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Weekly Recommenedation 

 

Living Hour  『Someday Is Today』



Label:
Next Door Records 


Release: 2022年9月2日

 

Listen/Stream

 

 

Review

 

リヴィング・アワーの出身地、カナダのマニトバ州ウィニペグには、先住民族が古くから住んでおり、レッド川とアシニボイン川、2つの川が合流地点にあたり、エスキモーにとっても神聖な地域に当たる。そういった都市特有の気風が色濃く反映された一枚が、彼らの最新アルバム「Someday Is Today」ということになる。バンドのメンバーはバンクーバーの気風を知らぬわけではないが、いつもこのウェニペグという風光明媚な都市が好きで戻ってきてしまうというのです。

 

それ以前に書かれた曲も中には含まれているというものの、このアルバム『Somday Is Today』の大部分はカナダのロックダウン中に書かれています。さらに、ourcultureのインタビューによると、作品のインスピレーションとなったのは、ニューヨークのFloristの音楽であるようだ。他にもギターやカシオのシンセサイザー、ボイスメモ等を介して、リモートのやりとりを通じて、最終的に完成へと導かれた作品だという。 パンデミックの当初、ボーカリストは、この隔離の期間に特権を感じ、楽しんでいた部分もあったのだそうです。その後、ZOOMを介して、Jay Somや Melina Duterteといったゲストとともに非常に丹念に組み上げられている。ちょうどメリナ・ドュテルテはマニトバにツアーのために訪れていたこともあり、直接的な交流を取ることによって、相互の音楽における信頼関係がこの作品にも良い方に表れ出ているようにも思えます。

 

この最新アルバムは寒冷な土地ウィニペグの”No Fun Club”というオープンしたばかりのスタジオでレコーディングされている。このスタジオの設計者はそのスタジオを「吸血鬼のステーキハウス」と呼び、奇妙なゴシック調のシャンデリアが装飾品として吊り下げられた英国の19世紀の時代を思わせるようなスタジオが使用された。また、パンデミックのために録音自体は当初の予定よりも数ヶ月遅れで始まり、2020年の10月から翌年の1月に変更されたという。

 

しかし、このバンドにとっての予期せぬ出来事は、新たなレコードを作製する上で結果として良い効果をもたらしたのではないかと思われる。よく、このバンドの音楽は「白昼夢のよう」と称される場合があるが、バンドの特性はこのアルバムにおいて強化され、夢見心地のインディーポップ、ギターロックの世界が確立されている。タワーレコードの提供資料では、シューゲイズ寄りの作品と説明されているが、実際、全くないわけではないものの、シューゲイズの要素は薄く、どちらかといえば、ヨ・ラ・テンゴや『Loveless』以前のマイ・ブラッディ・バレンタインに近いオルト・ロック/ドリーム・ポップの心地よい音楽が全編を通じて展開される。

 

アルバムの前半部では、スローテンポの落ち着いた良質なインディーロックが一貫して提示されており、オープニングを飾るポップアンセム「Hold me in Your Mind」、スローコア/サッドコアのような内向的な質感を持つロックソング「Curve」、それに加え、ドリームポップの王道の楽曲「Hump」の甘美な旋律進行やハーモニーでリスナーを魅了する。しかし、それらのオルタナティブロックの要素はこのレコードの魅力のほんの一部を表したものでしかありません。その他、アルバムの後半部では、チルアウト、ボサノバの影響を受けた、トロピカルな雰囲気を漂わせる「Miss Miss Miss」といったリラックスした良曲でリスナーの心をクールダウンさせてくれる。

 

やはり、特筆すべきなのは、このアルバムは、ウィニペグの季節の清涼感のある空気感が音楽に力強く反映されていることに尽きる。「Someday Is Today」は、目を閉じて聴いていると、そういった冬の美しい風景が自ずと脳裏に浮かんできそうだ。人間の想像性を最大限に喚起する力をもったレコードであり、音楽自体がその土地の季節の風景を抒情的に反映させたものとなっている。これは2020年のカナダのウィニペグでしか作り得ない数奇なレコードとも言えるでしょう。

 

サウンド・プロダクションの側面においても、ロックダウンという時代背景を全然感じさせない、音楽としてバンドメンバー、ゲストミュージシャンとの緊密な連携が保たれており、作品自体の完成度も群を抜いて高い。本作のリスニングを介してリヴィング・アワーの音楽の持つ魅力が心ゆくまで体感出来るはずです・・・力が程よく抜け、涼し気な雰囲気を持つボーカル、フォーク・ミュージックのように叙情的で繊細なアルペジオギター、My Bloody Valentineの最初期のようなレトロなシンセを駆使した甘美なフレージング、楽節の短いセクションに導入されるループエフェクト・・・、どれをとっても超一級の才覚が迸っている。『Someday Is Today』は今年度に発売されたドリーム・ポップのジャンルの作品の中で最高傑作の一つに挙げられるでしょう。

 

 

 90/100

 

 

 

Weekend Featured Track 「Humb」  

 

 Weekly Recommendation   

 

Julia Jacklin 『Pre Pleasure』

 



 

Label:  Transgressive/Polyvinyl/Liberation

Release:  2022年8月26日


 

 

Review

 

今週の一枚として、紹介するのは、オーストラリアのシンガーソングライターのジュリア・ジャックリンの最新アルバム「Pre Pleaure」となります。既に、前二作のスタジオ・アルバムで大成功を収めたジュリア・ジャックリンは、オーストラリア国内での不動の人気ソングライターとしての地位を築きあげただけにとどまらず、国外でもその名を知られるようになってきている。



 

共同プロデューサーにマーカス・パキン(The Weather Station, The National)を迎え、モントリオールで録音された「Pre Pleasure」は、ジュリア・ジャックリンがカナダを拠点に活動しているバンド、ベーシストのベン・ホワイトリーとギタリストのウィル・キッドマン(ともにカナダのフォークバンドThe Weather Station)とチームを組んでいる。また、ドラマーのLaurie Torres、サックス奏者のAdam Kinner、プラハのフルオーケストラで録音されたOwen Pallett (Arcade Fire)のストリングスアレンジメントもいくつかの楽曲の中で取り入れられる。

 

ジュリア・ジャックリンはこのレコードの楽曲は、「書くのに三年かかったか、三分かかったかのどちらか」と報道資料を通じて説明しているが、少なくとも、彼女はここで敬愛する歌手、セリーヌ・ディオンの影響下にある心地よいポピュラーミュージックを展開している。

 

表面上では、これらの収録曲は、最近のトレンドに沿ったベッドルーム・ポップという形で提示されてはいるものの、それだけではなく、このシンガーソングライターの内面を表現するかのように、多彩な表現が込められている。そしてジャクリンは日常で体験した感情をそのまま様々なスタイル、ーーポピュラーソング、ギターロックーーとして表現している。それは時に、「Love Try~」で見られるように、重苦しいヘヴィーロックのような雰囲気を持って胸に迫ってくる楽曲もある。繊細で叙情的でありながら、ジュリア・ジャックリンの歌声、楽曲そのものは不可思議な現実感を兼ね備えている。これがなぜかについては、このシンガーソングライターの以下の言葉の中に現れている。



 

 

「人生を楽しむ前に、全ての仕事をしなければならないと感じることがよくある。曲の制作であれ、セックスであれ、友情であれ、家族との関係であれ、一生懸命に取り組めば、いずれ楽しめるようになる、と思っているのかもしれない。でも、そんなことはない。全てはすべては現在進行形なのだから」

 

と語るように、ジュリア・ジャックリンは、キャッチーなポピュラー・ソングを舞台女優のように明日を夢見て歌いながら、現在に根ざした生々しい直接的な感情表現を込めており、そして、それはときにかなり苛烈な表現性になっている。 もちろん、プラハのフルオーケストラのアレンジメントはジャックリンの高い作曲能力にドラマ性、ストーリー性を付加していることは確かだ。

 

オープニング「Lydia Wears A Cross」ではベッドルームポップのスタイルを取っている。しかし、歌は、常に内面と深くリンクするような形で行われており、夢想的な雰囲気を漂わせつつも、やはりリアリズムの方に重点が置かれている。その他、内省的なポピュラー・ソングとしてアルバムの中で鮮烈な印象を放つ「Ignore Tenderness」では、ギルバート・オサリバンのようなクラシカルなポップスに重点を置いた良質な楽曲で聞き手を魅了するが、ここでも内面を抉るようなかなり強い表現が込められている。



 

アルバムの中盤を彩るのは、近年のトレンドのオルタナティヴ・フォークに触発された楽曲が中心となっており、「Less Of Stranger」、「Moviegoer」「Magic」と一連の静かで内省的で心地よい流れを形作っている。これらの曲は、アルバム序盤と終盤をつなげる連結部に近い役割をもっており、作品全体にバランス感覚を与え、終盤にかけての流れを盛り上げるための引き、言わば助走のようなセクションを設けている。

 

アルバムの終盤部を形成する「Be Careful With Yourself」では、その流れを受け、高く、そして美しく音楽が完成へと向かっていく。このシンガーソングライターの曲のひとつの核心ともいえるクランチギターが心地よいドリーム・ポップと対比をなしながら、見事な融合を果たしている。この曲において、ジュリア・ジャックリンは再度、アルバム序盤のように直情的に歌ってみせることにより、大がかりなスケールを持つインディーロックアーティストとしての真価を示している。さらに、クロージング・トラック「End Of Freindship」で、映画音楽のようなワイルドかつ叙情的な雰囲気を漂わせ、プラハのフルオーケストラのゴージャスなストリングスアレンジの力を借り、このアルバムはドラマティックかつダイナミックなエンディングを迎えるに至る。

 

 

85/100

 


Weekend Featured Track  「End of A Friendship」

 



 Why Bonnie  『90 In November』

 

 

 

Label:  Kneed Scales

Release:  2022年8月19日

 




Review


テキサス州出身のインディーロックバンド、Why Bonnieのデビューアルバム『90 In November」は、新旧のインディーロックファンを唸らせるような出色の出来映えとなっています。Snail Mail、Beach Fossils,Hindsのツアーでオープニングアクトを務めているWhy Bonnieは、その前評判に違わぬ、麗しいインディー・ロック/ドリームポップワールドを繰り広げている。

 

「90 In November」のほとんどは、プレスリリースによれば、Why Boniieのフロントマンのブレア・ハワトンがオースティンからブルックリンへと移住した2019年に書かれたのだそうです。彼女はロックダウン中、テキサスの広々とした空間から遠く離れたブルックリンのアパートの閉じ込められていることに気づき、そのような環境にある中、彼女は新しい故郷を見出すこと、置き去りにした故郷ーホームタウンーの意味を理解しようと内面をつぶさに分析し、これらの曲を書きあげている。

 

ここでは、Big Thiefの洗練された現代的なフォーク・バラードを彷彿とさせるアンニュイかつ幻想的な音楽の要素も見いだされるが、このバンドがビック・シーフと明らかに異なるのは、強固なインディーロック精神を持ち合わせながら、古き良きアメリカン・ロック、ハートランドロックの影響を感じさせるということでしょう。同様に、プレスリリースにおいては、The Lemonheads、The Replacementsが引き合いに出されていますが、その良質なメロディー、及び、テキサスの大地を思わせるような懐深いミドルテンポのロックが滑らかに進行していきます。

 

このデビュー・アルバムでは、「Nowhere LA」を始め、Pavementを彷彿とさせる、乾いた質感をもったインディーロックサウンドが貫かれていますが、そのサウンドの向こう側には独特なロマンチシズム、ワイルドな雰囲気が漂う。これが良質な旋律進行に加え、楽曲にパンチをもたらしている。ブレア・ハワトンのボーカルは一貫してクールなスタンスでうたわれていますが、そこには、テキサスの広大な大地を思わせるような懐歩かさ、ホームに対する憧憬に近い雰囲気も漂っている。そして、スロウコアの影響を伺わせるギターのシンプルで叙情的なアルペジオ進行がシンプルなドラミングと合わさることにより、強固なオルトロックサウンドを形成していく。これらの楽曲は、聞き手を別の場所に誘うような引力をしっかり持ち合わせているのです。

 

『90 In November』は、フロントパーソンのブレア・ハワトンがオースティンからニューヨークへと転居したからこそ生み出されたもので、この秀逸なシンガーの内面的な郷愁が余す所なく表現されています。音楽として、淡く、純朴な雰囲気を漂わせる作風であり、派手さはそれほどないにもかかわらず、じっと聞き入らせるような深いエモーションを兼ね備えているため、ザ・リプレイスメンツのポール・ウェスターバーグの良質なソングライティングの系譜にある、乾いた大地を思わせるような雄大なUSインディー・ロックを、この作品で心ゆくまで味わうことが出来ます。クローズド・トラック「Superhero」は、新進バンドとは思えないほどのスケールの大きさを感じさせるもので、ブレア・ハワトンはビブラートを活かした特異な歌唱法のスタイルを取りながら、前の時代のカントリー/フォーク・ミュージックの偉大さを受け継いでいる。

 

Why Bonnieは、ニューヨークのミュージック・シーンに見受けられるような現代的に洗練されたオルタナティヴ・フォークと近い雰囲気を持ち合わせつつも、ブレア・ハワトンがこのアルバムのテーマとして掲げているのは、故郷テキサスへの音楽における幻想的でワイルドな旅です。ここでは、ディストーションサウンドと鋭い対比をなす、穏やかな雰囲気を擁するボーカルにより、新たなオルタナティヴロックサウンドが提示されていることについても言及しておきたい。ここで、フロントパーソンのブレア・ハワトンは、他の四人のバンドメンバーと手を取り合い、遠く離れた故郷--ホームタウン--へのせつないロマンチシズムを素朴な形で昇華してみせています。



92/100


 

Weekend Featured Track 『Nowhere LA』


 Hakanai    「Decreation」



 Label: Tower To The Sea

 Release: 2022年8月12日


ポストハードコア/マスロックの破壊、そして画期的な再構築



フランスの哲学者、シモーヌ・ヴァイユはかつて「自己とは罪と誤りに守られた影にすぎない」と言い、この精神的な病いを治す言葉を "decreation "と言った。この言葉は、彼女が正確な定義や一貫した綴りを与えなかった新造語である。あるノートには、その目的を「私たちの中の被造物-自己の中に閉じこめられ、自己によって定義された被造物-を解き放つこと」と書いてある。しかし、自己を元に戻すには、自己を通して、その定義のまさに内側へと進まなければならない"。このアルバムが目指しているのは、創造的な表現を通して「自己」を謙虚に、研究し、破壊することなのかもしれない。



 

Hakanai 
 

ニューヨーク・ブルックリンを拠点にする5人組のポスト・ハードコア・バンド、Hakanaiの昨日リリースされたアルバム『Decreation』は、2022年リリースされた中でベストの出来のパンクハードコア・アルバムとなるかもしれない。この新作アルバムは、知るかぎりでは、彼らの記念すべき最初のフルアルバムとなり、痛撃なエモーショナル・ハードコアが展開されている。 

 

上記のプレスリリースにおけるユダヤ人哲学者、シモーヌ・ヴェイユの言葉の引用は、たしかにHakanaiの『Decreation』で掲げられるテーマはひとつのシアターの大掛かりな舞台装置のような役割を果たしている。ここでは、内面への深い探求、破壊と再構築という概念が掲げられつつ、ポスト・ハードコア、エモ、マスロック、そして、エモーショナル・ハードコア、さらには、ジム・オルーク擁するガスター・デル・ソルのようなエクスペリメンタル・フォークの性質を交え、一連なりの物語のようにめくるめくように展開されていく。ハードコア一辺倒ではなく、静かで生彩な詩情性を持ち合わせており、これがノイジーなハードコアが展開されたあと、ふとその轟音性から静寂性へと音の風景が映画のオリジナルネガのごとく切り替わるのが痛快である。



 

それらは上記の彼らの「Hakanai」という日本語の形容詞に表されている通り、エモ、スロウコアに近い独特な叙情性と合わせて、卓越したバンドアンサンブル、楽曲の洗練性、そして、ドン・キャバレロのような実験性がこのアルバムでは、様々な音像風景ーーサウンドスケープーーを交えて体感することができる。これらの実験的な要素と深い叙情性を有するという点では、今は解散したイタリア・フォルリのLa Quiete,スウェーデンのSuis La Luneを彷彿とさせる切なげな哀愁が作品全体に充溢している。

 

この暗鬱かつロマンティックでありながらほのかな儚さを持ち合わせるエモーションは、ツインギターのメタルバンドのように繊細なアルペジオのハーモニクスや、Further Seems Foreverのような高い爽快なトーンのボーカルによってもたらされるが、それらは決して安っぽいセンチメンタリズムに堕することなく、作品に収録されている楽曲それぞれが力強いエネルギーを放っているようにも感じられる。ポストハードコアバンドとしての熟練された強度を持つとともに、日本語の形容詞のひとつである”はかない”のニュアンスを体現する音楽という点では、日本のポスト・ハードコアバンド、Envyの伝説的な最高傑作「A Dead Sinking Story」、Toeの「For Long Tommorow」といった名作群を彷彿とさせるクールさがこのアルバム全編には漂っている。



 

このアルバムに内包される音の世界は、他の追随を許さぬほど綿密かつ強固に形作られているという点で、コンセプチュアルな意図を持って作られたアルバムとも称せるかもしれない。実験的なフォークミュージックの色合いを持ち、スペインの民族音楽のような優雅で独特なアコースティックギターの繊細なアルペジオが楽しめるイントロの「Senza Uscita」に始まり、タイトルトラック「Decreation」は、マスロックとポストハードコアの中間にある、どっしりとした楽曲がこのアルバムの導入部分を強固な土台を持つ建築物のように迫力十分にしている。他にも、アルバムの中間点をなす「Abendrot」では、抜けのよいスネアの打音をクリアに捉えた生彩なパワーを持つドラミング、トゥインクルエモ、ドン・キャバレロのようなポストロック性を彷彿とさせるテクニカルなアルペジオギター、スクリーモの影響を感じさせるパンチの効いた歌声が絶妙に合わさり、エモーショナル・ハードコアの王道を行く音楽性が目眩く様に展開される。



 

このアルバムには、数合わせの楽曲はほとんど見受けられない。すべてが精巧なガラス細工のように緻密に作りこまれている。他にも「Etude#1」、それに続く「Astraea/Innocence」ではマスロックバンドらしい実験的な一面を見せており、アレンジでホーンセクションが導入され、轟音性とは正反対にある静寂、そして、その静寂から、動的な轟音へと曲風が瞬時に切り替わる。常に、曲と曲のつなぎ目、一曲の最小部分の要素においても、静と動がたえず切り替わり、流動的であるという点は、まさに人間の内面の本質を捉えているとも言える。これらのポストハードコアバンドらしい、静と動の巧みな使い分け、バンドアンサンブルとしての強い熱意がこのアルバムにすさまじい迫力をもたらし、アルバムの持つ世界をより深遠なものにしている。

 

『decreation』は、プレスリリースにもあるとおり、哲学者シモーヌの言葉を体現するかのように、バンドアンサンブルとしての迫力を交えながら、破壊と再構築を何度も繰り返しながら、内面深くへと静かに静かに沈潜していくかのような印象を覚える。



 

アルバムの後半部、この作品のハイライトと呼ぶべき「We Will Dismantle Death」では、近年のメタルコアバンドにもひけをとらない轟音性、それと対極にある繊細性、そして「hakanasa--儚さ」というエモーショナル性が見事な融合を果たしている。その後、このアルバムの世界は繊細なマスロック性を前面に押し出した楽曲が展開される。そのあと、最初のテーマの続編の意味を持つ「Senza Angoscia」では、一曲目のイントロのように、ジム・オルークを思わせる実験的なフォークミュージックの世界に回帰し、クライマックスの「The Amphitheater」では、ミニマルミュージックに傾倒するマスロックバンドとしての本領を発揮する。それはまだ、このバンドがこの聴き応えのあるアルバムを超える作品を生み出す可能性を秘めている証拠でもある。

 

94/100

 



*このアルバムは作曲、録音、プロデュース、ミキシングは、主にニューヨークのブルックリンでMatt Lombardi( マット・ロンバルディ)が行い、ボストン、ロンドン、ジャージーシティ、ポートランド、ポートランドME、ソーントンNHで追加録音が行われました。マスタリングについてはCharles IwucとMatt Lombardiが担当しています。

 

 


Weekend Featured Track


「Abendrot」




Weekly Recommendation 


ミツメ 「mitsume ”Live Recording”」

 

 

 

 

Label:  Mitsume

Release: 2022年8月3日



Review


今週のベストリリースとしてご紹介する 『Mitsume Live "Recording"』は、今年2月下旬に行われた東京・大手町でのミツメのライブレコーディングを収録した作品。ミツメは、結成から14年目、デビューアルバム『Mitsume』のリリースから昨年で10周年を迎え、バンドとして1つの節目を迎えたと言えるでしょう。

 

2020年、パンデミックの宣言下、東京でもロックダウンが敷かれ、ミツメも他のバンドと同じように対面のライブセッションが出来なかったため、メンバーは音楽理論を勉強したり、改めて自分の音楽のルーツを見つめ直す契機となったのかもしれません。

 

「mitsume Live "Recording"」は、これまでの作品を現時点の音楽的な蓄積でどのようにライブを通してアレンジ出来るのかのチャレンジであるように思えます。その実験性が良い方に働いて、ダイナミックでアグレッシヴなサウンドが提示されています。ミツメの四人は、このライブで、久しぶりの刺激的なセッションであったためか、演奏を心から楽しんでいるようにすら感じられ、スタジオアルバムよりもこのバンドの音楽がより身近に感じられる。ミツメは、この2月26日の大手町のライブにおいて、前作のベストライブ盤の赤坂BLITZで演奏された「Fly Me~」「停滞夜」といった楽曲を中心に、バンドの初期作品を取り上げ、デビュー当時の楽曲をより洗練された形で多角的なアプローチを試みています。また、セッションにおいては、通常のレコーディングした音源をライブ会場に持ち込み、それに実際のライブの演奏を加え、多重録音(ダビング)のような形で、セッションを行っている。この手法は、ダブをはじめとするDJシーンや、エレクトロニックのリミックスとしてはごくありふれたものでありながら、オルタナティヴ・ロックバンドとしては時代を先を行くものであるといえるかもしれません。

 

元々、ミツメは、シティーポップに加え、オルタナティブロックにおけるひねりのようなものを2010年代の最初期から持ち合わせていましたが、この作品ではそれらのオリジナル曲の特性を維持した上で、ライブレコーディングとしての迫力、スライ・ザ・ファミリーストーンのようなR&B/ファンクの要素が強く引き出されているのが大きな魅力です。ライブレコーディングであるためか、このバンドの音楽の影響がスタジオ・アルバムよりも色濃く反映されている。特に面白いのは、カラオケのような強めのディレイがボーカルトラックに施され、スタジオ作品にはなかったLAのローファイ・ヒップホップのようなコアな雰囲気も漂っていることです。

 

このライブレコーディングで注目したいのが、ベースとドラムのセッションの迫力。ファンクを吸収したドライブ感のあるベース、シャッフルリズムを交えたジャズ要素のあるドラミングは、この数年間でバンドとしてより高みを目指している証左となり、それらのミュージシャンとしての強い探求心が実際の演奏にも刺激的なエナジーと淡い叙情性をもたらしている。その他、多重録音のライブセッションならではの実験性の高い演奏も見受けられる。ベストライブには収録されなかった「number」では、オリジナル曲とは別のアプローチに取り組んでおり、調性を変え、昔懐かしのシティ・ポップの雰囲気を押し出し、昭和期のJ-Popを彷彿とさせる魅惑的なアレンジに。さらに「モーメント」では、ホーンセクション、ポンゴといった音色を取り入れ、カリブのトロピカルに近い雰囲気を演出し、原曲よりカラフルな性質が引き出されている。他にも、冒頭の「Fly me to the mars」では、いかにもミツメらしいサウンドを味わえるだけでなく、これまでになかった、チルアルト、ローファイの要素がスタイリッシュに付加されています。


この作品は、ベストライブアルバムの後にリリースされたこともあり、ライブリミックス作品のポジションとして位置づけられるかもしれませんが、実のところ、ここでミツメが実験しているのは全く異なるアプローチであり、彼らは、既存の楽曲の新しい可能性を見出そうと試み、オリジナル楽曲を別の側面から捉えた演奏が行われています。音像の向こうに映る姿・・・、それはまさに、過去の姿を別側面から真摯に捉えるべく挑戦を試みているとも形容出来るでしょう。

 

さらに、ロックダウン中の対面セッションが行えなかったメンバーのジレンマのような思いがこのライブレコーディングで表側に一挙に吹き出し、一般的なスタジオレコーディングとは対極に位置づけられるパッションを帯びた演奏が繰り広げられている。『Mitsume Live "Recording"』は、赤坂BLITZのライブ盤よりも演奏がタイトで、バンドとしての鮮烈なエネルギー、メンバーの結束力が反映されたレコーディングとなっています。ライブレコーディングならではのプレッシャーが課せられたことで、生演奏に淡い情感があると共にほどよい緊張感が漂っている。


デビューから14年目を迎えた東京のオルタナティヴ・ロックバンドーーミツメは、このライブレコーディグにおいて、ロックバンドとしての底力を示したにとどまらず、次なる境地を開拓するための道筋をはっきりと示してみせています。

 

Rating: 87/100

 

 

Weekend Featured Track  「Number」

 

 

 

 

Mitsume Store: https://mitsume-store.com/


 

Maggie Rogers  『Surrender』

 

 

 

 Label: UMG Recordings

 Release:  2022年7月29日

 




 Review 

 

 ニューヨークのミュージックシーンで強い存在感を放つマギー・ロジャース。最初は、ニューヨーク大学のマスタークラスに参加した際、ファレル・ウィリアムズ(ザ・ネプチューンズ、N.E.R.Dの活動で知られる米国のプロデューサー)の前で「Alaska」の音源をかけ、ウィリアムズに激賞されたことから、このシンガーソングライターのキャリアは始まった。その後、マギー・ロジャースは、順調に、急くことなく作品をコンスタントにリリースを続けた。

 

音楽ジャーナリズムの知性に裏打ちされた詩、そして、多彩で情感を損なうことのない良質なポピュラー・ソングを生み出し、デビュー・アルバム『Heard It In A Past Life』で多くの人の心を捉えることに成功した。このアルバムで、グラミー賞の最優秀新人アーティスト部門にノミネートされたロジャーは、実力派シンガーとして多くの耳の肥えたリスナーに膾炙されようとしていた。


そして、二作目のアルバム『Surrender』は、シンガーソングライターとしての成功の道のりを着実に進みつつあることを証明してみせている。本作は三つの拠点にまたがり、レコーディグが行われている。また、エンジニアには、マギー・ロジャースのほか、キッフォ・ハープーン、デルウォーター・ギャップ、ゲイブ・グッドマンという面々がこのプロダクションに参加している。

 

マギー・ロジャースは、ダイナミックで抑揚のある歌唱法、情感を押し引きを理解し、曲の中でどのようにその情感を引き出すのかを熟知している。そこがこのシンガーソングライターの最大の美点として挙げられる。 このシンガーの最大の迫力は、これまでの著名な女性シンガーのステレオタイプの性質とはおよそ異なるものであり、女性らしい特有の高音域を活かすのではなく、特に中音域をえぐるように、もしくは、うねるように歌った後にやってくるサビでの高音域のメロディーを歌い上げるとき、その本来の真価のようなものが突如発揮され、聞く人を圧倒するすさまじいパワーが引き出される。マギー・ロジャースの歌声は、ダイナミックでありながら奇妙な落ち着いた情感を兼ね備えている。つまり、このシンガーソングライターはダイナミックさを引き出す時にも冷静さを欠かさない。これまであまりいそうでいなかったようなタイプの表現力を擁している。

 

Maggie Rogers
 

 マギー・ロジャースは、前作のフルアルバム「Heard It in a Past Life」で起用した制作パートナー、Kid Harpoonと継続して制作を行い、両親のガレージ、ニューヨーク市のエレクトリックレディ・スタジオ、さらに、イギリスのバースにあるピーター・ガブリエル(ジェネシス)の所有するリアル・ワールド・スタジオで「Surrender」の録音を行っている。ロジャースは、2020年のはじめ、メイン州沿岸を離れた後、好評を博したデビュー・アルバムを取り巻くセンセーショナルな話題から意図的に身を遠ざけ、静かな環境で新しいレコードの制作を行った。

 

そして、最初のシングル「That's What I Am」がリリースされた際に、以下のようなマギー・ロジャースはメッセージを添えている。おそらく、ここに、この作品を読み解く鍵があるように思える。

 

「That's What I Am」は私が長年持ち歩いてきた物語であり私の人生に長年繰り広げられてきた愛の物語です。

 

近年の酷い孤独とCovid−19のソーシャルディスタンスの中で、それは私の旧来からの閉所恐怖症におけるファンタジーの背景となりました。見知らぬ人を見つめるだけで感じられる喜び、夜が展開する方法、自発的に決断を下すのではなくて、一日を中断する様々な他動的な出来事・・・。私は、誰かが私に汗を流すようなことをしてほしいと切望していた。

 

そういった街の音楽と人々の態度は、今回のレコード制作を行う上で大きなインスピレーションとなりました。これらすべての理由からMV撮影を行う場所は、一つしか考えられませんでした。

 

私は、かねてから、ニューヨークは瞬くような魅力を持った都市であると信じ込んでいたんです。今回のMVは、ラブストーリーが描かれていて、映像を通して紡がれていく物語は、友達、友人、敵という様々な登場人物を介して描かれていきます。ミュージックビデオ撮影が行われた日・・・

 

「あの日、不思議なことに、ニューヨークという街が私の味方をしてくれているように感じられました。あの日、私は、本当の春のニューヨークを味わうことが出来たんです。

 

街にいるすべての人々が半袖を着て、歩道でタバコをぷかぷかと吹かし、ジントニックを飲みながら朗らかに歩いている。その時、ダウンタウンの野性的な爆発のような強いエネルギーを感じました。今回、私のかねてからの空想は・・・デヴィッド・バーン、ザ・ウォークメンのハミルトン・リーサウザー、そして写真家のクイル・レモンなど、ニューヨークの古典的なキャラクターの登場によって、完全な形になったのです」

 

以上のロジャースのコメントからも分かる通り、この最新アルバムのレコーディングは、パンデミックにおけるロックダウンから、ニューヨーク、そして世界全体が閉じた空間「ソーシャルディスタンス」という分離感の強い時代から開放されていく、2020年代初頭の明るい気風がおおらかに表されている。それは言い換えれば、奇妙な開放感、暗澹たる時代から脱出し、”正常な世界へと少しつづ還っていく”という希望に満ちたテーマが掲げられているようにも思える。

 

数年前までは、ごく普通の町並みの風景が決して当たり前のものではなかったと気づいたときに、このアーティストは、次のアルバムに捧げるためのテーマを自然なかたちで見出したに違いない。それでも、それらの楽曲は、自信満々で作り上げられたというよりかは、いくつかの作り手としての戸惑いを交えながら、複数のプロデューサーと協力することにより、最終的に華やかな雰囲気を持つ大掛かりな舞台芸術のようなアルバムが生み出されたとも言える。これらの王道の収録曲数、12の楽曲を通じて、めるくるめく様に展開されるのは、共感覚を持つアーティストらしい色彩的な音の表現でバラエティに富んだ音楽なのである。

 

『Surrender』には、珠玉の輝きを放つ楽曲が複数見いだされる、オープニングを飾るアップテンポなナンバー「Overdrive」、インディー・フォークの色合いを感じさせる内省的な雰囲気を持つ「Horses」、ボーカルループを活かした現代的な質感を持つシンセポップのアンセムソング「Anywhere With You」というように、重層的なサウンドストーリーが綿密に、エネルギーのうねりような迫力を内に秘めながら美麗なポップソングが繰り広げられていく。

 

アルバムの中では、特に、静謐で瞑想的なオルタナティヴ・フォークの色合いを持った楽曲が上記の華やかなシンセポップを基調とする楽曲と強いコントラストをなしている。さらに、エンディングを飾る「Different Kind Of World」では、序盤のインディー・フォークの瞑想的な展開から、その最終盤にかけて、突如、曲の雰囲気が一変し、両親のガレージで録音したと思われるノイジーなギターのフレーズへと続いていき、作品の序盤からは想定できないドラマティックなクライマックスを演出する。

 

この強烈なDIY精神に彩られたラストソングにこそ、マギー・ロジャースというアーティストの本質、他のシンガーソングライターが持ちえない特性が表れ出ている。そして、この劇的な雰囲気を持つラストソング「Different Kind Of World」には、傑出したアーティストの作品には必ずといっていいほど見受けられる”このフィナーレは次作の序章に過ぎない”という不敵で型破りなメッセージも、アルバムを聴き終えた後の余韻に読み解くことも出来なくないのである。

 

『Surrender』は、既出のレビューにおいて、賛否両論を巻き起こしており、様々な解釈が出来、評価が二分される作品であるように思える。もちろん、ここではそれらの双方の意見を尊重したいが、少なくとも、今回のレビューで言うことが出来るのは、掴みやすさとそれらと対極に位置する強固なDIY精神に彩られた”底しれぬ可能性を秘めた”アルバムということなのである。

 

この最新作に収録された全12曲の叙情的な物語は、ある一つの完結した世界ではなく、次なる開放された次章のストーリーへ直結しているように思えてならない。もちろん、それがおしなべて希望に満ち溢れたものとまでは現時点では断定出来ない。けれども、少なくとも、昨今の時代に象徴される、暗闇の向こうに見える明るい自由な世界への道筋がこの作品に示されているように感じられる。それらが、王道のポピュラー・ミュージック、フォーク、そして、また、時には、強固なインディー精神に裏打ちされた聴き応え十分の音楽の世界が展開されている。

 

 

Rating:

95/100 

 

 

Weekend Featured Track 「Horses」

 

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Rafael Anton Irisarri  『Agitas Al Sol』



 Label:  Room 40

 Release:2022年7月22日  



ラファエル・アントン・イリサリは、現在、ニューヨークを拠点とする電子音楽のプロデューサーです。

 

所謂、アンビエントのジャンルに属する電子音楽プロデューサーで、イリサリの描くサウンドスケープはドローンの領域に位置づけられる。そして、米国内のアンビエントシーンで最初にドローンを導入した先駆的なクリエイターのひとり。最初期には、ピアノを導入したロマンチックな雰囲気を擁するアンビエントを主作風としていましたが、2015年の代表作『A Fragile Geography」から作風が次第に前衛化していき、抽象的な電子音楽の領域へと踏み入れていきました。

 

昨日、リリースされたばかりの最新作『Angitas Al Sol』についても、その方向性は変わりがありません。以前、この作曲家の音楽を評するに際して「深く茫漠とした霧の中を孤独に歩くかのよう」という比喩を使ったことがありますが、最新作ではそのニュアンスがより一層強化されて無限に近づいた印象を受けます。そして、プレスリリースでアントン・ラファエル・イリサリ自身が語るように、この作品は、まるで有機物であるかのように「深く深く息をしている」。


この最新アルバムは、『Atrial』、『Cloak』という2つの組曲から構成されており、少ない曲数ですが、二枚組のLP作品です。近い作風を挙げると、例えば、カナダのTim Hecker、カナダのRoscilや日本の畠山地平の志向するようなアブストラクトなドローンミュージックが展開される。

 

アントン・ラファエル・イリサリの生み出す音響空間は、ティム・ヘッカーのようにアンビエントの既成概念に反逆を示す。お世辞にも人好きのするものとは言えませんし、アブストラクトミュージックの表現の極地が見いだされる。言い換えれば、ここにあるのは、ビートもなく、メロディーもなく、小節というのも存在しない、ブラックホールのような空間であり、明らかに脱構築的主義やポストモダニズムを志向する音楽です。それらの前衛的な要素は、上記した二者のアンビエントプロデューサーよりもさらに先鋭的な概念が込められているように伺えます。

 

近年のアンビエントのプロデューサーでは、壮大な宇宙、美しい自然などを表現しようとする一派、それに反する機械的な表現を試みる一派が多数を占めていると思えますが、(もろろん、その他にも様々表現がありますが・・・)米国の電子音楽家、ラファエル・アントン・イリサリはそのどちらにも属さない、孤絶した表現性を徹底的に追求する芸術家であるように思えます。彼の音楽は常にジャンルに背を向け、カテゴライズ化されるのを忌避しているように思える。それはまたこの音楽家が作り手として、こういうジャンルの音楽を作ろうと意図すること、カテゴライズの概念を設けることがクリエイティビティを阻害することを知っているからなのかもしれません。

 

今作で、アントン・ラファエル・イリサリが探求するアンビエントの世界は、ノイズミュージックに近いものです。どちらかといえば、日本のMerzbawに近いアバンギャルドノイズの極地に見いだされる抽象主義の音楽でもある。つまり、アンビエントドローンの一つの要素のノイズ性を徹底的に打ち出したのが『Angitas Al Sol』なのであり、現今の前衛音楽の中でもひときわ強い異彩を放っている。そして、本作に見いだされる抽象主義の表現性は、絵画で言えば、ターナーの後期のような孤高の境地に達しており、売れるとか売れないであるとか、音楽や芸術がそういった単眼的な観点のみで評価されることに拒絶を示した作品と呼べるかもしれません。

 

『Agitas Al Sol』は、これまでのイリサリのどの作品よりもはるかに前衛的かつノイズ性が引き出された作風で、ポピュリズムとは対極に位置する芸術音楽の表現がこのアルバムには見いだされます。表向きには、人好きのしない音楽であり、さらに、いくらか不愛想な印象を持つ作品でありながら、耳を凝らすと、このアーティストの最初期からの特徴のひとつ、暗澹たるロマンチズムが先鋭的なノイズミュージックの向こう側に見いだされることにお気づきになるかもしれません。シンセサイザーのパンフルートの音色が抽象的なシークエンスの向こうに微かに広がり、それが淡い感傷性により彩られている。このひとつの壁を来れれば、この音楽の表面的な持つ印象が反転し、無機質な性格ではなく、温もりに溢れた表現を見出すことが出来る。

 

多分、音楽を評価する上、また、クリエイティヴなものを生み出す際にも一番の弊害となりえる「二元論の壁」のような概念を越えられるかどうかが、 このアルバムの本領をより深く理解するための重要なポイント。私たちは、(私も含めて)常に何らかのフィルターを通して物事を見るのが習慣となっている。しかし、それまでの人生の間で培われた考えを、今までに定着した価値観や規定概念という小さな枠組みから開放し、以前の古びた考えをアップデートさせ、その他にも多くの考えが無数に存在するということ、自らの思念は部分的概念に過ぎないということを、アントン・ラファエル・イリサリは『Agitas Al Sol』において教唆してくれるのです。


つまり、音楽を聴く時の最大の救いとは何かといえば、音楽を通じて、単純な良し悪しの価値観から心を開放させるあげることに尽きるだろうと思えます。世の中には、そういった二元論ばかりが渦巻いているように思えますが、 『Agitas Al Sol』のような真の芸術は、そういった呪縛から心を解放させる力を持っている。さらに、個人としての意見を述べるなら、このアルバムは、Tim Heckerの2011年の傑作『Ravedeath 1972」に比類するハイレベルなもので、真の意味で「実りある音楽」として楽しんでいただけるはず。そして、不思議なことに、商業的な路線と対極にある音楽を求める人は一定数いるらしく、bandcampでは、リミテッドエディションがソールドアウトとなっている。そういった本物の音楽を愛する人向けの作品と言えるかもしれません。



Rating:

85/100

 

 

 Weekend Featured Track「Atrial-2」



Weekly Recommended

 

 

 

Interpol 『The Other Side of Make-Believe』

 

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 Label: Matador

 Release: 2022年7月15日 



ー二十年越しの傑作 ロックバンドとしてのシニカルな眼差しの変容ー



インターポールは、2000年代初頭に名門ニューヨーク大学に通っていたポール・バンクスを中心に結成された。2002年にデビュー作「Turn on the Bright Light」をMatadorからリリースし、インディーズレーベルからのリリースながらこのアルバムは初動で三十万枚のスマッシュヒットとなった。彼らが登場した同じ年、The Libertinesが「Up the Bracket」を引っさげてロンドンでデビュー、その後、フランツ・フェルディナンド、アークティック・モンキーズが登場しようとしていた。時代はまさに、ガレージロック・リバイバル、ディスコ・ロックの幕開けを告げようとしていた。


2002年に登場したインターポールは、暗鬱でシニカルなロックミュージックを掲げてポストパンク・リバイバルの旗手として、ミュージックシーンに登場した。その際には、Joy Divisionを始めとするポスト・パンク、ゴシック・ロックのような独特な雰囲気のバンドであったように思える。シニカルな低いトーンのボーカル、ミニマルでありながらスタイリッシュな演奏を特徴とし、目利きのインディーロックファンから圧倒的な支持を得ることに成功しました。その後、インターポールは、知名度を高めていき、ここ日本にもサマーソニック公演を通じて来日を果たす。しかし、その後、キャピタル・レコードと契約してから、徐々にこのバンドらしさが失われていき、長きにわたる停滞状態と言える苦難の時代が続いた。2010年には再びマタドールと再契約を結んで、インディーロックバンドとして再出発することになりました。

 

今回『The Other Side of Make-Believe』の制作に取り掛かろうとした矢先、正確にいえば、WHOがパンデミック宣言をした後、ロックダウンが世界各地で始まった時、バンドメンバーは、世界土地に散り散りとなっていた。フロントマンのポール・バンクスは、スコットランドのエジンバラに、ギタリストのダニエル・ケスラーは、スペインに、そして、ドラマーのサム・フォリガーノは、アメリカのジョージ州アセンズに滞在していた。同時期に制作を行った他の多くのバンドと同様、スタジオセッションを通じて曲を煮詰めるという制作方法を取るのが難しかったため、ソングライティングと録音をする際には、バンドとして同時作業を行うことさえ難航をきわめた。


Interpol


ようやくロックダウンが解除された後、ポール・バンクスを中心とするトリオは、ニューヨークのキャッツキルにスタジオ入りし、初めてニューアルバム『The Other Side of Make-Believe』のレコーディングに着手する。今回のアルバム制作のメインプロデューサーには、2014年の『El Pintor』、バンドの名を冠した2010年のアルバム『Interpol』を手掛けた、アラン・モルダーが起用された。最早、バンドにとっては気心の知れた盟友と言うべきプロデューサーです。

 

彼らの最新リリースは、現実主義者としての表情が垣間見えるもので、なおかつ、この2019年から2022年にかけての現実を(最初期からのバンドの音楽性がそうであったように社会にある現実を冷厳な眼差しでシニカルに捉えた作品となります。 しかし、最初期のバンドの音楽性とは何かが確実に変化しており、また、ロックバンドとしての微妙な変化があるのに、彼らの音楽に久しく親しんできたリスナーは気づくかもしれません。2000年初頭の最初期が徹底してシニカルな視点で描かれていたのに対し、この最新作は、その中に何らかの肯定的なシニシズムを見出そうとしている。つまり、一般的な否定的なシニシズムからニーチェのような肯定的なシニシズムへ視点が変化し、音楽の底流に微かなロマンチズムさえ感じえるのは、バンドがパンデミックを経て、トリオとしての危機的な状況を乗り越えてきたからこそ。このアルバムの収録曲の幾つかには、暗鬱さや退廃、不安、絶望といったテーマが掲げられながらも、反面、以前にはなかったそれらのコントラストとなる希望や明るさの概念が示されているのです。

 

しかし、このアルバムは、これまでのインターポールの作品の中で最も概念的であり、内省的な雰囲気に彩られているため、内容が容易に解きほぐせない難解なアルバムです。オルト・ロック、ガレージ・ロックやローファイ、ポスト・パンクの要素に加え、シンセピアノのアレンジを積極的に導入し、クライム映画の名作のようなワイルドでドラマティックな物語性を滲ませている。ただし、ここでは明確な粗筋やプロットが示されるのではなく、感覚的な概念を描きだした曲が数多く見受けられる。ここで示されているのは、彼等インターポールの暗示的な物語であり、目に見えるような物語ではありません。聞き手にとってその解釈がガラリと変わってしまうような抽象的な表現が歌詞や音楽の中に、非常に分かりづらい形で取り入れられているのです。 

 

 

「Gran Hotel」 MV 

 

 

 

 

先行シングルとしてリリースされた#1「Toni」、#2「Fable」、アルバム発売直前にリリースされた#9「Gran Hotel」は、このアルバムの中では聴きやすい部類に入るため、最初期のインターポールを彷彿とさせるクールかつスタイリッシュなロックとして楽しんでいただけると思われます。

 

もちろん、そういった以前と変わらぬシンプルなバンドアンサンブルの魅力に加え、作品の各所には、既存の作風とは異なる哀愁の雰囲気が漂い、ボーカルのポール・バンクスは、シンプルなロックンロールの演奏に合わせ、奇妙な、嘆き、哀しみのような感情を込めて歌う。これがバンドサウンドに良い影響をあたえ、タイトなアンサンブルを生み出している。最初期は、ジョイ・デイヴィジョンのイアン・カーティスの無機質なボーカルスタイルの影響下にあったバンクスが、今作に見受けられる、誰の真似でもない、唯一無二のボーカル・スタイルを獲得出来たのは、おそらく、これまで様々な人生経験の積み重ねてきたからと思われる。さらにそこに、それ以上でも以下でもないトリオ編成としての堂々たる風格が備わったのは、2019年からの2022年までのパンデミックを乗り越えた経験が生んだ存外の副産物であったと言えるでしょう。

 

『The Other Side of Make-Believe』の最大の山場、聞き所となるのは、作品の中盤に訪れる「Something Changed」です。ピアノのベースライン、オーバードライブを効かせた金属的な響きを持つベースラインを活かしたロックソングの中に、トリオは、シンコペーションを多用し、強拍を意図的にずらし、スイングジャズのシャッフル変拍子のリズムを小さなセクションに取り入れることにより、シンプルな構成に静と動の絶妙なコントラストを生み出し、暗鬱な落ち着きと感性の鋭さをもたらしている。曲の終盤では、バンクスの亡霊のような雰囲気を持つコーラスがアンセミックな響きを生み出し、聞き手を甘美で静かな陶酔の中へといざなっていく。

 

作品全体の評価としては、近年のアルバムにありがちな欠点、収録曲が多すぎるという印象もあるにせよ、#5「Something Changed」、#9「Gran Hotel」が、アルバム全体の価値を異質なほど引き上げています。ここに、20年という長いキャリアを持つロックバンドとしてのプライドが込められている。インターポールは、最新作『The Other Side of Make-Believe』において、ひときわ強い結束力を持つロックトリオとして完全な復活を遂げたと言えるでしょう。

 

 


88/100

 

 

Weekend Featured Track 「Something Changed」 

 

 




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 Noso  『Stay Proud Of Me』




Label:  Psartisan Records


Release: 2022年7月8日

 

 

NoSoは、 LAを拠点に活動するソングライターで、今後、再注目の実力派のシンガーです。『Stay Proud Of Me』はNoSoの記念すべきデビュー・アルバムとなります。

 

シンガーソングライターがこのデビュー作品で展開するのは、Mitski,最初期のSt.Vincentのような清涼感のあるエレクトロ・ポップであり、現在のトレンド音楽と呼べそうです。それがこのシンガーの歌唱力自体の力によって独特の空気感のようなものが生み出されています。Nosoの歌唱力は、現在の世界のシーンにおいても抜きん出ており、ST,Vincentが登場したときのような圧倒的な存在感もある。しかし、現在のところ、 Nosoというシンガーソングライターは秀逸な才覚を有しながらも、それをどのように使いこなすのか、試行錯誤している段階とも言えます。これは、このシンガーがクィアを公言しており、そして、人種差別を受けたバックグランドからどのように自信と誇りを取り戻していくかの過程にあるともいえるのかもしれません。

 

オープニングトラックを麗しく飾るシンセ・ポップのアンセムソング「Parasite」からして、このシンガーが類まれなる存在感と実際の歌唱力を持つことは、耳の肥えたリスナーなら理解してくれるだろうと思われます。Nosoの歌声には、聞き手を酔わせる力があり、楽曲の中で一つの音楽の世界を作る表現力を有しています。それらが歌というより、語り聞かせるような穏やかなトーンにより、このシンガーは自分の自信を取り戻すための試みを繰り広げていきます。

 

アルバムの中盤を形作る「I Feel You」では、インディー・ロックとポップ・バラードを組合せたような、しっとりとした楽曲にも挑戦しています。特に、この曲では、NOSOの抜群のメロディーセンスが発揮され、それが涼し気な質感を持った起伏に富んだ音楽として昇華され、それらがシンセサイザーポップのグルーブ感と相まって、独特のうねりのパワーのようなものを巻き起こしていく。これらは多くのリスナーを乗せる力を持っているようにも思えます。さらに、「I'm Embarressed~」では、Nosoは、前曲よりもさらに情感のあるバラードを歌いこんでいます。

 

特に、歌手として才覚をみる際の指針となるのが、それほどダイナミックではない平坦な楽曲で、それらの単調になりがちな曲を、歌だけの力だけでどのように独特な世界観を生み出すのかという点です。そして、NoSoは以上のことを難なくやり遂げてしまっているのには驚嘆するしかありません。歌手としての表現力がすば抜けているのを感じさせるのが、アルバムの中盤の山場となる「Sorry I  Laughed」。この曲は、それほどダイナミックな音域を持つわけではありませんが、歌のトーンの微妙な強弱、叙情的な表現の細やかな変化、さりげないビブラートの変化のみで、曲の表情づけしている。この点に、このシンガーの底知れない才覚を感じさせます。また、歌詞についても、このあたりには、アイロニックな表現が見いだれるように思われ、クィアというマイノリティととして生きること、また、アジア系アメリカ人として生きることにセンチメンタリズムのような感覚が、独特な表現性を持って生み出されているように感じられます。

 

アルバムの終盤は、ギター・ロックとポップスを巧みにかけ合わせた音楽が展開されていきますが、これらの曲が深く聞かせるところがあり、このアーティストに何かあると思わせるのは、近年のモダン・ポップだけでなく、このアーティストがR&Bやゴスペルのような音楽がバックグラウンドにあるからなのかもしれません。そのブラック・ミュージックからのクールな影響は、アルバムの序盤には弱い光として表れているが、アルバムの終盤により力強く表れ出てきます。

 

そして、このアルバムが今週発売された中で、最も優れている部類に入る、と言わざるをえないのは、人の心を揺り動かす力強い響きを持っているからです。表面的には、繊細であり、叙情的で聴きやすいシンセポップでありながら、その核心には、このアーティストの強い感覚的な光輝が満ちあふれている。少なくとも、このデビュー・アルバムにおいてNoSoは、自分自身の歌の力を心から信じきって、「自分自身のプライドを維持する」ことに成功したと言えます。『Stay Proud Of Me』は、センセーショナルな話題を巻き起こすような作品ではないかもしれませんが、Mitskiの『Laurel Hell』と同じレベルか、ひょっとすると、それ以上のハイレベルな作品です。 


94/100 

 

 

Weekend Featured Track 『Parasite』

 

 

Weekly Recommends 


YMB「Tender」



 

 

 Label: Friendship.

 Relaese Date: 2022年6月29日

 


YMBは、2015年に大阪で結成された。Yoshinao Mitamoto、いとっち、ヤマグチ・ヒロキ、今井涼平による四人組のインディー・ポップグループです。

 

これまでにYMBは、「City」(2019年)、「ラララ」(2020年)、「トンネルの向こう」(2021年)、三作のフルアルバムを残しており、昨日、6月29日にFrendship.からリリースされた「Tender」は通算四作目のアルバムとなる。現在、YMBは東京のライブツアーを間近に控えていて、吉祥寺のインディーフォークバンド、Gusokums(グソクムズ、P-VINEに所属)と共演する予定です。


YMBのサウンドは、シティポップ、渋谷系をベースにしたポピュラーミュージックに彩られており、東京のCero,近年、中国に活躍の幅を広げつつある"She Her Hers"、澤部渡の"スカート"に近い、おしゃれな楽曲が魅力で、人を選ばず、気軽に楽しめるサウンドと言えるかもしれません。

 

YMBの4thアルバム「Tender」では、これまでの作品と同様、ほんわかとした雰囲気の良いサウンドが繰り広げられる。さらに、そこに、男女のツインボーカルの兼ね合いが心地よい空間を演出する。バンドサウンドとしては、ジャズ、R&B、ファンクといった幅広いジャンルの影響を滲ませたブレイク(休符)の多い難易度の高いサウンドアプローチであるにもかかわらず、演奏に力強いグルーブが感じられるのは、YMBのメンバーの演奏力の高さ、そして、曲に対する理解の深さ、バンドメイトとして上手く連携が取れているからこそ。このぴったり息の取れた演奏力、完成度の高さに裏打ちされた巧みなバンドアンサンブルは、リスナーを十分惹きつけるものがある。音楽自体も自己主張が強くないので、まったりした雰囲気が漂い、多くの人に共感を与えるような魅惑的なポピュラーサウンドが本作「Tender」で生み出されているのです。


また、日本語の口当たりの良い歌詞のニュアンスについても、これまでにありそうでなかった表現が見いだされ、作曲者のYoshinao Miyamotoの文学的な感性が上手く詩の中に引き出されています。

 

 「Tender」には、「思春期的な捻くれの効いた言葉選び、パートナーの寝顔を見て、結婚生活の自戒を打ち立てる純情な不器用さなど、既出のソングライターとは一線を画す」秀逸な日本語詞の表現性が見いだされる。これは、多くの人に共感と頷きを与える重要なポイントに挙げられる。実際の音楽が歌詞と絶妙にマッチしたミドルテンポの心地良いポピュラー・ソングが繰り広げられており、さらに、Cero,She Her Hersのように、エレクトロポップ、ファンク、ローファイを咀嚼した日本のモダンサウンドが提示される。歌詞の表現法にちょっとした親近感をおぼえるのは、YMBのYoshinao Miyamotoが肩肘をはらず、等身大の自分の姿をありのままに表現しようとしているから。さらに、Miyamotoは、実体験における成功でなく、日常の失敗の経験をさらりとかろやかに歌いこんでいる。この点も大きな魅力であり、それを卑屈になるわけではなく、また、自己憐憫に浸るわけでもなく、爽快な空気感で歌いこんでいる点も素晴らしい。

 

シティ・ポップサウンドを基軸とした、男女のツインボーカルの涼し気で洗練された響きがこのアルバムの最大の魅力ではありますが、もうひとつ目を惹くのは、懐かしの平成時代のJ-POPのキラキラとした輝きがいたるところに見いだされること。小沢健二をはじめとする「渋谷系」だけでなく、小室ファミリーに代表される「エイベックス・サウンド」、渋谷をはじめとする東京の街角で流れていた王道のポピュラー・ソングがここに再現される。平成時代の音楽に慣れ親しんできた多くの一般のリスナーはこのアルバムに懐かしみを見出してくれると思います。

 

面倒な話はさておき、YMBの「Tender」は、多くの人に共感を与える音楽、日本語詞によって流麗に彩られている。これは、2020年代のシティ・ポップ、「Post City Pop」時代の幕開けを告げる傑作と呼べそうです。現在、日本は、40度に気温が達する地域もあり、あまりに暑すぎるので、今週は、おしゃれで涼し気なシティ・ポップ・サウンドを選びました。これからの季節、家の中で、また、ドライブ中に、YMBの最新作「Tender」を聴いてみてはいかがでしょう??



84/100  

 

 

 Hatis Noit 「Aura」

 

 

 

 

Label:  Erased Tapes

 

Release Date:  2022年6月24日

 

 

ーロンドン、ミュンヘン、ネパール、フクシマーー異なる時間、異なる場所、それぞれに響く真摯な歌声ー

 

 

6月24日、Erased Tapesからリリースされたアルバム「Aura」は、現在ロンドンを拠点に活動するヴォーカルアーティスト、ハチス・ノイトの記念すべきデビュー作となります。

 

既に、ハチス・ノイトは、イタリアの新聞でアーティスト特集が組まれており、さらに、英国の隔月間マガジン、Loud&Quietの昨日付のレビューで、8/10の評価を獲得しています。さらに、現在、渋谷の街頭スクリーン9面にて、三年かけて制作されたMVがオンエアされている最中です。

 

不運にも、英国内の最大の音楽のお祭り「グラストンベリー・フェスティヴァル」とリリース日が重なってしまった事実は、それほど大きな問題とはならないはずです。「Aura」は、時間が経過したとしてもその良さが損なわれるような作品ではなく、時代の経過に耐えうるような普遍的な価値が込められている。ヴォーカルアートの美しさ、ライブに比する生彩感のある音楽性が貫かれた2022年最大の傑作のひとつに挙げられます。もちろん、タイトルは、20世紀のドイツの文芸評論家、哲学者としても活躍したヴォルター・ベンヤミンの名著「Aura」に依り、この著作に因むと、ハチス・ノイトのこのセンセーショナルな印象を持ったデビューアルバムには、複製品ではない、本物だけが持つ芸術作品のオーラが随所に込められている。少なくとも、聴けば聴くほど、この作品の持つ真価がより顕著になっていくだろうと思われます。

 

「Aura」は、非常に長い時間をかけて制作が行われた正真正銘の声楽による芸術作品です。制作には、コラボレーターとして、アイスランドのビョーク、M.I.A、さらにマルタ・サロニが招聘されていることにも注目です。

 

先行シングルとしてリリースされた「Aura」、「Angelus Novas」のように、クラシックのオペラ、日本の伝統舞踊、スイスのヨーデル、ネパール、インドの民族音楽を中心に、それらの伝統的な歌唱法を受け継いで、デビュー作ではありながら、前衛的な作風を完全に確立しているのに大きな驚きを覚える。一例を挙げると、アメリカ合衆国の偉大なボーカリスト、メレディス・モンクのヴォーカルアートを、さらに、民族音楽やワールドミュージックの観点から捉え直した作品と解することが出来る。また、「Aura」は、「声の芸術」の持つ、華やかさ、麗しさ、清々しさといった魅力を、ダブに近い多重録音により、壮大な物語性を持つ、いわば、ハチスノイト特有の文学的なサーガのような意味を持つヴォーカルアートとして完成させています。

 

2020年に世界的に蔓延したパンデミックの最初期をロンドンで体験したハチス・ノイトは、ロックダウンの閉塞感のある時間の中で、ライブにおける観客との空間をともにすることの重要性に気づき、さらに、人生の喜びと豊かさを見出している。この時代についてハチス・ノイトは、「パンデミックの間、私は、本当に苦労しました」と回想し、さらに「歌手として、私はコンピューターの作業があまり得意ではありません。私は、(インターネット配信ライブよりも)物理的な空間でライブを行うほうが好きで、人と一緒に居て、同空間を共有し、その瞬間のエネルギーを感じることが、毎回、豊かなインスピレーションを与えてくれる」と述べています。

 

その後、ハチス・ノイトは、Erased Tapesと共にアルバムの制作に取り掛かり、ドイツ・ミュンヘンのスタジオで行われた最初のレコーディングをわずか8時間で終了させる。その後、レコーディング場所を、英国のイーストロンドンに移し、ミックス作業を行った。最終段階のミキシング作業では、録音されたマスターテープをイーストロンドンの教会に持ち込み、プロデューサーと共に、建築が持つ反響音「リバーブ」を含めて再録音を行う「リアビング」という斬新な技法が導入しました。このことによって、デジタル形式で生み出しえないアナログ形式の温かく豊かな響きが生み出されている。ここには、まさしく生きたライブ音楽が生み出されています。

 

ハチス・ノイトは、このアルバムにおいて、ワールド・ミュージックの様々な歌唱法、複数の声楽の技法、能楽、オペラ、ウィスパー、その他、喉元を震わせる独特な歌唱法を取り入れ、そして、フィールドレコーディングにより、自身が深い思い入れのある時間、場所を真摯に探求していきます。

 

先行シングルの二曲「Aura」や「Angelus Novas」の声楽の表現に見いだされるように、彼女が最初に声楽を志したネバールの寺院に始まり、自身の生存について思いを馳せることになった北海道、知床の森のミステリアスな雰囲気、さらに、活動拠点を置くイースト・ロンドンの生きた音楽を訪ね求め、さらに、アルバムのクライマックスをなす最大の聞き所となる「Inori」で、ハチス・ノイトは、日本の福島の海岸を自らの声の多彩な表現により訪ね求めようとします。

 

実際、福島の原発から1キロの場所でフィールドレコーディングがおこなわれた「Inori」には、多重録音されたヴォーカルトラックの背後に、しずかで、あたたかく、美しい、福島の波の音を聞き取ることが出来る。それは、単なる音の良し悪しではなく、本当に重要な音の記録、音楽の持つ最大限の魅力でもある。つまり、ハチス・ノイトのデビュー・アルバム「Aura」は、ポピュラー音楽としても楽しめる一方、単なる消費音楽ではなく、声楽を通じて表現された「音の記録ーサウンド・ドキュメンタリー」でもあり、そこには、異なる時間、場所、それぞれの空間にある生きた音楽ーーライブサウンドーーを読み取ることが出来るわけです。

 

福島の海の音の本当の素晴らしさが「音楽」として収録されていることは、このアルバムに普遍的な価値が込められていることを証明しています。日本には、いまだ帰宅が困難な福島の人々が数多く存在し、2011年の東日本大震災の出来事は解決がついていません、だからこそ、この作品「Aura」は、普遍的な意味を持つアルバムと断言出来る。こういった本当の意味で、他者に寄り添うような美しさの籠もった作品は他を探しても見出しがたい。また、それを、国際的なバックグランドを持ち、さらに、実際、帰宅困難区域が解除された時、福島の死者を追悼する祝典に出席した震災の当事者のハチス・ノイトが生み出すことに重要な価値が見いだされる。つまり、ハチスノイトはこの作品において、福島の全ての人たちの思いを一身に背負っているのです。

 

96/100

 

 

 

Weekend Featured Track「Inori」

 

 

 

 

 

 Erased Tapes official:

 

https://www.erasedtapes.com/release/eratp152-hatis-noit-aura 



bandcamp:

 

https://hatisnoit.bandcamp.com/album/aura 

 

 

 Bartees Strange「Farm To Table」 

 

 

 

 Label:  4AD


 Release: 2022.6.17



”Bartees Strenge”の名を冠して活動を行うBartees Cocks Jr,は、イーストアングリア生まれ、現在、ワシントン州を拠点にするソロミュージシャン。母親にオペラ歌手を持ち、さらに、英国のイプスウィッチのRAFベントウォーターズで空軍エンジニアとして勤務する父親の間に生まれたコックスは、12歳までに、英国、アイスランド、ドイツを経巡った後、最終的に母のオペラ歌手としての働き口を求めるため、アメリカ合衆国のオクラホマに定住することとなった。

 

コックスJr.は、20代にワシントンDCでオバマ政権の副報道官として勤務後、バックバッティングの募金活動や環境キャンペーンなどの活動を介して社会的な貢献を果たそうとしてきました。その後、ブロックパーティーの「Silent Ararm」、それから2006年、オンエアされていたデイヴィッド・レターマンの演奏を目にしたとき、彼は政治の道を離れ、一転してミュージシャンの道に転向すると決意します。その時のことを、コックスJr.は「あの出来事は私の人生を変えた」と述べています。「それは私にとって、抗議活動や行進よりも重要な意味を持っていた」と。

 

その後、コックスJr.は、オバマ政権の副報道官として勤務する以前に売り払っていた音楽の機材を全て買い戻すことになる。フェンダーのムスタングをトレードマークとし、ロックギタリスト、シンガーとして活動を行うようになり、 音楽の表現という領域において社会的な貢献を果たそうと考えるようになりました。Bartees Strangeのファッション、現在のデニム・ジーンズ、ミリタリー系のジャケットなどを見るかぎりでは、彼はフレンドリーなス姿勢は彼の経歴から見ると意外なものに思え、そのような職業に就いていたことを疑う人すらあるかもしれません。


 

ミュージシャンとして最初に知名度を高める要因となったのが、2020年にリリースされた「Live Forever」で、この作品には名だたるインディーロックシーンのスター、ルーシー・ダカス、コットニー・バーネット、フィービー・ブリージャーズらが参加したアルバムによって、ミュージシャンとしての地位を確立、その後、イギリスの名門レーベル4ADとのサインを交わし、前作の発表後、それほど時を経ず、新作アルバム「Farm To Table」のレコーディングに取り掛かりました。彼は、この作品が自分のキャリアの分岐点になることを予期していたかもしれません。

 

 

 

私は、音楽を革命的な行為として見始めました: 黒人、クイア、それから、女性。これまで存在しなかったものを構築する。

                       Bartees Strange

 

Bartees Strangeは、最新作「Farm to Table」の制作の背景、コンセプトについて、上記のように語っています。オバマ政権の副報道官という仕事を経たコックスJr.だからこそ、今回の制作のコンセプトは、非常に強い意味を持ち、さらに作品に対するる強い興味を惹きつけるものとなるはずです。アルバムの音楽は、12カ国という土地を経巡ってきた彼がこれまでに聴いてきた様々な音楽の記憶が取り入れられ、様々な手法を介して野心的な作風が生み出されています。

 

なんと言っても、このアルバムの中で衝撃的なインパクトを与えるのが、先行シングルとして発表された「Hold The Line」です。


往年の1970年代の王道のR&Bを彷彿とさせる曲で、彼はミネアポリス州で発生した事件「ジョージ・フロイドの死」を題材に選んでいます。コックスJr.は、その後、アメリカの各地で沸き起こった黒人達が列を作って行進する抗議運動を見、自分にも出来ることはないか、それを暴力的な表現でなくて、温かな慈しみ、ブルースのような淡い哀愁や、ほのかな慈しみにより、包みこもうとしているのです。

 

アルバムは、ほとんど無節操と呼べるほど、ジャンレスな多様性が導入される。それらは古典的なR&Bに始まり、インディーロック、ローファイ、ヒップホップ、オルト・ポップ、ソフト・ロック、ブルース、新旧のミュージックにも深い敬意を払い、人種を問わない音楽を生み出そうとしています。言ってみれば、カオスではあるものの、それらは現代の社会を反映していると好意的な見方をすることも出来る。それは、Bartees Strangeというミュージシャンがアルバムのコンセプトに掲げるように、以前に存在しえない何かを生み出そうと、作品の中で試行錯誤を重ねているのです。

 

アメリカのオクラホマに移住した当初、白人の社会において黒人として生きることは、彼の両親がそのことにプライドを持つようにと教育したおかげでそれほど難しい問題にはならなかった。でも、その後、彼は、大きな社会の中でどのように生きれば、どのような表現をすれば、社会的に良い影響を与えられるのかを考えてきました。このレコードの中に聴きとることが出来る様々な概念の中、コックスJr.は、暴力的な表現が意味をなさないこと、それらは反感を生むだけと熟知しているように感じられます。

 

「Farm To Table」に表れ出ている音楽性は、全体的な作風として、それらの多種多様なバリエーションあふれる間口の広い音楽を温かなものとしてまとめ、一つに包み込もうと試みているように思えます。Bartees Strangeは、この新作アルバムの中で、幼少期の体験がそうであったように、多種多様なジャンルの音楽を経巡り、探索し、長い旅を繰り広げていきます。それらは一向にまとまりがつかない部分もあり、また反対に、力強いアクセントになっている部分もある。

 

世界の殆どの政治家とは対象的に、そういった政治の真の姿を知る人間として、コックスJr.はすべてを包み隠すことなく、その時、その瞬間、自分が持ちうるものを、全力でギターのスウィープ(泣き)とし、ソウルフルな歌とし、爽やかなポピュラリティとし、真摯に表現しようと試みていきます。多種多様な音楽の中心にある王道のブルース、旧来のモータウンサウンドを取り巻きながら、インディーロック/ローファイが副次的に集積されていった後、それまでの楽曲で積み上げられた熱意のようなものがほどよく抜け、クライマックスの「Hennesy」では、アメリカのブラックミュージックの源流をなす教会音楽の朗らかな雰囲気のゴスペルに帰着する。これは、コックスJr.が、黒人たちに連結し、先頭に立ち、肩を組み、和平的に団結しようと、時を越えて呼びかけている。もちろん、現代の人間、限定されたコミュニティに属する人たちだけに「Hold the Line」と言っているわけではなく、未来の人々にも、同じようなメッセージを送る。人種や立場を問わず、すべての人々に団結しようと呼びかけているのかもしれません。

 

アルバムのアートワークについては、アートのコラージュのような手法が取り入れられているのが面白く、バーティーズ・ストレンジの幼少期の写真らしき素材がパッチワークされ、その構図の中心には、レオナルド・ダヴィンチの名画「最後の晩餐」が暗示的に据えられています。表面的にそれははっきりとは見えないものの、このアーティストからの隠された「ダ・ヴィンチ・コード」のようなメーセージが、そのバックグラウンドには読み取れなくもないわけです。

 

かのレオナルド・ダヴィンチも、宮廷やミラノのサンタマリア修道院の食堂の壁面に描かれた「最後の晩餐」をはじめとする芸術作品を生み出した後、イタリア国内で戦争が勃発、戦争のため、画材、パトロン、ほとんどすべてを失い、失意のまま、故郷、イタリア、ミラノを後にし、ヨーロッパの国々を放浪をかさねたすえ、「モナリザ」を描いたと伝えられる謎めいた雰囲気のある画家。いささかミステリアスな印象のあるレオナルドの幻影は、英国、イースト・アングリア、アイスランド、ドイツといった諸国を経巡った後、最終的に、アメリカ合衆国のワシントンDCに根付いたBartees Strangeの移民としての哀愁あふれる姿に、心なしか重なるものがあるようです。

 

87/100


Weekend Featured Track 「Hold The Line」

 

 


 
 
 
Label: Lutalo
 
Release Date: 2022年6月9日 
 
 

 
 
米国、バーモント州を拠点に活動するロタロ・ジョーンズは、ミュージシャン兼プロデューサー。しかし、現時点ではそれほど知名度があるミュージシャンではありません。このあたりの事情については、あまり詳しくありませんが、ロタロ・ジョーンズは、ニューヨークのインディーフォークバンド、Big Thief(ビック・シーフのAdrian Lenker(エイドリアン・エンカー)と従兄弟の関係にあたる人物であり、さらに、フリート・フォクシーズのファンとして知られているようです。
 
 
今週の金曜日にリリースされたばかりの「Once Now,Then Again」は、ロタロの記念すべきデビューEPとなり、先行シングル「For Now」が、フルEPの発売前にリリースされています。

 

私は、実存的な質問に取り組む傾向にある。テクノロジー、インターネット、関係、世界の政府、住宅...大人になることの意味と、それがどのように見えるかについて、私たちの定義がどのように変化するのかを発見しつつ、このプロジェクトに対する私が持っている展望は、サウンドベースでもなく、またジャンルベースでもありません。

 

作品として提示される音楽は、私自身を反映したものでしかない。これまで何かを強いて表現しようとしては来なかったため、上述したような境界線は必要ありませんでした。何らかの方法で、音楽に新たな表現性を追加したいだけです。

 

                   Lutalo
 
 
デビューEPは、ロタロ・ジョーンズの音楽的な探求であると同時に、哲学的な探求でもあるようです。というと、大げさに思えるかもしれませんが、音楽自体はそれほど難解ではなく、ルタロ・ジョーンズは、Big Thief、Bon Iverのように、緩やかで、しなやかな印象を持ったコンテンポラリー・フォークを提示する。アコースティック・ギター、ヴォーカル、サンプリングの音形を巧みに複合的に掛け合わせ、現代的であり、涼やかな雰囲気を擁するフォーク音楽を完成させている。ミドルテンポのフォークトロニカに近い手法が取り入れられ、それらがインディーロック/ローファイと融合を果たし、爽やかな雰囲気を持った心地よい作風に仕上げられています。
 
 
ロタロ・ジョーンズの音楽性は、上記のコメントからは予想外にも、それほど思想に凝ったものではなく、やんわりとした絵画的な印象に彩られている。
 
 
ロタロ・ジョーンズの作風は、現実的でもあり、幻想的でもある。彼は表現の中に境界線を設けず、その2つの空間の中を音楽を介して繰り広げられる細やかな物語を自由自在に往来している。収録されている6つの曲は、一貫してのんびりしたミドルテンポで構成され、そこに、アコースティックギター、ローファイの影響を受けたリズムトラック、ジャック・ジョンソンのように寛いだ印象のあるロタロのヴォーカルが乗せられる。フォークでありながら、ダンサンブルでもあり、ビート感が強い、という側面においては、初期のBon Iverに近い方向性ともいえる。そして、ロタロ・ジョーンズのヴォーカルはほどよく力が抜けているので、奇妙な親近感を覚える。
 
 
また、近年アメリカで盛んなオルタネイティヴ・フォークの要素に加え、ストリングスのアレンジ、シンセサイザーの色付けがなされている点は、アイスランドのエレクトロニカ/フォークトリカ、ベッドルームポップにも親和性がありそうです。しかし、それらの幻想性は、北欧のものとは別様に表現され、あたたかな太陽の下でゆったりくつろぐようなニュアンスが込められています。 
 
 
EPの全体像は、小さな曲の連なりのように構成されていて、始めから最後まで一貫した作風が提示されている。楽曲の中に、移調がさりげなく駆使されている点が、デビュー作ではありながら、このアーティストのソングライターとしての潜在能力の高さが表れ出ているように思えます。
 
 
「Once Now,Then Again」EPは2000年代の、アイスランド、ノルウェー周辺のフォークトロニカ/トイトロニカに親しんでいるリスナーにとっては、それほど真新しさは感じられかもしれないかもしれませんが、一方で、アメリカ人アーティストとしてのインディー・ローファイに対する矜持、そして、主張性も込められているのがこのEPの素晴らしい側面です。特に、先行シングル「For Now」では、黒人や先住民が直面している米国社会の問題がさらりと歌いこまれているのが見事です。
 
 
音楽としては、さほど主張性が強いわけではないものの、歌詞中に込められた隠されたメッセージ、ロタロ・ジョーンズの考えの表明が、ゆるやかな印象を持つコンテンポラリーフォークの強いアクセントになっています。デビュー作の六曲は、緻密な構成がなされており、それらの中に、ほどよい主張性が込められているため、純度の高いプリズムにも比する美麗な輝きを放っている。 
 

 Angel Olsen 「Big Time」

 

 



Label:  jagujaguwar


Release Date: 2022年6月3日

 

 

中国の古い四字熟語に、「温故知新」という言葉があります。これは、日本語でいうと、ふるきをたずね、あたらしきをしる、という意味が込められた「論語」の中に登場する言葉です。その意味は、古い時代の出来事の深い理解を交えることにより、新しい時代の意味を再発見するというもの。なぜ、このような前置きをしたのかといえば、特に、アメリカのソロアーティストの中に、温故知新の精神を追い求めるミュージシャンが数多く見受けられ、エンジェル・オルセンの新作アルバム「Big Time」にも、この古い故事がぴったり当てはまるような感があるからです。

 

私は、アメリカ文化の専門家でもないため、詳しいことまでは言及できませんが、特に、最近、ファーザー・ジョン・ミスティ、ロード・ヒューロンをはじめ、米国のアーティストの間で、20世紀の初頭や中葉の音楽や文化に脚光を浴びせようと試みるムーブメントが巻き起こっているように思えます。これは「Nostalgia-Pop」ムーブメントの密かな到来と言えるかもしれません。


シカゴを拠点に活動するシンガーソングライターのエンジェル・オルセンさんは、この最新作「Big Time」において、テネシー・ワルツを中心として、カントリー、フォーク、アメリカの音楽文化の源流に迫ろうと試みており、失われたアメリカのロマンチシズム、ノスタルジアを映画のサウンドトラックのような趣のあるバラードにより探求していきます。アルバムの世界観は、徹底して物語調であり、最初から最後までそのコンセプトが崩れることはなく一貫した表現性が通っています。複数の先行シングルとして公開されたMV,「Big Time」のショートフィルムは、この音源としてのレコードを補足し、そのストーリーを強化するような役割を果たしている。

 

これまで、シンセポップ、オルタナポップ、またパンキッシュな雰囲気のあるポップス、作品ごとにそのキャラクター性を変化させてきたオルセンは、近年、アメリカの古いカントリー、フォーク、アメリカーナといった音楽に真摯に向きあい、去年には、シャロン・ヴァン・エッテンと共同制作でシングル「Like I Used to」を制作し、対外的な環境に関わらず、音楽性をひそかに磨きをかけ続けてきた。

 

そして、それらの表面的な音楽とは別に、精神的な研鑽をまったく怠らなかったことがこの作品には表れ出ています。ポピュラー音楽の内在する複数のテーマ、若い時代の思い出、家族、そして、愛情などなど、様々な文学的な表現を掲げ、それを良質な音楽としてアルバムに刻印しようと努めている。アコースティックギター、ペダルスティール、といったアメリカンカントリーを象徴するような楽器で表現しようとしており、それらが見事な形で花開いたのが、オープニングトラック「All The Good Time」、タイトルトラック「Big Time」であり、また、トム・ウェイツの最初期の作品「Closing Time」のロマンチシズムを彷彿とさせるような「Ghost Town」といった秀逸なアンセムソングです。これらはミズーリ州出身のオルセンとしてのアメリカ南部の美麗なロマンチシズムに対する憧憬のようなものが余韻として表れ出ています。

 

特に、オルセンは、この南部のカウボーイ映画のようなワイルドさの漂うアルバムの中、これまで様々な方向性を模索してきたシンガーとしての才質を余さず駆使し、複数の歌い方、正統派のシンガー、おどけたような歌い方、コケティッシュな歌い方、ウイスパーボイスと、複数のシンガーが曲ごとに歌い分けているように、作品で、ころころと自分のキャラクター性を変化させており、その辺りがエンジェル・オルセンというシンガーらしさが引き継がれていると言うべきか、正統派の歌手の大きな成長とともに、歌手としての大きな真価が伺え、特に、この七変化する歌唱法を聴くために、この作品を聴いたとしても大きな感動がもたらされるでしょう。

 

エンジェル・オルセンは、このアルバムが発表される直前のタイトルトラック「Big Time」のリリースにおいて、「この曲を母親に聞かせたかった。もし、母親がこの曲を聴いてくれたら素晴らしいといってくれただろうに・・・」というコメントを添えていたのを覚えています。この言葉はアルバムの確かな手応えを象徴していたと思いますが、間違いなく、もし、彼女の母親が生きていたら多分そのように言ったはずです。

 

そして、以上のコメントは、このアメリカ国内でも、シャロン・ヴァン・エッテンに比する実力を持つシンガーソングライターのこの作品に込められた万感の思いで、この作品がオルセンさんにとって、どれほど大切なものであるかを示しています。この作品は、これまでのエンジェル・オルセンのキャリアの中で記念碑的なアルバムでありながら、このシンガーソングライターの音楽の物語の序章ーオープニングに過ぎない。それは、ジャズを下地に独特なポピュラー音楽として昇華された名曲「Chasing The Sunー陽を追う」の劇的でドラマティック、さらに、オーケストラ・ストリングスのアレンジが、ゆるやかに、深い情感を伴いながら、徐々にフェイド・アウトしていくとき、言い換えれば、作品そのものの持つ世界が閉じていくまさにその瞬間、多くの聞き手は「この音楽の物語はまだまだ終わりではなく、これからも続いていく・・・」という、このシンガーからの素敵で勇敢なメッセージの残映を捉えるはずなのです。

 

Critical Rating:

96/100 



Weekend Featured Track 「Big Time」

 

 



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Weekly Recommend

 

Nduduzo Makhathini 「In The Spirit Of NTU」

 


 Label:  Blue Note Africa

 Release:  5/27,2022

 


ーー南アフリカのジャズの潮流を変えるーー

 

  

 1947年、アメリカのジャズドラマー、ブルーノートの伝説的な人物、アート・ブレイキーが最初にアフリカ大陸を訪問し、さらに、60年代初頭、アパルトヘイト(人種隔離政策)による、黒人の表現活動に対する制限、検閲、暴力が南アフリカの社会全体に蔓延し、激化した後、何世代にもわたり、南アフリカのジャズ・ミュージシャンは、アパルトヘイトによる艱難辛苦に耐えながら、現代に継承される活気あるジャズシーンを長い年月をかけて生み出していった。

 

その後は、アパルトヘイトの弾圧により国内の複数の著名なジャズ奏者たちは、迫害を逃れ、亡命することを余儀なくされた。その後、南アフリカのジャズシーンはかなり長きにわたって憂き目にさらされてきた。迫害は、人種的な芸術表現にも及び、長い時代の芸術の停滞が何十年にもわたり、南アフリカには続いた。そして、この後の時代の空白の流れを汲み、現代の南アフリカの音楽シーンから世界的なシーンに羽ばたこうとしているのが、この土地のジャズシーンの中心的な役割をに担って来た、ジャズ・ピアニストの ンドゥドゥゾ・マカティーニさんです。

 

彼は、間違いなく、今後のアフリカのジャズを先頭で背負って立つような風格を持った人物であり、これまでアパルトヘイトなどの政治的な問題により、大きく取り扱われてこなかったか、不当に蔑ろにされてきたアフリカン・ジャズを世界に広めるような役割を背負っているように思えます。前作のアルバム『Modes of Communication』は、アメリカでも高い評価を受けており、既に何度か紹介しましたが、ニューヨーク・タイムズが「2020年のベスト・ジャズ・アルバム」に選出し、既にアメリカ国内でも着々と知名度を上げつつある演奏家と言っても良いかもしれません。

 

彼が今週末に発表した新作アルバム「In The Spirit Of NTU」は、ブルーノートとユニバーサルミュージックが共同で新設立した「ブルーノート・アフリカ」の記念すべき第一号のリリースとなります。

 

このアルバムでは、ピアニストのマカティーニの他、サックス奏者のリンダ・シクハカネ、トランペット奏者のロビン・ファシーコック、ビブラフォン奏者のディラン・タビシャー、ベーシストのスティーブン・デ・スーザ、パーカッション奏者のゴンツェ・マケネ、ドラマーのデーン・パリスといった、南アフリカで最も刺激的な若手ミュージシャン、ボーカルのオマグとアナ・ウィダワー、サックス奏者のジャリール・ショウ、といった特別ゲストでバンドを結成しているのに注目です。

 

全体的な作品の印象としては、ジャズのスタンダード、そして、ミニマル的な構造を持ったモダンジャズ、さらにそこに、アフリカの文化における精神性、民族音楽、古くは「グリオ」という元は儀式音楽から出発したブルースの元祖ともなった音楽からの強い影響が見受けられるアルバムです。

 

そこに、マカティーニのおしゃれな雰囲気を持つピアノの演奏、また、時に、無調音楽に近いスケールを擁して繰り広げられる演奏は、他の共同制作、バンドの多くのメンバーたちの協力によって、聞きやすく、遊び心に溢れ、そして何よりスリリングな展開力を持ったジャズが紡がれる。一曲目の「Unonkanyamba」では、前衛的な作風にも取り組んでおり、これらはかつてのマイルス・デイヴィスのように、刺激的でパワフルな雰囲気を擁する作風として確立されています。

 

もちろん、この作品の魅力は、ジャズとしての画期的な実験性だけにとどまらず、アフリカの民族文化、そして、大掛かりなスケールを持った宇宙論的なアイディアに至るまで、様々な試みを介し、聞きやすく、親しみやすい、誰にでも楽しめるような音楽が麗しく展開されていることに尽きるでしょう。さらに、 また、その他にも、omaguguが参加した二曲目の「Mama」では、和やかで落ち着いた古典的なジャズのバラードソングを、心ゆくまで楽しんでいただけるはず。

 

さらに、ンドゥドゥゾ・マカティーニのピアノの演奏は、前衛的でありながら、普遍的なジャズマンとしての風格を兼ね備える。バンドの独特なアフリカのリズムに加え、マカティーニの演奏は、ビル・エヴァンスのような感性の鋭さ、叙情性、技巧性、気品を併せ持ち、ニューオーリンズ・ジャズ 、往年のニューヨーク・ジャズに比する洗練性を持ち、それらの要素がアフリカのエキゾチズムと絶妙に合わさることにより、これまで存在しえなかったニュー・ジャズが誕生しています。

 

ピアニスト、ンドゥドゥゾ・マカティーニが率いるジャズバンドは、この作品で、以上のような試みを介して、アート・ブレイキーの時代からめんめんと引き継がれる南アフリカのジャズの魅力を引き出そうとしています。それは複数の楽曲を介して、エモーション、スピリチュアル、フィロソフィー、いくつかの観点から多次元的にアフリカンジャズの核心へと徐々に近づいていきます。それは、スタンダードジャズ、ジャズバラード、ミニマリスム、アフリカの民族音楽、様々な知見と見識を持つマカティーニだからこそなしえる職人芸とも呼べるものです。さらにこの作品は、南アフリカのジャズシーンを紹介するという意味が内在しているだけではなく、この南アフリカのジャズシーンが世界的に見ても秀抜したものだということを象徴付ける作品となっています。

 

「In The Spirit Of NTU」で、マカティーニは、気品あふれるジャズを魔法のように体現させ、そして、楽しく、朗らかで、寛いだ雰囲気を持った芸術性の高い音楽を生み出し、南アフリカのジャズ音楽の魅力を余すところなく世界のリスナーに伝えようとしています。この作品の台頭は、アメリカ以外の他の地域のジャズ、カナダ、モントリオール、ノルウェー、オスロに続き、南アフリカのジャズシーンが、世界的に注目を浴びるように働きかけるだけでなく、音楽史としてもきわめて重要な意義を持っているように思えます。概して、ジャズは、現在の作品より過去の作品が評価が高くなる傾向があるものの、このマカティーニの最新作「In The Spirit Of NTU」は、そういった評価軸を変えるような力に満ちあふれている。伝統的であり、また古典的でありながら、モダンジャズであり、幅広いリスナーに親しんでいただけるようなアルバムで、勿論、20世紀から始まった長年のジャズ史から見ても、傑作の部類に挙げられる作品です。

 

「In The Spirit Of NTU」が、奇しくも、先週の、ロンドンを拠点にするアフリカ系ジャズマン、シャバカ・ハッチングの「Afrikan Culture」のリリースと重なったことは、何も偶然ではなく、これは、時代の要請を受け、秀逸なジャズマンがアフリカ大陸からデビューしていく流れを予見したもの。ここに表されている「NTU−アフリカの精神」と呼ばれるものが一体何なのか、それを掴むためには、実際のアルバムを聴いていただく必要があると思いますが、いずれにしても、ストラヴィンスキー、マイルス・デイヴィスといった巨匠がアフリカ音楽の独特なリズムを自身の作品に刺激的に取り入れた20世紀に続き、いよいよ、今後、これらのアフリカの音楽が、再び世界的に華やかな脚光を浴びる時代がもうすぐそこまで近づいているのです。



95/100 

 

 

Weekend Featured Track:

 

Nduduzo Makhathini 「Unonkanyamba」

 

 



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 KENDRICK LAMAR 「Mr Morale&The Big Steppers」

 


 

Label: pgLang

 

Release Date: 2022年5月13日



「Mr.Morale&The Big Steppers」は、ケンドリック・ラマーが新たな境地を開拓した作品と評せるでしょう。彼のラップシーンにおいての大きな功績は、既に「To Pimp A Butterfly」「Damn」といった近作のアルバムが証明していますが、ケンドリックは、メインストリームに引き上げられてもなお、その名声に溺れることなく、アメリカ国内で象徴的なラップアーティストとなってもなお、自らの芸術性、表現性をこのアルバムにおいて探求しようとしている。これまでの作品において、彼は、スポークンワードを介しての政治的な発言、アメリカという国家にたいする社会的な提言をする言うなれば「代弁者」としての役割を持ってきたのは周知のとおりですが、この作品においてラマーはより大きな代弁者としての歩みを前に進めたように思えます。

 

彼は本作において、個人的な問題にとどまらず、他者、特に、女性やトランスジェンダーに対する人権についての考えをアルバムの中で提示しているようにも思えます。彼は、アルバムアートワークに示されているように、父親になりまた二人の子を授かったことにより、女性的な視点を持ってスポークンワードを紡ぎ出していることに注目です。 (先行シングルのミュージックビデオで顔を七変化させたのにはアルバムの重要なヒントが隠れていた)いくつかの他者になりきり、それを鋭さのあるスポークンワードとして紡ぎ出すこと、それらの彼の試みが最も成功を見た曲が、「We Cry Together」、アルバムのハイライトともいえるポーティスヘッドのベス・ギボンズをゲストボーカルとして招いたジャズ/チルアウトの雰囲気を持つ「Mother I Sober」です。

 

ケンドリック・ラマーは、女性に対する優しい思いやり、さらに傷んだ心を持つ人の立場のなりかわり、痛烈に叫ぶことにより、前者のトラックでは、苛烈なスポークンワードとして、後者では爽やかでありながら熱情を兼ね備えたスポークンワードが生み出されています。ラマーにとってのラップをするとは、子供を持つこと、つまり、新たな命を授かることと同意義であるように思えます。彼の言葉には、慈愛があり、温かさが込められている。もちろん、彼の代表的な傑作のひとつである2015年のアルバム「To Pimp A Butterfly」の頃に比べると、表向きの苛烈さはいくらか薄れているものの、それでも、幾つかの楽曲では、落ち着いた深い精神性を擁し、今まで感じられなかった人間的な温かさがスポークンワードの節々に滲んでいます。これは、父性を表しており、ケンドリック・ラマーが、父親としての深い自覚をもったからこそ、また、子を持つ親としての自覚を持つからこそ生み出された表現といえるかもしれません。

 

既に指摘されているように、今回のアルバムで、ケンドリック・ラマーは、アメリカらしいヒップホップというよりかは、UKのブリストルサウンドのトリップホップ/ロンドンのヒップホップに近い質感を持った作風を制作構想に取り入れていたように思えますが、彼の構想は、ポピュラーミュージックの中に潜むような形で、アルバムの幾つかの楽曲で見事に花開いています。メインストリームのアーティストとして、過分な注目を受けた後、何らかの創造性を失ってしまう例は多く見られますが、少なくとも、ケンドリック・ラマーというラップシーンきってのビッグスターにとって、以上のことは無関係であるようです。さらに、「Mr.Morale&The Big Steppers」は、叙情詩の才能が既存作品よりも引き出され、ケンドリックの代名詞的なアイコンとなりえる力強さがあり、また、夏の暑さを吹き飛ばすのに適したアルバムと言えるでしょう。

 

100/100(Masterpiece)

 

 

Weekend Featured Track 「Mother I Sober」

 


 

Father John Misty(J・Tillman)


ジョシュア・マイケル・ティルマンは、1981年生まれのファーザー・ジョン・ミスティの活動名で知られるアメリカ・メリーランド州・ロックビル出身のシンガーソングライター、ギタリスト、ドラマーである。

 

2003年に自身初となる公式アルバム「Untitled No.1」をリリース。この時点では、J・ティルマン名義でアルバムリリースを行っていた。その後、2010年までの約7年間で8枚の作品を発表した。2008年からはソロ活動を中断し、フリート・フォクシーズにドラマーとして加入する。

 

2012年には、フリート・フォクシーズのメンバーとして東京公演を行ったが、その後、バンドを脱退し、ソロプロジェクト、ファーザー・ジョン・ミスティ名義での活動に専念する。その後、J・ティルマンは2012年4月30日にアルバム「Fear Fun」をリリース、この作品でティルマンは最初の成功を収め、米ビルボード200に初登場123位にランクインを果たした。

 

FJMは、その後、順調にソロアーティストとしてキャリアを積み上げていった。2017年にアルバム「Pure Comedy」をリリースし、米・ビルボード200で初登場10位を記録。2018年6月に発表されたアルバム「God’s Favorite Customer」をリリースする。この作品もアメリカ国内で好評を博し、米・ビルボード・チャートで発登場18位を記録している。現在、イギリスとアメリカを中心に、世界で最も注目を浴びているシンガーソングライターである。

 


Father John Misty 「Chloë and the Next 20th Century」

 


             


 

Rebel:Sub Pop/Bella Union


Release:4/8 2022


Tracklisting

 

1.Chloë

2.Goodbye Mr. Blue

3.Kiss Me

4.Her Love

5.Buddy's  Rendezvous

6.Q4

7.Olvidado

8.Funny Girl

9.Only A Fool

10.We Could Be A Stranger

11.The Next 20th Century



「Chloë and the Next 20th Century」は、ファーザー・ジョン・ミスティの通算五作目のアルバムで、まさに、20世紀のブロードウェイ・ミュージカルを芳醇な音楽として2022年に復刻してみせた傑作と言えるでしょう。本作は、アルバムジャケットに表現されるとおり、モノクロの雰囲気、まさに、ジャズ・スタンダード、フォーク、チェンバーポップ、ボサノバと、FJMの音楽性の間口の広さを感じさせる作品で、それがノスタルジーたっぷりに展開されていきます。

 

2018年の「God's Favorite Customer」以来のフルレングスアルバムに取り掛かるにあたって、FJMは、2020年の春にアルバムの楽曲のソングライティングに着手しています。最初に「Kiss Me(I Loved You)」「We Could be Strangers」「Buddy's Rendezvous」「The Next 20th Century」と、アルバムの根幹となる楽曲を書いた後に、8月にスタジオ入りし、レコーディング作業を開始しています。J・ティルマンは、これらのテーマ曲を書いた後、アルバムの全体的な印象がどうなるのか念頭に置かずに、長年の制作パートナーであるジョナサン・ティルマンとともに、じっくりとスタジオアルバムの制作に取り組んでいきました。

 

ウィルソンの所有するファイブスター・スタジオで最初に2曲のアルバムの根幹をなす二曲のレコーディングが行われます。今回のアルバムでは、ブロードウェイミュージカルの色合いを強くするため、弦楽器、金管楽器、トランペットの対旋律のアレンジメントを力強く導入しています。サックス奏者のダン・ビギンズ、トランペット奏者のウェイン・バージェロンの楽曲アレンジは、ユナイテッド・レコーディングスのセッションで念入りに生み出されました。

 

アルバムの全体には、他の海外の著名な音楽メディアのレビューで指摘されていますように、二十世紀前半の古いモノクロ映画の色合いにまみれています。それに加え、20世紀のブロードウェイ・ミュージカルに感じられる華やかさが独特な化学反応を起こし、モノクロ的でありながら色彩的でもあるという相反する要素を持った作品です。

 

音楽的な観点から述べますと、ここには、FJMの長年の音楽上の経験や蓄積が一挙に放出されているわけです。それが、ニール・ヤングの「Harvest Moon」のアメリカらしいワイルドなフォーク音楽に回帰を果たし、その上にビートルズの「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」や「White Album」で見受けられるようなコンセプトアルバムの性質、オーケストラとポップを融合したチェンバーポップに対する深い憧憬が滲んでいるように感じられます。それが、FJMの俳優のようにアルバムの中で歌い手を演じることで、音の世界が緻密に構成されていき、重層的な連なりを作り、喩えるなら、そこにブロードウェイ・ミュージカルの舞台が組み上がっていくわけです。

 

また、さらに、驚くべきなのは、アルバムの楽曲を次々と進めるごとに、FJMは、一人のブロードウェイの舞台俳優を演じているのではない、ということにきっとこの音楽に触れた皆さんはお気づきになるかもしれません。彼は、時にシリアスな役柄を演じ、また、あるときには、ユニークな役柄を演じ、その他にも、性別を越え、21世紀と20世紀の間を音楽によって自在に飛び回るのです。これは、コロナパンデミック時代の束縛の強い、分離感の強い時代に生み出されるべくして生み出された傑作です。実に、本当に、本当に、素晴らしいのは、この作品において、FJMは、音楽という概念的手法を介して、人は、自由自在にどのような場所にだって行けることを、さらに、時には、過去にも遡りさえ出来るということを、軽やかに証明付けているのです。

 

84/100

 

 

            



Pillow Queens

 

ピロー・クイーンズは、アイルランド・ダブリンで2016年に結成されたインディー・ロックバンド。

 

バンドは、二人のリード・ボーカルのSarah Corcoran,Pamela Connolly,ギタリストのCathy McGuiness,ドラマーのRachel Lyonsで構成されている。ピロー・クイーンズは、バンドとして面白い特徴を持つ。コーコランとコノリーの楽器演奏の役割は、どちらがボーカルを務めるかによって流動的に変化する。リードボーカルをコーコランが担当する場合、コーコランはリズムギターを演奏し、コノリーはベースを演奏する。一方、コノリーがリード・ボーカルを務める場合、その逆となり、コノリーがリズムギターを演奏し、コーコランがベースを務める。


ピロー・クイーンズの叙情的な楽曲性は、英国、アイルランドで軒並み高い評価を受けている。このバンドの音楽性については、アイルランドのカソリック信仰、及び、バンドメンバーがLGBTを公言していることに少なからず影響があるという指摘もなされている。イギリスの大手音楽メディア”NME”はこのバンドについて、「クイアネスの交差点を探求する」と述べている。また、イギリスの大手新聞”The Gurdian”は、「性別が反対の条件で一生を過ごすとしても、前向きな社会変化に適用しようとするバンドの心理的な挑戦を大いに讃えたい」と最大の賛辞を送っている。

 

2020年、ピロー・クイーンズはファースト・アルバム「In Waiting」をリリースし、デビューを飾った。アイルランドの新聞”Irish Times"は、この作品に「感動的な傑作」という高評価を与えている。最新作となる通算二枚目のLP「Leave The Light On」は、2022年4月1日にリリースされた。

 

 

 

 

「Leave The Light On」 

 
 
Royal Mountain Records  4/1,2022

 

 

 

Tracklisting

 

1.Be By Your Side

2.The Wedding Band

3.Hearts&Minds

4.House That Sailed Away

5.Delivered

6.Well Kept Wife

7.No Good Woman

8.Historian

9.My Body Moves

10.Try Try Try


今回、ダブリンのピロー・クイーンズは、二枚目のフルアルバム「Leave The Light On」を制作するために、内省に目を向けています。今日の世界において、内面に目を向けることはかなり勇気のいることだと言えるでしょう。

 

ダブリンのピロー・クイーンズは、2021年の春に、「Leave The Light On」のレコーディングを行っています。3ヶ月間、ソングライティングを行い、その後、スタジオ入りし、前作「In Waiting」で共同制作を行ったTommy McLaughinと共にアルバム製作を行いました。レコーディング作業については迅速に進み、アルバムとしてコンパクトに纏められた作品が生み出されました。

 

「これは、孤独的な記録であり、あなたが一日を消化する中で、さながら静かに車線変更をする深夜のドライブのような独特な感覚を引き起こすであろう作品です。孤独を反射し、瞑想を行うための温かい空間を提示している」と、発売元のロイヤルマウンテンはプレスリリースにおいて、この作品について述べており、さらに作品のコンセプトについて「孤独であることは、必ずしも一人であるとは限らない」と説明しています。

 

全体の作風としては、一曲目の「Be By Your Side」に顕著であるように、ポピュラー・ミュージックの色合いを見せながらも、そこには、インディーロックバンドらしい抜けさがなさも込められている。特に、ギターの演奏については、苛烈なノイズ性をにじませる場合もあって、単なるポピュラー音楽と断じて聴くような作品ではないかもしれません。ピロー・クイーンズのバンドアンサンブルとして生み出される音の裏側に世界には、内省的な世界がひろがり、そこにはまた、叙情詩のような表現性や哲学性も、音楽の中にはっきりと読み解くことも出来ます。

 

今回のピロー・クイーンズの二作目のアルバムは、表面的には、デビュー当時のセイント・ヴィンセント、U2のようなキャッチーで清涼感あふれる印象を放つ楽曲が収録されています。しかし、よく聴きこむと、このアルバムには底知れない奥深い精神的な世界が満ち広がっている。外側の世界よりも内的な世界のほうが無限の神秘的な空間が広がっていることを、このバンド、ピロー・クイーンズのアルバムは聞き手に発見させてくれるのです。

 

「最初のレコードである2020年の「In Waiting」 が成功した後」と、ロイヤル・マウンテン・レコードはプレスリリースを通じて述べています。

 

「ピロー・クイーンズは、さらに大きな会場やフェスティバルで演奏するようになり、バンドのメンバーは、ようやくフルタイムのプロミュージシャンとなりました。ほとんどのアーティストが商業的な道のりを歩む過程で、内省的な個性やキャラクターを失っていく中、ピロー・クイーンズは過去の事例とは真逆のアプローチを図っている。バンドのキャリアの中で、最も、内面に焦点を当てたリリースとなるはずです」 

 

さらに、リリース元のロイヤル・マウンテン・レコードは、以下のように「Leave The Light On」の作風についてきわめて的確に捉えていますので、それを以下に御紹介し、今回のレビューを締めくくらさせていただきます。

 

「このレコードは、バンドにとって音の出発点となるだろう作品です。ポピュラー音楽のように巨大に聞こえますが、柔らかさ、親密さの両面を持ち合わせている。それは、このバンドの二元性を象徴するものです。今回の作品は、エリザべス・ビショップ(1911-1979 編注:アメリカ合衆国の詩人で、ピュリッツァー賞の詩部門と全米図書館賞の栄冠に輝いている)の詩、そして、平凡で日常的な生活を通して生み出された作品であり、多くに人にとって、自らの考えと向き合うために一人でいる時間に、ヘッドフォンを通して、じっくり聴くことが出来るはずです」

 

(Score:81/100)

 

 

 


・Apple Music Link




 Yumi Zouma


ユミ・ゾウマは、ニュージーランド・カンタベリー・クライストチャーチ出身のオルタナティヴポップバンド。

 

バンドは、クリスティー・シンプソン、ジョシュ・バージェス、チャーリーライダーオリビア・カンピオンで構成されている。バンド名の由来は、メンバーの二人が共に活動をはじめることを薦めた共通の友人の名前にある。


グループとしての始まりは、クライストチャーチで一緒にコンサートを行った歴史にまで遡る。しかし、クライストチャーチの地震が発生した後、複数のメンバーが海外に移動し、その後、電子メールのやりとりによって共同作業を始めるまで、バンドは一緒に音楽を演奏することはなかった。

 

この初期のデモテープが音楽ブロゴスフィア内で注目を集めたことにより、アメリカのレーベルCascineがこのバンドにアプローチをし、契約を結んだ。


2014年から2015年の間、グループは、「EP Ⅰ,Ⅱ」をリリースする。その後、ユミ・ゾウマとして初めてのスタジオアルバム「Yoncalla」をリリースしてデビューを飾る。

 

2017年、通算二枚目のアルバム「Willow Bank」、シングル「December」「Depth(Part 1)」、「Half Hour」をリリースした。三作目のEP「EP Ⅲ」は、2018年にリリースされた。その後、 バンドは、新たにアメリカのポリヴァイナル・レコード/インティア・レコードと契約を結び、通算三枚目となるスタジオアルバム「Truthor Consequences」をリリースした。



「Present Tense」 Polyvinyl Record  2022



 

 

 

Tracklisting

 

1.Give It Hell

2.Mona Lisa

3.If I Had The Heart For Chasing

4.Where The Light Used To Lay

5.Razorblade

6.In The Eyes Of Our Love

7.Of Me and You

8.Honesty,It's Fine 

9.Haunt

10.Astral Projection


 

2020年、ニュージーランドのオルタナティヴ・ポップバンド、ユミ・ゾウマは、グループとしての岐路に立たざるをえなくなりました。

 

このバンドの三作目のアルバム「Truth of Consequence」がPolyvinylからリリースされた日、WHOがCovid-19をパンデミックとして宣言したからです。その後、バンドは初の北米ツアーを開始した直後、全世界は混沌とした状況に陥りました。もちろん、他のアーティストと同様、ユミゾウマもバンドとしての活動の先行きが不透明にならざるをえなかったのです。

 

その後、ユミ・ゾウマの四人のメンバーは世界各地に散らばっていた。あるメンバーは、ウェリントンへ、故郷のクライストチャーチへ、ロンドンへ、ニューヨークへ、一時的にユミ・ゾウマはバンドとして機能不全に陥ったかに思えました。このときのことについて、ユミ・ゾウマの発起人であり、マルチインストゥルメンタリストのチャーリー・ライダーは以下のように語っています。


「混乱してしまった。僕らはこれまで年一枚のペースで仕事をしていたけど、先行きが見渡せない状況下、勢いを失ってしまった」

 

それから、ユミ・ゾウマのメンバーは、2021年9月1日、新作「PresenteTense」を完成させるという制約を設け、時代に即したアルバムの制作に取り掛かります。遠隔リモートと直接的なライブセッションを組合わせることにより、バンドは、停滞の多い時代を切り抜けようと試みる。これまでのシンセサイザー、ギター、ベース、ドラムという基本的なバンドアンサンブルの編成に加え、ペダルスティール、ピアノ、サックス、木管楽器のウッドウイングス、これらのゴージャスなアレンジメントを取り入れ、さらに、アッシュ・ワークマン、ケニー・ギルモア、ジェイク・アーロンといったトップクラスのエンジニアたちが四人のミキシングを手掛けたことにより、アルバムは、以前の三作よりゴージャスな出来になったと言っても差し支えないかもしれません。

 

「4枚目のアルバムなので、少し冒険した曲を作りたかったんだ。他のアーティストたちと仕事をすることは、僕らのコンフォートゾーンの外側に出ることなので、その助けとなった」

 

チャーリー・ライダーが語る言葉に今作の魅力はすべて滲み出ています。これまでの日本のシティ・ポップのような爽やかで口当たりの良いシンセ・ポップの質感に加え、これまでよりもバンドサウンドとしてスリリングな展開が数多くの楽曲に見受けられます。これまでのユミ・ゾウマらしいおしゃれな雰囲気が滲み出た一曲目の「Give It Hell」、さらに、バンドとしての進化が伺える「Where The Light Used To Lay」といった2022年のポップ・アンセムとなる楽曲に加えて、このバンドの本領を示してみせたのがラストトラックの「Astral Projection」です。


ここで、この四人組は、これまでにない深みのあるポップスの傑作を生み出してみせた。というか、ユミ・ゾウマの最高の楽曲の一つをこの苦難多き時代に生み出しました。

 

また、四人は、この作品のテーマに未来という概念を掲げていますが、このラストトラックにおいて、ユミ・ゾウマは、現在状況に足がかりを置いた上で、暗闇の向かう先にある明るい希望に満ち溢れた未来への道筋をこの作品において示してみせています。