©Luka Baily

 

ロンドンを拠点に活動する大森日向子がニューシングル「foundation」を発表した。この曲は先月の「in full bloom」に続くシングルで、エクスペリメンタルポップ調の新曲です。12月2日にロンドンのICAで行われるヘッドライン・ショーの発表と同時に発表された。試聴は以下からどうぞ。


「"foundation”は、私たちをユニークな道に導いてくれる直感と内なる導きを信頼することについての、私たち自身への手紙です」と、大森は声明の中で説明している。

 

「シングルのジャケットのアートワーク(デザインは高橋絵美による)に使われているのは、日本の骨董品店で見つけた仕掛け錠。蔵 "は私たちの心を表し、私たちが行き詰まった時、それを解決するのを邪魔するのは、私たち自身に課したトリックや障壁、そして、私たち自身の抑制なのだ」



大森のデビュー・アルバム『a journey...』は昨年リリースされた。その後、彼女は、ピッチフォーク・フェスティバル・ロンドンにも出演した。現在、Sawayama,Hatis Noitを中心に日本人女性の活躍が目立ちますが、大森日向子にも注目です。今後の活躍が楽しみにしましょう。

 


今年初め、ジュリアン・カサブランカス(The Strokes)のサイド・プロジェクト、ザ・ヴォイドズが "ドラゴンの予言 "というタイトルの新曲をリリースした。ストロークスの新譜の発売の噂もありましたが、どうやらこれは期待薄のようです。

 

この曲のフィジカル・リリースである21.99ドルのCDには、「American Way 」と題されたB面が収録されていた(90年代のCDシングルはこんなに高くなかったという{日本の市場で見ると、相場は9ドルくらいか})。この曲は、7月4日にようやくストリーミング・サービスに登場した。

 

この曲でカサブランカスとヴォイドスは、"Well it's true what they say/ The American way/ Is built on someone's tears."(彼らが言うことは本当だろう/アメリカのやり方は/誰かの涙の上に築かれている)というような鋭い歌詞で、アメリカの歴史に狙いを定めている。しかし、文明国はすべて同じなのであり、多数の犠牲の上に国家の繁栄が構築されているわけです。

 




ヘイリー・ウィリアムスとのコラボ曲『Speak Now (Taylor's Version)』のリリースを目前にして、テイラー・スウィフトはパラモアが来年のThe Erasツアーのイギリスとヨーロッパ公演にスペシャルゲストとして参加することを発表した。

"本当に興奮を抑えきれないわ...The Eras Tourに新たに14公演を追加することになったの。しかも、パラモアと一緒に世界中を旅することができる! ヘイリーと私は、ナッシュビルで10代の頃からの友人なんだけど、来年の夏にはイギリス/ヨーロッパではしゃぎ回れるのよ?絶叫よ!"


数週間前、テイラーは『Speak Now (Taylor's Version)』のトラックリストを発表し、ヘイリーが『Castles Crumbling』に参加、フォール・アウト・ボーイも『Electric Touch』にゲスト参加している。


「『スピーク・ナウ』はすべて私のソングライティングに関するものだったから、当時、リリシストとして私に最も強い影響を与えたと感じたアーティストに会いに行って、アルバムで歌ってもらうことにしたの。彼らはとてもクールで寛大であったし、私の『スピーク・ナウ』をサポートしてくれることに同意してくれた。このアルバムは32歳の時にレコーディングしたもので、(今はまだ成長中だけど)7月7日に皆さんにお披露目するのが待ちきれないわ」







釜山のインディーロックバンド、 Say  Sue Meがニューシングル『マインド・イズ・ライト』をリリースした。釜山にあるバンドのスタジオでセルフ・レコーディング&ミックスされ、シカゴ・マスタリング・サービスのマシュー・バーンハートによってマスタリングされた。ストリーミングはこちら


作詞者のスミ・チェは、エクササイズ、自然、そして受容によって、メンタルヘルスや人生の不安と向き合うことについて考察している。バンドの特徴であるメランコリーと希望の光のバランスが取れている。シングルのジャケット・アートワークは、ジェイムズ・マクニュー(ヨ・ラ・テンゴ)のイラストだ。


この新曲には、ナヒー・キムが監督したミュージック・ビデオが添えられている。バンドは7月14日のKEXPでのライブ・セッションを皮切りに、この7月にアメリカ/カリフォルニアの様々な都市を回る。


スミ・チェはこの新曲についてこう語っている。「"Say Sue Me "の初期の曲のようなシンプルな曲を作りたかった」


「心を軽くできればいいんだけど、すぐに重くなってしまう。心を軽くするにはどうしたらいいか考えました。まず、外を歩いて自分の心が軽いことを信じる。次に、"本当じゃなくてもいいや "と思う」


 Tomasz Bednarcsyk   『After Midnight』

 

Label: Somewhere Nowhere

Release: 2023/6/39



Review


ポーランド/ヴロツワフのトマス・ベドナルチク(Tomasz Bednarcsyk)は、これまで、12k、Room40など、主要なアンビエント・レーベルから複数のリリースを行っている。2004年以来、前衛的なアンビエントサウンドの解釈を通して、新鮮で親しみやすい性質を持った楽曲を数多く生み出して来た。

 

ベドナルチクは、アコースティック・ループ、そして、スマートフォンで録音したフィールド・レコーディングをトラックとして緻密かつ入念に重ね合わせていき、奥行きがあり、時に暗鬱で、時に温かな、叙情性あふれるデザイン性の高いアンビエント音楽を数多く作り出している。

 

近年では、風景にまつわるサウンドスケープを主体にした作品『Windy Weater~』をリリースしており、 抽象的なアンビエントではあるものの、質の高い作品を発表しつづけている。三作のアルバムを挟んで発表された『After Midnight』は、一例では、Brian Enoのアナログシンセの音作りに近いものがあり、1983年の名作『Apollo』の音楽性をはっきりと想起させる。また、ニューヨークのWiiilam Basinskyの最初期のミニマリズムや、ループを多用した音楽性にも近い。


これまで抽象的ではありながら何らかの風景をモチーフにしたアンビエント作品を発表してきたベドナルチクは、今作においてさらに抽象的な領域へと作風を転じている。『真夜中の後に」というタイトルは、夢想的であるとも解釈できるし、夢の前に訪れる形而下の瞬間を捉えたとも考えられる。いくつかの時間やその中の特徴的な情景が曲のタイトルには冠されているため、これらの特定の情景をアンビエントという観点からデザインしたとも解釈できる。また仮にそうではないとしても、この音楽はテーマを聞き手に押し付けるものではなく、聞き手が自主的にテーマを音楽に発見し、その音の果てない深層の領域を訪ね求めていく、そんな形容がふさわしいかもしれない。トマス・ベドナルチクのアンビエントは、ブライアン・イーノ、さらに、その前の時代のサティの掲げる、原初的な「家具の音楽」の位置づけにあり、聞き手側のいる空間を尊重し、アトモスフィアを妨げたり、その空気を一変させることはない。しかしながら、それは、電子音楽というマテリアルを介し、聞き手のいる空間とのリンクを設けることにより、それまで関連性のなかった聞き手と音楽という2つの空間を見事に直結させている。

 

アルバムはイーノよりもさらに抽象的で、またバシンスキーの最初期のように一つの連なりのような構成が徹頭徹尾貫かれている。それは音が鳴り始めたとたん、別の領域がわたしたちのいる領域とは別の領域に出現する。音楽の余韻が続く限り、奇妙な空間がわたしたちの眼前から消えやることはない。それは目の前にある微かな残像を拭い去ろうとも、なかなか消えやらない瞬間にも似ている。今作において、トマス・ベドナルチクは主張性を極限まで抑えることで、直近のリリース中では鮮烈な印象を聞き手に与える。聞き手の入り込む余地が存在しえない存在感の強い音楽は、たしかにその方法論が優れている場合も稀にあるのだが、その聞き手不在の音楽は、その音楽が終わってから、需要者に虚しさや疲労をおぼえさせる場合も少なくない。それは自らの不在を音楽によって証明づけられているがゆえ。つまり、実存の否定である。


他方、トマス・ベドナルチクの新作はその限りではない。アンビエントの魅力である奥行きのある空間性とシンメトリーな構成力は聞き手に休息を与え、安らいだ空間へと導く。一つのシンセの音色から構成されるシンプルなシークエンスは、ウィリアム・バシンスキーの『Watermusic』にように、とりとめもない、果てしない無限の夢遊の空間へと続いている。アンビエントを制作する上では、リバーブ効果をトラック全体にどのような形で及ぼすのか、つまり空間性というのを念頭に置く必要があるけれど、今作におけるスペースは近年のある一定の場所を規定したアンビエントよりも深い奥行きがあり、幽玄さもある。言ってみれば、空間性の無限に焦点を絞った音楽とも解釈出来る。アルバムは一貫して、宇宙的なロマンがあり、その神秘的なロマンに憧憬を馳せたくなるものが内包されている。これはブライアン・イーノが『Apollo』で追求していた宇宙やSFへのロマンチズムを今作において復元してみせたと言える。


アルバムの曲が始まったと思ったら、いつの間にか音楽が鳴り止んでいる。それは構成としてみれば、すべての収録曲が連曲となっていることが理由に挙げられるが、ここではエクリチュールによる解釈は大きな意味をなさない。聞き手が音楽に追いつかなかったのか、それとも音楽が聞き手の先を行っていたのか。そこまではわからない。けれど、少なくとも、音楽の実存を捉えようとした瞬間、音楽はいつの間にか終わってしまっている。情報量が過多になりがちな現代において、さらに喧騒の多い印象のある東欧において、リアリズムと距離を置いた音楽を制作することは、決して簡単ではないと思う。それは、ある意味では、制作者は現実的な価値とは別に「大切にすべき何か」を知っていると言える。しかし、翻ってみれば、現実的に喧騒が多い東欧の地域だからこそ、こういった静謐な音楽が生み出される余地があるとも言える。


 85/100

 

ドイツ、フランクフルトのレーベルEOS Radioから、「EOS Compilation 01」と名付けられたコンピレーションが今年7月下旬にリリースされます。


もともと2021年にオンラインラジオ局としてスタートしたEOS Radioは、自らを "コンテンポラリーエレクトロニックミュージックのための新興オンラインプラットフォーム "と表現している。

16トラックのコンピレーションにはAnna Hjalmarsson、Katatonic Silentio、DJ Slyngshot、luxxuryproblems、KGA、Kassem Mosseなどのアーティストによる楽曲が収録されています。


この作品は、レーベルのリリースとしては初めてデジタルとヴァイナルの両方でリリースされ、これまでのリリースはカセットで発売されています。7月22日のリリースに先立ち、Bandcampにて先行予約受付中です。




 



「EOS Compilation 01」



Tracklist:

1. O-Wells – Nynth
2. Neewt – River Eyes
3. DJ Slyngshot – Untitled (2013)
4. Paramida – Omen (Frankfurt Mix)
5. Anna Hjalmarsson – Acid Dream
6. Kassem Mosse – How Do We End All Of This Vocal
7. Belia Winnewisser – Broken Phone Palm Tree
8. n9oc – Khi Xa
9. Adi – Deep Saudage
10. KGA – Eve Ann
11. Markus Sommer – Ultrasonic
12. Phil Evans – Fl.oat
13. Katatonic Silentio – Expository Swirling
14. Lorica – Thorn
15. luxxuryproblems – sky replacement
16. Salamanda – Hemo And Globean   



*諸事情により、しばらくMusic Tribuneは更新を停止する予定です。






 



日本人作曲家/Rayonsが、今春リリースのシングル「Luminescence」に続くデジタル・シングル第二弾[A Fragment of Summer」を本日リリースします。配信リンク/ストリーミングは下記より。

 

「A Fragment of Summer」は、夏の儚くかけがえのない時間を思い起こさせるノスタルジックなピアノ・ソロ作となっています。

 

Predawnとのコラボレーション、大ヒット映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」や河野裕原作のアニメ「サクラダリセット」、新田真剣佑×北村匠海W主演が話題となった映画「サヨナラまでの30分」など話題作のサントラを手がけ、多方面で活躍するRayonsの「Luminescence」に続くデジタル・シングル・シリーズ第2弾「A Fragment of Summer」は、ピアノの独奏となっている。

 

ミニマルなモチーフとリズムにより、タイトル通り、日本の夏の断片を想起させる美しい楽曲に仕上がった。花火や祭りの後など、特別な日の一瞬を思わせる夏の余韻を、繊細で表情豊かなピアノの音で美しく語りかける。一音一音が心に響くようにゆっくりと流れ、夏のエッセンスが繊細に解き放たれている。 


 

Rayons 「A Fragment of Summer」 New Single 


Label: FLAU

Release: 2023/7/5

 

Tracklist:

 

1.A Fragment of Summer


配信リンク:

http://rayons.lnk.to/FragmentOfSummer

 


昨年の25周年記念キャンペーンに続き、IK Multimediaのグループ・バイ・キャンペーンが、2023年も開催される。ソフトウェアを今すぐお得に購入したい方には、最大16製品が1個分の価格で購入できるこのキャンペーンをおすすめしたい。当キャンペーンでは、IK Multimediaの幅広いソフトウェア・ラインナップの中から、最先端のアンプ・モデラーやスタジオ・エフェクト・プロセッサーを選び、現在のホーム・スタジオ・セットアップを拡張、改善することができる。


IK Multimediaだったかはわからないが、十年前くらいに、こういった参加数キャンペーンはよく存在した。

 

その仕組みはというと、グループ・バイ・ディールで、より多くの人が参加すればするほど、より多くのオマケがもらえるという趣旨。IKのウェブサイトで紹介されている参加者数を記録するグループ・カウンターは、5つのマイルストーンに分かれているという。250人が参加すると、3つの製品が無料、500人になると、4つの製品が無料、750人になると、5つの製品が無料、1,500人になると、7つの製品が無料、そして10,000人目に到達すると、16の無料プラグインがアンロックされる。RPGのゲーム内のミッションみたいな感覚でキャンペーンを楽しめる。


IK Multimediaのグループ・バイ・キャンペーンにより、最大16個の製品を1個分の価格で入手可能になる。AmpliTube拡張パックからコンプレッサー、リバーブ、その他スタジオに欠かせないツールまである。Waves、iZotope以外の選択肢をお考えの方はぜひ検討してみてください。


当キャンペーンに参加するには、オンラインストア、IK正規販売店、カスタムショップで対象製品を購入して登録するだけ。各マイルストーンを達成すると、次の無料ソフトウェアがもらえます。DTMを趣味とする方や、新たにソフトウェアプラグインの導入を検討している方などにおすすめ。

 



ブライトンのロックバンド、The Wytches(ザ・ウィッチーズ)は”Alcopop!Recordsとの契約を発表した。さらにバンドはまた同レーベルから9月22日にニュー・アルバム『Our Guest Can't Be Named』をリリースすると発表。そのファースト・シングル「Maria」を公開した。


このアルバムは、レコードとデジタルで発売され、500枚限定のディンクッド・エディションには、暗闇で光るパッチと「Maria」のビデオのオリジナル・スーパー8フィルム・セルが特典として付属する。


このニュー・シングルについて、フロントマンのクリスティアン・ベルは次のように語っている。

 

「『マリア』はニュー・アルバムのために最初に作った曲だけど、実はもっと古い曲なんだ。この曲はよくライブで演奏していたし、元々はリバプールの教会でビル・ライダー・ジョーンズとレコーディングした。当時はまだ準備が整っていなかったが、この曲とそのシンプルさに飽きることはなかった。ニューアルバムのほとんどの曲は、アイデンティティの喪失をテーマにしている。この曲はリリックがそのテーマに合っていて、やっと居場所を見つけたという感じだった」

 

 「Maria」



Pool Kids(プール・キッズ)がスプリットEPを発表した。ハードコア・バンドPOOLとのスプリットEPで、それぞれ3曲ずつ、計6曲が収録されている。プール・キッズ側には、B面の『No Stranger』、そして『Talk To Much』と『Arm's Length』の新バージョンが収録されている。そしてPOOLのパートには、3曲の新曲がある。Cleansing、Inside A Wall、Death Sentenceだ。


「思っていたよりもずっと嬉しい結果だった」と彼らは言う。「このバンドが、これほど時間がない中で、私たちが慣れ親しんできたものよりはるかに少ない計画で、どんなものを作り出せるかを見るのは、信じられないほど心強かった。私たちは本当に、後ろから前から誇れるものを完成させることができた」


EPのストリーミングはこちらより。


 The Japanese House  『In The End It Always Does』

 

 

Label: Dirty Hit

Release: 2023/6/30



Review


最近のイギリスのシンガーソングライター/バンドの曲作りのトレンドを見ると、ポップスだけでなく、エレクトロニカ、フォークトロニカ、実験的なポップスをごく自然にソングライティングの中に取り入れるようになっている。この試行は、音楽そのものにユニークさを加味していることは疑いがない。アンバー・ベインの二作目のアルバムにも該当することなのかもしれない。

 

このアルバムは2021年末に書かれ、ミュージシャンは「μ'sに戻る」ための道筋を作るため制作された。自分のアイデンティティ、それからクイアの成長について歌われ、さらに内的に失われた感覚を取りもどすため書かれたアルバムである。 恋人との破局の後、転居することになったベインは、ソングライティングやアルバムの制作の中で少しの(もしくは大きな)自信を取り戻したことだろう。今作には、Dirty Hitの取締役として4月まで経営に携わっていたマティ・ヒーリーも参加し、他にも、The 1975のジョージ・ダニエル、MUNAのケイティ・キャヴィン、さらには世界的なヒットメイカー、Bon Iverのジャスティン・バーノンという心強いミュージシャンの助力を得た。「人生を変える制作だった」とアンバー・バインは振り返るほどだ。

 

アルバム発売前に公開されたマッティ・ヒーリーとのアコースティック・セッションは一聴の価値があった。AOR/ソフト・ポップに立脚した爽やかなポップスを書くセンスは抜群で、確かにそれはマッティ・ヒーリーの属するThe 1975を彷彿とさせる軽やかなポップとロックの中間点をなぞるようなソングライティングの指向性にきわめて近似しており、そのしなやかさは、例えば日本のポップスではシティ・ポップにも親和性があると思われる。ということで、シティ・ポップファンにもチェックしてもらいたいアルバムとなっている。

 

オープニングこそ、アイスランドのmumを思わせる実験的なポップ/フォークトロニカで幕を開けるが、その後は、ソフト・ロック/AORに属する涼やかなポップスがセカンド・アルバムの全体を占めている。その中には、ソングライターの恋愛経験に根ざした切なげなフレーズや微妙な心の機微を込めたメロディーがペーソスを帯びている。これらは青い感性とも呼べるもので、10年後になったら、書くことのできない恋愛ソングでもあるため、大切にしてほしい宝物だ。


例えば、二曲目の「Touching Yourself」に見られるような、胸を打つ切ないフレーズの運びに、自分の置かれている心情を重ね合わせ、共感を覚える人も少なくないのではないだろうか。そして、これらの情感たっぷりのアンバー・バインのボーカルを支えているのがシンセのベースラインだ。ボーカル・ラインとの兼ね合いの中には、聞き飛ばせないものも含まれている。そして、それはソングライターの繊細な感情とシンクロし、重なりあった瞬間、その塞いだ気持ちはカタルシスとして開放される。つまり、この曲は、いくらかの胸のすくような癒やしを持ち合わせていることも事実なのだ。自分と同じような境遇にある人が他にもいるという安堵は、日常のことを中心に歌われているこのアルバムだからこそ得られるものなのだろう。

 

 The 1975の代表曲を彷彿とさせる楽曲もあるが、他にももう少しバラードに近いしんみりとした曲もある。「Sad To Breath」はタイトルが示すとおり、ミュージシャンの人生の中にある別離やその後の切ない感情が素直に歌われている。それほど大きな起伏や抑揚はないけれども、その内的な感覚における哀しみをじっくりと噛みしめるような深い感慨が歌われている。現代的なバラードとも乖離していない曲なので、この曲に親近感を覚える人も少なくないはずだ。


続く「Over There」は、そういった悲しみを乗り越えていこうという過程を歌ったものと思われる。それもどうしても避けられないことではあるが、同じような境遇にある人々の肩をそっと押してくれる。人生の背後にある悲しみとはっきりと訣別をつけるための機会を、この曲は与えてくれるのだ。


中盤までは内省的な悲しみにあふれているが、曲の最後では少し希望が見えてくる。実際、こういった瞬間を制作者が人生で味わったのかどうかまでは断定できないが、少なくとも、喜びが永続しないのと同じように悲しみも永続することはない。複雑な感情の綾が重なり、その人の生を形成していくのだということを、この曲は教え諭してくれるのだ。


冒頭で述べたエレクトロニカとポップの融合は、「Boyhood」で一瞬の煌めきを見せる。ある意味では、2010年代に隆盛を極めたシンセ・ポップの一貫にある楽曲と理解出来るが、それは懐古的な音楽ではない。アルペジエーターを駆使したベースラインは、この曲に奇妙な清涼感を与え、アンバー・ベインの歌の情感を上手く引き立たてている。それは虚仮威しのような手法ではなく、このシンガーソングライターの主要な性質とも言える上品な感じによって、じんわりとエモーションが曲の裏側から表側へと少しずつ滲出してくるというような感覚なのである。曲は、エレクトロニック風の構成力があり、実験的なサンプリングを導入することで、曲の一連の流れはスムースになり、受け手のコンセントレーションを損ねることはほとんどない。

 

中盤までは、本作がある程度の力作であることを証明づけている。また、アルバムの後半にかけても野心的な手法がいくつも見られ、中には、オルト・フォーク、エレクトロニックを絡め、よりエクスペリメンタル・ポップに近い実験的な手法も見られる。これは、アブストラクト・ポップとも称せる新時代の音楽の台頭も伺わせるが、だんだんと曲そのものの印象が散漫になってくるのが難点だ。「Indexical reminder of a morning well spent」は聞きやすさがあるが、「Friends」以降は、トレンドを意識しすぎ、情感が弱まり、無個性になっていく。その後、「Sunshine Baby」は、エレクトロニック、シンセ・ポップの手法を取り入れているが、アルバムの前半に比べ印象が薄まってしまっている。その後の収録曲は、Bon Iverのオマージュの域を出ることがない。これではBon Iverの曲を聞けば良いのではないかという気もする。

 

本作は、ある一定のシンパシーを呼び覚ませるものとなっている。しかし、一方で、前半や中盤には良い曲が多いにもかかわらず、終盤に差し掛かったとたん、別のアルバムのように聴こえるのに違和感を覚える。ピアノの弾き語り曲である「One for Sorrow, Two For Joni Jones」においてハイライトを設けようとしているが、この点は残念ながら不発に終わってしまった印象もある。



80/100


Niel Young(ニール・ヤング)が、ニューシングル「Sedan Delivery」とともに、"失われたアルバム"『Chrome Dreams』を発表した。『Chrome Dreams』は、Reprise Recordsより8月11日にリリースされます。。

 

『Chrome Dreams』はニール・ヤングの最も個性的でパワフルなアルバムのひとつで、1974年から1976年にかけてのスタジオ録音から構成され、1977年にリリースされる予定だったが、現在まで正式発表に至らず、長年、お蔵入りしたままだった。


『Chrome Dreams』に収録されている12曲は、別の時期に別の形で存在していたかもしれないし、それも創作過程の一部である。これらの多くはオリジナルで、ヤングが最初に認識したとおりの形で今、命を吹き込まれている。アルバムには、「Pocahontas」、「Like a Hurricane」、「Powderfinger」、「Homegrown」、「Stringman」、「Look Out for My Love」が収録されている。

 

米国のフォーク・ロックのレジェンド、ニール・ヤングは去年から複数のリイシューを継続しており、その中には、『Harvest Moon』の50周年盤や『World Record』も含まれている。


「Sedan Delivery」

 

©Nadav Kander


Peter Gabriel(ピーター・ガブリエル)が、近日発売予定のアルバム『i/o』からの最新シングル「So Much」をリリースした。アルバムの発売日はまだ発表されていないものの、「Panopticom」「The Court」「Playing for Time」「Four Kinds of Horses」「Road to Joy」、そしてタイトル曲が先行公開されています。「So Much」の試聴は以下から。


この曲について、ガブリエルは次のように語っている。「この曲では、わざと気の利いたことをしないようにしていたんだ。とてもシンプルなコーラスにしたかったんだけど、それでもハーモニーとメロディーには中身があった。消化しやすく、それでいて少し個性的なものをね」


「”So Much”は、死について、老いについて、明るく陽気なテーマばかりだが、私のような年齢になると、死から逃げるか、死に飛び込んで人生を全うしようとするかのどちらかになると思う。最も生きているように見える国は、死を文化の一部としている国だ」


「So Muchをタイトルに選んだのは、私が新しいアイデアやあらゆる種類のプロジェクトにはまっているからだ。私は物事に興奮し、飛び回っていろいろなことをしたくなる。いろんなことがゴチャゴチャしているのが好きなんだ! それでいて、時間や何であれ、使えるものがたくさんあるということでもあるね。その両方のバランスを取ることが、この曲のテーマなんだよ」


「So Much」

 

Pixies:  2023年時点のラインナップ

 

1986年に結成された米国のオルタナティヴ・ロック・バンド、Pixies。ブラック・フランシス、ジョーイ・サンティアゴ、デヴィッド・ラヴァリング、キム・ディールによって結成された。

 

以後の時代、英国の4ADと契約を交わし、コクトー・ツインズの後のレーベルを代表するバンドとなり、同時に80年代から90年代のオルタナティヴシーンを牽引しつづけた。代表作には『Surfer Rosa』がある。93年にはバンドは解散を発表し、フランシスはソロ活動に専念するようになった。

 

2013年にはオリジナル・メンバーのキム・ディールが脱退し、翌年にThe Muffsのバズ・レンチャンティンをベースに迎える。その後、長年在籍してきた4ADからBMGに移籍し、作品を発表しつづけている。

 

昨年には、最新アルバム『Doggerel』を発表し、復活を遂げ、以前と変わらぬオルタナティヴサウンドでファンを魅了しつづける。リリース記念を兼ねたヨーロッパ・ツアーは人気を博し、今後さらにヨーロッパ圏で人気を獲得しそうな気配も出てきた。今回の企画では、Pixiesのトップ・ソングを大まかに取り上げていきます。以下で紹介するのは代表曲のほんの一部です。ここでは取り上げませんでしたが、最新作『Doggerel』にも良曲が多くありますので探してみて下さい。

 

Pixies: キム・ディール在籍時



10.「Letter To Memphis」-『Trompe Le Monde』



Pixiesの代表作『Surfer Rosa』に比べると、比較的知名度の低いアルバム『Trompe Le Monde』に収録されている。

 

ジョーイ・サンティアゴの名ギタリストとしての才覚が光り、轟音のディストーションギターとトリルが劇的に炸裂する。ボーカルバージョンと、インストバージョンがリリースされている。後者は、コンピレーション・アルバムで、B面のベストアルバム『Complete B Sides』に収録されている。ピクシーズのオルタナティヴ性に迫るためにはうってつけのトラックの一つ。

 

この曲はブラック・フランシスがチャック・ベリーの曲「Memphis, Tennessee」をアレンジした。1991年12月号のSpin誌の評論家のアイヴァン・クライルカンプは、「メンフィスへの手紙」についてこう評価している。「ピクシーズのキッチュでフロウな感性の中で、"trying to get you "のような一節は、無味乾燥な絵葉書の裏に隠された純粋な気持ちのかけらのように心に残る・・・」

 

 

 

 

9. 「Monkey Gone To Heaven」-『Doolittle』

 

1989年4月発売のアルバム『Doolittle』の7曲目に収録されており、同アルバムからの先行シングル曲、最初のシングルカットとしてアメリカとイギリスでリリースされた。ピクシーズはメジャーレーベルであるエレクトラ・レコードと契約を結んで間もなくこの曲を発表したので、この曲がアメリカでの実質的なメジャーデビュー曲となった。スポークンワードという表現形式が見られることにも着目したい。


作詞・作曲はフロントマンのブラック・フランシス、プロデューサーはギル・ノートン。歌詞は環境保護主義と聖書の数秘術に触れながら、『ドリトル』で模索されていたテーマが反映されている。ゲストミュージシャンを起用した初のピクシーズ作品で、チェリストのArthur Fiacco、Ann RorichとバイオリニストのKaren Karlsrud、Corine Metterの計4人がゲストで参加している。 

 

 楽曲は好評を博し、ローリング・ストーン誌のDavid Frickeは、「諷刺の効いた、神とゴミについて考えさせずにはいられなくするものだ」と評している。リリースから何年も経った後も当曲は様々な音楽誌から賞を与えられている。 


 


 

8. 「Here Comes The Man」ー『Doolittle』

 
「Here Comes Your Man」は穿った見方かもしれないが、4ADのコクトー・ツインズのようなドリーム・ポップとは別のこのレーベルの後世の象徴的なサウンドの素地となったと言えるかもしれない。The Velvet Undergroundのようなローファイ性とオルト・ポップが融合し、バンドの曲の中ではかなり聞きやすい部類に入る。メインボーカルは、キム・ディールが担当している。

 

作詞作曲は、バンドのフロントマンであるブラック・フランシス、プロデュースはギル・ノートンが手がけた。本作は、1989年6月に2作目のアルバム『Doolittle』の第2弾シングルとして発売された。


 「Here Comes Your Man」は、ブラック・フランシスが10代の頃に書き、1987年にデモ音源が制作されたが、リリースに対して消極的だったという。1987年に発売されたEP『Come On Pilgrim』、1988年に発売された『Surfer Rosa』には未収録となっていた。アメリカのビルボード誌が発表したModern Rock Tracksチャートでは最高位3位を獲得した。

 

 

 


7. 「I Bleed」ー『Doolittle』

 

こちらも『Doolittle』の収録曲。最初期のレアなデモ・トラックを集めた『Demos』(1987)にも収録されている。いわゆる、オルタナティヴ・ロック(オルト・ロック)の代名詞的なトラックの一つで、このジャンルの感覚を掴むためには聴いておいても損はないはずである。

 

ひねりの効いた亜流のコード進行、不協和音の連続によるノイズ性、クライマックスにかけての斬新な移調がきわめてドープである。ジョーイ・サンティアゴの狂気的なギター、デイヴィッド。ラヴァリングの簡素で展開をスムースに導くドラムの魅力は元より、ブラック・フランシスとキム・ディールのツイン・ボーカルの掛け合いは、魔力的な効果をトラックに及ぼしている。

 

Yo La Tengoの『This Stupid World』の発売日、Polyvinylのスタッフの方が仰っていた記憶があるが(レーベルのスタッフが他のレーベルの作品について言及することはきわめて稀である)、時代を問わず、優れた音楽とは、必ずしも一般的な規則やルールにより束縛されるものではないのである。




6. Doggerel -『Doggerel」

 

昨年、リリースされた最新作『Doggerel』のエンディング曲。立ち上がりの遅いイメージのあるこのアルバムだが、バンドの円熟味を感じさせる曲も複数収録されている。「Pegan Man」、「You're Such A Sadducee」といった曲は全盛期にも劣らない。そして、このエンディング曲ではファンクやダブのリズムをもとに新たなステップへと歩みを進めようとしている。

 

ピクシーズは、8枚目のスタジオアルバム「Doggerel」を、バーモント州ギルフォードにあるスタジオ、ギルフォード・サウンドでレコーディングした。マネージャーのリチャード・ジョーンズは、ピクシーズが一緒にライブ録音できる大きな部屋と、プロデューサーのトム・ダルゲティのための一流のミキシングボードが完備された理想的なスペースであったと説明する。

 

ピクシーズにとってスペースが適していただけでなく、バンドのマインドセットも適していた。セッションに臨むにあたり、ベーシストのパズ・レンチャンティンは、フランシスがピクシーズの2019年の『Beneath the Eyrie』から数年の間に、通常よりもはるかに大量のデモを蓄積していたことを指摘している。そして、ギタリストのジョーイ・サンティアゴが言うように、「今作では、常に音楽モード全開だった。ヘッドスペースがずっと良かったんだ」とのことである。


 



5.「Gigantic」-『Surfer Rosa』

 


「ギガンティック(Gigantic)」は、彼らのライブのレパートリーの一つ。ベーシストのキム・ディールとリード・ヴォーカル/ギタリストのブラック・フランシスが共作した。

 

1988年にリリースされたバンド初のフル・スタジオ・アルバム『Surfer Rosa』に収録されている。"Gigantic "は、その年の暮れにバンド初のシングルとしてリリースされた。ディールがリード・ヴォーカルをとるこの曲は、ピクシーズ最大のヒット曲のひとつで、コンサートではアンコールで演奏されることも多い人気曲。



"Gigantic "はメジャーチャートでランクインすることはなく、サーファー・ローザからの唯一のシングルカット。しかし、ピクシーズの最初のヒット曲として成功を収め、今日に至るまでラジオでプレイされ続けている。シングル・ヴァージョンは、ピクシーズの2004年のベスト盤『Wave of Mutilation』に収録されている。


 

 

 

4. 「Wave Of Mutalition(UK Surf)」ー『Complete B Sides』/『Doolittle 25: B-sides Peel Sessions And Demos』

 

このあたりから神がかりの曲が中心となっていき、常人にはまず作り得ないような音楽が続く。「Wave Of Mutilation」は、2ndアルバム『Doolittle』の収録曲。ベスト・アルバムのタイトルにもなった。ピクシーズの苛烈なロックバンドのイメージとは別のセンチメンタルなイメージを形成している。オリジナル・バージョンはロック調ではあるが、UK Surfのバージョンはアコースティック・ギターを基調にしており、優しげで切なげな雰囲気を醸し出している。

 

この曲の歌詞の中には、破滅的なものと、それとは相反する希望が混在している。「我慢をやめて、別れを口にし
、車で海に突っ込んだ
。僕が死んだと思うだろ? でも、これは船出なのさ」という歌い出しは、ある意味では、中期までのピクシーズというオルタナティヴ性の主要なイメージを形成している。シニカルな表現とその中にある奇妙なカタルシスは、多くの報われぬ人々への讃歌ともなっている。後には日本のオルタナティヴロックバンド、Number Girlが同曲をカバーしているのは周知の通り。ここでは、UK Surfのバージョンを推薦しておきたい。




3.「Debaser」 -『Doolittle』

 

ピクシーズのキャリアの中で最もパンキッシュな瞬間を刻印している。 テーマ自体は戦慄させるものがあるが、フランシスの痛快なシャウトとそれとは対象的なコケティッシュなキム・ディールのボーカル、サンティアゴの秀逸なギタープレイが鮮烈な印象を持つ。オリジナルバージョンを始め、シングルバージョンのリミックスを収録している。このシングルは、ライヴ、スタジオ、デモの3形態でリリースされた。現在でも重要なライブレパートリーとなっている。

 

1989年のアルバム『Doolittle』の1曲目に収録。この曲はフロントマンのブラック・フランシスが作詞・作曲し、『ドリトル』のレコーディング・セッションでギル・ノートンがプロデュースした。

 

 この歌詞は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによるシュルレアリスム映画『アン・シャン・アンダルー』に基づいている。

 

ブラック・フランシス曰く、「ブニュエルがまだ生きていたらと思う。彼はこの映画を特に何も描いていない。タイトル自体がナンセンスだ。私の愚かで、似非学者で、世間知らずで、マニアで、前衛的で、素人っぽいやり方で『Un chien andalou』を観て、『そうだ、この映画について歌を作ろう』と思った」という。ここでは4ADのミュージックビデオを使用させていただく。

 

 

 


2.River Euphrates - 『Surfer Rosa』


ニルヴァーナの『In Utero』でもお馴染みのスティーヴ・アルヴィニがプロデュースしたオルタナティブの金字塔『Surfer Rosa』の収録曲。現在まで様々なロックミュージックを聴いてきたが、この曲ほど風変わりな作品は存在しない。

 

イントロのジョーイ・サンティアゴのディストーション・ギターから転じ、「Ride Ride Ride」というブラック・フランシスとキム・ディールのユニゾンのコーラスも奇妙なのだが、スタンダードなロックの通常のスケールとはまったく異なる展開へと続く。サビにも似た「ride a tire down river euphrates」というアンセミックなボーカルには奇妙な中毒性があり、イントロのコーラスと共に口ずさみたくなる。


シングル・カットこそされてはいないものの、彼らの重要なライブレパートリーの一。リードギターのみでこれほど分厚い音作りをすることは並のギタリストには不可能。レス・ポールの持つダブルコイルの特性を自在に使いこなす天才ギタリストしか生み出し得ないオルタナティヴのニューウェイヴ。ラテンなのか、カリブなのか、メキシカンなのか、アメリカーナなのか。おそらくそのいずれにも該当するワイアード過ぎる名曲。ここではライブバージョンを紹介する。

 

 

 

 

1.Where is My Mind - 『Surfer Rosa』


こちらも『Surfer Rosa』の収録曲。ブラック・フランシスのバラードにおける才能が開花し、それが霊的なキムディールのコーラスと劇的なスパークを発生させ、ピクシーズの代名詞が出来上がることに。「Where Is My Mind?」は、デビューアルバム『Surfer Rosa』の7曲目に収録されている。バンドの代表曲のひとつで、数多くのカヴァー曲がある。この曲はローリングストーン誌の2021年版「500 Greatest Songs of All Time」で493位にランクインした。


フロントマンのブラック・フランシスがマサチューセッツ大学アマースト校在学中に、カリブ海でスキューバ・ダイビングをしたときの体験に触発されて書かれた。後に彼は、「とても小さな魚が僕を追いかけようとしていた。魚の行動についてはあまり詳しくないので、理由はわからない」

 

ギタリストのジョーイ・サンティアゴは、曲のギターラインを作曲した。彼は自分のパートについて、「これは実は最初に試したものなんだ。ダラダラしたポテトが、瞬時に力強くフックに富んだサウンドになったんだ」と語っている。1999年のブラット・ピットの主演映画『ファイト・クラブ』でフィーチャーされた後、この曲はさらに幅広い聴衆を獲得するようになった。

 

Weekly Music Feature

 

bdrmm



世界が社会的に距離を置くようになった2020年、ハル出身のポスト・シューゲイザー、ドリーム・ポップ、ヘヴィ・ギター・エフェクト・カルテット、bdrmmは、若いバンドなら誰もが夢見るようなデビュー・アルバムで衝撃を与えた。その年の7月に小さなレーベル、ソニック・カセドラルからリリースされた『Bedroom』は、CLASH誌に「先鋭的なシューゲイザーの蒸留」と称された。


あれから3年、バンドのニュー・アルバム『I Don't Know』は、冒険を別の場所に連れて行く。ある意味コンテンポラリー・シューゲイザーだが、それ以上のものをバンドは追求している。プロデューサーに、バンドの五人目のメンバーであるアレックス・グリーヴス(ワーキング・メンズ・クラブ、ボー・ニンゲン)を迎え、リーズのザ・ネイヴ・スタジオで再びレコーディングされた。本作では、バンドのトレードマークであるエフェクトを多用したギターとモーターリックなNeu!を彷彿とさせるグルーヴに、ピアノ、ストリングス、エレクトロニカ、サンプリング、そして時折ダンス・ビートまでが加わっている。


レディオヘッド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、キュア、ブライアン・イーノ、おそらくはエリック・サティのようなミニマリズム・クラシックからの影響や参照点は多岐にわたる。結果的に何が生み出されたにせよ、このセカンドアルバムは、自分たちのやっていることを確信し、そのすべてを愛してやまない4人の若者による、より大きく、よりチューニングされた、実にファンタスティックなセカンド・ステートメントとなる。


彼らは”Rock Action Records"と契約したことについて、「ロック・アクションと契約できたことにとても興奮している」と付け加えている。「モグワイとツアーを行い、彼らと親密な関係を築いた後、彼らや彼らのチームと一緒に仕事をするように誘われたことに、私たちは恵まれていると感じています。Arab Strapと同じレーベルになるなんて。つまり、これ以上言うことはない」



『I Don't Know』は2020年のデビュー・アルバム『Bedroom』に続く作品となり、再びリーズのThe NaveスタジオでプロデューサーのAlex Greavesとともに録音された。シンガー兼ギタリストのライアン・スミスは説明している。「全てはおそらくまだ自分に起こったことがベースになっているけれど、他の人がどんな状況にあっても理解できるように、より曖昧な書き方をしている。最初のレコードは一人の人間の関係のように感じられるといつも思うんだけど、今回はもっと広くて、いろいろな解釈ができるんだ」


「このセカンドアルバムは間違いなくバンドとしての私たちを凝縮したものだと思います。私たちのすべての痕跡がそこにあります」とライアンは認めます。


「一方、最初のレコードは『シューゲイザーに恋をした』だったような気がする。それから私たちは、シューゲイザーのアルバムを書いてレコーディングすることになりましたが、それは素晴らしい経験でしたし、私は今でもシューゲイザーを心の中に持ち続けています。でも、それは間違いなく、『私が曲を書き、そしてバンドがいる』ということが多かったです。このことは、他の人に不利益をもたらすものではありません。しかし、このレコードではジョーダンが曲を書きました。ジョーがビットを持ってやって来た。それは私たち全員であり、とてもいい気分です。常にすべてを書き続けなければならないというプレッシャーは少しありましたが、私は常にそれが全員であることを望んでいました。今はそうなんです」



 
 
 
『I Don’t Know』 Rock Action / Tugboat
 


アルバムのアートワークは、ロシアのモダンアート画家、ワシリー・カンディンスキーの抽象主義へのオマージュとなっているという。

 

カンディンスキー、ドイツのバウハウスの教官として勤務した後、ナチス・ドイツ占領下のフランスで絵画を制作しつづけた。彼はイゴール・ストラヴィンスキーのように米国に亡命をしなかったのだ。現在のように、アートをやるのがそれほど安全ではなかった時代、カンディンスキーのような大胆なフォルムを取り入れることは、すなわち現実の悲劇的な瞬間への強烈な反駁で、またそれは魂の生きる術でもあった。カンディンスキーは線形や幾何学模様等、象徴的なフォルムを取り入れ、アートシーンにデザインの要素を取り入れたのが、このカンディンスキーである。



 

そして、時代はまったく変わるが、bdrmmというカルテットを語る上でも、音のデザインという要素は、彼らの代名詞となるドリームポップ/シューゲイズの要素と分かちがたくむすびついているように思える。それはときに、ドイツの実験音楽集団NEU!を始めとするエレクトロニック、あるいはブライアン・イーノのようなアンビエント、ボーズ・オブ・カナダのモダンなエレクトロニック、それから彼らのサウンドを発掘したポストロックの伝説、モグワイの音響派のサウンドが立体的に複雑に絡み合い、上記のような平面の中に立体が存在するようないわばポストモダニズムやキュビズムの世界が形成されるに至った。何を彼らが音楽の中に込めようとしているのか、考えれば考えるほどミステリアスな領域へと入り込んでいく。かつてのカンディンスキーの絵画のように。



 

特に、イギリスのロンドンを中心に、いくつかのポストパンクバンドに感じられることではあるが、bdrmmは、それほど高尚な考えに裏打ちされたものではないにせよ、少なからず商業主義に対する疑いを持っているようである。よく「反商業主義」とレビューでも書くのだが、誤解がないように念のために断っておきたいのは、反商業主義は商業性を完全に否定することではない。音楽産業を潤すものがなければ、そもそも音楽産業は存在しえない。とすれば、音楽は一部のニッチな好事家のための虚偽的な慰みの範疇を出なくなるのである。それだけは避けなければならぬのは事実としても、反面、そういった商業主義の音楽に一定の許容を与えた上で、それとは対極にある音楽の存在も許容せねばならない。



ある程度の見識が備わるようになれば、音楽を例えば単なる宣伝材料のように見立て、それを需要者を騙し、売りつけることに対する疑念を持つようになることは当然なのだ。こういった搾取は、実は、ピラミッドの頂点の金融社会でも普通に横行している。今日の世界は金融により牛耳られているが、それとは別の指標のようなものがこの世に存在しえないものか。昨今、富の分配といういささか疑わしい近代資本主義の限界が見受けられる中、また、それがあちこちで破綻しかけている中、これはシティという金融街を持つロンドンに生きる人々、また、ロンドンの文化に少なからず触れてきた人々にとっては度外視できぬことなのかもしれない。もちろん、それは若い人であればあるほど、さらに自分の感覚に正直であればあるほど、貨幣社会以外の価値をどこかに見出すことはできないだろうか。そのことを切実に模索したくなることが一度くらいはあるはずだ。おそらく、それが今日のアートというものであり、そして、表現主義というものの正体なのかもしれない。少なくとも昨晩聴いた『I Don’t Know』という彼らの2ndアルバムはそういった意味を持つ作品であるように感じられる。



 

 

デビューアルバムは、軒並み高評価だった。そして複数の現地のメディアは、この二作目をデビュー作とは別の方向性を探ったものであると位置付けている。 アルバムのオープナーを飾る「Alps」は、彼らを見初めたモグワイとのツアー中に書かれたといい、事実、スイスのアルプスで書かれた楽曲である。イントロは、Board Of Canadaのようなエレクトロニックを下地にして、ドイツのNEU!のような電子的なパーカッシヴの要素を加えている。以降は、グラスやライヒのようなミニマリズムに根ざした展開へと引き継がれる。曲の構成自体はミニマルビートの性質が強く、旧来のケミカル・ブラザーズに近いものが感じられる。bdrmmの音楽はロックサウンドとクラブビートの中間点にあり、ある意味では、Squidのようにバンドの音楽という観点とは別のエレクトロニックの要素を追求した楽曲で、シューゲイズやドリーム・ポップという先入観を抱え、このアルバムに触れるリスナーに意外性を与えるようなオープニングとなっている。



 

2ndアルバムはデビュー・アルバムと同じように、一曲目からギア全開とはならず、徐々にゆっくりと、アルバムの序盤から中盤にかけて綿密な音の世界観を構築されていく。二曲目の「Be Careful」も一曲目のNEU!へのオマージュと同様、ドイツ音楽へのリスペクトが感じられる。2017年に亡くなったベーシスト、Holger Czukay(ホルガー・シューカイ)のような反復的なダビーなリズムは、ダモ鈴木の在籍時代のCANとの親和性も感じさせ、心地よさをもたらすはずだ。

 

この二曲目からbdrmmは、カルテットとしての本領を発揮しはじめる。しかし、それは徐々にギアをアップしていくといった感じで、ライブのセッションを通じてアルバムのテーマとなる核心へと徐々に近づいていく試みであるようにも感じられる。ボーカリストのライアン・スミスのボーカルは一見すると、シューゲイズ/ドリーム・ポップという前情報を念頭に入れて聴くと、チャプター・ハウス、スロウ・ダイヴ、ライドといった系譜にあるように感じられるが、実際は、キュアーやストーン・ローゼズ、あるいはその後の90年代のブリット・ポップ勢にも近いものである。中空に彷徨うかのような拠り所のないスミスのボーカルは、これらの年代のUKミュージック・シーンの面白みを知るリスナーに、程よい陶酔感を与え、幻惑へと誘い込む。

 

 「It's Just a Bit of Blood」



 

 

アルバムの3曲目でこのバンドの目指す音楽性の断片的なものがわずかながら見えてくるようになる。実際に、トム・ヨークのボーカルを意識したという「It's Just a Bit of Blood」では、「Hail To Thief」時代のレディオ・ヘッドのようなサウンドが貫かれている。そしてようやくディストーションとリバーヴをかけ合わせたシューゲイズ/ドリームポップらしいサウンドが全開となる。ギターサウンドやその雰囲気を盛り上げるドラムは、スローダイヴに近いものがあるが、サビにかけてはモダンな雰囲気を帯びるようになり、Deerhunter、Beach Fossils、Wild Nothingに象徴される米国のポストシューゲイズを織り込んでいる。



ライアン・スミスのボーカルは、中性的であり、ほのかに切なさと叙情性が漂わせているが、それは、彼らの出身地であるHullの寒々しい空気感や情景を脳裏に呼び覚まさせる。イントロのタムの連打によって溜めを作り、その後の轟音とは対極にある静謐な曲展開へと繋げるドラムは、ほどよい緊迫感があり、迫力ある。また、サビの部分でのボーカルは、アンセミックな雰囲気を帯びており、この曲がライブでどのように演奏されるのかと期待させるものがある。正直なところ、この曲は、それほど新しい試みとは言えないだろうし、カナダのBodywashほど先鋭的でもないけれども、英国的なポスト・シューゲイズサウンドをどうにか確立していこうという意図も見受けられる。

 

「We Fall Apart」は、bdrmmが必ずしもシューゲイズ/ドリーム・ポップに執着していないことを示しており、ポスト・パンクやオルトロックに近い前衛性も取り入れようとしている様子が伺える。ローファイやプロトパンクの影響を残すこの曲では、Sonic Youthの最初期のアヴァンギャルドなアプローチを再現し、『Daydream Nation』の収録曲「Teen Age Riot」に近いUSインディーのハードコアな世界を探求する。これらの瞑想的なギターの反復性は、ソニック・ユースがこの後の時代に商業的な成功を収めるうち、サーストン・ムーアが急進的に失っていった要素だった。この時代の前には、サーストン・ムーアは変則チューニングを始め、ギターの演奏に革新性をもたらしたが、それらの前衛的な手法を、bdrmmはイギリスのバンドとして受け継ごうというのである。それは冒頭にも述べたように、商業主義に対する疑念の発露がこういったアート・ロックのサウンドの中にイデアとして織り込まれていると見るのが妥当なのだろう。

 

また現代のイギリスのポスト・パンク、ハードコアバンドやその他の多少マニアックなバンドと同じように、既にロックミュージックのなかにアンビエントを取り入れることは珍しくもなく、そして今日のトレンドともなっている。


「Advertise One」では、Mogwaiの音楽が、特に日本で「音響系」と呼ばれるに至った原初的なポスト・ロック・ソングを提示している。確かに、アンビエントとロックの混淆という側面では、既に古典的になりつつあることは疑いないが、bdrmmはドローンに近い音楽性を取り入れ、また、ドゥームの要素を付け加えている。ドゥームに関してはメタルが発祥であると思うが、それらの90年代から00年代にかけてのミクスチャーの極北をこの曲に捉えることが出来る。もちろん、途中に挿入されるピアノのフレーズはロックを他ジャンルに開放させてみせた、アイスランドのSigur Rosの音楽性の影響を見出すリスナーも少なからずいるのではないだろうか。



 

アルバムの中で最もスリリングな曲が続く「Hidden Cinema」である。多少、展開がもたつく場合があるが、このバンドのシューゲイズとポスト・パンクの融合性の真骨頂を、この楽曲に見出すことが出来る。ボーカルとバンドアンサンブルは、Deerhunter、Beach Fosiilsに近いものがあるが、何と言っても、この曲では、他のパートに対する複合的なポリリズムを交えたベースラインが際立っている。このビートを撹乱するようなベースラインは見事で、立体的な構造性を楽曲に及ぼし、スリリングさをもたらしている。また、そこには、ロンドンのSquidに比するポスト・パンクバンドらしいひねりや、シニカルな主張性も少なからず含まれていることも理解出来るはずである。一曲の全体的な構造として、溜めを作るフレーズとその溜めを開放させるためのフレーズが並列されることにより、ジャズのコールアンドレスポンスやハードコアのストップ・アンド・ゴーのような前衛的な効果が生み出されている。ただ一つだけ難点を挙げるとするなら、構成力は凄く巧みに感じられるものの、フレーズの移行の際に多少もたつくような瞬間があり、これがスムースな流れを妨げている場合もあることを指摘しておきたい。これがよりバンドの演奏として熟練したものになると、今までになかった何かが生み出される可能性がある。



続く、「Pulling Stitches」では、彼らのシューゲイズ/ドリームポップサウンドの一つの完成形が示されている。ポンゴのような民族楽器のシンセ・パーカッションの挿入、及び、モダンなインディーポップの要素は、捉え方によっては、彼らの新しい音楽性が確かな形になりつつある瞬間と言えるかもしれない。ライアン・スミスのボーカルは、他の主要な曲と同様に、夢遊の雰囲気を帯び、轟音のシューゲイズサウンドにちょっとした華を添えている。他のインディーポップバンドと同じように、現代の寄る辺なき人々の感覚を上手く捉えた瞬間とも言える。

 

「Pulling Stitches」

 

 

アルバムの最後に収録されている「A Final Moment」は、 作品全体で提示してきたロックミュージックへの新たな挑戦のひとつの区切りを意味するのだろうか。バンドが影響を指摘するボーズ・オブ・カナダのようなワープ・レコーズの主要なエレクトロニカサウンドを下地にし、大掛かりなシネマティックなサウンドを彼らは生み出している。アルバムを聞き終えようとする瞬間、何かこのアルバムが次なる希望に溢れた瞬間に続いている気がした。それは単なるイメージに過ぎなかったのだが、何か一筋の狭い道が続いた後、その道がある瞬間にぱっと大きく開けていき、理想的な領域へと続くのが思い浮かんできたような気がした。



 

勿論、これは私見であり、個人の単なる感想に過ぎないが、アルバムの最後の曲を聞くかぎりでは、bdrmmは他のロンドンの有望視されるポストパンクのバンドにも比する期待値を持ったカルテットであると感じられた。bdrmmの才覚はその片鱗をみせたに過ぎず、完全には花開いていないのかもしれない。これから、どんな未来のサウンドが生み出されるのか楽しみにしたい。 


 

 84/100

 

 

 bdrmmのニューアルバム『I Don't Know』は、Rock Action/Tugboatから本日より発売中です。

 



 小瀬村晶 『SEASONS』 

 

 

Label: Decca/ Universal Music


Release: 2023/6/30



 

Review


日本のポスト・クラシカル/モダン・クラシカルの象徴的な作曲家・ピアニスト、小瀬村晶は今年、ロンドン交響楽団などのオーケストラのリリースで名高い英国の名門レーベル、Deccaと契約を交わし、新作アルバム『Seasons』をリリースする運びとなった。

 

小瀬村晶は、デビュー当時から、ピアノ曲を中心に、レーベル、Scholeの運営にも携わり、アイスランドのレイキャビクの主要な音楽、ポスト・クラシカルやまた2010年前後に、日本で流行ったエレクトロニカブームを後押しした人物です。これまで自身のソロ名義でのピアノ作品にとどまらず、テレビ番組のサウンドトラックや映画音楽と、幅広い分野で活躍されている音楽家。

 

私は、以前、Scholeの企画イベントの一貫として、小瀬村晶(敬称略)の演奏を世田谷の教会の最前列に近い席で見ていて、その日は、惜しくも当時、レーベルメイトだったHaruka Nakammuraが出演しておらず、フランスの映画音楽で活躍するQuentin Sarjacが出演していた。その日、震災から間もない日で福島出身のギタリストのライブ中に地震が発生したことが今でも思い出される。


その日のライブでは、教会のなかに2階席があり、一階に木製の椅子が置かれ、おそらく30人くらいの観客を前にし、ライブが開催された。その日、ドイツのピアノ、ベーゼンドルファーでライブを行った小瀬村晶さんの印象としては、最初のイメージと違ってパワフルな演奏をする方であるという感じだった。芸術家タイプの人物であると思われたため、気難しい印象もあったものの、実際は、オープンハートで気さくな方で、来日公演を行ったクエンティン・サージャックの演奏を絶賛していた。サージャックは、ピアノの弦をリチューニングし、プリペイド・ピアノの演奏を行った。あの日、私は人生ではじめて、プリペイドピアノの演奏を見、ペーゼンドルファーの低音の鳴りの凄さを直に体験した。スタインウェイとは異なる低音の迫力は、他のアーティストも同様だったけれど、、特に、(ご本人は謙遜されていたものの)小瀬村晶の曲の良さを際立たせていた。ライブの後の物販でも少し御本人と話をしましたが、やはり気さくな方だった。その日、Scholeのパンフレットも配布され、レーベルのコンセプトとしては、日常を象る細やかな音というオーナーの文章が印象に残っている。おそらく、忙しない日常の中に安らぎをもたらすというのが、レーベルオーナーの意図であり、それは彼自身のピアノ曲のコンセプトであるとともに、同時に所属レーベルの主要なミュージシャンの作風でもあった。

 

英デッカと契約を交わしたとはいえ、基本的なコンセプトは変更されていません。ここ2、3年、小瀬村晶はシングルを中心にリリースを行っていたが、そのほとんどがピアノ曲。以前、レーベル作品のプロデュースも行っているため、例えばエレクトロニカのような音楽性も制作できないというわけではないのに、ピアノ曲を中心に書き続けている。これは高木正勝と同様、アーティストにとって、これらの日常の中にあるささやかな安らぎを表現するのに、ピアノというシンプルな楽器が最も理にかなっているからで、それは近年も変わらないことなのでしょう。今年始めにも『88 Keys Ⅱ」を発表していますが、この最新作『Seasons』はこれまでのピアノ作品の集大成をなすとともに、最高傑作の一つと称してもおかしくないような作品である。


以前からそうであるように、この作品での小瀬村晶のピアノの演奏は、淡々としており、例えば、シューマンやショパンのような劇的な旋律の飛躍があるわけではない。しかしながら、ミニマル・ミュージックの要素を交えて一定の音域を打っては返す波のように行き交うピアノは心地よさと沈静を与えてくれる。近年では、ピアノ曲としての瞑想性を探し求めていた印象のある小瀬村晶は、アルバムを体験するリスナーをこれらのノートの持つ世界のなかにとどめ、そして、何かを気付かさせたり、自分の考えをあらためて見つめるような機会を与えてくれる。

 

ただ、基本的には、ドイツ古典派の楽曲を彷彿とさせる叙情性(シューベルトの作曲家のピアノ・ソナタのB楽章を参照)が込められているとは言え、その上に、日本的な旋律や日本的な感性をあ音楽家が探し求め、それらを純粋なるノートとして紡ごうとしている様子も伺える。「Dear Sunshine」では、そういった試みがはっきりと表れ、シンプルなポスト・クラシカルを象徴するピアノ曲に加え、坂本龍一のピアノ曲の影響や、久石譲のジブリ音楽の和風の旋律をそっと添えており、それは、曇りがちな日の憂愁、または、窓を滑り落ちる雨滴の切なさにも喩えられる。


これらの印象を通じて紡がれるアブストラクトな音楽は、静けさに満ち、繊細で、協調性を重んずる調和的なピアノ曲という形で、アルバムの前半部の主要なイメージを形成している。例えば、坂本龍一は、クラシックやジャズを親しみやすいポピュラー・ミュージックという観点から解釈し、それらの音楽を一般の音楽ファンにも開放しようと模索した音楽家だったわけですが、ある意味では、『Seasons』は、その作風にも親和性が感じられ、かの作曲家の系譜にある作品と称してもおかしくはない。

 

小瀬村晶のピアノ曲には、日頃、わたしたちが見過ごしてしまいそうな日常のささやかな風景が描写的な音楽として紡がれている。パンデミックの時から、その後の時代に到るまで、そういったささやかな日常にある喜びを賛美し、それらを音楽家みずからの持つ美的なセンスで表現しようとしている。四季おりおりの風景や、日常の細やかな観察の成果は「Niji No Kanata」のなかにはっきりと現れていて、わたしたちが見過ごすことの多い、ささやかな喜びをこの曲は思い出させてくれる。また一般的な幸福とは異なる別の解釈による心の潤いを、美麗なピアノ曲を通じて、繊細なる鍵盤のタッチ、指が鍵盤から離された瞬間、束の間に消えるノート、その間が持つ休符という、既存のキャリアで培われた技法を通じて表現されている。十数年をかけて小瀬村晶が培ってきたもの、それは、フランツリストの超絶的な技法とは対極にある、ドビュッシーの作風の中にある感性の豊かさと安らぎでもある。

 

アルバムの収録曲の中には、清々しく爽やかな雰囲気を持った繊細なピアノ曲も際立つものの、中盤から終盤にかけては哀感に充ちた単調の楽曲が主要なイメージを占めるようになっていく。そのプロセスでは、「Vega」、「Left Behind」、「Towerds The Dawn」といったアーティストが深い森の情景を描写した「In The Dark Wood」の作風を受け継いだ楽曲がじんわりと余韻を残す。一方で、「Gentle Voice」、「Zoetrope」といった主要な楽曲では、個人的な感覚を率直に表現しようしている。以前の作品を見るかぎり、これほど虚心坦懐に書かれたピアノ曲はそれほど多くはなかったように感じられる。もちろん、それは淡々とした情景や個人的な感覚を、ピアノの繊細な旋律で細やかに描写するという小瀬村晶らしい形式で書かれている。そしてこれまでと異なり、あえて演奏時のミスタッチもそのまま粗として音源に残しているのを見ると分かる通り、瞬間瞬間のアコースティックのレコーディングにこだわったという印象も受ける。


結局、自らの心情や世界情勢、そういった広範な出来事を、この作曲家らしい慧眼で見つめ、日記のようにそれらを丹念に記していったことが、本作に少なからずの聴き応えをもたらしている理由だろうと思う。

 

アルバムの最後には、「Hereafter」という単調の曲が収録されている。しかし、エリック・サティの作風、その不可思議な和音を思い起こさせる最後の曲だけは、今までの作風とは何かが異なる。この曲は、旧来のあっさりした小曲の形式から離れ、次なるステップ--構成力を持った作風へ進むための布石--となりえる。この曲に溢れる言葉では表現がたい何か、それは艷やかな高級感のある光沢、または、暗闇の最中に光る一瞬の煌めきとも称するべきものなのだろうか。

 

 86/100