ラベル Features の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Features の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

 

Two Door Cinema Club


Two Door Cinema Clubは、アイルランドのエレクトロポップ/インディーロックバンド。 アレックス・トリンブル、ケヴ・ベアード、サム・ハリデーの3人からなるドラムレスの3ピース・バンドで、既にオートクラッツ、デルフィック、フォールズなど、UKのダンスロックシーンの著名なバンドの前座を任されている。これから世界的な活躍が予想されるスリーピースである。

 

彼らは、5枚目のスタジオ・アルバム「Keep On Smiling」を9月2日にリリースする発表。このニュースと共に彼らはファースト・シングル「Wonderful Life」を発表、同時にミュージックビデオも公開しています。

 

5枚目のスタジオ・アルバム『Keep On Smiling』の曲作りとレコーディングに完全に没頭するための時間と空間を与えられたバンドは、クリエイティヴなプロセスに、より自由で、より協力的なアプローチを採用した。

 

ロックダウン中もロックダウン後も、バンド自身がアルバムの作曲とプロデュースを行い、Jacknife Lee(BLOC PARTY、THE KILLERS、Taylor Swift)とDan Grech Marguerat(HALSEY、LANA DEL REY、George Ezra)が追加のプロダクションを担当した。

 

アルバムのアートワークは、80年代にインスパイアされた鮮やかなスタイルとポップ・カルチャーのリファレンスで高い評価を博すイギリスのアーティスト、Alan Fearsによるもので、Fears特有のカラフルでシアトリカル、そして、しばしユーモラスで本質的にポジティヴな絵は、アルバムのテーマを視覚的に包み込むのに最適となる。

 

 

Preview Single 「Wonderful Life」 

 


 



Two Door Cinema Club  『Keep On Smiling』

 



Tracklist

 
1. Messenger AD
2. Blue Light
3. Everybody’s Cool
4. Lucky
5. Little Piggy
6. Millionaire
7. High
8. Wonderful Life
9. Feeling Strange
10. Won’t Do Nothing
11. Messenger HD
12. Disappearer


Jean-Michel Basquiat 

 

1960年に、ブルックリンで生まれたジャン・ミシェル・バスキアは、思春期をニューヨークとプエルトリコの間で過ごした。

 

1970年半ば、ニューヨークに戻ったミシェル・バスキアは、当時、ニューヨークの地下鉄を中心に栄華をきわめていたグラフィティアーティストの最初期の運動に加わっていました。彼は、このとき、グラフィティ・アーティストのアルディアスと運命的な出会いを果たし、ほかのタグ付を行っていたアーティストに混じり、二人は、SAMOと名を冠してコラボレーションを始めた。

 

ミシェル・バスキアは、ストリートアートのスタイルにこだわった芸術家である。ニューヨークの個展で作品を公にする前に、キースヘリング、マドンナ、デビー・ハリーなどのアーティストが名をはせたニューヨークのダウンタウンの熱狂的なクラブシーンに参加していた。1980年、ミシェル・バスキアの作品は、ダウンタウンのアートシーンを正当化するものとみなされ、タイムズスクエアショーで最初に公のものとなった。

 

画家バスキアの名がメインストリームに押し上げられる以前、LAのブロード博物館の創設者は、この画家のことを知っていたといいます。彼らは、ニューヨークを訪問した際に、バスキアとコンタクトを取ろうとし、彼のスタジオに出向き、後にバスキアをロサンゼルスに招きいれた張本人でもある。

 

1980年代は、アメリカの文化、ヒップホップ文化、黒人文化の観点から非常に興味深い時期にあたると、南カルフォルニア大学の元DJ兼映画メディアを専門とするトッド・ボイド教授は話しています。「1980年は、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジョーダン、エディー・マーフィーらの黒人の芸能人がスーパースターになった。変革の十年であった」と指摘している。また、ボイド氏によれば、ミシェル・バスキアは、上記のスーパースターと同レベルの水準にあった存在であるという。「バスキアの芸術について話すことは大事なことですが、それは彼の芸術と彼の芸術における全体的な文化的な影響について話すこととは別のことです」

 

 

ボイド氏は、1983年にバスキアがプロデュースしたランメルジー、K−ロップのヒップホップシングル「ビートバップ」、そして彼の絵画作品である「ホーンプレーヤー」を、ヒップホップとビバップとして知られる即興スタイルのジャズ(フリージャズ)との関連性が見いだされる点であるとしています。 

 

「ホーン・プレーヤーズ」は、ミシェル・バスキアのヒーローであるチャーリー「ザバード」パーカーとディジーガレスピーを題材として描かれていて、これらは、第二次世界大戦後に人気を博した音楽ジャンル「ビバップ」の先駆者の二人であると、ボイド氏は指摘しているのです。一見、バスキアとビバップにはさほど関連性はないと思われますが、これはどういうことなのでしょう?

 

無題 頭蓋骨
 

 「ビバップとヒップホップの間には円滑な線を描くことが出来ます」と、ボイド氏は指摘します。「ミシェル・バスキアは、実際にはこれら2つの世界を緊密ににつないでいるんです。1980年代のアーティストの出現は、ヒップホップ文化の広がりと呼応するものでした。MTVに登場した初期のラップミュージックビデオ「Rapture」という曲のブロンディのミュージックビデオにバスキアは出演しているのです」

 

 

さらに、バスキアは、まず間違いなく、自分の芸術と、ビバップ時代の音楽の台頭に自己投影をしていた、とボイド氏は指摘しています。「ビバップのミュージシャンはスタンダードからの逸脱を意味していました。彼らは芸術として自分たちの音楽を真剣に受け止められることを期待していた人々です。ビバップのミュージシャンは、エンターテイナーであるという概念をはなから拒絶しているのです」、さらに、ボイド氏は、かのバスキアも前の時代のビバップシーンのミュージシャンたちと同じような苦境に陥ったと指摘している。「たとえば、バスキアの芸術の初期の常連が、絵画を家具の色彩と一致させたという逸話が残っている。ミシェル・バスキアの「不快な自由」1982年の作品では「非売品」という文字が大文字で書かれており、さらに、バスキアという芸術家が真剣に受け止められ、みずからのアートを単なる商品として見られないことを望んでいた」のだという。それをバスキアは、絵画の中の大文字のフォントに込めていたというのである。

 

「Horn Players」では、両方のアーティストの名前(グラフィティの専門用語ではタグと呼ばれる)が取り消され、線付きのテキストで描かれている。ボイド氏はこれを、ビバップジャズミュージシャンが有名なジャズ・スタンダードを認識できないように方法と比較検討を行っている。「ビバップミュージシャンは」と、ボイド氏はさらに説明しています。「しばしばアメリカの伝統的な歌集を踏襲しつつ、そこから脱構築しようと試みていた。このたぐいの即興、この取り消し線、また、この脱構築は、鑑賞者がバスキアの絵に明らかに見出すものであり、そこに、ジャズ、そして、ジャズからの影響がはっきりと感じられるのです」


  

Horn Prayers


さらに、ビバップジャズ、ヒップホップ、アメリカの20世紀の主要なブラックミュージックの影響は、バスキアが自身のレコード・レーベルでプロデュースし、さらにリリースを手掛けた"RammeleeandK-Rob1983"から発売されたヒップホップシングル「Beat Bop」のカバアートにも表れているという。


ボイド氏は、取り消し線のついたテキストを、レコードでスクラッチするヒップホップDJのテクニックと同一視しており、この事について、以下のように説明しています。「ヒップホップというのは、基本的に、ほかの音楽を利用し、新しい音楽を作成するジャンルである。古いものが是非とも必要であり、それをリミックスという形で新しいものを作りなおす技法なのです。つまり、その手法をミシェル・バスキアは絵画の領域で表現しようとしていたのです」

 

こちらの記事も是非お読みください:


現在の西アフリカでは、SIMカードやマイクロSDカードに楽曲をプリインストールして販売する小さな屋台が、CD生産の衰退後の風景を彩っている。やがて、携帯電話同士のBluetoothで直接曲を共有するユーザーも現れた。2010年代、アフリカで「WhatsApp」が普及し始めると、音楽を送るのに物理的な距離がほとんど意味をなさなくなった。しかし、共有されるのは、リンクではなく、目的地に届く確率の高い「高圧縮のMP3ファイル」。今日に至るまで、音楽の共有は、この地域の比較的弱いインターネットの制約の中で、何が現実的であるかに依存している。


このような西アフリカの砂漠地帯の音楽の背景が、ロックバンド、エムドゥ・モクターを有名ならしめた。

 

Mdou Moctor

 

西アフリカのギタリストのエムドゥー・モクターは、最初は、エレクトリック・ギターひとつない環境から音楽活動を始めた。親に反対されながら自転車のリールを改造し、それでギターを文字通り自作しはじめた。彼の身近な環境に、ギターの弦など存在してはいなかった。その数年後、バンドを組み、最初は、携帯のアプリを介してモクターは曲を公開し、その音源は西アフリカ全体にその知名度が行き渡った。数年後、誇張ではなく砂漠のロックスターになったのだ。

 

西アフリカの砂漠地帯のニジェール出身のアスーフ(トゥアレグのギター音楽)を奏でる彼は、日本では、ヘンドリックスの再来と持て囃されているが、いわゆる現代のクロスオーバー・スターである。2021年にリリースされたフルアルバム『Afrique Victime』は、ニューヨークのインディーロックの名門レーベル”Matador”から発売され、彼のジャンルの歴史を知らない聴衆にもモクターの名が知られることになった。もちろん、その評判は日本にまで轟くようになった。西アフリカの砂漠地方、ニジェールでは、彼は、ブルートゥース・シーンのスーパースターとしてよく知られている。そう今や過去のものとなりつつあるギターヒーローの再来なのだ。


エムドゥー・モクターは、初めて、自分の音楽を携帯電話で聴いたときのことを覚えている。私はアガデス(ニジェールの中心部)にいて、友人を訪ね、ニアメ(西へ1000キロメートル)に行こうとしたんだ」とモクターは語った。「そして、バスの中で、私は聴いていた。多くの人が携帯電話を持っていて、いつのまにか、みんなが私の音楽、私のギターを聴いている。そしたら、運転手も私の曲を流してくれた。そのとき初めて、自分の音楽が周囲で流行り始めていることを知った。すべては、自らの関与しないところで、自らのコントロールの及ばないところで起こったことだ。そんな風に自分の音楽を聴いてもらうため、何もしないなんてことはない」とモクターは語った。「そう、僕は、音楽のためにどこかの会社にいるわけじゃないんだ」


Moctarのベーシスト、Mikey Coltun(マイキー・コルタン)は、彼のバンドのメンバーの中で、唯一、アフリカのニジェール出身ではない。コルタンは、アメリカのワシントンDCで生まれ育ち、10代の頃から西アフリカの音楽を演奏してきた。ミュージシャンの父親は、マリのグリオ(西アフリカの儀式音楽で古くから存在する)であるチェイック・ハマラ・ディアバテとコラボレーションを始め、若きマイキーをバンドに参加させた。Coltunはその後、西アフリカ各地で複数のギグを行い、この砂漠のローカルなシーンに親しみを持つようになっていった。


マイキーコルタンは、Mdou Moctarの2013年のアルバム『Afelan』を初めて聴いたとき、すぐにモクターと一緒に仕事をしたいと思ったという。「私が演奏していた西アフリカの音楽の多くは」とコルトンは語った。「とてもクリーンなんです。古い世代の多くは、あまり実験をしたがらない。 それまでの音楽と比較すると、Mdouはどちらかといえば、パンク・ロックだった」その後、コルタンは、バンドメンバーにとどまらず、ツアー・マネージャー、運転手、マーチャンダイズ、ベーシストとして働き、Mdou Moctarは、全米ツアーを開始した。コルトンは、現在、アルバムのプロデュースも手掛けている。その後、モクターは、バスの中で携帯電話のスピーカーから流れる自分の音楽を聞きながら感激しているコルトンの初期の頃の話をした。「実は、彼はこれが俺だ! とは絶対言えないタイプなんだ」とコルタンは懐かしそうに語った。「誰も信じないだろうな。誰もミュージシャンのホントの顔なんて知らないんだからさ!」


バンド、アーティストとして名声を獲得する際に、大きな問題となるのが、商業主義、取り巻きとどのように付き合っていくかのかである。その点についてはエムドゥー・モクターをはじめとするメンバーは、資本主義社会と一定の距離を置きながら上手くやろうとしている。初めて一緒にアメリカツアーをしたとき、コルタンとモクターは、伝統的な「ワールドミュージック」的なアプローチを避けたいと思ったという。それは彼らなりの良心であり、西アフリカの音楽を売り物にはしたくなかったのだ。「座っている観客。とても分離しているように思えたし、とても白々しく思えた」と、マイキー・コルタンは、最初にツアーに参加した時代のことを回想している。

 

「ライブをして、お金が入ってくるのは良かったけど、本当になんだかそれが嫌な感じがしたんだ」。

 

その後、バンドは商業主義から距離を置く。ステージは低いか全く存在しない、その後、彼等は、ファンがバンドに群がることができる本物の「DIYショー」へ移行した。彼等は大きな作られた人工のライブを避けるため、祖国の西アフリカに戻った。それから、昨年に、ニジェールの砂漠で、ライブを決行し、ライブビデオも撮影された。電動機を持ち込み、アンプリフィターやマイクロフォンに繋ぎ、最低限の機材で演奏している。

 

エムドゥー・モクターのメンバーは、白いトゥアレグ族の民族衣装に身を包み、砂漠の中に円居し、ライブを行った。観客はひとりもいない。しかし、ニジェールの砂漠でのライブの途中、しぜん、空の上から陽の光が差し込んできて、現地の動物たち、羊たちが彼らのまわりに群がってきた。


その映像は、自然の動物たちが彼らのライブを聴きにやってきたとも見えた。こういった砂漠地帯でのDIYスタイルのライブを行うことについて、「それは(ニジェールの)砂漠で、結婚式でやるようなことだ。それはお祝いのように自然なことだった。また、そういったライブでは生命のエネルギーが溢れ出ているのがわかる」とコルトンは語った。「私は、人々が立ち上がって踊り狂うのとは対照的に、この座っているときのライブ環境は、実際に(モクターが)恐れ多かったように思う」


2022年までに、エムドゥー・モクターは、エレクトリック・ギターと西アフリカの民族音楽を融合した独特な作品をこれまでに複数残しているが、現代の新しい形式を取り入れることを避けているわけではない。2021年のオリジナル・アルバム「Afrique Victim」に続いてリミックスアルバム「Afrique Refait」を翌年にリリースし、電子音楽、最新鋭のダンス・ミュージックへのアプローチも試みている。リミックスアルバムのアイデアが不意に浮かんだとき、バンドは、すぐに、エジプトのノイズアーティストAya Metwalli、ケニアのグラインドコア・デュオDumaなど、アンダーグラウンドのアフリカ人ミュージシャンとのコラボレーションに魅力を感じたという。


東アフリカのウガンダ・カンパラにあるレーベル「Nyege Nyege Tapes」が、最終的にこのアルバムに参加することになった多くのリミキサーをバンドが見つける手助けをした。「正直なところ、社会的、政治的に見ても、これは、少々過激なものかもしれないと思ったんだけど、しかし、他でもなく、それこそが私たちMdou Moctarの根深いルーツなんだ」とマイキー・コルトンは力強く語った。「みんな、くだらないものを押し付けるんだ。リミックスアーティストから、曲のステムがばんばんこちらに送られて来て、好きにしていいと言われた。しかしリミックス・アルバムで聴くことができるのは、私たちが提出したもののすべてなんだ」と彼は語った。


「Afrique Victime」とリミックス・アルバム「Afrique Refait」は、エムドゥー・モクターの他の音楽と同様に、主要なデジタル音楽サービスで入手可能となっている。彼らのDIYスタイルの流儀は、活動を海外に移しても変わらない。それは、彼らが音楽の本当の魅力を知っていて、ライブの持つ生きたエネルギーに共感しているからなのだ。エムドゥー・モクターのこれまでにリリースされたアルバムについても同様で、生きたライブセッション、作り込まれていない生の音を彼らは何よりも重視している。

 

エムドゥー・モクターは、これまで多くの不可能を可能にしてきた。西アフリカの一人のギタリストが世界で有名になると誰が想像したのだろうか。それは彼がギターをやることを反対した彼の産みの両親ですら全然想像できなかったことである。そして、西アフリカ以外では、携帯とBluetoothのみで自分のギターを世界に広げていったエピソードはバンドの伝説となっている。2022年のリミックス制作を行ったあと、ムドゥー・モクターは、久しぶりに、故郷、西アフリカ、ニジェールに凱旋した。この数年間で、モクターの環境、そして、生きる世界はガラリと変わった。それでも、彼の「DIYの流儀」は十年前から何ら変わることがない。彼は最初の活動スタイルを何よりも重視している。エムドゥー・モクターは、どのような時代においても自分の音楽をアナログ形式の手渡しで広めることは、今でも重要な意味があると考えているのだ。「家でもそうだ」とモクターは語った。「家族のような近しい人たち、友達のためだけに最初に作った新曲を聴かせてみて、まず周りの人たちに"どうだったかな?」と、こわごわと最初の感想を聞いてみる。「それは」とモクターは語った。「音楽を始めた当初から、たったひとつだけ変わらない点で、僕が音楽をやる上でいちばん大切にしていることでもあるんだ」


Saba

Sabaは、ステージの前に詰めかけた1000人のファンのスマホ画面のまぶしさの中で、あたたかな思い出に圧倒されていた。27歳のラッパーは、先月、シカゴのアラゴン・ボールルームのステージでバンドのメンバーを紹介しながら、「あのとき、俺たちは16歳だった、図書館で」と叫び、10年後に地元でヘッドライナーを務めるきっかけとなった10代のスタジオセッションを回想したのだった。


2010年代初頭、Sabaは、シカゴのオープンマイクや図書館でラップの練習を重ね続け、最終的には祖母の家にセルフスタジオを建設した。

 

彼は、ウェストサイドの放置された地区オースティンから現れ、ボーン・サグス-N-ハーモニーや、同じウェストサイダーのクルーシャル・コンフリクトやトゥイスタの影響を受けた鮮やかな文章、感性豊かな文学性と舌鋒鋭いスタイルによって、才能あるシカゴの若いミュージシャンたち(リル・ダーク、ノネーム、ミック・ジェンキンス、チーフ・キーフ)の中で際立つ存在だった。


2018年、Sabaは、ピッチフォークのベスト・ニュー・ミュージック、コンプレックス、ビルボード、NPRの年末リストといったホットな評価を獲得し、従兄弟でコラボレーターのジョン・ウォルトへの追悼を描いたアルバム『ケア・フォー・ミー』のリリース後に観客動員数を伸ばした。パンデミック発生時には、Zoomコールで16小節を16分で書き上げるなどのクリエイティブな訓練により新しいサウンドを求め、「アンチCare For Me」と表現する新しい音楽に取り組み、その地味なトーンと自伝的ディテールによって定義されるのをあくまで拒否した。


2月にリリースされた最新アルバム『Few Good Things』では、サバは、自分の成功を愛する人と分かち合うことを祝福する一方で、若い黒人成人期に蓄積した責任や不安を認識している。例えば、いかにもシカゴドリルらしいトラック "Survivor's Guilt" で 、"I'm the one who paid my sister tuition, I should probably go to the meetings" と、ラップしているように・・・。One Way or Every N***a With a Budget "では、彼のカリフォルニアの新居がセキュリティのために一方通行になっていることのほろ苦さをラップで上手く表現しているのだ。


アルバムのジャケットには、祖父のカールが登場し、自身の母親がシカゴの家を購入した際のエピソードをナレーションで語っている。ライブの直前、エレベーターに乗り込み、親族に囲まれた個室へ向かいながら言う。

 

「正直なところ、チケットの半分は家族連れの客だろう。「従兄弟やおじいちゃん、おばあちゃん、みんなに会えるんだ」


Sabaのキャリアは、愛する人たちと一緒に権利を維持することで発展してきた。兄のジョセフ・チリアムズは、『Few Good Things』のほぼすべての曲を共同作曲しており、近所の友人たちによるラップグループ、自称「ボーイバンド」のPivot Gangの共同設立者でもある。メンバーChilliams、MFnMelo、Frsh Watersはツアー中、交代でSabaのオープニングを務めており、シカゴ公演では全員がステージに上がり、Pivotのポゼッション曲である "Soldier "を披露した。


Few Good Thingsのプロダクションは、ネオソウル、シカゴドリル、Pファンク、ポップなどのサウンドを取り込んでいるが、大半の曲はSabaがPivotの同胞であるDaoudとdaidaePIVOTと共に制作したものである。遠隔地での共同作業や10時間にも及ぶスタジオでの作業を経て、Sabaは彼らの仕事を心から信頼している。「プロデューサーと交わさなければならない多くの会話は、すでに長い間一緒に仕事をしているため、必要ないのです」と彼はあっけらかんに言いはなつ。


ステージでは、オースティンとディビジョンにあるルート91のバス停のレプリカに囲まれ、トレードマークの青と白のCTAの標識が置かれていた。このバス停は、彼が10代の頃、東のダウンタウンへ向かうためによく通った。「バックホームツアーにふさわしいと思ったし、その一部を持ち帰りたかったんだ」とSabaは言う。

 

「都市から都市へと演奏し、人々がそれを評価するのを見るのは本当に素晴らしいことだ」


サバは、シカゴで何度も演奏しており、フェスティバルのラインナップや、彼の従兄弟を記念して設立された地元の非営利団体のために毎年開催されるJohn Walt Dayのイベントの一部となっていることが多い。アラゴンでの公演は、「他の都市で見られるのと同じショーをすることができた」と、初めての機会であり、シカゴの住民に彼の個人的なビジョンを提示するものだったという。"地元シカゴの観客に受け入れられているのを実感できて、本当に嬉しかったよ!」


Pivot GangとR&BシンガーのtheMINDに加え、Sabaは、この上なく豪華なスペシャルゲストを呼び寄せてみせた。シカゴラップシーンの象徴である、チャンス・ザ・ラッパーは、鮮やかなピンクの3段帽子をかぶって登場。

 

2人は、チャンス・ザ・ラッパーの2013年の名作ミックステープ『Acid Rap』からのコラボレーションを初めて一緒に披露した。

 

「Everybody's Something "のレコードを演奏するのは特別なことだと思ったんだ、特に僕のアーティストとしての旅の大きな部分を占めているから」とサバ。「そうだ。多くの人が私のことを初めて知ったのは、この曲からだったんだ。ディラ系のルーズなビートに乗せ、街角の子供たちや警官のノルマについて語るこの詩は、最近の作品にぴったりで、観客はどの小節も一緒にフレンドリーに口ずさんでいたんだ」


インディペンデント・アーティストとして10年間成長してきたSabaは、自分も何か話したいと思っていた。

 

ライブステージの曲の合間に、「ヘイ、リル・ブロウなんて柄でもないからやめてくれないか!」と宣言した。Pivot Gangはとても謙虚な姿勢で、"ああ、彼らは自分たちの世界、自分たちのレーンにいるんだ "と思われているのさ」と彼は後で苦々しく説明した。「そして、それが、僕が公の場で言いたかったことだ。あなたたちがそれを受け入れるかどうかは別として、僕たちは、ここにいて、これをやっているんだ。これは僕らのホームタウン・ショーで、シカゴで、これはとても重要なことだ」


Back Homeのツアーが終了した後、Sabaは、シカゴのヒップホップ・アイコンであるNo I.D.とのミックステープ制作に既に取り掛かっており、また将来的にはJohn Walt Foundationへの寄付を計画しているとのことだが、これはまだ未定である。


Few Good Thingsのテーマ通り、Sabaは地元でのショーを最大限に活用し、歌のフックと節回しの詩でステージを支配し、10年前にKendrick Lamarがgood kid, maad cityをツアーしたように、自伝と都市史を融合させた。

 

Sabaは、今後も多くの素晴らしいステージをこなすと思われるが、アラゴンではシンプルかつストイックなステージに徹した。「これは私の人生の中で最高の瞬間だ」とだけ、彼は最後にシンプルに付け加えた。

 

 

  レディオヘッドのボーカルは、この年、旅客機の窓から見えるフランスの牧歌的な風景を無性に眺めていた。

 

彼は、しかしながら、ユーロスターの眼下に広がる羊や農場を見ていない、そこにあるものがたちどころにふっと消え、そのまま暗いトンネルに入り、深い深い海の底にいることを痛感している。不思議な感覚である。それでも、かつて『The Bends』というアルバムを書いた男、そして次の世界的なアルバムを書くであろう男にとって、これはとても重要なことでもあった。


ユーロスターに同乗したある音楽メディアの取材記者が、トム・ヨークに尋ねる。

 

「あなたは閉所恐怖症なのか?」

 

「そうだ」


さらにその後、沈黙を重ねた末に、彼はあっけらかんと「そうです」と答えた。実は、最近ますますそうなってきているんだ」。


数日間のツアーで、トム・ヨークが様々な恐怖症に悩まされていないときでさえ、彼はその閉所恐怖症の症状が一段と強烈であることを教えられた。ヨークは、まるで粉々になった小さな王子のような動きをしたかとおもえば、突然、爆発するような、切り詰めた笑い方をしていた。髪は短く、黒く、とげとげしい。ヨークの怠け眼は垂れ下がり、それは欠点であると同時に、彼の砕けた魅力でもある。子供の頃、よくそのことでからかわれたという。そのためか、時折、彼は、自分を傲慢な嫌な奴と勘違いする人がいるのが気になる。


時に、欠点は長所となり、このミュージシャンの強い強迫観念は反感を生み、恐怖は彼の音楽、ひいては、レディオヘッドの生み出す音楽にインスピレーションを与える。トム・ヨークは飛行機が嫌いで、もちろん車も大嫌いだから、電車にばかり乗っている。それがこのアーティストの日常的な習慣である。

 

ある日、記者が、不思議に思い、この男に尋ねる。

 

「なぜ、あなたは車の衝突をテーマにした曲をたくさん書いているのか?」


「それは、地球上で最も危険な交通手段のひとつである自動車で、住みたくもない家を出て、行きたくもない仕事に向かうために、人々はあまりにも早起きしていると思うからだ。僕は、それに全然慣れることができない」


もちろん、ミュージシャンという仕事柄、移動の多いヨークは、常に車に乗っていなければならない。レディオヘッドの最新シングル "Karma Police "のビデオを撮影するため、リモコン・ドライバー付きの車に乗り込んだこともある。そして、後部座席に座ってリップシンクをしていると、何かがまかり間違って、不意に、一酸化炭素のガスが車内に流れ込んできた。ヨークは恐怖を感じる。そして、気が遠くなるような感覚を覚えながら、"ああ、これが僕の人生だ... "と思う。


レディオヘッドは、現在活動している中で最もお堅い偏執狂的なアートロックバンドに数えられるかもしれない。でも、そのようなバンドであっても、彼らはかなり幸運な人たちだ。ヨーク、ベーシストのコリン・グリーンウッド、ギタリストのジョニー・グリーンウッドとエド・オブライエン、そしてドラマーのフィル・セルウェイからなるこのグループは、自分が無価値であることを歌った大ヒット曲でそのキャリアをスタートさせた。


特に、この曲がスラックロックのアンセムとなり、バンドが最後の恋人の名前のタトゥーを入れるように後悔するようなタイムリーなヒットとなった後、彼らは「クリープ」、そして、1992年のアルバム「Pablo Honey」が受け入れられるかどうかさえ確信が持てなかった。しかし、そのアルバムはグランジの最盛期の世代に、じわじわと熱烈なリスナーを惹きつけることに成功する。

 

1995年、彼らはより優れた、より奇妙な、セカンド・アルバム(The Bends)、ピンク・フロイドの最高級アルバム・カバーを思わせる、非常にクールなビデオの数々を制作したのである。前作のアルバムがピクシーズの後継者としてのオルタナティヴロックだと仮定すると、このアルバム「The Bends」は何かが前作とは違った。「Fake Plastic Tree」に代表されるように、後のレディオヘッドの内省的で、孤独で、繊細かつデリケートな音楽の素地がこの作品で完成されていた。ロック評論家たちがこぞって、Radioheadを褒め称えたのは、何も偶然ではなかったのだ。


2ndアルバムの異例のリアクションについてトム・ヨークは当時、話している。「音楽が人々にとってどのような意味を持つのか、私は驚きました」

 

「私たちは斬新なバンドから、NMEやMelody Makerの "Musicians wanted "欄で誰もが引用するバンドになった。”クリープ”のようなヒットの後では、バンドは普通、生き残れない。死んでしまうこともある。でも、そうはならなかった」。

 


そのあと、レディオヘッドは、1年半にわたって『The Bends』のツアーを行った。バンドの故郷であるオックスフォードに戻ったヨークには、新たな不安材料でいっぱいだった。彼はいつも自分の頭の中にある怖いものをよく知っていたが、国際的なツアーは、彼に全く新しいインスピレーションを与えるホブゴブリンの世界を授けてくれた。今、彼は、あらゆる種類の恐ろしいことについて歌を書かなければならないことを知っていた。家庭内暴力、政治家、車、ベーコン等。


だから、ヨークとレディオヘッドは、世界の醜悪さを題材にとった大掛かりなアルバム制作に取りくむ必要があった。ヨークは、ことさら騒いで、悩み、知り合いに迷惑をかけたが、最終的にそれらはすべておおきな価値があった。なぜなら、『OK Computer』は壮大かつ繊細で心にしみる深い情感にあふれるレコードだからだ。グリーンウッドの紡ぎ出す緻密なギターフレーズとフリークアウトしたノイズ、ビートルズ風のジョークが入ったポピュラーな曲、そして、実際に曲になるまでに何分もかかるナンバーに満ちており、謎に満ちている。この作品については何も説明されず、すべてが暗示の領域に留まっている。それはリスナーに想像力、喚起力をさずけるものである。「OK Computer」は恐怖とシニシズムに満ち、皮肉や自意識はない。どうやら、ヨークを快くさせるのは、かなり美しく、心から不気味なものを作るというアイデアだけのようだ。

 




  「OK Computerを聴くと、多くの人は、気分が悪くなると思う」と、当時、トム・ヨークは話している。「吐き気は、私たちが作ろうとしていたことの一部だった。The Bendsは、いわば慰めのレコードだった。でも、この作品は悲しかった。その理由がよくわからなかったんだ」

 

「嘔吐」、まさにサルトルのような得難い気味悪さ、そしてそ内省的な質感がこの作品には込められている。他のロックアルバムとは何かが決定的に違う。つまり、それが歴史に残るレコードでもある。何か聞き手に考えさせ、何かを働きかけ、受動的でなく、能動的に何かをさせるような自発的な主旨が込められている。またサウンドは古典的な響きがありながらも、コンピューターの黎明期のように未来的な響きが込められていた。いまだロボットが出現する以前の時代、人類はロボットに憧れていた。イエスやピンク・フロイドのような壮大なテーマを擁しながら、そこにはそれ以前のレコーディングで体現しえなかったコンピュータープログラミングの技術が明らかに取り入れられていた。あろうことか、Windows 98が登場する前の年に・・・。なぜそれが出来たのかは、彼らはジョブズの生み出したアップル・コンピューターのファンだったからだ。「OK Computer」はまさに、人類の未来への希望、そして、そのイノヴェーションの難しさを表したアルバムである。これはロック史における一つの「事件」だった。


アルバムはビルボードチャートで21位でデビューしたが、ヨークにとって幸運なことに、多くの人が「OK Computer」の意味を熱心に説明してくれた。Addicted to Noiseのオンラインの特派員は、OK Computerは、フィリップ・K・ディックの「V.A.L.I.S.」に基づいていると指摘したが、あいにく、ヨークはその本を読んでいなかった。他の批評家は、アルバムのタイトルと、奇妙なファーストシングルの「ParAnoid Android」のような曲に飛びつき、アルバムはレディオヘッドのテクノロジーに対する恐怖についてと決めつけたが、彼らはヨークとジョニーが、実は熱心な「Macファン」だということを知らない。トム・ヨーク自身は、「パラノイド・アンドロイド」はローマ帝国の滅亡をテーマにしていると主張する以外、あまり詳しい説明をしなかった。


バンドは、ロサンゼルスとニューヨークで行われたソールドアウトの話題のコンサートで、アルバムのほとんどの曲を披露した。


出席者は、リヴ・タイラー、マドンナ、マリリン・マンソン、コートニー・ラブ、R.E.M.のマイケル・スタイプとマイク・ミルズ、ビースティ・ボーイズのマイクD、謎の無名のスーパーモデル3人、そして、リアム・ギャラガーであったようだ。リアムギャラガーは、このページで、レディオヘッドは「ファッキング・スタンデント」、もっとわかりやすく言えば、大卒だと指摘する必要があると感じたようだ。少なくとも、それはほとんど真実だった。 

 


一方、バンドの長年のサポーターであるMTVは、「Paranoid Android」の不穏なアニメーション・ビデオをバズ・クリップに選出した。


6月、ヨークは "Street Spirit (Fade Out) "の監督ジョナサン・グレイザーとロンドンから3時間離れた人気のない道で会い、OKコンピュータのセカンドシングル "Karma Police" のオーウェル風の冷たいビデオを撮っている。9月下旬、"Karma Police "は音楽チャンネルでヘビーローテーションでデビューしたが、ビデオには、数年前にBeavis and Butt-headが大問題になったのと同じ「炎上」の要素があるという事実がある。つまりMTVにとって、レディオヘッドは法の上に立つ存在なのだ。真実はもっと奇妙だ。MTVの人たちは、Radioheadのビデオが好きなのだ。


MTVの音楽担当副社長ルイス・ラージェントは、「彼らのビデオはどれも魅力的だ」と説明する。

 

「レディオヘッドのビデオはどれも興味深いものだ。例えば、『The Bends』のなかの「Just」のビデオでは、男が死ぬシーンがありますが、そのような謎があるからこそ、何度でも見ることができるのです。けれども、Paranoid Android "は100回観ても、全部はわからないはずだ」


グレイザーは、「カルマポリス」が報復をテーマにしていると考えているが、それが重要かどうかはわからないという。「レディオヘッドはサブテキスト、アンダーバーについて全て知っている」と彼は言っています。「Thomは、私が映画について考えるのと同じように、音楽について考えているんだ、彼はそれが対話だと考えている。だからビデオで、彼はコーラスを歌っているんだ。


実際、レディオヘッドが、『OK Computer』をレコーディングしたとき、ヨークは、各曲を12種類の脳の内側からのルポルタージュのように聴かせようとしていたんだ。このレコードは、真実かもしれないフィクションの集まりです。それは、ここ数年のオルタナティヴ・ロックだけでなく、私たちの告白の文化全体からレディオヘッドを際立たせている要因のひとつだった」

 


「正直に言うと、私は、果てしない自己顕示欲に耐えられないんだ」とヨークは話している。「正直というのは、ある意味でたらめな性質なんだ。そうなんだ。これが、正直であり、これが正直だ。正直であることを公言するよりも、不正直であることに正直である方がより健全だろう?」


良くも悪くも、レディオヘッドは、ほとんどのギターバンドがまだハードコア・パンクやアメリカン・インディー・ロックの遺産に苦しんでいる時期に登場し、したがって、ほとんどのラップスターと同様に「リアルさ」を気にしていた。しかし、Radioheadは気取ることを恐れていない。彼らが壮大で広範なロック音楽を作るのは、彼らの曲が、例えば、Pavementのように素朴さがあり、Tortoiseのように前衛的に見えることがあっても、より確実にPink Floydの壮大なパラノイア、Queenのバロックの壮大さを思い起こさせることができると信じているからである。これらの上記のバンドのように、Radioheadは自分たちが空を飛べるような魔力を持っていると、本気で信じている。彼らは、ロックスターのように振る舞うには至っていなかったけれども、『OK Computer』は間違いなく、ロックスターのアルバム、ロック史の傑作である。

 

 


  バンドは1996年の夏、リンゴ小屋を改造したリハーサルスタジオでアルバムの最初の部分を録音し始めた。9月、レディオヘッドは、女優ジェーン・シーモアの邸宅、セント・キャサリンズ・コートを借り、すべての機材を運び込み、そこで、レコーディングを開始した。物事はうまくいった。


「天国と地獄だった」とトム・ヨークは言う。「最初の2週間は、基本的にアルバム全体をレコーディングしたんだ。地獄はそのあとだった。あの家は......」ヨークは、間を置いて、言った。

 

「圧迫感があった。最初は私たちに興味津々だった。それから、私たちに飽きた。そして、物事を難しくするようになった。スタジオのテープ・マシーンのスイッチを入れたり切ったり、巻き戻したりするようになったんだ」


「ああ、素晴らしい体験だったよ。それに、バースの郊外の谷間にあったんだ、人里離れたところにね。だから、音楽を止めても、そこには静寂が広がっていた。窓を開けても、何もない。鳥のさえずりさえ聞こえない、まったく不自然な静寂。すごく恐ろしかった。眠れなかったよ」。


レディオヘッドは、1997年2月に「OK Computer」のレコーディングとマスタリングを終了した。出来上がったレコードから少し距離を置いた後、彼らは再びマスターテープに接してみると、そのレコードの真の凄さに驚かされた。「11時間目に、自分たちが何をしたのか気づいたとき、自分たちがかなり反乱を起こすようなものを作ってしまったという事実に疑問を持った 」とヨークは認めている。


レコード・レーベル側のスタッフ、つまり、キャピトル・レコード の人たちも最初はトム・ヨークと同じように感じていた。

 

「OK Computer 」には、"Creep "はもちろん、シングルらしい音はひとつもなかったから。キャピトルの社長ゲーリー・ガーシュは、レディオヘッドについて聞かれると、こんなことまで言っている。「彼らが世界最大のバンドになるまで、我々は少しも、手を緩めるつもりはない 」と。


Radioheadのツアー最終日、バンドは、英国、ブライトンの海辺のアリーナで演奏を行っている。The Bends "のアンセム的なコードから "Karma Police "のエレガントな精神分裂症まで、繊細でスペイシーなサイケデリアと悲鳴にも似たギターが飛び交う瞬間の間、バンドは常にライブ毎に変化し続けた。より大きなモンスターロックバンドに変身していく階段を一つずつ登りつづけていた。トム・ヨークは、キュービズムのキリスト像のように両手を広げ、時折、観客に度重なるリクエストをしていた。「左右に動くのはやめてくれないか、人が倒れるから、これはサッカーの試合じゃない!!」、さらに、「クラウド・サーフィンもやめてくれ!!」


並み居るオーディエンスは、トム・ヨークのマイク越しの呼びかけに快く応えた。観客の多くは、メガネをかけた少年と少女だった。俗に言われる"Stoodents "達だ。図書館のかわいいカップルは、Radioheadがスローな曲を演奏するたびに抱き合っていたが、話しかけようとすると、彼らはただ緊張して堅苦しく笑うだけで、それほどうまく話すことができないことがわかった。


ライブショーの後、満月の下、ビーチに立ち、バックステージで出会ったレディオヘッドファンとともに、大西洋に石を投げながら、偶発的に笑っている人間がいた。実は、そのうちの一人がマイケル・スタイプであり、ブライトン公演は彼が先週観た3回目のレディオヘッドのライブだった。ある音楽メディアの記者は、彼を見つけるなり、声を掛けた。ライブはどうだったのか。マイケル・スタイプは最初、難しい表情をしていたが、やがてその表情を少しばかり緩めた。


「ええ。彼らは金曜日の夜、レディングで演奏したのです。バンドは金曜日にライブに負けるわけにはいかないのです」

 

「でも、今日の彼らは、本当に素晴らしかった。2年前、一緒にツアーをしたとき、彼らは毎晩のように”Creep”を演奏していた。でも、今、彼らはあの曲をファンから取り戻し、本当に美しいものに仕上げてくれた」


マイケル・スタイプが言っていたのは、コンコルドのような音がするギターを使ったあの曲のことである。レディオヘッドを、それほどパッとしない駆け出しのインディーバンドだと思わせた大ヒット曲である。もちろん、これはただの悪口ではない。そして、彼の言う通り、レディオヘッドは素晴らしいライブパフォーマンスを行った。トム・ヨークは、そのステージの合間に少しばかりアドリブも披露した。正確には、あのブライトンのライブステージにおいて、トム・ヨークは、コーラスの言葉を "I'm a weirdo" から "I'm a winner" に変更した。風変わりな人物から世界の勝者へ・・・。それは、この男の数年前からの本質、未来の姿を浮き彫りにするものだった。数年後、トム・ヨークは、世界的な勝者となり、強い影響力を持つようになった。

 

「OK Computer」は、多くのフォロワーを生み出すに至った。しかしいまだに彼らの高みに到達できたアーティストはいない。今後もこのアルバムの高みに到達できるミュージシャンは数少なく、それは、フランスの文学者アンドレ・ジッドのいう「狭き門」に入るようなものだ。限られた本当の芸術家だけが到達できる神々しい領域で生み出された神聖な雰囲気を持つ伝説的なアルバム「OK Computer」は、ヨーロッパの各国のアルバムチャートで1位を獲得したほか、複数のゴールド、プラチナムディスクの認定を受け、さらに、世界の音楽メディアの多くがこのアルバムに文句なしの満点評価を与えた。彼のもとには多くの名声が雨あられと降ってきた。

 

それでもなお妥当な評価が足りないといわんばかりに、「OK Computer」のセンセーショナルな騒ぎは終わらなかった。奇しくも、翌年は、「WINDOWS’98」が生み出される記念すべきコンピューターイヤー、あるいは、ITイノベーションの幕開けの年に当たった。世界が変わろうとしている時代、この数奇なアルバムはやがて、大きな社会現象のように新旧問わず幅広いリスナーに浸透し、「OK Computer」は、音楽的な価値にとどまらない、世紀の大傑作としての評価が一般的に確立されていった。それと同時に、レディオヘッドがミュージシャンとしてだけでなく、政治的な発言力を持つにいたり、英国内の最も著名なグループのひとつに引き上げられていった。

 

今、思い返せば、「OK Computer」は、何かしら熱に浮かされたような不思議な現象であったともいえる。しかし、人々はそれを明らかに望んでいた。リスナーが切望するものを、彼らは、リスナーにそのまま与えた。1997年の「OK Computer」の時代の後、レディオヘッドは、音楽を知らない人でさえ一度くらいはその名を耳にしたことがある、世界最大のモンスターロックバンドに上り詰めた。「OK Computer」がリリースされた1997年は、ロック史の転換期に当たり、また、世界的な転換期ともなった。彼らが巻き起こした凄まじいムーブメント、ビッグセンセーション。まさに、それは1990年代を通しての大きな「事件」でもあったのだ。



・「OK Computer」 Amazon Link


 ロンドンを拠点に活動する日本人の声楽アーティスト、ハチス・ノイトは新作アルバムのリリースを先日発表。


Photo: Özge C


今回、さらに、先行シングル「Angelus Novos」を公開しています。このタイトルは、ラテン語で「新しい天使」を意味し、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンのエッセイ「天使」に登場する芸術家パウル・クレーのモノプリントから引用されています。ハチス・ノイトは、前作シングルに引き続き力強いボーカルが生かされたニューシングルについて以下のように説明しています。


この曲を書いた時、(ベンヤミンの著作に登場する)歴史の荒れ狂う風にさからって飛んでいる天使のイメージを思い出しました。それは個人的、及び社会的闘争の双方に関して非常に深い共鳴を覚えました。この曲を癒やしの空間として完結させたかったので、エンディングは親密であり内向的な雰囲気を重視しました。

 

ハチス・ノイトは、教会をはじめとする天上の高い空間性を利用し、天使のような声楽の表現を行うことで知られていますが、ここに彼女は喉音の低い音域をかぶせています。「歴史の荒い風に逆らって飛ぶ」かのような緊張感をこの独特な歌唱法によって体現し、「新たな天使」を表現していきます。やがて、胸郭を押し広げ、戦争の叫びにも似た何かを表現しようと試みる。

 

これらのノイトの声の表現は、美しく、また畏怖があり、さらに、強い説得力が込められています。ハチス・ノイトのオペラティックでなボーカルはすぐに明瞭となり、やがて、ボーカルのレイヤーを重ね合わすことにより、重厚な音響空間を生み出します。これらの重層的な声の組み合わせによって、ノイトは人間の生活における鮮やかな印象を聞き手の脳裏に喚起させていく。人生の無数の複雑におりなす綾により、私たちの足が地にしっかり繋がれていることを思い至らせる。

 

今回のシングルリリースに併せて、以前、教会内の建物の中で撮影を行ったライブ映像とは別の新たなMVが公開されています。AIの生成技術が取り入れられた革新的な映像であり、それは、視覚的な体験を押し広げる意味を持つ。斬新かつ前衛的なミュージックビデオを以下で御覧ください。

 



新作アルバム「Aura」は6月24日にErased Tapesからリリースされる。

 

言葉で私達が感じる全てを説明することは出来ません。私達が生まれたばかりで、母親が私達を腕に抱き、頬に肌を感じている時に感じる感覚を表現するにはどうすればよいのでしょうか。

 

私達は、彼女の温かさ、温もり、愛情をはっきりと感じますが、それを完璧に言葉で表現するのは難しい。音楽は、その感覚、感情、愛の記憶を翻訳できる言語なのです。

 

                               ハチス・ノイト



ハチスノイト自身の声のみで制作された2014年のアルバム「Universal Quiet」では、 クラシカル、民俗音楽、ウィスパー、ポエトリー・リーディングなどを昇華し、独自の歌唱解釈を構築した歌手・音楽家ハチスノイト。その後、ロンドンに拠点を移した声楽家が新作アルバムをペンギン・カフェ・オーケストラ、ニルス・フラーム、キアスモスなどのリリースで知られるロンドンのインディペンデントレーベル”Erased Tapes”から、2022年6月24日にリリースします。


ハチスノイトは、この日本の十年の時代の流れを自身の声、そして、フィールドレコーディングによって訪ねる。それは2011年の東日本大震災からパンデミックまでの時代が一つの作品の中で声楽という形で表現されています。これは、日本や世界の十年の歴史を描いた声楽における貴重な証言とも言えます。

 

ハチスノイトが声楽に目覚めたのは、16歳のとき。ネパールにあるブッダの生誕地をさしてトレッキングを行っていた時、ある朝、尼寺に滞在していたハチスノイトは、お堂でお経を詠唱するある尼僧と出会いを果たす。その声の原始的な力強さに、ノイトは心打たれた。人類、自然、そして宇宙の本質に目覚めることにより、声楽の本質に思い至る。「声」は、人間にとって最古の直感的なものであり、そして、特別な楽器のひとつであると、彼女は気がついたのです。


アルバムのタイトル曲「Aura」では、彼女の生まれ故郷の北海道・知床の森で道に迷った際の心象風景を垣間見ることが出来ます。「日が暮れていく森の中、自分の死がとても近いところにあるような気がしました。自分が一個人であるというよりかは、自然の中に溶け込んで、それと一体になっていくような。そこで見出した畏怖と安らぎの感覚は、私の音楽制作の原点となりました」

 

新作アルバムは、長い時間をかけ、制作が行われています。この中で唯一、彼女の声以外の音が使用された「Inori」では、福島の原発から、わずか1キロという近距離にある海辺でフィールドレコーディングされた海の音を聴くことが出来ます。福島の帰還困難区域が解除された時、死者の追悼式に招待されたハチスノイトが、地元の人に故郷に戻れるように、と切実な祈りを込めて捧げられたものです。これは、2011年の震災時、津波で失われた命に捧げられたものであり、また、その声は、同時に、福島の地元の人達が故郷に持つ多くの美しい思い出に捧げられたものでもあります。

 

アルバムタイトル「Aura」は、御存知、ドイツの哲学者、ヴォルター・ベンヤミンの著作に触発され名付けられています。 パンデミックのロックダウンをハチスノイトは、日本ではなく、ロンドンで体験しました。彼女は、ライブにおいて、実際に、観客とひとつの空間を共にすること、ライブで起きる一度きりの体験の貴重さを痛感したと言います。パンデミックは、ハチスノイトに内面を見つめ直す契機を与え、人生の喜びと豊かさを思い起こさせるきっかけを与えたのです。

 

その後、ドイツ・ベルリンのスタジオで行われたレコーディングで、彼女はわずか8時間で全てのボーカル録音を終えています。その後、ロックダウンに入り、地元のイーストロンドンでミックス作業を行うことになった。

 

「パンデミックの間、私は、本当に苦労をしました。歌手として、私は、コンピューターでの作業があまり得意ではありません。私は物理的な空間でライブパフォーマンスを行うほうがずっと好きです。人と一緒に居て、同じ空間を共有し、その瞬間のエネルギーを感じことは、毎回、私にインスピレーションを与えてくれます。私にとってアートとは、その共有された瞬間です」

 

さらに、このパンデミックの経験は、ハチスノイトに、より深い内省的な感慨を与えました。しかし、反面、その重圧によって新作アルバム「Aura」で生み出されたのは、世界で起きていることに対する救済、さらに、人生の喜びと豊かさをもたらすという能動的な表現でした。

 

制作には、新たなコラボレーターとして、アイスランドのビョーク、M.I.A、さらに、FKA Twigsなどの作品のエンジニアを務めたマルタ・サロニが招かれています。地元のイーストロンドンの小さな教会に、レコーディングされた音源を持ち込み、建築が持つ反響音(リバーヴ)を含めて再録音をおこなう「リアンビング」という斬新な手法が導入されたことにより、デジタル形式のサウンドエフェクトでは得難い、豊かな響きを感じさせるアルバムが生み出されました。


「プロデューサーのロバートがこのアイディアを思いついた時」と、ハチスノイトは述べています。「まるで、奇跡のようでした。オーガニックな空間の反響により、すべての音にあざやかな命が吹き込まれたのです」

 

チケットがソールドアウトとなったサウスロンドンバンクセンターでのロンドン・コンテンポラリー・オーケストラとの共演、ミラノ・ファッション・ウィークでのパフォーマンスや、ヨーロッパ各地でのフェスティヴァル出演、 そして、ハチスノイト自身が敬愛するデヴィッド・リンチ監督に招かれて出演したマンチェスター国際フェスティヴァルのライブなどをはじめ、ヨーロッパを中心に精力的に活動するハチスノイト。近年、The Bugとのコラボレートを行い、ヨンシー&アレックスへのコーラス、ルボニール・メルニクの作品にも参加する、大いに注目すべきアーティストです。



Hatis Noit 「Aura」

 


 

Label:Erased Tapes

Release:6/24 2022

 

Tracklist

 

1.Aura

2.Thar

3.Himbrimi

4.A Caso

5.Jomon

6.Angelus Novos

6.Inori

7.Sir Etak



Hatis Noitの「Aura」の詳細につきましては、Erased Tapesの公式ホームページをご覧ください。


https://www.erasedtapes.com/release/eratp152-hatis-noit-aura

 

 


ドイツの”Leiter-verlag”は、ニルス・フラームの最初期のレコーディングを収録した「Electric Piano」「Strichefisch」「Durton」のリリースを昨日発表しました。これらの作品に収録されている曲の多くは何年もの間、入手困難であったのもの、リリースすらされておらず、ストリーミングサービスにも登場したことがない楽曲が収録されている文字通り「幻の音源」となります。


「Electric Piano」は、2008年にダウンロード版としてリリースされた8曲が収録、さらに「Strichefisch」には、2005年の最初のプレス以来初めてとなるビニール盤としてのリリース、さらに三作目の「Durton」は2006年のデジタルバージョンのみでリリースされていた「My First EP」収録の楽曲とそれ以前に録音された幻の5曲の音源を新たに組み合わせています。

 

 

「当時、私達が南ベルリンで使用していたスタジオは、どちらかといえばあまり意に介することもないような小さなリハーサル室とも呼ぶべき場所でした」と、Leiter-verlagを主宰するニルス・フラームはある時代について回想しています。これは、おそらく、ニルス・フラームが若い時代に、ドイツハンブルグの郵便局で勤務していた直後の時代、また、プロミュージシャンとしての地位を確立する以前の、駆け出しの時代について語られたきわめて貴重な証言となります。

 

私は、今でもよく、「Electric Piano」の最初の着想が出来上がりつつあった、ある夜のことを思い出すことがあるんです。その小さなリハーサル室には、いたる場所に安い掃除用品が乱雑に転がっており、部屋には自然光が全く差し込まず、また、じめじめと湿気ていて、また、少し悪臭が漂っていました。朝の四時のことだったと思います」と、フラームは回想しています。「5時に最初のベースラインのアイディアを家に持ち帰ったんです。新しいアイディアが出てきたおかげで、すこぶる気分の良い一日でした。しかし、私は家にかえって、最初に制作されたそのベースラインをもう一度聴いて見た時、それがそれほど良いものとは思えず、また、その曲についての自信も持てなくなってきたので、それほど広汎なリリースを行わなかった経緯があるんです。

 

また、この回想について、Leiterのスタッフは、このアーティストの自作に対する懐疑心があまりに強すぎたと説明しています。しかし、その自作品に向けられる厳しい眼差しと批評性こそがニルス・フラームというアーティストの芸術性、及び、創造性を今日まで成長させ続けたのも事実でしょう。

 

おそらく、ニルス・フラームの当時の判断は、不必要で懐疑的なものでした。彼の判断は、謂わば、リハーサル室の化学物質の煙によって曇らされていたのです。このアルバム「Electric Piano」は、彼の将来への明確な道標を指し示しており、7つの繊細かつ優雅な構成を特徴としています。「今、私は、この作品の魅力を再発見したのです」と、ニルス・フラームは最初期の作品について肯定的に捉え直しています。現在の彼の音楽性の盤石さが、過去の作品をより前向きに解釈しなおす機会を与えたのです。

 

 

今回、リリースされる運びとなった三枚のアルバムについては、これまで熱心で長年のファンにしか知られていないフラームの最初期の作品の時代を垣間見ることが出来ます。彼は、2011年の「Felt」翌年の「Screw」でミュージシャンとしての最初の成功を手にしました。両作のどちらも、フラームが若い時代から学んでいたソロピアノでの演奏を特徴としています。しかし、楽器の経験は、彼の初期のレコーディングキャリアにそれほど大きな役割を及ぼしませんでした。

 

「私は最初の着想を捉えたとしても、それを大きな形で膨らませていくことが出来なかったんです」と、フラームは厳しい批評を最初期の自己に与えています。「例えば、バンドで友だちと遊んだりするときには、キーボードやフェンダーローズといった複数の種類の楽器を使うと、アイディアを膨らすことは容易くなります。そして、当時のピアノの演奏については、私にとって多くの学びの機会を与えた一方で、なんだかそれらの楽器のように遊びで演奏するという気があまり起こらなかったんです」

 

その代わりに、19歳の頃のフラームは、彼の友人のFredric Gmeiner(Nonkeenで演奏している)と共に演奏を始めました。ニルス・フラームが幼少期を過ごしたドイツ・ハンブルグの自宅にある仮設スタジオで音楽を作れるように、ラップトップをセットアップしようと試みたのです。(ニルス・フラームの父親は、ECM Recordsの専属カメラマンとして古い時代から活躍している)

 

To  Rococo Rot,Murcof,Mouse On Marsのような20世紀後半の作品に大きな触発を受けたニルス・フラームは、その後、クラシックではなく、自宅にある仮説のスタジオで、長い期間にわたって、エレクトロニックの制作に没頭しました。特に、この時代、イギリスのプロデューサーであるマシュー・ハーバートの出会いに、ニルス・フラームは深い感銘を受けたようです。

 

「彼が、実際に生きているのを見た時、私は、正直、大きな驚きを覚えました」フラームは回想する。

 

「コンピューターやサンプラーについて、当時、私は、ほとんど知識をもっていなかったため、彼は、私に薫陶を与え、より良くしたいと思ったことでしょう。これらの作品はすべて基本的に、私が新しい可能性を追求し、音楽的な実験を行った形跡のようなものと言えます」 



モダンクラシカルとしての最初のキャリアを築き上げたEP「Wintermusik」がリリースされるはるか以前のこと、2002年から2005年にかけて録音され、友人であるArne Romerが設立したレーベル”Atelier Musik”から最初にリリースされた「Durton」と「Streichefisch」は、ニルス・フラームがより、幅広い2013年の「Space」に向けての音楽性の指針を築き上げた画期的な作品となりました。それにもかかわらず、フラームは、他の共同制作者から多くの理解を得られることはありませんでした。彼の作品は、あまりにも時代の先を行き過ぎていたのです。

 

「ハーバートという人物が、私に対してこんなふうにいったことがあります」とニルス・フラームは、当時のことを苦々しく回想しています。

 

「フラーム。君は、上手くサンプリングすることは出来ない、また、君は、プリセットされた音色を使いこなすことが出来ないんだ」そんなふうに辛辣に言われてしまったため、長らく、私は、それらの音楽上の実験を試みることは出来なかったんです」


 

ご存知のように、今では、フラームほどサンプリングやプリセットを巧みに駆使するアーティストを見出すのはそれほど容易なことではありません。彼は「screws」をはじめとする作品で先鋭的なエレクトロニックの独自の作風をうみだしているのです。



しかし、難作として生み出された上記の作品とはきわめて対照的に、「Electric Piano」は、ニルス・フラームがハンブルグからベルリンに移住した直後のたった一夜で制作され、即興演奏、インプロヴァイゼーションが行われた伝説的な作品です。それは、自信を失いかけていたフラームが再び、制作エンジニアのレーマーの励ましによって、自信を取り戻し、最初のミュージシャンとしての一歩を踏み出させ、さらに、ハンブルグからベルリンへの移住によって、なんらかの重苦しい呪縛から解き放たれたかのように、キーボードの演奏、及び、プリセットの音色も独力で自在に使いこなしていることを、「Electric Piano」の作品全体を通じて多くのリスナーは発見することになるでしょう。


「Electric Piano」と他の2つの初期作品「Durton」と「Streichefisch」は、現在、LPおよびCDの2つの形式で購入することが可能です。さらに、すべてのプラットフォームで再生出来ます。

 

 

 Molly Lewis


 かなり古い時代の話になってしまいますが、1920年代のニューヨークのブロードウェイミュージカルには、口ぶえを使って演奏するウィルトラー音楽というのが存在していましたが、いつしかその口ぶえの音楽は、エンリコ・モリコーネ、そしてマカロニ・ウエスタンの始祖、アレッサンドロ・アレッサンドローニの時代を最後に忘れ去られてしまったようです。

 

 そんな古い時代のノワールサウンドに再び明るい光を投げかけようとしている現代の音楽家がいます。それがオーストラリア出身のモリー・ルイスです。若い時代をオーストラリアで過ごし、1920年代のブロードウェイミュージカルのサウンドトラックを幼少期に父親から与えられたことが、モリー・ルイスに音楽への深い興味を与えました。幼い時代から、モリー・ルイスは何時間でも口ぶえを吹いているのを彼女の父親は慈しみの眼差しを持って見守っていました。

 

 その後、モリー・ルイスは、両親と妹と共に家族そろってアメリカに移住し、映画産業に近づくため、ロサンゼルスで映画芸術について学び、その後、ハリウッドに定住。その後、モリー・ルイスは、口ぶえ、ウィストラー演奏家として活動をはじめます。

 

 ニューヨークのガレージロックバンド、ヤー・ヤー・ヤーズ、ロサンゼルスのマック・デマルコ、そして、ヒップホッパーのDr.Dreのライブにウィストラー奏者として出演することにより、これらのアーティストと親交を深めるかたわら、ウィストラー奏者としての多くのミュージシャンから認められるようになります。近年、モリー・ルイスは度々、カフェ・モリーというユニークなイベントをゼブロン、ナチュラルヒストリーミュージアムで開催。このイベントには、マック・デマルコ、John C Riley、カレン・Oがゲストとしてサプライズ出演し、大きな話題を呼んでいます。

 

 ウィストラー奏者としての最初にモリー・ルイスの名を浸透させたのが、2005年のドキュメンタリー「Picker Up」という番組でした。この番組において、モリー・ルイスは素晴らしい口笛の演奏を披露するとともに、ルイスバーグ国際ウィストラーコンクールが紹介され、一躍モリー・ルイスは世界的に希少なウィストラー演奏家として知られるようになる。

 

 また、モリー・ルイスは、国際コンクールにおいて優勝経験があり、2015年、ロサンゼルスで開催されたマスターズ・オブ・ホイッスルコンクールのライブバンド伴奏部門で受賞を果たしています。その後、2021年に、米インディアナ州のインディーレーベル、JaguJaguwarとの契約に署名し、EP「The Fogotten Edge」をリリースして、初めてソロアーティストとしてのデビューを飾っています。

 

 

 モリー・ルイスは、自身の口ぶえの演奏を「人間のテルミン」と言うニュアンスで話していらっしゃいますが、ウィストラーという表現、現代としては忘れされてしまった演奏技術において、 口笛を吹くことの意義について、以下のように語っています。

 

なぜ口笛を私が吹くのかといえば、それはコミュニケーションをするということに尽きるでしょう。その他にも、私にとって口ぶえを吹くということは、創造すること、身振りをすることと同じようなものです。つまり、悲しみと喜びという2つの原初的な感情を最もよく表現するのにぴったりなのがこの口笛という楽器なんです。 


 

 インタビュー中にも、相槌や言葉の代わりに口ぶえを、朗らかに、たおやかに吹くモリー・ルイス。彼女にとって、口ぶえというのは、ごく一般の人々が言語の伝達表現をするのに等しい役割を持っています。そして、年々、言葉ばかりが現代の人間は発達し、言葉の持つ意義、そして、ニュアンスが先鋭的になっていくように感じられますけれども、必ずしもそうであるべきではないんだということを諭されるようです。モリー・ルイスの音楽は、直截的な言語だけが、必ずしも人間の伝達の手段ではない。その他にも、様々な感情表現がある、ということを私達に教唆してくれているのかもしれません。

 

 

 

 

Molly Lewis

 

 

 

 

 

 

 「The Fogotten Edge」 EP jagujaguwar 2021 

 


 Molly Lewis「The Fogotten Edge」

 


Tracklisting

 

1.Oceanic Feeling

2.Island Spell

3.Balcony for Two

4.The Fogotten Edge

5.Satin Curtains

6.Wind's Lament


 

 

 今年7月にアメリカのインディーレーベル"Jagujaguwar"と契約してリリースされたシングル「Fogotten Edge」。作品中のサウンドに漂うノスタルジア、そして、口笛の持つこれまでに見いだされなかった魅力を伸びやかに表現した作品として、一躍各方面のメディアで注目を浴び、ザ・ガーディアン、ニューヨーク・タイムズをはじめ著名なメディアによりこの作品は紹介されています。この最初のミニアルバム「The Fogotten Edge」ロサンゼルスのハリウッド近くに住むモリールイスが、そのノワール的な雰囲気の一角に因んでアルバムタイトルが名付けられたようです。

 

 既に、モリールイスが話している通り、この最初の作品に収録されている、口笛、サックス、オーケストラヒット、シロフォンといった珍しい楽器を取り入れた複数の楽曲は、もちろん、言うまでもなく、古い時代のフィルム・ノワールサウンドをモダンエイジに復刻させようという意図で生み出されており、それはルイス自身のエンリコ・モリコーネやアレッサンドロ・アレッサンドローニの映画音楽に対する深い敬愛に満ちています。ハリウッドで映画製作を専門に学んだ人間だからこそ生み出せる内奥まで理解の及んだ映画音楽の表現は、映画を愛する人はもちろんですが、そして、そういった往古の映画音楽を知らぬ現代の人にも大きな安らぎを与えてくれるでしょう。

 

 この作品において、モリー・ルイスの紡ぎ出す口笛の表現というのは一貫して伸びやかであり、ほのかな清々しさによって彩られています。そして、なんといってもデビュー作ではありながら、綿密に世界観が確立された作品といえるでしょう。アルバム全体を通して紡がれていくのはノワール的な世界。それはまったく、現代とは切り離されたような時間概念を聞き手にもたらし、その中に浸らさせてくれることでしょう。ここで表現されているノワールの世界、それはなんとも聞く人に、陶然としたノスタルジア、哀愁、古い時代へのロマンを喚起させる。それはモリー・ルイスの映画にたいする深い愛情、慈しみの眼差しがほんのりとした温かみをもって注がれているからでしょう。

 

 口笛、ウィストラー、という忘れ去られたかのように思える人間の感情表現、そして、フィルム・ノワールというもうひとつの忘れ去られた表現、この2つの表現を芸術の要素を交え、2020年代において復権を告げようとする画期的な作品といえそうです。まだ一作目のリリースではありながら、異質な才覚を感じさせるデビュー作品です。





「Ocean Feelings」 Single  jagujaguwar  2021 

 

 

Molly Lewis 「Oceanic Feeling」  

 

 

Tracklisting

 

1.Oceanic Feeling

 

 こちらはEP「The Fogotten Edge」に先駆けて発表されたシングル作。この楽曲はアルバムにも収録されています。そして、最初のモリー・ルイスのリリースともなったデビューシングル。リリースされるまもなく、複数の海外のメディアが取り上げたという点ではEPと変わりはないでしょう。

 

 この最初の作品で既にモリー・ルイスは独自のモリコーネサウンドを完全に確立しており、全くブレることのないフィルム・ノワールの世界観を再現させています。この音楽を聴いて唸るしかなかったのは、これほど強固な世界観を音楽として完成させるというのがどれほど大変なことなのか痛感しているからです。

 

 もちろん、このデビュー作でのモリー・ルイスの口ぶえの芸術表現というのは、彼女の話している通りで、オーケストラ楽器、テルミンのような独特な響きを持ち、聞き手を陶然とした境地に導いてくれるはず。

 

 そして、その口ぶえの音は、子供のような伸びのびとした表現でありながら、そこには深い幻想的なロマンチズムの説得性が込められている点にも着目したいところです。

 


Lightning Bug

 

Lightning Bug

ライトニング・バグは、Audrey Kang、Kevin Copeland,Logan Mmiley、Ddane Hhagen、Vincent Pueloによって、NYで結成されたインディー・ロックバンドです。

 

結成当初は3ピース形態でバンド活動を行っていましたが、Ddane Hhagen、Vincent Puelo、が加入し、現在は五人編成となっています。

 

2015年、自主製作盤の「Floaters」を発表した後、これまでDinosaur.Jrや坂本慎太郎といったオルタナの大御所の作品リリースを行っているミシガンのインディー・レーベル"Fat Possum Records"と契約し、実質上のデビュー・アルバム「October Song」を発表。2021年には、同レーベルから二作目「A Color of the Sky」をリリースしています。

 

ライトニング・バグの陶酔感に満ち溢れた耳触りのよい音楽性を形作しているのは、フロントマンを努めるAudrey Kangの清涼感のあるボーカル、そして、温かく包み込むような質感を持ったポップセンスに尽きるでしょう。バンドサウンドの風味は、シューゲイザー、ドリーム・ポップの中間点に位置し、不可思議な幻想性がほのかに漂う。

 

特に、2015年に発表された自主製作「Floaters」は、2010年代のインディー・ロックの隠れた名盤の1つとして挙げておきたい作品です。

 

ライトニング・バグの主要な音響世界を構築するAudrei Kangは、既にリリースされた三作のスタジオアルバムにおいて独特な世界観を構築しており、同郷NYの日本人ボーカル"ユキ"の在籍するAsobi Seksuに近い、幻想的な質感をもったドリーム・ポップ・ワールドが展開され、そのサウンドの美しさというのは、バンド名に象徴されるように、宵闇のかなたに幻想的に漂う、夏のホタルの淡い瞬きにもたとえられます。

 

今後、アメリカのインディー・ロックシーンで脚光を浴びそうなキラリと光るセンスを持ったバンドです。

 

 

 

・「Floaters」 2015 1070382 Records DK2


Tracklist:

 

1.Lullaby No.2

2.Bobby

3.11 but not any more

4.Garden Path Song

5.Gaslit

6.The Sparrow

7.A Sunlit Room

8.Labyrinth Song

9.Luminous Veil

10.Real Love

 

 

 

ライトニング・バグの自主製作アルバムとなる「Floaters」。  この作品では荒削りながらもこのバンドの後の才覚の萌芽が見いだされます。後二作のアルバムと比べると、ドリーム・ポップというより、シューゲイザーの雰囲気が強く、Ride、苛烈なディストーションサウンドが鮮烈な印象を放っています。

 

しかし、 近年のこれらのジャンルに属するバンドと明確な違いが見いだされ、その独自性がこのバンドの印象を強固にしている。この作品で提示されるインディー・ロックサウンドは、刺々しいシューゲイザーサウンドでなく、温かく包み込むような労りをもったいわば癒やしのロックサウンド。1990年代に活躍した、アメリカの幻の伝説的ドリーム・ポップバンド、Alison's Haloに比する奇妙な温みを漂わせるものがあります。

 

もちろん、この作品「Floaters」の魅力はそういったシューゲイズサウンドにとどまらず、「The Sparrow」に代表されるクラシックピアノを使用した古典音楽、ロマン派の音楽への憧憬。「A Sunlit Room」に見受けられる電子音楽のアプローチを交えた新世代サウンドの追究性にあり。時代性を失ったようなサウンドの雰囲気は、聞き手にノスタルジアを与えてくれるはずです。 

 

 

 


・「October Song」2019 Fat Possum Records 


 

Tracklist:

 

1.(intro)

2.The Lotus Eaters

3.Vision Steps

4.The Luminous Plane

5.The Roundness of Days

6.The Root

7.I Looked Too long

8.September songs

9.Octorber Songs Pert.Ⅱ

 

 

 

ファット・ポッサム・レコードとの契約した後に発表されたデビュー作。前作に引き続きライトニングバグの主要な音楽的な骨格ともいえる、インディー・フォーク、シューゲイザー、テクノポップの3つの要素がより、強い色彩となって表れ出たかのような雰囲気も見受けられます。

 

今作において、Audrey Kangは、前作の音楽的な情景をなぞらえたわけでなく、ここで新たな情景をときには真実味を持って、ときには幻想性を携えて音楽という空白のキャンバスに異なるシーンを描き出しています。

 

その「音の絵」とも呼ぶべきニュアンスは、ポートランドを拠点に活動していたGrouperのインディーフォーク性に近い、暗鬱なアトモスフェールによって彩られている。それはリズ・ハリスの描き出すようなアンビエントドローンのもつアヴァンギャルド性に接近していく場合もある。

 

けれども、ライトニンバグは、今作品において、危うい寸前で踵を返すと称するべき絶妙なサウンドアプローチを図っていることに注目したい。グルーパーのような、完全なダークさにまみれることを自身の生み出す音楽性に許容するのかといえば誇張になってしまう。


この作品において、ライトニング・バグが描き出す音響世界は、徹底して幻想的な世界観でありながら、最初期の作品「Floaters」で、Audrey Kangが構築した陶酔的な恍惚、美麗な叙情性に彩られています。

 

その質感は、グルーパーのリズ・ハリスの描き出す情景とは全く対極に位置する。五、六曲目で、アンビエントドローンに近い曲調が一旦最高の盛り上がりを迎えた後、八曲目の「September Rain」では、嵩じた曲調に一種の鎮静が与えられ、アルバムの世界の持つ世界も密やかに幕を徐々に閉じていく。

 

今作品は、ギター・ロックの音響的な拡張性を試みた実験的作品ですが、そこまでの気難しさはなく、初めてこの作品に触れたとしても、何らかの親近感を見出してもらえるはずです。

 

 

・「A Color of the Sky」 2021 Fat Possum Records  

 

Tracklist:

1.The Return

2.The Right Thing Hard To Do

3.Spetember Song pt.Ⅱ

4.Wings Of Desire

5.The Chase

6.Songs Of The Bell

7.I Lie Awake

8.Reprise

9.A Color Of The Sky

10. The Flash

 

 

 現時点のライトニング・バグの最高傑作といえるのが、通算三作目となるアルバム「Color of the Sky」です。この作品も前作と同じくファットポッサムレコードから発表された作品です。

 

この作品は、アルバムアートワークに描かれた美しい青空に架かる虹が、実際の音のニュアンスの全てを言い表しているといえるかもしれません。前作の暗鬱さとは打って変わり、ぱっと雨模様の空が晴れわたったかのような清々しさに彩られ、何か、聴くだけで気持ちが晴れ渡るような楽曲が多く収録。また、音楽性の観点から言うなら、上記二作品に比べ、シューゲイザーサウンド、苛烈なギターロックサウンドの雰囲気は薄れそれとは正反対の流麗なドリーム・ポップサウンドをこの作品において、ライトニング・バグは完全に確立しています。


注目したいのが、Audrey Kangの歌唱法が美しくなったことです。Kangのヴォーカルは、大きく腕に包み込むかのような温かさが満ち溢れています。これを母性的な愛情と称するべきなのかは微妙なところですが、それに比する神々しい慈しみのような声質が上記二作に比べると、顕著に滲み出ている。


そこには、もちろん、ローファイ寄りのギターサウンド、まったりしたドラミングというこれまでのバンドサウンドが円熟味を醸し出したこと、それから、今作から、メロトロンやストリングスが導入された点が、ライトニング・バグの音楽に新鮮味を加え、さらに説得力あふれるものたらしめている主だった要因なのでしょう。

 

最初期からのインディー・ロックバンドとしての矜持を持ち合わせつつ、マニアックさという慰めに逃げ込まないのが見事です。ビートルズの後期のアートポップ性に近い質感をもった楽曲「The Return」、それから、何となく、穏やか〜な気持ちにさせてくれる「The Right Thing Is Hard To Do」といった楽曲は聞き逃がせませんよ。


また、表題曲「The Color of the Sky」において、既存の作品にはなかったストーリー性が加味されていることにも着目しておきたい。聴いていると、心がスッと澄み渡るような美しさに満ち溢れた作品。ドリーム・ポップやシューゲイズ、インディー・ロックファンは、是非とも聴いてもらいたい傑作の1つです。

 

 

 



・「Waterloo Sunset」 2020 Fat Possum Records


 

 

シングル盤についても、一作紹介しておきましょう。 2020年、ファット・ポッサムからリリースされた作品「Waterloo Sunset」は上記の最新作「A Color of the Sky」の呼び水となった楽曲で、美しい情景を目に思い浮かばさせるような傑作です。

 

昔の名歌謡を彷彿とさせるインディー・フォークの楽曲で、淡い哀愁やノスタルジアを感じさせてくれるでしょう。

 

ヒーリング・ミュージックではないのに、癒やし効果抜群。Audrey Kangの美しい包み込むような自然な歌声が魅力、悠久の時の果てに迷い込むかのような美しさに癒やされます。



 Kiasoms

 

キアスモスは、アイスランド、レイキャビクのテクノユニット。

 

ポスト・クラシカルシーンでの活躍目覚ましい、既に英国アカデミー賞のテレビドラマ部門での最優秀賞、「Another Happy Day」「Gimmie Shelter」のサウンドトラックも手掛けるオーラブル・アルノルズ、同郷レイキャビクのエレクトロミュージシャン、ヤヌス・ラスムッセンの二人によって2009年に結成されている。


オーラブル・アルノルズ、アコースティック・ピアノを下地に、ヤヌス・ラスムッセンのシンセサイザー、二人のアーティストの持つ音楽性を見事にかけ合わせた秀逸なエレクトロ・ポップを体現し、銘々のソロアーティストとしての作品とはまた異なる妙味を生み出す。


キアスモスは、2009年にファーストリリースのEP「65/Milo」を電子音楽を専門にリリースする英国のインディーレーベル、Erased Tapesから発表する。2014年にはファースト・アルバム「 Kiasoms」を同レーベルから発表し、高い評価を受けている。


この1stアルバム「Kiasmos」は、オーラブル・アルノルズがレイキャビクに設立したサウンドスタジオで制作された作品。


楽曲の大部分は、ドラム、生演奏の弦楽四重奏を音響機器を使用して録音し、そして、トラックの上に、ドラムマシン、テープディレイを多重録音した作品。この作品で、オーラブル・アルナルズがグランドピアノを演奏し、ヤヌス・ラスムッセンがその演奏に同期する形で、ビート、グリッチ、オフフィールドと様々な音色とリズムを電子楽器により実験的に生み出す。


2015年11月には、ベルリンのスタジオでパーカッションとシンセサイザーの生演奏を実験的に融合したEP作品「Swept」を同Erased Tapesからリリース。この年から、キアスモスは、世界ツアーを行うようになり、エレクトロニックアーティストとして知られていく。


2017年には、ブレイクビーツ、チルアウトシーンで名高いミュージシャン、サウンドプロデューサーとして活躍するBonobo、サイモン・グリーン。そして、ドイツのエレクトロミュージシャン、サウンドプロディーサー、Stimmmingがリミックスを手掛けた「Bluerred」をリリース。エレクトロシーンで大きな注目を集めるようになっている。


Kiasmosの音楽性は、イギリスのエレクトロ、アメリカのハウスシーンとは異なり、レイキャビクのアーティストらしい美麗な感性によって華麗に彩られている。アイスランド、レイキャビクで盛んなエレクトロニック、弦楽器などのオーケストラ楽器を交えたフォークトロニカやトイトロニカともまたひと味異なる雰囲気を持った音楽性がこのユニットの最大の強みといえるだろうか。一貫した冷徹性、それと相反する熱狂性をさながらトラックメイクでのLRのPan振りのように変幻自在に生み出すのが醍醐味だ。

キアスモスの楽曲は、このユニットの壮大な音楽実験というように称せる。独特な清涼感を滲ませ、二人の秀逸な音楽家の紡ぎ出すミニマルフレーズを緻密かつ立体的に組み合わせていくことにより、徐々に、渦巻くようなエナジーを発生させ、楽曲の終わりにかけ、イントロには見られなかった凄まじい化学反応、大きなケミストリーを発生させる。


アイスランド、レイキャビクのアーティストらしいと称するべき個性的な音楽性、世界観を擁した独特な音楽を生み出すクールなユニットで、創造性においても他のアーティストに比べて群を抜いている。今、最も注目すべきエレクトロアーティスト、ユニットと呼ぶことが出来るだろう。 

 

kiasmos

"kiasmos" by Mai Le is licensed under CC BY-NC 2.0


 

 

 

 Kiasmosの主要作品



「Kiasmos」 2014 Erased Tapes



 
 


1.Lit
2.Held
3.Looped
4.Swayed
5.Thrown
6.Dragged
7.Bent 
8.Burnt



  Listen on Apple Music



以前に先行リリースされた「Looped」に加え、新たな作品を再録した作品。

 

今作を聴くと分かる通り、北欧のエレクトロには英国のアーティストと異なる音楽性が感じられる。そこには何か、英国よりも寒々しいアイスランドの風景が連想されるが、厳しい雰囲気の中にもきわめて知的な創造性というのがなんとなく見い出すことができる。


そして、このアーノルズ、ラスムッセンという同郷のユニットの独特な作曲法、近年流行りのミニマルという手法もまた英国のアーティストの作風と性質が異なり、ひたすら静かなエナジーが内側にひたひたと向かっていく。


興味深いことに、その核心とも呼ぶべき中心点に達した瞬間、冷やかかな感慨が反転し、異質なほどの奇妙な熱量、エネルギーを発生させる。アーノルズの紡ぎ出すシンセサイザーのフレーズは、徹底して冷静かつ叙情的ですが、他方、ラスムッセンの生み出すリズムというのは奇妙な熱を帯びているのだ。


それは、「Thrown」「Looped」という秀逸な楽曲に見られる顕著な特質。つまり、この二人の相反するような性質が絶妙な具合に科学的融合を果たし、上質な電子音楽、言ってみれば、これまで存在しえなかったレイキャビク特有のエレクトロが発生する。


一貫してクールでありながら熱狂性も持ち合わせている。これがアイスランドという土地の風合いなのかもしれないと感じさせる何かが、深い精神性、この土地に対する深い愛着が込められている。


電子音楽によって緻密に紡がれていくサウンドスケープ(音から想像される風景)は、本当に、容赦のないさびしさであるものの、しかしながら、その中にじんわりとした人肌の温み、胸が無性に熱くなるような雰囲気もなんとなくではあるが感じられる。


そして、この二人の音楽家の熱狂性が最高潮に達し、凄まじいスパーク、電光のようなエナジーを放つのが「Bent」「Burnt」という2曲。これらの終盤部の盛り上がりは、IDMの落ち着きがありながら、フロアの熱狂にも充分通じる奇妙な音楽性といえる。


もちろん、このデビュー作は、文句の付けようのないエレクトロの2010年代の名作。キアスモスの音の指向性は、どことなくイギリスのブレイクビーツの大御所、サイモン・グリーンの音楽性になぞらえられる。緻密さと沈着さを持ち合わすボノボよりもはるかに激しいパッション、二人の熱さが感じられるのがキアスモスの音楽。


英エレクトロと、アイスランドのフォークトロニカを融合した甘美で独特なダンスミュージックといえ、これまでのエレクトロに飽食気味という方には、願ってもみない素晴らしいギフト。

 

 

 「Blurred」2017 Erased Tapes 



 




1.Shed
2.Blurred
3.Jarred
4.Paused
5.Blurred-Bonobo Remix
6.Paused-Stimming Remix



Listen on Apple Music  



現在、ロサンゼルスを拠点に活動するBonoboこと、サイモン・グリーン、ドイツのサウンドプロデューサー、Stimmingのリミックス曲を追加収録したキアスモスとしては二作目のスタジオ・アルバム。


今作品「Blurred」は、前作からのミニマル的な音の立体的な構造性、そしてその内側に漂う電子音楽としての叙情性を引き継いだエレクトロの快作。

しかし、前作には、内側に渦巻くようなすさまじいエナジーが漂っていたのに対し、今作はどちらかといえば、まるでパッと霧が晴れたような爽快感のある雰囲気も揺曳している。

そのあたりの、これまでのキアスモスの作品にはなかった妙味が感じられるのが表題曲の「Blurred」。とりわけ、この作品のボノボリミックスヴァージョンは原曲とは異なるリミックス作品に仕上がっている。このあたりは、サイモングリーンのプロデューサーとしての天才的手腕が垣間見えるよう。


その他、フォークトロニカ、トイトロニカとの共通性も見出す事のできる「Shed」は朝の清涼感のある海辺の風景を思い浮かばせるような、何かキラキラした輝きを放つ、爽快感のあるエレクトロの楽曲であって、キアスモスはまだ見ぬエレクトロの境地を開拓してみせた。


もちろん、前作のようなクールな内向きなエナジーがなりを潜めたわけではなくて、今作にもその曇り空を思わせるような暗鬱かつクールなエナジー、そこから汲み出される独特で奇妙なほど癖になるエレクトロ性は、「Paused」「Jarred」といった良質な楽曲群にも引き継がれていて、前作に比べると楽曲の方向性に広がりが出たのを感ずる。


そして、この作品の肝というべきなのは「Blurred」に尽きる。この楽曲は、2010年代後半のエレクトロの最高峰の一曲と言ったとしても誇張にはならない。


極めて微細な小さな楽節を組み合わせていき、独特なエモーションに彩られた美しい電子音楽の建築物が見事なまでに築き上げられている。この楽曲、及び、リミックス作品は、アイスランドの秀逸な二人の音楽家、サイモン・グリーンの生み出した新しい「電子音楽の交響曲」にほかならない。

 

 

「Swept」 EP 2015 Erased Tapes



 



1.Drawn

2.Gaunt

3.Swept

4. Swept-Tale Of Us Remix



Listen on Apple Music



そして、上記二作のスタジオ・アルバムとは少し異なるキアスモスの音楽のニュアンスを味わう事のできる快作が「Swept」である。

上記の作品に比べると、音にスタリッシュさがあり、その中にフォークトロニカ寄りのアプローチも込められてい、音作り、実際に紡がれる音にしても、精細な音の粒が感じ取られる。これはまさにこの二人の音楽家の耳の良さによるものといえる。


映画音楽、ゲームサントラ等の音楽性にも比する劇伴寄りの音楽性が感じられるのが、リードトラックの「Drawn」。クラブミュージックであり、この何かストーリテリング音楽ともいうべき、物語性を電子音によって深めていく作曲法の手腕こそ、オーラブル・アーノルズの類稀なる天才性である。

 

もちろん、ヤヌス・ラムヘッセンの生み出す独特なブレイクビーツ寄りの実験的なビートの追求性がアーノルズの生み出す音楽観を説得力溢れるものにし、さらに魅力的にしている。


二曲目に収録されている「Gaunt」は、キアスモスの音楽性の王道を行く、シリアスさ、内向きなエナジーを独特な雰囲気の漂う名曲だ。また、表題曲「Swept」はラムヘッセンの生み出す躍動的なリズム性が全面に引き出された楽曲、ゴアトランスとまではいかないけれど、フロア向けに作られた2steps寄りのクールなダンス・ミュージックとして必聴である。



Featured  Track 「Thrown」Live On KEXP


https://m.youtube.com/watch?v=FhJuLSuKrMo


Shannon Lay 


Shannon LAY ... 

 

SUB POPといえば、80-90年代のシアトルのグランジシーンを牽引したアメリカでも最重要インディペンデントレーベルであることをご存知の方は多いハズ。

かつて、Nirvanaを世に送り出し、Green River、Mudhoney,TADといったシアトルグランジの代表格を数多く輩出、90年代のアメリカのインディー・ロックシーンを司っていたレコード会社です。 しかし、2010年代くらいからはアメリカではロックシーンが以前に比べると下火になったのはたしかで、近年このレーベルから90年代のような覇気を持ったバンドが台頭してこなかったのも事実。

最近のサブ・ポップはどうなってるのかと言えば、 90年代よりも取り扱うジャンルの間口が広くなっていて、近年のリリースカタログをザッと見わたした感じ、アメリカ出身のインディー・ロックのマニア向けのアーティストを取り扱っており、その中には、コアなクラブ・ミュージック、R&B系統のアーティスト、ラップ系アーティストのリリースも積極的にリリースするようになっています。

このあたりは、サブ・ポップもさすが、昨今のアメリカのインディー・シーンの売れ線に対して、固定化したシーンの一角に、一石を投ずるかのような鋭〜い狙いを感じます。その一石がどのような波紋を及ぼすのか、かつてのニルヴァーナのように、ミュージックシーンを揺さぶるようアーティストが出てくるのかは別としても、サブ・ポップが、なんとなく全盛期の勢いを取り戻したようなのを見るにつけて、熱烈なインディー・ロックファンとしては嬉しいかぎり。

さて、NYのラナ・デル・レイを筆頭に、シャロン・ファン・エッテン、エンジェル・オルセンといった個性的な面々がシーンの華やかに彩るアメリカのインディー・ロック/フォークシーンにおいて、知性の溢れる音楽を引っさげて、サブ・ポップから満を持して台頭した女性シンガーソングライターがいます。

"Shannon LAY ..." by Patrice Calatayu Photographies is licensed under CC BY-SA 2.0

この”シャノン・レイ”という赤髪のひときわ素敵な女性SSWは、現在、2020年代のサブ・ポップレーベルが一方ならぬ期待をこめて送り出すミュージシャンです。レーベル公式のアーティスト紹介の力の入れようを見るかぎり、会社側もこのアーティストに相当な期待を込めている雰囲気が伝わって来ます。

彼女の2021年発表の最新スタジオ・アルバム「Geist」の完成度に対してレーベル、アーティスト双方が「よし、これは行ける!」と大きな手応えを感じているからなのでしょう。

作品紹介に移る前に、このシャロン・レイのバイオグラフィーについて簡単にご説明しておきましょう。 シャノン・レイは、カルフォルニア、レドンド・ビーチ出身のミュージシャン。

13歳の時からギターの演奏に親しみ、17歳の時、生まれ故郷レドンドビーチを離れて、LAに向かう。ほどなくして、Facts on Fileというロックバンドのリードギタリストとして活動。

その後、Raw Geronimoというロックバンドに参加。このバンドは、後に”Feels”と名乗るようになる。シャノン・レイはFeelsのメンバーとして「Feels」2016、「Post Earth」2019の二作のオリジナル・アルバムをリリースしていますが、レイはこのFeelsというバンドを2020年1月に脱退しています。

このロックバンドFeelsの活動と並行して、ソロアーティスト”シャノン・レイ”としての活動をはじめる。最初のリリースは、Bandcamp上で楽曲を展開した「Holy Heartache」2015となるが、この作品について「バンドキャンプで作曲した楽曲を公開しただけに過ぎず、公式な作品であるとは考えていない」と彼女自身は語っています。

その後、"Do Not Disturb"から10曲収録のスタジオ・アルバム「All This LIfe Gonig Down」を発表し、SSWとして正式にデビューを果たす。

その後、二作目のアルバム「Living Water」をWoodsist/Mareからリリース。さらに、2019年、シアトルの名門”SUBPOP”と契約を結び「August」を発表。2021年、最新作「Geist」をリリース。

この作品はアメリカの音楽メディアを中心に大きく取り上げられており、好意的な評価を受けています。他にも「Sharron Lay on Audio Tree Live」2018「Live at Zebuion」2020と二作のライブアルバムを発表しています。


Sharron Layの主要作品


「All This Life Going Down」2016  Do Not Disturb 

 

 

 

TrackLists

1.Evil Eye

2.All This Life Going Down

3.Warmth

4.Anticipation

5.Leave Us

6.Backyard

7.Parrked

8.Ursula Kemp

9.Thoughts of You

10.Jhr

 

シャノン・レイの公式なデビュー作「All This Life Going Down」。フォーク音楽、あるいはケルト音楽に近い雰囲気の清涼感のある格式あるフォーク音楽としてのイメージを持つシャノン・レイは、このデビュー作にて、その才覚の片鱗を伺わせつつある。

ローファイ感あふれるインディーロックを展開しており、ディレイ/リバーブを覿面に効かせたインディー・ロックが今作では繰り広げられていますが、その中にも何となく、ケルト音楽に近い民謡的、あるいは牧歌的な雰囲気を感じさせる楽曲が多い。アメリカをはじめとする多くの音楽メディアはこの音楽について、ベッドルームポップと称しているようですが、今作は民謡的な音楽性をインディー・ロック、ローファイとして表現していると評することが出来るかもしれません。

今作においてのシャノン・レイの音楽は徹底して穏やかで知性のあふれる質感によって彩られています。ディラン、サイモン&ガーファンクルに代表されるような穏やかで詩情あふれる清涼感のあるアメリカンフォークをよりコアなオルタナティヴ音楽として現代に引き継いだと言う面で、後年のシャノン・レイの音楽性の布石となる才覚の片鱗が感じられる知性あふれるフォーク音楽。詩を紡ぐように歌われるヴォーカル、ナイロンギターの指弾きというのも真心をこめて丹念に紡がれていく。なおかつ、ゆったりした波間をプカプカと浮かぶような雰囲気があり、これは彼女の故郷、カルフォルニア、レドンド・ビーチに対する深い慕情にも似た「内的な旅」なのか。

シャノン・レイは、ボストンの”Negative Approach”をはじめとするDiscord周辺のハードコア・パンクに深い影響を受けているらしく、ロックとしての影響は、この陶然として雰囲気を湛えるインディーフォークに表面的にはあらわれていない印象を受けますが、 ハードコアパンクのルーツは、彼女のフォーク音楽に強かな精神性、思索性を与え、音楽性をより強固にしているのかも知れません。

アルバム全体として、穏やかで、まったりとした空気感の漂うデビュー作。近年のアメリカのインディーシーンには存在しなかった旧い時代の民謡にも似た温かな慕情に包まれている。

 

「Living Water」2017 Woodsist/Mare

 

 

 

TrackLists

1.Home

2.Living Water

3.Orange Tree

4.Caterpiller

5.Always Room

6.Dog Fiddle

7. The search for Gold

8.The Moons Detriment

9.Recording 15

10.Give It Up

11.ASA

12.Come Together

13.Coast

14.Sis

 

海際の崖に座り込むシャノン・レイを写し込んだアルバムワークを見ても分かる通り、前作の牧歌的でありながらどことなく海の清涼感を表現したような作風は、二作目「Living Waterにおいてさらなる進化を遂げています。

一作目はアメリカンフォークに対する憧憬が感じられましたが、今作はさらにその詩的な感情は、美麗なヴァイオリンのアレンジメントにより強められたという印象を受ける。

前作に続いて、ディラン直系のフォークが展開されていきますが、このストリングス・アレンジによる相乗効果と称すべきなのか、アメリカンフォークというよりケルトの伝統楽器フィドルを用いた「ケルト音楽」にも似た音楽の妙味が付加されたという印象を受けます。

このスタジオ・アルバムの表向きの表情ともいえる表題曲「Living Water」に代表されるように、前作に比べて音楽性はより内面的な精神のあわいを漂いつつ、そのあたりの外界と内界の境界線にうごめく切なさがこの音楽において、前作のようなアコースティック弾き語りのフォーク音楽により表されています。前作が爽やかさを表したものなら、より今作は、悲しみとしてのフォーク音楽が体現されているようにも思えます。

 しかし、そういった主要な楽曲の中に「Caterpiller」「Always Room」で聴くことの出来る心休まる牧歌的なフォーク音楽もまたこのアルバムの見逃せない聞き所といえる。これは2020年代のアメリカの男性ではなく、女性によって紡がれる新たなフォーク時代の到来の瞬間を克明に捉えた作品。

 

「August」2019 Sub Pop 


 

 

TrackLists


1.Death Up Close
2.Nowhere
3.November
4.Shuffing Stoned
5.Part Time
6.Wild
7.August
8.Sea Came to Shore
9.Sunday Sundown
10.Something On Your Mind
11.Unconditional
12.The Dream
 

シアトルの名門インディーレーベル「Sub Pop」に移籍しての第一作「August」でよりシャノン・レイの音楽性は一般的なリスナーにも分かりやすい形となってリスナーに対して開かれたと言えるかもしれません。

二作目に続いて、ストリングス・アレンジを交えて繰り広げられるギャロップ奏法を駆使したシャノン・レイのアコースティックギターの演奏は精度を増し、トロット的な軽快なリズム性において深くルーツ音楽に踏み入れています。

もちろん、フォーク、カントリー音楽のルーツに対して深い敬意をにじませつつ、シャノン・レイの音楽はアナクロニズムに陥っているというわけではありません。そこにまた、新奇性や実験性をほんのり加味している点が今作の特徴であり魅力でもあります。さらには、レコーディングのマスタリングにおいて、豪華なサウンド処理が施され、ルーツミュージックの影響を漂わせながら、ポップ音楽として聞きやすく昇華された作品。

以前のリリース作に比べ、収録曲の一部には、サブ・ポップのレーベル色ともいうべきオルタナティヴ性も少なからず付け加えられた印象もあります。

噛めばかむほど、味わいがじわりと広がっていく渋みのあるフォーク音楽。今作ではシャロンレイの才気がのびのびと発揮されています。

大いなる自然の清涼感を感じさせる牧歌的でさわやかな雰囲気は次作の布石になっただけではなく、最早、シャロン・レイの音楽性の代名詞、あるいは重要なテーマのひとつとして完成されたというような雰囲気も伺えます。特に、今作において、シャノン・レイのシンガーとしての才覚、音楽性における魅力は華々しく花開いたといえる。

 

「Geist」2021 Sub Pop 

 


 

TrackLists 

1.Rare To Wake
2.A Thread to Find
3.Sure
4.Shores
5.Awaken and Allow
6.Geist
7.Untitled
8.Last Night
9.Time's Arrow
10.July

2021年10月8日に前作と同じく「SUB POP」リリースされた「Geist」はドイツ語で「概念」の意味。

コラボレーション作で、Devin Hoff 、Tu Segallが参加、そしてプロデューサーにJarvis Taveniereを迎え入れたスタジオ・アルバムとなります。このシャノン・レイの最新スタジオ・アルバムで目を惹かれるのはサイケデリックフォークの第一人者、Syd Barretの「Late Night」のカバーのフューチャー。

アコースティックギターに歌という弾き語りのスタイルはこれまでと変わりませんが、ピアノ、エレクトリック・ピアノ、ストリングスアレンジの挿入をはじめ、パーカッションの導入にしてもかなりダイナミックな迫力が感じられる傑作となっております。

そして、以前の三作ではぼんやりとしていたような音像が今作は、より精妙なサウンド処理が施されているよりハッと目の醒めるような彩り豊かな叙情性溢れるサウンドが生まれ、そして、インディーフォーク作としてこれまでの歴代の名作と比べてもなんら遜色のない、いや、それどころかそれらの往年のフォーク作品をここでシャノン・レイは上回ったとさえ言い得るかもしれません。

これまでのレイの音楽性はより清涼感を増し、このフォーク音楽に耳を傾けていると、さながら美しい自然あふれる高原で清々しい空気を取り込むような雰囲気を感じうることができるでしょう。表題曲「Geist」をはじめ、「A Thread To Find」「Sure」と、フォークの名曲が目白押し、さわやかな癒やしをもたらしてくれるインディー・フォークの珠玉の楽曲ばかり。アルバム全体が晴れ晴れとした精妙さがあり、特に、ラストトラックを飾るインスト曲「July」を聴き終わった時には、音楽をしっかり聴いたというような感慨を覚え、音楽の重要な醍醐味、曲が終わった後のじんわりした温かな余韻を味わえるでしょう。

シャノン・レイの最新作「Geist」は、アメリカのフォーク音楽の2020年代を象徴するような作品で、これから女性アーティストのフォークがさらに盛り上がりを見せそうな予感をおぼえます。


 Mdou Moctar

 

エムドゥ・モクターは、1986年生まれ(1984年生まれという説あり)、西アフリカのサハラ砂漠南縁のサヘル地帯にあるニジェール共和国出身の英雄的なギタリスト。

 

このギタリストが、「砂漠のジミ・ヘンドリックス」との異名を取るのは、彼が左利きのギタリストであるということ、そして、そのテクニックには往年のヘンドリックスを彷彿とさせるサイケデリック性が余すところなく表現されていることによります。もちろん、このエムドゥ・モクターがエレクトリック・ギターの演奏をはじめる際には、その出生した地域性により、ひとかたでない障壁が数多く立ちはだかったようです。 

 


Mdou Moctar (15609545012).jpg

 

 

最初に、エムドゥー・モクターは、同郷出身のアブダラ・ウンバドゥーグーというギタリストのプレイに感銘を受け、エレクトリック・ギターに興味を抱くようになる。エレクトリック・ギターを始める時、両親から相当猛反対を受けたといいますが、それでも彼はエレクトリック・ギターを奏でたいという欲求を捨てきれなかったようです。

 

自転車のブレーキワイヤーをギターの弦代わりにし、四弦のギターを自前で生み出して、独学で演奏法に磨きをかけていきました。(これまでの近代ロック史において四弦ギターが存在したことはなく、革命的である)もちろん、最初、右利き用のギターで練習を重ねて、左利きのギターがプレゼントして贈られてまで自作のギターを使用していた。

 

エムドゥ・モクターは、同郷の数少ないエレクトリックギタリストの演奏に触発を受けつつ、最初、Youtubeの動画を介して、左利きのギタリスト、ジミ・ヘンドリックス、ヴァン・ヘイレンといった往年のサイケデリック・ロック、ハード・ロックの音楽性を吸収し、模範的であり創造性の高いギターヒーローの演奏を研究しつくし、独自の演奏法を生み出していきます。 

 

 

2008年、最初のスタジオ・アルバム作品「Anar」をナイジェリアのソコトで録音し、非公式で発表する。その音源は、当初きちんとした流通の形式をとっていなかったにも関わらず、携帯電話の音楽ネットワークを介し浸透していく。民族音楽やデザートブルースはあれども、ロック音楽の文化性がまだ浸透していない砂漠地帯に、エレクトリック・ギターサウンドを轟かせ、エムドゥー・モクターの名はサハラ砂漠のサヘル全域に轟く。

 

 

このアルバムの中の収録曲を、アメリカのBrainstormがカバーし、さらに、エムドゥー・モクターはヨーロッパでのツアーを敢行したことにより、この左利きギタリストの名は徐々に世界的に知られていくようになります。

 

2019年には、初めてフル・バンド形式でスタジオアルバム「llana」を発表。その翌年、米、ニューヨークの名門Matador と契約を結び、2021年に、「Afrique Victime」をリリース。この作品は、多くの世界の有力な音楽メディア、ローリング・ストーン、ザ・ガーディアン、ピッチフォーク等で取り上げられ、好意的な評価を受けています。

 

エムドゥー・モクターの楽曲は、6ビートの西アフリカの伝統音楽、民族音楽を下地にし、往年のジミ・ヘンドリックス、あるいは、ジェフ・ベック、初期のジミー・ペイジのようなサイケデリック・ロックを絶妙にマッチさせた世界で唯一の音楽性です。

 

また、エムドゥー・モクターの生み出す多くの楽曲は、アフロ・アジア圏に属するタマシェク語で歌われており、アフリカ特有の文化性、宗教、女性の人権についての歌詞が詩的に紡がれてゆく。

 

今、現在、アフリカで最初の世界的ギターヒーローとして、大きな注目を浴びているアーティストです。

 

久しぶりに、クリエイティヴィティ溢れるギターヒーローの誕生を予感させる雰囲気がありそうです。

 

 

 

 

「Sousoume Tamachek」2017

 

 

 

TrackListing 


1.Anar

2.Sousoume Tamachek

3.Tanzaka

4.llmouloud

5.Allagh N-Tarha

6.Nikali Talit

7.Amidini

8.Amer Iyan


基本的には、ヘンドリックスの転生を思わせる左効きのエレクトリックギタリストとして名を広めつつあるエムドゥー・モクター。

 

彼の民族音楽としての深いルーツが伺える作品が2017年の「Sousoume Tamachek」です。

 

ここで奏でられるモクターのアコースティックギターは、まるで目の前で演奏されているような生の質感に彩られている。モクターの瞑想的な思索性、自らの遊牧民トゥアレグ族の文化、ひいては、西アフリカの民族音楽や伝統音楽に対する愛情、そして敬意が込められた文化的に見ても魅力的な作品。
 

曲中で歌われるタマシェク語というのは、多くの人々にとって馴染みのない言語と思われますが、なぜかここで、詩的に紡がれる歌詞は自然味にあふれ、ホッとさせるような安らぎによって彩られている。
 

エムドゥー・モックが、今作において、糸巻きのように丹念に紡いで居るのは、正真正銘、西洋音楽に迎合しない西アフリカ特有の生粋の民族音楽。

 

東洋的な雰囲気も感じられる独特な旋律で、ギターのボディでリズムを刻み、アルペジオを駆使したアフリカの民族楽器の奏法を取り入れたギターの音色が特徴。またそこに絶妙に溶け込むエレクトリックギターのフレーズはやさしげな音色によって彩られている。

 

作品全体には、寧ろ古代的な雰囲気もありながら、新鮮な風味も漂っている。そして、深く聞き手に何かを考えさせるような思索性が感じられます。彼が紡ぎ出すタマシェク語の歌は、言語性にしても音楽性にしても、多くの他地域、また多民族の文化性の混交により育まれてきたように思えます。

 

実際の演奏は、地味に思えるものの、そこに、ただならぬ雰囲気がただよい、サハラ砂漠を思わせるような詩情性に満ちています。この作品において展開される民族音楽、伝統音楽としての一大叙事詩はアフリカ大陸の偉大な悠久の歴史を感じさせるものがあり、これは他の音楽ではまず味わいがたい渋みといえるでしょう。 

 

 

 

 

「lIna(The Creator)」2019 

 

  

 

TrackListing

 

1.Kamane Tarhanin
2.Asshet Akal
3.Inizgam
4.Anna
5.Takamba
6.Tarhatazed
7.Wiwasharnine
8.Ilana
9.Tumastin
 

 

 

これまでのロック史において、ビートルズ、TOTO、といったロックバンドがアフリカの伝統音楽に何らかの触発を受け、西洋的なアレンジメントを施した名曲を残してきましたが、このスタジオ・アルバムは、西洋的な文化性を極限まで削ぎ落としたロックンロールとして独特な輝きを放っています。

 

エムドゥ・モクターのタマシェク語の歌詞と、砂漠における詩情が滲んだ傑作です。70年代のジミ・ヘンドリックスやジェフベックの時代のハードロックが全盛期であった時代の音楽性に影響を受けつつ、そして、それを独自のアフリカ伝統音楽一色に染め上げているのがお見事といえるでしょう。

 

エムドゥー・モクターのギタープレイというのはクリエイティヴィティに富んでおり、最近のギタリストの多くが忘れてしまった表現性をギターの演奏によって引き出している。

 

とりわけ、モクターのギタプレイーは、同じ左利きのギタリスト、ジミ・ヘンドリックスに比する瞑想性を持ち、ギター一つでこれほど奥行きのある世界を生み出せるアーティストは現代の世界において彼を差し置いて他は見つかりません。

 

他の楽器に手を出さず、徹底してギターという楽器を信じぬき、さらに、その演奏力に磨きを掛け、ギターの音響性を誰よりも熟知しているから生み出し得た職人技といえるでしょう。 

 

他の楽器、特に、シンセサイザーをごく自然に取り入れるようになったロックバンドがシーンを席巻する中で、これだけギターという楽器だけを頼りに楽曲を組み立てて居るロックバンドは現代において希少と言えそう。これはエムドゥー・モクターという人物がギターの演奏が大きな表現力を有しているから、他の楽器パートを先導していくくらいの力強さを持っている。

 

このスタジオ・アルバムの中で聴き逃がせないのが#1「Kamane Tarhanin」でしょう。

 

この独特なアフリカ民謡的な世界、同じタマシェク語のリフレインが絶えずギターの演奏の上で紡がれ、どことなく深い瞑想的な音楽性を感じさせる。特に、曲の終盤から、モクターのソロプレイの独壇場となります。

 

この激烈なギタープレイは一聴の価値あり。最も脂が乗っていた時代の伝説的なロックギタリストたち、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのいた領域、つまり、神々の住む領域に差し掛かっている。世界的に見ても、その技巧性において一、二を争うほどの凄みを感じさせるものがあります。

 

 

 

「Afrique Victime」2021 

 

 




Tracklisting 


1.Chismiten

2.Taliat

3.Ya Habibti

4.Tala Tannam

5.Untitled

6.Asdikte Akai

7.Layla

8.Afirique Victime

9. Bismilahi Atagah

 

 

 

ニューヨークのMatadorレコードと契約を結んでリリースされた最新作「Afrique Victime」も、このアーティストが更に進化を続けているのを証明づけた作品です。表題に名付けられた「アフリカの犠牲」というののも深甚な社会的なメッセージを感じさせる意思が込められているように思えます。

 

特に、このレコードをリリースしたことにより、既に、エムドゥー・モクターは西アフリカのサハラ砂漠の辺境のギタリストでなく、世界的に発言力を持ったアフリカのアーティストとなったわけで、アフリカ人として世界に向けて、ギターで、また、タマシェク語により、アフリカ社会に蔓延する問題、人種、宗教、女性の権利であったり、その他さまざまなアフリカの伝統、文化性を世界に広めていく役割を担うアーティストに変わりつつある。

 

ここでは、アフリカの伝統音楽、6ビートの独特なリズム性、そして、風変わりなエスニック色を滲ませた旋律、和音という前作「Ilna」からの要素を引き継ぎ、録音、マスタリングの音自体が精細感を増したことで、乗数的にギタープレイも迫力感が増し、グルーブ感が引き出されています。

 

ジミ・ヘンドリックスが実在した時代のワイト島の伝説的なライブのようなロックンロールの荒削りで原始的な魅力を擁しており、なおかつ独特なギタリストとしての魔力とも称するべきものを、現代、ほとんどのロックバンドがロックンロールの意味を忘れてしまった時代に、ロックサウンドの本来のプリミティブな魅力を見事に復活させています。  


これほど熱狂的なギター・プレイをするアーティストは現代のミュージックシーン、ヨーロッパやアメリカには見つけることは困難になってきています。それほどギターを弾くことを、いや、かつてカート・コバーンが「死の木」と称したこのエレクトリックギターという楽器を、心の底から楽しんでいるような気配が滲み出ています。エムドゥー・モクターのギタープレイは、どこまでも純粋で、どこまでも突き抜けて居るがゆえ、上手く他のパートに溶け込み、独特な奥行きのある創造性を生み出し、現代には見当たらないアートとしてのギター音楽の孤高性を追求しているように思えます。


 

References

 

Guitar Magazine  エムドゥー・モクターとは何者か

 

 

Tower Records Online Mdou Moctor