ラベル Masterpiece の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Masterpiece の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

スケート文化とポップパンク 


 

現在スケートボード自体は若者に根強い人気のある普遍的なストリートスポーツとして挙げられる。 

 

それは、フットボールと同じように、どのような地域であれチャレンジが出来、それは生育環境とは全然関係なく広い門戸が開かれているからである。サッカーを例として見るなら、アフリカの貧困地域でもフットボールが普及したのは、ボール一つ、そして、空き地、ある程度の人数さえ確保できればその競技が成立する、つまり、成立条件の少なさによる。



 

同じように、ストリートボードというスポーツも、ボードさえ手に入れば、どこでもプレイできるという面で、他のスポーツ競技よりはるかに始める際のハードルは低い。

 

もちろん、その後に、プロフェッショナルなエアーをクールに決めるためには、並々ならない鍛錬が必要だろうが、ボードをはじめる際には他のスポーツよりも気楽に取り組めるというメリットがある。

 

そして、このスケートというスポーツと、パンク・ロックという音楽は、非常に密接な関係を保持していた。

 

 米国の西海岸においては、ほとんどパンクというのはスケートボードと切っても切り離せないような存在であった。元々はハードコア・パンクの一角を形成していたのも、実は、リアルなスケートボーダーだったというのも事実である。



 

そういった意味において、ストリートボードとパンクロックというジャンルは、ストリートという一部の領域において、密接に関わりを持ちながら、若者向けの巨大カルチャーとして発展していった経緯がある。スケーター・パンク、ポップ・パンクというジャンルの発祥は、八十年代の終わりのアメリカの西海岸、北カルフォルニアに求められる。特にオレンジカウンティというロサンゼルスを南下したサンフランシスコからほど近い地域を中心として、徐々に発展していった若者向けのカルチャーであり、九十年代に最も隆盛をきわめた。当初、マニア向けの存在でしかなかった、Sucidal Tendencies、Fifteen、Descendents、といったパンク・ロックバンドがヘンリー・ロリンズ擁するブラック・フラッグが米国内のインディーズシーンを賑わせた後、このカルフォルニアの地域に台頭、スケーター・パンクの流行を後押しした。



 

それから、Sucidal Tendencies,Fifteen、Descendentsに続いて、Minor Threatのギタリストとして知られるブライアン・ベイカー(アメリカで有名なテレビマンを父親に持つ)が結成した”Bad Religion”が台頭する。

 

その後、”Fat Wreck Records”を主宰し、パンクシーンに大きな影響力を持つ”NOFX”というクールなロックバンドが、八十年代後半から九十年代にかけてシーンを活性化、米国全土にとどまらず、海外にもそのムーブメントを波及させていった。

 

さらに、スケーターパンク/ポップパンクの集大成をなすべく、グリーン・デイ、オフスプリング、ニュー・ファウンド・グローリー、Sum41といったロックバンドがアメリカビルボード・チャートで健闘し、その後のポップ・パンク、エモコア・ムーブメントの基盤を着実に築き上げていく。



 

そもそも、このスケーターパンクという音楽には、古くのサーフ・ロックに一定の共通項が見いだされる。 

 

それは、古くのビーチ・ボーイズやヴェンチャーズを始めとするサーフロックというのも、サーフィンを趣味とするミュージシャンが、そのスポーツから導きだされるイメージを、音楽として表現してみせたように、このスケーター・パンクも、スケートボードを趣味とする若者が音楽という表現にのめり込んだがゆえに生み出された音楽なのだ。

 

そのムーブメントが流行した年代というのは、実に、三十年ほどの隔たりがある。しかし、痛快で、キャッチーで、スポーティーな音楽を奏でるという側面で、相通じるものがあるはず。もちろん、その発祥地域というのも、カルフォルニアという同地域を中心として発展していったのもあながち偶然とはいえない。これは、東海岸の音楽文化とは異なる西海岸の独特なカルチャーの一つ、というように言えるかもしれない。



 


 

 

 ポップパンクの名盤

 

 

1.GREEN DAY  「Dookie」


 

 

 

既に、アルバムレビューでも最初の方に取り上げた作品ではあるものの、スケーターパンク、そしてポップ・パンクムーブメントを語る上では、まずこの世界的にメガヒットを記録した傑作を度外視することは出来ない。

 

スケーターパンクの要素及び魅力は、このアルバムの中にすべて詰まっていると言っても誇張にはならないはず、瑞々しさ、青臭さ、そして、疾走感、全て三拍子揃った素晴らしい永久不変の名盤。およそこのジャンルを知るためには、このアルバムが一番聴きやすく、音楽性が掴みやすいだろうと思う。

 

「Burnout」「Basket Case」「She」といった楽曲は、2020年代でもまだ当時の光輝を失っていない。全曲、ほとんどが2,3分のヒット・チューンが矢継ぎ早に通り過ぎていき、あっという間に聴き終えてしまうことだろう。おそらく、現代のスケーターにも共感を誘うであろう、ヤンチャでいて、若々しくフレシュな音楽性が、このアルバム、ひいては、グリーン・デイの最大の魅力だ。

 

この後、グリーン・デイは、世界的なロックバンドとして認知されるようになり、政治的なメッセージを込めた作品もリリースするようになる。しかし、この作品ではアルバム・ジャケット以外は、そういったニュアンスはさほどなく、口当たりの良い作品となっている。初期のスケーター・パンクとしての特長、そして、後のポップ・パンクとしての中間点に存在する実に痛快な一作。 

 

 



 

        



2.NOFX  「Punk In Drublic」 

 

 

 

 

いわゆるスケーターパンクというジャンル概念を、他のスイサイダル・テンデンシーズ、D.O.Aとロックバンドともに広めた功績のあるバンドがNOFXだ。 Tシャツ、短パン、そして、ド派手な髪の色(金髪、ピンク髪、青髪etc.)というスタイルは、スケーターファッションの王道を行くもの、これは、デビューから何十年経っても変わらない、彼等のお約束のスタイルでもある。

 

これまでずっと、NOFXがどれだけワールドワイドになっても、肩肘をはらないスタンスを取り、フレンドリーな姿勢を示して来た。それは、彼等四人が多くの若者の兄貴分のような存在であるから。NOFXがフランクな姿勢を取っているのはブラフであり時折、痛快なインテリジェンス性を垣間見せる。ブッシュJr,政権時代から、「War in errorism」といった作品を通して、政治的でシニカルなメッセージを込めることも厭わない。 

 

このアルバム「Punk in Drublic」は、そういった思想的な面は抜きにして、ポップパンクのみずみずしさが充分に味わえる作品である。

 

もちろん、今作は、彼等の代表作として知られていて、全体に展開される目くるめくスピードチューン、16ビートの典型的なリズム、そして、メロディアスなロック性というのは、スケーターパンクの基礎を形作った。本作の良さというのは、1stトラックの「Linoleum」に集約されていると、いっても過言ではない。この痛快なスピードチューンこそ、スケートパンク/ポップ・パンクの醍醐味。なんというみずみずしい青春!! ここには、甘酸っぱいパンクロックの輝きが惜しみなく詰めこまれている。 

 

 



 

 

 

3.Descendens「Milo Goes to College」1982

 

 

 

 

スケーターがよく聴くパンク・ロックとしてよく挙げられるディセンデンツ!! 痛快なキャッチーさを持つ親しみやすいパンクロックバンド。もちろん、パンク・ロック史からみても最重要なバンドで、Black Flag、Germs、Circle Jerks、X、といったバンドと共に、80年代のUSパンク/ハードコアの礎を築き上げたにとどまらず、カルフォルニア、オレンジカウンティのカルチャーに大きな貢献を果たした。彼等は、NOFXと同じくスケーターファッションを表立ったイメージとしている。

 

 

この作品は、例えば、かつて日本のレコードショップ、ディスクユニオンで、配布していたフリーペーパーのUSパンクの名盤カタログに何度も登場してきた作品である。現在、残念ながら廃盤となっているものの、USパンクを聴き込んでいく上で、この作品を避けることは出来ない。

 

ディセンデンツは、常に、アルバム・ジャケットにおいて、シンプソンズのようなユニークな人物キャラクターをモチーフとして使用し、これまでその姿勢を貫いている。角刈りのメガネをかけたユニークな存在は、ディセンデンツのアイコンのようなものだ。

 

しかし、決して、アルバム・ジャケットの愛らしいイメージに騙されてはいけない。このキュートな対象的に、実際に奏でられる音楽のスタイルは、爽快さすら感じられる男気あるド直球パンクロック。そこには、夾雑物は混ざっていない。ここにあるのは情熱だけ、ひたすらやりたい音を素直に奏でている衝動性。これこそディセンデンツの音の最大の魅力なのだ。

 

今作「Milo Goes to College」は、ハードコア・パンクに近いアプローチを図っており、USハードコアの素地をなしている名作。

 

この音楽のスタイルは、ブラック・フラッグとともに、この後の90年代のカルフォルニアの音楽文化に多大な影響を与えたはず。カルフォルニアの太陽、澄んだ青い空、そして、スケートカルチャーが生んだ、痛快でシンプルなハードコア・パンクだ。 

 

 



 

 

 

4.All 「Allroy's Revenge」


   

 

 

ディセンデンツと盟友関係にある、ALL。

 

このロックバンドの特長は、スケーター・パンクのコアな概念からは程遠いように思えるが、ポップ・パンクバンドとしては欠かすことの出来ない。そして、上記に挙げたパンクバンドに比べ、スタンダードなヘヴィ・メタルやハード・ロックよりのアプローチが感じられるバンドでもある。 

 

そして、この後の90年代のスケーター及びポップパンクに代表されるバンドの力強い音楽性の中に、甘酸っぱい、パワーポップにも似た要素が滲んでいるのは、このバンドの影響によると思われる。

 

このALLというバンドは、他のスケーター、ポップ・パンクとして聴くと、少し物足りないようなイメージを抱くかもしれないが、ポップセンスというのは一級品、しかも恋愛に絡んだラブソングを書かせると右に出る存在は皆無である。

 

今作「Allroy's Revenge」は彼等の通算三作目となる作品。このアルバムに収録されている「She's My EX」そして「Mary」という楽曲は、アメリカンパワーポップの隠れた名品。 

 

ここで表現される甘酸っぱい楽曲は、若い頃に聴いてこそ真価が感じられる楽曲といえるだろう。ちょっと青臭い感じもあるけれど、それが滅茶苦茶良い味を出している。

 

ALLの楽曲性は、九十年代に流行したポップ・パンクバンド、Sugarcult,Mest,Blink182あたりに引き継がれていった。ポップ・パンクの基礎を築いた重要なバンドとして挙げておきたい。 

 

 



 

 

 

5.Bad Religion 「Gray Race」1996


 

 

 

ロックバンドをはじめるまでは、ストリート・ボーダーであったイアン・マッケイ擁するマイナー・スレットの解散後、ギタリスト、ブライアン・ベイカーが新結成したバンドがバッド・レリジョンだ。1980年から現在に至るまでメンバーの入れ替えを行いながら、タフな活動を続けている歴史あるロサンゼルスのパンク・ロックバンドである。

 

バッド・レリジョンは、とにかく、アメリカン・ハードコア、ポップ・パンクの重要な下地を作った最初のバンドとして挙げておきたい。彼等の音楽は、硬派であり、気骨に溢れ、そして、パンク・ロックバンドとしての重要な役割である痛烈なメッセージを持つ。

 

つまり、アメリカという国土に内在する人種、宗教、政治問題にとどまらず、アメリカ文化全体への提言まで及ぶ。

 

音楽性としては、アップテンポとまではいえないが、ノリのよい疾走感あふれる軽快なナンバーが多く、それほど捻りはなく、スタンダートなロックンロールの色合いの強いパンクロックである。

 

彼等の名作としては、その活動期が四十年という長期に及ぶため、どれを選ぶかは決めがたい。 

 

ライブパフォーマンスでのシンガロング性こそバッド・レリジョンというロックバンドの真の醍醐味であり、スタジオ・アルバムと全然楽曲の雰囲気が違うので、是非、ライブ版を一度聴いてほしい。

 

彼等の名作アルバムとしては、「The Gray Race」を挙げておきたい。 

 

ここで展開されるパワフルな音楽性、強いメーセージ性あふれる歌詞にはバッド・レリジョンの本質が垣間見れる。もちろん、この中の「Punk Rock Song」こそ彼等の代表的な一曲である。

 

もちろん、このスタジオアルバムの楽曲の他、バッド・レリジョンには、”American Jesus”,”Opereation Rescure”といった、パンク史に燦然と輝く名曲があることを忘れてはいけない。これらの楽曲は「Recipe For Hate」1993、「Against The Grain」1990で聴く事ができる。 

 

 



 

 

・番外編 

 

ドキュメンタリー・フィルム「Fuck Your Heroes」関連のパンクロック・バンド

 

 

上掲したスケーター/ポップパンクバンドと名盤の他に、リアルなスケートボード文化とパンクロックの関わりをフォトとして追った伝説的な作品がある。それが「Fuck Your Heroes」という写真集である。

 

ここには、八十年代のカルフォルニアの中心とするパンク・ロックシーンがスケートボードと関連して、どんなふうに築き上げられていったのか。リアルな写真として撮影されている。



 

 

もちろん、「Fuck Your Heroes」という過激な表題に示されている通り、必ずしも上品な概念でないかもしれない。しかし、ここには、表向きのスケート文化でなく、その背後にある生々しいストリートの文化、そして、このスポーツと深い関連を持つハードコア・パンクの熱狂性がフォトグラフィーとして生々しく描かれている。そして、スケートカルチャーと、パンク・ロックという音楽が、常に連動しながら、アメリカ全土でカルチャーとして認められるように至った事実を再確認するための重要な歴史的資料。


そのあたりのリアルなストリートボードと密接な関わりのあるパンク・ロックバンドを、最後に簡単に紹介し、この記事を終えたいと思います。



 

 

 

1.Minor Threat 「First Demo Tape」 

 

 

 

このバンドの中心人物、イアン・マッケイは、まだ、ティーンネイジャーだった頃、どちらかといえば、外交的な青年とはいえなかった。

 

ところが、彼がスケートボートをはじめた瞬間から、彼の人生の意味は、まったく別の意義を持ち始め、見果てぬほどの大きな輝かしい世界が開けてきた。よもや、スケートボードを始めたときには、自分の主宰するレーベルを持つに至るなんていう考えもなかった。

 

そして、イアン・マッケイという人物の一種の自己表現の延長線上に存在したのが、このアメリカの伝説的なハードコア・パンクバンドMinor Threatである。このワシントンDCで結成されたマイナー・スレットは、三、四年の活動期間の短さにもかかわらず、後進のアメリカのインディー文化に与えた影響力というのは、すさまじいものがある。

 

四人組の年若い、二十歳にも満たない青年たちが始めたハードコア・パンクは、徐々に八十年代を通し、ワシントン州やニューヨーク州、あるいはLAを中心に大きなインディカルチャーとして発展していき、九十年代になってメインストリームで大きく花開いたといえる。



 


彼等マイナースレットのベスト盤的な意味合いでは、「First Two Seven Inches」は絶対に聴いてみてほしいと思う。このアルバムの最初の曲「Filer」で繰り広げられる痛烈な歌詞こそ、このハードコア・パンクのヒップホップにも似た魅力が潜んでいる。

 

もう一つ、おすすめしたいのが、このEP作品は彼等のデモテープを収めた作品。これは、ベスト・アルバムではない。しかし、このマイナースレットの魅力を最も理解しやすい一枚だ。 

 

アルバム全体を通し、楽曲が目の前を怒涛の嵐のごとく通り過ぎていく。言いたいことだけを核として吐きつけて歌う痛快なスタイルは、のちのラップのライムに比する雰囲気も感じられる。

 

アメリカのスケートをはじめとするインディーカルチャーを語る上でも重要な意味合いを持っている。後の世代のパンク、インディーカルチャーに与えた影響は計り知れない。。



 

 

 



 

 

2.Bad Brains「Banned in D.C」


 

 

 

アメリカで一番早く、黒人のみで結成されたバンド、それがLAのバッド・ブレインズである。 

 

その音楽性の中には、他の並み居るパンク・ロックバンドには真似できない独特な節回しというのがあり、しかも甲高い可笑しみのあるボーカルがライムのように矢継ぎ早に繰り出される。怒涛のスピードチューン、ほかのバンドにはない煌めきを現在も放ち続けている。

 

前のめりなビート、目くるめく早さのスピードチューンというのもバッド・ブレインズの最大の魅力といえるが、その他、このバンドサウンドな背景にはレゲエ・スカ音楽の影響が大きいという面で、アメリカのインディーシーンでは現在でも異彩を放っている。          

 

バッド・ブレインズの名盤としては、彼等の鮮烈なデビュー作「Banned in D.C」しか考えられない。

 

 ここでは、「Banned In D.C」「Supertouch/Shitfit」での、前にガンガンつんのめるハードコアの魅力もさることながら、「Jah Calling」での、レゲエ・スカ、ダブ風の落ち着いた楽曲がアルバムの印象にバリエーションを持たせている。激烈さもあり、渋さもあるという面で、クラッシュの「ロンドン・コーリング」のように、聴き込むたびに良さが出てくる作品だ。

 

もちろん、自身の中にある黒人のルーツを誇らしく掲げるのが、バッド・ブレインズである。

 

彼等のようなクールな存在は他に見当たらない。時代に先んじて、ロック/パンクをブラック・ミュージックとしていち早く融合してみせた四人衆。彼等は、他のNYのRUN DMCよりも早く、アメリカで、音楽としての表現を見出そうとした歴史的なロックバンドである。

 

 



 

 

3.Suicidal Tendencies 「Sucidal Tendencies」

 

 

 

リアルなストリートボーダーがパンク・ロックを奏でたらどうなるのかという実例を示して見せたバンドがスイサイダル・テンテンシーズ。このバンドは音楽だけではなく、ファッション面においてこれまで重要なリーダーシップを果たしてきたように思える。

 

音楽性としては、盟友D.O.Aと同じように、コールアンドレスポンスを多用したハードコアパンクである。 

 

スイサイダル・テンデンシーズの傑作としてはバンド名を冠した痛快なデビュー作「Suicidal Tendencies」が挙げられる。

 

所謂、スケーターパンクというジャンルを知るのに最適な一枚であるが、音楽的には後のスレイヤーに代表されるスラッシュ・メタルの要素も感じられ、どことなく、ミクスチャー、メタル・コアの先駆けとして見れるバンドかもしれない。いかにも悪辣さや皮肉を込めた音楽性であり、人を選ぶ作品であるのは確かだが、スケーター音楽として、歴史的に重要な意味合いを持つスタジオ・アルバムであることには変わりない。

 

スイサイダル・テンデンシーズの活動後期は、スケーター・パンク色が消え、代わりに、ヘヴィ・メタルへのアプローチを図るようになるが、少なくとも、デビュー作「Sucidal tendencies」は、スケーターとしてのバックグランドがしっかり感じられる貴重な作品の一つ。 

 

 



 

 

 

4.Black Flag「Damaged」

 

 


 

最後に挙げて置きたいのが、このオレンジカウンティのインディーズ・シーンを牽引してきたヘンリー・ロリンズ擁するブラック・フラッグである。 

 

このバンドの中心人物、ボーカリストのヘンリー・ロリンズという人物は、現在のアメリカのインディー界では、最早、重鎮といっても過言でない大御所ミュージシャンとなっている。ニューヨークには、イギー・ポップという伝説的なミュージシャンがいるが、一方、カルフォルニアには、ヘンリー・ロリンズがいる、というわけである。

 

そして、このブラック・フラッグはその名のとおり、アナーキズムを掲げて音楽活動を長きに渡って行ってきたロックバンドである。ちなみにいうと、活動初期には、紅一点の女性がベーシスト、キラ・ロゼラーが参加していた。これはアメリカのパンクハードコア史の中でも、一番早い女性のパンクロッカーのひとりに挙げられる。

 

ブラック・フラッグは、スケーター・パンクという概念からは程遠い存在であるかもしれない。しかし、少なくとも、一般的には、アメリカのポップ・パンク、ハードコアシーンを語る上では、上記のマイナースレートと同等、それ以上に重要視されているバンドだ。

 

ブラック・フラッグの音楽性は、きわめて苛烈である。表面的には、粗野な印象を受けるかもしれないが、ヘンリー・ロリンズの紡ぎ出す表現の思索性、そして、このバンドサウンドの中核をなす、グレッグ・ギンのソリッドなギター。これは、外側においての攻撃性の放出をしようというのでなく、内面に渦巻く暗いもうひとりの自己とのたゆまざる格闘を音楽という領域で試みようとしているのである。えてして、近現代のラッパーは、他者とラップバトルを苛烈に繰り広げてみせるが、ヘンリー・ロリンズの繰り広げるそれは一貫して、内的な”もう一人の自己”とのラップバトルなのである。

 

彼等、ブラック・フラッグの名作としては、幾つか重要な作品がある。活動初期のレア・トラックを集めた「The First Four Years」も捨てがたいが、端的にこのバンドの良さが理解できるオリジナル・アルバムとして、まず、彼等のデビュー作「Damaged」を挙げておきたい。

 

ここで展開されるオレンジカウンティ発祥のバンドと思えない暗鬱な雰囲気がある一方、ユーモラスな質感が込められているのも、このブラック・フラッグの音楽性の特長だ。一見すると、このアルバムジャケットは悪趣味なものにも見える。しかし、ここでは、映し出された鏡の中に映り込むもうひとりの自己、あくまでそれは表立った姿でなく、内面に映し出されたもう一つの自己の姿である。その姿を鏡越しに破壊するという哲学的なメタファーも、このアルバムジャケットにはあらわされているように思える。

 

ブラック・フラッグの楽曲自体は、グレック・ギンの生み出すソリッドなギターのフレーズ、そして、シンガロング性の強いシンプルなロックンロールを主体としながら、ロリンズの激烈なアジテーションが込められたボーカルスタイルが、ボクサーのジャブのように順々に繰り出されていく様は、痛快と言うしかない。そして、その奇妙な攻撃性こそ、ブラックフラッグの最大の魅力であり、これこそまさに”ハードコアの代名詞”ともいえ、誰にも真似しえないヘンリー・ロリンズのお家芸なのである。

 

 



シューゲイズ・ドリーム・ポップシーンはどのように変遷してきたのか?

 

1980年代のイギリスからはじまったシューゲイズムーブメント。Jesus And Mary Chain、Chapterhouse,My Bloody Valentine、RIDE、Slowdiveという際立ったロックバンドの台頭、またはミュージックシーンでの彼等の華々しい活躍によって、シューゲイザーというジャンルは今日まで多くのリスナー、ミュージシャンを魅了してきました。

近年、十年代のアメリカのインディーズシーンで一時的な盛り上がりを見せていたこのリバイバルの動きが活発になってきています。

2010年代から、ニューヨークには、Wild Nothingというバンドがこのジャンルを掲げて活動してきましたが、あくまで近年までは、一部のコアなファンを対象にしたディレッタンティズムのような見方をされていたように思えます。

ところが、さらに20年代に入ると、どうもミュージック・シーンの風向きが変わってきて、テキサスのリンゴ・デススターをはじめとする、ビルボードチャートの常連になりそうなアーティストが数多く出てきてます。どうやら、この動きは、”Nu Gaze”というふうに海外で称されてるらしい。

ここ、日本では、はっきりとしたムーブメントはなかったように思えるものの、ドリーム・ポップ寄りの音楽というのは、これまでに結構あって、元々は、スーパーカー、サニーデイ・サービスも日本語歌詞でこそあるけれど、このあたりの音楽に影響を色濃く受けたロック/ポップ音楽をやってました。

ここ数年、日本でも、”羊文学”や”揺らぎ”といったロックバンドをはじめ、シューゲイザー寄りの音楽を奏でるバンドが多くなって来ているような印象をうけます。

これから、インディーズだけでなく、メジャーシーンでも、シューゲイザー、ドリームポップのジャンルに属する有名なアーティストの台頭、リバイバル・ムーブメントが日本でも到来しそうな予感があります。今回、このシューゲイザー、ドリームポップというジャンルについて、簡単におさらいしておきたいと思います。

 

1.シューゲイズとは? 

 

そもそも、このシューゲイズ、シューゲイザーというジャンルは、80年代終わりのイギリスで発生したロック音楽のジャンルです。

一般に聞き慣れないこの語「シューゲイズ」の由来は、当時、上記のロックバンド、Jesus And Mary Chain、Chapterhouse,My Bloody Valentine、RIDE、Slowdiveが、きわめて内省的なステージングを行っており、基本的には、ミュージシャンが客席の方に視線を目を向けず、”ステージ上でうつむいて、自分の靴を見つめて演奏する”スタイルから、こんなふうに呼ばれるに至ったようです。

シューゲイズの音楽性としては、ギターの出音という側面において、他のジャンルとは明らかに異なる特徴が見受けられる。

ディストーションエフェクトを深く掛け、そして、その上に、アナログ/デジタルディレイのエフェクトを掛ける。そして、ディストーション・ギターの音を切れ目なく持続させることにより、音像をぼんやりさせる。そして、ギターのピックアップという部位に付属している”トレモロアーム”を活用し、音調(トーン)にうねりを生み、音の揺らぎのニュアンスを最大限に引き出す前衛的な手法を採ったわけです。以前は、ジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベックというアーティストが、このトレモロアームを頻繁に活用し、魅力的な音楽を生み出してましたが、演奏時に邪魔になるため、以前ほどは使われなくなり、八十年代のロック・ミュージックシーンで使用するミュージシャンはほぼ皆無でした。近年、このトレモロアームを使用するミュージシャンが徐々に増えてきているように思われます) 

 

つまり、この”シューゲイズ”というジャンルは、激しいディストーションによる轟音性というのが主な音楽性の特徴であって、時に、それは”レイヴミュージック”や”ユーロビート”のようなドラッギーな効果をもたらす音楽であるというように一般的には言われています。 

他のスタンダードなロック音楽よりもはるかにリズム性が希薄という面で、クラブ・ミュージック、取り分けアンビエントの雰囲気に近い。また、その轟音性という特徴において、”アンビエント・ドローン”の先駆けといえるかもしれません。この音楽は、当時、相当、前衛的だったといえ、八十年代のマンチェスターで流行したダンス・ロックムーブメントに飽きてきていた当時のイギリスの音楽愛好家達を魅了したことでしょう。そして、もう一つ、このジャンルの主要な特徴は、轟音フィードバックノイズの中に、甘く切ない陶酔感のあるメロディーがちりばめられていること。

この”甘く切ない旋律”というのが、シューゲイザー・オリジナルムーブメントを牽引したロックバンド、Jesus And Mary Chain、Chapterhouse,Slowdive、Ride、My Bloody Valentineの音楽性の主要要素でした。

そして、このシューゲイズの骨格をなす轟音フィードバックノイズの要素を取り払うと、聞きやすくて、シンプルで、親しみやすい、現在、アメリカのインディーズシーンで流行しているような気配が伺える”ドリーム・ポップ”という、ニューロマンティックに近い雰囲気の音楽が残るわけです。

この”シューゲイザー”というジャンルの中で有名なアルバムは、言うまでもなく、MY Bloody Valentineの「Loveless」1991でしょう。              


My Bloody Valentine 「Loveless」1991

この「Lovelless」という名作は、それまでのマンチェスターシーンのダンスロックを引き継いで、より現代的なアプローチを試みたという点で、非常に画期的な作品でした。長期的な視点でみたセールスとしては大成功を収めたけれども、どちらかと言うなら、瞬時にメガヒットを生み出したというよりか、徐々に、じわじわと、このバンドの作品の本質的な良さが広まっていった現象であったかと思える。そして、このアルバム、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、イギリスだけにとどまらず、世界のロックシーンの代名詞的存在として一般的に認知されるようになっていく。  

 惜しむらくは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、この「Loveless」という作品をリリースした後に、長らくシーンから遠ざかり、表舞台から完全に姿を消してしまった。そして、実に、二十二年という長年月の沈黙を破り、2013年の「mbv」で、華々しく復活を遂げるまで、長期間、このシューゲイズ・ムーブメントで最も欠かさざるピース、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインという存在を欠いたまま、イギリスのミュージック・シーンは、空転したような状態で後代に流れていく。

そして、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、実に、謎に包まれたような神秘的な存在となり、コアなロックファンによって、年代を経るごとに神格化されていった感がある。このあたりに、このシューゲイズという音楽に対して渇望を覚えていたロックファン、後発のミュージシャンに、このシューゲイズという”ジャンル”に対する心残りのような感慨を与えたのでしょう。

つまり、心ゆくまで、このジャンルを味わい尽くせなかった心残りのようなものが、それぞれの、当時の音楽ファン、そして、ミュージシャンにはあったようです。つまり、このシューゲイズというジャンルは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの「Loveless」以外においては、完璧といえる作品が出てくることがそれほどなかった。つまり、このジャンル自体が謎に包まれたまま、よくわからないままで、00年のミュージックシーンに突入していってしまったというわけです。


2.マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの後の世代

 

そして、オーバーグラウンド、もしくは、メインストリームの音楽の流行という側面において、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、通称”マイブラ”の長い不在は、このジャンルの一般的な拡がりを抑制したといえるかもしれません。

その後、”Ride”と”Slowdive”というシューゲイズを代表するロックバンドが、マイブラが表舞台に姿を見せないでいる間、イギリスの音楽シーンで気炎をあげるというような状態でした。

しかし、この2つのバンドも、リアルタイムでは、一時的なシューゲイズムーブメントが落ちついてから、Rideは、96年に、Slowdiveは、95年のアルバムリリース後に、実質的な活動休止状態に至る。また、メンバーを入れ替えながら苦心して活動を続けていた”Pale Saints”というドリーム・ポップ寄りのロックバンドも、94年のリリース後、解散状態となる。これらの事実からみると、一度目のシューゲイズ・ムーブメントは、”1995年前後””で一度衰退したという見方が妥当かもしれません。

しかし、このシューゲイズというジャンルは、確かに、大きなブリットポップのようなムーブメントとしては成長しなかったものの、インディーシーンのコアなファン向けのジャンルとしてひっそりと残り、地下に潜り、独自の発展を遂げていく。一般的には、95年から00年代には完全に衰退した、過去の音楽のように見なされていたかもしれない。

 

2000年代から、このシューゲイズ/ドリーム・ポップの再興が起こり、21年現在のアメリカでのムーブメントへの足がかりを着々と形成する。その事の起こりというのは、意外にも、シューゲイズという音楽を生み出した聖地の英国でなく、他のヨーロッパの地域、アメリカだった。

このあたりの年代、つまり、2005年前後から往年のシューゲイズバンド、マイブラ、スローダイブ、ライドに強い影響を受けたロックバンドが世界各地のインディーズ・シーンで台頭してくるようになります。

 

前置きが長くなってしまいましたが、以上が、英国で発生したオリジナル・シューゲイズシーンのあらましです。

 

今回の記事は、一度は完全に衰退したように思えたこの2000年代、シューゲイズというジャンルが見向きもされなかった時代、流行とは全然関係なく、このジャンルを旗印として掲げ、今日のドリーム・ポップ、ベッドルーム・ポップに、音のバトンを引き継いでいった魅力的なロックバンドを紹介しておきます。 

 

 

シューゲイズ・リバイバルの名盤 

The Radio.Dept 「Pet Grief」 2006

 

 

 

1.It's Personal

2.Pet Grief

3.A Window

4.I Wanted You to Feel the Same

5.South Slide

6.The Wost Taste in Music

 

九十年代のシューゲイズブームは終焉した、もうあのような音楽は鳴り響かないであろう、と完全に思わせておいてから、2千年代に入ってから、このジャンルの再興が起こる。つまりこれがリバイバルと呼ぶべきもので、その流れの始まりは、世界的に散逸していて、どの地域から発生したと明確に断定づけることは難しいものの、一番早く、この流れを自分たちの元に見事に呼び込んでみせたのは、スウェーデンのレディオ・デプトというロックバンドだったでしょう。

彼等は、95年以降のマイブラ不在の時代の寂しさを埋め合わすべく台頭した頼もしい存在といえるでしょう。当時、すでに廃れたと思われていたこの音楽を大手を振ってやるのには相当な勇気が必要であったと思え、そういった面でもこのレディオ・デプトには大きな賞賛を送りたい。

シューゲイズリバイバルのお勧めの一枚目に取り上げる「Pet Grief」は、レディオ・デプトの鮮烈なデビュー作です。

ラディオ・デプトの音楽性としては、オリジナルのシューゲイズバンド、とりわけ往年のライドの持つクラブミュージックの要素が込められている。リズムマシーンの規則的なビートに、シューゲイズ的な要素である甘く切ないメロディーを散りばめ、見事にシューゲイズという音楽を復活に導いた作品。

同世代、アメリカ、ニューヨークのザ・ストロークスの後の期待のロックバンドとして華々しくデビューを飾ったニューヨークのIntepolのデビュー作「Turn On The Blight Lights」のような、冷ややかでダンディなクールさも滲んでいるあたりは、インディーミュージックの系譜にあると言えるでしょう。

まさに、このアルバムに展開されるのは、旧時代のシューゲイズとクラブミュージックをよりスタイリッシュ。この2つの要素を見事にクールに融合してみせたという側面で、このレディオ・デプトの方向性には、いかにも00年代のロックの音楽らしい特徴があるといえるはず。また、後のBlack Marbleのような宅録シンセ・ポップの台頭を予感させるような時代に先んじた音楽です。

この後、レディオ・デプトは、次作のスタジオ・アルバム「Climbing to a Shame」で世界的な知名度を得るに至る。この鮮烈なデビュー作「Pet Grief」には、既に、そのヒットの理由がこのアルバムの中に垣間見えるよう。2000年代中盤のシューゲイズ・リバイバルの動きを語る上では絶対欠かすことのできない鮮烈的なマスターピースです。名曲「The Worst Taste in Music」収録。 

 

Amusement Parks on Fire 「Out Of The Angels」 2006

 

 

  

Disc1

1Out Of the Angels

2.A Star Is Born

3.At Last The Night

4.In Flight

5.To the Shade

6.So Mote It be

7.Blackout

8.Await Lightning

9.No Lite No Sound

 

Disc2

1.The Day It Snowed

2.I Think of Nothing

3.City of Light

4.Alafoss Exit

5.Solera la Reina

6.Motown Ritual

7.Back to Flash

  

アミューズメント・パークス・オン・ファイヤーは、2006年にデビューしたイギリスのポストシューゲイズのロックバンドです。

彼等のデビュー作「Out Of The Angels」のアルバムジャケットには、日本語の文章「見かけの大きさの変化」という言葉が、特に、なんの脈絡もなく使われていて、レコード店で購入した時には日本のバンド??と最初勘違いしていましたが、改めていうと、イギリスのロックバンドです。

上記のラディオ・デプト比べると、シンセ・ポップ的な要素はほとんどなく、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン直系のストレートなロック・バンドとして挙げられるでしょう。シューゲイズの欠かさざる要素、歪んだディストーションギター、そして、トレモロアームでのトーンの揺らぎの魅力を限界まで引き出した痛快なロックンロール。

楽曲のポップセンスというのも抜群に秀でており、特に、このアルバムの四曲目に収録されている「In Flight」は、シューゲイズというジャンルきっての名曲と銘打っても何ら差し支えないでしょう。また、このバンドの中心的なメンバー、マイケル・フィーリックの浮遊感のあるボーカルの妙味は、リアルタイムのマイブラ、ライド、スローダイブの音楽を経たからこそ生み出し得るキラキラした質感がある。

意外と上記のラディオ・デプトに比べると知名度としていまいちのように思えますけれども、非常にかっこよい正統派のシューゲイズバンドとして、再評価が待たれる良質なロック・バンドのひとつです。しつこいようですが、あらためて、もう一度だけ言っておくと、イギリスのロックバンドです。

 

Asobi Seksu 「Citrus」2007

 

 

  

1.Everything Is On

2.Red Sea

3.New Years

4.Goodbye

5.Lions And Tigers

6.Nefi + Girly

7.Exotic Animal Paradise

8.Mizu Asobi

9.All Through The Day

10.Strawberries

11.Thursday

12.Strings

13.Pink Cloud Tracing Paper

 

Asobo Seksi、アソビ・セクスは、ウチダテ・ユキ(Vo.Key)を中心として、ジェイムス・ハンナ(G)、グレン・ウォルドマン(B)、キース・ホプキン(Dr)によって、2001年にニューヨークで結成されたロックバンド。 

2000年代で最も時代に先駆けたシューゲイザー/ドリーム・ポップムーブメントの立役者とも言える存在。十数年前から個人的に作品をチェックし続けていた思い入れのあるロックバンドです。

音楽性においては、シューゲイズという枠組みには囚われない、幅広いジャンルを内包するバンド名からは想像できないような真摯さを持つロックバンドといえるでしょう。

アソビ・セクスのデビュー作「Asobi Sekus」では、轟音性の強い荒々しいシューゲイズ寄りの音を特徴としていた。そして、他のバンドにはない要素、女性ボーカルの独特なポップセンスがこのバンドの強みといえるでしょう。

このデビューアルバムの内ジャケットには、古い日本の時代の街の写真、あるいは、日本人学生の古いアルバム写真が挿入されている。驚きなのは、ライナーノーツの日本語の殴り書きには、ちょっと儚げで危なげな感じの文言が見られること。しかし、この危っかしい感じこそ、ロックになくてはならない要素であるというのは、往年のロックファンの方には理解してもらえるだろうと思います。 

1stアルバムもかなり良い曲が多いです。「Soon」や「Walk on the Moon」といった名曲に代表される、シンセサイザーの音を生かし、そこに、この日本人、内館さんの美麗な高音域の強いボーカルが添えられるあたりが、このバンドの他では味わえない音楽の主な特色といえるでしょう。何かしら切なげで哀感が込められていて、同時に、力強さもまた感じられるのが彼女のボーカルの特質であり、引いてはこのロックバンドの美質でもある。そして、彼女のシンセサイザーの演奏というのも、このバンドのドリームポップ感、夢見がちな世界観を強固にしている。

そして、二作目「Citrus 」は、よりポップパンドとして前進し、より素晴らしく成長したような印象を受ける。ギターのサウンドプロダクションがクリアになったせいで、バンドとしての方向性というのもより理解しやすくなった印象を受けます。

もちろん、シューゲイザーバンドとして、トレモロギターのトーンの揺らぎという要素を踏襲した上で、ユキ・ウチダテの独特なドリームポップワールドがさらに往年のシューゲイズの要素に加わったといえるでしょう。

そこはかとなく、往年の日本のアイドル・ポップに近い音楽性も込められているように感じるのは、おそらく彼女の幼い頃のアメリカへの移住、日本という国に対する淡い慕情があるからかもしれません。

それは、このアルバムに収録されている「Lions And Tigers」や「Thursday」といった珠玉の楽曲によって証明されているはず。

また、「Red Sea 」「Pink Cloud Trasing Paper」といった楽曲は、2000年代の作品ではありながら、シューゲイザーのドン、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの名曲に匹敵するほどの出来映えといえるでしょう。

近年、アコースティック・ライブ作品「Rewolf by Asobi Seksu」2009のリリースによって、アメリカのインディーズ・シーンで大きな注目を集めているバンドです。これからも、ウチダテさんには、シューゲイズシーンの中心的な日本人アーティストとして頑張っていただきたい所です。 

 

The Reveonettes 「Raven In the Grave」2011

 

 

 

1. Recharge & Revolt

2.War In Heaven

3.Forget That You're Young

4.Apparitions

5.Summer Moon

6.Let Me on Out

7.Ignite

8.Evil Seeds

9.My Time's Up


いかにも全部のバンドを知ってますという顔をして、この記事を書き綴っていますが、正直、ここだけの話、この”レヴォネッツ”というバンドだけは長い間知らなくて、つい最近、偶然見つけた素晴らしいシューゲイズ・ロックバンドです。

レヴォネッツは、シャリン・フー、スーン・ローズ・ワグナーによって、デンマーク、コペンハーゲンにて結成され、2002年から作品リリースを続けており、近年まで北欧シューゲイズシーンを牽引しています。

もし、仮に、このレヴォネッツに、他のシューゲイズバンドと異なる特色を見出すとするなら、デュオという最低限の編成である弱点を宅録風ののアレンジ色を突き出すことにより、短所をすっかり長所に代えてしまっているあたりでしょう。そして、今回ご紹介する彼らの名作スタジオ・アルバム「Raven In the Grave」は、通算五作目となるスタジオ・アルバムとなります。

どちらかというなら、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインというより、チャプターハウス、ジーザス・アンド・メリーチェイン寄りのアプローチを感じさせる音楽性で、つまり、どことなくドリーミーでふわふわしたポップセンスが随所に感じられる作品。そして、そこに、スーン・ローズ・ワグナー、シャリン・フーの男女ボーカルがアルバム全体でバランスよく配置されています。

心なしか、往年のニューロマンティック、あるいは、ゴシックロックを思い起こさせるようなノスタルジックな雰囲気があり、もちろん、良い意味で、およそ2000年代のロックバンドとは思えない懐かしさが随所に感じられる。このなんともいえない古臭い感じは、むしろ現代の耳に新しく聞こえるように思えます。この男女のツインボーカル体制のドリーム・ポップバンドとしては、4AD所属のペール・セインツの音楽性を思い起こさせるような懐かしさがある。

思えば、この作品のリリースは、2011年ということで、のちに起こったシューゲイザーリバイバル、あるいは、ニュー・ゲイズ更にその先にあるベッドルーム・ポップの先駆けの音楽をいち早く、しかも、あろうことか、センス抜群に取り入れた驚愕すべき二人組ユニットです。本作品のデラックスバージョンも再発されたことから、再評価の機運が非常に高まっていると言える。いや、世界的にもっと評価されるべきシューゲイズバンドのひとつとして最後に挙げておきます。

 

 

追記 


この後の世代にも、非常に魅力的なシューゲイズ・シーンのロックバンドが数多く活躍しています。

特に、ここ日本でも、近年、さまざまなシューゲイズに影響を受けた素晴らしいバンドが輩出されている。そのあたりのバンド、もしくは名盤についてはまた機会を改めて特集していこうかと思っています。

 

 WEEZER

 

 

Weezerは、アメリカのオルタナティブ・ロックバンドとして母国だけではなく世界的なミュージシャン。

 

ピクシーズ直系のオルタナサウンドを踏襲した正統派のロックバンドといえ、グランジシーンの熱狂がまだ冷めやらぬ頃に華々しく登場し、現在まで華々しい活躍を続けている。元々は、アメリカよりも日本で人気を博していたことから、かつてのチープトリックを彷彿とさせるようなバンドでしょう。

 

元々は、オルタナティヴとパワー・ポップを融合したような親しみやすい音楽性、そして内省的ではありながらギターのディストーションを強調した轟音サウンドが特徴。そういった面ではニルヴァーナとはまた異なるアプローチで、ピクシーズサウンドを推し進めたバンド。すでに一度、途中、三作目のグリーンアルバムで、オリジナルメンバーのBa.マット・シャープが脱退し、その後スコット・シュライナーが加入、現在のラインナップとなる。その後は、今日まで安定感のあるリリースを行っている。

 

2021年に「Van Weeezer」をリリースし、今、まさに旬なビックアーティストといっても良いはず。

 

バンドのフロントマン、リバース・クオモは日本に縁の深い人物で、ここ日本でもデビュー当時から多くのファンを獲得、根強い人気を誇る。

 

ウィーザーは、どことなく日本の歌謡曲などにも通じるような音楽性を有し、日本人の心の琴線にふれる音を奏でる素晴らしいバンドであることは疑いなし、ここで、あらためて彼らの活動初期の作品を中心に名盤をピックアップおきましょう!!

 

 

 

「Blue Album」1994


 

仮に、グランジムーブメントがコバーンの死によって終焉を迎えたとするなら、そのシーンの流行の合間に実に折よく登場したオルタナバンドがウィーザーという存在でした。 本作「Weezer」は、いかにもオルタナという感じのピクシーズ直系のポップ性が感じられる鮮烈的な傑作となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 TrackListing

 

1.My Name Is Jonas

2.No One Else

3.The World Has Turned Out And Left Me Here

4.Buddy Holly

5.Undone - The Sweater Song

6.Surf Wax America

7.Sai It Aint't So

8.In The Garage

9.Holiday

10.Only In Dreams

 

ウィーザーのデビュー作、通称「Blue Album」は、一曲目の「My Name is Jonas」からして、往年のロックンロール、バディー・ホリー、エルビス・コステロ、そして、その後のビック・スター、ザ・ナックといった名パワーポップ・バンドにも引けを取らない楽曲がずらりと並んでます。

 

そして、PVにおいてのアメリカン・グラフィティ、そして、ニルヴァーナの「In Bloom」のパロディ的な融合といえる「Buddy Holly」も、オールディーズ風で、ポップ性に飢えていた当時の市場のニーズに上手く応えた傑作といえる。

 

「Surf Wax America」の美しいギターのクリーントーンのアルペジオというのは、リバース・クオモのクラシックピアノの演奏者としての蓄積があるからこそ出てきた名曲。いわゆる静から動への劇的な移行というのはグランジと共通した特徴を持ち、この音楽性が大衆に受け要られた要因といえる。

 

「In the Garage」でのリバース・クオモにしか醸し出すことの出来ない内省的なエモーショナルサウンドというのも魅力的といえる。また、ラストトラックのマット・シャープのシンプルで渋いベースラインが印象的な「Only In Dreams」も、ピクシーズに比するポップ性、そして、このバンドとしては珍しく八分近い大作であり、アウトロにかけての激情的な壮大な展開力というのも聞き所です。

 

今作「Blue Album」には、何十年経ってもいまだ色褪せることのない、パワーポップのみずみずしい輝きが宿っています。

 

 

「Pinkerton」1996  

 


日本の浮世絵をモチーフにしたアートワークが印象的な2ndアルバム。リバース・クオモのジャポニズムへの憧憬がここに刻印されている。

 

 

 

 

 

 

 

Tracklisting 


1.Tired Of Sex

2.Getchoo

3.No Other One

4.Why Bother?

5.Across The Sea

6.The Good Life

7.El scorchomj

8.Pink Triangle

9.Falling For You

10. Butterfly


本国アメリカよりも日本でセールスが堅調だった作品で、彼等の良質なポップセンスの妙味は前作よりもこちらのほうがよく感じられるでしょう。

 

彼等がかつてなぜ「泣き虫ロック!?」の異名をとったのかは当該アルバムを聴けば理解してもらえるはず。このアルバムにはデビュー作とは異なる歌曲としての泣きの要素が満載の作品となっています。

 

「Tired of Sex」ではムーグシンセサイザーの使用、そして、デビューアルバムの轟音性とオルタナ性を引き継いだ楽曲。

 

名曲「Across The Sea」では、落ち着いたパワーポップでありながらウィーザー独特のオルタナ風味とうべきか、艶気のあるエモーションによって彩られていて、非常に歌詞とともに切ない青春を思い起こさせる。

 

「El Scorcho」での気楽で陽気なポップソングとしての魅力は、その後の彼等の活動の重要な音楽性の中核を形作ったといえる。

 

また、「Pink Traiangle」はウィーザー節ともいえる泣き満載で、レズビアンのことについて歌われているセンシティブなところのある楽曲で、恋愛ソングの一つとして数えられるが、日本の歌謡曲に対する親和性も感じらるのが興味深い点でしょう。

 

ウィーザーの初期の重要な音楽性を形成していたベーシスト、マット・シャープは、このアルバムを期に脱退し、ザ・レンタルズを結成。



「Green Album」2001

 

 

前作のパワーポップ性をさらに追求していき、良質なギターロック・バンドとしての道を歩み始めたウィーザー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 TrackLisitng

 

1.Don't Let Go

2.Phtograph

3.Hash Pipe

4.Island In The Sun

5.Crab

6.Knockdown Dagout

7.Smile

8.Simple Pages

9.Glorious Day

10.O Girlfriend

 

初期三部作としてはこの作品で一つの音楽性の終焉を迎え、次のステップに進んでいった印象を受ける、いわば彼等の活動の分岐点をなした作品。

 

パワーポップバンドとしての真骨頂、そして、彼等の随一の名曲「Photograph」でのキャッチーさ、ポップ性の高さというのは未だ色褪せない。ウィーザーをワールドワイドな存在としたのは、この曲とアイランドインサンの2曲を書いたからといってもいいはず。誰が聴いても良さを感じられる人を選ばず、癖のないロックソングの王道。

 

「Island in the Sun」は世界的な大ヒットを生み出した曲で、これまでの音楽性からすると、力の良い具合に抜けたギターロックに挑戦していて、彼等の落ち着いた進化を伺わせる名曲ということができるはず。ギターをはじめて間を経ずとも、なんとなくコピー出来てしまう曲として有名です。

 

1st、2ndアルバムでの轟音ロックとしての魅力は物足りない部分を感じさせるかもしれませんが、良質で落ち着いたギターロック・アルバムの金字塔。  



「White Album」2016 

 

 

一時期、ハードロック路線、メタル、またはクラブミュージック路線を追求していたウィーザーが原点回帰をはたしたようなアルバム。

 

彼等の良質なポップ性というのはいまだに失われていなかったと全世界に証明してみせた作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 TrackListing

 

1.Calfornia Kids

2.Wind in Our Sail

3.Thank God For Girls

4.(Girl We Got A) Good Thing

5.Do You Wanna Get High?

6.King Of The World

7.Summer Elaine and Drunk Duri

8.L.A.Girlz

9.Jacked Up

10.Endless Bummer


しかし、一巡りしてまた同じところに戻ったかという訳ではなく、現代のロックバンドとしての新たな進化もまた如実に感じられる。

 

「Calfornia Girl」では、「これぞ、ウィーザー!」とも言える楽曲で、かつてのパワーポップ性をよりパワフルにして蘇らせた名曲です。

 

また、同じように、「L.A.Girlz」での掴みやすい、切なさ、泣き感フレーズ満載の音楽性というのも、デビューアルバムのみずみずしさを取り戻したような雰囲気、この楽曲は往年のファンを唸らすだけでなく、新しいファンを獲得する要因ともなったはず。

 

また、そういった原点回帰としての音楽性も込められながら、「I Love the USA」では、現代のロックバラードとしての当時の最先端を追求した楽曲。このあたりのクラブ・ミュージックを経たからこその音楽性というのもまたいかにもウィーザーらしい進化の仕方といえるかもしれません。

 

本作「White Album」は、彼等四人の音楽に対する深い愛というのが感じられる作品で、聴いていると心がほんわかしてくる不思議な力のある作品。

 

 さて、いまだ衰えというのを見せないウィーザーの快進撃!! これからどのような名作を誕生させてくれるのか? このアルバムを聴けば、その期待感はいやますばかりだ。

エモとは一体何なのか?

イリノイ州にあるアメリカン・フットボールの1stアルバムのジャケットのモチーフになった物件  2023年にレーベルとバンドが共同で購入した



1.エモの語源

 

近年、”Emo”という言葉、概念は、多岐に渡るジャンルに適用されるようになってきたように思えます。90年代、00年代に入ってから、Jimmy Eat World,My Chemical Romance、The Used、Taking Back Sunday、Motion City Soundtrackと、オリジナル・エモの後にシーンに登場したバンドの活躍により、ロックのジャンルとして一般的に認知されるようになりました。以後も、ミュージック・シーンにおいて、"エモ"という音楽は、他のメタル・コアや、メロディック・パンク、ポップス/ロックに上手く溶け込んでいったような印象を受けます。


そもそも元を辿ってみれば、エモの語源は”Emothional Hardcore”に求められる。これは、すでにDIYの記事でも述べたとおり、当初、1980年代のワシントン・DCのハードコア・バンドの激烈な音楽の中に滲んでいたエモーションを、当時のアメリカの音楽評論家が端的に指摘したものであっただろうと思われます。それが、1990年代、2000年代に入り、本来の意味がどんどん押し広げられていき、欧米の若者のサブカル的な生活としてごく一部に定着、ファッション文化を明示するまでに至った。近年では、インディーズ音楽という意味の使用法だけにはとどまらないで、広い範囲でこそないものの一般的に浸透しつつある言葉のように思えます。

 

翻ってみれば、この”エモ”という言葉の叙情性の持つ意味の中には、複雑で奥深い概念が宿っているのに気付かされます。それは、数式や科学では容易に解きほぐせない人間の感情のあやとでも言うべきでしょう。もっといえば、このエモという概念は、叙情性の内側にある人の生き方や価値観に根ざした感情の類であり、——青春、切なさ、若者特有の青臭さ、往年のオリジナルパンクロックにも比する衝動性——こういった概念が込められているように思えます。


これらの”エモーション”という概念からもたらされる不可解な感覚、切なく、甘酸っぱいような感覚、内省的な感情というのが、エモという概念のはじまりで、本当の意味というべきなのです。

 


2.エモーショナル・ハードコアの始まりは?

 

エモという言葉を音楽の範囲において語る際には、まず、はじめにその音楽の始まりというのを追っていくべきです。そもそも、エモのジャンルの源流は、ワシントンDCのハードコアバンドに求められます。改めて説明させてもらいますが、Minor Threat(マイナー・スレット)の中心人物であるイアン・マッケイが主宰するワシントンDCのインディペンデントレーベル、”Discord”レーベルには、オールドスクール・ハードコアバンドのリリースが専門に行われていました。徐々にそのムーブメントは、ニューヨークやロサンゼルスにも波及し、先鋭化し、政治的になり、ときに、宗教、思想めいて、ライブ自体も暴動寸前の様相を呈してくるようになりました。しかし、これはバズホールでのバンドのライブの映像を観ると分かる通り、必ずしもバンドが意図したものではなかったようです。


この辺りの音楽の上の堅苦しさに反抗するような存在となったのが、マッケイと”Fugazi”を結成するガイ・ピチョトーでした。  ガイ・ピチョトーは、Rite of Spring、One Last Wish、といったロックバンドで中心的な役割を担い、その後、イアン・マッケイとFugaziを結成、ワシントンDCのインディー・シーンの最重要人物となる。そして、このフガジの反商業主義の活動はのちのインディーズシーンの活動形態の母体を作ったのです。自前のインディペンデント・レーベルから作品を独自にリリースし、ハンドメイドのフライヤーの広告を作製し、公園、大学の構内においてのライブ、あるいは、音楽スタジオでの数十人という少人数規模のパフォーマンスといったスタイルが、以後のエモコアバンドの活動形態の基礎を形成していくようになる。これは、例えば、U2に代表されるようなアリーナでの大規模な商業主義の公演とは異なり、世界中のインディー界隈のグループの活動形態の伝統性となって現在に引き継がれている特質です。


上記2つのハードコアバンドの音楽性の中には際立った特徴があり、ハードコア・パンクの無骨な音楽に、叙情性、激烈なエモーション性を孕んでいた。そして、後のスクリーモというジャンルのボーカルの激烈に叫ぶスタイルの萌芽も、これらのバンドの音楽性の中に見受けられる。”激情性の中にある抒情性”がエモという音楽の出発点であるとともに俗説となっています。


特に、ガイ・ピチョトーが在籍したバンド、Rite of Spring(ライツ・オブ・スプリング),One Last Wish(ワン・ラスト・ウィッシュ)は、ワシントンDCのハードコアバンド、後のエモーショナルハードコアに重要な影響を及ぼしています。特に、One Last Wishの「Loss Like A Seed」、「Three Unkind Silence」、「One Last Wish」といった楽曲には、エモーショナル・ハードコアの萌芽が垣間見えます。


このバンドの音楽性に触発を受けたMinor Threatのマッケイは、同時期、”Embrace”というハードコア・バンドを結成する。しかしエンブレイスは、セルフタイトルアルバム一作で解散しています。活動期間が短く、ほとんど幻のようなバンドであったにもかかわらず、この唯一のスタジオアルバムに収録されている「Money」は、反商業主義への嫌悪を高らかに宣言したトラックです。このあたりのロックソングも、後の"エモ"というジャンルの基礎を形作ったといえる。


また、ワシントンDCから離れ、アメリカ中西部のミネアポリスでも、エモの先駆けともいえるパンクサウンドが隆盛をきわめる。ボブ・モールドは、Husker Duとして活動し、ミネアポリスの80年代のインディーシーンをリプレイスメンツと共に牽引した。特に、インディーロックシーンに与えた影響の大きさという面で、Husker Du(ハスカー・デュ)という存在は、見過ごすことができないでしょう。


Husker Duこそ、ワシントンDC、および、LAのハードコアパンクとは異なる独特な叙情性、つまり、エモーションを擁しているバンドなのです。最初期は、ハードコアバンドとして台頭したHusker Duではあるが、徐々に、アメリカン・ロック、あるいは、AORに近い大人のロック・バンドとしての表情を見せるようになり、メロディー性を前面に出していくようになった。もちろん、ザ・リプレイスメンツもハスカー・ドゥと同じ流れにあるパンクロックバンドです。


アメリカン・ハードコアとしての最初期の音楽性から劇的な様変わりを果たし、その後、アメリカンフォークとしての音楽性を特色としていくようにると、、その後、このザ・リプレイスメンツのの中心人物、ポール・ウェスターバーグは、アメリカンインディー・フォークの名物的なミュージシャンとなる。少なくとも、このアメリカ中西部にあるミネアポリス周辺のインディーロックバンドの音楽性は、シカゴ界隈の音楽シーンとも関わりを持ちつつ、ワシントンDCとは別軸で、"エモ"の重要な土台と以後のシーンの足がかりを作り、90年代以降、カルフォルニアのオレンジカウンティを中心に発展していく"スケーター・パンク"の素地を形成しました。 

 

 

3.エモの発祥と発展

 

これまで語ってきたエモーショナル・ハードコアというのは、あくまで狭い意味でのハードコアパンクの一ジャンルとしての手狭な内在的な要素でしかなかったことは理解してもらえましたか?


ところが、1989年になって、 新たな音楽性を掲げるロックバンドが台頭する。そして”エモ”というジャンルを更に先の時代に進めていく。それがこの”エモ”というシーンを、1990年代から現在まで最前線で牽引しているマイク・キンセラ擁する、イリノイ州シカゴの"Cap 'n Jazz"というロックバンド。そして、このバンドのフロントマンは彼の兄であるティム・キンセラです。現在二人は、ソロアーティストとしても活動、そしてデュオ、LIESとしても活動しています。

 

*上の記述に誤りがありましたので訂正しておきました。ーー誤 Nate(ネイト)正 Tim(ティム)となりますーー




 

Cap 'n jazzの音楽性には、同時期にポスト・ロックを発生させた"シカゴ"という土地の風合いが深く浸透しています。Cap 'n Jazzは、このミュージカルやジャズで名高いシカゴという都市の多種多様な音楽性を孕んだバンドで、エモだけでなく、ポスト・ロック/マス・ロックを語る上でも軽視出来ません。 

 

Cap 'n Jazzの基本的な音楽性としては、メロディック・パンクの疾走感、爽やかさ、青臭さを表立った特徴とし、そこには同地のバンド Tortoise(トータス)との共通点もあり、フォーク、アバンギャルド・ジャズ、ポスト・ロックの要素も感じられる。Cap 'n Jazzがインディーシーンで後に最重要視されるようになったのはサウンドの前衛性は当然のことながら、バンドサウンドに、金管楽器を導入したからでしょう。この音楽性は、1990年前後という時期にしては時代に先んじていました。バンドの功績というのは、その後のポスト・ロックやエモ・コアの音楽性の中に、金管楽器や木琴楽器の音色を取り入れる契機を作ったことにあるでしょう。


それまでのロック・バンドの主流であったギター、ベース、ドラムという基本的な構成にくわえ、補佐的な楽器の音色を楽曲のアレンジメントに取り入れるという前衛的な要素は、意外にも、後のポスト・ロックのサウンドの特徴と共通する部分でもある。サックスやマリンバなどのジャズ楽器をロック音楽の中に積極的に取り入れたのが画期的な息吹をロックシーンに呼び込みました。


そして、この流れは2000年代に入ると、金管楽器や木琴楽器をロックサウンドに取り入れるのはそれほど珍しいことではなくなりました。あらためて、このあたりの経緯を再考してみると、エモコアとポストロックという両音楽は全然関係ないように思えて、その実、シカゴという土地の中で密接に関わり合いながら発展していったジャンルのように思えます。惜しむらくは、キャップ・ン・ジャズの活動期間が短かったことでしょう。実験的なロックバンドとしての鮮烈なイメージを与えることには成功したものの、線香花火のようにパッと一瞬にして活動を終えた名バンドの一つでした。


Cap 'n Jazzは、EPのリリースを数作、スタジオアルバムとしては、”Jade Tree”から「Analphabetapolothology」をリリースしただけで解散しています。しかし、このロックバンドは、正真正銘の実験音楽としてのロックサウンドを体現した重要なグループとして、アメリカの90年代以降のインディーズシーンを語る上で必要不可欠です。なぜなら、Cap 'n Jazzから、American Football、Promise Ring、Jane of Arcと、伝説的なバンドが分岐していったからです。。スタジオアルバム「Analphabetapolothology」に収録されている「Little League」「In The Clear」は、サウンド面での荒々しさこそあるが、エモの黎明を高らかに告げています。


  

4.オリジナル・エモの幕開け

 

ワシントンDC,イリノイ州界隈のエモーショナル・ハードコアバンドが活躍した時代を、仮に”第一次・エモブーム”と定義するなら、その新しいウェイヴは、90年代半ばになって最高潮を見せる。これは、この二地域の局地的なムーブメントーーごく一部のマニアしか着目していなかったムーブメントーーが、おおよそ数年を掛けて、アメリカ全土へ普及していきました。


90年代の早いエモのロックバンドとしては、意外にも、シカゴではなく、シアトル近辺で活躍したSunny Day Real Estateが挙げられます。Sunny Day Real Estateは、同郷、シアトルのサブ・ポップからリリースを行っている。ベーシスト、ネイト・メンデルは、Nirvanaのカート・コバーン亡き後、ドラマーのデイヴ・グロールと共にフー・ファイターズを結成、アメリカを代表するロックバンドとして活躍。2024年現在、再結成を果たし、新曲をリリースしました。


Sunny Day Real Estateのデビュー作「Diary」1994は、最も早い時代のエモの名盤として知られています。 1991年、デラウェア州に、”Jade Tree”というメロディックパンクやエモを専門とするインディペンデント・レーベルが立ち上がり、エモ・ムーブメントの地盤を着々と築き上げていくようになります。ジェイド・ツリーはKids Dynamite、LIfetimeといった良質なメロディックパンク・バンドのリリースを行いました。他方、エモを発生させたシカゴでは、Braidというバンドが、95年前後にかけて起きたエモブームに先駆けて、大きな人気を獲得していた。ブレイドは、このエモの幕開けの時代に人気があり、2000年代に来日公演を行っています。アリーナほどの規模ではないにしても、割と大きな収容人数のライブ会場で演奏するロックバンドで、アメリカン・フットボールも憧れの存在でした。


そして、このシカゴから、Cap 'n Jazzの主要メンバーが複数のバンドを結成し、この90年代のムーブメントを先導する。キャップ・ン・ジャズに在籍していたマイク・キンセラは、American Football、Owenを結成し、重要なアーティストとなります。一方、ギター・ボーカルとしてキャップ・ン・ジャズに在籍していたデイヴィー・フォン・ボーレンは、このロックバンドの解散後、The Promise Ringを結成し、一部の愛好家の間で、カルト的な人気を博しました。


今、最初のエモムーブメントをあらためて再考してみると、これは、R.E.Mをはじめとするカレッジ・ロックを発生させたアメリカらしいムーブメントといえるかもしれません。そして、エモというのは、若い世代を中心に広がっていったジャンルであることは疑いがないようです。特に、当時のイリノイの大学生に熱狂的なファンが多く、シカゴ周辺の地域の若者たちが中心となって盛り上げていったムーブメントです。


やがて、この第一次エモ・ムーブメントは、95年前後に全米各地に及び、最盛期を迎え、無数のインディー・ロックバンドが、全米各地で台頭しはじめた。この後「Bleed American」でのセールス面での大成功によって、アメリカを代表するロックバンドへと成長するJimmy Eat Worldを筆頭に、Ataris、Saves The Day、Get Up Kids、Mineral、ニューヨークのJets to Brazilまで、アメリカの西海岸、東海岸全体に渡って、エモムーブメントは徐々に広がりを見せ、音楽文化として認められるに至った。


もちろん、アメリカで最も影響力のある音楽サイトとして成長した「Pitchfolk」の台頭も、このジャンルの隆盛を背後で支えていた。それから、実際、ロックバンドとしても多くの魅力的なグループが多く登場するようになり、それは「スクリーモ」という新たな音楽ジャンルを発生させた。


この語をはじめて、どの音楽誌がいいはじめたのかは寡聞にして知らないものの、エモーショナルであり、絶叫系のボーカルを特徴とした音楽、つまり、「エモーースクリーム」という語をかけ合わせた造語が、この「スクリーモ」と呼ばれるジャンルです。


この後、二千年代のThe Used、My Chemical Romanceといったスクリーモ・ムーブメントは、音楽自体の掴みやすさ、痛快なポップ性により、商業的に成功を収め、世界的に「エモ」という語を普及させる役割を担った。2000年代半ばを過ぎると、エモは、90年代からのムーブメントの終焉を迎えたように思えます。その間、台頭したロックバンドの総数こそ、凄まじい数に上ると思われるものの、90年代半ばから00年にかけて、オリジナル世代のバンドは、Jimmy Eat World以外は、メインストリームで活躍するバンドは、それほど多くは出てこなかったような印象がある。


ところが、2010年代あたりから、エモ・ムーブメントが再燃するようになっています。エモを生んだ中西部から、続々と勢いあるエモバンドが多く出て、"Midwest emo"と称されるように、Algernon Cadwallder、Snowing、Midwest Penpals、といった”エモ・リヴァイバル”と称されるロックバンドがインディーズシーンに再度台頭し、シーンは賑わいを見せる。これらのバンドの多くが、最初期のエモコアムーブメントと同じように、スタジオライブを基本的な活動の主軸としています。

 

2020年代に入ると、このエモというジャンルのフォロワーにはインディーズバンドよりも、オーバーグラウンドのポップアーティストがその影響を公言していることが多い。例えば、イギリスのポップシーンをリードするPinkpantheressは若い時代エモであったことを明かし、このジャンルからの影響を受けたことをApple Musicのインタビュー内で明かしています。今後はアンダーグラウンドシーンにとどまらず、オーバーグラウンドのポピュラーアーティストなどにこのジャンルに触発されたミュージシャンが増加していくかもしれません。今や、エモはインディーズミュージックではなく、メジャーなジャンルとなったという見方が妥当かもしれません。





5.Original Emo Essential Disc Guide (オリジナル・エモの傑作選)

 

1.Get Up Kids 

「Something to Write Home About」 1999



 


日本でもエモ:ムーブの火付け役となったカンサス・シティのロック・バンドの代表的な作品。


デビュー作「Four Minutes Mile」での前のめりな焦燥感、そして、どことなく青春の甘酸っぱさを感じさせるバンド。元々、活動初期は荒削りなところのあるエモ・バンドだったが、徐々に洗練された渋みのある良質なアメリカン・ロックバンドに変身を果たす。


パンク・ロック寄りのアプローチという面では、「Four Minutes Mile」に軍配があがるが、完成度、洗練度、聞きやすさとしては、二作目のスタジオ・アルバム「Something to Write Home About」が最適といえる。そして、このアルバムこそゲット・アップ・キッズの日本での人気を後押しした印象がある。


この作品でゲット・アップ・キッズはアナログ・ムーグ・シンセを導入したという点で画期的な新風をロックシーンに吹き込んだ。親しみやすい楽曲が多く、エモの入門編としておすすめしたい。


ロボットの可愛らしいイラストを用いたアルバム・ジャケットもエモすぎる。そして、楽曲の面でもハズレ無しで、このアルバムの印象に違わぬ温かみのある良質なロックソングを聴ける。


ゲット・アップ・キッズの代名詞的な楽曲、「Holiday」「Red Letters day」「Valentine」。アコースティック・バラードの名曲「Out of Reach」が収録されている。

  


2.Jimmy Eat World 

「Bleed American」 2001

 


 


Jimmy Eat Worldのエモとしての名盤としては、デビュー作「Static Prevails」も捨てがたい。アルバム一曲目の「Thinking That's All」には、スクリーモというジャンルのルーツが垣間見えるような名曲である。


他にも、トラックリストを眺めているだけで、陶然とせずにはいられない曲目がずらりと並んでいる。「Clair」「World is Static」は、エモというジャンルきっての名曲である。


しかし、作品自体の知名度、ガツンとくるような掴みやすさという側面では、やはり「Bleed American」を避けて通ることはできない。


このアルバムには、ギターとして革新的な技法が見受けられる。それまで、六弦の半音下げというのはハードロックバンドでも使われていた。しかし、このBleed Americanでは、大胆にもギターの六弦のチューニングを、EからDにチューンダウンさせた”Drop D"という画期的なギターの演奏法を生み出したモンスター・アルバム。


Bleed Americanは、メロディック・パンクムーブメントを引き継いだシンガロング性の強い掴みやすさと、パワフルな爽快感がある。このあたりがジミー・イート・ワールドの最大の魅力といえるはず。


誰にでもわかりやすい形でのエモという音楽を提示したという点において、いまだこれを超えるエモコア作品は出ていないように思える。爽やかで、清々しい名曲が多く、なおかつまた、エモの叙情性と、アメリカン・ロックの力強さ、これらの対極にある要素が絶妙に噛み合った傑作と断言出来る。


ケラング誌では、アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得し、商業的にも、アメリカのビルボード・チャートで31位にチャートインし、エモバンドとしては最も成功を収めたアルバムとして名高い。


ジミー・イート・ワールドの名、エモというジャンルを最初にワールドワイドの存在に押し上げた歴史的傑作である。 名曲「Bleed American」「A Praise Chorus」が収録されている。 

 



3.Mineral

「The Complete Collection」 2010 

 



ミネラルは、テキサス州、ヒューストンの90年代のアメリカのエモシーンの中で最重要バンドといえる。セールス的にはJimmy Eat Worldほど振るわなかったものの、不当に低い評価を受けているバンドである。


どちらかといえば、ミュージシャンズ・ミュージシャンといえ、スタジオ・アルバムは二枚、活動期間も短いが、後のスクリーモに多大な影響を及ぼしたバンドである。クリス・シンプソンは、このMineralの解散の後、The Gloria Recordを結成し、エモコアシーンを牽引していく。


このバンドは、非常に叙情性の強い美麗なメロディーを特徴としており、そしてクリス・シンプソンの線の細いヴォーカル、少し舌足らずなボーカルは、日本のビジュアル系のような雰囲気もあって、このあたりは好き嫌いが分かれるところかもしれない。


しかし、このバンドのゆったりとしたテンポから生み出される静と動の劇的な展開力、そして、ツイン・ギターの繊細なアルペジオの絡み合いは、どことなく叙情的でピクチャレスクな趣がある。


オリジナル・アルバムとしては、名曲「If I Could」が収録されている「The Power Of the Falling」1997を推薦しておきたいところですが、彼等のもう一つの伝説的な名曲「Feburary」 が収録されていません。そのため、2010年、リイシュー版として発売されたベスト盤「The Complete Collection」を入門編としてまずはじめに推薦しておきたい。


2014年にミネラルは再結成し、今後の活躍に期待したいところです。新作EP「One Day When We Are Young」収録の「Aurora」は、ミネラルの新たな代名詞といえるような作品となっている。



4.Jets To Brazil 

「Perfecting Loneliness」 2002

 


Jet To Brazilは、カルフォルニアのJawbreakerというメロディック・パンクバンドで活躍していたブレイク・シュヴァルツェンバッハがカルフォルニアからニューヨークに移住した後に結成した。


このあたりの移住の経緯、また、拠点を東海岸に移したのは、どうも、このシュヴァルツェンバッハという人物が、カルフォルニアの土地の気質に肌が合わず、ニューヨークの都会的カルチャーに近い感覚、いわば詩人的な表情を持つ繊細な感性を持つミュージシャンだったというのが通説となっている。


ブレイク・シュヴァルツェンバッハが、それ以前に在籍していたジョーブレイカーも、グレッグ・セイジ率いる”Wipers”とともに伝説的なアメリカのパンクロック・バンドといえ、聞き逃すことが出来ない。


そして、このブレイク・シュヴァルツェンバッハが新たに組んだJets To brazilは、彼の独特でエモさがより深みをましたというよあな印象を受ける。Jets To Birazilのデビューアルバム「Perfect Loneliness」2002は、どことなくエジプト民族音楽のようなエキゾチックなコード感、そして、甘く美しいメロディが随所にちりばめられている美しい作品である。ジャケットから醸し出される絵画的な印象と相まり、物語調の世界観が強固に形作られているため、「コンセプト・アルバム」として聴くこともできるかもしれない。


簡潔に言えば、「Perfect Loneliness」は、レディオ・ヘッドの名作「OK Computer」に対するアメリカのインディーミュージックからの回答ともいえるだろう。ロック音楽としての古典音楽に対する歩み寄りの気配もある。旋律、展開力ともに深い思索性が感じられる繊細かつダイナミックな名曲だ。


この楽曲の途中では、パイロットの無線のSEが取り入れられているあたりは、Sonic Youthの名作「Daydream Nation」収録の楽曲「Providense」を彷彿とさせる。また、「Lucky Charm」も、ブレイク・シュヴァルツェンバッハの生来の良質なメロディセンス伺える、落ち着いた雰囲気のある楽曲だ。Jets To Brazilは、この後、次作のアルバム「Orange Rhyming Orange」で、穏やかなフォーク・ロック色の強いアプローチを図る。こちらも併せて推薦しておきたい。

 

 


5.Sunny Day Real Estate 

「The Rising Tide」 2000

 

 


 


Sunny Day Real Estateは、エモの元祖ともいえるシアトルのロックバンドである。初期こそグランジ色の強いロックバンドの表情を見せていたが、解散前の本作ではロックバンドとしての気負いがなくなったといえる。


そして、今作「The Rising Tide」は、サニー・デイ・リアル・エステートとして、有終の美を飾るような傑作となっている。大胆にピアノ、ストリングスを実験的に取り入れたり、また、街頭をゆくハイヒールのSEを積極的にイントロに取り入れていたりするあたりは、映画のサウンドトラックのようなアプローチを図ったものと思われる。


このバンドの中心的な存在、ギターボーカルのジェレミー・エニグクは、本作において、美しい自分の甘美な歌声を見出し、それを気負いなく前面に押し出すようになった。


「The Ocean」「The Rain Song」は、エモという狭い枠組みを取り払い、フォーク、ポップ音楽として楽曲の真価が見いだされる。これらの楽曲は、往年のレッド・ツェッペリンの名曲「Rain Songs」を彷彿とさせるな甘美な世界観を持った堂々たる作品である。


また、前述したように、サニー・デイ・リアル・エステートの解散後、ベーシストのネイト・メンデルは、デイヴ・グロールと共にフー・ファイターズを結成し、一躍、米国を代表するロックミュージシャンとなる。2024年現在、再結成を果たし、ツアーを再開、新曲もリリースしました。

 


 

6.Promise Ring 

「Nothing Feels Good」1997 (後にリマスター盤も発売)

 



Promise Ringは、Cap ’n jazzの解散後、このバンドのメンバーであるデイビー・フォン・ボーレンが結成したバンドで、デラウエア州のレーベル”Jade Tree”を代表するロックバンドである。


1stアルバム「30 Degree Everywhere」では、キャップ・ン・ジャズ直系の疾走感のある楽曲、またそれとは対象的な落ち着いた感じのポップソングが交錯していた。ごく一部のファンからはかなり熱烈な支持を受けていたが、一般的な作品とは言い難かった。


しかし、アルバム二作目となる「Nothing Feels Good」においては、バンドサウンドとしても前作より洗練され、音楽性がより掴みやすく、親しみやすくなった印象を受ける。


「Why Did Ever Meet」での”ヘタウマ”というべきボーカルこそ、プロミス・リングの音楽性の真骨頂といえる。このバンドの奇妙な癖になるキャッチーさは、時代に左右されない。本作は、エモ・ファンにとどまらないで、スケーター・ロック、メロディック・パンクのファンにも是非、お勧めしたい爽快味あふれるエモの名盤である。次作スタジオ・アルバム「Very Emergency」1999に収録されている"Happiness All the Rage"という楽曲も併せて強くおすすめ。 


 

7.American Football 


「American Football」1999 (後にデラックス・バージョンも発売)

 

 


 

 



あらためて説明さしておくと、Cap 'n Jazzから、ファミリーツリーとして分岐したエモバンドは、Promise Ring、Jane of ark、そして最後のバンドが、マイク・キンセラ擁するアメリカン・フットボールである。


American Footballは、他のバンドと異なり、ハードコアパンクの要素がない純正のエモバンドとして挙げられる。ドラマーのスティーヴ・ラモスのドラムセット前にマイクを立ててのトランペットの演奏も、アメリカン・フットボールのライブパフォーマンスのお約束となった。


バンドとしての活動はこのファーストアルバム「American Football」をリリースした後、主要メンバーのマイク・キンセラがOwenを結成した以外は、メンバーもミュージシャンとは異なる道を歩んだ。ところが、2014年に再結成を果たした頃には、このアメリカン・フットボールは伝説的なエモバンドとしてインディー・ロック愛好家に知られるようになっていた。


2014年、マイク・キンセラの従兄弟ネイト・キンセラをメンバーに迎え入れ、より一層バンドとして纏まりが出た。マリンバ奏者、パーカッション奏者のサポートメンバーをツアーに帯同させ、堂々たる復活を果たす。


2021年まで「american football LP2」2016「american football LP3」2019、と、スタジオ・アルバムを順調にリリース。すでに、レディング、フジ・ロック、ピッチフォーク・ミュージックフェスティバル、といった世界的な音楽フェスティヴァルにも出演を果たした。近年、名実共にワールドワイドのロックバンドとして知られるようになった。


このアルバムジャケットに映し出された「Emo House」と称するべき名物的な景観も、有名すぎて最早説明不要となっている。

 

 バンドサウンドとして音の繊細性、抒情性、複雑さというのも、エモ、後のマス・ロックに与えた影響は、およそ計り知れないものがある。アメフトの奇妙な”泣き”の要素こそエモというジャンルの大醍醐と断言する。”エモ”という表現を知るために、絶対不可欠なロックの大名盤のひとつ。

 


 


2000年代以降のリバイバルエモに関してはこちらをお読み下さい。