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 坂本慎太郎 「物語のように」 



Label: Zelone Records

Release Date: 2022年6月3日、(国内レコード盤は、9月30日から発売)

 

やはり、日本のインディー界の大御所のリリースがあると、不思議とワクワクするものがある。坂本慎太郎の六年ぶりの新作「物語のように」は、パンデミックを通じて、このアーティストの人生観のようなものを社会情勢を俯瞰して見つめなおすことによって生みだされた作品であるように思える。

 

坂本さんは、tokionのインタビューで「明るく、フレッシュ、抜けが良い感じにしたかった」と話している通り、アルバムにはそこまで時代背景を象徴したような暗鬱な閉塞感のようなものは見受けられない。ゆら帝時代から一貫しているように、シニカルで、本気なのかどうか定かではないユニークさを交え、坂本慎太郎の一貫した世界がアルバムの底流には通じている。MTRでのデモテープづくりという古いスタイルも、このアルバムのノスタルジアあふれる雰囲気をいや増している。時代観とは距離を置いたまろやかなノスタルジア、それこそが坂本慎太郎さんの魅力であり、その「まったり感」を楽しむための一作であると言えるかもしれない。そして、このアーティストらしい歌詞の独特なニュアンスも健在で、それらは「物語のように」、「それは違法です」、「君には時間がある」といった楽曲に表れている。このシニカルで、ちょっと斜め上を行くかのような、坂本さんの言葉の持つ力が随所にきらりときらめいている。

 

既に、海外でも豊富なライブ経験、リリース経験がある坂本さんではあるものの、そういった国際意識とは裏腹に、やはり、「英語で歌うという概念は頭になかった」ようです。なぜなら、彼は誰よりも日本語を愛し、その響きを愛する人物だからである。上記のインタビューで話している通り、海外の人にも、音楽性が通じれば、言葉がつながらないという要素は、むしろプラスに転ずると坂本さんは考える。もちろん、それは細野晴臣さんがLAのライブで受け入れられ、既に「ハネムーン」の歌詞が世界の共通語となっていることからもよく分かることかもしれない。

 

アルバムの音楽性としては、具体的に、このアーティストと指摘するほどの知見を持ち合わせていないものの、 70年代の邦楽ロックに加えて、海外のアーティストの影響を受けて生み出された作品というように見受けられる。それは、ポップス、ハワイアン、サーフ、アフロビート、ファンク、サイケデリック、と、無類の音楽フリークとしての表情を併せ持つ坂本さんらしいサウンドの妙味と相まって、温かく、力みの抜けたグルーヴが作品全体に滲んでいる。これらのサウンドには、音楽を演奏することの喜びにあふれているだけでなく、時代の閉塞感を打破する力が込められている。そして、人生や音楽をより心から楽しむためには、ちょっとした「遊び心」が必要だと教えてくれており、さらに、ときには、人生をこれまでと違った角度から眺めてみることの重要性を教えてくれる。「物語のように」は、日本の正真正銘のインディー・アーティストのキャリアの分岐点であるとともに、彼の最良のアルバムとして挙げても良いのではないか。

 

 

Critical Rating:

78/100

 

 

 

 


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 Horsegirl 「Versions of Modern Performance」

 

 

 

 LABEL:   MATADOR RECORDS

 

 RELEASE:  2022年6月3日

 

 

 

発売当初から、日本の耳の肥えたインディー・ロックファンの間でも熱烈に歓迎された印象のあるホースガールは、Nora Cheng、Penelope Lowenstein、Gigi Reeceによって結成されたシカゴの十代の若い三人組のホープである。元々は、シカゴのスクールコミュニティーを象徴する存在としてシーンに登場し、既に幾つかのアメリカ国内フェスティヴァルでもライブを行っている。元々は、ソニック・ユースのカバーバンドとして始まっており、そのあたりのミレニアム以前のUSインディー・ロックの系譜を受け継いだバンドとして華々しくシーンに登場した感もある。

 

記念すべきデビュー作の「Versions of Modern Performance」は、マタドールからのリリースであり、いわゆるオルタナサウンドの魅力がふんだんに詰め込まれた傑作である。オルタナティヴというのは、メインストリームの反義語として生み出され、「亜流」の意味が込められている。しかし、近年では、Beach Houseを始め、既に亜流は亜流でなくなりつつある。もちろんそれ以前の1990年代初頭のグランジサウンドがビルボード・チャートの上位を占めるようになった時代から、オルタナティヴ・ロックは「亜流」という本義にはとどまらなくなっている。


ホースガールの生み出す音楽が何より魅力的なのは、これらの失われた『亜流」のサウンドの持つ妙味を今一度再解釈し、それを再定義しなおすというチャレンジ精神や冒険心にあると思われる。それはトレモロのゆらぎ(トレモロアームを使っているのかはライブを見たことがないので定かではない)、ピクシーズの初期のサウンドの持つ異質なメロディーライン、そして曲構成についても王道ではない亜流のロックサウンドを、シカゴのトリオは追求しようというのである。しかし、そのトレモロの強いトーンの揺らぎのニュアンスが引き出されたギターサウンドは、例えば、MBVのようなダンスミュージック性ではなく、近年流行のベッドルームポップに近いスタイルを取り、おしゃれで親しみやすいポピュラー・ソングとして昇華しようとしている。つまり、言いたいのは、変拍子は使わず、前衛的なアプローチ小節の単位の中におさまるように込めている。前衛的な手法を取りつつ、さほどマニアックにならないのがホースガールの最大の持ち味なのである。

 

アルバムの発売前に発表されていたいくつかの先行シングルは、このバンドの潜在能力が普通のバンドと比べて抜きん出ていることを顕著に表していた。「Dirtbag Transformation」をはじめとする楽曲は、1990年代のPavemant、Dinaosour Jrのローファイ感のあるギターサウンドに加えて、明らかに、ピクシーズの「Bleed」や「River Ehphrates」に代表されるような異質なメロディーラインを引き継いでいるようにおもえる。全般的に、ホースガールのギターサウンドは常に増幅される傾向にあり、強いディストーションにより彩られ、ヴォーカルはシンガロングであり、叙情性と暗鬱感を漂わせながらも爽やかで力強い印象を持つ。スタジオレコーディングではありながら、ライブのようなドライブ感と迫力が録音には宿っている。つまり、それがホースガールのデビュー作全体をUSインディーを通ってこなかったリスナーも惹きつけるパワーが込められているのだ。さらに、このデビューアルバムの中でのハイライトといえる「Worlds of Pots and Pans」や「Billy」に代表されるように、それらのUSインディーロックの基本的な要素に加え、アイルランドのMBVのポピュラーセンス、スコットランドのThe PastelsやThe Vaselinesといったネオ・アコースティック/ギター・ポップからの影響がほのかに垣間見える。

 

残念ながら、今や殆どのインディー・ロックの多くは、もはや「オルタナティヴー亜流」ですらなくなっている。主流から逸れ、少数派に回ることを何より恐れているのだ。付け加えておきたいのは、人工的に音が荒く作り込まれて、ガシャガシャしていれば、それがそのまま「オルタナティヴ」であるというわけではない。この点が多くのロックバンドが勘違いをしてきた。しかし、ホースガールは、インディーロックの持つ本当の魅力を探求し、それを2020年代に復権させようとする勇敢なバンドである。それらを、作り込んだ偽物の音楽ではなくて、本物のライブサウンドとして提示している点については、本当に素晴らしいというしかない。1980年代後半に登場したケンタッキー、ルイビルのスリントに代表されるように、それ以前のアメリカの西海岸のザ・ソニックスをはじめとするガレージロックシーンの魅力的なバンドのように、10代の若者たちがこういったプリミティヴでありながら、ひときわ完成度の高い音楽を生み出すというのは驚愕である。音楽の方向性として、バンドの意図するところが明快に汲み取れ、さらに芸術的で先鋭的な印象を持つ「Versions of Modern Performance」は、2020年代のアメリカのインディー・ロックの復活を高らかに告げる記念碑としての意味を持つアルバムとなる。素晴らしいオルタナティヴ・ロックバンドの真打ち登場と手放しの称賛を贈りたい。

 

 


90/100

 

 



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 小瀬村 晶   「Pause(almost equal to)Play」 EP


 

 


 

Label: Schole/Universal Music

Relase Date:2022年5月29日

 

 

 

 

日本のポスト・クラシカル・シーンを代表するアーティストでもあり、レーベル「Scole」の主宰者でもある小瀬村晶さんは、ここ最近は、ピアノの小品をシングル形式でリリースしていました。ほとんど実はすべてチェックしていてなかなか取り上げる機会がありませんでしたので、今回、あらためてレビューとして取り上げさせていただきます。元々、日本国内でもエレクトロとは文脈を異にするアイスランドのMumをはじめとするミュージックシーンに代表されるエレクトロニカ/フォークトロニカというジャンルがそれほど有名ではなかった2000年代から活動を行ってきた小瀬村晶さんは、アメリカのGoldmundやドイツのNils Frahm、アイスランドのOlafur Arnaldsの初期の作風を彷彿とさせる繊細かつ叙情性を持ったピアノ曲を数多く作曲していて、他にも、日本ではドラマなどのサウンドトラックを手掛けています。彼の最新作となる「Pause(almost equal to)Play」EPは、このところシングルリリースを続けていたアーティストの久しぶりのミニアルバム形式の作品です。

 

このEP「Pause(almost equal to Play)Play」は、近年のピアノ曲の作風とは明らかに雰囲気が異なり、単なるピアノ作品ではありません。このアーティストの方向転換を予感させるようでいて、一方、最初期のレーベルのコンセプトであるエレクトロニカに近いアルバムです。つまり、この作品において、小瀬村さんは、レーベル「schole」が始まった当初のコンセプトのいわば原点に立ちかえり、その魅力やルーツを今一度見直そうとしているように思えます。それらは、これまでのレーベルのエレクトロニカ/フォークトロニカ、ポスト・クラシカルといった音のクロニクルのようなものを自身の作品の中で捉え直そうという意図も伺えます。

 

特に、オープニングを飾る「Pause」は知る限りでは、これまで小瀬村さんが作曲してこなかったタイプの楽曲であり、少し語弊はあるかもしれませんが、スクウェア・エニックスのロールプレイングゲームのサントラのような雰囲気が漂い、さらに独特な内向的なノスタルジアがほのかに漂っている。これらのゲームサントラが素晴らしいことを知るリスナーにとっては、新たな発見がもたらされるはずです。元々、テクノ/ミニマルグリッチ的な指向性を持ち合わせたサウンドプロダクションを行うレーベルとして発足したインディーズレーベル「Scole」のレーベルオーナーとして矜持のようなものがこの曲に顕れているように思えます。


その他にも、ミニマルとしてのピアノ曲「elbis」では、このアーティストの持ち味である繊細さ、内向性を保ったまま、そこに、ドイツのニルス・フラームに近い、実験的な電子音楽のアプローチを交えていたり、また、これまで多くの日本国内のテレビドラマの作曲を手掛けてきた劇伴音楽家としての矜持が伺えるのが、ラストに収録されているタイトルトラック「Pause 」であり、やはり、これまでの小瀬村作品と同様、映画音楽を思わせるような視覚的な効果に満ち溢れており、思索的(ピアノを弾きながら何か深い考えにふける)でもあり、ドビュッシーのようなフランス近代のアーティストの印象派に近いアプローチが図られているのにも注目しておきたいです。

 

個人的には、これまでの小瀬村さんの書いてきたアルバムの中で、円熟味、深い味わいが感じられるように思え、ミックスの段階でアルバムの音楽性が壊れないように細心の注意が払われており、また、同じように、隅々までどのように音を配置するのかに心が配られ、音が細かい部分まで丹念に作り込まれている印象。これまでのシングルより前衛的な作風と見ていて、このアーティストの意外性を示した作品として位置付けています。今後、以前より、電子音楽において実験的な方向性に進んでいくのではないかと期待させるものがあり、「日常のやすらぎ」というレーベルのコンセプトに沿ったミニアルバムであり、これまでの小瀬村作品に触れてこなかったリスナーの入門編としても強くおすすめします。

 

Critical Ratings:

85/100 




 Laura  Day Romance 「Roman Candle 憧憬蝋燭」




  

Label: lforl

 

Release Date:2022年3月16日

 

Genre : Alternative Folk/J-POP

 

 

2017年に東京で結成され、翌年、デビューEPをリリースしているローラ・デイ・ロマンス。他にも2018年には世界的な知名度を持つイベント、サマーソニックにも出演を果たしていて、インディーポップバンドではありながら、一般的なリスナーの間でも徐々に注目度が上がりつつある四人組です。

 

往年のサニーデイ・サービスのように、スコットランドのネオ・アコースティックに近い作風が特徴であり、その他、平成時代の日本のグループ、My Little Lover、Brilliant Greenに近い叙情性を滲ませる音楽性が特徴です。また、洋楽にも親しんでいると、メンバーが語っている通り、アメリカのニューヨークのバンド、ビックシーフにも近いオルタナフォーク性を擁している。


3月にリリースされた「Roman Candle 憧憬蝋燭」は2020年の「farewell Your Town」に続く二作目のフルアルバム。前作のアルバムでは童謡や歌謡を下地にした可愛らしい世界観を展開していたローラ・デイ・ロマンスはこの最新作のおいて、それとは全く別のアプローチに取り組んでおり、ゆるやかで爽やかさのあるインディーフォーク/オルタナフォークにシフトチェンジを図ってます。ギター、ベース、ドラム、キーボードの編成が生み出すバランスの取れた安定感のある作品が生み出されている。 

 

基本的にはこの四人組の音楽的なバックグラウンドと思われる平成時代のJ-POPを下地に、そこに、ディストーションギター、エレクトリック・ピアノ、スティールギター、その他にも、DTMを介して、ソフトシンセサイザーの実験的な音色やシークエンスを取り入れている点が、この四人組の音楽性にオルタナティヴ性を付け加えています。


しかし、それらのオルタナティヴ性はそれほど取っつきづらいものとはなっていません。その理由は、このバンドはスピッツやサニーデイサービスのようにJPOPらしい聞きやすいフォークに取り組んでいるから。アレンジ面で多少実験的な試みをしたとしても、そのバンドの軸のようなものがぶれない。バンドサウンドとしては相当洗練されているので、多少の冒険をしたところでは、これらのJ-POPサウンドらしい特徴が崩れたり、薄められたりはしないでしょう。

 

渋谷を拠点にするグループのためか、このアルバムは、特に平成時代の「Shibuya-Kei」の音楽性に重点が置かれているように感じられるのが良く、さらにその要素の上に、現代的なフォークの色が取り入れられているのも素晴らしい。

 

このバンドの持ち味である以上に挙げた要素、いや、それ以上のJ-Indieの精神性のようなものが、この新作アルバム「Roman Candle」では存分に発揮されており、ひねりのない王道の平成時代のJ-POPの穏やかで開放感に溢れたインディーフォークの王道が体験出来、さらにコンクリート・ジャングルーー東京に生きる人々に癒やしをもたらしてくれるような作品です。ヒップホップやロックにおいては、海外のアーティストが何枚か上を行っているのは事実なんですが、海外の作品だからという理由だけで持ち上げすぎるのも良いことではないはずです。日本にも良い音楽があるんだということを改めて痛感させてくれる素晴らしいアルバムです。


(Critical Rating 86/100)


 

 


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 Wilco 「Clue Country」

 


Label: Bpm Records/BMI

 

Release:05,27.2022



シカゴのインディーロックバンド、Wilcoの5月27日にリリース済みである二枚組のスタジオ・アルバムは、フロントーパーソンの、ジェフ・トゥイーディーによって書かれた21曲収録の作品です。

 

バンドは、パンデミックの最中にこのアルバム制作に着手し、ゆっくりと作品が完成へと導かれました。録音は、彼らの地元であるシカゴの「The Loft」にて、ライブセッションのような形で行われています。

 

元々は、シカゴのマリンタワーのアートワークで知られる2002年の名作アルバム「Yankee Hotel Foxtrot」に代表されるオルタナ・カントリーともいえる作風で一世を風靡したバンドではありますが、どことなく2000年代のコンピュータープログラミングの要素をそれらの伝統的な音楽の中に取り入れたアヴァンギャルド性も垣間見えるバンドです。当時、フロントマンのジェフトゥイーディーは「カントリーバンド」とみなされることに懐疑的ではありましたが、時を経て、彼は今ではそのことをいくらか感謝しているというように語っています。


ウィルコの最新作については、ジェフ・トゥイーディーの言葉にあらわれている通り、コンテンポラリーなカントリー/フォークというより、さらに、それよりも古い時代の音楽に接近しようと試みており、それらがアルバム全体に独特なこのバンドらしい渋さ、叙情性、さらにそれにくわえ、センチメンタリズムが込められています。ジェフ・トゥイーディーは、年月を経て、世の中の出来事について深い理解をし、それを歌、バンドとしてのレコーディングにおいて「メモのように書き留めておきたかった」というように話しています。彼が気がついたこと、それらはときにエモコアに近い叙情性を滲ませた温和なカントリー/フォークという形で表現されています。


アルバムは、全体的に、現代のミュージック・シーンから一定の距離を置き、自分たちが求める音楽を徹底的に追求しているように見受けられます。それがウィルコにとってはカントリーという形であって、それをストイックに追い求めることで、このアルバムに強い芯のようなものが通っている。

 

古典的なフォーク/カントリー性を突き出した#10「Tired of Taking It Out On You」#15「Hearts Hard To Find」といった楽曲も、ジョージ・ハリスンの晩年の名曲を思わせるものがあり、爽やかな雰囲気が込められています。その他にも、ウィルコらしい実験的手法を交えた「Many Words」では、「Yankee Hotel Foxtrot」のクライマックス「Reservation」を彷彿とさせる美麗さが味わえます。本作は、円熟期を迎えたロックバンドの音を介しての歴史の探求と称すべきロマンチシズムにあふれており、もちろん、2000年代初頭の名作「Yankee Hotel Foxtrot」のような劇的さこそ感じられませんが、表向きの静かな印象と異なり、かなりワイルドさが込められた作品です。

 

78/100

 

 

 

 

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 Toro y Moi 「Mahal」

 


 

Label:  Dead Oceans

Release Date: 2022年4月29日

 

 

これまでトロイモア/チャズ・ベアは、アメリカ西海岸のモダン・チルアルトシーンの象徴的なアーティストとして定義づけられているものの、このアーティストの真の魅力は、ヴィンテージソウルを下地にしたサイケデリック性にあり、そして、他でも頻繁に意見が聞かれるように、ゆるく、まったりとしたファンク性にある。つまり、チャズ・ベアの感性の良さというのは、JBやウィリアム・ブーツィー・コリンズといった王道のファンクを通ってこなかったリスナーにも親しみやすいファンク性に求められる。

 

 その点は、この7作目のアルバムでも変わりありません。聞き方によっては、その点についての印象をことさら取り上げて、刺激性や新奇性に乏しいという評価を与える批評家も中にはいるかもしれませんけれど、もちろん、その点は完全に間違っているわけではないでしょう。しかし、このアルバムで展開されるヴィンテージ色あふれるカラフルなソウルは、これまでのファンクにはなかったような独特な雰囲気に溢れ、それは「内省的なファンク」とでも形容すべきものです。そして、チルアルトのアーティストらしく独特の癒やしを持ったチル・ソウルともいうべき独特な雰囲気と魅力を併せ持っています。チャズ・ベアは、これらの要素を、この「マハル」においてうまく調理しており、アンノウン・モータル・オーケストラのゲスト参加を受け、往年のサイケデリックロックバンド形式の手法により、ファズ、ワウといったエフェクトを加えたサイケデリックなイメージを持つギターフレーズ、現代的な手法ーーヒップホップのターンテーブルのスクラッチ的なサンプリングを、オーバーダビングすることによって前衛的な音楽に仕立てている。

 

アルバムの中に、人目につかないようにこっそりと込められたチャズ・ベアのアヴァンギャルド性は、聴き込めば聴き込むほど、耳にじわじわ心地よく馴染んでくる。また、それらの西海岸らしいサイケファンクの要素に加えて、ザ・ビートルズ時代、ポール・マッカートニーが好むような親しみやすいメロウさ、誰が聴いても簡単に理解できるキャッチーなメロディーやコードの特性を付け加えている。リズム性においても多彩な手法が取り入れられており、ファンクだけでなく、ラテン音楽の要素が込められたダンサンブルな変拍子が導入されているのにも注目。チャズ・ベアの音楽のアプローチは、一見、新鮮味に欠けるように思われますが、実のところ、じっくり何度も聴き通すうち、相当、聴き応えがあり、前衛的な作品ということが理解出来ます。

 

 以上のような、しちめんどくさい話を抜きにしたとしても、全般的に、ゆるく、まったりした、その場の空気感を損ねることのない、良質なBGMとしても楽しむことが出来るはずです。特に、作品中で、三曲目に収録されている「Magazine」は、内省的なサイケファンクとしての異質な煌めきを放っている。スタンダードアンセム「Me Postman」では、ビンテージソウルの魅力的なアシッドの雰囲気が漂っている。「Mahal」は、全般的に、初見においては鮮烈な印象こそ乏しいかもしれませんが、その実、聴き応えがあるアルバムで、また、聞き手の心を和ませる効果も込められている。レコード盤として聴くと、より大きな真価を発揮しそうな作品です。評価は度外視にして、チルアウト、ファンク、ローファイあたりが好きな方は、是非とも手元に置いておきたいレコードとなります。

 

(Critical Rating:82/100) 

 

 


 

 

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  Florence+The Machine  「Dance Fever(Deluxe)」

 


 Label: Universal Music/A Polydor


 Release Date: 5/18,2022

 

 

 フローレンス・ウェルチ率いる、イギリスのロックバンド、フローレンス+ザ・マシーンの最新作「Dance Fever」は、ジャック・アントノフをゲストミュージシャンとして迎えいれ制作されました。すでに、先行シングルのミュージックビデオから、このアルバムのストーリーが明確に描き出されており、それらはロード・オブ・ザリングをはじめとするファンタジー映画に見られるような中世ヨーロッパの文学性の雰囲気が滲み出ていました。さらに、この作品は、それらの世界観を受け継ぎ、現代的なディスコポップ、コンテンポラリー・フォークを融合させることによって、さながらハリウッド映画のようにダイナミックな迫力を持つポップミュージックが生み出されています。


今作のレコーディングのほとんどはロンドンで行われています。しかし、アルバムの制作段階の最初期に暗礁に乗り上げ、フローレンス・ウェルチ、及び、バンドは、パンデミックウイルスの蔓延のため、他の多くのミュージシャンと同じように、レコーディング作業を中断せねばならなくなりましたが、そのマイナスの反動があったことにより、ウェルチは、社会的な現象や事件に眼差しを注ぎ、それらをユニークさを交えて、ソングライティング、実際の歌唱法にその洞察を取り入れているように思えます。

 

フローレンス・ウェルチは、ここ2、3年の間に起きたパンデミックをはじめとする様々な世界的な事象を直視しつつ、それらをユニークかつ、幻想的に捉えることにより、アルバムの世界観を上手く引き出すことに成功しています。ベルギーの画家ブリューゲルの絵画の「死の舞踏」に描かれている「コレオマニア-舞踏病」に作品の主題を置き、それらをポピュラー音楽として見事にファンタジックな物語、視覚的な音楽として昇華しています。それらの要素は、このシンガーのもつ力強さにより派手な表現にまで高められている。さらに、テーマとして内在しているのは、パンデミックだけでなく、ウクライナ侵攻に対する叛逆のようなものも滲んでいる。それというのも、「Heaven Is Here」のミュージックビデオは、偶然、ロシアがウクライナ侵攻を行う直前にキーウで撮影が行われています。そういった歴史的な資料としても大変重要な意味、暗示が込められているのです。

 

「Dance Fever」の根幹をなす中心的な主題「中世の舞踏病」は、謂わば、現代における大衆の扇動に対するイギリスのアーティストらしい紳士性、気品あふれる社会的風刺がオブラートに包まれて表現されている。しかしながら、すごいと感心してしまうのは、フローレンス・ウェルチが歌うと、それほど深刻にならずシリアスにもならない。その理由は、彼女が現実を一種の幻想としてみなしているからなのかもしれません。それでも、彼女の歌声はどこまでも真摯であるため、リスナーの心を強く捉える力強さがある。さらに、彼女は、自分の高らかな歌声によって、聞き手に対して、慈しみあふれる手を差し伸ばす。そこには、たとえ、どのような暗い状況にあったとしても、それを幻想的にとらえなさいという、このアーティストなりの優しいメッセージが示されているようにもおもえる。アルバムは、常に、ゴシック色のつややかでゴージャスな雰囲気に彩られており、これまでの作品よりもたしかな手応えに溢れ、歌声には円熟味や深みがあり、物語として大掛かりな表現性を、ウェルチは自身の歌そのものの持つパワーによって引き出している。特に、「Back In Town」で見られるゴスペル調の渋さと深みを併せ持つ素晴らしいポピュラー・ソングは、パンデミックを経験したからこそ生み出されたもので、ウェルチのシンガーとしての精神的な大きな進化、さらに、慈愛のような情感がありありと表されていると言えるでしょう。

 

その他にも、追加リリースされたデラックス・バージョンには、オリジナル盤に収録されていた4曲のアコースティックバージョンに加え、アルバムを制作するにあたって最もウェルチが影響を受けたというイギー・ポップの「Search and Destroy」のカバーが収録。これらのゴージャスな大衆音楽は、ポップな性質、それとは相反するロックとパンクの性質を兼ね備え、現代と中世を音楽の物語を介して自由自在に往来する想像力に富んだ素晴らしい作品の一つです。

 

 

88/100

 


Featured Track 「Back In Town」


 

 

 

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 Watashi Wa 「People Like People」


 

 

Label:  Tooth&Nail

 

Release Date:  5/20,2022


 

ワタシワは、カルフォルニアのサン・ルイス・オビスポで2000年に結成されたロックバンドで、何度か活動休止を挟みながら今日まで活動を継続しています。Tooth&Nailと契約するバンドということもあって、初期はポップパンク、エモ寄りの音楽を奏でていますが、コテコテのパンクバンドではなく、どちらかといえば、スタンダードなアメリカンロックをバンドの主な音楽性としています。

 

先週末、これまでと同じく、USパンクのレーベル「Tooth&Nail」からリリースされた「People Like People」は、ポップ・パンクの質感に加え、アメリカンロック、ソフトロック、エモ、それからほんのりとR&Bの影響を滲ませたミドルテンポのカラフルなロックが展開されています。

 

さながら、90年代のカルフォルニアのオレンジカウンティのポップパンク/スケーターパンクの全盛期に舞い戻ったかのような音楽であり、グリーンデイやオフスプリング、その後のセイヴズ・ザ・デイあたりのポップパンクムーブメントで完全に消費されてしまったスタイルではあるものの、むしろそれが逆に、2020年代にやると、不思議な新鮮味が感じられるのが興味深い点です。

 

最初期の00年代のワタシワとは異なり、「How Will We Live?」で聴けるようなトロピカルソウルの雰囲気を擁するリラックスナンバーに新しくチャレンジしているのも面白さが感じられます。その他、パンクバンドらしく、COVID-19を皮肉ったものと思われる「x COVID-19x」もブラックジョークの雰囲気に塗れた興味深いトラックで、メロディックハードコアに奇妙なエレクトロの雰囲気を付け加えた「Land Of The Free」を始めとする、真面目なのかフザケてるのかよくわからないような曲もある。一作品として散漫な雰囲気もありながら、ところどころ瞬間的な煌めきがあり、捉えどころがない反面、バラエティーに富んだ面白いアルバムであることは確かです。

 

もちろん、このアルバムの楽曲には、表向きには人目をひきつけるような華美さこそ乏しいものの、ソフトロックとして気楽に楽しめる良質な曲も複数収録されており、さらに、バンドとして円熟味が加えられた地味な渋さを滲ませている。ワタシワのアプローチには、少しだけ古臭さを感じる一方、長年、活動するバンドとしての信頼感もある。スピードチューンにそろそろ飽きてきたパンクファンは、このアルバムに何らかの面白みを見出せるかもしれません。


ジョージ・ルーカスが監督を務めた往年の名画「アメリカン・グラフィティ」のようなアートワーク、そして、バンド名の下に記された「愛が答えです」という日本語のメッセージも、なんとなくユニークで可愛く、微笑ましい。アメリカの古き良き時代を体現したようなエモーショナルなアルバムで、現代のミュージック・シーンに大きな影響力こそ与えないと思われるものの、音楽における淡いアメリカン・ノスタルジアへの憧憬が遺憾なく引き出された作品です。

 

 70/100

 

 


「Trust Me」


 

 

 

 

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 The Smile 「A Light For Attracting Attention」



 


Label:  XL Recordings

Release Date: 2022年5月13日

 


Review 


「A Light For Attracting Affection」は、レディオヘッドのフロントマン、トム・ヨーク、ギタリストのジョニー・グリーンウッド、そして、サンズ・オブ・ケメットのドラマー、トム・スキナーによるスリーピースバンドのデビュー作。結成から約一年を経てリリースされました。先週のケンドリック、フローレンス+ザ・マシーンと並んで先週の大きな話題作であり、新作アルバムは長年のコラボレーター、ナイジェル・ゴールドリッチを迎えて制作が行われています。

 

何か、トム・ヨーク関連のレコードを説明するのに「デビュー作」というのも気分が落ち着かないような気もします。なぜこんな試みをしたのかと言えば、おそらく、トム・ヨークは、最近レディオヘッドとして失いかけていたバンドを立ち上げた際の新鮮な息吹のようなものを、このバンドで再体験したかったのではないでしょうか。そして、彼の思いは、アルバムの中で多種多様な形をとって表れています。およそ、BBCのドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」のサウンドトラックとして提供された「Pana-Vision」に象徴されるように、「トム・ヨーク節」とも称せる独特な旋律を擁する幽玄な雰囲気に満ち溢れています。喩えるなら、手元にあるアンティークの世界地図を取り上げ、その架空の場所を隈なく眺めるかのような文学的な描写も見受けられる。 


音楽的には、トム・ヨークの内省的かつ繊細な雰囲気が醸し出されているのは、これまでのソロやバンドから引き継がれた要素でもある。数年前、レディオヘッドとしてジョイ・デイヴィジョンの「Ceremony」をカバーしていることからも分かる通り、バンドやソロ活動とザ・スマイルズが決定的に異なるのは、三曲目の「You Will Never Work In Television Again」や七曲目の「Thin Thing」にあらわれているように、ジョイ・デイヴィジョンのようなポスト・パンク的な少々荒削りなロックのアプローチが垣間見えること。それは、アルバムの全体的な作風を彩るUKエレクトリックやダブ寄りの楽曲が目立つ中、ガツンとしたスパイスのようなものを付け加えています。

 

その他、ソングライターとしての変身ぶりが見られる楽曲として、「Free In The Knowledge」、それから、アルバムの最大のハイライトである「Speech Bubbles」が挙げられるでしょう。特に、後者の楽曲では、最初期のレディオ・ヘッドを彷彿とさせるものがあり、さらに、そこに独特な彼の人生観、省察、人生哲学がありありと滲み出ています。特に、「Speech Bubbles」は、これまでのレディオヘッドの楽曲よりも、オルガンやストリングスやピアノをフーチャーし、オーケストラ・ポップの新鮮でゴージャスな色合いを出すことに成功しており、おそらく、「The Bends」の伝説的な名曲「Fake Plastic Tree」の内省的なアコースティックな楽曲を好む方にとっては、またひとつ、トム・ヨーク関連ののアンセムソングが付け加えられたと言えるでしょう。 さらに、トム・ヨークは、近年、思索的な音楽性を好むようになっているように思え、以前の「Ok Computer」の時代を彷彿とさせる繊細性に加えて、独特な渋みがにじみ出ています。 


さらに、もう一つ面白い点を挙げるなら、「A Light For Attracting Attention」のクライマックスを彩る「Skirting On The Surface」は、木管楽器が取り入れられており、これまでのレディオヘッドとは異なるポスト・ロック、ノルウェーのJaga Jaggistのようなジャズ・ロックに近いアプローチが図られている事に注目です。そして、やはり、トム・ヨークの歌はこれまでと同様、悲哀、内省といった、壊れやすいガラスのようなデリケートな雰囲気に包まれており、トム・ヨークにしか生み出せない旋律やリズムのひねりが加えられている。


振り返ってみれば、1990年代、元々は、Pixies、NEUの系譜を受け継ぐオルタナティヴの申し子としてロックシーンに出現したレディオ・ヘッドという存在がきわめて革新的だったのは、他のバンドが取り入れていないDTMの要素をロックバンドとして先んじて導入したことでした。コンピュータープログラミングを介して、1990年代から2000年代の初頭にかけて、他の追随を許さない独創的な音楽を生み出していたのは、既に多くの方がご存知の通りです。


しかし、2000年代半ば以降、誰もが簡単にラップトップを通じて気楽に作曲を行うようになってからというもの、レコーディングバンドとしての神々しさが徐々に失われていったように思えます。無論、無類の音楽フリークとして知られるトム・ヨークとしてもそのことは理解しており、「OK Computer」、「Kid A」の時代の輝きを取り戻そうと、様々な方法で試行錯誤している真っ最中なのです。つまり、ザ・スマイルの旅は、まだ、このデビュー作で始まったばかり、今後、さらなる改善の余地がありそうなプロジェクトともいえるのです。

 

一作品としては、さすがのナイジェル・ゴールドリッチのプロディースというよりほかなく、アーケイド・ファイアの「WE」のダイナミックさとは全く異なるプリミティヴな内向きのロックの質感が提示されていて、物凄い迫力がこもっている。作品としては、ずば抜けて完成度が高く、上記のような聴き応えのある楽曲も収録されていますので、レディオ・ヘッド/トム・ヨークのファン、及び、彼の音楽を聴いたことがないリスナーとしても、ぜひとも手元に置いておきたい作品です。ただ、ひとつ苦言を呈しておきますと、アルバムを聴く前に期待していたような革新性があるかといえば、そうとは言いがたい。彼は、空前絶後のアーティストであり、期待値も飛び抜けて高いため、その点だけが昔からのファンとしては、少しだけ物足りない気がします。

 

80/100

 

 

 

 


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 Say Sue Me 「The Last Thing Left」

 


Label: Damnably

 

Release: 2022年5月13日




韓国、釜山のロックバンド、セイ・スー・ミーは、インディーロックバンドでありながら国内ではBTSに匹敵する知名度を持つ。

 

セイ・スー・ミーは、2013年にデビューを飾ってから、翌年、ロンドンのレーベルDamnablyと契約を結び、楽曲がBBCラジオでオンエアされたほか、シングル「Old Town」が、NPR,KEXP、Pitchforkで取り上げられる。さらに、4月にセカンド・アルバムをリリースし、同年8月には日本で公演を行う。翌年、「韓国大衆音楽賞」では、BTSと並ぶ最多5部門でノミネート。その後、バンドは活動の幅を広げ、ヨーロッパ、アジア、アメリカでツアーを行っています。

 

2019年にドラマーを亡くした後、彼らは悲哀に沈むことなく、それを愛情という形でこのアルバムで表現しようと試みています。他の多くのアーティストと同じように、パンデミックに直面した後、セイ・スー・ミーはレコーディングを故郷の釜山のスタジオ、そして、メンバーの自宅の双方で行っている。また、そう言ったベッドルーム的なアプローチの特徴に加え、アルバムジャケットに表されているとおり、なんとなく可愛らしさが込められているのが魅力。


英国のレーベル”Damnably”からリリースされた最新アルバム「The Last Thing Left」は、一曲を除くすべての曲が英語で歌われていて、ボーカリストのSumi Choiの声質は、涼やかで爽やかな雰囲気をバンドサウンドにもたらしている。アンダーグラウンドシーンのアーティスト、パラノウルやアジアン・グロウと同じように、平成時代初期のJ-Popの影響を感じさせるものがある。

 

セイ・スー・ミーは、淡い青春を交えたノスタルジアーーそれを世界的なトレンドの音楽、ドリーム・ポップ/シューゲイズ、初期のBeach Fossilsのように、古い時代のサーフロックを交えてモダンなロックサウンドとして体現しています。しかし、例えば、上記のバンドやサブ・ポップのBeach House、イギリスのWet Legとは異なるアジアンテイストが滲んでおり、この辺りのセンチメンタルな空気感が琴線にふれるものがある。全体的には、良質なインディーロックらしい音楽性が貫かれ、キャッチーさがありつつも、ロックサウンドの中に強い芯のようなものが通っている。そこには、バンドメンバーの純粋な音楽フリークとしての姿が何となく垣間見えるようです。

 

「The Last Thing Left」は、セイ・スー・ミーにとって、重要な意味を持つ作品です。かれらは、音楽を奏でること、歌を歌うことにより、内なる悲しみを噛み締めたままで、ゆっくり、ゆっくり、バンドとして走り出す。かれらは、自分たちの姿を、殊のほか大きく見せようともせず、また、小さく縮こまろうともせず、等身大そのままで、未来へと足どりを進める。バンドとしての大きな真価は、5曲目の「No Real Place」に顕著な形で表れており、やるせなさ、せつなさ、かなしみ、といった複雑な感情を秀逸なインディー・ロックサウンドで見事に彩ってみせている。2019年、これまで、ずっと一緒に活動してきた盟友を亡くしたセイ・スー・ミー。かれらはそれでも立ち止まることはない。悲しみを胸に抱えたまま、たとえ、傷ついたとしても、これからも、前に、前に、走り出していく。


(Score:75/100)

 

 




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Gilad Hekselman 「Far Star」

 


 

Label: Edition Records

Release Date: 2022年5月13日



イスラエル出身、現在ニューヨークを拠点に活動するジャズギタリストの新作「Far Star」は、テルアビブ、ニューヨーク、フランスの三箇所でレコーディングが行われたジャズアルバムです。

 

ヘクセルマンをはじめ、盟友であるキーボード奏者のシャイ・マエストロ、ドラム奏者のエリック・ハートランド、他にも、ジブ・ラビッツ、アミール・ブレスラーといったジャズミュージシャンがレコーディングに参加。結果的には、パンデミックの不測の事態が生じたことの反動により、冒険心あふれるサウンドが生み出されています。

 

「2020年初め、家族と一緒に東南アジアの旅から戻り、新しい音楽を演奏する機会を用意していた。 ところが、パンデミックに見舞われ、音楽を演奏するために残されたのは、楽器、マイク、コンピューターだけだった、他のみなと同じように、この緊急事態がどれだけ続くのかもわからないまま演奏を始めた。レコードを作るときが来たら、すぐさま音源をバンドに送ってみようと考えていた、それから、私はレコーディング・エンジニアの経験もなかったため、何百ものチュートリアル動画を参照し、サウンドエンジニアのレッスンを受け、何千時間を割いて、ファースターと言う作品を完成させた」

 

ギラッド・ヘクセルマン自身が以上のように語っているように、これまでの彼のキャリアの中で最も労作といえ、キーボード奏者のハートランドが半分の楽曲に参加している他は、ほとんど彼自身の手で生み出されたとも言える。カントリージャズを中心に、エレクトロニカ、ヒップホップまでを踏襲し、ヘクセルマンのキャリアの中でも最も刺激的な作風が生み出されています。

 

パット・メセニーのようなカントリーの質感を追求した「Long Way From Home」で、彼はまるでパンデミック時代のことなどどこ吹く風とでもいうように朗らかな口笛を吹いていますが、これはアルバム「FarStar」のメインテーマとして掲げられ、このフレーズを中心に彼の哀愁あるアルバムの持つ多様な世界が繰り広げられていきます。ヘクセルマンのギター・プレイはジャズのスケールを忠実になぞらえながらも、アバンギャルドなインプロヴァイゼーションを見せる場合もあります。

 

今回のアルバムは、フュージョンジャズ、カントリージャズを中心に楽曲が組み上げられていますが、盟友ともいえるハートランドの演奏との息がぴったりと取れていて、時にそれはアバンギャルドなフレーズに意図的に挑戦しているのは、パンデミックという抑制感の強い時代の産物ともいえます。そこにさらに、これまでのヘクセルマンのカントリー、フュージョンの要素に、エレクトロニカ、そして、ヒップホップの要素を加え、現代的な質感を持ったニュージャズの領域にチャレンジを挑んでいます。

 

オープニングトラック「Long Way From Home」から「Magic Chord」、アルバムの最大の聞きどころとなる「Cycles」、ヒップホップの要素を取り込んだ「The Headrocker」、アバンギャルドジャズの領域にチャレンジを挑んでいるラストトラックの「Rebirth」に至るまで、ジャズ・アンサンブルとして落ち着きがある一方かなりスリリングな演奏を味わっていただけるはずです。

 

ジャズとしての一つの醍醐味は、以前からの伝統性を引き継ぐとともに、そこに新たな表現としての何らかの前衛性を求めることだということはヤン・バルケのレビューで以前にも述べましたが、ギラッド・ヘクセルマンは見事にこの作品でそれをやり遂げています。

 

このアルバムは、フュージョンジャズとしての深い味わいを持つと共に、パンデミック時代の抑圧から自らを解放されるための冒険心が感じられる快作です。また、ギラルド・ヘクセルマンは、「Far Star」というタイトルについて以下のように述べていますが、この言葉がおそらく、作品の魅力を一番上手く表現していると思われます。


「Far Star」とは、何なのかというと、私たちの創造力を駆使し、部屋の中から、遠い音の銀河まで旅を企てることだ」と。さらに、ギラルド・ヘクセルマンは語っています。「これらのパンデミックの最中に制作された音楽は、私たちの生活の中で、明らかに非常に厳かった時代を通して、私がつくづく感じていたことに尽きる。それは、どういうわけか、大きな自由と解放の思い出の名残りを仄かにとどめている」と。


(Score:85/100)




 

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 Kikagaku Moyo 「Kumoyo Island」

 

 



 幾何学模様については、2013年から公のリリースを行っており、オランダ、英国を始めとするヨーロッパのインディーシーンで強い存在感を放っている日本のサイケデリックバンドである。先日、ロンドンの月間マガジン「Uncut」でも大々的に特集が組まれ、バンド写真が掲載され、彼らを称賛する特集文が掲載されていました。また、アメリカの音楽メディア、ピッチフォークにおいても、春ねむりの「春火燎原」に続いてディスクレビューとして取り上げられ、既に海外のインディーシーンで彼らが確固たる地位を獲得していることは多くのファンがご存知だろうと思われます。

 

ファンにとって惜しいのは、幾何学模様は、今作「クモヨ島」、そして、今年のツアーを最後に無期限の活動休止に入るということだろうか。デビュー当時からこのバンドのサウンドに魅せられてきたファンは一抹の寂しさを覚えていることと思われます。

 

しかし、新作「クモヨ島」は、それらのファンの寂しさを補って余りある作品です。このバンドのクロニクルのような役割を持ち、彼らが説明しているように、「音の旅」にオーディエンスをいざなってくれる。

 

 彼らのサウンドは、サイケデリックバンドとしての看板を掲げている通り、 1960年代から70年代にかけてのコアなサイケデリックサウンドがこのアルバムでも貫かれています。それは、Led Zeppelin、Jimi Hendrixのような神話的なサイケフォークから、村八分のような和風のサイケフォークにいたる音楽性を全て飲み込み、そこに例えば、近年の日本のサイケフォーク、坂本慎太郎や、トクマル・シューゴの最初期の作風を彷彿とさせるような民謡や歌謡といった日本独自の作風が取り入れられています。レコードフリークが好むようなファンクの色合いを交えたサイケサウンドが展開されていますが、オーストラリアのキング・ギザードのようにメタリックな混沌性、サイケデリアが描かれるわけではなく、落ち着いて、まったりとした、渋いサイケフォークが淡々と繰り広げられていく。

 

バンドとして新作を作ることに対する、とまどいのようなものもあったかもしれない。今作「クモヨ島」は、前作より、日本の民謡の色合いは薄れているものの、やはり、このバンドの強いキャラクターは未だ健在。どこもかしこも、東洋の雰囲気に満ちており、アルバムジャケットのカラフルさに反して、極彩色の西洋のサイケデリアにたいするモノクロのサイケデリアが提示されているようにも感じられ、それは時に、バンドサウンド、あるいは作品の構想としてかなり誇張されている部分もなくはないものの、リスナーに奇妙な安心と心地よさをもたらす。パンデミックの混乱の中、幾何学模様は、バンドとしての活動が行き詰まり、最終的に、この波がおちつくのを待ってから、日本、浅草、オランダ、アムステルダムの二箇所のスタジオでレコーディングが行っています。アルバムの歌詞については、「Monaka」を聴いて分かる通り、日本語の面白い語感を海外のファンにもわかりやすいように追求しています。


また、そこには、いくらかアジアのバンドとしてのキャラクター性も随所に見受けられます。 インドの民族楽器シタールの導入、カッコウのSEを始めとする、東洋の安らぎのような概念を音楽を介し彼らは音を探求する。ノスタルジアに対するかれらのあたたかな憧憬の雰囲気も滲み、バンドの音楽には、細野晴臣、大滝詠一を擁するはっぴいえんどからの影響も滲ませています。

 

 幾何学模様は、トクマル・シューゴと同じように、歌謡曲や民謡といった日本の音楽の源流にルーツを置き、それらの音楽に強い重心を置いており、西洋の芸術が常に優れているとは限らないことは、東京芸術大学の最初期の創設に深く関わっている岡倉天心(後に、考えの違いにより、上記の学校を追われたが、横山大観らをはじめとする日本近代画家に強い影響を与えた人物)が「茶の本」において指摘し、さらに、カルフォルニアのUCLAでジョン・ケージに講義を行っていた鈴木大拙(彼のUCLAでの講義の始まりは、長い沈黙から始まったが、学生から批判を受けることはほとんどなかったという)が禅にまつわる各著作において指摘しているが、そのことを、彼らは現代において重要視しており、なんらかの形で伝えようとしているのです。

 

今作「クモヨ島」には、往年の時代に忘れ去られた歌謡曲、日本独自の音楽形式に西洋的なロック/フォークの文脈から迫っていこうとする意図も見受けられる。つまり、ここで言わんとするのは、彼らは西洋における東洋文化の伝承者とも言えるでしょう。そして、このアルバムの最大の醍醐味は、なんといっても、現代という時間に没交渉的な奇妙なやすらぎにあるように思える。坂本慎太郎が、既に証明付けている通り、サイケデリアというのは、必ずしもギラついたものではなく、ときには、奇妙なほど、心の平安をもたらす。それは、いくつかの現代的なエレクトロサウンドの影響と相まって、「禅」の精神を受け継いだ骨のある音楽として完成されています。この作品で何かやり遂げた、という感覚が、彼らを無期限休止に向かわせたのか。そこまでは明言できないことですが、幾何学模様が「クモヨ島」の主題に掲げる「空想の旅」は、たとえ幾何学模様という形が終わってしまったとしても、今後も、その旅は何らかの形で続いていくだろうと思われます。


 

78/100



 !!!(chk chk chk)「Let It Be Blue」

 

 

 

 Label:Warp Records


 Release:May 6th,2022



 chk chk chkは、1995年に結成されたカルフォルニア州サクラメントのロックバンド。当初、タッチ・アンド・ゴーからデビューを果たし、その後、英国のワープ・レコードと契約し、27年にも及ぶ息の長い活動を続けています。

 

 2000年頃のアメリカのインディーバンドの中には、ディスコロックバンドが複数在籍しており、チック・チック・チックを始め、Brainiac、また、DiscordにはQ And Not Youといった魅力的なバンドが多く台頭してきましたが、二十年経ってみると、チック・チック・チックをのぞく、他のディスコパンクバンドは、結果として、一般的な知名度を得ることはありませんでした。しかし、当時、2004年のデビュー・アルバムにおいて、彼らが他よりも際立った存在であったかというと、必ずしも、そうではなかったかもしれません。しかし、チック・チック・チックは、近年フジロックなどでも来日公演を行なっており、現在では、世界で根強い人気を誇るロックバンドとしての地位を確立しています。ちょっとした不思議ではあるものの、この理由は、チック・チック・チックがバンドの発足当初から、それほどスパンを置かず、コンスタントなリリースを行ってきた多作なロックバンドというキャラクターを持つからなのでしょう。

 

 先日リリースされたばかりの新作「Let it be blue」においても、チック・チック・チックの音楽の基本的特徴は2004年のデビュー「Louden Up Now」頃から大きく変わりません。一曲目だけはコンテンポラリーフォークに近い手法をとり、「別のバンドに生まれ変わった?」というような驚きがリスナーに与えますが、二曲目からは、以前からのファンの期待に添うようなノリの良いディスコロック、チック・チック・チックらしいバンドサウンドが貫かれ、グルーブ感満載のエレクトリックにロックの風味を加味したカラフルなサウンドが展開されています。2000年代から、良い意味で、時代のトレンドに流されない良質なサウンドを掲げてきたバンドとしての風格、気迫が今作「Let it be blue」には顕著に滲んでいます。


レコードとしての音質の良さは、さすがはワープ・レコードからのリリースといえるでしょう。一見、ハイエンドが強調されたサウンドでありながら、エレクトロのように低音域もしっかり出ていて、完成度の高いタイトなサウンドが体現されています。それに加え、バンドが先行シングルを公開時、「クールダウンの後に、フロアにノリノリで戻れるような音を作りたかった」と説明しているように、リスナーに強いビート感を与えるダンサンブルな曲を中心に作品の世界が繰り広げられていきます。特に、タイトルトラック「Let It Be Blue」では、マイケルジャクソンの全盛期「スリラー」の楽曲のような、強いインパクトを持ったR&Bソングが生み出されています。この辺りに、チック・チック・チックのR&Bフリークとしてのただならぬ矜持が感じられ、また、往年のソウル・ミュージックファンを、ニヤリとさせるものがあるはず。

 

 そういった、前々から引き継がれるこのバンド(チック・チック・チック)のクラシックなソウルミュージックの特質に加え、モダンソウルに近い印象を持つ楽曲に、彼らは取り組んでいます。長年、培ったダンスミュージックに対する深い愛着が「Here's What I Need to Konw」をはじめとする曲で花開き、モダンソウルのクールさが引き出されているのにも注目です。さらに、アルバムには、チック・チック・チックらしいエモーショナルな雰囲気も伺えます。

 

 アルバムのラストを飾る「This Is Pop 2」は、バンドのキャリアの集大成をなす楽曲であり、ダイナミックなシンセ・ポップが生み出されています。他にも、どれほど沈んだ心も陽気にさせるような、ハイテンションでありながら理性を失わない質の良いダンスチューンがバランスよく収録されています。


 チック・チック・チックは、近年も、リスナーを喜ばすため、心楽しく踊らせるため、コンスタントにリリースを続けています。同様に、「Let It Be Blue」は、ポピュラーソングとしての理解しやすさが重要視されてはいるものの、反面、十八年のキャリアを誇るバンドとしての円熟味も所々に感じられるアルバムです。アクの強いダンスミュージックではありながら、聴けば聴くほど本来の魅力がジワジワ引き出されるような渋さのある作品といえるかもしれません。

 

 

Score72/100 

 

 

 

 

 

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 Melody's  Echo Chamber  「Emotional Eternal」

 

 



Label:Domino Recordings


Release:April 29,2022

 

 

メロディーズ・エコー・チャンバーとして活動するメロディー・プロシェは、フランス・パリを拠点に活動するソローミュージシャン。現在、パリからフランス・アルプス地方に転居して、生まれたばかりの子供、そしてパートナーと暮らしているという。

 

今作「Emotional Eternal」は、メロディーズ・エコー・チャンバーにとって、通算三作目のスタジオ・アルバムとなり、8曲+1曲という特殊な形態の二枚組盤です。レコーディングは、ストックホルム近郊にあるスウェーデンの森で、最初のレコーディングが行われ、Lars Fredrik Swahn、スウェーデンのプログレバンドDungenのメンバーReine Fiskeといった面々がレコーディングに参加。クラシック、ジャズの素養を備えるJosefin Runsteenが複数の楽曲でストリングスを担当、ジャズドラマー、Moussa Faderaもレコーディングに加わっています。

 

Melody Echo's Chamberは、サブ・ポップ所属のビーチ・ハウス、ステレオラブといったバンドと引き合いに出されることもあるアーティスト。いわゆるドリーム・ポップの文脈で語られる事が多いように思えますが、もちろん、このアーティストの持つ魅力はそれだけにとどまりません。最新作「Emothinal Eternal」では、それらのバンドに代表されるドリーム・ポップの色合いに加え、ビートルズの体現したサイケデリックポップ、チェンバーポップの要素を込め、大衆性と実験性の双方をバランスよく配置したトラックを親しみやすい形で提示する。ストリングス、チェンバロ、シンセサイザー、ピアノ、ギターを交え、表向きには大衆性に根ざした音楽とは裏腹に、きわめて複雑な構造をなす楽曲が展開されていきます。

 

このアーティストの最大の持ち味は、おそらく1960年代のフランソワーズ・アルディに代表される「イエイエ」、もしくは、セルジュ・ゲンスブールの全盛期のおしゃれなフレンチポップの影響下にある音楽、その要素を20世紀のフランスの映画音楽のドラマティックな雰囲気とセンスよく掛け合わせていること。このことは、本人が意識しているかいなかにかかわらず、そういった往年のフランスのポピュラーミュージック、パリ映画が最盛期を迎えた時代の継承者としての役割を果たすアーティストであるように思えます。

 

アルバムでは、英語、そして、フランス語の双方の語感の魅力がボーカルトラックとして存分に引き出されています。おそらく、それは、メロディープロシェという人物が国際的な感性を持つ人物であり、世界市民であるからでしょう。とりわけ、表題曲「Emotional Eternal」に象徴されるように、往年のフレンチポップスの持つ独特なスタイリッシュさ、エスプリの風味がほんのり漂っているのが、このアルバムの聴き所といえるでしょう。描かれる音楽のストーリーの中盤では、シンセ・ポップ、ドリーム・ポップ、シューゲイズ、アートポップ、サイケデリック、きわめて多彩な要素を交えた楽曲がめくるめくように展開されていく。

 

さらに、アルバムの一連の物語のクライマックスに向かうにつれて、それらの幻惑は強まっていくが、メロディー・プロシェは誰も想像しえないような驚くべき着地点を見出す。メロディー・プロシェは、フランスの音楽を作品のクライマックスに配置しています。世界市民であろうとも、やはり、フランス文化を心から敬愛しているのです。


クライマックスとなる「Alma」は、アルバムのハイライトの一つで、セルジュ・ゲンスブール、ジェーン・バーキン、フランソワーズ・アルディ、シルヴィ・バルタンらが生み出したフレンチポップ最盛期の甘くうるわしい哀愁のアトモスフェールに包まれています。フランス・パリの大衆文化が最も華やいだ時代を彷彿とさせる淡いノスタルジアが満載となっている。この年代の音楽をよく知る人にとっては、じんわりした温かみをもたらすことは言うまでもなく、フレンチポップを知らないという世代にとっても、なにかしら新鮮味を感じさせる作品となっています。

 

72/100

 




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 Jon Balke  Siwan 「Hafla」

 


Label:ECM

Release:April 22,2022


2007年の「Book Of Velocity」で、プリペイドピアノ、アバンギャルドジャズの金字塔を打ち立てたノルウェーのジャズピアノ演奏家ヨン・バルケは、次作「Siwan」からエキゾチックジャズの領域に踏み入れていった。

 

ソロアーティストとして発表した2007年の傑作「Book Of Velocity」は、ドイツのECMのレコードの屈指の名作として挙げられますが、このアーティストの全盛期を象徴するハリのある演奏力、アバンギャルドジャズの最高峰をこの作品で踏破したせいか、その後、ヤン・バルケはどちらかと言えば、シンセサイザー/ピアニストとして落ち着いた演奏を求めるようになり、楽曲としての世界観を最重要視するようになった。以後、バルケは、知性を探訪し、歴史学的な強い興味を持ち続け、付け焼き刃ではない最古の文明を、前衛音楽、民族音楽、モダンジャズと多彩な局面からアートとして表現しようと努めている演奏家です。

 

4月22日に、お馴染みのECMからリリースされたヨン・バルケの最新作「Siwan-Halfla」は、表題から察するに、2009年の「Siwan」の続編とも呼べるアルバムです。ここで、ヤン・バルケは、同レーベルの特色の一つ、2000年代に盛んだったジャズと民族音楽の融合に再挑戦しています。これは、エキゾチックジャズというような呼び名で親しまれていたもので、バルケが率いている音楽グループ、「シワン」としての五年ぶりの作品となります。このアルバムに収録されている歌詞は、何でも、ウマイヤ朝の王女、ワラダ・ビント・アル・ムスタクフィー、イブン・サラ・アス・サンタリニのⅩⅠ世紀の十一世紀の詩が取り上げられ、ゲストボーカルのマン・ブチェバクがイスラム情緒たっぷりに歌い上げる。「Halfia」は、2021年の5月から6月に掛けて、デンマーク・コペンハーゲンのVillage Recording Studioで録音が行われている。

 

このアルバム「Halfa」は、ポンゴ、ストリングス、ホーン、さらに、複数のアラビアの民族楽器のフューチャーしたイスラム情緒たっぷりな旋律の中、バルケはシンセサイザー奏者として音楽の世界を綿密につくりあげていく。それは一曲から作品世界が拡張されていくというより、複数の楽曲が組み合わさって、その世界を強固にしていく。全盛期の「Book Of Velocity」のようなアヴァンギャルド性こそ薄れているものの、熟慮に熟慮を重ねた知性あふれる演奏家、作曲家、音楽家としての慎重なバルケの表情が伺える。

 

そして、今作にゲストボーカルとして参加したマン・ブチェバクの歌というのも、語弊があるかもしれないが、イスラムのポエトリー・リーディングのような洗練された文学性の雰囲気がほんのり漂っている。イスラム文化におけるエキゾチズム性は、多くの人にとって馴染みないものであるが、その中には、中国、東洋の旋律的な特徴に似た性質が込められているため、ヨーロッパ(トルコ近辺をのぞく)のリスナーにとっては異国情緒を感じさせ、アジアのリスナーにとっては淡いノスタルジアすら感じさせる。また、中国の民族楽器、胡弓のような楽器が取り入れられているのにも注目である。

 

また、イスラムの民族音楽や文学性を引き継いだ楽曲が目立つ中、「Dailogo en la Noche」では、シワンというグループの命題であるアンダルシアの雰囲気が引き出され、ジャズソング風にアレンジされている。さらに、エンディングを彩る「is there no way」では、民族音楽とバラードの融合に挑戦しており、これが硬派な楽曲が際立つアルバムの中、ちょっとした華やかさと贅沢な安らぎを与えてくれる瞬間でもあります。他にも、イスラム、アンダルシアの民族音楽の特性を引き出した、複雑で前衛的なリズム性が引き出された楽曲が数多く見受けられる。そもそもジャズというのは、一つの型の踏襲であるとともに、音楽の持つ表現の可能性を無限に押し広げるためのジャンルでもあり、この作品は、そのことを象徴付ける概念が提示される。音楽集団として多国籍のルーツを持ち、各々が異なる音楽的背景や文化性を持つグループらしい独特な作風、エキゾチック・ジャズの入門編としても最良の一枚といえるのではないか。

 

(Score:82/100)

 

 My Idea 「CRY MFER」

 



Label:Hardly Art


Release:April 22.2022



ニューヨークを拠点に活動するリリー・カニンスバーグ、ネイト・アトモスのインディーロックデュオの最新作「Cry Mfer」はサブ・ポップの傘下にあたる、Hardly Artからリリースされている。表向きには、フォーク、シンセポップ、インディーロックの要素を交えた口当たりのよい音楽が生み出されている。特に、リリー・カニンスバーグにとって本作は、飲酒に対する依存症から解放されるため、ぜひとも制作されねばならなかった。また、これはリリー・カニンスバーグとネイト・アトモスの両者の関係性を明確にするため、音楽を介しての対話と称することが出来る。

 

リリー・カニンスバーグは、このアルバムの制作段階において、飲酒習慣をきっぱりやめ、現在もそれは続いている。しかし、問題となったのは、それまでの制作におけるモチベーションの低下をカニンスバーグは感じ取っていたことである。何らかのライターズブロックのような壁にぶつかるたび、カニンスバーグは、その誘惑を払い除け、アルバム制作を通じてネイト・アトモスとの緊張した関係が徐々に解消されていき、より明るく、前向きなものに変わったともいえるのである。

 

幾つかの収録曲では、そういったリリー・カニンスバーグの内面の夢遊病的な感覚と現実的な感覚の間を揺れ動くような得難い瞬間が捉えられる。どことなく夢見がちではありながら、視線を現実から片時もそらすことなく、目の前にある何かを直視するカニンスバーグの苦闘もほのかに滲んでいる。ちょっとした遊びのような雰囲気を醸し出しながら、内面にある真摯さを引き出そうというニュアンスも感じられる。これが、タイトルトラックの「Cry Mfer」「Crutch」をはじめとする曲に強い聴きごたえをもたらしている。これらの曲は、言うなればきっとカニンスバーグと同じような悩みを抱える人にとって松葉杖のような役割を果たすはずだ。

 

しかし、この作品「CRY MFER」は、暗くもなく、堅苦しくもなく、あっけらかんとしている。そういった表層に満ちている苦悩を軽快な音楽で覆い、彼らの生み出す楽曲は、ベッドルームポップとインディーロック/フォーク、それらの淡い境界線の上を心地よく漂いつづけている。また、トラックでオートチューンを積極的に使用する点では、現在のミュージックを意識したモダンポップ性を演出した楽曲もいくつか収録されている。表面上では、そういったキャッチーさを持ち合わせつつも、二人の音楽フリークとしての表情が楽曲を通じ伺えるような気がする。たとえば、7曲目収録の「Yea」で、エレクトロニカに近い実験的な作風にも果敢に取り組んでいる。My Ideaは、デュオとして音楽を作る上で、好奇心や、真摯さ、遊び心をふんだんに盛り込んでいる。しかしながら、まだ、それらの本当に実験性は、完全には明らかとなっていないように思える。その裏側に隠されたフリーク性のような雰囲気が随所に滲出している。

 

洗練され、完成されたものが、常にすぐれているとはかぎらない。そもそもにおいて、人間は、不完全であることを認めた上で、それでも前に進むのである。まだ、おそらく、デュオは、このアルバムの制作において、飲酒にたいする依存性、あるいは、バンド上での人間関係といった内面におけるはっきりした答えを見出したわけではないのかもしれない、いわば、音楽という道を進む過程にあり、デュオはまだ、その途上を歩んでいる最中といえるのだ。いや、それでも、少なくとも最新作「Cry Mfer」において、この二人は、何らかの内面的な問題に対する明るい前向きな答えのきっかけを見出しつつあるように思える。このことは、このデュオのファンのみならず、多くのインディー・ロックファンにとってきわめて喜ばしいことでもある。

 

(Score:72/100)



 




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 Kate Bollinger 「Look at It in the Light」

 

 


 
 
Label:Ghostly International
 
Release:4/22 2022

 

 

アメリカのクレイロ、カナダのメン・アイ・トラスト、ノルウェーのガールズ・イン・レッド、近年のベッドルームポップシーンは世界的に魅力的な女性アーティストが数多く活躍しており、その様子は群雄割拠と呼ぶべきか。いささか飽和状態にさしかかっているような雰囲気も見えなくもない。その中で、上記のクレイロのように華々しいセールスこそないものの、頭一つ抜きん出たセンス、ソングライティング能力、口当たりの良いポップスを提示しているのが、アメリカ・バージニア州を拠点に活動するシンガーソングライターであるケイト・ボリンジャーです。

 

これまでに二作のEP「I Don't Wanna Lose」「A World becomes A sound」をリリースし、昨年には新たにGhostly Internationalとの契約にサイン。さらに、アメリカのインディーアーティストと親交が深く、Sunny Day Real Estate、Faye Websterとツアーも行っている。ビックアーティストからの注目度も高く、2019年にリリースしたシングル「Candy」がかのカニエ・ウェストの「Donda」のサンプリングの中に取り入れられていることでも知られています。

 

ケイト・ボリンジャーは、最新作「Look at it In The Light」において、1970年代のフォーク、ポップスをホームレコーディングで再現しようと試みている。もちろん、アルバム収録の楽曲のほとんどが、ホームレコーディングを主体に組み立てられている。そこには、クレイロとの親和性もあり、ギルバート・オサリバンのようなUKポップスに近い、爽やかなアプローチ、もしくは、シルヴィ・バルタンのようなフレンチ・ポップスの甘い感じに加え、ビックシーフのようなアメリカの現代の鋭いオルタナティヴ・フォークの色がほんのり滲んでいる。音楽の歴史的なクロニクルからどういった音、また、歌、フレーズを選択するべきかという直感的なセンスの良さについては、他のアーティストと比べて群を抜いている。その淡い質感をリスナーがどのように捉えるのか・・・、軽いと思うのか、心地よいと捉えるのかが、この作品を気に入るかの分かれ目となるでしょうか。ただ、ビックシーフのようなフォークにおける実験性はほぼ皆無で、オルタナティブ性はない。素直で正直なポップス/フォークといえる。

 

いってみれば、このアルバムは、王道の1970年代のレコード時代の、ロック、ポップ、フォークを、ベッドルームのおしゃれさで彩ってみせたという感じです。口当たりの良い涼やかさのあるポップスとしてはこれ以上はない極上の作品で、そこに、ニューヨークのインディー・コレクティヴ、ミッシェルのような、R&Bやサイケの極彩色がさりげなく付け加えられているのもセンス良し。「Look at it In The Light」は、現代ポピュラー音楽としてのおしゃれさ、かわいらしさを追求したベッドルームポップの真髄といえ、アルバム全体としては、淡々としたオルタナフォーク/インディーポップが展開。この淡白な感じがローファイ好きとしてはたまらなく癖になる。また、スタイリッシュさを感じさせるリミックスが施されているため、さほど肩肘をはらず、気軽にゆる〜く楽しんでいただけるポップ音楽であるように思える。


今回のリリースは、六曲収録のLP盤のみであり、日本盤だけなぜか、CDバージョンがリリースされ、さらにボーナストラックも二曲追加、お得感が半端ではない。EPのようなリリースではあるものの、ベッドルーム・ポップとしては、かなり渋いリリースと言えるのではないでしょうか??

 

(Score:82/100)

 


 

 

 

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 Fontains D.C. 「Skinty Fia」

 


Label:Patisan Records


Release:4/22 2022


フォンテインズ・DCの通算三作目となる「Skinty Fia」は、これまでの作品の中でも最もこのバンドの音楽性が明確となったアルバムに挙げられます。これまでのポストパンク寄りのアプローチよりもバンドの本質であるブリットポップの色彩がより鮮明となっています。アルバムのタイトルは、アイルランド語で「鹿の天罰」を意味し、さらに、このフレーズは、ドラマーのトム・コルの叔母が、かつてよく語っていたアイルランドの古い諺に由来するようです。

 

いくつかの先行シングル「Skinty Fia」から直前にリリースされたこのアルバムのハイライトをなす「Jackie Down The Line」に至るまで、このサイトでは、バンドのシングルの流れを追ってきましたが、彼らの新作について言えることは、少なくとも、表面的な音楽よりもアイルランドのバンドにとって深く重い意味を持つのだということです。

 

一曲目に、アイルランド語のオープニングトラックを持ってきているように、フォンテインズDCのメンバーは、鹿の天罰と題された本作においてアイルランド民族としての源泉のようなものをイギリスのプリットポップへの憧憬を交えたような形で探求してきます。彼らは、オアシス、アンダー・ワールド、それ以前のマッドチェスタームーブメントの筆頭であるザ・ストーン・ローゼズに近い、パンクとダンス・ロックの中間を行くような音のアプローチをいくつかの楽曲で追求していきます。さらに、それに加え、イギリスのNMEが書いている通り、ブリストルサウンドのトリップポップの独特な暗鬱かつクールな雰囲気がこの作品には情念のように渦巻いているように思え、それが作品全体に陶然としたアトモスフェールを醸し出しています。さらに、バンドは、この作品の制作段階で、ギターロックを聴くのをやめ、代わりに、カニエ・ウェストをはじめとするラップを好んで聴いていたらしく、ブラックミュージックからのグルーヴの影響は少なからず感じさせ、かつてストーンローゼズがクラブミュージックに新たな質感を追い求めたように、2022年代に生きる彼らはヒップホップに探ろうとしているのかもしれません。

  

アルバムの中で最も強い印象を放ち、ロックバンドとしての高い完成度を提示したのが、5曲目に収録されている「Jackie Down The Line」でしょう。このトラックでは、フェイザーをかけたアシッドハウスに近いギターロックがミドルテンポで繰り広げられていきますが、そこには、オアシスの初期のような「孤独」の香りがほんのり滲んでいて、その他にも、「Nabokov」においては、カサビアンやザ・ストーン・ローゼズに近いアプローチを図り、前の時代で止まったままであった時計の針を、実験的なギターロックのアプローチを介して、さらに現代へと押し進めようとしているように感じられます。また、ブリット・ポップの影響を色濃く受けつつ、そこに何らかの現代のバンドとしての新しいサウンドを付け加えようと苦心惨憺を重ねるバンドメンバーの姿がレコーディングされた音を通して何となく浮かび上がってくるかのようです。ある側面で、その試みは成功しており、また、ある側面では、まだ荒削りで未完成な部分もあると感じられます。このバンドは、まだまだ未知数のポテンシャルを秘めたバンドなので、このレコーディングの最後でようやく何かのきっかけを掴んだというような気もします。

 

そして、作品の評価とは別に、なぜ、彼らが、この「Skinty Fia」に取り組まねばならなかったのかについては、アイルランド民族としてのアイデンティティを、この作品において探し求めたいという強い意志があったからなのかもしれません。上記のように、あえて「孤独」という言葉を選んだ理由は、アイルランドという国家の地理、また、政治、宗教、生活すべてにおいて適用できる概念なのです。それは、UKという地理以上に巨大な存在の内に位置する国家としてのアイデンティティ、そして、イングランドという存在を通して見える、アイルランドの民族性、文化性を、フォンテインズDCは、このアルバムにおいて、真摯に探し求めているようにも感じられます。彼らの表現性は、不器用で、バンドとして完成されていない部分もありますが、それが何かしらせつなく、琴線に触れるものがある。


少なくとも、このアルバムは、そういったロック音楽の核心にある精神性を漂わせた快作であることは疑いないようです。ギター、ベースのディストーションのかかり具合、バンドサウンドとしての兼ね合いを見ても、表向き以上に、ヘヴィーであり、グルーヴィーで、聴き応えあるアルバムです。近年、シンセポップやドリームポップが流行する中、逆に、こういった重たいヘヴィーロック寄りのアプローチを図るバンドは希少なので、新鮮味すら感じさせてくれる作品です。


 

critical rating:

85/100

 

 

 

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 Eydis Evensen 「Frost」

 




Label:XXIM Recordings,a label of Sony Music Entertainment 

 

Release:4/8 2022




アイスランドの女性作曲家、アイディス・アイヴェンセンは、元々、ニューヨークでファッションモデルを務めていた人物で、故郷アイスランドに戻り、作曲家として活動を続けています。アイヴェンセンは、ピアノの演奏、オーケストラのストリングスを交えたヨハン・ヨハンソンの系譜にある優れたモダンクラシカル/ポストクラシカルの楽曲をこれまでいくつか書いてきています。

 

アイディス・アイヴェンセンにとって、ソロキャリアとしての最初の音楽性が確立されたのが、2021年にリリースされた自身初となるフルアルバム「Bylur」でした。この作品では、アイヴェス・アイヴェンセンは、故郷の風景を見事にピアノ音楽として捉えています。夏の間は美しく晴れやかな風景であるアイスランドの小さな街、しかし、冬の間、外に出ることもかなわぬほどの大雪によって、この北欧の街は覆われ、アイスランドの街は白銀の世界一色となる。アイヴェンセンは、子供の頃のアイスランドの小さな村での記憶を頼りに、それを抒情性あふれるピアノ曲、そしてオーケストラアレンジを交えた映画音楽に近い雰囲気を持つ作品を生み出しました。

 

アイスランドの新進気鋭のアーティスト、アイディス・アイヴェンセンの最新作「Frost」もまた前作に続く連作のような意味合いを持ち、前作で提示されたアイスランドの風景、それに呼応する内面の心象世界を見事にピアノ音楽として描き出してみせています。「霜」という表題に象徴されるように、今回のミニアルバムは、何かしら寒々しい風景を思い起こさせる5つのピアノのささやかな小品で構成されています。

 

アイヴェンセンは、フレーズひとつひとつを丹念かつ繊細に紡ぎ出す優れたピアノの演奏家です。繊細なタッチにより、音楽の本質ーー内面の感情を言葉ではなく音によって聞き手に伝えるーーを見事に捉えるアーティストでもあります。さらに、「霜」は、この演奏家のきわめて内省的な気質を反映させた作品とも言え、「霜」の全体には、寒々しく暗鬱な雰囲気を漂わせながらも、その音に耳を静かにじっと澄ましていると、その向こうに何かしら凛とした強い精神性のようなものが滲出しているのです。

 

また、今作において、アイヴェンセンは、前作のフルアルバム「Bylur」で伝え残したことをもう一度音楽として表現しておきたかったというような印象も見受けられます。幾つかの楽曲については、前作のコーダのような役割を果たし、アイスランドの最初期のモダンクラシカルシーンの体現者、ヨハン・ヨハンソンの確立したモダンクラシカル/ポスト・クラシカルの系譜を受け継いだ映画音楽の性質を擁しています。しかしながら、アイヴェンセンは、そのヨハン・ヨハンソンの系譜を辿る中で、ピアノのフレーズを真摯に紡ぎながら、また、その音に耳を澄ましながら、自分なりの芸術表現を追い求めているように思えます。そのことが、作品自体に深みとスタイリッシュなデザイン性のようなものをもたらしています。

 

また、このミニアルバム「Frost」の中で、ひときわ強い存在感を放っているのが、EPの最後に収録されている「The Light I」です。ここでは、たしかに、2つの間にリリースされたリミックス作品での経験を踏まえて、電子音楽の要素を交えた美麗な音楽が展開されています。この曲では、それ以前の4曲とは異なり、喩えるなら、作品全体に覆っていた薄い灰色の雲がみるみるうちに晴れていき、さらに、その暗澹たる雲間から、ほのかに爽やかですがすがしい晴れ間がスッと覗いてくる、というような、暗鬱さと清涼さを兼ね備えた秀逸な楽曲が、アルバムの最後に組み込まれていることにより、作品全体として明度と暗度という映画の技法における対比的な光の構造が緻密に生み出され、この一曲が作品全体に暗闇を美麗に照らしだし、作品として美麗なクライマックスを見事に演出しています。


「Frost」は、もちろん、物語性に溢れているのと同時に、スタイリッシュな魅力を漂わせており、また、冗長さのないタイトな構成によって強固に支えられています。これらのささやかでありながら、うるわしくもある5つのトラックを聴き終えた時、清涼感のような奇妙な感慨がもたらされることでしょう。

 

特に、静謐でありながら、思索的な強さも兼ねそなえたクライマックス「The Light I」において、アイスランドの演奏家、アイディス・アイヴェンセンは、前作「Bylur」における芸術表現の成功に踏みとどまることなく、この演奏家にしか生み出せない独自の極めて繊細な芸術表現へ歩みを進めたと言えるでしょう。

 

 

(Score:71/100)

 Otoboke Beaver 「Super Champon」EP Damnably

 

 


 

関西のハードコアバンドとして海外でもライブ経験豊富のおとぼけビ~バ~。一説によると、大阪の高速のインターチェンジを出たすぐのところにあるラブホテルの名前からバンド名がつけられたという話もあります。正直、最初のこのバンドの印象は、それほど良いものとはいえなかったですけど、新作5曲収録のEP「Super Champon」(18曲収録のフルアルバムバージョンは、5月6日にリリース予定です)を聴き終えた時、いくらかその考えを改めねばなりませんでした。

 

タフでタイトな演奏、豊富なライブ経験に裏打ちされた頭ひとつ抜きん出た演奏技術、ドラムの超絶なタム回しの迫力は、スタジオレコーディングではありながら、この四人組のライブの迫力をそのままパッケージしたかのような凄まじさが感じられます。「インターネットには、私達の本当の音楽は存在しない」と、このバンドを最初期から率いてきたフロントマンのあっこりんりんは、インターネットを介して語っています。つまり、このバンドの本当の魅力はバンドのフロントマンから言わせれば、ライブにあるため、レコーディングだけを聴いて、四の五の言うのは穏当とはいえないかもしれません。

 

しかしながら、この五曲入りのEP「Super Champon」は、そういったおとぼけビ~バ~のライブの魅力を十分にパッケージした作品であると言えるのではないでしょうか。この作品には、関西、及び、日本のアンダーグランドシーンの長い歴史が面々と引き継がれています。古くは、INU、少年ナイフ、海外でも人気の高いメルト・バナナ、さらには、大阪が生んだガレージロックスター、ザ50回転ズ・・・、そういった、おとぼけビ~バ~の前の時代の日本のアンダーグランドミュージックの歴史を紡いできた偉大なバンドたちの系譜が、この新作には引き継がれている。メルト・バナナのグラインド・コアに近い怒涛のスピードチューンの連続、ザ50回転ズのような大阪のバンドとしての漫才性、これらの要素を一緒くたに飲み込んで、オープニングトラック「I Am Not Material」から、おとぼけビ~バ~の四人は、全力疾走でロックンロールチューンをめくるめく様に展開していきます。それは、きわめてタイトな演奏力、フレーズの間に執拗に導入される短い反復により、あるいは唐突な変拍子により、おとぼけビ~バ~のハードコア・パンクは、これらのフレーズの遊びを足がかりにし、怒涛の渦のような強烈なエネルギーを生み出してゆく。それは、一曲目の一秒目からはじまり、五曲目のアバンギャルドハードコア、ノイズハードコアにいたるまで、まったく一秒たりとも、途切れることはない。息せぬ暇もなく、凄まじいテンションを持つ痛快なロックンロールが展開されてゆく。

 

もちろん、このEP「Super Champon」の魅力は実際の音だけにとどまりません。一歩引いて見れば、本気なのかフザケているのかわからないブラックユーモアを交えた日本語歌詞は、日本の現代詩へのチャレンジともいえる。おとぼけビ~バ~は、英語の発音ニュアンスから見た、日本語独自の発音のニュアンスの面白さを的確に捉え、それを風刺的でユニークな歌詞へと昇華しています。ここには、個人的な日常の苦悩から、日本の社会に蔓延する同調圧力のようなものに対する痛切なアンチテーゼが幅広いスケールで掲げられており、それを、おもしろおかしさを交えてハードコア・パンクとして表現しているのが見事。さらに、フロントマン、あっこりんりんが紡ぎ出す歌詞には、表向きの社会では、おいそれと口に出すことがかなわない女性の「怒り」が込められている。これがバンドの音楽のド迫力に直結しているように思えるが、これは言い換えれば、女性としての「社会の同調圧力」という、わけのわかぬものへの反抗なのかもしれません。

 

これらのすべての要素が複雑に絡み合うことにより、おとぼけビ~バ~の音楽は生み出されています。アメリカにおけるこのバンドの知名度を高めた要因は、元々、伝説的なドラマーとしてのキャリアを持つフー・ファイターズのデイヴ・グロールが、最初にこのバンドを2019年に発掘し、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのトム・モレロに紹介し、彼も同じように、このバンドの音楽を激賞したところから始まりました。そして、デイヴ・グロールが、このバンドのサウンドに「少年ナイフ」の面影を見出したのは、ほぼ間違いありませんが、この作品を聴くと、それも頷けるような話。これは、以前まで存在しなかった日本独自のアンダーグラウンド・ミュージック「Champon Hardcore」が誕生した劇的な瞬間といえます。既に、海外では人気を獲得しているバンドなので、今後、日本での快進撃にも大いに期待していきたいところです。