1950年代、ビック・スリーと呼ばれる、ジェイムス・ブラウン、ジャッキー・ウイルソン、サム・クックが登場した後、新しいタイプのR&Bシンガーが登場した。ニューヨーク、ニューオーリンズ、ロサンゼルスを舞台に多数のシンガーが台頭する。ファッツ・ドミノ、ルース・ブラウン、ファイブ・キーズ、クローヴァーズがその代表格に挙げられる。この時代は、ビック・スリーを筆頭に、必ずといっていいほど、ゴスペル音楽をルーツに持っているシンガーばかりである。


近年、ヒップホップを中心に、ゴスペル音楽を現代的なサウンドの中に取り入れるようになったのは、考え方によっては、ブラックミュージックのルーツへの回帰の意味が込められている。そしてこの動向が、2020年代のトレンドとなってもそれほど不思議ではないように思える。

 

そもそも、「R&B(リズム&ブルース)」というのは、ビルボードが最初に命名したもので、「リズム性が強いブルース」という原義があり、第二次世界大戦後すぐに生まれた。その後、ソウルミュージックというワードが一般的に浸透していき、60−70年代の「R&B」を示す言葉として使用されるようになった。しかしながら、この年代の前には、R&Bではなく、「レイス・レコード」、「レイス・レーベル」という呼称が使われていたという。これはなぜかというと、戦前のコロンビアやRCA、ブルーバード、デッカなどのレーベルは、白人音楽と黒人音楽を並行してリリースしており、作品を規格番号で区別する必要があったからである。レーベルのカタログから「レイス・シリーズ」というのも登場した。現在の感覚から見ると、レイシズムに根ざした言葉ではあるが、コロンビア、RCAの両社は、戦後もしばらくこの方針を継続していた。

 

その後、1970年代に入ると、一般的に見ると、ブラック・ミュージックは商業化されていき、R&Bシンガーは軒並み大手のメジャー・レーベルと契約するようになる。 80年代になると、MTVやメディアの台頭により、ブラック・ミュージックの商業化に拍車がかかり、この音楽全体が商業化されていったという印象がある。しかし、それ以前の時代に、ブラックミュージック全体の普及に貢献したのは、全米各地に無数に点在するインディペンデント・レーベルであったのだ。

 

多くはメジャーレーベルの傘下という形であった。しかし独立したセクションを持つということは、比較的、攻めのリリースを行うことが出来、同時に、採算を度外視した趣味的なリリースを行えるというメリットがある。そして意外にも利益率を第二義に置くレーベルのリリースが主流になった時に、それが初めてひとつのムーブメントの形になる。メジャーレーベルではなく、独立レーベルがカルチャーを一般的に浸透させていったという点については、ヒップホップのミックステープやカセットテープのリリースと重なるものがある。

 

1950年代には、全米各地に無数の独立レーベルが誕生し、ブラックミュージックのリスニングの浸透に一役買った。R&Bの独立レーベルの動きは、実は最初に西海岸で発生した。モダン/RPM,スペシャルティ、インペリアル、アラディンは、この年代の最も有力なレーベルである。他にも、エクスクルーシブ、クラス、フラッシュなど無数の独立レーベルが乱立していった。

 

一方、東海岸でも同様の動きが湧き起こった。アトランティック・レコードがその先陣を切り、アトコ、コティリオンが続いた。 さらにメジャー傘下には無数のレーベルが設立された。サヴォイ、アポロ、ジュビリー、ヘラルド/エムバー、ラマ/ジー/ルーレット、レッド・ロビン/フュリーなど、マニアックなレーベルが登場した。続いて、シカゴでも同様の動きが起こり、前身のレーベル、アリストクラットに続いて、有名なチェス/チェッカー/アーゴが登場。リトル・リチャードでお馴染みのレーベルで、ロックンロールの普及に貢献した。

 

以上のレーベルは、音楽産業の盛んな地域で設立されたが、特筆すべきは、他地域でも同じようなブラックミュージックのレーベルが立ち上げられたこと。オハイオ/メンフィスでも有力なレーベルが登場した。特にオハイオのキング、メンフィスのサンは、R&Bファンであれば避けては通れない。その他、メンフィスといったレーベル、スタックス/ヴォルト、ハイが続いた。テキサス/ヒューストンでも同様に、デューク/ピーコックが設立、ナッシュビルでは、ナッシュボロ/エクセロなどが登場する。まさにR&Bの群雄割拠といった感じだ。

 

これらのレーベルは、新しいタイプのR&Bもリリースしたが、同時にそれ以前のゴスペル的な音楽やブルースの作品もリリースしている。この点については、それ以後と、以前の時代のブラック・ミュージックの流れを繋げるような役割を果たしたと見るべきかも知れない。

 

60年代に入ると、デトロイトからモータウンが登場し、のちのブラックミュージックの商業化への布石を作った。それ以降も独立レーベルの設立の動きは各地で続き、フィラデルフィア・インターナショナル、ニューヨークのカサブランカ、ニュージャージーのシュガー・ヒルといったレーベルが設立された。


70年代に入ると、ソウルミュージックをメジャーレーベルが牽引する。しかし、これは独立レーベルによる地道な普及活動が後に花開き、ジャクソン5、ライオネル・リッチー、マーヴィン・ゲイ、フランクリン、チャカ・カーンといった大御所のスターの登場への下地を作り上げていったことは言及しておくべきだろうか。


バウハウス  ‐ウォルター・グロピウスがもたらした新しい概念  Art Into Industry-

 

 

20世紀以前の芸術運動は、ロマン主義が主流だったが、以後の時代になると、前衛主義が出てくる。シュールレアリズムは、最初にロマン的表現に対する反動の意味を持ち、芸術運動の一角を担った。これはクラシックなどの音楽や文学の流れと非常に密接な関わりを持っている。


アンドレ・ブルトンが提唱したシュールレアリズムの影響は、表面的な芸術性にとどまらず、深層意識にある目に映らない概念性をテーマに置くように芸術運動全般に促す。この動きと関連して、ドイツのヘルマン・ヘッセも戦後、以前のロマン主義の表現に見切りを付け、文学活動の一環として象徴主義/シンボリズムの影響を取り入れるようになった。以後のドイツ/オーストリア圏の作家はこぞって、これらの意識下の領域に属する奇妙な表現性を追求していく。すべての表現媒体はすべてどこかで繋がっており、互いに影響を及ぼさずにはいられないのである。

 

フランスのシュールレアリズムの動きと時を同じくして、ドイツから合理主義的なアートの潮流が出現する。つまり、それが今回ご紹介するバウハウスを中心とする「前衛主義」である。中世のヨーロッパの芸術活動は基本的に、宗教画と併行して、市井に生きる人々(時代の流れとともに、貴族や特権階級から一般的な階級へと画家の興味やテーマは移行していく)をモデルやテーマにしていた。(フランスの近代抽象主義、モンパルナスの画家の作品を参照のこと)しかし、芸術運動はいつも新しいなにかに塗り替えられ、古いものは一新され、それらの常識は以後通用しなくなった。ワシリー・カンディンスキーを筆頭に、東欧圏の芸術家は、図形、あるいは幾何学的なフォルムを作風の中に大胆に取り入れ、WW2の以前の時代に新たな気風を呼び込んだ。東欧圏の芸術家たちは、より図形的でパターン的なアートの手法をもたらした。


一般的に見ると、中世絵画は、画商やパトロンのために美しいものや崇高なものを描くのが主流だったが、前衛主義の画家たちは、美という概念のコモンセンスを覆し、実用性と革新性を追求していく。これはフランスのマルセル・デュシャンの芸術主義とも無関係ではないが、前衛主義のアーティストたちは、絵画を「デザイン的なもの」として解釈しようと試みる。その中で出てきたのが「バウハウス宣言」という大々的なキャッチコピーである。これらの合理主義に根ざした概念は建築学にも受け継がれ、ル・コルビジュエの建築に深い影響を及ぼすに至る。

 

 

Bauhaus  社会階級の壁を乗り越える新たなマイスター制度

 



バウハウスは、20世紀初頭、ドイツの芸術専門学校として創設された。ウォルター・グロピウスにより設立されたこの学校を中心として、最終的には建築とデザインに対するユニークなアプローチを特徴とする現代美術運動へと発展していく。1919年、ウォルター・グロピウスは、リベラルアーツの分野を一つの屋根の下に統合するというコンセプトを込め、バウハウス(正式名称: Staalitches Bauhaus)を設立した。バウハウスの学生からは、ヨーゼフ・アルバース、ワシリー・カンディンスキー、パウル・クレーなど多くの偉大な芸術家が輩出された。この芸術学校は、ワイマール(1919-1925)、デッセウ(1925-1932)、ベルリン(1932-1933)と3つの都市に開校した。専門学校のマークとしてもシンボリックなデザインが取り入れられ、これがバウハウスの主要なイメージを形作っていることは言うまでもない。

 

バウハウスの創設者のウォルター・グロピウスは、バウハウスのコンセプトについて次のように説明している。「建築家、彫刻家、画家。私達は、手作業に戻らねばなりません。・・・したがって、社会階級を分断し、職人(マイスター)と芸術家(アーティスト)の間に乗り越えられない障壁を立てようとする世の中の傲慢さから開放するべく、職人による兄弟愛を確立していきたいのです」

 

グロピウスの言葉には、ドイツ/オーストリアのギムナジウムにおけるエリート教育、及び職人のマイスター制度という2つの障壁を取り払うという意図が込められている。(ギムナジウムに関しては、ヘッセの「車輪の下」を参照のこと)厳然とした年代による職業差別を彼は取り払うべく努めた。建築、彫刻、絵、芸術、といったリベラルアーツ全般を通じてである。さらに、時代背景も考慮せねばならない。ブルジョワ社会の階級にある人々のみが手工業作品を楽しめる時代において、それらの特権性を一般的な人々にも開放するという意図が込められていた。第一次世界大戦後、デザイン、構成の解決策を求め、多様な社会規範と文化的な革新性が生み出された。この文化運動の延長線上にバウハウスは位置し、芸術運動の一環を司ることになる。

 

 

バウハウスの芸術運動の変遷

 


1. ハンドクラフトによる工業製品の製作


 

 


 

 

バウハウスは、1919年から1933年のナチス・ドイツの摘発による閉鎖に至るまで、いくつかの芸術様式を変化させた。

 

創設の意図にしたがい、当初は産業革命の後の時代のイギリスに端を発する機械産業からの脱却、及び、その産業の手工業化、職人の手作業における信頼性の回復や、職人の能力をアートと同等のレベルまで引き上げ、そして、その製品を販売することに主眼が置かれていた。つまり、機械的な製品ではなく、ハンドクラフトの製品の制作者を育て上げ、それをアートと同等の水準に引き上げていくという点に、バウハウスのエデュケーション(教育)は注力されていたのである。

 

そして、ウォルター・グロピウスの目的は、ハンドクラフト(手工業)の製品を「一般の人々に手頃な価格で提供する」というものだった。


当初、バウハウスでは、農業などで使用される運搬車のような目途を持つ「クレードル」のデザインなど、手工業デザインの制作を推進していた。以後の時代において、図形的、幾何学的なアートやデザインが頻繁に用いられるのは、当初、バウハウスの学習者が手工業デザインの製品を制作していたことに理由が求められる。


正当なエデュケーション(教育)とは、学習者を型に収めることではなく、学習を然るべき機関で修了後、能動的な行動を取れるよう促すものである。このことがバウハウスの最初期の教育方法に一貫しており、一般的な教育機関とは意を異にする事項である。その他、バウハウスでは、展覧会のポスターなども制作しており、最初期の作品としては、他の目的のために制作されたアート/デザインが多いことが分かる。

 

この年代の中で、学生は、手工業製品にとどまらず、金属加工、キャビネット、織物、陶器、タイポグラフィ、壁画などの他の用途のために制作された製品を生み出した。現在のDIYの発祥とも言うべき動きだ。これらの製品は基本的に手工業になされるインダストリーという概念に下支えされていた。

 

 

2.最初の変革期 「Art into Industry」


 



1919年に始まったバウハウスであるが、1923年になると、当初の手法が専門機関として財政的に採算が取れないことが分かった。

 

この年、バウハウスはドラスティックな転換を図り、芸術主義とも称すべき方向へと歩みを進める。芸術的には、ロシアの構成主義と、新造形主義を取り入れ、新しいアイディアを生み出すという内容であり、方法論としては、「本質の研究」と「機能性の分析」に照準が定められていた。その中で、バウハウスは「Art into Industry」というスローガンを掲げた。この動向に関連して、1925年にバウハウスはワイマールからデッセウへと移転している。この建物には、モダニズム建築の要素が取り入れられた。非対称の風車計画、ガラスのカーテンウォール、スチールフレームなど現代建築にも使用されるデザインが取り入れられている。

 

この年代でも前年代のハンドクラフト主義を受け継ぎつつ、実用性の高い製品づくりを行うようになっている。グロピウスは、デッセルの建築内のスペースを有効的に活用し、スタジオ、教室、そして管理スペースに分割した。同時に、1924年から28年にかけて、マルセル・ブロイヤーが提唱した、椅子などの物質は、徹底して軽量化され、「最終的に非物質化する」という考えに基づき、斬新なデザインの家具や工業デザインの製品が制作されることになった。

 

同時に、この流れに準じて、テキスタイルとタイポグラフィーがバウハウスでは盛んになっていった。デザイナーで織物工でもあるギュンター・シュテルツルの教えのもと、学生は、色彩理論、デザインにおける技術的な手法を学習しつつ、抽象的な意匠を持つ製品の制作に取り組むようになる。シュテルツルは、セロハン、ガラス繊維、金属など、ありふれた素材の使用を推奨し、更に、前衛的な製品を生み出すよう学生に精励した。特に学生が制作したテキスタイルに関しては、バウハウスの建築壁画や建物内のインテリアとして使用されるに至った。その中では、「Architype Bayer」という上掲写真の幾何学的なフォントが生み出されることになった。

 

 

 

 

3. ナショナリズムの台頭 バウハウスの終焉と亡命

 


 

多くの芸術活動は、その先鋭的な本質ではなく、外的な要因ーーとりわけ政治的な影響ーーにより堰き止められる場合が多い。ある表現者は、その弾圧を忌避するため亡命を余儀なくされる。ナショナリズムによる弾圧の動きは、既に1928年頃に始まっていた。創設者のグロピウスは、すでに学校を辞任し、建築家のハンネス・マイヤーが実質的なディレクターとなっていた。マイヤーは、大量生産に重点を起き、形式主義の趣があると思われるカリキュラムを削除し、広告と写真芸術における清新な息吹をもたらす。しかし、その頃、すでにバウハウスはナショナリズムからの圧力を受け始め、ほどなくマイヤーも1930年にディレクターを辞任する。

 

以後、ディレクターのポジションはファン・デル・ローエなる人物が引き継いだ。ローエは当時有名な建築家であり、第一次世界大戦後の未来的な建築様式の手法を示そうとしていた。この年代から、バウハウスによる当初のハンドクラフト/手工業的な生産方法は徐々に減少していった。

 

1932年、デッサウで行われた地方選挙において、ナショナリズムが主要政党に成り代わったことは、そのままバウハウスの終焉を意味していた。全体主義とナショナリズムの荒波が、バウハウスにも押し寄せようとしていた。学生の多くは、ナチス警察により逮捕され、尋問を受けた。1933年、バウハウスは閉鎖と解散を決定する。以後、ナチスの占領により、1945年のスターリングラードの戦いまで、全体主義とナショナリズムの動きが途絶えることはなかった。


しかし、バウハウスの主要人物の以後の最も剣呑な年代において、亡命という手段をやむなく選び、その教えを携えて海外に逃れて行く。彼らの多くは、米国への移住を決め、各地に散らばることになった。以後、ブロイヤーとグロピウスは、ハーバード大学で教鞭をとっている。また、その中には、イエール大学で教鞭をとった人物もいる。ファン・デル・ローエはイリノイ州に移住し、イリノイ工科大学で教えた。バウハウスの流儀は、以後、コルビジュエの建築という分野で継承された。もちろん、現在もどこかでそれらの教えが引き継がれているに違いない。




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ヒップホップアート GRAFITTIのはじまり 芸術と戯れ


Reference:

 

 

DDR(ドイツ民主共和国: 通称 東ドイツ)の時代の名残でもあるベルリン・ファンクハウスは、シュプレー川のほとり、工業地帯の一角にあり、現在は気鋭の若手音楽家の登竜門となっている。ファンクハウスは、第二次世界大戦間もない1951年に創設され、当初は東ドイツのラジオステーションとしての機能を担っていた。建築物内は複数のセクションで隔てられ、「ブロックA」などの名称で親しまれていた。ファンクハウスの設立当初は、4つの放送スタジオ、レコーディングルーム、および12の総数からなるスイッチングルームを完備していた。

 

フランツ・エールリッヒにより建築されたこのレンガ構造のアーキテクチャーは、現在では、ポピュラー音楽、実験音楽を問わず、多岐にわたるジャンルを主戦場とする音楽家たちがレコーディングするスペースとなっている。ファンクハウスの施設内には、大型のホールがあり、またミックスやマスタリングを行うレコーディングブースを付属している。この場所はアンダーグランドとメインストリームを架橋する役割を果たし、ベルリンのカルチャーの重要なファクターとなっている。ソビエトの統治下に発足した施設は、ラジオ放送局としての役目のみを司っていたわけではない。東ドイツ時代には、このファンクハウスには、音響エンジニア、ラジオアナウンサー、秘書、美容師などがこの放送都市に勤務していたという。その数、5000人。

 

ベルリン・ファンクハウスは、第二次世界大戦後のドイツの最も野心的な文化形成の礎の一つと見ても違和感がない。1952年にエールリッヒによる建築が始まると、56年まで建設が続いた。エールリッヒは徐々にセクションを追加していき、翌年には、ブロックBの建設に着手する。豪華絢爛なルネッサンスの建築様式を継承し、ホワイエにスラブの大理石を用い、複合体施設と称される土台の建築物を完成させる。以後、1960年にはさらに増設が進められ、ブロックEからTまで内部構造は膨れ上がった。当初の建築の設計の予想図から増設が繰り返され、原初的な設計図とは異なる建築が完成された事例は、サグラダ・ファミリアがある。だが、ファンクハウスの場合は、内部と外部構造の双方を増築するのではなく、内部構造を徐々に増強していく。



エールリッヒは、ドイツの機能的な美とモダニズムを基調とする”バウハウス”のデザイン、そして当時のソビエト建築を融合させ、唯一無二のアーキテクチャーを建造した。ソビエト連邦による統治と監視を否定的に捉えるのではなく、その様式を踏まえ、未曾有の建築様式を作り出した。それは、 複合施設としての意義を持つ、この施設の使用目的と合致している。しかし、これらの建築様式の中でもっとも性質が強く反映されたのが、他でもないソビエトの建築だった。旧(ソビエト)帝国首相官邸の大理石が階段に敷き詰められ、床壁はロシアの原生木材が使用された。後に音響施設として使用されることになる施設の一部には、音の反響性を意識し、階段には木材、石、カーペットといった素材を用い、最も音が生きる構造性が選ばれている。外壁のデザインを見ても、エカテリーナ朝の豪奢なデザインが用いられているのは瞭然である。

 

しかし、エールリッヒは少なくとも、これらの施設を単なる政治的なイデアを持つ建築物にとどめておくことを良しとしなかった。それはこの複合施設が「音楽」のために建築されたことにある。建築家と音響技師が共同で作業に当たり、複合施設としてあらゆる需要に応えるためにスタジオを完備する一大建築へと組み上げていったのだ。当初建築された空間の中には、小規模のレコーディング施設、そして現在も主要な音楽家がレコーディングの際に使用するメインホールなどがある。これはソビエトの統治下の時代を過ぎても、文化的な価値を誇る建造物を構築しようというエールリッヒの意図を読み解くことが出来る。建築は完成すれば終わりではなく、それがどのような用途で使われるのか、なおかつ時代の変遷を経て統治体制が変わろうとも普遍的な価値を持つ建築であることが最重要である。そのことをエールリッヒの建築は教唆してくれる。だから、現在もファンクハウスのメインホールやレコーディングブースは、WW2の時代のアンダーグラウンドの名残を遺しているが、多くの演奏家に親しまれる空間でもある。そして実際、現在は、ベルリン放送をはじめとする主要なラジオがオンエアされるにとどまらず、ジャンルを問わず、音楽的な遺産を作るための重要拠点になっている。ポピュラー・アーティスト、ジャズ・アンサンブル、実験音楽、交響楽団、合唱団などが録音に使用している。

 

 

現代では、自由闊達な気風を持ち、クリエイティビティを発揮する場所となっているファンクハウスではあるが、施設が完成した当初は、政治的なプロパガンダのために使用される場合もあったという。高官や政治家がファンクハウスで行われる会合に出席し、そして検閲や諜報活動を行う拠点ともなっていた。外壁を堅固なレンガ造りで覆われ、外側に話が漏洩する虞が少ない秘匿性の高い環境は、外交的に機密に処すべき情報を扱うのに最適だった。現在でも、ファンクハウスが、奇妙な構造性の名残を遺しており、第二次世界大戦後のきわめて異質な雰囲気が漂うのは、この理由によるものだ。1950年代の東ドイツの暗澹たる閉塞感と現代の開放的な文化の空気感が交わり、独特な気風を生み出している。つまり、ベルリン・ファンクハウスの建築物はドイツにとって大きな遺産なのであり、そして国家の歩みを反映したものでもある。

 

1989年のベルリンの壁の崩壊後、 ベルリン・ファンクハウスは当初の音楽的な複合施設としての意義を失うことを余儀なくされた。1991年にラジオ局は廃止され、その後、ラジオ番組の録音に使用されるにとどまった。ファンクハウスは以後、空き家同然となり、ドイツ政府上院が敷地を売却し、土地所有者は頻繁に変わった。その中には、イスラエルの投資家も含まれていた。機運が変わったのは、2015年。ウーヴェ・ファビッチ氏がこの複合施設を買収し、以後、ファンクハウスはドイツの文化施設としての道のりを再び歩み始めた。元銀行員で、文化経済学者でもあるウーヴェ・ファビッチ氏は、なぜ、この複合施設を買収したかについて、ベルリン新聞の取材に対して語っている。「私はここに世界最大級の音楽センターを建設したいと思っている」 


その発言に違わず、所有権を持つファビッチ氏は、この施設を積極的にアーティストのレコーディングやイベントに貸し出している。昨今、制作会社や音楽やテレビの制作を専門とする私立大学等、200にも及ぶテナントがこの施設を利用し、文化的な発展に貢献している。安価に施設をレンタルすることで、利用のハードルを低くしている。これが大掛かりな交響楽団やジャズ・アンサンブルにとどまらず、実験音楽家がファンクハウスを利用出来る理由でもある。





ベルリン・ファンクハウスを重要な活動拠点に位置づける音楽家は数しれない。ダニエル・バレンボイム、ケント・ナガノといったオーケストラのマエストロはもちろんのこと、ポリスのスティング、エイフェックス・ツイン、ラムスタイン、デペッシュ・モードなどミュージックシーンの大御所が多数レコーディングやイベントのため、ファンクハウスを来訪している。


その中で、BBC Promsのパフォーマンスでお馴染みのドイツの作曲家/プロデューサー、ニルス・フラームは、ベルリン・ファンクハウスにスタジオを構えている。ファンクハウスの主要な施設である「大ホール1」は、一般的に世界最大のレコーディングスタジオであると見なされている。世界中のミュージシャンがこのホールの持つ音響の素晴らしさ、美しさを絶賛してやまない。

 

ベルリンのファンクハウスは市内中心部に近い場所に位置し、アクセスもしやすい。現在では、レコーディングや制作、コンサート、フェスティバル、クラブイベント、ライブパフォーマンスなど多岐にわたる用途で使用される。施設内のガイド付きツアーも開催されることもある。東ドイツのミルヒバールでは、コーヒーや伝統的なドイツ料理、ベルリンの人気店ゾーラのピザをたのしむことが出来る。ドイツ観光の際は、ぜひチェックしておきたいスポットの一つ。

 

©Chris Hornbecker

コリン・タッカー/キャリー・ブラウンスタインによるオルトロックデュオ、Sleater-Kinny(スリーター・キニー)は、新作アルバム『Little Rope』の3rdシングル「Untidy Creature」をリリースした。

 

重量感のあるヘヴィーロックと軽妙なポップネスが絶妙な融合を果たしている。このトラックはニューアルバムのクローズとして収録されている。

 

シングル発表に合わせて、ニック・ポレットが監督、オーストラリアのフリーダイバー、アンバー・バークが出演したミュージックビデオが同時公開された。下記よりご覧下さい。アルバム発表後、先行公開された二作のシングル「Say It Like You Mean It」「Hell」の視聴は以下から。 

 

 

 「Untidy Creature」

 

 

『Little Rope』は、スリーター・キニーがグラミー・プロデューサー、ジョン・コングルトンと初めて共同制作を行った作品である。「実は長い間ジョンと仕事をしたいと思っていたんだけど、このアルバムで初めて星が並んで実現したんだ」とコリン・タッカーは言う。

 

”Hell”や”Six Mistakes”のような曲の雰囲気を作り上げたのは彼だ。Say It Like You Mean It "のヴォーカルに手直しが必要だと聞いたのもコングルトンだった。
内心すごくあせっていたが、その夜、曲を家に持ち帰って考えることにした」とタッカー。「夜中に目が覚めると、新しいヴォーカルメロディが頭に浮かんできて、朝の3時に携帯電話に向かって静かに歌った。翌日、スタジオに戻って新しいヴァージョンを歌ったら、ジョンの言う通り、この曲には感情のピークに達するための手直しが必要だったことがわかった。


スリーター・キニーの新作アルバム『Little Rope』は1月19日にLoma Vistaよりリリース予定。アルバムのプリオーダー/プリセーブはこちら

 

 

©Alice Baxley

オレンジカウンティのポップパンクの伝説ーーグリーン・デイが新作アルバム『Saviors』の4作目のシングル「One Eyed Bastard」を発表した。以前公開されたプレビューシングル「Dilemma」「The American Dream Is Killing Me」「Look Ma, No Brains!」の試聴は以下から。


フロントマンのビリー・ジョーはグリーン・デイの新作発表以前に、ソロ・アルバムで肩慣らしを行った。このカバー作品では、ポップパンクカバー「War Story」において戦争に関するテーマを取り扱っていた。直近のガーディアン誌のインタビューの中で、ビリー・ジョーは『Savior』で政治的なメッセージに回帰したことについて、「ここ数年間、ドナルド・トランプ政権に対する嫌悪感を抱いていた」と明かしている。それらの前政権に対する不信を源とする鬱屈としたフラストレーションが、今作においてクリエイティビティの動機となったのは疑いを入れる余地がない。NOFXと同じようにアメリカに対する普遍的な愛着があるがゆえなのだ。

 

ニューシングルについて、アームストロングは声明の中で、「"One Eyed Bastard "は、僕が持っていたリフから始まった」と明かす。


「リリックでは、人生の悪い時期を振り返っている。ノスタルジアというのはそういうもので、"あれはひどい時代だった "と思うことがある。誰にでも、人生の中で醜い思いに対処しなければならない場所がある。ありがたいことに、私にはソングライティングというはけ口がある」

 

アームストロングがグリーン・デイの最初のヨーロッパ・ツアー、ベルリンの壁の時代のドイツでの思い出について言及しているのかまでは定かではない。この時代、アームストロングは「自分が自分でなくなるような気がしていた」と回想している。しかし、アームストロングが語っているように、その時は耐え難く、苦い思い出も十年経つと、全然別の意味を帯びる場合がある。

 

 

 「One Eyed Bastard」

 



グリーン・デイのファン待望の14枚目のスタジオ・アルバム『Saviors』は1月19日にリリースされる。昨年、バンドは90年代の最大の出世作『Dookie』の30周年リイシューを発表している。

 

 

 

©Tom Oxley

昨年末、予告されたように、元オアシスのリアム・ギャラガーと元ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアがニューシングル「Just Another Rainbow」を発表した。今年リリース予定の2人のコラボレーション・アルバムからの第1弾シングルとなる。以下よりチェックしてみよう。


リアム・ギャラガーは、このアルバムを「リボルバー以来の傑作」と称しており、確かな手応えを感じているようだ。ニューシングルについて、シンガーソングライターは以下のように説明している。


「”Just Another Rainbow"の最も明白な解釈は、”失望”についてであり、本当に欲しいものは決して手に入らないという感情なんだ。しかし、私は曲についてくだくだしく説明するのが好きではない。私にとっては、この曲は私たちが一緒に作った曲の中で最も気分を高揚させる曲のひとつでもある」


リアム・ギャラガーはこう続けている。「ジョンは一流のソングライターであると思う。みんなはいつもギタリストとしての彼を非難するけど、彼は一流のソングライターでもあるんだ。ローゼズであれ彼自身であれ、彼の音楽は世の中に十分に出回っていない。彼がまた曲を書いているのを見るのは素晴らしいことだよ。メロディーはメガ級で、ギターも然りだよ。でも、ギターを全部外しても、アコースティックで演奏しても、心を揺さぶられる曲ばかりだと思うよ」


新作アルバムの最初のシングル「Just Another Rainbow」は、ストーン・ローゼズの名曲「Waterfall」を彷彿とさせるギターラインから始まる。リアム・ギャラガーのボーカルラインはストーン・ローゼズにとどまらず、ザ・スミスを始めとするブリット・ポップ誕生前夜の音楽の影響も垣間見える。

 

近年、ブリット・ポップに拘りをみせていたリアム・ギャラガーであるが、この新曲では、ビートルズ風のアート・ロックに象徴される6/8の変拍子を取り入れたり、ハードロック風のギターソロをスクワイアが披露したりと、以前のソロ作に比べると、オープンな音楽性を選び、工夫を凝らしていることが分かる。曲の終盤では、ジョン・スクワイアの70年代のギターヒーローのような白熱したギターソロが披露される。これはUKロックの全時代へのロマンチシズムともいえるだろうし、昨年この世から去ったジェフ・ベックに捧げられた追悼のようでもある。

 

 

「Just Another Rainbow」



本日、ビッグ・シーフのギタリスト、シンガーソングライターのバック・ミークが2枚のニュー・シングル「Cuero Dudes」と「Beauty Opens Doors」を4ADから発表した。(ストリーミングはこちら)さらに来るツアーの日程を発表。


昨年、ミークは4ADから見事なサード・ソロ・アルバム『Haunted Mountain』(Reviewを読む)をリリースした。このアルバムは、バックの長年の音楽的ヒーロー、ジョリー・ホランドとの共作曲をフィーチャーし、AP通信(「世界を旅するバック・ミークによる魅力的で複雑な音楽」)、ローリング・ストーン誌(「落ち着いたペダル・スティールの驚異」)、ノー・デプレッション誌(「ミークの特徴であるソフトで軽快なハーモニーは、これまでで最も充実しているように感じられる。この魅惑的な愛の世界にどっぷりと浸ることができるはず」)などから世界的な賞賛を得た。


2024年の幕開けとして、ミークはこれら2曲のニュー・シングルと、レコードを聴いたことのある人にはお馴染みの曲「Cuero Dudes」のビデオを公開した。この曲はアルバムのシングルのひとつで、ライヴの目玉曲でもある「Cyclades」を陽気にアレンジしたもの。一方、"Beauty Opens Doors "は『Haunted Mountain』制作中にレコーディングされ、バックが心から気に入っていた曲であるというが、アルバムには合わなかったため、今日、世に出ることになった。







Tour Date:


January

17th - Casbah, San Diego, CA 
18th - Highland Park Ebell, Los Angeles, CA
19th - The Chapel, San Francisco, CA
20th - Little Saint, Healdsburg, CA
22nd - Mississippi Studios, Portland, OR
23rd - The Crocodile, Seattle, WA
25th - Neurolux, Boise, ID
26th - Urban Lounge, Salt Lake City, UT
27th - Globe Hall, Denver, CO
29th - Resonant Head, Oklahoma City, OK
30th - Sons of Herman Hall, Dallas, TX
31st - Sagebrush, Austin, TX


February

2nd - Sister, Albuquerque, NM
3rd - Yucca North, Flagstaff, AZ
4th - Pappy + Harriet's, Pioneertown, CA
May
16th - Ardmore Music Hall, Ardmore, PA
17th - The Crystall Ballroom, Somerville, MA
18th - Higher Ground Showcase, Burlington, VT 
21st - Theatre Fairmont, Montreal, QC
22nd - Horseshoe Tavern, Toronto, ON
23rd - El Club, Detroit, MI
24th - Lincoln Hall, Chicago, IL
25th - Cedar Cultural Center, Minneapolis, MN
26th - High Noon Saloon, Madison, WI
28th - The Blue Room at Third Man Records, Nashville, TN
29th - The Earl, Atlanta, GA
30th - Motorco, Durham, NC
31st - Atlantis, Washington, DC 

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ノッティンガムを拠点に活動するシンガーソングライター、ジャック・ケンワージーによるプロジェクト、Colouring(カラーリング)が、近日発売予定のアルバムのタイトル曲「Love to You, Mate」をリリースした。ダルシャン・ガジャールが監督したミュージックビデオを以下よりご視聴下さい。


ジャック・ケンワージーの人生は、デビュー作『Wake』のリリースを数ヶ月後に控えた2021年2月、義理の弟であるグレッグ・ベイカーがステージ4のガンと診断されたことにより急転していかざるを得なかった。以後、彼のもとに訪れた家族の結束は、最も「信じがたい」1年であったという。

 

ケンワージーは新作アルバムについて説明している。「私はいつも、音楽の中で自分の人生を本当に正直に語るよりも、シナリオをでっち上げる側にいた。しかしこのアルバムで初めてそれができるようになった。自分の物語じゃないから、怖くなくなった。それは本来共有すべきものなのだから」


ニューシングルについてケンワージーは続ける。「2021年のクリスマスを妻の家族と一緒に病院で過ごしたときの話だ。義理の弟のグレッグが重い病気にかかり、今から思えば、その時期が終わりの始まりだった。それでも、心配と不安の中で、私たちは一緒に笑い、信じられないほど泣いた。これは彼ら全員へのメッセージであり、このアルバムの重要なポイントでもあるんだ」 

 

 

 「Love to You, Mate」

 



Colouringの新作アルバム『Love To You, Mate』はベラ・ユニオンより2月23日リリース予定。 ベラ・ユニオンの主宰者はコクトー・ツインズのベーシスト、サイモン・レイモンドさんだ。先行シングルのテースターは下記より。後日掲載なされたWeekly Music Featureはこちらからお読みください。

 





Colouring 『Love To You, Mate』

Label: Bella Union

Release: 2024/02/23

 

 Tracklist:

 

1.For You

2. I Don't Want You See You Like That

3.How'd It Get So Real

4.Lune

5.A Wish

6.This Light

7.Love You To, Mate

8.Coda

9.small Miracles

10.For Life

11.Big Boots


 

Pre-order:

 

https://ffm.to/colouring-lovetoyoumate


 

©︎Tyler T. Williams

米国のシンガーソングライター、ユース・ラグーン(Youth Lagoon)がニューシングル「Football」をリリースした。(ストリーミングはこちら)

 

Fat Possumから限定盤7inch″としてリリースされるこの曲は、トレヴァー・パワーズがアルバムの共同プロデューサー、ロダイド・マクドナルドと再会を果たしている。ケイレブ・ホルターによるビジュアルは以下より。トレヴァー・パワーズは新曲について以下のように説明している。


「『Football』は失敗の祭典を意味している。社会は達成や成果だけを認め、影に隠れた偉大さを覆い隠してしまう習慣を持っている。私たちは愛や価値を得ようとするあまり、それが本来すでに持っているということを忘れてしまう。私はこの考えを、スポーツというレンズを通して遊びたかった」

 

「私が幼い頃、父とつながる唯一の方法はスポーツだった。私たちはあまり共通点がなかったが、二人ともボールを投げることができた。ルールも儀式も、私たちが納得できるものだった。どっちが正しいとか間違っているとか言い争う必要はなかった。私の家族の違いは、私がどれだけ優れているかは全然関係ないということだった。ただボールを投げるという行為そのものが交流だったんだ。キャッチするかどうかは関係なかった。私はそんな父を愛しているんだ」


Youth Lagoonは昨年、Fat Possumから最新作『Heaven Is a Junkyard』をリリースした。アルバムの発表に続いて、二作の先行シングル「Prizefighter」「The Sling」が公開されている。

 

 

「Football」

Rough Trade East

英国の最大級のレコードショップ、ラフ・トレードは、2024年後半にリバプールのハノーバー・ストリートに新店舗をオープンする予定であることを明らかにした。


店舗内の面積は6500平方フィート。小売業者にとって英国最大規模の店舗となる予定で、大きな会場スペース、バー、カフェ(シグネチャー・ブリューとダーク・アーツとの提携)を収容する。


ラフ・トレードのマネージング・ディレクターを務めるローレンス・モンゴメリーは、次のように話している。

 

「リバプールに店舗を構えることで、英国での存在感を高めることができ、大変嬉しく思っています。リヴァプールには豊かな音楽的伝統があり、活気あるシーンがある。店舗の規模(規模も野心も)は、この街に対する私たちのコミットメントと投資を示唆しています。いずれレコード店と会場でお客様を喜ばせるのが待ちきれません」


すでにリバプール・サウンド・シティ・フェスティバルの3日間にわたる複数のショーの会場となることが決定している。リバプール・ラフ・トレードでは、現在、新しいスタッフを募集中であるという。

 

現在、ラフトレードは英国内にとどまらず、ニューヨーク・シティにも旗艦店を展開している。現地のレコードショップ内では、有名アーティストのサイン会が開催されることもある。音楽ファンは、チャーリー・XCX、ロイル・カーナーといったスターの姿を間近で見ることも可能だ。

 

ラフ・トレード・レコードの沿革についてはこちらでご紹介しています。ぜひご一読下さい。


 

今年ブレイク必至のロンドンのロックバンド、ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party)がデビューアルバム『Prelude to Ecstasy』のシングル「Caesar on a TV Screen」を公開。ロンドンのニューライザーの新曲は、バンドの「My Lady of Mercy」映像も手掛けたハーヴ・フロストが監督したミュージックビデオと共に到着。以下よりご覧ください。


「エクスタシーとは、情熱の恍惚から苦痛の崇高まで、人間の感情の両極端の間を揺れ動く振り子のことであり、このコンセプトが我々のアルバムを結びつけている」とバンドはプレスリリースで述べている。

 

このアルバムは、私たち自身の考古学であり、私たちの集団的、個人的な経験や影響を掘り起こすことができる。私たちはソロのためにギターを悪魔払いし、日記のページから直接告白をさらけ出し、私たちのビジョンに命を吹き込むため、オーケストラを招集した。

 


昨年、ザ・ラスト・ディナー・パーティーにとって飛躍の年となった。BBC Radio 1が選出するSound Of 2024のロングリストに選出され、最終的に栄冠に輝いた。その他BRITS Rising Starにも選ばれている。昨年、バンドは、シネイド・オコナーのカバーにも挑戦している。新作アルバム『Prelude to Ecstasy』はアイランド・レコードから2月2日にリリースされる。

 

日本国内では、ユニバーサルミュージックから二枚組の輸入アナログ盤として発売されます。(詳細はこちら)タワーレコード他、ディスクユニオンでも予約受付中です。 先行シングルのテースターは下記より。

 

 

 

 

The Last Dinner Party  『The Prelude Of Ecstasy』

 

Label: Island

Release: 2024/02/02


Tracklist:

 

A1.Prelude to Ecstasy 

A2.Burn Alive 

A3.Caesar On a TV Screen 

A4.The Feminine Urge 

A5.On Your Side 

A6.Beautiful Boy

 

B1.Gjuha 

B2.Sinner 

B3.My Lady of Mercy 

B4.Portrait of a Dead Girl 

B5.Nothing Matters 

B6.Mirror


ノルウェー/オスロの3人組のMall Girl(モール・ガール)が、セカンドアルバム『Pure Love』の最後のプレビューシングル「Emo Shred」を発表した。発売日の前にチェックしてみよう。


ニューシングルについて、ヴォーカルのベサニー・フォーセス=ライヒバーグはこう語っている。

 

これは私たちの新しい音楽的バブルへの第一歩で、以前はデモとしてリリースされた。デモとしてリリースされたこの曲は、今では本物の曲へと変貌を遂げたが、ビーチ沿いをシボレーでドライブすることを歌った曲であることに変わりはない。ロサンゼルスの夜、つま先の間に砂があり、何も考えず、ただ人生がとてもいい感じだということを思い浮かべてほしい。


『Pure Love』は、2022年の『Superstar』に続くオスロのアート・ポップ・エクスペリメンタリストのセカンドアルバム。1月26日にJansen Recordsより発売される。アルバムのプリオーダーはこちら



「Emo Shred」

 



トロントのインディーロックバンド、Ducks Ltd.(ダックス・リミテッド)が2枚目のLP『Harm's Way』を発表した。2021年の『Modern Fiction』に続くこの作品は、2月9日にCarparkからリリースされる。



「Hollowed Out」


「私が住んでいる近くのダンダス・ウェストで、少し前に陥没穴が開いたんだ。その道路は1ヶ月間、閉鎖されていた。トロントの多くの通りは、かつて湖に流れ込む川や小川であって、その上に道路が造られたこともあるせいか、奇妙な響きがあったんだ。都市環境に自然が侵食しているように感じていたし、川が戻って来て市民のインフラを破壊しているようにも感じた」

 

「”Hollowed Out"は、衰退とともに生きることについて歌っている。世界の可能性の地平線が、少数の無頓着な金持ちの想像力の端に永遠に引き寄せられるような感覚について・・・。そして、私たちにはどうすることもできないカタストロフィーが続いている状態を通して存在していることについて・・・」


『Harm's Way』はデイヴ・ヴェトライノがプロデュースし、先にリリースされたシングル「The Main Thing」が収録されている。「苦悩についての歌なんだ。自分の大切な人たちが苦しんでいるのを見て、どうすれば彼らのそばにいられるかを考えようとした。そして、この世界が今にも崩壊しそうな時に、その中で生きていくことの緊張について歌っているんだ」


スチュワート、スタイナー、ヌッチオ、バラ、マッカーシーに加え、ネイサン・オデル(ダミー)、ルイ・デ・マガリャエス(ローン)、リンゼイ=ペイジ・マクロイ(パティオ)、そしてバンドのツアー・ドラマーであるジョナサン・パッポ、ベーシストのジュリア・ウィットマンが参加している。

 

「歴史的に、私たちのプロセスは本当に厳しく管理され、孤立していた」とマクグリーヴィは説明した。「このアルバムでは、かなり幅広い音楽的背景を持つ信頼できる人たちと仕事をした」

 


「Hollowed Out」



「Harm's Way」


ダックス・リミテッドは、2ndアルバム『Harm's Way』からセカンドシングル「Train Full of Gasoline」を発表した。前作「Hollowed Out」と「The Main Thing」に続くこの曲では、Ratboysのジュリア・スタイナーとMoontypeのマーガレット・マッカーシーがバッキング・ヴォーカルを務め、ドラムにはRatboysのマーカス・ヌッチオが参加している。以下よりチェック。


「この曲のきっかけは、友人からケベック州のラック・メガンティック鉄道事故について聞いたことだ。


原油を満載した73両編成の列車が無人のまま坂を転がり落ち、脱線して町で爆発した。この事故について何度も読んだが、私の理解では、小さなミスの積み重ねが互いに重なり合い、その結果、それを引き起こした個々の失敗のどれとも比例しない大惨事になったというシナリオだった。この曲は、自己破壊的なパターンについて歌っている。人生における問題を無視したり最小化しようとすると、それが思いもよらないところで顕在化することがある。





「Heavy Bag」


ダックス・リミテッドは、ニューシングル「Heavy Bag」を発表した。「Hollowed Out」、「The Main Thing」、「Train Full of Gasoline」に続くシングルである。

 

絶望と、不幸は仲間を愛するということを歌っているんだ。人は悪い場所にいると、一緒にいる人を貶めようとする。そこにとどまらせるために。

 

それは信じられないほど醜い衝動だが、正直に言えば、私は過去に自分自身を甘やかしたことがある。"この曲では、音楽的にこれまでやったことのないことをやろうとして、アレンジを構築する上で多くの直感を覆さなければならなかった。

 

でも、それが最終的にこの曲に合っていると感じたんだ」。マッキー・スチュワートとブライヤー・ダーリングは、最後にストリングスのレイヤーの多くを即興で演奏することになり、とてもエキサイティングな結果となった。


Ducks Ltd.は先行シングルとして「Hollowed Out」、「The Main Thing」、「Train Full of Gasoline」を公開した。テースターは下記より。





Ducks Ltd. 『Harm’s Way』


 
Label: Carpark
 
Release: 2024/2/9


Tracklist:

1. Hollowed Out
2. Cathedral City
3. The Main Thing
4. Train Full of Gasoline
5. Deleted Scenes
6. On Our Way To The Rave
7. A Girl, Running
8. Harm’s Way
9. Heavy Bag


 Pre-order:


レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのドラマーのブラッド・ウィルクはインスタグラムの投稿で、4人組が2022年の短縮ツアーを再開せず、再びステージで演奏する予定もないことを明らかにした。これはフロントマンのザック・デ・ラ・ロッチャのツアー時のアキレス腱の負傷が原因であるとしている。


「多くの人々が、キャンセルされたRATMの全公演の新しいツアー日程が発表されるのを待ち詫びているのは知っているよ」と彼は書き、フロントマンのザック・デ・ラ・ロシャが怪我のため座ったままパフォーマンスすることを余儀なくされ、さらに最終的には完全にツアーから離れることを余儀なくされたアキレス腱の断裂についてインスタグラムで言及している。


「しかし、これ以上、みんなや僕自身を苦しめたくないんだよ。だから、今後このようなことが起こるかもしれないという連絡はあったが、RATMが再びツアーやライブをすることはないことをみなさんにお知らせしたい。ライブを待ち望んでいた皆さんには本当に申し訳なく思っています」「心の底から......これまで僕らを応援してくれた全ての人にありがとう」と、彼は投稿のキャプションに付け加えた。


レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは90年代にセルフタイトルアルバムでミクスチャーロックの旋風を巻き起こした。バンドは2010年代に9年間の活動休止後、2020年にリユニオンを果たし、COVID-19により延期されたコーチェラの公演を含むツアーを発表した。ツアーは2022年7月に始まったが、デ・ラ・ロシャはシカゴでの2回目の公演中に負傷し、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの5夜公演で幕を閉じ、計19回のライブをこなしたに過ぎなかった。


11月、バンドは見事にロックの殿堂入りを果たしたが、ニューヨーク州ブルックリンのバークレイズ・センターで行われたセレモニーにはギタリストのトム・モレロしか姿を見せなかった。



ダブリンのsprintsが1月5日発売のデビューアルバム「Letter To Self」の最後のプレビューシングル「Heavy」を公開した。4人組は煽情的なライヴ・ショーで恐るべき評判を得ている。この新曲は、痛烈なギターリフをふんだんに織り交ぜたサウンドを介して、彼らのリアルなエネルギーを体現している。


この曲について、バンドのリード・ヴォーカリスト、Karla Chubb(カーラ・チャブ)は次のように語っている。


『Ticking』が不安の音的反復だとしたら、『Heavy』は文字通りその対極にある。残酷なまでに不協和音が響くこのサウンドは、不安に苛まれ、麻痺しているような感覚を伝え、押し寄せる思考、パニック、激しさを不安を誘発するようなビルドとコントラストを形成している。初期のバウハウスのレコードやPJハーヴェイの「Is This Desire?」に強くインスパイアされ、80年代のゴシックロックから多大な影響を受けている。


「Heavy」

©︎Matt Crocket

ブリットポップのレジェンドであり、元オアシスのメンバーでもあるノエル・ギャラガーは、自身のプロジェクト、High Flying Birdsの新デモ曲として「In A Little While」を発表した。『Council Skies』に続いて公開されたこの曲でも、ノエル・ギャラガーのスタンスには大きな変更はない。歌詞の通り、世界に希望を見出すことの重要性について歌っているが、直接的には歌われず、サブテクストの範疇に留められている。


ノエル・ギャラガーは、大晦日に自身のX/Twitterアカウントでこの曲を初めて予告し、タイトルとリリース日をシンプルに記したキャプションと共に新曲のスニペットをシェアした。曲自体は、シンガーソングライターでありギタリストでもある彼が、アコースティック・ギターで演奏し、メランコリックでエモーショナルな歌詞を歌うという、シンプルなアプローチをとっている。


「彼らはもう終わりだと言っている。でも、僕は信じない/彼らはもう終わりだと言っている。でも、そんなはずはない/もし、それが失われたなら、僕はそれをどこかで見つけるだろう/ページをめくって、新しいなにかを始めてみよう」と彼はコーラスで歌っている。この曲の試聴は以下から。


ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズの最新作『Council Skies』はBest Rock Album 2023としてご紹介しています。



「In A Little While」