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ガレージロックの魅力

2000年代から、再びニューヨークのロックバンドがこぞってこのガレージロックを取り上げて、一躍脚光を浴び、その一連のムーブメントはガレージロックリバイバルというように名付けられた。

アメリカでは、ストロークスやホワイトストライプ、ヤー・ヤー・ヤーズを初め、イギリスでも同時代にガレージ・ロックの音楽性を引き継いだロックバンド、リバティーンズ、もしくは最初期のアークティック・モンキーズもプリミティヴなガレージロックサウンドを引っさげてシーンに台頭してきた。もしくはオーストラリアのダットサンズ、スウェーデンではハイヴズも出てきた。これは、一地域に限定されるものではなく、世界的なムーブメントであったように思える。

いかにも俺たちは昔のロックンロールを知っているという顔をしてクールに演奏するのがストロークスだったし、直情的に、60年代のプリミティヴなサウンドを引き継いで情熱的に演奏するのがハイヴズだった。日本のロックシーンで言えば、ミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ。インディーズ界隈でいうと、ギターウルフがこのジャンルに該当する。もちろん、ミッシェルのアベフトシさんは世界に通用する伝説的なギタリストの一人だった。

また、これらのロックバンドは、往年のロックンロールのコアな部分を受け継いでそれを洗練させただけで、新しいことはやっていないように思える。新しい音楽なんて洒落臭えという突慳貪さなのである。それにも関わらず、これらのガレージロックリバイバルのシーンを牽引していたバンドは、実際にライブパフォーマンスを見ると、どのバンドより輝いており、問答無用にステージパフォーマンスがカッコいいのは不思議でならなかった。(特に、ストロークスとハイヴズ)。ただ、ロックンロールを、寡黙に、朴訥に、演奏する、と言う面では、ラモーンズに近い雰囲気も感じられるようだ。つまり、ニューヨークのインディースタイルが色濃く感じられるジャンル。

ある程度このガレージロックの音楽性というのには限界があり、同じスタイルをながく続けて行くと、 聞き手も演奏者もそのうち飽きが来て、方向性の転換を余儀なくされることが多いのはいくらか仕方のないことかもしれない。(何十年も同じ音楽を続けていけるのはAC/DCだけの特権といえるかもしれない)しかし、それでもやはり、このガレージロックというのは、時代を越えて楽しめるロックンロールの本来の魅力が詰まっている音楽であることは間違いなし。

このガレージ・ロックっていうのは誰が始めたのか。このジャンルが流行るようになっていたのか、またどんな音楽性なのか、その大まかな概要を簡単に説明しておきたい。大まかに言えば、一般的にその先駆者は、アメリカのワシントン州のロックバンド、ザ・ソニックス、また、ミシガン州のザ・リッターから始まったムーブメントで、1965年前後に、その発祥が求められる。


ガレージロックの音楽性 

ガレージロックというのは、アメリカのガレージ、車を止めておくスペースで、めいめいの機材を持ち寄り、アンプからフルテンのどでかい音量でロックンロールを奏でるというスタイルだ。フルテンというのは、アンプリフターのメーターをすべてフルに回し、音作りもへったくれもない素人感丸出しのすさまじい爆音サウンドが生み出される。そして、ガレージロックという語源は、そのままの意味で、ガレージで演奏するロックだから、ガレージロックと呼ばれる。

もちろん、これらの最初期のガレージロックバンドは、演奏自体の荒々しさという点においては、最初期のパンクロック、ロンドン、ニューヨーク・パンク勢との共通項も見いだせるようだ。その音楽性についても、六十年代らしく、ビートルズ、ストーンズサウンドに対する傾倒も伺える。つまり、シンプルなロックンロール性がその内郭に宿っている。代表格のザ・ソニックスやザ・リッターの音楽性には、アメリカのブラックミュージックの影響も色濃く滲んでいる。 

そして、ビートルズとは全く異なる雰囲気がある。これらのガレージ・ロックバンド、とくに、ザ・ソニックスの演奏から醸し出される異様な熱気、すべてをなぎたおしていくようなパワフルさが、こういった直情的なロックンロールが展開されているので、聞き手にスカッとするような痛快味を与える。すなわち、これがガレージロックの最大の醍醐味といえるのである。このガレージのような場所で演奏する独特なスタイルはのちシアトルのグランジ界の大御所、メルヴィンズも積極的に行っていたが、やがて、90年代の”ストーナー”というアメリカの砂漠地帯で発生した男臭くワイルドなロックンロールに引き継がれていく。(Kyuss,Fu Manchuなどが有名) 

この60年代のガレージ・ロックというジャンルは、いかにもインディペンデント形態で活動を行うロックバンドが多かった。

ソニックス、リッターズを始め、リトル・リチャーズやチャック・ベリーの最初期の踊れるロックンロールの原始的な音の雰囲気を受け継ぎ、それを耳をつんざくような大音量で奏でるというスタイルが徐々に確立されていくようになる。のちの音楽シーンのように、どこどこの地域で広がりを見せていったわけではなく、このガレージロックのスタイルを掲げるバンドがそのアメリカ全体に裾野を広げていったのではないだろうか。その過程において、MC5のようなアングラな人気を誇るガレージロック勢も出てくるようになる。これらのロックバンドに共通するのは、パンクロックに近い荒削りなサウンドを掲げ、分かりやすい形でオーディエンスに提示するというスタイル。

 

ここで、そもそもガレージロックというのが、完全なインディームーブメントの土壌の上に築かれたコアな音楽のムーブメントであったのか? そして、メインストリームではこういうプリミティヴな質感を持つロックンロール音楽はまったく存在しなかったのか? という二つの疑問がおのずと浮かんでくる。しかし、この疑問についてはある程度否定しておかなければならない。実は、著名なロックバンドにも、ガレージ・ロックに近い雰囲気を持った楽曲は数多く存在していた。例を挙げるなら、ジミー・ペイジやエリック・クラブトンが在籍したヤードバーズも、ガレージロックに近い雰囲気を持ったロックンロールを演奏していた。またローリング・ストーンズの「(I Can't Get No)Satisfaction」ビートルズの「Helter Skelter」には、ガレージ・ロックに比する荒々しさ、轟音性が見られることからも分かる通り、実は、結構メインストリームにいるミュージシャンは当たり前のように、こういったプリミティブな質感を持つガレージロック風の音楽性を、ガレージではなくリハーサルスタジオで好んで演奏していたように思える。

そして、ガレージロックという音楽は、Mainstream=主流ではなく、Alternative=亜流的な雰囲気を擁したジャンルとして、音楽通の間で、長年、しぶとく地下で生きながらえていたように思える。そして、ニューヨークのザ・ストゥージズ、ジョニー・サンダース・アンド・ハートブレーカーズも、このあたりのジャンル性を引き継いだ音楽で一世を風靡したものの、一時期、他のジャンル、ハードロック、メタル音楽が世界的に優勢になっていくにつれて、このガレージロックというロックンロールの申し子は、ロックンロール愛好家の間においても忘れ去られてしまったように思えていた。ところが、イギリスのザ・リバティーンズ、あるいは、スウェーデンのザ・ハイヴス、アメリカのザ・ストロークスの台頭を筆頭にして、それがロックンロールというジャンル自体が行き詰まりを見せていた1990年代、00年代、見事にガレージロックは復活を果たした。それからの流れについては多くの人がご存じであろうと思われる。まるで堰を切ったかのように、世界的にこのジャンルを引き継いだアーティストがドッと台頭してくるようになったのである。このリバイバルシーンの流れは音楽メディアによって、ガレージロックリバイバルと称された。


 ガレージロックの名盤選 

 

The Sonics

「Here Are The Sonics」




ザ・ソニックスは、ワシントン州で結成されたガレージロックバンド。ガレージロックの創始者として知られている。このソニックスの原始的なサウンド、そして、荒削りな演奏、ソウルフルな音楽性、さらに、つんざくようなハイテンションサウンドにすべてのガレージロックの源流は求められる。

特に、ザ・ソニックスのデビュー作「Here are The Sonics」1965は、ガレージロックの金字塔として名高い伝説的なアルバムである。

ここで展開されるプリミティブなサウンドの凄みは言葉に尽くしがたい。チャック・ベリーやリトル・リチャードのロックンロールをそのまま復刻したような音楽性に陶酔すら覚えるはず。一曲目の「Witch」から、とんでもないテンションロックンロールが目くるめく速さで通り過ぎていく。この圧倒的な迫力による痛快感は、遊園地のジェットコースターの刺激性など足元にも及ばない。

 

ディストーションをてきめんにきかせたギターのすさまじいど迫力、タムのハイエンドが強調されたしなるようなドラムの切れ味、さらに、ジェリー・ロスリーのソウルフルな渋みのあるボーカルもめちゃくちゃ良い。また、「Wah!!」というこぶしのきいた叫び、ここには、なんとも言えない若さゆえのみずみずしい魅力が詰まっている。しかし、ソニックスの本来の魅力は、若さによる外向きのエナジーだけにとどまらず、音楽面での年齢不相応の内面的な渋みが込められていることを忘れてはいけない。バンドサンドの中に、ちゃっかりサックスフォン、エレクトーンを取り入れているのも、若いロックバンドとしてはあまりに渋い特徴である。この音楽性が、現在でもソニックスを現役のロックバンドとして息の長い活動を支えているのだ。また、それに加え、ギターの癖になるようなフレージング、ぶんぶん唸るベースの厚み、そう、ここに録音されているすべてが、ロックンロールとして完璧!と言って良いのかもしれない。

もちろん、ザ・ソニックスの魅力は、楽曲そのものの痛快さ、若さゆえの無謀にも思えるハイテンション、それらをぐいぐい引っ張っていくリズム隊、バンドサウンドの力強さにある。これは、アメリカのガレージで行われた壮大なロックンロールパーティー。未熟さというのを臆面もなく前面に押し出し、それを輝かしい音で見事に刻印してみせたガレージロックの傑作なのである。

ザ・ソニックスは、アンダーグランドシーンの代表的なバンドとして世に膾炙されているが、その後のインディーシーンに多大な影響を及ぼしたロックバンド。魂のこもった本来のソウルの申し子としてのロックンロールの要素が詰められた伝説的な作品。とくに、新旧問わず、ロックファンとしては、このアルバム収録「Do You Love Me」「Psyco」 「Roll Over Beethoven」は聞き逃せない。

 

The Kinks

「Kinks」


 

 

イギリスのロックバンドとしては、ビートルズやストーンズ、ザ・フーの次に大きな人気を誇るザ・キンクス。

意外にも初期にはガレージ・ロックバンドに近い質感のある荒々しいロックンロールを奏でていることには驚嘆するよりほかなし。特に、このキンクスの鮮烈なデビュー作「The Kinks」で聴くことの出来るプリミティヴな音楽性は明らかにガレージ・ロック寄りの雰囲気を滲ませている。特にアルバム全体のギターのサウンド処理がギターという楽器の原始的な響きを重視しているため、いかにもソニックにも近い原始的なロックンロールの魅力を余す所なく体現している。

ザ・キンクスの代名詞、ロック史において名曲に挙げられる「You've Really Got Me」は、シンプルかつソリッドなロックンロールとして知られる。しかし、驚くべきことに、キンクスはソニックスより一年早くガレージ・ロックサウンドを確立させている。他にも「Revenge」のイントロを聴くと、スタンダードなロックというよりか、ガレージ・ロックの雰囲気が感じられる。

ロック史の名盤としてのみならず、ガレージロックの名盤としても挙げられることが多い今作。ストーンズに比べると軽視されがちなロックバンドではあるが、実は、ロック史を概観してみたとき、後のブラーといったイギリスのロックバンドの本流の重要な音楽性を形作っている。

 

The Litter

「Distortion」

 

 


ザ・リッターは、1966年に結成されたミネソタ州ミネアポリスの五人組ガレージロックバンド。

ガレージロックの祖、ザ・ソニックスに比する原始的なロックンロールサウンドが魅力。特にデビュー作「Distortion」は、ガレージロック隆盛の時代の勢いを時代的に刻印してみせた傑作。

ここではエフェクター「ビックマフ」のような苛烈なディストーションサウンドが体感できる。そして、なんと言っても、このザ・リッターの魅力は、痛快なビートルズやザ・フー直系のプリミティヴなロックンロールテイストにあり。ロックンロールとしてもひしゃげていてめちゃくちゃカッコいい。

特に、コーラス・グループとして、又は、極上のポップスとしても充分たのしめるような雰囲気もある。オリジナル曲「Whatcha Gonna Do About It」のノリの良い痛快なロックンロールも素晴らしく、ここにはザ・フー、イギリスのモッズシーンに対する憧憬も存分に込められている。

 

ザ・フーのカバー、「Substitute」。それからなんと言っても、「Legal Matter」はかなり秀逸なアレンジメント。この若々しく、みずみずしく、ちょっとだけ切ないような青春の響きは、ガレージロックとしてでだけはなく、パワー・ポップあたりの音楽性との共通点も見いだされるはず。また、ベルベット・アンダーグラウンドの中期の方向性のようなソリッドな荒削りさも持ち合わせている。六年間という短い期間で解散したロックバンドであるものの、ザ・ソニックスとは異なる魅力を持つ、ザ・リッター。隠れた名ロックバンドとしてここで御紹介しておきたい。

 

The Velvet Underground 

「White Heat/White Light」

 

 


所謂、アンディー・ウォーホルととの関係性上において語られることが多く、なおかつニューヨークのオルタナティヴバンドの始祖として語られることの多い、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

しかし全体的なロックバンドとしての印象は、現代のアートポップの先駆者といえるのかもしれない。その固定的なアートのイメージに比べ、「Sunday Morning」「Sweet Jane」等の歴代の代表曲を見ても分かる通り、意外にポピュラーの要素が強いロックバンドであるように思える。これは、ルー・リードがいかに傑出したソングライターであるかのを証立てているように思える。

一般的なロックバンドとして評価される一方で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、パンクロック/ガレージロックのアングラな流れを最初に形作ったと見なされることもある。一例を挙げるなら、デビュー作「The Velvet Undergoround」においては「European Sun」「Heroin」に代表されるように、この1960年代でプリミティブな退廃的なロックンロールを既に完成させている。

デビュー作の翌年リリースされた二作目の「White heat/White Light」は、ガレージ・ロックの名盤として挙げておきたい原始的なロックンロールの魅力を体現した一枚である。特に、表題曲「White heat/White Light」この一作目とは打って変わって、粗削りでプリミティヴなロックンロールサウンドに回帰を果たしている。また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影の名曲として語り継がれている「Sister Ray」は、ガレージ・ロック本来の響きを収めた17分半の歴史的超大作である。そして、この楽曲のロックンロールバンドとしてのアバンギャルド性、最終盤の狂気的なすさまじい迫力にこそ、ガレージロック、ひいてはロックンロールの醍醐味が詰めこまれているのだ。

 

この「Sister Ray」という一曲が後世のロックシーン、2000年代の、ストロークス、リバティーンズといったリバイバルシーンのアーティストの創作性に与えた影響というのは凡そ計り知れないものがある。最も有名なファーストアルバムだけで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本来の魅力は掴みきれるというわけではない。正に、この二作目にこそヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本当のロックバンドとしての超絶性が刻印されている。そして、この伝説的な作品は、いかにロックンロール音楽が芸術的であり、素晴らしいものであるのかを見事に物語っている。

 

MC5

「Kick Out The Jams(Live)」

 

 


MC5は、グランド・ファンク・レイルロード、ブルー・チアーズに並ぶとんでもない大音量のアメリカンロックサウンドを確立させたデトロイトの五人組。1960年代の終盤、アメリカではレッド・ツェッペリンを始めとするハードロック勢に対抗する形で、続々とヘヴィ・ロック性を打ち出したロックバンドが台頭した。イギリスのロックバンドが音楽性や藝術性で勝負するロックバンドが多いのに対して、アメリカは、このMC5やブルー・チアーズ、そして、グランド・ファンク・レイルロードをはじめ、いかに大音量のロックンロールをライヴで体現出来るか競い合っていた。
 

最もロックンロールが熱狂的な文化であった時代、このMC5のデビュー作でもありライブ盤でもある「Kick Out The Jams」は、特に七十年代前後のロックムーブメントのリアルタイムの狂乱が心ゆくまで味わえる歴史的傑作。この作品には異質な空気感に満ちている。演奏者と観客がもたらす熱気、そして、演奏者、観客ともに一触即発の雰囲気に満ちている。この建前ではなしに、演奏者スターではなく、同じ目線で眺めている雰囲気がロックンロールの真髄といえる。
 
 
ちなみに、オリジナル盤においては、一曲目、表題曲の最初のMC「Kick Out The Jams」の後の「Motherfuker!!」の部分がマスタリング段階で検閲によってカット。しかし、何故かしれないが、日本盤だけは、このカットされた部分が残されており、「Motherfuker!!」の激烈なアジテーションを体感することが出来る。とにかく、この音源を聞いたときほど日本人であることに感謝したことはない。実際、この部分がカットされた原盤は、興奮性が欠けていて物足りなくなってしまう。しかし、この後に急にファンの方が異様な盛り上がりを見せて、バンドサウンドに対して歩み寄りを見せるのも一体感にあふれていて素晴らしい。

もちろん、このMC5のデビュー作は、ロックンロールとしても一級品である、ギターのディストーションの荒削りさとうねり具合、原始的な衝動性を感じるという点においては、ガレージ・ロックの元祖、ザ・ソニックスに匹敵する、いや、それどころか、さらにひとつ上を行くものが込められている。
 
いまだロックンロール音楽が本当の意味で不可解なもの、そして、ロックンロールがまだ全然よくわからないものとされていた1969年のアメリカの工業都市デトロイトにおいて、民衆がいかにこの音楽に夢とあこがれを抱いていたのか痛感できる一枚。これは、ロックンロールとしての文化の一時代性を体感できる数奇な作品である。何一つも誇張でなく、この作品以上の凄まじいアジテーションに彩られた轟音ロックサウンドというのは、他には、これまでブラック・フラッグのイタリアのブートレッグのライブ盤くらいしか聴いたことがない。熱狂的な原始的ガレージロックとしても楽しめるが、ロック史にも刻まれるべきライブ盤の金字塔である。

 

The Stooges

「the stooges」 



 

ザ・ストゥージズは、MC5と同じように、工業都市デトロイトから出発した、ミシガン大学で、イギー・ポップを中心に結成された伝説的な四人組ロックバンドである。このロックバンド、ザ・ストゥージズの解散後、このバンドの中心人物、イギー・ポップは、のちにデヴィッド・ボウイ等、世界的なスターミュージシャンとも関わりを持ち、イギーは、彼等二人に比する存在感を持つようになる伝説的なロックミュジシャンとなった。ソロ活動としては、結構、「Lust For Life」を始め、ポップスに近い雰囲気をもった楽曲のイメージがまとわりつくロックミュージシャンである。しかしながら、イギー・ポップの本質的な音楽性はやはり、このデトロイト時代、ザ・ストゥージズにおけるデンジャラスでプリミティヴなガレージロックに求められる。

とりわけ、このストゥージズのデビュー作品 「the stooges」は、のちにジョン・ケイルやデヴィッド・ボウイがリミックスを手掛けた歴史的名盤。後の「Raw Power」と共に、パンクロックの祖といわれる伝説的な名盤。また、ニューヨークに最初にガレージ・ロックを呼び込んで見せたイギー・ポップのデビュー作にして代表作である。

特に、アルバムの一曲目「1969」で展開されるガレージ・ロックの原始的な輝きは未だに失われていない。このワウを噛ませたギターサウンドの渋みは一聴の価値あり。続く「I Wanna Be You Dog」もギターサウンドの面でガレージロックらしいディストーションの轟音性を味わうことが出来る。

そして、後のイギー・ポップの狂気性、獰猛性、すさまじいハイテンション性の萌芽もここにうっすらとであるものの見うけられる。一方、ここでは、きわめてその性質とは対照的なクールなイギーの雰囲気も感じられる。それから、なんといっても、ガレージロックの一番重要な要素、ディストーションで歪みに歪んだロックンロールの危うさが、この作品ではシンプルに端的に提示される。以後の作品「Raw Power」「Fun house」では、サイケデリックロック、パンクロックと次の領域に踏み込んでいったストゥージズ。しかし、この鮮烈なロックンロール性を提げてシーンに華々しく登場したデビュー作にこそ、このロックバンド、ひいてはイギー・ポップの最大の醍醐味、荒削りなガレージ・ロックの元祖としての魅力が存分に詰め込まれている。

 

Johnny Thunders&The Heartbreakers

「L.A.M.F」The Lost '77 Mixes

 

 


ジョニー・サンダースは、ロンドンパンクスのジョニー・ロットンに比べ、コアなファンをのぞいては、それほど一般的な知名度を持たないロックミュージシャンである。

もちろん、サンダースの人生の最期が、何かしら彼のイメージに暗い影を落としている側面もなくはないのかもしれない。

それでも、元は、ニューヨーク・ドールズのメンバーとして活躍していたニューヨークシーンの名物的な存在、ジョニー・サンダースは、その全生涯の短さにも関わらず、いや、その生涯の短さゆえ、後世の音楽に大きな影響を及ぼした偉大なロックミュージシャンである。もちろん、このハートブレーカーズ、ジョニー・サンダースがもしかりに存在していなかったとしたら、セックス・ピストルズどころか、ロンドン・パンクすらこの世に生まれ出なかった可能性もある。それくらい、ロックンロール性を生涯において体現した素晴らしいミュージシャンなのだ。

ソロ活動では、穏やかでやさしげな一面を覗かせるフォークロック寄りの音楽を奏でるジョニサンであるが、ハートブレーカーズとしてのリリースされた「L.A.M.F」は、引き締まった捨て曲のないロックンロールの旨味を抽出したような名作。もちろん、後世のロックンロール、ロンドンパンク、ガレージロックと多岐に渡るジャンルの橋渡しのような役割を果たしたロック史からみて最重要の名作と言える。

「L.A.M.F」。

あらためて、この伝説的なアルバム全体として捉え直してみると、スタンダードなR&B色の感じられる、実に軽快なロックンロールの珠玉の名曲ばかりがずらりと並ぶ。特に、「Going Steady」「Do You Love Me」「Born to Lose」といったロックンロール史に燦然と輝く名曲は、ニューヨーク・ドールズ時代の音楽性を受け継いでおり、今、じっくり聴いてみると、たしかにロンドン・パンクの音楽性の萌芽も見えなくはないにしても、実は、ド直球のガレージ・ロックとしても楽しめるプリミティブな魅力を持つロックンロールナンバーがずらりと並べられている。

あまりに、大きな影響を後世のロック史に与えてしまったためか、ジョニー・サンダースの生涯は38年と余りにも短かった。

いや、それでも、もちろん、サンダースの破天荒でデンジャラスな生き様を手放しで称賛するわけではないのだけれども、誰よりも、太く短く、逞しく生きたのがジョニー・サンダースというミュージシャンだった。これぞ、まさしく、最もクールなロックンローラーらしい生き様ではないか。

ロカビリーの後継者 サイコビリーの面妖な世界

 

サイコビリーは1980年代、ロカビリー音楽の後継者としてイギリスのシーンに誕生した。そのカルチャーとしての始まりは、イギリスのThe Meteorsというパンク・ロックバンドにある。また、このジャンルを一番最初の音楽として確立したのは、アメリカのNYを拠点に活動していたThe Crampsである。

 

The Cramps at Mabuhay Gardens in 1978


New Wave Punkの後に誕生したこのサイコビリーは、パンクロックのジャンルの系譜に属するものの、音楽性としては、ハンク・ウィリアムズやジョニー・キャッシュのロカビリーの延長線上にあたる大人向けの激渋サウンドにより彩られている。


実際の演奏にも特徴があり、メテオーズのベーシストは最初期にウッドベースを使用し、スラップ奏法(指で弦をびんと弾く)により軽快なビートを生み出す。


また、ギターの演奏としても面白い特徴があり、グレッチを始めとするネオアコを使用、ピックアップにはハウリングに強いEMGが使用され、リバーブを効かせたような独特な音色を特色とし、ロカビリー音楽の基本的な音楽の要素、ホットリックと呼ばれるギャロップ奏法を用いたりもする。


サイコビリーの音楽性のルーツは、「ロカビリー」、さらには、その祖先に当たる「ヒルビリー」という音楽にあるようだ。このヒルビリーというのは、アメリカの二十世紀の初頭、 アメリカのアパラチア、オザークという山間部で盛んだった音楽である。この周辺は、おそらく二十世紀初めに、アパラッチ、つまり、ネイティヴアメリカンが多く住んでいた地域であると思われる。


そして、この山間部で発生した音楽、これは、アパラチアン・ミュージック、マウンテン・ミュージックと呼ばれ、その後、アメリカのカントリー・ミュージックの一部として吸収されていく。それほど、学のない、山出しのワイルドな白人の男達の奏でるナチュラルで陽気な音楽が、アメリカのカントリー音楽の地盤を作り、その後、ハンク・ウイリアムズやジョニー・キャッシュといった、幾らか都会的に洗練された雰囲気を持つミュージシャンに引き継がれゆくようになる。その後、これらのカントリーやブラックミュージックの融合体として、ロックンロールというジャンルを、リトル・リチャーズやエルヴィス・プレスリーが完成させたのである。


その後、Rock 'n Rollというジャンルは複雑に分岐していき、その本来の「踊れる音楽」という要素は、その後、70年代、80年代になると、失われていき、ロールの要素は失われ、ロックのみとなり、ロックンルールのリズムとしての特徴が徐々に失われ、メロディーに重きを置く音楽性が主流となっていく。


そして、このサイコビリー/パンカビリーというジャンルに属するバンドは、アンダーグラウンドシーンにおいて、古い時代のカントリーやロカビリーに内在する踊れる要素を抽出し、そのマテリアルを追求し、さらにそれを1980年代のロンドンで復刻しようと試みた。そして、サイコビリーシーンの中心地は、ロンドンの”Klub Foot”というナイトクラブを中心に発展し、1980年初めから終わりにかけて、このシーンは盛り上がりを見せた。 


サイコビリーのファッション

 

サイコビリーのファッションについては、以前のロンドンのパンクロックと親和性が高い。それ以前のオールドスクールパンクに流行したスタイルを引き継ぎ、トップだけを残し、サイドを刈り上げたカラフルで過激なモヒカンヘアはサイコ刈りという名称で親しまれている。


また、鋲を打ったレザージャケットを身につけるという面では、DischargeやGBHあたりのイギリスのハードコア・パンクのファッション性を継承している。オーバーオールを着たりもするのは、カントリーの影響が垣間見える。


そして、もう一つ、このサイコビリーファッションには面白い特徴がある。ゴシックロックの風味が付け加えられ、けばけばしく、毒々しい印象のある雰囲気が見受けられる。これらはJoy Division、Bauhausのようなゴシック的な世界観、もしくは、スージー・アンド・ザ・バンシーズのような暗鬱なグラムロック的な世界観が絶妙に合わさって出来上がったように思われる。


それは、アメリカンコミック、SFの往年の同人ファンジンで描かれるようなコミカルなキャラクター、 もしくは、B級ホラー映画からそのまま飛び出してきたような色物的な雰囲気がある。このゴシック的な要素は、サイコビリーの後のジャンル、ゴスビリーというのに引き継がれていった。


このサイコビリーというジャンルには、ライブパフォーマンスにおける観客同士の音楽に合わせて殴りあいのような過激なスタイルがある。俗に”レッキング”と呼ばれ、笑顔で殴り合うという互いの親しみを込めた雰囲気と言える。このレッキングの生みの親The Meteorsのライブ会場における観客の激しい踊り、これが音楽フェスティヴァルで有名な”モッシュピット”の始まりであると言われている。


又、これらのバンドは、表面上では、コミカルでユニークなイメージを持ち合わせているが、その核心には強固な概念があり、レイシズムに対し反駁を唱える政治的主張を持ち合わせている。


音楽としては、エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャーズ時代を彷彿とさせるコテコテの味の濃いお好み焼きのようなロックンロールだが、往年のコンフリクトやザ・クラスのように、それまでのタブーに対する挑戦、社会通念や固定観念の打破といった、いかにもパンクロック・バンドらしいスピリットを持ち合わせているのが特徴である。 

 


サイコビリーの名盤


1.The Meteors

 

後に、サイコビリーの代名詞のような存在となり、イギリスでのその地位を不動のものとするメテオーズである。活動期間は現在まで41年にも渡るわけで、このロックバンドの胆力には本当に頭が下がる。


メテオーズの最初期の出発は、The DamedやUK Subsのような荒削りなロンドンパンクフォロワーとしてであった。


つまり、1970年代終盤から隆盛をきわめた当世風のパンクバンドとして出発したメテオーズは、徐々にロカビリー色を打ち出し、他のバンドとの差別化を図っていく。一作目はどちらかというなら、Eddie&The Hot RodsやThe Skullsのような、激渋のパブロックサウンドに近い音の方向性ではあったが、二作目「Stampede!」から、ギターにリバーブを効かせた独特の唯一無二のサイコビリーサウンドを確立。


メテオーズのサウンドの醍醐味は、ウッドベースと、シンプルではあるが妙に癖になるギターのギャロップ奏法である。実際のライブはかなり過激な要素を呈し、血の気の多いパンクスが彼らの活動を支えている。 


 

「The Lost Album」

 

 


メテオーズの名盤はその活動期が長いがゆえに多い。おそらくサイコビリー愛好家ならすべてコレクトせずには済まされないだろうが、純粋に、ロカビリー、パンカビリー、サイコビリーのサウンドの雰囲気を掴みたいのなら2007年の「The Lost Album」をレコメンドしておきたい。

 

ここには、ウッドベースの軽快なスラップ、やボーカルのスタイル、ギターのジャンク感の中に全て50、60年代のロカビリーサウンドの旨みが凝縮されている。ギャロップのような飛び跳ねるようなリズムも痛快で、なんだか踊りだしたく鳴るような衝動に駆られるはずだ。


既に見向きもされなくなったエルビス・プレスリーの音楽性を蘇らせてみせた物好きな連中で、なんともカウボーイのようなダンディさ。いやはや、メテオーズの意気込みに敬服するよりほかなし!!


2.The Cramps 

 

B級ホラー映画からそのまんま飛び出してきたようなキャラクター性、世界のロックシーンを見渡しても一、二を争うくらいのアクの強さを誇るザ・クランプス。サイコビリーはこのバンドを聴かずしては何も始まらない。

 

このクランプスの強烈なバンドカラーを支えているのは、このバンドの発起人でもある世界でもっとも個性的といえるラックスインテリア(Vo)、そしてポイズン・アイビー(Gu)という謎めいたステージネームを掲げる仲良し夫婦の存在である。ゴシック的な趣味を打ち出し、息の長い活動を続け、世の中の悪趣味さを凝縮した世界観を追求しつづけてきたクランプス、それは夫婦の互いの悪趣味さを認め合っていからこそこういった素晴らしいサウンドが生み出し得た。残念ながら2009年に、ラックス・インテリアは62歳でなくなり、バンドは解散を余儀なくされた。


しかし、あらためて、このロカビリーとホラーをかけ合わせた独特なサウンドの魅力は再評価されるべきだろう。ロンドンパンク、New WaveあたりはThe Adictsや X Ray Specsなど独特なサイコビリーに近いバンドキャラクターを持つロックバンドがいたが、正直、このクランプスの個性を前にしては手も足もでない。50.60年のロカビリーサウンドをあろうことか80年代になって誰よりも深く追求した夫婦。上記のメテオーズと同じようにその時代を逆行する抜群のセンスには脱帽するよりほかない。 

 


「Phycedelic Jungle」

 

 

 

クランプスのアルバムの中で最も有名なのは、デビュー・アルバム「SongsThe Lord Tought Us」もしくは「A Date With Elvis」、「Stay Sick」を挙げておきたいところだが、サイコビリーとしての名盤としては1981年の「Phychedelic Jungle」をオススメしておきたい。アルバムの中の「Voodoo Idol」「Can't Find My Mind」の未だ色褪せない格好良さは何だろう。


これらの楽曲は、サイコビリーというジャンルが、音楽的にはサイケデリックとロカビリーの融合体として発生したものであると証明付けているかのよう。他にも、アルバムのラストに収録されている妙に落ち着いたロカビリー曲「Green Door」も独特な格好良さがある。言葉では表せない変態性を追求しつくしたからこそ生まれた隠れた名ロックバンドのひとつだ。この夫婦の持つ独特なクールさのあるホラーチックな森の中に迷い込んだら最後、二度と抜け出ることは出来ない!!

 


3.BatMobile

 

バットモービルもまたメテオーズと共にサイコビリー界で最も長い活躍をしているロックバンドである。


1983年Jeroen Haamers,Eric Haamers、Johnny Zudihofによって結成。オランダのアムステルダムで結成され、 イギリス、ロンドンの”Klub Foot”というサイコビリーシーンの最重要拠点で最初にライブを行ったロックバンドとしても知られている。


バットモービルは、チャック・ベリー、エルビス、ジェーン・ヴィンセントからそのまま影響を受けたド直球サウンドを特徴とする。最初期は、モーターヘッドのAce Of Spadesのカバーをリリースしていたりとガレージロックの荒削りさも持ち合わせている。そこに、ロンドンのニューウェイブシーンのロックバンドに代表されるひねくれたようなポップセンスが加わったという印象。 

 

「Bail Set At $6,000,000」

 

 

 

バットモービルのB級感のあるロカビリーサウンドを体感できる一枚として、「Bail Set Art $6,000,000」1988を挙げておきたい。


アルバムジャケットのアホらしい感じもまさにB級感満載。実際のサウンドもそれに違わず、愛すべきB級感が漂いまくっている。本作では、特にごきげんなチャック・ベリー直系のロカビリーサウンドが味わえる。Jeroren Hammersのギタープレイも意外に冴え渡っており、通好みにはたまらない。


ハマーズのボーカルというのもユニークさ、滑稽みがたっぷりで味がある。難しいことは考えずただ陽気に踊れ、そんな単純な音楽性が最大の魅力といいたい。また、最奥には、奇妙なパブロックのような激渋さも滲んでおり、何となく抜けさがなさが込められている秀逸なスタジオアルバムである。

 


4.Horrorpops   

 

ホラーポップスは、デンマークコペンハーゲンにて1996年に結成。エピタフレコードを中心に作品リリースを行っている。


これまで、サイコビリーの大御所、ネクロマンティックスやタイガーズアーミと共同作品をリリースしている。紅一点のベースボーカルのパトリカ・デイのキャラクター性はクランプスのイメージをそのまま継承したものであるが、ポイズン・アイビーとは異なるクールさを持ちあわせている。


ホラーポップスのバンドサウンドの特徴としては、疾走感のあるパンカビリーにライオット・ガール風のガレージロックの荒削りさが加味されたとような印象である。つまり、ロカビリーといよりは、エピタフ所属のバンドであることからも分かる通り、ストレートなパンクロック寄りのバンドといえるだろう。また、ロカビリー色だけではなく、シンガロング性の色濃い、ライブパフォーマンス向きの迫力もこのロックバンドの魅力である。キャッチーではあるものの、ウッドベースのブンブン唸るスラップベースがこのバンドのサウンドのクールな醍醐味のひとつ。

 


「Hell Yeah!」

 

 

 

ホラーポップスの作品の中で聴き逃がせないのが2004年の「Hell Yeah!」である。パワーコードを特徴としたドロップキック・マーフィーズのようなシンガロングの魅力もさることながら、パトリカ・デイのボーカルの妙感じが前面に出た良作である。


アルバム全編を通して体現されるのは痛快な疾走感のあるパンクサウンド。ここで体感できるライオット・ガール風のサウンドはパンカビリー、サイコビリーの先を行くネオ・サイコビリー/ロカビリーといえるはず。


また、「Girl in a Cage」ではスカ寄りのサウンドを追求。サイコビリーの雰囲気を持ってはいるが、一つのジャンルに固執せず、非常にバラエティに富んだどことなく清々しさのあるパンクロックバンドだ。 

 


5.The Hillbilly Moon Explosion 

 

他のサイコビリーバンドに比べると、かなり最近のアーティストと言っても良さそうなヒルビリー・ムーンエクス・プロージョン。このバンドは、スイスのチューリッヒで、1998年に結成された。


ロカビリーサウンドに奇妙な現代的な洗練性、オシャレさを付け加えたようなロックサウンドが特徴である。


まさに、ジョニー・キャッシュのようなロカビリーサウンドをそのまま現代に蘇らせてみせたような激渋な感じ。ただ、イタリア系スイス人のオリーバ・バローニの本格派のシンガーとしての特徴があるゆえか、あまりB級然とした雰囲気が漂ってこない。これまでヨーロッパツアーを敢行、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、フィンランド、クロアチア、ハンガリー、スロヴェニア、ポーランド、オーストリア、UKといった国々を回っている。

 

一応、サイコビリーに位置づけられるロックバンドではあるものの、音楽性のバックグランドは幅広く、ロカビリーのみならず、ブルース、カントリー、スイング・ジャズを下地とし、どことなく哀愁のや漂うロックサウンドが魅力だ。その中にも、ギターサウンドはサーフ・ロックのような雰囲気もあり、エレクトーンが曲中に取り入れられている。ボーカルは男女のツインボーカル形式を取り、そのあたりの一風異なる風味にもわずかに哀愁が込められている。こういったロックバンドが、スイスから出てくるのは興味深いように思える。 

 

「Buy,Beg or Steel」


 

 

The Hillbilly Moon Explosionの推薦盤としてはロックサウンドとしての真骨頂である2016年の「With Monsters And Gods」に収録されている「Desperation」というのが名曲で、まずこの楽曲を挙げておきたい。


しかし、サイコビリーとしてのオススメは、2011年の「Buy,Beg And Steel」が最適といえるはず。ここでの渋みのあるロカビリーサウンドは時を忘れされる力があ。アルバムの全体の印象としては、古い時代に立ち戻ったかのような懐古風サウンドで、そこにはサーフロックのようなトレモロを効かせたギターサウンドというのも魅力。特に、「My Love For Everyone」のカントリー、ロカビリーに傾倒した激渋なサウンドは聞き逃がせない。


また、このアルバム「Buy,Beg Or Steel」で、歌物としての魅力が感じられる楽曲がいくつかある。それが「Natascia」や「Imagine a World」である。


ここでは、独特なエスニック的な和音進行に彩られた音楽が味わえる。古い、スパニッシュ、フラメンコ、あるいは、ジプシーサウンド風の哀愁が滲んでいる。スイス人のアーティストであることを忘れさせ、無国籍のロカビリーアーティストのような雰囲気が漂う。トレンドに背を向け、独自色を突き出す格好良さというのは筆舌に尽くしがたい。サイコビリーのシーンにおいて再注目のアーティストとして是非オススメしておきたい。 



追記


今回、なぜ、サイコビリーの名盤を紹介しようと思ったかは謎めいてます。昔、中古レコード屋でパンクのいちジャンルわけに属していたこのジャンル。実は、ちょっと怖いイメージがあったので、ザ・クランプス以外は購入しませんでした。けれども、そういったコアで、アングラで、ミステリアスな感じが、このサイコビリーの最大な魅力。このあたりの音楽にピンと来た方は、是非、他にも、Peacocksや、Necromatrixといったサイコビリー関連の名パンク・ロックバンドも聴いてみて下さい。

Touch and Go Records

 

 
米、イリノイ州シカゴに本拠を置くレコード会社「TOUCH&GO」は、歴史のある老舗インディーレーベル。元々、独立ファンジンを発行していたテスコ・ヴィーとデイヴ・ステムソンにより1981年に設立されました。
 
 
このレーベルは、ニューヨークの「Matador」、シアトルの「Sub Pop」と共に、1980年代から米国のインディーズの音楽シーンを牽引してきた存在といえるでしょう。

 

イギリスの名門レーベル「ラフ・トレード」「4AD」と同じく、その影響というのはアンダーグラウンドシーンにとどまらないで、メインストリームのミュージックシーンに新鮮な息吹をもたらしたレコード会社です。

 

レーベル設立当初の最初期の1980年代は、Necros、Die Kreuzen、Negative Appriachを始め、ハードコアパンクバンドのリリースを主として行っていましたが、徐々にアーティストの方向性を広め、多岐に渡るジャンルの作品リリースを推進していくようになります。

 

このインディーレーベルの主な功績としては、ポストロックというジャンル概念を生み出したことにあります。

 

二千年代から、世界的に流行るようになったPost RockーMath Rock(”数学的”で複雑な音楽構成をなすことから、この呼称が付けられた)というジャンルの概念を生み、その近辺の音楽性を持つアーティストを、いち早く世に送り出していったのがタッチ・アンド・ゴーなのです。

 

その後、1990年代に入ってから、シカゴ界隈の音楽シーンは盛り上がりを見せ、様々な人種の織りなす多種多様な文化概念を反映したミュージックシーンを形成していく。

 

元々このシカゴという地域がハウス・ミュージックの発祥で、ニューオーリンズのように、音楽そのものが街の生活の一部として染みついているからこそこういったシーンが生まれたのでしょう。

 

その後、1990年代から2000年代に差し掛かり、シカゴ音響派という造語も出来、音楽の聖地としてのシカゴ、そんなふうに呼び習わしても言い過ぎでない流れが出てくるようになりました。 

 

この四十年にも及ぶ「Touch and GO」のリリースカタログから見いだせる特徴は、パンク、オルタナティヴ、ダンス、ポストロック、マスロックといったコアなミュージシャンを輩出するにとどまらず、Battlesの前身Don Cabalello、TV on the Radio、Yeah Yeah Yeahs、Blonde Redhead、というように世界的な知名度を持つメジャーバンドも続々とシーンに送り出し続けています。

 

そもそも、このタッチ・アンド・ゴーは、才覚ある若手バンドの潜在能力を見抜くスカウト能力が、他のレーベルに比べて抜群に際立っていて、荒削りでありながら異彩を放つ若手アーティストを積極的に発掘して、作品リリースを重ねながら育てていくというのがこのレーベルの特色です。

 

2000年代に入り、経営難に陥り、2009年には新たなリリースを停止しているのは残念ですが、米国のミュージックカルチャーの土壌を耕し、育て、盛り上げていくコーチ的役割も担ってきたのがタッチアンドゴーの偉大さです。是非、中古レコード屋、あるいは気に入った作品があれば、購入してもらいたいと思います。今後のレーベル運営のモチベーションとなるはずです。


今回、個人的に強い思い入れのある「Touch and Go」の四十年近いレーベルの歴史の中から、選りすぐりの名盤をいくつかピックアップしていきましょう。 

 

 


 

Touch And Go Recordsの名盤 

 

 


Slint 

 

「Spiderland」 1991 

 

  


この作品は、タッチアンドゴーレコードの代表的な名盤というに留まらず、ミュージックシーンを完全に塗り替えてしまったといえる歴史的な名盤。 

 

驚くべきなのは、この数奇な音楽が、十代の少年たちが家のガレージで長年にわたりジャムセッションを胆力をもって続ける上で生み出された青春の産物であるということ。 この後、無数のポストロック、マスロックのフォロワーを生み出していながら、彼等の存在を超えるアーティストはいまだ出てきていない。気の遠くなるような時間を音楽のミューズに捧げつくしたからこそ生まれた必然の産物といえ、学業やその他の学生生活、または恋愛に向けられるべき情熱を全て音楽に捧げた結果なのでしょう。

 

もちろん、この作品「spiderland」が音楽としてリリースされた頃には、スリントのメンバー四人は、ティーンネイジャーではなくなっていますが、アルバムの最後に収録されているロック史の伝説、英国の詩人、サミュエル・テイラー・コールリッジの詩に音楽をつけた「Good morning, captain」の構想は、彼等のドキュメンタリーを見るかぎり、十代の頃出来上がっていたものと思われます。 

 

スリントの四人が湖で立ち泳ぎをしながら顔を突き出した写真というのも非常に印象的である。そして、その音楽性についてもきわめて先鋭的、個性的であり、どこから影響を受けて生まれ出たのかよくわからない。

 

ましてや、どういった意図を持って作られた音楽なのか解せないような作品が、たった四人のティーンネイジャーによって生み出されてしまうのが実に信じがたいものがあります。これは日本やイギリスといった土地では生まれ出ない、これぞアメリカといったロック音楽。これはまた、米国のガレージ文化が生み出したモンスターアルバム。  

 

静と動の織りなす激烈な曲展開、そこにクールに乗せられる、一貫して冷ややかなポエトリーリーディングを思わせるボーカルスタイル。それが、曲の展開に、一瞬にして激情的なスクリームに変貌してしまうありさま。これはまるで、ルー・リードの時代に返ったかのような姿勢であり、時代の流行り廃りから完全に背を向けているからこそ、生み出しえた数奇な表現といえるでしょう。 

 

さながら何十年もスタジオミュージシャンと務めてきたような風格のある職人的なタメの効いたドラミング、ノンエフェクトからの狂気的に歪んだギターのディストーションへの移行。そして、その土台を支えるきわめてシンプルなベースライン。これら三要素が一体となってがっちりと組み合わされているのがスリントの音楽性の特色です。

 

このアルバムには、その後のグランジムーヴメントを予見させるような雰囲気も滲んでいて、アメリカの表の音楽世界とはまたひと味ニュアンスの違った裏側の音楽世界が広がっている。 

 

この作品が後世のロックミュージシャンに与えた影響というのは計りしれず、日本のToeやLiteといったポストロック、マスロックも、このバンドなしには成り立たなかった伝説的な存在。ポストロックの原型を形作ったのがスリントという数奇なロックバンドといえ、全ロックファン必聴の一作。  

 


 

 

Don Caballero

 

「American Don」2000

 

 

 

ドン・キャバレロは、1991年、デイモン・チェを中心としてピッツバーグにて結成。のちのバトルスのギタリストとして活躍するイアン・ウィリアムズも在籍していたバンド。

 

このバンドの音楽というのは、アメリカのインテリジェンス性の飛び抜けて高い大学生が、数学的な頭脳を駆使し、実験的な音に取り組んだという印象。 キャバレロを聴くと、あらためて作曲をするのに最も必要なのは、数学的な才覚であると分かります。

 

ここには、後のバトルスの完成度高いダンスミュージックへの布石も感じられる。このバンドは、二千年代以降のポストロック・マスロックの流行りの型を作ったという功績は無視できず、音楽史に果たした役割というのは大きい。

ドン・キャバレロの作風としては、セッションの延長線上にあり、ジョン・アダムスやスティーヴ・ライヒが提唱した”ミニマル・ミュージック”(短い楽節を変奏を繰り返しながら展開していく楽曲の作風)の概念をさらに先に推し進め、それを現代的なロックの解釈としてアレンジメントした。 

 

アナログディレイの機器に、ギターやベースからシールドによって配線をつなぎ、電子の弦楽器をシンセサイザーのような使用法をしている。そして、ベースの出音をあえて早めることにより、ドリルのような連続的クラスター音を発生させている。いかにも、その音の構成というのはシュトックハウゼンから引き継がれたものをロックでやってのけてしまったという革新性。

 

ディレイという装置の細かな時間のタイムラグをうまく駆使することにより、細かな音をつなぎわせ、アンビエントの境地にまで運んでいってしまったのが、このバンドの凄まじい特徴です。

 

このアルバム「American Don」は、ライブセッションのようなみずみずしい彼等の演奏が聴く事が出来、ひとつの完成形を見たという印象。ここでめくるめくような形で展開されるのはロックとしてのフリージャズ。

二曲目収録の「Peter Cris Jazz」は、彼等の美麗なメロディセンスが発揮された名曲。ここで繰り広げられるベースのドリル音のようなサウンド処理というのは音楽の革命といえるでしょう。

 

あらためて、ロック音楽の中には、知的なバンドも中には存在するのだという好例を、彼等はこの作品で見せてくれている。いわゆるミュージシャンの参考になるアーティスト、決して聞きやすい音楽性ではありませんが、既存のロックに飽きてしまった人には目から鱗と言える奇跡的傑作。  

 

 

 


Big Black 

 

「RICHMAN'S EIGHT TRACK TAPE」1987 

 

  


ビッグ・ブラックは、オルタナティヴ界の裏の帝王ともいえる鬼才スティーブ・アルビニの激烈な宅録テクノ・ハードコアバンド。 のちに、アルビニがニルヴァーナの「イン・ユーテロ」の作品を手掛け、世界的なプロデューサーとなるのはまだ数年後まで待たねばならない。

 

さらに、そのまたのちに、ジミーペイジ&ロバート・プラントの作品のエンジニアをつとめるようになるなんて大それた話は、少なくとも彼の最初のミュージシャンとしての活動形態、このビッグ・ブラックを聴くかぎりでは全然想像出来ないでしょう。

 

ビック・ブラックの活動というのは太く短くといった表現が相応しく、スタジオ・アルバムを二枚リリースしているのみ、後はライブ・アルバムや、細々としたサイドリリースとなっています。

 

この「RICHMAN'S EIGHT TRACK TAPE」は、いわばビッグブラックのベスト盤的な意味合いのある作品。

 

この宅録ハードコアバンドの主要な楽曲を網羅し、そして、初期のレアトラックを集めた、スティーヴ・アルビニの若き日の音楽に対する情熱がたっぷりギュウギュウに詰まった作品。

 

この作品において見られる、古いMTR(マルチトラックレコーダー)の8トラックで、少ないトラック制限がある中、音を丹念に重ねて録音し、入念にマスタリングをしていくというきわめて初歩的なレコーディングの手法が、後のスティーヴ・アルビニの天才的エンジニアとしての素地、またその有り余るほどの鮮烈な才覚の芽生えが顕著に見えることでしょう。

 

ビック・ブラッグの音楽性についてはストイック、ハードコア・パンクを下地にしながらライムの風味すら感じられる硬派なギャングスターハードコア。精密で冷ややかなマシンビートが刻まれる中、のちのアルビニサウンドの原型をなす、硬質な鉄のようなギターサウンドの際立った存在感、そして、アルビニのすさまじい猛獣のような咆哮、奇妙な色気のあるシャウト、コテコテのお好み焼きのような要素がギュウギュウ詰めになっています。年若い、アルビニ青年のありあまるほどの音楽への情熱が感じられる、比類なきハードコア世界の深みを形成しています。

 

ここには、およそアメリカの最深部の音楽世界が深く充ち広がっており、その海底に入り込んだら抜け出せなくなるような危なっかしい魅力が満載。スティーヴ・アルビニのプロデューサーとして性格だけでなく、ミュージシャンとしての表情が垣間見える貴重な作品となっていて、このアルビニ・ワールドというのは、さらに、その後の彼の活動、RapemanからShellacの系譜へ引き継がれていきます。  

 


Black Heart Procession

 

「Amore del Tropico」2002

 


40年という長きに渡るTouch and Goのリリースカタログ中でも、際立って風変わりなアーティストと呼べるBlack Heart Procession。カルフォルニアのサンティエゴ出身のロックバンドです。 

このアルバムは、キャッチーでポップ性が高いとはいえません。しかし、それでも、ここには、独特なダンディーでクールな渋い漢の世界が広がっている。スパニッシュ風の音の雰囲気が心なしか漂っており、ブエナビスタ・ソシアルクラブやジプシー・キングスのような民族音楽、エスニック色が滲んだ渋みある作風です。

 

表題がイタリア語であることから、何かしら、名画「ゴッドファーザー」に対する憧憬も感じられ、イタリアンマフィアのダンディズムに満ちた世界観ともいうべき概念が音楽によって入念に組み立てられている。

 

また、ここには、一貫してストーリ性のようなものが貫かれており、映画のサウンドトラックの影響を感じる、SEのような楽曲もあり、映像シーンのひとこまを音によって印象的に彩るようなロックソングもありと、彼等の多彩な付け焼き刃でない音楽の広範なバックグラウンドが伺えます。

 

ブラック・ハート・プロセッションの曲調というのは、「Tropics of Love」をはじめとして、短調の曲が多く、明るさの感じられる作風ではありませんが、ここで展開されている癖になるリズムと、女性のバックコーラスの味わいは、独特な渋みが見いだせる。

 

名曲「The One who has Disappeared」では、古いトラッドなアメリカンフォーク、ジョニー・キャッシュを彷彿とさせる楽曲もあり、それほど知られていないバンドが、こういった良質な曲をさらりと書いてしまうあたり、アメリカの音楽文化の奥行き、ロックと言う音楽の幅広さ、深みのようなものを感じずにはいられません。

 

 

 

Blonde Redhead 

 

「Melody Of Certain Damaged Lemons」2000 

 

  

 

イタリア人兄弟、日本人移民カズ・マキノによって、NYで結成された前衛ロックバンド、ブロンド・レッドヘッド。

音楽性としては、ジャズ、ダンス、そして、古典音楽のエッセンスを織り交ぜ、ロック音楽として昇華しているのが主な特徴といえるでしょう。

彼等の楽曲の雰囲気は一貫してアンニュイで、女性らしからぬ激情性が感じられる辺りが、妖艶な華やかさをこのバンドの全面的な印象に添えています。

紅一点の女性ボーカル、カズ・マキノが、ライオット・ガールのように華やかなフロントマンとして君臨し、実験的、前衛的な不協和音を前面に押し出した音を奏でるという点では、同郷、ソニック・ユースに比するものがあり、彼等三人の音楽というのはメロディに重きを置いているのが特色。

 

通算五作目となるアルバム「Melody of Certain Damaged Lemons」は、次作からイギリスの名門「4AD」に移籍する直前の、最もブロンド・レッドヘッドの勢いのある瞬間を捉えた名作で、三人のこの後の音楽の方向性を明瞭に決定づけた作品でもあります。

 

ここに現れ出ているイタリアバロック音楽あたりからの色濃い影響を受けた性質はこの次の「Misery Is A Butterfly」でいよいよ大輪の花を咲かせます。

 

このアルバムは彼等の活動の分岐点ともいえ、最初期からのノーニューヨークを現代に蘇らせたような激しいノイズロック色の強い実験的な音楽、さらに、この後に引き継がれていく古典音楽からの要素が見事に融合しているのが際立った特徴でしょう。

 

ビートルズの「Because」を彷彿とさせる「Loved Despite of Great Faults」、古典音楽の影響を色濃く感じさせる「For the Dameged」。またその続曲「For The Damaged Coda」あたりに、カズ・マキノしか紡ぎ出しえない特異な詩情、男性のダンディズムと対極にある女性の”レディズム”ともいえる概念が引き出され、音楽史上において異質な輝きを放っています。 

 

さらには、初期からのバンドの前衛性を引き継いだ「Mother」の激烈なクールさというのもニューヨークのバンドならではといえます。

 

また、近年のこのバンドの主な音楽性を形作っているダンス・ミュージック色の強い名曲「This is Not」。このファッショナブルな雰囲気のあるポップソングというのも聴き逃がせません。  

 


 

 

TV On The Radio 

 

「Desperate Youth, Blood Thirsty Babes」2004 

 

 

その後、世界的な活躍を見せるようになるニューヨーク、ブルックリンの四人組バンド、TV on The Radioの鮮烈なデビュー作。

 

このバンドの音楽性の特徴というのは、ブラック・ミュージックをドリーム・ポップ的な雰囲気を交え、クールに解釈した辺りがみずみずしい輝きを放っています。 

 

彼等の音楽は、ヒップホップとまではいわないまでも、近現代のソウルミュージックの奥深い音楽性をしっかりと受け継ぎ、現代的なポップ、ロックという形で表現。ブラック・ミュージック性を誇り高く打ち出して、ロックを新しい時代に推し進めた先駆的存在です。

 

このアルバムでは、実験的な音楽を奏でていますが、ここには、ダンスミュージックとして聴いても秀逸な魅力が感じられ、ボーカルのトゥンデ・アデビンペのボーカルスタイルの純粋なクールさというのも際立っています。

 

このアルバム二曲目に収録されている「Staring at the Sun」は、インディーロック史に語り継がれるべき名曲といえ、二千十年代になってMyspaceで愛好家の間で話題を呼んでいた楽曲。

 

シンセサイザーのベース的なフレージング、サンプラーのビート、ギターカッティング、また、このボーカルスタイルの洗練された革新性の空気が漂う。そして、このスタジオアルバム全体には都会的なスタイリッシュな雰囲気も漂い、そこが新鮮かつクールに感じられるはず。

 




Brainiac 

 

「Electro Shock for President」1997

 

  

 

後、ダフト・パンクの築き上げたなSci-fiロックともいうべき、革新的なジャンルを打ち立てて見せたブレイニアック。

 

 タッチアンドゴーのポストロック色の強いリリースからするとかなり異端的存在といえるでしょう。

 

このアルバムは、EP「Internationale」に比べ、より主体となる音楽性が明瞭となり、この後の方向性であるギターサウンドを前面に打ち出していき、音楽としてのSF色をさらに強めていくようになるブレイニアックの作風の契機ともなった重要な作品です。

 

翌年の名作「Hissing Pigs in static Couture」に比べ、ダンスフロアで鳴らされることを想定したような趣のあるクラブミュージックよりの音楽。

 

一曲目からUKのプライマル・スクリームの傑作、「Kill All Hippies」を彷彿とさせるエレクトロの楽曲からしてクールとしかいいようがなく、アメリカのバンドとして異質な雰囲気が滲んでおり、アメリカのクラブシーンというよりかは、UKのロンドンやブリストルのダンスフロアシーンに対しての反応、それをアメリカらしい多様性によって独特にアレンジしたような楽曲です。

 

「Flash Ram」に代表されるヴォコーダーを活用したクラフト・ヴェルクのドイツの電子音楽に対する現代的回答もあり、このあたりがブレイニアックのクラブミュージックに対する深い造詣が伺える。

 

「Fashion 500」 「The Turnover」では、グリッチに対する接近も見られ、一辺倒にも思える作品全体に非常に異質な、通好みにはたまらない雰囲気を醸し出すことに成功しています。 

また、「Mr.Fingers」で繰り広げられるような荒々しいプリミティヴなガレージロック風味のあるブレイクビーツスタイルも、新しいジャンルを確立したといっても過言ではないはずです。 

 

ここには、クラブミュージックとロックンロールを融合、それをさらに、未来に進化させたSci-fiロックの究極型がダフト・パンクとは異なるアプローチによって見事に展開されています。  

 


 

 

YEAH YEAH YEAHS

 

 「Yeah Yeah Yeahs」 2002

 

   

 

数々のミュージックアウォードの受賞実績を誇り、名実ともにタッチアンドゴー出身のバンドとしては一番の出世頭ともいえるヤー・ヤー・ヤーズ。 

 

00年代からのガレージロックリバイバルのシーンの流れにおいて見過ごすことのできない最重要アーティストといえ、ストロークス、ホワイト・ストライプスの系譜にあるスタイリッシュなガレージロックバンド。

 

このデビューEPは、ヤー・ヤー・ヤーズのフレッシュな初期衝動が発揮された名作、彼等のその後の洗練された作品とまた異なるプリミティブな魅力がたっぷり味わいつくせるはず。 

 

このロックバンドのとくに目を惹く特徴は、ライオット・ガールとしてフロントマンに君臨するカレン・Oのキュートな華やかさ、そして、ボーカリストとしての比類なき力強さにあるでしょう。 

 

一曲目の「Bang」からして、フルテンの直アンから出力したような轟音ギターサウンド。往年のガレージロックバンド、The Sonicsを彷彿とさせるような、荒々しくプリミティブなド直球のストレートなロックンロール。

 

また、ここには、スリーピースバンドとしての音のバランスの良さ、そして、ベルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージズから引き継がれるクールでスタイリッシュな音楽性を引き継いで、それがダンサンブルな掴みやすい楽曲として昇華されている。 

 

四曲目収録の「Miles Away」は、往年のNYロックンロールの真髄を知る者にこそ生み出しうるヒットナンバー。「Art Star」は、カレン・Oがスクリーモに果敢に挑戦しているのも聞き所。

 

アルバム全体の雰囲気には、その後の彼等の華々しい活躍と成功が想像でき、そして、また、その後の完成形の萌芽といえる荒削りな音楽フリーク的な彼等の趣向を見いだせる。全編通して妥協なしの十三分。再生を始めると、嵐のようにヒットチューンが目の前をすまじい早さで通り過ぎていく。

 

 

 

 

Dirty Three 

 

「Whatever You Love,You Are」2000 

 

  

 

この名盤紹介において最後に挙げておきたいのは、オーストラリア出身の三人衆、ダーティー・スリーです。

 

タッチ・アンド・ゴー・レコードの四十年というリリースにおいて、レーベルの芸術的な性格を最も特色づけているアーティスト。

 

ギター、弦楽器、ドラムというトリオ編成で、弦楽器をジャズフュージョンのようにバンド編成中に取り入れた硬派で前衛派の音楽グループ。他のポスト・ロックバンドに比べ、彼等の音楽性の特異なのは、ドラムやギターが脇役であり、弦楽器のハーモニーが主役とはっきり主張している。

 

この後、スコットランドのモグワイ、カナダのゴッド・スピード・ユー・ブラック・エンペラーがロック音楽に弦楽器を本格的な導入を試みて成功し、弦楽奏者をバンド内で演奏させるスタイルが今日においては自然な形として確立された感があります。

 

レビュー誌などでは上記のバンドが先駆者としてよく挙げられますけれども、知るかぎりにおいて、世界で一番最初に弦楽合奏をロック音楽として取り入れたのは、間違いなくこのオーストラリアの前衛派のバンド、ダーティー・スリーでした。

 

今作「Whatever You Love,You Are」は、通算二作目となるスタジオ・アルバム。デビュー作「Ocean Songs」に比べ、弦楽のハーモニクスの美麗さが際立ち、楽曲の良さと魅力が分かりやすく引き出されたという理由で、彼等の名作に挙げておきたい。

 

特にこのアルバムの特異なのは、バイオリンのピチカート奏法の多用を、はじめてロック音楽として取り入れている点。なおかつ、その音楽性というのも、ジプシーが流浪のはての街頭で奏でるような哀愁あるバイオリンのパッセージ、そして、その心細さを支えているのが、ギターのシンプルで飾り気のない質素なアルペジオ、さらに、ドラムのジャズ的なフレージング。これらが組み合うことにより、このバンドの音楽の全体的な音の厚みを形成しています。 

 

このスタジオアルバム「Whatever You Love,You Are」の表向きの楽曲の印象というのは、先にも言ったように、ロック音楽を聴いているというよりか、どこか、異国の街角をあてどなく歩いている際に、ふと、ジプシー民族のリアリティのある流しの演奏が耳にスッと飛び込んでくるような異国情緒があって、そのあたりにはかなげで、淡い哀愁が漂っているように思えます。

 

ときに、それは、完成された楽曲というより、即興音楽のような雰囲気を持って心にグッと迫ってくるはず。 

 

上品で洗練されたバイオリンを中心とした楽曲の世界は徹底して抑えの効いた雰囲気によって統一され、最初から最後のトラックまで、丹念に音の世界がゆったりと綿密に構成されていく。 

 

そして、このアルバム中、タッチ・アンド・ゴーの四十年という歴史で最も秀逸な楽曲のひとつ、最終トラックにエピローグのような形で有終の美を飾っている「Lullabye for Christie」。 

 

このポスト・ロック屈指の名曲は、全面的な奥行きのある音響世界が、上質で淡い弦楽器のハーモニクスを中心としてミニマルな楽節の構成によって綿密に紡がれる。アンビエントという概念が、今日のミュージックシーンにおいて安売りされすぎている感があるため、ここでは、彼等のクラシック色あふれる良質な楽曲を、そういうふうに呼ぶのを固く禁じておきたい。


最後にひとつ、このダーティー・スリーの名盤を聴かずして、タッチ・アンド・ゴーを素通りすることは出来かねると言っておきます。



 

 

・Touch And Go Records Official Site


http://www.tgrec.com/


「ペンシルバニア州、Midwestから始まったエモリヴァイバル アメリカの音楽産業の変遷」


エモというイリノイ州、シカゴで九十年代に始まったインディー音楽ムーブメントは、一度はアメリカン・フットボール、ミネラルを始めとするグループの解散により、二千年を前にして一時的にその熱狂は収まっていく。

しかし、その九十年代の音を聴き込んだ若い世代が再び、このエモコアというジャンルを再興しようと試みるようになる。これもまたエモが生まれた土地のシカゴ周辺、中西部のMidwestから始まったムーブメントであったことは偶然とは言い難い。とりわけ、最初の動きは、ミッドウェストの盟友、Algernon Cadwallder、そして、Snowingの台頭から始まり、Midwest Pen Palsに引き継がれていき、その後、全米全体のインディーズシーンに広がっていった。

 

これらのエモリバイバルの動きは、1990年代のアメリカで起こった第一次エモムーブメントと同じように、オーバーグラウンドで発生したムーブメントではない。いかにも、DIYのインディーらしい独自の活動形態によって支えられていた。リリースするレコードは地元や小さなレコード屋にしか作品を流通させず、インターネットの配信サイトで主なプロモーションを独自に展開していく。

もちろん、この時代から、Appleがそれまでの音楽市場の常識を打ち破り、ワンコインで音楽を売るというスタイルを確立させたことが、こういったアーティストたちの活動の形態に予想以上の影響を及ぼした。

アメリカの音楽業界は、当初、スティーブ・ジョブズの音楽をワンコインで売るという提案に頑強に抵抗したものの、その後にはジョブズの熱意に降参した。この動きは徐々に世界中に広まっていき、やがて日本の音楽業界も渋々ながら追従し、欧米に数年遅れてサブスク配信時代へと舵を取る。それまでレコード会社を通さずに音楽を一般的に流通させることが困難だったミュージシャンたちは、独自に、無料音楽視聴配信サイトや、定額のサブスク配信を介して音楽を世界に向けて発信していく。

また、このジョブズが切り開いた新たな可能性に連動するような形で、2000代から、ネット上のミュージシャン向けの配信サイト、Myspace、Bandcamp、Soundcloud、Audioleafが立ち上がり、アーティストたちが自身の楽曲をネット上にアップロードし、無料で音楽を視聴する動きが強まっていった。ミュージシャンの音楽の流通という面でも以前よりも容易になり、この時点で、レコードマネージメント契約を通さずとも、自分たちの音楽を世界に向けて発信していくことが可能となった。

 

ミュージシャンたちは、売上のマージンを配給元のレコード会社、あるいは業界に提供することにより、これまで長らくレコード会社と持ちつ持たれつの関係でやってきたが、この2千年代から徐々にこれまでの構造が崩れていく。

必ずしも、2000年代までのように、売上に対する多額の印税や、多額の権料を支払うこともない。これは、時代が後に進んでいけばいくほど、どのような業界もこの問題から逃れられなくなっていくかもしれない。

あまり偉そうなことは言えないが、そのあたりの変化を察知し、転換していくべき時期が現在の風潮である。これをチャンスと捉え、新たな産業を生み出すのか、あるいは、そこに停滞し、存亡の危機とするのかはその業界自体の発案如何により、天地の差が生まれるように思える。

 

もちろん、これまでの体制を築き上げるのには大変な苦労があったのは承知で申し上げるのだけれども、殊、音楽産業という側面で語るのなら、これからは間違いなく旧態依然としたシステム、販売構造は維持しきれなくなっていくのは必定である。今や、どのような地域にいても、インターネット環境さえ整備されていれば、地球の裏側に住まう人にも音楽が届けられるようになった。反対に言えば、地球の裏側に住むアーティストの音楽を聴けるというなんともワクワクするようなイノヴェーション。これは世界の情報を一つに収束させ、それをすべての人が平等に共有させるため、「インターネット」という媒体が誕生し、普及していった所以でもある。

 

音楽の話に限定して言えば、スティーヴ・ジョブズの発案した、サブスク配信という概念、業界人を仰天させるようなとんでもないワガママが、これまでの音楽業界の巨大な権利構造を変容させたのである。

ついで、スウェーデン企業Spotifyも、以前のP2Pのようなファイル共有ソフト/サイトを撲滅するという表向きの名目上、ジョブズの発案したインターネットの概念の延長線上にある「音楽という情報の一般的な開放」の流れを引き継いだ形でサブスク配信事業を確立させ、音楽好きのニーズに答え、シェア、支持層を徐々に拡大し、世界的な企業Spotifyとしての立ち位置をより盤石にした。つまり、春先、国際法の裁判で争っていた、Apple、Spotifyという二つの世界企業。そもそも、この巨大企業の試みようとしている未来の事業計画が同じだからこそ、係争上での穏当な解決を図ろうとしている気配も伺えなくはない。

 

この流れに続く形で、様々なサブスクリプション配信アプリケーションが乱立、それが、今日へのミュージックシーンへの新たな潮流を作り、インディー・ロック、ベッドルームポップ、以前のアマチュアの宅録と変わらない音楽を、メジャーアーティストにも引けを取らないくらいの知名度にまで引き上げた。

 

つまり、インディーロック、ベッドルーム・ポップというのは、大手レコード企業と契約せずとも、以前のスターミュージシャンのような素晴らしい音楽を完成品としてパッケージ出来ることを示してみせた一大改革なのである。

そして、このサブスクやサイトでの無料音楽配信という流れから見えること、これは表向きには、それまでの音楽巨大産業の商業的な支配構造を壊滅的にしたように思えたが、また、その中には、同時に、新たなサブスク配信という産業を生み、音楽産業の将来への可能性を押し広げたとも言える。

その恩恵によって、音楽を演奏する方も、音楽を聴く方にも、音楽の選ぶ際の選択肢は、以前よりもはるかに広がったというわけである。そして、メジャーアーティストにも同じような傾向が伺える。


そういった面では、このエモリバイバルというアメリカのペンシルバニア周辺からはじまったジャンルは、今日の音楽の流れまでの線を上手く捉えていたように思える。これらのインディー界隈のアーティストは何万もの観客を前にして演奏するわけでなく、音楽スタジオ、小さなサウンドホールでのスタジオライブを活動の主軸としていた。

つまり、数十人から百人くらいの客を前にして、熱狂的なライブパフォーマンスを行っていたのである。お世辞にも、この一般的に有名とはいえない、ニッチな雰囲気のあるエモリバイバル界隈の音楽は、当初、2000年代に、上記のインターネットサイトで配信されていたのを思い出す。筆者が、Snowing、Algernon Cadwallderといったバンドの音を最初に聞いたのは、まだそれほど設立してまもない、Bandcamp、Audioleafといった、サブスク配信が一般化する以前の音楽視聴の無料配信サイトだった。レコード店にもほとんど流通していなくて、それ以外には聴く方法がなかったのだ。


今、よく考えてみると、アメリカのメジャーアーティストではなく、インディーズアーティストの押し上げのような流れが、より大きな渦を起こし、オーバーグラウンドの盤石だった音楽産業の構造を揺るがしていったように思える。

往時、スティーヴ・ジョブズが体現したかったのは、ミュージシャンとリスナーの距離を狭め、そして一体化させるという試みである。

その線上に、ipodというデバイスが発明されたわけである。それは最後には、イギリス音楽業界のスポークスマン、レディオヘッドのトム・ヨークも自作品において、リスナーに自由に値段を決めてもらうという投げ銭方式をとり、この年代からはじまった「音楽の一般開放」の流れに対し賛同してみせたことが、音楽業界の様相を一変させていく段階の最後の決定打となった。

 

そして、無類の音楽フリークでもあるスティーヴ・ジョブズは、次の時代への音楽産業の変遷の気配を巧みに嗅ぎ分け、それを時代に先駆ける形、イノベーションという形で見事に実現させていった。

そもそも、考えてみれば、Appleを生んだカルフォルニアというのは、1970年代からずっと、インディー音楽が非常に盛んな土地だったのだし、こういったインディーズの音楽形態をスティーヴ・ジョブズが知らぬはずもなく、このインディーという音楽活動形態中に、重要なビジネス上のヒントを見出した可能性もある。特に、この2000年代のインディーミュージック、インディーズを周辺に活躍するアーティストたちは、ロック、電子音楽といったジャンルを問わず、次の10年の音楽産業の主題「音楽の一般的な解放」を呼び込むような流れを作っていた。

 

このエモ・リバイバルという動きもまたミュージシャンとファンの距離が非常に近いという側面で、2千年代のアメリカのインディーカルチャーの最先端を行っていたうに思える。彼らは音楽のスターというものに対して、一定の疑いを持ち、そのスターという存在、ショービジネスの馬鹿らしさを端から痛快に笑い飛ばしている。これは、アメリカのインディーの源流にある概念である。このシカゴから9時間ほどの距離にあるペンシルバニアで始まったリバイバルの動きは、その後、ニューヨークと連動しながら、テキサスといったアメリカ南部にも広がっていく。

 

大きく離れているようでいて、各地の小国ほどの規模を持つ各地域の音楽は、実はインディー音楽シーンにおいて、緊密に連動していて、このリバイバルの流れは、やがて米国全体に広がっていった。

これらのロックバンドに共通する概念、大きな音楽産業に対峙するアートとしてのロックンロール。それは、以前の80年代のワシントンDC、あるいはカルフォルニアのオレンジカウンティ、ボストン、ニューヨークを中心としたインディーカルチャーの活動形態を後の世代に引き継いだ形でもある。

そして、これらのロックバンドは、画家でいう個展のようなライブを開きつつ、活動を行っていく。そして、このミッドウェストというアメリカの中西部で起こったエモリバイバルの動きは、ワシントンDC,ミネアポリスの80年代のパンク・ハードコアの台頭と同じような雰囲気が感じられる十代から二十代の若者を主体としたムーブメントの一つであった。

 

もちろん、それらの若者たちは、九十年代のエモーショナル・ハードコアという音楽を聞きながら、多感な思春期を過ごしてきたはずだ。このエモ・リヴァイバルの動きは、現在もアメリカの若い世代でひっそり継続しているが、実に、アメリカらしい肩肘をはらない商業感を度外視したアート活動の形と、そのマニアック性を寛容する度量の広いファン層によって熱狂的に支えされているジャンルでもある。音楽性というのも、1990年代のエモコアの内省的な抒情性と2000年代のポスト・ロックを融合したジャンルで、苛烈でテクニカルでありながら掴みやすさがあり、どことなくゆったりとした雰囲気がある。音楽的にもそれほど難解でなく、音楽性自体は、それほど90年代のメロディック・パンクのスタイルを受け継いだキャッチーさ、親しみやすさがある。

 

今回は、これらの後の音楽解放時代の先駆けとなったエモリヴァイバル、そして、サブスク配信の時代のアーティストを探っていく。

いかにも、アメリカのインディー音楽の旨みがこれらのロックバンドににじみ出ていることを見いだせるはずだ。そして、これらの幾つかのロックバンドは、のちの音楽の一般的な解放を告げ知らせるような雰囲気を持っている。その独自の気風は現在も引き続いており、再び、何らかの面白い流れがこのあたりのエモリバイバルシーンには見つかるかもしれない。

少しマニアックな選出ではありますが、エモ好きな方、「Emo Digger」の良曲探しの手助けになればいいなと思ってます。

  

 エモリバイバルからポストエモ世代までの名盤

 

1.Snowing





Snowingは、米、ペンシルバニア出身のスリーピースのロックバンド。2019年には来日公演を果たしている。アメリカ中西部を中心とするエモリバイバルの動きはここから始まったわけで、このムーブメントをくだくだしく説明するよりは、このスノーイングの作品を聴くほうが手っ取り早いかもしれません。

およそ既にエモなどという言葉が廃れかけていた時代、彼らは勇猛果敢にこのジャンルを引っさげてインディーズシーンに登場、熱狂的なエモリバイバルムーブメント旋風を沸き起こした。往年のDCハードコアサウンドを踏襲した苛烈なサウンドは現在でも鮮やかな魅力を放っています。

スノーイングは、これまでのアメリカのインディーズの正統派の活動形態を受け継ぎ、大きなライブハウスでは演奏して来ませんでした。

しかし、観客と演奏者の距離感のなさ、観客の異様なテンションと、それに答える形でのスノーイングの面々の激烈なアジテーションのもの凄さは筆舌に尽くしがたいものがある。これは、もちろん、八十年代のディスコード周辺の流れが受け継がれており、ライブこそスノーイングの音の醍醐味といえるはず。スタジオ・ライブでの熱狂性は2000年代の時代において群を抜く。また、そのパッションは再結成を記念しての二年前の来日公演でも見事な形で再現された。

彼らの名盤としては、最初期の怒涛の勢いが十分に味わうことの出来るEP盤「 Fuck You emotinal Bullsit」あるいは「Pump Fake」が音の荒々しさがあり痛快で必聴ですが、入門編としては、最初のスタジオアルバム「That Time I Sat a Pile of Chocolate」をおすすめしておきましょう。 

今作「That Time I Sat a Pile of Chocolate」には、スノーイングのライブの重要なレパートリーとなっている「Pump Fake」「Sam Rudich」が収録されている。このスノーイングが、日本のインディー音楽愛好家の間で何故神格化されているのかは、この二曲を聞いてみればなんとなくその理由がつかめるはず。

異様な青臭いテンションに彩られた激烈なエモーション性。

この二つの楽曲を引っさげてスノーイングは登場し、アメリカのエモムーブメントの再来を高らかに宣言しました。

 

 

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2.Algernon Cadwallder

 

 

 

これまた、Snowingの盟友ともいえるアルジャーノン・キャッドワラダーもペンシルバニア出身のエモリバイバルムーブブームの火付け役といえる存在。ボーカルのPeter Helmisはこのバンド解散後、Dogs On Acidという次のバンドで活躍中。 アメリカン・フットボールと共に、「Polyvinyl records」を代表するインディー・ロックバンドといえるでしょう。2012年から2105年という短い活動期間でありながら、このバンドはまさに90年代初頭のキャップンジャズの再来といえ、衝撃的なインパクトをアメリカのインディーシーンにもたらしました。

ベースボーカルのPeter Helmisのちょっと裏声がかったユニークな絶叫ボーカル、そしてJoe Reinhartの高速タッピングというのは、この後のエモリバイバルというジャンルの音楽の骨格を形作った。また、スノーイングと同じように、少ない収容人数のスタジオ・ライブの観客との一体感、そして、異様な熱狂性がアルジャーノン・キャッドワラダーの最大の魅力といえるでしょう。

 アルジャーノンのオススメのアルバムとしては、「Somekind of cadwallder」そして最後の作品となった「Parrot Files」とまあ全部聴いてみてほしい。

最初のLPレコード版を再編集した2018年リリースの「Algernon Cadwallder」。この中の一曲「Sailor Set Sail」を聴いたときの驚きと感動というのは今も色褪せないものがある。なんというか、一言でいえば、青春ですこれは。

穏やかさと激烈さ、相反するような要素がガッチリとかみ合ったキャップ・ン・ジャズを彷彿とさせる名曲でもあります。

マレットの音の響きもなんとなくノスタルジックで、切ない彩りに覆われている。何となく、湖畔ちかくの情景を思わせる素晴らしい自然味あふれる楽曲。今、考えてみれば、マスロックの雰囲気もあるバンドだったと回想。とにかく、このアルジャーノンを差し置いてはエモリバイバルを語ることなかれ。 

 

 

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3.Perspective,a lovely Hand to Hold

 

 


上記、Snowing、Algernon Cadwallderと入れ替わって台頭してきたのが、この perspective,a lovely Hand to Hold。

このバンドのサウンドアプローチは幅広く、表面的にはエモ、パンクロックよりではあるものの、その中にも電子音楽や、ポストロック/マスロック、あるいは、インディーフォークの雰囲気も感じられるバンドです。

ホーンセクションやグロッケンシュピールを積極的に取り入れたりといった特長は、如何にも現代のエモリバイバルといった音楽性ではあるものの、全然付け焼き刃ではなく、バンドサウンドの中にしっかりとそういったオケの楽器が溶け込んでいるのがこのバンドの感性の良さといえるでしょう。

その中にも良質で飽きの来ないメロディセンスを感じさせうるバンドで、非常に他のバンドに比べ演奏力も高く、特にリズム隊も音の分厚さがあり、聴いていて安心できるような感じがあります。

彼らのオススメとしては軽快さのある秀曲、「Pepe Silva」を収録したEP「Play Pretrend」、あるいは勢いと絶妙な切なさを併せ持ったポップチューン「Mosh Town USA」が収録されている「Autonomy」2014でしょう。楽曲の中にメロディックパンクのような痛快さと勢いがありながらもメロディ性をしっかり失っていない秀逸な音楽性。これからも頑張ってもらいたいバンドです。  

 

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4.Tigers Jaw


 

 

お次に紹介するタイガーズ・ジョーも、またまた、ペンシルバニア出身のロックバンドです。結成したのが2006年とすると、十六年という長いキャリアを持つアーティスト。

これまで何度かメンバーチェンジを繰り返しつつも、このバンドの顔は、紅一点のブリアナ・コリンズでしょう。

このタイガーズジョーは上記のエモリバイバルのバンドよりはパンク色は薄く、歌物としても十分楽しめる親しみやすさのある音楽性が魅力。

これまでYellowcardやNew Found Gloryとツアーを行っており、イージーコアのロックバンドとのかかわり合いも深い。メロディックパンクの次世代を担っていく存在でしょう。

音楽性としては、初期はローファイ味あふれるインディーロックでしたが、徐々に音楽的に洗練されていき、ジミー・イート・ワールドのようなキャッチーさを突き出していった。エモの雰囲気を感じさせるストレートなアメリカンロック。いかにもアメリカンな程よく加味されるエモーション性が魅力。それほど捻りのある楽曲ではなく、普通のポップスとしても楽しめる。ツインボーカルが特徴で、そのあたりの楽曲の歌い分けがこのバンドの持ち味でしょうか。

 

タイガーズ・ジョーのおすすめアルバムとしては、2017年のアルバム「spin」が挙げられるでしょう。上記のスノーイングやアルジャーノンのようなハードコアを下地にした強烈なインパクトこそないものの、「これぞ、ド直球アメリカンロック!」というような佳曲がずらりと並んでいる。これは、ため息出ますね。全く。中でも、「June」はブリアナ・コリンズの歌声が秀逸な楽曲。醸し出される切なさは筆舌に尽くせない。ジミー・イート・ワールドを彷彿とさせるエモエモさ。他にも佳曲が多し。往年のエモ/メロディックパンク好きはガツンとやられること間違いなし。 

 


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5.Oso Oso

 

 

 

NYのロングビーチ拠点に活動するインディーロックバンド、オソ・オソ。ロングビーチというのはNYの北部の方にあり、結構寒そうなところです。このバンドのフロントマンが以前組んでいたバンド、osoosoosoというバンドの解散後に組んだプロジェクトがOso Oso。また、日本にも、Os Ossosというバンドが東京(下北界隈)を拠点に活動中。この有名なバンド名からもじって、自分のバンドネーミングにするというのは、それもこれも、全部、アメリカン・フットボールという存在のせいです。これも、後に、チャイニーズ・フットボールとか、フットボール Etcとか、フォロワーバンドがじゃんじゃん出てきすぎていて、正直、言いますと、もう増えすぎてこれよく訳わかんねえなという状態。osoosooso、oso oso、Os Ossosとか、これ以上プロモートする側の頭を撹乱するのはやめてあげて下さい。もう、何が何だか、、、判別つきません。 

さて、しかし、このオソ・オソは良いロックバンドです。勢いとパンチのある親しみやすいポップパックロックバンドとエモコアの中間にあるような良質なサウンドを特長としている。アルバムジャケットも可愛らしいアートワークの作品が多いですが、これはたぶん全部狙ってやってますよ。

オソオソの音自体も、九十年代のポップパンクシーンの美味しいとこ取りをしたような感じであり、往年のBraidのフレーズをそのまんまなぞられてたりとか、おもわず、「おい、そりゃ卑怯でしょう」と言ってしまいそうになりますが、これが伝家の宝刀ともいうべきソリッドさ、鋭さがあり、音自体が痛快なため、まあいいかなと許せちゃうところがあるのが不思議です。

 

メロディック・パンク、ポップ・パンクとしても充分楽しめるオソオソですが、エモリバイバルの名盤として見逃せないのが、シカゴのレコード・レーベル「Audiotree」のLiveを収録した「Oso Oso on Audioleaf Live」2017です。

スタジオ・アルバムでは、いかにもポップパンクバンド寄りのマスタリング処理を施しているオソオソ。しかし、オーディオツリーのライブでは、精彩のあるパワーポップバンドへの痛快な変身ぶりが味わう事ができます。特に、#1の「The Cool」(スタジオ・アルバム「the yunahon mixtape」収録)ではポップパンクよりの疾走感のある楽曲ですが、このオーディオツリーのライブでは、テンポダウンされていて、楽曲に独特な切なさと色気が漂ってます。特に、この一曲目「The Cool」は素晴らしく、(以前、アジカンのツアーに参加したことがある)Ozmaを彷彿とさせるアメリカンパワーポップの名曲に大変身しているのに驚き。どことなくアルバムとは異なるへっぽこテイストが味わうことが出来、エモ感はこちらのライブの方が遥かに上、そのあたりが良い味出てます。 

 

 

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6.Emo Side Project

 

 


あまり知名度という点ではイマイチのEmo Side Project。

カンザス州ローレンス出身のmae macshaによるソロプロジェクトです。このEmo Side Projectは、現代的な音の進化という面、あるいは派手なサウンド面での特長には乏しいかもしれませんが、穏やかなエモーション性をはらんだ良質なインディーロックを奏でている隠れた名バンドです。すでに2001年から活動しており、かなり長いキャリアを持つプロジェクトといっていいでしょう。

エモサイドプロジェクトの音楽性は、まさにアメリカン・フットボールとしかいいようがない、またはマイク・キンセラのOWENの良いところ取りをしたようなサウンド。そこに、インディー・フォーク的なゆったりした雰囲気を纏う。聴いていて派手さはないものの、穏やかで安心して聴けるようなサウンドが魅力。

このB級感としか例えるべき青臭いエモ感をなんと例えるべきか。ダサいけれども、それで良い。そして、そこに内省的な雰囲気がほんのり漂っている。外向きに音を楽しむというよりも、家の中でひとりでぬくぬくと音の世界に耽溺する。アメリカン・フットボールと同じように、ミニマルな趣向性を持つギターフレーズが延々と続くあたりは、音響系ポストロックに近いアプローチが計られている。Mae Machaのボーカルというのもキンセラの弟という感じで、ヘタウマな感じですが、そのあたりが重度の「Emo Digger」にはグッと来るものがあると思います。

エモサイドプロジェクトの推薦盤としては「You Know What Sucks,Everything」という2015年のスタジオ・アルバム。

音楽性の良さというよりは雰囲気を楽しむエモのB級的な名盤。しかし、ロックとして聴くなら完全にB級の作品。しかし、独特なローファイ、インディーフォークとして聴くなら独特な魅力が感じられるはず。

このあたりのどことなくダラッとした感じのエモは余り他のアーティストの作品では聴くことのできない、このプロジェクトならではの音楽性。

いかにもアメリカらしいぬくぬくとしたインディー音楽は、まさに通好みと言えるものでしょう。名エモバンド、アメリカンフットボールの内省的なエンパシー性を継承した穏やかな清流のようなサウンド、この青臭い切なさのもんどり打つような感じに、君たちは耐え切れるか??  

 

 Bandcamp

https://emosideproject.bandcamp.com/album/you-know-what-sucks-everything


  

7.Origami Angel 

 



オリガミ・エンジェルは、ギタリストのRyland Heagyと、ドラマーのPat Dohertyによって2017年に結成されたワシントンDCを拠点に活動するツインユニットです。

以前は、ロックバンドいうのは最低限三人は必要であるという考えが一般的だった。2人でロックを完結してしまうのは多分B'zくらいと思ってたのに、近年、既成概念をぶち破り、2人で活動するロックユニットがアメリカで徐々に台頭してきています。もちろん、それらのバンドが人数が少ないからと言って音が薄いのかというと、全然そうではなく、音の分厚さと重さを誇るのには、正直びっくり。そして、このオリガミ・エンジェルもまたツインユニットとは思えないほどの重厚感のあるエモ/ポップパンクサウンドを聴かせてくれる秀逸なロックバンドです。 

そして、近年のエモリバイバルのロックバンドに代表されるようなツインクルエモという括りには当たらないのがオリガミ・エンジェル。

どことなくひねくれたコード感を持ち、重厚なディストーションギター、そして、ドラムの迫力あるリズミングがこのロックバンドの最大の特長でしょう。長和音進行の中に巧みに短調を打ち込んでくるあたりは、これまでの無数のツインクルエモのバンドとは違い、新たな風のようなものをアメリカのエモシーンに吹き込んでくれるだろうと期待してしまいます。

オリガミ・エンジェルは、活動期間は四年でありながら、すでに「Somewher City」という頼もしい名盤をリリースしています。何より、このツインユニットには音楽の間口の広さが感じられて、今後、その異なるジャンルとの融合性を強めていってもらいたいと思います。インディーフォークであるとか、ニューメタル、さらには、近年のクラブミュージックのテイストも交え、ジミー・イート・ワールドを思わせるような爽快感のあるメロディック・パンクが全力的に展開されている。

この若さゆえのみずみずしさは、往年のポップパンクファンにはたまらないものがあると思います。これから2020年代のアメリカのメロディックパンクシーンを牽引していくであろう非常に楽しみなロックバンドです。「24 Drive Thru」の痛快な疾走感は言うに及ばず、「The Title Track」の独特なコード感、涼風のように吹き抜けていくポップチューンを心ゆくまで楽しむべし!!!!

 


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8.Bigger Better Sun 「Adjust to Wellness」


 

 

そして、個人的にこれから最も有望視しているのがこの”Bigger Better Sun”というロックバンド。

あまり他ではエモリバイバルというカテゴライズではあまり紹介されないような存在ではあるし、エモというカテゴライズ上で語ることは趣旨から外れているような気もするものの、エモの雰囲気は少なからず漂っている。 

もちろん何の根拠もありませんが、なんとなく、このバンドは要チェックです。特に、2010年代のエモサウンドをより未来に進化させたポストエモ的なサウンドを体現させているバンドでもある。

往年のエモサウンド、とりわけゲット・アップ・キッズのような親しみやすいキャッチーさもありながら、アメリカのヒップホップシーンあるいはテクノ、EDMシーンに呼応したようなサウンド面での進化を、Bigger Better Sunのサウンドには見て取ることが出来る。

そもそも、スノーイング、アルジャーノンの2000年代初めのアメリカのインディーズシーンへの台頭は、およそ無数のタッピング奏法を駆使し、メタルサウンドを取り込んだようなツインクルエモ勢を発生させはしたものの、それと同時に、音楽の停滞をもたらした弊害もなくはなかったお決まりのサウンドの流行というのは未来への針をその場に押しとどまらせてしまうというわけです。そのあたりの停滞を次世代のサウンドへと進めようとしているのが、Bigger Better Sunという存在。

彼らのオススメアルバムとしては「Adjust To Wellness」。

「fillers」のようなゲット・アップ・キッズを彷彿とさせるような温かみのあるバラードソングの良さもさることながら、他にも独特の進化を辿った2020年代のポストエモシーンの台頭を告げるような電子音楽風のサウンドも提示されている。

これはかつてゲット・アップ・キッズのバンドサウンドのムーグシンセの導入をさらに作曲という図面の上で広げて行こうという意図を感じなくはない。つまり、オートチューン等を駆使し、エモの音楽性にクラブミュージックに対する風味を付け加えようというチャレンジ性が感じられる。

Bigger Better Sunの音楽性は、2020年代のエモシーンの音楽性を予見させる。音楽自体のポピュラリティー、聞きやすさも失わず、エモというジャンルをさらに前進させようという実験性もある。あまり有名なロックバンドではないですが、非常に見どころのあるバンドとして紹介しておきます!!

 

 

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9.Posture & the Grizzly 




最後の一バンドとして紹介したいのがPosture&the Grizzlyです。フォールアウトボーイのようなイージーコアをサウンドの特長とし、ボーカリストの巨体から生み出されるパワフルなサウンドが特長。 

2000年代のニュースクールハードコア、メタルコアといったソリッドなサウンドを踏襲し、クールで勢いのある音楽性が魅力。こういったわかりやすさのあるイージーコアサウンドというのは、近年それほど多くなかったんですが、Posture& the Grizzlyは現代にそれを見事に蘇らせています。

スクリーモ勢の後の世代としてのメロディックパンクの流行のスタイルを追究したといえる痛快な激クールサウンド。もちろん、エモさという要素も少なからずあるのがこのバンドの特徴。

彼らの入門作品としては「I am Satan」2016をまずはじめにレコメンドしておきたいところです。

ここにはライズ・アゲインストのようなメタルコア風の力強さもありながらまたそこはなとなくエモーショナル性、そして、モグワイのような音響系ポストロックの雰囲気も漂っています。

こういった様々な現代の音楽を融合したサウンドが今日のエモリバイバル、あるいはポストエモ勢のトレンドなのかなあという気がします。上記のBigger Better Sunとともに、リバイバルという括りでは語れない2020年代のポストエモの台頭を予感させるようなロックバンドとしてオススメ!!

 


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