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ドイツ/ハンブルクのポストクラシカルシーンに属する作曲家、Niklas Paschburg(ニクラス・パシュブルグ)が3rdアルバム『Panta Rhei』の最新シングル「Delphi Waltz」を公開しました。このシングルは先月公開されたシングル「Darkside of the Hill」に続く作品となる。新作アルバムは2023年3月17日に7K!からリリースされます。


タイトルと音楽は、ヘラクレイトスの「すべては流れる」というギリシャ哲学からインスピレーションを得ており、ハンブルク出身のアーティストが自身の奥底から引き出された電子音楽とポストクラシック音楽の無制限の世界を探求している。


現在ベルリンを拠点とするパシュブルグは、過去2枚のアルバムを通じて、バルト海の動き(2018年『Oceanic』)と北欧の冬の闇(2020年『Svalbard』)に魅了されてきた。パンデミック時に旅を断念した結果、この最新アルバムでは彼自身の心の内側を見つめることになった。「それは音楽で表現された内省であり、また一方ではポジティブな感情、他方ではダークな感情という2つの異なる顔を見せることになった」



2016年のデビューEP『Tuur mang Welten』で注目を浴びて以来、Paschburgはその独創的な作曲スタイルで人々を魅了してきた。


これまでのキャリアを通じて、アンビエント、ポップ、クラシック、エレクトロニック・ミュージックを現代的に融合させてきた彼は、今回、中心的な楽器であるピアノを通して深い感情を伝えようとしている。RY X、Hania Rani、Robert Lippok、Ah! Kosmosとのコラボ、2021年のフランス映画「Presque」(「Beautiful Minds」)のサウンドトラックを作曲している。新作では、エレクトロニック・デュオ、ÂmeのFrank Wiedemann、Jóhann JóhannssonからThom Yorkeの作品までを手がけた敏腕サウンドエンジニア、Francesco Donadello(フランチェスコ・ドナデッロ)と共に制作した1曲が収録されているのに注目したい。


『Panta Rhei』は、ニクラスが概念的な境界を取り払い、直感に従ったサウンドである。彼はまずピアノでそれぞれの曲を書き、ドラマー、サックス、シンガー、アコーディオンを加え、さらにエレクトロニクスによってユニークな質感を加えている。


「これらの新曲は、私が自分の中で訪れた場所、私が持っているもの、または他の人の中で観察したものを描写しています。ヘラクレイトスのPanta rheiの理論にあるように、同じ川に2度入ることはできないという事実を念頭に置きながら、すべてを含む1つの川につながれたさまざまな音楽の場所や雰囲気を探求することが目的だった」


ニクラスの個人的な旅は、彼のメランコリックで繊細なピアニズムとシンセや電子ビート、示唆に富むアンビエント、ドイツ人シンガー、lùisa、スペイン人、Bianca Steck、アイスランド人ポストパンクバンドFufanuのフロントマン、Kaktus Einarssonの喚起的な声が融合した魅惑的でカラフルな音楽の旅であり、親密で瞑想的でありながら、ポジティブで高揚したヴァイブスを持つアンビエント・ポップへの移行でもある。

 

Hiroshi Yoshimura

 横浜出身の吉村弘(Hiroshi Yoshimura 1940-2003)は、近年、海外でも知名度が高まっている音楽家で、日本の環境音楽のパイオニアです。厳密にいえば、環境音楽とは、工業デザインの音楽版ともいえ、美術館内の音楽や、信号機の音楽、電車が駅構内に乗り入れる際の音楽など、実用的な用途で制作される場合がほとんどです。

 

 彼の歴代の作品を見ると、釧路市立博物館の館内環境音、松本市のピレネ・ビルの時報音、営団地下鉄の南北線の発車サイン音/接近音、王子線の駅構内、第一ホテル東京シーフォート、横浜国立総合競技場、大阪空港国際ターミナル展望デッキ、ヴィーナス・フォート、神戸市営地下鉄海岸線のサウンド・ピクトグラム、福岡の三越百貨店、神奈川県立近代美術館と多種多様な施設で彼の音楽が使用されてきました。

 

 吉村弘は、音楽大学の出身ではなく、早稲田大学の夜間である第2文学部の美術科の出身です。俗にいう戸山キャンパスと呼ばれる二文は他にも、名コメディアンの森田一義などを輩出している。体系的な音楽教育を受けたのではないにも関わらず、アナログ・シンセサイザーの電子音楽を通じて環境音からバッハのような正調の音楽まで幅広い作品に取り組んできました。特に、環境音についてはそれ以前に作例がなかったため、かの作曲家の功績はきわめて大きなものでもある。

 

 特に、この環境音を制作する際、吉村は実際の環境中に実存する音をテーマにとり、それを自らのイマジネーションを通じ、機械的な、あるいは機能的な音楽に落とし込むことで知られていました。例えば、1991年の東京メトロ(営団地下鉄)の南北線の環境音が制作された時に以下のようなエピソードがあったのです。そしてまた、複数箇所の駅に環境音が取り入れられたことに関しては、日本の駅という気忙しい印象を与えかねない空間に相対する際、利用者の心に癒やしと安らぎ、潤いをもたらす意味合いが込められていたのです。

 

 南北線では、1991年に接近・発車案内にメロディー(サイン音)を採用しました。これまでの営団地下鉄の発車合図は単なるブザーだっただけに当時は画期的な試みとして注目されました。メロディーは東京都の音楽制作会社「サウンドプロセスデザイン」のプロデュースにより、環境音楽家、吉村弘が制作。この際、吉村は王子駅付近を流れる音無川(石神井川)や滝からイメージを膨らませて「水」をテーマに、接近メロディーは「水滴や波紋」、一方の発車メロディーは「水の流動的な流れ」をモチーフにしていました。抽象的な実際の自然音に触発を受け、それらを彼の得意とするシンセサイザーを用い、環境音を制作したのです。


 実際に環境音の使用が開始されると、予想以上に彼の作曲した音の評判は良く、その後、目黒線、都営三田線、2001年に開業した埼玉高速鉄道線でも採用された。さらに鉄道会社の枠組みを越えた直通運転共通のメロディーとして幅広いエリアで使用されるようになった。2015年から、南北線、目黒線と三田線でも、吉村弘の環境音から次の新しいメロディーに移行されたため、現在、彼の環境音はほとんど使用されていないと思われます。しかし、彼の環境音は長いあいだ、鉄道利用者の心を癒やし、そして安らぎを与え続けたのです。

 

 吉村弘の音楽家としての功績は環境音楽の分野だけにとどまりません。年にはNHK邦楽の委託作品「アルマの雲」を作曲したほか、日本の黎明期のエレクトロニカの名盤として知られる『Green』(1986)、と、実質的なデビュー作でありながらアンビエントの作風を完全に確立した『Music For Nine Post Cards』(1982)といった傑作を世に残しています。さらに、吉村弘は、TV・ラジオにも80年代と90年代に出演しており、「環境音楽への旅」(NHK-FM)、「光のコンサート '90」(NHK-BShi)「列島リレードキュメント 都会の”音”」(NHK総合)にも出演しています。 

 

 これらのそれほど数は多くないにせよ、音源という枠組みにはとどまらない空間のための音楽をキャリアの中で数多く生み出し続けた作曲家、吉村弘のインスピレーションは、どこからやってきたのでしょうか?? 生前、多くのメディアの取材に応じたわけではなかった吉村は、自らのインスピレーションや制作における目的を「Music For Nine Post Cards-9枚のハガキのための音楽」のライナーノーツで解き明かしています。

 

そして、どうやら、彼の言葉の中に、環境音楽やサウンド・デザインにおける制作の秘訣が隠されているようです。特定の空間のため、また、その空間を利用する人々のために制作される「環境音」とはどうあるべきなのか。そのことについて吉村弘は、まだ無名の作曲家であった80年代の終わりに以下のように話しています。

 


 

 この音楽は、「気軽に聴けるオブジェや音の風景」とも言えるもので、興奮したり別世界に誘ったりする音楽ではなく、煙のように漂い、聴く人の活動を取り巻く環境の一部となるものである。

 

 エリック・サティ(1866-1925)の「家具の音楽」やロック・ミュージシャンのブライアン・イーノの「アンビエント・シリーズ」など、まだ珍しい音楽ではあるが、俗に言う「オブジェクト・サウンド」は自己表現でも完成された作品でもなく、重なり、ずれることで、空間や物、人の性格や意味を変えてしまう音楽である。


 音楽はただ存在するだけではないので、私がやろうとしていることは、総合的に「サウンドデザイン」と言えると思います。


 「サウンドデザイン」とは、単に音を飾ることではなく、「できれば、デザインとして、音でないもの、つまり静寂を作り出すこと」ができれば素晴らしい。目は自由に閉じることができるが、耳は常に開いている。

 

 目は自由に焦点を合わせて向けることができるが、耳はあらゆる方向の音を音響の地平線まで拾い上げる。音響環境における音源が増えれば増えるほど(そして、それは今日も確実に増えている)、耳はそれらに鈍感になり、本当に重要なものに完全に集中するために、無神経で邪魔な音を止めるよう要求する個人主義的権利を行使できなくなると考えるのは妥当なように思われます。


 現在、環境中の音や音楽のレベルは人間の能力を明らかに超えており、オーディオの生態系は崩壊し始めている。

 

 「雰囲気」を作るはずのBGMがあまりにも過剰で、ある地域や空間では、ビジュアルデザインは十分に考慮されているが、他方、サウンドデザインは完全に無視されている現状がある。いずれにせよ、建築やインテリア、食べ物や空気と同じように、音や音楽も日常的に必要なものとして扱わなければならない。

 

 雲の動き、夏の木陰、雨の音、町の雪、そんな静かな音のイメージに、水墨画のような音色を加えたいと思い作曲しました。


 前作「アルマのための雲-二台の琴のための」(1978)のミニマルな音楽性とは異なり、9枚の葉書に記された音の断片をもとに、雲や波のように少しずつ形を変えながら短いリフレインを何度も演奏する音楽。


 実は、この曲を作っていたある日、北品川にある新しい現代美術館を訪れたんです。雪のように白いアールデコ調の外観のうつくしさもさることながら、美術館の大きな窓から見える中庭の木々に深い感銘を受けて、そこで自分の作ったアルバムを演奏したらどんな音がするのだろう? そして、いざ、ミキシングを終えて、カセットテープに録音した後、再びこの美術館を訪ねたところ、無名作曲家の依頼を快く引き受けてくださり、「よし、美術館でこの音楽をかけてみよう」ということになり、とてもうれしく、励まされました。      

 

Wiiliam Basinsky

 

米国のアンビエント・プロデューサー、ウィリアム・バシンスキーが1979年に録音したものの長年お蔵入りとなっていた幻の音源『The Clocktower at the Beach(1979)』を発表しました。このアルバムは3月3日にLINEより発売される予定です。また発表に合わせて先行シングルが公開されていますので、下記よりご視聴ください。


「The Clocktower at the Beach(浜辺の時計台)」は、伝説的なプロデューサー、ウィリアム・バシンスキーがサンフランシスコに住んでいた1979年に作曲・録音された42分の未発表アーカイブ。ある時はかすかに、ある時は轟々と、広大な霧のようなドローンは、潮の満ち引きのようなエネルギーに満ちている。

 

パートナーのアーティスト、ジェームス・エレインがヘイト・ストリートの疎らなアパートで路上から拾ってきたオリジナルの夜勤の工場録音と、壊れた1950年代のテレビのテープループから作曲された「The Clocktower at the Beach」は、バシンスキーの最も初期の不気味な作品の一つ。この特別な作品が、彼の将来の音の探求と作曲にどのように影響したかを振り返っています。

 

「オープンリールのデッキを持っていたことは、私の初期の作品の多くで役に立ちました」とバシンスキーは述べている。

 

「4つのスピードを持つこの頑丈な機械は、隠れた、聞いたことのない音を発見するのを助けてくれました。私の魔法の機械。この作品は、私の最も(重要な)初期のドローン作品の一つです。私の作品はどれも、ある種の閃きから始まる特異な実験なんですが、「Clocktower」では、空間を作り出し、時間を歪ませる長尺の作品を最終的に追求することを重視しました」



ジェームス・エレインがレコード店の仕事から持ち帰る中古レコードの数々に魅了されたバシンスキーはこう宣言する。「ジェイミーは何でも持っていたし、手に入れたんだ...。しかもすぐにね! 私の音楽学マスタークラスの師で、最初のチャンピオンがジェイムス・エレインなんだ」


佐藤聡明の「エメラルド・タブレット」(1978年)、ジャン・クロード・エロイの「学問の道」(1979年)、エリアン・ラディゲの1960年代後半から70年代の一連のフィードバック作品と同じ軌道にあるバシンスキーの「The Clocktower at the Beack(1979)」は、海辺のジョルジオ・デ・キリコを思い起こさせる音で描かれた不思議な空のクレパスのような不可思議な作品となっている。


ウィリアム・バシンスキーは、これまでLINEからリシャール・シャルティエとのコラボレーション作品「Untitled 1-3」(2008年)、「Aurora Liminalis」(2013年)を発表している。「The Clocktower at the Beach」は、10年ぶりのLINEからの復帰作となる。また昨年、バシンスキーはイギリスの実験音楽家、Jenek Schaeferとのコラボ・アルバム『…on reflection』を発表している。 

 

 

 

 

 William Basinsky 『The Clocktower at the Beack(1979)』

 


Label: LINE

Release : 2023年3月3日

 

Tracklist:

 

1.The Clocktower at the Beack(1979) (excerpt 1)

2.The Clocktower at the Beack(1979) (excerpt 2)

3.The Clocktower at the Beack(1979) (excerpt 3)

 

 

William Basinsky

 

 
ウィリアム・バシンスキー(1958年生まれ)は、クラシック音楽の教育を受けた音楽家、作曲家であり、ニューヨークとカリフォルニアで40年以上にわたって実験的なメディアで活動している。旧式のテクノロジーとアナログ・テープ・ループを使用した、心にしみるメランコリックなサウンドスケープは、人生の時間性を探求し、記憶の残響と時間の神秘に響くものである。

 

4枚組の大作「The Disintegration Loops」は国際的に高い評価を受け、Pitchfork Mediaによって2004年のトップ50アルバムに選ばれた。2012年に発売されたTemporary ResidenceのデラックスLPボックスセットのリイシューは、その年のベストリイシューに選ばれ、ピッチフォークでは10点を獲得している。


Kali Malone 『Does Spring Hide Its Joy』



Label: Xkatedral

Release Date: 2023年1月日

 

 

Review


三枚組の新作アルバム『Does Spring Hide Its Joy』は、現在、スウェーデンを拠点に活動するアメリカ人実験音楽作曲家、Kali Malone(カリ・マローン)による没入型オーディオ体験で、マローンの他、スティーブン・オマリーとルーシー・レイルトンがミュージシャンとして参加している。2020年春のロックダウンの期間中に、ベルリン・ファンクハウス&モノムで制作・録音された。音楽は、音の信号として数学的な技術が用いられており、7進数のジャスト・イントネーションとビートの干渉パターンに焦点を当てた、長尺の非線形デュレーション作曲の研究となっている。これまでのこのアーティストと同様、ドローンの音響の可能性を追求している。

 

昨年、『Living Torch』というドローンの傑作を残したカリ・マローンであるが、今回、アーティストはパイプオルガンの演奏から離れ、 シンセサイザーのサイン波に焦点を絞ったドローン・ミュージックを制作している。そして、イギリスのメディア、The Quietusによれば、上記の2人のコラボレーターとしての役割は歴然としているという。ルーシー・レイトンの音楽的な背景は、コンテンポラリー・クラシックにある。一方、オマリーの方はSunn O)))の活動をみても分かる通り、ブラック・メタルや実験音楽にある。レイトンはチェロ奏者として、オマリーは、Bowed Guiterという形で作品に参加している。ある意味では異色のコラボレーションともいえるが、この三人には、方向性こそ違えど、ドローンという共通項を見出すことが出来る。


今回、パイプ・オルガンを離れ、シンセサイザーの世界に没入したことは、他の側面から見ると、既存作品とは異なるドローンミュージックのアプローチを探究したかったように思える。そして、例えば、ルネッサンス期の宗教曲のような重厚さを全面に押し出していた既存作品とは異なり、どちらかといえば今作のドローン・ミュージックはアフガニスタンの弦楽器ラバールの音色に近い音響の特性を持ち、エキゾチックな雰囲気に充ちたドローンへカリ・マローンは歩みを進めた。ただ、クラシック音楽の通奏低音のような形で常に一つの音が長く維持される点や、音の増幅と減退を用いてトーンの揺らぎを与えるという点、そして、時折、Bowed GuitarやCelloを通じてもたらされるアナログ信号のノイズのようなアバンギャルドな音の断片は、もしかするとこれまでのマローンの作品には見られなかった新鮮な要素といえるかもしれない。

 


 

今作『Does Spring Hide Its Joy』は、映画音楽のサウンドトラックとして制作された。 この映像作品に登場する1868年にエンジニアのジェシー・ハートリーによって設計された中央水力塔とエンジン・ハウスは、イタリアのフィレンツェにあるルネッサンス期の洞窟、パラッツォ・ヴェッキオを基にしている。映像作品『Does Spring Hide Its Joy』は、Abandon Normal Devicesの依頼を受け、アーツカウンシル・イングランドの資金援助を得て、オイスター・フィルムズが配給している。助監督はスウェットマザーが担当した。映像監督は以下のようなコメントを提出している。

 

  「私は、この作品に付随するフィルムを監督しました。バーケンヘッド・ドックの水圧塔とエンジンハウスの廃墟を撮影し、自然が静かにその権利を取り戻したこの工業地帯の震えるような肖像画を作りました。
私は、カメラの熱っぽい動きと彷徨によって、この荒涼とした空間に人間の存在を導入しようとした。建物を巨大な空の骨格として撮影するだけではなく、建物や崩壊した屋根、穴、床に散らばる苔や瓦礫、焼けた木片、そしてこの廃墟を彼らの王国としたすべての生き物たちと一緒に撮影しようとしたのである」

 

つまり、映像監督が語るように、これらルネッサンス期のイタリアの廃墟、他にもイギリスの古い廃墟など、古びた遺構のサウンド・スケープとして制作されている。これらはもちろん世の多くのサウンドトラックと同様、あくまで映像作品の質感を損ねないように、極力主張性が抑えられている。しかし、もちろんこのサントラの音楽は、映像の雰囲気を掻き立てるために存在するのであり、それはそのまま存在感が希薄であるということではない。それよりも実際の音楽から想起される古典的な宗教音楽の雰囲気が全面に満ち渡っているのである。

 

一方、音楽の製作者はこのサウンド・トラックについて、どのような見方をしているのか、断片的ではあるが、その一部を抜粋しておきたい。


「世界中のほとんどの人と同じように、私の時間に対する認識は、2020年の春の大流行の閉塞感の中で、大きな変容を遂げました。慣れ親しんだ人生の節目もなく、日や月が流れ、本能的に混ざり合い、終わりが見えなかった。時間が止まっているのは、環境の微妙な変化により、時間が経過したことが示唆されるときである。記憶は不連続に曖昧になり、現実の布は劣化し、予期せぬ関係が生まれては消え、その間、季節は移り変わり、失ったものはないまま進んでいく。この音楽を何時間もかけて演奏することは、数え切れないほどの人生の転機を消化し、一緒に時間を過ごすための深い方法だった」

 

カリ・マローン本人が説明するとおり、アーティストはあくまで、映像作品の付属であることを弁別しながらも、これらのドローン・ミュージックは制作時期のアーティストの感情や人生を色濃く反映している。それは孤独感に充ち、寂寥感に溢れ、茫漠とした荒野の最果てに浮かぶ霧のようである。しかし、その一方で、普通のドローンには見られない温かな感情もその冷たさの中に滲んでいる。ただ、これは表題にあるように喜びという単純な言葉ではいいあらわせないなにかがある。そして、これらの厳粛な抽象的な音楽に耳を澄してみると、没空間、没時間といった、すべてのこの世にある常識的観点から解き放たれた反転の概念が存在している。それは、チベット密教の概念、時間そのものは一方方向に流れず、円環を形成しているというニュアンスに近い。

 

そもそも、これらのドローンという実験音楽を通じての哲学的考察は、外側に流れる時を表現したものではないように感じられる。それは、人間の内側にある内的な時間の流れ、つまり、過去から現在、未来へと繋がる本来の時流とは異なる混沌とした合一の時間が、このレコードの中には内包されている。そしてまた、外的な風景ではなく、外の風景に接した際の内的風景が描写的に音の増幅や減退の反復によって永遠と続いていく。つまり、カリ・マローンが近年探究するアブストラクト・アンビエントとは、現実の物理空間に内在する法則とは異なる何かを追い求めようというのかもしれない。それはこの長大なサウンドトラックを聴いてみると分かるとおり、物質の持つ無限性や合一性、そういった超越的な観点に集約されているようにも思えるのである。

 

この新作アルバムの収録曲を逐一説明することは、あまり有益ではないように思える。その理由は、これらの四時間以上に及ぶ収録曲は、始まりもなければ、終わりもない、無限の空間とも称せるからなのだ。この最新作において、前作で金字塔を打ち立てたカリ・マローンはそれとは異なる崇高性を追い求めている。アバンギャルド・ミュージックとしては、未曾有の孤絶した領域にあり、こういった音楽について、評価付けることすら愚かしいと思える。もしかすると、今作は、前作『Living Torch』と同様、前衛音楽の伝説的な作品として後に語り継がれるような作品となるかもしれない。



98/100

 

 

Satomimagae

 

東京を中心に活動するエクスペリメンタル・フォーク・アーティスト、Satomimagaeがデビュー・アルバム『awa』の10周年記念リイシューに収録されるシングル「Tou(塔)」を公開しました。

 

今回、Satomimagaeは、10年前に自主制作したデビュー作をアートワークを一新し、リマスター盤として再編集することになった。アルバムの発表時、最初の先行シングル「Inu」が公開されています。『awa』のリイシュー盤は、RVNG Intl.から2月3日に発売されます。


 New Album Review  坂本龍一 『12』

 

 


Label: Commons/ Avex Entertainment

Release: 2023年1月17日



Review

 

これまでYMOのシンセサイザー奏者、ピアニスト、そして作曲家、様々なシーンで活動を行なう坂本龍一の待望の最新作。このアルバムは、近年、癌の闘病のさなかに書かれた彼の魂の遍歴ともいうべき作品である。そして、これらの12曲は、癌との闘いの中で、音を浴びたいという一心により書かれたピアノ作品集となっている。先日、放映されたNHKのピアノ・ライブではこの中の一曲が初めて披露された。また、その出演時のインタビューにおいて、坂本龍一はこのアルバムについてコメントしており、予め12曲を予期していたわけではなく、書き溜めていた楽曲を厳選していったところ、偶然、12曲になったという。『12』は、これ以上はない作曲者自身の選りすぐりのクロニクルとなっている。おそらくこれまで坂本氏の作品に触れてこなかったリスナーの入門としても最適なアルバムといっても差し障りはないように思える。

 

では、坂本龍一という音楽家の本質は何であるのか。先述のNHKのインタビューでは、「自分はピアニストとしてはそれほど優れているわけではないが、自分の作曲を演奏者として表現することが最適な方法だと考えてきた」というような趣旨の発言を行っている。一般に独り歩きするイメージとは裏腹に、自己に対して謙遜すらいとわない慎み深い音楽家のイメージが浮かび上がってくる。まさに、以上の言葉はこれまで明かされることのなかった坂本龍一という人物像を何よりも奥深く物語っている。そして、YMOのメンバーとして、あるいは戦場のクリスマス時の俳優として、その後のニューヨーク移住の時代、その後の音楽的な転向の時代ーーアルヴァ・ノトやクリスティアン・フェネス、ゴルトムントといったアーティストとコラボレーションを行った実験音楽家、そして文芸誌『新潮』でのがん闘病記の執筆。実は、そのどれもが坂本龍一という人物を表しているのである。

 

『12』は、プレスリリース時に発表されたとおり、制作された時期がそのまま曲名となっている。そして、その多くがパンデミックの始まりから一年あまりして書かれ、そして、およそ2年の歳月をかけてこれらの曲は書き上げられていったことが分かる。曲名は時系列ごとに並んでいるわけではなく、ランダムに配置されている。そして、作品を俯瞰してみると、その内容は、先にも述べたように、これまでの坂本龍一という音楽家のクロニクルとも捉えられないことはない。しかし、この作品を記念碑というようなかたちで解釈することは妥当とは言い難い。確かにピアノ曲、アンビエント、エレクトロニカ、この3つの柱が作品の核心にあることが理解出来る。しかし、それは、これまで彼が行ってきた事や、過去を回想するということではないように思える。坂本龍一という音楽家は、過去に埋没するわけではなく、さながら端的な日記を綴るかのようにその時々の内的な感性を探り、それらをピアノ曲、アンビエント、エレクトロニカというかたちで追究するのである。これは単なる音楽の提示ではなくて、音楽を通じての魂の探究なのだ。

 

個々の楽曲については、オーストリアのクリスティアン・フェネスとの共作の時代から探究してきたピアノ・アンビエントが作品の中心的な要素として据えられている。そして、ところどころには、近年、ご本人が探ってきた、日本的な感性や情緒というのがさり気なく込められているように思える。しかし、これまでの作風とは明らかに一線を画している。それはある意味で、オープニングの「20210310」や「20220214」で分かるとおり、神秘的な何かに対する歩み寄りが以前の作品に比べると顕著なかたちで刻印されている。それは、また、シンセサイザーのパッドを通じて、かつてのブライアン・イーノの『Apollo』の時代のようなアンビエントの厳選に迫ろうとしているとも解釈出来るのかもしれない。そして、これらの電子音楽としての間奏曲が、ソロ・ピアノをフィーチャーした楽曲の中にあって、強い生彩を放っているのである。

 

そして、これらのピアノ曲には、これまでのフランス近代和声からの影響に加えて、明らかにジャズの和音であったり、ドゥワップの時代のモード奏法の影響が取り入れられている。このジャズに対する親和性は、坂本龍一の以前の作品には求められなかった要素として注目しておきたい。これらの新味は、新作アルバムの終盤になって現れ、特に「20220404」において、これまでの戦場のクリスマスの時代のピアノ曲の作風に加えて、どのようなかたちで和音や対旋律の技法を駆使し、それらの要素を取り入れるのか試行錯誤している様子を伺うことが出来る。


不思議なことに、新作を聴いて一番驚いたのは、最後のクローズド・トラック「20220304」で実験音楽に挑戦していることである。アルバムのラストには、ピアノ曲を収録するかもしれないと考えていたが、オーケストラ楽器のクロテイルのような音(ガラスの破片がぶつかるような音)を捉える事ができる。この風鈴の音にも聴こえる音が、果たしてサンプリングによるものなのか、以前から試作していたフィールドレコーディングによるものなのかまでは定かではない。それでも、これらの全体的な流れを通じて感じられるのは、音楽家の神秘的なものに対する憧憬や親しみであると思う。そして、これらの12曲は、全体的な印象を通じ、”無限なる何か”に直結しているような気がする。もちろん、この『12』が、坂本龍一の最後の作品になるかどうかはわからない。それでも、坂本龍一さんが今もなお、新しい音楽に挑戦しつづけるだけでなく、さらなる高い理想を追い求めようとしていることだけは全く疑いないことなのだ。

 

 97/100

Weekly Recommendation  


Ekin Fil 『Rosewood Untitled』


 

Label: re:st

Release Date: 2023年1月13日   

 

Genre: Ambient/Drone

 

 

Review

 

2021年7月、記録的な熱波がギリシャとトルコが位置する地中海沿岸区域を襲ったことを覚えている方も少なくないはずである。


当時、地中海地域の最高気温は、何と、47.1度を記録していた。記録的な熱波、及び、乾燥した大気によって、最初に発生した山火事は、二つの国のリゾート地全体に広がり、数カ月間、火は燃え広がり、収束を見ることはなかった。2021年のロイター通信の8月4日付の記事には、こう書かれている。


「ミラス(トルコ)4日 トルコのエルドアン大統領は、4日、南部沿岸地域で一週間続いている山火事について、『同国史上最悪規模の規模』だと述べた。4日には、南西部にある発電所にも火が燃え移った。高温と乾燥した強風に煽られ、火災が広がる中、先週以降8人が死亡。エーゲ海や地中海沿岸では、地元住民や外国観光客らが自宅やホテルから避難を余儀なくされた」と。この大規模な山火事については同国の通信社”アナトリア通信”も大々的に取り上げた。数カ月間の火事は人間だけでなく、動物たちをも烟火の中に飲み込んでしまった。

 

このギリシャとトルコの両地域のリゾート地を中心に発生した長期間に及ぶ山火事に触発されたアンビエント/ドローンという形で制作されたのが、トルコ/イスタンブールの電子音楽家、エキン・フィルという女性プロデューサーの最新アルバム『 Rosewood Untitled』です。エキン・フィルは、非常に多作な音楽家であって、2011年のデビュー・アルバム『Language』から、昨年までに14作をコンスタントに発表しています。

 

電子音楽のプロデューサー、エキン・フィルは、基本的にはアンビエント/ドローンを音楽性の主な領域に置いています。昨年に発表した『Dora Agora』は、それ以前の作風とは少しだけ異なり、ドリーム・ポップ/シューゲイザーとアンビエントを融合させ画期的な手法を確立しています。


シンセの演奏をメインとするアーティストが珍しくギター演奏に挑んでいて、異質なドローン音楽として楽しむことが出来る。デモ・テープに近いラフなミックスが施されているので、以前の王道のアンビエントとは別の音楽性を模索しているかもしれないとも取れたのでしたが、今回、スイス/ベルンのレーベル”re:st”から発表された最新作『Rosewood Untitled』を聴くかぎりでは、その読みは半分は当たっており、また、もう半分では外れてしまったと言えるかも知れません。

 

エキン・フィルの最新作『Rosewood Untitled』は、英国や米国のアンビエント・ミュージシャンとは作風が明らかに異なる。それはこのアーティストを発見した前作『Dora Agora』から明瞭にわかっていたことではあるが、才覚の全貌ともいうべきものがこの作品で明らかとなっている。


エキン・フィルの制作するアンビエントは、ブライアン・イーノのようにアナログ風のシンセサイザーを貴重としたシンプルな抽象音楽が核心にあり、稀に癒やしという感慨が押し出されている点においては、他のプロデューサーとはそれほど大きくは相違ないように思える。しかし、エキン・フィルの描く表現性は、一般的な西洋的な概念に対するささやかな抵抗や反駁ともとれる何かを感じ取ることができる。


この作品全体には、トルコという土地の文化、特に、アラビア文化とヨーロッパ文化の折衝地としてのエキゾチズムが満ち渡っている。 東洋とも西洋とも異なる、いや、むしろ、東洋と西洋の双方の文化の発祥ともいえる太古から面々と続く文化性が、トルコで発生した山火事を音楽という領域から描出したこの最新アルバムでは掴み取ることが出来る。それはまた言葉を変えれば、他の地域のリスナーにとってはあまり馴染みがない、99%が回教徒で占められるというトルコ/イスタンブール、またアナトリアの土地の文化の本質へと一歩ずつ近づいていくという意味でもある。

 

実際の音楽は、アナログ・シンセの音色を生かしたシンプルなアンビエント・ミュージックとなっている。オープニング「Borealis」では、日本の伝説的なアンビエント音楽家、吉村弘の作風を彷彿とさせるレトロな雰囲気を体感することが出来る。


これはもちろん、日本の昔のレトロ・ゲームや最初期の任天堂のゲーム音楽にも近い雰囲気のオープニングとなっています。そして、エキン・フィルは、その最初の簡素なテーマからオーケストラ・ヒットなどを用いて神秘的な音楽性を引き出し、奥行きのあるストーリーを導き出していく。しかし、音楽の物語が転がりだしたとたん、いくらかの悲哀や感傷を擁する特異なアンビエンスが展開されていくことが分かる。そして、前作と同様、米国のアンビエント・プロデューサーのGrouper(リズ・ハリス)を彷彿とさせる浮遊感のあるドリーム・ポップ風のアンニュイなヴォーカル・トラックが空間性を増していき、そのまま淡々とフェード・アウトしていく。


聞き手は、手探りのまま二曲目へと移行せざるをえないが、いまだこの段階ではこの表現しようとすることが何であるのかは不明瞭のまま。もちろん、それは地上的な表現性と宇宙的な表現性を繋ぐ神秘性という形で、エキン・フィルのアンビエントは続いていくのである。ときに、絶妙なループを施しながら、奇妙なノイズを取り入れながら、「Seasick」は、あっという間に終わってしまう。


2曲目の「Disembered」では、前曲とはガラリと雰囲気が一変する。パイプ・オルガンの音色をシンセサイザーで使用し、前の2曲よりも神秘的であり、神々しいのような世界観を綿密に作り上げていく。しかし、リードシンセの音色は常に華美な演出を避け、素朴な音色であるように抑制を効かせている。ときに主旋律に対しての対旋律が奇妙な宇宙的な質感を伴って紡ぎ出される。この段階に差し掛かると、このトルコの山火事の変遷をシンセサイザーの重なりによって描出していく。


さらに、続く、四曲目のタイトル・トラックは、より神秘的な空間が立ち上がる。一見して、少し不気味な感じのあるイントロダクションから導きだされるコントロールの利いたシンセサイザーのパッドの音色は主張性を極力抑え、その場に充溢する得難い感覚を見事に表現している。時折、導入されるマレット・シンセの音色は、真夜中に燃え盛る炎が地上を舐め尽くす様子が描かれているように思える。それはまたその山火事を見る者にとっても信じがたいような瞬間でもある。

 

これらの描写的な抽象音楽は、常に、トラックが一つずつ進むごとに深化していき、例えるなら、それは内側にある奇妙な空洞のような場所へ、深く、深く降りていくかのようである。そして、5曲目の「Hidden Place」まで来ると、聞き手はオープニングで居た場所とは異なる空間性を見出す。


大げさに言えば、最初にいた空間とは異なる別領域に居るように思える。この曲は、アルバムの中で、次の曲と共に最もドローンの要素が強いトラックとなっていますが、まさに2021年当時の夏のトルコの空気の流れのようなものを、パン・フルートの音色を介して丹念に空間として表現していく過程を捉えることが出来るのです。


そして、そのシンセのフレーズは寂寥感にあふれているが、その半面、どっしりした安定感も感じ取ることができる。ドローンの広がりは宇宙的な神秘性に直結している。そして、この曲のクライマックスは、前振りというか、アルバムのハイライトとなる次曲への連結部の役割を果たす。

 

さらに、エキン・フィルの音楽性の真骨頂ともいえるのが、つづく「Who Else」となるでしょうか。ここでは、ドローンの最北の表現性が見いだされますが、そこにはオープニングに呼応する形で、エキン・フィルのボーカルが異質な浮遊感を伴い乗せられている。そして、このドローンの中には非常にか細い、西洋主義とは異なるアラビアの文化性を読みとくことが出来る。それはなにかしら回教徒のいる天蓋にモザイク模様を頂くモスクの下に反響するコーランの輪唱を遠巻きに聴くかのようなエキゾチズムが、これらのアンビエントには揺曳している。


そして、「Meyen」に差し掛かると、神秘的な雰囲気は、突如として山火事の情景へと変貌を遂げる。曲のクライマックスでは、地中海沿岸地方の山全体を炎が舐め尽くす様子が描出されているように思える。ここに来て、信じがたい驚異的なサウンド・スケープはさらに奥行きを増していくが、それと同時に、人智では計り知れない神秘性が作品の核心のテーマにあることに気づく。アルバムのクローズ「Meyen」に聞こえるアンビエンスは筆舌に尽くしがたいものがあり、まさに圧巻というよりほかなく、鳥肌が立つような異質な感覚が充溢しているが、このクライマックスにこそプロデューサーの天才性が表れ出ているように思える。この劇的なエンディングにおいて、エキン・フィルは、人智を越えた神秘の源泉にたどり着いた。今作は、ドローン・ミュージックの最高峰に位置付けられる衝撃的なアルバムといっても過言ではないでしょう。


100/100



Weekend Featured Track #7「Meyen」

 

 

Moby

米国のテクノ・ミュージックの大御所プロデューサー、Mobyは、「ambient23」と題された新譜を公開し、幸先の良い2023年をスタートさせた。今作はなんと、モービーがアンビエントに挑戦した一作となっている。アルバムのリリースと同時に、「amb 23-1」のMVが公開されていますので下記よりご覧下さい。


ここ数ヶ月、Mobyはアルバムの制作過程を詳しく説明する投稿を何度も行い、その進捗状況をファンと共有して来た。先週、彼はインスタグラムに書いている。「2023年1月1日にリリースする新しいアンビエント・アルバムを仕上げているところだ。明らかに奇妙な理由で『アンビエント23』と名付けたんだ。今回のアルバムは、最近のアンビエントのレコードとはちょっと違う。なぜなら、ほとんど、この写真のような奇妙な古いドラムマシンと古いシンセサイザーだけで作られているから...。もちろん、僕の初期のアンビエントヒーローに触発されてね...」


 

 

「amb-23-1」

 

 

 

Mobyの新作アルバム『Ambient 23』の各種ストリーミングはこちらから。

 

ポーランドのアンビエント・プロデューサー、Tomasz Bednarczyk(トマス・ベドナルチク)が新作アルバム『Music for Balance and Relaxation Vol.3』のリリースを発表しました。この告知に合わせて、最初のシングル「Real Adventure Ⅱ」が12日にリリースされ、さらに、本日、二作目のシングル「Imaginary TripⅠ」がストリーミングで公開されています。

 

『Music for Balance and Relaxation Vol.3』は、「Real Adventure」と「Imaginary Trip」の2つの楽曲のバリエーションによって構成され、ヤマハのシンセサイザーのレトロな音色が活かされた作品です。

 

この新作は、これまで、ニューヨークの”12k”等から複数のアンビエント作品をリリースしてきたプロデューサーの豊富な経験が生かされており、ベドナルチェクが音楽と環境音を改めて主観的に解釈した作品となっています。ROLAND jp-8000、YAMAHA dx11、AMAHA QY70、KORG DDD-5、MOOG GRANDMA等の音色を加工した8曲で構成される。ニューエイジ/アンビエントファンは要注目の新作となります。 

 

 


今年1月、Tomasz Bednarczyk(トマス・ベドナルチク)は、最新作「Windy Weather Always Makes Me Think Of You』を12kから発売しています。この作品のレビューはこちらからご一読下さい。

 

 

Tomasz Bednarczyk 『Music For Balance And Relaxation Vol.3』

 

 

Label: Somewhere Nowhere

Release: 2022年12月30日

 

Tracklist:


1.Real Adventure Ⅰ

2.Real Adventure Ⅱ

3.Real Adventure Ⅲ

4.Real Adventure Ⅳ

5.Imaginary Trip Ⅰ

6.Imaginary Trip Ⅱ

7.Imaginary Trip Ⅲ

8.Imaginary Trip Ⅳ

 

 

 

 

Tomasz Bednarczyk

 

 トマシュ・ベドナルチクは、ポーランドのヴロツワフ在住の電子音楽家、サウンドデザイナー。 

 
2004年以来、前衛的なアンビエントサウンドの解釈を通して、新鮮で親しみやすい性質を持った楽曲を数多く生み出して来ました。

 
ベドナルチクは、アコースティックループ、そして、自身のスマートフォンで録音したフィールドレコーディングをトラックとして緻密かつ入念に重ね合わせていき、奥行きがあり、時に暗鬱で、時に温かな、叙情性あふれるデザイン性の高いアンビエント音楽を数多く作り出しているアーティストです。


Wire Magazineは、トマス・ベドナルチクの音楽について、「・・・彼の作品は、音の断片に光に当て、それらの幾何学性を与え、音は絶妙な均衡を保っている。彼の作品は、アレクサンダー・カルダーの彫刻のように平均感覚を呼び覚ますものである」と2009年のレビューにおいて評しています。

 
ベドナルチクのデビュー作「Sonice」はAvangarde Audio Recordsからリリースされています。2007年、彼は、他のアーティスト、Flunk,Gusky,Mr.S、Novika,Old Time Radio、3 Moon boysの作品を取り上げ、独自のスタイルを追求しました。上記のリミックス作品のコンピレーションにより、彼は電子音楽家、サウンドプロデューサーとして注目を集めていきます。


オーストリアの著名なレーベルRoom 40からリリースされた二作目のスタジオアルバム「Summer Feeling」は、これまでのキャリアにおいて代表作の一つに挙げられる。穏やかさと繊細さを兼ね備えたアンビエントのサウンドアプローチは、Wire Magazineを始め、多くの音楽評論家から好評を受けました。その後、「Wire Magazine MP3 Special」、「Shortcut to Polish Music」をはじめとするコンピレーション作品、日本のポスト・クラシカルシーンのアーティスト、Kato Sawakoのリミックス作品を始め、多くのリミックス作品を手掛けていくようになりました。

 
その後、Tomasz Bednarcsy名義のソロアルバムの発表を重ね、「Painting Sky Together」「Let's Make Better Mistakes Tomoroow」2009、を始めとするアンビエント作品をRoom 40,12Kといった、著名な電子音楽専門レーベルからリリース。二作目のアルバム「Painting Sky Together」は、BBCラジオ3でオンエアされ、アンビエント作品として好評を受けています。

 
その後、三作目のスタジオアルバム「Let's Make Better Mistakes Tomoroow」発表後、2010年にトマス・ベドナルチェクはソロ活動を引退すると発表しましたが、その後、その宣言を撤回、ソロ活動を再開。2018年に「Music For Balance and Relaxation Vol.1」をリリースした後、2021年までに四作の素晴らしいスタジオ・アルバムを発表しています。

 Weekly Recommendation 

 

Ian Hawgood 『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』

 


 

Label: Home Normal

Release: 2022年12月9日



Review


Ian Hawgoodは、アンビエント/ポスト・クラシカル/に属するミュージシャンで、これまでピアノやギターを用いたアンビエントを制作している。成人してから、日本、イタリア、といった国々で生活を送っている。彼は、特に日本に深い思い入れを持っているようで、2021年の『朝』や2018年の『光』、それ以前の二部作の『彼方』を始め、日本語のタイトルのアンビエント・ミュージックをリリースしています。(これらの作品はすべて日本語が原題となっている)

 

また、イアン・ホーグッドは、イギリス/マンチェスターのポスト・クラシカル・シーンの若手チェロ奏者、Danny Norbury(ダニー・ノーベリー、2014年の傑作『Light In August』で知られる)との共作もリリースしている。また、イアン・ホーグッドは、複数のレーベルを主宰している。詳細は不明ではあるものの、東京のレーベル”Home Normal"を主宰していたという。現在は、イギリスのブライトンの海岸にほど近い街に拠点を置いて音楽活動を行っているようです。

 

Ian Hawgoodの最新作『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』はbandcampでは、11月から視聴出来るようなってましたが、昨日(12月9日)に正式な発売日を迎えた。このアルバムは、ギターとトング・ドラム(スティール・ドラムに近い楽器)を使用し、その音源をReel To Reelのテープ・レコーダーに落とし込んで制作された作品となります。定かではないものの、海岸のフィールド・レコーディングも音源として取り入れられている可能性もありそうです。

 

イアン・ホーグッドの今作でのアンビエントの技法は、それほど新奇なものではありませんが、表向きにはブライトンの海岸の風景を彷彿とさせるサウンドスケープが巧みに生かされた作品となっています。日本で生活していたこともあってか、シンセサイザーの音の運び、広げ方については、Chihei Hatakeyama(畠山地平)の作風を彷彿とさせる。畠山と同じように、日本的な情緒のひとつ「侘び寂び」が反映された作品で、落ち着きがある。そして、音楽自体にそれほど強い主張性はなく、自然の中にある音を電子音楽として捉えたような趣きが漂う。つまり、今作のアンビエントを聴いていると、ただひたすら心地良いといった感じであり、シンセサイザーのパッドに加えて、ギターの音源を複雑に重ねたレイヤー、トング・ドラムに深いリバーブとディレイを施した連続音が聞き手を癒やしの空間に誘う。音の微細な運び、そのひとつひとつが優しげな表情を持ち、美しく、穏やかな抽象的な音の広がりが重視されています。

 

このアルバムの音楽に耳を澄ますと分かる通り、アンビエントの世界はどれだけ跋渉しつくしも果てしないように思える。それは表現性を1つのアンビエントという概念中に窮屈に押し込めるのではなくて、それとは正反対に、1つの概念から無限の広がりに向けて音楽を緻密に拡張していくからでもある。イアン・ホーグッドは、まさにこのことを心得ており、聞き手の心を窮屈な狭い世界から抜け出させ、それとはまったく異なる広々とした表現の無限の領域へと解放する。イアン・ホーウッドの音楽は、明確な答えを急ぐことなく、その刹那にみいだす事のできる美という概念を踏まえ、その美の空間がどこまで永続していくのかを、このアルバムを通じて真摯に探求しているように思える。また、イアン・ホーウッドは、音楽の絶対的評価を聞き手に徒らに押し付けようとするのではなく、音楽を聴き、どのように感じるかを聞き手の感性に委ねようとしている。この音楽を刺激に欠けると感じるのも自由であり、また、それとは逆に禅的な無限性を感じるのも自由。今作で、イアン・ホーグッドは、音楽を、窮屈な絶対的な善悪の二元論から救い出し、それとは対極にある無数の意味や可能性を提示しているのです。

 

アルバムの全体の詳細を述べると、オーストリアのギタリスト、Christian Fennesz(クリスティアン・フェネス)のようなアバンギャルドなギターの多重録音から緻密に構築される質の高いアブストラクト・アンビエントから、スロウコア/サッドコアのようなインディーロック性を基礎に置く楽曲「Call Me When The Leaves Fall」を、アンビエントとして音響の持つ意味を押し広げたものまで、かなり広範なアプローチが図られている。この最新アルバムにおいて、イアン・ホーウッドは、これまでの人生経験と音楽的な蓄積を踏まえながら、ありとあらゆるアンビエントの技法に挑戦し、多面的な実験音楽を提示していると言っても過言ではありません。

 

しかし、特筆すべきは、ホーグッドは、2021年のアルバム『朝』にも象徴されるように、西洋的な美的感覚と日本的な美的感覚の融合に焦点を当て、侘び寂びのような枯れた情感に充ちた日本の原初の美の世界と、華美さが尊重されるヨーロッパの美の考えを改めて吟味していること。聞き手側の空間を重んじるという要素は、ブライアン・イーノに代表される原初的なアンビエントではあるものの、このアルバムでは、初期のジョン・ケージのピアノ曲のような東洋的な静寂の気付きの瞬間がもたらされる。彼の音楽の本質は、神社仏閣の枯れ寂びた庭園で、秋の色づいた落葉の様子を見入る瞬間の情緒、その瞬間のはかなさにも喩えられるかもしれません。

 

ギターの音色を中心に緻密に組み上げられたアンビエントの重層的なシークエンスの中に、不意をついて導入されるトング・ドラムの神秘的なフレーズは、リバーブやディレイにより、その情感がしだいに奥行きを増していくように感じられますが、これは言い換えれば、ある種の静寂の本質における悟りの瞬間を表現したとも読み取れます。おわかりの通り、本作は、基本的には、穏やかな情感を重視したアンビエント・ミュージックではありながら、時折、得難いような神秘的な音響空間が生み出される。今作の作風は、以前まで、ポスト・クラシカル寄りのピアノ奏者としての印象が強かったアーティストがその枠組みを越え、新たな境地を見出した証ともいえ、アブストラクト(抽象的)な表層を成しながら、穏やかな情感が綿密に引き出された奥行きのあるアンビエント・ミュージックは、他のアーティストの表現性とは明らかに一線を画している。

 

特に、アルバムの前半部では、ミニマル・アンビエントの持つ心地よさ、癒やしという側面に焦点が絞られており、中盤から後半部では実験的かつアヴァンギャルドな側面が見え隠れするのが、このアルバムの魅力となっている。分けても、表題曲の前半部の緩やかさとは異なるシリアスなドローンは、現代のミュージック・シーンにおいても先鋭的で、まだ見ぬアーティストの次作の世界観の神秘的な扉を静かに開くかのようにも思える。この後の作風が、どのように変化していくのか考えながら聴いてみると、より楽しいリスニング体験になるかもしれません。

 

また、タイトル・トラック『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』にもある通り、西洋的な概念から見た「日本の神秘性」という伏在的なテーマが、本作に読み解くことが出来る。ついで、Rhythm(リズム)というのは、本来の意味は一定の「拍動」を指すものの、ここでは、その語句の持つ意味が押し広げられ、その空間に満ち、その場にしか見出すことのかなわない連続した「気(空気感)」の性質を暗示している。その場所にいる時には気付かなかったけれど、その場から遠く離れた際、その場所の持つ特性が尊く感じられることがある。たとえば、ホームタウンから遠く離れた時、その土地が恋しくなったり、その場に満ちる独特な空気感が何故か懐かしくなる。そういった制作者の日本に対する淡い郷愁が随所に感じられるのです。

 

つまり、今回の作品では、アンビエント・プロデューサー、Ian Hawgoodにとって、西洋的な概念から見た日本の「気」、そして、その得がたい概念に象徴される美しさが、この作品を通じて抽象的ではあるが、端的に、みずみずしく、伸びやかに表現されているように見受けられる。だとすれば、イアン・ホーグッドは、みずからの記憶の中に揺らめく、日本の幽玄な美を、今作を通して見出そうと試みたかったのかもしれません。それは、品格ある芸術性によって縁取られており、かすかで幻影のような儚さを漂わせている。特に、日本、イギリス、イタリアを渡り歩き、日本的な美と西洋的な美との差異を体得しているという意味において、ホーグッドの紡ぎ出す美の概念は、日本人が感じうる美と同様、自然な穏やかさを持ち合わせている。それは、西洋の美と、東洋の美をアンビエントを通じて、1つに繋げてみせたとも言える。

 

Ian Hawgood(イアン・ホーグッド)の最新アルバムは、2022年のアンビエント・ミュージックの中では、白眉の出来栄えとなっており、William Basinsky(ウィリアム・バシンスキー)の『on reflection・・・』、Rafael Anton Irisarri(ラファエル・アントン・イリサーリ)の『Agitas Al Sol』と並んで傑作の1つに数えられる。 ぜひ、これらの作品と合わせてチェックしてみて下さい。



 94/100

 


 

Federico Madeddu Giuntoli

神経科学の博士号を持ち、美術、写真、言語学と様々な分野で活躍するバルセロナ在住のイタリア人アーティスト、Federico Madeddu Giuntoli(フェデリコ・マデッドゥ・ジュントーリ)が、デビュー・アルバム『The Text and The Form』のLPバージョンをFLAUから12月7日(水)にリリースします。

 

11のミニマルで親密な小さな曲で構成された本作『The Text and The Form』には、寂寞感漂うピアノの断片、密やかに爪弾かれるギター、絶妙にコントロールされたドラム・パーカッション、柔らかで繊細なスポークンワード/ボーカルが、加工されたマイクロ・サウンドとフィールド・レコーディングと共鳴し、ロマンスとミステリーへの簡潔で、深遠な旅を作り出しています。

 

Federico Madeddu Giuntoliは、新作アルバム『The Text and The Form』について次のように説明しています。



「このアルバムは、洗練とレイヤリングの緩やかなプロセスに従って形作られ、10年以上にわたる長い間、邪魔されることなく、しばしば自分の意志に反して、最終的な形に到達するために組み立てられたものです。

 

この作品に関連性を見出すことができるとすれば、それは、稀な脆弱性、憧れ、生き生きとした感覚、即興性と脆さの芳香が、説明しがたい完璧な印象と混ざり合ったものを提供する能力にあると言えるでしょう」




この新作から、日本人アーティスト、Moskitooをフィーチャーした「The Text and Form」と、ドイツの音響詩人AGFをフィーチャーした「You Are」のMVが先行公開されています。下記よりご覧下さい。

 

 

「The Text and Form」(ft. Moskitoo)



 「You Are」(ft.AGF)

 

 

 

デビューアルバムは10年の歳月をかけ、じっくりと緻密に配置されたマイクロスコッピック・サウンドとスロウコア的な繊細さと寂寞感をもったギター、ピアノ、パーカッションの断片が瞑想的に、時に鋭利に空間を彩るサウンドスケープ作品となっています。

 


Federico Madeddu Giuntoli 『The Text and The Form』


 

Label: FLAU

Release Date (LP):2022年12月7日 

Format:LP/DIGITAL

 

Tracklist:

 

1 lolita  
2 text and the form (feat. Moskitoo)  
3 #8
4 you are (feat. AGF)  
5 flow
6 inverse
7 our Bcn nights
8 unconditional
9 h theatre
10 unconditional (reprise)
11 grand hall of encounters

 

Pre-order(先行予約):

 

https://flau.lnk.to/FLAU96 

 



Federico Madeddu Giuntoli   


イタリア・ピサ出身、バルセロナ在住のサウンド・アーティスト。To Rococo RotやRetina.itとコラボレーションを果たしたイタリアのエレクトロニック・バンド、DRMの一員として活動後、バルセロナに移住。写真家として、写真集「Nuova gestalt」を出版、彫刻作品の制作や国際的なランゲージ・トレーナーとしても活動している。




Hollie Kenniff(ホリー・ケニフ)は、新作アルバム『We All Have Places That We Miss』を発表した。この内、3つの収録曲には、夫のキース・ケニフ(Goldmund)がピアノで参加している。ニューアルバムは2023年2月10日に、テキサスのレーベル、”Western Vinyl”から発売される予定だ。この新作から2曲のシングルのMVが公開されています。下記よりご覧ください。

 

ホリー・ケニフは、2019年に最初のアルバム『The Gathering Down』をn5MDよりリリースし、昨年に2ndアルバム『The Quiet Drift』をリリースし、アンビエント・ギターの新たな領域を切り開こうとしている。ギターのトレモロを薄く幾重にも重ね、トラックに深いリバーブをかけ、空間的な広がりや奥行きを作ることにより、緻密なドローン・ミュージックを構築する。

 


『We All Have Places That We Miss』で、ホリー・ケニフは回想の世界へと歩みを進め、人生の時間が経過するにつれて失われた、半ば記憶された故郷に纏わる懐かしく悲劇的な痛みを訪ねようとする。10代の曖昧な言葉で飾られる祖父母の薄暗いリビング・ルーム・・・、既に歩いたのか夢だったのかでさえ定かでない小道の傍らにある寂しげな空き地・・・、生まれる前に撮影された映像の穏やかで幽かな光・・・、彼女はそれらのおぼろげな記憶をこの作品制作を通じて探し求めようとしているのだ。


アルバムは 「Shifting Winds」で始まり、すぐに「Salient」に移り、感情的な序章を形成し、Kenniffのボーカルとピアノに反響するギターノートを包み込む。ホリーの夫であるキース・ケニフのピアノの音色に包まれた「Eunoia」は、感覚的な音楽を重んじようとするホリー・ケニフの美学をより確固たるものにしている。この曲は、感傷を遠ざけないで、それを真正面から受け止めようとする2人の性質の共通点を見事に体現しており、安易なスウィートネスを上手く回避しつつ、深い感動を巻き起こそうとする。 

 

 「Shifting Winds」

 

 

 

 さらにアルバムの中盤に収録されている 「Momentary」は、デジタル化されたヴォーカルと流動的なシンセサイザー・シーケンスの融合によって、『We All Have Places That We Miss』の宇宙的な側面を表現しようとしている。

 

「Carve The Ruins」では、このアルバムで唯一パーカッションが使われ、コーラス的なギターの下に柔らかく低いキックドラムが響く。この瞬間、アルバムのゴージャスなニューエイジ・テイストは、微妙に不穏な領域へ移行し、時間の経過によってもたらされる難しい感情を伝えるために必要なエッジをもたらすことに成功している。 

 

  「Carve The Ruins」

 

 

ホリー・ケニフは、幼少期からパンデミックの発生まで幾度となく訪れたという思い入れのあるオンタリオ州の湖について、「これらの場所の風景や生活のペースは、いつも私の心に残っています」と語る。この時、ケニフは家族が何世代にもわたって住んでいた故郷を手放すという難しい決断を下したのだった。「大切な場所を失っている人がいかに多いか、私は考えた。悲しみは時に孤立感をもたらし、自分にとって重要な場所の喪失を嘆いているように感じられた」

 

これらのことを念頭に置き、『We All Have Places That We Miss』は、スクラッチされたポラロイドを音の力で立体化し、現在の曖昧なレンズを通し、逆に過去の確かな記憶を呼び覚ます。


このアルバム製作時のインスピレーションとなったオンタリオ州の湖畔の隠れ家は、ホリーが語るように、家族の歴史が詰まった神聖な場所である。彼女の祖父母の時代に建てられたというこの湖畔のコテージで、彼女の両親は10代の頃に出会った。現在、ホリー・ケニフの父親は、その場所から少し離れた地中に埋葬されているという。昨今、ケニフは、自分の家族の面倒を見ることになり、生命の営みを以前より強く感じるようになった。それは実際の音楽制作にも感覚的な側面で影響を及ぼしている。「あの湖を訪れるたび、父の存在が未だそこにあるように感じ、子供たちは父がどこよりも愛した場所を経験したのだと思う」と彼女は説明している。


この新作アルバムの多くは、ホリー・ケニフが貧血による慢性的な不眠症に悩まされながら、ほとんどのトラックが早朝に制作された。

 

しかし、彼女はそのことにより、目覚めと眠り、記憶と歴史、そして、生と死の狭間の境界をより深く丹念に追求することが出来たのだった。「We All Have Places That We Miss」は、この中間の幽かな領域と、その中で明らかにされる複数の概念、時、死、喪失、成長、愛、憧れについて直接的に物語ろうとする「オーディオ・ストーリー」となっている。ホリー・ケニフは、このような、手の届かない場所への理想的なガイドであることを証明しようとしている。



Hollie Kenniff  『We All Have Places That We Miss』




 
Label: Western Vinyl

Release:2023年2月10日
 
 
Tracklist:
 
 
1.Shifting Winds
2.Salient
3.Eunoia ft. Goldmund
4.Momentary
5.Start Where We Are
6.No End To The Sea
7.Carve The Ruins
8.Amidst The Tall Grass
9.Between Dreams ft. Goldmund
10.This Division
12.Remembered Words ft. Goldmund

 

Laraaji


Numero Groupは、Laraajiの初期のリリースを集めた4枚組LPボックスセット、『Segue To Infinity』を発表しました。シカゴのNumero Groupは、90年代のUSインディーロックバンドの再結成イベントや、個性的なミュージシャンのバックカタログを中心にリリースするレーベルです。


『Segue To Infinity』には、Laraajiの1978年のデビュー作Celestial Vibration、3枚の未発表音源、ララージの新しい写真、Living ColourのギタリストVernon Reid(ヴァーノン・リード)によるライナーノーツが収録されています。この音源は、ある大学生が、ララージの出生名であるエドワード・ラリー・ゴードンを記した倉庫ロッカーのアセテートをeBayで購入し、未発表の音源を発見したことからリリースされるに至った。

 

ララージは、ブライアン・イーノと共にアンビエントの黎明期を担った音楽家。ZitherやDulcimerなどを始めとする複数のインド民族楽器、他にも、ピアノやシンセ、クレスタといった鍵盤楽器を演奏するマルチインストゥルメンタリストだ。若い時代から東洋神秘主義に傾倒し、エキゾチックなアプローチに癒やしのエネルギーが加わる。大学を卒業後、タイムズ・スクエアの公演で大道芸として演奏を行っていた頃、ブライアン・イーノに才能を認められ、イーノのソロアーティストのアンビエント・シリーズ『Ambient:3』にも参加。近年は、ミュージシャンの活動に留まらず、人間の「笑い」を重要視しており、ワークショップも度々開催している 。


『Segue To Infinity』はNumero Groupから来年1月に発売される。また、4LPボックス・セットと同時にデジタルでも発売される。収録曲の1つ「Ocean」は下記からお聴きいただけます。

 

 

「Ocean」 

 




Laraaji 『Segue To Infinity』 Reissue

 



Tracklist:

Disc A (Celestial Vibration)
1. Bethlehem
2. All Prevading

Disc 2 (Edward Larry Gordon recordings)
1. Ocean
2. Koto

Disc 3 (Edward Larry Gordon recordings)
1. Kalimba 1
2. Segue To Infinity

Disc 4 (Edward Larry Gordon recordings)
1. Kalimba 2
2. Kalimba 4

 



ブライアン・イーノの新作アルバム FOREVERANDEVERNOMORE』立体音響試聴会(ドルビーアトモス)がお茶の水のRittor Baseにて11月21日(月)から23日(水)にかけて三日間開催されます。参加料は1500円となります。アーティスト本人の出演はございません。イベントの詳細については下記の通りです。


ミュージシャン/プロデューサーとして50年以上のキャリアを誇るブライアン・イーノ。


今年は6月から9月にかけて開催された展覧会「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」が好評を博し、1014日には最新作『FOREVERANDEVERNOMORE』を発表。2005年の作品『Another Day On Earth』以来、久々にイーノ自身のボーカルを収録したアルバムとなっており、既に海外のUNCUTUncut's 75 Best Albums of 2022」では第9位を獲得しています。


さらに今作は、Dolby Atmosの立体音響で再生されることを意識して制作された点も大きな特徴の一つとなっています。そこで今回、Blu-ray AudioDolby Atmos音源を使用し、アルバムを最大限堪能できる試聴会を御茶ノ水 RITTOR BASEにて開催します。ブライアン・イーノの最新作の世界観をサウンド・インスタレーションとして楽しめる特別なイベントになるでしょう。






イベントやチケットご購入:


https://eno-foreverandevernomore.peatix.com/

 Christina Vanzou 『No.5』

 

 

 Label: Kranky

 Release: 2022年11月11日


Listen/Stream



Review


 

 ベルギー在住の実験音楽家、クリスティーナ・ヴァンゾーは、インド古典音楽のラーガに触発された前作『Christina Vanzou,Michael Harrison,John Also Benett』において、複数のコラボレーターを見事にディレクションすることにより、殆ど非の打ち所がない傑作を生み出したが、わずか二ヶ月という短いスパンで発表された『No.5』では、前作とはまったく異なる境地を開拓している。


この作品『No.5』は、2011年から発表されている連作の第5作目となるが、クリスティーナ・ヴァンゾー自身は、この曲を「ファースト・アルバムのようだ」と称している。その言葉通り、これまでとは一風異なる新鮮な実験音楽のアプローチを図っている。『No.5』は、ヴァンゾーがギリシャのエーゲ海に浮かぶシロス島にショーのために滞在していたとき、「集中する瞬間」を見出し、レコーディングが行われた。その後、ヴァンゾーは、別の島に移動し、ラップトップとヘッドフォンを持って屋外に座り、サウンド・プロダクションを生み出していったという。


今作は、シカゴのKrankyからのリリースというのもあり、全体的にはアンビエントに近い作風となっている。メレディス・モンクのように神秘的なヴォーカル、そして、洞窟の中に水がしたたり落ちる音を始めとするフィールド・レコーディング、家具音楽に近いピアノのフレーズ、モジュラーシンセの実験音楽的なアプローチ、もしくは、映画音楽のサウンドトラックに触発された間奏曲、これらが一緒くたになって、1つのフルアルバムの世界が綿密に構築されていく。そして、『No.5』は、近年のヴァンゾーの作風の中で最も静謐に充ちた作品となっているように思える。この作品を通じて、神秘的な洞窟の中で音に耳をすましているかのような異質な体験をすることが出来る。この作品は音を介して繰り広げられる不可思議な旅とも称することができよう。

 

オープニングトラックの「Enter」のイントロにある外気音や、そして、洞窟の中に風が通り抜けていくようなアンビエンスを導入し、異世界への神秘的な扉が開かれる。その後に続く音楽には、足音の反響が響き渡る中、シンセサイザーのシークエンスを通じて、特異な音響性が生まれる。その合間に挿入されるヴォーカルは、奇妙であり、神秘的であり、それらの奥に続く得体のしれない異空間に繋がっていくようでもある。映画のようにストーリテリング的でありつつ、ここには実験音楽でしか生み出し得ない深い情緒的な物語が充ちているのだ。

 

続く、「Greeting」では、一転して、マンチェスターのModern Lovers所属の電子音楽家、ダムダイク・ステアやアンディ・ストットのような妖しげな音響をシンセサイザーを通じて展開していく。もちろん、ダブステップのようなダンサンブルなリズムは一切見られないが、ボーカルを音響として捉え、シンセサイザーのトーンのゆらぎの中、幻想的な実験音楽が繰り広げられる。その後の「Distance」では、メタ構造の音楽を生み出しており、映画の中に流れるショパンの音楽を1つのフレーム越しに見ることが出来る。その後も映画音楽に近いアプローチが続き、「Red Eal Dream」では、ピアノのフレーズ、虫の声のサンプリング、グリッチ的なノイズを交え、視覚的な効果を強めていく。音楽を聴き、その正体が何かを突き詰める、そのヒントだけ示した後、このアーティストは、すべて聞き手の解釈に委ねていくのである。続く「Dance Reharsal」では、20世紀の実験音楽家、クセナキスやシュトゥックハウゼンに近い、電子音楽の原子的な音楽性を踏まえた音楽を提示している。無調性の不気味な感じの音楽ではあるが、近年こういった前時代的な方向性に挑戦する音楽家は少ないので、むしろ新鮮な気風すら感じ取れる。 


これらの一筋縄ではいかない複雑な音楽が続いて、連曲の1つ目の「Kimona 1」はこのアルバムの中で最も聞きやすい部類に入る楽曲である。モートン・フェルドマンのような不可思議なピアノのシュールレアリスティックなトーンの中に響くボーカルは、神秘的な雰囲気に充ちている。ピアノのフレーズは一定であるが、対比的に広がりを増していくヴォーカルの音響は、さながら別世界につながっているというような雰囲気すら漂う。嘆きや悲しみといった感情がここでは示されていると思うが、その内奥には不可思議な神聖さが宿り、その神聖さが神々しい光を放っているのである。さらに続く「Tongue Shaped Shock」では修道院の経験溢れる賛美歌のような雰囲気に満ち、その後はオーボエ(ファゴット)の音色を活かし、シンセサイザーとその音色を組み合わせることにより、得難いような神秘的な空間を押しひろげていく。この上に乗せられるボーカルのフレーズの運びは不可解ではあるのだが、はっきりとメレディス・モンクのようなアプローチが感じられ、それはひろびろとした大地を思わせ、表現に自由な広がりがある。

 

その後もアルバムの音楽は、崇高な世界へと脇目も振らず進んでいく。バッハのチェロの無伴奏ソナタの影響を色濃く受けた「Memory of Future Melody」は、チェロの演奏の緻密なカウンターポイントを駆使した音楽ではあるが、その和音の独特な進行の中には、ストラヴィンスキーの新古典派に象徴される色彩的な管弦楽のハーモニーの性質と、その乾いた響きとは正反対にある華美な音の運びを楽しむことが出来、サウンドプロダクションを通じてのチェロの信じがたいようなトーンのゆらぎにも注目したい。これらの現代音楽のアプローチに続き、7曲目の連曲「Kimona Ⅱ」では、「Ⅰ」の変奏を楽しむことが出来る。落ち着いたピアノ音楽、そして、シンセサイザーのオシレータを駆使したクセナキスのような実験音楽的な音色、そして、ヴォーカルの神秘的な音響が一曲目とは異なる形で展開されている。作曲のスタイルは、ブゾーニのバッハのコラールの編曲のように、不思議な荘厳さや重々しさに満ちている。さながらそれは内的な寺院の神聖さを内側の奥深くに追い求めるかのようだ。しかし、この二曲目の変奏もまた、ピアノ演奏は非常にシンプルなものはありながら、崇高で、敬虔な何かを感じさせる。しかし、その敬虔さ、深く内面に訴えかける感覚の正体が何であるのかまでは理解することは難しい。 


これらのきわめて聴き応えがあり、一度聴いただけでは全てを解き明かすことの難しいミステリアスなアルバムの最後を飾る「Surreal Presence for SH and FM」では、クリスティーナ・ヴァンゾーの音楽家としての原点であるDead Texanのピアノ・アンビエントの音楽性に回帰している。

 

この後にStars Of The Lidとして活動するAdam Witzieとのプロジェクト、The Dead Texanの一作のみリリースされた幻のアルバム『The Dead Texan』で、クリスティーナ・ヴァンゾーは、Adam Wiltzieの導きにより、映画の世界から、音楽家ーー実験音楽やアンビエント・プロデューサーに転身することになったが、それは2004年のことだった。最初のデビュー作からおよそ18年の歳月を経て、このアーティストは今作を通じて、人生の原点をあらためて再訪したかったように感じられる。

 

そのことを考えると、ある意味で、本作は、このアーティストの1つの区切り、分岐点になるかもしれない。『No.5』は、クリスティーナ・ヴァンゾーのキャリアの集大成のような意味を持つと共に、このアーティストが新しい世界の次なる扉をひらいた瞬間である。しかし、果たして、次に、どのような音楽がやってくるのか・・・、それは実際、誰にもわからないことなのだ。

 

 

 

96/100



 


 フランスのミュージシャン、アーティスト、詩人として活動する、Merle Bardenoir(メル・バルドゥノワール)のプロジェクト、Glamourieがデビュー・アルバム『Imaginal Stage』をKalamine Recordsから9月24日にリリースしました。是非、下記よりチェックしてみて下さい。

 

Glamourieの音楽は、ほとんどがインストゥルメンタルで、プロジェクトを構成する幻想的なテーマの展開は、タイトルだけでなく、ビジュアルを通じても展開される。また、メル・バルドゥノワールは、画家/イラストレーターとしても活動しており、美しく幻想的なアートワークを幾つか製作しています。(アートワークの作品の詳細については、アーティストの公式ホームページを御覧下さい)

 

『Imaginal Stage』は、オーガニック・アンビエント、サイケデリック・フォーク、ポスト・ミニマリズムを融合した画期的な作風であり、どことなくエキゾチックな雰囲気を漂わせている。

 

この電子音響作品のタイトルは、昆虫の最終段階である”イマーゴ”に因んでいるという。この作品では、妖精のような雰囲気が、プログレッシブなレイヤーとヒプノティックなループを通して、音のさなぎから姿を現す。このアルバムには、ハンマーダルシマー、アルトフルート、幽玄な声、レゾナンスボックス、伝統的なパーカッションが含まれ、様々な電子効果が変換されている。

 

各トラックは、Merle Bardenoirによるオリジナルアートワークで描かれています。アルバムの楽曲はBandcampにてご視聴/ご購入することが出来ます。 アートワークとともに下記より御覧下さい。

 

 

 

 

 

『Imaginal Stage』 Artwork

 

 

 Nils Frahm 「Music For Animals」

 



Labal: 
Leiter-Verlag

Release Date : 2022年9月23日



Official-order

 


 Review



ニルス・フラームの2022年の最新作「Muisic For Animals」 は、Covid-19の孤立の中で生み出された。彼がマネージャとともに立ち上げたドイツのレーベル"Leiter-Verlag"からの発売された。さらに、彼の妻、ニーナと共にスペインで二人三脚で制作されたスタジオ・アルバムです。

 

この作品について語る上で、ニルス・フラームは明瞭に、商業主義の音楽と距離を置いていると、The Line Of Best Fitのインタビューにおいて明言しています。フラームは、「マイケル・ジャクソン、デヴィット・ボウイ、ビリー・アイリッシュ、といったビックスターとは別の次元に存在する」と語る。それはまた、「自分がその一部だと思われたくありません、再生数ごとにより多くのお金を稼ぐために音楽の寿命を短くする人々です」「誰かが短い曲を作りたいと考えているなら、それは問題はありません。でも、それは私にとって真っ当な判断とは思えないのです」

 

「自分がその一部だと思われたくありません、再生数を稼ぐことや、多くのお金を稼ぐために音楽の寿命そのものを短くする」というフラームの言葉は、現今の商業主義の音楽が持て囃される現代音楽シーンに対する強いアンチテーゼともなっている。実際、再生時間が三時間にも及ぶ壮大な電子音楽の大作「Music For Animals」は、深奥な哲学的空間が綿密に作り上げられ、建築のように堅固な世界観が内包されている。一度聴いただけではその全容は把握しきれず、何度も聴くごとに別空間が目の前に立ち現れるかのような奥深い音楽とも言えるでしょうか。

 

 

これまで、 ニルス・フラームは、2000年代の「Wintermusik」の時代から、ドイツ、ポスト・クラシカル、そして2010年代に入り、第二期の「Screws」の時代に象徴されるコンセプチュアルなピアノ音楽、さらに、2010年代の中期、第三期のそれと対極に位置する前衛的なエレクトニカ/ダウンテンポの作風「All Melodies」、次いで、近年には、UKのPromsとの共演の過程で生み出された、電子音楽とオーケストラレーションとの劇的な融合性に果敢に挑戦した「Tripping with Nils Frah」というように、作品の発表ごとに作風を変えていき、片時もその場に留まることなく、前衛的な音楽性を提示していますが、この最新作「Music For Animals 」も同様に、フラームは既存の作品とは異なる音楽性に挑んでいます。


フラームは、このアルバム「Music For Animals」の発表時、作品中にゆったりとした空間を設けるサティの「家具の音楽」のようなコンセプトを掲げており、近年のポピュラーミュージックの脚色の多い、華美な音楽とは正反対の音楽を目指したと説明していました。プレスリリースにおける「木の葉のざわめきを見るのが好きな人も世の中にはいる」との言葉は、何より、このミュージック・フォー・アニマルズ」の作風を解釈する上で最も理にかなった説明ともなっている。ここでは、木の葉が風に吹き流される際の情景が刻々と移ろいゆく様子が、いわばサウンドスケープのような形を通して描かれていると解釈出来るわけです。

 

近年のエレクトロ/ダウンテンポの作風に比べると、アンビエントに近い音楽性がこの作品には感じられますが、実際の作品を聴けば、アンビエント寄りの作風でありながら、それだけに留まる作品ではないことが理解していただけるだろうと思います。アルバムの収録曲は、シンセサイザーのシークエンスをトラックメイクの基点に置き、バリエーションの手法を用いながら、 徐々にそのサウンドスケープが音楽に合わせて、スライドショーのような形で刻々と変化していくのです。

 

ニルス・フラームのエレクトロニカ寄りの作風として、既存作品の中においては、「All Ecores」/「Ancores 3」に収録されている「All Armed」のような楽曲が、最も前衛的であり、最高傑作とも呼べるものですが、それらの即効性のある電子音楽とは別のアプローチをフラームはこの作品で選択したように感じられます。例えば、その音楽そのものの印象は異なるものの、クラフト・ヴェルクの「Autobahn」の表題曲の系譜にある、音楽としてストーリーテリングをする感慨がこのアルバムの全編に漂い、音楽として1つの流れのようなものが各々の楽曲には通底している。それは喩えるなら、フランスの印象派の絵画のように抽象的でありながら、フォービズム/キュピズムのように象徴的でもある。さらに言えば、今作の音楽の流れの中に身を委ねていますと、表面上の音楽の深遠に、表向きの表情とは異なる異質な概念的な音楽の姿が立ち現れてくる。それはピクチャレスクな興趣を兼ね備えているとも言えるでしょう。

 

現代のヨーロッパのミュージックシーンにおいて、既に大きな知名度を獲得しているフラームではありますが、彼は、この作品で、手軽な名声を獲得することを避け、純性音楽の高みに上り詰めようと苦心している。さらに、フラームは短絡的に売れる音楽をインスタントに作るのではなく、洗練された手作りの工芸品のような形を選び、三時間に及ぶ大作を丹念に完成させました。そのことは、商業主義の音楽ばかりが偏重される現代音楽シーンにおいて、また資本主義経済が最重視されるこの世界で、きわめて重要な意義を持つと断言出来ます。

 

 

 

82/100

 

 

Featured Track  「Seagull Scene」

 

 



米国・ポートランドを拠点に活動するアンビエント・プロデューサー、Elijah Knutsen(イライジャ・クヌートセン)が本日、8月15日、ニューアルバム『Maybe Someday』をリリースしました。良質なアンビエント作品ですので、ぜひチェックしてみて下さい。

 

このフルレングスアルバムは、アンビエント・ドローンを基調とした作風でありながら、ドリーム・ポップ、環境音楽、スロウコア等、このアーティストのバックグランドを伺わせる多彩な要素によって構成されています。

 

この最新フルレングス・アルバム「Maybe Someday』は、孤独、憧れ、寂しさ、人生を無駄にすることへの恐れ、夢が叶うことへの憧れなどのコンセプトを探求した、非現実的な作品である。トラックは、北日本の暗く雪深い風景、特に青森のコンクリートで覆われた都市を中心に、テーマ別に構成されています。願いが叶うようにと人々が祈る神社、単調な都会の風景、暗い海底トンネルなどのフィールドレコーディングがアルバム全体に重ねられている。



願いが叶うようにと祈る神社の音声が、どこまでも続く洞窟のようなドローンとともに循環するトラック "All Wish Is Gone Away "を収録。親しみやすい環境音楽のジングルと、まばらなシンセサイザーの音が、より希望に満ちた印象を与える "Dreamless"。そして、"Burn Away "では、祈りの鐘の音と、夏の蝉の鳴き声が重なり、自然界の音が消え、アルバムが始まるのです。


The Cure、Robin Guthrie、Hiroshi Yoshimura、Hurold Buddなどのアーティストやグループから音やテーマについてインスパイアされている。Elijah Knutsenは製作中に「The Cureの音楽に強い感銘を受けた」と述べています。まだ確定ではありませんが、Elijah Kutsenは来年、来日ツアーを予定しており、レーベル側と話し合いをかさねているようです。

 

アルバムの収録楽曲の視聴は以下より、トラックリストとアートワークは下記にてご覧下さい。アルバムの購入はこちらから。

 

 

 

 

 

 

 

Elijah Knutsen 『Maybe Someday』




Label:  Memory Color

Release: 2022年 8月15日

 

 

Tracklist

 

1.Burn Away

2.Lonely Aomori

3.Seikan Undersea Tunnel

4.Dreamless

5.All I Wish Is Gone Away

6.Arctic Dreams

7.Kabushima Shrine Sound

8.Mayne Someday



Memory Color Official HP: https://memorycolor.jp/


 


Weekly Recommended

 

Rafael Anton Irisarri  『Agitas Al Sol』



 Label:  Room 40

 Release:2022年7月22日  



ラファエル・アントン・イリサリは、現在、ニューヨークを拠点とする電子音楽のプロデューサーです。

 

所謂、アンビエントのジャンルに属する電子音楽プロデューサーで、イリサリの描くサウンドスケープはドローンの領域に位置づけられる。そして、米国内のアンビエントシーンで最初にドローンを導入した先駆的なクリエイターのひとり。最初期には、ピアノを導入したロマンチックな雰囲気を擁するアンビエントを主作風としていましたが、2015年の代表作『A Fragile Geography」から作風が次第に前衛化していき、抽象的な電子音楽の領域へと踏み入れていきました。

 

昨日、リリースされたばかりの最新作『Angitas Al Sol』についても、その方向性は変わりがありません。以前、この作曲家の音楽を評するに際して「深く茫漠とした霧の中を孤独に歩くかのよう」という比喩を使ったことがありますが、最新作ではそのニュアンスがより一層強化されて無限に近づいた印象を受けます。そして、プレスリリースでアントン・ラファエル・イリサリ自身が語るように、この作品は、まるで有機物であるかのように「深く深く息をしている」。


この最新アルバムは、『Atrial』、『Cloak』という2つの組曲から構成されており、少ない曲数ですが、二枚組のLP作品です。近い作風を挙げると、例えば、カナダのTim Hecker、カナダのRoscilや日本の畠山地平の志向するようなアブストラクトなドローンミュージックが展開される。

 

アントン・ラファエル・イリサリの生み出す音響空間は、ティム・ヘッカーのようにアンビエントの既成概念に反逆を示す。お世辞にも人好きのするものとは言えませんし、アブストラクトミュージックの表現の極地が見いだされる。言い換えれば、ここにあるのは、ビートもなく、メロディーもなく、小節というのも存在しない、ブラックホールのような空間であり、明らかに脱構築的主義やポストモダニズムを志向する音楽です。それらの前衛的な要素は、上記した二者のアンビエントプロデューサーよりもさらに先鋭的な概念が込められているように伺えます。

 

近年のアンビエントのプロデューサーでは、壮大な宇宙、美しい自然などを表現しようとする一派、それに反する機械的な表現を試みる一派が多数を占めていると思えますが、(もろろん、その他にも様々表現がありますが・・・)米国の電子音楽家、ラファエル・アントン・イリサリはそのどちらにも属さない、孤絶した表現性を徹底的に追求する芸術家であるように思えます。彼の音楽は常にジャンルに背を向け、カテゴライズ化されるのを忌避しているように思える。それはまたこの音楽家が作り手として、こういうジャンルの音楽を作ろうと意図すること、カテゴライズの概念を設けることがクリエイティビティを阻害することを知っているからなのかもしれません。

 

今作で、アントン・ラファエル・イリサリが探求するアンビエントの世界は、ノイズミュージックに近いものです。どちらかといえば、日本のMerzbawに近いアバンギャルドノイズの極地に見いだされる抽象主義の音楽でもある。つまり、アンビエントドローンの一つの要素のノイズ性を徹底的に打ち出したのが『Angitas Al Sol』なのであり、現今の前衛音楽の中でもひときわ強い異彩を放っている。そして、本作に見いだされる抽象主義の表現性は、絵画で言えば、ターナーの後期のような孤高の境地に達しており、売れるとか売れないであるとか、音楽や芸術がそういった単眼的な観点のみで評価されることに拒絶を示した作品と呼べるかもしれません。

 

『Agitas Al Sol』は、これまでのイリサリのどの作品よりもはるかに前衛的かつノイズ性が引き出された作風で、ポピュリズムとは対極に位置する芸術音楽の表現がこのアルバムには見いだされます。表向きには、人好きのしない音楽であり、さらに、いくらか不愛想な印象を持つ作品でありながら、耳を凝らすと、このアーティストの最初期からの特徴のひとつ、暗澹たるロマンチズムが先鋭的なノイズミュージックの向こう側に見いだされることにお気づきになるかもしれません。シンセサイザーのパンフルートの音色が抽象的なシークエンスの向こうに微かに広がり、それが淡い感傷性により彩られている。このひとつの壁を来れれば、この音楽の表面的な持つ印象が反転し、無機質な性格ではなく、温もりに溢れた表現を見出すことが出来る。

 

多分、音楽を評価する上、また、クリエイティヴなものを生み出す際にも一番の弊害となりえる「二元論の壁」のような概念を越えられるかどうかが、 このアルバムの本領をより深く理解するための重要なポイント。私たちは、(私も含めて)常に何らかのフィルターを通して物事を見るのが習慣となっている。しかし、それまでの人生の間で培われた考えを、今までに定着した価値観や規定概念という小さな枠組みから開放し、以前の古びた考えをアップデートさせ、その他にも多くの考えが無数に存在するということ、自らの思念は部分的概念に過ぎないということを、アントン・ラファエル・イリサリは『Agitas Al Sol』において教唆してくれるのです。


つまり、音楽を聴く時の最大の救いとは何かといえば、音楽を通じて、単純な良し悪しの価値観から心を開放させるあげることに尽きるだろうと思えます。世の中には、そういった二元論ばかりが渦巻いているように思えますが、 『Agitas Al Sol』のような真の芸術は、そういった呪縛から心を解放させる力を持っている。さらに、個人としての意見を述べるなら、このアルバムは、Tim Heckerの2011年の傑作『Ravedeath 1972」に比類するハイレベルなもので、真の意味で「実りある音楽」として楽しんでいただけるはず。そして、不思議なことに、商業的な路線と対極にある音楽を求める人は一定数いるらしく、bandcampでは、リミテッドエディションがソールドアウトとなっている。そういった本物の音楽を愛する人向けの作品と言えるかもしれません。



Rating:

85/100

 

 

 Weekend Featured Track「Atrial-2」



 

 

ベルギー・ブリュッセルを拠点とするアンビエント音楽家、クリスティーナ・ヴァンツォが複数のアーティストとのコラボレーションを行った新作アルバム「Christina Vanzou,Michael Harrison and John Also Benett」を9月2日にリリースすると発表しました。また、この新作アルバムの告知に伴い、アルバムに収録される「Harp of yaman」がシングルとしてデジタル配信されています。

 

次回作は、マイケル・ハリソン、ジョン・アルソ・ベネットが、ジャスト・イントネーション・チューニング、深いリスニング、共鳴する空間への傾倒を中心に、豊饒なコラボレーションから生まれた、ラーガからインスピレーションを得た作曲と即興の組曲となります。 


マイケル・ハリソンは作曲家、ピアニストであり、ジャスト・イントネーションと北インド古典音楽の熱心な実践者である。ラ・モンテ・ヤングの弟子であり、「ウェル・チューンド・ピアノ」時代にはピアノ調律師、パンディット・プラン・ナートの弟子として活躍し、その後は独自の調律システムを開発しています。

 

各作品の構造的な枠組みを提供し、セッションを指揮したクリスティーナ・ヴァンツォとの会話に導かれ、ハリソンが毎日行っているラーガの練習から、その古代の形式を出発点として作曲が花開き、変容していきました。また、John Also Bennettが演奏するモジュラーシンセサイザーの響きをバックに、ハリソンのカスタムチューニングされたスタインウェイのコンサートグランドで演奏されるピアノの即興演奏が、セッションを真の集団的プラクティスへと発展させた。 


インド・ニューデリーを拠点に活動するコンセプチュアル・アーティストで、このアルバムのために素晴らしいアートワークを提供したパルル・グプタは、「曲は沈黙の延長のように感じられる」と述べています。

 

ピアノから発せられる音は、計測された瞑想的な音場の中に浮かび上がり、共鳴し、そして溶けていく。すべての音が生き、呼吸し、最終的に沈黙に戻る、集中したリスニング体験を可能にする。これらの聴覚生態系には、集団的な聴取と即興演奏の経験から生まれる可能性と、何世紀にもわたって西洋音楽を支配してきた標準的な等調性チューニングシステムに対する反証が含まれています。


本作は、2019年に行われたトリオのベルリン・セッションの青々とした録音を45回転レコードの2枚組に収め、曲目クレジットとアルバムで使用されたハリソンの手書きのチューニング・チャートを掲載したリサグラフ印刷のインサートが付属しています。


"観察者 "と "ピアニスト "と "シンセサイザー "が三角形を形成している。観察者(クリスティーナ)は目撃者でありガイドであり、ピアニスト(マイケル)は正確で直感的であり、シンセシスト(ジョン)は共鳴を高めフレームワークをサポートするドローンの味付けを提供します。ピアノは、共鳴体となるよう慎重に準備されている。

 

この強化は、マイケルの作品「黙示録」と北インド古典音楽(ラーガ)に基づく、マイケルの2つのジャスト・イントネーションの調律によって達成された。これらのチューニングは、数学的に正確な音程を維持するものです。

 

今作収録の楽曲では、声の代わりにシタールやタブラがピアノになり、タンプーラの代わりにシンセサイザーが使われます。ラーガを演奏することは、構造化された即興演奏の古代の実践である。時間、知識、記憶が練習者の身体と心の中で交錯し、これがラーガの練習の大きな部分を占めている。ラーガは、筋肉の記憶や個人の美学と結びついて、結果を個性化する。トリオを組むことで、複数の視点と時間軸が崩れ、ラーガは再び変異する。これらの紆余曲折は、ラーガが私たちの集合的な記憶の中にすでに複数の作曲が保存されていることを示すように、それ自体に回帰するように見えるだけだ。それらは、自然のように花開き、変形し、湧き出る。


これらの録音を実行するために書き留められたものは何もない。最もシンプルな形式を、最も複雑でない方法で探求した。このプロセスの最初の反映は、リスナーの心と体の中で起こるものです。観察者は常に観察している。音の領域は記憶と想像力を叩き込み、ラーガの音そのものがプリズムのような出来事となる。

 


--Christina Vanzouー

 

「Harp Of Yaman」






Christina Vanzou 「Christina Vanzou,Michael Harrison and John Also Benett」

 

 

 

Label: Séance Centre

 

Release: 2022年9月2日



Tracklist

 

1.Open Delay

2.Tilang

3.Joanna

4.  Piano on Tape

5. Sirens

6. Open Delay 2

7. Harpof Yaman

8. Bageshri