような音と鶏の鳴き声”という普通に作曲していたら思い付かない意外な組み合わせが偶然出来てしまったんです。


この時、フィールドレコーディングの面白さに改めて気付き、そこに自分も参加するようなかたちで音楽を作っていったら楽しいかもしれないと思いつきました。それが環境音を多用するようになったきっかけだと思います。

 

©Kanako Sakamoto


 

この時代、大学の研究に専心していたとも聞くんですが、音楽制作の中で化学の研究がなんらかの形で生きた瞬間などあったのでしょうか? もしあれば、それはどのようなことだったのか教えてください。


また、化学に対する興味を持つようになったきっかけのような出来事がありましたら教えていただきたいです。

 

なんらかの影響は及ぼしていると思うのですが、今はっきりと浮かんでくるものは無いですね・・・。生物学に興味を持ったきっかけは、昔から生き物が好きだったのと、高校の時に得意な教科だったからだろうと思います。

 

大学進学時には、すでに音楽作りにしか興味が無かったのですが、芸大や音大は私のような者が行くところじゃないと思って、それ以外で一番興味のあった生物学の学科を選びました。


生き物が大好きだったのは、小さい頃に一人でいる時間が多かったことが影響しているような気がしますね。外で一人で遊ぶことがよくあって、近くの野良猫とか、虫とか、とかげとか、外飼いされている犬と触れ合うのが大好きでしたね。


このアルバムには、ブルースやフォークのほか、日本の童歌の旋法や音階が取り入れられていて驚いたんですが、日本的なノスタルジアを込めようとした意図はありましたか。歌詞についても現代詩のようなニュアンスも感じとれるのですが、触発を受けたもの(漫画、映画、テレビ、文学など)ありましたら教えてください。

 

ちょうど「awa」を作り始めた頃、沖縄の宮古島の音楽とかトルコのフォーク、インドや南米の音楽を紹介している本を偶然読み、紹介されいてる音楽を片っ端から聴いてみて、それまで自分がほとんど考えていなかったルーツというものを強く意識させられました。

 

生まれてからほぼ日本で育った自分のルーツは、もちろん日本にあるのですが、日本のポップスやフォークには、なぜかほとんど愛着が湧かないまま来てしまっていたので、作っている音楽の背景に日本的な趣があるのかはよく分かりませんでした。それで、どちらかというとルーツが分かりやすい音楽を作るより、国籍がよく分からない音楽にしたいとは思っていましたね。


また、歌詞に関しては、真面目なことを書いても、後で恥ずかしくなるだけだろうと思っていたので、できるだけアブストラクトにしたいと思っていたんです。ただただ作った音楽に集中し、見えてくる景色を言葉にしていくというように歌詞を作っていました。他の色々なアーティストの歌詞をたくさん読んで、その感覚を掴もうと研究していましたね。

 

デビュー・アルバムの後に、White Paddy Mountainから2作のフルレングスのリリースを行うようになったわけですが、レーベルのオーナーである畠山地平さんからライブで直接、契約の打診があったと聞きました。当時のエピソードについて詳しく教えてください。

 

「awa」を出して一年ほど経った頃に畠山さんから「リリースイベントに出演して欲しい」とメールをいただきました。畠山さんの存在は知っていたので、ちょっとびっくりしたのを覚えています。すぐにokしてイベントで演奏しました。

 

終演後、「また今度ライブを見に行くから」と言って、実際にしばらく経った頃別のライブイベントでライブを終えて物販の席にいたら、畠山さんが来てくれました。

 

それで、「awa」のCDを手にとって、「このアルバムは、録音/ミックスがよくないかもしれないよ」と、より良い環境で作品を録音しようとご提案いただきました。上にも書いたように、当時、私は「awa」に自信を持てず、次にどうすべきか悩んでいたので、とても有り難かったです。


 

この後の三作のアルバムに関しては、少しエキゾチックなフォークミュージックに転向したというイメージもあるんですが、その集大成が『Hanazono』だったと考えています。幻想的なフォーク・ミュージックの理想的な形が完成しつつあるように思えます。この時代の三作に関して、どのようにお考えでしょうか?



前回の作品で達成できなかったことや、不満のある部分を次作で克服するということの繰り返しなのですが、それがこの後も続いていくのだと思います。


「Koko」は、雑多な「awa」からの反動で、ライブの時のようなシンプルなセットを意識した緊張感のあるアルバムにしたかったんだと思います。「Kemri」では、その現実逃避したような繊細な空気を、もう少し身近なものに近づけたかった。

 

「Hanazono」は、制作していた時点でまだレーベルが決まっていなかったので、再び「awa」に近いDIY環境に戻り、一からやり直すようなつもりで取り組みました。


 

続いて、6月21日に発売されるアルバム「境界 KYOKAI」についてお伺いします。この作品は、福岡在住のアンビエント・アーティスト、duennさんとの共作となったわけですが、このアルバムを制作するきっかけや、レコーディングがどのように行われたのかについて詳しく教えてください。

 

2021年にduennさんからお声がけいただき、duennさんとナカコー(Koji Nakamura)さんが主催しているHARDCORE AMBIENCEに参加したのが最初のきっかけでした。それからしばらくした後に、duennさんからコラボ作品を出そうとメールをいただき、このプロジェクトが始まりました。

 

レコーディングは、duennさんにトラックを送ってもらい、私が自宅で歌を加えて、duennさんに送り返し、okが出たら私がミックスするという流れを繰り返して行われました。うまく歌を入れられなかった「non」という曲は「non1」と「non2」に分けて、元のトラックのまま収録されています。また、「gray」は自分の声とギターで作ったデモをduennさんに送り、duannさんが加工して作られました。

 

©Kanako Sakamoto



 

「境界 KYOKAI」の全体的な印象としては、実験音楽の要素が強い音楽であるように感じました。また、日本人同士のコラボレーションではありながら、ロンドンのエレクトロニックやエクスペリメンタル・ポップに近い雰囲気もあったように思います。このアルバムの制作に取り組むに当たって、最初から完成したイメージというのを、お二人で共有していたのでしょうか。それとも、制作の過程を通して、だんだんと最終的な答えに近づいていった感じでしょうか?

 

作業が始まる前の段階で、duennさんの作ったトラックと私の声を使って、「俳句」あるいは「短歌」をイメージした1-2分程度の短いトラック作るというコンセプトをduennさんが提示しました。面白そうだなと思い、賛成しました。


あえて自分のボーカルを入れる意味を考えながら、duennさんの短い抽象的なトラックの中でヴォーカルによって起承転結をつけるようなつもりで進めました。


 

2年ぶりの新作アルバムのリリースとなりました。今回、イタリアのレーベルから発売されているのにかなり驚いたんですが、これはどういった経緯でリリースが決まったんでしょうか。



レーベル探しは難航していたのですが、以前duennさんの作品をリリースしていたROHS! Records にduennさんが声を掛けて下さり、リリースが決まりました。


 

デビュー当時から、何らかの形で文学性というのが織り交ぜられていた気もするんですが、「境界」では、以前よりも、言葉に対する感覚が鋭くなり、また、言葉そのものの抽象性が強まったという印象を受けます。その点について、ご自身ではどのようにお考えでしょうか。


また、この作品に関するテーマやコンセプトなどがあれば教えてください。プレスリリースでは、duennさんの生活圏内にある路上看板に書かれていた言葉がタイトルとなったと書かれていますが。


今回の作品は自分だけの作品ではないのと、コンセプトがはっきりしていたので、曲がパーソナルなものにならないように、いつもより意識しました。


歌詞は、コンセプトにある短歌のようにある場面を簡潔に描写して、そこから状況や心情を感じ取るようなものにしたかったのですが、とても難しかった。チャレンジングで勉強になりました。



テーマについては、「現実と非現実の境、あの世とこの世の境、その他設けられている境によってどんな差が生まれているのか、何の意味があるのか、そもそも人間が勝手に作ったものであり本来は曖昧で実態が無いようなものではないのか」ということをduennさんはよく考えるとメールに書いていました。そして、通勤途中にちょうど「境界」と書かれた標識があったことで強くそれを意識したのだと思います。


 

現在は作品リリースに加え、ライブも積極的に開催されている印象を受けるんですが、実際のステージで演奏を行う時に、心がけていることや大切にしていることなどありましたら教えて欲しいです。

 

ライブは苦手なんです。毎回、どうにか楽しもうと心がけています…。


 

実質的なデビューから10年以上が経過しました。当時のことを思い出した時に、何か大きく変わったなあ、ということがあれば教えてください。また、今後のライブ日程などがあれば教えてください。

 

ここに書き切れないくらい多くのことが少しずつ変わったのですが、大きな変化というとなかなか具体的に思い付かないですね。

 

そういえば、10年前ごろにあるイベントでライブした時、見に来ていた、おそらくアメリカの方と思われる中年男性から終演後に「物販でレコードはある?」と声をかけられ、「CD(「 awa」)ならあるよ」と答えたところ、「CDなんかいらないよ」と言われたのが印象的でした。当時は”なんでレコードなんだ?”と思ってしまうくらい、レコードに馴染みがなかったですが、それがその後日本でも流行り始め、およそ10年後に「Hanazono」でリリースしたというのは感慨深いですね。今後、しばらくライブの予定はないので、制作の方に集中したいと思います。

 

今後の活躍にも期待しております。今回、Music Tribuneのインタビューをお受けいただき、誠にありがとうございました。

Interview 畠山地平(Chihei Hatakeyama)

  

Chihei Hatakeyama-Courtesy of The Artist


日本のアンビエント・プロデューサー、畠山地平さんは、2000年代から多作なミュージシャンとして活躍してきました。2006年には、米国、シカゴのレーベル、Kranky Recordsと契約を結び、デビュー・アルバム『Minima Moralia』をリリースしました。グリッチとアンビエントを融合させた画期的な音楽性で、多くのエレクトロニックファンを魅了するようになりました。

 

以後、独立レーベル”White Paddy Mountain”(Shopはこちら)を主宰し、リリースを行うようになった。その後、アーティストにとってのライフワークとも称せる三国志を題材にしたアンビエント作品『Void』を中心に現在も継続的にリリースを行っています。先日には、サウンドトラックとして発表された『Life Is Climbing』をリリースし、ライブやラジオ出演など、多岐にわたる活動を行っています。

 

5月12日より公開中の「ライフ・イズ・クライミング」の映画公式サイトはこちらからご覧下さい。

 

今回、改めて、Music Tribuneのインタビューでは、デビューからおよそ17年目を迎えるに際して、アーティストの人生、音楽との出会い、アンビエント制作を開始するようになったきっかけ、自主レーベルを主宰するようになった時のエピソード、昨年のUK,USのツアーに至るまで、網羅的にお話を伺っています。そこには笑いあり、涙ありの素晴らしいアーティストの人物像を伺うことが出来るはずです。ロング・インタビューの全容を読者の皆様にご紹介いたします。

 

 

Q1.


畠山さんは、ティム・ヘッカーが所属する名門レーベル、シカゴのKranky Recordsから2006年にデビューなさっています。これは、どういった経緯でデビューすることになったのか教えて下さい。また、現地のレーベルとのやりとりなどで、苦労したことなどはありましたか?


2001年か2002年に最初のノート型のmacを購入して、DTMを始めました。それまではDTMや打ち込みはそれほど経験がなく、(少しはシーケンサーなどでは遊んでいました)ほぼ手探り状態で作曲していました。当時はトリップホップという言葉もあって、Massive AttackとかBoards of CanadaやAutechreのような曲を作っていたんですね。その当時はビートも作ってました。


それがある時、ビートがあると、どうしても小節や拍に捉われてしまうので、もっと自由に曲が作りたいなと思って、ビートを無しにして作曲を初めて見たら、すごくしっくりきたんですね。それもあって今のような静かな曲を作るスタイルに変化していきました。

 

その後、ヴァリューシカというユニットを伊達伯欣と吉岡渉と3人で始めて、(これも今でいうとアンビエントにくくれるかもしれません。)ライブ活動や楽曲制作をしてました。同時にsoloでも作曲活動は続けていて、2006年くらいにはクランキーからリリースすることになる『Milimal Moraia』も完成していました。

 

それで、当時はとにかく海外からリリースしたいという気持ちが強かったので、いくつかのレーベルにdemoのCDRを送りました。その結果、クランキー(Kranky Records: シカゴに本拠を置くレーベル。クラブ・ミュージックからポスト・ロックまで幅広いカタログを有する)から返事があって、「ぜひリリースしましょう」とそういう流れだったんですね。

 

正直、英語は現在でもあまり得意ではないのですが、そのクランキーにdemoを送る時は、英語のすごくできる友人に協力してもらって、それは今考えると凄くありがたかったです。その友人もすぐに海外に引っ越してしまったので、運も良かったですね。


Q2.


アンビエント/ドローンというジャンルは、日本ではそれほど一般的なジャンルではないわけですが、このジャンルに興味をお持ちになったきっかけについて教えて下さい。

 

1997年に大学に入学して東京の大学に通うようになるのですが、当時はとにかく音楽バブルというか、下北沢のレコファンとかディスクユニオンとか、渋谷とか、新宿のレコ屋に今じゃ考えられないくらい人が沢山いて、自分もバイト代が入るとすぐCDとかレコードに突っ込んでしまうので、本当に金がなかったですね。借金してまでCDとかレコードとか買ってましたから。。。

 

それが今じゃ980円でネットで聞きたい放題ですからね。信じられません!! 話が外れてしまいましたが、それで色々と漁っているうちにジャーマンロック、CAN 、NEU!とかに出会って「これだ!」と思って、すぐに似たようなバンドを結成しました。

 

これは、OUI というバンド名で、NEU!にかなり影響受けてます。まあでも若かったので色々あって、中心メンバーだったはずの自分が抜けて、その後もOUI 自体は活動を続けていたようです。

 

しかし、こういう若い時のバンド活動のせいで、かなり人間不信に陥りました・・・。その前のバンドは新興宗教にハマるメンバーもいて、気付いたら自分だけが信者じゃなかったとか・・・、とにかく今考えるとバンド運なかったのか、性格が向いてなかったのか。。それで、当時も今なんですが、自分ではアンビエント/ドローンというジャンルではなくて、Rockの一形態としてアンビエント/ドローンというものを捉えていて、少しはRockミュージックでありたいとは自分では思っているのですが、リスナーがどう捉えてもそれは自由です。

 

アンビエント/ドローンに興味を持ったキッカケですが、90年は誰もアンビエントとは呼んでなくて、「チルアウト」と呼んでいたような気がします。もちろんアンビエントという言葉や、環境音楽という言葉については知っていたのですが、その当時はちょっと80年代はダサい雰囲気だったんです。
 

90年代の末に大学在学中に色々とアルバイトをしてたのですが、その一つに新大久保の”コンシャス・ドリームス”という凄く怪しいお香とか、何を売ってるんだがよくわからない店がありました。そこでは他のアルバイトのメンバーもほとんどみんな音楽をやっていて、インディーロックからラッパーまで色々いました。

 

そのお店の店長がトランス系のDJをやってたんですが、チルアウトのDJもやっていて店では90年代チルアウトを流していたんです。テクノの流れのサイケデリックなジャケットのものですね。それで、チルアウトもいいなぁということになって、よくイベントなど行くようになりました。

 

当時はまだ細野晴臣さんもアンビエントやってたのかどうか、定かではないのですが、細野晴臣さん絡みのイベントでMixmaster MorrisがDJをするイベントに遊びに行きました。そしたら凄い人が来ていて、音楽も素晴らしいし、感激しました。それがアンビエントとの最初の出会いかもしれませんね。

 

その後色々あったと思うのですが、最初にラップトップを買ったあたりで下北沢にONSA(編注: 2011年に実店舗は閉店したものの、現在はwebで営業中のようです)というレコード屋がオープンして、この店のセレクションがとても素晴らしくて、多分シスコで働いていたバイヤーの人が始めた店だと思うのですが、その店はエレクトロニカ、今で言うとアンビエントものが多くて、それでアンビエントの方に一気に流れた感じです。当時はフェネスとJim O’Rourkeが私のアイドルでした。そのお店で結局色々と買っているうちに、自分はビートのない静かな音楽が好きなんだなということに気付いて、どんどんハマって行ったという流れですね。


Q3.


また、高校時代にはメタリカ、スレイヤーなどスラッシュ・メタルに親しんでいたとのことですが、バンド時代のエピソードなどがあれば教えて下さい!!

 

中学生の時はサッカー部で、部活が終わるとテレビゲーム三昧でした。ドラクエ、三国志、信長の野望、ストリートファイターと、部活の休みの月曜日はゲームセンターとテレビゲーム黄金時代で、サッカーとテレビゲームの日々だったため、音楽はほとんど興味なくて、それでもテスト勉強用のBGMに何か聞きたいなぁ・・・と。

 

当時はBzとかZARDの全盛期だったんですが、音楽の明るさに全くついていけなくて、そんな時に小田和正のドラマの曲「ラブストーリーは突然に」を聞いて、「これだ!」と思って、それで小田和正のバンドのオフコースにハマってしまって、中学三年間はオフコースしか聞きませんでした。

 

今考えると、小田和正は70年代当時ライブでシンセに囲まれて歌っていて、プロフェットとか、ムーグとか、凄い良いシンセを使ってるんですね、楽曲も割と静かですし、その自分の原体験が現在のアンビエントに通じるものがあるのかもしれません。

 

それで高校に入学した時はサッカー部に最初入ろうと思ったのですが、どうも練習のレベルが中学生の時のレベルではないなぁ・・・と。かなりみんな本気で取り組んでましたので、二の足を踏んでしまって。。でも、これが運命の分かれ道だった。そんな時、クラスメートに「バンドやるから一緒にやらない?」って誘われて、ギターも持ってないし、どうしようと思ったんですが、特に他にやることも無いしと、バンドを始めました。最初は全くの消極的な理由なんです。


最初の1年間は他のメンバーの言うことを聞いて、BOØWYとかブルーハーツとかをコピーしてました。実はそんなに思い入れがなかったんですが…。でも、その軽音楽同好会に一人めちゃくちゃ凄い先輩がいて、その人はその後、山嵐(日本の伝説的なミクスチャーロックバンド。詳細はこちらより)というミクスチャーバンドでデビューして、中心メンバーとして今も活動してます。

 

その人は、洋楽に凄く詳しかったので、その影響で、メタリカとかのスラッシュ・メタルを聴くようになったんです。ギターの方は、ラーメン屋で半年くらいバイトして、なんとかお金をためて、今でも使ってるフライングVを10万円くらいで購入しました。そこのギター屋のマスターがレッド・ツェッペリンが大好きで、コピーバンドをやっていて。太ったジミー・ペイジのようなルックスのおじさんで面白かったんですが、その人の進めるままにフライングVを買ってしまったんです。が、これが大失敗だった..。なぜならフライングVは座って練習できないんです。

 

なので、2本持ってる人とかは、座って別のギターで練習して、ライブとか練習で、フライングVを弾けば良かったんですが、自分の場合はフライングVしかなかったので、ずっと立って練習していました..。でも、高校生の2年生の夏休みだけ、バイトもやめて、ひたすら朝起きで夜まで立って早弾きの練習をしていたら、それなりに弾けるようになったんです。今、考えると凄い。それでバンドメンバーに「もう邦楽はやめて、スラッシュ・メタルをやろう」と提案して、スラッシュ・メタルを演奏するようになりました。バンドメンバー全員で、パンテラのライブに行けたのが、最高の思い出です。会場は幕張メッセだったんですが、ギターとドラムの音がやたら大きくて、ヴォーカルの声がぜんぜん聞こえない。それでも会場は沸騰したヤカンみたいになっていて、音のバランスなんでどうでもいいんだと変なことを学んでしまいました。。


Q4.


以前、他のインタビューでエリック・サティについて言及しているのを読んだ記憶があるんですが、特にアンビエントに関して、影響を受けたアーティストを教えて下さい。ジャンルは電子音楽ではなくても構いません。また、そのミュージシャンのどういった点に触発されたり、影響を受けたのかについてもお伺いしたいです。

 

クリスティアン・フェネスやジム・オルークにも影響を受けたんですが、今回はブライアン ・イーノからの影響を考えてみます。

 

2010年前後から、アンビエント/ドローンというジャンルを意識するようになりました。それまでは、先ほど申し上げたようにあえて、Rockミュージックの一形態、もしくはエレクトロニカ、ポストロックの一形態ということで、自分の音楽を捉えていたのですが、2000年代後半くらいから、アンビエントやドローンというキーワードが浮上してきたように思います。

 

それまではあえてブライアン ・イーノを聴くことを避けて来ました、それはあまり有名すぎて、強烈なので、真似してしまうんじゃないかと不安だったからです。それでもちゃんと一回向き合おうと思って、ほとんど全作品を一度に購入して、聞きました。

 

その結果、一番好きなアルバムは『アポロ』ということが分かりました。その作品からの1番の影響はストーリー性かもしれません。アルバム1枚の流れの美しさというか、アンビエントでも曲調が豊富で、楽器の数も多い。アンビエント・シリーズ(編注: ブライアン・イーノとハロルド・バットとの共作のこと)だとミニマルなものが多かったので、とても斬新でした。あと、シンセの使い方ですね。音色の使い方から、レイヤーの方法など、具体的なこともブライアンから研究しました。そのあたりの影響が自分の作品では『Forgotten Hill』に出ていると思います。




Q5.


畠山地平さんは非常に多作な作曲家だと思っています。2006年からほとんど大きなブランクもなく、作品をリリースしつづけています。これはほとんど驚異的なことのようにも思えます。畠山地平さんにとってクリエイティビティの源はどこにあるんでしょうか?

 

これまた中学生の時のエピソードに戻ってしまって申し訳ないのですが、その当時テレビ番組で、関口宏の『知ってるつもり』(日本テレビ系列で1989年から2002年まで放映されていた教養番組。関口宏がホスト役を務めた)というものがありまして、好きで、よく見ていたんです。ある回で、種田山頭火のことが取り上げられたんです。それで、種田山頭火(大正、昭和初期の俳人。季語や5・7・5の定型句を無視した前衛的な作風で知られる)の芸術に対する生き方というのものに衝撃を受けて、「これだ!」と思ったんですね。それで自分も旅をしながら詩を書いて生きようと思ったんですが。。言葉が出てこない。。でも、そういう生き方もあるんだなと勉強になりました。それでもミュージシャンなら、ツアーしながら、生活もできるので、似たようなポジションかなと思って..今も続けてるという面もありますが。。


また、別の側面から行くと、とにかく曲を作るのが楽しいというのが一番最初にあります。特に自分の場合はインプロヴィゼーションで、ガーと一気に録音するんですが、その時が一番楽しい。

 

ポストプロダクションやミックスは最近飽きてしまってる面もあるというか、少し辛くもあるんです。でも作曲の最初の段階、インプロヴィーションの段階は自由ですから、今日はどんな曲が出来てくるのかなと自分でもワクワクするっていうか、そういう面もあります。常にスタジオでギターを持って、音を出せば未知のものが出てくるので、そりゃ楽しいよなと、そういう感じなんです。

 

で、最初の話に繋げると、その日の気分で、詩を書くように音楽をやっているそういう感じなんですね。


Q6.


畠山さんは東京と藤沢にルーツを持つようです。幼少期はどういった人物でしたか? また以後、長く音楽に親しむようになった思い出がありましたら教えて下さい。

 

小学生の時は外で遊ぶのが大好きでした、ほとんど野外ですね。藤沢でも六会日大前という駅名なのですが、日大がありまして、それが農業系の学部があったんです。その関係で、ほとんどが日大の土地なんですが、未開の森とかも残されていて、本当に面白かったです。

 

森への冒険は人が誰もいないので、もちろん入ったら、大人に怒られるんです。なので、友達を誘っても一緒に来てくれなかった。なので、一人で森の奥まで冒険に行ってました。。今考えると恐ろしく危険でした。手付かずの川も流れてるし、かなりヤバイです。あと線路の上で遊びたくなっちゃって、線路の上で遊んでいたら、警察官に補導されたんです。今考えると尋常じゃなかった。

 

あとは日大の土地に秘密基地を作っていたんですが、小学生も高学年になると物凄い高度な基地になってしまい、家具とかもゴミの日に全部拾ってきて、家みたいになっちゃって。そういう基地を2個か3個作ったんですね。友人というか手の器用なやつを集めて。。

 

そしたら、だんだん噂になって来て、その基地の奪い合いの喧嘩騒動に発展してしまったり。後は最初は基地は木を利用して作っていたんですが、目立つので、地下に作ろうと思って、物凄く大きな穴を掘って基地を作ったんです。それが何故か大人に見つかって、泣く泣く埋め戻しました。

 

幼少期はほとんど音楽に触れる機会はなくて、楽器を始めたのは、高校生になってからでした。ですが、現在に繋がるという視点で行くと物作りと一緒なんです。創造的なエネルギーというか、とにかく基地を作るということに全力投球でしたね。




Q7. 

 

昨年のUSツアーに関してご質問致します。3月、4月に、シアトル、ニューヨーク、クリーブランド、デンバー、ポートランド、また、一度帰国してから、5月に、ロサンゼルス、シカゴ、ミネアポリスでツアーを開催なさっています。


ほとんど全米ツアーに近い大規模なライブスケジュールを組まれたわけですが、これはどういった経緯でツアーが実現したのでしょう? USツアー時、特に印象深かった土地や出来事等はありましたか? また、畠山さんの音楽に対する現地のファンの反応はいかがだったでしょう?

 

 

2019年頃に今のツアーマネジャーと契約して、彼はアメリカ人なのですが、本当は2020年にUSツアーや、ヨーロッパツアーをするつもりだったんですが、コロナのパンデミックで全てキャンセルになりました。それで、改めて去年アメリカツアーを開催すること出来ました。

 

アメリカで”Ambient Church(アンビエント・チャーチ)”という教会でアンビエントのライブをするイベントがあるのですが、それがメインでした。ニューヨークでは、1000人くらい入る教会だったような気がします。現地のファンは静かに聞いてくれます。それが1番有難かったです。やはり静かな音楽なので..、反応とかは分からないんです。

 

ただアメリカは物販は物凄く動くので、お金の使い方は派手です。初回のコンサートの本番前に日本から持っていたレコードが売り切れて、驚きました。CDは手元に残りましたが..。それで、現地のディストリュビューターやレーベルに協力してもらい、急遽レコードを掻き集めて、ライブ会場に直接送ったりしてなんとかしました。

 

初めて海外旅行に行った街がニューヨークだったので、それが一番感慨深かったというか、24年振りだったので、全部の印象が変わっていたという感じでした。。でも、いつかこの街でライブをしたいな、とその当時思ったので、その夢が叶うのに24年もかかりました。でも、24年待った甲斐があったというか、凄く複雑な感情でした、時が逆再生されているような感覚というか。。またロサンゼルスは初めて行ったのですが、気候も凄くいいし、今にも折れそうな椰子の木が街中に植えてあって、景観も最高でした。




Q8.


続きまして、先日のイギリスツアーに関してご質問します。ロンドンなど、現地の観客の畠山さんの音楽に対する反応は、昨年のアメリカ・ツアーと比べていかがでしたか? またライブ開催時に現地のファンとの交流において印象深かった出来事などありましたら教えて下さい。

 

イギリスの観客も静かに熱心に聞いてくれるので、とても有難いです。今回の会場は多分400人くらいの規模だったと思うのですが、ステージも含めて、電気の関係なのか、暖房設備がなくて、とても寒かったです。そのため、仕方なくコートを着てライブをしました。60分の演奏予定だったのですが、実際は75分くらい演奏してしまって..。スタートの時間を勘違いしていたんです。自分でもなんか長いかな、と思ってたんですが…。最近、このパターンが多いんです。物販はアメリカに比べるとそこまで動かないです。イギリスとアメリカでここまで違うのかと、かなり興味深いですね。




Q9.


また、イギリスのツアーの際、物価の高騰に関して、ツイッターでつぶやかれていました。これに関して日本とイギリスの生活スタイルの相違など驚いたことがありましたら教えて下さい。

 

元々、失われた20年のなかで日本だけが、デフレ傾向だったところに円安が加わってどうにも信じられないくらい物価高いというイメージです。

 

基本的には、ラーメン一杯3000円くらいで、チップとかまともに払ったら、もっと行くでしょう。世話になった人に気軽にラーメンを奢って、ビールを一杯飲んだだけなのですが、あとでクレジットカードの明細見たら一万円超えになっていたので、これではマトモに機能しないな、と。

 

また、アメリカで泊めてくれた友人に家賃を聞いたら「6000ドルだ」と言ってまして…、日本円にしたら80万くらいですか…。でも、その人も夫婦共働きで暮らしていて、給料もお互い6000ドルくらいな感じのことを言ってましたが…。イギリスのツアーは結局、自分も派手に飲んだり食べたり、遊んでしまったので、大分赤字でした。ギャラは結構好条件だったんですが…。


でも、もうツアー行ったら思いっきり楽しんじゃった方がいいかなと、人生も半分終わってしまったので、ギリギリツアーは、肉体的にも精神的にも辛い。若い頃はそれでオーケーだと思うんですが、機材も重いし、ダニに噛まれながら、ボロボロのゲストハウスで、出稼ぎの人の騒ぎ声で夜も眠れないツアーはかなり厳しいです。それも今では良い思い出となっているんですが…。



Q10.


よく知人などから、外国にいくと、日本食が恋しくなるという話を聞くんですが、その点、いかがでしたか?

 

そうですね、自分の場合はラーメンも含めて中華料理が恋しくなってしまうんです。チャーハンとか焼きそばとか、でも中華料理は今のところどこの国も大体クオリティが良くて安い。なので、結構良さそうな中華料理屋を探します。あとは毎回外食だとこれまた金が持たないので、カップラーメンとかツアーに持って行くといいです。ペヤングを向こうのホテルで食べると半分は懐くしくて感動しますが、半分は虚しさも残ります。その複雑な感情がなんともいいんですね。

 

シカゴで暇だった日にカップラーメンを探す散歩に出かけたのですが、なかなか美味しそうなものが見つからなくて、それで半日くらい費やしましたが、贅沢な時間だったなと、日本にいたら仕事に追われて、半日も無駄に出来ませんから。

 

日本食という寿司かなとも思うんですが、寿司は高級なので、食べれませんね。。イギリスでは''wasabi''という日本食のファストフードみたいな店があって、そこの寿司巻物は何回か食べました。



Q11.


以前からプレミアリーグのファンであると伺っています。いつくらいからプレミアに興味を持つようになったんでしょうか? またお気に入りのチーム、選手、またフットボールなどについて教えてください。

 

プレミアリーグだけでなく、ラ・リーガやセリエA、CLもチェックしています。現在はかなりのサッカーフリークになってしまっていて….プレミアリーグはアーセナルのファンです。2003-04の無敗優勝の前のシーズンから少しずつ観るようになって、当時のアーセナルのサッカーは美ししすぎて、本当に衝撃でした。。以来、アーセナルを追ってます。セリエAではインテルが好きなんですが。。

 

こちらは元会長のモラッティさんのファンという形で今も試合を追ってますね。アーセナルはでも無敗優勝以来優勝できてなくて、プレミアにはモウリーニョから始まって、ペップ、クロップなど、どんどん素晴らしい監督が集まってきて、それでもヴェンゲルさんのサッカーは最後までブレずに見ていて楽しい試合が多かったです。勝ち負けはともかく。。激動は18-19シーズンのエメリ監督就任からですかね。。全然勝てないし、サッカーも面白くないと、まずいまずいと思ってるうちに、どんどん不味くなっていて。。こっちの気分も最悪に落ち込みました。

 

ヴェンゲルさんの時はそれでもサッカーが面白かったんで。。それでアルテタ監督がやってきたのですが、21-22シーズンからやっと少し上昇気流で、今シーズンも大半の時期は首位だったんですが、最後にシティに抜かれて。またこれかと、アーセナルを応援しているとどうしてもネガティブな予想をしてしまうんですが、ぬか喜びしないために・・・。

 

今シーズンもまさにその展開でした。でも昨シーズンは5位だったわけで今シーズンは2位ですから、そんなにうまく行くはずないとは思いながらも来シーズンは優勝の期待大と思いたいです。

 

サッカーと音楽の共通点があるとすれば、感覚とロジックの鬩ぎ合いだと思っています。どちらも音楽理論や戦術など、ロジックな要素をベースにしつつも、最後は感覚の問題なんですね。瞬間に何が出来るか、時の流れの早さが変わります。その時の流れが通常の速さからゆっくりした流れに変わった瞬間をどう捉えるのか。サッカーをプレイするのと、楽器を演奏するのは共通点が多い気がします。なので、サッカーを観ながら、いつも音楽の作曲の参考にしてます。

 

その観点から行くとペップ・グアルディオラには本当に感銘を受けます。この10年間くらいのサッカーの戦術の流行の源流は間違いなく彼が作っていますから、日本を含め世界中で真似されています。それでも今シーズンも偽センターバックなど、新しい戦術を開発してしまって脱帽です。




Q12.


畠山さんのリリースの中で連作『Void』があります。この作品はある意味、ご自身のライフワークのような作品に位置づけられるように思えます。この作品を制作を思い立ったきっかけなどについて教えて下さい。また、この連作は現在「ⅩⅩⅤ」まで続いていますが、どれくらいまで続けるか想定していますか?

 

 
『Void』シリーズは最初はBandcampを始めるあたって、ライブの録音や未発表曲を纏めたものをリリースしていました。当初からデジタル・オンリーという位置づけでした。フィジカルを想定したものだと、こちらもかなり力が入ってしまうため、そうではないものが、いい意味で力の抜けたものがあってもいいかな、と。それと作り手の私の主観で素晴らしいと思ってもリスナーにとってはそうでもないというケースや逆のケースもあることに、このシリーズで気付きました。

 

そうやって何作品かリリースしているうちに、このシリーズの人気が出てきて、だんだんと新作の発表の場に変化していき、『Void 22』は勢い余ってCDでもリリースしてしまいました。。『23』からはまたデジタルに戻る予定ですが..。ちょっとブレてしまった。。今も『26』を準備しているところです。30くらいまで続けたいなと思ってるんですが、最近はペースが落ちていますね。。



Q13.


2010年からご自身のレーベル”White Paddy Mountain”を主宰なさっています。このレーベルを立ち上げた理由をお聞かせ下さい。さらに、どういったコンセプトを持ってレーベル運営をなさっているんでしょうか? またオススメのアーティストがいましたら教えて下さい

 

2010年くらいまでは会社員だったんです。実に自由な会社で、働き手にとっては素晴らしい会社でした。

 

給料は安かったんですが…、創作活動と並行して会社員を続けることが出来たんです。でもだんだん在籍していても、何の成果もないので、だんだんと場所が窓際に近づいて行くのを感じてました。。

 

業務としては社長の個人的な音楽レーベルのスタッフという位置付けで、社長の決めたリリースの営業やら広報を担当するという内容でした。入社した時から若干怪しいなと思ったんですが、社長のリリースする作品が全然売れないんです。

 

その当時はまだCDの全盛期で、他のCDは結構売れてました。それで、社長も他の業種に目がいったのか、遂に映画製作などにも手を出してしまい、自分はその映画の広告担当になったんです。でも映画の広告なんて経験もないしうまく行くはずもなく、壮大にコケました。あの一年は本当に全員狂った季節でした。会社として大金を投資したので、公開2日目に映画館に視察に行ったらお客さんが一人(!!)という始末でした。あの時の気持ちは生涯忘れられません。情けなさと怒りと、とにかく感情が渦巻いていました。

 

新宿の空に真っ黒な雲が垂れ下がっていて、歌舞伎町の風が冷たかったです。切腹ものでしたね。。そんな感じで最後は責任取らされるじゃないですけど、社長も冷たい塩対応になってしまって…。その時30代の半ばぐらいだったかな。。このままじゃまずいぞと思って、独立して自分レーベルやってみようと、そんな感じで始めました。しかし最初の一年は大赤字で貯金が全部吹っ飛びました。気持ちいいくらいに。


シュゲイザーやインディーロックなどをリリースしつつ、アンビエントもリリースするというスタンスでスタートしたのですが、シュゲイザーやインディーロックはそこそこ売れたんですが、アンビエントやエクスペリメンタルが全然うれなくて、回ってないと実感していたんですが..、最後は野外イベントで壮大に大金を飲み代に使って、持ち金をゼロにして、背水の陣で反転攻勢に転じました。

 

そこからはう少しはまく回り始めたんですよね。まあ、とにかくその当時はレーベル業務に全力投入という感じで、プチビジネスマンでした。新人発掘も大変でした。良いアーティストの噂を聞いてはライブハウスに見にいって声かけたりと、凄いエネルギーでした。そんな時、satomimagaeさんに出会って、この子は本物だと思い、素晴らしい未来が見えました。satomimagaeさんはWPMに2本の作品を残してくれて、今はアメリカのRVNG所属のアーティストになっています。

 

satomimagae、Shelling、family Basikなどがオススメです。アンビエント系は自分がセレクトしたので、良いはずです。。そうしてるうちに、パンデミックがやってきて、少しレーベルを休んでいたら、自分のスタンスも変わってきて、今は自分の作品を出しているだけという状態になってます。しかしパンデミックも終わったので、またリリース活動を再開したいとは思ってますね。


Q14.


もちろん、畠山地平さんの作品は必ずしもアンビエント/ドローンだけでは一括出来ないように思います。ジャズに関してもお詳しいと聞きます。しかし、2007年からこのジャンルにこだわりを持ってきたのは理由があるのでしょうか? また、電子音楽やアンビエントを作っていて良かったと思うような瞬間があったら教えて下さい。
 

自分の中ではこだわりを持ってきたというよりは時の流れが早すぎて、自分の聞きたい音楽を作っていたら時間が経過していた、みたいな気持ちなんですね。この電子音楽やアンビエントというのも自由なジャンルなんで、アイデアは次から次へと出てくると、そういう感じなんです。

 

一つ父親からの忠告かアドヴァイスか、分からないですが、『芸術家は山師と同じだ、一度そこ場所を掘ると決めたら、宝が出てくるまで掘り続けなければならない』そういう事を言われまして、とにかく一度アンビエントを始めた以上最後まで掘り続けようという気持ちでここまで来ました。

 

ただ2008年〜2011年の間には「Luis Nanook」という歌物のユニットで活動しておりまして、私は作曲とかミックス、ギターなどをやって、もう一人ヴォーカル、作曲、ギター担当の二人で活動していました。

 

でも!レーベルからCDをリリースするようになったら、そのヴォーカルが変わってしまって、凄い良い性格の人だったんですが、多分売れないといけないというプレッシャーが強すぎたんでしょう。1枚目はアンビエントだったんですが、2枚目でビートルズみたいな曲を作ってきたので、ビックリしました。色々あって活動停止しました。そういう経験もあって、ブレずに電子音楽やアンビエントを続けようと思った。それでも今はまた、静かな歌物を作りたい気持ちはあります。

 

電子音楽やアンビエントを作っていて良かったのはファンレターで、「すごく寝れるようになった」というメールが多いんです。そういう時は本当に人の役に立ったなと。自分も不眠症で寝れない辛さは本当によく分かりますから。



Q15.

 
畠山さんは、ギター、エフェクター、録音機材など、かなり多数の機材をお持ちのようですね。例えば、同じようなギターを主体にしたアンビエントのプロデューサーにはクリスティアン・フェネスなどがいますが、正直、畠山さんのサウンドは他にないような独特なものであるように感じます。ギターや作品のサウンドの作り込みに関して、独自のこだわりがありましたら教えて下さい。また、実際の音源制作に際して、試行錯誤する点などがありましたら教えて下さい。

 
 

機材は好きで集めてるうちにだんだんと自然に溜まってきたという感じです。作曲というか楽曲制作のこだわりは、常にスタジオで、電源を入れたら音が出るような状態をキープする事ですね。思いついた時にすぐに音を出せるのが一番いいです。

 

また、作曲をする時間帯ですね。朝は夜が明けるまでの4時から7時くらい、夕方も4時から8時くらいまで、この昼と夜の変化する時間帯、つまり、この時間に作曲された曲がいいのが多いです。この時間帯に創作意欲が湧くんです。サッカーは夜遅くとか不便な時間に行われるので、自分も全く不規則な生活になってしまって、それでも、朝の4時から7時というのは、そんなに出来ないです。ごくたまに朝方になる時があって、そういう時はその時間帯がいいですね。

 

ほとんどの曲はボツになって永遠に日の目を見ないと思うのですが、良い曲に関しては共通項があって、ほとんどその曲にまつわる記憶がないというのがあります。どういった状況で作ったのか、どうしてそのアイデアに行き着いたのか等、そういう曲についても本来覚えているはずの情報や記憶が全くない曲が、たまに紛れてしまっているんです。そういう曲はすごく良かったりします。



Q16.



デビュー作『Milimal Moraia』のリリースからおよそ17年が経ちました。あらためてご自身のキャリアを最初期を振り返ってみて、2006年と2023年、ご自身の制作に関して、あるいは、ミュージシャンとしての心境の変化はありましたか?

 

2006年当時は右も左も分からずにガムシャラに暗闇に突っ込んでる感覚でしたが、最近は一応道が分かりつつ、懐中電灯を持って歩いているくらいの感覚でしょうか。それでも少し先しか見えないです。相変わらず暗闇の中を歩いている感じはある。今後はこれまでのアンビエントのベースを活かしつつ、コラボレーションなどを通じて、音楽の幅を広げたいという心境になりました。



最後の質問です。




Q17.



まだイギリスツアーから帰国したばかりですが、今後の新作のリリース、公演の予定などがありましたら、可能な限りで構いませんので教えて下さい。

 

5/12からサウンドトラックを手掛けた映画『ライフ・イズ・クライミング!』が公開されています。CDも発売されました。また今年の11月にはポーランドでフェスに出演しますので、そのタイミングで小規模なツアーが出来ればと思っております。


インタビューにお答えいただき、本当にありがとうございました。



Clara Engel ©Tanja-Tiziana



今回、Music Tribuneで初めて紹介するカナダ/トロントを拠点に活動する気鋭の若手ミュージシャン、クララ・エンゲルは、インディペンデント・ミュージシャンとして、オリジナリティあふれる作風で知られています。

 

今回、Music Tribuneで最初にご紹介するカナダ/トロントの気鋭のミュージシャン、Clara Engel(クララ・エンゲル)は、インディペンデントの音楽家であり、独創性の高い作風で知られています。特に、前作アルバムの曲の中の歌詞に強く心を動かされ、さらにこのミュージシャンの音楽を聞いた時、この世に存在するどの音楽にも似ていないと考えたため、そのインスピレーションの源泉をぜひとも知りたいと思い、この度、ミュージシャンにインタビューを申し込んだところ、無事に回答を得ることができました。
 
 
クララ・エンゲルは、これまで主流のサブスクリプションではなく、Bandcampを中心に作品のリリースを行っており、ダークではありながら芸術性の高い詩的な音楽を多数制作しています。そして、エンゲルは音楽家であると同時に、ビジュアルアーティストとしても活躍しています。


そして、先にも述べたように、エンゲルの芸術形式は、既存の価値観や概念に縛られるものではなく、音楽や芸術自体を既存の狭い価値観から開放するものである。そして実際に、エンゲルの音楽は、独創性の高い表現形態によって支えられていますが、これは直接的な触発を受けて制作されたものではないそうで、他にはないオリジナルを求めて制作を重ねていった結果が、イントゥルメンタルとボーカル曲を中心とした前作のアルバム『Their Invisible Hands』、ボーカル曲を中心とした6月16日に発売予定の『Sungrinaria』に現れることになったのです。
 
 
また、エンゲルの既存の作品は、ミュージシャンの出身地であるカナダの公共放送CBCや、英国の公共放送BBCで複数回オンエアされており、カナダ国外でも評価を受けています。どのようにして、クララ・エンゲルの音楽や歌、詩情が生み出されるのか・・・。前回のインタビューと同様、以下にそのエピソードを読者の皆様にご紹介致します。

 

今回も日本語訳と合わせてアーティストによる原文も掲載致します。クララ・エンゲルのこれまでの作品はBandcampから視聴できます。 

 


 

 
  
 
 

Music Tribune presents "10 Questions For Clara Engel"

 
 
 
 1. 先ず始めにお伺いします。ソロアーティストとして音楽活動を開始したのはいつ頃ですか? 音楽活動のきっかけとなった出来事があればお聞かせください。

 
 
 
子供の頃は詩を書いたり絵を描いたりしていましたが、11歳か12歳の時にギターを手にしました。それからすぐに曲を書き始めたのですが、正直なところ、何がきっかけになったのかわかりません。自然な流れでした。私はいつも何かを作ってきました。それは、私の世界での存在の仕方であり、私がやらなければならないことのように感じています。


 
 
2.あなたの音楽は、実験的なフォークミュージックとして位置づけられているようです。あなたが最も影響を受けた音楽家は誰でしょうか?また、彼らの音楽はどのような形であなたの音楽に反映されているのでしょうか?
 
 


正直なことを言えば、影響を受けたという質問に関して、どう答えていいかわからなくなりました。

 

今、現在、私は自分の音楽とは似ても似つかないような音楽をたくさん聴いていますが、それが本当に私の支えになっていますね。他の人と同じ音を出そうとして失敗し、最終的に自分の声を作り上げたのは、まだ駆け出しの頃でした。最近は、Getatchew Mekuria、Emahoy Tsege Mariam Gebru、Lisa O'Neill、BronskiBeat、Sangre De Muerdagoのアルバムをよく聴いていますね。聴くもの全てから影響を受けていると思いますが、それを模倣したり再現したりするという意味ではありません。
 
 


3. 最新アルバム『Sanguinaria』が6月16日に発売されます。このアルバムはいつ、どのようにレコーディングされたのでしょう? また、作品のコンセプトやテーマのようなものがあれば、教えてください。
 
 
『Sanguinaria』は、2022年の夏から秋にかけて、ほとんど自宅でレコーディングしました。私はレコーディング・エンジニアとしての正式なトレーニングを受けておらず、パンデミックの最中に自宅でレコーディングの方法を学び始めました。春の儚い花、ブラッドルートのラテン語名 "Sanguinaria Canadensis" にちなんで、この名前をつけました。家の近くで花が咲いている頃に、この曲を書き始めたんです。

 


 
4. 昨年のアルバム『Their Invisible Hands』から1年ぶりの新作となります。前作の実験的なアプローチに比べ、より親しみやすい楽曲が多いように感じます。新作を制作する上で、何か心境の変化があったのでしょうか?




前作との大きな違いは、『Sanguinaria』にはインストゥルメンタルがないことでしょう。ただ、特に私の歌詞は基本的に詩であり、詩が親しみやすい芸術形態であると言われることはほとんどありません。私のインストゥルメンタルは、一般的にとてもメロディアスで分かりやすいものです。私の言葉を使った音楽は、もしかすると、言葉が苦手な人や、言葉と音楽が別世界に存在すると考える人には、少しとっつきにくいかなと思います。このアルバムは特に、詩のチャップブックのような感じですが、3Dです。音楽は3次元なのです。

 

 



5. 最新作『Sanguinaria』では、これまでの作品と同様に珍しい楽器が使われているようですね。ギター/ピアノのほか、タルハルパ、グドク、ラップスチール、メロディカなどを演奏されています。民族楽器であるグドックは、かなりレアな存在です。こうした民族楽器を楽曲に使用する狙いは何でしょうか?

 


 

パンデミックが始まった頃、様々な民族楽器についての本を読み始めました。弓を使った楽器の訓練はしていませんが、以前から興味があったんです。チェロやビオラは経済的に無理だろうし、学習曲線もかなり急であると思う。私が演奏する民族楽器(タルハルパとグドック)は、手作りで美しく作られていて、その音色はとても生々しく、声のようなものがあり、私の歌を上手く引き立ててくれています。ラップスチールは、友人のLys GuillornとBrad Deschampsがオーバーダビングしてくれたので、ラップスチールの音が聞こえたら、それは彼らの仲間です!

 



 

6. 最新作のヴォーカルは、繊細で柔らかい印象を受けます。ヴォーカリストとしてどのような影響を受けているのでしょうか?


 

 

全曲でリボンマイクを使っているので、ヴォーカルはよりダークで "鮮明 "ではないサウンドの感触になっています。ダイナミクスという点では、かなりばらつきがありますが、全体的には、大音量のロックンロールというよりは、会話や室内楽のようなボリューム感のある曲になっていますね。
 
またー意識して大きな声で歌おうとか、小さな声で歌おうとか決めたことはありませんし、曲の中に入り込んで、それを精一杯伝えようということです。
 
また、アマリア・ロドリゲス、スキップ・ジェームス、ペギー・リー、アノーニ、ブラインド・ウィリー・ジョンソン、ジリアン・ウェルチ、ビリー・ホリデイなど、私に深い影響を与えた歌手の数々から、私は無意識にいろいろなことを吸収してきたんだと思います。私は、一般的に言って、あからさまなダイナミクスよりも、微妙なダイナミクスの方が面白いと思うようになりました。




 
7. あなたの音楽は、イタリアのCBCやBBC、ナショナルラジオなどの主要メディアで紹介されているようです。これらのメディアで紹介された音楽について、詳しく教えてください。


 

私がカバーしたイディッシュ語の名曲「Mayn Rue Plats」が、少し前にCBCで放送されました。この曲は、昨年秋にリリースした『Undergrowth』というEPに収録されています。何年か前からBBCでも放送されるようになった。



最初はVox Humana(UK)というレーベルのおかげだったと思う。その後、BBCは私のアルバム『Where A City Once Drowned』からのセレクションを放送してくれました。イタリア国営放送では、何年も前に私のアルバム『Tender』をリリースしたBackwards(IT)というレーベルのおかげです。



 

メジャーなラジオ局での放送はとてもありがたいのですが(インディーズアーティストとして、その機会を得るのは簡単ではありません!)、私の作品をより頻繁に放送し、多大なサポートをしてくれるインディーズや大学のラジオ局には深い愛着と敬意を抱いていることをお伝えしておきます。例えば、WFMU、KALX、WZRD、WHUS、KVCU、CFRU、CJRU...数え上げればきりがありません。 

 

 




8. 作品制作において、Aidan Baker、Armen Ra、Thor Harris、Siavash Aminiなどのミュージシャンとコラボレーションしていますね。他のミュージシャンとのコラボレーションは、サウンドトラック制作のプロセスをどのように変化させると思いますか?

 


 

ええ。それらのアーティストはすべて私のアルバム『Visitors are Allowed One Kiss』に大きく貢献してくれていて、多くの人が関わっているという点ではとてもユニークでしたね。それでも私はすべての曲をひとりで書いて、そのベースをソロでレコーディングし、その後、人々に曲を送り、実験してもらいました。最終的な仕上がりも気に入っていますが、ああいうプロジェクトでは、ミキシングエンジニアのミッチェル・ジリオと一緒にスタジオで録音していたことがとてもうれしかったですね。自宅で一人であのようなことをやる機会はあまりないと思いますから。


 

 

 


9. あなたはトロントを拠点に活動されていますが、この街の一番の魅力は何だと思いますか?

 

 

私は図書館と公園が好きです。それ以上に、トロントはひどく物価が高いので、アートに携わる人間にとっては本当に大変なところですよ。

 

 10. それでは最後の質問になります。6月にニューアルバムをリリースしますが、今後のライブの予定はありますか?




 

ミュージッシャンとしての予定は現時点ではないんですが、私はビジュアルアーティストでもあるので、トロントのカフェで2回、シアトルのギャラリーで1回、計3回のアートショーが控えています。


 

・The Original Text of Interview 


 

If there is a music scene that needs the most attention today, along with London, England, I would definitely mention Toronto and Montreal, Canada. Almost every month, great music and musicians are appearing in Canadian cities.

 And what is most wonderful about the music scene in this region is that even though the genres of music played are completely different, they respect each other, and the musicianship of each musician is completely unwavering.
 
Clara Engel, a young up-and-coming musician based in Canada/Toronto, who is first introduced in this issue of Music Tribune, is an independent musician and is known for her highly original style. 

We were particularly moved by the lyrics in the songs of her last album, and when we heard her music, we thought it was unlike any other music in the world, so we wanted to know the source of her inspiration. We asked the musicians for an interview, and they responded successfully.
 
Clara Engel has been releasing her work mainly on Bandcamp, rather than through mainstream subscriptions, and has created a lot of dark, yet artistically poetic music. 

And as well as being a musician, he is also a visual artist.

And as mentioned earlier, Clara Engel's art form is not bound by existing values and concepts, but liberates music and art itself from existing narrow values. And in fact, Engel's music is supported by highly original forms of expression, like Steve Gunn's in New York, which were not created under direct inspiration, but the result of a continuous search for originality that cannot be found anywhere else, and the result of a series of productions, mainly instrumental and vocal songs. 

The result is "Their Invisible Hands" an album of mainly instrumental and vocal songs, and "Sungrinaria," to be released on June 16, which will feature mainly vocal songs.
 
The existing work has also received recognition outside of Canada, with multiple airings on the Canadian public broadcaster CBC, the musician's hometown, and the British public broadcaster BBC. At present, very few people in Japan know about this musician, but as an important experimental folk musician, he deserves your attention. How does Clara Engel's music, songs, and poetry come to be? As in the previous interview, we will share the episode with our readers below. 

The original text by the artist is also included, along with a Japanese translation. You can listen to Clara Engel's previous works on Bandcamp.




 
1. When did you start your musical career as a solo artist? Please tell us about any events that triggered your musical activities
 
I wrote poetry and drew a lot as a kid, then I picked up a guitar when I was eleven or twelve years old. I started writing songs soon after that, and to be honest, I don’t know what triggered it. It was a natural progression. I have always made things; it just feels like my way of being in the world and something I’m compelled to do.
 
 
2.Your music seems to be positioned as experimental folk music. Who are your biggest musical influences? In what ways is their music reflected in your music?
 
I no longer know how to answer questions about influences. At this point I listen to a lot of music that sounds nothing like what I do, but it really sustains me. It was only when I was just beginning that I tried to sound like other people, and in failing to do so I ultimately developed my own voice. Lately I’ve been listening quite a bit to albums by Getatchew Mekuria, Emahoy Tsege Mariam Gebru, Lisa O’Neill, BronskiBeat, and Sangre De Muerdago. I think I’m influenced by everything I hear, but not really in the sense that I am trying to emulate or recreate it.
 
 
3. Your latest album, Sanguinaria, will be released on June 16. When and how was this album recorded? Also, if you have any kind of concept or theme for the work, please let us know.
 
Sanguinaria was mostly recorded in the summer and fall of 2022, at home. I have no formal training as a recording engineer, and I started learning how to record at home during the pandemic. I named it after the spring ephemeral flower, bloodroot, whose Latin name is “Sanguinaria Canadensis.” I started writing these songs when the flowers were blooming near my house.
 
4. This new release comes a year after last year's album "Their Invisible Hands". Compared to the experimental approach of the previous album, the songs seem to be more accessible. Did you have any changes in mindset when creating the new album?
 
The main difference is that Sanguinaria has no instrumentals. It’s odd to me how instrumental pieces are automatically dubbed more “experimental” – especially since my lyrics are basically poems, and poetry is rarely described as an accessible art form. My instrumentals are generally very melodic and easy to follow. I actually think that my music with words is less accessible to people who aren’t fond of words or who see words and music as existing in distinct realms. This album in particular feels like a chapbook of poetry but in 3D. The music is the third dimension.
 
5. It seems that your latest work, "Sanguinaria," uses the same unusual instruments as your previous works. In addition to guitar/piano, you play talharpa, gudok, lap steel, melodica, etc. The gudok, a Russian folk instrument, in particular, is quite rare. What is your goal in using these ethnic instruments in your songs?

 
At the beginning of the pandemic I started reading about various folk instruments… it all begin with acigar box guitar and expanded from there. I have no training on any bowed instrument, but it’s something I had been curious about for a long time. Cellos and violas are beyond my means financially, and I think the learning curve is quite steep. The folk instruments I play (talharpa and gudok) are handcrafted and beautifully made and there’s something very raw and voice-like about the tones they produce - I find they complement my songs well. I don’t actually play lap steel, my friends Lys Guillorn and Brad Deschampscontributed some overdubs, so whenever you hear lap steel, it’s one of them!
 
 
6. The vocals in your latest work seem to have a delicate and soft quality to them. What are your influences as a vocalist?
 
I am using a ribbon microphone on all the songs, which gives a darker and less “crisp” sound and feel to the vocals. In terms of dynamics there is a fair bit of variation, but overall the songs do have more of a conversational or chamber music volume than a bombastic rock and roll quality to them. I never decide consciously to sing loud or quiet, it’s about being inside the song and putting it across as best I can. I’m sure I’ve unconsciously absorbed things from many different people; Amalia Rodrigues, Skip James, Peggy Lee, Anohni, Blind Willie Johnson, Gillian Welch, Billie Holiday, to name just a few singers who really affected me in a deep way. I’ve come to find subtle dynamics more interesting than really blatant ones, generally speaking.
 
7. It seems that Clara Engel's music has been featured in major media such as CBC, BBC, and National Radio in Italy. Could you tell us more about the music that has been featured in these media?
 
The CBC aired a famous Yiddish song that I covered, “Mayn Rue Plats,” a little while ago. That songappears on an EP that I released last fall called Undergrowth. Over the years I’ve received some BBC airplay – I think it was thanks to a label I worked with called Vox Humana (UK) initially. Years later the BBC also played a selection from my album Where A City Once Drowned. As for Italian National Radio, it was thanks to a label called Backwards (IT) who released my album Tender many years ago.
It’s important to mention that while I really appreciate airplay on more major stations (and it isn’teasy to get, as an independent artist!) I have a deep fondness and respect for all the independent and college radio stations who play my work much more frequently, and have been tremendously supportive. For example WFMU, KALX, WZRD, WHUS, KVCU, CFRU, CJRU….the list goes on and on! 
 
 
8. You have collaborated with musicians such as Aidan Baker, Armen Ra, Thor Harris, and Siavash Amini in the creation of your work. How do you think collaborating with other musicians will change the soundtrack production process?

 
All of those artists contributed to my album Visitors are Allowed One Kiss, which was unique in terms of how many people were involved. I still wrote all the songs alone and recorded the basis for them solo, then I sent the songs out for people to experiment with. I love the final result, but for a project like that I was very glad that I was recording in a studio with mixing engineer Mitchell Girio. I don’t think I would ever undertake something like that on my own at home.
 
 
9. You are based in Toronto. What do you find most attractive about this city?
 
I love the library and the parks. Beyond that, Torontois becoming a terribly expensive place, which is really difficult for people working in the arts.
 
 
This will be the last question,
 
 
10. You are in the midst of releasing a new album, but do you have any upcoming live dates?
 
I do not, but I am also a visual artist and I have three art shows coming up – two at Toronto cafes and one at a gallery in Seattle.
 
 
Thank you for replying for our Questions,Engel!! 

 
 
 
Inteviewer:

Music Tribune(Editor:Nakamura)    Tokyo, April 15th,2023    Very Rainy Day.

Interview  


Elijah Knutsen 

 


最初のインタビューは、米国/ポートランドのアンビエント・プロデューサー、Elijah Knutsenさんにお話を伺いました。

 

Elijah Knutsen(エリヤ・クヌッセン)は2021年にデビューしたばかりの新進の音楽家ではありますが、既にフルアルバムを一作、そして複数のシングルを発表しています。特筆すべきは、Elijahさんは大の日本愛好家であり、ファースト・アルバム『Maybe Someday』には、青森の青函トンネルを主題にした「Seikan Undersea Tunnel」が収録されています。また、電子音楽のプロデューサーではありながら、ザ・キュアーを彷彿とさせるオルタナティブロック、さらに美麗なサウンドスケープを想起させる叙情的な環境音楽まで幅広いアプローチを図っています。最近では、Panda Rosaをコラボレーターに迎えて制作された『...I wanted 10 Years Of Pacific Weather...』、そして先日には『Four Love Letters』を発表し、非常に充実した活動を行っています。

 

今回、MUSIC TRIBUNEは、Elijah Knutsenさんにインタビューを申し込んだところ、回答を得ることが出来ました。

 

音楽活動を始めるようになった契機から、プロデューサーとしての制作秘話、影響を受けたアーティスト、ポートランドや日本の魅力、他にも、パンデミック時にドッグトレーナーとして勤務していた時代まで様々なお話を伺っています。読者の皆様に以下のエピソードをご紹介します。

 

 


Music Tribune -12 Questions-

 

 

1. イライジャさんが音楽活動を始めたのはいつ頃ですか? また、音楽活動を始めるきっかけとなった出来事などがあれば教えてください。

 

私が幼い頃、母は学校に向かう車の中でいつもRadioheadのCDを流していました。最初は大嫌いでした。でも、大人になるにつれて、トム・ヨークの孤独な思いに共感するようになったんです。私が初めて楽器に触れたのは12歳頃のことで、ピアノでした。最初はピアノを習っていたのですが、あまりに難しいので、簡単な作曲を耳で覚えるだけでしたし、正式な音楽教育を受けていない今でもそうしています。



19歳のときにひどい別れを経験した後、質屋でギターを買い、長い時間をかけて弾き方を学び、何年もかけて低品質のレコーディングをたくさん作りました。それまでギターを弾いたことがなかったのに、自分はこんなに上手なんだ!と思っていました。でも最初に出したリリースを思い出すと、ゾッとします。



音楽活動を本格的に始めたのは、Covid-19の流行が始まった頃で、「Memory Color」というレコードレーベルを立ち上げたのがきっかけです。




2. 「Seikan Undersea Tunnel」など、日本の土地にまつわる曲も収録されています。日本やその文化に興味を持ったきっかけをお聞かせください。

 

日本は私にとって、いろいろな意味でとても興味深い国です。内向的で繊細な文化は、内気で物静かな私にとって、とても大切なものです。



日本やその文化には、明らかに西洋のローマ字が使われていますが、私が日本に魅了されているのは、それ以上のものだと思います。これほどまでに違う場所に行けば、自分の人生も大きく変わるに違いないと思うところがあるのです。それが本当なのかどうか、確かめたいと思っています。



日本の自動販売機も大好きですよ!(笑)



3. あなたの作品には、フィールドレコーディングが使われていると思います。どのように録音されているのでしょうか?

 

フィールドレコーディングの多くは、"Freesound "というウェブサイトから調達しています。また、ポートランド周辺の新しいエリアを訪れてフィールドレコーディングをするのも好きですが、レコーダーを売ってからはあまりしていません。自分のアルバムがある場所(例えば青森など)にリンクしたフィールドレコーディングは、ここで作るよりも特別なものになると思います。



4. 過去の作品には、ある特定の場所からインスピレーションを受けたものが多くあります。何らかの風景や写真からインスピレーションを得ることはあるのでしょうか? 



私は、自分が見た夢から多くのインスピレーションを得ます。私はとても鮮明な夢を見て、周りの環境と相互作用したり、感情を強く感じたりすることができます。以前、文明から遠く離れた南極の街に閉じ込められるという、とても寂しい夢を見たことがあります。その夢は、私のアルバム までのフィーリングを刺激することになりました。



また、日本や東欧など、世界中の場所の風景や写真を見るために、googleを使っています。長い時間をかけて世界の曖昧な場所を探索し、そこに住むとどんな生活になるのだろうと考えています。


曲が生まれる瞬間というのは、ある種の神秘的な瞬間であると思っています。曲を思いつくとき、そして完成させるとき、どのようにするのか、詳しく教えてください。



私の曲の多くは、その瞬間に完成します。技術的に難しい、もの(ドラムなど)でない限り、作曲を始めてから1、2時間以上はかかりません。コードや音符を思いついた後、フィールドレコーディングや、さらに様々な楽器を重ねて、トラックに追加します。



レコーディングよりも、アレンジやミキシング、マスタリングに時間を割くことが多いですね。自分の感情を楽器に託すような、最もシンプルな作品が一番幸せなんです。



5.これまでの作品では、アンビエント、ギターロック、環境音楽など、幅広い方向性を持っていますね。これは今後も続けていくつもりなのでしょうか?

 

私は非常に多くの種類の音楽を聴いているので、すべての音楽からインスピレーションを受けないということは難しいでしょう。新しいジャンルやタイプの音楽を試したりするのが好きなんです。


6. イライジャさんは、アメリカのポートランドにお住まいですよね? ポートランドの魅力、地元の魅力的な音楽、シーンなど、どんなことを知っていますか?



7歳の時にポートランドに引っ越してきて、それ以来ずっと住んでいます! ポートランドは大好きです。川が流れていて、遠くに山が見える、とてもきれいな街です。この街の場所にはたくさんの思い出があります。私のお気に入りの場所は、街を見下ろす大きな丘の上にあるローズガーデンです。とても穏やかで落ち着く場所です。この街にはたくさんのローカルミュージックがあり、小さな会場やフェスティバルもたくさん開催されています。ロックやパンクが多いのですが、私はパンクはあまり好きではありません。


7. あなたがこれまで聴いてきた音楽に最も大きな影響を与えたアーティストは誰ですか? また、それらのアーティストがどのような形で今のあなたに影響を与えていると思いますか?

 

私は "The Cure "の大ファンなんです。ロバート・スミスの文章には、いつもとてつもない感動を覚えます。私はかなりメランコリックな人間なので、彼の作る作品の多くに共感することができます。また、オーストラリアのサイケデリック・ロックバンド、「The Church」も大好きです。私は自分の曲には歌詞を書きませんが、これらのバンドが作る痛快な作品に大きなインスピレーションを感じています。



また、日本のアンビエントミュージシャンである "井上徹"(編注:1990年代〜2000年代に活躍したアンビエント・ミュージックのパイオニア的存在)にも大きなインスピレーションを受けています。彼のアンビエント・ミュージックはとてもユニークで、今まで聴いたことがないようなものばかりです。コクトー・ツインズのハロルド・バッドとロビン・ガスリーも、私のアンビエント作品に大きなインスピレーションを与えてくれています。



8. あなたの最初の音楽体験の記憶についてお聞かせください。また、それはあなたの人生に何らかの形で影響を与え続けていると思いますか?

 

音楽に関する最初の記憶は、幼い頃に祖父母の家でピアノを弾いたことだと思う。アンビエント」という言葉を知る何年も前に、私はかなりアンビエントなサウンドの曲を作っていましたよ。



9. Covid-19のパンデミックやロックダウンのおかげで、アーティストが音楽に集中できるようになったと考える人もいるようです。この点について、イライジャさんはどのようにお考えでしょうか? また、2021年以前と比較して、作りたいものが変わったのでしょうか?

 

パンデミック以前は、ペット用品店でドッグトレーナーとして働いていました。自分や家族が病気になるのが怖くて、有給を全部使ってしまい、結局解雇されました。しかし幸運なことに、何カ月も失業手当をもらうことができ、今までよりも多くのお金を手にすることができました。そのお金でレコード会社を立ち上げ、レコーディング機器や楽器に投資しました。



また、それまでリリースしていたポストロック・プロジェクト "Blårød "ではなく、自分自身の名前で環境音楽を制作するようになりました。そして、自由な時間のすべてを最初の2枚のアルバムの制作につぎ込みました。


 
10 .『Vending Machine Music 1』のリマスター盤が発売されましたね。この作品は、例えばブライアン・イーノの『Music For Airport』のように、これまでの作品の中で最も環境音楽的な要素が強いと思うのですが。改めて、なぜこの作品をリマスターすることになったのでしょうか? その理由を詳しく教えてください。

 

『Vending Machine Music 1』については、私の最高傑作のひとつだと思うので、リマスターすることにしました。この作品を最新の方法で聴衆に紹介したかったのです。このアルバムのマスタリングはあまり良くなかったし、まだミキシングについてあまり知らなかった頃に作ったものだった。また、オリジナル・アルバムでリリースされていない、私が手がけた過去のトラックも収録したかった。




11. あなたにとって、アンビエント・ミュージックとは何ですか? 消費される音楽以上の意味を持つとお考えでしょうか? 

 

私は、ほとんどすべての音楽が同じだけの重要性を持っていると感じています。ロマンチックな気分の時は、安っぽいポップスを聴くこともあるし、一般的に消費される音楽よりも「知的」ではないと思われるものも聴くことがある。しかし、そのような音楽でも、重要なことが書かれていないわけではありません。日本の環境音楽のリリースは、とても「イージーリスニング」でありながら、私にとってはとてもエモーショナルです。



アンビエントというジャンルを定義するのは、とても難しいことです。柔らかい、広い、ミニマル......ランプの音や虫の音のような小さなものがアンビエント・ミュージックになり得るのです。



最後に。


12. 今後の予定があれば教えてください。また、現在取り組んでいる作品があれば教えてください。曲(Four Love Letters)のテーマについて詳しく教えてください。

 

ニューアルバム『Four Love Letters』をリリースしたばかりですが、今は次のプロジェクトのインスピレーションを待ちながら、すねているところです。ここ数ヶ月は、ラーメン屋の仕事を失ったり、友人を亡くしたり、振られたり、腎臓結石になったりと、とても辛い日々でした。



アルバム『Four Love Letters』は、私が経験した辛い別れの後に生まれたもので、この関係に対する私の気持ちを音楽で表現するためのものです。これほど孤独を感じ、落ち込んだことはありません。このプロジェクトには、たくさんの感情、特に悲しみが込められていて、まだ悲しいですが、このアルバムの出来栄えにはとても満足しています。



本当にありがとうございました。- イライジャ・クヌッセン



1. When did you start your music career, Elijah? Also, please tell us about any events that triggered you to start your music career.

 

When I was younger my mother would always play Radiohead CDs in the car, on the way to school. At first I hated them! But as I got older I realized how much I really could relate to the lonely musings of Thom Yorke. I was first introduced to an instrument when I was around 12, the piano. I took piano lessons at first, but found them too difficult, and just learned to make simple compositions by ear, something I still do today, as I have no formal music education.


After a bad breakup at the age of 19, I bought a guitar from a pawn shop, and spent a long time learning how to play, making lots of low quality recordings over the years. I had never played the guitar before, and thought I was so good at it! I shudder when I think of the releases I started out with.


I began taking my music career more seriously at the beginning of the Covid-19 pandemic, when I started my “Memory Color” record label.




2. I think some of your songs are related to Japan, such as the ”Aomori Seikan Tunnel”. Please tell us how you became interested in Japan and its culture.

 

Japan is very interesting to me in many ways. For one, the culture there is much more introverted and subtle, something I have always valued, being a shy and quiet person myself.


There is obviously a bit of western romanization with Japan and its culture, but I find that my fascination with the country is more than that. One part of me must think that if I go somewhere so vastly different, that my life will also become vastly different. I am eager to find out if that’s true or not.


I also love the vending machines in Japan!



3. I believe that field recordings are used in some of your compositions. How are these recordings made? 

 

I source a lot of my field recordings from the website “Freesound.” I also love to visit new areas around Portland and make field recordings, although I haven’t done that much since I sold my recorder. I find that the field recordings linked to places that my albums are about (such as Aomori, Japan,) are more special than the ones I can make here.



4. Many of Elijah's past works have been inspired by a particular place. Do you get inspiration from some kind of landscape or photographic reference? 

 

I get lots of inspiration from dreams I have. I have very vivid dreams where I can interact with the environment around me, and feel emotions strongly. I had a very lonely dream once where I was stuck in a city in Antarctica, far away from all civilization. That dream ended up inspiring the feeling for my album “Maybe Someday.”


I also use google to view scenes and pictures of places from around the world, such as Japan or Eastern Europe. I spend a long time exploring obscure places in the world, and wonder what life would be like living there.




And I also think that the moment a song is born is a kind of mystical moment. Can you tell us(me ) more about when you come up with a song, and how you complete it?



A lot of my tracks are done in the moment, I usually don’t spend more than an hour or two composing a track after I’ve started unless it's something technically difficult (like drums.) After coming up with something like chords or notes, I add field recordings, and various layers of more instruments to the track.

 

Most of my time is spent arranging, and then mixing and mastering the track rather than recording! I find that the work I am happiest with has been the simplest, where it’s just my emotions letting the instruments show how I feel.


5. Throughout your past works, Elijah, you have taken a wide range of directions: ambient, guitar rock, and environmental music. Is this something that you intend to do?

 

I listen to so many different types of music that it would be difficult to not be inspired by all of them. I love experimenting with new genres & types of music. 



6. Elijah, you live in Portland, USA, right? What do you know about Portland, its attractions, its fascinating local music, its scene, etc.!

 

I moved to Portland when I was 7 years old, and have lived here since! I love Portland. It’s a very pretty city with a river running right through it, and mountains in the distance. I have lots of memories attributed to the places here. My favorite place is the Rose Garden, up on a big hill overlooking the city. It’s a very calm and tranquil place. There is a ton of local music here, and lots of smaller venues and festivals that occur. A lot of rock and punk is present here, although I’m not too big a fan of punk music.




7. Which artists have had the greatest influence on the music you have listened to? And in what ways do you think those artists influence you today?

 

I am a huge fan of “The Cure.” I have always felt incredibly moved by Robert Smith's writing. I am quite a melancholic person, and can relate to much of what he’s made. I also really love “The Church,” an Australian psychedelic rock band. Although I don’t write any lyrics for my songs, I find great inspiration in the poignant works these bands produce.


I am also greatly inspired by the Japanese ambient musician “Tetsu Inoue.” His ambient music is so incredibly unique, and unlike anything I had ever heard before. Harold Budd and Robin Guthrie of “Cocteau Twins” are also very big inspirations to my ambient works.



8. Please tell us about your earliest memory of your first musical experience. And do you think it continues to influence your life in some way?

 

I think my first memories of music would have to be when I would play the piano at my grandparents house as a younger child. I made some quite ambient sounding compositions years before I knew what “ambient” was!



9. Some people seem to think that the Covid-19 pandemic, and the lockdown for that matter, has allowed artists to focus on their music. What are your thoughts on this point, Elijah? Also, have you changed what you want to make compared to before 2021?

 

Before the pandemic, I was working at a pet supply store as a dog trainer. I used all of my time off because I was afraid of getting myself and my family sick, and eventually got laid off. Thankfully I was able to get unemployment payments for months, which amounted to more money than I’ve ever had before! I decided I wanted to pursue music as a career instead of just a hobby, and used the money to start my record label, and invest in recording equipment/instruments.


I also began to produce environmental music under my own name, rather than the post rock project I had been releasing under; “Blårød.” I put all of the free time I had into making my first two albums, which turned out to be my most successful releases!



10. Elijah has just released a remastered version of "Vending Machine Music 1”. I think this record, like, for example, Brian Eno's Music For Airport, has the strongest environmental music element of any of your previous works. Once again, why did you decide to remaster this work? Could you elaborate on the reasons?


I decided to remaster Music For Vending Machines because I feel that it is one of my best works. I wanted to re-introduce it to my audience in an updated way. The mastering of the album wasn’t great, and I had done it when I still didn’t know much about mixing. I also wanted to include a previous track I had done, that hadn’t been released with the original album.


11. What does ambient music mean to you? Do you consider it to mean more than music of consumption? 

 

I find mostly all music to hold the same amount of importance. Sometimes when I’m feeling romantic I will listen to cheesy pop records, or something one might view as less “intelligent” than the music I generally consume. Even if it is meant for easy consumption, that doesn’t mean it doesn’t have anything important to say! The Japanese environmental music releases are very “easy listening,” but also still very emotional to me.



Ambient as a genre is very hard to define. Many things to me mean ambient; soft, spacious, minimal… Something as small as a buzzing lamp or the sound of insects can constitute ambient music.



Lastly,


12. What are your future plans, if any? Are there any works that you are currently working on? Can you tell me more about the theme of the song (Four Love Letters)?

I just released my new album “Four Love Letters,” and am currently sulking around, waiting for inspiration for my next project. The past few months have been very hard for me, losing my job at a ramen shop, the loss of a friend, getting dumped, and kidney stones!



The album “Four Love Letters” comes after a hard breakup that I have gone through, and is a way for me to express my feelings about this relationship through music. I have never felt more alone and depressed! A lot of emotion, particularly sadness, has been put into this project, and although I am still sad, I can say I am very happy with how this album turned out. 



Thank you so much! - Elijah Knutsen

 

 

Interviewer: Music Tribune 

 

March 5th.  Cloudy Day.

 

 

また、Elijah Knutsenは先々週の3月4日に四曲収録の新作「Four Love Letters」をリリースしています。ブライアン・イーノの往年の作品を彷彿とさせる連曲です。上記の作品とともにチェックしてみて下さい。Elijah Knutsenのバックカタログはこちらでご視聴/ご購入出来ます。

 


 

このリリースに関して、「アルバムは非常につらい別れの後に作られ、私はこのプロジェクトに多くの悲しみと感情を注ぎ込みました。ロマンチックな喜びよりも、ほろ苦い失われた愛のアルバムです.これほど孤独で落ち込んでいると感じたことはありません」とElijahはコメントしています。