ラベル Indie Folk の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Indie Folk の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

 

©Michael Tyrone Delaney


ブルックリンのシンガーソングライター、Fenne Lilyは、最新アルバム『Big Picture』のエクステンド・バージョンを発表しました。5曲のボーナス・トラックが収録される。拡張版は11月10日にDead Oceansからリリースされます。ボーナストラックとして収録される「Hollywood and Fear」のリリックビデオが発表と同時に公開されましたので下記よりチェック。アルバムの収録曲と同様に穏やかなインディーフォークサウンドに縁取られています。


「私は正しくありたいのか、それとも優しくありたいのか?」フェン・リリーは新曲の中で問いかけています。「それは、私が子供の頃、母にいつも聞かれたことです。だから、『ハリウッドと恐怖』は、いつ強くしがみつくべきか、いつ手放すべきかを見極めることを歌っています」 

 

 

「Hollywood and Fear」




Fenne Lily 『Big Picture (Expanded Edition)』



Label:Dead Oceans

Release: 2023/11/10


Tracklist:


1. Map of Japan

2. Dawncolored Horse

3. Lights Light Up

4. 2+2

5. Superglued

6. Henry

7. Pick

8. In My Own Time

9. Red Deer Day

10. Half Finished

11. Dial Tone (Bonus Track)

12. Hollywood and Fear (Bonus Track)

13. Cathedral (Bonus Track)

14. 4 (Bonus Track)

15. In My Own Time (Demo)

 Sufjan Stevens 『Jevelin』 

 



Label: American Kitty 

Release: 2023/10/6


Review


米国のインディーフォーク界の雄、スフィアン・スティーヴンスは多くの人がご存知の通り、現在、困難な病と闘病中で、ギランバレー症候群の合併症により、歩行のリハビリ治療を受けている最中だという。


スフィアン・スティーヴンスの持ち味というのは、神秘思想に根ざした個性的な世界観とオーガニックな雰囲気を備えた、ほんわかした感じのフォーク・ミュージック。そういった独特な世界観は、2010年代の米国のフォークシーンの象徴的な存在として名を馳せることに一役買ったものと思われる。今年に入ってから、スティーヴンスは、バレエのための劇伴音楽『Reflections』を発表した。二台のピアノの連弾を駆使した彼のカタログの中でも重要な意味合いを持つスコアと称せる。

 

アルバムの冒頭を飾る「Goodbye Evergreen」に関しては、アーティストからのメッセージとも取れる。ピアノのミニマルな演奏を交えたスフィアン・スティーヴンスのフォーク・ミュージックが映画のサウンドトラックのような形でひとまず集大成を構築した。ここにはバレエのスコアを手掛けた経験が、こういった形のストーリー性のある楽曲を生み出したものと思われる。しかし、コーラス的な美しさが加わることで、これまでよりもアヴァン・ポップ/ハイパーポップのような方向性が選ばれている。ここには、神聖なるものへのロマンスが滲んでいるが、それは同時にサイケデリアに近い空気感が漂っている。そして、このアーティストが考えうる形の祝祭的なイメージに移行する。ここには、若い感性への別れが告げられていると推測出来る。


続く、「A Running Start」では、旧来のファンの期待に応えるべくオーガニックなインディーフォークを展開する。2021年のアルバム『Begginer's  Mind』の音楽性の延長線上にある自然味溢れるフォーク・ミュージックとして楽しめる。その後も、いわばオーガニックなインディーフォークの音楽性が続き、「Why Anybody Ever Love Me」ではアメリカーナの要素を交えて、エド・シーランのポップネスに近い、アンセミックな曲を築き上げている。特に、コーラスワークが秀逸であり、口ずさむような親しみやすいフレーズが堪能出来る。


これまでのスフィアン・スティーヴンスのインディー・フォークには、独特な内省的な感性が取り巻くようにして、その音楽の外形を構築することが稀ではなかったが、「Everything That Rises」はそういった表面性とは別の、内的感覚をいたわるような雰囲気に充ちている。以前よりも声はハスキーになり、スモーキーな渋みと味わいがあるが、その雰囲気を支えているのがアコースティックギターの弾き語りだ。その上にシンセのテクスチャーを重ね、シネマティックな音響効果を及ぼしている。これは以前にはなかった要素で、ここでも、劇伴音楽の制作に取り組んだ経験が多分に生かされている。スティーヴンスは音楽を介して、行間とイメージを中心とする御伽話や子供向けの絵本のようなストーリーを書き上げることで知られているが、このトラック周辺から、ストーリー性が加味され、物語が制作者の手を離れて徐に転がっていく。


「Genuflecting Ghost」では、指弾きによるアコースティックの繊細なアルペジオに、アンビエント風のボーカル、そしてその空気感をさらに高めるコーラスが合致し、ヘンリー・ダーガーの絵本のような世界観を生み出す。またコーラスワークは最終的にゴスペルのような音楽性が付加されることで、こういったフォークの構造性がある種の建築物のような強固な世界観を生み出していくのである。

 

これまでのスティーヴンスの作品では、それほど制作者の感情がガッツリと出ることが少なかったが、珍しく「My Red Little Fox」では、スティーヴンスは内面の感覚を直情的に表現しようとしている。それは確かにヤングともディランとも異なる、ニック・ドレイクの系譜にあるモダン・フォークという形であるが、この曲には、意外にも彼の古典的なフォーク・ミュージックに対するリスペクトが示されているように思える。


そして、やはり同じように、シネマティックな音響効果を交え、映画音楽とフォーク音楽の融合という新しい形式を生み出そうとしている。そして、それは子供の合唱等を交え、エンジェリックな雰囲気を生み出す場合もある。清廉な世界に対する制作者の憧憬が垣間見え、スティーヴンスの理想とする内的世界がフォーク音楽に色濃く反映されている。


従来、暗い曲を多く書いてこなかったイメージもあるけれども、続く「So You Are Tired」では、ピアノとギターという二つの起点にし、アルバムの他の曲とは対象的な暗鬱さのある内面世界をクリアに描出している。もちろん、明るさという性質は、暗さを見ぬ限りは生み出されず、暗さもまた明るさを見なければ生み出されないのである。

 

アルバムの中の主要なイメージを形成していた教会のゴスペルからの影響は、その後もそれほど目立たないような形で曲の中核を構築している。アルバムのタイトル曲「Jevelin」では、フォークとゴスペルを融合させて、最終的にはThe National、Bon Iverのようなプロダクションを追求しており、さらに、「Shit Talk」でも同じような音楽性が受け継がれている。 また、リズム的な側面からも変則的なビートを生み出すため、複数の実験を行っている。序盤の収録曲と同じように、一貫して神聖なイメージを生み出そうとしている。その後、一転して、多幸感にも近い清廉なイメージとは別の印象性がアルバムのクライマックスに立ち上がる。


「There's A World」では、2021年のアルバムにおける「禅」の考えが取り入れられ、アーティストによる、肯定的でもなく、否定的でもない、「中道の考え」が示されている。タイトルに見えるのは、原始仏教の奥義のひとつである「物象をあるがままに把捉せよ」という考え。畢竟、私見が入ると、物事の真実性が歪曲されてしまう虞があるということ。音楽は寧ろイデアを元にしながらも、概念から掛け離れたときに真価を発揮するため、これらの観念的な事象が音楽から解放された時、スフィアン・スティーヴンスの傑作が生み出されそうな予感がある。とにかく、今しばらく、ファンとしては、アーティストの早い回復を祈るしかないのかもしれない……。

 


 78/100




今週金曜日にリリースされるニュー・アルバム『Javelin』に先駆け、スーファン・スティーヴンスがシングル「A Running Start」を公開しました。ハンナ・コーエン、ミーガン・ルイ、ネデル・トリッシのヴォーカルをフィーチャー。この曲は、前作「Will Anyone Ever Love Me?」「So Tired」に続くシングルです。


先月、スティーヴンスはギラン・バレー症候群の合併症で入院していたことを明らかにしました。現在は歩行訓練のため、集中的な理学療法を受けています。一刻も早い恢復を心よりお祈りいたします。

 

「A Running Start」

©Alexa Viscius

 

Big Thiefは、来月リリースされる2023年のシングル「Vampire Empire」のB面に収録される7Inchのリリースに先駆けて、ライヴで人気の「Born for Loving You」のスタジオ・レンディションを公開した。

 

このシングルでは、最新アルバムよりもはるかにエイドリアン・レンカーのボーカルがハートフルになっている。バンドはオルタネイトとしての代表格としてみなされる場合が多いが、古典的なフォーク/カントリーへの敬愛を欠かすことはない。そしてその思いは実際、美しい感情性を生み出している。歌詞の中でも、感情はさらに温かな感覚に転じ、率直な愛情が表される。バンドのギタリスト、Buck Meekの最新アルバム収録曲のムードとも共振するような感覚だ。


「Vampire Empire」と同様に、「Born for Loving You」は最新アルバム『Dragon New Warm Mountain I Believe in You』を引っ提げたBig Thiefのツアーではライブの定番曲となっており、エイドリアン・レンカーらは2月にステージでこの曲を初披露して以来、すでに30回近く演奏している。


「Cause I was born for lovin' you / Just somethin' I was made to do 」とエイドリアン・レンカーはコーラスで歌う。「夢が叶うかどうかなんて関係ない/君を愛するために生まれてきたんだ」

 

 「Born For Loving You」


スーファン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)が新曲「Will Anybody Ever Love Me?」で愛を問う。この曲は、10月6日にリリースされる新作アルバム『Javelin』の第2弾のテースターで、アルバムには最近のシングル「So You Are Tired」も併録されている。セルフ・プロデュースのこの曲には、アドリアン・マリー・ブラウン、ハンナ・コーエン、ミーガン・ルイのヴォーカルが加わっている。スティーブン・ハルカーが監督したビデオは以下からご視聴下さい。

 

このニューシングルでは、スーファン・スティーヴンスの代名詞であるオーガニックなインディーフォークを楽しむことが出来る。また、同時公開となったミュージックビデオはファンタジックな光景が映し出され、スティーヴンスのナチュラルな歌声の雰囲気を上手く引き立てている。CG風の映像は途中からこのアーティストらしいサイケデリックな内容へと変化していく。


「初めてこの曲を歌った時、涙が溢れました。質問の正直さに感動したのです」とアドリアン・マリー・ブラウンは声明で語っている。「スーファンは信じがたいほど勇敢で、才能ある作家です」


「スフィアンとスタジオにいるのは、錬金術師の仕事を傍から見るようなものだ。彼は新たな領域を創造し、穏やかな聖歌隊から私たちの声を作り上げ、そして私たちを海から荒れ狂うサイレンへと変貌させる」「”Will Anybody Ever Love Me? "は、スフィアンの過去のレコードを垣間見るようだったが、声と楽器の壮大なコラージュに紡がれている。彼のメロディと作曲のビジョンは驚くべきもので、彼とハンナと一緒に仕事をすることは純粋な喜びだった」

 

 「Will Anybody Ever Love Me?」

©︎Ethan Delorenzo

シドニーのシンガーソングライター、Indigo Spark(インディゴ・スパーク)は、新曲「In the Garden」と付随するビデオを発表した。この曲はCharliftのPatrick Wimberlyと共作し、Unknown Mortal OrchestraのJake Portaitがプロデュースした。以下よりチェックしてほしい。


この曲はマグダラのマリアとの神秘的なつながりから生まれた。「答えのない疑問と混沌しかなかった時代に、彼女の優美さと神話に。時代を通して、彼女のさまざまな顔に。母、娼婦、癒し手、乙女、姥、巫女。21世紀の今、彼女が女性を通してどのように現れているのか、そして、ただひとつの役割を演じるという限定的な枠に囚われることに反発する女性が増えていることに、私は驚かされた。


罪の神話とは何か? イヴとリンゴの物語の後、私たちはどのように自然から切り離されたのか? 種にはどのような知識が含まれていたのか?


女性はしばしば意識をもたらす存在であり、家父長制はこの虚空とすべての創造物とのつながりを独占していたようだ。私はこのことを曲の中で探求し、杓子定規な解説なしにすべての原型を探求できるような球体や入り口を作りたかった。その中で自由に動き、感じることができる。



「In the Garden」

 


Sufen Stevensがニューアルバム『Javelin』を発表した。2020年の『The Ascension』に続くこのアルバムは、Asthmatic Kittyから10月6日にリリースされます。この発表に伴い、スティーヴンスはリード・シングル「So You Are Tired」のビデオを公開した。また、LPのカバー・アートとトラックリストは以下の通り。


Javelinは全10曲で、アドリアン・マリー・ブラウン、ハンナ・コーエン、ポーリン・デラスス、ミーガン・ルイ、ネデル・トリッシが参加している。ザ・ナショナルのブライス・デスナーは「Shit Talk」でアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターを弾いており、エンディング・トラックはニール・ヤングの「There's a World」のカバーだ。このアルバムには、スティーブンスが制作した8ページのアートとエッセイの本が付属します。


The Ascensionをリリースして以来、スティーブンスは全5巻からなる瞑想音楽集『Convocations』を発表し、2021年には、同じくオルト・フォークシーンで活躍目覚ましいアンジェロ・デ・オーガスティンと組んで『A Beginner's Mind』を共同制作した。今年初めには、ジャスティン・ペックによる2019年のバレエのためのスコア『Reflections』を発表した。

 

 

「So You Are Tired」



Sufjan Stevens 『Javelin』


Label: Ashmatic Kitty

Release: 2023/10/6


Tracklist:


1. Goodbye Evergreen


2. A Running Start


3. Will Anybody Ever Love Me?


4. Everything That Rises


5. Genuflecting Ghos


6. My Red Little Fox


7. So You Are Tired


8. Javelin (To Have And To Hold)


9. Shit Talk


10. There’s A World

Wrens Hinds 『Don't Die In The Bundu』

 

Label: Bella Union

Release: 2023/7/21

 



Review


『Don't Die in the Bundu』は、Bella Unionからリリースされたレンの最初の3枚のアルバムに続く作品である。父性と不屈の精神について優しく詩的な歌で綴られている。その抑制された力強さの根底にあるのは、私たちにとって最も大切な出来事に関する生来の理解である。


レン自身の人生は、南アフリカのクワズール・ナタール州南東海岸で始まった。父親はミュージシャン、母親は風景画家。父親の影響でレンはレコーディングをするようになったが、母親の芸術様式が彼の曲作りへのアプローチに影響を与えた。「音で絵を描く」というのがレンの表現形態で、その方法論は、力強い印象や感情を伝えるための光、陰影、空間の使い方により明示されている。


首都、ケープタウンから40kmほど離れたサウス・ペニンシュラの山腹にある木造の小屋でレコーディングされた『Don't Die in the Bundu』は、以前の作品からの自然な進化の過程であると同時に、新たなスタート、タイトルに込められたように決意の表明でもある。「いくつかの個人的な経験」から導き出されたという着想は、その目的を特定するのに役立ったとレンは説明する。


「南アフリカとジンバブエで配布されていた、レトロなサバイバル・ブックから強いインスピレーションを得た。2022年7月頃、友人と私はケープタウンで銃を突きつけられた。幸い、私たちは危害を加えられたりすることはなかったが、この試練のおかげでタイトルを決めることができた」

 

アルバムは、感情が抑制された穏やかなフォーク・ミュージックを基調としている。それはハンク・ウィリアムズからディラン、ヤングという古典的なフォークの巨人たちから、ニック・ドレイクに代表されるようなモダンフォークの系譜を網羅している。レン・ ハインズのアコースティックギターのアルペジオと軽やかなボーカルは、Bon Iverのメロディラインの良さを受け継ぎ、4ADのGolden Dregsのような渋さもある。しかし、ステレオタイプにならないのは、ピクチャレスクな興趣が込められており、彼は真心を込めてフォーク・ミュージックを奏でているからである。アコースティックギターのオーバーホール内の性質を最大限に活かした音響性はハインズの柔らかなヴォーカルと合致し、リスナーに束の間のやすらぎと癒やしを与える。


本作の歌詞の中では、彼が最近、父親になったことに関する人生の個人的な洞察、若い時代からそうであったように南アフリカの情景を淡々とフォーク・ミュージックという形で表現しようとしている。ハインズにとってのキャンバスとは、自らの人生、風景、人間としての成長、と様々だが、潤いのあるフォーク・ミュージックの珠玉の表現性によりノートが丹念に紡がれる。

 

二曲目に収録されている「Wild Eyes」では、たしかにアルバムジャケットに描かれているようなアフリカの開放的な情景を脳裏に呼び起こさせる。と同時に、それらの峡谷に囲まれた平原の中を涼やかな風が通り抜けていくような雰囲気がある。つまり、こういった情景を喚起する感性とそれらの視覚性をフォーク音楽としてあるカンバスの中に描く力量をレン・ハインズは持ち合わせている。それはハインズがなによりも感性を大切にしていることの証である。#3「Father」では、裏拍に強拍を置いたしなやかなアップストロークを交え、ジャック・ジャクソンを彷彿とさせる親密なフォーク・ミュージックを奏でる。そこにはアーティストらしい自由奔放な性質が溢れ、同じような安らいだ気持ちにさせる。最近、傑作をリリースした米国のシンガーソングライター、M.Wardに近い作風として楽しめる。

 

#5「A Wasted Love」は、ジョン・レノンを想起させるようなノスタルジア溢れるフォークナンバーだ。ハインズはクラシカルなロックを踏襲し、その上に愛情における嘆きをさりげなく歌いこんでいる。派手なバラードではなく、淡々と曲のフレーズが移行していくが、和音の変化の中に心を揺さぶられる何かが込められている。ハインズは、長調と単調を巧みに織り交ぜ、絶妙な感情表現を探求している。更に、#6「Restless Child」では、コンテンポラリー・フォークを下地にし、スムーズなサウンドを生み出しているが、その中には感覚の陰影が内包されている。また、続く「Dream State」では、実験的なフォーク・サウンドに金管楽器の演奏を取り入れ、木の打音をサンプルとして導入したりと、パーカッシヴな効果を追求している。

 

アルバムは真新しさのあるフォーク音楽とは言えないかもしれないが、ハインズが主眼に置くのは、おそらく普遍的なフォークを継承した上で、それをどのような形で未来に繋げるかという点にあるのかもしれない。と考えると、他の地域とは異なるアフリカ固有のフォーク音楽の道筋を形成しようとしているとも取れる。また、曲にシネマティックな視覚効果が立ち現れる箇所も聴き逃がせない。#8「The Garden」、#9「Guided By the Sun,Silvered By Moon」では、幽玄な情景が脳裏に浮かんで来る感覚もある。そういった意味では、聞き手のイマジネーションを鋭く掻き立るとともにいまだ行ったことがない未知の場所に聞き手を誘うような幻惑性溢れるフォーク・アルバムとなっている。



76/100

 

 

「Restless Child」

 

Woods


ニューヨークのサイケフォークバンド、Woods(ウッズ)が2曲の新曲「Another Side」と「Weep」を発表した。ジェレミー・アール、ジャービス・タヴェニエール、アーロン・ネヴェウ、チャック・ヴァン・ダイク、カイル・フォレスターで構成され、2013年までケヴィン・モービーがベーシストとして在籍していたことでも知られる。本作は前作のダブル・シングル「Between the Past」と「White Winter Melody」の続編となる。試聴は以下からどうぞ。

 

『Perennial』は、バンドの自主レーベル、Woodsistから9月15日にリリースされる。9月23日〜24日、Woodsはニューヨーク州アコードのアローウッド・ファームで開催されるウッズイスト・フェスティヴァルに出演する予定だ。

 


「Another Side」

 

 

 

「Weep」

 

 

Searows

ロンドンのSSW、Matt Maltese(マット・マルチーズ)は、Communion Recordsと共同名義で自身のインディペンデント・レコード・レーベル”Last Recordings On Earth”を立ち上げると発表した。マット・マルチーズは最新アルバム『Driving Just To Drive』を先日リリースしたばかりだ。


新しいベンチャーを立ち上げた理由について、Matt Maltese(マット・マルチーズ)は次のように語っている。「サインをされ、落とされ、またサインをされ、それしか選択肢がなかった時期にはDIYでアルバムを作ってきたアーティストとして、音楽を継続して作り続けることがいかに重要であるかを痛感してきた」

 

「多くのアーティストが共存し、共に持続可能なキャリアを築けるスペースがあると私は本当に信じている。"ビッグになるか、それともホームに帰るか "というような一元的な考え方から一歩踏み出せば踏み出すほど、アーティストのキャリア破壊は減少し、より多くのアーティストが自分の目指す理想的なアーティストへと成長することができるはずだ」


このインディペンデント・レーベルの第1弾シングル「Older」は、アレック・ダッカートこと 、Searows(シーロウズ)によるもので、Phoebe Bridgersの内省的な感覚や親密さを思い起こさせる、繊細なギターが印象的な曲だ。この曲について、アレック・ダッカートはこう語っている。


「この曲は、歳をとって、若すぎると感じると同時に歳を取りすぎていると感じること、そして、その両方の気持ちの中で無力感を感じないようにすることについて歌っていると思う。若いときは無力感を感じ、歳をとって周りの人が歳をとっていくのを見ているときも無力感を感じる。時の流れは止まることがなく、それは生きていることの最高であり最悪なことでもあるんだ」


「Older」ーSearows

 Julie Byrne   『The Greater Wings』

Label: Ghostly International

Release: 2023/7/7

 

Review

 

「The Greater Wings」の音楽は古典的なフォーク・ミュージックを踏襲しつつも、その中には米国の雄大な大地へのロマンに満ちている。それはニューヨークからみた自然の雄大さへの賛美とも考えられる。そして、そのロマンチシズムは前作「Not Even Happiness」よりも深みを増し、このアルバム全体の印象を形作っている。前作において、個人的な感慨を歌っていたバーンは、この最新作では、前作の作風を敷衍させ、忍耐と決意、喪失の寂寥感、再生の活力、喪失の寂寥感、再生の活力、そして永遠に変わって立ち上がる勇気等、多彩な感情を込めようとしている。少なくとも、このアルバムでは、アーティストが伝えたいことが明確で、それを忠実なフォーク/カントリーという形で丹念に歌やトラックとして紡いでいったような様子が伺える。

 

ジュディ・バーンの歌は素直で、それほどオルタネイトを加えようとしていない。だからこそ、オープニングを飾るタイトル曲「The Greater Wings」は、一般的な音楽ファンの心を捉える可能性を秘めている。繊細なアコースティック・ギターに合わせて歌われるジュリー・バーンの歌声は、海の風景などへの賛美が込められている。ストリングスや管楽器のささやかな音色で強化され、その深度を増していく。途中からは映画的な音楽効果が表れ、この曲のドラマ性を引き立てている。ジュディー・バーンのボーカルは繊細な感覚とそれとは正反対のダイナミックな感覚を持ち合わせており、バックトラックのオーケストラに支えられて実際に羽ばたいていくかのような雄大さに満ちている。アウトロの指弾きのギターは、ほろりと涙を誘うような深い情感が込められている。アルバムのオープニングとしては理にかなった楽曲で、その後に続くフォークミュージックのストーリー性への興味を掻き立てる働きをなしている。

 

続く、「Portrait of Clear Day」で、バーンはより古典的なフォーク/カントリーの時代への憧憬を交える。しかし、この曲では、個人的な日常が主に歌われていると思われるのに、一曲めと同様に雄大な自然を感じさせる。それは何か草原の上を爽やかに駆け抜ける涼風を思わせ、また都会生活での忙しない瞬間を忘却させる力を備えている。カントリーのトロットのリズムを踏襲したギタープレイを披露しているが、彼女のフィンガーピッキングは繊細でありながらダイナミックな効果を及ぼし、さらに曲の流れをスムーズにしている。ジュリー・バーンの歌声はそれらの中音域の音塊の上を行き、それらの中空を軽やかに飛び抜けるような清々しさが込められいる。また、シャロン・ヴァン・エッテンのような形式のポピュラー音楽とフォーク音楽の融合を本曲には見い出すことが出来、低音部のギターホールの音響がバーンの歌の情感を引き立てている。曲の後半では、カントリー/フォークからポピュラー・ソングのサビのような展開へと移行する。これは聞き手にわかりやすい形で音楽を提供しようという制作者の意図も伺える。そして実際にその試みは成功し、後半ではアンセミックな響きを帯びるようになるのだ。


これらの2曲で一般的なリスナーの期待に応え、さらに本作の音楽世界を後の曲を通じて深めていこうとする。ジュリー・バーンのセンチメンタルな感慨を込めた「Moonless」は月のない夜の憂いを歌ったものか、少なくとも素朴な感情に彩られ、ほんのりした切なさとしてわたしたちの聴覚を捉える。途中から加わるピアノのフレーズはそれらのエモーションをさらに引き立て、切なげな雰囲気を及ぼしている。バーンの描き出す世界は、その入口にいると、舞台の書き割りのようにも見えなくもないが、その入口に入っていくと、奥深い迷宮のような空間が続いている。それはアーティストのアコースティックギターとボーカルの導きにより、果てない深層の領域へと続いていく。ちょっとした圧力で毀たれてしまいそうな脆さのあるボーカルは、アーティストの悲哀を柔らかい感覚として伝えようとしたとも取れる、実際、中盤から終盤にかけてのセンチメンタルなボーカルは、そういった感情の中に聞き手を惹き込むような力をしっかりと備えている。曲はアンビエントのような静かな展開がメインとなっているが、バーンの歌が入り、またストリングスのアレンジが加わるや否や、その雰囲気がガラリと一変し、堂々たるポピュラー音楽へと表情を変化させ、表向きの印象と裏側の見えない印象の差異を曲の展開の中で巧みに織り交ぜている。また、曲の終盤では、ロマンチストとしてのアーティストの人物姿が垣間見える。


古典的なフォーク/カントリーの他にも現代的な音楽性が内包されるのも本作の重要なポイントとなるだろう。

 

続いて、「Summer Glass」はシンセサイザーのアルペジエーターを駆使し、シンセポップに近い領域へと進んでいく。曲の序盤まではエクスペリメンタルポップを想起させるものがあるが、中盤からはこのアーティストらしい古典的な作風へと引き継がれていき、それはやはりストリングスのレガートの重なりの後、予想しない形でダイナミックなバーンの歌声が現れ、力強いポップソングへと変容していく。前曲と同様に、一曲の中で意外性のある展開力を見せるが、これこそジュリー・バーンのクリエイティヴィティの豊富さを象徴付けている。そして曲の最後では中盤に姿を消していたシンセのアルペジエーターが再度出現し、驚きを与える。それは驚きを与えるのみならず、ダイナミックなエンディングを演出しようという狙いがこういった形になっている。これは、荘厳な雰囲気とまではいかないものの、アルバムの前半にはなかった神秘性が立ち現れた瞬間でもある。更に、続く「Summer End」は、連曲として夏の記憶を少し可愛らしさのあるシンセで表現しようとしている。本作の中で最初に登場インストウルメンタル曲で、シンセのマレットを中音域のモジュラーシンセと対比させることによって、涼し気な効果を与えている。夏の暑い季節に爽やかさをもたらすアンビエント風のトラックとして楽しめる。


「Lightning Comes Up From The Ground」では、アルバムの序盤のフォークとポップスの癒合というこの音楽家の主要な形式へと回帰する。しかし、前二曲の変則的な曲を聴いた後ではアルバム序盤と同じような作風もまったくそのインプレッションが異なり、結果的に新鮮な印象をもたらす。 上記の曲のように、この曲でも、ジュリー・バーンの歌声は中空を彷徨うような抽象性があり、それは実際に心地よい感覚を与えている。 そしてディランのように淡々と歌われるボーカルは稀にシンセの効果により、その印象をわずかに様変わりさせる。曲の中盤から後半にかけては緩急のある展開を織り交ぜながら、最終的な着地点を探ろうとしている。結果的に、抽象的な音像から最後にはアコースティックギターのフレーズが背後から不意に浮かびあがり、ジュリー・バーンの抽象的なボーカルと合致した瞬間、また、一方の音が他の音の休止により出現することで、何らかの化学反応のような瞬間も訪れることに驚かずにはいられない。そして、その最後には、その複雑な音の渦中からシンプルで素朴なバーンの歌声がスッと浮かび上がる。これは周りにある障害物が取り払われ、主役がバーンのボーカルであることを強く印象付けている。そしてアウトロでは、ストリング、シンセ、ギターが一体化し、バーンの歌声をさらにドラマティックかつダイナミックに演出する。アルバムの中のハイライトはこの曲のクライマックスに訪れる。

 

本作の終盤に収録されている「Flare」では、しっとりとしたフォーク音楽で聞き手の聴覚をクールダウンさせる。それほど真新しいとも言えないけれども、この10年来、アーティストが探求してきた感情表現としてのフォーク音楽の一つの到達点にたどり着いた瞬間である。それはシンプルで極力華美さを抑制しているが、その表現が素朴であるがゆえ、心に響く感覚を内包させている。この曲でも終盤に至ると、シンセのシークエンスを使用し、ダイナミックな山場が設けられている。続いて、「Conversation Is A Flowstate」では、アーティストの美的センスが他の曲よりも反映され、それは実験的なシンセポップという形で繰り広げられる。

 

続く「Hope’s Return」では、アルバムの中盤を通じて描出された喪失や悲しみといった感覚から立ち直る瞬間がオルタナティヴ・フォークという形で紡がれている。それはアルバム全体の起伏あるストーリーをはっきりと強化する役割を担っている。しかし、再生の瞬間が断片的に示された後、最後の曲の「Death Is Diamond」というタイトルは意外な感を与え、少しドキッとさせるものがある。しかし、以前の曲と同様、ここには、ジュリー・バーンの耽美的なセンスの真骨頂が示されており、演劇の終盤に用意されている最もセンチメンタルなシーンがこの曲にはピクチャレスクな形をとって織り交ぜられている。エンディング曲のポップバラードを聞き終えた後、印象的な映画や演劇を観た後のような余韻を覚えたとしても、それほど不思議ではない。

 

 

78/100


 

©︎Lisa Czech

ジェニー・オーウェン・ヤングスが、10年以上ぶりとなるスタジオ・アルバムを発表した。『Avalanche』はYep Roc Recordsより9月22日にリリースされる。このニュースを記念し、ヤングスはマディ・ディアスと共作したアルバムのタイトル曲を公開した。この曲は、アントラーズのピーター・シルバーマンをフィーチャーしたライブ・パフォーマンス・ビデオとともに収録されている。


「雪崩は極端な力であり、甚大な被害をもたらす可能性があり、それが終わった時、物事が以前とは違っていることを確信することができる。というのも、この曲の統一テーマは、私にとって、破壊から修復へ、痛みを乗り越えて可能性へと向かうというアイデアだから」


『Avalanche』は、プロデューサーのジョシュ・カウフマンと共にレコーディングされた。マディ・ディアスとピーター・シルバーマンに加え、クリスチャン・リー・ハトソンとウォークメンのマット・バリックのドラムが参加している。

 

「この音楽にはかなりの失恋と失望があるが、それは最終的には興奮と約束、恋に落ちて再び自分自身を見つけるという信じられないような計り知れない至福への道を与える」とヤングスは付け加えた。「これらの曲は、すべての感情のスペクトルを旅する」

 

 

 「Avalanche」

 


今年初め、ヤングスは『from the forest floor』というタイトルのアンビエント・レコードをリリースした。


Jenny Owen Youngs 『
Avalanche』


Label: Yep Roc Records

Release: 2023/9/22

 

Tracklist:

 
1. Avalanche


2. Knife Went In


3. Goldenrod


4. Everglades


5. Bury Me Slowly


6. Next Time Around


7. It’s Later Than You Think


8. Salt


9. Set It On Fire


10. Now Comes the Mystery

 

©Eimear Lynch

フォンテーヌD.C.のグリアン・チャッテンはソロ・デビュー・アルバム『Chaos For The Fly』の最終シングル「All The People」をリリースした。

 

先行カット「Last Time Every Time Forever」、「The Score」、「Fairlies」に続くこの曲は、フォンテーヌD.C.の「I Love You」と「Roman Holiday」のビデオを手がけたサム・テイラーが監督したビデオ付きで発売されています。

 

「"All Of The People "は、すべてが青く、誰もが嘘つきであるような、硬い襟と砥石を握るような手つきで書かれている。"それは世界中を引っ掻き回したチョークの線だ」

 

テイラーはビデオについてこう付け加えた。 「ラース・フォン・トリアー、ジョージ・オーウェル、ビリー・ワイルダーからインスピレーションを得たこの映画は、孤独、自信喪失、そして受容、感謝、人間同士のつながりを分析している。幸せな涙、悲しい涙を流してもらえると嬉しいです。


「All The People」

 

©︎Madeline Lesher

 

ニューヨークのソングライター、Anna Beckerman(アンナ・ベッカーマン)のソロ・プロジェクト、Daneshevskaya(ダネシェフスカヤ)が、Wispearから最初のシングルをリリースしました。涼やかな感覚のローファイなフォーク・ロックソングです。アーティストは2021年に自主制作のEP『Bury Your Horses』を発表していますが、今回、同レーベルと契約を交わしました。

 

「Somewhere in the Middle」は、Model/ActrizのRuben Radlauer(ルーベン・ラドアウアー)とHayden Ticehurst(ハイデン・タイスハースト)と共にレコーディングされ、ベースには、Artur Szerejko(アルトゥール・セレイコ)、サックスには、Black Country, New RoadのLewis Evans{ルイス・エヴァンス)が参加しています。ミア・ダンカン監督によるビデオは以下よりご視聴下さい。


曲のコンセプトについて、ダネシェフスカヤはこう説明しています。「私の祖母には2人の姉妹がいて、両親は『アニタはルックス、ミリアムは本で、グロリアは魅力があるわ』と言っていたんです。私はどっちになりたいかよ〜く考えたの。選ぶことに疑問を持ったことはなかったわ」


「Somewhere in the Middle」

 

©John Andrews


Woodsは、ニューアルバム『Perennial』を自主レーベルであるWoodsistから9月15日に発売することを発表しました。この発表に伴い、サイケ・フォーク・バンドは新曲「Between the Past」と「White Winter Melody」を公開しました。以下よりお聴きください。


2020年の『Strange to Explain』に続く本作は、バンドのジェレミー・アールが作ったギター、キーボード、ドラムのループから発展し、バンドメンバーのジャーヴィス・タヴェニエール、ジョン・アンドリュースと共にニューヨークの自宅で曲が組み上げられていった。アルバムは、カリフォルニア州スティンソンビーチのパノラミックハウススタジオで完成しました。



 

 

 Woods 『Perennial』

 

Label:  Woodsist

Release:2023/9/15

 

Tracklist:


1 The Shed


2 Between the Past


3 Another Side


4 White Winter Melody


5 Sip of Happiness


6 Little Black Flowers


7 Day Moving On


8 The Wind Again


9 Weep


10 Double Dream


11 Perennial

 

 Antoine Loyer via Le Saule

アヴァン・フォークの鬼才、Antoine Loyer(アントワーヌ・ロワイエ)が5枚目のアルバム『Talamanca』をフランスのLe Sauleからリリースします。アントワーヌ・ロワイエについては、音楽評論家の高橋健太郎氏(日本の音楽評論家。ミュージック・マガジン、朝日新聞、クロスビート、サウンド&レコーディング・マガジン等、日本国内の大手雑誌で数多く執筆を手掛け、かつて坂本龍一とともに反原発の運動を行っている)がこのアーティストを絶賛している。

 

高橋健太郎さんは、2014年のアルバム『Chante De Recrutement』を、Music Magazineの2014年度のベスト・アルバムとして選んでいる。「アントワーヌ・ロワイエを前に、僕は身も心も打ち砕かれている。中略……、アントワンヌの歌は線の細いつぶやきのようなもので、ギターはニック・ドレイクを思わせるのだが、それがなぜかラジャスタン音楽をも見事な融合を見せる。ブリュッセルやパリの街が持つエキゾ性をそのまま体現しているように。12音を自由に行き来する作曲法。ワールド録音的な音像を含め、新しい世代感覚を感じる」と高く評価している。

 

2021年のフルレングス『Sauce chien et la guitare au poireau』以来の2年ぶりのニューアルバム『Talamanca』の収録曲には、前作と同じく、Mégalodons malades(メガロドンズ・マラデス)というオーケストラが参加している。5作目のアルバムのレコーディングは、スペインのカタルーニャ地方の同名の村の教会と、古い家で行われた。作品に妥協はない。ブリュッセルの小学生と一緒に作った曲も数曲含まれるという意味では、既存のアルバムの中では最もアクセスしやすいことは間違いない。


『Talamanca』はベルゴ・カタロニアの教会の名称であり、2019年にその名の由来となったスペインの村で足場が組まれた。


このアルバムの制作についてアーティストは以下のように説明している。


あの時、私たちはキッチンテーブルの周りに座って労働していた。その後、パンデミックが到来したものの、以来、私たちは何も変わっていないし、変わるはずもなかった。

 

毛布の上に寝そべりながら、子供がレコーディングの間、手持ち無沙汰にしていた。フランス語で(「Marcelin dentiste」)、次にフードの言葉で(「Marcelí」)、彼は2回歌ってくれた。私は、"Percheron frelichon "で、彼の喃語を聞くとはなしに聞いていた。

 

 

Antoine Loyer & Mégalodons malades


クラシック・オーケストラの最も奥深い楽器であるコントラ・ファゴットが、レコードの全編に力強く流れている。『Talamanca』は、優しく、軋むとすればほんの一瞬である。ブリュッセルの学校で子供たちとともに作られた歌が録音時に持ち込まれ、("Demi-lune "、"Pierre-Yves bègue")、("Robin l'agriculteur d'Ellezelles", "Un monde de frites")ではピッコロが演奏される。


私が愛するすべてのものは、会話しながら(会話によって)急速に書かれ、近くにあったギターによって収穫された。私はこの方法で何千もの作品を作ることができる。そのため必要なのは、周りの邪魔をしないことだった。事実上、長いコントラファゴットの動脈は幾重にも重なり私たちの前に現れ、流れを塞ぐことは考えられなかった。


『Talamanca』のアートワークの表紙を飾ったのは、アントワーヌより20歳年下のダンサー、アンナ・カルシナ・フォレラドだ。


『Talamanca』/ Le Saule



アントワーヌ・ロワイエの音楽形式を端的に断定づけることは難しい。音楽としては、フランスの70年代のフレンチ・フォークに近い印象がある。一般的には、その作風はバッハのアレンジやベルギーのトラッドを下地にしたものであると言われ、スペインのアンダルシア地方やモロッコ、北アフリカのラジャスタン音楽やマグレブ音楽の影響を指摘する識者もいる。マグレブ音楽とは、アンダルシアから北アフリカへと脱出したイスラム教徒がもたらした音楽であると言われる。楽式は、5部構成の「ナウバ」と呼ばれ、バッハやイタリアン・バロックのカンタータの形式に似たものであるという。
 
 
正直なところ、『Talamanca』のレビューに関しては白旗を振るしかない。このレビューを完成させるためには、単なるエクリチュールの理解だけでは不十分で、ヨーロッパの歴史を紐解く必要があると思う。ヨーロッパ全体を語る上では、北欧のバイキングの時代から、ムスリムとの関係、オスマン・トルコ帝国がどのように領土を広げていったのか、どのような形で文化性が他の地域に浸透していったのかを念頭に置かなければならない。もちろん、例えばモロッコ等の北アフリカ地域についても視野に入れないといけない。更には、マラケシュのような不可思議な地域の文化性も加味し、歴史学者のような詳細な視点を交えて熟考していく必要があるが、あいにく、私は歴史学者として著名なウィリアム・マクニールに成り代わることもできないし、それらの概要を語る知見もない。というわけで、このレビューでは、それらのイスラム教圏とキリスト教圏の折衝地であるヨーロッパという共同体を、音楽的な観点から断片的に解き明かし、アントワーヌ・ロワイエの音楽について言及していくのが理にかなっていると思われる。
 
 
日本の音楽評論家の高橋健太郎氏が指摘するとおり、Antoine Loyer(アントワーヌ・ロワイエ)の音楽は、ヨーロッパ主体のものでありながら、わずかなエキゾチズムが漂っていることに気がつく。
 
 
そもそもユーロ圏で最も深い文化性がある一都市は、曲解も招く恐れがあるかもしれない上でいうと、ブリュッセルとも考えられる。EUの本拠があることは言わずもがなではあるが、ベルギーの複数の建築物、それは中央裁判所やアントワープの駅舎を見ればよく分かる。ブリュッセルという街には、イギリスはもとより、フランス、ドイツ、そのほか、スペイン地方の文化性が混在してきたヨーロッパの歴史がめんめんと引き継がれている。つまり、ヨーロッパとイスラム圏の貿易の折衝地としてのベルギー/ブリュッセルという土地の姿が、アントワーヌ・ロワイエの音楽に耳を澄ましていると、その音像のバックグラウンドに自ずと浮かびあがってくるのである。


そして、インドのラガやラジャスタン音楽、それとインドネシアのケチャに近いアジアの音楽の影響も込められているように思え、それらは現代的なダンスミュージックとは別の原初的な踊りや儀式のための音楽としうかたちで、この五作目のアルバムの重要な骨格を形成している。なぜインドを始めとするアジア圏の音楽がアントワーヌ・ロワイエの音楽に含まれているのかといえば、これはおそらく、レコーディングがおこなわれたスペインのアンダルシアの文化性が本作に取り入れられていることが主な理由に挙げられる。つまり、インドの音楽自体が北アフリカのマグレブ音楽の影響を加味しているからであると思われる。小アジアから北アフリカにかけての音楽が、のちに小アジアへ、さらに、南アジアへと伝播していったと推察される。これは、インドのタブラの原型となる打楽器がマグレブ音楽の中には存在するからである。
 
 
しかし、Antoine Loyer(アントワーヌ・ロワイエ)の志向する音楽は、例えばスペインのパブロ・ピカソの青の時代の次の象徴主義のように不可解でシンボリックな抽象性があり、その音像が色彩的に組み上げられると仮定しても、また同じように、実際のギターの音楽が現代音楽の12音技法を中心に作曲されると仮定しても、実際に繰り広げられる音楽については、アーノルト・シェーンベルクやウェーベルン、ベルクの歌曲に代表される新ウイーン学派の作曲家とは異なり、それほど難解でもなければ、親しみづらいものでもないことが理解出来る。アントワーヌ・ロワイエの楽曲の構成は、協和音と不協和音が混在する、きわめて難解な形式ではありながら、歌については、主に調和的な旋律を中心に組み上げられているため、70年代のフレンチ・フォークやユーロ・フォーク、T-Rexのマーク・ボラン、ビートルズのポール・マッカートニーがビートルズ時代と以後のソロ活動で完成しきれなかった形式のアート・ポップを継承したアヴァン・フォークとして楽しめる。アントワーヌ・ロワイエのギターの演奏は無調音楽に近いが、彼とメガロドンズ・マラデスのボーカルは柔らかな響きを成し、調和音と無調和音が折り重なり、奇異な音響空間が生み出される。これは「目からウロコ」とも称するべきで、イギリスの現代的なアーティストの音楽といかに異なるものであるのかが理解していただけることだろう。
 
 
アルバムは、スペインの村の教会を中心に録音されたが、中世の教会音楽としての形式はそれほど多くは含まれていない。その一方で、音楽の形式的な部分や曲のタイトルのテーマの中に密かに取り入れられている。オープニング曲を飾る、ソ連の映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーの映画に因む「Chant de Travail」で、この五作目のアルバムはミステリアスに幕を開け、 メガロドンズ・マラデスのコントラ・ファゴットと女性中心のクワイア/コーラスにより一連の楽曲の序章のような形で始まる。
 
 
その後、ベルギーのトラッド、フレンチ・フォークを吸収したロワイエによるアコースティック・ギターの圧巻の演奏が始まるが、パット・メセニーのような神がかりのギターの演奏が始まった途端、レコーディングの雰囲気が一変する。温和な室内楽団のような雰囲気のあるメガロドン・マラデスのコントラファゴットや弦楽器の演奏に、アントワーヌ・ロワイエのギターの演奏と歌が加わると、インドネシアのケチャやインドのラジャスタン音楽のような民族的な踊りの音楽の様相を呈しはじめる。
 
 
アントワーヌの曲は、そのすべてが生の楽器とボーカルで構成され、リズムが加わると特異な雰囲気が加わり、「音楽の放電」とも称するべき奇異な瞬間が生み出される。表層的な部分では、フォーク・ミュージックが展開されるように思えるが、その奥深くには、コントラファゴットに象徴されるように、アンビエント・ドローンに近い前衛的な音楽を聞き取ることもできよう。これはかつて20世紀の時代に、パブロ・ピカソが代表的な傑作『ゲルニカ』で描いたように、複数の次元が一つのキャンバス内に混在する多次元的なフォーク音楽とも称する事ができる。
 
 
このように前置きをすると、不可解な音楽のように思えて、少し身構えてしまうかもしれない。しかし、その後は、70年代のフレンチ・フォークとも親和性のあるキャッチーな曲展開が続く。「Nos Pied(un animal)」は、フランス近代作曲家の抽象主義の色彩的な和声法を元にして、アントワーヌとメガロドンズ・マラデスのロマンチックなコーラスで始まる。しかし曲の途中から曲調が変化し、インドネシアのケチャ、ラジャスタン音楽のように踊りの動きのある民族音楽へと変遷を辿る。    


「Nos pieds (un animal)」
 
     



その後も、曲は揺れうごいていき、女性のコーラスを交え、ヨーロッパの舞踏音楽の楽しげな瞬間へと続く。ポーランドのポルカを主体とするワルツというより、ベラ・バルトークが実地に記録として収集していたハンガリーの民謡に近い雰囲気を帯びる。バルトークは十二音技法を介し、オーケストラとして民謡を再解釈したが、ロワイエは、現代的なフォーク音楽として民謡を再解釈しようというのだ。その野心的な試みには脱帽し、大きな敬意を表するよりほかない。


米国のアヴァンギャルド・フォークに詳しい方ならば、次の3曲目の「Marcelin dentiste」では、初期のGastr del Solの時代のJim O' Rourke(ジム・オルーク)の内省的なエクスペリメンタル・フォークの作風を思い浮かべる場合もあるのかもしれない。しかし、この曲は、アフガニスタンの音楽を基調にしていると説明されていて、インストゥルメンタルが中心のオルークの作品と比べると、メガロドンズ・マラデスの調和的なコーラスのハーモニーは温和な雰囲気を生み出し、更に、その合間に加わるアントワーヌの遊び心のあるボーカルも心楽しげな雰囲気を醸し出している。ギター・アルペジオの鋭い駆け上がりがリズムを生み出し、その演奏に合いの手を入れるような感じで、両者のボーカルが加わるが、それほど曲調が堅苦しくもならず、シリアスにもならないのは、メインボーカルとコーラスのフランス語に遊び心があり、言語の実験のようなフレーズが淡々と紡がれていくからなのだ。アントワーヌ・ロワイエにとっては深刻な時代を生きるために、こういった遊び心を付け加えることが最も必要だったのだろうか。
 
 
その後はより静謐で、瞑想的なフォーク・ミュージックが続く。「Demi-Lune」もまたヨーロッパのトラッド・フォークを基調にし、フランス語の言葉遊びを加えた一曲で心を和ませてくれる。私自身はフランス語に馴染みがないが、フランス語のフレーズの反復は、奇妙な感じで耳に残る。室内楽のような雰囲気のあるフォーク音楽ではありながら、実際の録音風景、楽団と制作者が半円を作り、そこで歌を歌うような和やかな風景が曲を通じてありありと伝わってくる。アントワーヌ・ロワイエのギターの技法が光る曲で、ボディを叩く瞬間に休符を生み出し、その間をコントラ・ファゴットが埋める。その後、感覚的な鋭さと凜とした美しさを兼ね備えたコーラスが続く。曲の終盤にかけては、感覚的なアルペジオ・ギターの演奏の上に加わるアントワーヌとメガロドンズ・マラデスのコーラスの調和が甘美な雰囲気を生み出している。
 
 
レコードの中盤部は、これらのトラッド・フォークを基調とした曲が大半を占めている。五曲目の「Robin〜」でも同じように、ギターの演奏に加え、アントワーヌの弾き語り、メガロドンズ・マラデスのコーラスが鮮烈な印象を放つ。この曲では前曲よりもコントラファゴットの存在感が際立ち、持続音としての役割ではなく、スタッカートのリズム的な動きを、この曲に付与している。男女混合のコーラスの調和的な響きから突然、不協和音が不意に顔をのぞかせる。早口のフランス語で独特な抑揚を与えるアントワーヌのボーカルは、ギターの演奏そのものと完全に一体化し、オーケストラと合わさってもその迫力に劣ることがない。独立した演奏として存在しながら、オーケストラの演奏と合致し、エキゾチックな雰囲気を維持していることが理解出来る。
 
 
続く「Merceli」は、子供の遊びのための曲のような可愛らしさのある一曲である。基本的には、以前の曲と同じギターと弾き語りと、コーラスで構成される一曲で、吹奏楽器が曲の主役的な役割をなしている。ピッコロ・フルートの可愛らしい音色が、温和な雰囲気を生み出しているが、フレンチ・ホルンのふくよかな響きが甘い音響を生み出している。他曲と同様、緩急のある変拍子により曲が展開され、途中からはコーラスが主体となり、最終的には子供向けの民謡や童謡のような可愛らしい曲調へと直結する。曲の中盤に導入される木管楽器はチュニジアを始めとするアフリカ音楽の影響があり、フランスやベルギーの作風からイスラム的なエキゾチズムへと変化を辿るが、曲の終盤になると、最初の可愛らしい童謡のような作風へと舞い戻る。この辺りにはヨーロッパのキリスト教圏とイスラム教圏の文化の混淆を見いだす事ができる。
 
 
 
「Pierre-Yves begue」は、中盤部において強固な印象を与える。アントワーヌ・ロワイエのギター奏法はこの段階に来ると、クラシック・ギターというより、イスラム、アラブ圏や西アジア圏の弦楽器であるOud(ウード)の演奏法を取り入れたものであることがわかる。そして、かれのこまやかなアコースティックギターの奏法は、チュニジア周辺の北アフリカの音楽と同様にきわめてアクの強いリズムを生み出すが、それがやはりこの曲でも、フランス、スペインの音楽や民謡の雰囲気がメガロドンズ・マラデスのコーラスにより生み出される。上辺の部分ではヨーロッパの文化や気風が揺曳しているが、内奥にはそれとは対象的に、北アフリカやイスラム圏のアクの強い音楽が通底している。これらのアンバランスにも思えるフォーク音楽のアプローチは少し受け入れがたいものがあるが、コーラスのフランス語の遊びが気安い感じを与え、和らいだ感覚をこの楽曲全体に及ぼしている。言語上の言葉遊びとは、かくあるべきという理想形を、アントワーヌとメガロドンズ・マラデスの楽団のメンバーは示しているのである。
 
 
以後も、中東のアフガニスタンを始めとするイスラム圏の音楽なのか、はたまた北アフリカの民族音楽なのか、その正体が掴みがたいような文化性の惑乱ーーエキゾチズムが続いていく。聞き手はそのヨーロッパとアラビア、アジアの文化性の混淆に困惑するかもしれないが、しかし、それらのエキゾチズムをより身近なものとしているのが、アントワーヌ・ロワイエのギターである。弦を爪弾き始めたかと思った瞬間、次の刹那には強烈なブレイクが訪れる。こういった劇的な緩急のある曲展開は「Tomate de mer」以降も継続される。それ以後の曲の展開は、アヴァンギャルド・フォークという形式に基づいて続いていくが、それらの中には時に、フランスのセルジュ・ゲンスブールのような奇妙なエスプリであったり、ビートルズ時代と平行して隆盛をきわめたフレンチ・ポップの甘酸っぱい旋律が、これらのフォークミュージックに取り入れられていることに驚きをおぼえる。表向きには現代的な音楽ではあるのだが、20世紀の今や背後に遠ざかったパリの映画文化が最盛期を極めた時代の華やかな気風や、当代の理想的なヨーロッパの姿がここには留められているような気がするのだ。


スペインのカタルーニャ地方の教会や古い民家で録音された曲の中で、現代のポップミュージックのような感じで、コラボレーターを招いて制作された曲もある。「Percheon Frelichon」はアルバムの中で唯一、Loup Ubertoが参加し、メイン・ボーカルを担当している。スペインの地方の文化的な概念と曲そのものが結びついているのか、そこまではわからぬものの、最もアルバムの中で異様な雰囲気があり、Loup Ubertoのボーカルは奇妙なしわがれた老年の声として登場する。それらはかつてスペインのジプシーが街角で奏でていたようなアコーディオンの原型の蛇腹楽器(コンサーティーナ)の音色と結びつく。果たして、この音楽はヨーロッパの街角で、流しの音楽家の誰かが人知れず演奏したり、また、孤独に歌っていたものであったのだろうか。
 
 
『Talamanca』の中で最も素晴らしい瞬間はクライマックスになって訪れる。それが「Jeu De Des Pipes」である。この曲は、おそらく近年の現代音楽の中でも最高の一曲であり、Morton Feldmanの楽曲にも比する傑作かもしれない。森の奇妙な生き物、フクロウや得体の知れない不気味なイントロから、題名の「一組のパイプ」とあるように、霊的な吹奏楽器を中心とするオーケストラ曲へと変化していく。イントロに続いて、フルートと弦楽器のレガートが奇異な音響空間を生み出す。それに続いて、複数のカウンター・ポイントの声部の重なりを通じて、アントワーヌ・ロワイエは古い時代の教会音楽の形式に迫り、管楽器や弦楽器、そしてクワイアを介して、バッハのカンタータのような作曲形式へと昇華させているのが見事である。その後、曲の中盤では、ボーカル・アートへと変化し、以前の主要な形式であったアントワーヌの声ーーメガロドン・マラデスの楽団のメンバーの声ーーがフーガのような呼応する形で繋がっていく。弦楽器の十二音技法の音階やチャンス・オペレーションのように偶発的に配置される音階によるレガートの演奏に加え、それらの反対に配置される演奏者たちの声は洗練されたベルギー建築のように美しく、高潔な気風すら持ち合わせている。
 
 
途中から加わるアントワーヌとメガロドンズ・マラデスのボーカルは、かつてMeredith Monkが「Dolmen Music」で行ったようなボーカルの音楽における実験でもあるが、この曲はドルメン・ミュージックほどには不気味さがない。それには理由があり、スペインの教会の天井とその場に溢れる精妙な空気感が、彼らの声の性質を上手く出しているがゆえである。曲の後半にかけてはフランス語の言語実験の形が取られ、教会内の奥行きと天井の反響効果を活かして、独特な縦の構造の和音が生み出されている。ガラスが床に転がる音や教会の鐘を部分的に導入し、曲の最後では、一瞬、彼らのクワイアは賛美歌のような祝祭的な雰囲気に包まれる。それらと対比的に配置されるコントラファゴットはパイプオルガンのような重厚感を与え、聞き手を圧倒する。木管楽器の持続音は現代のドローン音楽に近い前衛性が込められていて、曲の終わりにかけて、イントロと同様に霊的な雰囲気のあるクワイアが精妙な雰囲気を生み出している。
 
 
アルバムの最後を飾る「Vers un monde de fries」では、一曲目と同じような雰囲気に包まれた温和なフォーク・ミュージックへと舞い戻る。実際に最後の楽曲から一曲目へと返ると、アルバムが続いているという感覚がある。


このアルバムは、デジタルで聴いてもアナログのような音に聞こえることに少なからず驚きをおぼえる。デジタルのように音が精細に聞こえすぎることは実際、音楽の良さ台無しにする場合もある。なによりこのアルバムは、艶や張りや温かさ、生々しい音の質感、実際の演奏者が近くにいるように感じられること等、革新的なレコーディングの技法が施されていることがわかる。


 『Talamanca』は正直なところ、商業的な音楽とは言いがたいが、今後の現代の録音技術に影響を及ぼす画期的な作品に位置付けられる。それはまた、「パンデミックは、私の生活の何も変えるわけがなかった」と、制作者のアントワーヌ・ロワイエが言うように、時代の流行とは無縁の制作環境が取り入れられたからこそ生み出された良作なのである。パンデミックと疎遠な生活を送っていたことにより、時代に埋もれることのない普遍的な音楽がここに誕生したのだ。


今回、フランスのパリのレーベル、Le Sauleからアルバムのリリース情報を送っていただいたおかげで、こういった素晴らしい音楽に出会うことができました。改めてレーベルのスタッフの方に対して謝意を表しておきます。
 

95/100
 

Weekend Featured Track 「Jeu de des pipes」
 

 
 
Antoine Loyerのニューアルバム『Talamanca』はLe Sauleより発売中です。レーベルの公式サイトはこちらより。

 This Is The Kit 『Careful Of Your Keepers』 

 

Label: Rough Trade

Release: 2023/6/9

 



Review


英国からフランスに移住したシンガーソングライター、Kate Staplesの最新作は謎めいたフォーク・ミュージックでわたしたちを惑乱させる。Brooklyn Veganで公開された制作者によるトラック・バイ・トラックはむしろ、音楽そのものを謎めいたものにしているように思える。また、このアルバムは実際、とりとめのないフォーク・ミュージックが全面的に展開されてはいるが、その中に暗号詩という形式が導入される。私のような英語に詳しくない人間には、この詩はほとんど手に負えない代物である。言葉を捉えようとも、その核心なるものは、ミステリアスなベールによって覆われていて、常に抽象概念によって意味がオブラートのように包み込まれている。捉えようによっては、音楽を通じての象徴主義や抽象主義を表したかのような歌が、わりとふんわりとした感じのミドルテンポのモダン・フォークの上に緩やかに乗せられているのである。

 

本作は、アーティストが最初のプレスリリースでほとんど誰も解き明かすことの出来ない謎解きを明示したことからも理解できるように、ミステリーのような魅力に満ちたアルバムなのだ。実際にそれはそれほど英語の文法に詳しくないリスナーにもそれらの不可思議な雰囲気、現実感に根ざした幻想性をこのアルバムを通じて捉えることが出来るだろうと思う。レビューすることがとても難しいのだが、ただひとつ、このきわめて難解な作品を解題する上での鍵が隠されている。それは、Paste Magazineが指摘するように、This Is  The Kitとしてシンボリックな意味を持つ三作目のアルバム『Bushed Out』で見られた歌詞の反復がこのアルバムの主要なイメージを形作り、それがそのまま、この五作目のアルバムの主要なテーマとなっているということである。

 

Kate Staplesは、ギターを中心に軽妙なフォーク・ミュージックを書くが、Beggers Groupの紹介写真を見てもわかるとおり、バンジョーを始めとする楽器も演奏する。Staplesの書くフォーク・ミュージックは、ケルト、アイリッシュ等、イギリスの古典的なフォーク・ミュージックを基調としている。しかし、その上に乗せられる淡々としたシンガーソングライターの歌が奇妙な感覚を聞き手に与える。それは喜びを歌うのでもなく、憂いを歌うのでもない、鋭い現実主義に裏打ちされている。ケイト・ステープルの歌詞には、グローバリズムとは別の「世界市民」としての性質が表層の部分に立ち表れ、フランス語、英語というヨーローパの二つの主要な言語をよく知る音楽家としての鋭い言語性がフォークミュージックに乗り移っているという感じである。 このアルバムで展開される音楽は、つまり、コスモポリタニズムが象徴的に示されている作品と読み解くことが出来る。それは時に柔らかではあるが、鋭い感覚を持って聴覚に迫ってくる場合もあるのだ。


This Is The Kitのようなシンガーソングライターは、ニュージーランドのAldous Hardingsをはじめ、他にも存在する。こういったアーティストに共通することがあるとすれば、自身をミュージシャンだけが職業であるとは考えていないということである。しかし、それは職業性を規定しない自由な感覚を象徴しているとも解釈出来る。ケイト・ステープルの音楽に専門性という意味を与えないこと、それはこのアルバムを聞く上でとても重要なことなのだ。つまり、オープニング曲「Goodbye Bite」から始まり、アルバムの序盤に収録されている自由性が高い楽曲は、金管楽器が導入され、ジャズのようなムードすら漂わせているが、それは音楽のジャーナリストたちの目を惑乱させ、またその本質を目眩ましするような、いわばナンセンスな感覚が繰り広げられていく。例えば、それはフランツ・カフカが役所勤めの後に書きあげた公に発表する見込みのない遊びの小説のようなもので、(カフカの作品には、実は、ユダヤ主義のシオニズムの概念が暗喩的に込められてはいるものの)何らかの意味を求めようとも、そこにはほとんど何も見つからず、どれだけ深くメタファーの森の中を探索しようとも、利益主義者が求めるような何かが見つかることは考えづらいという始末なのである。ただ、虚心坦懐に何かを楽しむということのほかに優先すべき重要な事項があるのだろうか??


This Is The Kitの5作目のアルバムは、序盤こそ、柔らかいケルト音楽やアイリッシュ・フォークを基調としたいくらかつかみやすい音楽が展開されていくが、アルバムの中盤から終盤にかけて、ミュージシャンの志向する抽象主義は深度を増していく。タイトル曲こそ比較的聴きやすく親しみやすいモダンなフォークミュージックが展開されているが、終盤では、やはり打楽器を生かしたアヴァンギャルドな方向性を交えた楽曲が多い。メロディーの良さを探そうとも、アトモスフィアとしての心地良さを探そうとも、また、ムード感のあるジャズ的な甘美さを探そうとも、それは部分的に示されているものに過ぎず、実はそこに主眼が置かれているわけではないことがわかる。

 

もしかすると、そういった意味のある作品から徹底して乖離した商業主義における「不利益性」を示したのが、このアルバムの正体なのであり、それはまたモダン・アートにも通じるような芸術形態の極点とも称すべきものである。シュールレアリスティックな雰囲気に彩られた奇妙なフォークミュージックの通過点を、ケイト・ステープルは、『Careful Of Your Keepers』を一地点として通り過ぎようとしているが、タイトル曲を始めとするアルバムの多くの収録曲には、制作者の物質主義への間接的な疑問や、利益主義に対する疑問が、柔らかく呈されているように思えてならない。


そもそもCDやレコードは着想が物質として具現化され、それが流通を通して消費者の手元に届いた時、初めて何らかの意味を持つようになるが、このアルバムは、物質主義とは離れた人の心や、それにまつわる抽象的な概念がフォーク・ミュージックという形で現出したとも解釈することが出来る。つまり、今作では、現代社会に蔓延する利益主義や物質主義に対する制作者の懐疑的な視線が、感覚的なフォークミュージックの視点を通して注がれている。本来、音楽は利益を生み出すためだけに存在するのではなく、多くの人々とそれを共有し、楽しむために存在するものである。現代社会を生きる上で忘れがちな考えを、このアルバムは改めて思い出させてくれる。

 

 

78/100

 


Featured Track 「Stuck In A Room」(Live Version)

 

©Pooneh Ghana


Angelo De Augustine(アンジェロ・デ・アウグスティン)は、Asthmatic Kitty Recordsから6月30日に発売されるアルバム『Toil and Trouble』からタイトル曲をリリースしました。この曲はClara Murrayが制作した自主制作のクレイメーションビデオも同時に公開。下記よりご覧ください。


「Toil and Trouble」について、De Augustineは声明の中で次のように述べています。「ご存知のように、私たちは別の世界の中で生きています。心が指揮を執るチーフ・アーキテクトである特定のキュレーションとデザインの場所です。私はよく、心は誰のために働いているのだろう? カーテンの後ろで糸を引き、メッセージを発信しているのは誰なのか?」


クララ・マレーは、このビデオについてこう付け加えています。「Toil and Troubleの舞台は、魔法で照らされた埃っぽい部屋で、ひっそりと、しかし魔法で溢れている。飛び出す絵本と歌う大鍋は、邪悪でありながら神聖な魔法にかけられた神秘的な生き物を生み出す」 とコメントしています。


「Toil And Trouble」

 

Maciej Mastalerz

 

先週、ブリストルのシンガーソングライター、Lande Hekt(ランデ・ヘクト)が新曲「Axis」をリリースしました。ランデ・ヘクトはマンシー・ガールズとして以前活動していましたが、現在はソロ活動に専念しているようです。

 

この曲は先月の「Pottery Class」に続く作品でソングライターとしての力量を感じさせる内容となっています。いつものようにシングルではありながら良く作り込まれており、聴き応えも十分です。

 

前作に続いて、静と動を生かしたロマンチックなギターロック・ナンバーです。曲の途中からはカントリー・ロック等の要素を交えたダイナミックな展開へと引き継がれる。イングランドのブリット・ポップ、スコットランドのネオ・アコースティックのバンドが好きな方は、ぜひチェックしてみて下さい。今週のHot New Singlesとして読者の皆様にご紹介します。


「Pottery Class」と「Axis」は、Get Better Recordsから本日発売のブラック7インチ・レコードに収録されています。昨年、ランデ・ヘクトは最新アルバム『House Without a View』を発表しました。

 

Weekly Music Feature


Jess Williamson

©︎Karthryn Vetter Miller

 

果てしない草原と海の波、長いドライブとハイウェイの広がり、ダンス、煙、セックス、肉体的な欲望ーー。

 

テキサス出身のジェス・ウィリアムソンのニューアルバム『Time Ain't Accidental』の核となるイメージは、地上と肉欲に満ちあふれている。パンデミックの始まりにウィリアムソンとロサンゼルスの自宅を去ったロマンチックなパートナーや長年の音楽仲間との長い別れの後、このアルバムは、ウィリアムソンという人物とアーティストとしての大きな変化を告げるものです。


テキサス出身でロサンゼルスを拠点に活動するシンガー、ソングライター、マルチ・インストゥルメンタリストであるウィリアムソンにとって、大胆にも個人的な、しかし必然的な進化である『Time Ain't Accidental』は、象徴的な西部の風景、涙ぐませるビールアンセム、そして完全に彼女自身のものとなるカントリーミュージックのモダンさを思い起こさせる。このアルバムは、サウンド的にもテーマ的にも、何よりもウィリアムソンの声が前面に出ていて、そのクリスタルでアクロバティックな音域が中心となっている。リンダ・ロンドシュタットのミニマリスト化、ザ・チックスのインディーズ化、あるいはエミルー・ハリスがダニエル・ラノワと組んだ作品などを思い浮かべてほしい。大胆に、そして控えめに鳴り響くこのサウンドは、女性が初めて自分の人生と芸術に正面から、明白に、自分の言葉でぶつかっていく様を表現している。


昨年、ウィリアムソンとワクサハッチーのケイティ・クラッチフィールドは、Plains(プレインズ)名義で『I Walked With You A Ways』をリリースし、女性としての自信と仲間意識、そしてストレートなカントリーバンガーとバラードでウィスキー片手に溢れるほどの絶賛を浴びたレコードです。過去にMexican Summerからリリースした『Cosmic Wink』(2018年)と『Sorceress』(2020年)の後、ウィリアムソンは新しい方向へシフトする準備が整っていると感じていました。幼少期に愛したものを再確認し、プロセスをシンプルにし、友人と音楽を作ることは、ウィリアムソンにとって最高の前進であることが証明された。


2020年初頭、新たな疎遠に慣れ、自分の思考と隔離されながら、ウィリアムソンは自宅で一人でストリップバックな単体シングル「花の絵」を書き、レコーディングを行った。この経験は、『Time Ain't Accidental』の土台となった。この曲の歌詞のテーマは、地上的で平易なもので、ウィリアムソンの声はドラムマシーンに合わせられ、友人のメグ・ダフィー(ハンド・ハビッツ)による質感のあるギターと組み合わされている。やがてウィリアムソンは、音楽的には自分一人でも十分に通用する、いや、それ以上に優れていることに気づく。Weyes Blood、Kevin Morby and Hamilton Leithauser、José Gonzálezとのツアーは、この新しい自己肯定感を強め、それまで演奏したことのない規模のスペースで彼女の声を響かせることができた。


パンデミックの不安の中、ウィリアムソンはロサンゼルスでデートを始め、興奮、不安、失望に満ちたリアルな体験を中心にデモを録音した。ドラムマシンは、iPhoneアプリという形で登場し、真のソロシンガー、ソングライターとして、誰の影響も受けずに自分自身の音を見つける女性として、新しい道を切り開く決意を固めた。それは孤独で、しかし啓示に満ちた時代だった。


その時の核心的なエッセンスは、"Hunter "の冒頭の一節に集約されている。"私は狼に放り出され、生で食べられた "とウィリアムソンは歌い、澄んだ瞳で、反対側に出てきた決意を持っている。LAでの交際は波乱に満ちていたが、この曲のサビやアルバムの根底にある「私は本物を探すハンター」という感情を支える極点を発見したのである。


このテーマは、鮮やかなトーチソング 「Chasing Spirits」で、スティールギターの囁きとともに、「私たちの違いは、私がそれを歌うとき、本当にそれを意味すること」と歌っている。同じエネルギーが 「God in Everything 」で蘇ることになる。ウィリアムソンはここで、デートや拒絶といった地上の現実を乗り越える方法として、超自然的なものに目を向けています。"別れたばかりで、一人で監禁されているような状態は、私にとって本当に辛い時間だった "と彼女は回想している。「私が感謝しているのは、静寂と絶望に包まれた時期があったことで、内側に目を向け、自分よりも大きな力に安らぎを見出すことを余儀なくされたことです」と語っています。


ウィリアムソンもアルバムのライナーノーツに、この不安と激動の時代に親しい友人から送られた哲学者のカール・ユングの言葉を載せています。それは次のような内容である。「今日に至るまで、神は、私の意志的な道を激しく無謀に横切るすべてのもの、私の主観、計画、意図を狂わせ、私の人生のコースを良くも悪くも変えてしまうすべてのものを指定する名前である」


一人きりで探し続けること数カ月、ウィリアムソンはついに念願のリアルを手に入れた。まず、「プレーンズ」の構想が生まれ、その後、作曲やレコーディングのセッションが行われた。そして、南カリフォルニアの自宅と生まれ故郷のテキサスとの間を定期的にドライブしていたウィリアムソンは、ニューメキシコの砂漠のハイウェイで、捨てられていた愛犬ナナを発見して保護した。


しかし、良い出来ごとは3回続くもので、彼女はすぐに、テキサス州マーファの古い知り合いと新たな恋に落ちた。このことは、「Time Ain't Accidental」というタイトル曲でストレートに表現されています。「西テキサスで友人を訪ねていた時にお互い好きになったんだけど、その後LAに戻るために出て行ったんだ」とウィリアムソンは説明する。「また会えるのかどうか、いつ会えるのかわからなかったけど、愛に満ち溢れていて、そんな気持ちになったのはすごく久しぶりだった。この曲は、帰国したその日に書いた。ホテルのプールバーでいちゃついて、ドライブに出かけて、甘い夜を過ごし、そして私は帰らなければならなくなり、二人とも次に何が起こるか、もし何かあるとしたら、それは本当にわからなかった」


ウィリアムソンは、デモ音源一式と新たな自信を携えて、ノースカロライナ州ダーラムにあるブラッド・クック(プレインズのプロデュースを担当)のもとへ向かった。慣れ親しんだ環境は、深く個人的な内容を安全に表現する環境を作り出し、ウィリアムソンは無意識のうちに自分の声を解き放った。曲ごとに2、3テイクで録音を行った。「自分の声が解放されたような気がした」と、ウィリアムソンは振り返っている。クックはウィリアムソンに、iPhoneアプリでプログラミングしたドラムマシンのビートをデモ曲の一部に残すよう促し、バンジョーやスティールギターと組み合わせて、オールド・ミーツ・ニューの感覚を明らかにした。


ジェス・ウィリアムソンは現在、テキサス州マーファとロサンゼルスを行き来しています。伝統的なカントリーの楽器編成に、デジタル・エフェクトやモダンなサウンドを加えた『Time Ain't Accidental』は、彼女が故郷と呼ぶ2つの全く異なる場所のエネルギーを明確に体現している。アルバムのアートワークは、ウィリアムソンの言葉を借りれば、「超自然的な力が私たちの周りで作用しており、私たちが正しい時に正しい場所にいることを信じることができる」ということを表しています。


『Time Ain't Accidental』は、本物の何かを探し求め、憧れることから生まれた自信で注目されているが、ウィリアムソンは、彼女の道を阻む不思議な時の気まぐれも認識している(彼女はそれをタイトル曲にささげている)。最終的に、これらの目に見えないスピリチュアルな力が、このシンガーを自分自身の中に引き戻すことになった。このタイミングは、まさに偶然ではなかったのだ。

 

 

Jess Williamson 『Time Isn't Accidental』 Mexican Summer

 

 

物事を難しく考えず、簡素化し、徹底的にシンプルな内容にする。言葉でいうのはとても簡単だけれども、それは並大抵のことではありません。結局、その簡素化に至る過程において、複雑化を避けることは出来ない。最初から簡素化されたものと複雑化された後の簡素化は同じようでいて全く異なる。結局、米国のフォーク/カントリーシンガー、ジェス・ウィリアムソンは音楽と人生という二つの観点から、最終的に、入り組んだものよりシンプルなものが素晴らしいということを悟ったのです。

 

もともとは、ジェス・ウィリアムソンーーテキサス出身の歌手ーーは、高校を卒業した後、何かをする必要があった。それで彼女はテキサスのオースティンにある大学で写真を専攻し、アート全般についての見識を深めることになった。当時の彼女の脳裏をかすめたのは、自分は本来は歌手であり、その本分を深め、探究するということだった。しかし、その後も人生の寄り道をすることになる。やがて、2010年代にウィリアムソンは、ニューヨークのパーソン・スクール・オブ・デザインに通い、修士課程でデザインに対する見識を深めようとしました。しかし、この頃、ようやく彼女は自分はフォトでもなく、デザインでもなく、子供のときから親しんでいた音楽、そして、歌手としての本分を思い出すに至る。それはすぐさま、大学院からドロップアウト、バンド活動という形に結びつく。その後、バンド、ツアー、レコードのリリースという道筋が見え始めた時、デザインスクールに在籍しつづけることは有益ではないと考えた。

 

 21歳。しかし、その後もジェス・ウィリアムソンはどうすれば有名な歌手になれるのか、そしてプロの歌手になれるのか、根本的な方策については明確なプロセスを見出せず、漠然とした思いを抱えていた。一緒にバンドとして活動していた友人が転居してしまったのを機に、作曲に集中するため、故郷のオースティンに帰ることにした。その後も、歌手としての活動を軌道に乗せることに苦労した。当初、自主レーベルでの活動を志してはいたものの、地元のテキサスではたくさんの魅力的な音楽家たちがひしめくようにして活動していた。そして世界的な音楽家になるために不十分であると気がついた。オースティンから世界的な歌手になるためには、少なくとも地元で一番にならないといけない。でも、彼女はそこで一番になる自信はなかったのです。

 

ほどなくカルフォルニアに向かった。以前から、もちろん、80年や90年代からカルフォルニアはトルバドールのオーディションを始め、無名のミュージシャンたちが有名になることを夢見て目指す音楽の商業的な中心地のひとつだった。そして、ジェス・ウィリアムソンもまた西海岸にチャンスが転がっていることに気がついた。 無数のミュージシャンがそこで実際に成功を手にしているのを見、ウィリアムソンも西海岸に引っ越すことになる。夢。以後の時代から彼女は、自主レーベルを中心にリリースを行い、フォークミュージックの理想形を追い求めた。その後の七年間は、ウィリアムソンにとって、全米への進出を目指すための準備期間となった。その間、パンデミックも到来する。しかし、他のミュージシャンがリリースを先送りにし、こぞって2022年を目指している間、パートナーと過ごしながら、その音楽にじっくりと磨きをかけていた。その合間を縫うようにし、昨年、ジェス・ウィリアムソンはワクサハッチーとの共同のプロジェクト、Plainsを組んで、フォーク・ミュージックの理想的な形を追求していた。今でも記憶に新しいが、それは夏の頃だったか、無数のビックミュージシャンのリリースに紛れ込んで、ひっそりとリリースが行われていた。しかし、ほとんどの米国を中心とする音楽メディアはWaxahatchee(ワクサハッチー)とのコラボについて、その動向に少なからず注目していたのです。そして、このコラボレーションは実のところ、三作目のアルバム『Time Isn't Accidental』の重要な素地を形成している。一見、気まぐれのように思えたワクサハッチーとのコラボレーション・プロジェクトは、彼女のキャリア形成にとって欠かさざるもので、また、その音楽性を磨き上げる際には、絶対的に等閑にすることが出来なかった道のりだったのです。

 

その道のりはどこに続いているのか。結局、三作目のアルバムでは、ジェス・ウィリアムソンは古典的なフォークミュージックのスタイルを選び、ギターを中心に曲を書き、およそ3つのコードだけで曲を作り上げるという選択を行った。彼女の選択が間違いではなかったことは「時は偶然ではない』に顕著に現れている。現今のミュージックシーンが複雑化されすぎて、その本質を捉えることが難しくなっている一方で、ハンク・ウィリアムスを始めとするフォーク・ミュージックの原初に遡り、それらをiPhoneのドラム・サンプラーを駆使し、現代的なミュージックとして仕上げた。これについては、今週の他のミュージシャンがまったく予期しなかった、不意をついた音楽的なアプローチをジェス・ウィリアソンのみが実行していることがわかる。

 

 ほとんど驚くべきことに、ジェス・ウィリアムソンが挑んだ三作目のアプローチはミニマリズムにも比するシンプルな内容である。

 

オープニングを飾るタイトル曲「Time Isn't Accidental」は、サンプラーのドラムで始まり、モダンなインディーロックのような印象を聞き手に与えるが、その後に続く音楽は、古典的なカントリー/フォークを下地にしている。ギター、歌、バンジョー、ペダルスティールという楽器のゲスト・ミュージシャンをレコーディングに招き、現代のミュージック・シーンを俯瞰するかぎり、簡素な音楽を提示している。無数の選択肢がある中、歌、ギターのみで構成されるこのオープニングは、テキサスの肥沃した大地の雄大さを思わせ、のどかなフォークミュージックの核心に迫っている。しかし、実際の音楽が示すとおり、カントリーに加え、70年代のポップスの影響を織り交ぜるウィリアムソンの音楽は、それほど古いという印象は受けず、聴き込めば聴きこむほどに新鮮な質感を持って感覚に迫って来る。これは本当に驚くべきことです。

 

「Hunter」

 

 

その後の「Hunter」では、より原初的な米国の民謡の原点へと迫る。そしてオーケストラのコントラバスの力強い通奏低音のように鳴り響くアコースティックのギターラインはほとんど基音の「Ⅰ』が続き、曲の中でほとんどコードが変更されることがない。これは画期的な試みです。一般的なミュージシャンであれば、曲調に変化をつけるため、せわしなくコード変更を試みようとするのだが、ウィリアムソンはその手法をあえて避けている。通奏低音の持続を活かして、バックの演奏をみずからの歌声のみによって曲の中に抑揚を与え、集中して聴いていないとわからない、わずかな変化を与え、そして実際に、単調なコード進行ではありながら、曲が飽和状態を迎えることがほとんどない。いや、むしろ、そのベースとなる基音の単調な持続は、むしろ楽曲にドライブ感を与え、歌声に豊かな情感を付加するのです。これは、ミュージシャンの深いフォーク音楽への愛情と故郷の文化への礼賛が示されているからこそ、こういった円熟した深い情感が楽曲の中に引き出されるのでしょうか。それはジェス・ウィリアムソンのフォーク/カントリーに対する信頼、また、言い換えれば、故郷のテキサスに対する信頼が一時も揺るがぬことを証明づけている。そして、その音楽と故郷への分かちがたい結びつきは、当初は漠然とした印象を放っているが、曲が進むごとに次第に強まっていくような気がするのです。

 

 「Chasing Spirits」

 

 

 

続く「Chasing Spirits」もまた雄大な米国南部の自然を感じさせる曲で、例えば、エンジェル・オルセンの書くフォーク・ミュージックにも近い雰囲気のナンバーである。ここではスピリチュアルな存在への親愛を示し、70年代のポップスを基調にした温和なフォークミュージックの理想形が示される。アルバムの中で最も勇敢に響くジェス・ウィリアムソンの歌声は、アメリカの国土へのたゆまぬ愛、そして霊的な存在への憧れという形で紡がれていく。カントリー調のギターのアルペジオ、その背後に配置されるシンセのシークエンス、ペダルスティールの恍惚としたフレーズがそれらの雄大な情感を見事に引き立てており、聴いているとなんだか気持ちが絆されるようだ。

 

「Tobacco Two Steps」では、古き良きフォークバラードの形式を通じて、懐かしい米国の文化性を呼び覚まそうとしている。幻影的な雰囲気の向こうには、今最も注目を受けるワイズ・ブラッドの書くような古典的なポピュラー・ミュージックへの親和性が示されている。それは時代が変われど、良い音楽の理想的な形は大きく変わらないことを証明づけている。この曲には、砂漠の風景をはじめとするワイルドな情景がサウンドスケープとして呼び覚まされるかのようである。それは、ワイルドであるとともに、映画的なロマンスも読み解くことも出来る。しかし、曲を聴きつつ、どのような情景を想像するのか、それは聞き手の感性に委ねられているのです。


アルバムのジャケットを見てみれば分かる通り、デザインされるアーティストの姿、その背後はなだらかな草原が広がり、また青と紫とピンクをかけ合わせたような神秘的な空、その向こうに一筋の稲妻が走る。こういったジャケットは、一昔、米国のロックアーティストが80年代頃に好んで取り入れていたものだったと記憶しているが、それらの神秘的な光景をタイトル曲とともに想起させるのが、続く「God In Everything」となるだろうか。ジェス・ウィリアムソンは、この数年間を、それほど思い通りになることは少なかった、と振り返るが、しかし、そこには神なるものの導きがあったことを、この曲の中でほのめかしている。神。わたしたちは、それをひげをはやした人型の何かと思いがちではあるが、彼女にとってそうではなくて、それは背後の稲妻のように、みずからが相応しい場所にいて、相応しい行動を取っているということなのだという。もちろん、そういった考えに裏打ちされたこの曲は無理がなく、自然に倣うという形で展開される。ペダル・スティールの渋さについては言わずもがな、この曲ではこの数年間の思い出が刻まれ、肯定的な思いで、それらの記憶を優しく包み込む。それは最後にフォークからゴスペルに代わり、そういった人智では計り知れない存在にたいする感謝のような思いすら感じさせる。感謝。それはそのまま人生に対する温かい思いに変化するのである。

 

神秘的な雰囲気は続く「A Few Seasons」で現実的な展開へと引き継がれる。アルバムの中で最も現代的な米国のポップスの型に準じていると思うが、それはまたサブ・ポップのワイズ・ブラッド(ナタリー・メリング)の最新作に近い現実的な制作者の洞察が、叙情的なポップスという形に落とし込まれているように見受けられる。そして、それは間違いなく、昨年のワクサハッチーとのコラボレーションプロジェクト、Plainsの延長線上にある内容でもある。謂わば、前年度の実験的な音楽の探究をより親しみやすく、洗練した形で完成させたと称せるか。この曲の歌詞にはどのような言及が見られるか、それは実際に聴いて確かめてほしいが、人生にまつわる様々な出来事、喜びや哀しみといった多様な色彩を持つ人生観が取り入れられているとも解釈出来る。そして、その人生の体験が実際のポップスに上手く反映されているがゆえ、それほど難しい曲ではないにもかかわらず、この曲はかなりのリアルさで心を捉えるのです。

 

 4曲目のタイトルをもじった「Topanga Two Steps」では、より現代的なポップスに近づくが、その中には、やはりフォーク/カントリーの影響が取り入れられている。近年から取り組んでいたというiPhoneのドラムサンプラーをセンスよく取り入れ、それらにフォーク/カントリーへの親和性を込めた一曲であるが、木管楽器の演奏をビートを強調するために取り入れている。しかし、リズム楽器としての役割を持ちながら、ジャズに近い甘く酔いしれるような効果を、曲の後半部にもたらしている。薄く重ねられるギターのバッキングはロマンティックな雰囲気を曲全体に付加している。曲の最後に挿入されるハモンド・オルガンの余韻はほとんど涙を誘うものがある。

 

「Something In Way」は、ニューメキシコとハイウェイ、そして捨て犬だったナナとの出会いについてうたわれている。同じく、70年代のポップスを想起させる親しみやすいイントロから一転して、オーボエ/クラリネットをリズムとして取り入れたフォーク/カントリーを展開させる。アルバムの前半部よりビートやリズムを意識したノリの良いバックトラックは、捨て犬の声を表すコーラスと合わさり、独特な哀感を漂わせる。中盤から終盤にかけて木管楽器のスタッカートは曲に楽しげな雰囲気と動きを与え、ウィリアムソンのボーカルはファニーな雰囲気を帯びるようになる。いわば、最初の悲しみから立ち直り、信頼感を取り戻そうという過程を、この曲の節々に捉えることが出来る。捨て犬というのは、人間不信になっている場合がとても多いのです。

 

アルバムはクライマックスに差し掛かると、よりドラマティックなバラードの領域に足を踏み入れていく。今作の中でピアノと弾き語りという最も基本的なスタイルでバラードソングに挑んだ「Stampede」はメキシカンなニュアンスを思わせるが、アーティストが基本的な3つのコードだけでどれだけ素晴らしいバラードを作れるか模索する。実際、これは制作者の旧来のポピュラー音楽へのリスペクトで、フォーク音楽に根ざしながら、ジョニ・ミッチェルのような音楽の本質的な良さを追求したとも解釈出来る。そして、それは実際に、短いながらも、何か仄かな余韻を残しつつ、続く、10曲目の前奏曲、または呼び水のような役割を果たしている。

 

私がアルバムの中でも1番心惹かれる曲が、「I'd Come to Your Call」です。この後の2曲は、アルバム制作で最後に書かれた曲という話ではあるが、それも頷ける内容で、それほど派手ではないのに、鮮烈な印象を残す。豊かな感情を込めて歌われるこの曲は、この数年間の出会いと別れについて歌われていると思うが、記憶そのものを歌詞に込め、その時の感情を噛み締めるようにジェス・ウィリアムソンは歌う。コードは変わらない。アコースティック・ギターの短いコードとピアノが合わさる、シンプルな曲調である。しかし、この曲には聞き手の心を動かすスピリットがある。繊細さから、相反するダイナミックな歌のビブラートは、素朴なコーラスと合わさる時、あっと息を飲むような美しい瞬間へと変貌を遂げる。終盤のグリッチ以外は難しいことはやっていないにも関わらず、不思議と心を深く揺さぶられるものがあるのです。

 

ジェス・ウィリアムソンの計画するシンプルな音楽形式は、アルバムの最後に至ろうとも、変更されることはありません。フォークを基調にした軽妙で明るいナンバーによって、「Time Isn’t Accidental」は終焉を迎える。カントリーの伝説、John Denver(ジョン・デンバー)の「Country Road」を彷彿とさせる「Roads」を聴いていると、砂煙の向こう、長い道のりの果てに、何かがぼんやり目に浮かび上がってくる。未来。その道の先には、明るく、和やかなものが続いているような気がする。果たして、これがまだ見ぬ次作品のプレリュードのような意味を持つのだろうか。しかし、その明確な答えは次作品へ持ち越されることになるでしょう。

 

ジェス・ウィリアムソンのニューアルバム『Time Isn't Accidental』はMexican  Summerより発売中です。アルバムのストリーミング、オフィシャルショップはこちら

 

今週もありがとうございました。読者の皆さま、素晴らしい週末をお過ごしください。



85/100



 Weekend Featured Track 「I'd Come to Your Call」