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・アイリッシュ・パンクの有名バンドと名盤をピックアップ

 

さて、今回は、爽快感のあるアイルランドパンクバンドを3つほど紹介しようと思います。


このアイリッシュパンクバンドというのは、面白いことに、アイルランドよりも意外にもアメリカのバンドが多く見つかるのは偶然だろうか。これは、メイフラワー号にビューリタンとして米国に渡った移民としての慕情がそうさせる、とまでは、はっきり断言しないでおいたほうが良さそう。


とにかく、アイルランドの民謡だったり、あるいはケルト音楽に使用される楽器、フィドルやパクパイプ、他にも、ウッドベース、マンドリン、アコーディオン等を取り入れているのがこれらのバンドの特色。音は、痛快で、渋く、純粋に、カッコいい。野暮ったい説明はもうコレで十分です。


押し付けがましいところが全然ないのがこれらのバンドの良さ。人の数だけ、それぞれ楽しみ方がある。アイリッシュパンクには、クールなバンドが多く見出せるはずですよ。


 

1.Flogging Molly 



まずは、マンドリン、フィドル、そして、なんといっても、パグパイプを楽曲中に使用するバンド、フロッギン・モリーを紹介しておかないといけません。


結構最近まで、あまりに本格的なケルト音楽の堂々たる雰囲気を感じさせるため、アイルランド近辺のバンドだろうと思っていたら大きな勘違いをしていたことを彼等にまず謝っておきます。あらためて、フロッギン・モリーは、アメリカ、カルフォルニアの六人組の大所帯バンドです。ただ、このパンクロックバンドのギター、ボーカル、そして、作曲を担当する中心人物、デイブ・キングだけはアイルランド、ダブリン出身ということは付記おかなければならないでしょう。


思わず、ビールを片手に乾杯を仲間とともに叫び、肩を組んで踊りだしたくなってしまうのがこのフロッギン・モリーというバンドの良さ。ケルト音楽を素地にしてキャッチーで疾走感のあるパンク・ロックを奏でる。そのスタイルは、デビュー当時から現在にいたるまで信念のような形で貫かれてます。


フロッギン・モリーの楽曲の風味はいわばアイルランド民謡とアメリカン・カントリー、そして、痛快なパンクロックが見事に融合した渋い音楽。聞いていると、一緒にシンガロングしたくなってくるほどの力感が込められています。


その中に、弦楽器のマンドリンをはじめ、フィドルの飾り付けがおこなわれることで、渋い音楽性としての雰囲気が醸し出されています。


また、フロッギン・モリーの楽曲のメロディには、独特なアイリッシュな哀愁がこもっているのもまた魅力のひとつといえ、それはデイブ・キングのダブリンからの移民としての慕情が込められているからなのでしょう。そして、彼の渋い楽曲と声質を他のメンバーが強固にささえているのが強み。このバンドの音楽の痛快さというのは多くの人に受けいられるものであると思います。


Folling Mollyを知るのに最適なアルバムは名作「Drunken Lullabye」をまずおすすめしておきます。




 

2.Dropkick Murphys 



  

1996年結成、ドロップキック・マーフィーズもまた、米マサチューセッツ州ボストンのど直球パンク・ロックバンド。


上記のフロッギン・モリーのように、マンドリン、パグパイプを使用した楽曲が多く、メロディック・パンク色の強いバンドです。 


音楽性はパワフルで、ハードコアパンク勢からの影響も色濃く感じられる硬派なパンクロックバンドといえる。ただ、その音楽性をさらに個性味あふれるものにしているのは、ケルト音楽への深い理解と傾倒があるからでしょう。 


実は、フロッギン・モリーより先にマーフィーズがアメリカのロックバンドとしてバグパイプを導入し、アメリカのパンクシーンに新風を吹かせた。もちろん、現在も大活躍しているバンド。


ドロップキック・マーフィーズ、通称、マーフィーズは、実は、ライブバンドとしても有名です。もちろん、スタジオ・アルバムもいいけれども、ステージでこそ彼等の音楽の華やいだ魅力が体感できるはず。彼等のステージへの登場の際、サッカーのチャントのような”レッツゴー・マーフィーズ”というコールで観客からあたたかく迎え入れられ、そして、高らかなパグパイプの行進のようなリズムと一緒に、華やかにステージに登場するというスタイルをとっている。


彼等の音楽性の興奮というのを理解するのに一番最適なのは、ボクサーの拳闘の様子をクールにデザインした名作「Warrior's Code」をオススメしておきたい。また、ライブアルバム「Live On the St.Patrick Day」も捨てがたく、彼等のライブバンドとしての魅力が心ゆくまで堪能できる一枚となってます。                 

 



 The Pogues


 

最後に紹介しておきたいのは、やはり、アイルランド・パンクの祖ともいえるThe Poguesでしょう。 現在まで、多くのメンバーチェンジを経てきているものの、中心人物のマガウアンだけは不変の象徴的な存在。


アイルランドで、最も伝説的なバンドのひとつといえるでしょう。また、ここで、アイリッシュ・パンクロックバンドとしてあげるのは、彼等ポーグスの作品中に、ザ・クラッシュのジョー・ストラマーがゲスト参加しているから。つまり、ジョー・ストラマーは彼等ポーグスの音楽を認めていたのでしょう。


このバンドの発起人、ボーカリストのシェイン・マガウアンのキャラクターというのは強い異彩を放ち続けている。それはキャラクターの上辺の良さではなく、どちらかといえば、アクの強さともいうべきものです。 


これまでのロック史を見渡しても、コレほど深い業を背負ったミュージシャンというのも見当たらない。


言うまでもなく、シェイン・マガウアンは、音楽史で歴代一、二を争うほどの酒豪である。彼の大酒飲みというのは世界的に有名で、おそらくジェイムズ・ジョイスに対抗できる存在はこの人物をさしおいて他に見当たりません。


一方で、そんな表向きのキャラクターとは別の美しい楽曲こそが、このザ・ポーグスというバンドの魅力でしょう。フィドル、バクパイプ、アコーディオン、こういったケルト音楽の伝統を踏襲した音楽性というのは、上記のバンドとなんら変わらない。そして、その音楽というのもどことなくクラッシュを彷彿とさせる間口の広いアプローチ。何より彼らの楽曲は、軽快で親しみやすい。


しかし、ポーグスこそアイリッシュパンクの本家ともいうべき存在。それは、何が理由なのかというと、やはり、このボーカリストの酒豪としてにじみ出る本物の人生の妙味なのでしょう。このマガウアンの歌声は、お世辞にもきれいということはできない。なのに、彼の歌声には何かしら不思議なほど人を惹きつけ、圧倒させるものがある。これは、やはり、ジェイムス・ジョイスの時代から受け継がれるアイルランド人としての伝統芸能の矜持があるのかもしれません。


そして、音楽という系統でバッカス神の祝福を受けたのが、このシェイン・マガウアンといえそう。彼の個性を端的にあらわした楽曲は、彼等ポーグスの代名詞であり、世界的にヒットした「Fairtales of New York(feat,Kirsty MacColl)」。


この曲というのは、ポップソングス史上稀にみる名曲で、マック・コールとの歌としての掛け合いは、「美女と野獣」的な響きが込められていて面白い。


酒に焼けて、呂律も回らず、音程もあやふやになるほどのガラガラ声から、ふと、一瞬こぼれ落ちるこの世に稀な美しい声の響きに滲んでいるのは、世界を見渡してもマガウアンにしか紡ぎ得ない人生の渋み、彼の表層の印象には見えない内側にある精神の清らかさなのでしょう。


ザ・ポーグスの生み出す音楽は、単なる酒飲みのものではなく、とても奥深い、人生の酸いも甘いも味わい尽くした人間しか紡ぎえない高い芸術性を擁するアイルランドのトラッドミュージック。


彼等は、アイルランド民謡を世界的に普及させたという功績がある。つまり、彼等はアイルランドの伝統性の継承者というように敬意を表して言っておきます。


深い人間としてのたゆまざる営みをアイルランド民謡的な伝統性を受け継いで、そしてまたそれを愛情というもので彩り、新たなロック音楽として世界に誇らしく示してみせたことが、ザ・ポーグスの凄さでしょう。ポーグスは、まずベスト盤を聴いておくのが間違いないと思います。しかし、ほかのスタジオ・アルバムにもたくさん良曲が揃っていて聞き逃がせません。彼等の、代表的な名曲としては、「Fairtales of New York(feat,Kirsty MacColl)」の他にも、

  

・「Sally Maclennane」

・「Stream Of Wiskey」

・「The Irish River」

・「The Sunnyside of Street」

・「Thuesday Morning」

 

が挙げられる。


それから、もうひとつ、なんといっても、トラディショナルフォークの名曲として「A Rainy Night in Soho」もオススメです。




Skaは白人社会に何をもたらしたか?


スカというジャンルの音楽性は、軽快なツービートをギターのアップストロークで刻むのが特徴である。 


一見、単純明快なようでいて、いざ、演奏となるとハードルが高い音楽であることに気がつく。ただ、単に、ギターのアップストロークを習得すれば、それで済むという話ではなく、レゲエミュージックに対する理解度の深さが欠かす事ができない。なんとなく渋みのある風味が出るか否かによって、奏でる音楽に説得力が出てくるかどうかの瀬戸際になってくる。 

 

どうもこれは、ジャマイカのオーセンティック・スカ、もしくは、その後のリバイバル・スカバンドにしか出しえない渋い雰囲気が存在するらしく、このあたりのレゲエからくる素養がないと説得力のない音楽になる場合がある。 

 

これは正直、どういった理由なのかは上手く説明できそうにない。例えば、カリプソ音楽のHarry Belafonteの「Banana Boat」あたりの楽曲に、このレゲエ、ひいてはスカのルーツのようなものが発見できる気がする。

 

大袈裟にいうなら、普通のパンクのように音をがむしゃらに鳴らすというのではなく、そのバンドとしてのスタイル、精神性みたいなものが滲み出てくる音楽というように思える。

 

例えば、ジャマイカの音楽家というのは、他地域から見ると、ラスタファリ運動をはじめ独特な思想を持つアーティストが多い。

 

マーレー、クリフのレゲエの大御所を思い浮かべみててほしい。もしくは、ダブの元祖とされるアーティストを思い浮かべてほしい。スカ、そしてレゲエにあたる長い長い系譜、多分、これはジャマイカの単一の民族性の音としての伝統的表現なんだろうと思われる。

 

そして、このスカという音楽は、実は鑑賞者として聴く分には痛快なのに、演奏者としては結構高い技術を要する音楽である。

 

それなりに、ビックバンドとして完成度の高い音楽にしたいのならば、長い鍛錬、オーケストラ奏者のような胆力のある練習を積む必要がある。バンドとして音合わせを何度もしながら、完成度の高い音楽として洗練させていかねばならない。オールドスクール・パンクのような初期衝動の魅力もさることながら、そう簡単に完成しえないジャズバンドのような職人性も滲んでいるジャンルだ。つまり、ものすごくシンプルで親しみやすい音楽でありながら、抜けさがない部分もあるのが”スカ”の正体なのだ。

 

しかし、それでも、その分良い音楽として奏でられれば、コレほど楽しいジャンルというのは他に見当たらない。

 

スカ・バンドというのは、時に、ビックバンドの大御所、カウント・ベイシーのような豪華なビック・バンドの体制をとり、ギター、ベース、ドラムという編成に加え、金管楽器ーートロンボーンやトランペット——、もしくは、キーボードやエレクトーン奏者をグループ内に擁する。

 

また、ファッション性という面でも、これらのバンドには、オリジナリティあふれる特徴が見られる。

 

スカ・バンドのメンバーは揃って、往年の60'あたりのロック・ミュージシャン、二十世紀初頭のニュー・オーリンズのジャズマンが好んで着用していた細身のスーツ、少し丈の短いトラウザー、中折帽子をシックに着用し、バランスの取れた渋い演奏をするのがお約束だ。これはロンドン、モッズ隆盛時代の雰囲気と相まり、このスカ・バンド全体の印象にオシャレな印象を与える。 

 

同じように、ステージ上の視覚性を語る上でも、顕著な特徴が見られる。実際、ライブで見ると、スカという音楽は楽しく、面白い。

 

編成の多さのためか、小劇団パフォーマーのような印象を与え、舞台的な演出の雰囲気のユニークさも感じられる。観客は、この大編成バンドのステージでの躍動感のあるユニークさ、そして、エンターテインメント性の高い音楽に接すると、思わず、腕を突き出し、陽気に踊りだしたくなる衝動をおぼえるはずだ。

 

スカというジャンルの発祥は、六十年初頭のジャマイカに求められる。その後、スカのムーブメントは、リバイバルとしてロンドンで再燃する。

 

これは、元々、カリプソの後に登場したジャマイカのオーセンティック・スカがイギリスで新鮮な息吹を与えたのと同じだ。

 

第二次世界大戦後、ジャマイカから英国に渡った移民がもたらした文化芸術が、英国の白人の奏でるパンクロックと邂逅を果たし、新たな「スカ・パンク」というジャンルが誕生したといえる。また、スカいうジャンルは、白人と黒人が人種の垣根を越え、音楽で人々が「一体」となるのに大きな貢献を果たした。

 

音楽的な軽快さとは裏腹に、歴史的に大きな意味を持つ。つまり、”人と人とを繋げる音楽”なのである。


ロンドンパンク・ムーブメントの後、イギリスの「2トーン・レコード」に所属するバンドが中心となって、70年代以降のスカ・リバイバル・ムーブメントを牽引していった。

  

 

その後、八十年代に入って他の国々へ、アメリカに続いて、九十年代に入ると、日本にも波及していき、東京スカパラダイス・オーケストラをはじめとする、往年のスカ・コアブームを形成していった。


今回、ここで、「Ska」というジャンルのブームを形作った2トーン・レコードのアーティストを中心に、スカという音楽に再度脚光を当てたい。

 

 

 

1.The Specials

 

 「The Specials」1979

 

 

 

この2TONEのレーベル設立者、ジェリー・ダマーズをバンドメンバーに擁するスペシャルズというバンドのデビュー作を差し置いて、リバイバルスカを語ることは許されない。メンバー全員がシックなスーツを揃って身に纏ったアルバム・ジャケットのモノトーンのかっこよさも失われていない。

 

初期パンクのムーブメントの最中に登場したというのも、彼等スペシャルズの存在を華やかたらしめている。

 

もちろん、彼等は、センセーショナルな印象にとどまらない実力派のロックバンド。後のスカというバンドの音楽性を決定づけ、ファッション性にも大きな影響を後進に与えたバンドであり、2トーンというレーベルを代表するバンド。 

 

1stトラック「A message to Rudy」のまったりしていて味のあるリズムが無性に癖になる。クラッシュのロンドン・コーリングの楽曲を彷彿とさせるフレッシュな名曲。

 

「(Drawing of a )New Era」の瑞々しさについては説明不要。ザ・スペシャルズという唯一無二の鮮烈なニュースターの登場をロックファンに告げ知らせることに成功し、Skaというジャンルの台頭を世間的に高らかに宣言した名曲。 

 

このスペシャルズの黒人と白人の混成のバンド編成というのも先鋭的。当時としてはかなり驚きをもたらした。  

 

また、他のスカバンドにはない生きの良いフレッシュな勢いがある。そして、音楽性のバックグラウンドの広さというのも、スペシャルズの魅力だ。オーセンティック・スカから、Oiパンク、そして、セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュを彷彿とさせるオールド・スクールパンクに至るまで、70年代当時のイギリスの熱狂の雰囲気を余すところなく体感できるスカ音楽の歴史資料的な一枚!! 

 

 

 

 

 2.Madness

 

「One Step Beyond」1979

 



 

マッドネスもまた2トーンのバンド。今回、イギリスのスカバンドとしては白人のみの四人組というのはむしろ珍しいという印象を受ける。

彼等マッドネスの才覚が最も花開いた最高傑作として挙げたいのは、ニューウェイヴ、AOR色の強い「Mad Not Mad」で、これはカラッとした爽快味のあるかなり聴きごたえのある超名盤。

しかし、スカという文脈として紹介すべきなのは、この散々レコードガイドで紹介されているデビューアルバム「One Step Beyond」。

あらためて、マッドネスというバンドを聴いてみると、基本的なご機嫌でどことなく渋いスカ、もしくはダブ音楽ということになる。裏拍を強調したツービートサウンドもあって、どことなく都会的でユニークな陶酔があるというべきか、気のせいか、ブリクストン的な音の雰囲気も感じられる。

しかし、このマッドネスサウンドには他のバンドと違う点を見出すとしたら、ファッツ・ドミノだとかあたりのアメリカのモータウンレコード、つまりデトロイトの一連の黒人アーティストからの影響が色濃く、黒人音楽に対する憧憬が感じられる点でしょう。古くの、R&B,ソウルの風味が感じられるのが特徴、エディー・アンド・ザ・ホットロッズのようなパブ・ロックの雰囲気もあってクール。

R&B,ソウル音楽の持つ深みを、白人としてのロックに落とし込んだという意味では、このバンドは、実は、ローリング・ストーンズの白人としての、黒人ブルーズ、ゴスペルへの接近というような音楽アプローチ。

そして、このデビューアルバムの音楽性はザ・クラッシュと共に、後のマンチェスターをはじめとする80年代後半のイギリスのロックバンドサウンドのお手本になったというような感もあり。 

 

 

 

 

3.The Selecter

 

「Too Much Pressure」1980

 

 

 

 

ザ・セレクターは、スペシャルズと共にツートーンを代表するバンドで、スカシーンを牽引してきた存在であり、やはり、名盤セレクションとしては外すことができない一枚。

 

このアルバムで展開されるのはスカの典型的なスタイルで、いわゆるツービートという裏拍(二拍目と四拍目)を強調したスチャスチャというスカサウンドの醍醐味を心ゆくまで味わう事ができる。 

 

これはスペシャルズの勢いあるスカとは対極にある、渋いまったりとしたダブ寄りのサウンドがセレクターの良さ。聞いているとなんだか病みつきになってくるのがこのバンドの魅力といえるか。

 

レゲエとスカの違いがよくわからないという初心者にも、スカという音楽はこうやるんだと、カッコよく手ほどきをしてくれているのが、このセレクターのデビューアルバムである。 

 

よく聴くと、ギターサウンドとしては荒削りであるものの、そのあたりのラフさというか、プリミティヴなサウンド面での特徴が他のスカバンドにはない良さ。 洗練されたサウンドというよりかは、着の身着のままの剥き出しのオリジナル・スカサウンドを体感できる。

 

もちろん、ここでは、リム・ショットやエレクトーンのオリジナル・レゲエからの音楽性もしっかりと受け継がれている。 

 

もうひとつ、セレクターを語る上で忘れてはならないのは、女優でもあるポーリーン・ブラックのファッショナブルなボーカル。

 

ブラックは、実はフロントマンとして最適な音域を持っており、中音域の力強いボーカリスト、キュートさと力強さ、キャッチーさを兼ね備えた素晴らしいシンガー。彼女のボーカルというのは、どことなく中性的なカッコよさがあり、独特な渋みを感じさせてくれるはず。 

 

 

 

 

 

4.The Beat

 

「I Just Cant Stop It」1980

 

 


 

ザ・ビートも、スペシャルズと同時期にデビューした2トーンの代表格。やはり、白人と黒人の混成バンドですが、スペシャルズに比べると、どちらかと言うと、パンク色は薄く、本格的なレゲエ色の強いのが特徴。  

 

ボーカルのリズミカルな掛け合い、ドラムのリムショット(ヘリをスティックで叩くミュート奏法)、そしてテナーサクスフォンの豪華なフレージングがこのビートと言うバンドの際立った個性です。また、リバーヴ、フェーザー・エフェクトの効いたギターサウンドも、どことなく玄人好み。  

 

このデビューアルバムでは全体的に、レゲエ音楽の白人的な憧憬、そして、独自の再解釈が見える。

 

バックバンドとしての音楽的な技術は洗練され、およそオールドスクールパンク界隈のバンドとは思えないほどの演奏力が感じられる。

 

アルバム全体の表向きの雰囲気には、ニューウェイブ的なサウンドが漂っているが、実際的なバンドとしての演奏が醸し出す雰囲気というのは、レゲエとロックの融合、フュージョン的な渋みのあるロックバンド。  

 

しかし、そういった玄人的なサウンドが独りよがりにならない所が、The Beatというバンドの良さ。ボーカルのフレージングの現代的なポップセンス、もしくはそれと正反対に往古のレゲエサウンドの良さをそのまま凝縮したスカサウンドらしい雰囲気というのも、このバンドならでは。また、このアルバムの中で、とても興味深い名曲が「Best Friend」。どことなくニューウェイブ風の楽曲で、清涼感を感じさせる爽やかなサウンド。 


 

これは、ロンドンの初期パンクスしか醸し出せない独特の時代感ともいうべきサウンドであり、青臭く、なんだか切なく、爽やかで痛快な感じがサウンドの中に感じられる。

 

きっと、それは往年のロンドンパンクスの音楽を愛した人なら、理解してもらえるかと思う。あらためて音楽というのは、音を紡ぐ演奏者の叙情性を表するものだというのを再確認できる一枚となっている。 

 

 

 



 5.Bad Manners

 

 「Ska 'N B」1980

 


 

 

新旧、数あるスカバンドのなかでも未だに最もユニークな個性と魅力の輝きを放っているのが、Bad Manners。ビッグバンドのような大所帯、ボーカルのバスター・ブロックヴィッセルのユニークなキャラクターが異彩を放つ。

 

「バッド・マナーズ」と名乗るように、アルバム・ジャケットでバスターが自らお尻を出してしまっているところもお下品。このデビューアルバムのジャケットセンスというのも、B級映画のようなマニア向けの味わい。 

 

しかし、そんな表向きのイメージとは逆に、スカという音楽の流儀をストイックに追求し続けているのが、このバッド・マナーズの真骨頂である。 

 

2toneからリリースの「Ska 'n B」で展開されるのは、エレクトーンの楽器としての持ち味がいかんなく発揮された通好みのレゲエ、ダブ、スカの発祥地としてのジャマイカのサウンドを敬意をもって踏襲、それをユニークな形で演出してみせた力量というのは流石としか言いようがなし。 


バスター・ブロックヴィッセルのコメディ俳優のようにコロコロと七変化する滑稽みのあるユニークなボーカル、トロンボーンの演奏というのも、アバンギャルド的な味わいがあって面白い。そこに、往年のレゲエ的なエレクトーンのフレーズも何度聴いても飽きの来ない良さがある。

 

聞いていると、わけもなく元気に陽気になってきてしまうのがバッドマナーズの音楽の素晴らしさ。バスター・ブロックヴィッセル以上のエンターテイナーは世界中どこを探しても見つからない!! 

 

 

 



6.The Slits 

 

「Cut」1979

 

 

 

 

スリッツは、メンバーの四人が全員女性という面で非常に珍しいアーティストで、世界で一番早くに登場した女性だけで構成されたパンクバンド。

 

このスリットというバンドは、女性のみという特異性を意識して聴くと、完全に本格派バンドとしての風格に圧倒されるはず。 

 

スリットのバンドサウンドとしては雑多であり、最も早いミクスチャーバンドとしての聴き方も出来なくもないのかもしれない。

 

一曲目の「Instant Hit」からして、女性のバンドだとなめてかかると本当に痛い目を食らうでしょう。

 

ここで展開される、ダブ寄りの質の高いヌケ感の良いサウンド、そしてよく外国のパーティ等でかかるというのも頷くことのできる音楽性。これは、今聞いても新鮮に感じられるはず。

 

あらためて、今聴くと、画期的なサウンド。基本的には、ジャケットで暗示されているようなプリミティヴなサウンド面での特徴を持っており、その中に分かりづらい形で、スカやダブの要素がひっそり潜んでいる。また、変拍子もなんなく曲の中に取り入れているあたりも男顔負けの玄人好み。ひとつのジャンルに収めこんで語るのが惜しいバンド。登場の早すぎた感のある前衛的な名バンドの一つ、数奇な天才女性トリオ!!!

 

 

ポストハードコア/エモーショナル・ハードコアの名盤ガイド

 



このニュースクール・エモ/ポスト・ハードコアと呼ばれる音楽は、90年代に行き詰まりを見せていたポップパンクやハードコアのシーンに、あざやかな息吹を吹き込んで見せた”スクリーモ”というジャンルがその原型。イギリスのThe Used、アメリカでは、Thursday、Matchbook Romanceというバンドが有名で、UK、USのオーバーグラウンドでもチャート上位を賑わし、一時期、結構人気があったジャンルです。 

 

こういったバンドの楽曲の特徴としては、ヘヴィなハードコアパンクに、ボーカリストの激烈な”スクリーム”。そして、その正反対の要素の繊細さのある「泣き」というエモ的要素を織り交ぜた音楽性というのが一貫している。非常に苛烈なアジテーションを持って支えられる強固な音楽性に、それとは対照的なエモーションをはらんでいるアンビバレンスさが特徴で、一部のコアな音楽ファンの間で人気があるジャンル。 

 

そしてまた、世界のシーンを見渡してみると、ここに面白い兆候があって、スクリーモをはじめ激情ハードコアの発祥自体は、アメリカ/イギリスという国々であり、もちろん、シーンの広がりを形作ったのもそれらの国ではありながら、近年、こういったバンドというのが欧州圏で際立った活躍を見せている。 

 

これというのは、英国や米国のメインストリームから見ると徐々に衰退していっていたジャンルの一が、いつの間にか欧州圏やアジア圏でひっそりと生きながらえ、浸透していき、各国独自の進化を遂げてその音楽性を完成させ、コアなファンの根強い人気を獲得しつづけているという印象を受ける。 

 

例えば、日本の著名なハードコアバンドが他のアジア圏、あるいは、ヨーロッパ圏にツアーに出ていき、相当好意的に受け入れられて入るのを見ると、今や、ハードコア音楽の熱狂は、いよいよ欧州やアジア圏の国々にも移行しはじめているのではないかと思われます。

 

正直なところ、一般的な音楽ファンへの需要というのは望むべくでないのかもしれませんが、この辺りのニュースクールハードコアと呼ばれるシーンには、クールなバンドが多く見られるので、少しのファン開拓のため、今回、世界を股にかけて活躍する激情系ポストハードコアの屈強なバンドを名盤と共にリストアップして行きます。  

 

 

 La Quiete 「2006/2009」   

 


 

イタリア、チェゼーナ県、歴史ある煉瓦造り城塞の名残りをとどめる、フォルリ出身の五人組ハードコアバンド、ラ・クイエテ。主要メンバーは後に、Raeinを結成。

 

現在は、活動を休止して解散状態にありますが、問答無用で、激情系ポストハードコアの最重要バンドの一つであり、これを聞かずして現代のハードコアシーンをしたり顔で語らざるべし。 

 

このアルバムは彼等の太く短い活動の情熱を余すことなく刻印したベスト盤的な意味合いの強い一枚。 

 

ブラストビートとも言うべき、重戦車のような疾走感あるドラミングによってバンドサウンドが力強く引っ張られていき、そこに、ハイハット、シンバルがロケットランチャーのごときに盲滅法に連射される。一曲目からすさまじいテンションの変拍子満載の楽曲、これには白旗を挙げるほかない。 

 

この往年のボンゾを彷彿とさせるような音からの直截的な風圧すら感じるすさまじいタム回しの上に、分厚いツインギターが絡み合いながら、複雑な多次元的な構成の曲の表情を緻密に形作っていく。 

 

歌詞自体はイタリア語で、舌がもつれそうな早い歌いまわしが乗せられていくボーカルスタイル。絶叫感こそあるものの、その中に異様なほどの対比的な落着が感じられ、そこに、どことなくスタイリッシュなハードコアバンドという印象を受けるはず。また、このバンドサウンドには何か、五人のイタリア男たちの胸を打つような友情、そして、結束というのが力強く感じられる。 

 

名曲「Cosa sei disposto a peredere」 の焦燥感のある前のめりな勢い、そこに繰り広げられるスタイリッシュなイタリア語の響きというのは、素直にカッコいい!というしかないでしょう。 

 

しかし、この疾走性の強いバンドサウンドが単なる凶暴な突っ走りとはならなないのは、「静寂」というバンド名を象徴されるように、時に、その轟音の向こうに姿を表す静寂が絶妙な均衡を保っている。この辺りに、ラ・クイエテの一辺倒ではない知性が宿っており、現代ハードコアの醍醐味である轟音と静寂というアンビバレントな要素もお約束。

 

荒々しく無骨で、どことなくミリタリーな雰囲気すら漂う中に、哀愁の滲むメロディーセンスが色濃く感じられる。まさに、ヴィヴァルディ時代から古い歴史を抱えるイタリアのロマンチシズム。  

 

 

 

 

 

 Envy 「Dead Sinking Story」  

 

 



 

Envyは、近年では、ヨーロッパツアーの敢行、フランスの「Hellfest」への出演、そして、Vo.深川哲也氏のMogwaiの楽曲へのゲスト参加をはじめ、パンク・ハードコア界隈にとどまらず、ヘヴィ・メタルやポスト・ロック界での活躍も近年めざましくなりつつある世界的なロックバンド。どちらかといえば、日本のアーティストというより、海外アーティスト寄りに近い印象のあるバンド。

 

このEnvyというバンドというのは元は、Gauzeのような超硬派のオールドスクール・ハードコア性を擁するバンドとして出発し、それから、徐々に、エモ、ポストロック、ポストハードコア、ニュースクール・メタルというように、様々な音楽性を吸収し、昇華させていったバンドで、ラ・クイエテのように母国の日本語の中に独自のニュアンスを見出し、文学的な歌詞の風味があるのが特色。

 

「A Dead Sinking Story」は、最初期の名作「All the Footprints You've Ever Left and the Fear Expecting Ahead」の音楽性を引き継いで、ポストロック、エモ色を強めていくようになる方向性の契機となったEnvyの最重要作品。 当作は、コンセプト的な趣のある作品といえ、陰鬱な雰囲気によって艷やかに彩られており、MOGWAIやGY!BEを彷彿とさせる、静と動のめくるめく曲展開を打ち出し、新境地を切り開いてみせた記念碑的作品でもある。深川の激情を剥き出しにしたボーカルというのが持ち味で、それと正反対の繊細でエモーショナルな日本語歌詞、それらは普遍的な四人編成というロックバンドの重厚なサウンドにより強固に支えられる。

 

一曲目の「Chain Wandering Deeply」は、ヘヴィ・ロックの世界史に「Envy」という名を刻印してみせた名曲といえる。「Color of Filters」での、思わず一緒に歌いたくなるシンガロング性があり、「Go Mad and Mark」での、Mogwai、Mineralを彷彿とさせるポスト・ロック、エモコアの極致と言うべき楽曲も聴き逃せない。また、Envyの初期作品からの特色であるアンビエント・ドローン的な楽曲「A Conviction of that Speed」の、深川の内省的なポエトリー・リーディングも、権力に対する個人としての無力感、只事ではない義憤が込められている。

 

アルバム全体が異様なバンドとしての緊張感に満ちあふれ、実に、絶妙なバランス感覚によってバンドとしてのサウンドの印象が支えられている。

 

激烈な轟音の向う側にひろがるギター・アルペジオが生み出す静寂。その奥行きあるアンビエンスには、息を飲むような美麗さが味わえるはず。 

 

アルバム「A Dead Sinking Story」は、日本語ロックの最先端を行った記念的作品。さらに言うなら、日本のハードコアバンドとしての彼等四人のストイックさ、深い自覚と矜持というのが見出せる。日本のロックを先に推しすすめ、「Envy」の名をワールドワイドたらしめた歴史的名盤。  

 

 

 


Endzweck「The Grapes of Wrath」  

 


 

 

東京のポスト・ハードコアシーンにおいて、最も有名で伝説的なバンドともいえるEndzweck。

 

”There is a light never goes out”のメンバーによって結成。Envyが海外向きの活動を展開していったのとは異なり、このEnzweckは、アメリカ単独ツアーなども敢行しつつ、国内のインディーシーンに根をおろし、現在も活躍を続けている。パンクロック好きの東京の若者たちは、エンズがいつどこどこでライブを演るらしいと騒いで、みな、このEnzweckに憧れていました。いわば、00−10年代にかけての新たなHI-Standardのような存在でもあったわけです。

十年前、東京のライブハウスで、このバンドの企画イベントが行われようものなら、チケットは即完売。男女関係なく人気があり、ほとんど、ライブはすさまじい暴動寸前の盛り上がりを見せ、フロアに入り切らないほどの記録的動員を持っていた。彼等の活躍の後、東京インディーシーンでポスト・ハードコアシーンが台頭してきて、皆こぞって夢中になって過激で激烈な音を奏で始めた。

KamomeKamome、Heaven in her arms、Killie(嫌い)といった伝説的なバンドは言うまでもなく、16 Reasons、解散してしまったPastefasta、Hardcore Superstar(元Hawaiian6のベーシストが在籍)、ヒップホップ・ハードコアのMetamorforce,その後には、山梨、甲府のライブハウス、”Kazoo Hall”を中心としたインディーシーンを10年代にかけて構築していくBirthと、凄まじいバンドが続々と登場した。

 

もちろん、Endzweckは東京のハードコアシーンの代表格であり、現在も、その人気は衰える気配が全くなし。フロントマンの上杉さんは、近年、バンドマン向けセミナーなども開催し、就職を期にバンドを辞めてしまう人が多い中、会社員になってもバンドは続けようという提言を行う。

 

Endzweckは、つまり、この東京の00年代からのハードコア・ムーブメントの牽引者といえ、欠かすことの出来ないバンド。もちろん、音楽性についても、世界にひけをとらないほどの高い完成度を誇り、疾走感のあるニュースクール・ハードコア、そして、上記のイタリアのラ・クイエテのようなミリタリー色のあるクールな質感を併せ持つ。時に、ギターのミュートでの刻みの音圧というのはカッコいい。また、楽曲として、ストップ・アンド・ゴーを多用した緩急のあるテンポ感を見せるのも、彼等のバンドサウンドの特長でしょう。そして、なんといっても、オールドスクール・パンクハードコアの熱狂を失っていないのがエンズウィックの良さ。

 

「The Grapes of Wrath」は、彼等の代表作のひとつとして、現在もそのカッコよさは失われていない。上杉さんの絶叫ボーカルは、どことなくスタイリッシュな印象も受ける。往年のクラシックなメタルの雰囲気もあり、ハードコアらしい疾走性、そして、サウンドにほのかに漂う哀愁、いわばポストハードコアの典型的サウンドは、世界中の多くの人に知られるべきものだ。彼等、Enzweckは、16 Reasonsと共に、東京パンク・ハードコアシーンを代表する最後の牙城といえる。また、彼等のデビュー作「Strange Love」も、名作として挙げておきたいところ。

 

 

Suis La Lune 「Riala」





 

次にご紹介するのは、スウェーデンのポスト・ハードコアバンド、Suis la lune。 このバンドの面白いところは、エモの「泣き」という要素をさらに先鋭的にしたことでしょう。このアルバムを聴いて驚かされるのは、ボーカルのスクリームがほとんど泣いているという点。これは泣きながら歌っていると思わされるような激烈な印象。

Suis la Luneの表面的な印象は、疾走感のある重いグルーブ感であり、それが単なる感傷性に堕することなく、屈強なバックコーラス、重厚なヘヴィ・ロックによって激情派というニュアンスが押し出されている。つまり、このSuis L luneほど、外側のベクトル=激情性、内側のベクトル=繊細性というアンビバレンスさを体感するのにうってつけのバンドは他にないといえるかもしれない。 

特筆すべきは、表面的には、激烈な切なく哀愁のあるニュースクールハードコアが展開されながら、いきなり曲の終わりにかけて、美麗としかいいようのないディレイ、リヴァーブ感の強い奥行きあるアンビエントドローンの世界が現れるのも特異な印象を受ける。 全体的には、ハードコアだけではなく、ギタリストがトレモロアームを駆使し、出音を歪ませていることから、マイブラのようなシューゲイザーにも通じる独特なエモーションがあるのが北欧のバンドならでは。

このアルバムでは、「Stop Motion」を始め、往年のアメリカのスクリームバンドの切ない激情性を踏襲しつつ、それをスウェーデンという土地柄の叙情性によって独自に彩ってみせているのが見事だ。 そして、もうひとつ、ごく普通のハードコアバンドらしからぬ特質があるとするなら、ギター、ドラム、ベースというシンプルな編成に加え、「Wish&Hopes」で管楽器がさり気なく取り入れられているあたりでしょう。 全体的には、バンドサウンドとしての音の厚みからくるものなのか、バンドとしてのオーラの強さ、大きさのようなものが感じられるバンド。

シンガロング性の極めて強いキャッチー性と流麗なメロの運びがこのバンドの一番の強みといえる。そして、屈強で武骨なオールドスクール・ハードコアを下地にし、いかにもスクリーモバンドらしい泣き感の強いサウンドという印象を受けます。 

 

 

 

 Sport 「Von Voyage」

 


最後にご紹介するのは、これまたフランスのポスト・ハードコアの代表、スポルト。 不器用なんだけど、あけすけに内側の叙情性を外側にそのまま音として吐き出している気がして、非常に好感が持てる。

 

このスポルトというバンドは海外で人気が高く、一時期、エモ・シーンでも、一、二を争うくらいに期待されていましたが、残念ながら、2016年「Slow」のリリースをもって解散してしまったのが惜しまれる。

 

このバンドは、ツインボーカルのスタイルを取り、ワシントンのDiscordのハードコアバンドの音を現在に蘇らせ、そこに新たな現代的なエモのエッセンスを交えたバンド。ボーカルの声質が、イアン・マッケイに良く似ていて、往年のマイナースレットをどことなく彷彿とさせるようなところもある。

 

このアルバム「Von Voyage」の彼等の活動の勢いのある瞬間を音としてアルバムのように捉えた作品。これはなんでしょう、失恋した後に、バイクで夜道を疾走するような感じとでもいうべき。

 

一曲目では、スティーヴン・キング原作「スタンド・バイ・ミー」のワンシーンの会話がイントロとして使われ、そこから激烈なエモーションソングがめくるめく形で展開されていく。つまり、そのあたりの青春物語がテーマとして掲げられ、これはアルバムジャケからも伝わってくるものがある。

 

音楽性には性も感じるところもあり、一方で、しっとりと奏でられる落ち着いた雰囲気もある。このアンビバレンスさというのは、やはり、ポストハードコア界隈のバンドならでは。 このアルバムに音として現されているのは、冒頭のスタンド・バイ・ミーのような青春物語としての若い男たちの不器用な青臭さであり、それが有り余るほどのエモーションで音楽として表現されている。

 

このアルバムというのは、90年代のシカゴのCap' n Jazzから発生したエモーショナル・ハードコアというジャンルを、時を経て、あろうことか10年代にもなって、なぜか、海を越えて、フランス人がその概念を引き継ぎ、現代に記念碑のごとく完成させてみせた。 

 

HUSKER DU


Hüsker Dü (1985 SST publicity photo).jpg
By Photograph by Naomi Petersen. Distributed by SST Records. Hüsker Dü Database fansite Public Domain, Link

ザ・リプレイスメンツと同郷、ミネアポリス発、Husker Duは、ボブ・モールドを中心として結成され、八十年代全般に渡って活動した三人組で、いわゆるスリーピースと呼ばれる形態のロックバンド。後進のバンド、アメリカ国内のパンクバンドにとどまらず、ここ日本でも影響を受けたミュージシャンは少なくないはず。

 Husker Duというのはノルウェー語で「君は覚えているかい?」という意味。何かその印象深いバンド名を象徴するかのように、活動初期からメロディアスで荒削りでアップテンポのノイジーな音楽を奏でてきた経緯のあるロックバンドなんですが、どのような心変わりがあったのかしれませんが、同郷のリプレイスメンツがたどった道と同じように、活動中期から自分たちの持ち前の美麗な叙情的なメロディ性を打ち出した、じっくり聞かせる渋いロックバンドへ大変身を遂げていく。

しかし、元々は彼等の活動初期のデモやライブを集めたハスカー・ドゥのファンにとってたまらない音源集「Savege Young Du」の「Can't see you anymore」では、パンクロックバンドらしからぬ、ドウワップ風のキャッチーかつメロディアスな楽曲を演奏しており、実は、このバンドもリプレイスメンツと同じく、きわめて勝れたメロディセンスを活動初期から有していたことが分かる。

そして、粗削りで攻撃的なアップテンポのスタンダードなパンクロックから、スタンダードなロックへと音楽性の変化の分岐点ともなったのがこの「New Day Rising」というアルバムであり、また特筆すべきなのは、後のグリーンデイやNOFXに代表される、”メロコア”という音楽の土台を作った重要なアルバム。彼等のリリース作品の中で、音のバランスと言うか、パンクロック的な勢いと、その中に顕著に感じられる美しいメロディが絶妙に融合した類まれな名作である。 

 

「New Day Rising」SST Records 1985

一曲目の表題曲のイントロ、New Day Risingのドタドタという、グラント・ハートのバスとタムの迫力ある交互に叩かれる性急なリズムの上に「ビックマフ」のようなまじいファズのうねりのきいたディストーションギターが乗って来るのを聴いた時、誰もがこの音色に驚きをおぼえ、彼等の音楽の虜になることでしょう。

 

無論、ここでは、活動初期からの荒々しい音楽性が引き継がれており、前のめりの勢いのあるハードコアパンク性が現れていますが、このアルバム聴いていて純粋にかっこいいなと思うのは、ひとえにこのギターのクールで洗練されたサウンドプロダクションによるものでしょう。このギターのグワングワンに歪んだ音色というのは、当時としてはかなり画期的だったでしょう。

特に、このアルバムが一般的に彼等の代表作として挙げられる理由は、一曲目の表題曲「New Day Rising」そして、「I Apologize」「Celebrated Summer」という楽曲の出来ばえが際立っているから。

ここでは、今までのエッジの効いた勢いのある疾走性を重視ながらも、ハスカー・ドゥにはなかった要素、つまり、静と動の要素が見られており、異質なほどグワングワンに歪んだディストーションギターと、アコースティックギターの穏やかな叙情的なフレーズが対比して配置されている。

彼等ハスカー・ドゥの作品の中でも、一、二を争う珠玉の名曲、「Celebrated Summer」のアウトロのアコースティックギターの美しい響きの余韻というのは、スタンダードなフォークとしても聴くことが出来るし、ただ単なる一ジャンルの名曲として語るのが惜しい気もします。それまでのハスカー・ドゥには乏しかったメロディアス性が明瞭に押し出され、ボブ・モールドの声というのも、シャウト的な歌い方だけでなく、渋く落ち着いた歌が情感たっぷりとなっている。

何より、このアルバムのジャケットが素晴らしさについてはもう説明不要といえる。この夕日の落ちる直前の情景の美しさと逆光を浴び、浜辺にたたずんでいる二匹の犬の影のシルエットの写真は、収録されている楽曲の雰囲気をさらに魅力一杯にしている。

 

1980年代初頭、ワシントンDCを中心として、パンク・ロックムーブメントの大きな運動が起こりました。もちろん、同時代のイギリスでも、このムーブメントは盛んになっており、革ジャンを着て、ド派手なスパイキーヘアと呼ばれる逆立ったカラフルな髪型をし、硬派なアップテンポなロックンロールをふてぶてしく奏でる。 そんなミュージックシーンが徐々に形成されていきました。

 

その一方、もうひとつの主要なパンク・ロックシーンの形成地のアメリカでは、イギリスとは異なる独特なシーンが形作られるようになっていきます。

 

後になると、このハードコア・ムーブメントは、NY、LA、もしくは、ボストンをはじめとする大都市に広がりを見せはじめ、独自の熱を帯びた魅力的なインディーズ・シーンを形成していくようになっていきます。このムーブメントの立役者となったのは、TEEN IDLES 、S.O.A、そして、もうひとつなんと言っても避けては通れないのが、MINOR THREATというアーティスト。この3つのバンドが中心となり、ムーブメントの旋風を巻き起こしました。これはまた、一部の界隈にしか影響を及ぼさなかったわけではなく、オーバーグラウンドにいるニルヴァーナのデイブ・グロールのようなスター的な存在も、当時こういったバンドの動向に着目していて、少なからず影響を受けたと後になって回想しています。

 

 

 

このハードコア・パンクというジャンルの特徴というのは一言でいうと、とにかく攻撃的でアグレッシヴで、2ビートや8ビートを主体としたアップテンポな楽曲で構成されるという特色があります。 ライブパフォーマンスにおいても、過激で剣呑な雰囲気に包まれていて、ほとんど暴動といっても過言ではない危なっかしさ。

 

およそ観客同士だけではなく、アーティストと観客が喧嘩をおっぱじめるのではなかろうか、当時の貴重な映像などを見ていると、ヒヤヒヤするような雰囲気もあります。 

 

Love minor threat.jpg
Public Domain, Link

ときに、嵩じた観客がステージ上までのぼり、多数のファンが入り乱れながら、ボーカリストのマイクを奪い取り、代わりに曲をシンガロングするという熱いスタイル。

 

これはのちのニュースクールハードコアとなると、さらに観客たちの過激性はましていき、跳ねまわるように踊る”モッシュピット”、腕を振りまわしながら踊る”ハードコア・フリースタイル”という独特の踊りまで出てきます。

 

こういった音楽に対して、血の気の多い野郎だけが、共感を示していたのかというと必ずしもそうではありません。少なくとも、そこには社会のなかのマジョリティという網からこぼれ落ちた存在を、受け入れる余地を作るという良い側面もあって、そういった存在を受け入れ、彼等の社会的に虐げられた精神を奮い立たせ、その足でしっかり立つように発破をかけていました。

 

これこそが、ハードコアの主義主張の際立った役割であったのかもしれません。この頃、すでに、往年のオーバーグラウンドの多くのパンクロック・バンドがスターダムの方に押し上げられていってしまい、およそ、そのシーンの渦中にあるジョニー・ロットンをのぞいて、カウンターカルチャーとしての意義を見失いつつあった風潮を、ワシントンDC界隈の苛烈な音を奏でるミュージシャンはあまり良しとせず、インディーミュージックという形で、彼等が手中に取り戻そうとしていたのでしょう。

 

MINOR THREATのツアーをドキュメンタリー風に追ったフィルム、「At The Space・Buff Hall・9:30 Club」という作品があって、この映像を見ると、観客のほとんどが無骨な風貌をした若い男性客で占められていますが、そこに、ひとりの黒人女性が、他のほとんど暴徒化寸前の男の観客に臆することなく、途中でステージ上にあがってきて、マイナー・スレットの歌をシンガロングしている様子が映り込んでいます。

 

ここには、まさに、ハードコア・パンクというジャンルが、オーバーグラウンドの白人音楽に共感を示しえないマイノリティである黒人女性の心をしっかりと捉えたような印象が伺えます。 また、このハードコア・パンクという武骨なジャンルの中には、さまざまな思想的側面が込められています。

 

その中のひとつに、”DIY”という精神が挙げられます。 これは日曜大工などで、よく聞く言葉でしょうけれど、その名の通り、「Do It Yourself」という概念がこの音楽の主張には貫流しています。

 

それは、「他に依存したり、頼るのでなく、君自身の力でやれ」というスタイルが、こういったバンドの音楽性からにじみ出てくる主題でした。

 

それから、ひとつは、自身のMinor Threatにおける活動を軌道にのせていくため、もうひとつは、こういった主義に近いバンドの活動を応援していくため、イアン・マッケイは、独立したファンジン「DISCHORD RECORD」をワシントンDCに旗揚げし、起業家としての顔も垣間みせつつ、周辺のバンドを音源という形で支援し、上記したTeen IdlesやS.O.Dの楽曲リリースを続けていきます。これらのバンドのメンバーが、レコード会社を立ち上げ、自身の音源を次々にリリースしていく活動自体に、「D・I・Y」の源流、”Do It Your Self”精神が垣間見えるようです。

 

そのスピリットというのは、以降のパンクカルチャーに根深い影響を与え、米国内においては、Bad Religionのメンバーが立ち上げた「EPITAPH RECORD」というのも、インディペンデントレーベルの活動の一環として挙げられるでしょう。

 

実は、日本においても、同じような事例があり、HI-STANDARDの横山健が「PIZZA OF DEATH」を立ち上げ、自身のバンドのレコードのリリースだけにとどまらず、有望そうなバンドを発掘、後進育成のため、現在もリリースを重ねています。

 

彼等のような存在は、はじめから潤沢な資金に恵まれたから、レコード会社が設立出来たわけではありません。これは綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、人一倍の情熱があったから、ベンチャー企業的な思い切った舵取りが出来た。

 

何より、このイアン・マッケイが設立した「DISCORD」のビジネスモデルが確立された前例があったからこそ、上記の後進のアーティスト達は恐れることなくインディーレーベルの経営を進めていくことができたわけです。

 

 

DISCHORD LABELからリリースされた初期のバンドで秀逸な名盤を挙げておくと、RITES OF SPRINGの「End ON END」、アップテンポでキャッチーな楽曲が魅力であるメロディックハードコアの草分け的な存在ともいえる、DAG NASTYの「Can I Say」と、イアン・マッケイの弟、アレックのバンド、FAITHのリリース音源「VOID:FAITH」等がカタログ初期の名盤として挙げられます。

 

その後、Dischordの主宰者、イアン・マッケイは、ハードコア・バンドのリリースを続けていく傍ら、自身のMinor Threatの活動においても、「Straight Edge」という楽曲から汲み出された禁欲的な思想性、 

 

(俺は、酒を飲まない、タバコを吸わない、享楽的なセックスもしない」

 

と、イアン・マッケイの激しいアジテーションによって歌われている)

 

を前面に押し出していって、国内全体のハードコアシーンを牽引する象徴的な存在に押し上げられていきます。

 

しかし、彼自身は、ややもすると、自身がそういった神格化をされることをさほど快く考えていなかったのでしょう。

加えて、1980年代中頃あたりから、こういったハードコア界隈のバンドの音楽性は、押し付けがましく、また思想めいてきて、政治色、もしくは宗教的なカルト性を帯びたバンドが出始めた頃から、イアン・マッケイはこのシーンに対して徐々に距離をとっていくようになります。 

 

おそらく、マッケイ自身は、もちろん、様々な音楽の楽しみ方があると思いつつも、元来、そういった野暮というのか、無骨で横柄な振る舞いをする観客を本心ではあまり快く思っておらず、上記した「Buff Hall」のツアードキュメンタリーにおいて、そういった音楽や詩に耳を傾けないで、ストレス発散のために自分のライブを無茶苦茶にするような輩を見ると、自分でもどうしたら良いかわからないという具合に、不満げに顔をしかめています。時に、そういった暴徒的な観客に対し、本気で叱責するようなシーンも見られる箇所もあるのが興味深いところ。

 

その後、Minor Threatのすさまじいアジテーションを有した音楽性は、徐々になりをひそめていき、どことなくメロディアス、ポップでありながら、深い哲学性を感じさせる音楽のテイストに変わっていきます。

 

Minor Threat自体の活動は、それほど長くは続かず、三年後にあっけなく解散にいたります。その後、イアン・マッケイは、それまでとは異なる方向性を追求していくため、1987年、 Rites Of Springのガイ・ピチョトーと、Fugaziを結成するに至ります。

 

この”Fugazi”というバンドはRites Of spiringの音楽性の延長線上にあり、ポスト・ロック色の濃い音楽性を特徴としており、後発のパンクロック・バンドに啓示を与え、音楽性だけにとどまらず、バンドのマネージメントスタイルにおいても、今なお多大な影響を与え続けています。彼等は、商業的な活動と距離を置いて、反商業主義を旗印として掲げ、長い活動を続けていきます

 
Discordレーベルの金字塔「In on the Kill Taker」
 その後、イアン・マッケイの心変わりを反映したのか、Dischord Recordのリリース作品というのも、年を経るごとに音楽性が変遷していき、レーベル発足当初は、ほとんどハードコア一辺倒であったのが、 カタログを見てみると、90年代に入ると、オルタナティヴ、ダンス、もしくは、ポスト・ロック風味を感じさせる、多種多様な音楽性のバンドのアルバム作品を続々とリリースするようになっていきます。
 
 

その中において、シーンで際立った存在、Jawbox,Pupils、Q And Not You、どのジャンルにも属しがたい、独自色の強いバンドを発掘していきます。

 

殊に、Jawboxというバンドは、ピクシーズをよりパンク色を強めた音楽を奏でており、良質な大人向けの渋いオルタナロックバンドとしておすすめしておきたい。  もちろん、リリースしていくバンドの音楽性が多種多様になっていく中、音楽性の根幹的な目的自体が様変わりしたのかといえば全然そうでなく、相変わらず、「D・I・Y」精神に則り、既存のシーンに対するカウンター・カルチャー的存在を90年代、00年代にかけて、Dischordは続々と輩出していきました。 

このような反体制的なレーベルが、こともあろうに、米国の首府ワシントンDCから出てきたという点が、他の国家ではありえない信じがたいことでしょう。

今日のミュージックシーンには、「ひとりでやる」という精神を掲げ、シーンを形成していくような気概あるバンドに乏しい中、このレーベルの周辺にまつわる逸話は、米国の本来の意味での自由が約束されていた時代の良きエピソードが垣間見える。一世紀近いロック史を概観した上でもかなりユニークな出来事と思えたため、今回、このような形で、DIY精神と銘打ってディスコード・レーベルをご紹介させていただきました。

 

 

総括すると、このディスコード界隈のバンドは、現代の管理の行き届いた社会に比べると、はるかに自由奔放で独立した精神「Do It Youeself」というキャッチコピーを高らかに掲げ、実際それを実践していたという面で、他のシーンにない独特な魅力にあふれるアーティストばかりであったように思えます。

現在では、すでに解散をしているバンドが多いです。また、表面上では、巨大市場を形作るまでに至らなかったのは事実でしょう。しかし、ワシントンDC発、”Dischord”は、米国のインディペンデント・レーベル「Touch& GO」「Matador」「Sub Pop」と共に、1980年代から今日に至るまでの米国インディーズ・ミュージックシーンを逞しく牽引し、文化的貢献を担ってきた象徴的存在であるということだけは間違いありません。

 

 

 「参考資料」 DISCHORD DISC GUIDE disk UNION staff selection 


*記事内のビートの説明に関して誤りがございました。訂正とお詫び申し上げます。教えていただいた方に感謝いたします。

Green Day 「Dookie」


このアルバムは、洋楽もしくはパンク・ロックというジャンルについて知りたいんだけれども、どれから手をつけてよいのかよくワカラナイ!という若い人たちに、是非とも聴いておいてほしい名盤のひとつ。
 
そもそも、これは芸術全般においていえますが、文学にせよ、絵画にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、はたまたその他の媒体にせよ、その時々の年代で「ビビッ!」と心に来るものそうでないものがあり、年をとってからだと魅力がよくわかりづらくなるものも稀にあります。
年齢を重ねるにつれて、人間というのは、若い頃より広範な知識、経験によって培われていきますが、一方において、その知識と経験、それらの価値観にがんじがらめにされてしまい、柔軟な考え方ができなくなるおそれもあり、その都度、新しい概念を柔らかく取り入れていかないと、視野が狭くなり、自分の価値観を脅かすようなものを受け入れがたくなる側面もあります。 
 
こういった理由において、ぜひとも、多感な若い頃に体験しておかなければいけない音楽というのも中にはあって、このグリーン・デイの「Dookie」というのも、ティーンエージャーの頃に聴いてこそ、その輝きがはっきり感じとられるアルバムと言って差し支えないかもしれません。

 
このアルバムの中に収録されている楽曲には、いわゆるカルフォルニアを中心にして1990年代流行った”メロコア”というジャンルの雛形のようなものが示されていて、ジャンルという側面から見ても、また、ロック史的な観点からいっても、なおざりにできない楽曲ばかり並んでいるといえましょう。しかし、そういった評論的な視点はこのアルバムにおいて重要ではないんです。
講釈めいた言葉を付け加えることだったり、音楽を小難しくすることだったりを明朗に笑い飛ばし、ただ、楽しい音楽をシンプルに奏で、ただひたすら、目の前の現実を自分なりに楽しんでいくという、いわば人生の本質をそのまま直視する趣のあるグランジ・ロックと対象的に、音楽の享楽的な側面を追求しようというスタイルが、カルフォルニア、オレンジカウンティを中心として広がっていった、”メロディック・ハードコア”と称されるパンクロックジャンルの正体でした。
 
 
何しろ、このメロコアという音楽の画期的だったのは、八十年代終わりのアメリカの商業もしくは産業ロックがスターシステム化され、一部の限られた人間が音楽の殿堂という神棚に祀りあげられてていくこと対する強烈な皮肉と疑念をまじえて一石を投じてみせたことでしょうか。
そして、この90年代はじめに一般的に浸透し始めていた価値観、今日の音楽は限られた選ばれし特別な人間だけがやるものという、そのシステム構造に対する痛快な反駁を試みたのが、このグリーンデイだったはず。
 彼らにとどまらず、このメロコア界隈のバンドは、特別歌が上手いわけでも、ギターソロが秀でているわけでも、ロックスター然としているわけでもありません。どこにでもいそうなありふれた若者たちが、シンプルでクールな演奏をするところが、最も多くの若者の心に琴線に触れるところがあったのでしょう。
 
 
彼らのファッション性というのも、短く刈り込んだ髪、安っぽいTシャツに短パンを履いて、ギターをローポジションに据えて、初心者でもかんたんに弾ける”スリーコード”を駆使して、クールでスタイリッシュでわかりやすい楽曲を奏でてみせた。そこが最も画期的だったといえましょう。
 それはパンクロックの本来の意義、ーー体系的な音楽教育を受けなくても、譜面が読めなくても、歌が格別うまくなくても、はたまた、演奏がおぼつかなかろうが、音楽はすべての人類に対して門戸が開かれている。目が見えなかろうが、字が読めなかろうが、音は誰にだって楽しめる。それが音楽というものだ。音楽をたのしくやるのにむつかしいことは何ひとつもない、金持ちだろうが、貧乏人だろうが、関係ない。どんな人にだって音楽をやってみる権利を持っているーーこういったきわめて重要な真実を、あっけないくらい簡素に伝え、若者の心を前向きにして、
「よし、おれたちもひとつ音楽をやってみよう!」と奮い立たせてくれたのが、メロコア勢のバンドの素晴らしさだったはず。
 
彼等の代表曲のひとつ「Basket Case」を筆頭に、この「Dookie」に収録されている珠玉の輝きを放つ楽曲には、「君たち、つべこべいわず、頭を空っぽにして、音楽を心からひたすら楽しんでくれよ!」そんな若かりし頃のビリー・ジョーの素敵なメッセージが含まれている気がします。
 
そして、いまだにこのグリーンデイをこぞってロック好きの若者たちが聴き、彼らの音楽に深い感銘を受けつづけているのは、他のスターシステム構造化に置かれているアーティストたちとは異なり、彼らが聞き手と同じ立ち位置に立っていて、常に苦しんでいる弱者を支えるアーティストだからでしょう。それは、このアルバムに収録されている「She」という曲でよく表現されています。
いまだジェンダーという明確な概念も存在しない頃、それはまた、女性の地位的な向上がままならなかった時代に、グリーンデイは、すでに時代に先んじた中立的な精神を持ち、音楽というささやかな形で、女性の社会的な苦しみに対し、そっと寄り添い、その苦しみを優しさで包み込むように歌った。
このロック史上において稀な特徴を持つ楽曲によって、どれほど多くの人々が勇気づけられたのか、全く想像に難くありません。
 
 
このメロコアという若者を中心に起こったムーブメントは、アメリカ、イギリスといったロックの中心地にとどまらず、世界中に飛び火して、多くの若者達を熱中させました。そのムーブメントは、およそ十数年も続いていきます。
もちろん、ここ、日本でも、多くの若者たちがこぞって、彼等を親に持つ”メロコア・キッズ”としてクールな存在になるろうと躍起になっていました。 
 
グリーン・デイという存在が、音楽だけにとどまらず、文化的、また思想的な面においても、その世代から後につづく若い人たちに与えた影響というのは、計り知れないものがあったでしょう。
 
そして、いまだにグリーン・デイが以前と変わらぬ精神を保ち、かつてよりもグレードアップして、音楽シーンの最前線で活躍しつづけてくれていることに、何かしら頼もしさすら感じてしまいます。

2020年から、ビリー・ジョー・アームストロング名義のシングルがリリースされはじめました。すると、いよいよアルバムリリースかと椅子から立ち上がりかけたところ、やはりこのアルバムがワーナーからリリースされました。
 
ここに収録されたカバー曲を聴いてみると、およそサイドプロジェクトとは思えないほどの力の入れようであり、彼のミュージシャンとして真剣さが感じられます。
 
そして、選りすぐりの原曲が、いかにも彼らしい親しみやすい”ポップ・チューン”として巧みにアレンジされています。
 
ビリー・ジョーの歌声にも、只ならない情熱がこめられているのがわかり、彼の真摯な魂の叫びのごときが楽曲のいたるところにはっきりと込められています。とにかく聴いていると、理由もないのに元気に充ちあふれてきてしまうのが、このカバーアルバムの面白いところでしょうか。

選曲自体は、メジャーなものから彼の音楽的な土壌が伺える少しマニアックなものにいたるまで、実に遊び心満載です。
 
アルバムでは、ビリー・ジョーがスペイン語に挑戦した可愛らしげな印象のあるDon Backey原曲の「Amico」がなんとなく目を惹きます。
 
また、KIm Wildeの「Kids in America」Tiffanyの「I Think We're Alone Now」往年にヒットしたポピュラー音楽のカバーにいたるまで、グリーン・デイのライブで演奏されても違和感のないシンガロングでキャッチーな楽曲が収録されています。
 
また、Starjetsの「War Story 」であったり、BIlly Braggの「New England」を選んでくる辺りは、彼のロックファンとしてのマニアックでありながらセンスあふれる趣味が伺えるかのようです。そして、これらがメロコアという音によってこれ以上はないというくらい見事に元の楽曲が新鮮味をもって作り代えられています。
 
もうひとつ特筆すべきなのは、通常、レコーディングでは、口をマイクに近づけるほど、息遣いのニュアンスを拾い上げることになりますが、彼はここでレコーディングの際に、かなりマイクに口を近づけて情熱的に歌をうたっているようです。
 
これは彼の本プロジェクトであるグリーン・デイでのレコーディングではそれほど感じられない点でしょう。
 
また、このアルバムの曲をよく聴くと、ビリー・ジョーの生唾を飲み込むような音もマイクでしっかり拾い上げられていて、そこにはまた彼が非常に緊迫感をもって、レコーディングに臨んでいる気配が感じとられます。どうも、「NO FUN MONDAYS」は一発取りに近い形で録音されたものかもしれません。
 
このアルバムを通して聴いていると、ビリー・ジョーの歌声、ひいては彼の存在感が妙にリアルに、身近に感じられます。このアルバムについては、ビリー・は、自分のキャリアの原点回帰をはたしたように思え、「生きた音」もしくは「そのままの音」を録音し、それを完成品とする意図が感じられます。
 
レコーディングでしか出し得ない味のある演奏。
 
この音楽の持つ本来の魅力を、今回、ビリー・ジョーは、いわばバンドに比べると自由性の高いソロプジェクトで試してみたかったのだろうという気がします。
 
サウンドプロダクションの過程を大切にして、そこに彼なりのプロ・ミュージシャンとしての、もしくは、ライブ・ミュージシャンとしての絶対に譲れない強い信念が込められているように思えます。
 
今作、「NO FUN MONDAYS」は、彼のスタジオ・ライブをそのまま生で録音したかのような迫力のある楽曲ばかりがずらりと並べられていて、彼の気配が近いところに感じられるアルバムとなっていて、彼のソロプロジェクトでしか味わえない魅力が詰まった作品となっています。どうも、楽曲のピカイチの出来栄えを見ると、ビリー・ジョーのキャリアの中で一、二を争うくらいの代名詞的な作品となりそうですよ。