Chris James


クリス・ジェイムス、クリストファー・ジェイムスブレナーは23歳、ドイツを拠点に活動する男性シンガーソングライター。

 

ドイツのインディーポップ界において、最も、今、勢いの感じられる若手アーティストであり、ベッドルーム・ポップという、若い世代のジャンルに属しています。このシーンでは、クレイロ、レックス・オレンジ・カウンティ、ガールズ・イン・レッドといったアーティストの活躍が近年目立ちますが、クリス・ジェイムスはその一角に入り込んで来てもおかしくないこれからが楽しみなアーティストです。

 

クリス・ジェイムスは、アメリカで生まれましたが、幼少期に両親と共に、ドイツのドゥッセルドルフにほど近いハイデンという街に移住してから、アメリカ系ドイツ人として暮らす。

 

その後、コロナ禍を機に、ベルリンに活動拠点を移す。クリス・ジェイムスは、2011年、つまり、驚くべきことに13歳という若さで作曲活動を開始し、初めはYoutubeの動画を介し、マムフォード・アンド・サンズ,コールドプレイ、エド・シーランの楽曲を実際にカバーすることにより、これらのアーティストのすぐれたポップ性を自身の感性の中に浸透させていったという。

 

事実、このエピソードから見られるとおり、ジェームスブレナーの音楽性には、親しみやすい軽快なポピュラー性が感じられます。それは、上記したビッグアーティストの音楽の良い部分を受け継いでいるからこそでしょう。

 

クリス・ジェイムスは、スタジオ・アルバム「The Art of Overthinking」で2020年にドイツでデビューを飾る。これまで、二回のドイツ国内ツアーを成功させていて、なおかつ、サブスク配信時代のアーティストといえ、2500万回サブスクリプションでストリームされている。

 

インディーズアーティストでありながら大変人気のあるアーティストで、デビューから約一年にも関わらず国内外で多くのファンを獲得しつつある。また、著名な仕事としては、K-POPのBTS,Tommorow X Togetherに楽曲提供をしているあたりも見逃せず、軽快で親しみやすいポップソングを書くことにかけては他のアーティストと比べ、頭ひとつ抜きん出ているように思えます。

 

只、ひとつ面白いのは、ジェームスブレナーには、他の表面的な音楽のキャッチーさとはまた別箇に、音楽の核心となる思想が少なからず含まれていることでしょう。若いベッドルームポップ世代らしい未来の社会に対する明るい提案が感じられることです。

 

これは、若い世代が、これからの世界を作り上げていくという意思表示のように思え、個人的な意見としても、若い世代が新しい提案をしていくことは、これからの社会にとって必要不可欠といえるでしょう。

 

これまでは、知見のある様々な専門家が意見することが正しいとされてきましたが、これからの時代は必ずしも以前と同じようなやり方が選ばれるべきでなく、ジェームスブレナーのような若い世代が未来の社会に対して、どんどん自由闊達に提言をおこなっていくべきだと思えます。

 

そして、クリス・ジェイムスの曲中に歌われることも、恋愛など、若い年代らしい主題もある一方、若い世代としての社会に対する提言、一個人と社会の関わり方がどうのようにあるべきなのか、また、イギリスの次にロックダウンの厳しいドイツの一市民としての考えを恐れることなく提示し、コロナパンデミックにおける社会的な圧力、そのポイントにおける個人と個人、個人と集団がどういった関係をこれから築いていくべきなのか、そういった新しい提案をしている。

 

まさに若いミュージシャンとして頼もしさを覚えるほど、社会における個人という存在について忌憚ない意見を歌にこめているのが、ジェームスブレナーの感性の素晴らしさであり、魅力といえそうです。 



The Fear of Missing Out 2021




 

 

TrackListing



1.Will You See Again

2.Hey It's Me

3.The Way Look At Me

4.4AM Magic

5.Alone on a Friday

6.The Fallout

7.Happy Ending

8.The Fallout(acoustic)

9.Happy Ending(acoustic)

 


 

ドイツポップ界をこれからクリス・ジェイムスが牽引していくような大きな可能性を示してみせたのが二作目となるアルバム「The Fear of Missing Out」です。 

 

前作のデビューアルバム「The Art of Overthinking」での形、アルバム全体は軽快なポップスによって占められているものの、収録曲の最後の二曲はアコースティックのしっとりした楽曲によって締めくくられるスタイルは今作にも、いわばルーチンワークのように引き継がれています。

 

また、クリス・ジェイムスの音楽性の中には、ドイツ在住のアメリカ人というバックグラウンドも、少なからず影響していると見え、ドイツのクラブミュージック、そして、アメリカのインディー・ポップの双方の長所を上手く受け継いだというジェイムスらしいスタイルが伺えるように思えます。

 

一作目「 The Art of Overthinking」で際立ったポップセンスを提示するこに成功したジェームスブレナーはこの二作目において、さらにその才覚に磨きをかけた。

 

全体的には、オートチューンをかけたボーカルが魅力の楽曲が多く、そのあたりはトレンドを行くといえるでしょう。しかし、ボーカルの作り込みは軽妙な雰囲気に彩られていて、とても聞きやすく、万人受けするような親和性がある。

 

そのことはこのアルバムのハイライトといえる#1「Wiil I See You Again」によく現れていて、この軽快なポップスとしての輝きは、この年代のベッドルームポップらしさがあるように思えます。

 

また、その雰囲気とは対極に位置するしっとりした雰囲気のある「Happy Ending」もドイツのEDMとしてのポップ性を追求したすぐれたクールな楽曲。また、前作のスタイルを引き継いでのアコースティックの最後の二曲、特に「The Fallout」は、アメリカのジャック・ジャクソンを彷彿させる寛げるような涼やかな雰囲気のある佳曲として聞き逃がせません。

 

クリス・ジェイムス、ことジェイムスブレナーのキャリアは始まったばかりです。これからどのような活躍をしてくれるのか、最新の動向をガンガン追っていきたい、非常に楽しみな雰囲気のあるアーティストです。


まだ、夏の暑さはしばらく続きそうなので、こういった爽やかで軽快なポップスもたまには良いかなあと思い、今回、クリス・ジェイムスというドイツの気鋭ベッドルーム・ポップアーティストを紹介してみました。

 

 

Happy Listening!!



参考サイト


stadtgarten.de


https://www.stadtgarten.de/en/program/chris-james-2043


minutenmusik.de


https://minutenmusik.de/rezension/chris-james-the-fear-of-missing-out




来る9月11日にメタリカの「Metallica」通称「ブラック・アルバム」のリマスターボックスセットの輸入盤の発売が予定されている。

既に、Spotifyでは、シングル盤の「Nothing Else Matters」が配信されている。特に、ギターの音色、ストリングス・アレンジが艶気が漂っており、ファンとしては要チェック。

往年のメタリカのファンはこのシングルを聴きながら、このモンスターボックスセットの発売を待ち望んでいるはず。良い機会なので、このアメリカで最も有名なメタルバンド 、メタリカのサクセスストーリーについてあらためておさらいしておきましょう。 

 

1.メタリカとしての出発 


Metallicaは今や、アメリカ、いや、世界的な知名度を誇る最もクールなロックバンドである。この群をぬいてかっこよい四人衆メタリカは、現在ですら、それほど音楽を知らない人もその名くらいは耳にしたことがあるような存在となった。しかし、多くの伝説的なロックバンドが様々な体験を乗り越え、スターダムに上り詰めるのと同じように、彼らメタリカ四人の歩みの道のりは必ずしも平坦なものとはいえなかった。きっと事実は小説よりも奇なりという言葉がふさわしい、フィクションよりもはるかにフィクション的な魅力あるエピソードがいくつか引き出されるだろう。

METALLICA ST ANGER 200 grams vinyl

そもそも、最初のメタリカのレコーディングのエピソードからして、スキャンダラスな雰囲気が漂っている。メタリカは、元Megadeth(日本でも、テレビタレントとして、お馴染みのマーティー・フリードマンが在籍)のギターボーカル、デイヴ・ムスティンが在籍していたバンドとしても有名だが、いざ、メタリカの面々がファースト・アルバムをNYでレコーディングする直前、音楽的な方向性が違うという有りがちな理由で、デイヴ・ムスティンは解雇通知を受けたという。

その後、メタリカは、レコーディングを続け、無事、この最初のアルバム作品を完成へとこぎつける。一方、デイブ・ムスティンは失望の最中、メタリカに対抗意識を燃やし、Meagadethを結成、最初の作品「Killing My Business」をリリースする。これは、メタリカのデビューアルバム「Kill’Em All」に対するあてこすりという見方も出来なくもない。実際の音楽性においても、デイヴ・ムスティンのメタリカへの私怨がメタルとして、どす黒〜く渦巻いているような危ない雰囲気に満ちた刺激的な作品である。

このデイヴ・ムスティンという人物は、元々、十代の頃から、麻薬の売人として生計をたてていた。ハイスクールにもろくすっぽ通わず、ガールフレンドの家に入り浸り、地下の売人として、タフにこの世を生き抜いてきた経歴を持つロックミュージシャンだ。ムスティンは、若い頃から、ロックとギターを誰よりも愛し、ギターのテクニックを縁に生きてきた人物であるため、この時のメタリカの解雇という経験に、大きなショックを受けたであろうことは確実である。このときの、怒り、哀しみ、また、あるいは、綺麗事の背後ににじむシニカルさを主題とし、その後、ムスティンは、ヘヴィメタル音楽、重〜い音楽として昇華させていくようになる。ようやく、ムスティンの思いは、スタジオ・アルバム「Peace Sells..(But Who's Buying?)「Rust In Peace」という作品で結実を見る。その後、メガデスは、メタリカという存在に肩を並べるロックバンドとして、世界的に認知されるようになる。特に、国連本部らしき建造物が破壊された過激なアルバムジャケットが描かれている「Peace Sells...But Who' Buying」1986、は、ブレクジットでの英国の離脱をはじめとする事象、表面上の「EU共同体という幻想」がのちに打ち砕かれると、あろうことか、国連本部が設立される以前、1986年に予見している。

しかし、少なくとも、メタリカ、メガデス、この二つに分かたれたロックバンドは、初めの経緯こそほろ苦いものがあるにしても、その後は、善きライバル的としての良好な関係を保ちながら、アメリカのスラッシュ・メタルシーンを共に牽引していくアーティストとなった。 その後、デイヴ・ムスティンが、メタリカの出世作「Ride the Lightning」にレコーディングセッションに参加しているのは、メタリカとメガデスという両ロックバンドが和解した何よりの証拠でもある。

デイヴ・ムスティンを解雇した後、メタリカが「Kill ’Em All」という、なんとも身も蓋もない、ヤバそうな名のアルバムを引っさげてデビューした際、この作品は、当初から大きな反響を呼んだわけではない。

 

 


のちに、メタル系をアルバム使う雑誌媒体において、再評価の試みはなされるものの、それはメタリカが有名になってからの後付評価でしかない。もちろんごく一部の目ざと〜いリスナーには注目されていたという話もあるにせよ、少なくとも、最初の音楽シーンに与えたインパクトというのは微々たるもので、アメリカンドリームどころか、一般的なビッグサクセスの概念からはかけ離れていたのは事実である。 

おそらく、このバンドのデビュー時、メタリカというロックバンドが、80年代終盤から90年代にかけて世界的なスターロックバンドに成長していく、しかも、そののちには、サンフランシスコ交響楽団と共演する、あるいはまた、ウォルト・ディズニーのサウンドトラックにギタリストとしてゲスト参加する、なんてことを言っても、誰もが不可解そうに首を振り、にわかに信じようとしなかったはずだ。

事実、筆者も、このサクセスストーリは今でも眉唾もののように思う。音楽性においても確かにクールなメタリカではあるが、他のバンドと際立ってすぐれていたのかというと、必ずしもその理論は当てはまらないように思える。以前に、デビュー当時は、一部のメタルマニアしか知らないマニアックなバンドでしかなかったから、まだブレイクする直前は、メタリカという名を聞いてもよくわからない、なにそれ、という状態だった人が多かったはずだ。それは、勿論、このロックバンドがアングラの象徴のような音楽ジャンル、スラッシュ・メタルから出発したロックバンドだからである。 

しかし、メタリカは、事実、後に、大きな星を掴みとり、ロック界のアメリカンドリームを手中に収め、一躍スターダムに上り詰める。それから、押しもおされぬ世界的ロックバンドに成長していったわけである。なぜ、メタリカは、それほど、時代を代表するような目もくらむほど強大なロックバンドとして成長していったのだろう? そもそも、この異様なサクセスストーリーは、ゴールドラッシュ時代のアメリカンドリームを、メタリカという四人組は、ロックミュージックシーンにおいて見事に体現させたという表現がふさわしい。つまり、メタリカという存在は、地べたから汗まみれ、いや、彼らの90年代の「ガレージ・インク」という名作に因むのなら、ガソリンの煤まみれになって、頂点に這い上がって来た正真正銘の叩き上げの実力派ロックバンドである。 

それは、この四人の風貌についても同じで、デビュー当時は、アメリカのメタル界に無数に溢れていたブリーチした長髪、革ジャン革パンという、いかにも、メタルバンドらしいちょっとダサダサなファッションスタイルについても、その後、九十年代に入り、音楽性が変わるとともに様変わりし、徐々に別のロックバンドへ変身していった。それは常に、モンスターロックバンドとしての進化を繰り返したゆえの男としてのコンフィデンスが、彼ら四人の風格からは滲んでおり、そのプライドが他のバンドよりも遥かに強いがゆえ、今日まで長らくロックシーンの最前線を走り続けて行くことが可能となった理由といえる。その辺りが、メタリカという存在が今なお、多くのアメリカ人に絶大な支持を受け、不動のロックバンドとして君臨する要因でもある。     

そして、メタリカのデビューを「Kill 'Em All」がリリースされた1983年とすると、これまで、四十年近い道のりにおいて、メンバーチェンジこそあっても、活動自体にそれほど大きな中断を挟むこともなく、ロックシーンの最前線を全速力で走ってきた。この事実はほとんど信じがたいことである。

  

 2.スラッシュメタルシーンへの台頭

  

そもそも、あまりメタルというジャンルに詳しくない方のためにも、このメタリカが看板として掲げる「スラッシュ・メタル」という音楽について、あらためて確認しておく必要があるかもしれない。

このスラッシュ・メタルというのジャンルは、1980年代を中心にアメリカで起こり、盛り上がったジャンルで、ザクザクと、痛快なギターリフが刻まれるアップテンポの楽曲を特徴とするメタルミュージックである。このあたりのバンドは、アメリカに多く分布し、SLAYER、S.O.D,Anthraxといったグループが有名である。この中でも、スレイヤーは、複数回、グラミー賞メタル部門の勝者に輝いている世界的なスラッシュメタルバンドだ。もちろん、このスラッシュ・メタルというのは、かつては、ごく一部しか知られていないニッチでアングラなジャンルであったものの、今や実際のコアな音楽性から想像できないほど、大きな人気を博すようになった。                

これらのバンドに代表される、激烈で性急なザクザクという音を立てるソリッドなギターリフ、そして、16ビートを特徴とした楽曲のテンポ自体の速さを競うようなスラッシュというジャンルは、80年代のイギリスを中心に流行したNWOHMのジャンルの後に勃興した音楽であり、パンク・ロック、ハードコア・パンクの下地を持つという点で、イギリスのメタル音楽と異なる部分がある。

このジャンルは、メタリカとメガデスという存在が世界的な知名度を与えるのに貢献した。そして、このジャンルはのちになって、エクストリームな音楽性が付加され、より早いグラインド・コアというジャンルに直結した。このグラインドコアというのは、ブラストビートというリズムの破壊性、異質なテンポの速さを持つのが特徴で、速さを競う音楽でもある。バンドとしては、ナパーム・デスというバンドが有名であり、世界一最も短い楽曲を書いていることでもよく知られている。 



さらに、”メタル”という得難い音楽について探ると、一般に、オジー・オズボーンの在籍していたBlack Sabbathの音楽性が、メタル音楽の始まりであり、1stアルバムの「黒い安息日」のBlack Sabbathという楽曲がメタルの発祥だと言われている。この楽曲に登場する、鐘の音の不気味な響き、おどろおどろしい宗教的な趣向性を持つ楽曲、オズボーンの地の底を這うような重苦しい歌い方は、メタル音楽の素地を作り、ロック音楽の中に少なからず宗教性を与えた。それはメタル=宗教性のある音楽という概念を暗黙裡に植え付けた。(もちろん、西洋的なキリスト教的な概念上に限っての話である)

このネーミングについては、最初、「裸のランチ」等の著作で有名な文学者、ウィリアム・バロウズが、鉱物的な概念に「メタル」という名称を与えて、それが、現地NYタイムズなどのメディアを通じて、この重いロック音楽=メタルというワードが徐々に浸透していき、この後、七十年代から八十年代にかけて、ほとんど数えきれないほどのメタルジャンルに細分化されていくに至る。

当時、このメタル音楽がどれくらいのファン層を獲得したかまでは明言できないが、この年代から、英国ではケラング、そして、日本ではBURRNと、メタルを専門とする有名な音楽誌が続々と刊行されるようになる。これらのメディア媒体は、一般的なメタルという音楽の認知度を高める上で、なおかつまた、リスナーの裾野を広げるという側面において、文化的に大きな貢献を果たした。そして、1980年代から、およそ数え切れないほどのカテゴライズが登場する。 

これがレコードショップ、あるいは、音楽メディアが、順々に、こういった呼称を与えていったのかまでは判然としないが、ブラック・メタル、スラッシュ・メタル、LAメタル、北欧メタル、パワーメタル、デスメタル、グラインドコア、さらに細かな分類がなされていくに至る。その後、数え切れないメタルジャンルが、現れては、消え、現れては、消えていく。90年代に入り、メタルとパンクハードコアを融合させたニューメタル(グルーヴ・メタル)というジャンルも登場。もちろん、そのメタル音楽の極北に、セカンド・アルバム「Iowa」で全米チャート初登場一位を獲得するSLIPKNOTのラップ・メタルや、重苦しいというメタル本来の音楽性の対極にある、BABYMETALのようなアイドル・メタルが位置するのが、今日の音楽シーンの現状である。

  

3.メタリカのシーンへの台頭

  

一連のメタル音楽が流行っていく中で、メタリカは、最初、スラッシュメタルシーンの有望株として台頭したのは疑いを入れる余地はない。

しかし、それはあくまで、スラッシュメタルシーン界隈のみで語られるべきで、ロックスターとして将来を嘱望される存在ではなかったように思える。このバンドが、結成最初から、現在のハリウッドスターのようなロックミュージシャンだったと記述をするのは、仮に、私が世界一のメタリカファンであるとしても、これは出来かねる。モーターヘッド、そして、ヴェノムの音楽性を引き継ぐコアなロックバンドとして出発したメタリカ。しかし、実際のところ、現在の一部のスキもない高度な演奏力からは想像出来ないほど、結成当初は、演奏が稚拙で、悪い言葉でいえば、下手なバンドとしてミュージックシーンに登場したのだった。それに加え、華々しい台頭とはお世辞にもいえなかった。さらにまた、このバンドは、元々、売れ線を狙って登場したロックバンドでもなかった。興味深いことには、只、好きな音楽をやっていたら、その延長線上にメタリカという音楽が形作られ、その音楽が世界的に有名になった。ただそれだけのことだった。

このあたりの事情については、「ライド・ザ・ライトニング」のライナーノーツに、音楽評論家の有島博志さんのマーキー出演後のメタリカの取材インタビューが掲載されているので引用する。 

 

”有島さんの、「なぜ、こういう過激な音作りをするの?」という問いに対して、

 

 

ジェイムスが説明する。

 

 

「俺達がMETALLICAをスタートした時、アメリカにはこんな過激な音を出すバンドなんてイヤしなかった。だから、コレだって思ったのさ。それに、こういう音ってやってて気持ちいいんだゼ」

 

 

ラーズが続ける……。

 

 

「理屈や理由なんて要らないんだ。ただ、俺達はこういう音が好きだからこういう音作りをしている。ただ、それだけさ……」

 

2人のそのコメントを耳にした時、何てストレートな連中なんだろう、と心なしか感動したものである。”


 

 

このことは、メタリカの面々がアメリカの、メタル、あるいはロック音楽の時流とは全然関係なしに、ただ単に、自分たちの好きな音楽、ロックを心ゆくまで少年のように純粋に追究しただけだったという事実が伺える。もちろん、売れ線の音楽性、バンドキャラクターから大きくかけ離れているという事実、それは、メタリカの一番最初のスタジオ・アルバム「Kill ’Em All」という血塗りのハンマー、いかがわしく、ホラーチックで、近寄りがたい雰囲気のあるジャケットのアルバムアートワークが象徴している。つまり、このメタリカというロックバンドの出発は、全国区の評判とならず、一部のマニア向けの存在でしかなかった。当時、日本のレコード店でも、大々的に売り出されていたわけではなく、レコードショップの片隅でひっそりと陳列されているような作品であった。つまり、当初、日本では、このメタリカというロックバンドは、いや、もしかすると、母国アメリカでさえも、デビュー当時のスレイヤーのように、メタルマニアしか着目しないような、知る人ぞ知るバンドであったという表現が妥当かもしれない。 

事実、八十年代においてスラッシュ・メタルというのは、きわめてニッチなジャンルでしかなかった。それは後、グラミー・メタル部門を獲得するスレイヤーでさえ、デビューアルバムの発売当時、悪魔崇拝的であるとされ、キリスト教団体からの苦情を受け、1stアルバムはすぐさま発禁処分となり、販売元すら見つからなかったというエピソードがそのことを如実に物語っている。

しかも、このスレイヤーというロックバンドの最初のプロフィール写真もきわめて悪趣味であり、女性の生贄をギャグ的に写し込んだマルキド・サドや澁澤龍彦の描くような耽美的で退廃的な世界観を持ち、いかがわしさとアングラ色が漂っていたことはあまり今では一般に知られていない。

このスラッシュメタル、デスメタル、ブラックメタルの黒魔術的な音楽の要素というのは、70年代のブラック・サバスとオジー・オズボーンの体現させた奇妙で異質なキリスト教観から来ている。 

そして、このメタリカという後のアメリカン・ドリームを体現するロックバンドも、ニッチさアングラさにおいて、ロックバンドとしての駆け出しについては、同時期に台頭したスレイヤー、先輩格にある黒魔術信仰をバンドキャラクターとして打ち出したカルト的なブラックメタルバンド、ヴェノムとさほど大差はなかった。少なくとも、ボン・ジョヴィやエアロスミスのようなハードロック界隈のビッグアーティストとは、その出発点が全然異なるということだけは確実である。

最初のメタリカのメンバーのラインナップは、ジェイムス・ヘッドフィールド(Gt,Vo)ラーズ・ウィリッヒ(Dr)、クリフ・バートン(Ba)、カーク・ハメット(Gt)。クリフ・バートンをのぞいては現在の編成と一緒ではあるものの、最初期の演奏力は、お世辞にも高いとは言えず、現在のような完璧性、他のロックバンドを圧倒するような存在感、超越感はこの時まだ全く感じられない。たしかに、ファースト・アルバムでのギターリフの「ザクザク」という痛快感あるギターリフを聴くかぎりでは、他のバンドより音楽性において秀でている部分もあった。しかし、どちらかといえば、当初、不器用さのあるロックバンドで、B級感のある冴えないグループでもあったのだ。

そもそも、「デビュー前の西海岸でのクラブサーキットも、五十人の動員を確保するのがようやくだった」と、「ライド・ザ・ライトニング」のライナーノーツにおいて、評論家の有島博志さんが綴っているように、メタリカはコアなロックバンドとして出発した。クラブサーキットはドサ回りのようなところから始まり、活動初期において、アメリカ国内で超過密日程のライブを夢中でこなすうち、徐々に地力をつけていった叩き上げの実力派ロックバンドだったのである。  


そして、このメタリカというバンドの人気に最初に火がついたのは、本国のアメリカではなくて、ヨーロッパであった。全米ではまだ知名度の低い時代、デビューから間もない83年のこと。このバンドは、ヘヴィメタル・ファンジンが主催するヨーロッパのツアーを精力的にこなし、一年の間に、めきめきと力をつけ、アクトのヘッドライナーに抜擢される、等の実績を最初にヨーロッパで積み上げていった。

その一番低い、地べたから汗まみれとなり這いずり上がり、ビックアーティストまで一歩ずつ地を踏みしめながらロックの殿堂への階段を上がってきたという実感や誇りが、このメタリカという四人の男たちの最大の結束力を形作り、ちょっとやそっとでは崩折れないプロミュージシャンとしての強みである。もちろん、音楽性についてもメタリカ節と呼ばれるブルージーなフレーズがあるのは、このバンドの泥臭さ、男らしい不器用さからくる哀愁を象徴しているといえよう。 

その後、91年のブラック・アルバムでのビルボード・チャートで打ちたてた200週以上連続ランクインという偉業は、このメタリカというロックバンドの長い歩みを概観してみた際には、ほんのオマケのサインドストーリーにしか過ぎない、といえる。そして、このメタリカの醸し出す、マッチョでスポーティなイメージは、アメリカンロックの基本概念として象徴されるように思える。もちろん、これは、その全く対極にある、アンチテーゼとしての反マッチョイズムを掲げたインディーロックという見過ごしがたい存在があるということを加味した上での話である。


4.メタリカの打ち立てた最初の金字塔 


そして、メタリカの全米のクラブサーキットの成果があってのことか、既に、最初の星を掴む予兆は、セカンド・アルバムのリリースにおいて顕著に現れた。ロックバンドの始まりとしては、マニア向けの限定的な存在でしかなかったメタリカ、米国西海岸のクラブで、五十人の集客を集めるのがようやくだったメタリカは、このセカンド・アルバム「Ride The Lightning」の制作により、急激な変貌を見せ、全米随一のメタルバンドへと成長していく。その間、わずか一年。もちろん、その間に、なんらかの出来事があったはずだが、このエピソードから垣間見える事実は、ファストフードにしても何にしても、アメリカという国は何でも、展開が目くるめく早さで決まるということだ。

このスタジオ・アルバム「ライド・ザ・ライトニング」のレコーディングの直前に、メタリカは、イギリスで華々しいデビューを飾り、ライブ興行を成功させている。今でいうところのワンマンコンサートを、伝説的ライブハウス「マーキー」で開催した。しかし、これはゲリラ的開催で、チケットの手配など、プロモートの面で手抜かりがあった。この悪条件に加え、新聞や雑誌等、メディア告知が思ったほど進捗しなかった。つまり、知る人ぞ知るライブだったはずなのに、「ライブ会場には500人もの観客が集まり、会場の外にも、中に入れない客が百人以上も詰めかけた」というエピソードがこれまた「ライド・ザ・ライトニング」のライナーノーツに見られる。この例から見てもよく分かる通り、メタリカは英国で鮮烈なデビューを飾り、最初、アメリカの国外で知名度を高め、ビッグサクセスへの足がかりにしていったのである。 

本国アメリカではなく、ヨーロッパ、イギリス、海外で、徐々にシェアを高めつつ合ったメタリカは、この好い流れをみすみす逃すことはなかった。彼らは、これらのツアーを成功させたのち、セカンド・アルバムとなる「Ride the Lightning」のレコーディングに入る。 選ばれたのは、アメリカではなく、ドラマーのラーズ・ウィリッヒの故郷、デンマークのコペンハーゲンであった。

  

 

 

これは、当時、もちろん、最初に成功を収めたヨーロッパでさらにリスナー層を増やそうという試みがあり、そして、もうひとつは、当時、人気を博していた北欧メタル勢のような澄明でクラシカルな音を探求しようとし、さらに、また、ひとつは、徐々にアメリカで台頭してきたLAメタル、産業ロックと呼ばれるロックバンドとの差別化を図る。こういった意図も、後付けではあるが、伺えなくもない。つまり、メタリカは、アメリカ国内でのレッドオーシャンではなく、ブルーオーシャンでの格闘を挑んだ。確かに、メタリカの最初期の音楽性は、どちらかといえば、アメリカらしいメタルの風味に乏しく、アイアン・メイデン、ジューダス・プリーストのようなイギリスの硬派なメタルの延長線上に位置づけられる。アメリカでのブレイクは時期尚早と見ての、国外での大きなチャレンジであった。これはよく吟味されたロックバンドとしての秀逸な戦術である。

マーキーでのライブを終えて、コペンハーゲンに飛んだメタリカの四人は、スイート・サイレンススタジオの設立者、フレミング・ラズムッセンをエンジニアに迎え入れ、次作の「Ride The Lightning」の制作作業に入る。メタリカーラズムッセンというタッグは、ボブ・ロックと共にメタルエンジニア界の最強コンビといってもいいはずだ。

この後、両者は良好な関係を保ち、次作の「Master of Puppets」あるいは、「……And Justice For All」でも重要なパートナシップを築くようになり、言わば、盟友のような関係を築き上げていく。

すでに、コペンハーゲンに旅立つ前から、メタリカのメンバーには、このアルバムの着想があり、楽曲の構想を練り上げていたため、難産のレコーディングにならず、実際な期間は判然としないが、メタリカは、二作目のアルバム「ライド・ザ・ライトニング」を短期間で完成させたという。

作品の原題「Ride The Lightning」についても、聖書に因んでおり、また、このアルバムの中の「For Whom The Bell Tolls」はもちろん。ヘミングウェイの小説「誰がために鐘が鳴る」に因んで名付けられたり、この作品は、(次作も同様ではあるが)およそメタリカらしからぬ文学的なイメージが漂う作品である。それは、ひとつ、当時、メタルバンドとして不可欠の要素、音としてのストーリー性を加え、全体的にコンセプト・アルバムとしての方向性を追求しようという意図が伺える。

この中の二曲、「Ride The Lightning」そして「The Call Of Ktulu」には、デビュー・アルバムのレコーディング時に袂を分かったデイヴ・ムスティンが参加し、作曲者としてクレジットされている。ついに、最初は喧嘩別れをしたこの両者は今作において、完全な和解を果たしたことが伺える。 

そして、ファースト・アルバムできわめて無骨で荒々しいメタリカのイメージは、このセカンド・アルバムにおいて最初の変身を果たし、叙情的でドラマティックなツインギターのハーモニクスを追求した美麗なサウンドとなっている。これは、北欧でレコーディングされた影響を受け、メタリカの前作品の中で最も叙情的なメロディが感じられる作品となっている。また、内ジャケにおいての写真、雪の上で微笑む四人のメタリカの姿も、今となってはニヤリとさせるものがある。

既に多くのロックファンがご存知のとおり、「ライド・ザ・ライトニング」でアメリカ国内で商業セールス的にも大成功を収めた。ここで、初めて、インディー界隈の知る人ぞ知る存在であったこのマニアックなロックバンドに、アメリカのマネージメント会社、エレクトラ/アサイラム(のちのアサイラムレコード)がメジャー・デビューの話を持ちかけた。この時点で、メタリカの四人はついにメジャー契約という最初の大きな星を、見事に掴み取ってみせたのである。



5.メジャーシーンでの快進撃


続いて、同じようにデンマークのコペンハーゲンで、ライド・ザ・ライトニングの成功にあやかる形でレコーディングされた84年の「Master Of Puppets」も、前作と同じように、フレミング・ラズムッセンを迎え入れ制作された。これは、前作「ライド・ザ・ライトニング」の勢いや流れをそのまま引き継ごうという、アサイラム・レコードの選択は、結果的に大成功を収めたといえる。 

 

 

  

そのことを証明付けるのは、このアルバム「Master Of Puppets」から、後のメタリカの重要なライブのレパートリーとなるロックの金字塔「Battery」「Master Of Puppets」といった名曲が二度目のコペンハーゲンでのレコーディングで誕生したことからも分かる。また、このセカンドアルバムは、前作の北欧メタルとしての抒情性、物語的な雰囲気、キリスト教的な概念、くわえてアメリカン・ロックのパワフルさ、ワイルドさが絶妙にマッチしたヘヴィメタルの名品である。

メタリカは、今作「Master of Puppets」で、サウンドプロダクションの面でも大きな飛躍を見せ、初期の無骨なメタル、二作目のメロディアスなメタル、この両要素を見事に融合させた。そして、ツインリードギターをはじめとする楽曲性、流麗さもありつつ、儚げな印象のある前作に比べ、アルバムの全体の印象としては、力強く存在感のある、ド迫力の大スペクタルを築き上げた。

今、聴いてもなお、二作目と三作目の作品の出来の相違は顕著であり、メジャーに移籍した恩恵を受け、レコーディング費用を以前よりも捻出できるようになったのが、よりサウンド面での進化をもたらしたように思える。つまり、資金面での心強さというのが実際的なレコーディングの音の良さ、張りにも素晴らしい影響を及ぼしたといえる。そして、このアルバムにおいても、メタリカの最初の音楽上の動機、「自分たちのやりたい音をやるだけだ」という、単純なメタリカイズムは、やはり失われずしっかりと受け継がれている。その延長線上において、メタリカは、「メタリカ節」と称されるひねくれたようなブルージーで渋みのあるメロディを完成させたのである。これは、後に、どれだけ、彼ら自身の音楽性が変えようとも、ミュージックシーンがどれほど変容しようと、不変のメタリカの核、つまり、強固な信念のごときものであった。

そして、このあたりから、徐々に音楽性としても変化が見られ、北欧メタルの後追いではなく、もちろん、モーターヘッドやヴェノムのようなマニアックなロックンロールでもなく、世界で唯一、メタリカしか生み出し得ないフレーズ、独特なねじれるような旋律、電子音楽で言えば、ブレイクビーツに属するようなひねりのあるリズム性がこの作品を機に表れるようになる。これはしかし、突然に出てきたものではなくて、初期からのたゆまざるクラブサーキットの成果から引き出された努力の賜物なのである。

つまり、このロックバンドは自分たちの好きな音と誰よりも長く付き合いを重ねた後、自分たちしか出来ないロックスタイルを完成させた。そして、この四人は、デビューからわずか一年という短期間で最大の成果を挙げた。スラッシュ・メタル、いや、ロックの殿堂入りとして後世に語りつがれる今作「Master Of Puppets」'84で、メタリカはアメリカンロックの頂点に上り詰めたのである。

その後も、メタリカの快進撃は引き続いた。「……And justice For All」は、再び、ラムヘッセンをエンジニアに迎え入れてレコーディングされ、この初期三部作「ライド・ザ・ライトニング」「マスターオブパペッツ」「ジャスティス・フォー・オール」の物語は完結するわけである。このアルバムがリリースされた年代を見ると、LAメタル、産業ロックと呼ばれるグラム・メタル勢、ガンズ・アンド・ローゼズ、スキッド・ロウといったロックアーティストのシーンへの台頭を尻目に、メタリカは、これらの面々と異なる独自のメタルロードをひた走り、着実に地盤を固めていく。

時代は、アメリカ全土において、華やかな存在としてのロックの最盛期にあたり、けばけばしい化粧を施したグラムメタル勢が無数に台頭する。しかし、ご存知のようにそれらの燦然たる輝きは、他の年代のロックシーンと比べて際立っていたのは事実ではあるものの、それほど長く続かなかった。

そんな中、メタリカは、結成当初からそうであったように、これらのシーンの流行には一瞥もくれず、独自の音楽性を追求し、メタリカサウンドをより強固なものとしていく。もちろん、これらのグラム・メタル勢、ガンズ・アンド・ローゼズのようなハリウッドやLAを拠点とするアーティストの台頭の強烈な追い風を受け、八十年代終盤から九十年代初頭にかけて、メタリカはさらに強固なメタルバンドとしての地位を踏み硬め、それを不動なものとしていったのは確かである。

このマンチェスターの八十年代を思わせる、LAを中心にしたアメリカの全土を席巻したロックムーブメント。これは数年間、異様なほどの熱狂を見せた。彼らの時代は終わりが来ず、永遠に続くものと思われたが、しかし、そうはならなかったのである。

 

 

6.メタリカの苦境、そして、生き残りのための模索


やがて、九十年代に入ると、これらのLAの産業ロック、所謂、上辺の華やかさを売りにしたパーティー・ロックは急激に衰退していく。経済も物理と原理は同じで、飽和しすぎたものは必ず最後は萎んでいく運命にあるのかもしれない。これは、アメリカ国内で、ひいては、一時的な好景気、世界経済の成長を受けて起こったムーブメントだったように思える、数々のメガヒット、グラミー、そして、ゴールドディスク。数々の名誉がこれらのミュージシャンの頭上に降り注いだ。

それは最も幸福な時代を象徴するようなものであったか、アメリカの音楽産業は最も美味みのある時代を迎えつつあり、この流れは、八十年代の終わりにかけて急激に進んでいった。この年代から、本来、脚光を浴びないはずのアーティストも、続々とオーバーグラウンドに引き上げられていく。これは、音楽産業自体が、柳の下のどじょうを狙うべく、有望なロックバンドを探してきて、作品リリースを行ったからである。しかし、この華やいだムーブメントは、後にインディーズシーンのロックンロールに覇権を奪われ、アメリカの音楽シーンで急速な衰退を見せるようになる。

ヘヴィ・メタル音楽の衰退は、グラムメタルの衰退、そして、シアトル、アバーディーンのグランジの台頭に相携えて始まった。 

このサブ・ポップを中心としたインディーズ・ムーブメントの凄まじい台頭は、アメリカのロックシーンの全貌を完全に一変させてしまったと言える。マイケル・ジャクソンを米ビルボードの一位から引きずり落としての「ネヴァーマインド」の大成功、これはゲフィン・レコードの最大のマーケティングの成功でもあるが、これは、アメリカ全体のロックシーンを揺るがす出来事であった。

そして、この辺りから、八十年代のアメリカを席巻したヘヴィ。メタル音楽の熱狂は、見る影もなくなり、一部のアーティストを差し引けば、ほとんど草の根一本も生えぬほど燦燦たる状況になりかわっていった。それまでチャートを席巻していた華々しいロックミュージシャンたちは、急激に一般的なファンの求心力や興行面での動員を失い、何らかの面で、プロモーション、ファッション、また、音楽性においての路線変更を余儀なくされた。その過程で、音楽面において流行に乗る、という安易な路線変更を試みようとした多くのロックバンドは、シーンのトレンド、流行に乗ろうとしたために、かえって皮肉なことに、その後、急激な凋落、没落を見せていったのである。 

しかし、この90年代の流れは、それまで数々のメタルの金字塔を打ち立ててきたメタリカとても全然無関係ではいられなかったように思える。グランジの台頭を予感したように、その前年にリリースされた「Metallica」通称ブラック・アルバムにおいて、このロックバンドは、アメリカの急激な変化を嗅ぎ取ってか、その音楽性において僅かな変貌を見せている。また、後になってのオーケストラとの共演を図る地盤作りという面での出来事は、ハリウッドのアクション映画音楽を数多く手掛けるマイケル・ケイメンが「Nothing Else Matters」のストリングスアレンジに参加していることだろう。 

 

 

 

このブラック・アルバムから、メタリカは徐々にモデルチェンジを企図し、それまでのスラッシュ・メタル路線の音楽性を引き継ぎながら、独特なアメリカン・ロック色、そして、ブルースに対する傾倒を見せるようになっていく。これは狙ってのことか、そうでないのか定かではないものの、この最もロックシーンで売れたアルバムにおいて、彼らは、ひっそりと、その音楽の潮流を読むかのような器用さを見せ、そして、その後の年代への方向転換を虎視眈々と模索していたのである。

それは、このアルバムの一曲目「Enter Sandman」というこれまた彼らの代名詞的な楽曲によく現れ出ている。

表面的には、ヘヴィメタル音楽としての色は受け継ぎつつも、ここにはなにか、異質な本流のアメリカン・ロックの系譜にあるヘヴィロックの音楽性の萌芽が見られる。そして、どことなくグランジの台頭を予感させるダークさも具備しているのは驚く。つまり、今作において、メタリカは既にその潮流に準じて、スラッシュメタルから別の音楽性への変更の機会を伺っていたともいえる。

そのあたりの初期のスラッシュ・メタル、そして、中期からのアメリカン・ロックという二つのジャンルの架け橋となったのがこの重要なブラック・アルバムという作品の本質であり、これが最も飛ぶように売れたという事実は、まるでアメリカ全体のシーンの流れの変化を象徴づけるようなものだった。

そして、ここでのメタリカの新たな境地へのチャレンジは、他の多くのバンドが凋落していく中で、このバンドをシーンでタフに生き残らせる要因となった。しかし、このブラック・アルバムのリリースの後、スタジオ・アルバムとしては五年という長い期間が流れているのを見ればよく理解できる通り、メタリカの「メタル・ロード」は一筋縄ではいかなかった。この五年は、メタリカという音楽、バンドの形質を変化させるような長年月であったことは確かである。

 

ここに、90年代初頭に起こったアメリカの急激なシーンの変化の中で、五年間、ライブを続けながら、現代の流行から取り残されぬようにたえず模索を続け、生き残るすべを探し求めていた四人の様子がまざまざと伺えるのである。

 


7.大きな変革の時代


そして、事実、ほとんど一夜にして、アメリカのロックシーンがヘヴィ・メタルからヘヴィ・ロックへと完全に推移した。この九十年代から、これまでの音楽性とは異なるロックバンドが出てくる。 

グランジ、ラップメタル、ニューメタル、、、そのジャンルの多さは、これまでの停滞をぶち破るべく立ち現れたあざやかな新風といえる。

アリス・イン・チェインズ、サウンドガーデン、そして、ナイン・インチ・ネイルズ、レッド・ホット・チリペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、メタリカの王座を背後から虎視眈々と狙い、首座を脅かす存在は多かった。そして、この年代において、メタリカは、それまでのスラッシュ・メタルバンドとしては、ロックの王座に座りつづけることはきわめて困難であるように思えた。頑固一徹、スラッシュメタルという音楽を貫いて、成功したのは、皮肉にも、デビュー当時に最初に発禁処分を受けたスレイヤーで、これは少し妙な言い方になるかもしれないが、それまで溜め込んでいた運のようなものが、ドッと表側に溢れ出したというような感じで、特殊な事例であることは確かだ。元々、マニアックなインディーズバンドが後年にメジャー契約を取り付けた恩恵を受け、ようやくスターダムに上り詰めたという稀有な事例である。

80年代から活躍していたロックバンドが、急激なシーンの変化に対応できず、次々とスターダムから振り落とされていく中、それは後のガンズ・アンド・ローゼズの長い迷走を見ればおわかりのお通り、ほとんどのハードロック/メタルバンドが逃れられなかった運命である。しかし、このメタリカだけは、その座を完全に追われることはなかった。それは、五年という期間を経て発表された次作の「LOAD」において、メタリカは別のロックバンドとして復活を果たすことにより、他の多くの80年代のロックバンドのようには凋落せず、すんでのところで生きぬくことに成功したのだった。つまり、メタリカが他のロックバンドと違うのは、それまで背後に積み上げてきた「功績」「名誉」を捨て、一から出直すことを決意し、前に進みつづけ、モンスターロックバンドとして生き残ることに成功したのだった。そして、このときの選択こそ、最終的には、このメタリカが全米を代表するロックバンドとして不動の地位を獲得した要因でもある。

この96年の「LOAD」において、メタリカは、以前からのファンをある程度失望させるような決意で、表向きのバンドとしてのキャラクターにしても、音楽性にしても、信じがたい変革を巻き起こす。 五年という期間、ベーシストを入れ替え、彼らは既に往年の少しもさいところのあるスラッシュメタルバンドからスタイリッシュな様変わりを試みた。それまで胸の近くまで伸ばしていた髪を短くし、そして、ひげを蓄え、ワイルドかつアウトローなイメージを前面に押し出す。これはどことなくコッポラが描き出すようなイタリアンマフィアのダンディズム、いかにも見てくれは悪い男ではありながら、クールな魅力を持つワイルドな男たち、という独特な洗練された悪漢の雰囲気を、ロックミュージシャンのキャラクターとして体現、確立させたのである。  

 

 

  

この時点で、新星メタリカが誕生した。振り返ってみれば、この1996年に、メタリカの未来の成功が完全に担保されたのである。アルバムの内ジャケット写真には、ワイングラスを傾ける見違えるようなメタリカの悪漢的な雰囲気が伺える。俺たちは、他のバンドと違い、最も泥臭いバンドであり、不器用でありながら、最もクールな男たちである、そんなふうに、バンドイメージとして新たな戦略を打ちだしてみせた。これは、八十年代のメタリカとは別のロックバンドとして再生した決意表明、つまり、ミュージック・シーンに対して突きつけたふてぶてしさのある挑戦状といえる。ここで、メタリカはあえて前進することにより、この難面を乗り越えようとしたのだった。この思い切りの良い転身は、ヘッドフィールド、ウーリッヒ、ハメットというオリジナルメンバーがもたらした凄まじい改革だった。これは、音楽性においても功を奏し、アルバムの一曲目「Ain't My Bitch」「2✕4」という楽曲を聞けば分かる通り、初期の音楽性からは全く想像だにできない、ブルースの色の強い激渋のロックバンドに変身を果たしている。

しかし、この音楽性の顕著な変化は、流行に乗ったということではない。それは、最初期の音楽性にあるひねくれたようなメタリカらしいメロディー性「メタリカ節」は、ここでも引き継がれているからである。そして、このときの思い切った決断は、賛否両論を音楽シーンに巻き起こすことに成功した。

「LOAD」は、如何にも悪漢、黒人でなく、白人としてのギャングスター的雰囲気に満ちみちているが、その中にも、グランジの静と動、アメリカン・ブルースを受け継いだ形の「Hero Of The Day」といった美しいロック・バラードの名曲も収録されていることは見過ごせない点である。八十年代からのスラッシュ・メタルのスターから華麗なる転身を果たすというのは、往年の八十年代からのファンを一定数失望させもしたのは事実だったはずだが、その反面、当時のリンプ・ビズキットのような現代のファンからも大きな支持を獲得する要因となったことは確実である。

事実、この音楽性は、九十年代初頭のグランジやミクスチャー・ロックの台頭したシーンの音楽性に非常によくマッチし、そして、ビルボードでのセールス面でも堅調、アメリカで高売り上げを記録した。メタリカのもうひとつ側面、表情を映し出したモンスターアルバムである。ここで彼らは、再度、上位に返り咲いた。つまり、この作品において、メタリカは、前作で売れたからといって守りに入るのでなく、一点攻勢に打って出ることにより、二度目の華々しいブレイクを果たしたのだった。 

それまでのスラッシュメタル路線から、このヘヴィ・メタルではなく、ヘヴィ・ロックバンドとしての道を選択したことが真っ当な判断であったことは、さらなる快進撃、「LOAD」の連作の「RELOAD」、そして、中期の傑作となる「ガレージ・インク」において、同じようなロックバンドとしての醍醐味、モンスターバンドとしての勢いを全然失っていない点からも証明されている。

 


8.全米を代表するロックバンドへの成長、アメリカンドリームの実現

 

メタリカは、このアメリカの九十年代の音楽シーンの目まぐるしい移り変わりに柔軟に対応し、驚くほどの変身を遂げたことにより、当時のシーンから取り残されることなく、リンプ・ビズキットといったバンドの兄貴分としてアメリカのロックシーンでの王座をさらに盤石たらしめていく。

むしろ、このときの思い切った選択により、メタリカは、より、魅力的なロック界のカリスマとして生まれ変わったといえる。そして、メタリカの音楽、そして、「ショーエンターテインメントとしてのメタリカ」が完成したのが、ご存知、1999年リリースされ、後にはこの年の4月の二日間に及ぶ公演の模様が映像作品化される「S&M」、シンフォニー・アンド・メタリカである。 

 

 

 

この作品で、「ダイハード」「007」といったハリウッド名アクション映画を手掛け、また、これまで、ピンク・フロイドやエリック・クラプトン、布袋寅泰、あるいはデヴィッド・ボウイ・ケイト・ブッシュとの共作を持つ劇伴音楽の巨匠マイケル・ケイメンが、メタリカ側に歩み寄り、この一見、実現不可能にも思える計画を持ちかけた。

元来、メタル音楽は、クラシックに近い音楽性を擁しているものの、表向きには、水と油の関係のように思えていた。実際、クラシカルの弦の生音の音量、管弦楽器のドラムとの音域の被り、大掛かりなライブロックサウンドとの音の兼ね合いを考えてみると、エヴェレストの踏破、いや、K2踏破のように、一見したところ、無謀な計画であったように思える。しかしながら、メタリカとマイケル・ケイメンは共に、この高い山をなんなく乗り越えてみせる。ひとつ、この公演が大成功をおさめた要因は、ケイメンがメタリカの音楽に深い理解を示していたからだろうと思う。これまで、先述したように、マイケル・ケイメンは、ブラック・アルバムの一曲「Nothing Else Matters」で制作者として名を連ねている。つまり、メタリカサウンドをレコーディングの際に間近で体験していたことが、このときの計画に良い影響を与えたように思える。 

しかし、実際の公演まで、困難がなかったわけではない。何度も、相当入念なリハーサルを重ね、そして、楽曲の選考がケイマンとメタリカのメンバー間で行われたようである。実際のオーケストラとメタル音楽をライブステージ上でかけ合わせた時、どの音楽がふさわしく、また、どの音楽が共演にとってふさわしくないのか。メタリカのメンバー、とりわけ、ドラマーのラーズ・ウィリッヒとマイケル・ケイマンの間で、何度も議論がかわされた。その結果、クラシカル音楽の風味が強い、一見、この公演にうってつけのように思われるブラック・アルバム収録の「The Unforgiven」は、実際のセットリストから外されることとなった。そして、この過程で、着々とセットリストが組まれていくが、また、このコンサートを成功させるために、もうひとつ難しい問題があった。メタリカの大音量のサウンドの醍醐味を壊さないため、オーケストラの生音の音をどのような編成で演奏すべきかという難題が浮上するのである。しかし、この難局も、マイケル・ケイメンという劇伴音楽の巨匠は、見事に打開してみせた。

それというのは、実際のオーケストラの編成を、フェルベルト・フォン・カラヤン=ベルリン・フィルも真っ青ともいうべき大編成、総勢104名ものサンフランシスコ交響楽団の演奏者を、このライブコンサートに際して組み入れることを決めたのである。要は、ヘヴィ・メタルに負けない大音量を出すため、また、ドラムの音量に負けない弦楽の重厚さを引き出すため、これくらいの総数は必要だったのである。これは、クラシック音楽、ロック音楽、双方に造詣の深いケイマンの名人芸ともいえる音楽史に残る偉業であった。また、メタリカの盟友といえるカナダの音楽界で殿堂入りを果たしているボブ・ロックをプロデューサーに招いたこともこの公演の成功を後押しした。 

METALLICA S&M With Michael Kamen And San Francisco Symphony Orchestra
左から メタリカのドラマーのラーズ・ウィリッヒと指揮者のマイケル・ケイマン

 

1999年4月、二日間に渡って行われたこのサンフランシスコ交響楽団との共演は結果的に大成功を収める。メタリカは、ヘヴィ・メタルと古典音楽の融合、壮大な「メタル・シンフォニー」をマイケル・ケイマンと協力して完成させた。この作品は、メタリカのこれまでのオリジナル・アルバムほどまでにはセールス面で成功しなかったが、アルバムとしてグラミーを獲得し、後に映像作品としても発売される。この作品では、メタリカのサウンド、そして、サンフランシスコ交響楽団の本気の鬩ぎ合いを味わえる。5.1chサラウンドのマルチアングルが取り入れられた画期的な映像作品で、ハリソン・フォード、シュワルツネッガーといったアクション俳優も真っ青になりそうな視覚的スペクタルを体現した。これは、大げさに言い換えれば、「メタル・ミュージカル」というクイーンのロックオペラに次ぐ新ジャンルを完成させてみせたというわけである。

この映像作品を見るかぎりで、よく分かるのは、マイケル・ケイマンがメタリカと共に作り上げたかったのは、単なる音楽のショーではなかった。おそらくそれは、クラシックとロックの橋渡し、そして、新たなアクション立体映像とメタル音楽との融合であり、これまで存在しえなかったエンターテインメントの表現方法を、ケイマンはメタリカの四人と作り上げるべく試みていたのである。

こうして、後の素晴らしい演奏力を誇るようになったからこそ、こんなことをあえていわせてもらうのだが、デビュー当時、ロンドンのマーキーの公演において、チューニングが全然合わない狂った音で演奏していた”最もチューニングを気にしない”メタリカは、デビューから約16年を経て、”最もチューニングを気にする”由緒あるサウンフランシスコ交響楽団と共演するまでに至ったというわけなのである。これは、俯瞰してみると、ちょっとしたユニークな逸話のように思える。もちろん、実際の作品を聞いていただければ理解してもらえるはずだが、この伝説的公演でのメタリカのチューニングは完璧に整っているのだ!!!! 

この1999年から二十年後の2019年、メタリカは再び「S&M2」において、サンフランシスコに新たに開いたアリーナのこけら落としの公演において、このメタリカとサンフランシスコ交響楽団は見事な再演を果たし、大きな話題を呼んだ。この頃、既にマイケル・ケイメンは二千年代の初めに心臓発作で亡くなっているため、残念ながら、一度目の「S&M」での公演のように、サンフランシスコ交響楽団のオーケストラの指揮者として、再度メタリカとライブステージにおいて共演を果たす悲願は叶わなかった。しかし、この四万人以上を動員したライブパフォーマンスは、映像作品としてプロモーションされ、新宿ピカデリーでも上映された作品である。

   

9.メタリカが見た未来のヘヴィ・ロック

 

メタリカはここでついにメタル音楽の最高峰に上り詰めた。しかし、二千年代に入っても彼らの勢いは衰えることはなかった。


ベーシストの再度変更を試みた後の2003年の作品「St.Anger」では、アメリカン・ロックと最初期のスラッシュメタルを融合したパワフルなサウンドに回帰し、さらに新境地を開拓する。最初にはじまったメタリカ流フロンティア精神は、ここでも引き継がれている。この作品は、日本のオリコンチャートでも初登場一位の偉業を果たす。メタリカはついに、メタル音楽を欧米圏だけでなく、日本まで普及させ、ここでも覇権を取り、アジア圏の音楽市場でも不動の地位を築き上げた。 

  

 

  

そして、一応、申し添えておくなら、エアロスミスのようなハードロック勢ならいざしらず、これはヘヴィ・メタルバンドとしては信じがたい快挙である。また、この作品のプロモーションビデオでは、実際の囚人をエキストラとして登場させている。つまり、ここでの「セイント・アンガー」とは、囚人たちの怒りを彼らメタリカが代わりに背に負い、ヘヴィロックとして体現させている。

また、その後も、メタリカのフロンティア精神は、ほとんど無尽蔵ともいうべき強大なエネルギーによって支えられ、全く衰えの兆しを見せなかった。

世界規模のツアーを毎年敢行する傍ら、レコーディング制作も精力的にこなしていき、その傍ら、「Some Kind of Monster」2004「Death Magnetic」2008の二作のスタジオ・アルバムをリリース。そして、この二千年代の最もメタリカの注目するべき作品が、アメリカのシンガーソングライターのカリスマ、ルー・リードとの共作「Lulu 」である。これは、マイルスの名作「Tutu」にかけた作品と思われるが、ここで、メタリカの面々は、ルー・リードの最後の創作性を巧みに引き出すことに成功したのだった。そして、プロフィール写真を見ても分かる通り、ルー・リードは、メタリカの五番目のメンバーというような雰囲気があって感慨深い。 

 

 

 

この作品「Lulu」で、ルー・リードは自身の素晴らしい才覚が全然衰えを見せていないことを証明してみせた。それから、メタリカは、このアメリカのロックの伝説、晩年のルー・リードをメタリカ自身の公演にゲストとして招聘、ルーの名曲「Sweet Jane」を共演する。観客のどよめくようなルー・コール、微笑ましくルー・リードを招き入れるメタリカの四人衆。それから、ルーの演奏をサポートするメタリカの面々。メタリカは、このNYの伝説的なミュージシャンを紹介する際、「ルー・リードという存在がなければ、メタリカも存在しえなかったのだ」と語る。

ここで、往年のロックスター、そして、現代のロックスターのキャラクター性が見事な融合を果たした。「スイート・ジェーン」をメタリカのフロントマンとして演奏するルー・リード。これが最後の公の演奏になったのではなかったろうか? ここで、メタリカはついにルー・リードと協力し、ディランの先にある「フォーク・メタル」を完成させる。この例から見ても分かる通り、メタリカという存在は古くからのすべてのインディーミュージックを咀嚼した上で、それをクールにヘヴィ・メタル音楽として再現させた。彼らはまさにアメリカンドリームの体現者であったのだ。

それは、ファンとしての贔屓目に言ってみれば、メタルの伝道師というように喩えられるかもしれない。それは彼らがこれまでの作品において、多くキリスト教の概念を楽曲のストーリーの中に込めてきたからでもある。なおかつ、もうひとつ、この四人の男たちが最も神から愛されたロックミュージシャンだからでもある。これまでのメタリカが、四十年近いキャリアを全力で駆け抜けてこられた、そして、もちろん、これからも同じである要因を探るとするなら、それは、「最初の自分たちの好きな音を演奏する」という動機が今なお継続されているからだろう。

 

実に、子供のような無邪気さを惜しげもなく、世界に向けて、エネルギーとして全方位に放出する。

これがひとえに、ロックの神様にメタリカがこれまで愛されてきた理由であったのだ。そして、すべての教えの神様と同じように、メタリカもまた、けして、人を選ぶことはない。選ぶ方は常に人であって、神は、人を選ばない。つまり、この四人は、天下人から軍人、罪人にいたるまで、全人類にメタルミュージックを介し、大いなる祝福を与えつづけた列聖「セイント・アンガー=怒れる聖人」なのである。

  


さて、最後に、性懲りもなく、最初の話題に戻るとしよう。メタリカの四十年近いキャリアの中で歴代最大の売上を記録した「Metallica」。

通称、ブラック・アルバムのボックスセットが、来る9月11日にリリース予定となっている。輸入盤ではあるものの、あらためて、メタリカファン、いや、メタルファンとして、再注目するべきリイシュー盤である。また、追記として、彼らのボックスセットに対抗するような形で、メガデスが、ライブ・アルバム「Unplugged In Boston」を、ひっそりリリースしている。これはまさに、メタリカとメガデスという一から二に分離した関係が、デビュー時の因縁から始まったように、奇妙なライバル関係を現在まで保ちつづける証左といえよう。

デイヴ・ムスティンは、そもそも、本当に、メタリカを赦しているのか?? それはわからないことだけれども、すくなくとも、この二つのロックバンドの音楽を介しての熾烈なメタル・バトルからは今後も目が離すことが出来ないはずだ。おそらく、このメタリカ、メガデスの間で、常に繰り広げられるWWEのマクマホンも真っ青のメタル・バトルはまだ引き続いている。ああ、そのバトルは、ヘヴィ・メタルという世界一クールなジャンルがこの世に存在しつづけるかぎり、永遠に終わることはないのだ!!

 

Kitty Craft 



キティ・クラフトのバイオグラフィを紹介しておくと、1990年代に活躍、アメリカ、ミネアポリスを拠点に活動していたPamela ValferのソロDJプロジェクトで、知る人ぞ知るトリップ・ホップ、ブレイクビーツ、ダウンテンポ周辺のアーティストで、マニアックですが、素晴らしいアーティストです。

1994年にセルフタイトル「Kitty Craft」のカセットテープをオーストラリアのToytownという伝説的なレーベルからリリース。

当初、4トラックでのシンプルなトラックメイクを行っていましたが、1997年から8トラックに増やして、トラックメイクするようになった。今の16トラック以上のミックス作業が主流の時代において、少しだけしょぼく思えるかもしれませんが、実際、そのあたりのチープ感を補う才覚、鋭さというのがトリップ・ホップ周辺の音の醍醐味でしょう。

1999年と2000年には二度、来日を果たしているアーティストですが、リリースとしては、2000年の「Catskills」以来、活動を休止しています。今回は、「Catskiils」については言及しませんが、オシャレ感のある作品としておすすめ。

Pamela Valferは、これまでの未発表楽曲を再編集した「Lost Tapes」を2020年にリリース。そして、追記すべきなのは、何と、この作品には日本人アーティスト、劇伴音楽のフィールドで活躍する青木慶則氏がこの作品のリミックス作業に参加。つまり、日本にも少なからず関係性の見いだされるアーティストです。

 


Kitty Craftは、トリップ・ホップ、ダウンテンポの系統にカテゴライズされるものの、この括りから想像される音楽からはかけ離れているのが実情です。キティ・クラフトの音楽性をかいつまんでいうと、いかにもアメリカの90年代のインディー・ポップらしい素朴で温和な雰囲気が漂っています。これは、Valferがトラックメイクとして作製したいのは、実は、ヒップホップと言うより、インディー・ロックやローファイ寄りなのかなあと思います。

本来は、三、四人のバンド編成としてやるべき音楽を、ひとりで、宅録によって、DIY的に、ハンドクラフトでやってしまおうというような感じ。もちろん、Valferは、DJとして名乗っているものの、彼女の音楽を聴いて分かるのは、少なからず、スコットランド周辺のギター・ポップ、ネオ・アコースティックといったジャンルに造詣が深いように思われます。The Pastelsの音楽性に近い雰囲気を持ったアーティストです。

トラック自体の作り方は、ワンフレーズをループさせて繋いでいく、というラップの基本的なスタイルをとり、そこに、スポークンワードというより、普通の親しみやすいポップソングが心地よーく乗ってくる。

また、逆再生等の特殊な技法も駆使されているあたりは、テクニカルなトラックメイカーとしての表情も伺わせ、楽曲自体のアプローチは、インディー・ロック的な雰囲気がふんわり醸し出されている。

トラック自体の作り方はヒップホップ寄りであるのに、それがValterの歌声により聞きやすいポップソングとして昇華されている。その辺が普通のヒップホップと異なり、クロスオーバーもののヒップホップとして楽しんでいただけるでしょう。 

とりわけ、キティ・クラフトの音楽は、サンプリングの選び方が絶妙で、音楽通らしいのは、このサンプリングを聴くだけで容易につかめるはず。元ネタがちょっとはっきりしないものの、ビートルズっぽいオールディーズ風の音源から、モータウンレコードの激渋の音源まで、R&Bやファンク、クラシック風のフレーズに至るまで、実に多彩なサンプリングを施しているのが面白い。

そこに、アナログシンセサイザーの懐かしい感じのフレーズが楽曲の印象を華やかにしている。次いでに言うなら、キティ・クラフトの音楽は、ヒップホップであるとともに、ファンクR&B、ジャズ、ポップスでもある。それが、なーんとなく、ノスタルジーで、切なーい雰囲気に彩られてます。

サンプリング/リミックス作業も巧みで、レコード再生時のヒスノイズを発生させたり、アナログレコード再生時のじゃりじゃりした質感を出すのに成功。これはデジタルではなくアナログの制作法だからこそ出てくる、渋み、旨みであるといえるでしょう。

さらに、シンセの独特のベースラインが付け加えられ、そこにValferのドリーミーな雰囲気のあるボーカルがゆるく乗るというもの。

デジタル録音では出しえないアナログ盤ならではの音の質感を再現。そして、キティ・クラフトことPamela Vakferの秀逸なメロディセンスから伺えるのは、なんとなく、この人物の温和さ、可愛らしさを体現している気がします。

 

 

「Beats and Breaks from the Flower Patch」 1998

 
 
 

TrackingListing

 
1.Par 5
2.Inward Jam
3.When Fortune Smiles
4.Alright
5.Half Court Press
6.Mama's Lamp(American remix)
7.Locked Groove
8.Down For
9.Shine on
10.All To You
11.Caught High
12.Leave You Breath(Bonus Track)
13.Faultered(Bonus Track)
 


Listen on Apple Music

 

 
これは、アルバムジャケットからして鉄板です。あんまり可愛すぎるものですから、アナログ盤として部屋に飾っておきたい欲求に駆られる作品、それが「Beats and Breaks from the Flower Patch」。

只、ちょっと残念なのは、サブスクでは聞けますが、アナログレコードとしては入手困難になってます。                                  
 
先にも述べたとおり、キティ・クラフトの音楽は、特にインディー・ポップらしいメロディの良さが魅力の一つです。
 
この作品は、特に、ローファイ感がトラックメイクとして味わえる作品です。それから、初めて聴いたときに思ったのは、ノスタルジーな感じに満ちあふれているのが特徴で、Pamela Valferのキュートな歌声、またコーラスによって穏やかで、ふんわりしたような雰囲気に包まれている。

仮にデジタルが冷たさのある音とするなら、この作品で聴かれるのは対照的に、アナログ作業ならではのじんわりと温かみのある音で、デジタル音源のような綺麗さ洗練さはないものの、アナログの音の粗さ、いわゆるプリミティヴな音の質感を味わうにはもってこいと思います。
 
この作品から、キティ・クラフトは、初期からのレコーディング機材を入れ替え、4トラックレコーディングから8トラックレコーディングにアップグレード。今、考えてみると、8トラックというのは、既にビートルズ時代からあったわけで、90年代としてはかなりチープな感じのするトラック数。

しかし、このアルバムに収録されている#1「Par 5」#4「Alright」#5「Half Court Press」そして、#8「Down For」は、Valferの独特でドリーミーなポップセンスが遺憾なく発揮されている。

サンプリングを多用したワンフレーズのループトラックは、妙な癖になりそうな親しみやすさがあるはず。シンプルな構成でありながら、結構、トラックメイキングとしては技巧的であり、最低限のトラック数でもこんなに良い音楽が作れるという好例となりえるはず。
  
近年、IDM界隈でも、ボノボことサイモン・グリーンが語っているように、年々、使用可能な音源というものが膨大になっていくにつれ、音源の方に使われるアーティストが増えているんだそうです。

つまり、使いこなすべき音源に使われてしまう、選ばれてしまう、という電子音楽家としての矛盾があるようです。また、こういったサイモン・グリーンの発言には、スクエアプッシャーのトーマス・ジェンキンソンも同じような趣旨のことを語っています。

必ずしも、使用出来る音源が多い制作環境にあることや、高額の録音機材を他のアーティストよりも数多く所有することは、良質なトラックを作るための好条件とはならないらしい。つまり、シンプルで安価な機材でも、どころか、8trackのマルチトラックレコーダーのような安価な機材であっても、自身の頭を駆使し、アイディアをひねり出せば、良い音楽を生み出すことが出来る。
 
その点で、このキティ・クラフトは、昨今の電子音楽家だったり、あるいは、DJの悩みともいえるサンプリング音源、シンセ音源の多さに時間を取られる陥穽にはまり込むもなく、最低限のトラック、サンプラー、シンセというレコーディング機器を通し、ハンドメイドの音をじっくり真心を込めて作成している。その辺りが、キティ・クラフトの音の温かさ穏やかさを生み出している。
 
そして、このスタジオ・アルバムに感じられるValferという人物の素朴さ、朴訥さ、そして、簡素さ。それは、現在の世の中の概念で褒め称えられる美質からはかけ離れているように思えるものの、どの時代にも通用する普遍的な素晴らしい性質でもある。そういったことは、このアルバムを聴くだけでも、自然と伝わってくるでしょう。
 
オートチューン、ボコーダーを効かせた、派手な音楽が近年増えていく中、ふと、こういった穏やかでシンプルな、粗のある音楽が懐かしくなる時がある。必ずしも、完璧性、超越感だけを誇示するだけが音楽の旨みではなく、少し、不完全な部分があったほうがハンドメイドらしくて良いというのが愛好家としての意見。こういった温和な雰囲気のある馴染みやすい音楽というのはマニア好みとはいえ、とても希少でありますから、これからも大事にしていきたいものです。
 
 
現在、音楽活動をしている気配がないキティ・クラフトではあるものの、この一抹の寂しさというのは、「Beats and Breaks from the Flower Patch」の音の温かみが埋め合わせてくれるだろうと思います。次作のアルバム「Catkills」ではより洗練されたオシャレな音楽を味わえますが、ハンドメイド感、音のハンドクラフトとしての出来栄えとしては、こちらの方が上でしょう。
  
今作は、トリップホップ、ブレイクビーツ好きは勿論のこと、ギターポップ、ネオアコ、もしくは、昨今のドリームポップ好きにも是非チェックしてもらいたい、90年代の米インディーの隠れた名盤です。




Happy Listening!!





参考サイト


all music.com





青木慶則HP







 日本のシューゲイズシーンについて



日本のシューゲイザーシーンの注目アーティスト、揺らぎ


2010年代辺りから、魅力的なシューゲイズ・リバイバルシーンが、米国、NYを中心にして活発なインディーズシーンが形成されるようになった。ここ日本でも、同じく、ここ数年、アメリカのシーンと連動するような形で、魅力的なシューゲイザーバンドが台頭している。


そして、80-90’sの英国のインディーミュージック・シーンで発生したこのシューゲイズというジャンルが、日本でも一定の人気を獲得、多くのコアな音楽ファンを魅了しているのは事実である。これは、意外なことに思えるものの、実は、元々、日本のインディーズシーンでは、このジャンルに似たバンドが数多く活躍してきた。 


その始まりというのは、相当マニアックな伝説的な存在、”裸のラリーズ”。このバンドは実に、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインに先駆けて、同じような雰囲気を持つ轟音サウンドをバンドの特質の中に取り入れていた。 


以後、メインストリームに近い存在として例を挙げると、例えば、90年代のスーパーカーは、最初期にパワーポップとシューゲイザーを見事に融合したJ-Pop/Rockを炸裂させていた。それは、彼らのデビューアルバム「Three Out Change」を聞けば理解していただけると思います。また、その後、凛として時雨は、オルタナティヴというより、シューゲイザーに近い苛烈なディストーションサウンドをクールに炸裂させてオーバーグラウンドのシーンで人気を博した。  


しかし、この日本で、イギリスやアメリカのように、大々的なシューゲイズシーンが形成されていたような記憶はあまりない。


近年までは、ロキノン系のロックバンドの台頭の影響を受けて、東京の、新宿、渋谷、下北沢においては、特に、歌物のオルタナティブ・ロック、また、メロディック・パンクというジャンルがミュージシャンの間で盛んで、その辺りのバンドにそれらしい雰囲気のあるバンドは数多く活躍していたが、シューゲイズというジャンルを旗印に掲げるバンドはそれほど多くは見当たらなかった。


ということは、シューゲイズというジャンルは、これまでメインカルチャーでもカウンターカルチャー界隈でも、リスナーの間ではそれなりに知られているけれど、ミュージシャンとしては演奏する人があまりいなかった印象を受ける。


それはひとつ、MBVという伝説的存在のせいなのか、演奏するにあたって敷居が高い、つまり、あまりお手軽さがないというのが一因としてあって、パンクロックがレスポール一本で音を組み立てられ、フォークではアコースティックギター一本で、音を組みたてられる一方で、このシューゲイズというジャンルは、バンド形態を取らないと再現させるのが難しいジャンルで、ギター・マガジンを毎回読み耽るくらいの音作りマニアでないと、説得力のある音楽として確立しえなかったんじゃないかと思う。


つまり、ギターの音作りをバンドサウンドとして組み立てる面で、コアな知識を必要とするため、バンドとして演奏するのに、ちょっとなあと戸惑うような難しい音楽だったのだ。

 

このジャンルは、これまでオルタナから枝分かれした音楽として日本の音楽シーンに存在していたものの、その音楽性が取り入れられるといっても、音楽マニアにしかわからないような風味の形でしか取り入れられなかった。そして、一部の音楽ファンの間でひそかに愛されるインディージャンルとして、これまでの日本の地下音楽シーンで生きながられてきたという印象を受ける。


ところが、アメリカのシーンの流れを受けてか、日本でもシューゲイズに色濃い影響を受けたロックバンドが、メジャー/インディーズに関わらず登場して来ている。有名所では、羊文学がシューゲイズ寄りのアプローチをJpopの中に取り入れている。そして、近年、音作りの面でメーカーのエフェクターが徐々に進化してきているかもしれず、また、サウンド面でもリマスタリングの段階で、シューゲイズらしい音が作りやすくなっている。その辺のミュージシャン事情が、以前より遥かに音作りの面でハードルが下がり、日本でも、オリジナルシューゲイズの轟音性を再現する、魅惑的なロックバンドが数多く台頭してきた要因なのだ。


このジャンルは、ポストロックの後の日本のインディーシーンのトレンドとなりそうな予感もあり。ここは業界の人がガンガン宣伝していくかどうかにかかっているでしょう。そして、インディーシーンの音楽これらのロックバンドの音楽性の意図には、このシューゲイズというジャンルに、今一度、華々しいスポットライトを浴びせよう、というリバイバルの狙いが込められているのが頼もしく感じられる。これはもちろんニューヨークのインディーシーンと同じだ。 


もちろん、シューゲイズは、それほど一般的には有名でこそないニッチな音楽ジャンルといえるものの、現在、オーバーグラウンドからアンダーグラウンド界隈のアーティストまで、幅広い分布を見せているジャンルであり、十年前くらいから、個性的なロックバンドが続々登場してきている。スター不在のまま他の人はあれをやっているが、俺だけはこれをやる、私だけはこれをやる、というように、個性的なロックバンドが日本の地下シーンを賑わせつづけている。


これが実は、文化というものの始まりで、最後になって、大きな渦を巻き起こすような華々しいムーブメントに成長していくのは、往年のシカゴ界隈とか、ニューヨークのシーンを見てもおわかりの通り。大体のミュージシャンたちが、結成当初、きわめてコアな存在としてシーンに台頭してきたバンドが多いが、徐々にその数と裾野を広げつつある。


あまり大それたことはいいたくありませんが、もしかすると、このあたりのシーンから明日のビックアーティストが、一つか二つ出て来そうな予感もあり、俄然ロックファンとしては目を離すことが出来ませんよ。


今回は、この日本の現代シューゲイズシーンの魅力的なロックバンドの名盤を紹介していこうと思ってます。

 

1.揺らぎ(Yuragi) 「Nightlife」EP 2016


 


揺らぎは、Vo. Gu,Mirako Gt.Synth Kntr Dr. Sampler.Yuseの三人によって、2015年に滋賀で結成。


大阪、名古屋といった関西圏を中心にライブ活動を行っていて、今、現在の日本のインディーズシーンで最も勢いのあるバンド。


これまで四作のシングル、EPをリリースし、そして今年、1st Album「For You,Adroit It but soft」をリリースし、俄然、注目度が高まっているアーティストで、アメリカのワイルド・ナッシングに匹敵する、いや、それ以上の可能性に満ちたロックバンドと言っておきたい。


ここでは、シューゲイズという括りで紹介させていただくものの、幅広いサウンド面での特徴を持つバンドで、デビューEP「Nghtlife」2016では、Soonという楽曲で、アメリカのニューヨークのニューゲイズシーンにいち早く呼応するような現代的なシューゲイズ音楽を前面展開している。

             

また、他のシューゲイズバンドと異なるのは、シューゲイズだけではなく、多くの音楽性を吸収していることである。サンプラー、シンセといったDTMを駆使し、エレクトロニカサウンド、ハウス、あるいはポストロックに対する接近も見られ、とにかく、幅広い音楽性が揺らぎの魅力である。


轟音性だけではなく、それと対極にある落ち着いた静かなエレクトロニカ寄りの楽曲も揺らぎの持ち味で、その醍醐味は「Still Dreaming,Still Deafening」のリミックスで味わう事ができる。マイ・ブラッディ・バレンタインというより、最近のNYのキャプチャード・トラックスのバンドの音楽性とMumの電子音楽性をかけ合わせたかのようなセンスの良さである。


そして、最新作のスタジオ・アルバム「For You,Adroit It but soft」が現時点の揺らぎの最高傑作であることは間違い無しで、ここでは、ポストロック、エレクトロニカ、そして、ニューゲイズを融合させた見事な音楽を体現させている。ときに、モグワイのような静謐な轟音の領域に踏み込んでいくのが最近の揺らぎのサウンドの特徴である。


しかし、現代日本のシューゲイズとしての名盤を挙げるなら、間違いなく、彼らのデビュー作「Nightlife」一択といえるでしょう。このアルバムの中では特に、「soon」「nightlife」の二曲の出来がすんごく際立っている。 ここでは、往年のリアルタイムのシューゲイズを日本のオルタナとして解釈しなおしたような雰囲気があって素晴らしい。


ここでは、まだ、バンドとしては荒削りでな完成度ではあるものの、反面で、その短所が長所に転じ、デビューアルバムらしいプリミティヴな質感が病みつきになりそうな見事のシューゲイズ/ドリーム・ポップサウンドが展開されている。このなんともドリーミー雰囲気に満ちた世界観も抜群の良さ、文句なし。フロントマンのミラコのアンニュイなボーカルも◎、そして、どことなく息のわずかに漏れるようなボーカルスタイルが、他のバンドとはちょっと異なる”揺らぎ”らしいワイアードな魅力である。



2.Burrrn 「Blaze Down His Way Like The Space Show」2011


 


バーンは、2005年に東京で結成された三人組編成のシューゲイズロック・バンド。2007年のミニアルバム「song without Words」でデビューを飾る。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとソニック・ユースにかなり影響を受けているらしく、実験的なシューゲイズバンドというように言える。


シューゲイズのギターのグワングワン、ボワンボワンな轟音の特徴というのはもちろん引き継いでおり、そこにさらに、ドラムのタムに独特なエフェクトがかかっていて、バンドサウンドに巧緻にとりいれられているあたりが面白い。また、さらに、Trii Hitomiのボーカルというのもアンニュイがあって、センスの良さが感じられる。


正直、彼らはこれまで三作品のリリースがありますが、全作品入手が困難です。唯一入手しやすく、またサブスクでも聴けるるのが、このスタジオ・アルバム「Braze Down His Way Like The Space Show」です。


このアルバム中では、独特なドリーム・ポップの旨みがとことん味わえいつくせる、六曲目「Picture Story Show」、最終曲の「Shut My Eyes」が傑出しています。アルバム全体としても、アメリカのニューヨークのワイルド・ナッシングにも似た質感がある。


もちろん、ソニック・ユースから影響を受けているということで、都会的なクールさのある音楽性もスンバラシイ。表向きには、「これでもか!!」というくらい、ド直球のシューゲイズを放り込んできているのが好ましい。しかし、ときに、それよりも音楽性が深度を増していき、ローファイ/ポストロックの轟音性の領域にたどり着いちゃうあたりは、通を唸らせること間違いなし!! 


3.Oeil 「Urban Twilght」remaster  2017

 

 

 

ウイユは、日比野隆史とほしのみつこによって、2007年に結成された東京発のシューゲイザーユニット。 


Bandcampを中心として活動していたバンドで、これまでにアルバムはリリースしておらず、シングルとEPを三作発表しています。もしかすると、幻のシューゲイズバンドと言えるかもしれません。 

 

音楽性としては、イギリスのリアルタイムのシューゲイズムーブメントに触発された音であり、Chapterhouse,Jesus and Mary chain,My Bloody Valentine直系のド直球のシューゲイズを奏でている。音がかなりグワングワンしており、往年のシューゲイズバンド以上のドラッギーな轟音感を持つ。                


「Urban Twilight」は、彼らのデビューEPとしてSubmarineからのリリース。2016年にリマスター盤が再発されている。


おそらく一般受けはしないであろうものの、シューゲイズのビックバンドが不在の合間を縫って登場したというべきか、マイブラ好きには堪らないギターのトレモロによる音の揺らぎを見事に再現。シンセサイザーとギターの絶妙な絡み、そしてほしのみつこのぽわんとしたドリーミーなボーカル、陶然とした雰囲気のあるボーカルを聴くかぎりは、マイブラ寄りのロックバンドといえる。。


このアルバム「Urban Twilight」の中では、一曲目の「Strawberry Cream」の出来が抜きん出ている。往年のシューゲイズファンにはたまらない、涎のたれそうな名シューゲイズです。二曲目の「White」もMBVのラブレスを彷彿とさせるサウンド。


このギターのうねり揺らぎのニュアンスは、ケヴィン・シールズのギターサウンドを巧みに研究していると感心してしまいます。シューゲイズーニューゲイズの中間を行く抜群のセンスの良さに脱帽するよりほかなし。 



4.CQ 「Communication,Cultual,Curiosity,Quatient」2016


CQというバンドの前進、東京酒吐座というバンドを知っている人は、正直、あまりいないでしょう。もし知っていたとしたら、重度のシューゲイズ中毒者かもしれません。


しかし、これはくだらない冗談としても、この東京酒吐座(トウキョウシューゲーザ)というダジャレみたいな名を冠するグループというのは、東京の伝説的なオルタナティヴロックバンドであり、一部界隈に限定されるものの、2010年代近辺にカルト的な人気を誇っていたインディー・ロックバンドである。            


    

その東京酒吐座のメンバーが解散後に組んだバンドがこのCQ。しかし、そういった要素抜きにしても、日本語で歌うシューゲイズバンドとしてここではぜひとも取り上げておきたい。


2010年代の東京のオルタナシーンを牽引していたという自負があるからか、他のシューゲイズバンドと比べ、本格的なロック色が強く、そして、音自体もプリミティヴな輝きを持っている。


そして、日本語の歌詞を歌うことをむしろ誇らしげにし、轟音サウンドを掲げているあたりがかっこいい。アメリカのダイナソーJr.のJ Mascisのような轟音ギターと聞きやすい日本語歌詞が雰囲気が絶妙にマッチしたサウンドで、 独特な清涼感が感じられる。                      

          

既に解散しているCQの作品は、Burrrnと同じく入手困難。唯一、サブスクで聴くことが出来る「Communication,Cultual,Curiosity,Quatient」が、そのあたりの心残りを埋め合わせてくれるはず。 


CQは、オルタナサウンドの直系にあたる音楽性で、最近流行のニューゲイズからは距離をおいているように思えますが、時代逆行感が良い味を出している。


海外には海外のロックがあるが、ここ日本には日本のロックがある、ということを高らかに宣言しているのが素晴らしい。また、純粋に、「日本語で歌うロックって、こんなにもかっこいいんだ」ということを教えてくれる希少なバンドといえる。


札幌のインディーシーンの伝説”naht”、Bloodthirsty Butchersのギタープレイを彷彿とさせ、激烈で苛烈な日本インディーロックサウンドらしい音の質感。誇張抜きにして、ギターの轟音のウネリ具合、キレキレ感、バリバリにエッジの効いたサウンドは世界水準。


また、そこに、日本の歌謡曲の世界観が、風味としてそっと添えられているのがかっこいい。知られざる日本のオルタナロックの名バンド。 



  5.宇宙ネコ子 「君のように生きられたら」 2019

  

 


この宇宙ネコ子というのは、バイオグラフィにしても、また、詳細なプロフィールにしても謎に包まれている。


おそらくこれからも、この謎が完全解明されることはないでしょう。ここで紹介できる記述は、神奈川県のインディーロックバンドであるということ、メンバー構成も常に流動的であり、まるで、サッカーのフォーメーションのような柔軟性。常に何人で、というこだわりがなく、三人であったか思うと、五人まで膨れ上がり、かと思うと、現在は二人のユニット構成となっている。               

 

作品中のコラボレーションの相手も慎重に選んでおり、慈恵医大出身という異色の経歴を持つ宅録ミュージシャン、入江陽、あるいは、ラブリーサマーちゃん、度肝を抜かれるようなアーティスト名がずらりと並んでおり、正直面食らいます。しかし、何故か、妙に心惹かれるものがある。そして、あまり表側に出てこないバンドプロフィール情報というのも、この膨大な情報化社会の中にひとつくらいあってはいいかなと思うのは、多分、B'zのマーケティングの前例があるから。ツイートにしても、基本的に謎めいたワードを中心に構成されているのはニンマリするしかなく、これは、狙いなのか、天然なのか、いよいよ「謎」だけが深まっていく。 


しかし、こういった謎めいた要素を先入観として、この宇宙ネコ子のサウンドを聴くと、その意外性に驚くはず。表向きのイメージとは異なり、本格派のミュージシャンであるのが、このアーティストである。 


しかも、ポップセンスというのが際立っており、往年の平成のJ-pop、もしくはそれより古い懐メロを踏襲している感じもある。そして、Perfumeであるとか、やくしまるえつこのようなテクノポップ、シティポップからの影響も感じられる、奇妙でワイアードなサウンドが魅力。


そして、どうやら、宇宙ネコ子は、DIIVを始めとする、NYのキャプチャードトラックのサウンドにも影響を受けているらしく、相当な濃いシューゲイズフリークであることは確かのようです。そして、どことなく、JーPopとしても聴ける音楽性、青春の甘酸っぱさを余すことなく体現したような歌詞、切ない甘酸っぱいサウンドが、宇宙ネコ子の最大の魅力といえる。


宇宙ネコ子は、これまで、”P-Vine”というポストロックを中心にリリースするレーベルからアルバムを二作品発表している。


「日々のあわ」も、良質なポップソングが満載の作品ではありますが、最新作「君のように生きられたら」で、宇宙ネコ子はさらなる先の領域に進んだといえる。


一曲目の「Virgin Suscide」は、日本のシューゲイズの台頭を世界に対して完全に告げ知らせている。ここでは、他に比肩するところのない甘酸っぱい青春ソングを追究しており、そこに、シューゲイズの轟音サウンドが、センスよく付加される。歌詞の言葉選びも秀逸で、手の届かない青春の輝きに照準が絞られており、この微妙な切なさ、甘酸っぱさは世界的に見ても群をぬいている。 


ニューヨークのシューゲイズリバイバルシーンに対し、J-Popとしていち早く呼応した現代風のサウンド。ジャケットのアニメイラストの可愛らしさもこのユニットの最大の醍醐味といえる。 

 

6.Pasteboard 「Glitter」

 

 

 

現在の活動状況がどうなっているのかまではわからないものの、オリジナルシューゲイズの本来のサウンドを踏襲しつつ、現代的なサウンドを追求する埼玉県にて結成された”Pasteboard”というロックバンドである。


このPasteboardは、近年アメリカで流行りのクラブミュージックとシューゲイズを融合させたニューゲイズサウンドに近いアプローチをとっているグループ。そして、渋谷系サウンド、小沢健二、フリッパーズ・ギター 、コーネリアスの系譜にあるおしゃれなサウンドを継承している面白いバンドです。 


この渋谷系(Sibuya-kei)というのは、英語ジャンルとしても確立されている日本独自のジャンルで、シティポップと共に、アメリカでもひっそりと人気のある日本のポップスジャンルで、他の海外の音楽シーンにはない独特なおしゃれな音の質感が魅力だ。


Pasteboardは、日本語歌詞の曖昧さとシューゲイズの轟音性の甘美さを上手く掛け合わせ、日本語の淡いアンニュイさのある男女ボーカルの甘美な雰囲気を生み出すという点で、どことなくSupercarの初期のサウンドを彷彿とさせる。


シングル盤が一、二作品。コンピレーションが一作、アルバムがこの一作と、寡作なバンドでありますが、特にこの「Glitter」という唯一のスタジオ・アルバムは渋谷系のような雰囲気を持つ独特な魅力のある日本シューゲイズシーンの隠れた名盤として挙げられる。

 

 7.LuminousOrange 「luminousorangesuperplastic」 1999 


 

 

最後に御紹介するのは、日本のシューゲイズシーンのドンともいえるルミナスオレンジしかないでしょう。


ルミナスオレンジは、1992年から横浜を中心に活動していますが、最も早い日本のシューゲイズバンドとして、この周辺のシーンを牽引してきた伝説的存在。イギリスのChapterhouse,Jesus and Mary Chain,といったシューゲイズバンドの台頭にいち早く呼応してみせたロックバンドであり、女性中心の四人組というメンバー構成というのも目を惹く特徴です。  

1999年の「luminousorangesuperplastic」は、今や日本シューゲイズの伝説的な名盤といえ、非常にクールな質感に彩られた名作でもある。ここで、展開されるのは、マイ・ブラッディ・バレンタイン直系のジャズマスターのジャキジャキ感満載のプリミティヴなサウンドであり、今、聞いても尖りまくっており、しかも、現代的の耳にも心地よい洗練された雰囲気に満ちている。 


ツインギターの轟音のハーモニーの熱さというのはメタルバンドの様式美にもなぞらえられ、硬派なロックバンドだからこそ紡ぎ得る。また、そこに、疾走感のあるドラミング、小刻みなギターフレーズのタイトさ、ベースの分厚い強かなフレージング、これは、シューゲイズの目くるめく大スペクタルともいえ、あるいは、コード進行の不協和音も、ポストロックが日本で流行らない時代において、当時の最新鋭をいっている。 


さらに、そこに竹内のボーカルというのも、クールな質感を持つ。アナログシンセのフレージングというのもオシャレ感がある。また、ルミナスオレンジのサウンドの最大の特質は、変拍子により、曲の表情がくるくると様変わりし、楽曲の立体的な構成を形作っていくことである。このあたりの近年の日本のポストロックに先駆ける前衛性は、他のバンドとまったく異なるルミナスオレンジの最大の魅力である。表向きの音楽は苛烈で前衛的ではあるものの、メロディーの良さを追求しているあたりは、ソニック・ユースとマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの性質を巧みにかけ合わせたといえる。


おそらく、世界的に見ても、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(MBV)に対抗し得る日本の唯一モンスター・ロックバンドであることは疑いなし。


MBVに全然引けを取らないどころか、そのポップセンスの秀逸さという面でまさっている。付け焼き刃ではない轟音感と甘美なメロディー、硬派なロックバンドならではのクールさを併せ持つシューゲイズサウンドは、シューゲイズ界隈が賑わいを見せている現在だから再評価されるべきである。


 Sharon Van Etten・Angel Olson 



今週は、先週のアンノウンモータルオーケストラに引き続いて、魅力的なシングル盤を御紹介しようと思います。

この作品は、 今、アメリカの女性シンガーとして最も注目されている二人、シャロン・ヴァン・エッテンとエンジェル・オルセンという二人の共作という形で、オリジナルバージョンが2021年5月、続いて、アコースティックバージョンが8月のシングル盤リリースされています。

肝心の作品について触れる前に、インディーズシーンで活躍するこの二人の女性シンガーのバイオグラフィについて簡単におさらいしておきましょう。


 Sharon Van Etten


シャロン・ヴァン・エッテンは、インディーロックシンガーとして、米、ニューヨークのブルックリンを拠点にミュージシャンとして活動している女性ミュージシャンです。2009年に、Drag Cityの傘下に当たる「Language Of Stone」から、「Because I Was In Love」でデビュー、これまでに六作のスタジオアルバム、二十作を超えるシングル盤を発表している実力派の女性シンガーソングライターです。

ヴァン・エッテンは、米インディアナ州のインディーレーベル、「Jagujaguwar」を中心に作品を発表していて、このレーベルを代表する存在といえるでしょう。 

ヴァン・エッテンは、これまでの二十一年のキャリアにおいて、音楽家にとどまらず、多方面の分野で目覚ましい活躍をして来ています。

中でも、女優としての顔を持つ彼女は、Netflixのアメリカのテレビドラマ「The OA」、デヴィッド・リンチ監督の名作「ツイン・ピークス」の新バージョンへの出演等、女優としても、近年、注目を集めているマルチタレントといえそうです。 

また、シャロン・ヴァン・エッテンは、ニューヨークのレコード会社のスタッフとして働き、新人発掘も積極的に行い、文化的役割も担っている。もちろん、歌手としての実力は、アメリカの音楽シーンでも随一で、癖がなく、透き通るように清らかな声質が魅力です。もちろん、音楽についても、ロック/ポップスだけでなく、インディーフォーク、ソウル、R&Bと、多種多様なバックグランドを感じさせるアーティストです。

 

 Angel Olson


一方のエンジェル・オルセンは、イリノイ州シカゴを拠点に活動する女性シンガーソングライターです。ヴァン・エッテンと同じく、「Jagujaguwar」を中心として作品のリリースを行っています。

近年、アメリカとイギリスで、人気がうなぎ登りの女性シンガーソングライターで、特に、音楽メディア方面からの評価が高いアーティストでもある。なぜ、そのような好ましい評価を受けるのかは、ひとえに、エンジェル・オルソンの異質な存在感、頭一つ抜きん出たスター性、センセーション性に依るといえ、ド派手な銀色のウィッグを付けて、プロモーションビデオに登場したり、あるいは、作品のコンセプトごとに、ミュージシャンとしてのキャラクターを見事な形で七変化させる、器用で見どころのあるアーティストといえるでしょう。

エンジェル・オルソンは、レディ・ガガというより、それより更に古い、グラムロック界隈のミュージシャン、プリンス、マーク・ボラン、デヴィッド・ボウイといったビッグ・スターの再来を予感させるような雰囲気があり、そのあたりに、アメリカ、イギリスの音楽メディアは、この類まれな才覚を持つオルソンに対して、大きな期待を込めているように思えます。

実際の音楽性についても、トラック自体が綿密に作り込まれていて、長く聴くに耐える普遍性を兼ね備えています。

シンセ・ポップやAOR,グラムロック、と、様々な音楽性を併せ持つ点では、ヴァン・エッテンの音楽性と同じような特質を持つものの、どちらかといえば、エンジェル・オルセンの方がアクが強く、近年のアメリカのポップス界隈では特異な存在といえるでしょう。実際の歌声についても、普通の声質とは少し異なる音域を持つのがオルセンであり、特に、高音の伸び、ビブラートの仕方が独特で、シンディー・ローパーの初期の歌声に比する伸びやかなビブラート、そして、キャラクターの強さを併せ持つ個性的なシンガーといえそうです。これから、もしかすると、グラミー辺りにノミネートされたり、又は、受賞者となっても全然不思議ではない気配も漂っていますよ。 

それでは、今回、2021年の5月と8月にリリースされた2バージョンの「Like I Used To」という作品の魅力について簡単に触れていきましょう。


 

 「Like I Used To」 Sharon Van Etten・Angel Olson 2021


 


 1.LIke I Used To  

 

元々、この作品のリリースの経緯については、シャロン・ヴァン・エッテンが中心となって行われたプロジェクトのようです。

実際のところは、「Jagujaguwar」のレーベルメイトとして、長く共にこのレコード会社に在籍してきたため、ツアーの際に一緒に過ごしたり、もしくは、その途中のハイウェイでハイタッチをしたりと、仕事仲間という感じで、付き合いを重ねてきたヴァン・エッテンとオルソンの両者。 それが、ヴァン・エッテンがこの「Like I Used To」の原型となるデモを作成し、エンジェル・オルソンを共同制作者として選び、電話でコンタクトを取ったようです。それまではさほど親しくない間柄であったとエッテンは話していますが、このプロジェクトの原点となる一本の電話をオルソン側に掛ける際にも、ヴァンエッテンは相当緊張したんだと語ってます。このあたりになんとなく、ヴァン・エッテンの人柄の良さというか、奥ゆかしさのようなものを感じます。

しかし、いざレコーディングに入り、作品としてパッケージされたこの楽曲を聴いて、驚くのは、コラボレーションの作品としては考えられないほどの完成度の高さ。しかも、本来、まったくかけ離れたような性質を持つ二人のシンガーの個性がここでがっちり合わさって、まるで何十年来も活動を共にしてきた名コンビであるかのような関係性があり、絶妙な間合いが採られている事。これは、実際にやってみないことには、合うかどうかはわからない実例といえるでしょう。


「Like I Used To」については、ヴァン・エッテンの曲ではあるものの、どちらが作曲をしたのか、なんていうことは最早どうでもよくなるほど、楽曲の出来栄えが素晴らしい。それほど二人の歌声、存在感が絶妙にマッチした作品です。シンセサイザーを使用した良質なポップスで、それが大きなスケールのサウンドスケープを作り、往年のティアーズ・フォーティアーズのようなAOR、あるいはアバのような癖のないポップス、又は、その中間点にある親しみやすく、誰にでも安心して楽しんで頂ける楽曲です。楽曲の構成についても、Aメロ、Bメロ、サビという、ポップスの王道を行くわかりやすい構成は、より多くの人に理解しやすいように作られています。AメロとBメロが、長調と短調で、対比的に配置され、それがサビで、また長調に戻り、壮大なハーモニクスを作るという面においては、昔の日本のポップスや歌謡の名曲に通じるような雰囲気があり、洋楽のポップス・ロックに馴染みのない方でも、きっと楽しんで頂けるはず。


そして、この「Like I Used To」は、シャロン・ヴァン・エッテン、そしてエンジェル・オルセンが交互に一番、二番を歌い、そして、サビの部分で、ツインボーカルとして二人の声のパワーが倍加され、素晴らしいハーモニクスを形成するというのも、ポップスの王道スタイルを踏襲していて、むしろ、そのあたりが最近の手の込んだ音楽が多い中で、非常に新鮮に思える。そして、この二人の歌を聴いていて思うのは、ソロ作品としては異なるタイプのシンガーであるように思えていたのに、実際にツインボーカルとして聴くと、二人の声質の近いものがあることが理解出来る。

 

そのため、絶妙な具合に二人の歌声が溶け合っている。そして、この素晴らしい二人の歌姫の歌声は、サビの部分で異質なほどの奥行きを形作り、それが聞き手の世界を変えてしまうような力を持っている。そして、歌詞にも現れているとおり、表向きには、Like I Used Toという後ろ向きにも思えるニュアンスはその過去を見つめた上、さらに未来に希望を持って進もうという、力強さ、もしくは決意、メッセージのようなものが感じられる。聞いていると、何だか勇気が出てくる名曲です。


 

 「Like I Used To」(Acoustic Version) Sharon Van Etten・Angel Olson 2021

 


 

 1.Like I Used To  (Acoustic Version)

 

そして、こちらは、5月に、リリースされたオリジナル・バージョンから三ヶ月を経て、つい先日、8月10日にリリースされたばかりのアコースティックギターバージョンです。

オリジナルの「Like I Used To」に比べ、ここではフォーク寄りのしとやかなアプローチが採られていて、ゆったり聴くことの出来る穏やかな雰囲気の楽曲です。アコースティックギターのコード進行自体はとてもシンブルなのに、この二人の声の兼ね合いというのが曲の中盤から終盤にかけて力強くなり、想像のつかないほどの壮大さに変貌していくのが、このバージョンの一番の聴きどころといえるでしょう。

このアコースティックバージョンでは、オリジナル・バージョンの「「Like I Used To」と同じように、シャロン・ヴァン・エッテンとエンジェル・オルセンが、一番、二番のフレーズを交互に歌うというスタイルは一貫してますが、ここでは、より、情緒豊かな風味を味わっていただけると思います。

オリジナル・バージョンに比べ、二人の関係性の親密さが増したというのが楽曲の雰囲気にも現れています。

オリジナル・バージョンより、ふたりとも歌をうたうことを心から楽しんでいるように思え、そして、音の質感としても異様なみずみずしさによって彩られている。

とりわけ、こちらのアコースティックバージョンの方は、それぞれのソロ作品での歌い方とはまた異なるボーカルスタイルが味わえる、つまり、二人のまた普段とは違う表情が感じられる作品で、とくにエンジェル・オルセンの歌唱の実力の凄さが、オリジナルより抜きん出ているように思えます。この何かしら、魂を震わせるかのようなオルソンの歌声の迫力、ビブラートの伸びの素晴らしさを体感できるでしょう。


何故か、この二人の歌声を聞いていると、歌というものの本質を教えてくれるような気がします。

特に、複雑なサウンド処理を施さずとも、美しい歌声というのは、そのままでも十分美しいと、この楽曲はみずから語っている。これは、魂を震わせるような2020年代のインディー・フォークの名曲の予感。それは、この二人が心から歌をうたっているからこそ滲み出てくる情感といえるでしょう。


二人の咽ぶような感極まった歌の質感は、妙に切ないものが込められていますが、これこそ歌姫の資質といえるもので、歌声だけですべてを変えてしまう力強さがあります。サビ、それから、曲の終盤にかけての部分のヴァン・エッテンとオルセンの呼びかけに答えあうように呼び込まれる歌というのは、ほとんど圧巻というよりほかない、息をゴクリと飲むほどの美しさ。アメリカのインディーシーンきっての実力派シンガーの個性が見事に合わさったこそ生み出された問答無用の傑作として推薦致します。



参考サイト


indienative.com


https://www.indienative.com


last.fm


https://www.last.fm/ja/music/Sharon+Van+Etten/+wiki



 

 

Pixies


 

Pixiesは、アメリカで80−90年代に最も栄えたオルタナティヴロックの先駆者、あるいは代名詞的な存在として語られる最早説明不要のバンドである。

 

 

このpixiesの発起人、中心人物で、ギター・ボーカルをつとめるブラック・フランシスは、このバンドを立ち上げようとした際、マサチューセッツ大学の学生であったが、ある時、うろおぼえではあるものの夏の休暇であったか、フランシスは悩んだという。ハレー彗星を見にオーストラリアに行くべきか、また、あるいは、大学にとどまり、おとなしく講義を受け続けるべきなのか? 

 

 

そんなふうに悩んだ末、一大決心をしたフランシスは、ハレー彗星を観に向かう。これはまさしく、彼のロマンチストとしての姿が垣間見えるような、ロックシーンでも珍しく示唆に富んだエピソードのひとつ。そして、ピクシーズの音楽には、奇妙なほどの奥行きがあり、宇宙をはじめとする底知れない大いなる存在への憧れの気配、独特なロマンチシズムと耽美性が宿っている。それらのピクシーズの音楽の礎を築き上げている精神的な概念は、大学をやめて、ハレー彗星を思い切って見に行くという、無謀にも思えるフランシスの音楽を始める際の動機から引き出されているのである。

 

 

この一大決断が、ブラック・フランシスのその後の人生を180度一変させたことは事実である。この後、フランシスは、マサチューセッツ大学を退学し、同級生のサンティアゴ(ルームメイトであったという噂もある)をバンドメンバーとして引き入れ、その後、メンバー募集を介し、このバンドのもうひとりの中心的なメンバー、キム・ディールという素晴らしい知己を得た。

 

 

その後、御存知の通り、ピクシーズは、イギリスの名門4ADと契約し、このレーベルの代名詞的な存在となり、オルタナティヴ・ロックの礎を築き上げた。そして、「Surfer Rosa」「Bossanova」をはじめ、数々の名作をリリースし、ブラック・フランシスは、「オルタナ界のゴッドファーザー」と称すべき存在となった。カート・コバーンやトム・ヨークをはじめ、彼の音楽から重要な影響を受けたミュージシャンも多い。もちろん、八十年代は、インディーズらしいコアなロックバンドではあったものの、今や、世界的なロック・バンドとして認められるようになった。

 

 

一度は、解散をするものの、2004年にリユニオンを果たす。その後、2014年、このバンドの中心的な存在、ベースボーカルのキム・ディールが脱退し、代役として、The Muffsというグランジ寄りのバンドのベーシスト、キム・シャタックがツアーメンバーとして一時的に加入するが、一年をまたずして解雇された。それから、キム・シャタックの後任として、スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンとZwanで活動したパズ・レンチャンティンがベーシストとして加入し、現在のピクシーズの編成に至る。2013年から、それまで多くのレコードリリースを行ってきた4AD を離れ、自前のレーベル「Pixies Music」からリリースを行うようになった。

 

 

年々、ピクシーズとしての売上や知名度が高まっていく反面、結成当初からきわめて強いインディー体質の活動スタイルを徹底する硬派のロック・バンドである。2021年9月から、アメリカを皮切りに世界規模のツアーが予定されている。最初のニューヨーク公演は、すでにソールドアウトとなっている。





 

 

Pixiesのツアー日程については 以下、公式HPをご確認下さい。



https://www.pixiesmusic.com/ 

 

 

 

「Live From the Gorge Amphitheatre,George,Wa,May 28th」2021

 

 

 

 

 

 Tracklists

 

 

1. In Heaven (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)

2. Wave of Mutilation (UK Surf) [Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005] 3. Where Is My Mind (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
4. Nimrod’s Son (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
5. Mr. Grieves (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
6. Holiday Song (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
7. I’m Amazed (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
8. Ed Is Dead (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
9. Bone Machine (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
10. Cactus (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
11. I Bleed (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
12. Crackity Jones (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
13. Isla De Encanta (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
14. U-Mass (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
15. Velouria (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
16. Caribou (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
17. Gouge Away (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
18. The Sad Punk (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
19. Hey (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
20. Gigantic (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
21. Monkey Gone to Heaven (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
22. Wave of Mutilation (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
23. Vamos (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)
24. Debaser (Live from the Gorge Amphitheatre, George, WA. May 28th, 2005)

 

 

 

 

 

 

 

 

♫ Disc Review 

 

 

 

これまで数多くの傑作スタジオ・アルバムを残してきたピクシーズ。しかし、ディスク盤としては決定的なライブ公演を収録した作品がこれまでのカタログの中に、いまいち見当たらないような気がしていた。

 

 

もちろん、DVD作品として、Pixiesの2004年のリユニオンツアーを収録した「SELL OUT 2004 REUNION TOUR」が現時点においては、ピクシーズのライブ作品のマストアイテムではあるが、ただ、これはあくまで映像作品なので、補足的なファン向けの宝物アイテムといえる。

 

 

もしかすると、ピクシーズの最良のライブ盤は出ないのだろうか?  このあたりの往年のファンの懸念を払拭するべく、2020年の11月、自前のレーベル「Pixies Music」からライブ盤が続々とリリースされている。その総数、驚くべきことに、な、なんと、16作!?にも及び、逐一チェックするのは少し面倒ではあるものの、中には、イギリスのブリクストンアカデミーでのライブ音源もリリースされており、往年のファンとして、感涙にむせばずにはいられない出来事である。

 

 

今、まさに、ピクシーズのマスタークラスに上り詰める機会が到来しているといえ、ファンとしたら、このチャンスを逃すわけにはいきませんよ。ちなみに、この連続リリースされているライブ盤は、2004、5年のツアー、91,2年にかけての世界規模のツアーのライブ音源が収録されている。もちろん、ベースボーカルを務めているのは、旧メンバー、キム・ディールである。

 

 

そして、「ここに、ピクシーズの伝説的ライブ決定盤がついにリリース!!」と、大見得を切って言っても差し支えないかもしれない音源が誕生しました。今回、8月6日にリリースされたばかりの音源、アメリカのワシントン州にある野外コンサート会場、「ゴージアンフィシアター」での公演は、これまでの十六作のライブ盤の中で最も聴き応えのある作品となっています。

 

 

この作品は、アコースティック、エレクトリックの双方のピクシーズサウンドが体感出来、また、収録されている楽曲も「River Euphrates」以外は完全に網羅。もちろん、ライブサウンドとして、そこまで広がりすぎず、シンプルに纏まっており、バンドサウンドとしての生音のタイトさという面でもずば抜けている。とりわけ、ドラムのタムのヌケの良さ、そして、ブラック・フランシス、キム・ディールの両者のボーカルというのも、既にリリースされているライブ盤に比べ、妙な渋みと、みずみずしさ、そして、色気のようなものが感じられるという気がします。

 

 

分けても、この2005年のライブ盤では、ブラック・フランシスのボーカルに妙なソウルフルな質感が込められているという面で、他のバージョンよりすぐれている。このアルバムの中での聴きどころと言える彼等の代表的な名曲「Wave Of Mutilation」は、アコースティックとエレクトリックに分けられて二度、演奏されている、特に、UK Surf Versionのブラック・フランシスとキム・ディールの間合いの取れたボーカルというのは、ほとんど、シンクロ的な雰囲気をなしているといえ、美麗であり、切なく、ほとんど涙を誘うようなロマンチシズムに彩られています。

 

 

また、その他の名曲「I Bleed」で、サンティアゴがイントロを入りを間違えていたりするのもライブならではのご愛嬌として楽しめるはず。

 

 

ブラッド・ピット主演の「ファイトクラブ」のエンディング曲として使用されている「Where Is My Mind」をはじめ、「Bone Machine」「Gigantic」「Monkey Gone to Heaven」での キム・ディールの声の存在感、張りというのが際立っており、これまでなぜ、ディールの声質がコケティッシュと呼ばれる理由が、このあたりの曲を聴いてみれば、明瞭に理解いただけると思います。

 


また、きわめつけは、アルバムの最後に収録されている「Debaser」。ここでは、初期のブラック・フランシスの独特で特異な絶叫系のボーカル、当時、下宿していた一階の花屋のタイ人の呼び込みに霊感を受けたという奇妙なスクリームが心ゆくまで味わえるでしょう。また、「Caribou」や「Hey」といった、エキゾチズムに彩られた楽曲が、このアルバム全体に落ち着きをもたらしている。

 

 

ここでの、ジョーイ・サンティアゴのフェーザーを噛ませたギターの渋い音色、あるいはフランシスの渋みのある唸るようなボーカルというのは、往年の名作スタジオ・アルバムよりはるかにブルージーな香りに満ちあふれ、そして、深い味わいがこもっている。ここでは、最初のハレー彗星のエピソードから引き出されるロマンチシズム性が十分体感できるように思えます。


ピクシーズという数奇な存在がなぜ、ここまでリスナーからも、また有名なミュージシャンから絶大な支持を受け続けて来たのか、このワシントン州の野外コンサート会場「ゴージアンフィシアター」でのライブ盤においてその理由が示されている。このライブ盤は、十数年前からのファンとしては感慨深く、涙を誘うような淡い情緒のある作品です。オルタナという微妙な線引きのあるジャンルの音楽についてご存じない方は、このライブアルバムの二曲目に収録されている「Wave of Mutilation」(UK Surf)だけでも、是非、一度、聞いてみて下さい。ロックバンド、ピクシーズの偉大さ、アメリカのオルタナティヴロックの本当の凄さが分かっていただけると思いますよ。

 

Happy listening!!


サウスロンドン発、Dub Step

 

2000年、英国のアンダーグラウンドミュージックシーンでは、一体、何が起きていたか?

 

ダブステップは、九十年代後半にサウスロンドンのクラブミュージックとして誕生し、今日まで根強い人気を誇る音楽ジャンルだ。現在では、英国だけではなく、米国でも人気のあるジャンルといえる。

 

元、この音楽は、UKグライム、2ステップ、というサンプリングを多用したジャンルの流れを引き継いでいる。ダブステップのBPM(テンポ)は、基本的に140前後といわれ、ジャングル、あるいは、ブレイクビーツをはじめとするシンコペーションを多用した複雑で不規則なリズム性を持っている。ときに、そのリズム性が希薄となり、アンビエント・ドローン寄りのアプローチに踏み入れていく場合もある。一般的には、ダブステップという音楽の発祥は、2 Steps recordsのコンピレーションのB面に収録されていたダブリミックスが元祖であると言われている。*1 

 

これも、コカ・コーラという飲料が、最初は、薬品開発をしていた際に誤ってその原型が偶然発明されたのと同じように、このダブステップという音楽も、アーティストがサンプリングやリミックスを行っていた際、誤って、グライム寄りの音楽が作られた、つまり、偶然の産物であるといえる。このエピソードは、ダブという音楽にも近い雰囲気があり、元々、このダブというのも、リントン・クェシ・ジョンソン、マッド・プロフェッサー、リー・”スクラッチ”・ペリーが、元あるサンプリングネタをダビングし、それをトラックとして繋ぎ合わせることにより、ジャマイカ発祥のレゲエ/スカの影響下にある独特なブレイクビーツに似たクラブミュージックを発明したのと同じようなもの。そして、これは概して、英国を中心にして発展していったジャンルで、アメリカのヒップホップとは異なるイギリス流のサンプリング音楽ともいえる。 

 

2000年代に入り、ロンドン南部のクロイドンにある、レコードショップ”Big Apple records”(Gary Hughes とSteve Robersonによって設立)を中心として、ダブステップのアンダーグラウンドシーンが徐々に形成されていく。*2   




                     

当初、このダブステップ音楽を、一般的に英国全土に普及させていったのは、海賊ラジオ局であるらしい。そのため、特異なデンジャラスな匂いを持った、英エレクトロ、クラブミュージック界隈で”最もコアな”クラブ音楽の一つになっていく。その後、UKの有名音楽雑誌「Wire」が2002年になって、このダブステップというジャンルを紙面で紹介したことにより、一般的な認知度はより高まる。それに引き続いて、BBCのラジオ番組でも、このダブステップを扱うスペシャルコーナーが設けられたことにより、俄然、この周辺の音楽シーンは活気づいて来た。

 

2021年の現時点で、このダブステップは、かなり広範なジャンルの定義づけがなされるようになっている。

 

中には、オーバーグラウンドミュージック寄りの比較的ポピュラーなクラブミュージックもあり、その界隈のアーティストを紹介するサイトは多いものの、このダブステップというジャンルの本質は、サンプリングやヒップホップのターンテーブルのスクラッチに似た手法にあるともいえるが、あくまで私見として述べておきたいのは、往年のブリクストルのクラブシーンのサウンド、どことなく、ダークで、アングラであり、ロンドンの都会的な退廃の雰囲気を持ったマニアむけの音楽性こそ、この音楽のオリジナルのダブと異なる魅力といえるかもしれない。 

 

もちろん、ベースラインが、エレクトロよりも強調されたり、サンプリングをトラックに施したり、シンコペーションを多用し、リズムを徐々に後ろにずらしていくような特殊な技法も、この音楽の重要な要素といえるものの、やはり、マッシヴ・アタックや、トリッキー、ポーティス・ヘッドに代表されるロンドン、ブリストル界隈のクラブでしか聴くことの出来ない、ダークで、アンニュイ、そしてまた、危なげなアトモスフェールに満ち、不気味な前衛性が、このダブステップという音楽には不可欠である。つまり、近年のオーバーグラウンドのロックミュージックに失われた要素が、このダブステップという地下音楽の骨格を作った。

 

もちろん、このダブステップの音楽性というのは、お世辞にも、メジャーな音楽でないかもしれない。それは例えば、食通の、珍味好き、というように喩えられるかもしれないが、少なくとも、上記に列挙したような要素に乏しいアーティストは、ダブステップの本流には当たらない。一応、念のため、言い添えておくと、それは、この”Dub Step”という、インディーズ・ジャンルが、正規のラジオ局でなく、海賊ラジオ局を介して、2000年前後に浸透していった、つまり、正真正銘の「アンダーグラウンドの音楽」として普及していった経緯を持つからなのである。

 

今回は、この英国だけでなく、米国でも根強い人気を誇る”ダブステップ”というジャンルをよく知るためのアーティスト、そして、現在も活躍中のアーティストの名盤を探っていこうと思います。                

 


ダブステップを知るための名盤6選


1.Burial 「Burial」 2006

   

 

最初のダブステップブームの立役者ともいえるBurial。ロンドン出身のウィリアム・ヴィアンのソロ・プロジェクト。Burialは、その後、ダブステップのアーティストを数多く輩出するようになる”Hyperdub”からこのレコードをリリースしている。発表当初から評価が高く、ガーディアン紙のレビューで満点を獲得している。

 

今作、ブリアルのデビュー作「Burial」は、2006年のリリースではあるものの、今でも全く色褪せない英エレクトロの名作であることに変わりない。楽曲のサンプリングとして、コナミの”メタルギアソリッド”のサウンドが取り入れられている。ここには、ダブステップらしいリズム、ロンドンの夜を思いこさせるような空気もあり、さらに、蠱惑的な怪しげな雰囲気に充ちている。

 

名曲「Distant Lights」「Southern Comfort」に代表されるような裏拍の強いブレイクビーツの前のめりなリズム、低音がばきばき出まくるベースライン、ブリアルにしか出し得ない独自の都会的なクールさ。それがダウナーというべきか、冷ややかなストイックさによってアルバム全体が彩られている。

 

この何故か、ぞくっとするような奇妙な格好良さがブリアルのダブステップの特長である。明らかにクラブフロアで鳴らされることを想定した低音の出の強いサウンドで、大音量のスピーカーで鳴らしてこそ真価を発揮する音楽といえる。

 

「Forgive」では、逆再生のリミックス処理を施すことにより、アンビエントドローンの領域に当時としては一番のりで到達している。

 

「Southern Comfort」に象徴される野性味もある反面、「Forgive」のような知性も持ち合わせているのが、英国の音楽雑誌ガーディアン誌から大きな賞賛を受けた主な理由のように思われる。   

 

ブリアルのサウンドの特異な点として挙げられるのは、ハイハットのナイフがかち合うような、「カチャカチャ、シャリシャリ」とした鋭利なサウンド処理であり、これも、当時としてかなり革新的だったように思える。無論、現在でも、このように、極めてドープなリミックス処理をトラックに施すアーティストを探すのは、世界のダンスフロアを見渡しても、そう容易いことではない。

 

ブリアルは、往年のロンドンやブリストルのエレクトロアーティスト、マッシブ・アタックやポーティスヘッドの音楽性の流れを受け継ぎ、また、そこには、これらのアーティストと同じように、英国の夜の雰囲気、どんよりして、雨がしとしとと降り注ぐような、異質なほど暗鬱なアトモスフェールに彩られている。

 

後には、レディオ・ヘッドのトム・ヨーク、フォー・テットと2020年にコラボレートしたシングル「Her Revolution/His rope」をリリース、最早すでに英エレクトロ界の大御所といっても差し支えないアーティスト。ダブステップの入門編、いや、登竜門として、まず熱烈に推薦しておきたいところです。

  

 

2.Andy Stott 「We Stay Together」 2011


  

アンディ・ストットは、マンチェスターを拠点に活動するアーティストで、良質なダブステップアーティストを数多く輩出してきている”Modern Love”から全ての作品をリリースしている。 

 

ストットは2006年の「Merciless」のデビューから非常に幅広い音楽性を展開してきており、ひとつのジャンルに収まりきらないアーティストといえる。これまでの十六年のキャリアにおいて、主体的な方向性のひとつのダブステップだけにとどまらず、テクノ、ハウス、エレクトロ、エクスペリメンタル、あるいは、アンビエント、というように多角的なサウンドアプローチを選んでいる。この間口の広さは、多くの電子音楽に精通しているアーティストならではといえ、現代音楽、実験音楽家としてのサウンドプログラマー的な表情をも併せ持つアーティストである。

 

ストットは、活動最初期は、テクノ、グリッチ寄りのアプローチを選んでいたが、徐々に方向転換を図り、低音がバシバシ出るようなり、緻密なダビング技法を施し、複雑なリズム性を孕む音楽性へと舵を切る。

 

2011年リリースの「Passed Me By」から、いよいよ実験音楽色が強まり、強烈なダブステップの低音の強いパワフルなエレクトロの領域に進んでいく。

 

そのキャリアの途上、大御所、トリッキーとの共作「Valentine」2013をリリースし、着実に英エレクトロ界で知名度を高めていった。さらに、近年では、女性ボーカルのサンプリングを活かした独特なダブサウンドを体現し、"ストット・ワールド”を全面展開している。ボーカル曲としての真骨頂は、スタジオ・アルバム、「Numb」「Faith In Strangers」において結実を見た。

 

その後、順調に、2016年、「Too Many Voices」、2021年の最新作「Never The Right Time」とリリースを重ね、数々のエクスペリメンタル、エレクトロ界にその名を轟かせている。

 

アンディ・ストットの推薦盤として、「Faith in Strangers」、「Numb」、最新作「Never The Right Time」 といった完成度の高い作品を挙げておきたいところではあるものの、これらの作品は、ストレートなダブステップ作品として見ると、少しだけ亜流といえるため、ここでは、「We Stay Together」2011をお勧めしておきたい。

 

今作は、前のリリース「Passed Me By」での大胆な方向転換の流れを引き継いだダブステップの極北ともいえるサウンドを展開、ダブサウンドも極北まで行き着いたという印象を受ける。トラック全体は、一貫してゆったりしたBPMの楽曲で占められ、曲調も、他のストットのアルバム作品に比べ、バリエーションに富んでいるわけでないけれども、この泥臭いともいうべき、徹底して抑制の聴いたフィルター処理を効かせたダブサウンドの旨みが凝縮された作品である。表向きには地味な印象を受けるが、聴き込んでいくたび、リズムの深みというのが味わえる通好みの快作。

 

この一旦終結したかに思えたストットの作品の方向性は、後年「It Should Be Us」になって、さらに究極の形で推し進められていった。実験音楽寄りの作品であるものの、ダブステップをさらに進化させたポストダブステップを堪能することが出来るはず。この作品でダブステップとしての完成形を提示したストットが、ボーカルトラックとしてのダブサウンドを追究していったのも宜なるかなという気がします。 

 

 

3. Laurel Halo 「Dust」 2017

 


  

ローレル・ヘイローは、デビュー作「Quarantine」で、会田誠の極めて過激なセンシティヴな作品をアートワークに選んだことでも知られている。ここで、アルバムジャケットを掲載するのは遠慮しておきたいが、イラストにしても、相当エグい作品である。他にも、会田誠の作品は驚くような作品が多いものの、しかし、このアートワークは、見る人の内面にある悪辣さを直視させるような独特なアートワークである。会田誠の作品には、見る人の中に、ある真実を呼び覚ますような力が気がしてなりません。しかし、この作風を、単なる悪辣な趣味ととるべきなのか、前衛芸術としてとるべきなのかは微妙なところで、一概に決めつけられないところなのかもしれません。

 

そして、そういった表向きのセンセーション性だけにとどまらず、実際のデビュー作品としても多くの反響をもたらしたローラル・ヘイローは、ドイツ、ベルリンを拠点に活動する現在最も勢いのあるダブステップ・アーティストです。


彼女の作品の世界観には、 一見、悪趣味にも思える退廃性が潜んでいるという気がする。元々は、デビュー作において、タブーに挑むような感じがあり、そのあたりのコモンセンスをぶち破るような強い迫力が音に込められていた。しかし、それが妙な心地よさをもたらすのは理解しがたいように思える。これは、フランシス・ベーコンの作品を見た際に感じる奇異な安らぎともよく似ている。奇妙奇天烈でこそあるが、なぜか、そこには得難い癒やしが感じられる。

 

そして、ローレル・ヘイローの重要な作品としてお勧めなのは、「Raw Silk Uncut Wood」2018ではあるものの、ダブステップとしての名盤を選ぶなら「Dust」2017の方がより最適といえるかもしれません。

 

この作品「Dust」は、他の彼女の一般的な作風と比べ、メロディーよりもリズムに重点が置かれている。もっというならば、リズムの前衛性に挑戦した作品で、サンプリングを配し、リズムを少しずつダブらせ、強拍を後ろに徐々にずらしていく手法が駆使されている。表面的にはヒップホップに似た風味が醸し出されている。 

 

「Jelly」は打楽器ポンゴの音色を中心として、ローレル・ヘイローにしては珍しく、軽快なトロピカルなサウンドのニュアンスが込められている。また、「Nicht Ohne Risiko」では、木管楽器、マリンバの音を活かしたアシッド・ジャズの領域に踏み込んでいる辺りは、いかにもドイツの音楽家らしい前衛性。その中にもトラックの背後にリズムのダビングの技法が駆使されており、混沌とした雰囲気を醸し出している。

 

また、スタジオ・アルバム「Dust」の中では、「Do U Ever Happen」が最も傑出していて、表面的なヘイローのボーカルの快味もさることながら、リズム性においても、ダブステップを一歩先に推し進めたサウンドが展開されている。ダブステップとチルアウトを融合させた楽曲という印象を受けます。 

 


4.Demdike Stare「Symbiosis」2009


 

アンディ・ストットと同じく、”Modern Love”の代名詞ともいえるデムダイク・ステアは、シーン・キャンティとマイルズ・ウィッタカーで構成されるユニットで、マンチェスターを拠点に活動している。

 

彼等は、ダブステップという括りにとどまらず、アンビエントドローン寄りのアプローチも図るという面で、アンディ・ストットと同じように、音楽性の間口の広さがあると言って良いだろう。このスタジオアルバム「Symbosis」は、アートワークからして不気味でダークな感じが醸し出されているが、実際の音の印象も違わず、アングラで、ときに、ダークホラー的な音の雰囲気も感じさせる。

 

ダブステップの名盤として、ここで挙げておくのは、「Haxan Dub」の楽曲に象徴されるように、オリジナルダブサウンドの影響の色濃いサウンドへの回帰を果たしているから。ここでは、ジャマイカの音楽としてのダブの風味が感じられる。「Haxan」でも、ダブステップの見本のようなサウンドがエレクトロ寄りに迫力満載で展開される。この二曲は、近年の基本的な技法が満載で、教則本や制作映像を見るよりはるかに、実際のトラック制作を行う上で参考になるでしょう。

 

また、トラックを重層的に多重録音して、音楽自体に複雑性をもたらすというのは、近年の他の電子音楽家と同様だけれども、特に、デムダイク・ステアの個別トラックの、LRのPANの振り分けというのは職人芸。このあたりも聞き逃す事ができない。これらの楽曲は、往年のダブサウンドを通過したからこそ生み出し得る妙味。近年のダブステップに比べると、いささか地味に思えるかもしれないが、このあたりのリズムの渋さ、巧みさもデムダイク・ステアの音の醍醐味となっている。

 

特に、この作品が他のダブステップ界隈のアーティストと異なるのは、「Supicious Drone」「Exrwistle Hall」という二曲が収録されているから。「Suspicious Drone」は、ダークドローンの名曲のひとつに数えられる。この風の唸るような不気味さというのが感じられる秀逸なトラックです。

 

もう一曲の「Exrwistle Hall」は、ダークホラー思いこさせるような怖さのある楽曲であり、夏のうでるような暑気を完全に吹き飛ばす納涼の雰囲気に満ちている。リズムトラックとしては、四拍子を無理やり三拍子分割した特異な太いベースラインがクールな印象を醸し出している。そこに、明確な意図を持って、女の不気味な声、挙げ句には、薄気味悪い高笑いがアンビエンス、サンプリングとして取り入れられる、これは事前情報無しに聴くと、聞き手も同じような悲鳴を上げざるを得ないものの、その反面、色物好きにはたまらない名盤のひとつといえる。

 

このスタジオ・アルバム「Symbosis」は、夜中に聴くと、怖くて、「ギャー!!」と震え上がことは必須なので、細心の注意を払って聴く必要がある。しかし、昼間に聴くと、妙なおかしみがあるようにも思える。これは、怪談だとか、ホラー映画鑑賞に近い音の新体験である。つまり、今年の夏は、「テキサス・チェーンソー」「シャイニング」「リング」といった名ホラー映画を再チェックしておき、そして、さらに、デムダイク・ステアの「シンボシス」で、決まり!でしょう。

 

 

5.Actress「Karma & Desire」2020

   

  

最後に、ご紹介するアクトレスは、ウルヴァーハンプトンを拠点に活動するミュージシャン。

 

他の多くの電子音楽家、とりわけダブステップ勢がロンドンやマンチェスターといった大都市圏で活動しているのに対し、アクトレスだけは、都市部から離れた場所で音楽活動を行っている。

 

アクトレスは、上掲したアーティスト、アンディ・ストットと同じく、ダブステップの雰囲気もありながら、実験音楽性の強いアヴァンギャルド色の強い電子音楽家。エレクトロ、Idm、エクスペリメンタル、テクノ、 ダブステップと、多角的なアプローチをこれまでの作品において取り組んで来ており、電子音楽を新たな領域へ進めようと試みている前衛性の高いアーティストです。

 

このアルバム「Actress」は、 美麗さのあるピアノの印象が強い作風である。それは「Fire and Light」から顕著に現れており、ピアノ音楽の印象の強い電子音楽、アンビエントピアノとして聴く事も出来ると思う。他のダブステップ界隈のアーティストが都会的な音の質感を持つのに対し、ナチュラルな奥行きを感じさせるピアノ曲、ポスト・クラシカル寄りのアプローチも見受けられます。

 

これは、多分、あえて、大都市圏から離れた場所において、静かな制作環境を選び、トラック制作を行うからこそ生み出し得る落ち着いた音楽といえるかもしれない。「Reverend」や「Leaves Against the Sky」も、ピアノの主旋律を表向きの表情とし、ダブステップ、グリッチとしての技法も頻繁に見いだされる秀逸な楽曲。そして、この楽曲を見ると、上品さがそこはかとなく漂う作風となっています。

 

ここで、アクトレスは、個別のリズムトラック、タム、ハイハット、シンバルにはダビング技法を駆使せず、どちらかというなら、ピアノの音色に対して、深いリバーブ処理、DJのスクラッチ的手法を施している。確定的なことは遠慮したいものの、これが、昨今の英国のクラブミュージックの音のトレンドといえるのかも。無論、これは、すでに、ヒップホップで親しまれた技法ではあるものの、アクトレスはさらに前衛的なアプローチを図り、新たな領域に音楽を推し進めている。

 

また、「Public Life 」では、ポスト。クラシカル寄りの楽曲に果敢に挑戦しているのも聞き所である。

 

スタジオ・アルバム全体としては、エレクトロや、ダブステップ、それから、テクノ、ポスト・クラシカルといった近年流行の音楽をごった煮にしたかのような印象。このあたりが、英国の電子音楽家という感じがして、一つのジャンルに拘らず、柔軟性を持って、様々なジャンルに挑戦する素晴らしさがある。嵩じたフロア向けのクラブミュージックとしてでなく、落ち着いたIDMとして、家の中で聴くのに適した美しさのある音楽として、この作品を最後に挙げておきたいと思います。

    

 

 

参考サイト 

 

*1. Vevelarge .com {Dubsteo} 奥が深い ダブステップの起源と歴史{徹底解説}

 https://vevelarge.com/what-is-dubstep/

  

*2. tokyodj.jp 90年代後半 ダブステップの始まりは? 

https://tokyodj.jp/archives/1870