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・フォークトロニカ、トイトロニカ おとぎ話のような幻想世界 (2024 Edit Version)

mum

フォークトロニカ、トイトロニカ、これらの2つのジャンルは、エレクトロニカのサブジャンルに属し、2000年代にアイスランド、ノルウェーといった北欧を中心として広がりを見せていったジャンルです。  

 

一時期、2010年前後、日本でもコアな音楽ファンがこのジャンルに熱中し、日本国内の音楽ファンの間でも一般的にエレクトロニカという愛称で親しまれたことは記憶に新しい。

 

このジャンルブームの火付け役となったのは、アイスランドの首都レイキャビクのアーティスト、Mum。フォーク、クラシック音楽の要素に加え、電子音楽、中でもグリッチ(ヒスノイズを楽曲の中に意図的に組みいれ、規則的なリズム性を生み出す手法を時代に先んじて取り入れていました。  

 

これはすでにこのエレクトロニカというジャンルが発生する前から存在していたグリッチ、クリック要素の強い音楽性に、本来オーケストラで使われる楽器、ストリングス、ホーンを楽曲のアレンジとして施し、ゲーム音楽、RPGのサウンドトラックのような世界観を生み出し、一世を風靡しました。


この後、このジャンルは、ファミリーコンピューターからMIDI音源を取り込んだ「チップチューン」という独特な電子音楽として細分化されていく。8ビットの他では得られない「ピコピコ」という特異な音響性に海外の電子音楽の領域で活躍するアーティストが、他では得られない魅力を見出した好例です。 

 

フォークトロニカ、トイトロニカという2つの音楽は、つまり、 1990年代から始まったシカゴ音響派、ポスト・ロック音楽ジャンルのクロスオーバーの延長線上に勃興したジャンルといえなくもなく、ポスト・クラシカル、ヒップホップ・ジャズと並び、今でも現代的な性格を持つ音楽のひとつに挙げられます。

 

しかし、このフォークトロニカ、トイトロニカという音楽性の中には、北欧神話的な概念、日本のゲーム会社のRPG制作時の重要な主題となった様々な北欧神話を主題にとった物語性、神話性を、文学性ではなく、音楽という切り口から現代的なニュアンスで表現しようという、北欧アーティストたちの芸術性も少なからず込められていました。

 

もし、このフォークトロニカ、トイトロニカという2つのジャンルの他のクラブ・ミュージックとは異なる特長を見出すとするなら、グリッチのような数学的な拍動を生み出し、シンセサイザーのフレーズを楽曲中で効果的に取り入れ、2000年代以前の電子音楽の歴史を受け継ぎ、ダンスフロアで踊るための音楽ではなく、屋内でまったり聴くために生み出された音楽です。いってみれば、オーケストラの室内楽のような趣きなのです。

 

こういったダンスフロア向けではない、内省的なインストゥルメンタル色の色濃い電子音楽は、穏やかで落ち着いた雰囲気を持ち、北欧の音楽シーンであり、アイスランド、ノルウェー、イギリスのアーティストを中心として発展していったジャンルです。

 

もちろん、ここ、日本にも、トクマルシューゴというアーティストがこのジャンルに属していること、特に、活動最初期はフォークトロニカの影響性が極めて強かったことをご存知の音楽ファンは多いかも知れません。一般的に、この電子音楽ーーフォーク、クラシック、ジャズーーと密に結びついた独特なクロスオーバージャンルは、総じて、エレクトロニックに属するカテゴライズ、IDM(Intelligense Dance Music)という名称で海外のファンの間では親しまれています。

 

2000年代にアイスランドのムームが開拓した幻想的な世界観を表した電子音楽という領域は、以後の2010年代において、北ヨーロッパの電子音楽シーンを中心として、フロアミュージックとは対極に位置するIDMシーンが次第に形づくられていくようになりました。

 

このフォークトロニカ、トイトロニカのムーブメントの流れを受けて、2010年代後半からの現代的な音楽、宅録のポップ・ミュージック「ベッドルーム・ポップ」が、カナダのモントリオール、アメリカのニューヨーク、ノルウェーのオスロを中心に、大衆性の強いポップ/ロック音楽として盛んになっていったのも、以前のこの電子音楽のひそかなムーブメントの流れから分析すると、不思議な話ではなかったかもしれません。

 

 

・エレクトロニカ、フォークトロニカ、トイトロニカのアーティスト、名盤ガイド


  

・Mum

「Finally We Are No One」2002




 

アイスランドの首都レイキャビクにて、ギーザ・アンナ、クリスティン・アンナと双子の姉妹を中心に、1997年に結成されたムーム。 日本でのエレクトロニカブームの立役者ともなった偉大なグループです。 

 

2002年に、ギーザ、2006年にはクリスティンが脱退し、このバンドの主要なキャラクター性が残念ながら失われてしまったが、現在も方向性を変え、独特なムーム節ともいうべき素晴らしい音楽を探求し続けています。

 

ムームの名盤、入門編としては、双子のアンナ姉妹の脱退する以前の作品「Finally We Are Not One」が最適です。

 

ムームの音楽的には、アクの強いグリッチ色が感じられる作品ですが、そこに、この双子のアンナ姉妹のまったりしたヴォーカル、穏やかな性格がマニアックな電子音楽を融合させている。

 

一般的に、アンナ姉妹のヴォーカルというのは、様々な、レビュー、クリティカルにおいてアニメ的と称され、このボーカリストとしての性質が一般的に「お伽噺の世界のよう」と形容される由縁かもしれません。 

 

特に、このムームの音楽性は、北欧神話のような物語性により緻密に構築されており、チップチューンに近いゲームのサントラのような音楽性に奥深さを与える。表面上は、チープさのある音のように思えるものの、その音楽性の内奥には物語性、深みのあるコンセプトが宿っています。

 

実際の土地は異なるものの、ムームの音楽性の中には、スコットランド発祥のケルト音楽「Celtic」に近い伝統性が感じられ、それを明確に往古のアイスランド民謡と直接に結びつけるのは短絡的かもしれませんが、シガー・ロスと同じように、このレイキャビク古来の伝統音楽を現代の新たな象徴として継承しているという印象を受けます。

 

次の作品「Summer Make Good」もエレクトロニカ名作との呼び声高い作品ではあるものの、より、音の整合性、纏まりが感じられるのは、本作「Finally We Are No One」でしょう。  

 

 

 

・Amiina

「Kurr」2007

 


 

アイスランドのレイキャビク出身の室内合奏団、amiina(アミーナ)。電子音楽、IDM性の色濃いムームと比べ、ストリングスの重厚なハーモニーを重視したクラシックの室内楽団に近い上品な性格を持った四人組のグループ。 

 

amiinaの音楽は、インストゥルメンタル性の強い弦楽器のたしかな経験により裏打ちされた演奏力、そして弦楽の重奏が生み出す上質さが最大の魅力。ムームと同じように、「お伽噺のような音楽」「ファンタジックな音楽」とよく批評において表現されるアミナの音楽。

 

しかし、その中にも、新奇性、実験音楽としての強みを失わず、楽曲の中に、テルミンという一般的に使われない楽器を導入することにより、他のアーティストとはことなる独特な音楽を紡ぎ出している。一般的に、名作として名高いのは、2007年の「Kurr」が挙げられます。

 

ここでは、グロッケンシュピールのかわいらしい音色が楽曲の中に取り入れられ、弦楽器の合奏にによるハーモニクスの美麗さに加え、テルミンという手を受信機のようにかざすだけで演奏する珍しい楽器が生み出す、ファンタジー色溢れる作品となっており、ほんわかとした世界観を味わうのに相応しい。

 

アイスランド、レイキャビクのエレクトロ音楽の雰囲気、フォークトロニカという音楽性を掴むのに適したアルバムのひとつとなっています。室内楽とフォーク音楽の融合という点では、個人的には、トクマルシューゴの生み出す音楽的概念に近いものを感じます。  




・Hanne Hukkelberg

「Little Things」2008





Hanne Hukkelberg(ハンネ・ヒュッケルバーグ)は、ノルウェー、コングスベルグ出身のシンガーソングライター。活動中期から存在感のある女性シンガーとして頭角を現し、ノルウェーミュージックシーンでの活躍目覚ましいアーティストです。

 

ハンネ・ヒュッケルバーグの初期の音楽性は、ジャズ音楽からの強い影響を交えた実験音楽で、フォークトロニカ、トイトロニカ寄りのアプローチを図っていることに注目。

 

このあたりは、ハンネ・ヒュッケルバーグはノルウェー音楽アカデミーで体系的な音楽教育を受けながら、学生時代に、ドゥームメタルバンドを組んでいたという実に意外なバイオグラフィーに関係性が見いだされます。

 

クラシック、ジャズ、ロック、メタル音楽、多岐にわたる音楽を吸収したがゆえの間口の広い音楽性をハンネ・ヒュッケルバーグは、これまでのキャリアで生み出しています。

 

特に初期三部作ともいえる「Little things」「Rykestrase 93」「Bloodstone」は、ジャズと電子音楽の融合に近い音楽性を持ち、そこにシンガーソングライターらしいフォーク色が幹事される傑作として挙げられます。

 

サンプリングを駆使し、水の音をパーカッションのように導入したり、クロテイルや、オーボエ、ファゴットを導入したジャズとポップソングの中間に位置づけられるような面白みのある音楽性、加えて文学的な歌詞もこのアーティストの最大の魅力です。

 

特に、上記の初期三部作には、可愛らしい雰囲気を持ったヒュッケルバーグらしいユニークな実験音楽の要素が感じられ、聴いていてもたのしく可笑しみあふれるフォークトロニカきっての傑作として挙げられます。 

 

* アーティスト名のスペルに誤りがありました。訂正とお詫び申し上げます。(2024・2・25)

 


・Silje Nes

 「Ames Room」2007



 

ドイツ、ベルリンを拠点に活動するノルウェー出身のミュージシャン、セリア・ネスは、歌手としてではなく、マルチ楽器奏者として知られています。

 

北欧出身でありながら、世界水準で活動するアーティストと言えるでしょう。イギリスのレーベルFat Cat Recordから2007年に「Ames Room」をリリースしてデビューを飾っています。

 

特に、このデビュー作の「Ames Room」は親しみやすいポップソングを中心に構成されている作品であるとともに、サンプリングの音を楽曲の中に取り入れている前衛性の高いスタジオアルバム。

 

現在のベッドルームポップのような宅音のポップスがこのアーティストの音楽性の最大の魅力でまた、特に、本来は楽器ではない素材、楽器ではなく玩具のような音をサンプリングとして楽曲中に取り入れ、旧いおとぎ話を音楽という側面から再現したかのような幻想的な世界観演出するという面では、ムーム、トクマルシューゴといったアイスランド勢とも共通点が見いだされます。

 

セリア・ネスのデビュー作「Ames Room」は、フォークトロニカ、トイトロニカという一般的に馴染みのないジャンルを定義づけるような傑作。このジャンルを理解するための重要な手立てとなりえるでしょう。

 



・Lars Horntveth

「Pooka」2004 



ノルウェーを拠点に活動する大所帯のジャズバンド、Jaga Jazzistは同地のジャズ・トランペット界の最高峰をアルヴェ・ヘンリクセンと形成する"マシアス・エイク"が在籍していたことで有名です。

 

そして、また、このJaga Jazzistの中心メンバーとして活躍するラーシュ・ホーントヴェットも、またクラリネットのジャズ奏者として評価の高い素晴らしい演奏者として挙げられる。

 

もちろん、ジャガ・ジャジストとしての活動で、電子音楽、あるいは、プログレッシブ要素のあるロック音楽の中にジャズ的な要素をもたらしているのがこの秀逸なクラリネット奏者ですが、ホーントヴェットはソロ作品でも素晴らしい実験音楽をうみだしていることをけして忘れてはいけないでしょう。

 

特に、ラーシュ・ホーントヴェットはマルチプレイヤー、様々な楽器を巧緻にプレイすることで知られており、かれの才気がメイン活動のジャガ・ジャジストより色濃く現れた作品がデビュー作「Pooka」です。

 

このソロ名義でリリースされた作品「Pooka」では、ジャガ・ジャジストを上回るフォーク色の強い前衛的な音楽性が生み出され、そこに、弦楽器が加わり、これまで存在し得なかった前衛音楽が生み出されます。先鋭的なアプローチが図られている一方、全体的な曲調は、牧歌的で温和な雰囲気に彩られています。

 

このノルウェー、オスロが生んだ類まれなるクラリネット奏者、ラーシュ・ホーントヴェットは、クラリネット奏者としても作曲者としても本物の天才と言える。ジャズ、フォーク、プログレッシヴ、電子音楽、多様な音楽の要素を融合させた現代的な音楽性は、同年代の他のアーティストのクリエイティヴィティと比べて秀抜しています。

 

リリース当時としても最新鋭な音楽性であり、この作品の新奇性は未だに失われていません。フォーク、エレクトロニック、そしてクラシックをクロスオーバーした隠れた名作のひとつとして、レコメンドしておきます。 



・Psapp

 「Tiger,My Friend」2004

 


Psapp(サップ)は、カリム・クラスマン、ガリア・ドゥラントからなる英国の実験的エレクトロニカユニットです。 

 

デュオの男女の生み出す実験音楽は、トイトロニカというジャンルを知るのに最適です。この音楽の先駆者として挙げられ、おもちゃの猫を客席に投げ込むユニークなライブパフォーマンスで知られています。

 

サップは、電子音楽をバックボーンとしつつ、子ども用のトランペットを始め、おもちゃの音を楽曲の中に積極的に取り入れると言う面においては、他のエレクトロニカ勢との共通点が少なからず見いだされる。

 

その他、この二人の生み出すサウンドに興味深い特徴があるとするなら、猫や鳥の鳴き声や、シロフォン(木琴)等、ユニークなサンプリング音を用い、様々な楽器を楽曲の中に取り入れていることでしょう。

 

このユニークな発想を持つ二人のミュージシャンの生み出すサウンドは、J.K.ローリングの文学性に大きな影響を与えたジョージ・オーソン・ウェルズの魔法を題材にした児童文学の作品群のような、ファンタジックで独創的な雰囲気によって彩られています。

 

サップの生み出す音楽には、子供のような遊び心、創造性に溢れており、音楽の持つ可能性が込められており、それは生きていくうちに定着した固定観念を振りほどいてくれるかもしれません。

 

二人の生み出す音楽は、音楽の本質のひとつ、音を純粋に演奏し楽しむということを充分に感じさせてくれる素晴らしい作品ばかりです。

 

「トイトロニカ」というジャンルの最初のオリジナル発明品として、2004年にリリースされた「Tigers,My Friend」は今なお燦然とした輝きを放ちつづける。この他にも、ユニークな音楽性が感じられる「The Camel's Back」もエレクトロニカの名盤に挙げられます。

 

 


・Syugo Tokumaru(トクマルシューゴ)

 「EXIT」2007

 

 


Newsweekの表紙を飾り、NHKのテレビ出演、明和電機とのコラボ、また、漫画家”楳図かずお”との「Elevator」のMVにおけるコラボなど、多方面での活躍目覚ましい日本の音楽家トクマルシューゴは、最初は日本でデビューを飾ったアーティストでなく、アメリカ、NYのインディーレーベルからデビューしたミュージシャンである。

 

アメリカ旅行後、音楽制作をはじめたトクマルさんは、最初の作品「Night Piece」を”Music Related”からリリースし、ローリング・ストーンやWire誌、そしてPitchforkで、この作品が大絶賛を受けたというエピソードがある。

 

トクマルシューゴの音楽性は、フォーク、ジャズ、ポップスを素地とし、実験的にアプローチを図っている。特に、日本で活躍するようになると、ポップス性、楽曲のわかり易さを重視するようになったが、最初期は極めてマニアックな音楽性で、音楽の実験とも呼ぶべきチャレンジ精神あふれる楽曲を生み出す。

 

ピアニカ、おもちゃの音、世界中から珍しい楽器を集め、それを独特な「トクマル節」と称するべき、往時の日本ポップス、そしてアメリカンフォークをかけ合わせた新鮮味あふれる音楽性に落とし込んでいくという側面においては、唯一無比の音楽家といえる。上記の英国のサップと同じ年代に、「トイトロニカ」としての元祖としてデビューしたのもあながち偶然とはいえない。

 

デビュー作「Night Piece」、二作目「L.S.T」では、サイケデリックフォークに近いアプローチを図り、この頃、既に海外の慧眼を持つ音楽評論家たちを唸らせたトクマルシューゴは、三作目「EXIT」において新境地を見出している。フォークトロニカ、トイトロニカの先に見える「Toy-Pop」、「Toy-Folk」と称するべき世界ではじめて独自のジャンルを生み出すに至った。

 

三作目のスタジオアルバム「EXIT」に収録されている楽曲、「Parachute」「Rum Hee」は、その後の「Color」「Lift」と共に、トクマルシューゴのキャリアの中での最高の一曲といえる。実際、「ラジオスターの悲劇」のカバーもしていることからも、Bugglesにも比するユニークなポップセンスを持ち合わせた世界水準の偉大なミュージシャン。今後の活躍にも注目したい、日本が誇る素晴らしいアーティストです。



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 Kiasoms

 

キアスモスは、アイスランド、レイキャビクのテクノユニット。

 

ポスト・クラシカルシーンでの活躍目覚ましい、既に英国アカデミー賞のテレビドラマ部門での最優秀賞、「Another Happy Day」「Gimmie Shelter」のサウンドトラックも手掛けるオーラブル・アルノルズ、同郷レイキャビクのエレクトロミュージシャン、ヤヌス・ラスムッセンの二人によって2009年に結成されている。


オーラブル・アルノルズ、アコースティック・ピアノを下地に、ヤヌス・ラスムッセンのシンセサイザー、二人のアーティストの持つ音楽性を見事にかけ合わせた秀逸なエレクトロ・ポップを体現し、銘々のソロアーティストとしての作品とはまた異なる妙味を生み出す。


キアスモスは、2009年にファーストリリースのEP「65/Milo」を電子音楽を専門にリリースする英国のインディーレーベル、Erased Tapesから発表する。2014年にはファースト・アルバム「 Kiasoms」を同レーベルから発表し、高い評価を受けている。


この1stアルバム「Kiasmos」は、オーラブル・アルノルズがレイキャビクに設立したサウンドスタジオで制作された作品。


楽曲の大部分は、ドラム、生演奏の弦楽四重奏を音響機器を使用して録音し、そして、トラックの上に、ドラムマシン、テープディレイを多重録音した作品。この作品で、オーラブル・アルナルズがグランドピアノを演奏し、ヤヌス・ラスムッセンがその演奏に同期する形で、ビート、グリッチ、オフフィールドと様々な音色とリズムを電子楽器により実験的に生み出す。


2015年11月には、ベルリンのスタジオでパーカッションとシンセサイザーの生演奏を実験的に融合したEP作品「Swept」を同Erased Tapesからリリース。この年から、キアスモスは、世界ツアーを行うようになり、エレクトロニックアーティストとして知られていく。


2017年には、ブレイクビーツ、チルアウトシーンで名高いミュージシャン、サウンドプロデューサーとして活躍するBonobo、サイモン・グリーン。そして、ドイツのエレクトロミュージシャン、サウンドプロディーサー、Stimmmingがリミックスを手掛けた「Bluerred」をリリース。エレクトロシーンで大きな注目を集めるようになっている。


Kiasmosの音楽性は、イギリスのエレクトロ、アメリカのハウスシーンとは異なり、レイキャビクのアーティストらしい美麗な感性によって華麗に彩られている。アイスランド、レイキャビクで盛んなエレクトロニック、弦楽器などのオーケストラ楽器を交えたフォークトロニカやトイトロニカともまたひと味異なる雰囲気を持った音楽性がこのユニットの最大の強みといえるだろうか。一貫した冷徹性、それと相反する熱狂性をさながらトラックメイクでのLRのPan振りのように変幻自在に生み出すのが醍醐味だ。

キアスモスの楽曲は、このユニットの壮大な音楽実験というように称せる。独特な清涼感を滲ませ、二人の秀逸な音楽家の紡ぎ出すミニマルフレーズを緻密かつ立体的に組み合わせていくことにより、徐々に、渦巻くようなエナジーを発生させ、楽曲の終わりにかけ、イントロには見られなかった凄まじい化学反応、大きなケミストリーを発生させる。


アイスランド、レイキャビクのアーティストらしいと称するべき個性的な音楽性、世界観を擁した独特な音楽を生み出すクールなユニットで、創造性においても他のアーティストに比べて群を抜いている。今、最も注目すべきエレクトロアーティスト、ユニットと呼ぶことが出来るだろう。 

 

kiasmos

"kiasmos" by Mai Le is licensed under CC BY-NC 2.0


 

 

 

 Kiasmosの主要作品



「Kiasmos」 2014 Erased Tapes



 
 


1.Lit
2.Held
3.Looped
4.Swayed
5.Thrown
6.Dragged
7.Bent 
8.Burnt



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以前に先行リリースされた「Looped」に加え、新たな作品を再録した作品。

 

今作を聴くと分かる通り、北欧のエレクトロには英国のアーティストと異なる音楽性が感じられる。そこには何か、英国よりも寒々しいアイスランドの風景が連想されるが、厳しい雰囲気の中にもきわめて知的な創造性というのがなんとなく見い出すことができる。


そして、このアーノルズ、ラスムッセンという同郷のユニットの独特な作曲法、近年流行りのミニマルという手法もまた英国のアーティストの作風と性質が異なり、ひたすら静かなエナジーが内側にひたひたと向かっていく。


興味深いことに、その核心とも呼ぶべき中心点に達した瞬間、冷やかかな感慨が反転し、異質なほどの奇妙な熱量、エネルギーを発生させる。アーノルズの紡ぎ出すシンセサイザーのフレーズは、徹底して冷静かつ叙情的ですが、他方、ラスムッセンの生み出すリズムというのは奇妙な熱を帯びているのだ。


それは、「Thrown」「Looped」という秀逸な楽曲に見られる顕著な特質。つまり、この二人の相反するような性質が絶妙な具合に科学的融合を果たし、上質な電子音楽、言ってみれば、これまで存在しえなかったレイキャビク特有のエレクトロが発生する。


一貫してクールでありながら熱狂性も持ち合わせている。これがアイスランドという土地の風合いなのかもしれないと感じさせる何かが、深い精神性、この土地に対する深い愛着が込められている。


電子音楽によって緻密に紡がれていくサウンドスケープ(音から想像される風景)は、本当に、容赦のないさびしさであるものの、しかしながら、その中にじんわりとした人肌の温み、胸が無性に熱くなるような雰囲気もなんとなくではあるが感じられる。


そして、この二人の音楽家の熱狂性が最高潮に達し、凄まじいスパーク、電光のようなエナジーを放つのが「Bent」「Burnt」という2曲。これらの終盤部の盛り上がりは、IDMの落ち着きがありながら、フロアの熱狂にも充分通じる奇妙な音楽性といえる。


もちろん、このデビュー作は、文句の付けようのないエレクトロの2010年代の名作。キアスモスの音の指向性は、どことなくイギリスのブレイクビーツの大御所、サイモン・グリーンの音楽性になぞらえられる。緻密さと沈着さを持ち合わすボノボよりもはるかに激しいパッション、二人の熱さが感じられるのがキアスモスの音楽。


英エレクトロと、アイスランドのフォークトロニカを融合した甘美で独特なダンスミュージックといえ、これまでのエレクトロに飽食気味という方には、願ってもみない素晴らしいギフト。

 

 

 「Blurred」2017 Erased Tapes 



 




1.Shed
2.Blurred
3.Jarred
4.Paused
5.Blurred-Bonobo Remix
6.Paused-Stimming Remix



Listen on Apple Music  



現在、ロサンゼルスを拠点に活動するBonoboこと、サイモン・グリーン、ドイツのサウンドプロデューサー、Stimmingのリミックス曲を追加収録したキアスモスとしては二作目のスタジオ・アルバム。


今作品「Blurred」は、前作からのミニマル的な音の立体的な構造性、そしてその内側に漂う電子音楽としての叙情性を引き継いだエレクトロの快作。

しかし、前作には、内側に渦巻くようなすさまじいエナジーが漂っていたのに対し、今作はどちらかといえば、まるでパッと霧が晴れたような爽快感のある雰囲気も揺曳している。

そのあたりの、これまでのキアスモスの作品にはなかった妙味が感じられるのが表題曲の「Blurred」。とりわけ、この作品のボノボリミックスヴァージョンは原曲とは異なるリミックス作品に仕上がっている。このあたりは、サイモングリーンのプロデューサーとしての天才的手腕が垣間見えるよう。


その他、フォークトロニカ、トイトロニカとの共通性も見出す事のできる「Shed」は朝の清涼感のある海辺の風景を思い浮かばせるような、何かキラキラした輝きを放つ、爽快感のあるエレクトロの楽曲であって、キアスモスはまだ見ぬエレクトロの境地を開拓してみせた。


もちろん、前作のようなクールな内向きなエナジーがなりを潜めたわけではなくて、今作にもその曇り空を思わせるような暗鬱かつクールなエナジー、そこから汲み出される独特で奇妙なほど癖になるエレクトロ性は、「Paused」「Jarred」といった良質な楽曲群にも引き継がれていて、前作に比べると楽曲の方向性に広がりが出たのを感ずる。


そして、この作品の肝というべきなのは「Blurred」に尽きる。この楽曲は、2010年代後半のエレクトロの最高峰の一曲と言ったとしても誇張にはならない。


極めて微細な小さな楽節を組み合わせていき、独特なエモーションに彩られた美しい電子音楽の建築物が見事なまでに築き上げられている。この楽曲、及び、リミックス作品は、アイスランドの秀逸な二人の音楽家、サイモン・グリーンの生み出した新しい「電子音楽の交響曲」にほかならない。

 

 

「Swept」 EP 2015 Erased Tapes



 



1.Drawn

2.Gaunt

3.Swept

4. Swept-Tale Of Us Remix



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そして、上記二作のスタジオ・アルバムとは少し異なるキアスモスの音楽のニュアンスを味わう事のできる快作が「Swept」である。

上記の作品に比べると、音にスタリッシュさがあり、その中にフォークトロニカ寄りのアプローチも込められてい、音作り、実際に紡がれる音にしても、精細な音の粒が感じ取られる。これはまさにこの二人の音楽家の耳の良さによるものといえる。


映画音楽、ゲームサントラ等の音楽性にも比する劇伴寄りの音楽性が感じられるのが、リードトラックの「Drawn」。クラブミュージックであり、この何かストーリテリング音楽ともいうべき、物語性を電子音によって深めていく作曲法の手腕こそ、オーラブル・アーノルズの類稀なる天才性である。

 

もちろん、ヤヌス・ラムヘッセンの生み出す独特なブレイクビーツ寄りの実験的なビートの追求性がアーノルズの生み出す音楽観を説得力溢れるものにし、さらに魅力的にしている。


二曲目に収録されている「Gaunt」は、キアスモスの音楽性の王道を行く、シリアスさ、内向きなエナジーを独特な雰囲気の漂う名曲だ。また、表題曲「Swept」はラムヘッセンの生み出す躍動的なリズム性が全面に引き出された楽曲、ゴアトランスとまではいかないけれど、フロア向けに作られた2steps寄りのクールなダンス・ミュージックとして必聴である。



Featured  Track 「Thrown」Live On KEXP


https://m.youtube.com/watch?v=FhJuLSuKrMo



 

実験音楽について

 

 

 

今日、現代の実験音楽、いわゆるエクスペリメンタル・ミュージックと称されるジャンルは、きわめて多彩なアプローチを取るアーティストが多く見受けられる。


それは現代音楽としての系譜にあたる純性音楽としてのバックグラウンドを持つアーティストから、それとは一見対極にあるような電子音楽のバックグランドを持つアーティストまで、作曲者によって各々表現方法もさまざま。

 

もちろん、シュトックハウゼンの時代から、無調音楽としての電子音楽家は数多く存在した。それがいつしか、古典音楽家としての音楽の一派と、電子音楽家としての音楽の一派と、枝分かれしていくようになった。

 

しかし、かつて、武満徹が実験工房で、湯浅譲二らとテープ音楽を作成していたが、これこそつまり、その意図はないかもしれないが、クラブミュージック的な音楽を時代に先駆けて体現しようと試みていたように思える。

 

もちろん、オリヴィエ・メシアンのフランス和声を研究し、その音楽性に影響を受けつつも、現代のクラブミュージック、中でもIDMに通じるようなアプローチが世界のタケミツの音のアプローチには感じられる。


このあたりのエピソードから引き出される結論があるなら、現代音楽とクラブミュージックは、一見して相容れない水と油の関係のようでいて、源流を辿ってみると、実は、同じ場所にたどり着くような気がする、つまり、同じ祖先を持っているといえなくもないかもしれません。




現在のミュージックシーン

 



現在において、全く分離した古典音楽、そして、電子音楽あるいは、クラブ音楽を繋げるような役割を持つアーティストが2000年代あたりから出て来た。ドイツの気鋭アーティスト、ニルス・フラームを筆頭にして、アイスランドのオラブル・アーノルズらがその流れを形作っている。


他方、イギリスの音楽シーンでは、Clarkが、このヨーロッパを中心とする流れを汲み取ってのことか、それまでのテクノ界のカリスマというキャリアを手放し、イギリスからドイツに移住し、ドイツグラムフォンと契約、ポスト・クラシカル、現代音楽の系譜にある新しい音楽に方向性を転じ始めている。これは、この周辺のクラブシーンを知る人にとっては衝撃的な出来事だったはず。

 

いよいよ、2021年、ヨーロッパを中心として今、最もトレンドといえるポスト・クラシカル、現代音楽シーンは、ほとんど、各国の音楽家の群雄割拠ともいえる状況になっている様子が伺われる。


そして、このポスト・クラシカル勢の台頭にあたり、クラシック音楽界隈の人々は、彼等のことをどう考えていたのかまで明確に言及できないものの、少なくとも、最近では、彼等は、クラシック音楽に馴染みのない音楽リスナー層も取り込んで、古典音楽への橋渡しをしようとしている。

 

実際、アイスランド交響楽団、BBC交響楽団をはじめとする古典音楽を中心として活動する集団も、これらのポスト・クラシカル勢の活躍に対しては、協力的な姿勢を示しているように思われる。

 

もちろん、ポスト・クラシカルという音楽は、それほど、クラシック音楽に馴染みのない人にも、クラシックへの重要な入り口をもうけ、”古典音楽の雰囲気を持った聞きやすいポピュラー”音楽を提示し、その先にある古典音楽へのバトンを繋げるという文化的な役割を担っているようだ。

 


現在の実験、現代音楽としてのトレンドの傾向を伺うなら、やはり、アメリカ、イギリスのアンビエント寄りのアプローチを取るクラブミュージック勢、あるいは、古典音楽家、ロベルト・シューマンやフランツ・シューベルト、フレドリック・ショパンのピアノの小品集の雰囲気を受け継いだドイツロマン派の系譜にある、ヨーロッパの現代ポスト・クラシカル勢の二派に絞られるかと思う。そして、その中にも、多種多様なアプローチを図る気鋭の音楽家達が今日のミュージックシーンを活気づけており、俄然、この辺りのシーンからは目を離すことができない。


今回の新しい特集「Modern Experimenral Music」では、上記のようなポスト・クラシカルとはまた異なる雰囲気を持った生粋の世界の最新鋭の実験音楽を紹介していこうと思っています。

 




Eli Keszler

 

 

ニューヨーク在住、イーライ・ケスラーは、現在のエクスペリメンタル音楽シーンの中で今、最も注目すべきアーティストの一人。パーカッショニストとして、そして、ヴィジュアルアーティストとしても活躍中の芸術家。 

 

 

 

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元々は、ハードロックやハードコアに親しみ、十代の頃からすでに作曲に取り組んでいたという。ニューイングランド音楽院を卒業を機に、マンハッタンに移住、ニューヨークを拠点にして活動中のアーティストです。

  

イーライ・ケスラーは、楽器のマルチプレイヤーであり、パーカッションだけにとどまらず、ヴィブラフォンやギターも演奏している。

 

最初の作品「Cold Pan」をイギリスのエレクトロやダンスミュージックを取り扱うレーベル、Panからリリースしている。


最初期は、アバンギャルド性の強い、ピアノの弦を打楽器的なサウンド処理を施し、それにくわえ、彼自身の音楽の最も重要な特長、パーカッションの小刻みなサウンドプログラミング的な音色加工をほどこしている。元来、イーライの音楽の本質がどこにあるのかと言うと、一例を挙げると、ジョン・ケージのプリペイドピアノの技法をより打楽器としての解釈を試み、それをきわめて前衛的な手法で解釈した音楽といえ、しかも、そこには、UKのエレクトロ界隈の最もコアな音楽性を取り入れている。またそこに、ブレイクビーツ、ドラムンベース、その先にあるドリルンベースを、イーライ・ケスラー自身のパーカッションの演奏で試みようとしているように感じられる。


ときに、スネアドラムの縁の部分を叩く”リムショット”の技法が取り入れられ、スティック捌き、そして、実際のストライクは、凄まじい速度である。つまり、生演奏のスネアやリムの素早いストライクにより、生演奏ではありながら電子音楽のグリッチに近い領域に踏み込んでいる。これをさらに楽曲アナライズとして解釈するなら、パーカッションの演奏にトーン・クラスターの技法を取り入れ、そこにクラブミュージックの要素、アシッド・ハウス、ダブ的な要素を付加し、異質なグルーブ感を生み出している。そして、実際にケスラーのパーカッションの演奏を聴いてみると、AIが演奏しているのではと聴き間違うかのような自動演奏に近い印象を受ける。


また、イーライ・ケスラーの音楽をトラックメイクという別の切り口から解釈するなら、自身の生演奏を録音した後に、ダブ的な手法で、短いサンプリングをかけ合わせて、それを一つのリズムとして入念に繋げるという、いうなればサウンド・デザイナー的な手法が取り入れられる。そこにビブラフォン、メロトロン、シンセサイザーのテクスチャーが重層的に加えられていく。これがこのケスラーという現代音楽家の生み出す音を、立体的構造的な構造にしているというわけである。

 

現地のニューヨーク・タイムズ誌は、イーライ・ケスラーの音楽的な背景について、「パンク・ロック、アバンギャルド・ジャズにある」としている。つまり、このケスラーの前衛性というのは、偶然に生まれでたものではなく、ましてや破れかぶれにアヴァンギャルドの領域に踏み込んだわけでもなく、まえの時代のニューヨークの前衛音楽、とりわけ、サックス奏者、ジョン・ゾーンをはじめとするフリージャズ、あるいは、往年のニューヨークパンクス達を生んだニューヨークに育まれた前衛音楽、つまり、この2つの文化側面を受け継いだがゆえのモダンミュージックなのである。

 

たしかに、ニューヨーク・タイムズが、彼の音楽を評して言うことは非常に理にかなっているように思え、イーライの最初期の作品においては、アヴァンギャルド・ジャズに近い手法が積極的に取り入れられている。また、よくよく聴いてみると、彼のリムショット、スネアのストライクには、ニュースクール・ハードコアの極限までBPMを押し上げたスピードチューンからの影響もあるように思える。

 

最初期のイーライ・ケスラーの作品は、お世辞にも親しみやすいとはいいがたものの、ここ数年、秀逸なトラックメイカーとしての真価を発揮しつつあり、作曲家として覚醒しつつあるように思え、楽曲においても一般的なクラブ・ミュージック等に理解があるリスナーを惹きつけるに足る音楽性に近づいている。

 

また、電子音楽家としてのキャリアも順調に積み上げている。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのツアーにドラマーとしてのサポート参加、あるいは、イギリスのエレクトロ/ダブ・アーティスト、ローレル・ヘイローの作品制作への参加等の事例を見てもわかるとおり、元々は、現代音楽寄りのアプローチを選んでいたイーライ・ケスラーではあるものの、近年では、少しずつではあるが、電子音楽、クラブ・ミュージックに近い立ち位置を取るようになって来ている。





「Stadium」 2018

 

 

 

 

 

この「Studiam」は、ケスラーの七年目のキャリアで発表された作品であり、フランスの実験音楽を主に取り扱うインディペンデントレーベル「Shelter Press」からのリリースされている。  

 

 

 

アルバムのトラック全体には、どことなく清涼感のある雰囲気が漂っていて、そして、ヴィジュアルアーティストとしてのサウンドスケープが、電子音楽として見事に描きだされているように思える。  


2011年ー12頃のアヴァンギャルド色の強い作品に比べると、今作「Stadium」で、イーライ・ケスラーはより多くのリスナーに向けて、このトラックをかなり緻密に作り込んでいる様子が伺える。


実際、今作は、彼の作品としては非常に親しみやすい部類にあり、落ち着いた感じのあるIDM(intelligence Dance Music)として楽しむことができるはず。


全体的にどことなく涼し気な雰囲気が満ちているのは、Caribouやレイ・ハラカミに近い質感があり、その中にも、イーライ・ケスラーにしか生み出し得ないパーカショニストとしての進化がこの作品には見られる。


それまでの作品に比べ、全体的な都会的な質感に富んだ雰囲気に満ちている。数学的な計算が緻密にほどこされた打楽器の小さな単位が、緻密に重層的に積み上げられ、彼独特の現代最新鋭のクールなブレイクビーツが形成される。

 

この作品で、イーライ・ケスラーが取り組んでいるのは、簡潔に言えば、パーカショニストとしての新たな領域への挑戦、冒険といえる。打楽器の音ひとつの音響の単位を極限まで縮小し、それを、サンプリングとしてつなぎあわすことにより、独特のビート、特殊なリズム感を生み出している。しかし、最初から最後まで、自分自身の実際のパーカッション演奏のマテリアルを利用している。リズム自体は、徹頭徹尾オリジナルで、これは、ほとんど驚愕に値する技法である。

 

パーカッションの音は、トーン・クラスターに近いものがある。それをリマスタリング作業で、音域を自由自在に操り、ダブ的なサウンド加工を施すことにより、アシッド・ハウスの雰囲気に近い現代的なグルーブ感を生みだすことに成功している。


そして、それは、楽曲中において、リズム自体が極限までたどり着いて、リズム性としての行き詰まりを見せたとき、エイフェックス・ツイン、スクエアプッシャーのようなダイナミックなドリルンベースへと様変わりを果たす。これは、ほとんど驚愕すべき現代音楽のひとつといえるでしょう。


パーカッションの生演奏により、電子音楽の最新鋭に近づき、それを乗り越えた未来の音楽が今作では心ゆくまで味わえるはず。 

 

 

 

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「Icons」 2021 

 

 

 

 

 

 

イーライ・ケスラーは、今作「Icons」においてさらなる新境地へと進んだ、と、いえるかもしれない。レコーディング作業はニューヨークのロックダウン中に行われ、彼は人が途絶えた夜のマンハッタンをそぞろ歩き、実際のバイクや車のモーター音を丹念に記録し、今作「Icons」の楽曲のサンプリングとして取り入れている。もちろん、それ以前にフィールドレコーディングは、断続的に行われており、世界中の生きた音がここではサンプリングとして取り入れられている。

 

イーライ・ケスラーは、このロックダウン中において、文明の移り変わりの瞬間を肯定的な側面から物事を捉え、それを音楽として表現する。もちろん、サンプリングとして取り入れられているのは、何も現代の人々の生活音だけにとどまらない。中には、古い時代のフィルム・ノワールも存在する。そういった新旧の音楽が組み合わさることで、ひとつの強固な音響世界が形成される。

 

アルバム全体のアプローチとして、前作「Stadium」と聴き比べると、その違いが理解できるかと思う。ここでは、ローレル・ヘイローへの作品参加の影響もあってか、ダブ寄りのアプローチに進み、アシッド・ハウスに代表されるような音の質感に彩られる。そして、この独特の陶酔的な雰囲気は、間違いなく、ロックダウン中のニューヨークのマンハッタンでの夜の文明の新たな移り変わりの瞬間を、彼は、見事に音楽として描出することに成功している。それは、マンハッタンの夜の街の姿が見る影もなく変貌した瞬間を捉えたすさまじい作品であるとも言える。

 

今作「Icons」では、シンセサインザーの音源に加え、グロッケンシュピール、(チベットボウル)をはじめ、新しい楽器も数多く取り入れられているように伺え、それも、旋律楽器と打楽器的の中間点にある演出が施されている。この独特なイーライ独自のアンビエンス、環境音楽の雰囲気は、2021年にマンハッタンの夜の街角で彼自身が体感した大都会の静寂を”音”で表したといえる。そして、この作品には、どことなく、イギリスのダブ・ステップのアーティスト、アンディ・ストットに近い質感に彩られており、不思議なほど甘美な印象を聞き手にもたらすことだろう。

 

今作においての、イーライ・ケスラーの楽曲の中に感じられる静寂、その奇妙で得がたいサイレンスというのは一体、何によってもたらされたのか。ウイルスの蔓延なのか? また、あるいは、それとも、蔓延を押しとどめようとする圧力なのか? 

 

そこまで踏み込んで明言することは難しいかもしれない。しかし、少なくとも、この名作において、ケスラーは、真実を、真実よりもはるかに信憑性のある「音」により明確に浮かび上がらせている。ニューヨークの殆どの経済活動がロックダウンにより、たちどころにせき止められた瞬間、その向こうから不意をついて立ちのぼってきたマンハッタンの姿を、その夜の果てにほのみえる摩天楼の立ち並ぶ奇妙な世界を、気鋭の現代音楽家、イーライ・ケスラーは、最新作「icons」において、パーカッショニストとしての現代/実験音楽により、異質なほどの現実感をもって克明に描き出してみせている。 

 

 

 


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参考サイト

 

 Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Eli_Keszler

 

 

BEATNIK.com https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11877

 

 Jaga Jazzist「Pyramid」2020  

 

Jaga Jazzistは、トランペット、クラリネット、チューバ、ビブラフォーン、他にも、キーボード奏者をバンド内に擁する大所帯バンドで、Lars Horntveth、Line Horntvethの兄弟によって1994年に結成、幾度かメンバーチェンジを繰り返しながら、現在までノルウェーのミュージックシーンを牽引して来ています。

 

 

とくに、このバンドの中心人物、Lars Hrontveth(ラーズ・ホーントヴェット)は、楽器のマルチプレイヤーであり、クラリネットを中心に、サックス、パーカッションをハイレベルに演奏出来てしまう”鬼才”といえます。また、演奏する楽器の多彩さにとどまらないで、ジャガ・ジャジストの作曲もこなすという点で、世界で最も傑出したミュージシャンの一人に挙げても差し支えないでしょう。また、Lars Hrontvethとしてのソロ作品「Pooka」も、またエレクトロニカの隠れた名盤のひとつです。

 

 

彼等は、ロック・バンドとして、キーボードをはじめ、金管楽器、木管楽器を、バンドサウンドに絶妙に溶け込ませるという点では、本格派のジャズバンドといえ、アメリカのトータスに近いものがある。また、サウンド面の特色では、時に、ザ・イエス、ラッシュのような、壮大なスケールの音響世界を構築していくあたりは、プログレッシヴ・ロックの範疇に入れても良いかなという気がします。 

 

 

 

 

 




スタジオ・アルバム最新作、2020年リリースの「Pyramid」は、ジャガ・ジャジストの音楽性が完全なバンドサウンドとして、(ピラミッドの)頂点を迎えたといえるでしょう。また、これは、ジャガ・ジャジストの音楽性がより深く洗練された瞬間を捉えた瑞々しいバンドサウンドといえるかもしれません。

 

 

スタジオアルバムとしての完成度もさることながら、サウンドのタイトさにおいても、今作は彼等の歴代の作品でも群を抜いており、アルバムに収録されている四曲全てに統一感があるように感じられます。

 

 

一曲目「Tomita」のイントロでは、これまでよりも遥かに味わい深い上質なホーンセクションのハーモニクスが味わえる。ここで、2004年リリースの「Magazine」で見せたようなサウンドの原点に立ち返り、そこにまた、さらに和音構成という形で、美麗さを追究したというような印象を受けます。

 

 

管楽器のゆったりした甘美なハーモニクスが展開されており、ジャズバンドとしての堂々たる風格すら感じられる。もちろん、曲の中盤は、ジャガ・ジャジストらしい、移調を頻繁に繰り返しながら奥行きのある展開力を持ったインストゥルメンタルが進行していく。曲の終盤にかけての、往年のプログレを思わせる壮大でSci−fiチックな展開力も素晴らしい。

 

 

二曲目の「Spairal Era」も、一曲目の壮大なスケールを引き継いだ形の楽曲。キーボードのシークエンスを活かした広大な世界が厚みのあるバンドサウンドによって曲の終盤にかけて緻密に完成されていく。シャッフル風のリズムのオシャレさ、ギターのファンク寄りのアプローチもこの楽曲をユニークにしている。

 

 

また、三曲目の「The Shrine」は、彼等の最高傑作のひとつに挙げられるかもしれません。これぞまさに、ジャガ・ジャジスト節ともいえる名曲。クラリネットが紡ぎ出す不可思議なメロディーには、独特で蠱惑的な雰囲気が滲んでいて、そして、なんとなく、このファッショナブルな感じをつかめたら儲けもの。貴方はすでにジャガ・ジャジストのサウンドの虜になっていることでしょう。

 

 

それから、新作アルバムのラストをオシャレに彩るのが「Aphex」。ここでは、ダンサンブルな最新鋭のノリノリな北欧エレクトロを体感できるはず。もちろん、単なる淡白なエレクトロにとどまらないのは、ギターの清新な風味が添えられているからでしょう。この浮遊感と疾走感のある楽曲では、これまでのジャガ・ジャジストの音楽性の先にある新たな一面を見せてくれている。まるで、ティコ(スコット・ハンセン)を思わせるような爽やかさのある、最新鋭の軽快なエレクトロが展開されています。

 

 

 

ジャガ・ジャジストのサウンドは、いよいよ結成二十七年目にして最盛期を迎えたといっても過言ではないでしょう。

 

これまでの音楽性を下地に、新たに壮大なスケールの世界観を形成している。そこには、以前にはなかった経験からもたらされるバンドとしての余裕すら感じられます。また、大編成のバンドサウンドとして、シンコペーションの強拍の音圧の凄さというのは筆舌に尽くしがたい。金管楽器、木管楽器、キーボード、ドラム、これらの楽器のブレイクが「ビシッ!」と決まった瞬間のクールな迫力に圧倒されること間違いありません。

 

 

この新作アルバムにおいての凄まじい展開力、バンドサウンドとしての良い意味での緊迫感というのは「圧巻!!」としかいいようがなく、このアルバムには、まるで、往年のプログレッシヴロックを彷彿とさせるようなパッションすら感じられることでしょう。

 

 

二十七年という長期間の継続的な活動が、彼等のバンドサウンドを強固にし、このようにピタリと息のとれた力強い圧倒的なオーラを持つロック・バンドとしてのサウンドを形作ったといえる。まだまだ、底知れないポテンシャルの感じられるノルウェーのバンド、ジャガ・ジャジストにこれからも注目してくださると嬉しいです。

 

 

Jaga Jazzist 公式サイト

 http://www.jagajazzist.com/

 

 

 

Clark「Playground In a Lake」

 

 

 

 

Clarkは、クリス・クラークのソロプロジェクトで、スクエアープッシャーやエイフェックスと共に既にテクノ界の大御所ともいえる存在。

 

 

現在、イギリスからドイツに移住し、ワープレコードから移籍し、今作も前作に引き続いてドイツ・グラムフォンからのリリースです。

 

 

クリス・クラーク自体は、オラフソンの作品への参加など近年、クラシカルアーティストに近い活動を行うようになり、その辺りは彼の最近のドイツ移住に関連しているのかもしれません。

 

 

元々、クラークというのは、イギリスのワープ・レコーズの代表的な存在であり、元々はコアなテクノ、エレクトロを追求するアーティストでしたが、2016年「The Last panthers」辺りから徐々に方向性を転じていった印象を受けます。

 

 

活動初期はコアなテクノ、エレクトロという音の印象があり、それをクリースクラークらしいというか、彼の真骨頂であった音楽性がいよいよひとつの沸点を迎え、アンビエント・ドローン、そして、ポスト・クラシカル、ニューエイジの雰囲気も出てくるようになりました。これは往年のクラークを知るファンにとっては彼が一足先を行ってしまったのが少し寂しくあり、また、楽しみなところでもあるでしょう。 

 

 

Playground In A Lake  2021

 

 

 

 

 

そして、2021年3月26日リリースの今作「Playground  In a Lake」では、ピアニスト、コンダクターとしても活躍するAndy Masseyを迎え入れ、そして、さらに豪華なストリングス編成を加えたアルバムとしてリリース。

 

 

これはクリス・クラークの見せた新たな一面といって良いように思え、そして、元はワープレコードの代名詞的な存在でありながら、彼がいよいよクラブアーティストと呼ばれるのを拒絶しはじめたような印象を受けます。

 

 

この新作アルバムで展開されていく美しい電子音楽という彼の長年のキャリアの蓄積を踏まえた音楽性というのは、既に彼が現代音楽、または、純性音楽家としての道を歩み始めた証左であり、彼の往年のファンにとどまらず、クラシック界隈のファンにも自信を持ってレコメンドしたい作品です。 

 

 

ここでひとつのポスト・クラシカルとしての完成形をむかえた今作は、美麗なストリングスの表情をもち、また、ピアノの慎ましい演奏により、時には、クラーク流の電子的音響世界により、綿密かつ緻密、そしてインテリジェンス性を持って作り上げた歴史的名盤。彼自身のTwitterでのつぶやきを見ても、クリス・クラーク自身も、この新作の出来栄えに大きな満足感を抱いている様子。 

 

 

IDM(Intelligence Dance Music)というジャンルの一歩先を勇ましく行くのがクラークという存在であり、もちろん、それはかつての盟友、エイフェックスや、スクエアプッシャーが未来に見る音楽とは全く別の様相。

 

 

さて、これから、クリス・クラークがどのような新境地を開拓するのか、ファンとしては一時たりとも目を離すことができないでしょう。

Squarepusher 「ultravisitor」


今回は、ここで、あらためてくだくだしく説明するまでもなく、Aphex Twinと双璧をなすワープ・レコードの代名詞的な人物にして、現代エレクトロニカ界の大物アーティスト、スクエアプッシャー!! 


まず、この人のすごすぎるところは、電子楽器、たとえば、シンセやシーケンサーにとどまらず、生楽器の演奏というのも自分でやってのけ、しかも、ほとんど専門プレイヤー顔負けの超絶技巧を有している点です。

音楽性自体も非常に幅広く、電子音楽家という範囲で語るのが惜しくなるような逸材です。

おそらく彼にとっての音楽というのは人生そのものなのでしょう。特に、ベーシストとしても才能はずば抜けており、後の彼のジャズ・フュージョンのエレクトリックベースソロ・ライブは、音楽史において革命の一つであり、ジャズベースの名プレイヤー、ジャコ・パストリアスにも全く引けを取らない名演でした。

そして、このアルバムもまたスクエアプッシャー節、いわゆるドラムンベースの怒濤のラッシュとともに、さまざまな音楽のエッセンスが盛り込まれている辺りで、彼の代表作のひとつとして挙げても良いでしょう。

一曲目の「Ultravisitor」のライブのような音作りを聞いた時は、かなりヒッと悲鳴をあげ、少なからずの衝撃を受けました。はじめはこれはライブアルバムなのかと面食らったほどの生音感、また、そこには観客の歓声もサンプリングされており、スクエアプッシャーのライブをプレ体験できます。いや、それ以上の興奮感でしょう。後のスクエアプッシャーの数あるうちの方向性のひとつを定めたともいえる楽曲であり、彼自身も相当な手応えを持って、リリース時にこの曲「ultravisitor」を一曲目にすることを決断したのではないでしょうか。

これはクラブミュージック屈指の名曲。疾走感、ドライブ感があり、よくいわれるグルーブ感という概念、つまり音圧のうねりというのがはっきりと目の前に風を切って迫って来るような感じがあって、この曲を聞けば、その意味が理解できるだろうと思います。そして、ボノボのようなチルアウト感をもったアーティストとは異なり、彼は非常に熱いエレクトロニカを展開しています。これはほとんライブ会場内で、生々しい音を体感しているかのようなサウンドプロダクションといえ、他にこういった熱狂的なダンスミュージックは空前絶後。この曲で、彼は現代クラブミュージックシーンを、ひとりで、いや、リチャードDと二人で塗り替えてしまったといっていいでしょう。

 

このアルバム「ultravisitor」の興味深いのは、全体的にはライブの生音的なサウンド面でのアプローチが見られる所でしょう。もうひとつ挙げるべき特徴は、ドラムンベース・スタイルのダンスミュージック的な性格もありながら、それでいて多彩なジャンルへの探究心を見せている。例えば、ジャズ・フュージョンや古典音楽的な楽曲の才覚を惜しみなく発揮しているところに、ひとつのジャンルとして収めこもうと造り手が意識すること自体がきわめてナンセンスだというメッセージがここにほの見えるかのようです。

つまり、ジャンルというのは、売る側が決める都合であり、作り手は絶対にそんなことを考えてはいけないということなんでしょう。

まさに彼はそういった意味で、一種のラベリングに対する無意味さを熟知しているといえますね。

 

とりわけ、アルバムのなかで異彩を放っている「Andrei」という楽曲、これは甘美な響きがある現代音楽家の古典音楽へのつかの間の回帰ともいえるでしょう。イタリアの古楽のような響きがあり、中世リュートの伝統的な和音進行が、実に巧みに使いこなされ、バッハのコラール的な対旋律ふうに、ベースが奏でられています。これは本当に、彼の美しい名曲のひとつに挙げられます。もうひとつ、最後のトラックでも同じようなアプローチが見られ、「Every day I love」では、ジャズ・フュージョンというより、ベーシストとしての古典音楽にたいする接近が見られます。おわかりの通り、スクエアープッシャーのベーシストとしての天才性というのは、この最後の曲において遺憾なく発揮されているといえるでしょう。これまた、「Andrei」と同じように、彼の伸びやかな才能が感じられる曲であり、イタリアルネッサンス期の中世音楽への接近が見られ、優雅な雰囲気でアルバムをあたたく包み込み、アルバムの最後の印象を華やかに彩っています。

 また、「Tommib Help Bass」は、Aphex Twinのような、どことなく孤独感をおもわせる雰囲気の楽曲。ミニマルな構成のシンプルな曲ですけど、これがとても良いんです。落ち着きと心地よい鎮静を与えてくれる名曲。エイフェックスツイン好きならピンとくる楽曲でしょう。 只、少しエイフェックスと異なるのは、彼の楽曲というのは、和音構成がしっかり重視されている点でしょう。

そして、忘れてはならない、彼の代表曲のひとつの呼び声高い「Lambic 9 Poetry」については、もはや余計な説明不要だといえましょう。非常に落ち着いたイントロのベースのミュートから、生演奏のドラムのブレイクビーツの心地よさ。これは言葉にもなりません。そして、スクエアープッシャーの真骨頂は、途中からの破壊的な展開にある。徐々に、徐々に、崩されていって、拍子感を薄れさせていくリズムの発明というのはノンリズムの極致、作曲においての音楽の一大革命のひとつといえ、そのニュアンスは一種の陶酔感すら与えてくれるはず。

ダンスミュージックシーンに彗星のごとくあらわれたスクエアプッシャー!!。彼こそ、新たなダンスミュージックを初めて誕生させ、前進させた歴史的な音楽家だと明言しておきましょう。


Bonobo 「The North Borders」


例えば、七、八月などの夏の盛りに無性に聴きたくなる音楽というのがありまして、その一つがエレクトロニカというジャンルです。家の軒先にぶら下げる風鈴のような、高い、しかし耳障りではない心地よい涼やかな音の響きが、プラセボ効果を発揮し、暑苦しい気分を少しだけ和らげてくれます。

 

今回ご紹介するのは、蒸し暑くて、じめじめして寝苦しい夜などに聴くと、安らかに眠れること必至の、Bonoboのスタジオアルバム「The North Borders」。

 

Bonoboこと、サイモン・グリーンは英国のテクノ/エレクトロニカミュージシャン。何度か日本にも来日しており、その名を聴いたことのある人も少なくないはず。彼は、1999年から活動を今日まで続けており、最早、テクノ・エレクトロニカ界の大御所というように形容しても過言ではないアーティストです。

彼は、作品ごとに異なるアプローチを見せており、ダンス的な味わいだけではなく、民族音楽をはじめとする、実に多彩な音楽性を作品の中に取り入れていため、そもそもジャンル分けという概念は彼の頭の中にはないと思われ、ボノボの音楽を何らかの括りに入れること自体が礼に失しているのかもしれません。

このあたりの音楽というのは、穏やかでリラクゼーション効果のある楽曲の風味があります。それほどかしこまらず、たとえば、カフェの中でかかっている店内BGMのように、さらりと聞き流すというのも、乙な聴き方の一つかもしれませんね。

二千年代から、音楽の素人も気楽にPC上で、気軽に楽曲制作をできるような時代に入りましたが、彼は、そういったラップトップ上のソフトウェアが導入される以前から、ハードウェアで楽曲制作を続けていた気骨あふれる人物であり、レコーディング機器の変遷のようなものを間近で見届けてきた電子音楽の体現者ともいえる音楽家のひとりです。

昨今では、ディジタル機械に使われてしまう製作者が多い中、彼だけは、いまだに機械というものを上手く使いこなす側のポジションを取っています。楽曲制作においても、今では数多くのサンプリングのデータが無償提供されたりしていますが、サイモン・グリーンはこれまで電子音楽をゼロから手作りで行ってきた経験と、現代の多くのアーティストにはない強みがあるため、広範な知識を駆使して、サンプリングを施すというプロフェッナルな気質も感じられます。

彼は、便利な時代にデジタルな音楽を作っているからといって、それらの便利さに甘えを見いださないところが、音楽家として比するところのない孤高性すら感じられます。おそらく、そのあたりのインテリジェンスが、他のクラブ界隈のアーティストと異なる「ボノボ節」といえる独特な魅力を形成しているのでしょう。また、その辺りが、ダンスフロアだけではなくて、家の中で、オーディオシステムを通して聴く”冷静なBGM”としても十分に楽しめるはず。


ボノボの音楽性は、他のダンスミュージックとは異なり、徹底して落ち着いた響きのダウンテンポが展開されることにあります。

ヒップホップではお馴染みのターンテーブルのスクラッチ的手法というのは、彼のDJとしての経験から滲み出てくる概念なのでしょう。

しかし、彼の楽曲においては、非常に、それが入念に、緻密に、処理されているのがよく分かります。このあたりにも、サイモン・グリーンのインテリジェンスが感じられ、彼の性質、音楽に対する真摯な見方、価値観というのが、楽曲に表現されているように思え、常に冷静に楽曲制作を試みているのが伺えます。

ボノボの代表作としてよく挙げられるであろう「Linked」。この「The North Borders」。果たしてどちらをレコメンドとして選ぶべきなのか迷いましたが、聴きやすさという面では、今回紹介する「The North Borders」のほうが良いだろうと思います。彼の他の作品に比べてとっつきやすく、いくら聴いても飽きの来ない粒ぞろいの楽曲で埋め尽くされていて、グッときます。

「Cirrus」の冷ややかな質感というのは、真夏に聴くと、三ツ矢サイダーを一息に飲み干すような、なんともいえないスカッ!とした清涼感、爽快感があってオススメです。「Sapphire」で繰り広げられる、シックなダブ・ステップ的なリズムもクール。また、「Jet」においてのチルアウト的な涼やかな雰囲気というのも、気持ちをやわらげ、落ち着かせてくれるはず。さらに、「Ten Tigers」では、いわゆる”グリッチ”(カチカチと引っ掻くような独特なビートが短く刻まれるジャンル)の手法に挑戦しており、低音のバシンというバスドラムの鳴りも心地よい響きとなっています。

 そして、このアルバムの収録曲の中で、ひときわ異質な雰囲気が感じられる曲が「Pieces」。

中盤での、ぶつ切りのようなブレイクビーツ的手法というのも職人芸といえ、もはや圧巻としかいいようがありません。ゲスト参加している”Cornelia”の、キュートでアンニュイな声質も、この曲調にとてもよくマッチしており、歌物の楽曲としても十分すぎるほど楽しめるはず。

このあたりの手法は、九十年代のJ-popのダンス系でも良く使われていたので、なんだか懐かしくて切なくなるような感じもありますね。

他の作品よりも、ダウンテンポ、チルアルトというジャンル性を前面に押し出した今作「The North Borders」は、ボノボらしいリラックスしたおだやかな雰囲気を心ゆくまで存分に味わいつくせる傑作といえるでしょう!



 

Tortoise 「TNT」



およそラーメンの好みのようなものでしょう。あんなに毎日のように家系ラーメンばかりを食べていたのに、それがいつしか胃がさっぱり受け付けなくなり、もう油っぽいのはごめんだと、昔ながらの中華そばばかりをむさぼり喰らうようになる日がいつか来る。

そう、ロック音楽というのもまったく同じで、若い頃には、刺激的なもの、こってりしたもの、ノイジーなものをむさぼるように求め、徐々に興味がマニアック、コアになっていきます。しかしながら、不思議なことに、その刺激性を求める嗜好性が極点に達したとたん、そういうものに全く興味がわかなくなり、いつしかそれとは真逆の音楽性、静かな、自然で、落ち着いた音楽を求めるようになります。

いわば音楽嗜好の分岐点。ある人は、そこで、ジャズに向かうかもしれませんし、クラシックに向かうかもしれませんし、また、ある人は、クラブミュージックに向かう人もいるかと思われます。こと私の場合は全方向にがむしゃらに進みつづけております。 

 

 

 

さて、このトータスという「ガスター・デル・ソル」のメンバー、ジョン・マッケンタイアの中心とするプロジェクトは、そういったノイジーな音楽に飽きてしまった人にとって、ぴったりな大人向けの音楽を奏でています。

彼等の特徴というのは、上記に挙げたジャンルをすべて通過した後に、それら全部の影響を咀嚼して生み出された独特な風味のある音楽といえます。シカゴという土地で、ロック、ブルーズ、ジャズ、ハウス、そしてとりわけ「I Set My Face to the Hillside」に代表されるようなスパニッシュ、もしくはジプシー性の感じられる異質な民族音楽、このアルバムに収録されている全ての楽曲というのは、多種多様な人種の音楽を通過したのちにしか絶対に生まれでない渋みある音といえます。

おそらくトータスのメンバーは、シカゴという土地で暮らす上で、生活の中に当たり前のように鳴っている音楽を最大限に楽曲に活かしています。おそらく、アメリカの街角では、他の土地よりもはるかにこういった多人種の奏でる音楽が手の届くところで聞けるのでしょう。日本人にとっては、驚くべき音のように聞こえますが、実は、トータスにとっては街にある当たり前の音楽、それが生かされているだけであり、彼等にとっては何ひとつも驚異でなかろうと思われます。しかし、世界的には、彼等の音楽というのは、驚異であるかのように聴こえるのも興味深いところです。

トータスは、その五人編成という音の厚みを出す上で恵まれた構成で、白人と黒人が一緒に混在しているバンドという面では、ビースティ・ボーイズのような印象がありますが、彼等ほどには尖ってはおらず、落ち着いた音楽を提供してくれています。ビースティ・ボーイズもですが、こういった白人と黒人が混在しているバンドは、面白いエッセンスが出てくる場合が多いです。

 

ラップトップの上にレコーディングシステムを構築し、複雑なサウンド・エフェクトを最大限に活用しているのが、このアルバム。追記として、大阪、枚方市出身のエレクトロニカ・アーティスト、竹村延和が最後の主題曲「TNT」でリミックスを手掛けているところが興味深いところです。

しかもこれは、最終盤のリバーブエフェクトの広がり方がほとんど鳥肌ものであり、またホーンを使った渋いミニマル性の強い楽曲。これはエレクトロニカ界の屈指の名曲と断言します。

 

このトータスというバンドは、シカゴ音響派、もしくは、ポストロックという文脈上で語られることが多く、自分たちの作りたい音をとことんまで追求していった結果、こういった多彩なジャンルを通過した音楽性に至ったといえます。

もちろん、多重録音の要素もあるでしょうが、このアルバムについては、相当な数のセッションを重ねた末にレコーディングされたものと思われます。しかし、それは苦虫を噛み潰したような顔をして生み出されたのでなく、メンバーがスタジオに籠もってたのしく音遊びをしているうちに自然と完成した感じがあって、それが彼等の音楽にそれほど気難しい印象をうけない理由でしょう。

同郷シカゴのバンド、Sea And Cakeのジャム・セッション感の強い音楽と同じく、彼等の音の出の風通しが良いため、全然、身構えず、くつろいだ気分で聴きとおすことができるはず。しかし、それは彼等の楽曲が弛緩した印象を放っているわけではなくて、時には、抜けさがないストイックさも随所に見られます。シー・アンド・ケイクに比べると、ジャズ・フュージョンふうの玄人好みの音であり、その中にも、ガスター・デル・ソルの放つようなアヴァンギャルドめいた緊張感や緊迫感がある。これが実は、トータスというバンドの魅力で、掴みやすいところがありながらマニア向けでもあるという、矛盾めいた両極端の要素を持った音を奏でています。

その理由は、彼等が楽曲の細部を御座なりにせず、楽曲の小節の切れ目に至るまで細かに配慮し、絶妙な間を図ったかのように音を出す、いうなれば、これしかないという完璧なアンサンブルを奏でているから。

 

このアルバムのすべての楽曲には、これまで浸透していたレコーディング技術を遥か上を行くような高度な洗練されたリミックスが施されている点から、アビッドテクノロジー社の提供する「Pro Tools」、もしくはアップル社の提供する「Logic Studio」のようなDAW(digital audio worksystem)が一般的に浸透しはじめた時代のテクノロジーの恩恵を大いにうけた音楽といえます。

十数年前、最初にこのアルバムを聴いて驚かされたのは、「The Suspension Bridge at Iguaz Falls」や「Four Day Interval」の二曲に代表される、マレットの独特なかわいらしい音色でした。

それがすでにノイジーなロック音楽ばかり聞くことに嫌気が差しはじめていて、何か静かな音楽はないかないかと探しまわっているところに、トータスの音楽、とりわけ、このマレット・シンセの独特のゆらめきある音が、耳にスッと飛び込んできて、言いしれない安らぎのようなものを感じました。ロックという音楽を、相当数聴いてきたつもりでいて、それで全部が全部の音楽を知ったように思っていたため、そのマレットの音に打ちのめされ、腰が抜けそうなくらい驚かされました。今ですら、マレットというのは、アメリカン・フットボールあたりのエモコアバンドが当たり前のように使用しているので、それほど斬新ではないように思えますが、やはり、そういったバンドを知らなかった時代において、木琴楽器のロック音楽の中での使用に対して、相当な驚きをおぼえざるをえなかったです。

 

およそ1990年代半ばくらいまでのロック音楽を通し聴いてきた印象といえば、ギター、ベース、ドラム、シンセサイザーが加わるくらいの編成が主流であったはずで、そういう音楽しかロックではないのだと偏った考えを持っていたため、こういった全くアナログ感のある木琴楽器、クラシック、ジャズ、ブラック・ミュージック界隈でしか使われないはずの楽器を、柔軟な発想で取り入れ、さらにそれを楽曲の中で、主体的に使用するというのは目からうろこでした。

同じ頃、シガー・ロス、ムームをはじめとする、アイスランドのレイキャビクでもポストロックのジャンルが生まれ出る動きがありましたが、こういった今まで使われなかった楽器を編成の中に積極的に取り入れていく手法というのは、次世代のロック音楽に、革新的なニュアンスの息吹をもたらしたことだけは間違いないでしょう。

そして、シカゴ音響派の二大巨頭、トータス、ガスター・デル・ソルの台頭がその後のミュージックシーンに与えた影響は計り知れないものがあったであろうし、二〇〇〇年代に向けてのアメリカのロック・ミュージックにとって重要な転換期に当たったのではないかと思われます。

このアルバムで、全ての楽曲の主体的な印象を形作っているのが、マレット、そしてもうひとつが、アナログシンセサイザーです。

今や、デジタル・シンセが主流となった時代の音楽に、旧時代の電子音楽、たとえば、古くはクラフトヴェルク辺りがアウトバーンなどにおいて鳴らしていたアナログシンセの「ギュゥイーン」というアナログ信号でしか出し得ないニュアンスの音が、むしろどことなく新らしく感じられるよう。

 また、ドラムのジョン・マッケンタイアのシーケンサーを巧みな使用、またあるいは、プロツールズのWAVE(およそ今日のマスタリング、録音した音楽を完成品としてパッケージする際に多くのプロミュージシャンによって使用されている)のようなソフトウェアを介しての複雑なサウンド・エフェクトのほどこされたドラム、またはドラムという楽器の生の響き、その音の魅力を重視した上で、クラブミュージック的なサウンド加工を施し、アナログではなくデジタルなニュアンスを与えています。

その意図というのは、これまでブレイクビーツ界隈のアーティストの独占権であったはずの打楽器的な音響効果をロックミュージックにいる人々にも、こういう手法があるのだというように告知し、ロックという手狭な表現方法に行き詰まりを感じていたアーティストたちを解放してみせた功績というのはあまりにも大きなものだったはず。

そして、その革新性がこのアルバムに独自なエキスを与えて、トータスの音楽性の印象を形作り、とても聞きやすくもある一方で、玄人と自負するリスナーの耳にも、これはなかなか手ごわい、侮れないと思わせた要因といえるでしょう。

そしてまた、「Almost Always Is Nearly Enough」での、ボーカルサンプリングのリズム的な使用法、その上に乗ってくるキレキレのブレイクビーツのクールさというのも、リリースしてから二十年も年月が経っているというのに、これは今でもアヴァンギャルドとしかいいようがなく、その後のロックミュージックに新たな息吹を吹き込んでみせたことは間違いなかろうと思います。

 

この「TNT」には、無数のジャンルの音楽性が良いとこ取りで詰め込まれていて、長く聞くに耐えるほどの、渋みを持ち合わせた良質なアルバムであることだけは疑いなしです。そして、ここには、のちのポスト・ロックだけにとどまらず、エレクトロニカ、インディーロックといったさまざまなジャンルの萌芽が見られ、それらの要素が洗練された形で、スタイリッシュに昇華されています。

つまり、トータスというロック・バンドは、このデジタル的な性質の強い音楽を、あくまでアナログの表情を前面に突き出して、それを独自のインストゥルメンタル楽曲にしたのが主だった特色。

そして、それこそが、彼等の音楽の独特な性質を形作り、空のCDケースの表に黒いマジックで手書きしたかのような可愛らしいジャケットデザイン。そのキュートな印象とも相まって、「これぞ!」もしくは、「あんた達、ほんと良くやった!!」と、トータスのメンバーの肩を叩いて労いたくなるような、通好みには実にたまらない嗜好性が満載のアルバムが完成するに至ったといえるでしょう。

Sea oleena



Sea Oleenaは、カナダ・モントリオールの兄妹、シャルロット・オリーナとルーク・ロゼスのエレクトロニカ・ユニット。
 
このアーティストの特に面白い特徴は、レコーディングが兄妹の自宅で行われていて、ギター、ピアノをはじめとする楽器が自前のラップトップで録音され、レコーディングからリリースまでのおおよそが二人の手でなされているところです。
 
家の中にエフェクターなどの機材だとか配線が沢山積み上げられて、その前で、二人揃って真剣に演奏している写真を見るかぎりでは、若い頃から兄妹揃って音楽に慣れ親しんで来たようなのが伺えます。その辺りの、音楽を介して伝わってくるこの兄妹の仲の良さが、二人の音楽性の独特な魅力にも現れているという気がします。彼等は、はなから目立った活動をする気はないらしく、素敵な音楽をささやかながら世界中の愛好家のもとに届けてくれています。
 
Youtubeの公式のPV以外は、音源リリースというのも、実際の活動の多さに比べると少なく、もとはカセットテープ、もしくはミュージシャン向けの配信サイト「Sound Cloud」上でのリリースという内寄りな形で活動していましたが、昨今、意外にもファンからフィードバックがじわじわ増えはじめているのか、彼等の音楽を待ち望む多くの期待に答えるような形で、リリース音源がCDというかたちで市場に残るようになり、なおかつ彼等の音が前よりも入手しやすくなったのは、個人的に嬉しいかぎり。


シャルロット・オリーナは、非常に類まれな天使のように美しい歌声、そして、独特のギターテクニック、メロディセンスを持っています。彼女の歌声には、付け焼き刃ではない、長年培ってきたからこそ滲みでてくる気配があり、つまり、本格派アーティストの雰囲気が漂っていて、有名所でいうなら、セイント・ヴィンセントにも比する、美しい!!としか形容しようのない浮遊感のある声質を有しています。ヴィンセントに比べると、アンニュイな雰囲気が感じられる歌声です。
 
なかなか侮りがたいのは、彼女の端麗な容姿からは想像できないほど職人的な音作りをしていて、モントリオールという音楽の盛んな土地柄のためか、さまざまな音楽性の影響を見せ、そのバックグラウンドの広さが伺えます。サウンド面でも、さまざまなアナログディレイ、リバーブ等のエフェクターを使いこなし、かなり長い活動をしてきたがゆえの音楽に対する深い知見も持ち合わせているようです。
彼女の持つエッセンス、演奏とボーカルをさらに魅力あふれるものにしているのが、兄のルーク・ロゼズという存在。彼はピアノをかろやかに弾きこなし、DAWを介してサンプリングを駆使しています。Sea Oleenaの楽曲を雰囲気たっぷりに仕上げているのは、ロゼスの手腕によるところが少なくないかもしれません。

彼等の曲というのは、どことなくアンビエント的なムードが漂いながらも、そこで展開されるのは、いうならば、フォークとエレクトロニカの合体させたフォークトロニカ、つまり、アイスランドのMUMのニュアンスに近い印象があります。もちろんMUM好きな方なら必聴でしょう。ただ少しだけ異なるのは、アナログディレイを駆使し、音の奥行きが感じられるようなミキシングをしていて、アンビエント的風味を持った抽象世界が楽曲の中において展開されています。おそらくドラマティック性という面では、Sea Oleenaの方が秀でいているかもしれません。


聴くと、なぜ、もっと脚光を浴びないのか解せないほどのスター性と、そして他に比べて抜きん出た実力を持ちながらも、一般的に知名度があまり浸透していないようなのが残念でなりません。おそらく、この兄妹がそれほど大手を振って宣伝活動をしないため、その点が知名度という面で少し弱いという気もしています。本人たちもひっそりと家の中で良い音楽を奏で、それを分かる人だけ分かって貰えれば良しというスタンスで活動しているのかもしれません。反面では、やはりというか、一部の耳の確かな愛好家の間においては、Sea Oleenaの名が知れ渡りはじめていて、すでにシャーロット・オリーナの歌声は本物と認められつつあるというように思えます。
Sea Oleenaの楽曲を聴いていると、世間の喧騒から離れ、本当の意味での自分を見つめざるを得なくなり、また、その中に隠されていた美しい感情を呼び覚まされるような気がします。それこそがこの兄妹の音楽の不思議な魅力のひとつでしょう。何かしら、自分の中にある悪い感情がキレイさっぱり洗い流されて、それとは正反対の清らかな感情に満たされるような気がします。
 

 「sea oleena」

 
 
 
 
このアルバムの中においては、どことなく妖しげでミステリアスな印象のある「Sister」。シャルロット・オリーナの美しい歌声の響きをサンプリングを使い、ターンテーブル的な巧みな手法でループさせた「Swimming Story」が出色の出来。その他には「Litte Aemy」の穏やかなフォーク的で、雰囲気も非常に良い味を出しています。

また特筆すべきなのは、Sea Oleenaの楽曲には癒やしの効果があって、聴いていると気持ちが安らかになってくるようにも思えます。いわば、ヒーリング的効果もあり、気持ちがザワザワついて落ち着かないという方に、是非ともおすすめしたい音楽です。

 
 参考 http://www.inpartmaint.com/site/3492/
    https://diskunion.net/rock/ct/detail/AWY140917-SO1