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Weekly Music Feature


McKinly Dixon


マッキンリー・ディクソンは、幼少期の多くを移動しながら忙しなく過ごしてきた。1995年にメリーランド州アナポリスで生まれたディクソンは、DMV(Dual Mode Vehicleのこと)とクイーンズ区ジャマイカ(ニューヨークで最も治安の悪いエリアと言われる)を行来していたが、当時の彼にインスピレーションを与えたのは、マンハッタンともブルックリンとも異なる、ニューヨークでの特異な体験であった。「メリーランド州にはない、自分と同じような顔をした人たちがそこにはいたんだ。それは音楽による逃避行について考えるきっかけになった」と彼は言う。


奇妙な憧れと現実からの逃避というアイデアは、彼の野心的なプロジェクト「Beloved」の中心を形成している。このアルバムは、ディクソンが "史上最高のラッパー "とユニークに評するノーベル賞作家、トニ・モリスンの小説3部作にちなんで名付けられたという。モリスンの小説は、アメリカの歴史に目を向け、憧れと逃避の奔出を、彼女の散文の美しい広がりと正確さを通じて突き止めることになった。ディクソンはこのアルバムで、そういったエネルギーを表現しようとしている。


米国の詩人で評論家のハニフ・アブドゥルラキブは、「マッキンリー・ディクソンの作品は、リスナーである私にとって、常に寛大で、ポータルとして機能していると感じている」と評している。「自分の人生とは明らかに違うけれど、自分の人生から遠く離れてはいないかもしれない人生への窓。それは、あなたが触れたことのある人生に近いかもしれないし、あなたが逃した、あるいは待ち望んでいた人生に近いかもしれない」


あるとき、ディクソンは、ダブルシフトの仕事をする母親が切り盛りする家庭で育ち、自分もまた毎朝5時半に起きていることに気づいた。「母は私に規律を教えてくれました。そして、自分で何かを望むなら、それを手に入れなければならないということを教えてくれたんです」


 

©︎Jimmy Fontaine


音楽のバックグランドについて言及すると、興味深いことに、メアリー・J・ブライジやゴスペルデュオのメアリー・メアリーなど、「ファーストネームがメアリーであるアーティスト」が彼の家庭の音楽環境を特徴づけていた。これらのアウトキャストとの出会いはディクソンにとってきわめて重要なものとなった。ヒップホップへの愛を深める一方で、当時流行していたシアトリカルなロックにも興味を持つようになった。「メリーランド州の友人から紹介されたMy Chemical RomanceやPanic! At The Disco、これらのグループは、私の憧れの感覚を音楽で表現してくれていた」と彼は話している。結局、彼はこれらの影響を、バージニア州リッチモンドの大学に通いながら、2013年にリリースしたデビューEPの制作時に全力で注ぎ込むことになった。


やがてマッキンリー・ディクソンの音楽は、ブラックネスや癒しとの関係について言及されるようになり、彼の主要な自己表現手段となりかわっていった。その次にリリースした『Who Taught You To Hate Yourself?(2016年)、『The Importance Of Self Belief』(2018年)を経て、彼のスタイルは進化を遂げ、特に楽器の演奏に関しては自信を深めていった。


デビューアルバム『For My Mama and Anyone Who Look Like Her』は、ディクソンが心の痛みや悲しみに照準を合わせたゲームチェンジャーとなった。「私は本当に濃密で混沌とした曲を作っていて、どんな考えでも5分半の曲に詰め込もうとしていた」と、ディクソンはプロジェクトについて語っている。続く 『Beloved!Paradise! Jazz!!!』は、さまざまな衝動をぶつける試みとなった。


この作品では、「あの激しさと濃密さを保ちながら、より短く、よりキャッチーな曲を作ったらどうだろう?って考えてみたんだ」と彼は述べている。1992年に出版されたモリソンの友情とハーレムを描いた小説『ジャズ』を朗読するアブドゥラキーブのイントロダクションの後、ディクソンはリスナーに "Sun, I Rise" を提供する。ハープが奏でるクリスタルのようなラインの上でラップするディクソンは、時に低く、時に頂点まで軽やかに舞い上がるように、声のトーンを変えて演奏する。彼の歌詞は捉えどころがなく、文学的で、正真正銘のヒップホップだ。それは、ディクソンのフロウの能力の強かな表明であり、スキルの棚卸しでもある。「イカロスとミダス王を混ぜたような少年の物語を作りたかった」とディクソンは言う。ゲストボーカリストのアンジェリカ・ガルシアは、ピュアな歌声で、この傑出したシングルにさらなる深みを与えている。 

 

アルバムの他の部分では、彼は、落ち着きのなさと銃の暴力("Run, Run, Run")、友人を失うという底知れない悲しみ("Tyler, Forever")、才能の孤独("Dedicated to Tar Feather")について取り組んでいる。ディクソンはオーケストラの指揮者のように、鍵盤、弦楽器、優しいベースをはじめとする生楽器を組み込もうとした。「全ての曲で美しい言葉を書こうとした、これまでで一番手応えがある」とディクソンは語るが、それは楽曲の美しさと題材に見合った偉業となることだろう。

 

アルバムの最後を飾るのは、このプロジェクトで最もゴージャスな瞬間といえるタイトル曲だ。ジェイリン・ブラウンは、トム・モリスンの書誌から抜粋した言葉を歌っているが、それはたった3つの単語からなるにもかかわらず、何とも言えないフィーリングを持つフックを作り上げる。ディクソンのイメージは、幽体離脱、抱き合う手など、痛々しいまでの優しさに溢れている。時に荒々しく、時に繊細な、『Beloved!Paradise!Jazz!?』は、山あり谷ありのマッキンリー・ディクソンの心の旅である。「自分の物語をより身近に感じられるようにすることを目標にしたんだ」と彼は語った。自分の好きなものをその中心を保ちながら。


『Beloved! Paradise! Jazz!?』 City Slang



(現在はシカゴにいるという)ディクソンの文化観を育んだニューヨークのクイーンズ地区はヒップホップの発祥の地のブロンクスに隣接しており、エグみのあるNYカルチャーの発信地のひとつと言えるだろうか。これまでブラックネスや、自分の人生について、あるいは、自分の母親についてのラップソングを書いてきたマッキンリー・ディクソンは、2021年の前作の延長線上にある音楽性を、この4thアルバムで追い求めている。

 

当時ディクソンは黒人のノーベル賞作家であるトム・モリスンの「Jazz」を読むにつれ、人々が過激であると評するこのストーリーについて一定の共感を覚えたばかりか、まったく怖いものではないと考えていた。というのも、それはおそらくクイーンズ地区での生活は、モリスンの描こうとするいささか恐ろしい世界と共鳴するものがあったのだろう。このときのことについて、ディクソンはこう回想する。「凄いな、最愛の人って? という感じだった。これは一体何なんだろう? 怖いけど、全然怖くない」と彼はさらに回想する。「この本には、彼女が黒人であるがゆえ、まだ私たちが到達しえないこと、そして私自身が到達しえないことがたくさん書かれていた」

 

本当に優れた文学に出会った時、もし、その読者が本当の意味で純粋な心を持ち、その物語やプロットに共感し、真にその物語に熱中したならば、それは百戦錬磨の書評家よりも深くその文学を読み込んだことになる。

 

そしてトム・モリスンの言葉は、彼の心に共鳴し、それを古典としてではなく、現代の問題として、また自らの問題として持ち帰り、文学者が伝えようとしたことをうまく咀嚼することが出来た。ディクソンにはその素養があった。2017年頃から、彼は黒人の経験についてよく学び、黒人のトランスフォーマーの死亡率に関心を持っていた。トランスフォーマーは、二重の抑圧に苦しんでおり、黒人全般の死亡率よりも遥かに高い。それは友人の出来事によってデータ上の数字ではなく、ディクソンの心に生きた問題として印象深く刻み込ませた。また、彼は2018年の最初のアルバムで、こんなことを歌っている。「わたしたちの行動に責任を持とう/公正な連鎖反応であることを自覚せよ」これはディクソンが社会に潜む問題を捉える目を持っていること、そして、それに対する疑問を投げかける行動力を兼ね備えていることを証だてている。

 

マッキンリー・ディクソンはこれらのブラックカルチャーにおけるテーマを自分のアーティストとしての命題に据え、4作目のアルバムでも、そのことを真摯に探究しようとしている。このアルバムはモリスンの小説「Jazz」の朗読により幕を開ける。重苦しいアブドゥラキーブの朗読に加え、緊張感のあるシンセがその言葉の情感を引き立てるが、これから、この音楽が次にどういった形で展開していくのかを期待させる理想的なイントロダクションとなっている。

 

やはり、「ジャズ」という表題に違わず、ホーンのミュートの枯れた音色がそのムードを盛り上げる。前奏曲が終わるとすぐ、ハープのグリッサンドを通じて、『Beloved! Paradise! Jazz!?』はいよいよ物語の幕開けとなる。「Hanif Reads,Toni」を通して、マッキンリー・ディクソンは、彼が尊敬するメアリー・J・ブライジのポピュラーセンスを受け継いだラップを展開させる。そして、彼のラップには二面性のある人格が垣間見える。感情をむき出しにする扇情的なリリシストとしての姿と内省的なリリシストとしての姿が立ち代わりに現れ、それがゲストボーカルとして参加したアンジェラ・ガルシアのコーラスにより、曲の持つ哀感は深みを増していく。特に中盤からのフロウを通じて、マッキンリー・ディクソンは最もエモーショナルなラップを披露し、ブラックカルチャーの核心へと迫りながら、聞き手の琴線に触れる感慨をもたらす。アフロ・ビートを下地にしたストリングス、ハープ、木管楽器が幾重にも折り重なり、美しいハーモニーを形成する中で、ディクソンは感情を剥き出しにし、"Nigger”という得難い差別的な観念の正体を突き止めようとする。次第にディクソンのフロウは、それとは対比的なアンジェラ・ガルシアのコーラスに支えられるようにして奇妙なエナジーを帯び始める。

 

続く「Mezzainaine Tippin」はアルバムの中で最も過激な楽曲である。これは例えば、ケンドリック・ラマーの書くブラックコミュニティの過激さを、社会悪という観点から捉えようとしている。チャリチャリと不気味な音を立てる鎖のサンプリングの後には、ほとんどアブストラクトヒップホップとして見てもおかしくないような前衛的なリズムがこの曲を支配する。マッキンリー・ディクソンは米国社会の暗部に踏み入れ、そしてそれが黒人の生活にどのような恐怖を与えるのかを、リリックと音楽という二つの側面から捉えようとしている。まさにモリスンの小説にある得体の知れない恐怖がこのトラックには充ちており、重々しさのある重低音に加え、サックスの響き、ボーカルの断末魔のようなサンプリング、抽象的なシンセサイザーが、それらの雰囲気をさらに不気味なものにしている。暴力に対する黒人側の恐怖、もしくは自己に満ちる内面の狂気をディクソンは鋭い感覚によって描き出そうとしているのだろうか。それは一触即発とも言え、危うく、なにかのきっかけで表層部分にある正気の壁そのものが崩れ落ちていきそうな気配に充ちている。スラングの断片をサンプリングとして序盤に配し、その後の展開を引き継ぐ形で、マッキンリー・ディクソンは歌うともささやくとも知れず、リリックを紡ぎ出していく。

 

 「Run,Run,Run」

 

 

重苦しい緊張感に満ちた前曲の後、レゲエやジャズを基調にしたユニークなラップソングが控えている。「Run Run Run」は、表向きには銃社会について書かれているが、アルバムの中で親しみやすく、軽快なリズムに支えられている。ここにはディクソンのジャマイカのコミュニティや、そのカルチャーの影響が色濃く反映され、Trojanに所属していた時代のボブ・マーリーのR&Bの延長線上を行く古典的なレゲエやアフロ・キューバン・ジャズを融合させた一曲である。シンプルなピアノのフレーズが連続した後、ディクソンはアンセミックな響きを持つフレーズを繰り返す。アフロ・ビートのように軽快なリズムとグルーブ感は軽やかに走り出しそうな雰囲気に満ちあふれている。中盤からラップへと移行するが、トランペットのミュートに合わせて歌われるディクソンのうねるようなラップの高揚感は何物にも例えがたいものがある。

 

同じように続く「Live From The Kitchen Table」も心沸き立つような雰囲気に充ちている。 タイトルもファニーで面白いが、特にアーティストのジャズに対する理解度の深さと愛着が滲み出ているナンバーだ。特に、曲の中盤のサックスの駆け上がりは、アルバムの中で最も楽しみに溢れた瞬間を刻印している。これらのジャズの要素に加え、アルバムの序盤とは正反対に、ディクソンは心から楽しそうにラップを披露する。その歌声を聴いていると、釣り込まれて、ほんわかした気分になる。この曲が終わった頃には、心が温かくなる感覚に浸されることだろう。

 

「Tyler,Forever」

 

続く「Tyler, Forever」も同じように軽快な雰囲気に充ちている。ティンパニーの打音と管楽器のフレーズの兼ね合いを聴くかぎり、さながら、音の向こうからコミカルなヒーローが颯爽と登場しそうな雰囲気だ。アクションヒーローの映画を彷彿とさせるイントロダクションの後、アルバムの中でマッキンリー・ディクソンがドリル・ミュージックの核心に接近する。これは、友人を死をもとに制作された曲だというが、悲壮感をもとに曲を書くのではなく、亡き友人の魂を鼓舞するかのように、勇敢なラップミュージックを展開させる。特に中盤にかけてのフロウは鬼気迫るものがある。そして何より、分厚いグルーブ感が押し寄せ、ダンスフロアの熱狂のように渦巻き、そのグルーブを足がかりにして、ディクソンは巧みなマイクパフォーマンスとともにエネルギーを上昇させる。中盤から導入されるホーン・セクションを介して、リラックスしたジャジーな展開に引き継がれ、その後、ほろりとさせるような切ないラップが展開される。

 

終盤では、ゴージャスなオーケストラ・ストリングスのハーモニーを活かした「Dedicated To Feather」が強烈な印象を放っている。前曲の友人への弔いのあと、その魂をより高らかな領域へと引き上げ、レゲエ調のエレクトーンの音色を取り入れ、渋さのあるポピュラーミュージックを展開させる。4ADから新しいアルバムの発売を控えている、注目すべき黒人シンガーソングライター、Anjimileをゲストボーカルに迎えたことは時宜にかなっていると言える。両者の息のぴったり合ったボーカルとコーラスは、アンニュイなネオソウルの魅力を体現しており、シンガロングを誘発させるサビの痛快さはもちろん、ボーカルのサンプリングやジャジーな管楽器の芳醇な響きによって、曲の情感は徐々に高められていくことがわかる。

 

ジャズのスタンダードな形式の管楽器のフレーズで始まる前奏曲に続き、「The Story So Far」を介して、アルバムのテーマはいよいよ核心へと向かっていく。アフロ・キューバン・ジャズの要素を取り入れたこのトラックで、パーカション効果を最大限に駆使しながら、マッキンンリー・ディクソンはジャズとラップの融合のひとつの集大成を示している。それは序盤の重苦しい雰囲気とは異なり、天上に鳴り響く理想的なラップとも捉える事ができるし、近未来的な響きを持つヒップホップとも解せる。キューバン・ジャズ風のリズムや管楽器の響きは、Seline Hizeのハリのあるボーカルによって、楽曲の叙情性は深度を増していくのだ。


悲哀、狂気、恐怖、それと対極にある温和さ、楽しさ、平らかさ、多様なブラックカルチャーに内在する感覚をリアルに体現した後、アルバムの最後に祝福された瞬間が待ち受けている。タイトル曲「Beloved! Paradise! Jazz!?」は、スタンダードなソウルやR&Bを下地にしたDe La Soulを彷彿とさせるナンバーで、ディクソンは相変わらず、淡々とし、うねるようなリリックを展開する。後に続く温和なコーラスワークの響きは、ハープやジャジーな管楽器とポンゴの響きに支えられ、Ms Jaylin Brownのソウルフルなボーカルに導かれて、アルバムの最後は微笑ましい子どもたちのコーラスにより、ダイナミックかつハートフルなクライマックスを迎える。

 

マッキンリー・ディクソンが最後に言い残したことはシンプルで、あなたを愛する人がどこかにいるということ、楽園もどこかに存在するということ、そして、それは、ジャズやソウルのように人をうっとりさせるものであるということ。決して恵まれた環境で育ったわけではないアーティストであるからこそ、その考えは深さと説得力を持ち合わせている。


 

 96/100

 

 

Weekend Featured Track 「Beloved! Paradise! Jazz?」


McKinly Dixon(マッキンリー・ディクソン)のニューアルバム『Beloved! Paradise! Jazz!?』はCity Slangより発売中です。

American Grafitti

全般的に見ると、映画やサウンドトラック、つまり映像や映画の中で流れる音楽は、その映像媒体の単なる付加物に過ぎません。

 

ところが、なんの変哲もない、つまらない映像のワンショットが、ある種の情感を引き立てるようなBGMが付加されることで、時代を象徴するような名シーンに変化する場合がある。そして、それは時に映画全体の評価すら変えてしまう場合もあるのだから不思議だ。ローマの休日、スタンド・バイ・ミー、さらに、時計じかけのオレンジ、シャイニングといった著名な映画のワンシーンではそのことがよく理解出来る。つまり、映画のサウンドトラックとは、本質的には映像の付加物に過ぎないけれども、一方では、映像そのものよりも優位に立ち、ストーリーや映像を支配する場合すらあるのです。

 

例えば、ホラー映画のワンシーンにおいて、そのシーンとは全く別のユニークな音楽が流れたらどう考えるでしょう。多くの鑑賞者は、その瞬間、恐怖を忘れ、また、失望し、興ざめしてしまうはずです。反対にコメディー映画のワンシーンで、場違いなホラーの音楽が流れたら、(それはそれで前衛的で面白いと考える人もいるかもしれませんが)興ざめすることでしょう。つまり、一見、映像とその付加物に過ぎない音楽が分かちがたく結びついた途端、主媒体の持つ意味が変化し、本来、付加物であるはずの音楽が優位に立つケースが極稀に存在するのです。このことについて、映画評論家のジェイムズ・モナコーー”映画を読む”という考えに基づいて作品の評論を行った人物ーーは、そもそも映画の音楽が効果的な形で活用されるようになったのは、ブロードウェイのミュージカルの時代であると指摘しており、この2つの媒体がどのように関連しているかについて、以下のように述べています。「だが、今日、ミュージカル形式の映画の中で、最も成功しているのは、純然たるコンサート・フィルムである。これはサウンドトラックがフィルムを伴っていて、映像がサウンドトラックに支配されているのだ・・・(以下略)」というのです。

 

例えば、ジュディー・ガーランドのミュージカルの時代から、その後のハリウッドを中心とする映画全盛期の時代にかけて、もしくはフランスのパリ、イタリアのミラノを始めとするヨーロッパを中心とする映画の時代において、音楽がその映像作品のストーリーを強化することは決して珍しいことではありませんでした。たとえば、好例としてはトーマス・マン原作の「ヴェニスに死す」があります。この映画の最後のシーンでは、疫病に侵された音楽家が、人気のなくなったイタリアの浜辺で息絶えますが、明暗のコントラストを最大限に活用することで知られるイタリアの巨匠であるヴィスコンティ監督は、この印象的なシーンに、グスタフ・マーラーの『アダージェット』を使用し、その光と影の微細な変化と同期させ、この映画を不朽の名作たらしめた。つまり、実際の良い映画音楽は、単なる付加物にとどまることはほとんどなく、本来の役割を離れ、映像すら超越し、その映画のワンシーンを印象的な形で鑑賞者の記憶に留めておくのです。

 

今回、改めて、映画の中に導入される音楽が重要視されるようになったブロードウェイの時代から、 映画産業の最盛期にかけての名作映画とサウンドトラックを、下記に網羅的にご紹介致します。以下のプレイリストを参考にすることで、実際の映画を鑑賞するときに、”音響効果としてサウンドトラックがどのような形で映像に効果を及ぼしているのか?”という観点から映画を観ることもまた映画鑑賞の一興となるでしょう。

 

 

 

Louis Armstrong  『Hello Dolly!』 映画『Hello Dolly!』(69年)より


 



ジェイムズ・モナコが指摘するように、ミュージカルがサウンドトラックの原点にあるとするならば、まずはじめに紹介しなければならないのは、同名のミュージカル『Hello Dolly!』が映画化された本作である。

 

監督は、ジーン・ケリー、振り付けはマイケル・キッドが担当した。第42回アカデミー賞で美術賞、ミュージカル賞、録音賞の3部門を獲得した。ジャズボーカル/トランペットの巨匠であるルイ・アームストロングが客演した同名の作品のテーマソングである「ハロー・ドリー!』は、マンハッタンのブロードウェイミュージカル全盛時代の華やかな雰囲気を味わうのに最適である。


 

 

 

Irving Berlin/ Ethel Merman 映画『There’s No Business Like Show Business』 『There’s No Business Like Show Business』(54年)より


 



 

もし、ブロードウェイのミュージカルがどのような音楽として出発したのかを知りたいのであれば、ハロードリーの次に思いうかぶのがエセル・マーマンが歌った映画『There’s No Business Like Show Business』の表題曲である。

 

20世紀のニューヨーク/マンハッタンが最も反映した時代の華やかさを見事に捉えた名曲。エセル・マーマンは、この曲の中で、まるで舞台女優のように歌うのだが、実際の音源からもミュージカルの様子を想像することが出来る。まさにショービジネスのような華やかなビジネスはこの世に存在しないことを体現している。ブロードウェイのネオンが目に浮かぶような一曲である。

 

 『ショウほど素敵な商売はない』(There's No Business Like Show Business)は、1954年のアメリカ合衆国のミュージカル。監督はウォルター・ラング、出演はエセル・マーマンとマリリン・モンロー!! など。 ミュージカル『アニーよ、銃をとれ』のために書かれたアーヴィング・バーリンの歌「ショウほど素敵な商売はない」の曲名をそのまま映画のタイトルにしている。

 

 

 


『Love is a Splendered-Thing(慕情)』 映画『Love is a Splendered-Thing(慕情)』(55年)

 





『慕情』(Love Is a Many-Splendored Thing)は、1955年のアメリカ合衆国の恋愛映画で、20世紀フォックスが配給し、同年、日本でも公開されている。

 

監督はヘンリー・キングで、出演はジェニファー・ジョーンズとウィリアム・ホールデンほか。ベルギー人と中国人の血を引く女性医師ハン・スーインの同名の自伝的小説(英語版)を映画化した作品である。

 

 主題歌「Love Is a Many-Splendored Thing 慕情」は第28回アカデミー賞歌曲賞を受賞し、多くの歌手によりカバーされた。同曲を作曲したサミー・フェインはジャコモ・プッチーニの歌劇『蝶々夫人』のアリア「ある晴れた日に」を参考に作曲した。

 

この原曲のバージョンはミュージカルであるものな、映画のアレンジバージョンが複数存在すると記憶しており、一番有名なメインテーマのオーケストラ・バージョンに加え、実は、中国風のイントロのメロディーがきわめて印象的なボーカル・バージョンのバラードのレコーディングが存在する。

 

テーマソング『Love Is a Many-Splendored Thing 慕情』は、オーストリアの作曲家であるグスタフ・マーラーの管弦楽法の影響を直接的に受けた爽やかな雰囲気を擁するオーケストラレーションは、映像の持つ魅力を最大限に引き出すことに成功している。


 


 

Debby Reynolds 『Tammy』 映画『Tammy and the Bachelor(タミーと独身者)』(57年)より


 



 

デビー・レイノルズは、女優としても演技力が随一といっても差し支えないはずだが、歌手としても他のミュージックスター達の歌唱力に引けを取らない甘美な歌声を持った伝説的なシンガーである。女優としての才能だけでなく、歌手としての素晴らしい才覚を示してみせたのが、ロマン・コメディ映画の「タミーと独身者」だった。

 

米ユニバーサルから配給された映画「タミーと独身者」1957は、シド・リケッツ・サムナーの小説を原作とし、ジョセフ・ペブニーがメガホンを取った。年頃の少女が自分の恋心の芽生えに気づいた淡い感情を描いてみせた名作の一つで、コメディの風味も感じられるが、米国らしいロマンティックさに彩られた往年の名画といっても良い。

 

 

 

 

Judy Garland  『Over The Rainbow』 映画「The Wizzard Of OZ』(39年)より


 



 
ハリウッド映画の黄金時代を象徴する女優/歌手のジュディー・ガーランドの華やかな人生は、反面、その影であるドラッグ産業とともに象徴づけられる。ガーランドは20世紀初頭の華やかなミュージカルの時代の過渡期に伝説的な女優として活躍した。
 
 
ミュージカルと映画の転換期にあたる『オズの魔法使い」におけるガーランドの名演は、映画史に残るべきものである。劇中歌で使われた『Over The Rainbow』も米国のポピュラー史の中でも屈指の名曲に挙げられる。推測に過ぎないが、後の時代に隆盛をきわめるディズニー映画の音楽のステレオタイプは『Over The Rainbow』の夢見るようなロマンチシズムに求められるといっても過言ではない。ライマン・フランク・ボーム原作の『The Wondeful Wizzard Of OZ』(1900)のファンタジックな物語性を音楽的な側面から見事に捉えた伝説的な名曲である。
 

 

 


Pat Boone 『April Love』   映画『April Love』(57年)より






パット・ブーンの「April Love」を聴けば、映画の中に挿入される音楽が、どれほど映像の持つ雰囲気を盛り上げるのかがよく分かる。

 

ビルボード・マガジンの集計によると、パット・ブーンは、エルヴィス・プレスリーに次ぐチャート記録があるヒットメイカーとして知られている。同名映画のテーマソングである「4月の恋」50~60年代において大成功を収めたポピュラー歌手で俳優/作家のパット・ブーンが、1957年にDOTレーベルからリリースしたシングル。ビルボード・ホット100チャートで最高1位、さらにUKシングルチャートで最高7位を記録した。

 

サミー・フェインが作曲し、ポール・フランシス・ウェブスターが作詞したポピュラーソングである。パット・ブーンとシャーリー・ジョーンズが主演を務めた、ヘンリー・レヴィン監督の1957年の映画『エイプリル・ラヴ』の主題歌として書かれた。春先のロマンチックな雰囲気を漂わせる甘いバラードソングだが、これ以上に爽やかな映画のテーマソングは寡聞にして知らない。


 


 

8.Buddy Holly 『That's ll Be The  Day』  映画『American Grafitti』(73年)より


 



 ”Mel’s Drive-In"に行ったことがある人はいるだろうか? それは冗談としても、SFの傑作『スターウォーズ』で知られるジョージ・ルーカルのもう一つの傑作が、70年代の米国の若者の暮らしを見事に活写した『アメリカン・グラフィティ』 である。


実は、この映画、米国のオールディーズ、ドゥワップの名曲ぞろいで、ほとんどこのジャンルのベスト盤といっても過言ではない。

 

ロックのアイコン、チャック・ベリーを始め、スカイライナーズ、プラターズ、バディー・ホリーと怒涛のドゥワップの名曲のオンパレードで、実際の映像のムードを盛り上げている。特に、スターウォーズのように大掛かりな演出が施されているわけではないのに、私はこの映画が大好きである。

 

特に、エンディングにかけてのビーチ・ボーイズの名曲『All Summer Long』は、劇中の主人公たちの青春と相まって、ほとんど涙ぐまさせる何かが込められている。また、この曲の中では、HONDAが登場し、若者の間で日本の外車がトレンドであったことも容易に伺える。ドライブインやクールな車が登場し、その物語の中を若者たちが所狭しと動き回る様子は、同じく青春映画の傑作『スタンド・バイ・ミー」に匹敵する。この時代の奇妙な近未来的な作風は、後の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に大いに影響を与えたのではないだろうか?

 

 

 


The Platters 『Smoke Gets In Your Eyes』映画『A Guy Named Joe』(43年)/『Always』(89年)


 




ザ・プラターズの『煙が目に染みる』は、1933年、ジェローム・カーンの作曲により、ミュージカル『ロバータ』 (Roberta) のミュージカルのショー・チューンとして書かれた。作詞はオットー・ハルバック(Otto Harbach)が手掛けている。 同年10月13日に、ガートルード・ニーセン(Gertrude Niesen)により最初のレコード録音が行われた。1946年には、ナット・キング・コールもカヴァーしている。1958年、コーラスグループのザ・プラターズがカバーしてリバイバル・ヒットした。

 

1958年、プラターズのドゥワップのカバーは全米R&Bチャートで3位、全英では1位を記録し世界中で大ヒットしたことはよく知られている。1943年のアメリカ映画『A Guy Named Joe』のリメイク版、1989年スティーブン・スピルバーグ監督の映画「オールウェイズ」でも、この曲が効果的に使われた。前者の映画は古すぎるため、一度も観たことがない。特にサントラとして効果的に使用されているのはスティーヴン・スピルバーグ監督の作品の方だろう。歴代のバラードソングの中でも屈指の名曲/カバーといっても良いのではないだろうか? 


 

 

 

The Righteous Brothers 『Unchained Melody』 映画『Ghost』(90年)より


 




90年の『ゴースト』は、興行的には大成功をおさめた作品であるのは事実だが、永遠の名作なのかは疑問符が残る。私はそれほど映画には詳しくない、と断った上で言わせていただきたいが、この映画の発想自体は斬新で面白く、90年代に流行ったということについても頷ける話だけれども、現代的な感覚から見ると、どことなくB級感漂う作品というのが個人的な感想なのである。

 

もちろん、一方で、映画のサウンドトラックという観点から見ると、「Unchained Melody」は映像効果のムードの側面に素晴らしい影響を与えている。原曲は55年で、35年の時を経て、同映画の表題曲として採用され、英国一位のリバイバルヒットを記録している。例えば、最近の『ストレンジャー・シングス 未知の世界」のメタリカやケイト・ブッシュの例を見ても分かる通り、オリジナルの楽曲が、数十年も後になってリバイバルヒットを記録するケースはそれほど稀有なことではないのだ。

 

また「ゴースト」のプロデューサーは、ビートルズのレコーディングプロデューサーとしてお馴染みのフィル・スペクターである。ジョン・レノンやジョージ・ハリスンはフィル・スペクターのことを気に入っていたと言うが、ポール・マッカートニーはあまり好きではなかったという。この噂の真相までは定かではない。ともあれ、「Unchained Melody」は幻想的でありながら現実的であるという、この映画の核心をうまく体現している。また映画のサントラとしては問答無用に素晴らしい一曲である。



Simon & Garfunkel 『Sound Of Silence』 映画『The Graduate』(67年)より 


 




 
「サウンド・オブ・サイレンス」(原題はThe Sound of Silence、またはThe Sounds of Silence)は、サイモン&ガーファンクルが1964年に発表した。1964年のオリジナルレコーディングは商業的に成功せず、直後にバンドは解散することになる。しかし、1965年、オーバー・ダビングされたバージョンが1966年にビルボード誌で2週に渡って週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1966年年間ランキングは第25位。 1967年のアメリカ映画『卒業』では挿入曲となった。


『卒業』は1967年に公開された作品で、主演はダスティン・ホフマンである。今では大物俳優の彼の記念すべきデビュー作である。この映画は、アメリカン・ニューシネマの代表作としても認知されており、当時のアメリカの時代背景(ベトナム戦争や女性運動など)が反映され、政治に対する不信感を感じることができる作品となっている。

 

『明日に架ける橋』など他の全般的な代表作を見ると、それほどマイナー調の曲は少ないサイモン & ガーファンクルではあるものの、「サウンド・オブ・サイレンス」だけは非常に暗鬱な雰囲気が漂う。ある意味では、ベトナム戦争時代の米国の当時の若者のリアリティを反映させた作品とも称せる。


 


Steppenwolf 『Bone To Be Wild』 映画『Easy Rider』(69年)より






私はバイク乗りではないものの、デニスホッパー主演の『Easy Rider」ほどモーターサイクルやハーレー・ダヴィッドソンがかっこよく思える映画もそうそうないと思う。


映画のテーマ曲「Born To Be Wild(ワイルドで行こう)」(68年)を提供したステッペン・ウルフの方は、60年代後半のアメリカンロックを代表するバンドである。元々、バンド名も、カルフォルニアのUCLAの学生が好んで読んでいたという作家のヘルマン・ヘッセの前衛小説「荒野のおおかみ」に因んでいる。そう考えると、カルフォルニアのヒッピーの自由主義、ラブ・アンド・ピースのキャッチフレーズを掲げて登場したロックバンドと、ワイルドであることを生きる上での金科玉条とする作中人物たちの生き様は、他のどの映画よりも絶妙にマッチしていたのだ。

 

「Born To Be Wild」は60年代のアメリカン・ロックの最高傑作の一つであり、映画のサウンドトラックとしても超一級品である。ちなみに、バンドのアルバムの原曲では存在しないが、映画のサウンドトラックのバージョンのイントロには、バイクのマフラーをブンブン吹かす音が入っている。

 

 

 



Ben E King 『Stand By Me』  『Stand By Me』(86年)


 




四人の若者たちが、青空の下の線路の上を仲睦まじく歩く姿を想像してもらいたい。そしてそれは、それ以前の映画の作中人物の人間関係をしっかり辿った上で見ると、涙ぐまずにはいられないような映画史きっての印象的なシーンなのだ。つまり、青春映画の最高傑作『Stand By Me』の魅力は、あの名場面に尽きるのである。ただ、Music Tribuneは映画サイトではないため、あのシーンが本来どのような意味を持つのかについては考察するのを遠慮しておきたい。

 

軽快なコントラバス(ウッドベース)の演奏で始まる『Stand By Me』は、1961年にアトコ・レコードからシングルとして発売されたベン・E・キングのシングル作である。1986年に公開された同名の映画で主題歌として使用され、映画の宣伝のためにミュージック・ビデオが制作された。同年、再発売され、全英シングルチャートで第1位を獲得した。作詞作曲は、キングとジェリー・リーバーとマイク・ストーラーが手掛け、チャールズ・アルバート・ティンドリーによって作曲された黒人霊歌「Load, Stand By Me」に触発されて書かれた。つまり、あまり知られていないことだが、「スタンド・バイ・ミー」はポピュラーミュージックである前にゴスペルソングなのである。


「Stand By Me」は初盤の発売以降、そうそうたるミュージシャンに気に入られ、ジョン・レノン、ブルース・スプリングスティーン、レディー・ガガ、忌野清志郎によってカバーされた。現時点でのカバー・バージョンの総数は400を超える。 映画の最高のテーマ曲の一つとして最後に挙げておきたい。





 

 

 ポスト・ロックに関するレビューは断片的に記してきたものの、網羅的なディスクガイドについてはそれほど多くは取り上げてきませんでしたので、今回、改めてポスト・ロックの代表的なアーティストと決定盤を下記に取り上げていこうと思います。


選出に関しては現代的な音楽から見ても先鋭的なバンドの作品を中心にご紹介していきます。以前のタッチ・アンド・ゴー特集のレコメンド、日本のポストロック特集も是非合わせてご覧ください。

 

 では、ポスト・ロックというのは何なのか?? シンプルに説明しますと、その名の通り、ロックを先を行く音楽で、アバンギャルド・ロックとほぼ同意義といっても良いでしょう。ただ、これらは他のジャンルと同じく、マスロックをはじめ無数のサブジャンルに細分化されているため、相当なマニアでもなければ、その変遷を説明することは難しいので、ここでは割愛して大まかな概要のみを述べておきます。

 

 ポスト・ロックの音楽は大まかに3つに分けられます。一つは、轟音系と呼ばれるもので、MBVの轟音の次の時代に出てきた音楽です。これらは、オーケストラ音楽に近いダイナミックな編成がなされる場合もある。例えば、MOGWAI、シガー・ロス、MONOが該当する。2つ目はスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスの現代音楽のミニマリズムを継承したロックで、Don Cabarello、God Speed You Black Emperror!が該当する。もうひとつは、ジャズの影響を受けたライブセッションの延長線上にあり、Toroise、Sea And Cakeが当てはまる。

 

 90年代前後に彗星のごとく登場したポスト・ロックの音楽は、70年代のパンクムーブメントがそうであったように、形骸化した音楽に対して新鮮なムードをもたらそうというミュージシャンの意図が込められていました。 これは穿った見方かもしれませんが、同年代のLAの産業ロックに対する反抗心もあったかもしれません。

 

 80年代〜90年代当初、ポストロックは米国で盛んになった後、海外にも広がっていき、アジアやヨーロッパでもインディーシーンを中心に盛り上がった。日本では、ToeやLITE、そしてAs Meias、台湾の高雄でもElephant Gymが台頭しています。その後、現在はジャズが盛んなイギリスにそのシーンの拠点を移し、特にロンドンを中心に前衛的なロック・ミュージックを志向するバンドが徐々に増えている。


 一例では、ロンドンのブラック・ミディやBC,NR、また、ドライ・クリーニングやキャロラインも明らかにポスト・ロックの範疇にある音楽に取り組んでいます。これは、ロンドン近辺の若者が普通に米国のアメリカーナやエモ、ポスト・ロックに親しんでいることの証明ともなっている。

 

 そして、当初のシカゴやルイヴィルのシーンを見るとわかるように、これらのロックの次の時代を象徴する新しい音楽というのは、必ずしもオーバーグラウンドのシーンから出発したとはかぎりません。

 

 当初は、アンダーグラウンドに属する小さなライブスペースから発生し、音楽ファンの間でその名が徐々に知られるようになった。例えば、Minor Threat〜Fugaziと同じように、それらのバンドはDIYのスタイルを図り、少人数規模のスタジオ・ライブを行うこともあったのです。

 

 もちろん、後のポストロックが有名になっても必ずしも先駆者のバンドが世界的な知名度を得るとは限らなかった。モグワイやシガー・ロスのような一般的な存在が出てくるのは最初の出発点から見ると、だいぶ後のこと。つまり、90年代のグランジも同様ですが、新しい音楽がアンダーグランドからオーバーグラウンドに引き上げられるのには、それ相応の時間を要するわけです。

 


 

God Speed You!  Black Emperor(Canada)

 



GY!BE(God Speed You! Black Emperor)は、カナダのポストロックシーンを象徴する偉大なバンドである。現在もメンバーを入れ替え、さらにストリングス奏者を増やして活動中。


バンド名は日本の暴走族の映画のタイトルに拠る。一般にいうポスト・ロックというジャンルの大まかな印象は、このバンドの音楽を通じて掴めるといっても過言ではない。ライヒのミニマリズムに根ざした曲の構成、チェロやヴァイオリンの導入、リバーブとディレイをかけた音響系のギターの音作り、映画のような会話やアンビエンスのサンプリングを導入し、物語調の音楽を紡ぎ出す。

 

GY!BEの楽曲は、ほとんどが10分を越えで、20分以上に及ぶ場合もある。大掛かりな曲がほとんどであるが、一曲の中に複数の小曲が収録され、それらの音のタペストリーが映写機のように連続していく。ライブではギタリストが椅子に座って演奏し、フィードバックを最大限に活用する。これまでのライブでは、ステージの背後にプロジェクターを設置し、映像と音楽を同期させるインスタレーション風のパフォーマンスを行っている。

 

米シカゴのクランキー・レコードから2000年発売された伝説的名盤『Lift Your Skinny Fists Like Antennas To Heaven』の発売当初は、海外メディアからレッド・ツェッペリンの音楽と比較される場合もあったという話。


「Storm」のミニマリズムも魅力ではあるが、実際のところ、このアルバムに収録されている「Static」、「Sleep」は『Led Zeppelin Ⅳ』に匹敵する凄さを体感出来る。1999年のJohn Peel  Sessionの伝説のライブはこちら



『Lift Your Skinny Fists Like Antennas To Heaven』 2000  Kranky

 


 

Mogwai (Scotland)

 


最近では、映画のサウンドトラックのリリースや、再発、回顧録などが中心となってしまい、ライブバンドとして第一線を退いてしまった感もあるモグワイであるが、以前、ディスクユニオンのスタッフのレビューではポスト・ロックというジャンルを紹介する上で必ず出てきた。それが上記のGY!BEとスコットランドのインディーロックシーンの象徴的な存在モグワイである。

 

97年の「Young Team」がNMEの年間ベストアルバムの七位に選出され、ニューライザーとして一躍注目を浴びだ後、2000年代を通して、世界的なロックバンドとして成長していった。日本の音楽シーンとも関わりがあり、ある作品にはENVYのボーカルが参加していることでも知られる。

 

モグワイの音楽がなぜポスト・ロックないしは新しいロックといわれたのかについては、アイルランドのMBVの轟音性をアンビエント的に解釈し、反復のディストーションギターのフレーズとリズムを通じて確信的に組み立てた功績が大きいといえるだろうか。また、よく言われる叙情性溢れる轟音ロックや、静と動を通じて繰り広げられる楽曲展開については、特にグラストンベリーやフジロックのような大型のロックフェスのコンサートとも親和性が高く、2000年代以降の音楽シーンの象徴的な存在となったのは何も不思議な話ではなかった。

 

反復フレーズを中心とするシンプルな轟音のギターロックは、初見のリスナーでも音楽の持つ世界に簡単に入り込むことが出来る。


今はなき日本の富士銀行をアートワークにあしらった「Young Team」、「Come On Die Young」を薦める方も少なくないと思われるが、ここでは、美麗なメロディーと轟音性が生かされた「The Hawk In Howling」を入門編として推薦したい。このアルバムに収録されている「I'm Jim Morrison,I’m Dead」、「Thank You Space Expert」は音響系のポスト・ロックの金字塔とも称するべき名曲である。なお、モグワイのスチュアート・ブレイスウェイトは現在、Silver Mossとして活動を行っている。

 

 

『The Hawk In Howling』 2008 Wall Of Sound Ltd.

 


 

Sigur Ros(Island)



現在来日公演中のビョークとともにアイスランドの象徴的な存在であり、またモグワイとともにポストロックの象徴的な存在であるヨンシー率いるシガー・ロス。1994年に結成、現在も活動中、昨年、『Art Of Mediation』をリリースしている。後の時代には、ステージでビョークと共演を果たしている。ライブではボーカルとともにヨンシーがバイオリンの弓を使用する場合もある。

 

シガー・ロスは、音響系と呼ばれるポスト・ロックのサブジャンルに属するバンドである。アンビエントや環境音楽とモグワイと同じように轟音性の強いロックを融合させ、90年代以降のロックシーンに革新性を与えた。それに加えて、フロントマン、ヨンシーのアイスランド語のボーカルを交えた音楽性は後の米国のExplosion In The Skyのようなバンドのお手本に。加えて、アイスランドの国土の気風の影響を受けた美麗なロックミュージックはそれ以前のU2の後の時代のロックミュージックとして多くのファンから受け入れられることになった。

 

その後、アイスランドにはヨハン・ヨハンソン、オーラブル・アーノルズとポスト・クラシカル/モダンクラシカルに属するミュージシャンが数多く出てきて、そして世界的な活躍をするようになった。そういった意味では、以前の記事でも書いたことなのだが、ビョーク、及びシガー・ロスはこれらの後続のミュージシャンの活躍への架け橋ともなった重要なアーティストなのである。音響系のポストロックとしてシガー・ロスは良盤に事欠かないが、お薦めとして、『agaetis byrjun』を挙げておく。この作品では、俗に言う音響系と呼ばれるアンビエントとロックの融合という革新的な音楽性の核心に迫ることが出来るはずである。

 

 

『Agaetis Byrjun』 1999 KRUNK

 

 




 

 

Rachel's (US)

 


ケンタッキー/ルイヴィルシーンでSlintとともにポスト・ロック/マスロックシーンの先駆的なグループ、Rachel's。現在はピアノ奏者としてモダンクラシカルシーンで活躍するレイチェル・グリムを中心に、Rodanのギタリスト、ジェイソン・ノーブルを擁する室内楽に近い編成のアート集団である。弦楽器とピアノを交えたバンドとして、91年からジェイソン・ノーブルが死去した2012年まで活動した。図書館のようなスペースでDIYの活動を行っていた。

 

それほど多作なアート集団ではないが、二十年間の活動の間にリリースされた作品はマニア向けではありながら、実験音楽として軒並み高いクオリティーを維持していた。活動開始から四年後に発表された95年のデビュー作『Handwrinting』は、カナダのGY!BEにも強い影響を及ぼしたと思われる。オーケストラにおけるミニマリズムとロックの融合の原型が「M.Dagurre」に見出せる。芸術家、エゴン・シーレを題材にした「Music For Egon Shiele』もオーケストラの室内楽として高いクオリティーを誇る。

 

彼らレイチェルズの入門編としては、2003年の最後の作品『System/Layers』をおすすめしたい。レイチェル・グリムスのピアノの演奏を中心に、ミニマリズムに触発された音楽性とジブリ音楽のような情感豊かな弦楽器のパッセージが劇的な融合を果たした傑作。全キャリアを通じて唯一のボーカルトラック「Last Things Last」を収録している。必ずしも、ロックの範疇にはないグループではありながら、後続のポストロックシーンに与えた影響は計り知れない。

 


『System/Layers』2003 Quartersticks  



 

Tortoise(US) 

 

 


いわゆるシカゴ音響派のくくりで語られることも多いトータス。現在のインディーズシーンで象徴的なミュージシャン、元Bastroのメンバー、ジョン・マッケンタイア、後に同地のジャズシーンの象徴的な存在になるジェフ・パーカーを中心に結成された。

 

ジャズを始め、様々な音楽が盛んなシカゴの気風を反映したアバンギャルドロックバンドである。 タイトルを冠したデビューアルバムではジャズを反映させた実験的なロックバンドとして台頭したが、続く96年の『Million Will Never Die』でシカゴ音響派と呼ばれるジャンルを確立。97年の「TNT」では時代に先んじてレコーディングにラップトップを導入し、ハードディスクレコーディング(Pro Tools)を採用し、 ユニークなサウンドを打ち出して成功を収めた。それまでバンドは演奏をテープに録音し、その後にデジタル・リマスターを施していた。

 

『TNT』はポストロックの先駆的なアルバムである。 ロックとコンピューターレコーディングの融合というのは現代的な録音技術としては一般的に親しまれる手法となったが、最初にこの音楽性にたどり着いたのは、RadioheadとTortoiseであった。現在も定期的にライブを開催しており、実際のライブセッションにおけるアンサンブルの超絶技法は、その場に居合わせたオーディエンスを圧倒する。レコーディングバンドとしてもライブバンドとしても超一流のグループである。PitchforkのMidwinter 2019での『TNT』のフルセットはトータスのキャリアにおいて伝説的なライブに数えられる。

 

 

『TNT』1998 Thrill Jockey

 


 

 

Battles(US)

 

 

ニューヨークのダンスロックバンド、Battlesは、Helmetのドラマー、ジョン・ステニアー、Don Caballeroのイアン・ウィリアムズを中心に結成。現在は脱退してしまったが、タイヨンダイ・ブラクストンが10年まで参加していた。またバンドは、7年、11年、16年にフジロックフェスティバルで来日公演を行っている。英国のダンスミュージックの名門、ワープ・レコーズと契約し、実験的なダンサンブルなポストロックバンドとしては当時、最大の成功を収めた。

 

知るかぎりにおいて、これだけシンバルの位置を高くするドラマーをいまだかつて見たことはない。シンバル(金物)の音の抜けを意識していると思われるが、実際のライブや映像を見ると、本当にびっくりする。


バトルズのポストロックバンドとしての最大の特徴は、変拍子を交えたテクニカルな構成力もさることながら、イアン・ウィリアムズが持ち込んだドン・キャバレロ時代のギターロックの革新性をダンサンブルなロックとして受け継いだことにある。デビューアルバム『Battles』はポストロックというジャンルにとどまらず、ロック・ミュージックの名盤に上げてもおかしくないような傑作である。

 

しかし、こういった以前には存在しなかった前衛的なサウンドが完成するまでに実に20年もの月日を費やしている。それ以前にメインメンバーの二人が90年代のUSアンダーグラウンドシーン、ドン・キャバレロやヘルメットのメンバーとして十分な実験を重ねた末に生み出されたものであり、この音は決して、一年や二年で考案されたものではない。特に、ドン・キャバレロのミニマリズムに根ざしたマスロックの要素がクラブミュージックのキャッチーさと組み合わさることで唯一無二の音楽が生み出されたのである。

 

 

『Mirrored』2007 Warp

 


 

toe(Japan)

 


海外でポストロックというジャンルが隆盛をきわめるにしたがい、2000年代の日本でもこのシーンに属するバンドが登場する。

 

日本の新宿を中心とするポスト・ハードコアのコンテクストから言うと、既にENVYがポストロックに近い作風を2003年の『Dead Sinking Story』で確立していたが、その後のジェネレーションがいよいよ登場するようになった。これらのシーンにあって、最初は3ndなるホーンセクションと変拍子を交えたアバンギャルドロックバンドが台頭、その後、パンク/ハードコアシーンで活躍していたBluebeard/There Is A Light That Never Goes Outのメンバーを中心に結成されたAs Meias,LITE、そしてtoeが 00年代のシーンを担う。最近、ロックダウン時に毎日新聞のインタビューに登場し、アーティストとしての提言を行っている。

 

toeの音楽に関して言えば、ミニマルの影響を交えたテクニカルで複雑な構成力を持つロック、いわゆるマス・ロックの典型例である。しかし、一方で、これらのマニア向けのコアな音楽性の中にも、エモーショナルな雰囲気と日本語のポップスの影響を交えたわかりやすい音楽性がtoeの最大の魅力。2000年代に国内のシーンで頭角を現したtoeは、その後、日本の全国区のロックバンドとなり、以後、LAでのライブを成功させ、その名を現地のシーンにとどめた。

 

オリジナル・アルバムとしては、2015年の『Hear You』を境にリリースが途絶えているtoeではあるものの、彼らの入門編としては代表曲「グッド・バイ」(シンガーソングライター、土岐麻子が参加したバージョンもあり)を収録した2009年の『For Long Tomorrow』がまず先に思い浮かぶ。

 

このアルバムに見られる変拍子に象徴されるテクニカルな構成力、及び、ポリリズムを交えた立体的なフレーズの組み上げ方は、日本のシーンに実験的なロックがもたらされた瞬間を刻印したと言えよう。また、LITEと同じく、邦楽ロックという観点から洋楽をどのように解釈するのかという点でも、バンドはこの作品にたどり着くまでかなりの試行錯誤を重ねた形跡もある。ライブバンドとしてのダイナミックな迫力と内省的なエモーションを兼ね備えた決定盤である。下記の「グッド・バイ」の映像はLAでのライブを収録。現地の観客の日本語の熱いシンガロングにも注目したい。

 

『For Long Tomorrow』 2009 Machupicchu Industries




Elepahnt Gymー大象體操 (Taiwan)



アジアのシーンにも波及したポスト・ロックのウェイブは、日本のみならず、台湾にも新しい風を吹き込むことになり、海に近い高雄からエレファント・ジム(大象體操)という象徴的な存在を輩出する。2012年結成と比較的新しい歴史を持つエレファント・ジムは、兄弟のKTChangとTellChang、ドラマーのChia-ChinTuにより構成されている。昨年、二年ぶりとなるフルレングス『Dreams』のリリース記念を兼ねてフジロックで来日公演を行っている。

 

近作で、エレファント・ジムはSF的な世界観を交えた近未来を思わせる実験的なロックに取り組んでいるが、当初、バンドは先行のポスト・ロックバンドと同様、ミニマル・ミュージックの影響を絡めたマス・ロックのバンドとしてミュージックシーンに登場している。実際のライブやライブを収録したAudio Treeシリーズのバージョンでは、KT Chanのタッピングをはじめとするテクニカルなベースの演奏を楽しむことが出来る。しかし、現時点での決定盤としては以前紹介しているとおり、2016年のEP『工作』が入門編として最適。マス・ロックの象徴的なミニマルのフレーズと、シティ・ポップに近い雰囲気を持つ中国語の柔らかいフレーズを交えたKT Chanのボーカルが合わさり、バランスの取れたポストロックサウンドが生み出されている。

 

また、バンドは、日本語歌詞でも歌い、来日時のライブではMCを日本語で行うこともあるのだとか。日本での活躍にも期待したい。

 

 

Elepant Gym 『Work (工作)』 2016 EP

 


 


Black Midi(UK)



以後の時代になると、ロンドンにもポスト・ロックのウェイブが押し寄せることに。昨年、最新作『Hellfire』を発売し、来日公演も行ったロンドンのアバンギャルドロック・バンド、ブラック・ミディはイギリスのアバンギャルドロック・バンドの中で強い存在感を放つ魅力的なグループである。デビュー当初はドイツのCANを始めとするクラウト・ロックの影響を絡めた前衛性の高い作風でロンドンのシーンに名乗りを上げる。最初の作品のリリース後、マーキュリー賞にもノミネートされ、受賞こそ叶わなかったがパフォーマンスを行っている。

 

現在は、サックス奏者を交えた四人組として活動しているが、キング・クリムゾンのプログレッシヴロックの要素とミュージカルのようなシアトリカルな要素が劇的に合致し、唯一無二の作風を昨年のサードアルバム『Hellfire」で打ち立てることになった。

 

ファースト、2nd、3rdと毎回、若干の音楽性の変更を交えた作品としてどれも違った魅力があることは明白であるが、このバンドの醍醐味を味わう上では現時点でバランスの取れた3rdアルバム『Hellfire』を入門編としておすすめしておきたい。前作の「John L」から引き継がれた音楽性は、このバンドの持つ超絶的な演奏技術により、無類の領域へと突入しつつあるようだ。このフリージャズの要素は、プログレッシヴ・ロックとスラッシュメタルの方向性へと突き進んでいき、3作目の「Welcome To Hell」で結実を果たす。また、二作目から受け継がれたミュージカル風の音楽やバラードもまたブラック・ミディの音楽の醍醐味のひとつ、つまり代名詞のような存在となっている。今後、これらの作風はどのように変化するのか今から楽しみで仕方がない。


 

 

「Hellfire」2022 Rough Trade





Black Country,New Road(UK)

 



こちらもロンドンのポストロックシーンを代表するブラック・カントリー、ニュー・ロード。メンバーのサイドプロジェクトには、Jockstrapがある。昨年、アイザック・ウッド参加の最後の作品となった 2ndアルバム『Ants From Up Here』をリリースし、またフジロックでも来日公演を行っている。

 

現在、バンドはフロントマンの脱退後、新編成でライブを開催しつつ、新曲を試奏しながら練り上げている。今後、どのような新作が登場するか、心待ちにしたい。ライブ盤としては先週末に発売された『Live at The Bush Hall』がファンの間で話題となり、バンドの代名詞的なリリースとなっている。

 

前時代のポストロックシーンの音楽性を踏襲し、ジャズの影響をセンスよく織り交ぜ、弦楽器を交えてライヒのミニマリズムを継承したロックサウンドは、ロンドンのシーンを活性化させた。ファーストアルバムのアートワークについても、インターネットの無料画像を活用し、それを印象的なアートワークとならしめた点についても、現代のティーネイジャー文化の気風をセンス良く反映させたといえる。BC,NRもブラック・ミディと同様に、最初のアルバムがマーキュリー賞にノミネートされ、一躍国内の大型新人として注目を浴びるに至った。

 

『Live at Bush Hall』 2023  Ninja Tune



 実存主義とニヒリズムの美学 Gothの系譜 

 

 ゴシックロックとは、1970年代から80年代にかけて隆盛を極めたロックミュージックで、それ自体が英国の若者のカルチャー、ファッションと結び付けられる場合もある。 1970年代、実際、最初のゴシックという文化がどこから生じたのか、これは多くの文献を辿らなければわからない。一例では、オーストラリアのニック・ケイヴを擁するバースデイ・パーティの音楽を、音楽ジャーナリスト、サイモン・レイノルズが「ゴシック」というように評した。これが音楽におけるゴシックという概念の初出となる。

 

 ファッションや1つのニヒリズムに象徴されるように、ゴシックは思想的な側面とも全く無関係ではないものの、音楽という側面から語るのならば、この音楽の最初の下地を作ったのは、ジョイ・デイヴィジョン、そしてこのバンドのフロントマン、イアン・カーティスのキャラクター性にあると思われる。モノクロのアーティスト写真、そして、モノクロのアートワークというその時代性から逆行するような印象を掲げ、マンチェスターのシーンに登場したイアン・カーティス及びバンドだったが、これらのゴシック性は、ポスト・パンクの文脈から生まれでたものであることは疑いない。彼らのファッション自体も素朴でありながら、パンクロックの系譜にあるモノクロの概念によって彩られていた。

 

 これらのゴシック性(ゴス性)は、イアン・カーティスのニヒリズム、実存主義的な歌詞、歌唱法によって、さらにそのイメージが強化され、のちのイギリス国内のゴシックムーブメントに引き継がれていく。ジョイ・デイヴィジョンの後続のロックバンドの多くは、New York Dolls、T-Rexのマーク・ボラン、デヴィッド・ボウイのようなグラム・ロックの中性的なメイクを施していることから、以前の1970年代に隆盛したグリーター・ロックと密接な関係を持つ。

 

 これらのイギリスのバンドの流れを汲んだ後、1990年代に入ると、この建築用語に根ざしたゴシック文化は、以前のパンクカルチャーと同じように、音楽の文脈のみで語られるものではなくなっていく。以後は、その他地域でもファッションの中に普通に取り入れられるようになり、米国でもこれらの暗鬱な雰囲気をキャラクター化したMisfitsのようなホラーパンクバンド、トレント・レズナー擁するNIN、過激なステージ・パフォーマンスで常に物議を醸し出すマリリン・マンソン、その他、ロブ・ゾンビ率いるWhite Zombieのようなそれに付随するインダストリアル・ロックの系譜に当たるセンセーショナルなバンドが、これらのゴシック文化の影響を受け、ミュージック・シーンに続々と登場し始めていた。2000年代に差し掛かると、このゴシックカルチャーは、ファッションとしても導入されるようになり、メインストリームに押し上げられたため、アーティストたちが率先して取り入れる必要もなくなり、ゴシック・メタルなどのバンドのキャラクター性として取り入れられていたものの、ミュージックシーンとししてアンダーグランドに潜りつづけた。しかし、近年、再び、ミュージシャンのキャラクター性の中に取り入れられるようになっている。例えば、イタリアのマネスキン、イギリスのペール・ウェイヴズらも、これらのゴシック・カルチャーに影響を受けたバンドとして位置づけられる。

 

 一体、この英国のマンチェスターという港湾都市、工業都市、建築的にも古い歴史を持つ由緒ある土地で生まれたモノクロの色彩に彩られた「ゴシック」という概念の本質とは何なのだろう?? ここではその答えまでは言及することを避けたいが、少なくともそれは、カルチャーを代表するアーティストの姿に身近に接し、さらにその音楽に耳を傾けることでより鮮明となるはずである。

 

 常に、文化というのは、常に、ひとつずつ人の手作業によって積み上げられ、組み上げられていくものなのである。言い換えれば、文化ーーカルチャーーは、決してそれを誰か高尚な専門家が定義づけることによって生み出されるわけではなく、その時代の生きた人々の軌跡を何らかの形で表した一般的な概念を大衆が肯定的にそれと認めたものである。今回の名盤特集は、これらのゴシック・ロックのオリジネーターたちの傑作群にスポットライトを当てていこう。




Joy Division 





「Unknown Pleasure」1979

 


当時、公務員とミュージシャン、二足の草鞋を履いていたイアン・カーティスにとってゴシックなる概念は念頭になかった。カーティスは、その前の時代のパンク・ロックを引き継いだポスト・パンクの台頭を告げたイギリス国内の現代のミュージックシーンを語る上で欠かすことの出来ない人物となる。

 

しかし、この前身をナチスの喜び組を意味する”Warsaw”というパンクバンドにまつわる暗鬱でいかがわげなイメージ、Factoryを中心とするインディペンデントのライブ会場を中心に活動していたせいもあり、それほど大きなライブ会場ではライブを数多く行わなかったこと、そしてアルバムアートワークやアーティスト写真が一貫してモノクロであったことが、ゴシック・ロックの先駆者としてふさわしく、また、このミュージシャンの姿をより魅力的にしているのは事実である。

 

彼らの記念すべきデビュー・アルバム『Unknown Pleasure」は、以後のマッドチェスターのミュージックシーンは、後のバンド、ストーン・ローゼズ、アークティック・モンキーズのような、ダンスとロックの融合というテーマを、あろうことか1979年に先んじて提示している。ポストパンクの金字塔『Unknown Pleasure」の魅力は、テクノをどのようにロックとして解釈するのかを究明し、無機質なマシンビートの反復のドラム、ソリッドなギター、低いトーンで理知的に歌うイアン・カーティスの暗鬱なボーカルが合わさり、空前絶後の音楽が生み出されていることである。

 

「Unknown Pleasure--知られざる喜び」は、その時代のポスト・パンク・シーンの呼び声を上げる作品となったにとどまらず、その翌年、台頭するゴシック・ロックの誕生をすでに予見していた。これらの本来そぐわないと思われていた、エレクトロとロックの融合という主題は、イギリス国内のメインカルチャーの基礎の形成に繋がり、イアン・カーティスの死後、残りのメンバーによって結成されたュー・オーダーに引き継がれ、1つの集大成を迎えるに至る。

 

他にもアルバムに収録されなかったシングル「Atmosphere」、ニュー・オーダー名義でしか公式リリースされなかった「Ceremony」といった名曲も必聴となる。

 

 

 

Bauhaus 






「The Bela Session」EP  2018

 


上記のジョイ・デイヴィジョンがもしエレクトロをロックの領域に持ち込んだ先駆者とするなら、バウハウスはダブをロックの中に最初に導入した画期的なロックバンドに挙げられる。そして、ゴシック・ロックの最初の体現者であり、ゴシック・カルチャーの先駆者でもある。もちろん、バウハウスも上記のジョン・デイヴィジョンと同じように、1970年代後半のポスト・パンクの文脈の流れを受け登場したバンドであり、実際の歌詞の中で、物語として寓喩化されていてそのことは歌われないが、反体勢的なバンドに位置づけられても差し支えないだろう。


現在でいうビジュアル系アーティストの先駆者は、このバンドではないかと思わせるキャラクター性のアクの強さのため、アンダーグランドのバンドとして見なされる場合もある。

 

しかし、実際の音楽を聴けば分かる通り、バウハウスは、硬派のロックバンドに位置づけられる。ポスト・パンクの影響が強いデビューアルバム「In The Flat Field」も名盤の呼び声高いが、ゴス/ゴシックという雰囲気を掴むためには、シングル「Bela Is Dead」、「She's In Party」が収録されたアルバムが最適だ。「The Bela Session」EPでのボーカルの暗鬱さ、厳かさ、執拗なアナログループは、ゴシックの特徴でもあるホラー的な雰囲気を漂わせている。また入門編として、最初期のスタジオ・アルバムに加えて、シングルを収録した「Singles」もおすすめしたい。

 

 


 

The Birthday Party 





 

  「Hee Haw」 1979

 


 

バースデイ・パーティーは、現在、俳優や脚本家としても活躍目覚ましいニック・ケイヴが在籍したオーストラリアの伝説的なポスト・パンクバンドでブルース、フリージャズ、ロカビリーを一緒くたにしたアヴァンギャルドなロックバンドである。1977から1983年までの短期間で解散している。


近年のニック・ケイヴのどちらかと言えば紳士然とした佇まいからは想像できないが、このシンガーソングライターは本来オーストラリアのアンダーグランドの最暗部から登場したロックシンガーである。

 

1979年発表の「Hee Haw」は『Prayer On Fire』とともにこのバンドの数少ないアーカイブとして必聴の一枚となる。スカ、ダブ、ロカビリー、インダストリアルを飲みつくしたメチャクチャとしか例えようのないアバンギャルドなサウンド、ニック・ケイヴの獣にも似た咆哮は、LAのヘンリー・ロリンズにも引けを取らないどころか、奇抜さにおいて勝る部分もある。ゴシックという文脈からいっても、暗鬱さ、異質さ、奇抜さ、これらのサブカルチャーの基礎を築き上げたバンドとして多くの人の記憶に残るべき存在である。ジョイ・デイヴィジョンとは別軸のゴス/ゴシックという概念を確立したアンダーグランド・ミュージックの傑作に挙げられる。



 

 

Siouxsie And The Banshees  

 

Ray Stevenson

 

 

「The Scream」1978

 



一般的にはジョイ・デイヴィジョンがゴシックの先駆けというのが通説となっている。しかし、登場した年代の早さという面では、このスージー・アンド・ザ・バンシーズのほうが先である。ただ、ゴシックというバンドで語ることに否定的な見解を示す音楽評論家もいることは付け加えておきたい。

 

スージー・アンド・ザ・バンシーズは活動最初期の作品がゴシックとしてのくくりで語られる場合がある。特に1978年の「The Scream(香港の庭)」は、このバンドの最初期の傑作であるにとどまらず、パンクロックの名盤として挙げられる。フロントパーソンのスージー・スーのキャラクター性を押し出したTelevisionに近いポスト・パンクの流れを汲んだギターロックサウンドが特徴で、パティ・スミスのような文学性を漂わせる作風となっている。上記のバンドのような暗鬱さは薄く、音楽的に明確にゴシックというジャンルに該当するのは「Pure」「Jigsaw Feeling」となるだろう。 

 

スージー・アンド・ザ・バンシーズはビートルズの親衛隊として立ち上がっただけあり、スタンダードなロックの要素が強く、このデビュー作も同様である。ただ、奇妙な暗鬱さは後のドリームポップ勢にも通じるものがある。さらにこのバンドのビジュアルは明らかにゴシックとして位置づけられる。


 

 

The Cure 

 


 

 

「Wish」1992

 



イギリスのクローリー出身のザ・キュアーは、ゴシック・ロックの最大の知名度を持つバンドに挙げられる。最初期は、上記のバンドと同様、ポスト・パンクの文脈から出てきたグループで、スージー・アンド・ザ・バンシーズとも深い関わりが持っていた。しかし、彼らの功績は、それらの最初期のサウンドではなく、普遍的なロック/ポップの良さを世界に広めたことにある。バンドメンバーのメイクについては上記のバンドのようにグリッターロック、ゴシックの系譜にあるけばけばしさだが、そのサウンドはどこまでも純粋なポピュラー・ソングとして楽しむことが出来る。

 

1979年のデビュー・アルバム「Three Imaginary Boys」に象徴されるように、最初期は他のバンドの影響もあってポスト・パンクの流れを汲んだサウンドを特徴としていたが、いくつかの変革期(三回)を経て、ゴシック・ロックより大衆にとって親しみやすいサウンドへ変化させていき、このバンドのハイキャリアを形作ったのが全英チャート一位に輝いた1992年の「Wish」となる。アルバムの中の収録曲「Friday I'm In Love」は、ザ・キュアーの最大の名曲の1つに挙げられる。他にも、この傑作には素晴らしいバラードソングが収録されている。

 




グリッチ音楽について

 

グリッチ音楽は、電子音楽や実験音楽のサブジャンルのひとつで、テクノ、エレクトロニカとして分類される。

 

このグリッチノイズを制作するためには、アナログ、デジタルのオーディオの誤作動の音が使用される。サウンドには、CD,レコードのスキップ、スターター、歪み、サーキットペンディングと呼ばれるノイズ、そしてソフトウェアのクラッシュが音楽として取り入れられるのが特徴です。


当初、グリッチにおける美学は、エレクトロニカ、アバンギャルド界隈のアーティストにより生み出された。新たにコンピューター・テクノロジーにより生み出されたグリッチノイズ(ホワイトノイズの一種)を駆使し、90年代以前のミニマル音楽と融合させ、独特なテクノ音楽として昇華していくようになります。

 

グリッチミュージックの最初のシーンに登場したアーティストは、誤作動を起こしたオーディオテクノロジーを肯定的に解釈し、オーディシステムの信号を意図的に変化させ、特異なサウンドを生み出しました。最近では、プロデューサーは、ソフトウェアを介して、グリッチサンプルから生み出されたパーカッシヴな要素を楽曲の中に積極的に取り入れるようになっています。

 

 

グリッチの起源


グリッチは、最初の発明以来、ヒップホップ、EDMのサウンドを融合させ、音楽にイノベーションをもたらしてきました。グリッチの起源は、1980年代にさかのぼり、日本とドイツの前衛音楽家たちがこの音楽に率先して取り組み、オーディオテクノロジーにおける音の建築的な響きを追求します。


先駆的なアーティストに挙げられるのが、ドイツのOvalです。彼らはグリッチオーディオの処理されたサンプルを抽出し、作品として録音を開始した。さらに、現在、パリを拠点に活動する日本の電子音楽家、池田亮司もグリッチの先駆者に数えられます。彼は元々最初期にはモダンクラシカルの音楽に取り組んでいたが、徐々に電子音楽の領域へと踏み込んでいきました。池田亮司は、人間の聴覚の境界またそれを超越した音を生じさせ、グリッチと周囲の空間的なノイズのサウンドスケープ、さらに、視覚芸術のインスタレーションを同期させた音楽形式を生み出しています。

 

さらにその後、登場したイギリスの電子音楽デュオ、Autechre(オウテカ)は、1994年のシングルで「Glitch」という言葉を使い、それから一般的にグリッチというジャンルが一般的に浸透していくようになりました。

 

 

 

 グリッチ・ミュージックの特徴

 

1.グリッチ

 

グリッチの音はスキップ、ハードウェアノイズ、システム上のクラッシュなどの聴覚的なエラーとして定義されます。これらの実際の音は「カチ、カチ」という何かを引っ掻くような音(ノイズ)として人間の聴覚に反映されます。そのノイズを断続的に組み合わせることにより、独特のグルーブ、ダンス・ミュージックでいうところの「ノリ」を電子音楽にもたらします。


2.構造 

 

グリッチの美学は、様々な構成に適用出来ます。ドイツのOVALのようなエレクトロニカアーティストは、シンセサイザーそのものをグリッチに置換し、アンビエントの新しい領域を切り開いてみせています。さらに、日本の実験音楽家、刀根康尚は、 CDのデジタル情報を読み取るコンパクト・ディスクプレイヤーを活用し、パワフルで強烈なサウンドスケープを完成させています。


3,その後の音楽シーンへの影響


これらの革新的なグリッチミュージックは、その後、EDMシーン、及び、ヒップホップシーンの方向性に強い影響を及ぼし、今日の電子音楽家の多くがそのことを意図するか否かにかかわらず、このグリッチノイズを取り入れるようになっています。

 

 

 

Minimal/Glitch Essential Disc Guide 

 

 

さて、今回は、 このミニマル/グリッチの名盤にスポットライトを当て、このシーンの象徴的な名盤を特集致します。

 

以下、挙げるのは、このミニマル/グリッチシーンを表面的に網羅した、ほんの一部の入門編に過ぎません。これらのポピュラーなグリッチ/ミニマルの入門編を聴いた後に、より高度なグリッチ・アーティスト、池田亮司、アルヴァ・ノトをはじめとする前衛的な作品を聴いてみるのをおすすめします。言うまでもなく、この他にも、世の中には数多くの傑作があると思いますので、是非、このディスクガイドを基本として素晴らしい作品を探しだす手がかりにしていただければ僥倖です。

 

 

 

Oval 『Dok』 1998

 


 

Oval(オーヴァル)は、ドイツの電子音楽グループであり、最初期のグリッチの概念を形成した。1991年、マーカス・ポップ、セバスチャン・オーシャッツ、フランク・メッツガーにより結成された。1995年以降は、セバスチャン、フランクが脱退、実質的にはマーカス・ポップのソロプロジェクトとなった。

 

1998年に発表された「Dok」では、アンビエント、グリッチの中間にある音楽を楽しむ事ができる。無機質で理知的な構成を持ち、最初期のグリッチシーンの実験性を試した作品となる。

 

クラウト・ロックやジャーマン・テクノの実験性を引き継いだ上、アンビエントの要素が付け加えられていることに注目したい。グリッチノイズとは何かを知る上で欠かすことの出来ない傑作。


 

 



 Isan  『Plans Drawn In Pencil』 2006

 

 

 

Isan(アイサン)は、 Anthony Ryan(アンソニー・ライアン)とRobin Saville(ロビン・サビル)によって結成されたテクノ/エレクトロニカデュオである。


ISANとは、"Integrated Services Analogue Network"の略称で、"ISDN"のDigitalの部分をAnalogueに変更。イギリスのダンス/エレクトロニックの名門Warp Recordsとも関わりがあり、複数の作品にリミックスで参加している。

 

「Plans Drawn In Pencil」は、OVALや最初期のAuthcreよりも遥かに聞きやすいグリッチテクノである。このジャンルに初めて接するというリスナーに強く推薦しておきたい。アイサンの提供する内省的なグリッチテクノは、耳障りがよく、聞きやすさがある。このアルバムには、「Ships」を初め、メロディーが秀逸で叙情性を兼ね備えた曲が収録されている。アイサンのグリッチテクノには、涼し気な響きが込められている。今のような暑い季節に聴くのに最適なアルバムとなる。また理知的な音楽であるため、作業中のBGMとしても最高の効果を発する。 

 

 

 



Caribou 『Start Breaking My Heart』 2001


 


 

最近、このプロジェクト、Caribouと合わせてDaphniとしての活動も行っているカナダの電子音楽家のダン・スナイス。テクノ好きならばきっとこのアルバムを彼の最高傑作として挙げるのではないか。

 

ダン・スナイスの音楽のアプローチは彼自身が数学の専門的な勉強を重ねたこともあり、きわめて理知的かつ論理性に富んでいる。ダン・スナイスの生み出すグリッチは、まさに数学の数式のように美しく、なおかつ仄かな叙情性も感じられる。

 

この作品『Start Breaking My Heart』においても、それまでと同様に、 スタイリッシュかつアーティスティックな楽曲の中にグリッチの技術が取り入れられている。アイサンに比べると、モダンジャズの要素が強く、ダンス・ミュージック寄りでグルーブ感が強いのも一つの特徴となる。

 

 

 

 

 

 

Kettel  『Miya James, Pt.1』 2008


 

 

Kettelはオランダのエレクトロニカミュージシャン、Reimer Eisingのソロ・プロジェクト。上記のアーティスト、グループに比べれば、グリッチ色が薄く、EDMのジャンルに該当する。しかし、ゲーム音楽を土台にしたチップチューンのような音楽もこのアーティストの最大な特徴と言えるかもしれない。

 

「Myam James Part 1」は、Kettelの初期の代表作のひとつに挙げられる。チップ・チューン、テクノ、グリッチの要素とクロスオーバーミュージックの趣もあるが、このアーティストらしい独特な世界観がこの作品で完成している。 アンビエントでもあり、テクノでもあり、EDMの王道を行くような作風でもある。特に、このアルバムに収録されている「Shimamoto」という曲では顕著な形でグリッチノイズの雰囲気を楽しめる。そのほかにも、「Fishfred」ではフロアシーン寄りのミニマル/グリッチが展開される。ゲーム音楽のサウンドトラックのようなチップチューン寄りのエレクトロニカをお探しの方に最適の一枚と言えるだろうか。 

 

 

 

 

 

 

Kim Horthoy 「Melke』 2002

 

 


キム・ヨーソイは北欧エレクトロニカシーンの傑出したプロデューサーである。ノルウェー出身のエレクトロニカミュージシャンで、電子音楽家として活動する他、映画監督、イラストレイターとしても活躍する多彩でマルチな才能を持ったアーティスト。00年代までは上記のような主業の傍ら、サイドプロジェクトとして素晴らしい音源を生み出している。しかし、現在、新しいリリースが途絶えているのを見ると、ミュージシャンの活動を休止しているのかもしれない。


キム・ヨーソイの最高傑作に挙げられるのが「Melke」である。ここでは、北欧エレクトロニカの代表的な名曲「On Sunday」という一曲が収められていて外すことは出来ない。本作では、イラストレーター、映画監督、マルチな才覚を有するアーティストの視覚的なテクノが展開される。その他、金管楽器を取り入れたりと、アイスランドのMumに近いアプローチも導入される。

 


 



 

Aeroc 『Viscous Solid』  2004

 




Aerocは、アメリカの電子音楽家、Geoff White(ジェフ・ホワイト)によるソロ・プロジェクト。最初期はGhostlyから音源をリリースしている。アメリカの最初期のグリッチ/ミニマルの音楽家である。その後、ジェフ・ホワイトはデビューアルバムの製作時ーアメリカからスペインのバルセロナに移住し、レコーディングを行ったという。

 

ジェフ・ホワイトのデビュー作品『Viscous Solid』では、アンビエント、テクノ、ミニマル、グリッチを自由に往来しつつ、そこにスペイン音楽の雰囲気が付け加えられ、個性的な電子音楽が展開される。

 

ダブのようなゆっくりとしたリズムの中に、グリッチノイズが薄く乗り、そこに独特なグルーヴ感が生み出される。ダンスフロアやクラブシーンに根ざした音楽ではありながら、アンビエント、IDMのような知性もほんのり漂っている。電子音楽ではあるものの、他とは異なる異質なロマンチシズム、ノスタルジアに彩られた一枚となる。 

 






I Am Robot And Proud 『THE CATCH &SUMMER AUTUMN WINTER』2001


 

I am robot And Proudは、カナダ・トロント生まれの音楽家のシャウハン・リームによるソロ・プロジェクト、時々、デュオとして活動する場合もある。元々、シャウハン・リームは、幼い時代かピアノを学習していて、鍵盤奏者らしいテクノ/エレクトロニカが魅力である。他のテクノアーティストに比べ、コミカルな楽曲を作る才覚にかけては、Isanと肩を並べるような存在といえる。

 

I am robot And Proudの実質的なデビュー・アルバムが『THE CATCHING SUMMER AUTUMN WINTER』である。シャウハン・リームは、ドイツのソフトウェア会社「Native Instruments」のバンドル、Absynthで見られるようなシンプルな音色を駆使し、独特なエモーション溢れる楽曲に仕上げている。


この作品では、青春時代のジレンマのような感覚が内省的なテクノ音楽として彩られているように伺えます。厳密にいえば、グリッチには該当しない作品ではないかもしれませんが、擬似的なグリッチとしての雰囲気が十分味わえる。特に、「Eyes Closed Hopefully」、「The Satellite Kids」は、この電子音楽家のメロディーセンスの高さが表れ出たテクノシーンきっての名曲である。



 

 



 Manual『Until Tomorrow』2001

 

 


 

Manualは、デンマークのOnas Munk Jensenによるソロ・プロジェクト。2003年からグリッチとは全く別の路線に進んだ印象もあるManualの「Until Tomorrow」は、初期のグリッチシーンの代表的な傑作。2001年、世界的なエレクトロニカレーベルとして名を馳せるmorr musicからデビューを飾った。

 

すべての楽曲を見渡すと、少し物足りない印象もあるが、オープニングを飾る「Nova」は、グリッチの代表的な名曲で、グリッチ音楽を知るための最上の手がかりとなる。上記のアーティストのように、コンピューター・テクノロジーを最大限に活かしながらも叙情性を併せ持つという点では、テクノロジーの革新性と人間の感情を秤にかけるかのような意図も見受けられる。

 

2000年代前後の時代から、コンピュター・テクノロジーは、一般的のユーザーにも広がっていった。「Until Tomorrow」は、そういった時代を反映一枚と言えるのかもしれない。ギターをサンプリングとして活用し、現在のローファイ・ヒップホップのような手法として昇華している。この作品で見受けられる宇宙的な壮大さ、それはこのアルバムで人間の内向性と相まって特異な音楽として昇華されている。ブレイクビーツも取り入れられていたり、かなり意欲的な作品。ここには新しい時代を予見させるようなワクワクした感覚が見いだされる。