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Schole Records


Schole(スコーレ)は劇伴音楽を中心として活躍する作曲家小瀬村晶、菊池慎の両氏により2007年に東京で設立。レーベル発足以後、エレクトロニカ、ポストクラシカルを中心に作品をリリース。

スコーレのレーベルコンセプトとして掲げている概念は、”人々が主体的に自由に使える時間、その時間から育む事のできる豊かな創造性”。

音楽をレコードとして捉えるだけではなく、聴く人の情感に何かを与えられるように、というコンセプトを持ち、「余暇」というのを主題に、様々な作品リリースをインディペンデントの形態で行っています。

多忙な現代人の心に穏やかな安らぎを与えるという明確なコンセプトを掲げ、2007年から2021年の今日までの十四年間、それほどカタログ総数は多くないものの、聴き応えのある良質な作品のリリースを継続的に行っています。

scholeのレーベルオーナーである小瀬村晶氏は、ポスト・クラシカルの作曲家演奏家として自身の作品をリリースするだけではなく、日本映画音楽での作曲家としても以前から活躍が目覚ましいアーティストです。

このscholeに所属するアーティストは、小瀬村晶の他にも、日本のクラブミュージック界隈で活躍するハルカ・ナカムラ(伝説的なDJアーティスト Nujabesとの共作が有名)、フランスで映画音楽作曲家として活躍するクエンティン・サージャック、英ロンドンを拠点に活動する電子音楽家、Dom MIno'等が有名。

国内外を問わず、良質なアーティストが在籍しています。scholeは、エレクトロニカ、ポスト・クラシカルといったヨーロッパ、とりわけ、イギリスやアイスランドで人気の高いジャンルに逸早く日本のシーンとして反応。また、このレーベルに所属するアーティストは、エレクトロニカ、ポスト・クラシカルの国内での普及に今日まで貢献して来ています。

概して、schole主催のコンサートの際立った特色は、それほど大規模のコンサート会場で行われるというわけでなく、細やかな数十人ほどの収容の会場で観客と極めて近い距離を取り、すぐ目の前でアコースティック色の強い音楽を堪能することが出来る。

コンサートは、二、三十代くらいの観客が多く見られますが、お年寄りから子供まで安心して聴くことが出来る穏やかで静かな音楽です。スコーレのコンサートは、音楽という領域での細やかな美術展のような形式で開催される事が多い。

このscholeの発足当初から、私は、このレーベルのアーティストの紡ぎ出す、やさしく、おだやかで、心温まるような音楽に魅せられてきました。一度、コンサートに足を運んだくらい大好きなレーベルです。レーベルオーナーの小瀬村晶氏の劇伴音楽作曲家としての活躍により、今後、さらに大きな注目が集まるかもしれません。

今回は、scholeのレーベルに所属するアーティスト、数々の名盤、音の魅力について説明していきたいと思います。


 

 1.Akira Kosemura


小瀬村晶は、スコーレ・レコードを主催するオーナーにして、ポスト・クラシカル派のアーティストとして活躍。

scholeの設立と共に2007年のアルバム「It' On Everything」をリリース。これまで一貫して、ピアノの主体とした穏やかなポスト・クラシカル音楽を追求しています。基本的には、アイスランドやドイツのポスト・クラシカルシーンに呼応したピアノアンビエントの作風から、エレクトロニカ寄りの電子音楽まで、サウンド面でのアプローチは多岐に渡る。

最初期は、ピアノ音楽とエレクトロニカを融合したスタイリッシュな穏やかなアプローチを図っていましたが、近年では、エレクトロニカ色は徐々に薄れ、ピアノ音楽、小曲の形式を取るピアノ音楽の真髄へ近づきつづあるように思えます。オーラブル・アーノルズ、ニルス・フラーム、ゴルトムントの楽曲の雰囲気に近い、ピアノのハンマーの音を最大限に活かしたサウンドプロダクトが特長、ピアノのハンマーの軋みのアンビエンスが楽曲の中に取り入れられています。 

このポスト・クラシカルとしての小瀬村晶氏の楽曲の魅力は、一貫して穏やかで、特に聞き手に爽やかな風景を思い浮かばせるようなピクチャレスク性、感性に訴えかける情感にあふれています。それはレーベルコンセプトである「余暇」というものを変わらず表現してきていて、忙しい現代人の心に一筋の安らぎを与えるという明確な意図を持った楽曲を生み出し続けているという印象を受けます。

実際の演奏を聴くと、演奏技術が並外れて高いのが分かりますが、楽曲制作、レコーディングにおいては自身の技術ではなくて、楽曲のシンプルさ、親しみやすさ、そして、誰が聴いても分かる良さというのに重点が置かれているように思えます。楽曲は内向的ではあるものの、さわやかさがあり、また、内面に隠れていた心穏やかな情感を呼び覚ましてくれるはず。東京のアーティストでありながら、都会の喧騒、あるいは気忙しさとはかけ離れた穏やかで自然味あふれる雰囲気を追求しているという印象を受けます。それは都会に生きる人の切迫感とは対極にあるような平らかさを、ピアノ音楽、また、電子音楽によって表現していると言えるかもしれません。

小瀬村作品の推薦盤としては一枚に絞るのは難しい。非常に多作な作曲家でもありますし、年代ごとに作風も電子音楽からエレクトロニカ、アンビエント、ポスト・クラシカルと幅広い音楽ジャンルに適応するアーティスト。

しかし、幾つかのスコーレを代表する名盤を挙げるとするなら、エレクトロニカとポスト・クラシカルの融合サウンドを追求した「Polaroid Piano」。また、その方向性を引き継ぎ、より音の透明な質感の感じられる「Grassland+」。或いは、近年のポスト・クラシカルの名盤「In The Dark Woods」。三作のスタジオ・アルバムを小瀬村作品の入門編として挙げておきたいところでしょう。

 

Grassland + 2014


シングルとしてリリースされた 「The Eight Day」2020、「Ascent」2020も、これまでの小瀬村作品とは一味違った旨みが感じられる作品で、ノスタルジックさを感じさせる穏やかな名曲。日本のポスト・クラシカルアーティストとして、新たな境地を切り開いてみせたと言えるかもしれません。 

現代人が日々を生きるうちに忘れてしまった安らぎ、また、穏やかさ、平和さを、純粋なピアノ曲によって表現する日本で数少ない良質なアーティストで、音楽家としてもこのレーベルを代表するような存在です。 



2.Haruka Nakamura 


scholeというレーベルを最初期から小瀬村晶と共に牽引し、近年までの、エレクトロニカ、ポスト・クラシカルという音楽の知名度を日本において高めるような活躍を見せているのがハルカ・ナカムラです。 

小瀬村晶とは盟友的な存在といえる関係にあり、scholeのもうひとりの看板アーティストと言えそう。ピアノ曲を主体とした音楽性ですが、電子音楽家としての表情、あるいはまた、ギタリストとしての表情も併せ持つマルチプレイヤーとも言えなくもないかもしれません。

ハルカ・ナカムラの楽曲の特長は、人の情感にそっと寄り添うようなやさしさがあり、どことなくノスタルジー性のあるエモーションが込められていること。ピアノあるいはギターの演奏にしてもそれほどテクニカルでなく、シンプルにこれぞという良質なメロディーを散りばめる。聴いているとなんともいえない甘美さをもたらす。

また、最初期の作風に代表されるように、ギターの演奏の落ち着いた詩的な表現力があるのが最大の魅力。サウンドプログラマーとしての才覚も群を抜いており、アンビエント風のサウンド処理については、他に見当たらないような抜群のセンスの良さが感じられるアーティストです。

ハルカ・ナカムラの推薦盤としては、まず、日本のクラブ界のレジェンド、”Nujabes”とのコラボ作品「MELODICA」2013、このアルバムに収録されている「Lamp」は、日本のクラブシーンにおいての伝説的な名曲です。しかし、残念ながら、この作品は スコーレのリリースでありませんので、彼の最初期の作品「Grace」2008をハルカ・ナカムラの入門編として、おすすめしておきたいところ。 

Grace 2008


穏やかで淑やかな抒情性の中に真夜中の月のキラメキのごとき力強さが感じられるアーティストです。今なお、変わらず、その楽曲に満ち渡る光というのは、外側に力強い光輝を放ち続け、聞き手を魅了してやまない。もちろん、最初期からこのレーベルを共に支えてきた盟友、小瀬村晶氏との音楽性における共通点は多く見いだるものの、ハルカ・ナカムラの楽曲には、いかにも日本のクラブミュージックで活躍するアーティストらしい、独特なクールさが見いだせるはず。   


3.Paniyolo


Paniyoloは、福島県出身のギタリスト、高坂宗輝さんの2006年からのソロ・プロジェクト。 アコースティックギターの爪弾きによって、穏やかでくつろげる静かな音色を生み出すアーティストです。

 上記の2人に比べると、カリスマっぽさはないものの、どことなく親しみやすい温和さのあるギタリストです。ライブでは、エレクトリック・アコースティックギターを使用。それほど演奏自体は技巧的ではないものの、フレーズのセンスの良さ、そして、和音進行の変化づけにより、繊細なニュアンスを与える。演奏自体はシンプルなアルペジオ進行が多いけれども、その中に、ギターの木の温かみを活かした自然味あふれる雰囲気を感じさせてくれる素敵な音楽。

音楽的なアプローチとしては、電子音楽、フォークトロニカ寄りになる場合もありますが、基本的にはインディー・フォークを頑固一徹に通してきているなんとも頼もしいアーティストです。

その中にも民族音楽色もあり、とくにスパニッシュ音楽からの影響がそれとなく感じられるギタリスト。Paniyoloの生み出す音の世界は幻想的とまでは行かないけれども、温和なストーリー性の込められた音楽です。

どことなく切なげな質感によって彩られているのも乙です。なので、ジブリ音楽のような方向性の音楽を探している方には、ピッタリな音楽かもしれません。

大人から子供までたのしめるようなシンプルで分かりやすい音楽性がPaniyoloの一番の魅力。以前、ライブを見る機会がありましたが、演奏中にエレアコの電池が切れるというハプニングがあったにも関わらず気丈に演奏を続けていた。それほど派手さこそないものの、寡黙な素朴さがPaniyoloの良さ。誰にでも楽しめるナチュラルな演奏を聴かせてくれました。

推薦盤としてはScoleのレーベルメイト、ダイスケ・ミヤタニとの2020年の共同制作シングル「Memories of Furniture」も切なくてかなり良いですが、Paniyoloの音楽性の良さを理解しやすい作品が2012年の「ひとてま」。   


ひとてま 2012


ここでは、聴いていて、ほっと息のつける穏やかなアコースティックギターの音色を楽しむ事ができる。複雑なサウンド処理をせず、ギターのナチュラルな音色に聞き惚れてしまうような感じ。 

フレーズを聞いていると、ひだまりの中でぬくぬくするような憩いが感じられる。特に、このスコーレというレーベルのコンセプトの「余暇」という概念を考えてみたときにぴったりなアーティストといえるでしょう。

このアルバムの中では、エレックトリックピアノだけではなく、テルミンの「ホヨ〜ン」という音色も使用されています。アイスランドのアミナあたりのエレクトロニカが好きな人にもおすすめしておきたいです。

時間に忙殺される現代人なら是非聞いてみてほしい、「間」のない心に「間」を作ってくれる貴重な音楽のひとつです。 

 


4.Quentin Sirjacq


クエンティン・サージャックは、レーベルオーナーの小瀬村晶が発掘した素晴らしいアーティスト、フランスの映画音楽を中心に活動している音楽家です。

ちょっと映画関連のことは余り詳し気ないんですが、結構有名な作品のサントラも手掛けているはず。一度、2011年の「La Chambre Clare」のリリース時、日本に来日しており、実は、私はそのコンサートに居合わせましたが、凄まじい才覚が感じられるアーティストです。MCの際は、フランス語でなく、英語で話し、真摯な音楽性とは正反対の親しみやすい、ジョークたっぷりのユニークな人柄が感じられるアーティストです。

サージャックは、ドビュッシーやラヴェルをはじめとする近代古典音楽からの影響を受けたピアニストであり、その時代の音楽のロマンス性を現代に見事に引き継いでいます。現代的ではありながら、古典音楽のような理論的な音の組み立てが失われていない。

とくに演奏と言う面でも現代音楽の領域に踏み入れ、ライブの際には、ピアノの弦に専用の輪ゴムを挟んでディチューニングし、いわゆる、プリペイドピアノのような演奏をするという点では、近代古典音楽だけではなく、現代音楽、ジョン・ケージやフェルドマンのような実験音楽への深い理解も伺えます。

音楽性としては、耳にやさしいピアノ音楽。もちろんそこに弦楽やギターの伴奏、対旋律が加わる場合がある。エリック・サティからの近代フランス和声の継承者ともいえ、ピアノ・アンビエント、ポスト・クラシカルの未来を担うであろうアーティスト。確かなピアノ演奏の技術に裏打ちされた超絶的な演奏力も魅力で、お世辞抜きにピアノ演奏家としても頭一つ抜きん出たアーティストです。

 

the indestructibillity of the already felled 2020


クエンティン・サージャックの推薦盤としては、デビュー作の「La Chambre Claire」もエリック・サティの系譜にある叙情的で秀逸なピアノ曲を楽しむ事ができるるので捨てがたくもありますが、特に近年、David Darlingやダコタ・スイートをはじめとする共同制作でより持ち味が出て来ているように思え、「the indestructibillity of the already felled」を入門編としてオススメしておきたい。

ここでのエリック・サティからの音楽性、そして、スロウコアシーンで活躍するダコタ・スイートのボーカルの雰囲気が絶妙に組み合わさった作品。アンニュイさもあるけれども、どことなくそれが爽やかな質感によって彩られた秀逸なアルバムとなっています。 



5.Daisuke Miyatani


Daisuke Miyataniは兵庫県淡路島出身のギタリスト。2007年、ドイツ、ベルリンのエレクトロニカを主に取り扱うレーベル「ahornfelder」から「Diario」をリリースし、デビューを飾る。

その後、スコーレに移籍、シングル作品を中心としてリリースを行っている。後にこのデビュー作「Diario」はスコーレからリマスター盤が2018年に再発されています。

  

Diario 2018


Daisuke Miyataniの音楽性としては、ギターによるアンビエント性の追求、楽曲中にフィールドレコーディングのサンプリングを取り入れた実験性の高い音楽であり、特にギターの音響を拡張し、それをアンビエンスとして表現するというスタイルが採られています。 

また、エレクトロニカ、フォークトロニカ寄りのアプローチに踏み入れる場合があり、このあたりはムームあたりのアイスランドの電子音楽の影響を逸早く日本のアーティストとして表現したという印象を受けます。Daisuke Miyataniの音楽性は、他のスコーレのカタログ作品に比べると、抽象画の世界を音楽によって表現したような魅力がある。明瞭としない音像はアンビエントそのものではあるものの、その中にも、キラリと光るフレーズがあったりするので聞き逃がせません。

音楽自体は実験性が高いため、難解な部分もありますが、そのあたりの抽象性は、高いアート性を擁していて、真摯にアンビエンスというものを研究し、それを音楽として表現しているからこそ、引き出される奇妙な質感。

ギタリストとしても独特なミニマル的なフレーズを多用しつつも、どことなく切なげな情感を醸し出している。楽曲のトラック自体に、ディレイエフェクトを多用した抽象性の高いサウンドであり、アンビエント音楽としても楽しむことが出来るはずです。  


6.Teruyuki Nobuchika


延近輝之は、京都府京都市出身の作曲家、テーマ曲やテレビドラマの音楽、そして、日本の映画音楽だけではなく、アメリカの映画音楽も手掛けている幅広い分野で活躍するアーティストです。

2006年から劇伴音楽を中心にミュージシャンとして長きに渡り良質な楽曲を多数制作しているアーティストです。音楽性としてはピアノ曲が中心で、それほ奇をてらわず、穏やかで親しみやすい楽曲、聞き手の情感に素直に届くような美しい小曲をこれまで多く残してきています。それほど専門的な領域、アンビエントとしてでもなく、電子音楽としてでもなく、久石譲氏のような誰が聴いても理解しやすい音楽性が最大の魅力。

延近輝之の名作としては、ピアノ曲のホロリとくるような情感がたっぷりと味わう事のできる「Sonorite」を推薦しておきたいところなんですが、このアルバム作品はscholeからのリリースではないので、スコーレ特集としては2009年リリースの「morceau」をレコメンドしておきましょう。

  

morceau 2009


ここでは、scholeの他のカタログとともに並べてもなんら遜色のない、他の映像作品のサントラ、もしくは、ソロ名義での延近作品とは異なる、電子音楽、エレクトロニカ寄りのアプローチが計られています。

マスタリングでのディレイの多用、あるいはサンプリングの導入などは如何にもスコーレ作品らしいといえるような気がしますが、少なくとも延近輝之の音楽性の親しみやすさに加え、電子音楽的なオシャレさが融合された独特な作品に仕上がっています。

エレクトロニカらしいサウンド処理がほどこされており、環境音楽として聴く事もできるはず。ここでは、劇伴音楽での延近輝之の仕事とは又異なる「アート音楽」としての際立った個性が感じられる作品となっています。

 

7.  dom mino'


schole特集として、最後に忘れずに御紹介しておきたいのが、ロンドン在住の音楽家、dom mino'、Domenico Mino。

scholeから2008年と2010年に、アルバムリリースを行っているものの、それ以後、音沙汰のないのがとても残念です。この二作品のリリース以前に、Tea Z Recordsからシングル盤を一作品のみリリースしています。

dom mino'は、どちらかというと、音楽家というよりも、サウンド・デザイナー寄りのアーティストと言えるかしれません。しかし、この小瀬村晶氏をエグゼクティブプロデューサに迎え入れて制作された「Time Lapse」は、エレクトロニカの隠れた名盤としてあげておきたいところです。  


Time Lapse 2008


このdom mino'は、玩具のような音をサンプリングを用いてセンスよく楽曲の中に取り入れるという側面においては、トイトロニカあたりに位置づけても構わないでしょう。 

ムーム、I am robot and proudあたりが好きな人はピンとくる音楽性かもしれません。また、ダンス的な要素があるという面ではテクノ寄りの音楽。でも、なぜか妙な涼やかな質感があり、切なげな雰囲気が楽曲に滲んでいるのも魅力。

音色自体は、妙なスタイリッシュさ、オシャレさを感じる秀逸な音楽です。BGM的ではあるものの、それほど楽曲単体で聞いたときの存在感が乏しいわけでもない。つまり、エレクトロニカ、テクノ音楽として絶妙なバランスを保った作品。このあたりは、小瀬村晶のプロデューサーとしての素晴らしい手腕により、全体的なアルバム作品としても聴き応えあるトラックに仕上っています。

夏の暑さを和らげるような涼やかさのあるエレクトロニカサウンド。こういった類の音楽は世に沢山あるものの、今作のように聴いてうっとりできるような作品は珍しいかとおもいます。ここで展開されるクラブよりのエレクトロニカ、電子音楽の詩的で内向的な表現性は、このあたりのジャンルの愛好家にとってたまらないものがあるはず。 

また、scholeの代表的なアーティスト、ハルカ・ナカムラの楽曲のリワーク「Arne」 もこの時代の最先端を行くオシャレさのあるサウンド、今聞いてもなおこの楽曲の良さというのは失われていない。また小瀬村作品のリワーク「Scarlett」もトイトロニカ風のアレンジメントが施されていて面白い。

全体的にエレクトロニカの旨みが抽出されたような音楽です。しかし、聴いていて、全然耳の疲れを感じさせないのは、アンビエント寄りの質感に彩られているからでしょう。音を介して何かサウンドスケープを思い浮かべさせる、なんだか想像を掻き立てられるような雰囲気も良い。これまでのscholeのカタログ中でも、最良のエレクトロニカの名盤として最後に挙げておきましょう。 

  

9.Schole Compilation


また、scholeの推薦盤としては、このレーベルの音の魅力を掴むためには、これまでに四作品リリースされてきている記念コンピレーション盤をチェックするのも一つの手かもしれませんよ。


Schole Compilation Vol.1

 

 
Note Of Seconds Schole Compilation Vol.2

 

Joy Schole Compilation Vol.3

 

 
After The Rain Schole Compilation vol.4

 

これらのカタログは、scholeの見逃せないアーティスト、楽曲を網羅しているコンピレーション作品です。アルバムジャケットの爽やかな美しさに、このレーベルの重要なコンセプトがしっかりと表現されています。

そして、最初に述べたように、忙しい現代人の心に余暇の概念を与えるような素晴らしい作品集となっています。これからもscholeというレーベルから世界的な電子音楽家、ポスト・クラシカルの名盤が出てくるかもしれません。日本の良質なインディーレーベルとして再注目しておきたいところ。

 日本のシューゲイズシーンについて



日本のシューゲイザーシーンの注目アーティスト、揺らぎ


2010年代辺りから、魅力的なシューゲイズ・リバイバルシーンが、米国、NYを中心にして活発なインディーズシーンが形成されるようになった。ここ日本でも、同じく、ここ数年、アメリカのシーンと連動するような形で、魅力的なシューゲイザーバンドが台頭している。


そして、80-90’sの英国のインディーミュージック・シーンで発生したこのシューゲイズというジャンルが、日本でも一定の人気を獲得、多くのコアな音楽ファンを魅了しているのは事実である。これは、意外なことに思えるものの、実は、元々、日本のインディーズシーンでは、このジャンルに似たバンドが数多く活躍してきた。 


その始まりというのは、相当マニアックな伝説的な存在、”裸のラリーズ”。このバンドは実に、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインに先駆けて、同じような雰囲気を持つ轟音サウンドをバンドの特質の中に取り入れていた。 


以後、メインストリームに近い存在として例を挙げると、例えば、90年代のスーパーカーは、最初期にパワーポップとシューゲイザーを見事に融合したJ-Pop/Rockを炸裂させていた。それは、彼らのデビューアルバム「Three Out Change」を聞けば理解していただけると思います。また、その後、凛として時雨は、オルタナティヴというより、シューゲイザーに近い苛烈なディストーションサウンドをクールに炸裂させてオーバーグラウンドのシーンで人気を博した。  


しかし、この日本で、イギリスやアメリカのように、大々的なシューゲイズシーンが形成されていたような記憶はあまりない。


近年までは、ロキノン系のロックバンドの台頭の影響を受けて、東京の、新宿、渋谷、下北沢においては、特に、歌物のオルタナティブ・ロック、また、メロディック・パンクというジャンルがミュージシャンの間で盛んで、その辺りのバンドにそれらしい雰囲気のあるバンドは数多く活躍していたが、シューゲイズというジャンルを旗印に掲げるバンドはそれほど多くは見当たらなかった。


ということは、シューゲイズというジャンルは、これまでメインカルチャーでもカウンターカルチャー界隈でも、リスナーの間ではそれなりに知られているけれど、ミュージシャンとしては演奏する人があまりいなかった印象を受ける。


それはひとつ、MBVという伝説的存在のせいなのか、演奏するにあたって敷居が高い、つまり、あまりお手軽さがないというのが一因としてあって、パンクロックがレスポール一本で音を組み立てられ、フォークではアコースティックギター一本で、音を組みたてられる一方で、このシューゲイズというジャンルは、バンド形態を取らないと再現させるのが難しいジャンルで、ギター・マガジンを毎回読み耽るくらいの音作りマニアでないと、説得力のある音楽として確立しえなかったんじゃないかと思う。


つまり、ギターの音作りをバンドサウンドとして組み立てる面で、コアな知識を必要とするため、バンドとして演奏するのに、ちょっとなあと戸惑うような難しい音楽だったのだ。

 

このジャンルは、これまでオルタナから枝分かれした音楽として日本の音楽シーンに存在していたものの、その音楽性が取り入れられるといっても、音楽マニアにしかわからないような風味の形でしか取り入れられなかった。そして、一部の音楽ファンの間でひそかに愛されるインディージャンルとして、これまでの日本の地下音楽シーンで生きながられてきたという印象を受ける。


ところが、アメリカのシーンの流れを受けてか、日本でもシューゲイズに色濃い影響を受けたロックバンドが、メジャー/インディーズに関わらず登場して来ている。有名所では、羊文学がシューゲイズ寄りのアプローチをJpopの中に取り入れている。そして、近年、音作りの面でメーカーのエフェクターが徐々に進化してきているかもしれず、また、サウンド面でもリマスタリングの段階で、シューゲイズらしい音が作りやすくなっている。その辺のミュージシャン事情が、以前より遥かに音作りの面でハードルが下がり、日本でも、オリジナルシューゲイズの轟音性を再現する、魅惑的なロックバンドが数多く台頭してきた要因なのだ。


このジャンルは、ポストロックの後の日本のインディーシーンのトレンドとなりそうな予感もあり。ここは業界の人がガンガン宣伝していくかどうかにかかっているでしょう。そして、インディーシーンの音楽これらのロックバンドの音楽性の意図には、このシューゲイズというジャンルに、今一度、華々しいスポットライトを浴びせよう、というリバイバルの狙いが込められているのが頼もしく感じられる。これはもちろんニューヨークのインディーシーンと同じだ。 


もちろん、シューゲイズは、それほど一般的には有名でこそないニッチな音楽ジャンルといえるものの、現在、オーバーグラウンドからアンダーグラウンド界隈のアーティストまで、幅広い分布を見せているジャンルであり、十年前くらいから、個性的なロックバンドが続々登場してきている。スター不在のまま他の人はあれをやっているが、俺だけはこれをやる、私だけはこれをやる、というように、個性的なロックバンドが日本の地下シーンを賑わせつづけている。


これが実は、文化というものの始まりで、最後になって、大きな渦を巻き起こすような華々しいムーブメントに成長していくのは、往年のシカゴ界隈とか、ニューヨークのシーンを見てもおわかりの通り。大体のミュージシャンたちが、結成当初、きわめてコアな存在としてシーンに台頭してきたバンドが多いが、徐々にその数と裾野を広げつつある。


あまり大それたことはいいたくありませんが、もしかすると、このあたりのシーンから明日のビックアーティストが、一つか二つ出て来そうな予感もあり、俄然ロックファンとしては目を離すことが出来ませんよ。


今回は、この日本の現代シューゲイズシーンの魅力的なロックバンドの名盤を紹介していこうと思ってます。

 

1.揺らぎ(Yuragi) 「Nightlife」EP 2016


 


揺らぎは、Vo. Gu,Mirako Gt.Synth Kntr Dr. Sampler.Yuseの三人によって、2015年に滋賀で結成。


大阪、名古屋といった関西圏を中心にライブ活動を行っていて、今、現在の日本のインディーズシーンで最も勢いのあるバンド。


これまで四作のシングル、EPをリリースし、そして今年、1st Album「For You,Adroit It but soft」をリリースし、俄然、注目度が高まっているアーティストで、アメリカのワイルド・ナッシングに匹敵する、いや、それ以上の可能性に満ちたロックバンドと言っておきたい。


ここでは、シューゲイズという括りで紹介させていただくものの、幅広いサウンド面での特徴を持つバンドで、デビューEP「Nghtlife」2016では、Soonという楽曲で、アメリカのニューヨークのニューゲイズシーンにいち早く呼応するような現代的なシューゲイズ音楽を前面展開している。

             

また、他のシューゲイズバンドと異なるのは、シューゲイズだけではなく、多くの音楽性を吸収していることである。サンプラー、シンセといったDTMを駆使し、エレクトロニカサウンド、ハウス、あるいはポストロックに対する接近も見られ、とにかく、幅広い音楽性が揺らぎの魅力である。


轟音性だけではなく、それと対極にある落ち着いた静かなエレクトロニカ寄りの楽曲も揺らぎの持ち味で、その醍醐味は「Still Dreaming,Still Deafening」のリミックスで味わう事ができる。マイ・ブラッディ・バレンタインというより、最近のNYのキャプチャード・トラックスのバンドの音楽性とMumの電子音楽性をかけ合わせたかのようなセンスの良さである。


そして、最新作のスタジオ・アルバム「For You,Adroit It but soft」が現時点の揺らぎの最高傑作であることは間違い無しで、ここでは、ポストロック、エレクトロニカ、そして、ニューゲイズを融合させた見事な音楽を体現させている。ときに、モグワイのような静謐な轟音の領域に踏み込んでいくのが最近の揺らぎのサウンドの特徴である。


しかし、現代日本のシューゲイズとしての名盤を挙げるなら、間違いなく、彼らのデビュー作「Nightlife」一択といえるでしょう。このアルバムの中では特に、「soon」「nightlife」の二曲の出来がすんごく際立っている。 ここでは、往年のリアルタイムのシューゲイズを日本のオルタナとして解釈しなおしたような雰囲気があって素晴らしい。


ここでは、まだ、バンドとしては荒削りでな完成度ではあるものの、反面で、その短所が長所に転じ、デビューアルバムらしいプリミティヴな質感が病みつきになりそうな見事のシューゲイズ/ドリーム・ポップサウンドが展開されている。このなんともドリーミー雰囲気に満ちた世界観も抜群の良さ、文句なし。フロントマンのミラコのアンニュイなボーカルも◎、そして、どことなく息のわずかに漏れるようなボーカルスタイルが、他のバンドとはちょっと異なる”揺らぎ”らしいワイアードな魅力である。



2.Burrrn 「Blaze Down His Way Like The Space Show」2011


 


バーンは、2005年に東京で結成された三人組編成のシューゲイズロック・バンド。2007年のミニアルバム「song without Words」でデビューを飾る。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとソニック・ユースにかなり影響を受けているらしく、実験的なシューゲイズバンドというように言える。


シューゲイズのギターのグワングワン、ボワンボワンな轟音の特徴というのはもちろん引き継いでおり、そこにさらに、ドラムのタムに独特なエフェクトがかかっていて、バンドサウンドに巧緻にとりいれられているあたりが面白い。また、さらに、Trii Hitomiのボーカルというのもアンニュイがあって、センスの良さが感じられる。


正直、彼らはこれまで三作品のリリースがありますが、全作品入手が困難です。唯一入手しやすく、またサブスクでも聴けるるのが、このスタジオ・アルバム「Braze Down His Way Like The Space Show」です。


このアルバム中では、独特なドリーム・ポップの旨みがとことん味わえいつくせる、六曲目「Picture Story Show」、最終曲の「Shut My Eyes」が傑出しています。アルバム全体としても、アメリカのニューヨークのワイルド・ナッシングにも似た質感がある。


もちろん、ソニック・ユースから影響を受けているということで、都会的なクールさのある音楽性もスンバラシイ。表向きには、「これでもか!!」というくらい、ド直球のシューゲイズを放り込んできているのが好ましい。しかし、ときに、それよりも音楽性が深度を増していき、ローファイ/ポストロックの轟音性の領域にたどり着いちゃうあたりは、通を唸らせること間違いなし!! 


3.Oeil 「Urban Twilght」remaster  2017

 

 

 

ウイユは、日比野隆史とほしのみつこによって、2007年に結成された東京発のシューゲイザーユニット。 


Bandcampを中心として活動していたバンドで、これまでにアルバムはリリースしておらず、シングルとEPを三作発表しています。もしかすると、幻のシューゲイズバンドと言えるかもしれません。 

 

音楽性としては、イギリスのリアルタイムのシューゲイズムーブメントに触発された音であり、Chapterhouse,Jesus and Mary chain,My Bloody Valentine直系のド直球のシューゲイズを奏でている。音がかなりグワングワンしており、往年のシューゲイズバンド以上のドラッギーな轟音感を持つ。                


「Urban Twilight」は、彼らのデビューEPとしてSubmarineからのリリース。2016年にリマスター盤が再発されている。


おそらく一般受けはしないであろうものの、シューゲイズのビックバンドが不在の合間を縫って登場したというべきか、マイブラ好きには堪らないギターのトレモロによる音の揺らぎを見事に再現。シンセサイザーとギターの絶妙な絡み、そしてほしのみつこのぽわんとしたドリーミーなボーカル、陶然とした雰囲気のあるボーカルを聴くかぎりは、マイブラ寄りのロックバンドといえる。。


このアルバム「Urban Twilight」の中では、一曲目の「Strawberry Cream」の出来が抜きん出ている。往年のシューゲイズファンにはたまらない、涎のたれそうな名シューゲイズです。二曲目の「White」もMBVのラブレスを彷彿とさせるサウンド。


このギターのうねり揺らぎのニュアンスは、ケヴィン・シールズのギターサウンドを巧みに研究していると感心してしまいます。シューゲイズーニューゲイズの中間を行く抜群のセンスの良さに脱帽するよりほかなし。 



4.CQ 「Communication,Cultual,Curiosity,Quatient」2016


CQというバンドの前進、東京酒吐座というバンドを知っている人は、正直、あまりいないでしょう。もし知っていたとしたら、重度のシューゲイズ中毒者かもしれません。


しかし、これはくだらない冗談としても、この東京酒吐座(トウキョウシューゲーザ)というダジャレみたいな名を冠するグループというのは、東京の伝説的なオルタナティヴロックバンドであり、一部界隈に限定されるものの、2010年代近辺にカルト的な人気を誇っていたインディー・ロックバンドである。            


    

その東京酒吐座のメンバーが解散後に組んだバンドがこのCQ。しかし、そういった要素抜きにしても、日本語で歌うシューゲイズバンドとしてここではぜひとも取り上げておきたい。


2010年代の東京のオルタナシーンを牽引していたという自負があるからか、他のシューゲイズバンドと比べ、本格的なロック色が強く、そして、音自体もプリミティヴな輝きを持っている。


そして、日本語の歌詞を歌うことをむしろ誇らしげにし、轟音サウンドを掲げているあたりがかっこいい。アメリカのダイナソーJr.のJ Mascisのような轟音ギターと聞きやすい日本語歌詞が雰囲気が絶妙にマッチしたサウンドで、 独特な清涼感が感じられる。                      

          

既に解散しているCQの作品は、Burrrnと同じく入手困難。唯一、サブスクで聴くことが出来る「Communication,Cultual,Curiosity,Quatient」が、そのあたりの心残りを埋め合わせてくれるはず。 


CQは、オルタナサウンドの直系にあたる音楽性で、最近流行のニューゲイズからは距離をおいているように思えますが、時代逆行感が良い味を出している。


海外には海外のロックがあるが、ここ日本には日本のロックがある、ということを高らかに宣言しているのが素晴らしい。また、純粋に、「日本語で歌うロックって、こんなにもかっこいいんだ」ということを教えてくれる希少なバンドといえる。


札幌のインディーシーンの伝説”naht”、Bloodthirsty Butchersのギタープレイを彷彿とさせ、激烈で苛烈な日本インディーロックサウンドらしい音の質感。誇張抜きにして、ギターの轟音のウネリ具合、キレキレ感、バリバリにエッジの効いたサウンドは世界水準。


また、そこに、日本の歌謡曲の世界観が、風味としてそっと添えられているのがかっこいい。知られざる日本のオルタナロックの名バンド。 



  5.宇宙ネコ子 「君のように生きられたら」 2019

  

 


この宇宙ネコ子というのは、バイオグラフィにしても、また、詳細なプロフィールにしても謎に包まれている。


おそらくこれからも、この謎が完全解明されることはないでしょう。ここで紹介できる記述は、神奈川県のインディーロックバンドであるということ、メンバー構成も常に流動的であり、まるで、サッカーのフォーメーションのような柔軟性。常に何人で、というこだわりがなく、三人であったか思うと、五人まで膨れ上がり、かと思うと、現在は二人のユニット構成となっている。               

 

作品中のコラボレーションの相手も慎重に選んでおり、慈恵医大出身という異色の経歴を持つ宅録ミュージシャン、入江陽、あるいは、ラブリーサマーちゃん、度肝を抜かれるようなアーティスト名がずらりと並んでおり、正直面食らいます。しかし、何故か、妙に心惹かれるものがある。そして、あまり表側に出てこないバンドプロフィール情報というのも、この膨大な情報化社会の中にひとつくらいあってはいいかなと思うのは、多分、B'zのマーケティングの前例があるから。ツイートにしても、基本的に謎めいたワードを中心に構成されているのはニンマリするしかなく、これは、狙いなのか、天然なのか、いよいよ「謎」だけが深まっていく。 


しかし、こういった謎めいた要素を先入観として、この宇宙ネコ子のサウンドを聴くと、その意外性に驚くはず。表向きのイメージとは異なり、本格派のミュージシャンであるのが、このアーティストである。 


しかも、ポップセンスというのが際立っており、往年の平成のJ-pop、もしくはそれより古い懐メロを踏襲している感じもある。そして、Perfumeであるとか、やくしまるえつこのようなテクノポップ、シティポップからの影響も感じられる、奇妙でワイアードなサウンドが魅力。


そして、どうやら、宇宙ネコ子は、DIIVを始めとする、NYのキャプチャードトラックのサウンドにも影響を受けているらしく、相当な濃いシューゲイズフリークであることは確かのようです。そして、どことなく、JーPopとしても聴ける音楽性、青春の甘酸っぱさを余すことなく体現したような歌詞、切ない甘酸っぱいサウンドが、宇宙ネコ子の最大の魅力といえる。


宇宙ネコ子は、これまで、”P-Vine”というポストロックを中心にリリースするレーベルからアルバムを二作品発表している。


「日々のあわ」も、良質なポップソングが満載の作品ではありますが、最新作「君のように生きられたら」で、宇宙ネコ子はさらなる先の領域に進んだといえる。


一曲目の「Virgin Suscide」は、日本のシューゲイズの台頭を世界に対して完全に告げ知らせている。ここでは、他に比肩するところのない甘酸っぱい青春ソングを追究しており、そこに、シューゲイズの轟音サウンドが、センスよく付加される。歌詞の言葉選びも秀逸で、手の届かない青春の輝きに照準が絞られており、この微妙な切なさ、甘酸っぱさは世界的に見ても群をぬいている。 


ニューヨークのシューゲイズリバイバルシーンに対し、J-Popとしていち早く呼応した現代風のサウンド。ジャケットのアニメイラストの可愛らしさもこのユニットの最大の醍醐味といえる。 

 

6.Pasteboard 「Glitter」

 

 

 

現在の活動状況がどうなっているのかまではわからないものの、オリジナルシューゲイズの本来のサウンドを踏襲しつつ、現代的なサウンドを追求する埼玉県にて結成された”Pasteboard”というロックバンドである。


このPasteboardは、近年アメリカで流行りのクラブミュージックとシューゲイズを融合させたニューゲイズサウンドに近いアプローチをとっているグループ。そして、渋谷系サウンド、小沢健二、フリッパーズ・ギター 、コーネリアスの系譜にあるおしゃれなサウンドを継承している面白いバンドです。 


この渋谷系(Sibuya-kei)というのは、英語ジャンルとしても確立されている日本独自のジャンルで、シティポップと共に、アメリカでもひっそりと人気のある日本のポップスジャンルで、他の海外の音楽シーンにはない独特なおしゃれな音の質感が魅力だ。


Pasteboardは、日本語歌詞の曖昧さとシューゲイズの轟音性の甘美さを上手く掛け合わせ、日本語の淡いアンニュイさのある男女ボーカルの甘美な雰囲気を生み出すという点で、どことなくSupercarの初期のサウンドを彷彿とさせる。


シングル盤が一、二作品。コンピレーションが一作、アルバムがこの一作と、寡作なバンドでありますが、特にこの「Glitter」という唯一のスタジオ・アルバムは渋谷系のような雰囲気を持つ独特な魅力のある日本シューゲイズシーンの隠れた名盤として挙げられる。

 

 7.LuminousOrange 「luminousorangesuperplastic」 1999 


 

 

最後に御紹介するのは、日本のシューゲイズシーンのドンともいえるルミナスオレンジしかないでしょう。


ルミナスオレンジは、1992年から横浜を中心に活動していますが、最も早い日本のシューゲイズバンドとして、この周辺のシーンを牽引してきた伝説的存在。イギリスのChapterhouse,Jesus and Mary Chain,といったシューゲイズバンドの台頭にいち早く呼応してみせたロックバンドであり、女性中心の四人組というメンバー構成というのも目を惹く特徴です。  

1999年の「luminousorangesuperplastic」は、今や日本シューゲイズの伝説的な名盤といえ、非常にクールな質感に彩られた名作でもある。ここで、展開されるのは、マイ・ブラッディ・バレンタイン直系のジャズマスターのジャキジャキ感満載のプリミティヴなサウンドであり、今、聞いても尖りまくっており、しかも、現代的の耳にも心地よい洗練された雰囲気に満ちている。 


ツインギターの轟音のハーモニーの熱さというのはメタルバンドの様式美にもなぞらえられ、硬派なロックバンドだからこそ紡ぎ得る。また、そこに、疾走感のあるドラミング、小刻みなギターフレーズのタイトさ、ベースの分厚い強かなフレージング、これは、シューゲイズの目くるめく大スペクタルともいえ、あるいは、コード進行の不協和音も、ポストロックが日本で流行らない時代において、当時の最新鋭をいっている。 


さらに、そこに竹内のボーカルというのも、クールな質感を持つ。アナログシンセのフレージングというのもオシャレ感がある。また、ルミナスオレンジのサウンドの最大の特質は、変拍子により、曲の表情がくるくると様変わりし、楽曲の立体的な構成を形作っていくことである。このあたりの近年の日本のポストロックに先駆ける前衛性は、他のバンドとまったく異なるルミナスオレンジの最大の魅力である。表向きの音楽は苛烈で前衛的ではあるものの、メロディーの良さを追求しているあたりは、ソニック・ユースとマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの性質を巧みにかけ合わせたといえる。


おそらく、世界的に見ても、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(MBV)に対抗し得る日本の唯一モンスター・ロックバンドであることは疑いなし。


MBVに全然引けを取らないどころか、そのポップセンスの秀逸さという面でまさっている。付け焼き刃ではない轟音感と甘美なメロディー、硬派なロックバンドならではのクールさを併せ持つシューゲイズサウンドは、シューゲイズ界隈が賑わいを見せている現在だから再評価されるべきである。

サウスロンドン発、Dub Step

 

2000年、英国のアンダーグラウンドミュージックシーンでは、一体、何が起きていたか?

 

ダブステップは、九十年代後半にサウスロンドンのクラブミュージックとして誕生し、今日まで根強い人気を誇る音楽ジャンルだ。現在では、英国だけではなく、米国でも人気のあるジャンルといえる。

 

元、この音楽は、UKグライム、2ステップ、というサンプリングを多用したジャンルの流れを引き継いでいる。ダブステップのBPM(テンポ)は、基本的に140前後といわれ、ジャングル、あるいは、ブレイクビーツをはじめとするシンコペーションを多用した複雑で不規則なリズム性を持っている。ときに、そのリズム性が希薄となり、アンビエント・ドローン寄りのアプローチに踏み入れていく場合もある。一般的には、ダブステップという音楽の発祥は、2 Steps recordsのコンピレーションのB面に収録されていたダブリミックスが元祖であると言われている。*1 

 

これも、コカ・コーラという飲料が、最初は、薬品開発をしていた際に誤ってその原型が偶然発明されたのと同じように、このダブステップという音楽も、アーティストがサンプリングやリミックスを行っていた際、誤って、グライム寄りの音楽が作られた、つまり、偶然の産物であるといえる。このエピソードは、ダブという音楽にも近い雰囲気があり、元々、このダブというのも、リントン・クェシ・ジョンソン、マッド・プロフェッサー、リー・”スクラッチ”・ペリーが、元あるサンプリングネタをダビングし、それをトラックとして繋ぎ合わせることにより、ジャマイカ発祥のレゲエ/スカの影響下にある独特なブレイクビーツに似たクラブミュージックを発明したのと同じようなもの。そして、これは概して、英国を中心にして発展していったジャンルで、アメリカのヒップホップとは異なるイギリス流のサンプリング音楽ともいえる。 

 

2000年代に入り、ロンドン南部のクロイドンにある、レコードショップ”Big Apple records”(Gary Hughes とSteve Robersonによって設立)を中心として、ダブステップのアンダーグラウンドシーンが徐々に形成されていく。*2   




                     

当初、このダブステップ音楽を、一般的に英国全土に普及させていったのは、海賊ラジオ局であるらしい。そのため、特異なデンジャラスな匂いを持った、英エレクトロ、クラブミュージック界隈で”最もコアな”クラブ音楽の一つになっていく。その後、UKの有名音楽雑誌「Wire」が2002年になって、このダブステップというジャンルを紙面で紹介したことにより、一般的な認知度はより高まる。それに引き続いて、BBCのラジオ番組でも、このダブステップを扱うスペシャルコーナーが設けられたことにより、俄然、この周辺の音楽シーンは活気づいて来た。

 

2021年の現時点で、このダブステップは、かなり広範なジャンルの定義づけがなされるようになっている。

 

中には、オーバーグラウンドミュージック寄りの比較的ポピュラーなクラブミュージックもあり、その界隈のアーティストを紹介するサイトは多いものの、このダブステップというジャンルの本質は、サンプリングやヒップホップのターンテーブルのスクラッチに似た手法にあるともいえるが、あくまで私見として述べておきたいのは、往年のブリクストルのクラブシーンのサウンド、どことなく、ダークで、アングラであり、ロンドンの都会的な退廃の雰囲気を持ったマニアむけの音楽性こそ、この音楽のオリジナルのダブと異なる魅力といえるかもしれない。 

 

もちろん、ベースラインが、エレクトロよりも強調されたり、サンプリングをトラックに施したり、シンコペーションを多用し、リズムを徐々に後ろにずらしていくような特殊な技法も、この音楽の重要な要素といえるものの、やはり、マッシヴ・アタックや、トリッキー、ポーティス・ヘッドに代表されるロンドン、ブリストル界隈のクラブでしか聴くことの出来ない、ダークで、アンニュイ、そしてまた、危なげなアトモスフェールに満ち、不気味な前衛性が、このダブステップという音楽には不可欠である。つまり、近年のオーバーグラウンドのロックミュージックに失われた要素が、このダブステップという地下音楽の骨格を成している。

 

もちろん、このダブステップの音楽性というのは、お世辞にも、メジャーな音楽でないかもしれない。それは例えば、食通の、珍味好き、というように喩えられるかもしれないが、少なくとも、上記に列挙したような要素に乏しいアーティストは、ダブステップの本流には当たらない。一応、念のため、言い添えておくと、それは、この”Dub Step”という、インディーズ・ジャンルが、正規のラジオ局でなく、海賊ラジオ局を介して、2000年前後に浸透していった、つまり、正真正銘の「アンダーグラウンドの音楽」として普及していった経緯を持つからである。

 

今回は、この英国だけでなく、米国でも根強い人気を誇る”ダブステップ”というジャンルをよく知るためのアーティスト、そして、現在も活躍中のアーティストの名盤を探っていこうと思います。                

 


ダブステップを知るための名盤6選


1.Burial 「Burial」 2006

   

 

最初のダブステップブームの立役者ともいえるBurial。ロンドン出身のウィリアム・ヴィアンのソロ・プロジェクト。Burialは、その後、ダブステップのアーティストを数多く輩出するようになる”Hyperdub”からこのレコードをリリースしている。発表当初から評価が高く、ガーディアン紙のレビューで満点を獲得している。

 

今作、ブリアルのデビュー作「Burial」は、2006年のリリースではあるものの、今でも全く色褪せない英エレクトロの名作であることに変わりない。楽曲のサンプリングとして、コナミの”メタルギアソリッド”のサウンドが取り入れられている。ここには、ダブステップらしいリズム、ロンドンの夜を思いこさせるような空気もあり、さらに、蠱惑的な怪しげな雰囲気に充ちている。

 

名曲「Distant Lights」「Southern Comfort」に代表されるような裏拍の強いブレイクビーツの前のめりなリズム、低音がばきばき出まくるベースライン、ブリアルにしか出し得ない独自の都会的なクールさ。それがダウナーというべきか、冷ややかなストイックさによってアルバム全体が彩られている。

 

この何故か、ぞくっとするような奇妙な格好良さがブリアルのダブステップの特長である。明らかにクラブフロアで鳴らされることを想定した低音の出の強いサウンドで、大音量のスピーカーで鳴らしてこそ真価を発揮する音楽といえる。

 

「Forgive」では、逆再生のリミックス処理を施すことにより、アンビエントドローンの領域に当時としては一番のりで到達している。

 

「Southern Comfort」に象徴される野性味もある反面、「Forgive」のような知性も持ち合わせているのが、英国の音楽雑誌ガーディアン誌から大きな賞賛を受けた主な理由のように思われる。   

 

ブリアルのサウンドの特異な点として挙げられるのは、ハイハットのナイフがかち合うような、「カチャカチャ、シャリシャリ」とした鋭利なサウンド処理であり、これも、当時としてかなり革新的だったように思える。無論、現在でも、このように、極めてドープなリミックス処理をトラックに施すアーティストを探すのは、世界のダンスフロアを見渡しても、そう容易いことではない。

 

ブリアルは、往年のロンドンやブリストルのエレクトロアーティスト、マッシブ・アタックやポーティスヘッドの音楽性の流れを受け継ぎ、また、そこには、これらのアーティストと同じように、英国の夜の雰囲気、どんよりして、雨がしとしとと降り注ぐような、異質なほど暗鬱なアトモスフェールに彩られている。

 

後には、レディオ・ヘッドのトム・ヨーク、フォー・テットと2020年にコラボレートしたシングル「Her Revolution/His rope」をリリース、最早すでに英エレクトロ界の大御所といっても差し支えないアーティスト。ダブステップの入門編、いや、登竜門として、まず熱烈に推薦しておきたいところです。

  

 

2.Andy Stott 「We Stay Together」 2011


  

アンディ・ストットは、マンチェスターを拠点に活動するアーティストで、良質なダブステップアーティストを数多く輩出してきている”Modern Love”から全ての作品をリリースしている。 

 

ストットは2006年の「Merciless」のデビューから非常に幅広い音楽性を展開してきており、ひとつのジャンルに収まりきらないアーティストといえる。これまでの十六年のキャリアにおいて、主体的な方向性のひとつのダブステップだけにとどまらず、テクノ、ハウス、エレクトロ、エクスペリメンタル、あるいは、アンビエント、というように多角的なサウンドアプローチを選んでいる。この間口の広さは、多くの電子音楽に精通しているアーティストならではといえ、現代音楽、実験音楽家としてのサウンドプログラマー的な表情をも併せ持つアーティストである。

 

ストットは、活動最初期は、テクノ、グリッチ寄りのアプローチを選んでいたが、徐々に方向転換を図り、低音がバシバシ出るようなり、緻密なダビング技法を施し、複雑なリズム性を孕む音楽性へと舵を切る。

 

2011年リリースの「Passed Me By」から、いよいよ実験音楽色が強まり、強烈なダブステップの低音の強いパワフルなエレクトロの領域に進んでいく。

 

そのキャリアの途上、大御所、トリッキーとの共作「Valentine」2013をリリースし、着実に英エレクトロ界で知名度を高めていった。さらに、近年では、女性ボーカルのサンプリングを活かした独特なダブサウンドを体現し、"ストット・ワールド”を全面展開している。ボーカル曲としての真骨頂は、スタジオ・アルバム、「Numb」「Faith In Strangers」において結実を見た。

 

その後、順調に、2016年、「Too Many Voices」、2021年の最新作「Never The Right Time」とリリースを重ね、数々のエクスペリメンタル、エレクトロ界にその名を轟かせている。

 

アンディ・ストットの推薦盤として、「Faith in Strangers」、「Numb」、最新作「Never The Right Time」 といった完成度の高い作品を挙げておきたいところではあるものの、これらの作品は、ストレートなダブステップ作品として見ると、少しだけ亜流といえるため、ここでは、「We Stay Together」2011をお勧めしておきたい。

 

今作は、前のリリース「Passed Me By」での大胆な方向転換の流れを引き継いだダブステップの極北ともいえるサウンドを展開、ダブサウンドも極北まで行き着いたという印象を受ける。トラック全体は、一貫してゆったりしたBPMの楽曲で占められ、曲調も、他のストットのアルバム作品に比べ、バリエーションに富んでいるわけでないけれども、この泥臭いともいうべき、徹底して抑制の聴いたフィルター処理を効かせたダブサウンドの旨みが凝縮された作品である。表向きには地味な印象を受けるが、聴き込んでいくたび、リズムの深みというのが味わえる通好みの快作。

 

この一旦終結したかに思えたストットの作品の方向性は、後年「It Should Be Us」になって、さらに究極の形で推し進められていった。実験音楽寄りの作品であるものの、ダブステップをさらに進化させたポストダブステップを堪能することが出来るはず。この作品でダブステップとしての完成形を提示したストットが、ボーカルトラックとしてのダブサウンドを追究していったのも宜なるかなという気がします。 

 

 

3. Laurel Halo 「Dust」 2017

 


  

ローレル・ヘイローは、デビュー作「Quarantine」で、会田誠の極めて過激なセンシティヴな作品をアートワークに選んだことでも知られている。ここで、アルバムジャケットを掲載するのは遠慮しておきたいが、イラストにしても、相当エグい作品である。他にも、会田誠の作品は驚くような作品が多いものの、しかし、このアートワークは、見る人の内面にある悪辣さを直視させるような独特なアートワークである。会田誠の作品には、見る人の中に、ある真実を呼び覚ますような力が気がしてなりません。しかし、この作風を、単なる悪辣な趣味ととるべきなのか、前衛芸術としてとるべきなのかは微妙なところで、一概に決めつけられないところなのかもしれません。

 

そして、そういった表向きのセンセーション性だけにとどまらず、実際のデビュー作品としても多くの反響をもたらしたローラル・ヘイローは、ドイツ、ベルリンを拠点に活動する現在最も勢いのあるダブステップ・アーティストです。


彼女の作品の世界観には、 一見、悪趣味にも思える退廃性が潜んでいるという気がする。元々は、デビュー作において、タブーに挑むような感じがあり、そのあたりのコモンセンスをぶち破るような強い迫力が音に込められていた。しかし、それが妙な心地よさをもたらすのは理解しがたいように思える。これは、フランシス・ベーコンの作品を見た際に感じる奇異な安らぎともよく似ている。奇妙奇天烈でこそあるが、なぜか、そこには得難い癒やしが感じられる。

 

そして、ローレル・ヘイローの重要な作品としてお勧めなのは、「Raw Silk Uncut Wood」2018ではあるものの、ダブステップとしての名盤を選ぶなら「Dust」2017の方がより最適といえるかもしれません。

 

この作品「Dust」は、他の彼女の一般的な作風と比べ、メロディーよりもリズムに重点が置かれている。もっというならば、リズムの前衛性に挑戦した作品で、サンプリングを配し、リズムを少しずつダブらせ、強拍を後ろに徐々にずらしていく手法が駆使されている。表面的にはヒップホップに似た風味が醸し出されている。 

 

「Jelly」は打楽器ポンゴの音色を中心として、ローレル・ヘイローにしては珍しく、軽快なトロピカルなサウンドのニュアンスが込められている。また、「Nicht Ohne Risiko」では、木管楽器、マリンバの音を活かしたアシッド・ジャズの領域に踏み込んでいる辺りは、いかにもドイツの音楽家らしい前衛性。その中にもトラックの背後にリズムのダビングの技法が駆使されており、混沌とした雰囲気を醸し出している。

 

また、スタジオ・アルバム「Dust」の中では、「Do U Ever Happen」が最も傑出していて、表面的なヘイローのボーカルの快味もさることながら、リズム性においても、ダブステップを一歩先に推し進めたサウンドが展開されている。ダブステップとチルアウトを融合させた楽曲という印象を受けます。 

 


4.Demdike Stare「Symbiosis」2009


 

アンディ・ストットと同じく、”Modern Love”の代名詞ともいえるデムダイク・ステアは、シーン・キャンティとマイルズ・ウィッタカーで構成されるユニットで、マンチェスターを拠点に活動している。

 

彼等は、ダブステップという括りにとどまらず、アンビエントドローン寄りのアプローチも図るという面で、アンディ・ストットと同じように、音楽性の間口の広さがあると言って良いだろう。このスタジオアルバム「Symbosis」は、アートワークからして不気味でダークな感じが醸し出されているが、実際の音の印象も違わず、アングラで、ときに、ダークホラー的な音の雰囲気も感じさせる。

 

ダブステップの名盤として、ここで挙げておくのは、「Haxan Dub」の楽曲に象徴されるように、オリジナルダブサウンドの影響の色濃いサウンドへの回帰を果たしているから。ここでは、ジャマイカの音楽としてのダブの風味が感じられる。「Haxan」でも、ダブステップの見本のようなサウンドがエレクトロ寄りに迫力満載で展開される。この二曲は、近年の基本的な技法が満載で、教則本や制作映像を見るよりはるかに、実際のトラック制作を行う上で参考になるでしょう。

 

また、トラックを重層的に多重録音して、音楽自体に複雑性をもたらすというのは、近年の他の電子音楽家と同様だけれども、特に、デムダイク・ステアの個別トラックの、LRのPANの振り分けというのは職人芸。このあたりも聞き逃す事ができない。これらの楽曲は、往年のダブサウンドを通過したからこそ生み出し得る妙味。近年のダブステップに比べると、いささか地味に思えるかもしれないが、このあたりのリズムの渋さ、巧みさもデムダイク・ステアの音の醍醐味となっている。

 

特に、この作品が他のダブステップ界隈のアーティストと異なるのは、「Supicious Drone」「Exrwistle Hall」という二曲が収録されているから。「Suspicious Drone」は、ダークドローンの名曲のひとつに数えられる。この風の唸るような不気味さというのが感じられる秀逸なトラックです。

 

もう一曲の「Exrwistle Hall」は、ダークホラー思いこさせるような怖さのある楽曲であり、夏のうでるような暑気を完全に吹き飛ばす納涼の雰囲気に満ちている。リズムトラックとしては、四拍子を無理やり三拍子分割した特異な太いベースラインがクールな印象を醸し出している。そこに、明確な意図を持って、女の不気味な声、挙げ句には、薄気味悪い高笑いがアンビエンス、サンプリングとして取り入れられる、これは事前情報無しに聴くと、聞き手も同じような悲鳴を上げざるを得ないものの、その反面、色物好きにはたまらない名盤のひとつといえる。

 

このスタジオ・アルバム「Symbosis」は、夜中に聴くと、怖くて、「ギャー!!」と震え上がことは必須なので、細心の注意を払って聴く必要がある。しかし、昼間に聴くと、妙なおかしみがあるようにも思える。これは、怪談だとか、ホラー映画鑑賞に近い音の新体験である。つまり、今年の夏は、「テキサス・チェーンソー」「シャイニング」「リング」といった名ホラー映画を再チェックしておき、そして、さらに、デムダイク・ステアの「シンボシス」で、決まり!でしょう。

 

 

5.Actress「Karma & Desire」2020

   

  

最後に、ご紹介するアクトレスは、ウルヴァーハンプトンを拠点に活動するミュージシャン。

 

他の多くの電子音楽家、とりわけダブステップ勢がロンドンやマンチェスターといった大都市圏で活動しているのに対し、アクトレスだけは、都市部から離れた場所で音楽活動を行っている。

 

アクトレスは、上掲したアーティスト、アンディ・ストットと同じく、ダブステップの雰囲気もありながら、実験音楽性の強いアヴァンギャルド色の強い電子音楽家。エレクトロ、Idm、エクスペリメンタル、テクノ、 ダブステップと、多角的なアプローチをこれまでの作品において取り組んで来ており、電子音楽を新たな領域へ進めようと試みている前衛性の高いアーティストです。

 

このアルバム「Actress」は、 美麗さのあるピアノの印象が強い作風である。それは「Fire and Light」から顕著に現れており、ピアノ音楽の印象の強い電子音楽、アンビエントピアノとして聴く事も出来ると思う。他のダブステップ界隈のアーティストが都会的な音の質感を持つのに対し、ナチュラルな奥行きを感じさせるピアノ曲、ポスト・クラシカル寄りのアプローチも見受けられます。

 

これは、多分、あえて、大都市圏から離れた場所において、静かな制作環境を選び、トラック制作を行うからこそ生み出し得る落ち着いた音楽といえるかもしれない。「Reverend」や「Leaves Against the Sky」も、ピアノの主旋律を表向きの表情とし、ダブステップ、グリッチとしての技法も頻繁に見いだされる秀逸な楽曲。そして、この楽曲を見ると、上品さがそこはかとなく漂う作風となっています。

 

ここで、アクトレスは、個別のリズムトラック、タム、ハイハット、シンバルにはダビング技法を駆使せず、どちらかというなら、ピアノの音色に対して、深いリバーブ処理、DJのスクラッチ的手法を施している。確定的なことは遠慮したいものの、これが、昨今の英国のクラブミュージックの音のトレンドといえるのかも。無論、これは、すでに、ヒップホップで親しまれた技法ではあるものの、アクトレスはさらに前衛的なアプローチを図り、新たな領域に音楽を推し進めている。

 

また、「Public Life 」では、ポスト。クラシカル寄りの楽曲に果敢に挑戦しているのも聞き所である。

 

スタジオ・アルバム全体としては、エレクトロや、ダブステップ、それから、テクノ、ポスト・クラシカルといった近年流行の音楽をごった煮にしたかのような印象。このあたりが、英国の電子音楽家という感じがして、一つのジャンルに拘らず、柔軟性を持って、様々なジャンルに挑戦する素晴らしさがある。嵩じたフロア向けのクラブミュージックとしてでなく、落ち着いたIDMとして、家の中で聴くのに適した美しさのある音楽として、この作品を最後に挙げておきたいと思います。

    

 

 

参考サイト 

 

*1. Vevelarge .com {Dubsteo} 奥が深い ダブステップの起源と歴史{徹底解説}

 https://vevelarge.com/what-is-dubstep/

  

*2. tokyodj.jp 90年代後半 ダブステップの始まりは? 

https://tokyodj.jp/archives/1870

日本のポスト・ロックシーンの始まり

 

日本のポストロックシーンの最初のムーブメントが始まったのは、その瞬間を見届けたわけでも、産声を実際に聴いたわけでもないけれども、おそらく2000年代に入ってからだろうと思われます。

2001年、ポストロックシーンの形成に深く関わってきた「Catune」。2004年になると、「残響レコード」というインディペンデント・レーベルがte'のメンバーにより続々と発足していった。そして、この年代辺りから、ポスト・ロックシーンが日本の東京を中心とし、活発になっていった印象があります。

二千年代に入って、日本の東京の小さなライブハウスでも、90年代、アメリカのシカゴで奏でられていた音楽性を引き継いだロックバンドが00年代に入って、徐々に出てくるようになりました。

Slint,Gaster Del Sol、Don Cabarello、Tortoise、Sea and Cakeを始めとするシカゴ音響派と呼ばれる前衛的で、変拍子を多用した複雑な展開を持つロックミュージックに影響を色濃く受けたロックバンドが徐々に出てくるようになる。そして、ポスト・ロックの音を奏でる若いバンドは漸次的に、10年代半ばごろから急激に増えていき、今日のメジャーシーンでも同じく、ポストロック/マスロックの音楽性を打ち出したバンドが数多く見受けられるようになった。

今回は、日本の現代ポストロックシーン形成の源流をなすバンドを、普通の音楽誌ではあまり扱わないアーティストを中心にセレクトしていきたいと思う。



3nd

 

日本で最も早くポスト・ロックとしての音楽を全面的にに打ち出しのは、「Natumen」というバンドだったかと思います。

普通のギター、ドラム、ベース、という編成に加え、キーボード、サックス等のホーンセクションを取り入れたバンド。別に早ければいいというわけもないし、あまり確信めいたことを言いたくないけれども、ノイズ、アバンギャルド界隈をのぞいて、ポスト・ロックという音楽を初めに日本に導入したシーンバンドといって差し支えないかもしれません。5つくらい年上の人から話を聞いたかぎりでは、当時の東京のインディーズシーンではかなり伝説的な存在だったようです。

このバンドのライブは、多分、Parfect Piano Lessonと対バンしている時に、一度観たことがあって、素人目には何をしているのかよくわからず、驚愕するようなものすごい演奏力を誇っていた。変拍子を多用し、ドラムをはじめバンドとしての音の分厚さも半端でなく、何かこれまで普通のオーバーグラウンドのアーティストのライブしか見てこなかった自分にはすごく衝撃的でした。

彼等の音楽性としては、アメリカのドン・キャバレロの音楽性を、ディレイ・エフェクトをさほど使用せずにやってのけてしまったというアバンギャルド性。

他のバンドが挙ってエモ系の音楽に夢中になっていたかたわらで、この3ndというバンドだけは、全く他と異なる音楽を追求していて、純粋に滅茶苦茶感動したもので。一時期、全く名前を聞かなかったが数年前に再浮上してきて驚いたものだった。

 

 

 

彼等の現行のリリースでは、残響レコードのPerfect Piano lessonとのスピリットEP 「Black and Orange」を入門編として個人的におすすめしておきたいです。また彼等の代表的作品「World tour」では日本のポストロックらしい音、そして、Bandwagon、Band apartといった当時のシーンを代表するような音の方向性、ロックバンドとしてバカテクの雰囲気を体感できると思います。

アメリカのポスト・ロックをいち早く音楽性の中に取り入れて、現在の日本のポスト・ロックシーンの下地を作ったバンドというふうに言っても良いかもしれない。現在、Spotifyの音源配信でも何作かアルバム、EP盤が聴くことが出来るが、コレ以前にも、何作か自主制作盤も出ていた?と思う。

 

Malegoat

 

メールゴートは八王子シーン出身のエモコア/ポストロックバンド。

八王子は、以前から、西東京のインディーミュージックの重要拠点のひとつであり、他の地域とは異なる個性的なバンドが数多く活躍している。と、ここまでいうと、ちょっと大げさかもしれないが、ホルモン、Winnersといったスターを輩出しているのは事実。

八王子駅周辺にある、RIPS,Matchvoxを始めとするライブハウスが二千年辺りから地元シーンを盛り上げてきており、良いロックバンドが多い。一時期、不思議に思ったのは、新宿や渋谷、下北あたりのバンドが演奏する音楽とは全然違うということ。なんというか、八王子には流行の逆を行くような音楽が多くてとても面白い。吉祥寺、下北、渋谷界隈のAkutagawaのようなオシャレな感じを受けるバンドとは全然違って、なんとなく独特なシーンを形成している気配がある。

とりわけ、このメールゴートは、THE WELL WELLSと共に、八王子のシーンを盛り上げて来た代名詞的バンドで、言い換えれば、地域密着型・ポストロックバンドということも出来るはず。しかし、地元での活躍にとどまらず、ワールドワイドな活躍をインディーズシーンで見せていて、アメリカのエモ・シーンとも密接な関わりを持つバンドで、Empire! Empire!とのスピリットのリリースだけでなく、Algernon Cadwallderと共にアメリカで現地ツアーを敢行しています。

彼等の音楽性としては、シカゴの伝説的なエモコアの元祖、Cap n' Jazzを現代に蘇らせたといっていいかもしれない。そして、さらにそこに激しい疾走感、初期衝動の色を強めたのがメールゴートの音楽である。そこにはどことなく痛快さすらあって、青春的な切ない爽やかさが感じられるのも独特な特徴です。

センスあふれるギターの高速アルペジオも色彩的な響きがあり、絶叫ボーカルを基本的な特徴としながら、叙情性が滲み出ているあたりも、他のポスト・ロック勢の音楽と一線を画している。  

 

 

 

彼等のオススメの作品としては、「Plan Infiltraition」一択ですが、現在は廃盤となっていて、入手困難と思われるので、中古CDショップで気長に探すか、もしくは、比較的手に入りやすいEPスピリット盤「Duck Little Brother,Duck!&Malegoat Split」。「Empire! Empire!(I was Lonely Estate)/Malegoat」をオススメしておきます。特に、一枚目はメールゴートらしい疾走感のあるポスト・ロックが体感できるはず。そして、二枚目の方はEmpire! Enpire!というアメリカのシーンでもかなり有名なバンドとのSpilitもまたオススメの作品といえるでしょう。



As Meias

 

日本のエモシーンの始原ともいえるBluebeardが解散後、(元、There Is a Light That Never Goes Out)のメンバー魚頭とBluebeardの高橋が結成した伝説的なエモコア/ポストロック・バンド。「Catune」から全作品をリリースしています。

フロントマンの高橋さんは、かなり音楽の求道者的な性質を持ち、アス・メイアスは彼の宅録でのデモを頼りにバンドサウンドを生み出していった珍しいタイプのバンドです。音の完全性、ストイックさを徹底的に探求していったバンドといえる

アス・メイアスは、東京のシーンにおいて、最重要なバンドといえ、2002年の当時のミュージシャンとしては、Natumenとともに、東京で一番早くにポスト・ロックの音を取り入れたのではないかと思われます。一時期インディーシーンのバンドマンはこのアス・メイアスを聴き込んで影響を受けていました。それくらい影響力のあるバンドです。

アス・メイアスの音楽性は、東京のインディ・シーンを牽引してきたBluebeadからの透明感のあるメロディセンス、そして、清らかな内省的な叙情性を引き継いで、それにバンドサウンドとしてのストイックさを特徴としています。

めくるめくような変拍子のリズム、メシュガーをはじめとするニュースクール・メタルの轟音サウンドをスパイシーな味付けとして加えている。これは、狙ってのことかそうではないのかは定かではないけれど、ミニマル・ミュージックをロック・ミュージックとして大々的に取り入れた一番最初のバンドといっても差し支えないかもしれません。 

鮮烈的デビューアルバム「AS MEAIS」は、Blubeard時代からの透明感のあるメロディー、内側に向かって突き抜けていく強固なベクトル性を極限まで追求した楽曲が多く見られます。そこに、ミニマル・ミュージックをロックとして先鋭的に取り入れた名作。これぞまさに清らかな精神性の外側への表出ともいえる名曲「Kitten」。そして、日本のロックシーンでいち早くミニマル・ミュージックの要素を取り入れ、ニューメタル的なヘヴィさを加味した「Flux」が収録されています。 

 

 

 

2ndアルバム「AS MEIASⅡ」では、バンド・サウンドとしての高度な洗練性を追求していき、またメンバーチェンジを経、よりヘヴィ・ロックバンドとしてのはてなき荒野をアスメイアスは探求していった。変拍子を交えたポスト・ロック色を強めていった名作と称することが出来る。「Instant」「Arouse」はエモコアにとどまらず、日本のポストロック/マスロックの歴史に燦然と輝く金字塔といえる。

バンドとしての最後のリリースとなったのは、シングル盤の「AS MEIAS Ⅲ」で、これは彼等の曲で珍しく日本語歌詞でうたわれており、英詞とは異なる切ない叙情性がにじみ出ていて素晴らしい。

この一曲のEPリリースで、バンド自体は解散となったのが少々悔やまれるところです。が、その後、aie、the chef cooks meのメンバーにより結成された「Rena」というバンドの今後の活動に期待したいところです。

 

 

a picture of her

 

a picture of herは、2002年にから活動しているエモコア/ポストロックバンドで、下積みの長い良い意味でしぶとく今日まで活動を続けて来ています。

それまで、あまりスポットを浴びてこなかったように思えますが、2013年の1stスタジオ・アルバム「C」が一部のロックファンの間で話題を呼び、音楽誌などでも取り上げられる様になったバンドです。

つまり、バンドを結成してから、実に十一年後になって自主レーベル「friend of mine」から「C」をリリースするに至る。途中にメンバーチェンジはしながらも、相当な辛抱強さをもって今日まで活動を続け、また2019年には新作アルバム「Unavailable」を同レーベルからリリースしました。彼等のライブ活動というのもそれほど大規模な箱ではあまり行われないという印象を受けます。

a picture of herの音楽性というのは、そこまで他のポストロックバンドのような派手さはないものの、長年活動を続けてきたからこそ、にじみ出る高い演奏力、そして、インテリジェンス性の感じられる音、そして、また静と動を交えながら展開していくのが彼等のサウンドの特徴といえるでしょう。

バンドとしての音の分厚さも魅力のひとつでしょう。ドラムのダイナミックなヌケの良さというのも爽快感があり、また、ギターについては、クリーントーンをメインとしながら、時にそれとは対比的なディストーションのサウンドが展開される。インストバンドながら、息のとれた、そして、ひとつひとつ噛みしめるように紡がれていくバンドサウンドには、深い激情性すら滲んでいる。

 

 

 

ギターロック風のアプローチというべきか、Slintのメンバーが後に組んだArielを彷彿とさせる玄人好みのサウンドで、なんとなく音風景を浮かび上がらせるような、淡い叙情性を持った楽曲が多い印象です。

本格派のじっくり聴かせる音でありながら、特に、この静から動、轟音に転じる激烈なサウンドというのは重みもあり、またそれとは対極にある切なさのようなものが感じられる良質なポスト・ロックバンドです。彼等の入門編としては上掲した名作「C」をまずオススメしておきます。

 

 

Toe

 

数年前から、アメリカでの人気が高まっているToe。しかし、その音楽性が本当の意味で正当な評価を受けるまで下積み期間の長かったバンドといえるのかもしれません。十数年前にこのバンドを友人を介して初めて知ったときから、これほど力強く成長したバンドというのは他に知りません。もちろん、長いキャリアがゆえ、彼等四人のバンドサウンドとしての結束力はより一層強まりつづけているように思えます。

彼等のバンドサウンドとしては、典型的なポスト・ロックといえるでしょうが、そこに、エモーショナルな深い痛切な精神性が宿らせている。彼等、Toeが今日まで苦心惨憺して紡ぎ出してきているもの、それは悲哀からにじみ出る深い、そしてなおかつ淡い詩的感情と日本人としての精神性なのかもしれません。

ステージの前方で、エレアコを持ち、椅子の上に座り込んで、淡々と歌いこむ。彼等のステージの逆光の中にほの見えるのは音楽の求道者としての強い精神性。しかし、そのストイックな姿勢こそが多くのファンの心の琴線に触れ、今日までファンの裾野を広げつづけている要因といえるでしょう。フロントマン山嵜さんの背後で、気骨あふれるロックサウンドが目まぐるしく展開される彼等Toeのライブスタイルというのも、長いキャリアを持つバンドとしての強みといえるはず。

このバンドの音を極めて強くしているのは、世界を見渡してもその技術性において、数本の指に挙げられるであろうドラム柏倉さんの激烈なテクニックといえる。彼のタム回しの熱狂性というのは、かつてのボンゾを彷彿を思い起こさせるような風圧、凄みがある。そこに、シンプルなベースライン、そして、もう一本のギタリスト美濃さんの美麗なアルペジオががっちりとバンドサウンドとして合わさり、ヴァリエーション豊かな分厚いサウンドを持つ。アメリカのインディーズミュージックシーンでも熱狂的に受け入れられているというのも当然だといえるでしょう。

 

   

 

彼等の名盤は、彼等のライブレパートリーの主要曲「グッド・バイ」が収録されている、2009年の「For long tomorrow」。まずは、この一枚を必聴盤としてオススメしておきたいところです。

そして、 Toeこそ、これからアメリカだけではなく、世界的に有名になってもらいたい、ポストロックシーンを率いる代表格といえます。これからも、日本のポストロックシーン最前線を走り抜けてもらいたいロックバンドです。

Chihei Hatakeyama


 

Tim Heckerを擁するアメリカの最も有名なアンビエント系のレーベル「Kranky Records」からデビューした日本でも有数の世界的な電子音楽家。

 

すでに、ロスシルやブライアン・マクブライドと肩を並べるような存在として世界的に認知されているといっても過言ではないでしょう。異質なほど多作なミュージシャンであり、2006年のデビューから2021に至るまでなんと30作以上ものリリースを行っている。世界的にも有名なアンビエントアーティストの一人。

 

 

「Minima Moralia」

 

 

 

 

畠山地平のクランキーレコードからのデビュー作。

 

この作品は、グリッチ色の強いアンビエントで、涼やかで清やかさのある空間処理が特色といえる。「Bonfire On the field」「Straight Reflecting On the Surface of the River」の二曲は彼の最初期の名曲といえ、時折、センスよく挿入されるグリッチノイズの心地よさというのは絶品です。そして、チベットの民族楽器シンギングボウルのような音色というのもエスニック色を感じさせ、熱い時分などに聴くと鬱陶しい気分を涼しげに、そして、冷静にしてくれるはず。


 

また「Inside a Pocket」では、アコースティックギターを使用した独特なポスト・クラシカルを披露していくれている。この辺りの日本的な雰囲気、夏の終りのひぐらしのような切なさをおもわせる叙情性。ギターボディを打楽器として使用しているあたりは、ジム・オルーク的なポストロックへのアバンギャルドな接近も思わせる。また、ラストの「Beside a Wall」は、 後のティムへッカーの「Ravedeatj 1972」のサウンドを予見したかのような圧巻ともいえる名曲です。

 

およそ、デビュー作とは思えないほど洗練された作品であり、すでにこの作品において畠山の生み出す独特なアンビエントは、およそ日本のアーティストらしからぬほどの凄さといってもいいはず。  


 

 

Fujita Masayoshi


 

 

現在、ベルリンを拠点として活躍する日本人ヴィヴラフォン奏者。他のアンビエントアーティストと決定的に異なるところは、クラシック及びジャズから強い影響を受け、シンセサイザーを主体としての環境音楽ではなく、ヴィブラフォンの演奏技術上の音の響きを追求する気鋭のアーティスト。どちらかといえば、ポスト・クラシカル寄りの世界に名だたる音楽家のひとりといえるかもしれません。

 

 

「Stories」

 

 

 

 

 

まさにヴィブラフォンの心温るような美麗な響きが凝縮された一枚。オリジナル版は、ロンドンのポスト・クラシカル系のアーティストを主に取り扱うErased Tapesからのリリースとなっています。

 

ここではフジタマサヨシのビブラフォン奏者としての才覚の煌めき、コンポーザとしての感性が見事に緻密な音のテクスチャを生み出すことに成功している。驚くべきなのは、ビブラフォン楽器ひとつの多重録音でここまで大きな世界観、物語性のある音楽を紡ぐことができるというのは、この人に与えられた天賦の才とも呼べるものなのでしょう。

 

一曲目の「Deers」から、ミニマル的技法を見せたかと思えば、「Snow Storm」ではビブラフォン奏者としての彼のセンスの良い技巧がミステリアスで絶妙な響きを生み出している。

 

名曲「Story of forest」の内向的な叙情性というのも、バイオリンの対旋律によって、美しいハーモニクスが生み出されている。曲の最終盤ではビブラフォーンがオルゴールのようなきらめいた澄明な響きに変わる辺りは本当素晴らしい。

 

大作「Story of Waterfall 1.&2.」でのジャズフュージョン的なアプローチでありながら、深い思索に富んだビブラフォンの世界が味わえるのも、この作品の醍醐味といえるでしょう。

 

これはアルバム全編を通して、美しい音楽としか形容しようがない。何だか聞いているととても心地よく、とても落ち着いて来て、心が澄んでくる。これがマサヨシ・フジタというアーティストの生み出す音楽性の素晴らしさなんでしょう。

 

 

 

Hakobune

 

 

タカヒロ・ヨリフジを中心にして結成されたアンビエント・ドローンアーティスト。正式にはユニットとしての形で、2011年のデビューから現在に至るまで、京都を拠点に活動しているアーティストです。現在、にわかに世界的に脚光を浴びつつある気鋭のアンビエント界の期待の星というように言えるかもしれません。

 

 

 

「above the northern skies shown」 2021

 

 

 

 

 

3曲収録のアルバムですが、実に、総レングスというのは、40分ちかくにも及ぶかなりの力作。

 

この作品の音の拡がり方を聴いて、まず最初に思い浮かべたのはアンビエントの重鎮、ウィリアムバシンスキーの音楽性。

 

ここではウィリアム・バシンスキーのように、サンプリング素材のテープの継ぎ接ぎという手法はないでしょうが、音のニュアンス、アプローチの仕方という面でかなり近しいものを感じます。一度も、旋律の移動というのがない、もちろん大きな音像の変化というのはトラックのなかで全くないのに、これほどまで説得力が込められていて、そして爽快感すらある環境音楽を作れるアーティストが日本にいるということが一アンビエントファンとして頼もしく感じられます。

 

只、一つのシークエンスの拡がりと、そこに挿入されるノイズの風味、これらの要素が礎石のようにどんどんと積み上がっていき、音の壮大な宇宙ともいえる巨大な空間を綿密に形作っていく。

 

何か小難しい言い方なのかもしれませんが、これぞまさに現代アンビエントともいうべき音であり、今流行の形のひとつといえるでしょう。

 

この三曲は、空間の中を揺蕩う穏やかなアンビエンスが展開され、旋律はあってないように思えます。しかし、よく聞くと、その中に複雑で麗しいハーモニクスがすでに形成されている。かつて武満徹が語っていた”すでに空間に充ちている音を聴きとる”というような感じで、言葉では説明できず、五感をフルに使って体感するよりほかない直感的な素晴らしい音楽です。

 

 

 

NY、Captures Tracksから始まったインディーロック・リバイバル


2010年代から始まった活発なニューヨークの音楽シーンを代表するインディペンデントレーベル「Captured Tracks」はブルックリンに本拠を構える。このレコード会社からは、アメリカ合衆国全体の音楽シーンに影響を与えたアーティストたちが羽ばたいており、良質な音楽の発掘者としての役割も担う。Captured Tracksに所属するアーティストの音楽性は、基本的にインディー・ロックという大きなジャンルの中の、ローファイ、サーフポップ、ドリームポップと呼ばれるジャンルに属する場合が多い。 


 

他のアメリカの代表的なインディペンデントレーベル、サプ・ポップ、タッチ・アンド・ゴー、マタドールのような老舗でこそありませんが、今日まで多彩なリリースを行ってきており、ニューヨークの音楽の隆盛を彷彿とさせる魅力的なバンドを数多くデビューさせており、ロック愛好家ならばこの辺りの動向から目が離すことが出来ません。


ニューヨークのアーティストから始まったシューゲイザー・リバイバル、ニューゲイズの動向というのは、2019年のテキサスのリンゴ・デススターのブレイクの実例を見ても分かる通り、いまだ冷めやらぬ気配もあり、この先まだ開拓の余地が残されている。


NYブルックリンに本拠を置く「Captured Tracks」は、現代アメリカのインディーロック音楽のトレンドを知るのに最適なレーベルです。今回、駆け足ではありますが、このレーベルの代表的なアーティストと名盤をご紹介していきましょう。

 



 1.Wild Nothing 「Gemini」2010

 




それまでにも、2000年代辺りには、スウェーデンのThe Radio Dpt.を筆頭にして、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインという巨星の抜けたシーンの寂しさを埋めるような存在、ポストシューゲイザーだとか、シューゲイザーリバイバルという線上にあるバンドはいましたが、改めてこの周辺のジャンルの良さというのを再確認し、現代的なクラブミュージック的なニュアンスを加えて登場したのがワイルド・ナッシングです。


彼の後から凄まじい数のシューゲイザーリバイバルバンドが出てきますが、これというのは、そのブームの火付け役のマイ・ブラッディ・バレンタイン、通称マイブラの不在というのが原因であった。彼等が、活動の最高潮、「Loveless」の後に、長い期間にわたり活動を休止したことにより、他にも、ライド、スロウダイヴと同じようなバンドはいたものの、ミュージックシーンにあいた彼等の穴を埋めるような存在が出てこなかった。そしてある一定数のファンもまたマイブラに代わるようなバンドが出てこないかなと渇望するような側面も結構あったかもしれない。


その辺りのシューゲイザーを若い頃に聴いて感銘を受け、自分もまたマイブラのような音を奏でたいという欲求に際して登場したのがこのワイルド・ナッシング。いうなれば需要と供給がうまくマッチしたといえるでしょう。この音楽が、只のエゴイズムとはならずに済んだのは、多くのファンがこのような音を待ち望んでいた証でしょう。


それは、ワイルド・ナッシングをはじめとする、その後のリバイバルの魅力的なロックバンドが軒並み証明してみせている事実であって、このデビュー・アルバムで展開されるノスタルジックさのあるリバイバルの楽曲の輝きを見れば明らかだと思われます。


ワイルド・ナッシングの登場。これを懐古主義と呼ぶ事なかれ、名曲「Summer Holiday」、そして「Gemini」のノスタルジー差の感じさせる美しい輝きというのは、現在も全く損なわれていません。 

 

 

 

2.Mac Demarco 「Salad Days」

 


カナダ出身のソロシンガーソングライター、マック・デマルコ。彼の活動というのはソロ名義で、ライブではベース、ドラム、キーボードのサポートメンバーが帯同し、四人編成となります。アリーナクラスから小規模ライブハウスに至るまでひとっ飛びに幅広い活動を行っています。


そして、「Salad Days」は彼のデビュー作であり、この一作の魅力によってそれまであまり知られていなかった「Captured Records」の名を国内にとどまらず、世界に轟かすのに成功した貢献的作品です。


マック・デマルコの華々ししい登場から、このCaptured Trackの黎明期、そして10年代のアメリカ東海岸のインディーロックリバイバルブームは始まったといっても言い過ぎではないでしょう。


音楽性としては、ゆったりしたテンポ、そして、フォークポップを主体としながら、その中に古典的な大衆音楽、ビートルズをはじめとするポピュラー音楽、そしてさらに、往年のR&Bやディスコサンド的なノスタルジーへの現代人としての憧憬がそれとなく滲んでいるというような気がします。


このアルバムは、独特でかしこまらない親しみやすい声質、それからフレンドリーなキャラ付けが見事にマッチした作品で、楽曲から感じられるデビュー作らしい瑞々しさもこの作品の魅力。彼の歌詞には男女の恋愛の上でのもどかしさのようなものが表され、それがあっさりと歌われているのも特徴です。


彼のこの後の10年代終わりのニューヨークのミュージックシーンんに与えた影響というのは計り知れなく、底知れないポテンシャルを証明した傑作。「Salad Days」「Let it Her」をはじめ、どこかしら淡い切なさを思わせるような胸キュンの良曲が満載。



3.Widowspeak 「All Yours」

 




Widowspeakは、モリー・ハミルトンとロバート・アール・トーマスによってブルックリンで結成されたドリームポップの男女ユニット。


これまでの前作をCaptured Trackからリリースしていることから専属的なアーティスト、いわばレーベルの代表的な存在といえます。


このユニットは、愛くるしいカップルのような息のとれた演奏を見せ、そして、モリーとロバートの男女ボーカルが交互に収録されているため、ユニットでありながらバランスのとれたサウンドを聴かせてくれます。


モリー・ハミルトンの、浮遊感のあるアンニュイな声質は、心なしかアイスランドのムームを思わせ、切ない感じを醸し出し、後のベッドルームポップの流れに直結するような音楽性を持っている。


1stアルバム「Widowspeak」では、リバーブ感の強いギターサウンドを引っさげ、ドサイケデリック色の強い、サーフロックバンドとして登場しましたが、次第に、二作目からドリーミーなポップ色を全面に押し出していって、そこにエレクトロニカの風味をオシャレに付け加えて、ユニットとしての洗練性を高めていくようになった。その後の彼等二人の方向性を探求する過程に発表された意欲作ともいえるのが、三作目のスタジオアルバム「All Yours」でしょう。


ハミルトンのアンニュイな声によって紡がれる「Stoned」も聴き逃がせない。また、対照的に、ロバート・アール・トーマスによって、さらりと良いメロディーが歌われる「Borrowed World」も捨てがたく、これらの対比的な雰囲気を持つ楽曲がアルバム全体を飽きさせないものにしています。


「My Baby's Gonna Carry On」では、掴みやすいポップソング中に、実にさり気なく轟音ディストーションサウンドが背後に展開されているのも面白い点。「Cosmically Aligned 」では、このバンド初期からの方向性を先に進めたハワイアン風のスライド・ギターサウンドを聴くことが出来ます。


ここでは、Captures Recordsの代名詞的ともいうべき多彩な印象に彩られたインディポップの魅力が心ゆくまで堪能でき、2020年の傑作「Pulm」とともに往年のギターポップ好きの方にもこのアルバムをお勧めしたいところ。

 


4.DIIV 「Oshin」

 



全然、バンド名を知っていながら全然音をチェックしていなかったニューヨークのシューゲイザーバンド、DIIV。


このアルバムのタイトル「Oshin」といい、バンド名におけるイザコザといい、ちょっといい加減でテキトーな感じもして、その辺りの間の抜けたところに好感を覚えます。サウンド面でも上記のワイルドナッシングをさらに宅録風にした質感。題名から音を想像すると肩透かしを食らうかもしれない。


個人的には、Part Time辺りの宅録風ポップが好きな人はどストライクです。この辺りのドリーミーでファンシーな音楽性に懐かしさを見出すか、チープなバンドと断定するかはリスナーの音楽的な蓄積によりけり。これは、元のシューゲイザーやブリット・ポップ好きはニヤリとさせるものがあるはず。


只、完璧でないバンドといいうのは捨てがたいものもあると思います。一分の隙きもない音楽というのは確かに良いですけれど、時に息苦しくなってしまうような部分があります。荒削りなものの良さというのは、茶器とかを見ても、非対称性とか、少し完璧でない部分がある方が味とか価値が出る。


音楽もまた全く同じで、少しスタンダードから崩した所がある方が好ましい。ファッションでいうなら洒脱。その辺りの通ぶった七面倒な人間のワガママにやさしく答えてくれるのがこのダイブという、ジャンク感のあるロックバンドの素晴らしいところでしょう。


このバンドは、今流行のドリームポップ、シューゲイザーの方向性を表側に見せつつ、その音楽性については、通らしいバウハウスのようなゴシック趣味も感じさせるのが油断ならない。このデビュー・アルバムを聴くと、良質なポップセンスによってバンドサウンドが強固に支えられていて、良質なトラックが多いのに驚きます。「Follow」をはじめ、どことなく切なげな情感が込められているというのが感じ取れる。


「Oshin」の全体的なトラックの印象としては、ザ・スミスのジョニー・マーのようなギターサウンドを更に推し進め、そこに、ワイルドナッシングのような陶酔感のあるボーカルが空気中にぼんやり漂うような感があり、この辺りのニューロマンティックな雰囲気がすきなのかどうかが好き嫌いを分けるかもしれません。


往年の八十年代のマンチェスターシーンに流行したポップ音楽の風味も感じられるのが独特。個人的には、こういったダサいようだけれど、実は滅茶苦茶かっこいいという、絶妙な線を狙ったバンドというのが最近のニューヨークシーンの流行りなのかなと思います。 

 

 

5.Beach fossils「Beach fossils」

 


 


サーフロックリバイバルの旗手ともいえる存在、ビーチフォッシルズの鮮烈なデビューアルバム。


このビーチフォッシルズの音の勘の良さというのも、懐かしいサーフサウンド、ディック・デイルや、ヴェンチャーズ辺りのバンドの音楽性を新たなシューゲイザーやドリームポップで彩ってみせています。


デビューした年代はワイルド・ナッシングと同時期にあたり、両バンドは盟友のような形でニューヨークシーンを活気づけている。


「The Horse」のアメリカーナやフォーク音楽の影響を感じさせる良曲をはじめ、「Wide Away」といった素晴らしいメロディーセンスを持つ楽曲が数多く収録されています。

 

バンドのネーミングを想起させる「Gather」は浜辺のさざなみのSEを取り入れた楽曲。ビーチ・フォッシルズの鮮烈なデビューアルバムは、彼等四人のずば抜けたセンスというのが滲み出ている。 


このバンドは、デビュー当時から個人的に注目していた思い入れのあるアーティスト。今や前作の「Summerssault」の良い反響を見るにつけ、ワールドワイドな存在となりつつあり、今後の活躍がたのしみなアメリカの最重要若手ロックバンドの一つです。


6.THUS LOVE「Memorial」




パンデミック下、元々、Thus Loveは、ライブを主体に地元で活動を行っていましたが、このパンデミック騒動が彼らの活動継続を危ぶんだにとどまらず、彼らの本来の名声を獲得する可能性を摘むんだかのように思えました。しかし、結果は、そうはならなかった。Thus Loveは幸運なことに、ブルックリンのインディーロックの気鋭のレーベル、キャプチャード・トラックスと契約を結んだことにより、明日への希望を繋いでいったのである。それは、バンドとしての生存、あるいは、トランスアーティストとしての生存、双方の意味において明日へ望みを繋いだことにほかなりません。

 

この作品は、このブラトルボロでの共同体に馴染めなかった彼らの孤独感、疎外感が表現されているのは事実のようですが、それは彼らのカウンター側にある立ち位置のおかげで、何より、パンデミックの世界、その後の暗澹たる世界に一石を投ずるような音楽となっているため、大きな救いもまた込められています。Thus Loveのアウトサイダーとしての音楽は、今日の暗い世相に相対した際には、むしろ明るい希望すら見出せる。それは、暗い概念に対する見方を少しだけ変えることにより、それと正反対の明るい概念に転換出来ることを明示している。これらの考えは、彼らが、ジェンダーレスの人間としてたくましく生きてきたこと、そして、マイノリティーとして生きることを決断し、それを実行してきたからこそ生み出されたものなのです。


Thus Loveの音楽性には、これまでのキャプチャード・トラックスに在籍してきた象徴的なロックバンドとの共通点も見出すことが出来ます。Wild Nothingのように、リバーブがかかったギターを基調としたNu Gazeに近いインディーロック性、Beach Fossilsのように、親しみやすいメロディー、DIIVのように、夢想的な雰囲気とローファイ性を体感出来る。さらに、The Cure、Joy Division、BauhausといったUKのゴシック・ロックの源流を形作ったバンド、ブリット・ポップ黎明期を代表するThe SmithのJohnny Marrに対する憧憬、トランス・アーティストとしての自負心が昇華され、クールな雰囲気が醸し出されている。

 1. アイスランド、レイキャビクという土地

 


1990年代には、ビョーク、二〇〇〇年代から、シガー・ロス、ムーム、最近では、アミナ、オーラブル・アーノルズ、キアスモス、というように、世に傑出した現代ミュージシャンを数多く輩出しているアイスランドのレイキャビクという土地は、殆どの日本人にとってはそれほど馴染みがない土地のように思われます。

しかし、アイスランドの首都レイキャビクは、近年、上質な音楽家を数多く輩出してきており、ポストロック、エレクトロニカをはじめとするクラブ・ミュージック界隈にとどまらず、そして、一挙に現代のミュージック・シーンの覇権を取ろうかという勢いを見せている。事実、英国圏のミュージシャンに比べても遜色がない、いや、いや、それどころか、彼等の独自言語を駆使した珍しさというのが、コンテンポラリーミュージックに飽きてきた音楽愛好家にとってツボにハマったといえるでしょう。

しかし、近代までアイスランドという土地の音楽シーンというのは、度外視されてきたとはいわないまでも、近い地域でいえば、英国、スコットランド、アイルランドほどまでには華々しい脚光を浴びてこなかったのは、紛れもない事実かもしれません。

しかし、日本人としてちょっぴり不思議でならないのは、英国のように人口が多いわけでもないのに、なぜゆえ、1990年代から2000年代にかけて、非凡な音楽家を数多く輩出してきたというのか、少々掴みがたい部分のある土地のように思えます。


 

2, アイスランド音楽シーンの草分け

 

八十年代までのミュージックシーンというのは、英国のロックバンド、もしくは歌姫が主に牽引してきたわけで、その近辺ではスコットランド、グラスゴーのインディーロックバンド、ヴァセリンズ、ベル・アンド・セバスチャン、もしくは、パステルズ辺りしか世界的には脚光を浴びてこなかった印象があります。

そして、その英国圏一辺倒のシーンの壁をぶち破ってみせたのが、このビョークという華々しい歌姫でした。

彼女の歌声というのはイギリス圏、アメリカ圏にもなかなか肩を並べるような存在は見つからず、そして彼女のきわめて個性的な風貌と相まって、デビューアルバム「Debut」は天文学的な大ヒットとなります。

 ビョークの独特な風貌を写したジャケット、そして、そのキャラクター性のユニークさに留まらず、彼女は、十年に一度、どことか五十年に一度出るか出ないか、ともいえるほどの実力を持つシンガーのひとりでもあります。

彼女の声質は、すべてのジャンルに通用すると言って良く、また、音程の広さというのも世界で屈指のものでしょう。そして、そこには、もうひとつスター性、カリスマ性というものが彼女の存在には宿っており、それはデヴィッド・ボウイのような華やかさがあるのが強みといえるでしょう。

また、世界的にセンセーションを巻き起こしたこのビョークのデビューアルバムというのは音楽的にも間口が広く、シンディー・ローパーの時代を彷彿とさせるディスコ風の曲もあり、ロック風味の曲もあり、そして、普通のポップソングもあり、エラ・フィッツジェラルドの再来ともいうべき独特なこぶしのきいた歌唱のしっとりしたバラード曲もありと、画期的な作品と呼べるでしょう。

このビョークという存在が世界的な認知度を高めたことにより、おそらく、それまで多くのすぐれたミュージシャンがいながら、世界的な市場からは度外視されてきたこのアイスランドのレイキャビクという土地にようやく1990年代に入って、活発な音楽シーンとして光が当てられるようになります。

 

3.アイスランド音楽の発展

 

このビョークのあと、華々しくシーンに登場したのが、シガー・ロスという存在でした。彼は90年代から活動は始めていたものの、二〇〇〇年代に入ってから、ワールドワイドな知名度を得るに至ります。彼は、いわゆるポスト・ロックの代表的ミュージシャンのひとりとして挙げられ、以前から現在にいたるまで、必ずといっていいほど、ポストロックバンドを紹介する際のディスクビュー各誌、もしくはフリーペーパーの類で、その名を挙げられる代表的な存在となりました。

また、シガー・ロスの音楽に対するアプローチは、ヨーロッパ圏の音楽性を重視したビョークよりも、はるかに顕著で個性的といえ、実験性の高いロックミュージック、そして、アイスランドという土地の民族性を背負い、音楽を演奏し、この土地の民族性を世界的に誇り高く示しているという印象を受けます。

彼は、ときに、ライブパフォーマンスにおいて、バイオリンの弓でエレクトリック・ギターを弾いてみせたり、アヴァンギャルドなアプローチを交えつつ、アイスランドの言語の風味を楽曲の中に取り入れている。

このアイスランド語というのは、英語とも、また、ドイツ語とも、あるいは、フランス語とも全然異なる、鼻にかかるような独特な響きがあって、それが非常に清々しいような印象を受けます。この北方言語の響きというのは、素朴で、混じりけのない、純粋な性質がなんとなく感じられて、新鮮味のある雰囲気が漂っています。

また、シガー・ロスの歌声というのは、現代の言語からは乖離した雰囲気が醸し出されており、もっといえば、ラテン語的な古い言語の趣きが感じられて、それが非常に上手く大衆音楽の中に融合されているところが圧巻としかいいようがなく、彼の登場というのが、行き詰まりかけていたロックミュージックに、新たな清々しい風を吹かせたことだけは確かといえるでしょう。その辺りのアイルランド語としての、美しい響きの魅力がはっきりと伝わって来る作品が「Med Sud i Eyrum Vid Spilum Endalaust」。 

この作品の中に最初におさめられている「Gobbledigook」においては、美しいアイルランド語を聴くことが出来ます。

そして、ビョークが切り開いた局面を、このシガー・ロスという存在がさらに押し広げ、発展させ、また、ポストロックの最重要拠点としてのアイスランドという概念を世界的に知らしめたことによるかもしれませんが、この後、アイスランドからは素晴らしいミュージシャンが相次いで登場するようになります。

その一因として考えられるのは、二〇〇〇年代に入ってからの宅録技術の向上であり、以前のビョークのように、華々しいディーヴァとしての実力がなくとも、配信サイトなどを通じて世界的に音楽を発信できるようになった時代背景の後押しも、少なからずあったろうと思われます。

つまり、イギリスのような巨大な音楽のマーケティング市場を持たずとも、音楽活動を個人として世界にむけてごく簡単に発信できるようになったため、こういった今までスポットライトを浴びなかった地域にも、ようやく傑出した音楽家がいるのだということが世界的に知られるようになった。

もちろん、町おこしというのではないですが、こういった脚光を浴びる存在が、一人、二人と出れば、世界的に注目されるのはごく自然なことといえますし、また、その後のこのレイキャビクに住む音楽の担い手たちに大きな勇気を与えもし、彼等に音楽活動への手ほどきをしたのも事実でありましょう。


4,エレクトロニカの最盛期

 

そして、このシガー・ロスのポストロックというジャンルでの活躍を受け継いだような形で次に華々しく登場したのが、ムームというエレクトロニカアーティスト。

このバンドは、アンナという双子の姉妹を中心に結成され、他の地域にはまず存在し得ない幻想的な風味のある音楽を奏でることで有名です。上記のシガー・ロスの影響を受けてか、楽器の使い方の多様性も面白く、管楽器、弦楽器、グロッケンシュピール等が楽曲の中で強い印象をなし、そして、その上に、アナログシンセサイザーやシーケンサーによってグリッチというジャンルを独自に開拓してみせました。いわゆる、聴かせる電子音楽の筆頭としてあげられるでしょう。

リズム自体はすごくシンプルなんですが、よくよく聞くと、ブレイクビーツ的な手法も見られて、しっかり聴き込むと、かなり職人気質なことをやっていて、その辺りがおとぎ話っぽいかわいらしさの中に抜けさがない気骨ある哲学的精神が感じられます。もちろん、ビョークも同じですが、こういった一見したところ表向きにはキャッチーな性質がありながら、奥深くに高度な音楽が展開され、長い作曲の時間を要して作り込まれているのが、このアイスランドのレイキャビクの音楽家の共通点でしょう。そこには、深い部分では、哲学的な音のアプローチすら垣間見えるはず。

とくに、この他の英国のクラブミュージック界隈の音楽家とは異なり、フロアで大音量で鳴らされる音楽ではなく、家の中で静かに耳を傾けるタイプの音楽といえるでしょう。音の作り込みが巧緻で、内省的な響きがあります。彼女たちは、独特なかわいらしい雰囲気を音楽上で表現し、未だなお世界中で多くのコアなファンを獲得しつづけています。また、それまでポピュラー音楽界隈で使用が遠ざけられていたような楽器を積極的に楽曲の中に取り入れているのが特色でしょう。

このムームの音楽性は、いまだにプリズムのような澄明な輝きを放っており、物語性のあるサウンドスケープによって麗しく彩られています。なぜかはわかりませんが、ムームの楽曲を再生すると、中世ヨーロッパの世界にやさしく手を取っていざなわれていくような摩訶不思議な感覚に満ちあふれています。

また、単なる消費音楽に堕することがないのは、ムームの音楽の中に流れている文学性、抒情詩のような性質があるからでしょう、トールキンの指輪物語に紡がれているようなキャラクター性をエレクトロニカという音楽性で見事に昇華してみせたのが、このムームというバンドの際立った特徴といえるでしょう。

上記の、ビョーク、シガー・ロスの二人が開拓してみせた音楽性の荒野を、このムームというエレクトロニカアーティストが確立し、レイキャビクという土地の音楽性を決定づけた立役者といえるでしょう。

このムームというエレクトロニカバンドが世界的に有名になった後に、アミナというグループがシーンに登場したのは偶然ではなく必然でした。このアミナはムームと比べると、電子音楽グループというよりかは室内楽グループに近く、クラシック色が強く、うるわしい弦楽器のハーモニーを聞かせることで有名です。

 

5.アイスランド、今一つの音楽の開拓 

 

エレクトロニカとは別の音楽性でこのアイスランド、レイキャビクという土地を賑わせたのが、キアスモスのメンバーとして有名なオーラヴル・アルナルズ、そして、もうひとり、ヨハン・ヨハンソンという音楽家でした。

彼等二人というのは、 ピアノ音楽によって、この世を救うためにやってきた英雄に違いありません。すでに剣をとって世を救う武勇などは過去のものとなり、今日においては、音楽によって世を救う英雄たちが多くを占めています。もちろん、これは、ちょっとした誇張を含んだ脚色であるのだとしても、彼等は、この小さな港町レイキャビクをついに二十一世紀の音楽の最重要地足らしめたことだけはたしかでしょう。

ヨハン・ヨハンソンの方は、映画の劇伴音楽らしい壮大な世界観を有しており、品の良い音楽性で美しい大自然を思わせるような楽曲を奏でています。 

まさに、彼の音楽というのは、ただ単に美麗としか形容しようがなく、映画のワンシーンに使われるのにうってつけの音楽性で、シーンのストーリ性を深遠なものとし、映像風景をサウンドスケープという概念で麗しく彩り、シーンの価値を高める特質に満ちあふれています。きわめてシンプルな演奏でありながら、癖のない音楽性なので、人を選ばず、万人受けするソロ作品で、ギリシアの作曲家、エレニ・カラインドルーのような壮大でら抒情性のある音楽性を有しています。

もうひとりのレイキャビクを代表するアーティスト、オーラヴル・アルナルズの方も忘れてはなりません。

彼は非常に多彩な才能をもつ音楽家であり、ドイツのニルス・フラームとともに、ポスト・クラシカル派を牽引する音楽家の一人です。

クラブミュージックの指向性の強いキアスモスというユニットとして活動する傍ら、古典的な鍵盤奏者としても活躍しています。上記のヨハン・ヨハンソンの壮大な音楽性とは対照的に 、内省的かつ哲学的なピアノ楽曲をこれまで数多くリリースしており、三十代という若い年代ながら、既に長いキャリアを経てきており、これまで多くの美しいピアノ音楽を世界に向けて提供しつづけています。

昨年、コロナ禍のプレッシャーに押しつぶされることなくリリースされたスタジオアルバム、Some Kind Of Piece収録の「We Contain Multitudes」は、オーラヴル・アルナルズが新たな境地を切り開いてみせた世に稀な名曲といえましょう。このレイキャビクの美しい青い海のサウンドスケープを眼前に浮かび上がらせる、清涼感のある穏やかな楽曲を生み出しました。まさにこの楽曲というのは誇張なしに、涙腺を刺激するような輝かしいうるわしさに満ちあふれています。このリリースを見ても、オーラヴル・アルナルズは、これからが楽しみな音楽家のひとりであり、おそらく、ポスト・クラシカル派にとどまらず、現代音楽シーンを担うような偉大な音楽家としての階段を、今一歩ずつ着実にのぼりつづけているというのは疑いがありません。

また、先述した通り、オーラヴル・アルナルズは、同郷のヤヌス・ラスムッセンとともにクラブミュージックユニット、キアスモスとしても、ダンスフロアを沸かせています。このキアスモスも、彼のソロプロジェクトにも引けをとらない素晴らしい音楽ユニットで、彼等二人のクールで、パワフル、なおかつ、クリエイティヴな楽曲のダイナミックな運びというのは、世界的に見ても群を抜いており、今日のクラブミュージックの最前線にいるのがキアスモスといえそうです。ここでは、彼のソロプロジェクトでのアーティスティックな表情とは別の、繊細でいながら、それとは対照的なスポーティな側面が堪能できるはず。

 

 6.終わりに

 

二十一世紀から始まったアイスランドの音楽ブームというのは、今、最骨頂を迎えているといえ、これから果たして、どのような音楽家が出てくるのか。そして、上記の音楽家たちがどういった素晴らしい音楽を生み出してくれるのか、非常に楽しみでなりません。

どのような音楽シーンも先駆者があり、そして、それに列なる音楽家がいて、そして、明日のシーンを形成する未来の表現者がいる。

およそ信じがたいのは、レイキャビクという土地はさほど大都市といえないのに、これほど優れた音楽家が数多くいる。

これは、先史の音楽家たちが音楽が発展する素地というのを表側の音楽シーンには見えない形で作り上げてきたからこそでしょう。

おそらく、ビョークが有名になる以前にも、陽のあたらないシーンで、良質な音楽を紡ぎ続けていた優れた存在が数多くいたはず。

それを見事にビョークという存在が全世界に向け、このレイキャビクという土地の存在を知らしめた。彼女がスターダムにのぼり詰めたのは、先史の音楽家からめんめんと引き継がれた音楽を大切に育みつづけてきたからこそなのです。アイスランドの音楽は、先人から引き継がれてきたバトンが次の世代に渡され続けている。

そういった意味において、

ローマは一日にして成らず、でなく、”レイキャビクの音楽は1日にして鳴らず”そんな表現がふさわしいかもしれません。

上記のミュージシャンが開拓した荒野を、後発のミュージシャンが長い年月をかけてじっくりと耕していき、そして、未来の音楽家たちが結実させた。そう、これこそ、素晴らしい音楽史というもの、また、線上に連なった人類の輝かしいカルチャーと呼ばれるものであり、まさにそれが今、如実に、ひしひしと感じられるのが、レイキャビクという町の音楽の特色だといえるでしょう。

このアイスランドに引き継がれてきた固有の美しい言語、そして、固有の音楽、こういった類の文化習慣は、後世に語り継がれるべき伝説のひとつであらねばならない、個人的にはそんなふうに思っています。