サウスロンドンのヒップホップシーン

 

サウスロンドンは、既に、前にも記事で取り上げたが、ダブステップの発祥の地であり、またこのクラブミュージックが盛んな地域として知られているようです。

 

現在、サウスロンドンは、ヒップホップシーンが盛んな印象を受けます。元々、ロンドンのクラブシーンといえば、イーストロンドンが多くのアーティストが在住し、活動を行っている印象がありましたが、近年、このサウスロンドンにコアでホットなアーティストが数多く見られています。それほどヒップホップシーンには詳しくないけれども、サンファ、ストームジーらの台頭を見ても、サウスロンドンには魅力的なトラックメイカーが数多く存在します。

 

そして、現在においてもこれらのヒップホップアーティストは、ジャズ、ディープソウル、R&B,そして、サウスロンドンの地域的な音楽といえるダブステップを雰囲気を見事にラップの中に浸透させ、新たな潮流を形作るような音楽性が育まれているように思える。これからのヒップホップシーンの課題としては、こういった以前、ロックシーンが行ったようなミクスチャーという概念により、どこまでその音楽性に奥行きをもたせられるか。

 

もちろん、これらのアーティストは、エド・シーランやカニエ・ウェストといったビックアーティストのステージングのサポート・アクトを務めたり、と少なからず関係を持っているが、その音楽性については似て非なるものがある。特に、これらのサウスロンドンのアーティストは、ヒップホップという音楽にジャズ、ディープソウル的な洗練性を加えて、比較的落ち着いた雰囲気のトラック制作を行っている。そこにはIDMといった電子音楽の要素も少なからず込められているような雰囲気もあって面白い。つまり、無節操というわけではないが、近年のサウスロンドンのヒップホップは様々な他のジャンルを取り入れるのがごくごく自然なことになっているように思えます。

 

これは、これらのヒップホップアーティストの音楽が付け焼き刃なものでなく、なんとなく、このサウスロンドンに当たり前のように満ちている音楽がこういったトラックメイカーの素地を形作っている様子が伺えます。また、サンファのように、ポスト・クラシカルのピアノ曲を取り入れていたりするのもかなり興味深い特徴。直近では、アメリカでは、カニエ・ウェストや、ドレイク(Jay-Zをゲストヴォーカルに迎えた)と、ビックアーティストの新譜も続々リリースされていて目が離せないラップというカテゴリ。そして、アメリカのヒップホップと並んで、イギリスのサウスロンドンは、特にクラブシーンが熱い地域で、ヒップホップフリークとしても要チェックでしょう。



Loyle Carner

 

 

そして、 サンファ、ストームジーに続くサウスロンドンの期待のトラックメイカーが、ロイル・カーナー。まだ二十代半ばにも関わらず、大人の雰囲気を持った、また精神的に進んだ人格を感じさせる秀逸なヒップホップアーティストです。特に、世界的に見て、最も有望株のヒップホップシンガーと言っても差し支えないはず。 

 

Loyle Carner 1"Loyle Carner 1" by Stéphane GUEGUEN - Capo @ HiU is licensed under CC BY-NC-ND 2.0

 ロイル・カーナーは、幼少期からADHDとディスクレシアといった症状を克服しようとたえず格闘してきた人物。そのため、中々、子供の時代から学校の勉強に適応しづらかったようではあるが、後には、アデルやワインハウスを輩出したブリットスクールで音楽を学んでいます。

 

2013年に、Rejjie SnowのEP作品「Rejovich」収録のトラック「1992」に共同制作者として名を連ねたところから始まる。この作品で一躍、ロイル・カーナーの名はラップシーンの間にまたたく間に浸透して行きます。

 

また、翌年、ロイル・カーナー、ソロ名義の作品として、シングル「A Little Late」を自身のウェブサイトで発表し、大きな話題を呼びました。また、同年には、ケイト・テンペストとの共同制作、7inch「Guts」をリリース。続いて、マーベリック・セイバー、トム・ミッシュとコラボレートした作品を発表して、徐々に、英国のヒップホップシーンにおいて知名度を高めていくようになります。


英国国内でのツアーを成功させた後は、コンスタントにシングル作をリリースしていき、2017年にはスタジオ・アルバム「Yesterdays Gone」を発表。この作品は、2017年度のマーキュリー賞にノミネートされています。次いで、2019年には「Not Waving,But Drowing」をリリースして大きな注目を集めました。これまでのキャリアにおいて、ブリット・アワーズにもノミネートされている英国のクラブシーンで最も旬なアーティストと言えそうだ。さて、今回は、サウスロンドンの期待の新星、ロイル・カーナーのこれまでのスタジオ・アルバム二作の魅力について触れておきましょう。

 

 

Yesterday's Gone 

 


 
 

TrackListing 

 

1.The Isle Of Arran

2.Mean It In the Morning

3.+44

4.Damselfly

5.Ain't Nothing Changed

6.Swear

7.Florence

8.The Seamstress

9.Stars&Shards

10.No Worries

11.Rebel 101

12.NO CD

13.Mrs C

14.Sun Of Jean

15. Yesterday's Gone


 

 

 

一躍、ロイル・カーナーの名を、英国のヒップホップシーンに知らしめた鮮烈的デビュー作。「Yesterday’s Gone」は、古典的なイギリスのヒップホップの旨味を引き継いだ作品といえる。

 

リードトラックの「The Isle Of Arran」は、普遍的な輝きを持ったヒップホップの名曲と言っても誇張にはならないはず。

 

ここで、展開される軽快なライムの爽快感、そして、そこにディープ・ソウルの音楽性が見事な融合を果たしている。この辺りは、ワインハウスを輩出したブリットスクール出身のアーティストらしい感性の鋭さ。しかも、自分のライムが首座にあるというより、彼自身は引き立て役に回り、英国発祥のディープ・ソウルをトラックメイクの主役に持ってきている辺りが秀逸。ディープ・ソウルに対するリスペクトが込められている。

 

興味深いのは、「Ain't Nothing Changed」では、ジャズとヒップホップを巧緻に融合させた見事なトラックメイキングが行われている。普遍的なヒップホップの軽快なライムに加え、サックスの芳醇な響きがサンプリングとして配置される。その合間に繰り広げられるカーナーの生み出す言葉のリズム感には独特の哀愁が漂っている。そして、トラックの最終盤では、ジャズに対し、主役の座を譲るあたりもトラック全体に奥行きをもたらす。平面的なヒップホップでなく、立体的な音の質感とアンビエンスを演出することに成功している。


特に、このデビュー作「Yesterday's Gone 」の中で全体な印象に最もクールな質感をもたしているのが、「The Seamstress(Tooting Masala」。ここで、ロイル・カーナーは、クラブシーンのコアな音楽性の領域に挑戦している、アシッドハウス、チルアウトに近い雰囲気を持ったトラック。ヒップホップバラードと呼べるような、独特な哀愁が漂っており、これまでありそうでなかった清新な雰囲気が滲んでいる。

 

カーナーのスポークン・ワードというのは、一貫して落ち着いており、気分が抑制されており、徹底してひたひたと同じ音程の間を漂っている。

 

どのトラックの場面においても、彼は、このスタイルをストイックに貫いている。それは独特な、波間を穏やかにたゆたうかのような情感をもたらす。ロイル・カーナーのライムの独特な雰囲気に滲んでいるのは、ヒップホップ音楽としての深い抒情性、ただならぬエモーションである。

 

また、その一種の冷徹さの中に、キラリと光る原石のような質感が込められていると思えてならない。特に、カーナー独特なライムとしてのリズムの刻み、Aha、といった間投詞が特に他のラッパーと異なるダウナーな印象を与え、語法にクールさをもたらしている。

 

このカーナー独自の要素、あるいは、スポークンワードとしての語法は、二作目のライムにもしっかりと引き継がれている。つまり、カーナーという人物、ひいては彼の音楽性の中核を形作っている。純粋に、フレーズの合間に出来た空白の中に、頷き一つをそつなく込めるだけで、トラックに、グルーブ感とタイトさをもたらし、アンニュイな抒情性を与えもし、さらに、それを徐々に渦巻くように拡張していく。しかし、それは徹底して内省的、つまり内向きなエナジーに満ちている事が理解出来る。カーナーは、このデビュー作においてこれまでありそうでなかったラップスタイルを生み出した。このロイル・カーナー特有の語法はほとんどお見事としか言うよりほかない。

 

 

 

「Not Waving,But Drowing」

 



 

TrackListing

 

1.Dear Jean

2.Angel

3.Ice Water

4.Ottolenghi

5.You Don't Know

6.Still

7.It's Coming Home

8.Desoleil(Brilliant Coners) 

9.Loose Ends

10.Not Waving,But Drowing

11.Krispy

12.Sail Away Freestyle

13.Looking Back

14.Carluccio

15.Dear Ben 



 

そして、ロイル・カーナーの完全なる進化、トラックメイカーとしてただならぬ才覚の迸りを感じさせるのが二作目のスタジオ・アルバム「Not Waving,But Drowing」。UKのアルバムチャートでは最高3位を、そして、R&Bチャートでは堂々1位を獲得している。

 

リードトラック「Dear Jean」は前作の流れを受け継いだ作品で、彼特有のスポークン・ワードのリズムがクールに紡がれている。どことなくジェイムス・ブレイクの音楽性に対する憧憬のも滲んでいるように思える。また、そして、前作よりも落ち着いた哀愁が漂う。


今作の中で最も聞きやすいと思われるトラックは「Ottolenghi」。ここではエレクトリック・ピアノをフーチャーしたR&B寄りのバラードが軽快に展開される。しかも前作よりもカーナーのスポークンワードはパワーアップし、よりラッパーとしてのハリと艶気が漂う。

 

特にこのアルバムで個人的に最も気に入っているトラックは、Samphaとの共同作品なっている「Dersoleli(Blilliant Corners) 」。

 

このトラックでは、サウスロンドンらしいダブステップの雰囲気とディープ・ソウルが見事な融合を果たしている。どことなく、憂鬱さを漂わせるピアノのアレンジメント、そして、この作品に参加している二人のラッパーの声質も絶妙にマッチしている。全体的に カーナーのスポークンワードは切れ味が鋭さを持つが、やはり、一作目のように徹底に抑制が取れたクールな雰囲気が漂う。そして、痛烈なエモーションな質感によって彩られている。この切なさは何だろうか? いかにもサウスロンドンという感じで、アンニュイな夜の空気感にトラックは彩られていて、異質なほどの艶気を漂わせている。リズムトラックも低音のバス、高音域のタムの抜けのバランスが心地よい。アウトロの爽やかに鼻で笑い飛ばす感じも、クールとしか言いようがない。 

 

また「Krispy」は、ミニマリストとしてのサンプリングが際立つ爽やかな楽曲、終盤にかけてはジャズとヒップホップの融合に挑戦している。トランペットのジャズ的なフレージングも豪奢な感じに満ちている。特にアウトロにかけての独特な雰囲気はほのかな陶酔感によって彩られる。

 

全体的な作風としては、前作よりも落ち着いたディープ・ソウル寄りの渋めのヒップホップ。そして、なんと言っても、このスタジオアルバムが素晴らしいと思うのは、新たなヒップホップの可能性というのが示されていることだろう。ここではロンドン発祥のディープ・ソウル、ダブステップ、ジャズを見事にかけ合わせ、それを絶妙にブレンドしてみせ、更にこのジャンルの未来型を見事に示してみせた痛快な作品である。

 

特に、ラストトラックは、次の作品への序章のようなニュアンスを感じさせ、何かしら未来への希望に満ち溢れている。

 

つまり、まだ、この素晴らしいヒップホップアーティスト、ロイル・カーナーの壮大な物語は始まりを告げたばかりであることを示しているように思える。イギリスの音楽メディアが彼を「ヒップホップ界のホープ」と呼びならわすのには大きな理由があり、彼のスポークンワード、トラックメイク自体がそのことを、なめらかに物語っている。 


 平成時代を華やかに彩った日本の音楽ムーブメント 渋谷系
 
 
1.渋谷のカルチャーと海外のカルチャーの比較


 

十数年前、一時期、海外の音楽視聴サイト、特に、AudioLeafで他の多種多様の海外の音楽ジャンルに紛れ込んで、見慣れたジャンルが海外のリスナーの間で微妙に盛り上がりを見せていて驚いたことがありました。

 

 

「Shibuya-Kei」という英語で銘打たれた音楽ジャンルが、AMBIENTやEDMといったその頃一番話題を集めていたジャンルに、日本のちょい昔の音楽ジャンルが混ざり込んでいた。調べてみると、サブカルチャー的ではあるものの、一定数の海外リスナーがこのジャンルに興味を抱いていたのです。

 

 

かなり、コアな海外の音楽ファンがこの日本のシブヤ系アーティストに関心を抱いている雰囲気がありました。ちょっと昔には、ヨーロッパなどでkaroushiといった経済用語が一般的な言葉として認知されてしまった日本ですが、こういった既に日本人がすっかり忘れてしまったようなサブカテゴリーに属する音楽ジャンルが海外でひそかな人気を呼んでいることに、少なからずの驚きをおぼえた次第です。海外のリスナーというのは、そもそも、良い音楽を追い求めていて、時代性というべきか、それが何年の音楽だとか、そういうことは、それほど頓着しないように思えます。 

 

 たとえ、十年前、二十年前、いや、五十年前の音楽であろうとも良いものは良いと認める潔さがある。日々接する音楽に対して恬淡な評価を下すのが、海外のリスナーであるのだと思う。加えて、一般的にヘヴィなロックコンサートは若者が参加するのが相場というのが日本の考え方であるように思える一方、アメリカにおいては、ロックコンサートに参加するのは十代の若者からお年寄りまで幅広い年代がロックコンサートを楽しむ。

 

 アメリカでは、御年配の方が、若い音楽を楽しむことを若者たちも自然のことだと考えているらしい。だから、若者からお年寄りまでみな等しく若い音楽を心から楽しんでいる。そもそも音楽に、年齢という概念を持ち込まないというのが海外のリスナーの常識のようです。そんなものだから、幅広い年代が若い年代の旬のアーティストを積極的に聴いていたりする。それを、たとえばいい年をしてロックなんか聴いて!とか思ったり、全然恥ずかしいとかそういう概念はまったくないらしいんです。これは、そもそも、ロックというジャンルが文化に深く根付いているから、年代を問わず、幅広い楽しみがあたりまえのように根付いているらしいのです。 

 



2.日本特有の音楽性

 

 

さて、ここ最近、昔の日本の一ジャンル、シティポップが海外の一部の愛好家の間で親しまれていたのは既に多くの方がご承知と思います。往年の、山下達郎、竹内まりあといった日本歌謡界を長年率いてきたアーティストたちの音楽がすぐれていて、普遍的に、こころの琴線に触れるものがあるからこそ時代を越え、熱心な海外の音楽ファンがこのジャンルに見目好い評価を下した。そして、海外のファンが日本の音楽に評価を下す際、重要視しているもの、それは今、現在において海外の音楽としての完成度ではなくて、日本らしい独特な雰囲気が漂っているかどうかに尽きるように思える。 

 

日本にずっと住んでいると、日本語の美しさには気が付かないが、たとえば想像してみていただきたいのは、もし十年海外で生活をして日本に戻ってきたときにふと日本語の発音を聴いたら、どのような感慨をおぼえるでしょうか? もし、トルコで宗教的理由で豚肉が食べれない生活を何年間か続けて、数年ぶりに帰国し、吉野家や松屋を見かけたときにどのような感慨をおぼえるでしょうか? 


そこに、異様なほどの親しみやすさ、ノスタルジーを思い浮かべざるをえなくなるはずです。この相違点というのは音楽についても全く同じことがいえ、内側から日本の音楽を眺めていると見えづらい日本の文化的美質が存在している。それは実はそこに常に存在しているが、私達はそれをすっかり見落としているような気がする。それをときに、海外の人々から「コレだよ!」と教えられてしまう場合もある。二十世紀初頭から西洋文化を真綿のように吸収してきた日本文化ではあるが、日本らしい概念、日本しか存在しえないものが今でも私達の文化の中にあるはずなのです。

 

殊、音楽という分野について限定して考えてみると、昨今においても折坂悠太、ミツメ、トクマルシューゴ、Tricotをはじめ海外の音楽として通用するようなすぐれたアーティストは多数いるものの、海外のファンが求めるような音楽と、日本のファンが求める音楽は、そもそも土台において全然異なるように思えます。一体、何が異なるのか、何が求められるのか、必ずしも海外に迎合する必要はないはず。これはちょっとした意識のずれとして、文化の相違として見ると、興味深い点があるように思えます。例えば、それは、ボアダムスや電気グループだとか、意外に思えるような日本で知られていないアーティストが海外で話題になっているのを見てもその傾向は顕著。そしてこれは、そもそも音楽がどの程度、生活の文化として深く根ざしているのか、人々が音楽というのをどういった分野として捉えているのかで大きな差が出るように思えます。

 

もちろん、その考え方というのも、日本人だからこうとか、海外の人がこうとか一概に決めつけるべきでなく、考え方というのもそれぞれの人で異なるはず。

 

しかし、どうも、日本人と西洋人の音楽についての捉え方は、似ているようで異なる部分も少なくない様子。一見、双方ともに音楽を体で感じて、耳で聴いて楽しむ、という点については、全く同じであるように思えるのに。しかし、私が考える、あるいは述べたいのは、その両者の嗜好性、価値観の違いは表面的に顕現しているのではなく、文化性といった根深い意識の最も深い部分、概念的に浸透しているものにおける相違点がひとつかふたつ存在しているということです。

 

これは、ちょっと今、現在では説明し難いので後にとっておきたい疑問点です。お分かりの通り、音楽という古代ギリシアで重要な分野として文化のいち形態を築き上げてきた分野にとどまらず、他の表現媒体、映画、写真、演劇、文学という分野に押し広げて適用できるような考え方と言えるでしょう。

 

 

  

3.平成時代のシブヤ系の音楽性について

 

 

そして、独断と偏見をまじえた上で述べるなら、もし、このシティポップの次に、好い評価を受ける可能性がある日本のジャンルを挙げるとすれば、間違いなくシブヤ系ではないだろうかと個人的には考えています。 少しばかり懐古主義的な言い方になってしまうけれども、元々、平成時代というのは、日本の経済の活発さがあった。

 

好景気の後押しを受け、レコード産業も発展、多くの粋の良い若手アーティストが無数に出てきた時代。特に、この時代において、渋谷の109やHMVというのはかなり名物的な場所、たまごっち、ギャルや音楽といった若者たちが発信する文化が発生し、それが結びついて発展していった。

 

平成時代の日本の音楽をざっと概観してみると、言語という側面でも面白い特徴があり、J-popという他の歌詞だけは日本語でうたわれ、サビだけが英語という独特なスタイルの立役者は間違いなく、小室ファミリーと称されるアーティスト。

 

次いで、浜崎あゆみや沖縄のスピード、そして、その一連の流れを、最後に決定づけたのが宇多田ヒカル。その流れの中で、19やゆずのような街での弾き語りとして活動していたアーティストのフォークが注目を浴びたこともあった。ビギンのように、これまで脚光を浴びてこなかった沖縄の民謡音楽の影響を受けたポップス、あるいは、沖縄出身のアーティストが数多くシーンに台頭してきたのも興味深い特徴だったと思えます。

 

この平成時代の音楽で最も際立った特徴は、渋谷という平成時代の若者文化の発信地を中心として盛り上ったこの「Shibuya-Kei」というジャンルには、他の海外の音楽には全くない日本独特の要素が感じられます。シティ・ポップと同様に、聞きやすく親しみやすく、どことなく都会的な雰囲気が滲む音楽性。

 

それは都会、特に、平成時代のシブヤという土地の雰囲気を見事に音楽で表現してみせたといえるかもしれない。この時代の渋谷の音楽を憧れを抱いた方も少ないないはず。つまり、この音楽にはどことなく漠然としながらも当時の若者たちよ夢という概念が漂っているように思える。

 

少なくとも、ここ、何十年の世界的なシーンを見渡したとき、このシブヤ系というジャンルのような音楽を他の国や地域に探すのはむつかしい。それほど小沢健二やコーネリアス、カヒミ・カリイを初め、シルヴィ・バルタンをはじめとするフレンチ・ポップに近い独特でお洒落なトウキョウサウンドが流行していた。

 

109や道玄坂、スペイン坂、特に、竹下通りといった場所を中心に発展していった独自のシブヤ文化には、今、考えてみても世界的にも特異な文化といえ、とにかく、元気があり、活気があり、おしゃれな若者らしい雰囲気に包まれている音楽が多く発見出来る。若者が悟りを開く前の日本の音楽の物語。そして、メロディーの良さだけではなく、雰囲気というのに重きが置かれていたように思えます。

 

音楽性としては、平成ポップスと、その時代に流行しはじめていた電子音楽との融合を図ったもの、ジャズラウンジ、ボサノヴァ、ネオアコ、ドリームポップ、また、往年の日本歌謡としてのフォークを都会的に捉え直したもの、と広範なジャンルに及んでいた。

 

今、時代的なフィルターを度外視して聴き直すと、やはり独特な雰囲気が滲んでいる素晴らしい音楽といえます。普遍性を持ち、時代を問わない音楽のように感じられます。 今回、あらためて、このシブヤ系サウンドの魅力的なアーティストと名盤にスポットライトを当ててみたいと思います。

 

懐かしくもあり、新しくもあるシブヤ系サウンドの再発見の手助けとなれば無常の喜びです。これらのサウンドにはいかにも東京、渋谷のオシャレさが感じられ、楽しみに溢れています。ここに日本としての文化性の魅力がたくさん見つかるでしょう。是非、魅力を探してみて下さい!! 

 

 

  

シブヤ系の名盤

 
1.Pizzicato Five 


ピチカート・ファイブは、小西康陽を中心としてされたロックバンド。この渋谷系ジャンルの先駆的な存在といってもいいのではないでしょうか。
 
 
意外と平成時代のバンドのイメージがありますが、結成は1984年と古く、しかも細野晴臣のプロディース作「オードリーヘップバーン・コンプレックス」でデビューしている辺りもレコード会社の期待の大きさが伺えます。
 
 
特に、このバンドはファッションにしても、音楽性にしても、のちの渋谷系にとどまらず、J-Popシーンに多大な影響を及ぼしたのではないでしょうか。特に、リアルタイムでどの程度、このロックバンドの影響力があったのかは寡聞にしてしらないものの、彼等のファッションについても竹下通りあたりのファッション性に与えた影響も大きそうです。
 
 
実際の音楽性についても、広範なジャンルを吸収、その上で日本語ポップスの口当たりの良さというのを追求したような印象です。


ジャズ、ラウンジ、 ボサノヴァ、フレンチポップ、チェンバーポップと、おしゃれな音楽性を内包した上で、日本語ポップスとして絶妙に昇華している。それほど肩肘をはらず、適度にリラックスして聴けるという面で、ドライブ曲としても最適と思えます。(もちろんカローラ2という車のCM曲もありました)
 
 
やはり、ピチカート・ファイヴはシティ・ポップの系譜にあるような音楽、日本歌謡曲からの影響も伺えます。野宮真貴さんのヴォーカルというのは、爽やかで、清々しさ、心温まるような雰囲気があり、耳障りがとても良い。そして、かなり歌い分けというか、曲によってヴォーカルスタイルを七変化させている。優しいバラード風の歌い方があるかと思うと、クールでセクシーな感じもあり。
 
 
歌詞には、ちょっとした日常の恋愛のロマンチシズムが夢見がちにさらりと歌いこまれているあたりがいかにも都会的な雰囲気が漂っています。そして、小西康陽さんのギターのフレーズというのもセンス抜群。
 
 
とくに、ワウを効かせた玄人らしい弾きっぷりというのが素晴らしい。楽曲の雰囲気を壊さずに適度に駆け引きをする素晴らしいギタリスト。非常に歌と楽曲というのが大切に紡がれているように思えます。また、リズム隊としてのベース、ドラムの演奏もほとんど無駄のないシンプルさでありながら、ロマンチックな雰囲気を引き出しています。 
 
 
 
 

 「THE BAND OF 20TH CENTURY:NIPPON Columbia Years 1991-2001」2019


 
 
 
 
ピチカート・ファイブのオリジナル盤としての名盤は数多あると思われるものの、やはり、このベスト盤「THE BAND OF 20TH CENTURY:NIPPON Columbia Years 1991-2001」が、ピチカートファイブの名曲を網羅しているので、渋谷系の入門編として最適といえるのではないでしょうか?
 
 
どちらかと言えば、後追い世代であるため、あんまり偉そうなことは言えませんが、あらためて、このバンドは日本語ロック/ポップスの最高の見本を示してみせたとても偉大なグループであるように感じます。
 
 
特に、このアルバムに収録されている「子供たちの子供たちの子供たちへ」は日本ポップスの最良のバラード曲と言って良いかもしれません。歌詞についても、簡単な日本語で書かれているのに、詩的であり、切なく、やさしく、また、少し絵本のようなうるわしい教えが込められた素敵な楽曲です。 
 
 
 
 
 2.Flippers Guitar 
 

所謂、渋谷系の最も有名なミュージシャンの二人、そして、J−POPアーティストとしても伝説的な存在、小沢健二と小山田圭吾によって 1987年に結成されたフリッパーズ・ギター。結成当初はロリポップ・ソニックとして活動。
 

その後、フリッパーズ・ギターに改名。渋谷系の音楽性の礎をピチカート・ファイヴと共に築き上げた存在。四年という短い活動期間ながら、大きな影響をJ−POPシーンに及ぼしました。その後、二人はソロアーティストとして有名になっていくわけですが、フリッパーズ・ギターはこの二人のアーティストの音楽のキャリアの始まりでした。 
 

楽曲自体は、ラウンジの雰囲気が漂っている辺りは、ピチカート・ファイブに近いものを思わせますが、このフリッパーズ・ギターの方は、いわゆるイギリスのラフ・トレードに所属していたアーティスト、もしくはスコットランドのネオアコ/ギター・ポップの影響も色濃く感じられると言う面で、サニーデイ・サービスの音楽にも近い雰囲気を持っています。特に、JーPOPシーンにおいて、最良のポップメイカーの二人が在籍したというだけでも伝説的なバンドとして語り継がれるべきでしょう。
 
 
フリッパーズ・ギターは、この二人が交互に作曲をし、メインボーカルは小山田圭吾、そして、コーラスがオザケンというのが基本的な演奏スタイルでした。そして、作曲が二人の手でバランスよく行われているのが功を奏し、オリジナルアルバムは、バラエティーに富んだ作品となっています。 
 
 

「Singles」1992

 

 

 

フリッパーズ・ギターはオリジナル・アルバムもいいですが、やはり改めて聴き直すとしたら四年の活動においてのシングル盤を集めた「Singles」が渋谷系の入門編として最適。なんと言っても、このバンドの代名詞とも言える楽曲は、「恋とマシンガン」ーYou Alive In Love−に尽きるでしょう。
 
 
この平成時代の日本のCMでガンガンかかっていた楽曲なので、懐かしむ方も多くいらっしゃるはずです。小山田圭吾のヴォーカルと言うのも、前のめりで、初々しさがあり、純粋な雰囲気が感じられ、少し、なんとなく甘酸っぱいような雰囲気が漂っています。音楽性の完成度といえば、のちの小沢健二、コーネリアスにかなうべくもありませんが、ここには音楽の純粋な響き、平成時代の幸福で温かな空気感が、二人の若々しい秀逸なアーティストにより刻印されています。 
 


3.Towa Tei(テイ・トウワ)
 

その後、日本のシーンを離れ、ニューヨークに移住することになる、テイ・トウワ。最初期からテクノという電子音楽の分野では異質な才覚を放っていたアーティスト。既に、日本のアーティストというよりかは、ニューヨークのアーティストという印象もある。後に、YMOの高橋幸宏の主導するMETAFIVEで小山田圭吾とともに活動をするようになるなんて、誰が予想したでしょう。
 
 
しかし、このアーティストの切れ切れの才覚、ほとばしるセンスというのは既にデビュー当時から型破り、さらにそこにスタイリッシュさがあるとなれば、渋谷系との共通点も少なからず見いださせるように思えます。


テクノカット、そして縁の広い眼鏡というのもファッション性において抜群のミュージシャン。もちろん、一般的な渋谷系の音楽でないものの、電子音楽の分野でのオシャレさという面で、一連のシーンに位置づけられてもおかしくはないアーティストでしょう。  
 
 
 

 「Future Listening!」1994

 
 
 
 
 

テイ・トウワの名盤としては、二作目の「Sound Museum」もしくは、テクノの名盤んとしても有名な三作目「Last Century Modern」も捨てがたいところですが、渋谷系アーティストとしての名盤はデビュー作「Future Listening!」が最適と思われます。ここでは、のちの彼の代名詞となるテクノというよりも、コアなクラブミュージック寄りのアプローチが計られており、幅広い音楽性が感じられます。 
 
 
ファンク寄りのブレイクビーツ、クラフトヴェルクのようなテクノ、また、ボサノヴァのリズム、メロディ性からの影響も感じられ、小野リサの音楽性に近いような雰囲気も漂っている。

電子音楽としてもデビューアルバムと思えないほどのクオリティーの高さ;どことなく洋楽寄りのアプローチを日本人アーティストとして追求したという感あり。このなんとも言えない都会的に洗練された響き、シブヤの夜の街の雰囲気が滲んでいるのが、テイ・トウワのデビューアルバムの魅力です。日本のアーティストとして、音楽性の凄さを再確認しておきたいアーティストのひとり。
 


 
4.カヒミ・カリイ
 

多分、カヒミ・カリイを最初、外国人のアーティストであると思っていたのは、何も私だけではないはず。
 
もちろん、若松監督の映画作品を担当するガスター・デル・ソルのジム・オルークと共同制作を後に行ったり、また、ニューヨークのインディーシーンのカリスマ、アート・リンゼイとの音楽的な関係も見いだされるという面で、後のアメリカ、シカゴやニューヨーク界隈のアーティストとも関連付けられるカヒミ・カリイ。既に世界的なインディーミュージシャンです。
 

しかし、間違いなく平成時代までは、カヒミ・カリイは日本のアーティストだったわけで、特に、「ハミングがきこえる」という楽曲をご存知の方は少なくないはず、きっと聴けばあの曲かとうなずいてもらえるだろうと思います。この曲は、なんといっても、作詞、さくらももこ、作曲、小山田圭吾、と非常に豪華なライナップ。ちびまる子ちゃんのオープニングテーマでもあった楽曲。子供のとき、週末の夜にこの曲を聴いていた思い出のある方も少なくはないはずです。
 
 
特にカヒミ・カリイというアーティストの声質は独特で、ハスキーで漏れ出るような雰囲気が魅力。


また、カヒミ・カリイの楽曲は、セルジュ・ゲンスブールがプロデュースを手掛けたフレンチ・ポップアーティストにも親和性が高く、いかにもおしゃれな感じで、洗練されたような雰囲気を持つのが特徴です。これはいまだ他のJPOPシーンを見渡しても、同じような存在が見当たらないと思えます。フレンチポップの質感を日本語の語感で体現してみせたアーティストといえそう。 
 
 
 

「Le Roi Soleil」EP 1996

 
 
 
 
 

カヒミ・カリイの名盤は、「ハミングがきこえる」を収録したEP「 Le Roi Soleil」を推薦しておきます。
 
 
フレンチポップに対するリスペクトを感じますが、音楽性としては、ネオアコ/ギター・ポップ寄りの作品です。また、スコットランドのザ・ヴァセリンズのカバー「Son Of A Gun」が収録されているのも、通を唸らせるはず。
 
この曲は、ニルヴァーナのカバーバージョンとしてもかなり有名なんですが、このカヒミ・カリイのカバーも結構良い味を出しているように気がします。


 
5.サニーデイ・サービス

 

日本インディーシーンで、相当な影響力を誇って来たサニーデイ・サービス。インディーアーティストではありながら、平成時代ではオリコンチャートで上位に食い込んでいた思い出があるので、どちらかと言えば、メジャーからのリリースでデビューを飾ってはいるものの、曽我部恵一は生粋のインディーロックアーティスト、 この渋谷系というジャンルの発信地の一つタワーレコードとも関係の深いミュージシャンです。というか、この人こそ、日本の近年のインディーズシーン、そして、レコードショップ文化を担って来た音楽家というように言っておきましょう。 
 

1990年代終わりに、渋谷系というジャンルが衰退していった後も、この渋谷系のジャンルを掲げ、長く活動を続けてきた信頼のあるアーティスト。
 
2017年のスタジオアルバム「Popcorn Ballads」、2020年の「いいね!」は、完全に渋谷系を現代に見事に復活させてみせた快作として挙げられます。
 
 
平成時代、ゆず、19、といった弾き語りのアーティストに連れ立って、日本のミュージックシーンに台頭してきた感のあるこのサニーデイ・サービスは、それらのアーティストと比べられる場合もあったかもしれません。
 
 
しかし、この三人組の音楽性というのは方向性を異にしており、スコットランドで1990年代前後に盛んだったパステルズやヴァセリンズといったネオアコ/エレアコ勢の音楽性を現代的に取り入れようとしていました。
 
スコットランドのインディーシーンの牧歌的なギターロック/ポップを、日本語のポップス、歌謡曲のノスタルジーを、そのうちに滲ませて再現させようというものでした。洋楽的でも有り、邦楽的でもある。アメリカ的でなく、イギリス的という点では、いかにも平成時代、渋谷系の真骨頂のようなサウンドが特徴。三人組という編成も無駄がなく、バンドサウンドとして聴いたとき、すごくバランスの取れたライブをするアーティストでした。サニーデイ・サービスのとしての頂点は、1997年のスタジオ・アルバム「サニーデイサービス」で完成を迎えました。
 
 
 
 

「サニーデイ・サービス BEST 1995-2018」 2018

 

 
 
 

ベスト盤の「サニーデイ・サービス BEST 1995-2018」は、このバンドのファンだけではなく、渋谷系好きにもオススメの傑作です。
 
 
ベスト盤として二十三年という長いサニーデイ・サービスのキャリアの中でも必聴すべき楽曲が目白押し。特に、個人的な日本のインディー音楽の最良の楽曲「夜のメロディ」は今でも切ないような日本語フォークの名曲として語り継がれるべきでしょう。 
 
 
 
一度は解散するものの、2010年に再結成を果たす。しかし、2018年、オリジナル・メンバーのドラマー、丸山晴繁さんが死去されたとの一報に驚かされました。彼は、このバンドサウンドを長年にわたり支えてきた素晴らしいアーティストでした。しかしもちろん、曽我部恵一という渋谷系の素晴らしいアーティストがいるかぎり、サニーデイ・サービスの音楽は後に引き継がれていくはず。

 

 

  

6.Cornelius


改めて言うと、小山田圭吾というミュージシャンは日本国内だけでなく、海外のインディーズシーンで強い影響力を持ったアーティストであることは疑いを入れる余地はありません。特に、アメリカのニューヨークのインディーレーベル「Matador」レコードからリリースを行っていたアーティスト。

 

もちろん、フリッパーズ・ギターでは、小沢健二と共に平成時代の日本のPOPSシーンを盛り上げた音楽産業に大きな貢献を果たした人物です。特に、なぜアメリカでこの小山田圭吾が有名なアーティストなのか、よく考えてみると、特に、このCorneliusは、日本の音楽としてでなく、世界水準の音楽をこのソロプロジェクトで体現させようと試みていたんです。 

  

 

 「FANTASMA」 1997


 


特に、アメリカの90年代のインディーシーンでは、ダイナソーJr,に代表されるような苛烈なディストーション、そして、グワングワンに歪んだギターというのがメインストリームのアメリカらしいロックとして確立されており、このCorneliusの名作「Fantasma」は、シューゲイズとオルタナサウンドの直系にあたる音楽性が魅力。

 

 

邦楽という領域を飛び出し、海外にも通用する日本語ロックを完成させたと言えるでしょう。特に、小山田圭吾のギタリストとしての才覚は、色眼鏡なしに見ても、海外の著名なギタリストと比べても全く遜色がないほど素晴らしい。 

 

このコーネリアスというソロプロジェクトにおいて、小山田圭吾は、フリッパーズ・ギターからの音楽性の延長にある次の進化系サウンドを体現し、渋谷系、つまりシブヤ発祥音楽を世界的に特にアメリカのインディーシーンに普及させた功績があったわけです。打ち込みのアーティストとしても、ギタリストとしても、抜群の才覚があるアーティストであったことは間違いないでしょう。

 

東京オリンピック開催の際に生じたプライベートな問題については、プライベートな問題にとどまらず、公的な問題に発展していったように思えます。この騒動について、日本だけではなくアメリカの主要な音楽メディアでも大きく報じられ、大きな驚きをアメリカのリスナーに与えたようです。

 

これから、小山田さんが音楽活動を続けていくのか、難しい問題が立ちはだかるように思えます。やはり、渋谷系サウンドというものをもう一度、再建し、何らかのかたちで音楽を通して、喜びを与えていってもらいたいと思います。勿論、これは贔屓目に見た上での意見といえる部分もあるかもしれません。 

 

 

  

7.カジ・ヒデキ


最後に御紹介するのが、平成のヒットチャートをマイリリース毎に賑わせた良質なシンガーソングライターの、ミスター・スウェーデン、カジ・ヒデキさん。

 

1997年に渋谷系アーティストとしてデビューを飾り、のちにはJ−POPシーンきっての人気ミュージシャンとなりました。現在に至るまで大きなブランクもなく、良質で親しみやすい楽曲を生み出し続けています。

特に、カジヒデキさんの楽曲は、耳にすっとやさしく入り込んできて、覚えやすく、誰にでも親しみやすい。その点で、そこまで音楽に詳しくないという人でも馴染みやすいアーティストなのではないでしょうか??

 

 

「tea」 1998


 

 

カジヒデキさんの渋谷系としての名盤はファースト・アルバムもみずみずしい輝きに満ちていて素晴らしい。

 

しかし、渋谷系サウンドらしい、オシャレさ、格好良さ、リラックスした楽曲としてたのしめるセカンドアルバム「tea」1998こそ、渋谷系サウンドのニュアンスを掴むための最良の作品。

 

 

「Everything Stuck to Him」「Made in Swede」「カローラ2」の何となく健気で純粋な雰囲気があり、青春の輝き溢れる永遠の名曲ばかりで、平成時代のポップスのおおよその感じを掴むのにも最適といえそう。

 

また、平成時代初めの社会ってこんな感じだったんだよという見本を示してくれる軽快な雰囲気のある作品。カジヒデキさんの楽曲をカウントダウンTVやラジオのJ-WAVEの番組ヒットチャートで聴いていたのは子供時代、小学生の頃でしたが、これらの楽曲は、今聞いても抵抗感がなく、すっと耳に入ってくるのは不思議。平成初期の若者の独特な空気感というのは、他の時代には感じられない雰囲気があったと、スタジオアルバムを聴いてて、あらてめてそんなふうに思います。

ガレージロックの魅力

2000年代から、再びニューヨークのロックバンドがこぞってこのガレージロックを取り上げて、一躍脚光を浴び、その一連のムーブメントはガレージロックリバイバルというように名付けられた。

アメリカでは、ストロークスやホワイトストライプ、ヤー・ヤー・ヤーズを初め、イギリスでも同時代にガレージ・ロックの音楽性を引き継いだロックバンド、リバティーンズ、もしくは最初期のアークティック・モンキーズもプリミティヴなガレージロックサウンドを引っさげてシーンに台頭してきた。もしくはオーストラリアのダットサンズ、スウェーデンではハイヴズも出てきた。これは、一地域に限定されるものではなく、世界的なムーブメントであったように思える。

いかにも俺たちは昔のロックンロールを知っているという顔をしてクールに演奏するのがストロークスだったし、直情的に、60年代のプリミティヴなサウンドを引き継いで情熱的に演奏するのがハイヴズだった。日本のロックシーンで言えば、ミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ。インディーズ界隈でいうと、ギターウルフがこのジャンルに該当する。もちろん、ミッシェルのアベフトシさんは世界に通用する伝説的なギタリストの一人だった。

また、これらのロックバンドは、往年のロックンロールのコアな部分を受け継いでそれを洗練させただけで、新しいことはやっていないように思える。新しい音楽なんて洒落臭えという突慳貪さなのである。それにも関わらず、これらのガレージロックリバイバルのシーンを牽引していたバンドは、実際にライブパフォーマンスを見ると、どのバンドより輝いており、問答無用にステージパフォーマンスがカッコいいのは不思議でならなかった。(特に、ストロークスとハイヴズ)。ただ、ロックンロールを、寡黙に、朴訥に、演奏する、と言う面では、ラモーンズに近い雰囲気も感じられるようだ。つまり、ニューヨークのインディースタイルが色濃く感じられるジャンル。

ある程度このガレージロックの音楽性というのには限界があり、同じスタイルをながく続けて行くと、 聞き手も演奏者もそのうち飽きが来て、方向性の転換を余儀なくされることが多いのはいくらか仕方のないことかもしれない。(何十年も同じ音楽を続けていけるのはAC/DCだけの特権といえるかもしれない)しかし、それでもやはり、このガレージロックというのは、時代を越えて楽しめるロックンロールの本来の魅力が詰まっている音楽であることは間違いなし。

このガレージ・ロックっていうのは誰が始めたのか。このジャンルが流行るようになっていたのか、またどんな音楽性なのか、その大まかな概要を簡単に説明しておきたい。大まかに言えば、一般的にその先駆者は、アメリカのワシントン州のロックバンド、ザ・ソニックス、また、ミシガン州のザ・リッターから始まったムーブメントで、1965年前後に、その発祥が求められる。


ガレージロックの音楽性 

ガレージロックというのは、アメリカのガレージ、車を止めておくスペースで、めいめいの機材を持ち寄り、アンプからフルテンのどでかい音量でロックンロールを奏でるというスタイルだ。フルテンというのは、アンプリフターのメーターをすべてフルに回し、音作りもへったくれもない素人感丸出しのすさまじい爆音サウンドが生み出される。そして、ガレージロックという語源は、そのままの意味で、ガレージで演奏するロックだから、ガレージロックと呼ばれる。

もちろん、これらの最初期のガレージロックバンドは、演奏自体の荒々しさという点においては、最初期のパンクロック、ロンドン、ニューヨーク・パンク勢との共通項も見いだせるようだ。その音楽性についても、六十年代らしく、ビートルズ、ストーンズサウンドに対する傾倒も伺える。つまり、シンプルなロックンロール性がその内郭に宿っている。代表格のザ・ソニックスやザ・リッターの音楽性には、アメリカのブラックミュージックの影響も色濃く滲んでいる。 

そして、ビートルズとは全く異なる雰囲気がある。これらのガレージ・ロックバンド、とくに、ザ・ソニックスの演奏から醸し出される異様な熱気、すべてをなぎたおしていくようなパワフルさが、こういった直情的なロックンロールが展開されているので、聞き手にスカッとするような痛快味を与える。すなわち、これがガレージロックの最大の醍醐味といえるのである。このガレージのような場所で演奏する独特なスタイルはのちシアトルのグランジ界の大御所、メルヴィンズも積極的に行っていたが、やがて、90年代の”ストーナー”というアメリカの砂漠地帯で発生した男臭くワイルドなロックンロールに引き継がれていく。(Kyuss,Fu Manchuなどが有名) 

この60年代のガレージ・ロックというジャンルは、いかにもインディペンデント形態で活動を行うロックバンドが多かった。

ソニックス、リッターズを始め、リトル・リチャーズやチャック・ベリーの最初期の踊れるロックンロールの原始的な音の雰囲気を受け継ぎ、それを耳をつんざくような大音量で奏でるというスタイルが徐々に確立されていくようになる。のちの音楽シーンのように、どこどこの地域で広がりを見せていったわけではなく、このガレージロックのスタイルを掲げるバンドがそのアメリカ全体に裾野を広げていったのではないだろうか。その過程において、MC5のようなアングラな人気を誇るガレージロック勢も出てくるようになる。これらのロックバンドに共通するのは、パンクロックに近い荒削りなサウンドを掲げ、分かりやすい形でオーディエンスに提示するというスタイル。

 

ここで、そもそもガレージロックというのが、完全なインディームーブメントの土壌の上に築かれたコアな音楽のムーブメントであったのか? そして、メインストリームではこういうプリミティヴな質感を持つロックンロール音楽はまったく存在しなかったのか? という二つの疑問がおのずと浮かんでくる。しかし、この疑問についてはある程度否定しておかなければならない。実は、著名なロックバンドにも、ガレージ・ロックに近い雰囲気を持った楽曲は数多く存在していた。例を挙げるなら、ジミー・ペイジやエリック・クラブトンが在籍したヤードバーズも、ガレージロックに近い雰囲気を持ったロックンロールを演奏していた。またローリング・ストーンズの「(I Can't Get No)Satisfaction」ビートルズの「Helter Skelter」には、ガレージ・ロックに比する荒々しさ、轟音性が見られることからも分かる通り、実は、結構メインストリームにいるミュージシャンは当たり前のように、こういったプリミティブな質感を持つガレージロック風の音楽性を、ガレージではなくリハーサルスタジオで好んで演奏していたように思える。

そして、ガレージロックという音楽は、Mainstream=主流ではなく、Alternative=亜流的な雰囲気を擁したジャンルとして、音楽通の間で、長年、しぶとく地下で生きながらえていたように思える。そして、ニューヨークのザ・ストゥージズ、ジョニー・サンダース・アンド・ハートブレーカーズも、このあたりのジャンル性を引き継いだ音楽で一世を風靡したものの、一時期、他のジャンル、ハードロック、メタル音楽が世界的に優勢になっていくにつれて、このガレージロックというロックンロールの申し子は、ロックンロール愛好家の間においても忘れ去られてしまったように思えていた。ところが、イギリスのザ・リバティーンズ、あるいは、スウェーデンのザ・ハイヴス、アメリカのザ・ストロークスの台頭を筆頭にして、それがロックンロールというジャンル自体が行き詰まりを見せていた1990年代、00年代、見事にガレージロックは復活を果たした。それからの流れについては多くの人がご存じであろうと思われる。まるで堰を切ったかのように、世界的にこのジャンルを引き継いだアーティストがドッと台頭してくるようになったのである。このリバイバルシーンの流れは音楽メディアによって、ガレージロックリバイバルと称された。


 ガレージロックの名盤選 

 

The Sonics

「Here Are The Sonics」




ザ・ソニックスは、ワシントン州で結成されたガレージロックバンド。ガレージロックの創始者として知られている。このソニックスの原始的なサウンド、そして、荒削りな演奏、ソウルフルな音楽性、さらに、つんざくようなハイテンションサウンドにすべてのガレージロックの源流は求められる。

特に、ザ・ソニックスのデビュー作「Here are The Sonics」1965は、ガレージロックの金字塔として名高い伝説的なアルバムである。

ここで展開されるプリミティブなサウンドの凄みは言葉に尽くしがたい。チャック・ベリーやリトル・リチャードのロックンロールをそのまま復刻したような音楽性に陶酔すら覚えるはず。一曲目の「Witch」から、とんでもないテンションロックンロールが目くるめく速さで通り過ぎていく。この圧倒的な迫力による痛快感は、遊園地のジェットコースターの刺激性など足元にも及ばない。

 

ディストーションをてきめんにきかせたギターのすさまじいど迫力、タムのハイエンドが強調されたしなるようなドラムの切れ味、さらに、ジェリー・ロスリーのソウルフルな渋みのあるボーカルもめちゃくちゃ良い。また、「Wah!!」というこぶしのきいた叫び、ここには、なんとも言えない若さゆえのみずみずしい魅力が詰まっている。しかし、ソニックスの本来の魅力は、若さによる外向きのエナジーだけにとどまらず、音楽面での年齢不相応の内面的な渋みが込められていることを忘れてはいけない。バンドサンドの中に、ちゃっかりサックスフォン、エレクトーンを取り入れているのも、若いロックバンドとしてはあまりに渋い特徴である。この音楽性が、現在でもソニックスを現役のロックバンドとして息の長い活動を支えているのだ。また、それに加え、ギターの癖になるようなフレージング、ぶんぶん唸るベースの厚み、そう、ここに録音されているすべてが、ロックンロールとして完璧!と言って良いのかもしれない。

もちろん、ザ・ソニックスの魅力は、楽曲そのものの痛快さ、若さゆえの無謀にも思えるハイテンション、それらをぐいぐい引っ張っていくリズム隊、バンドサウンドの力強さにある。これは、アメリカのガレージで行われた壮大なロックンロールパーティー。未熟さというのを臆面もなく前面に押し出し、それを輝かしい音で見事に刻印してみせたガレージロックの傑作なのである。

ザ・ソニックスは、アンダーグランドシーンの代表的なバンドとして世に膾炙されているが、その後のインディーシーンに多大な影響を及ぼしたロックバンド。魂のこもった本来のソウルの申し子としてのロックンロールの要素が詰められた伝説的な作品。とくに、新旧問わず、ロックファンとしては、このアルバム収録「Do You Love Me」「Psyco」 「Roll Over Beethoven」は聞き逃せない。

 

The Kinks

「Kinks」


 

 

イギリスのロックバンドとしては、ビートルズやストーンズ、ザ・フーの次に大きな人気を誇るザ・キンクス。

意外にも初期にはガレージ・ロックバンドに近い質感のある荒々しいロックンロールを奏でていることには驚嘆するよりほかなし。特に、このキンクスの鮮烈なデビュー作「The Kinks」で聴くことの出来るプリミティヴな音楽性は明らかにガレージ・ロック寄りの雰囲気を滲ませている。特にアルバム全体のギターのサウンド処理がギターという楽器の原始的な響きを重視しているため、いかにもソニックにも近い原始的なロックンロールの魅力を余す所なく体現している。

ザ・キンクスの代名詞、ロック史において名曲に挙げられる「You've Really Got Me」は、シンプルかつソリッドなロックンロールとして知られる。しかし、驚くべきことに、キンクスはソニックスより一年早くガレージ・ロックサウンドを確立させている。他にも「Revenge」のイントロを聴くと、スタンダードなロックというよりか、ガレージ・ロックの雰囲気が感じられる。

ロック史の名盤としてのみならず、ガレージロックの名盤としても挙げられることが多い今作。ストーンズに比べると軽視されがちなロックバンドではあるが、実は、ロック史を概観してみたとき、後のブラーといったイギリスのロックバンドの本流の重要な音楽性を形作っている。

 

The Litter

「Distortion」

 

 


ザ・リッターは、1966年に結成されたミネソタ州ミネアポリスの五人組ガレージロックバンド。

ガレージロックの祖、ザ・ソニックスに比する原始的なロックンロールサウンドが魅力。特にデビュー作「Distortion」は、ガレージロック隆盛の時代の勢いを時代的に刻印してみせた傑作。

ここではエフェクター「ビックマフ」のような苛烈なディストーションサウンドが体感できる。そして、なんと言っても、このザ・リッターの魅力は、痛快なビートルズやザ・フー直系のプリミティヴなロックンロールテイストにあり。ロックンロールとしてもひしゃげていてめちゃくちゃカッコいい。

特に、コーラス・グループとして、又は、極上のポップスとしても充分たのしめるような雰囲気もある。オリジナル曲「Whatcha Gonna Do About It」のノリの良い痛快なロックンロールも素晴らしく、ここにはザ・フー、イギリスのモッズシーンに対する憧憬も存分に込められている。

 

ザ・フーのカバー、「Substitute」。それからなんと言っても、「Legal Matter」はかなり秀逸なアレンジメント。この若々しく、みずみずしく、ちょっとだけ切ないような青春の響きは、ガレージロックとしてでだけはなく、パワー・ポップあたりの音楽性との共通点も見いだされるはず。また、ベルベット・アンダーグラウンドの中期の方向性のようなソリッドな荒削りさも持ち合わせている。六年間という短い期間で解散したロックバンドであるものの、ザ・ソニックスとは異なる魅力を持つ、ザ・リッター。隠れた名ロックバンドとしてここで御紹介しておきたい。

 

The Velvet Underground 

「White Heat/White Light」

 

 


所謂、アンディー・ウォーホルととの関係性上において語られることが多く、なおかつニューヨークのオルタナティヴバンドの始祖として語られることの多い、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

しかし全体的なロックバンドとしての印象は、現代のアートポップの先駆者といえるのかもしれない。その固定的なアートのイメージに比べ、「Sunday Morning」「Sweet Jane」等の歴代の代表曲を見ても分かる通り、意外にポピュラーの要素が強いロックバンドであるように思える。これは、ルー・リードがいかに傑出したソングライターであるかのを証立てているように思える。

一般的なロックバンドとして評価される一方で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、パンクロック/ガレージロックのアングラな流れを最初に形作ったと見なされることもある。一例を挙げるなら、デビュー作「The Velvet Undergoround」においては「European Sun」「Heroin」に代表されるように、この1960年代でプリミティブな退廃的なロックンロールを既に完成させている。

デビュー作の翌年リリースされた二作目の「White heat/White Light」は、ガレージ・ロックの名盤として挙げておきたい原始的なロックンロールの魅力を体現した一枚である。特に、表題曲「White heat/White Light」この一作目とは打って変わって、粗削りでプリミティヴなロックンロールサウンドに回帰を果たしている。また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影の名曲として語り継がれている「Sister Ray」は、ガレージ・ロック本来の響きを収めた17分半の歴史的超大作である。そして、この楽曲のロックンロールバンドとしてのアバンギャルド性、最終盤の狂気的なすさまじい迫力にこそ、ガレージロック、ひいてはロックンロールの醍醐味が詰めこまれているのだ。

 

この「Sister Ray」という一曲が後世のロックシーン、2000年代の、ストロークス、リバティーンズといったリバイバルシーンのアーティストの創作性に与えた影響というのは凡そ計り知れないものがある。最も有名なファーストアルバムだけで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本来の魅力は掴みきれるというわけではない。正に、この二作目にこそヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本当のロックバンドとしての超絶性が刻印されている。そして、この伝説的な作品は、いかにロックンロール音楽が芸術的であり、素晴らしいものであるのかを見事に物語っている。

 

MC5

「Kick Out The Jams(Live)」

 

 


MC5は、グランド・ファンク・レイルロード、ブルー・チアーズに並ぶとんでもない大音量のアメリカンロックサウンドを確立させたデトロイトの五人組。1960年代の終盤、アメリカではレッド・ツェッペリンを始めとするハードロック勢に対抗する形で、続々とヘヴィ・ロック性を打ち出したロックバンドが台頭した。イギリスのロックバンドが音楽性や藝術性で勝負するロックバンドが多いのに対して、アメリカは、このMC5やブルー・チアーズ、そして、グランド・ファンク・レイルロードをはじめ、いかに大音量のロックンロールをライヴで体現出来るか競い合っていた。
 

最もロックンロールが熱狂的な文化であった時代、このMC5のデビュー作でもありライブ盤でもある「Kick Out The Jams」は、特に七十年代前後のロックムーブメントのリアルタイムの狂乱が心ゆくまで味わえる歴史的傑作。この作品には異質な空気感に満ちている。演奏者と観客がもたらす熱気、そして、演奏者、観客ともに一触即発の雰囲気に満ちている。この建前ではなしに、演奏者スターではなく、同じ目線で眺めている雰囲気がロックンロールの真髄といえる。
 
 
ちなみに、オリジナル盤においては、一曲目、表題曲の最初のMC「Kick Out The Jams」の後の「Motherfuker!!」の部分がマスタリング段階で検閲によってカット。しかし、何故かしれないが、日本盤だけは、このカットされた部分が残されており、「Motherfuker!!」の激烈なアジテーションを体感することが出来る。とにかく、この音源を聞いたときほど日本人であることに感謝したことはない。実際、この部分がカットされた原盤は、興奮性が欠けていて物足りなくなってしまう。しかし、この後に急にファンの方が異様な盛り上がりを見せて、バンドサウンドに対して歩み寄りを見せるのも一体感にあふれていて素晴らしい。

もちろん、このMC5のデビュー作は、ロックンロールとしても一級品である、ギターのディストーションの荒削りさとうねり具合、原始的な衝動性を感じるという点においては、ガレージ・ロックの元祖、ザ・ソニックスに匹敵する、いや、それどころか、さらにひとつ上を行くものが込められている。
 
いまだロックンロール音楽が本当の意味で不可解なもの、そして、ロックンロールがまだ全然よくわからないものとされていた1969年のアメリカの工業都市デトロイトにおいて、民衆がいかにこの音楽に夢とあこがれを抱いていたのか痛感できる一枚。これは、ロックンロールとしての文化の一時代性を体感できる数奇な作品である。何一つも誇張でなく、この作品以上の凄まじいアジテーションに彩られた轟音ロックサウンドというのは、他には、これまでブラック・フラッグのイタリアのブートレッグのライブ盤くらいしか聴いたことがない。熱狂的な原始的ガレージロックとしても楽しめるが、ロック史にも刻まれるべきライブ盤の金字塔である。

 

The Stooges

「the stooges」 



 

ザ・ストゥージズは、MC5と同じように、工業都市デトロイトから出発した、ミシガン大学で、イギー・ポップを中心に結成された伝説的な四人組ロックバンドである。このロックバンド、ザ・ストゥージズの解散後、このバンドの中心人物、イギー・ポップは、のちにデヴィッド・ボウイ等、世界的なスターミュージシャンとも関わりを持ち、イギーは、彼等二人に比する存在感を持つようになる伝説的なロックミュジシャンとなった。ソロ活動としては、結構、「Lust For Life」を始め、ポップスに近い雰囲気をもった楽曲のイメージがまとわりつくロックミュージシャンである。しかしながら、イギー・ポップの本質的な音楽性はやはり、このデトロイト時代、ザ・ストゥージズにおけるデンジャラスでプリミティヴなガレージロックに求められる。

とりわけ、このストゥージズのデビュー作品 「the stooges」は、のちにジョン・ケイルやデヴィッド・ボウイがリミックスを手掛けた歴史的名盤。後の「Raw Power」と共に、パンクロックの祖といわれる伝説的な名盤。また、ニューヨークに最初にガレージ・ロックを呼び込んで見せたイギー・ポップのデビュー作にして代表作である。

特に、アルバムの一曲目「1969」で展開されるガレージ・ロックの原始的な輝きは未だに失われていない。このワウを噛ませたギターサウンドの渋みは一聴の価値あり。続く「I Wanna Be You Dog」もギターサウンドの面でガレージロックらしいディストーションの轟音性を味わうことが出来る。

そして、後のイギー・ポップの狂気性、獰猛性、すさまじいハイテンション性の萌芽もここにうっすらとであるものの見うけられる。一方、ここでは、きわめてその性質とは対照的なクールなイギーの雰囲気も感じられる。それから、なんといっても、ガレージロックの一番重要な要素、ディストーションで歪みに歪んだロックンロールの危うさが、この作品ではシンプルに端的に提示される。以後の作品「Raw Power」「Fun house」では、サイケデリックロック、パンクロックと次の領域に踏み込んでいったストゥージズ。しかし、この鮮烈なロックンロール性を提げてシーンに華々しく登場したデビュー作にこそ、このロックバンド、ひいてはイギー・ポップの最大の醍醐味、荒削りなガレージ・ロックの元祖としての魅力が存分に詰め込まれている。

 

Johnny Thunders&The Heartbreakers

「L.A.M.F」The Lost '77 Mixes

 

 


ジョニー・サンダースは、ロンドンパンクスのジョニー・ロットンに比べ、コアなファンをのぞいては、それほど一般的な知名度を持たないロックミュージシャンである。

もちろん、サンダースの人生の最期が、何かしら彼のイメージに暗い影を落としている側面もなくはないのかもしれない。

それでも、元は、ニューヨーク・ドールズのメンバーとして活躍していたニューヨークシーンの名物的な存在、ジョニー・サンダースは、その全生涯の短さにも関わらず、いや、その生涯の短さゆえ、後世の音楽に大きな影響を及ぼした偉大なロックミュージシャンである。もちろん、このハートブレーカーズ、ジョニー・サンダースがもしかりに存在していなかったとしたら、セックス・ピストルズどころか、ロンドン・パンクすらこの世に生まれ出なかった可能性もある。それくらい、ロックンロール性を生涯において体現した素晴らしいミュージシャンなのだ。

ソロ活動では、穏やかでやさしげな一面を覗かせるフォークロック寄りの音楽を奏でるジョニサンであるが、ハートブレーカーズとしてのリリースされた「L.A.M.F」は、引き締まった捨て曲のないロックンロールの旨味を抽出したような名作。もちろん、後世のロックンロール、ロンドンパンク、ガレージロックと多岐に渡るジャンルの橋渡しのような役割を果たしたロック史からみて最重要の名作と言える。

「L.A.M.F」。

あらためて、この伝説的なアルバム全体として捉え直してみると、スタンダードなR&B色の感じられる、実に軽快なロックンロールの珠玉の名曲ばかりがずらりと並ぶ。特に、「Going Steady」「Do You Love Me」「Born to Lose」といったロックンロール史に燦然と輝く名曲は、ニューヨーク・ドールズ時代の音楽性を受け継いでおり、今、じっくり聴いてみると、たしかにロンドン・パンクの音楽性の萌芽も見えなくはないにしても、実は、ド直球のガレージ・ロックとしても楽しめるプリミティブな魅力を持つロックンロールナンバーがずらりと並べられている。

あまりに、大きな影響を後世のロック史に与えてしまったためか、ジョニー・サンダースの生涯は38年と余りにも短かった。

いや、それでも、もちろん、サンダースの破天荒でデンジャラスな生き様を手放しで称賛するわけではないのだけれども、誰よりも、太く短く、逞しく生きたのがジョニー・サンダースというミュージシャンだった。これぞ、まさしく、最もクールなロックンローラーらしい生き様ではないか。

 今回、ご紹介させていただくのは、スフィアン・スティーヴンスとアンジェロ・デ・オーガスティンの共作となる9月末リリースされるアルバム「Beginner’s Mind」の三つの先行シングル作品となります。三つのシングル作品は、アルバムリリースに先駆ける形でAthmatic Recordsから発表されています。

 

7月7日「Reach Out/Olympus」、8月10日「Back To Oz/Fictional California」、9月8日「Cimmerian Shade/You Give Death A Bad Name」がリリースされています。この三部作ともいいえるシングル作は、音源制作の背景に興味深いエピソードが見いだされる作品。

 

音楽性としては、サイモン&ガーファンクルの活躍した時代の往年のフォーク性を引き継ぎ、穏やかな自然味にあふれたナチュラル感のある雰囲気が漂っており、このシングル三部作、そして、続いて9月末リリースされるこのシングル曲を含め、十四曲が収録されたアルバム形式の作品「Begginer’s Mind」は、2020年代のアメリカのフォーク・ブームのリバイバルの到来を予感させるような期待感溢れる傑作と言えそうです。

 

さて、この三つのシングル作の紹介に移る前に、日本ではそれほど馴染みのないこの二人のSSWのごく簡単なバイオグラフィーを紹介しておきましょう!!


 

 Surfjan Stevens&Angelo De Augustine


スフィアン・スティーヴンスの方は、ミシガン州デトロイト出身のインディーフォークシーンではベテランアーティスト。

1999年、義父と設立したレーベルAthmatic Recordsから「A Sun Came」でデビューを飾り、その後、自主レーベルから「Enjoy Your Rabbit」「Michigan」「Seven Swans」「lllinois」「The Avalanche」を一年のサイクルでリリースしてきています。それから、目立ったブランクもなく、派手な宣伝活動を行わないで、作品リリースを続ける傍ら、米インディーシーンで着実にリスナーの人気を獲得していったアーティスト。2021年までに二十作品以上のアルバムをリリースしている創作意欲活発の多作なSSWです。

既に、アメリカ国内では、大きな功績を上げている。2005年リリースされたスタジオ・アルバム「lllinois」は、ビルボードのトップ・ヒートシーカーズ・チャートで一位を獲得しています。また、映画「Call Me By Your Name」では、サウンドトラックとして提供した「Mistery of Love」でアカデミー賞、オリジナルソング部門にノミネート。また同作品で、グラミーのビジュアル・メディア・ライティング・ソング部門にノミネート、授賞式で楽曲を披露しています。2010年のスタジオ・アルバム「The Age Of Adz」は、米ビルボードで7位を記録、2015年「Carrie&Lowell」では全米7位を記録。今や、アメリカ国内では押しも押されぬ人気を誇るアーティストといえそうです。

スフィアン・スティーヴンスの音楽性は、基本的に、アメリカの古典的なギターフォークを主要なバックボーンとしつつ、その中にも、ピアノ、バンジョーといった楽器も作曲の中に織り交ぜているのが特徴です。また、スティーブンスのソングライティングには、独特な古いルーツを持つ民謡的な音楽が取り入れられており、作品自体にストーリーテリング的な要素、物語の要素、文学性が込められてます。それは、ときに、フォークロアにおける神話のごとき神秘的な音の世界が繰り広げられており、アイスランドのエクトロニカ、トイトロニカ勢とは又異なる幻想的な雰囲気を併せもっています。

 

一方、アンジェロ・デ・オーガスティンは、インディー・フォーク、オルタナティヴ、ローファイの分野で活躍するアメリカのアーティストであり、カルフォルニアのサウザンドオークスを拠点に活動するSSWです。2014年、自主制作盤「Spiral of Silence」をスフィアン・スティーブンスが義父と設立したレーベル「Athmatic Records」からリリースしてデビューを飾る。続いて、二作目となるスタジオ・アルバム「Swim Inside the Moon」、また、三作目のスタジオ・アルバム「Tomb」を同レーベルから2019年にリリースしています。上記のスティーヴンスほどの知名度はまだないものの、これまで、彼の作品は、National PublicやIrish Timesによって称賛されています。

アンジェロ・デ・オーガスティンの音楽性としては、爽やかで涼し気な雰囲気のあるインディーフォーク。聴いていると、心が清涼感に満ち溢れるような穏やかなフォーク音楽。それは、往年のサイモン&ガーファンクルのような古典的なフォークに、電子音楽の手法を付加したような印象です。古典的でありながら現代的なサウンドを特徴としています。 そして特にこのオーガスティンの歌声というのは、非常にやさしげで、琴線に触れる温かみがあります。また、スタジオアルバム「Tomb」での成功により、近年、インディー・フォーク界で知名度を上げつつある再注目のアーティストです。

  

 「Reach Out/Olympus」

  

 

 

TrackListing

 

1.Reach Out

2.Olympus

 

「Back To Oz/Foctional California」

  


 


TrackListing

 

1.Back to Oz

2.Fictional California

 

「Cimmerian Shade/You Give Death A Bad Name」

 



TrackListing

 

1.Cimmerian Shade

2.You Give Death A Bad Name

 

先行リリースされたシングルの三作品は、2020年代のアメリカで最もコアなインディー・フォークの誕生の瞬間を告げています。音楽性についても考えさせられるところがあり、「Athmatic Records」のレーベルメイト、スフィアン・スティーヴンスの物語性、そして、アンジェロ・デ・アウグスティンの良質なメロディーメイカーとしての才覚が見事な融合を果たし、両者のエナジーが上手く昇華された作品といえそうです。

この一連のアルバム作品としての制作リリースの際のエピソードには興味深い物語性が見いだされます。

そもそもこの作品は、コロナウイルス禍という時代における人間の生き方に重点的なテーマが置かれており、「壊れた時代に人間として生きること」という哲学的な二人のミュージシャンらしい疑問が掲げられています。作品制作の出発点も、初めてコラボレートしたこの二人のSSWは、約一ヶ月間の休暇をとり、ニューヨーク州北部の知り合いの山小屋を借りて、全ての音楽をその山小屋で短期集中して制作されました。つまり、現代版「ウォールデン 森の生活」のような大自然に包まれながら作製された作品という点で、自然の癒やしの恩恵を最大限に受け、ナチュラルな雰囲気を活かし、現代社会の暮らしの多忙さ、無数の情報とは一定の距離をとり、作られた音源です。

このアルバム制作に際して、スフィアン・スティーヴンスとアンジェロ・デ・オーガスティンは、様々な実験性を音楽制作の中に取り入れています。またなおかつ、他のメディア媒体からのインスピレーションを創作の根源としました。つまり、毎晩毎夜、様々な映画を見、翌朝、山小屋で起きた際、メロディーやコーラスを相携えて制作に励みました。つまり、映画という藝術媒体を、固定観念のない子供のような純粋な眼差しで捉えることで、その映像からもたらされる断片的印象を音として丹念に組み上げていったのです。

彼等二人が共に鑑賞した映画には、様々なジャンルがあり、 中でも、ゾンビ映画やホラー映画が多く、このあたりは、三部作のシングル、そして「Begginer's Mind」のユニークなホラーテイストのアートワークにかなり大きな影響を及ぼしているようです。彼等が一ヶ月間の山小屋生活の中で鑑賞した映画というのは、個性的な作品が多く、ナイト・オブ・ザ・リング、羊たちの沈黙、ポイント・ブレイク、イヴの総て、等。これらの作品のインスピレーションを元にして、フォーク音楽の骨格が何度も入念な手直しが加えられながら、シングル、アルバム制作は完成へ導かれていったようです。また、ジョン・カーペンターのザ・シング、次いで、なんと言っても、ドイツの巨匠監督、ヴィム・ヴェンダースの「欲望の翼」が列挙されているあたりは、この二人が相当な映画フリークらしい様子が伺えます。スティーヴンスとオーガスティンは、毎晩毎夜、これらの名画をニューヨーク北部の山小屋で真摯に鑑賞を繰り返し、その映像からもたらされるインスピレーションを翌朝に持ち越し、さらにそれを概念というフィルターを通して、最終的に「音楽」として見事に作り上げていきました。

また、この制作のプロセスにおいては、中国の古典「易経」やブライアン・イーノの考案した作曲法「Oblique Strategies」が取り入れられているのも興味深い点でしょう。つまり、作曲の過程での気の迷いが生じた際、易経にある占いによる偶然性の概念、あるいはイーノの考えの方向性を示したカードを導入し、それらの道具を活用しながら、またそこにある概念を借り受けながら見事な作品として仕上げていったというわけです。音楽性としては、すごく聞きやすいナチュラルなフォークであるものの、そこには映画音楽のサントラのようなドラマティックなストリングスアレンジメントが施されていたり、また、物語性により、奥行きのあるシークエンスが取り入れられていたりと、少なからずの実験性、しかも前衛的な概念がこの作品には感じられます。

さらに、アルバムアートワークについても面白いエピソードがあります。この三つの作品、そして、次にリリースされる予定のアルバムの総てのアートワークを手掛けているのは、ガーナのアーティスト、ダニエル・アナム・ジェスパーというアーティスト。

八十年代から九十年代にかけて、ガーナでは、ハリウッド映画をピックアップトラックの荷台で上映する「モバイルシネマ」という独自の文化が流行していた。そしてまた、実際のポスターを作製する場合、少ない情報による漠然としたイマジネーションからポスターを作製するという独特の文化が存在した。そのポスター作製時にもプリンターの輸入が禁止されていたため、小麦袋に直接ポスターを描いていたのだとか。もちろん、それらは殆ど実際の映画を見る前にほとんどデザイン作製者の想像によって描かれていたのだそうです。今回、スティーヴンスが、このガーナのモバイルシネマ文化の第一人者であるダニエル・アナム・ジェスパー氏に、自作品のアルバムアートワークの作製を依頼したゆえんは、今回の自作品の映画との深い関わり方、そして、映画に対する深い愛情によるものでしょう。また、実際、アルバムアートワークというのは、音楽を聞きながら、そのインスピレーションによりデザインを決定する場合が多いですが、この三つのシングル、アルバムではその常識が完全に覆されています。

今回は、スティーブンス側からは、明確なイメージはほとんど伝えられず、デザインを手掛けたダニエル・アナム・ジェスパーの特性を尊重し、彼が自由自在にデザインを行えるよう配慮したそうです。唯一、二人の製作者側からは、神話の神々、怪物、ゾンビ、スカイダイバー、アメリカの映画監督のジョナサン・アデミという人物だけがイメージとして、ダニエル・アナム・ジェスパーに伝えられました。こういった一見、ちぐはぐにも思える断片的なイメージを元に、ダニエル・アナム・ジェスパーはアートワークを自身の「モバイルシネマ」というアート性を介して、アルバムアートワークを手掛けていきました。その結果、この三作品のシングル盤、そして、アルバム「Beginner's Mind」のアルバムジャケットには、ガーナのモバイルシネマ時代のポスターに象徴されるポップアート性が遺憾なく表現されています。神話的、アニメ的、そして、イラスト的、これらの要素が見事に融合したアートワークを完成させたのです。

総じて、フォーク音楽としての秀逸さというのも一つの魅力でありながら、その背後にあるストーリー性、哲学性、またアート性という面でも尋常でない深みが感じられるこの三つのシングル。フォーク音楽としてはニューヨーク北部の山小屋で制作されたというエピソードを見ても分かる通り、商業大量生産から距離を取り、長くじっくり聴くためのアートのしてのアメリカンインディーフォークがここに誕生したといえるでしょう。全体的には、この作品が西洋思想、神話性だけでなく、東洋思想、易及び禅の思想と直結しているため、西洋の幻想性にとどまらず、東洋藝術の源流にある思想が貫流しています。

三つのシングルが東洋絵画でいう三輻画のような役割を果たし、「物語」としての一連の「コンセプト・シングル」という見方も出来るでしょう。しかも、この三つのシングルは、楽曲の奥行きが感じられ、よく聴き比べてみると、一つの流れのようなものが形成されているようなのが理解できます。ただ、単に聞き流すという音楽ではなく、音楽を聴いた上で、これまでにない観念を立ちのぼらせる契機を与えてくれる珍しい音楽です。

たとえば、ウォールデンの森の生活を音楽で表したら、どのような音楽になるのか?という実験の答えがまさにこの三つの作品には示されているように思え、それは単なる往年のサンフランシスコのヒッピー思考ではなく、往年の「羊たちの沈黙」をはじめ思索性のある名画の創作性と密接に結びついて、哲学的な思考により彩られています。

 

 

 

References 

 

 

Wikipedia 

 

 

Sufjan Stevens

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%82%B9 

 

 

Angelo de Augustine

https://en.wikipedia.org/wiki/Angelo_De_Augustine 



Indie native  

https://www.indienative.com/2021/07/a-beginners-mind

 

 

Wrszw.net

https://wrszw.net/albums/sufjan-stevens-angelo-de-augustine-a-beginners-mind/ 


 サウスコリアの新星 Parannoul


 

Parannoulは、サウスコリア、ソウルを拠点に活動するソロシューゲイズ/ポストロックミュージシャン。今、韓国だけではなく、世界的にインディーシーンで注目を集めているアーティストだ。

 

詳細プロフィールは公表されておらず、謎に包まれたアーティストで、彼自身はParanoulというプロジェクトについて、「ベッドルームで作曲をしている学生に過ぎない」と説明している。

 

ひとつわかっているのは、Parannoulは、一人の学生であるということ、宅録のミュージシャンであるということ。そして、内省的ではあるが、外側に向けて強いエナジーの放つサウンドを特徴とするインディーロック界の期待の新星であるということ。想像を掻き立てられると言うか、様々な憶測を呼ぶソウルのアーティストだ。 そして、デビューから二年という短いキャリアではあるものの、凄まじい才覚の煌めきを感じさせるアーティストとして、簡単にパラノウルの作品について御紹介しておましょう。

 

パラノウルは、これまでの二年のキャリアで二作のアルバムをリリースしている。2020年に最初のアルバム形式の作品「Let's Walk on the path of a Blue Cat」を、WEB上の視聴サイトBandcampで発表している。

 

 

 

 「Let's Walk on the path of a Blue Cat」  2020

 

 

「Let's Walk on the path of a Blue Cat」 2020  

 

TrackListing

 

1. Today's Sky Clear

2. Dream Halluciation

3. Path of a Blue Cat

4. Meaning Of Change

5. Bright Dark,Lost Shoelaces,One Year of Falure

6. Alone In the Forest

7. Tone After Tone

8. Reincarnation

9. Meaning of Disappear

10. The Next Day

 

 

この最初のリリースに対して、例えば他のベッドルームポップ勢のような大きなリアクションがあったとか、ストリーミング何万再生といった付加的なエピソードを添えることは脚色となるので辞めておくが、宅録のデビュー作とは思えないほどの迫力のあるポストロックを展開させている。原題はハングルであるが、英題もつけられている。このデビューアルバムの全体的な印象としては、ボーカル無しのインストゥルメンタル曲がずらりと並び、徹頭徹尾、冷静沈着な精細感のある叙情的なギターロックが展開されている。

 

宅録のソロプロジェクトとは思えないほどの完成度の高さで、一人でこれだけの音を作り上げられるという不可能を可能にした超絶的なクオリティーといえる。少なくとも、このデビューアルバムは、非常に理知的な音作りがなされており、楽曲の展開もそれほど目立った変拍子はないけれども、想像性による展開力は抜群だ。

 

数学的な音の運び方をするので、理系の学生ではないか?と勘ぐるほど。(実際は分からないと断っておきたい)アメリカのドン・キャバレロを初め、ToeやLiteのような昨今の日本のポスト・ロック勢とも共通点が見いだされる。数学的に計算されつくしたまさにポストロック/マスロックの代名詞ともいえるサウンドで、そのあたりのポストロックファンにはドンピシャな音楽性であるように思える。

 

しかし、このパラノウルのサウンドは、近年のポストロックの潮流の音楽とはちょっと異なる面白いユニークな質感を持っている。楽曲自体の複雑性、巧緻性に重きを置く、例えば、イギリスのBlack Country,New Road、近年のToeやLiteのような日本のポストロック勢とは異なる独自の音楽性が貫かれているように思える。それはなんなのかと推察してみると、このパラノウルのデビューアルバムには、近年流行りのマスロックらしいスティーブ・ライヒ的なミニマリスムの要素もありながら、独特な内向的なサウンドが展開されている点である。これが近年のマスロックとは異なる。そこには何か悶々とした内向きのエネルギーの放出がひたひたと内側にむけて静かに連なり、複雑な綾を描きながら放たれていく。そして、青春の息吹が感じられる。これがエモとか、シューゲイズとい称されるゆえんなのだろうけれども、これはそのような簡単なジャンル分けによって定義づけられるサウンドではない。それよりも遥かに凄いエネルギーを感じるのである。

 

もちろん、そのエナジーは内向きである一方、聴いているリスナーに、一種の爽快感ともいえる情感をもたらすのは不思議でならない。これは何らかの音に対するスカっとするようなカタストロフィーを感じさせる音楽なのではないだろうか。それは上記したパラノウルというミュージシャンがベッドルームでの作曲者でしかないと自負している通り、自身の芸術性の外向きな部分を完全に廃し、徹底して内向きな轟音性を追求している。このサウンドはむしろ突き抜けているからこそ格好良いという感覚を聞き手に齎す。そして、癒やしにも似た不思議な感覚を聞き手に呼びさますのである。このパラノウルの独特な音楽性のバックグランドとしては、いかにも宅録らしい電子音楽からの色濃い影響が伺える。それは、例えば、電子音楽家であり数学者でもあるアメリカのCaribouを彷彿とさせる独特なテクノサウンドに近い雰囲気を滲ませる。

 

近年、他のポストロック/マスロック勢が捨ててきた抒情性も感じられる。もちろん、そのテクノに近いアプローチは、ダイナミックなドラミング、そして、シンセサイザーの色付けによって、また重層的な音の作り込み、そして積み上げにより、一人のミュージシャンの手から生み出されるとは思えないほど、壮大な宇宙的なバンドサウンドに様変わりを果たし、万華鏡を覗き込むかのような、色とりどりの摩訶不思議な世界をリスナーに魅せてくれるというわけなのである。


 

その後、パラノウルは、WEB上で自身の音楽を公表していき、Rate Your Music,Redditといったサイトを活用し、インディーらしい活動を行い、徐々に知名度を高めていく。

 

また2021年には、二作目となるアルバム「To See the Next Part of the Dream」をリリース。このアルバムは、カセットテープ形式でもリリースされた作品というのは特筆すべき点だろう。

 

また、この二作目のアルバムリリースにより、パラノウルはインディーズ音楽限定ではあるものの、徐々にその音自体の、センスの良さ、オリジナリティー、また、ジャンルにおさまらりきらない幅広い音楽性によって注目を集める。その過程において、特にアメリカのニューヨークの耳聡さのあるメディア、ピッチフォーク、ゼクエンツオブサウンドなどで、この作品が取り上げられるようになった。

 

 

 「To See the Next Part of the Dream」 2021

 

 

「To See the Next Part of the Dream」2021

 

 

TrackListing

 

1.Beautiful World

2.Excuse

3.Analog Sentimentalism

4.White Ceiling

5.To See the next Part Of the Dream

6.Age Of Fluctuation

7.  Youth Rebellion

8.  Extra Story

9.  Chicken

10. I Can Feel My Heart  Touching You



特にこのパラノウルのセカンド・アルバム「To See the Next Part of the Dream」は要注目の作品である。 一作目のインストゥルメンタルで占められていた作風とは打って変わり、轟音ポストロックサウンドに大変身を果たした。それに加え、韓国語のボーカル?が追加され、よりソングトラックとして聞きやすくなったように思える。

 

一曲目の「Beautiful World」のイントロには「何聴いているの?」という日本語のサンプリングが取り入れられているのも非常に面白い点である。しかし、ヴォーカル入りになったからといって、パラノウルの激烈なサウンドが鳴りを潜めたというわけではない。いや、むしろリードトラックからすでに、凄まじい疾走感、そして轟音感のあるサウンドが全力で繰り広げられ、そして、ものすごい迫力で突き抜けていく。そこには何となく淡い青春の息吹を感じざるを得ない。また、ここで表現されているのは、アルバムジャケットとしてイラストで描かれている青空にたちのぼる工場の煙のような日常の風景の中にある一コマに感じられるようなエモ的な情感なのである。

 

そして、そのサウンドは、ムーグシンセサイザーの導入をはじめ、一作目のポストロック/マスロックのアプローチに比べると、電子音楽としてロックが実に痛快に、いや、爽快感をおぼえるほどに展開されていくのだ。

 

とりわけ、このセカンド・アルバムの中では、#3「Analog Sentimentalism」だけは聴き逃がせません。

 

きわめて感慨深く、ほとんど感涙にむせばずにはいられないのは、ここでソウルのミュージシャン、パラノウルが大きな誇りを持って展開しているのは、コーネリアスのような、まさに往年に日本でよく聴かれていた渋谷系といわれた平成の日本のポップスに近い疾走感のある電子音楽性である。それが見事に、実に、見事に、現代の轟音的なポスト・ロック性、そしてダンサンブルなポリリズムと融合を果たし、未来の2020年代のサウンドを形作っているのである。ここでパラノウルが描き出そうと試みる音楽の世界は必ずしも外向きなものとはいえない。

 

しかし、その内向きの強いエレルギーが一種の爽快感を持って極限に達した時、もはや彼が存在するのはベッドルームではない、音というひとつの媒体を介して広がりを見せた大きな世界なのである。一つのベッドルームからはじまったパラノウルの轟音の物語はこれからも彼の音楽が途絶えぬ限り続いていくだろう。狭い世界から始まった音楽がどこまで広がりを見せていくのかたのしみにしたい。

 

兎にも角にも非常に期待の若手のインディー・ロックミュージシャンとして期待したい、サウスコリア、ソウルのアーティストとして、パラノウルの作品にはこれからも注目してきたいところです。


ブルースの歴史

 

 1.ブルースの本質とは何か?

 

ブルースというのは一見、分かりやすいようでいて、初心者にとっては掴みどころがないように思えるジャンル。

 

私自身も、このジャンルをはじめて聴いたのは、ブルージャズでした。エラ・フィッツジェラルドの「Basin Street Blues」を聴いて、この「ブルーズ」という響きに魅せられ、それからブルーズとはなんぞやと知りたくなり、東京の至るレコードショップ通いをし、ブルース関連のレコード漁りを始めたのは、十代半ば後半に差し掛かった頃でした。

 

その過程に、ロバート・ジョンソン、マディー・ウォーターズといったブルースの巨人がいたわけで、これらのファンタスティックな黒人ミュージシャンの音楽を聴いたおかげで、ブラックミュージックの乗りが手にとるようにわかるようなったのは事実。より音楽の楽しみ方も増したように思えます。 

 

I Got the Chicago Blues"I Got the Chicago Blues" by pbeens is licensed under CC BY-NC-SA 2.0


しかし、このブルースという音楽の本質は何なのか、言葉自体はそれなりに多くの人が知っているにも関わらず、本質についてはジャズよりも言い表しがたい。ジャズというのはバンドの編成の形から連想できようが、ブルースについては必ずしもスタイルで定義づけることが理にかなっているとは思えない。一体、なぜだろう? ブルースを演奏するためには、形、スタイルではなく、他に重要な何かが必要なのだろうか?? それを今一度、考えなおしてみたいところです。 

 

そもそも、ブルースという音楽には、ジャズのようなスマートさも派手さはない。それどころか、ハウリングウルフに代表されるようにきわめて泥臭い不器用な音楽と言える。それにジャズのように目に見えてわかる楽器編成上の特徴も乏しく、それも非常に地味な感じでブルースハープが導入されています。

 

ブルースといえば、ギター一本と、歌、ブルースハープだけで貫かれるきわめて硬派な音楽である。演奏者も、ロバート・ジョンソン、マディー・ウォーターズ、ライトニング・ホプキンズ、オーティス・ラッシュ、リトル・ウォーターズと、黒人の男性ミュージシャンが目立つ。語弊があるかもしれないが、泥臭く、男らしい音楽がブルースなのです。 

 

ブルースについて、より詳細に言及する前に、その昔には、ゴスペルという黒人の教会音楽が存在したことについても一応触れておきましょう。なぜなら、おおよそ黒人のすべての音楽のルーツは、アフリカの民謡と、もう一つはアメリカの教会音楽ゴスペルに求められるからです。

 

この魂を震わせるようなソウル音楽の雰囲気には、ジャズ、ブルース、ロック、R&B,ソウル、ファンク、ラップ、すべてブラックミュージックのルーツが見られる。ときに、ローリング・ストーンズのような白人音楽についても同様です。キース・リチャーズもエリック・クラプトンも、黒人音楽の格好良さに純粋に憧れ、白人としてのブルースロックを追求していたのです。

 

そして、Gospel、これは、別名、スピリチャルズとも呼ばれ、アメリカ南部に多い黒人にとって現在においても精神的な支柱とも言える歴史的音楽。特に、イリノイ州シカゴという土地は、元々、バプティスト、メソジストをはじめとする宗派の黒人のための「ストアフロントチャーチ」が多く見られるが、この教会内で歌われる黒人のための霊歌が一般にゴスペルと呼ばれる音楽です。 

 

このゴスペルのルーツは、今でも完全には解明されておりません。アフリカからアメリカに奴隷としてやってきた敬意を持つ民族としての歴史をみると、アフリカの民族的な霊歌の影響が何らかの形でこのゴスペル音楽の中に取り入れられたという説。もう一つは、主流の教会ではないホーリネス教会で発生した音楽を元に完成したという説もある。そして、少なくとも、ゴスペルというのは意外にも、実は白人の宗教音楽の影響下にある音楽であるというのは事実のようです。

 

ゴスペルのはじまりは、セイクレッド(聖歌)を発展させるべく、1730年に白人主導の「グレイトアウェイニング」という宗教音楽の改革運動が起こりました。その改革者として知られているのが、”ドクター・ワッツ”というイギリスの宗教音楽家でした。この人物は、音楽の教科書には載っておりません。

 

しかし、宗教音楽史を概観した上で重要な作曲家です。ドクターワッツは、ドクターワッツヒムという教会音楽を一番最初に発明しました。この音楽、ドクターワッツヒムは、死に対する救済というテーマがあり、短音階を基調とした宗教音楽で、少し暗い雰囲気を持った宗教曲。そこに、アメリカの黒人たちは独特の歌い方、独特の音階を付け加え、あらたな音楽を誕生させた。その後、この音楽を下地にして、黒人教会のゴスペル音楽が作曲されたといいます。

 

そして、このブルースという音楽は正統的な黒人音楽ゴスペルに対し、カウンターカルチャー的な意味合いとして誕生した音楽です。 現在は、必ずしもそうではないように思えますけれど、二十世紀の黒人は非常に教会に対する信仰が深く、生活と信仰とういうのが直結しており、その線上に音楽文化が存在していました。

 

そして、教会音楽としてのゴスペルも、その後、大衆音楽との関わりを持つようになり、それからジャズ、ブルースといった大衆のための黒人音楽文化が出来上がっていくようになったのです。

 

 

2.デルタブルースの発生  黒人霊歌のゴスペルとの関わり

 

この黒人霊歌ゴスペルの延長線上に大衆音楽としての労働歌フィールドハラーが存在します。そして、当時アコースティックギターがアメリカ南部でも普及していったことにより、この労働歌を元にブルースがデルタ地域と呼ばれる一帯、ミシシッピやメンフィスという比較的黒人の肉体労働者が多い南部の地域で最初に発生しました。現在のロックにも通じるような8ビートを主体としてリズム、あるいは、ジャズにも近いシャッフル的な4ビートがこの音楽のリズムの基礎となってます。

 

特に、このアメリカ南部のデルタブルースというのは、何年も寝かせた味の濃いバーボンのような、とにかく渋く、泥臭く、短調を主体とした華やかさとはかけ離れた音楽で、暗い雰囲気を持っています。デルタブルースと呼ばれるジャンルは、ウィリアム・フォークナーの文学に非常に親しい雰囲気を擁している。アーネスト・ヘミングウェイのからりとした質感とは対極に位置するような文学性があり、どことなく暗く、どんよりとして、ヘヴィな雰囲気があるのです。

 

時に、労働歌の申し子としてのブルースは、初期のラッパーのような暗い雰囲気が滲んでおり、黒人たちの辛い労働の後の一種の気慰みとして、黒人奴隷という社会階級において虐げられる者としての唯一の芸術的な表現方法として発展していき、アメリカ南部、デルタを中心にしてカルチャーとしてアメリカ全土に、二十世紀初頭に、徐々に広がりをみせていった経緯が伺えます。その過程において、商業音楽としても確立されていき、ブルースを取り扱うレコード会社、チェス、メンフィスといった著名なレコード会社が設立されていき、いよいよブルースと言う音楽は、アメリカ国内にとどまらず、海を越えた地域にまで知られていくようになる。勿論、それからこのブルースという黒人音楽は、白人の生み出す音楽にも大きな影響を与え、エルヴィス、バディー・ホリーをはじめとするオリジナルロックンロールの重要な素地となったわけなのです。 

 

 しかし、十九世紀当初、アメリカ南部のデルタと呼ばれる地域、ミシシッピやメンフィスを中心に発展していったこのブルースという音楽に対して、一般的な黒人の反応は良いものではありませんでした。どころか、その始まりは極めてカウンターカルチャーとしての音楽であったのです。つまり、一般的なバプティストやメソジストといったカソリック系の教会での篤い信仰を持つ黒人達は、初めこのブルースという音楽を「悪魔の音楽」と見なして嫌悪していたのです。

 

つまり、デルタブルースの生みの親ともいえる、ロバート・ジョンソン、そして、彼の残した「Crossroad」を始めとする偉大な楽曲群が悪魔の存在とされるのは、どこから影響を受けて生まれ出たものかよくわからず、ましてや、当時としての前衛性を持ち合わせており、さらに、ロバート・ジョンソンがこれまでで最も偉大なブルースギタリストとして敬意を払われているのも一因としてありますけれど、音楽の文化史から見てみると、「ブルース」という音楽そのものが「悪魔の音楽」であると黒人達に一般的に見られていたため、このような奇怪な呼び名をあたえられたとも言えるのです。 

 

 

Robert Johnson.png
Robert Johnson


By Copyright © 1989 Delta Haze Corporation.[2] The photograph was taken in 1936 by the Hooks Brothers Photographers studio, owned by Henry and Robert Hooks, located on Beale Street in Memphis.[3] In 1974, Johnson's half-sister Carrie Thompson entered a copyright transfer agreement with Stephen LaVere in which she represented herself as Johnson's sole and closest heir.[4] She agreed to transfer to LaVere "[a]ll of her right, title and interests, including all common law and statutory copyrights, in and to ... a photograph of Robert L. Johnson taken by Hooks Brothers Photography in Memphis, Tennessee, and showing Johnson in a sitting position with a guitar running diagonally across his body ..."[5] The photo was first published in 1989 in the journal 78 Quarterly (Vol. 1, No. 4) with LaVere's permission.[6] It was most notably featured as the cover artwork for the 1990 release of The Complete Recordings, distributed by Columbia Records under license from LaVere.[7] In a series of subsequent court decisions, the Mississippi court system identified Claud Johnson of Crystal Springs, Mississippi as Robert Johnson's sole heir and determined that he was entitled to royalties from LaVere's 1974 contract. Claud Johnson died on June 30, 2015;[8] upon his death, the interest passed to his heirs, including Michael Johnson.[9], Fair use, Link

 

 

3.シカゴブルースの発生

 

さて、このアメリカ南部のミシシッピ、メンフィスで発生したブルースの流れを受けて、そのムーブメントは、やがてアメリカの北寄りの都市部のシカゴでも盛んとなります。

 

デルタブルースが基本的にほとんどアコースティックギター一本で奏でられる音楽であるのに対して、このシカゴブルースというのは、ジャズ的なキャラクター性を持った都会的に洗練された音楽です。

 

特に、デルタブルースとの楽器面での大きな相違点は、シカゴを拠点に活動するブルースマンはエレクトリック・ギターを使用し、アクの強いブルースハープを楽曲中に使用するという特徴でした。

 

しかも、このブルース・ハープの響きというのは、遠くの方で響く鉄道の汽笛を表現しているようにも思えます。都市部で引き継がれたブルースは、エレクトリック・ギターという特徴を持つ面で当時の最先端を行っていました。そして、この「シカゴブルースの父」と呼ばれるのが、マディ・ウィーターズというブルースの伝説的な巨人。彼の代表作「Rollin' Stone」という楽曲に因んで、かのローリングストーンズというバンド名がつけられたのは、かなり有名なはなしです。

 

ウォーターズは、ブルースマンとして音楽の最初のスターミュージシャンというように言えます。また、最も女に持てたというエピソードもあり、豪傑のイメージを持つクールなブルースマンです。

 

すべてを笑い飛ばすかのような肺活量の多さからくる豪快な歌い方、ブルースハープの独特な泣きのニュアンス、そして、ウェス・モンゴメリー、カーティス・メイフィールドにも比する初期のプリミティヴなエレクトリック・ギターのカッティングから醸し出されるウォーターズ特有の渋み。彼の音楽性というのは、未だ古びていないどころか新しさすら感じられるようです。それは試しに、最近、リリースされた「Muddy Waters:Montreux Years(Live)」2021を聴いていただければよくわかってもらえると思います。デルタブルースのロバート・ジョンソンとは異なる性質にしても、ギタープレイに大きな革新をもたらした偉大なミュージシャンの一人です。 

 

 

Muddy Waters - Peaches Rockville, MD"Muddy Waters - Peaches Rockville, MD" by glgmark is licensed under CC BY-SA 2.0

 

しかし、今でこそ、マディ・ウォーターズのレコードの累計売上というのは巨額であろうと思われますが、現役時代、特に、チェス・レコード在籍時代、彼のレコードは意外にも売れてはいなかったらしい。

 

ローリング・ストーンズとしてデビューして間もないキース・リチャーズが渡米し、たまたまチェス・レコードを訪れた際、なぜか、マディー・ウォーターズはチェスの会社の外壁のペンキ塗りをしていた。その様子を見たリチャーズは、「チェス・レコードは売上の上がらないミュージシャンを自社で下働きさせるのか!!」と、そんなふうに驚愕したのだという。

 

そういったユニークなエピソードは棚上げするとしても、マディー・ウォーターズのもたらした黒人音楽の革新性は驚くべきものでした。

 

ブルースという音楽性を、アコースティックという領域からエレクトリックへの橋渡しを行い、よりR&Bやロックンロールに近くしたという音楽に大きな革命をもたらした。それは、音楽性の面でもエレックトリックギターの演奏の基礎は今でもこのマディー・ウォーターズの旧盤を聴くことにより、市販の教則本よりも遥かに大きな教訓が学べ、基本中の基本の演奏が彼の作品では味わえるはずです。

 

もちろん、改めて、サンプリングネタを探しているDJはこのあたりの作品を再確認してみると、良いトラック制作が行えるかもしれません。

 

シカゴブルースの有名なアーティストとしては、他にもオーティス・ラッシュをはじめ、イギリスの多くの伝説的なギタリストが多くひしめています。それに加えて、ハウリング・ウルフをはじめとするブルースハープの名手も数多く見られる。ニューヨークとフィラデルフィアの中間点にあるシカゴ、もちろん、ウォルト・ディズニー生誕の地でもあるこの土地の音楽は、今も昔もロマンチズム、アメリカンドリームの塊のようなものです。


そして、デルタブルースに比べて都会的な響きを持つこの「シカゴブルース」という音楽は、文化的にもシカゴの都市の伝統ともいえる。

 

エレクトリックギターを音楽の中に最初に導入したという功績がどのようにみなされているのか、それは現在でも引き継がれている、シカゴ・ブルース・フェスティヴァルというお祭りが開催されていることからも伺えます。

 

そして、シカゴは、アニメーションの元祖というだけにとどまらず、ロックとしての元祖としても見ることが出来るかもしれません。つまり、近代文化史で最も重要な歴史を持つ都市。後には、ハウス音楽、そして、ポストロックを誕生させたシカゴの近代音楽の伝統の源流は、言うまでもなく、他でもないこのシカゴブルースに求められるのです。

 

今、思い返してみると、このきらびやかなシカゴブルースをかなり若い時代に聴き込んでいたという印象があります。それは別に意識してシカゴの音楽を聴いていたというより、このチェス・レコードの歴代のブルースアルバムジャケットのオシャレさに目を惹かれたという一点。それから、なんといっても、私がシカゴブルースに夢中になり、挙句には、ブルースハープを購入し、実際に演奏する羽目になったのは、色気のある「ブルースの巨人たち」のエレクリックギターの紡ぎ出すゴスペル発祥の渋みのあるフレーズ、独特な唸るようなブルースハープのド迫力、これらの音楽な要素には、ウォルト・ディズニーの思い描いた漠然とした「夢」が込められているような気がしたからだったのです。

 

明け透けに言えば、漠然とした束の間の大きな夢を見させてくれる音楽、これが最も素晴らしい藝術であり、他方、エンターテインメントの欠かさざる要素です。そもそも、夢が見えづらい音楽、これが欠けているものは、エンターテインメントとしては失格といえます。聞き手に、それまで及びもつかなかった漠然とした大きな「夢」という概念を、心の内に育ませてくれるものが込められているのか。これは現代社会のエンターテインメントにおいて、その本質が軽視されがちな要素でもあります。

 

しかし、すぐれたエンターテインメントは、多くの人々に、失望を与えるものでなく、常に、希望を与えるものでなくてはなりません。それは、近代の社会階級上で、苦渋を味わされてきた黒人の音楽というのが、常に一時代を通して多くの人々に世界に対して訴えかけてきた概念でもあるからなのです。

 

その夢というものは海を越え、イギリスの音楽愛好家の心にも人種を飛び越えて響くものがあったから、普遍的な文化としての価値があった。そして、ブルースのソウル=黒人たちの霊魂はそれから時代をひとっ飛び、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソンといったスターミュージシャンにも引き継がれていくことになりました。これらのミュージシャンもまた黒人としての夢を前の時代から引き継いで、現役の間、ずっと多くの人々に大きな夢を与えつづけていたのです。

 

そして、もちろん、過去の音楽でも、未来の音楽でも、「夢を与える」ということをわすれてはいけないように思えます。これは、とてもシンプルで軽薄のようにも聞こえる言葉ではあるものの、実は、夢をひとつの目に見える形として作る。これが、作り手にとっても聞き手にとっても、アートという表現形式においての欠かさざるモチーフです。一般的に、夢を見づらくなってしまったと言われる現代社会の人々たち。でも、夢をみることは、いつだって可能です。本来、人間の思い描く夢、イマジネーションは現実の出来事よりも遥かに偉大なのですから。 


その夢により、これまで人間は不可能を可能にしてきました。どのような時代、いかなる厳しい状況環境においても、何歳になろうとも、夢を見ること自体は全然不可能ではありません。それを不可能にしているのは、これまでに我々の内に形作られた「既成概念」でしかないのです。これまでの既成概念を振り払い、夢に向かって邁進していく重要性。この世には、現実よりはるかに重要な「ロマン」という素晴らしい概念が存在すること。この二つの大切な教訓を、歴代のブルースマンの人生、そして、音楽は、今でも実際の見本となって授けてくれているのです。

 

その点、このシカゴブルースは、善き師、善き友となりえ、エンターテインメント性においても「百点満点!!」というしかありません。

 

これほど未来への夢がたっぷり溢れていて、生きるということの奥行きを見させてくれる音楽は、歴史上を見ても稀有です。1960年代にはじまったシカゴブルースは、言ってみれば、スミソニアン博物館を見てまわるような知的好奇心もある一方で、音自体もダイヤモンドのような眩い輝きを放ちつづけています。もちろん、ブルースという概念を掴むのには最適な名品ばかりです。 

 

 

シカゴブルースの決定盤

 

1. Muddy Waters 

 

「The Best Of Muddy Waters」

 

 

これを聴かずしてはブルースは何も始まらない。言わずとしれた「シカゴブルースの父」と称されるマディー・ウォーターズのベスト盤。 

 

とにかく、マディー・ウォーターズの音楽、ブルースというのは、いつまでも古びないのが驚きである。彼の音楽性は、古い時代にも順応していて、現代の音楽としても通用するように思える。つまり、時代を越えた素晴らしいブルース。

 

もちろん、それは、デルタのロバート・ジョンソンに比べると、シカゴの都会的な音の気風が演奏スタイルや音の中に滲んでいるから。マディ・ウォーターズの歌う詞は、常に都会的な欲望に満ちあふれ、男としての欲望を剥き出しにした痛快さがある。このいかにも男らしいワイルドさは、マディ・ウォーターズにしか醸し出し得ないもので、それがこのブルースマンに野獣的な魅力を与えている。

 

もちろん、器楽的な革新性を与えたという功績については、今や説明するまでのことではないかもしれない。それまでアコースティックギターが主流であったデルタブルースに、最初にエレクトリックギターを持ち込んだという革新性にとどまらず、エレクトリックギターの本来のプリミティヴな演奏の魅力が、ギターの本来の音の醍醐味が、このベスト盤において心ゆくまで堪能出来る。

 

マディ・ウォーターズの生み出すリフとカッティング、そして、歌の合間に込められる熱烈なチョーキングとミュート。

 

曲中で見せるギタープレイの絶妙なバランスは、時代に先駆けて、ロックンロールの見本を後世のミュージシャンたちに示してみせている。「見てなさい、ギターというのはこうやって弾くんだよ」というのを、大きな背中を無言で示していくれるのがマディー・ウォーターズなのだ。

 

アンプリフターからの直結であるのに、これほど生々しく説得力のある演奏フレーズを生み出せるのは、マディー・ウォーターズしかいないだろう。そして、ウォーターズの歌は、常に嘯くようにギターのリフの上に、さらりと、そつなく、乗せられる。だから、音楽的には熱狂的ではあるのに、暑苦しさはそれほど感じさず、絶妙な具合に空間に馴染んでいく。そして、音楽自体は、それほど押し付けがましくなく、後は、めいめい勝手に聴いてくれといった具合なのである。

 

もちろん、この作品でのブルースとしての基本的なリズム性は、ロバート・ジョンソンよりも遥かに分かりやすい形で示されている。シャッフル、ブギウギという4ビートを体感するのに最適な音楽性である。そこに、さらにマディーの豪快な歌唱、巨体から生み出されるソウルフルなヴォーカルというのも現代の感性からみても上品な艶気がある。

 

ウォーターズの一番の名曲としては、#5「Rollin’ Stone」が名高い。この曲はブルース、ロックの最良の楽曲というように言われる。この音楽がどれほど、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズをはじめとする後世のロックミュージシャンの演奏の見本となったのかは想像に難くない。ブギーというギターの演奏の格好良さがここには集約されている見事なトラックだ。

 

そして、この曲と共に聴き逃がせないのが、もうひとつのマディの名曲#6「I'm Ready」である。この楽曲は、男としての欲望が明け透けに歌われているのも魅力。ブルースハープの列車の汽笛のようなド迫力の響きが鮮烈な音として刻印されている。都会的なジャズ寄りのブルースといえ、ワイルドで、永遠の輝きを持った名品である。マディの豪快な歌いぶりも圧巻で、このブルースマンがなぜ当時、女性から持てまくったのか、その理由がこの楽曲には込められている。男としての色気、艶気、覇気とは何か、その回答がこれらの珠玉の名曲には明示されている。

 

 2.Howlin’ Wolf 

 

「Moanin’ In The Moonlight」

 

 

 

マディー・ウォーターズに引けを取らないボーカリストとしての魅力を持っているのがハウリンウルフ。その風貌もブルースマンらしく、渋みがあって格好良い。特に、この「Moanin’ In The Moonlight」を若い頃に聴いた時には、かなり泥臭さのあるデルタブルースよりの音楽性と思えていた。  


しかし、今、改めて聴きなおしてみると、ジャズ寄りのアプローチも含まれており、おしゃれな音楽に併せて踊れるようなダンサンブルで痛快なブルースだ。

 

そして、やはり、ハウリン・ウルフは、いかにも都会的なシカゴのブルースマンという気がする。二十世紀初頭に流行したディキシーランド・ジャズのような、他の他地域のブラックミュージックのリズムの影響も感じられるように思える。仮に、マディーが白人の憧れとするなら、ハウリン・ウルフはいかにも黒人の憧れるミュージシャンといえるかもしれない。特に、ハウリンのボーカルというのは、ただならぬソウルが込められているように思える。つまり、マディがロックの祖であるとするなら、ハウリンは、ソウルやR&Bの祖であるといえるかもしれない。

 

ハウリンの歌唱法は独特であり、ただ、単に、歌うというより、腹の底から全身の力を振り絞って骨格を振動させて歌っているように聞こえるのが、ハウリン・ウルフの歌の魅力。そして、ちょっとその声の雰囲気にはおかしみとか、滑稽味があるあたりも親しみやすい人柄がにじみ出ている。

 

彼の楽曲には、黒人霊歌としてのゴスペルを大衆的にわかりやすく解釈しなおしたという感じがある。このアルバムには、明らかに、黒人としての誇り、スピリットが宿っている。それは表題曲「Moanin’ In The Moonlight」を聴いていただければ理解してもらえるかと思う。

 

もちろん、ハウリン・ウルフのブルースギタリストとしての腕前もお見事というよりほかない。ジャズ寄りのシャッフルのリズムを巧みに取り入れているため、踊りやすい、聴いて楽しむためにあるような痛快でシンプルなブルース。一聴してみると、マディー・ウォーターズほどには熱狂的なギタープレイではないように思えるが、必ずしもそうとは限らない。クールなギタリストとしてさらりと弾きこなしていると思うと、急に演奏がのってくると熱烈なプレイになり手がつけられなくなり、ギタープレイにも神がかってくる。この別人のような豹変ぶりはなんと例えればよいか、いかにも生粋のエンターテイナーらしいハウリンの人物性が垣間見えるようだ。

 

この言わずとしれた「Moanin’ In The Moonlight」1958は、ピアノ、エレクトリッックギター、ブルースハープの演奏自体は、ジャズ寄りの雰囲気も滲んでいるが、ブルースの4ビートの基本形を抑えておくには、最適な入門作品といえる。ここでは、ゴスペル直系の魂の黒人のブルースの渋い質感が心ゆくまで味わえる。

 

もちろん、アルバムアートワークも素晴らしい。

 

「ワオーン!!」とオオカミが月に向かって吠えているイラストは、なんともいえない味が出ている。

 

このアルバムの音の素晴らしさについて、これ以上説明するのは野暮である。ただ単にカッコいいからそれで十分ではないか。1950年代の録音における音の荒削りさも、改めて聴くと、月に向かって「ワオーン!!」と叫びたくなるほどの格好良さ。コレがなんとも良い味出ているのだ。

 

3. Little Water

 

「Hate To See You Go」

 



リトル・ウォーターというブルースマンは、ブルースハープの名人である。実際の技法としてトリルの生み出し方がジャズマンの演奏に近い雰囲気があるように思える。

 

マディ、そしてハウリン、上記の二人がギタリストの最初のスターであるとするなら、リトル・ウォーターはブルースハープ奏者の最初のスターである。

 

この唸り、猛り、踊り狂うかのようなブルースハープの独特な吹き方は、他には見られないリトル・ウォーター特有の演奏法である。リトル・ウォーターの名に似合わず、怒涛の水の流れのような凄まじい迫力を持っている。どちらかといえば、トランペットやサックスフォンに近い質感を持つ。非常に稀有なタイプの超一流ブルースハープ奏者である。

 

「Hate To See You Go」この作品は今までそれほどブルースの名盤として取り上げられてこなかったように思えるが、すごい作品だ。

 

ズシンとくるような重い太い癖になるブギー風のクールなリズム。リトル・ウォーターのボーカルには悪漢的な雰囲気が滲んでおり、渋くて格好良い。リトル・ウォーターの人物としての渋さというのは、中々醸し出せるものではない。どのような人生を送ったら出てくるのか、是非その秘訣を知りたいくらい。

 

もちろん、ウォーターズのソングライターとしての技術もまた超一級品である。それに加えて、ブルースハープのうねりというのも、バンドサウンドに絶妙に融合し、グルーブ感を生み出している。

 

このリトルウォーターの魅力というのは、歌声にせよ、ブルースハープにせよ、なんと言っても、そのいぶし銀的な雰囲気に集約されているのではないだろうか。肩で風を切って歩くように、いかにも透かしているような都会人らしいキザったらしさ。しかし、これこそシカゴのブルースマンにはなくてはならない気質とも呼べるのではないだろうか。もちろん、実際のブルースがあまりに渋くカッコいいので、そのキザったらしさが全然嫌味でないどころか、むしろ絵にさえなっているのである。今作は、淀みないグルーブ感を押し出したブルースの珠玉の名曲ばかり。

 

 

4.Bo Diddley 

 

「Have Guitar,Will Travel」

 

ボ・ディドリーは、チャック・ベリー、リトル・リチャーズと共に「ロックンロールの元祖」としても有名なミュージシャンである。

 

ブルースマンとしてのキャリアの中では特に共同制作での名盤が数多く、マディー・ウォーターズとチャック・ベリーとの共作もリリースしている。

 

これらの作品では、ギター・プレイ、そして、ボーカルという面でブルースマン、そしてロックンロールスターとしての音楽での遠慮無用の本気のガチのバトルが繰り広げられているのに注目である。

 

これまでの音楽誌やフリーペーパなどの決定盤としては、ボ・ディドリーのデビュー作「Bo Didlley」1958がよく取り上げられてきたように思える。もちろん、これは一般的なシカゴブルースとしての名盤に数えられるだけではなく、ロックンロール音楽としての名盤としても語り継がれるべき名作のひとつだろう。この作品では驚くべきことに、ボ・ディドリーは既に60年代に流行するロックンロールの原型のようなサウンドを、デビュー作で見事に完成させてみせている!!

 

しかし、ここで取り扱うシカゴブルースとしての名盤は、旧来の名盤「Bo Diddley」ではなく、「Have Guitar,Will Travel」を挙げておきたい。


なぜなら、この作品は、ボ・ディドリーが1960年代において、ロックンロールの先にある未来の音楽を探し求めているからなのだ。

 

この作品では、特にマイケル・ジャクソンの音楽性、特に歌唱法に影響を及ぼしたと思われる先鋭的なブルース性が追求されていて、R&Bやファンクの原型も見えなくはない。この作品を聴いて驚愕するのは、既に1958年のデビュー時にロックンロールの雛形を見事に作りあげてみせた怪物ボ・ディドリーにとって、鮮烈的な印象を与えたデビュー作は、たんなる序章に過ぎなかったことが伺える。

 

この「Have Guitar,Will Travel」は、ブルースとしてのリズムの基本形を守りつつ、ブルースの先にある未来の音楽の前衛性を模索した実験的なアルバムと言う意味で、大きな夢を感じる作品である。ボーカリストとしての遊び心満載であるのにとどまらず、ギタープレイにおいても、ジミ・ヘンドリックスのような荒削りな破天荒さが見受けられる辺りにも着目しておきたい

 

ここには、ごきげんな本来のダンスのためのロックンロールの魅力が詰まっているだけでなく、フォーク・ロックの先駆的な原型が示されている。現代的な聞き方をしても、いまだ何か新しいという印象を受ける非常に新鮮味のあるブルースの傑作である。ボ・ディドリーというロックンロールの生みの親がその天才性を遺憾なく発揮した名作として語り継がれるべきである。


5.Otis Rush

 

「1956−1958 Cobra Recordings」

 

 

 

マディ・ウォーターズを原始的なブルースギタリストと定義づけると、このオーティス・ラッシュは非常に後の世代のエリック・クラプトンにも比するロックスターとしての雰囲気を持った色気のあるギタリストだ。

 

事実、エリック・クラプトンは、ライトニン・ホプキンズもそうだが、このオーティス・ラッシュから大きなエレクトリックギターの伝統性を引き継いでいるように思える。いわゆるロックンロールらしいこぶしの効いたギターの奏法を見せるミュージシャンで、60年代から70年代のロックンロール音楽に重要なインスピレーションを与えたギタリストなのである。 

 

このコブラレコーディングスの音源で味わえるのは、実にごまかしの聴かないエレクトリックギターの本質的な魅力。その原始的なレコーディンであるがゆえ、むしろギタリストとしての天才性が遺憾なく高められているように思える。現代的な音楽としては少し古臭く思えるようなブルースではあるが、そのオールド感がむしろ熟成されたバーボンのような芳醇な香りを放っている。

 

オーティス・ラッシュのアルバート・キングにも比する渋いスクイーズギターは、ほとんど驚愕に値する。このコブラレコーディングの録音の一発録りに近い演奏というのは感涙ものといえる。ブルースハープに呼応するように紡がれるギター・プレイのド迫力、まるでその一部として繰り出されるソウルフルなボーカルの熱さ、これは、おそらくオーティス・ラッシュが、ギターをただの楽器とは捉えず、泣きというものを生み出す装置と心得ているから、このようなダイナミックな演奏を生み出し得るのだろう。そういった意味ではギタリストとしての最高の見本である

 

楽曲としては、アルバート・キングとマディー・ウォーターズの中間点を行く。オーティス・ラシュのブルースを聞き飽きたリスナーにとってはスタンダードすぎて面白みに欠けるようにおもえるかもしれない。しかし、この作品はシカゴブルースの王道を行っており、この録音で感じられるシカゴブルースの当時のムンとした熱気、そして録音の瞬間の迫力というのはこれ以上はないというくらい間近に感じられる。それは時代を越えた普遍的な生録音の醍醐味でもある。

 

この名盤で聴くことの出来るリアルで硬派なブルースが、オーティス・ラッシュの最大の持ち味である。ここにはいくらかぶっきらぼうな印象のある「男による、男のための」ブルースを堪能することが出来る。

 

そして、このアルバムに感じられるブルース音楽の奇跡は、現代的なサウンド加工のようなデジタル処理がなされていない原始的なレコーディングだからこそ生みだしえたものである。原始的で、直情的で、不器用なブルースギター。

 

しかし、コレ以上のブルースギターの見本は他を探しても見当たらないのも事実。オーティス・ラッシュのギタープレイには、ときに背筋がぞくりとするような妙な艶気がある。本作はラッシュの神がかり的なブルースギターの迫力が体感できる名盤である。


6.Buddy Guy

 

「Left My Blues in San Francisco」

 

 

バディ・ガイも、またシカゴブルースの中では、マディ・ウォーターズとハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュに並んで伝説的ギタリストに数えられるはずだ。コロナ禍中もレコーディングに勤しんでいたという未だ85歳バリバリ現役のシカゴブルースの伝説的なアーティストである。

 

バディ・ガイのアプローチは幅広く、ブルースからR&B、ファンクへとそのキャリアにおいて多種多様なアプローチを図ってきたカメレオンのような色彩を持つミュージシャンである。他のシカゴブルースのブルースマンに比べると、泥臭さはなく、R&B,ファンク寄りのアーティストで、カーティス・メイフィールドやジェイムス・ブラウンに近いギタリストに位置づけられる。

 

そして、このシカゴブルースの名盤として名高い「Left My Blues in San Francisco」は、ブルースとして聴くと拍子抜けしてしまうくらい、R&Bに近い質感を持ったファンキーな作品である。

 

実際の音楽性についても、デルタブルースに比べると、ジョン・リー・フッカーやアルバート・キングのような泥臭い感じはなく、非常に爽快感のあるファンク寄りのリズムが展開されている。しかも、バディ・ガイの歌声というのもゴスペルのような短調の暗さはなく、ジェームス・ブラウンの初期を彷彿とさせるようなコアなR&B、ブレイクビーツへの傾倒が伺えるようである。

 

特に「Too many way」はブルースでなく、明らかにR&Bと突っ込んでも良い楽曲である。しかし、中には「I Suffer With The Blues」といった少し皮肉じみたコアなブルース曲もちゃんと収録されている。

 

いかにもブルースらしいブルース作品ではない亜流のブルースといえるものの、十代の頃にブルースの名盤として初めて聴いてから、不思議と心惹かれ続ける奇異な作品だ。いわばこの多彩さがバディ・ガイというブルースマンの魅力かもしれない。この作品はブラックミュージックに置いてJBとともに、クロスオーバーの先がけといえ、ブルース史の中でも重要なアルバムである。





追記


さて、今回は、シカゴブルースの名盤を今回は幾つか取り上げてみました。この他にも魅力的なブルースマンが多いシカゴという土地。あくまで、この選出は個人的な趣味が込められていることをご承知下さい。

 

これまで私自身が若い頃から読みふけってきた音楽誌やフリーペーパーなどの歴代の名盤特集を加味した上で、入門的な決定盤として選び直してみました。

 

そして、ここであらためて、現代の音楽として聴いても、ブルースって「しぶくてカッコいい!!」。そんふうにいわしめるに足るような名盤を選出するように心がけました。現代としてのブルースの名盤はどんなものだろうと、現代の流行の音楽と比べつつ、それとほとんど遜色のないクールな作品を選出してみました。この決定盤を参考に、ブルースという音楽に一般的な人々にも何らかの興味を持ってもらうためのヒントとなれば、筆者としてこの上ない喜びであります。

 

 

 

 

 

参考文献

 

MUSICMAGAZINE増刊 新板R&B.ソウルの世界 鈴木啓志著 これ一冊で50-90年代「黒人ポップ音楽」の全貌がわかる!

 

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