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VerveとUniversal Music Enterprisesが提携して推進するジャズの名盤のリイシューシリーズ「Acoustic Sounds」は今年もリリースが継続される予定です。この「Acousic Sounds」の2022年のリリースカタログには、複数のジャズの巨人たちの旧作のリイシュー盤が組み込まれています。

 

元々、「Acoustic Sounds」シリーズは、2020年に導入されたもので、オリジナルのアナログテープの録音からステレオ形式でリマスターが行われ、180gのヴァイナルとしてプレスしたLPをリリースするというものです。現在のところ、デジタル配信ではリリースが予定されていません。ヴァイナル盤のみのリリースです。日本では、HMV Recordで取り扱いがあるようです。

 

 今年の今後のリリースラインナップには、ジャズの巨人たちが目白押し。エラ・フィッツジェラルド、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、コールマン・ホーキンス、フォラオ・サンダースらのリイシューが控えています。このシリーズは12月まで毎月リリースが続き、新たなタイトルが順次付け加えられていきます。ジャズファンとしては注目のリイシューとなります。 

 

 

 

Acoustic Sound 2022 再編集版のリリース予定

 

 

・5月13日 Duke Ellington&Coleman Hawkins(デューク・エリントン&コールマン・ホーキンス)

 

「Duke Ellington Meets Coleman Hawkins(デューク・エリントン・ミーツ・コールマン・ホーキンス 」(Impulse!,1963)

 

 

・6月17日 Bill Evans(ビル・エヴァンス)

 

「Trio 65(トリオ65)」(Verve 1965)


 

・7月15日 Ella Fitzgerald&Louis Armstorong(エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストロング)

 

「Ella&Louis(エラ&ルイス)」(Verve 1956)


 

・8月19日 Oscer Peterson(オスカー・ピーターソン)

 

「We Get Requests(ウィ・ゲット・リクエスツ)」(Verve 1964)

 

 

・9月9日 Bill Evans(ビル・エヴァンス)

 

「Bill Evans at Town Hall(ビル・エヴァンス・アット・タウン・ホール)」(Verve 1966)

 

 

・9月16日 Ella Fitzgerald&Louis Armstrong(エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストロングー)

 

「Ella&Louis Again(エラ&ルイス アゲイン)」(Verve 1957)

 

 

・10月14日 Roy Haynes(ロイ・ヘインズ)

 

「Out Of The Afternoon(アウト・オブ・ザ・アフタヌーン)」(Impulse! 1962)

 

 

・11月11日 Pharaoh Sanders(フォラオ・サンダース)

 

「Karma(カルマ)」(Impulse! 1969)


 

・12月2日 Oscar Peterson(オスカー・ピーターソン)

 

「Night Train(ナイト・トレイン」(Verve 1963)

 

 

 

Verve Records Official

 

https://shop.ververecords.com/collections/acoustic-sounds 

 

 Jon Balke  Siwan 「Hafla」

 


Label:ECM

Release:April 22,2022


2007年の「Book Of Velocity」で、プリペイドピアノ、アバンギャルドジャズの金字塔を打ち立てたノルウェーのジャズピアノ演奏家ヨン・バルケは、次作「Siwan」からエキゾチックジャズの領域に踏み入れていった。

 

ソロアーティストとして発表した2007年の傑作「Book Of Velocity」は、ドイツのECMのレコードの屈指の名作として挙げられますが、このアーティストの全盛期を象徴するハリのある演奏力、アバンギャルドジャズの最高峰をこの作品で踏破したせいか、その後、ヤン・バルケはどちらかと言えば、シンセサイザー/ピアニストとして落ち着いた演奏を求めるようになり、楽曲としての世界観を最重要視するようになった。以後、バルケは、知性を探訪し、歴史学的な強い興味を持ち続け、付け焼き刃ではない最古の文明を、前衛音楽、民族音楽、モダンジャズと多彩な局面からアートとして表現しようと努めている演奏家です。

 

4月22日に、お馴染みのECMからリリースされたヨン・バルケの最新作「Siwan-Halfla」は、表題から察するに、2009年の「Siwan」の続編とも呼べるアルバムです。ここで、ヤン・バルケは、同レーベルの特色の一つ、2000年代に盛んだったジャズと民族音楽の融合に再挑戦しています。これは、エキゾチックジャズというような呼び名で親しまれていたもので、バルケが率いている音楽グループ、「シワン」としての五年ぶりの作品となります。このアルバムに収録されている歌詞は、何でも、ウマイヤ朝の王女、ワラダ・ビント・アル・ムスタクフィー、イブン・サラ・アス・サンタリニのⅩⅠ世紀の十一世紀の詩が取り上げられ、ゲストボーカルのマン・ブチェバクがイスラム情緒たっぷりに歌い上げる。「Halfia」は、2021年の5月から6月に掛けて、デンマーク・コペンハーゲンのVillage Recording Studioで録音が行われている。

 

このアルバム「Halfa」は、ポンゴ、ストリングス、ホーン、さらに、複数のアラビアの民族楽器のフューチャーしたイスラム情緒たっぷりな旋律の中、バルケはシンセサイザー奏者として音楽の世界を綿密につくりあげていく。それは一曲から作品世界が拡張されていくというより、複数の楽曲が組み合わさって、その世界を強固にしていく。全盛期の「Book Of Velocity」のようなアヴァンギャルド性こそ薄れているものの、熟慮に熟慮を重ねた知性あふれる演奏家、作曲家、音楽家としての慎重なバルケの表情が伺える。

 

そして、今作にゲストボーカルとして参加したマン・ブチェバクの歌というのも、語弊があるかもしれないが、イスラムのポエトリー・リーディングのような洗練された文学性の雰囲気がほんのり漂っている。イスラム文化におけるエキゾチズム性は、多くの人にとって馴染みないものであるが、その中には、中国、東洋の旋律的な特徴に似た性質が込められているため、ヨーロッパ(トルコ近辺をのぞく)のリスナーにとっては異国情緒を感じさせ、アジアのリスナーにとっては淡いノスタルジアすら感じさせる。また、中国の民族楽器、胡弓のような楽器が取り入れられているのにも注目である。

 

また、イスラムの民族音楽や文学性を引き継いだ楽曲が目立つ中、「Dailogo en la Noche」では、シワンというグループの命題であるアンダルシアの雰囲気が引き出され、ジャズソング風にアレンジされている。さらに、エンディングを彩る「is there no way」では、民族音楽とバラードの融合に挑戦しており、これが硬派な楽曲が際立つアルバムの中、ちょっとした華やかさと贅沢な安らぎを与えてくれる瞬間でもあります。他にも、イスラム、アンダルシアの民族音楽の特性を引き出した、複雑で前衛的なリズム性が引き出された楽曲が数多く見受けられる。そもそもジャズというのは、一つの型の踏襲であるとともに、音楽の持つ表現の可能性を無限に押し広げるためのジャンルでもあり、この作品は、そのことを象徴付ける概念が提示される。音楽集団として多国籍のルーツを持ち、各々が異なる音楽的背景や文化性を持つグループらしい独特な作風、エキゾチック・ジャズの入門編としても最良の一枚といえるのではないか。

 

(Score:82/100)

 

5月27日、南アフリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、ヒーラーとしても活躍するNduduzo Makhathini (ンドゥドゥゾ・マカティーニ)が新作アルバム「In The Spirit of Ntu」をリリースします。

 

前作の「Modes of Communication」は、ニューヨーク・タイムズによって、2020年の「ベストジャズアルバム」に選出されています。この度、新しくマカティーニによって制作されたアルバムは、名門レーベルであるブルーノートから、今年の5月27日にリリースされます。これは、マカティーニのキャリアの中で、ブルーノートから初めてリリースされる作品、アーティストにとって記念碑的なジャズアルバムとなりそうです。新作アルバムリリースに併せて、先行シングル「Senze'Nina」が紹介されています。

 

ジャズ・ピアニストのンドゥドゥゾ・マカティーニは、彼のこれまでのリリースカタログで探求されてきた主題、音、概念を新作アルバム「In the Spirit Of Ntu」の構造化された10曲の中に凝縮しています。彼は、新たに発売されるアルバムについて、「これまでに行ってきたすべての経験を要約し、さらに、それを何らかのコンテキストに入れる必要があると感じていました」と語っています。南アフリカの活気に満ちたジャズシーンの中心人物として活躍するマカティーニは、今回の新作アルバムを制作するに際して、サックス奏者のリンダ・シカカネ、トランペット奏者のロビン・ファシーコック、ビブラフォン奏者のディラン・ビッシャー、ベーシストのスティーヴン・デゾウザ、さらに、パーカッション奏者のゴンツィマケネなど、南アフリカで最もエキサイティングな若いミュージシャンから成るジャズバンドを結成し、音源制作に取り組みました。

 

マカティーニは、マイナーリズムとメジャーリズム、モビリティ、アクティヴ・リスニング、儀式主義、様々な前衛的なアプローチを交えてプロジェクトに取り入れ、アフリカのズールの伝統、知的好奇心の背景を利用し、聞き手に対して、魅力的なアーティキュレーションを伝えようとします。「私は、私達の文脈でジャズを位置づける手段として、これらの宇宙論ともいえる概念に取り組んでいきました」と、彼は述べており、さらに以下のように付け加えています。


「私は、コミュニケーションとしてモード奏法のアイディアを出しました。さらに、冥界からくる音のメタファーとして文字を使用し、冥界からの手紙のようなニュアンスを出しています。リスニング・トゥ・グラウンドをリリースした際、リスニングという概念をより深く探求していこうというような目的意識を持っていました。新しいアルバムでは、地面から浮かび上がるものに耳を傾ける、というパラダイムが取り入れられています。さらに、Ntuというのは、古代アフリカの哲学そのものです。今作は様々なアイディアによって彩られた作品です」

 

 

 

 

 

 ・Nduduzo Makhathini  「In the Spirit Of Ntu」

 

Presave


・Blue Note Records official


https://store.bluenote.com/collections/new-releases/products/nduduzo-makhathini-in-the-spirit-of-ntu

Jeff Parker


 
ジェフ・パーカーは、LAを拠点に活動するアメリカのジャズギタリスト兼作曲家。コネチカット州出身、バージニア州ハンプトンで育ったジェフ・パーカーは、カルフォルニアのバークリー音楽院でギターを学んだ後、1991年からシカゴを拠点に、実験音楽家、ジャズプレイヤーとして活動しています。
 
 
現在も、ジャズ、エレクトニック、ロックと様々な音楽を融合した斬新なギター音楽を紡ぎ出しているアーティストです。
 
 
これまでジェフ・パーカーは、シカゴのインディーシーンの象徴的なポスト・ロックバンドの活動、作品制作に数多く携わっています。
 
 
Tortoiseのギタリストとしての活動をおこなっているほか、シカゴのインディーシーンの重要なバンド、Isotope 217°の、ジャズ・アンサンブル、Chicago Undergroundの発起人でもあり、2000年代には、クリエイティヴミュージシャンの進歩を助ける協会”AACM”の会員に名を連ねています。 
 

上記のバンドとは別に、Andrew Bird、Yo La Tengoをはじめ、数多くの秀逸なアーティストとの共同制作を行い、ならびに、Jeff Parkerとしてのソロ名義での活動も行っています。
 
 
2021年までにジェフ・パーカーは、通算7枚のスタジオ・アルバム
 
 
「Like-Coping」2003、
「The Relatives」2005、
「Bright Light in Winter」2012、
「New Bread」2016、
「Slight Freedom」2016、
「Suite for Max Brown」2020
「Forfolks」2021
 
を発表しています。
 
 
特に、ジェフ・パーカーのソロ作品は、モダンジャズとしての国内外のメディアにきわめて高い評価を受けています。
 
 
「New Bread」「Slight Freedom」の二作はThe New York Timesが2016年のトップジャズリリースとして選出しています。また、「Suite for Max Brown」は、英国ガーディアンの日曜版「The Observer」の紙面において、2016年のトップジャズアルバムに選出されていることにも注目です。

 

 

 

 

 「Forfolks」 International Anthem  2021

 


 

 

これまで、Tortoise、Isotope 217°、といった実験的ロックバンドの活動において、また、Chicago Undergroundでのジャズ・アンサンブルにおいて、コンピューター・テクノロジー、ロック、ジャズ、電子音楽を交えて、様々な音楽の混淆、未知なる音楽へのアプローチに三十年もの間、挑戦しつづけてきたジェフ・パーカー。
 

2021年12月10日にリリースされたソロ・ギター作品は、ジェフ・パーカらしい前衛性が垣間見える作風で、音楽本来のプリミティヴな魅力を楽しんでいただけるでしょう。
 
 
「Forfolks」は、これまでのジェフ・パーカーの作品に比べ、ジャズ・アンサンブルというより、ジャズ・ギターに焦点を絞った硬派なギタリストとしてのアプローチが貫かれた傑作といえ、ジェフ・パーカーのジャズギタリストとしての並々ならぬ情熱が感じていただけるはずです。
 
このスタジオ・アルバムには、ウェス・モンゴメリーのようなジャズギターの巨人に対するリスペクト、フォーク音楽を始めとするアメリカのルーツミュージックに対する憧れに近い、内側の熱情を外側に静かに表出した作品です。
 
 
今回のスタジオアルバムには、セロニアス・モンクのカバー「Ugly Beauty」、ジャズ・スタンダードの「My Deal」のほか、1997年にIsotope 217°、Tortoiseと制作を行った「La Jetee」をはじめ、六曲のオリジナル曲が収録されています。これらの楽曲は、2021年6月、カルフォルニア州のジェフパーカーの自宅にあるスタジオSholo Studioで僅か2日間で録音されました。
 
 
このスタジオアルバムに収録されている楽曲は、ジャズ・ギターの原始的なみずみずしい演奏の魅力が宿っています。しかし、その中に、いかにも、これまでシカゴのインディーシーンの中心人物として活躍してきたジェフ・パーカーらしい前衛性が発揮され、楽曲中にループを多用し、それを層状に連ね、メロディックな即興のギター演奏、電子音楽のテクスチャーが融合、実験音楽としての意義を失わせない斬新なアプローチをジェフ・パーカーは本作において図っているのです。
 
 
「私は、自分が彷徨うための音の世界を生み出そうとしている」とパーカー自身が語っているように、今作品は、一度、そのジャズ・ギターの世界に踏み入れた途端、めくるめく音楽の大迷宮に迷い込んでしまうかのような、驚き、そして、深み、厳かさを存分に感じていただけるはずです。
 
 
また、ジェフ・パーカーと長年コラボレーションを行ってきた彼の音楽性を最もよく知るMatthew Luxは、この新作「Forfolks 」について、ライナーノーツに以下のように書き記しています。

 

 

”ジェフがソロで演奏するのを聴くのはとても特別なことだ。彼は、異常なほど無欲な即興演奏家であるし、しばしば、自分ではなくて、他のバンドメンバーの貢献をことのほか強調したりする奥ゆかしい人物なんだ。

 

もちろん、本来、ジェフは、全く何の音も鳴らない空間で、3つのコードを演奏するような器用なミュージシャンではない。それでも、今回のレコーディングについては、すべて彼一人の力によって演奏されているのは確かなことだよ。ジェフの頭の中で組み立てられた音楽を具体化していくため、アイディアが何度も入念に繰り返され、それがようやく確かなギターのフレーズとして固定化されていった作品なんだ。

 

今回のアルバムの8つのセクションにおいて、ジェフが音の世界を入念に作り上げていくことを聴くことで、これまでまったく知られていなかった事実、彼がどのようなプロセスでこういった実験的な音楽を生み出しているのか知ることができるはずだ。

 

.....彼は、実は、今回のレコーディングにおいて単一のジャンルとして音楽を落とし込み、その枠組内で演奏することを避けていた。 どちらかといえば、音楽を色彩的にいろどるため、あえて絵画的なアプローチを選択し、いかにも商品らしい音楽を生み出そうとはせずに、内面的な深い声を音楽として表現するように努めていたんだ”


 

 

 

 

 

・Apple Music Link 


Norah Jones 


ノラ・ジョーンズはニューヨーク州ブルックリンを拠点に活動するピアノ弾き語りのジャズシンガーです。


ジャズを中心とし、ソウル、カントリー、フォーク、と間口の広い音楽性をポップスに込め、世界中の多くの聴衆を虜にしてきました。ハイスクール時代から、最優秀ジャズ優秀賞を受賞。その後、ジャズ北テキサス大在学中にジャズ・ピアノを専攻しつつ、ラズロというジャズ・ロックバンドで活動しています。


大学三年生の時、友人に誘われ、ニューヨークのマンハッタンに旅行をする。テキサスからニューヨークへの長い旅において、ノラ・ジョーンズはマンハッタンに居を構える多くのソングライターたちに大いに触発を受け、それ以後、ウェイトレスとして働きながら、ソングライティングを始める。この頃から、ジェシー・ハリス、リー・アレクサンダー、ドン・リーザーと一緒にバンド活動に専念するようになります。


大歌手ノラ・ジョーンズとしての人生の分岐は、2000年に訪れました。本場ニューヨークのブルーノートで、バンドのデモ曲を2000年10月にレコーディング。


これは「ファーストセッションズ」という形式でリリースされましたが、現在は廃盤となっています。


しかし、この録音の際に、ブルーノートのブルース・ランドヴェルが彼女の類まれなる才覚を見抜いており、それから見事、その後、ジョーンズは晴れて、翌年の2011年の1月、ブルーノートとの契約に漕ぎ着けました。


2001年5月には、グレイグ・ストリートをプロデューサーに迎え入れ、デビュー作「Come Away With Me」のレコーディングを開始。


同年8月には、アリフ・マーディンをエンジニアに招き、この作品は、翌年の2月になってようやくリリースされることになる。「Come Away With Me」がリリースされる間もなく、このデビューアルバムの評判はあっという間に広がり、各国のチャートで一位を独占。「Don't Know Why」を始め、親しみやすく、ジャズ風のアレンジメントを加えたポップ・ソングは、多くの人々を魅了し、世界で大ヒットを記録しました。



デビューアルバム「Come Away With Me」で、ノラ・ジョーンズは、2003年のグラミーを総なめ。スタジオ・アルバムとして、最優秀賞、最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞、最優秀録音賞)三冠に輝く。またシングル・カットされた大ヒット曲「Dont't Know Why」は、優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞の三冠に輝いています。


しかし、ノラ・ジョーンズ本人は、レコーディングの最中から、グラミー獲得の期間まで、アリフ・マーディンという著名なエンジニアとのやり取りというのも恐れ多いという感じであったといい、また、このデビュー作で得ることになる世界的な成功については完全な想定外であったと回想しています。


その後、2004年、2ndアルバム「Feels Like Home」をリリース、アルバムチャートで4週連続一位を獲得、累計4000万枚のセールスを記録。そして、見事、翌年のグラミー賞三部門の栄冠に輝いています。しかし、この後ノラ・ジョーンズは、過分な注目を受けたことに戸惑いを感じ、2005年の春、コンサートとレコーディングを取りやめ、三年余り活動を休止することになります。


2007年にノラ・ジョーンズは、ついに三年間の沈黙を破り、サード・アルバム「Not Too Late」を発表を行う。デビュー以来初めてノラ・ジョーンズ自身が作詞、作曲を担当している作品で、レコード会社の方もこのリリースについては何も知らされていなかった。つまり、世界的なインディー作品といえます。


また、2009年から、ノラ・ジョーンズはコンスタントに作品を発表しており、「The Fall」「Covers」「Little Broken hearts」「Day Breaks」「Begin Up Me」と、以前ほどの注目こそ集めていないものの、聞きやすくて、親しみやすいジャズ・ポップをリリースして活発な創作意欲を見せています。


昨年、2020年には力作「Pick me Up Off The Floor」を発表し、実力派のSSWとしての底力を発揮しており、いまだ才気煥発なポップシンガーとしての進化を見せています。


ノラ・ジョーンズの最初のグラミー賞でのビッグサクセスは寧ろ序章、これから本章がやってくる女性シンガーとして、あらためて注目したいポップシンガーの一人でしょう。


Norah Jones「I Dream Of Christmas」2021 Blue Note

 

さて、今週の一枚としてご紹介させていただくのは、前週のスペシャルズのプロテスト・ソングに続いて、クリスマスソングカバー「I Dream Of Christmas」となります。おなじみのブルーノートからのリリースで、ノラ・ジョーンズの初めてのホリデイ・ソング集のリリースとなります。


 

 


TrackLisiting


1.Chrismas Calling(Norah Jones)

2.Christmas Don't Be Late(Ross Bagdasarian,Sr.)

3.Christmas Glow(Norah Jones)

4.White Christmas(Irving Berlin)

5.Christmastime(Norah Jones&Leon Michesls)

6.Blue Christmas(Billy Hayes & Jay W.Johnson)

7.It's Only ChristmasOnce A Year(Norah Jones)

8.You're Not Alone(Norah Jones & Leon Michels)

9.Winter Wonderland(Richard B.Smith & Felix Bernard)

10.A Holiday With You(Norah Jones)

11.Run Rudolph Run (Johnny Marks & Marvin Brodie)

12.Christmas Time Is Here(Lee Mendelson & Vince Guaraldi)

13.What Are You Doing New Year's Eve?(Frank Loesser)


 

※ボーナス・バージョンは、14曲目に、Oh Holy Night(Traditional arranged by Norah Jones & Leon Michesls)が追加収録されています。

 

六曲のオリジナルソングに加え、往年のクリスマソングの名曲をバランス良く収録した傑作で、「White Christmas」「Winter Wonderland」を始め、聴くと聞き覚えのある永遠のクリスマスソングがずらりと並び、ゴージャスなラインナップとなっています。もちろん、少し早いクリスマスソングとして聞きつつ、来月にやってくるであろうファンタスティックなクリスマスを待ちわびるという楽しみ方もありでしょう。


しかしこのアルバムは、凡百のカバーアルバムのように、ただのカバー作品として評価するのは礼に失する創意工夫がこらされた作品であり、ジョーンズ自身の愛するクリスマスソングを収録したカバーアルバムであるとともに、オリジナルの新作として聴く事も出来なくはない聴き応えのある豪華なクリスマス作品で、ジョーンズが新たな音楽性でまだ見ぬ境地を切り開いたということが理解してもらえると思います。


この新作のクリスマス・カバーアルバム「I Dream Of Christmas」を聴いてあらためて思ったのは、このノラ・ジョーンズというシンガーの本領がいかに素晴らしいものであるのかということです。今作品を聴いていると、かのエタ・ジェイムズが、もしくは、かのアレサ・フランクリンが現代に蘇ったのではないかと聴き紛うほどの奇妙な歌手としてのオーラの大きさが感じられます。


今作では、デビュー当時、いや、それを上回るような水準においてのノラ・ジョーンズの本格派のジャズシンガーとしての本領が存分に発揮され、ここには心を震わさせる「魂」が込められており、また、以前よりも自信を持って歌っているような雰囲気があって、往年のファンとしては何かしら頼もしさすら感じます。


デビュー当時の存外のビックサクセスにおいて、ノラ・ジョーンズが歌手であることに対する戸惑いを乗り越えた先に見出した「本物の歌手」としての凄まじい底意地が感じられます。


そして、このレコーディングの風景を実際に見たわけでもないにもかかわらず、異質な迫力、往年の名シンガーの祖霊が宿ったかのような雰囲気が漂い、例えば、エタ・ジェイムスに比する凄まじいシンガーとしてのオーラを感じる作品に仕上がっています。


10月14日にリリースされたばかりのこのクリスマスソング集「I Dream Of Christmas」には、制作秘話があり、ノラ・ジョーンズは、昨年のパンデミックの厳しい状況下で毎週の日曜日にクリスマスソングを聴きながら厳しい状況下において大きな慰みを見出し、人生の活力を保ち続けていたようです。


ジョーンズは、ある日には、ジェームス・ブラウンの「ファンキークリスマス」を聴き、また、次の週にはエルヴィス・プレスリーの「クリスマス・アルバム」を聴いていたようです。これらの素敵なクリスマスソングが、彼女に歌手として、リスナーに音楽という希望=ギフトを与えるという動機を与えたことは間違いありません。その人生経験を元に、ジョーンズは今回のカバーアルバムの構想を入念に組み上げていきました。


ノラ・ジョーンズは、プレスリリースの会見時には、「2021年1月、私は自分のクリスマス・アルバムを制作することを思いついたんです。それは、私に大きな楽しみをあたえてくれました」と語っています。


オリジナルアルバムの一曲目「Christmas Calling(Jolly Jones)」は、ジョリー・ジョーンズというウィットが効いたユニークさが感じられる(Jolly jonesはHappyの意)新曲で、「Christmas Grow」をはじめとするオリジナルソングと共にこの偉大なシンガーソングライターの新たな代名詞、次なるライブレパートリーともなりえる素晴らしさ。


また、きわめつけは、リードトラック「「Christmas Calling(Jolly Jones)では、このように、楽しげに、来月にやってくる仕合わせなクリスマスに対する大きな期待と希望が子供のような無邪気さで歌われています。


”音楽の演奏を聴きたい

踊り、笑い、揺れたい、

クリスマスの幸せな休日を過ごしたい”

 

 

Featured Track「Chrismas Calling(Jolly Jones) 

Norah Jones Official Visualizer
Listen On youtube:

 https://m.youtube.com/watch?v=0iFK2NiyvDg&feature=emb_imp_woyt


 

Norah Jones Offical HP

https://www.norahjones.com/







MILES DAVIS


 

マイルス・デイヴィスというジャズ界の巨人は、実に不思議な魅力を持つ人物である。なんとなく、彼の人となりからは異質な雰囲気が漂っている。マイルスの背後には異様なオーラ、それも信じがたいほど大きなオーラが漂っているということだ。アルバムジャケット、ブックレットの写真を見ても同じである。彼は、恐ろしいほどの大きなオーラをその背に漂わせているのである。

 

元々、マイルス・デイヴィスは、音楽のエリートとしてのキャリアを持つが、彼の音楽を語る上で、そのことばかり取りざたするのは建設的といえないだろう。なぜなら、マイルスは、自身の品行方正な経歴を度外視するようなアウトサイダーとしての魅力を持っている。彼の描く音風景「サウンドスケープ」は、バスキアに近いものがある。

 

後に、クラシック・ジャズから離れ、アバンギャルド・ジャズ、ニュー・ジャズの未知の領域に、スタジオアルバム「Tutu」あたりから恐れ知らずに踏み入れていき、当世の人間には容易に理解しえない「マイルスの世界」あるいは「マイルスの時代」を強固に構築していくようになる。

 

常に最新鋭を行こうとする進取的な気概もある。彼が、例えば、仮に、ニューオリンズのジャズマンであったのなら、どうだったろう? もしかすると、これほど偉大なジャズの伝説的なプレイヤーは誕生しえなかったかもしれない。それはおそらく、音楽だけにとどまらず、ブロードウェイをはじめとするマンハッタンの多文化性が自身の環境に当たり前に存在したため、マイルスの音楽は最前線を行かざるをえなかったともいえるのだ。

 

 

  

出典:Reijo Koskinen / Lehtikuva, Public domain, via Wikimedia Commons
 

 

マイルスの全体の音楽家としての大まかなキャリアを見渡してみると、体系的に音楽を学んだミュージシャンとは思えないほどの風変わりさ、前衛性においても同時代の演奏者の最前線を行き、そして、活動の時代によって、自らの音楽性をコロコロと七変化させたジャズプレイヤーの姿が彼には見いだせる。

 

トランペット奏者としても、枯れたブレスの味わいを探求しつくした初期から、管楽器としての可能性を推し進めていき、華やかなトランペット奏者としての道に踏み込んでいった。誰も比肩しない孤独な領域は、「Kind of Blue」でクラシック・ジャズの金字塔を打ち立てた後に始まったといえる。それから、ほとんど無節操といえるほどのジャンルのや多様さを自身の音楽の中に内包するに至る。その中には、アンビエントに対するアプローチも含まれている。そして、マイルスのこの多彩な音楽家としての変身振りは、ソビエトからアメリカに亡命したクラシック作曲家ストラヴィンスキーを彷彿とさせる。

 

ストラヴィンスキーもまた同じように、キャリアの中で、前衛音楽、バレエ音楽、もしくは新古典主義といわれるようなバッハの音階を独自に解釈した色彩感の強い音楽と、活動期によってその音楽性はさまざまである。

 

もちろん、彼等二人が実際、親交があったかどうかまでは寡聞にして知らないものの、「The Rites of Spring」のリズムの前衛性に、マイルスが深い感銘を受けて、自身の音楽性の中に取り入れたというのは有名だ。

 

特に「The Rite of Spring」パート1の二楽章「Adoration of the Earth:The Augurs of Spring」でのアクの強いリズム性、シンコペーションを多用した怒涛の展開は、アフリカの民族音楽から大きな影響があるといわれていて、この「ダン、ダン、ダン、ダン」という規則的で裏拍のニュアンスが強い原始的なリズムの革新性に、マイルスは深い感銘を受けたという。そして、これが後に、彼自身がアヴァンギャルド・ジャズを生み出す過程で、重要な”鍵”となった可能性もある。

 

 

 

もちろん、彼は晩年までずっと創作意欲が衰えなかった珍しいタイプの芸術家として挙げられる。そして、活動自体も長く、ジャンルも多岐に及ぶため、マイルスのマスターピースは、時代の中に無数に散らばっている。

 

リスナーの趣味によって、どれを拾い上げるかはそれぞれであり、名盤という意味合いも受け手の感受性によって変わってくるかと思う。熟練のジャズ愛好家は、伝説的なフィルモア・イーストのライブ盤を選ぶかもしれない。果たして、どれを選ぶべきなのか迷ってしまうが、今、私の頭にぼんやりと浮かび上がっているのは、このジャズの巨人をよく知るための手がかりともいえる名盤、「Kind of Blue」1959、「Sketch of Spain」1960、「Tutu」1986の三作である。

 

無論、「Kind of Blue」はクラシック・ジャズの定番作として名高い。そして、彼はこの作品において、エヴァンス、コルトーレーンという大家と共に、古典ジャズの高みに上り詰めたため、別方向にアプローチを転じて行く必要に駆られたように感じられる。そして、次作「Sketch of Spain」では、ジャケットの絵画のようなオシャレさも目を惹くが、特に、マイルスが民族音楽への強い傾倒をジャズ・マンとして見せている、彼の長いキャリアの中でも意味深い通好みの作品といえる。

 

また、この二作とは全く異なる意味合いを持っているのが「Tutu」だ。マイルス・デイヴィスが”前衛的なジャズ・プレイヤー”と呼ばれる由縁を作り、「ニュー・ジャズ」という新ジャンルを生み出した驚愕に値するモンスターアルバムである。特に、この「Tutu」については、現代の電子音楽のジャンルに少なからず影響を与えており、この辺りの音楽性の骨格をなしているともいえる。

 

ほとんど信じられないことに、マイルスという怪物はあろうことか、00年以降になって流行する音楽を、すでに86年に、つまり、その音楽が流行る二十年以上も前にクールに演奏している。現代のエレクトロニカという形の一番最初の原型は、このマイルスの「Tutu」というアルバムの音に求められるのではないだろうか。

 

「Kind of Blue」1959、「Sketch of Spain」1960、「Tutu」1986。以上の三作品は、どれもこれも、LP盤を購入し、家の部屋の壁にインテリアみたいに飾っておきたい名品ばかりだ。

 

しかし、やはり、マイルスの最高傑作として、なおかつ、彼のその後の音楽の前衛性を強めていくことになった要因として深い意味を見出すなら、「Kind of Blue」を挙げておきたい。なぜなら、このアルバムは、以前のニューオリンズのジャズと、この以後の世代のジャズの橋渡しを果たした、ジャズ史においてきわめて重要な聴き逃がせない作品の一つといえるからだ。

 

 

 

 

 

「Kind of Blue」は、ライナーノーツによると、ニューヨークにある”Columbia 30th Street Studio”で録音された。そしてなんと言っても、まず、曲のことについて語る前にこのジャズアルバムの歴史的傑作を完成させている、Personell(要員)について、ライナーノーツから引用する。


Trumpet  Miles Davis

Saxphone  Julian "Cannonball"Adderley"

tenor saxphone  John Coltrane

Piano  Bill Evans、Wynton Kelly

Bass  Paul Chambers

Drum Jimmy Cobb

 

このスタジオアルバムには、「Kind of Blue」という名が付されている。 これは言うまでもなく、この音楽がジャズだけではなく、「ブルーズー憂愁」の要素を少なからず含んでいるからだと思われる。無論、アルバム全体の表面の雰囲気には、かなり強く古い時代のニューオーリンズのブルージャズの影響が見受けられる。多分、これはあまり指摘されない独自の解釈であると申し開きをしておくが、特に大家のサッチモ、ルイ・アームストロング辺りの影響、そして、ニューオリンズのジャズに対する敬意と賞賛がこのアルバムにはそれとなく込められていると思えてならない。

 

この辺りは、コルトレーンが参加しているからそうなったのか、それとも、中心的なエヴァンスとデイヴィスが話し合って決めたことなのかまでは定かではない。しかし、ひとついえるのは、ここにはブルー・ジャズの基本的な楽曲構成が見受けられながらも、そこに新たな息吹のようなものが込められている。

 

それは、おそらく、このニューヨークのコロンビアのスタジオで録音されたことが大きいと思える。もちろんその影響はありながら、サッチモやエラ・フィッツジェラルドの時代のいくらか泥臭さのあるオーリンズ風のブルー・ジャズとは、根本的に何かが異なるというような気がする。それは何なのか? マディ・ウィーターズの楽曲が、都会的な雰囲気を帯びている以上に、このアルバム「Kind of Blue」には、ニューヨークのスタイリッシュなクールさが宿っている。それはちょっというなら気障ったらしいカッコつけのようなものかもしれない。しかし、そのジャズプレイヤーとしての意地の張り合いのようなカッコつけは、彼等の実際的な名演により異様なほどの芸術性に高められている。そして、あらためてこの古典ジャズを聴いてみると、このなんだかよくわからない、都会的な”空気感”とも呼ぶべきものが、このアルバムを永遠不変の傑作たらしめているという気がする。

 

 

「Kind of Blue」は様々な形式でリマスター版が再発されているが、ここではオリジナル盤の楽曲、

 

 

1.So What 

2.Freddie Freeloader

3.Blue in Green

4.All Blues

5.Flamenco Sketches

6.Flamenco Sketches(Alternate Take)

 

 

についてごく簡単に解説しておきたい。また最終曲の「フラメンコ・スケッチ」のオルタネイトテイクについては変奏曲なので説明は五曲目の中で手短にしておく。

 

まず、このコロンビアスタジオで録音された音の精彩さに驚かされる。今でも、全然古びていない最先端のサウンドである。まさに、現代のブルーノートのライブハウスで生の本格派のジャズを聴いているような素晴らしいプロダクションでもある。そして、一つ、アルバム全体として面白い特徴は、古典音楽の作曲の基本技法「AーBーA」形式が多くの楽曲において取り入れられていることだろう。

 

 

♫ 「So What」

 

 

当時の音楽としては非常に画期的な楽曲構成だったといえる。チャンバースの温かみのあるコントラバスの響きが既にこの楽曲を名品とさせている。ジャズの形式としてその後に普遍的なものになったコールアンドレスポンスというのも、息がぴたりと合っている。

 

このジャズの巨匠たちは、アドリブだけで曲の最後まで持っていく力量、技術そして知見を兼ね備えている。これはまさしく、空前絶後の職人技といえる。息つくところのない、非の打ち所のない流麗なサウンド。たおやかでありながら、全体的な音はビシッと引き締まっている。

 

そして、中盤では、高らかにコルトレーンとデイヴィスの掛け合いが、自らの腕前を競いあうように奏でられるのが聞き所だ。

 

楽曲の終盤になって、前面に引き出されるジミー・コブのスネアの響きというのも、この楽曲を優雅でダイナミックなものとしている。

 


 ♫「 Freddie Freeloader」

 

 

コルトレーンとデイヴィスの麗しいハーモニーの上にエヴァンスのピアノが華やかな彩りを添えているニューオーリンズのブルージャズを全うに踏襲した楽曲。ここには、ニューオリンズのジャズがそうであったように、夜の雰囲気に満ちあふれている。

 

またエヴァンス、デイヴィス、そして、コルトレーンとつながっていくアドリブのバトンタッチも、各人のプレイヤーのキャラクターの楽しさに満ちあふれている。曲の終盤にかけて、マイルスの独壇場となっていく。他のプレイヤーとの掛け合いの際、他のジャズプレイヤーの大家に遠慮するような気配もあるのだが、自身の独演となったとたんに何か吹っ切れるというような感があってとても面白い。

 

このマイルスしか出すことのできない音の迫力、そして、音の張り、また、彼の持つ異様なほど強力なエナジーが曲の終盤にかけてこれでもかというくらい表現されている。ここには後のアバンギャルド性を強めていくマイルスの音楽性の萌芽も見受けられる。もちろん、難しいことは差し置いておき、スタンダードなジャズの演奏の楽しみというのが心ゆくまで味わいつくせる楽曲だ。

 

 

 ♫「Blue in Green」

 

 

アップテンポで心たのしい雰囲気のある前二曲とは打って変わり、しっとりしたジャズ・バラードの名品である。

 

ここでは、作曲上で、ビル・エヴァンスの存在感が、前の二曲よりも強く感じられる。そして、エヴァンスのソロ作「Autumn Leaves」に感じられるような憂愁の雰囲気が、この楽曲に物憂げな雰囲気をもたらしている。ニューヨークのマンハッタンの中、群衆の中、ひとりきりで歩くようなアンニュイな雰囲気に満ちている。叙情性はあるが、どことなくダンディな味わいがある。

 

この曲で、マイルスはミュート(消音器)を付け、しっとりした枯れた味わいのあるトランペットのブレスを聴かせてくれる。

 

また、この楽曲はどちらかといえば、エヴァンスの曲なのかもしれない。ここで、マイルス・デイヴィスは、つかの間の名脇役に徹しているように思える。しかし、曲の終盤にかけて、様相は異なってくる。デイヴィスのトランペットの「泣き」によって、この楽曲は切なげな雰囲気に彩られる。そして、最後のエバンスの美しく優雅なフレージングによって、このバラードソングの幕は徐々に、ゆっくり閉じられていく。

 

 

 ♫ All Blues 

 

 

この楽曲も二曲目「Freddie Freeloader」と同じように、ニューオリンズの古典的なブルージャズの雰囲気が漂っている。

 

ホーンセクションのハーモニー、そして、リズムというのはシャッフルの要素もあり、オシャレさもあるが、やはり、この楽曲に色濃く感じられ、方向性として貫かれているのはあっけないほどシンプルなニューオーリンズのジャズであり、そして、その文化的遺産に対する多大な賛美といえる。

 

エヴァンスもあっけないほどシンプルな対旋律を軽やかに弾きこなしている。これは、すでに往年によく見られた型だ。しかし、途中のインプロヴァイゼーション(アドリブ)で見られる楽しいフレージングは、コルトレーン、マイルスしか引き出せない独特な雰囲気が漂っているように思える。そして、二曲目の「Freddie Freeloader」と異なるのは、ビル・エヴァンスの華やかな装飾音によって、この楽曲は、いかにも五番街!ともいうようなオシャレな空気感に彩られていることだろう。これはニューヨークでの録音がもたらした偶然の産物といえるかもしれない。

 

 

♫ Flamenco Sketches

 

 

言わずもがな、ジャズの伝説的な名曲。これをジャズ史上最高の大名曲として大袈裟に紹介しておきたい。

 

まだトランペットとサックスの聞き分けすら出来なかった時代、はっきりとトランペットの音を意識し、なんとなくトランペットというのがどんな楽器なのかよく分かったのが、このマイルスの枯れた渋みのある味わいのおかげだった。後々、2000年代あたりかと思うが、北欧のジャズシーンでは、トランペットで日本の尺八のような音を出す異質なプレイヤー、例を挙げると、Arve Henriksenが出て来た。そして、初めて、トランペットという音の響きの意味を変え、その音の響きの拡張を試みたのがこの楽曲で、器楽の一面においてもきわめて革新的な楽曲だ。

 

いや、もちろん、この歴史的な名曲に、そのような解釈を付け加えるのは蛇足といえるかもしれない。何度聴いても全然その鮮やかさが失われない、おそろしいほど精彩味がある名曲である。ここでマイルスは、ミュートを取り付け、落ち着いていて、感情に抑制の効かせたフレージングを徹底させてしている。オルタネイト・バージョンでは、モチーフとなるトランペットの旋律が若干異なる。おそらく、コロンビアのプロデューサーも、アルバム・トラックとして完成させる過程において、どちらのテイクも余りに素晴らしくて捨てがたかったため、メイン・バージョンとオルタナ・バージョンを両方収録するしかなかったというような気配も垣間見える。

 

「Flamenco Sketches」において、ピアノの演奏と同じように、管楽器もまた同じように、素晴らしい演奏をするためには歌わなければならないのだというのを、マイルス・デイヴィスは、聞き手にとどまらず、後世のトランペッターに示唆しているように思える。そう、そして、これは間違いなく管楽器を介したマイルスの”語り”なのである。

 

このアルバムが「カインド・オブ・ブルー」と名付けられたのは、何も「Blue in Green」「All Blues」が収録されているからだけではないはず。このジャズ史きっての傑作「Flamenco Sletches」には名ジャズ・プレイヤー達の都会的に洗練されたクールな哀愁が、ただならぬ気配と覚悟を持って表現されている。

 

この楽曲、そして、この名作アルバムの完成した瞬間、マイルス・デイヴィスは自身のそれまでの音楽性に見切りをつけ、そしてまた、トランペッターとしての方向性の転換をはっきり決意したのに違いあるまい。

 

なぜなら、このアルバム「Kind of Blue」において、マイルス・デイヴィスは、エヴァンス、コルトレーン、チャンバースと共に、古典ジャズの”頂”に上り詰めてしまった。そのため、彼は、その高い山のさらに向こう側にある「アバンギャルド・ジャズ」「ニュー・ジャズ」を見ておく必要があったのだろう。


Trygve Seim 「Different Rivers」


ノルウェー出身のサクソニスト、トリグヴェ・セイムは、同郷のヤン・ガルバレクとともにすでにサックス界の大御所といっても差し支えないのかもしれません。

個人的にはジャズというジャンルについては、自分よりも遥かに詳しい方が沢山おられますし、まだまだ不勉強の若輩者なんですが、よくいわれるように、トリグヴェ・セイムのサックスフォンの響きは他の奏者と比べると、ハートウォーミングなあたたかみある音が彼の特質なのかなと思います。あらためて管楽器というのは、人の感情を音として表すのに適しているのだなあとつくづく思ってしまいます。

トリグヴェ・セイムの演奏は常に感情のコントロールが効いていて、テナーサックスなんですがガルバレクのかっこよい高音の強調されるのとは対照的に、セイムの演奏というのは、それほどガルバレクほどは高音を強調せず、ゆったり落ち着いた奥行きある中音域の音色を聴かせてくれるのが特徴です。つまり、華々しい印象があるのがガルバレクであり、一方、渋い印象があるのがセイムといえるでしょう。それでいて、なにかしらかれの演奏には非常に深遠な思想性、もしくは哲学性が感じられ、妙な説得力が宿っているように思えるのは、彼の音楽に対する真摯なアティティード、いわばサクスフォンという器楽を介しての求道者的姿勢によるものが大きいのかもしれません。

そこには、憂いあり、悲しみあり、もしくは、爽やかさもありと、人生の酸いも甘いもすべて内包して、端的に表現できるのが管楽器の醍醐味なのかもしれません。おのれのうちにある感情、どうあっても引き出さずにはいられない感情を、多彩なニュアンスで表現しえるのが管楽器なんだというのが、セイム氏の演奏に教えられたことです。それはジャズを一度も演奏したこともない素人にもなんとなく理解でき、つまり、管楽器というのは、その人の人生の味がブレスとなって空間にじわじわと滲み出てくる楽器であり、技巧だけでごまかしのきかない楽器といえます。この辺りはピアノフォルテをはじめとする鍵盤楽器と異なる特徴かもしれません。その人の人生観、生き様みたいのが、如実ににじみ出てきてしまうのが管楽器の特徴なのでしょう。


 

現代気鋭のトランペット奏者、アルヴェ・ヘンリクセンと組んだ今作「Different Rivers」はECMのリリースの中でも、ジャズファンは聞き逃すことのできない屈指の名盤の一つとなっています。

このアルバムのもうひとりの主役、アルヴェ・ヘンリクセンのトランペット奏法というのもかなり前衛的であり、ミュートをつけたトランペットから掠れたブレスの音色のニュアンスの中に積極的に取り入れているのが独特であり、どちらかといえば、日本の伝統楽器、尺八のような音色が顕著に感じられるのが非常に面白い点です。マイルス・デイヴィスが名作「フラメンコ・スケッチ」で切り開いてみせたトランペットのブレスの枯れた渋みのある味というのを、いやあ、思い出しただけでため息が出てきそうなあのマイルスの伝説的な演奏というのを、ここでさらに現代的に一歩前進させてみせたのが、アルヴェ・ヘンリクセンというトランペッターの主たる功績といえそうです。


このアルバムで白眉の出来と言っても差し支えないのが「Breath」という楽曲。といいますかこれは音楽史に残るべき名曲であるとはっきり断言しておきたい。

なぜなら、聴いて鳥肌の立つほど美しい曲に出会うというのは人生でもそうそう味わえない稀有な体験で、それこそ人生にとっての大きな財産のひとつだからです。大見得切って言うと、この曲を聴くためだけにこのアルバムを買っても後悔はしないでしょう。

この「Breath」では、サックス、トランペット、そして、フレンチホルンが和音を順々に重ねていき、そこにもうひとつのノートが加わって、最終的には不協和音が形づくられるわけですけれど、この縦の和音が横に長いパッセージとして引き伸ばされることにより、これまでにないような心休まる甘美なアンビエンスが表現されています。この協和音と不協和音の揺らぎのようなものが非常に心地よいです。

同じ反復的な縦の和音が延々と繰り返され、また、そこに、シゼル・アンデレセンの静かで落ち着いた語りが挿入され、独特な音響世界が奥行きをましながら、どんどんと音の響きが押しひろげられていく。

そして、シゼルの語りこそ、その都度異なれど、楽曲の構成自体はおよそ九分以上もこのモチーフが延々と繰り返されるだけなのに、まったく飽きがこないどころか、このうるわしい音響世界に永遠浸っていたくなってしまう。曲自体の和音、そして、構成自体はとてもシンプルなのに、管楽器のブレスのこまかなニュアンスだけで、これほど壮大かつ甘美な音響世界がかたちづくられるというのはおよそ信じがたいという気もします。曲の最後で一度だけ和音が崩されるところも何とも甘く美しい。これは、ジャズ側からのアンビエントに対する真摯な回答のような趣きがありますね。

 

「For Edward」も、ゼイムとヘンリクセンの絶妙な掛け合いが印象的な名曲といえ、トランペットの表現力というのもここまで来たかと驚愕せずにはいられません。ここでは、ヘンリクセンが主役として舞台の前にいざり出て、彼独自の枯れた渋い音色を聞かせ、その上にセイムの枯れたサックスのフレーズが合わさることにより、なんともいえない落ち着いたアダルティな雰囲気を醸し出しています。この独特な大人の色気というのはなんなんでしょうか、私のような若輩者にはまだわからない世界というものがあるのやもしれませんよ。トランペットとサクスフォンの絶妙な掛け合いだけで、ここまでうっとり聞かせてくれる曲が生み出されるというのも非常に稀なように思えます。

他にも、表題曲の「Different Rivers」のホーヴァル・ルンドのクラリネットの音色も、非常に優雅な趣きを演出していて、いかにも多様な響きのある、それでいて、大人の渋みのあるノルウェージャズらしいアルバムだといえるかもしれません。アメリカのニューヨーク、もしくはニューオリンズのジャズとは異なる味わいがこのアルバムで心ゆくまで堪能できるだろうと思います。また、「Search Silence」では、フリージャズのような現代音楽への接近も見られて、参加構成は吹奏楽器中心ながら非常にヴァリエーショーンに富んだトラックが多く見られますのも面白い。

この「Different Rivers」は、エグゼクティブプロデューサーにマンフレッド・アイヒャーの名も見えることから、サウンドプロダクションの面でもちょっとした細かな音も聴き逃すことは出来ません。

まさに細部に神が宿るというのはこのアルバムにふさわしい表現でしょう。空間処理の面で音のアンビエンスの奥行きが重視されており、サックス、トランペット、もしくはフレンチホルン、クラリネット、そして、ボーカルの細かな息遣いに耳を済ましていると、いつしかセイムとヘンリクセンの生み出すめくるめく音響世界の中に入り込んでおり、まるで、すぐ目の前で管楽器が演奏されているようなリアル感があります。また、そこに鳥肌が立つほどの美を感じます。まさに、真善美がよく現れているのが、「Breath」をはじめとするこのジャズ史に燦然と輝く名盤です。

このECM屈指の名盤「Different Rivers」は、イヤホンで聴くより、ヘッドフォンでじっくり聴いたほうがはるかにその良さが理解してもらえる作品だろうと思います。なんとも芳醇なノルウェージャズ、その最高峰の渋みというのがこのアルバムでたっぷりじっくり味わいつくせるはずです。

 

[References]

discogs.com  trygve seim different rivers https://www.discogs.com/ja/Trygve-Seim-Different-Rivers/release/1557892


 


Pat Metheny「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」 

歴史的な名盤とアルバム・ジャケットの関連性というのは、切っても切り離せないものであると思っています。

 
キング・クリムゾンの「In The Court Of The Crimson King」の狂気的な表情の人間のイラスト、
ザ・クラッシュの「London Calling」のステージでベースを振り上げているポール・シムノン、
ポップアートの巨匠、ウォーホールの手掛けたThe Velvet Undergroundのバナナジャケット。
 
というように、アーティストの名盤には、必ずといっていいほど印象的な忘れがたいアートワークがついてまわる宿命なのでしょう。
 
無論、このPat Methenyの「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」も同じで、このアルバムのアートワークには何度見ても飽きのこない、永遠の美しさが宿っているように思えますね。
ECMのアートワークというのは、どれもこれも印象的であって、アルバムに収められている音楽性をより魅力的にみせてくれます。
 
リリースカタログを眺めていてハッと気がつかされるのは、ECMのアルバムジャケットの写真のイメージ自体がなんらかのイメージを喚起し、写真の中ににじみ出てくるような深いメッセージを有していることです。
 
 
そして、若き日のパット・メセニーが、ライル・メイズと組んだこの伝説的ジャズフュージョンアルバムに関しても、全く同じような趣旨がいえるのかもしれません。
 
 
このアルバムジャケットに映されているモノクロ写真。
 
アメリカ南部にありそうな、見渡すいちめんの荒れ野のような場所、一台の車が電信柱を背にし、神秘的なフロントライトをぴかっと光らせながら走ってくる、その詳細というのは、陰影に包まれているため、目をこらそうとも判然としない。
 
しかし、その不分明さが何か見る人の目を、よりそこに惹きつけずにはいられなくしています。
 
手前に、なぜか受話器を持った手が脈絡なく映し出されています。
 
はじめ、これは、ヒッチハイクでもしているのだろうかという印象をおぼえたんですけれど、実際、何度見ても、車と受話器の腕の関連性はよくわかりません。けれども、奇妙なアートワークであることは確かでしょう。

そして、このアルバムで表現されている音楽性という点についても、このアートワークをより深く印象づけるかのように、ライル・メイズの前衛的で神秘的なキーボードの手法により難解なものとなっています。
 
 
 
・「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」
 
 
大自然を感じさせるようなイントロ、それがぴたりと止むと、メセニーが悲哀のあるフレーズを奏でる。
ジャズ的でもあり、民族音楽的でもあり、もしくはトラッドフォーク的でもあり、もしくはプログレ的なアプローチの要素を感じさせるところもあり、さまざまな類の音楽性が複雑に絡み合いながら曲は進行していきます。そして、メセニーとメイズという、二人がもちうる独特な感性をぶつけあうようにし、それが融合して、ひとつの大きな立体的音楽構造を作り上げていきます。曲自体は高度な技術で支えられていて、何度も変拍子を繰り返しながら曲の印象を転変させていく。
 
どことなく難解な印象のある曲です。しかし、最後のほうにかけて、それまでたえず曲全体を覆い尽くしていた不可解な雰囲気が途絶えていき、それまで空を覆い尽くしていた暗雲がはれわたるかのように、ぱっと明るさが覗き込んできます。
 
すると、雲の隙間から太陽がさんさんと差し込んでくる。そして、メイズのシンセサイザーにのって最後に聞こえてくるのが、自然を寿ぐかのように、子供が無邪気に騒いでいる声のサンプリングです。曲の最初の方にわだかまっていた怪しげな雰囲気は消え、爽やかな明るさに包まれていく。
 
 
・「Ozark」
 
 
メイズのシンセサイザーの鮮やかさといったら、なんとも表現のしようがありません。ライル・メイズは、ここで、ピアノで曲のリズム自体をぐんぐん引っ張っていきます。
 
そして、なおかつ、ここではどちらかといえば、脇役であるメセニーのギターをより明るく際立たせています。
 
キーボードの演奏自体はかなりテクニカルなんですけれど、非常に親しみやすい印象を与え、青々とした明るさが満ちわたっています。
 
 
この曲を聴くと、なんだかすがすがしい気持ちがしてくるように思えます。

 
・「September Fifteenth」
 
 
前曲「Ozark」の陽気さがふっと途絶え、いきなり哀感のあるメセニーらしい美しく甘く切ないフレーズが涙を誘います。そして、穏やかな彼の伴奏の上に、メイズの独特の民族楽器の笛のようなシンセの音色が彩りをなす添えることによって、おぼろげだった曲の輪郭を次第にはっきりしていきます。
 
曲全体の印象は、終始、静かであり、おだやかです。そして、ピアノのきらびやかな音が、メセニーのギターと小気味よくかけ合うようにして曲が続いていきます。
なんともいえず、贅沢な音楽が二人の掛け合いによって繰りひろげられていって。最初のしんみりした雰囲気が波打つようにしながら、明るい印象をたずさえながら進んでいきます。
 
 
短調と長調がたえず入れ替わりながら、曲はクライマックスにかけて、ゆるやかな旋律を描きながら向かっていきます。
 
そして、終盤になり、穏やかな波が、浜にやさしく返すように、再びまた、イントロのしんみりとした形に戻り、この曲はゆっくり閉じられていきます。

 
・「It’s for you」
 
前の曲と一転して、清々しい印象のフレーズがメセニーによって奏でられはじめます。この曲は、メセニーの流麗なアップストロークによって導かれていきます。ギター・プレイ自体に、メセニーの温和な人柄がはっきりと現れ出ていて、他の誰にも出せないあたたかい雰囲気を形作っています。
 
おそらく、こういった穏やかで朗らかな雰囲気を出すことにかけては、メセニーという人物は、他に類を見ないギタリストであると言えるでしょう。
ここでも、ギターのフレーズが反復的に鳴らされる中において、メイズの民族音楽の笛のような不可思議な音色が再登場してきて、大きな自然の崇高さを前にしたときのようないいしれない感動を与えてくれます。

 
・「Estupenda Graca」 
 
このアルバムの中、ジャズ史、音楽史的にも最大の名曲のひとつにかぞえられるといっても大袈裟ではないでしょう。ここでは、はっきりと大自然の美しさというものが表されている気がします。
 
鳥のかわいらしい声だとか、獣のなまなましい息遣いのような音の暗示によって、これまでにない新しい場所に聞き手をいざなってくれるかのよう。
 
そして、ヴァスコンセロスの叫びには、大いなる自然に対する賛美が感じられて、それが「アメイジング・グレイス」のような荘厳な雰囲気をなし、元気と癒やしを与えてくれます。
ある種の言語におさまりきらない、野生味のある迫力のある叫びが音楽というものがいかに素晴らしいものなのかを体現してくれています。

 
何十年過ぎてもなお、録音された瞬間の燦然たる輝きをいまだ失うことのない不朽の音楽アルバムというのが、この世にはごく稀に存在します。
 
それこそが人間の残した文化的な遺産、まさしくこの「As Falls Wichita,So Falls Wichita Falls」に捧げられるべき言辞でしょう。
 
 
このジャズの金字塔的アルバムに、今更、講釈をつけ加えるのもおこがましいように思えます。
 
しかし、このアルバムに、どうあっても見逃すことの出来ないメッセージを見出すとなら、それは、パット・メセニー、ライル・メイズという、二人のジャズの伝説的名手によって音楽という形で紡がれる、あたたかな大いなる自然への敬意、そして、賛美であったのかもしれません。