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1.Brit Schoolはどのような教育機関なのか?

 
ブリット・スクールは、英国、クロイドン、ロンドン特別区に1991年に設立されたメディア系アーティストを専門に育成する教育機関。


この専門の教育機関(テクノロジー・オブ・カレッジ)には、現在、1350名ほどの14歳から19歳までの男女の生徒が学ぶ英国政府からの直接的な資金援助を受ける教育機関。ブリットスクールの専攻分野は、9つに分かれており、この機関では、ミュージック、演劇、ダンス、映像、アートワーク、プロデュース、マーケティング、ファッション、ゲーム、アプリ制作を専門に学ぶ事が出来ます。

 

フランス、パリにも、ピエール・ブーレーズが設立した「IRCAM」という音響学やデジタルデバイスで現代音楽の作曲を学ぶことが出来る国立の教育機関が存在します。(日本の音楽大学を卒業すれば、この機関への留学の資格が与えられる)しかし、イルカムは、大学に在学するような年代を中心としたクラシックの専門とした音楽教育が行われるのに対して、この英国のブリット・スクールは、14歳から19歳までの若い年頃、大学に通うまでの年代の有望な学生を英国各地から招き、その生徒たちを専門に育成し、各々の創造性を育み、ポップやロックといった大衆音楽のミュージシャン、ダンス、放送、アート、演劇、マーケティング、ITといった多岐に渡るメディア系分野で、プロとして活躍出来るような才能を養うための環境が整備されています。 

 

英国政府から資金面でのバックアップを受けているため、国立教育機関というふうに呼んでもいいかもしれませんが、学校内は風通しが非常に良く、他の分野を先行する生徒たちが自由に交流をし、おおらな気風が貫かれています。

 

そして、さらに面白い特徴を挙げるとなら、「五人目のビートルズ」と称される”ジョージ・マーティン卿”がデザインしたレコーディングスタジオ、また、あるいは、324人と500人の観客を収容出来る二つのオビー劇場、Youtubeが資金提供を行っている2019年設立の専用テレビスタジオや、また、これらの様々な分野を跨いで、生徒たちは何時間でも創作活動を心ゆくまで楽しむ事が出来るようです。

 

これは、すべての教育者がこの学校に在籍する全生徒の可能性を心から信じきり、そして、すべての生徒たちに大きな才能があると信じている前提で行われる教育なのです。ここでは、生徒達がプロフェッショナルなアーティストになる手助けとなる授業、アーティストとして活躍する社会人となるためのエデュケーションが施されているのです。 

 

さらに、このブリット・スクールという教育機関のひときわ心惹かれる特徴があるなら、この学校に通う生徒の学費が免除されていること。そして、イギリスで唯一、無償教育が行われている機関であって、また、英国政府の補助金を受けているだけでなく、ギブソン社、化粧品会社がこの学校と提携し、現物支給という形で、この教育機関に属する生徒に対し手厚い支援を行います。

 

ギターを演奏してみたいと思ったら、生徒たちには既にレスポールギターが用意されています。映像、舞台で特殊なメイクアップを行いたいと思えば、既に、化粧品が用意されています。その御蔭で、在校生たちは高価な楽器を新たに購入する必要がないのです。

 

ブリット・スクールは、1991年の設立当初から、英国きってのスターミュージシャンを数多く輩出しています。

 

多くの方が御存じのように、エイミー・ワインハウス、アデル、といった世界的シンガーソングライターをはじめ、ケイト・ナッシュ、リリー・アレン、ジェシー・J、またクークスといった世界的なミュージシャンを音楽シーンに続々と送り出していることから、ブリット・スクールの独特な教育制度は、比較的早い段階で大きな成功を見ているように思えます。 

 

2.ブリット・スクールの変革


 

さて、ブリット・スクールの創設者であるマークフェザーストーンウィッティ氏は、アラン・パーカーの映画「名声」1980に影響を受け、この「ブリットスクール」という教育機関設立の最初の計画を着手します。

 

つまり、音楽の分野でなくて、計画当初、舞台芸術を専門とする学校を設立しようという意図で、このシティー・テクノロジー・オブ・カレッジという地方教育と一定の距離を保つ都会的な中等教育機関は、先述したように、ロンドンの特別区、クロイドンに1991年に開設されました。

 

学校の設立者、マークフェザーストーンウィッティ氏は、School for Performing Arts Trust(SPA)という機関を通じて、学校開設のための資金調達の目策を始め、その後、英国レコード協会、複数の提携する企業からの協力、実際には資金援助を受け、このブリットスクールの運営、教育カリキュラムを1991年に開始。英国政府、英国レコード産業協会、私企業、それから、英国の著名なアーティストもこの教育機関に対して支援を行っています。

 

 


 

このブリット・スクールが教えるのは専門分野だけではありません。この中等教育機関では、人間として、どのように生きるべきなのかという教育にも重点が置かれています。1991年の設立当初から、他の教育機関には見られない独特な理念が貫かれています。

 

初代の「ナイト」の称号を与えられた校長の時代から、英国人としての「紳士性」の教育に焦点が絞られ、他人に対しての親切心を持つべきという考えがこの学校の重要な理念となっています。

 

なぜなら、例えば、人間として生きる上で、自然にしなければならないこと、他人に対して思いやりを持って接したり、苦しんでいる人を見てそれに手を差し伸べるような紳士性がなければ、いかなる分野、音楽、アート、放送、俳優、舞台芸術、ITにおいて、継続的に成功を収めることは難しいからです。

 

これらの分野のプロフェッショナルとして生きるためには、個人の才覚だけでなく、他者との関係を大切にしつつ、相携えて完成作品を生み出さねければならないのです。

 

そして、この人間性というのは、この中等教育機関に入学時の審査において、最重要視される点のようです。このブリット・スクールの門をくぐろうとする生徒には、実際の専攻しようとする専門分野において、技術的審査が行われますが、このスクールの入学試験において試験する側の教師が評価するのは、一つは、何らかの表現性を自分自身で自主的に心から楽しんでやっているかどうか。そして、また、二つ目は、最も入学試験を受ける際に重要視される点、その生徒の人間性、他人に対しての「親切心」があるどうか。これは、ブリット・スクールの欠かさざる理念と称するべき概念であり、英国人としての道徳のひとつ「紳士性」に教育の重点が置かれているのです。

 

それは先にも述べたように、学校側は、これらの入学する生徒に対し、卒業後、ゆくゆくはメディア分野でのプロフェッショナルな活躍を期待していることは相違有りませんが、こういった専門分野で、最も大切な人間としての姿勢、他者と和していくための協調性を、ブリット・スクールは重要な理念として掲げています。もちろん、それは、誰の協力もなしに、長期間にわたり専門的な分野で活躍することが困難だということを学校側は熟知しているからです。そこで、多くの専門性を高めるための環境は十分整えられており、その豪華さは世界を見ても随一といえ、さらに、実際、各々の専門分野における英才教育が十代という早い段階で行われますが、このブリット・スクールは他の学校と異なり「人間としてどうあるべきか」という教育が行われ、それを生徒たち自身の才能を通して社会性を学ぶことに大きな力が注がれているようです。 

 

3.ブリット・スクールの社会的役割とその問題点

 

 

もちろん、このブリット・スクールの特徴は、卒業後においても、社会的に通用するようなアーティストを育成することに重点を置いています。

 

それは、実際の専門分野だけではなく、数学や歴史といった一般教養も学んだ上で、上記のように、社会的な問題についても学ぶ時間が用意されています、つまり、ただ単にアート活動での技術がすぐれた生徒を輩出するだけではなく、何らかの提言を芸術という表現方法を介して行うことの出来る生徒を積極的に育成しているのがブリット・スクールの教育の基本です。

 

また、専門分野で英才教育が施されるからといって、生徒同士は、それほどギスギスしたライバル関係にあるのではなく、気の合う友人のような形で付き合いを重ね、他分野を専攻する生徒とも関係性を持つのが自然であるようです。そのため、学校の卒業後、その生徒が一躍有名になっても、他の分野を専攻する卒業生とも関係性が保たれている場合が多いようです。

 

一例を挙げると、エイミー・ワインハウスは、デビューして間もない頃のアルバム作品で、同級生が手掛けるアルバムアート制作を依頼しています。つまり、在学中の他分野を跨いでのコラボレーションというのが当たり前であり、在学中にそれらの他分野の生徒と深い関係性を持つことにより、卒業後にも、気兼ねなくコラボレーションを持ちかけたりすることが出来るという利点があるようです。

 

もちろん、ここまで、ブリット・スクールの美点ばかりをずらりと並べて来ましたが、あまり一方の側面ばかりから物事を捉えることはフェアとはいえません。この学校制度を手放しで称賛することは出来ない部分もあるようです。もちろん、この学校で行われている教育については賛同の声も上がっていますが、この学校の制度、一般社会との関係性、音楽業界との距離について懐疑的な意見もあって、ブリット・スクール出身のアーティストは、不当に音楽業界で優遇されているという意見も挙がっています。この辺りは、イギリスのグラミー賞に当たる”ブリット・アワード”を主催している企業が、他でもない、スポンサーとして提携する英国レコード産業協会であるため、ブリット・スクールと英国レコード産業協会との距離が近すぎるのではという指摘が出てきているようです。つまり、ブリット・アワードを与える際に、不当な高評価が与えられているのではないだろうか、という指摘が挙がっているようなのです。 

 

こういった音楽の賞にまつわる話は、実は、昔から古典音楽でもありまして、古くは、ショパンコンクールの審査員をしていたアルフレッド・コルトーがディヌ・リパッティというピアニストが他の審査員から不当な低い評価を受けた際、なぜゆえ、この人の演奏が評価されないのかと激怒し、即、審査員を降りてしまったという音楽史の事件がありました。また、今ではフランスで最も有名な作曲家のひとり、モーリス・ラヴェルも、若い頃、フランス国内の作曲賞で無冠の帝王として有名であり、長いあいだ冷ややかな裁断を下されていました。

 

もちろん、両者とも既に歴史的な演奏家、作曲家となっているのは明らかであるため、こういった逆説的な事例を挙げたわけですが、そもそも、常になんらかのフィルターを通して与えられるのが賞というものなのか、そこまで断定づけるのは難しいですけれども、現代の音楽シーンにおいても、そういった何らかの賞にまつわる評価に懐疑的な意見がそれとなく聞こえて来るのは、綺麗事ばかりで解決できない根深い問題が音楽業界内に蔓延している雰囲気もあるようです。これは、もちろん、それは海外にいる人間からはとても見えづらい内在的課題でもあります。

 

この学校とのレコード産業の関係性について考えてみますと、商業的な大成功や賞にまつわる何か因縁や怨念のようなものがうずまき、それらがエイミー・ワインハウスという世界的スターの背後にまとわりつき、彼女の悲しい破滅的悲劇をもたらしたという見方もできなくないかもしれません。実際、エイミー・ワインハウスと言う人物は、このブリット・スクール在学中にはさほど目立たない、気の良い学生であったようで、目のくらむような巨大な産業や商業、人々の興味、それに纏わるゴシップという得難いものに飲み込まれてしまった人物なのです。 

 

そういった側面から考えてみれば、エイミー・ワインハウス、というシンガーソングライターも、もし普通の一般的なスクールに通っていれば、他の分野への寄り道もできたかもしれず、そもそもこのブリットスクールでの英才教育自体が、彼女の生涯に暗い影を落としている部分もないわけではないわけです。非凡な才能が与えられたため、社会との折り合いをつけるという面で大変苦労するという場合は、かつてのロシア芸術界きっての天才バレエダンサー、ヴァーツラフ・ニジンスキーの狂気にとりつかれた事例もありますし、必ずしも、この学校の教育だけで生が理解しきれるものではないことを、エイミー・ワインハウスの生涯は私達に教唆してくれているようです。

 

しかし、もちろん、こういった難点もありながら、さらに音楽業界の根深い問題を見通した上でも、このブリット・スクールからは、近年、魅力的で個性派のアーティストが数多く出てきているのは事実でしょう。

 

例えば、ブラック・ミディというアーティストについては、まさに、この学校らしい人種の融和という概念を引き継いでおり、白人と黒人が一緒になって心底から楽しそうに演奏している例などを見ても、近年では、ワインハウスのような悲劇的事例を出さないように、のびのびとした専門分野の中等教育が率先して行われている雰囲気が伺えます。

 

特に、このブリット・スクール出身の生徒が、個性的な芸術的な才覚、ほとばしるような表現性を携え、華々しく登場する場合が多い。

 

それは、音楽、映画、舞台、または他のメディア分野に関わらない普遍的な事実といえるのかもしれません。そのあたりは、この中等教育機関、ブリット・スクールでの教えが大いに生かされているようです。

 


近年注目のブリットスクール出身アーティスト

 

 

ブリット・スクール出身のアーティストには音楽的な特徴があって、幅広い音楽性を内面の奥深くに吸収し、なおかつ、若い年代から、日々、膨大な作曲の演奏での研鑽を他の生徒たちと積んでいるため、デビュー時から洗練された熟練のプロ顔負けのサウンドを完成させている場合が多いです。 

 

また、近年のブリット・スクール出身アーティストには、音楽性での独特な共通点があり、どことなく、ブラックミュージックの影響を感じさせ、その先にあるネオソウルというジャンルに該当する場合が多い。

 

これは、クラブ・ミュージックが盛んなロンドンという都市で、若い時代に、音楽文化と密接に関わりを持って来たこと。

 

それからまた、もうひとつ、この学校の最初のビックスター、エイミー・ワインハウス(エタ・ジェイムスやエラ・フィッツジェラルドの音楽が彼女の音楽的な天才性を目覚めさせた)の影響が、この学校の出身者の生み出す音楽には色濃く残されているように思えます。つまり、この二つは、ブリット・スクールに引き継がれている伝統性です。

 

それでは、エイミー・ワインハウス、ケイト・ブッシュ、ジェシーK、ザ・クークス等、上記に挙げたミュージシャンの他、近年最注目のブリットスクール出身アーティストについて簡単に御紹介しておきたいと思います。

 

 

King Krule

 


 

サウスロンドンを拠点に活動するキング・クルールは現在、最もブリットスクール出身者のミュージシャンの中でも際立った存在感を持つアーティスト。

 

アーティスト名は、エルヴィス・プレスリーの映画「キング・クレオール」に因む。キングクルールの生み出す音楽ジャンルは、フュージョン、ポスト・パンク、ヒップホップ、ソウルと、幅広い呼称が与えられています。

 

これは、若い多感な年代から非常に様々な音楽を吸収した上で、実際に、ブリットスクールでセッションを重ねたことにより、キングクルールは二十代後半のアーティストでありながら、完成度の高い洗練された作品を生み出してきています。また、彼の音楽性は、近年の他のこの学校出身の音楽家に色濃い影響を及ぼしていて、つまりサウスロンドンの音楽シーンの中心的な存在といえそうです。

 

このアーティストのバックボーンとしては、プレスリー、ジーン・ヴィンセント、フェラ・クティ、アズテック・カメラといった往年の多岐にわたるジャンルのアーティスト、そして、とりわけ、ピクシーズやリバティーンズに強い憧憬を抱くミュージシャンであり、独特な、クルール節ともいえるような捻りの効いたインディーポップ/ロック音楽を生み出している。もちろん、その中には、サウスロンドンのクラブシーンの影響も少なからず滲んでいます。キング・クルールの音楽性については、ザ・スミスのモリッシー、エドウィン・コリンズ、といったアーティストが称賛しています。 

 


Cosmo Pyke

 


 

サウスイーストロンドン、ペッカム出身のアーティスト、コスモ・パイクもキング・クルールと並んでロンドンのインディーシーンで、大きな話題を呼んでいるミュージシャンの一人です。 


彼は、ジョニー・ミッチェル、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリー、マイケル・ジャクソンといった著名な黒人アーティスト、そして、ビートルズ等のアーティストの音楽に影響を受けている。

 

コスモ・パイクは、ブリットスクールを卒業した後、2017年にEP「Just Cosmo」でデビューを飾り、またセカンドEP「A Piper for Janet」を2021年にリリース。その他にも、シングル作を、ポップス、ヒップホップ、ジャズ・フュージョン、レゲエ等といった多岐にわたる音楽性を取り入れ、それを見事にコスモ・パイク自身にしか生み出せない独特の音楽性として完成させています。

 

特に、他のブリットスクールのアーティストと異なるのは、独特なラップにも比するグルーブ感が紡がれ、それがレゲエ寄りのメロディ性と融合を果たしている点。一つの楽曲の中に、複数の音楽ジャンルがせめぎ合っており、レゲエであるかと思うと、いきなりヒップホップになったり、また、なんの前触れもなしにポップスになったり、と、くるくる楽曲の表情が七変化するあたりは面白い。密林等に住む昆虫の保護色にも喩えられるカラフルな音楽性を特徴としています。また、どことなくマッドチェスターシーンのポップ性にも影響を受けているように思えます。

 

イギリスのザ・ガーディアンは、コスモパイクの音楽について、「フュージョン・ジャズ、2Tone、ザ・クリエイターとクークスの音楽の融合」と説明。しかしながら、このザ・ガーディアンの評価に対して、張本人のコスモパイク自身は、少しユニークな訂正を付け加えており、「ソウル、ジャズ、レゲエ、ヒップホップをかけ合わせている。宇宙的でありながらのんびりとした音楽だ」と彼自身の音楽について語っています。とにかく、特異なセンスの持ち主であることは確か、音楽の作曲、また演奏面でも、のびのびと様々なジャンルを自由自在に往来する辺りは、凄まじい才覚を感じさせる。一刻も早い最初のスタジオアルバムの完成が望まれるところです。

 

 

Jamie Isaac


ジェイミー・アイザックは、イギリス、ロンドン、クロイドン出身のアーティスト。彼の音楽はオルタナティヴ、アンビエント、フォーク、ジャズと、様々なカテゴライズがなされており、他のブリットスクール出身の音楽家と同じように、多岐に渡る音楽性を内包しています。

 

ブリットスクール在学中から、キング・クルールと仲良くしていたようです。音楽制作に留まらず、フィルム制作、WEBスクリプト制作、と、幾つかの分野の領域に跨いで活躍する多才なマルチタレントです。

 

ブリットスクール卒業後、2013年、シングル盤「I Will Be Cold Soon」でデビュー、翌年には「Blue Break」をリリース。特に、デビューシングルは秀作であり、ジャズ・ピアノと独特な孤独感のあるポップスを展開している。また、翌年にリリースされた二作目のEP「Blue Break」は、マンチェスターの”The Guardian”誌の特集コーナー「New Music」の一貫として取り上げられ、当該記事を手掛けたマイケル・クラッグ氏によって手放しの大絶賛を受けています。特に、この二作目のEP「Blue Break」は、クラブミュージック(IDM)とアンビエントを融合したようなこれまでにはなかった清新な作風で、イギリスのミュージックシーンに大きな衝撃を与えました。

 

ジェイミー・アイザックは、ジャズ・ピアニストの音楽に深い感銘を受けており、デイヴ・ブルーベック、ビル・エバンス、テディ・ウィルソンといった名ジャズピアニストから、古典音楽の不フレドリック・ショパン、はては、ビーチ・ボーイズを、重要な音楽的背景として挙げています。 


特に、上記のアーティストと比べ、ジャズ音楽からの伝統性を深く受け継いでおり、それを現代的なロンドンのクラブ音楽として完成させた作風。特にピアノ曲としての電子音楽に焦点を当てているように思えます。

 

もちろん、ジャズやクラシックといった古典的な音楽の影響も少なくないという点では、ドイツやイギリスのポストクラシカル勢のアーティストとも近い特徴を持ちますが、ジェイミー・アイザックは、いかにもロンドン生まれ、ロンドン育ちらしい都会的に洗練された雰囲気を持ち、ポピュラー音楽、ヒップホップ、そして、クラブ・ミュージックに焦点を当てているような雰囲気が伺えます。

 

ジェイミー・アイザックの音楽性には、ロンドン特別区、クロイドンの独特な都会の夜の質感を持ち、アダルティなカッコよさがありつつ、爽快感と清涼感のある突き抜けた感じがほんのり漂っています。すでに、盟友、キングクルールとともにロンドンのインディーズシーンでは知らないファンはいない、ブリットスクールの代名詞、この教育機関の最高の生え抜きのミュージシャンのひとりです。

 

 

Rex Orange County

 


 

最後に、ブリット・スクール出身のアーティストとして御紹介させていただくのは、結構前からイギリスの音楽シーンを賑わいづけていたレックス・オレンジ・カウンティ。このソロプロジェクト名”ROC"を掲げて活動するアレクサンダー・オコナーは、英、ハンプシャー出身のミュージシャン。 

 

ブリットスクールに入学する以前にも、五歳の頃から母親が勤務していた学校の聖歌隊に所属し、幼少期から音楽の英才教育を受けています。それから、クラシックピアノを学んだ後、十六歳のときにギターを始め、Apple社の提供する音楽制作ソフトウェア”Logic Studio”で楽曲制作を開始。それから、16歳時にブリット・スクールに通いはじめ、ドラム、パーカッションを専攻する。

 

レックス・オレンジ・カウンティの音楽的な背景にあるのは、他のブリットスクール出身アーティストと同じようにユニークさで、ABBA,スティーヴィー・ワンダー、ウィーザー、グリーン・デイといった、錚々たるメンツが影響を受けたアーティストとして並んでいます。ディスコサウンド、R&B,ソウル/ゴスペルから、オルタナティヴ・ロック、ヒップホップ、そして、カルフォルニアのメロディック・パンクに至るまで、総てのポピュラー音楽を聴き込んでいるアーティスト。 

 

イギリス出身にも関わらず、「Orange County」をプロジェクト名に冠するのは、米、カルフォルニアの音楽文化に大いなるリスペクトを持ってのことでしょう。もちろん、音楽的な素養は、最初の聖歌隊とピアノの学習にあるといえますが、その後、自分の好奇心により、どんどんと音楽に対する興味を広げ、楽曲制作、ピアノ、キーボード、ギター、ドラム、とロックバンド形式の演奏を総て一人でこなしてしまうというマルチタレント性の強い天才ミュージシャンです。

 

レックス・オレンジ・カウンティの楽曲は、上記のABBAやスティーヴィー・ワンダーの音楽のように誰にでも理解しやすく、一般的なリスナーにも広く扉が開かれており、爽やかな質感に彩られた音楽性なので、どの年代でも安心して聴くことが出来るはず。おそらくBTSが好きな若いファンにもお勧めしたいアーティスト。レックス・オレンジ・カウンティの音楽というのは明るさがあって、他のブリットスクールのアーティストに比べると、ポピュラー性が高いように思われます。

 

2018年には大阪、舞洲で開催されたサマーソニック、そして、千葉、幕張のサマーソニック公演で来日を果たしているので日本でもそれなりの知名度を持つアーティスト。イギリス国内だけではなく、世界的な知名度を持つポピュラーミュージックの領域で活躍するブリット・スクールの代表的アーティストです。




References:


Wikipedia BRIT School

 

https://en.wikipedia.org/wiki/BRIT_School


WIRED やさしさのクリエイティヴ UK発 アデルを育てた学校で彼等が学ぶ

こと

https://wired.jp/special/2017/brit-school/


2020年代の音楽シーンを席巻するベッドルームポップの本質    -現代の音楽シーンの主流となるスタイル、ベッドルームポップ-

 

既に幾つかの記事で言及してきたこの”ベッドルームポップ”ではあるが、まだまだその本質というのは掴みがたいように思える。
 
 
筆者も、このベッドルームについては、その特徴について00年代に生まれたミュージシャンの演奏する宅録のポップス・ロックというように定義することができるはずだが、メタルやラップのように、コレというようにその音楽の適用を示すことが現在のところそれほど簡単なことではないように思える。
 

それもそのはずで、以前の音楽シーンというのは、どこかの地域一点集中で発生するものだったのだ。

 

しかし、少なくとも、2000年前後くらいまでは、これらの音楽上の潮流というのは、ある国のある地域に集中した音楽ムーブメントであったので、それほど定義づけが困難でなかったように思える。

 

一つの地域に焦点を絞り、音楽の特質を語り、その音楽に対して音楽メディアや聴衆がどのような反応を示しているのか、あるいは、それが世界的にどのような規模で広がっていったのかを明示しさえすれば、それで充分事足りたのである。

 

しかも、超一流のミュージシャンに関しては、アメリカ、イギリスの著名なヒットチャートをチェックしておけば、現在のシーンの流れが何となく頭に入って来たのだった。ところが、2010年辺りから、その大衆音楽上の方程式のようなものが崩れてきた。 

 

それはもちろん、これまで何度も述べてきたことだけれども、音楽産業がサブスクリプション配信主流の時代に移行したというのがかなり重要である。つまり、WEB上でミュージシャンが自作品を容易に発表出来るようになったため、レコード産業というコネクションを通さずとも、音楽自体の質が高ければ、なおかつマーケティングの方向性を間違えなければ、幅広いリスナーのシェアを獲得出来るようになったのである。

 

ミュージシャンのレコーディングについても同様であり、これまでは相当な資金を投資し、マスタリング・エンジニアを雇い、自作品の録音作業をレコーディングスタジオで早くても一日、ながければ何週間もかけて行わなければならなかったのが、2000年代から、ラップトップ上で、レコーディング専用ソフトウェア、ProTools、Logic studio、Abletonといった録音のためのツールの導入が以前よりも容易になったため、宅録作業を行うミュージシャンが徐々に増えて来たように思える。

 

もちろん、98年に起こったデジタルイノベーション「Windows98」の時代からアップル製品の全盛期に掛けて、一般家庭にもパソコンが普及し、デジタルデバイスが世界的に広がっていったというのが音楽シーンにも大きな影響を及ぼし、2000年前後に生まれたミュージシャンにとって音楽制作上での順風となった。これらの2000年前後に生まれた音楽家達は、幼い頃からデジタルデバイス機器の使用に慣れており、実際に音楽制作で、プロのレコーディング・エンジニア顔負けのトラック制作を行う。もちろん、これら00年代のミュージシャン達のWEB上での作品の商業的なマーケティング手法というのは、非常に効率的であり、計画よりも行動に重きが置かれるため、前時代の営業を専門とするマーケターより勝っている部分さえあるかもしれない。

 

つまり、デジタル機器に強い世代は、一時代前ならば複数人、それも数十人以上の人員を要して完全な作品としてパッケージしていた音楽作品を、一人、二人、少なくとも、十人以下の少数精鋭によって見事に完結させてしまう。これは本当に驚くべきミュージックイノベーション!!

 

もちろん、この作品の流通の際に、企画段階での煩わしい会議を通す必要はない。そして、実際の音源を完成させた後の作品の一般的な流通という面でも、近年では大きな発展を遂げている様子が伺える。以前なら、レコード会社のマーケティング部門を通して行っていた事を省略出来る。

 

これらのアーティストは、メジャーレコードの契約とは一定の距離を置き、自主レーベル、インディーレーベルに在籍し、作品のリリースを行うという特徴がある。ツアースケジュールについても、メジャーレーベルのような過密日程を避けるようになっている。今日の音楽制作あるいは活動というのは、日常ブログを綴るような雰囲気で、自由に音楽制作に没頭し、ライブを気ままに行うといったスタイルがこれらのミュージシャンから支持されているように思える。もちろん、音楽を発表する方法、世界中の人達に聞いて、世に問う方法は星の数ほど用意されており、例えば、ラップトップ、オーディオインターフェイス、DTMソフト、オーディオマイク、または、ギターなどの楽器さえあれば、一人、二人だけで音楽を完成させることが可能となっている。

 

そして、Bandcamp,Soundcloud,Apple Music、SpotifyといったWEBサイトを介して、世界中の音楽ファンにフレッシュな音楽を届けられる様になってきている。

 

今や、一から百までDIYとして行うスタイル、1980年代にはアメリカのインディーレーベルで行われていた亜流と考えられていたスタイルが主流へ変わっている。つまり、DIY(Do It Yourself)は、2010年から2020年代のミュージシャンの重要なテーマなのかもしれない。

 


・ベッドルームポップシーンの台頭

 

このベッドルームポップと言うジャンルが、どの辺りの年代に出来たものであるのかは曖昧模糊としている。
 
 
既に二、三年から、こういったアーティストが出てきて、チラホラと耳にするようになって来た。このジャンルの一般的な始まりは、クレイロというアーティストの音楽性が始祖である。だから、始まりとしては、2010年代後半、比較的近年に台頭しはじめた音楽ジャンルと言っても差し支えないかもしれない。
 

そして、ベッドルームポップは2000年代生まれの若い世代を中心としたジャンルで、「Bedroom Pop=ベッドルームで録音するポップ」という意味合いで名付けられたようである。

 

以前から使い慣れた言葉でいうなら、「宅録=ホームレコーディング」を、新たなネーミングによってクールに彩ってみせたという印象。ただ、以前なら、宅録といえば、電子音楽かクラブミュージックが演奏ジャンルの中心であったのに、近年のアーティストはそれほど音楽ジャンルにこだわりを持たず、柔軟に幅広い音楽性を取り入れたスタイルを展開している。

 

この辺りは、サブスクリプション世代らしいと言うべきだろうか、柔軟に多種多様の新旧の音楽を吸収している証拠。そして、これまでにはあったようでなかったベッドルームポップというスタイルがこの数年で新しく生み出された。すなわち、一般的なポピュラー・ミュージックを宅録で制作を行うという点に、これまでの音楽とは明らかな相違が見いだされる。


この音楽の特徴を述べるとするなら、少人数で奏でられる電子音楽、あるいは、インディーズ音楽然としたおしゃれで、ラフさのあるポップス・ロックと定義づけられる。

 

そして、また、このベッドルームポップというジャンルは、一部の地域で発生した音楽ではなく、そして、ガールズ・イン ・レッド、クレイロ、スネイル・メイル、メン・アイ・トラストと、有名なインディーアーティストが台頭していく内、いつの間にか、”ベッドルームポップ”というネーミングが音楽メディアにも浸透していくようになった。  

 

 

 

Men I Trust @ El Rey 04/11/2019

 

 

これらのアーティストの音楽的な概念としては、”クイア精神”、近年のジェンダーレスの概念に追従するアーティストが多く、音楽的な特徴とはまた別に、こういった考えの側面が取り沙汰される場合もある。

 

もちろん、すべてのアーティストがジェンダーレスの概念を掲げて活動しているわけではない。アーティストとして掲げるイメージはそれぞれのミュージシャン毎に異なるのが、いかにも現代の若いアーティストらしい多様性といえる。そして、前項で述べたように、このベッドルームポップというジャンルは、アメリカを中心に、カナダ、ノルウェー、ドイツ、といった地域に分布が見られることから、ある地域を発祥とする音楽ムーブメントではなくて、世界的な音楽シーンの潮流ということが出来るはずだ。

 

そして、もうひとつ興味深い特徴は、このベッドルーム・ポップシーンのアーティストには圧倒的に女性アーティストが多く見られる点だろうか。このベッドルームポップという音楽ジャンルは、女性主導のミュージックシーンの変革というようにも呼べなくもない。

 

以前は、Silver Apples,Suicide、といったニューヨークシーンの偉大な宅録ミュージシャンがいた。しかし、それらのアーティストは、どちらかといえば、いかにもアングラで地味な印象のあるミュージシャンであった。それが今日において、宅録というのは既にトレンドの一つであり、おしゃれで粋なイメージに変わっている。これは、かつてのオルタナティヴミュージックの台頭にも似た潮流のようなものを感じさせる。

 

  

 

ベッドルームポップの注目アーティスト、名盤

 

 1.Clairo

 

クレイロは、次のビリー・アイリッシュのような大ブレイクを果たすスターミュージシャンになるであろうと期待されている。誇張抜きに最注目のアーティストである。今や押しも押されぬ知名度を持ち、インディーズのミュージシャンと呼ぶのはいくらか礼に失するかもしれない。
 
 
クレイロは、ジョージア州アトランタ出身のミュージシャン。これまでウェブ上のストリーミングの膨大な再生数を見ても、世界的に強い人気を誇るアーティストである。「ベッドルームポップ」というシーンの牽引者の一人であり、2020年代の音楽を象徴するようなミュージシャン。
 
 
2020年に、フジロックへの来日公演が予定されていたが、ご存知のとおりコロナウイルス禍でイベントが中止となり、延期が決定したものの、結局、残念ながら幻の公演となってしまった。
 

2017年のシングル「2 Hold U」で自主レーベル「Clairo」からデビューを果たす。これまで全ての作品をこの自主レーベルからリリースし、ウェブ上で作品の流通を行って来たアーティストである。特筆すべきは、このデビューシングル「2 Hold U」はクレイロ自身の手によりYoutubeにアップロードされ、結果的に3500万再生という凄まじい記録を打ち立ててみせた。四年という短いキャリアではありながら、順調にファンを獲得し続けているのはひとえに、クレイロの作品自体の価値の高さによるものである。
 
 
この二、三年は、スタジオ・アルバム「Pretty Girl」での成功により、オーバーライセンスとしてレコード会社の傘下でのリリースを行うスタイルに転じているが、基本ライセンスは、変わらず自主レーベル”Clairo”に属している。一貫して「DIY」のスタイルを継続している辺りは、金と魂を音楽に売り渡さない気骨あるインディーの王道を行く本格派のアーティストといえるかもしれない。
 

もちろん、音楽性としてはインディーロック、ローファイに属するが、全然聞きにくくはないごく普通のポップミュージックとして楽しめる。クレイロの音楽の安心感が何に求められるのかといえば、ごく単純に、彼女の音楽的なバックグラウンドが1980年代の最も音楽産業が華やいだ時代のポップスにあるからだ。もちろん、若い音楽ファンの心を鷲掴みにするのみならず、古くからの耳の肥えたポップス・ロックファンの琴線にも触れうる何かがあるはず。
 
 
ファースト・アルバム「Immunity」2019もインディー・ロックの名盤として名高いが、特に、クレイロ最新アルバム「Sling」2021は、清涼感のある素晴らしいポップス作品に仕上がっている。
 
 

「Sling」2021

 

 
 
 
 
クレイロは、1980年代のポップスからの影響を公言しているが、そのポップスの旨みが凝縮された作品と呼べるだろう。
 
 
ここでは、古い時代のポップス、ギルバート・オサリバンのような親しみやすく明るい音楽が素直に明示される。このクレイロが持つ抜群のポップセンス呼ぶべきものは、どれほど大金を投じて、レコーディング機器、あるいは高価な楽器を手元に置こうとも再現しえないもの。
 
 
つまり、これはクレイロという天才的なアーティストしか生み出し得ない2020年代のポピュラー音楽である。以前のスターミュージシャンのような圧倒されるような大きなオーラを持つわけではない。
 
 
しかし、クレイロの音楽には、表向きの見掛け倒しがないからこそ、等身大の純粋な輝きが込められている。それは、この作品「Sling」に収められた細やかな質感に彩られた切ない雰囲気を持つ良質なポップソングを聴いてもらえれば十分理解していただけるはず。
 
 
「ベッドルームポップという音楽ジャンルを知るためにまず何を聴くべきか?」と問われた場合、このクレイロを差し置いて他は考えられないように思える。もちろん、最近のポップスファンだけではなく往年のポップスファンにもオススメしたいアーティストです。


 
 

2.Girls in Red 

 

そして、クレイロの次に世界的に大きな注目を受けているのが、ノルウェー出身のミュージシャン、ガールズ・イン・レッドである。
 
 
2018年にAWAL Recordingsから、シングル「i wanna be your girlfriend」は、極めてセンセーショナルな題を掲げた作品でデビューを飾る。この作品はそういった話題性を差し置いても際立ったデビュー作であることに変わりない。
 
 
特に、ガレージロックリバイバルのバンドのような音楽性を擁した今どきのロックとしては非常に珍しい雰囲気が感じられる。そして、このガールズ・イン・レッドの咽ぶようなボーカルスタイルも他のベッドルームポップ界隈のアーティストとは全く異なる特徴。この畳み掛けるようなボーカルに、表向きの音楽性のキャッチーさの背後にある本当の凄さ、つまり、ヘヴィロックとしての概念的要素が垣間見えるように思える。
 
 
クレイロと同じように、ガールズ・イン・レッドは、ソロのシンガーソングライターであり、トラック作成も基本的には一人で行うという最近の流行のスタイルをとる。ガールズ・イン・レッドは、ビリー・アイリッシュのジェンダーレスの概念を強固に引き継いだアーティストといえ、他のベッドルームポップシーンの中でも、相当強いクワイア精神を掲げるミュージシャンといえそうだ。
 
 
 
この辺りは、北欧、そして、ノルウェーという土地の文化的な風合いを受け継いだ哲学的な雰囲気を持つポップ/ロックアーティストと呼べるのかもしれない。特に、ボーイッシュと言う面では、アイリッシュより遥かに強い信念のような雰囲気を感じる。それでも、ジェンダーレス、クイア、LGBTという今日流行の表向きのイメージキャラクターの事前情報だけを元にガールズ・イン・レッドの音楽を聴くと、良い意味で期待を裏切られ、肩透かしを食らうかもしれない。ガールズ・イン・レッドの音楽の本質は単にそういった概念の表出にあるのでなく、この若いアーティストの概念から生み出される音のオルタナティヴ(亜流)性、楽曲本来の持つ痛快なパワフルさにあるのだ。 
 
 
最新アルバム「if I could make it go quiet」のリードトラック「Serotonin」は、ビリー・アイリッシュの兄、フィニアスをプロデューサーに迎え入れ、大きな話題を呼んだ作品。UK,母国ノルウェー、オーストリア、ドイツの音楽チャートで商業的にも成功を収めた。もちろん、この作品も要チェックであるものの、「最もガールズインレッドらしさのある作品を」といえば、EP「chapter 2」2019を挙げておきたい。
 
 
 

「chapter 2」EP 2019

 

 
 
 
EP「chapter 2」では、クレイロの質感に比する穏やかなギターポップ。また、それとは対極にある苛烈なロックが絶妙に融合したこれまでで一番の快作である。
 
 
一曲目の「watch you sleep」、「i need to be alone」も、トリップ感のある聞きやすいポップソングとして心惹かれる。特に、聴き逃がしてはならないのがラストトラックに収録されている「bad idea」である。
 
 
これはガレージ・ロック風味のあるクールな楽曲で、ポップアーティストとしてでなく、ロックアーティストとしてのガールズ・イン・レッドの強固な概念が感じられるはず。
 
 


3.Snail Mail

 

スネイル・メイルは、2016「Habit」EPをMatadorからリリースし、デビューを飾り、知名度を上げているミュージシャン。
 
 
米、メリーランド州、ボルチモア出身のリンジー・ジョーダンのソロプロジェクトである。これまで有名所の仕事としては、コットニー・ラブの作品にも参加している。
 
特に、ベッドルームポップのシーンにおいては、古き良きインディーロックの系譜にあたるアーティストといえる。ヴェルヴェット・アンダークラウンド、ソニック・ユース、MBV、ペイヴメント。
 
 
リンジー・ジョーダンが影響を受けているとされるアーティストの名をずらりと並べてみると、なんとも微笑ましくなるような錚々たる顔ぶれ、いかにもインディー・ロックらしいミュージシャンともいえそうだ。
 
 
そして、スネイル・メイルの実際のサウンドについてもベッドルームポップというジャンルに属しながらも硬派な気風を感じるオルタナティヴ色の強い音楽性だ。ペイヴメントの影響下にある90年代のアメリカの渋いインディーロックを受け継いで、特に、ギターロックとしての雰囲気が強く、ローファイらしい荒々しいロック性には強い主張性を感じる。
 

もちろん、そのような往年のインディーロックの良さを集約した荒々しさがあるとともに、上記したクレイロのような親しみやすい爽やかさのあるポップソングも器用に書きこなしてしまう。このあたりに、リンジー・ジョーダンの末恐ろしい潜在能力が感じられる。

一般的な名盤、話題性、そして洗練度としては、最新アルバム「Lush」2018に軍配があがるように思える。特に、アメリカのインディーシーンの名盤としてひっそり語り継がれそうな雰囲気があるのが、スネイルメイルのデビュー作「Habit」EP 2016である。
 
 
アーティストは2022年に最新作『Valentine』を発表し、フジロックフェスティバルにも出演している。その際には、Dinasour Jr.のJ Mascisとのスペシャル対談を行っている。 

 
 

「Habit」EP 2016

 

 
 
 
この作品は、ニューヨークのレーベル「Matador」からリリースされた事もあって、大きな注目を浴びた作品であり、発表当時の音楽メディアの評価も軒並み高かった。
 
 
しかも、この「Matador」は、古くはスーパーチャンク、ベル・アンド・セバスチャン、モグワイといった国内外のインディーロックの大御所アーティストから、特に日本の伝説的なアーティスト、ピチカート・ファイブ、ギターウルフ、小山田圭吾の作品をリリースしてきた世界的なインディーレーベルとして知られている。
 
 
その歴史的な功績に違わず、このスネイル・メイルの音楽性もこれらのアーティストに匹敵すると言っても差し支えないかもしれない。
 

特にリードトラックの「Thinning」はローファイ感満載のインディーロック史に残るべき名曲の一つ。この宅録感満載のラフなロックのテイストは他には求められないスネイル・メイルの強みである。
 
 
また、#6「Stick」でのローファイポップは、情感に切なげに訴えかけてくる秀曲である。どことなく不器用な形での音楽性の吐露、でも、そこには、精細な淡い詩情が漂っている。
 

この絶妙な抒情性、ギターを介してのフレーズ、そして、実際の歌に込められる激烈なエモーションこそがスネイルメイルの強みといえるだろう。特に、「Stick」の曲の終盤は、非常に感動的な展開である。
 
 
ここに表される素直で純朴な音楽性にこそ、スネイル・メイルの魅力が込められているように思えてならない。最新アルバム作「Lush」では、ギターロックとしてのローファイ感が薄れ、洗練されたポップソングに方向転換を果たしたスネイルメイル。この最初期のプリミティブな雰囲気を是非失わず、快作を続々リリースしてもらいたいと願うばかり。 

 
 
 
 

4.Men I Trust



メン・アイ・トラストは、Jessy Caron、Dragos Chiriacによって2014年にカナダ、モントリオールにて結成された。その翌年、エマニュエル・プルーが加わり、現在の三人組の編成に至る。
 
 
2014年に「Men I Trsut」を自主レーベルからリリースしデビュー。同年、モントリオールジャズ・フェスティバル、ケベックシティサマーフェスティヴァルといった大規模のイベントに参加。2020年のフジロックフェスティヴァルに出演が決定していたが、こちらもクレイロと同じく、コロナ禍により出演がキャンセルとなってしまったのが悔やまれる。
 
 
メン・アイ・トラストは、基本的にはライブに重点を置いたトリオ編成。厳密に言えば、ベッドルームポップのジャンルに収めこむのは無理やり感もあるかもしれない。 しかし、メン・アイ・トラストの音楽性としては、ドリームポップやエレクトロ・ポップと電子音楽とポピュラーミュージックの中間点に位置し、ベッドルームポップの王道を行く。多くの海外ファンがメン・アイ・トラストの音楽性をベッドルームポップと称するのは、この三人組の音楽性がクレイロに近いおしゃれな質感を持っているから。
 
 
デビュー当時から一貫して聞きやすくフレッシュ感があり、ドリーミーな質感のベッドルームポップを展開して来ている。 そして、このメン・アイ・トラストの音楽性が隅に置けないのは、古くはジャズ、電子音楽が盛んなモントリオールという土地柄らしいアシッド・ハウス的な玄人好みの雰囲気を、音楽性の中に取り入れているからだ。表向きには、聞きやすい音楽だけれども、大人向けの爽快感のあるポップスとも言える。
 

「Untourable Album」2021

 
 
 
メン・アイ・トラストの推薦盤としては、エマニュエル・プルーがボーカルとして加入後の「Headroom」(2015年)も、落ち着いたエレクトロポップとして捨てがたい作品ではある。
 
 
けれども、このグループの進化振りは、この二三年で特にめざましいものがあり、最新作が常に最高傑作ともいえるはずだ。現時点の最高傑作として「Untourable Album」を挙げても多くのファンは、その通り!!とうなずいていただけると思う。 
 
 
今作において、メン・アイ・トラストはよりポップセンスに磨きをかけたエレクトロポップ、ドリーム・ポップを展開している。その中には、もちろん、初期からの方向性を受け継いだ宅録風のジャンク感のある電子音楽寄りのトラックもちゃっかり取り入れられており、ヴァリエーションに富んだベッドルームポップとして楽しんでいただけるはず。
 
 
エマニュエル・プルーのボーカルは、以前の作品よりもドリーミーな雰囲気が醸し出されていて、ニューロマンティックに近い質感に彩られた大人向けのポップスに仕上がっている。
 
 
#3「Sugar」のオシャレ感のあるエレクトロ・ポップも秀逸ではあるものの、このスタジオアルバムの中で注目したいのは、ロックバンドとして新境地を切り開いてみせた#12「Shoulders」。これは、往年のポップスのリバイバル(ビートルズの「Because」)ともいえ、面白みのある楽曲である)として楽しむことも出来るはず。 

 

 

5.Fleece 


 

フリースは、カナダ、モントリオールにて、マシュー・ロジャーズを中心に結成されたインディーロックバンドである。
 
 
2015年、自主レーベル「Fleece Music」から発売の「Scavengers」でデビューを飾る。クレイロと同じように、全作品が自主レーベルからの発売。これまでのキャリアにおいて、アルバムを三作品、シングルを三作品をリリースしている。
 
 
このバンドの中心人物のマシュー・ロジャースは、いかにもミュージシャンらしい性格を持った面白い人物で、ロジャースは、男としてのクイア、中性的イメージを打ち出したロックミュージシャンである。
 
 
 
もちろん、これほ先例がないことではない。往年のロックスターとしては、ニューヨーク・ドールズ、ルー・リード、マーク・ボラン、デヴィッド・ボウイをはじめ、中性的なイメージを持ち、クイアの概念を掲げてきた先駆的なアーティストはロック史に数多く存在した。とりわけ、ロジャーズは、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーのキャラクターに近い愛くるしさがあり、個性的でありながらユニークなアーティストである。
 
 
ただ、マシュー・ロジャースのボーカルというのは非常に女性的であり、女性が歌っているのではないかと聴き間違うほどのフェミニンさがある。これは、フレディー・マーキュリーとは異なる人を選ぶ部分かもしれない。しかし、このマシュー・ロジャースのボーカルというのは、暑苦しくなく、涼しげで、クールな質感によって彩られている。
 
 
聴いていると、妙な陶酔感に見舞われるのは不思議でならない。それがこの人物が生粋のアーティストたる理由なのかもしれない。また、彼は、サイケデリック音楽に深い造詣を持つ人物らしく、バンドサウンドにも通好みのサイケ色がにじみ出ている。シングル盤のジャケット・デザインにおいても、サンフランシスコの往年のサイケデリックロックの名盤とまではいかないが、良い雰囲気を醸し出すアートワークが目立つ。
 
 

「Stunning&Atrocious」2021

 

 
 
  
フリースのベッドルームポップの傑作としては、最新作「Stunning&Atcious」を挙げておきたい。この作品は、2020年代のロックの隠れた名盤と銘打っても差し支えないかもしれない。 
 
 
このアルバムはアートワークは少しえぐみがあるように思えるかもしれないが、肝心の音楽性はかなり親しみやすいポップスである。
 
 
全体的に、まったりとしたロマンティックなフレーズが宝玉のように散りばめられた秀逸な作品。この陶酔感のあるポップソングというのは、クイア的なマシュー・ロジャースらしい独特な世界観といえる。なんといっても、マシュー・ロジャーズのボーカルから紡ぎ出されるリリックというのは、親しみあふれる温かさを感じざるを得ない。
 
 
特に、この作品の中では特に「Do U Mind(Leave the Light on)」を聞きのがさないでいただきたいと思う。この絶妙なチルアウト風の穏やかな雰囲気を醸し出せるミュージシャンは希少といえ、ここにロジャーズの音楽のセンスの良さが集約されている。
 
 
フリースは、これからカナダ、モントリオールのシーンをメン・アイ・トラスとともに牽引していくであろう存在として、最後に御紹介しておきたい。ベッドルームポップとしてだけではなく、インディーロックファンも要チェックの個性派アーティスト。
 

スケート文化とポップパンク 


 

現在スケートボード自体は若者に根強い人気のある普遍的なストリートスポーツとして挙げられる。 

 

それは、フットボールと同じように、どのような地域であれチャレンジが出来、それは生育環境とは全然関係なく広い門戸が開かれているからである。サッカーを例として見るなら、アフリカの貧困地域でもフットボールが普及したのは、ボール一つ、そして、空き地、ある程度の人数さえ確保できればその競技が成立する、つまり、成立条件の少なさによる。



 

同じように、ストリートボードというスポーツも、ボードさえ手に入れば、どこでもプレイできるという面で、他のスポーツ競技よりはるかに始める際のハードルは低い。

 

もちろん、その後に、プロフェッショナルなエアーをクールに決めるためには、並々ならない鍛錬が必要だろうが、ボードをはじめる際には他のスポーツよりも気楽に取り組めるというメリットがある。

 

そして、このスケートというスポーツと、パンク・ロックという音楽は、非常に密接な関係を保持していた。

 

 米国の西海岸においては、ほとんどパンクというのはスケートボードと切っても切り離せないような存在であった。元々はハードコア・パンクの一角を形成していたのも、実は、リアルなスケートボーダーだったというのも事実である。



 

そういった意味において、ストリートボードとパンクロックというジャンルは、ストリートという一部の領域において、密接に関わりを持ちながら、若者向けの巨大カルチャーとして発展していった経緯がある。スケーター・パンク、ポップ・パンクというジャンルの発祥は、八十年代の終わりのアメリカの西海岸、北カルフォルニアに求められる。特にオレンジカウンティというロサンゼルスを南下したサンフランシスコからほど近い地域を中心として、徐々に発展していった若者向けのカルチャーであり、九十年代に最も隆盛をきわめた。当初、マニア向けの存在でしかなかった、Sucidal Tendencies、Fifteen、Descendents、といったパンク・ロックバンドがヘンリー・ロリンズ擁するブラック・フラッグが米国内のインディーズシーンを賑わせた後、このカルフォルニアの地域に台頭、スケーター・パンクの流行を後押しした。



 

それから、Sucidal Tendencies,Fifteen、Descendentsに続いて、Minor Threatのギタリストとして知られるブライアン・ベイカー(アメリカで有名なテレビマンを父親に持つ)が結成した”Bad Religion”が台頭する。

 

その後、”Fat Wreck Records”を主宰し、パンクシーンに大きな影響力を持つ”NOFX”というクールなロックバンドが、八十年代後半から九十年代にかけてシーンを活性化、米国全土にとどまらず、海外にもそのムーブメントを波及させていった。

 

さらに、スケーターパンク/ポップパンクの集大成をなすべく、グリーン・デイ、オフスプリング、ニュー・ファウンド・グローリー、Sum41といったロックバンドがアメリカビルボード・チャートで健闘し、その後のポップ・パンク、エモコア・ムーブメントの基盤を着実に築き上げていく。



 

そもそも、このスケーターパンクという音楽には、古くのサーフ・ロックに一定の共通項が見いだされる。 

 

それは、古くのビーチ・ボーイズやヴェンチャーズを始めとするサーフロックというのも、サーフィンを趣味とするミュージシャンが、そのスポーツから導きだされるイメージを、音楽として表現してみせたように、このスケーター・パンクも、スケートボードを趣味とする若者が音楽という表現にのめり込んだがゆえに生み出された音楽なのだ。

 

そのムーブメントが流行した年代というのは、実に、三十年ほどの隔たりがある。しかし、痛快で、キャッチーで、スポーティーな音楽を奏でるという側面で、相通じるものがあるはず。もちろん、その発祥地域というのも、カルフォルニアという同地域を中心として発展していったのもあながち偶然とはいえない。これは、東海岸の音楽文化とは異なる西海岸の独特なカルチャーの一つ、というように言えるかもしれない。



 


 

 

 ポップパンクの名盤

 

 

1.GREEN DAY  「Dookie」


 

 

 

既に、アルバムレビューでも最初の方に取り上げた作品ではあるものの、スケーターパンク、そしてポップ・パンクムーブメントを語る上では、まずこの世界的にメガヒットを記録した傑作を度外視することは出来ない。

 

スケーターパンクの要素及び魅力は、このアルバムの中にすべて詰まっていると言っても誇張にはならないはず、瑞々しさ、青臭さ、そして、疾走感、全て三拍子揃った素晴らしい永久不変の名盤。およそこのジャンルを知るためには、このアルバムが一番聴きやすく、音楽性が掴みやすいだろうと思う。

 

「Burnout」「Basket Case」「She」といった楽曲は、2020年代でもまだ当時の光輝を失っていない。全曲、ほとんどが2,3分のヒット・チューンが矢継ぎ早に通り過ぎていき、あっという間に聴き終えてしまうことだろう。おそらく、現代のスケーターにも共感を誘うであろう、ヤンチャでいて、若々しくフレシュな音楽性が、このアルバム、ひいては、グリーン・デイの最大の魅力だ。

 

この後、グリーン・デイは、世界的なロックバンドとして認知されるようになり、政治的なメッセージを込めた作品もリリースするようになる。しかし、この作品ではアルバム・ジャケット以外は、そういったニュアンスはさほどなく、口当たりの良い作品となっている。初期のスケーター・パンクとしての特長、そして、後のポップ・パンクとしての中間点に存在する実に痛快な一作。 

 

 



 

        



2.NOFX  「Punk In Drublic」 

 

 

 

 

いわゆるスケーターパンクというジャンル概念を、他のスイサイダル・テンデンシーズ、D.O.Aとロックバンドともに広めた功績のあるバンドがNOFXだ。 Tシャツ、短パン、そして、ド派手な髪の色(金髪、ピンク髪、青髪etc.)というスタイルは、スケーターファッションの王道を行くもの、これは、デビューから何十年経っても変わらない、彼等のお約束のスタイルでもある。

 

これまでずっと、NOFXがどれだけワールドワイドになっても、肩肘をはらないスタンスを取り、フレンドリーな姿勢を示して来た。それは、彼等四人が多くの若者の兄貴分のような存在であるから。NOFXがフランクな姿勢を取っているのはブラフであり時折、痛快なインテリジェンス性を垣間見せる。ブッシュJr,政権時代から、「War in errorism」といった作品を通して、政治的でシニカルなメッセージを込めることも厭わない。 

 

このアルバム「Punk in Drublic」は、そういった思想的な面は抜きにして、ポップパンクのみずみずしさが充分に味わえる作品である。

 

もちろん、今作は、彼等の代表作として知られていて、全体に展開される目くるめくスピードチューン、16ビートの典型的なリズム、そして、メロディアスなロック性というのは、スケーターパンクの基礎を形作った。本作の良さというのは、1stトラックの「Linoleum」に集約されていると、いっても過言ではない。この痛快なスピードチューンこそ、スケートパンク/ポップ・パンクの醍醐味。なんというみずみずしい青春!! ここには、甘酸っぱいパンクロックの輝きが惜しみなく詰めこまれている。 

 

 



 

 

 

3.Descendens「Milo Goes to College」1982

 

 

 

 

スケーターがよく聴くパンク・ロックとしてよく挙げられるディセンデンツ!! 痛快なキャッチーさを持つ親しみやすいパンクロックバンド。もちろん、パンク・ロック史からみても最重要なバンドで、Black Flag、Germs、Circle Jerks、X、といったバンドと共に、80年代のUSパンク/ハードコアの礎を築き上げたにとどまらず、カルフォルニア、オレンジカウンティのカルチャーに大きな貢献を果たした。彼等は、NOFXと同じくスケーターファッションを表立ったイメージとしている。

 

 

この作品は、例えば、かつて日本のレコードショップ、ディスクユニオンで、配布していたフリーペーパーのUSパンクの名盤カタログに何度も登場してきた作品である。現在、残念ながら廃盤となっているものの、USパンクを聴き込んでいく上で、この作品を避けることは出来ない。

 

ディセンデンツは、常に、アルバム・ジャケットにおいて、シンプソンズのようなユニークな人物キャラクターをモチーフとして使用し、これまでその姿勢を貫いている。角刈りのメガネをかけたユニークな存在は、ディセンデンツのアイコンのようなものだ。

 

しかし、決して、アルバム・ジャケットの愛らしいイメージに騙されてはいけない。このキュートな対象的に、実際に奏でられる音楽のスタイルは、爽快さすら感じられる男気あるド直球パンクロック。そこには、夾雑物は混ざっていない。ここにあるのは情熱だけ、ひたすらやりたい音を素直に奏でている衝動性。これこそディセンデンツの音の最大の魅力なのだ。

 

今作「Milo Goes to College」は、ハードコア・パンクに近いアプローチを図っており、USハードコアの素地をなしている名作。

 

この音楽のスタイルは、ブラック・フラッグとともに、この後の90年代のカルフォルニアの音楽文化に多大な影響を与えたはず。カルフォルニアの太陽、澄んだ青い空、そして、スケートカルチャーが生んだ、痛快でシンプルなハードコア・パンクだ。 

 

 



 

 

 

4.All 「Allroy's Revenge」


   

 

 

ディセンデンツと盟友関係にある、ALL。

 

このロックバンドの特長は、スケーター・パンクのコアな概念からは程遠いように思えるが、ポップ・パンクバンドとしては欠かすことの出来ない。そして、上記に挙げたパンクバンドに比べ、スタンダードなヘヴィ・メタルやハード・ロックよりのアプローチが感じられるバンドでもある。 

 

そして、この後の90年代のスケーター及びポップパンクに代表されるバンドの力強い音楽性の中に、甘酸っぱい、パワーポップにも似た要素が滲んでいるのは、このバンドの影響によると思われる。

 

このALLというバンドは、他のスケーター、ポップ・パンクとして聴くと、少し物足りないようなイメージを抱くかもしれないが、ポップセンスというのは一級品、しかも恋愛に絡んだラブソングを書かせると右に出る存在は皆無である。

 

今作「Allroy's Revenge」は彼等の通算三作目となる作品。このアルバムに収録されている「She's My EX」そして「Mary」という楽曲は、アメリカンパワーポップの隠れた名品。 

 

ここで表現される甘酸っぱい楽曲は、若い頃に聴いてこそ真価が感じられる楽曲といえるだろう。ちょっと青臭い感じもあるけれど、それが滅茶苦茶良い味を出している。

 

ALLの楽曲性は、九十年代に流行したポップ・パンクバンド、Sugarcult,Mest,Blink182あたりに引き継がれていった。ポップ・パンクの基礎を築いた重要なバンドとして挙げておきたい。 

 

 



 

 

 

5.Bad Religion 「Gray Race」1996


 

 

 

ロックバンドをはじめるまでは、ストリート・ボーダーであったイアン・マッケイ擁するマイナー・スレットの解散後、ギタリスト、ブライアン・ベイカーが新結成したバンドがバッド・レリジョンだ。1980年から現在に至るまでメンバーの入れ替えを行いながら、タフな活動を続けている歴史あるロサンゼルスのパンク・ロックバンドである。

 

バッド・レリジョンは、とにかく、アメリカン・ハードコア、ポップ・パンクの重要な下地を作った最初のバンドとして挙げておきたい。彼等の音楽は、硬派であり、気骨に溢れ、そして、パンク・ロックバンドとしての重要な役割である痛烈なメッセージを持つ。

 

つまり、アメリカという国土に内在する人種、宗教、政治問題にとどまらず、アメリカ文化全体への提言まで及ぶ。

 

音楽性としては、アップテンポとまではいえないが、ノリのよい疾走感あふれる軽快なナンバーが多く、それほど捻りはなく、スタンダートなロックンロールの色合いの強いパンクロックである。

 

彼等の名作としては、その活動期が四十年という長期に及ぶため、どれを選ぶかは決めがたい。 

 

ライブパフォーマンスでのシンガロング性こそバッド・レリジョンというロックバンドの真の醍醐味であり、スタジオ・アルバムと全然楽曲の雰囲気が違うので、是非、ライブ版を一度聴いてほしい。

 

彼等の名作アルバムとしては、「The Gray Race」を挙げておきたい。 

 

ここで展開されるパワフルな音楽性、強いメーセージ性あふれる歌詞にはバッド・レリジョンの本質が垣間見れる。もちろん、この中の「Punk Rock Song」こそ彼等の代表的な一曲である。

 

もちろん、このスタジオアルバムの楽曲の他、バッド・レリジョンには、”American Jesus”,”Opereation Rescure”といった、パンク史に燦然と輝く名曲があることを忘れてはいけない。これらの楽曲は「Recipe For Hate」1993、「Against The Grain」1990で聴く事ができる。 

 

 



 

 

・番外編 

 

ドキュメンタリー・フィルム「Fuck Your Heroes」関連のパンクロック・バンド

 

 

上掲したスケーター/ポップパンクバンドと名盤の他に、リアルなスケートボード文化とパンクロックの関わりをフォトとして追った伝説的な作品がある。それが「Fuck Your Heroes」という写真集である。

 

ここには、八十年代のカルフォルニアの中心とするパンク・ロックシーンがスケートボードと関連して、どんなふうに築き上げられていったのか。リアルな写真として撮影されている。



 

 

もちろん、「Fuck Your Heroes」という過激な表題に示されている通り、必ずしも上品な概念でないかもしれない。しかし、ここには、表向きのスケート文化でなく、その背後にある生々しいストリートの文化、そして、このスポーツと深い関連を持つハードコア・パンクの熱狂性がフォトグラフィーとして生々しく描かれている。そして、スケートカルチャーと、パンク・ロックという音楽が、常に連動しながら、アメリカ全土でカルチャーとして認められるように至った事実を再確認するための重要な歴史的資料。


そのあたりのリアルなストリートボードと密接な関わりのあるパンク・ロックバンドを、最後に簡単に紹介し、この記事を終えたいと思います。



 

 

 

1.Minor Threat 「First Demo Tape」 

 

 

 

このバンドの中心人物、イアン・マッケイは、まだ、ティーンネイジャーだった頃、どちらかといえば、外交的な青年とはいえなかった。

 

ところが、彼がスケートボートをはじめた瞬間から、彼の人生の意味は、まったく別の意義を持ち始め、見果てぬほどの大きな輝かしい世界が開けてきた。よもや、スケートボードを始めたときには、自分の主宰するレーベルを持つに至るなんていう考えもなかった。

 

そして、イアン・マッケイという人物の一種の自己表現の延長線上に存在したのが、このアメリカの伝説的なハードコア・パンクバンドMinor Threatである。このワシントンDCで結成されたマイナー・スレットは、三、四年の活動期間の短さにもかかわらず、後進のアメリカのインディー文化に与えた影響力というのは、すさまじいものがある。

 

四人組の年若い、二十歳にも満たない青年たちが始めたハードコア・パンクは、徐々に八十年代を通し、ワシントン州やニューヨーク州、あるいはLAを中心に大きなインディカルチャーとして発展していき、九十年代になってメインストリームで大きく花開いたといえる。



 


彼等マイナースレットのベスト盤的な意味合いでは、「First Two Seven Inches」は絶対に聴いてみてほしいと思う。このアルバムの最初の曲「Filer」で繰り広げられる痛烈な歌詞こそ、このハードコア・パンクのヒップホップにも似た魅力が潜んでいる。

 

もう一つ、おすすめしたいのが、このEP作品は彼等のデモテープを収めた作品。これは、ベスト・アルバムではない。しかし、このマイナースレットの魅力を最も理解しやすい一枚だ。 

 

アルバム全体を通し、楽曲が目の前を怒涛の嵐のごとく通り過ぎていく。言いたいことだけを核として吐きつけて歌う痛快なスタイルは、のちのラップのライムに比する雰囲気も感じられる。

 

アメリカのスケートをはじめとするインディーカルチャーを語る上でも重要な意味合いを持っている。後の世代のパンク、インディーカルチャーに与えた影響は計り知れない。。



 

 

 



 

 

2.Bad Brains「Banned in D.C」


 

 

 

アメリカで一番早く、黒人のみで結成されたバンド、それがLAのバッド・ブレインズである。 

 

その音楽性の中には、他の並み居るパンク・ロックバンドには真似できない独特な節回しというのがあり、しかも甲高い可笑しみのあるボーカルがライムのように矢継ぎ早に繰り出される。怒涛のスピードチューン、ほかのバンドにはない煌めきを現在も放ち続けている。

 

前のめりなビート、目くるめく早さのスピードチューンというのもバッド・ブレインズの最大の魅力といえるが、その他、このバンドサウンドな背景にはレゲエ・スカ音楽の影響が大きいという面で、アメリカのインディーシーンでは現在でも異彩を放っている。          

 

バッド・ブレインズの名盤としては、彼等の鮮烈なデビュー作「Banned in D.C」しか考えられない。

 

 ここでは、「Banned In D.C」「Supertouch/Shitfit」での、前にガンガンつんのめるハードコアの魅力もさることながら、「Jah Calling」での、レゲエ・スカ、ダブ風の落ち着いた楽曲がアルバムの印象にバリエーションを持たせている。激烈さもあり、渋さもあるという面で、クラッシュの「ロンドン・コーリング」のように、聴き込むたびに良さが出てくる作品だ。

 

もちろん、自身の中にある黒人のルーツを誇らしく掲げるのが、バッド・ブレインズである。

 

彼等のようなクールな存在は他に見当たらない。時代に先んじて、ロック/パンクをブラック・ミュージックとしていち早く融合してみせた四人衆。彼等は、他のNYのRUN DMCよりも早く、アメリカで、音楽としての表現を見出そうとした歴史的なロックバンドである。

 

 



 

 

3.Suicidal Tendencies 「Sucidal Tendencies」

 

 

 

リアルなストリートボーダーがパンク・ロックを奏でたらどうなるのかという実例を示して見せたバンドがスイサイダル・テンテンシーズ。このバンドは音楽だけではなく、ファッション面においてこれまで重要なリーダーシップを果たしてきたように思える。

 

音楽性としては、盟友D.O.Aと同じように、コールアンドレスポンスを多用したハードコアパンクである。 

 

スイサイダル・テンデンシーズの傑作としてはバンド名を冠した痛快なデビュー作「Suicidal Tendencies」が挙げられる。

 

所謂、スケーターパンクというジャンルを知るのに最適な一枚であるが、音楽的には後のスレイヤーに代表されるスラッシュ・メタルの要素も感じられ、どことなく、ミクスチャー、メタル・コアの先駆けとして見れるバンドかもしれない。いかにも悪辣さや皮肉を込めた音楽性であり、人を選ぶ作品であるのは確かだが、スケーター音楽として、歴史的に重要な意味合いを持つスタジオ・アルバムであることには変わりない。

 

スイサイダル・テンデンシーズの活動後期は、スケーター・パンク色が消え、代わりに、ヘヴィ・メタルへのアプローチを図るようになるが、少なくとも、デビュー作「Sucidal tendencies」は、スケーターとしてのバックグランドがしっかり感じられる貴重な作品の一つ。 

 

 



 

 

 

4.Black Flag「Damaged」

 

 


 

最後に挙げて置きたいのが、このオレンジカウンティのインディーズ・シーンを牽引してきたヘンリー・ロリンズ擁するブラック・フラッグである。 

 

このバンドの中心人物、ボーカリストのヘンリー・ロリンズという人物は、現在のアメリカのインディー界では、最早、重鎮といっても過言でない大御所ミュージシャンとなっている。ニューヨークには、イギー・ポップという伝説的なミュージシャンがいるが、一方、カルフォルニアには、ヘンリー・ロリンズがいる、というわけである。

 

そして、このブラック・フラッグはその名のとおり、アナーキズムを掲げて音楽活動を長きに渡って行ってきたロックバンドである。ちなみにいうと、活動初期には、紅一点の女性がベーシスト、キラ・ロゼラーが参加していた。これはアメリカのパンクハードコア史の中でも、一番早い女性のパンクロッカーのひとりに挙げられる。

 

ブラック・フラッグは、スケーター・パンクという概念からは程遠い存在であるかもしれない。しかし、少なくとも、一般的には、アメリカのポップ・パンク、ハードコアシーンを語る上では、上記のマイナースレートと同等、それ以上に重要視されているバンドだ。

 

ブラック・フラッグの音楽性は、きわめて苛烈である。表面的には、粗野な印象を受けるかもしれないが、ヘンリー・ロリンズの紡ぎ出す表現の思索性、そして、このバンドサウンドの中核をなす、グレッグ・ギンのソリッドなギター。これは、外側においての攻撃性の放出をしようというのでなく、内面に渦巻く暗いもうひとりの自己とのたゆまざる格闘を音楽という領域で試みようとしているのである。えてして、近現代のラッパーは、他者とラップバトルを苛烈に繰り広げてみせるが、ヘンリー・ロリンズの繰り広げるそれは一貫して、内的な”もう一人の自己”とのラップバトルなのである。

 

彼等、ブラック・フラッグの名作としては、幾つか重要な作品がある。活動初期のレア・トラックを集めた「The First Four Years」も捨てがたいが、端的にこのバンドの良さが理解できるオリジナル・アルバムとして、まず、彼等のデビュー作「Damaged」を挙げておきたい。

 

ここで展開されるオレンジカウンティ発祥のバンドと思えない暗鬱な雰囲気がある一方、ユーモラスな質感が込められているのも、このブラック・フラッグの音楽性の特長だ。一見すると、このアルバムジャケットは悪趣味なものにも見える。しかし、ここでは、映し出された鏡の中に映り込むもうひとりの自己、あくまでそれは表立った姿でなく、内面に映し出されたもう一つの自己の姿である。その姿を鏡越しに破壊するという哲学的なメタファーも、このアルバムジャケットにはあらわされているように思える。

 

ブラック・フラッグの楽曲自体は、グレック・ギンの生み出すソリッドなギターのフレーズ、そして、シンガロング性の強いシンプルなロックンロールを主体としながら、ロリンズの激烈なアジテーションが込められたボーカルスタイルが、ボクサーのジャブのように順々に繰り出されていく様は、痛快と言うしかない。そして、その奇妙な攻撃性こそ、ブラックフラッグの最大の魅力であり、これこそまさに”ハードコアの代名詞”ともいえ、誰にも真似しえないヘンリー・ロリンズのお家芸なのである。