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Album Of ther year 2021 

 

ーModern Soulー

 


 

・Jungle 

 

「Loving In Stereo」 Caiola

 

 


 LOVING IN STEREO [歌詞対訳・解説書封入 / ボーナストラック追加収録 / 日本盤CD] (BRC672)  




モダン・ソウル、或いはネオ・ソウルは、往年のR&Bに加え、様々なジャンルを交えたクロスオーバーを果たし、年々ジャンルレスに近づいているように思える。


そして、今年の一枚として選んでおきたいのは、ソウルミュージックの正統派の音楽でUKを中心とする数多くのヨーロッパのリスナーを魅了しつづけるJungleの最新のスタジオ・アルバム「Loving In Stereo」だ。


ジャングルは、ロンドンを拠点に活動するジョッシュ・ロイド・ワトソンとトム・マクファーランドを中心に結成された現在は7人組のグループとして活動するネオソウルプロジェクトであるが、デビュー作「Jungle」をリリースし、この作品が話題沸騰となり、イギリスを中心にヨーロッパのダンスフロアを熱狂の渦に巻き込んだ。「Jungle」はマーキュリー賞の最終候補にも選ばれた作品だ。


オアシスのノエル・ギャラガー、ジャミロクワイもジャングルの二人の音楽性については絶賛していて、リスナーだけではなく、ミュージッシャンからも評価の高いジャングルの音楽が人気が高い理由、それは、往年のディスコサウンド、EW&Fを始めとするソウル、ファンカデリックのようなPファンクを、アナログレコード時代のノスタルジアを交え、巧みなDJサンプリング処理を交えて、現代人にも心置きなく楽しめる明快なソウルミュージックを生み出しているからなのだ。


2021年リリースされた最新作「Loving In Stereo」でもJungleのリスナーを楽しませるために一肌脱ぐというスタンスは変わることはない。人々を音で楽しませるため、気分を盛り上げるため、ロイド・ワトソンとマクファーランドの二人は、このアルバム制作を手掛けている。もちろん、彼らの試みが成功していることは「All Of The Time」「Talking About It」「Just Fly,Dont'Worry」といったネオソウルの新代名詞とも呼ぶべき秀逸な楽曲に表れているように思える。


もちろん、Jungleは知名度、商業面でも大成功を収めているグループではあるが、話題ばかり先行するミュージシャンではないことは、実際のアルバムを聴いていただければ理解してもらえるだろうと思う。ブンブンしなるファンクの王道を行くビート、そして、分厚いベースライン、ヒップホップのDJスクラッチ的な処理、これらが渾然一体となった重厚なグルーブ感は実に筆舌に尽くしがたいものである。それは、言葉で語るよりも、実際、イヤホン、ヘッドホン、スピーカーを通してジャングル生み出すグルーヴを味わう方がはるかに心地よいものだといえる。


「Loving In Stereo」にあらわれている重厚なグルーヴ、低音のうねりと呼ぶべきド迫力は、EW&Fやファンカデリックといったアメリカ西海岸の先駆者に引けを取らないものであるように思える。そして、彼らのそういった先駆者たちへの深い敬意がこの作品に込められているのである。 

 

 

  

 

 






・James Blake 

 

「Friends Break Your Heart」 Polydor


 


Friends That Break Your Heart  

 


ジェイムス・ブレイクは、インフィールド・ロンドン特別区出身のソングライターである。デビュー作「James Blake」で前衛的なプロダクションを生み出し、鮮烈なるデビューを果たし、一躍、UKのミュージックシーンのスターダムに躍り出た。


その後、ブライアン・イーノ、ボン・イヴェールといったUKきっての著名なミュージシャンだけでなく、RZAやトラヴィス・スコットといったアメリカのラッパーと深いかかわりを持ってきたミュージシャンであるため、電子音楽、ヒップホップ、ソウル、単一ジャンルにとらわれない、幅広いアプローチを展開している。


ブレイクの新作「Friends Break Your Heart」は今年の問題作のひとつ。アルバム・ジャケットについては言わずもがなで、賛否両論を巻き起こしてやまない作品である。SZAやJIDといったラップアーティストとのコラボについても話題性を狙っているのではないかと考える人もいらっしゃるかもしれない。


主要な音楽メディアは、このアルバムについてどのような評価を与えたのかといえば、イギリスのNMEだけは、このアルバムに満点評価を与えた一方、きわめて厳しい評価を与えたメディアも存在する。


それは、このアルバムがブレイクの告白的なコンセプト・アルバム、文学でいえば、フランスのルソーの「私小説」に近いニュアンスを持った作品であるからだろう。もしかすると、この点について、多くの音楽メディアは、なぜ、ジェイムス・ブレイクのようなビックアーティストが今更個人的なことについて告白する必要があるのか、と、大きな疑問を持つのかもしれない。ブレイクならば、もっと社会的な問題を歌うべきだ、と多くのメディアは考えているのかもしれない。

 

しかし、本当にそうだろうか。必ずしも、大きな社会的な問題を扱うだけがアーティストの役割とは言えない。

 

つまり、そういった社会の常識に追従しない気迫をジェイムス・ブレイクは本作において示しているように思える。それは、リスナーとしては、とても心強いことであり、なおかつ頼もしいことなのだ。さらに、好意的にこのアルバムを捉えるなら、この作品はPVを見ても分かる通り、いかにもこのアーティストらしい、個性的なユーモアが込められていることに気がつくのだ。


それは、明るい意味でのユーモアというより、ブラックユーモアに近いものなので、ちょっとわかりづらいように思える、イングリッシュ・ジョークに近い、暗喩的ニュアンスが込められているのである。


しかし、「自分の代替品はいくらだってある」と、自虐的に歌うブレイクだが、ラストトラック「If I’m Insecure」では、その諦めや絶望の先に希望を見出そうとしている。つまり、この作品を、寓喩文学に近い側面から捉えるなら、全体的な構成として、暗鬱な前半部、そして、明るい後半部まで薄暗く漂っていた曇り空に、最後の最後になって、神々しい明るいまばゆいばかりの希望の光がほのかに差し込んでくる、それが痛快な印象をもたらすわけである。


つまり、コンセプトアルバムとして、この作品には、ジェイムス・ブレイクの強いメッセージが込められている、生きていると辛いこともあるけど、決して諦めるなよ、という力強いリスナーに対する強いメッセージが込められているように思える。そういった音楽の背後に漂う暗喩的なストーリにNMEは気がついたため、満点評価を与えた(のかもしれない)。個人的な感想を述べるなら、本作は「Famous Last Word」をはじめ、ネオソウルの新しいスタイルが示されているレコードで、ジェイムス・ブレイクは新境地を切り開くべく、ヒップホップ、ソウル、エレクトリック、これらの3つのジャンルを中心に据え、果敢なアプローチ、チャレンジを挑んでいる。


それは、既に国内外でビックアーティストとして認められていながら、この作品を敢えてカセットテープ形式でのリリースを行うというアーティストとしての強い意思表示にも表れている。


つまり、どこまでもインディー精神を失わず、現在まで活動をつづけているのがジェイムス・ブレイクの魅力でもあるのだろう。 

 

 

 

 


 

 


 


・ Hiatus Kaiyote

 

「Mood Valiant」 Brainfeeder

 

 


Mood Valiant  


 

ハイエイタス・カイヨーテはオーストラリアを拠点に活動するネオソウル・フューチャーソウルの代表的なグループである。


この作品は2020年からレコーディングが始まったが、途中、このグループのヴォーカリスト、ナオミ・ネイパームが乳がんに罹患し、その病を乗り越えてなんとか完成にみちびかれた作品ということから、まずこの作品に対し、そして、このヴォーカリストに対して深い敬意を表しておかなければならない。さらに、2つ目のパンデミックという難関を乗り越えて完成へと導かれた作品でもあることについても、同じように深い敬意を表して置かなければならないだろう。


しかし、そういった作品の背後にあるエピソードを感じさせないことが「Mood Valiant」という作品の凄さとも言える。


本作では、ポップ、ソウル、ヒップホップ、エレクトロニック、チルアウト、ローファイ、これらの音楽性が渾然一体となり、ひとつのハイエイタス・カイヨーテともいうべきミュージックスタイルが確立された作品である。


長い期間を経て制作されたアルバムにもかかわらず、時の経過を感じさせないタイトで引き締まった構成力が感じられる。そこに、ネイパームの渋みのあるヴォーカルがアルバム全体に絶妙な艶やかさ、色気とも呼ぶべき雰囲気をそっと静かに添えている。もちろん、そのヴォーカルというのは、このアルバム制作期間において自身の病を乗り越えたがゆえの本当の意味での強い生命力が込められているのだ。


そして、ハイエイタス・カイヨーテがオーストラリア国内にとどまらず、世界的な人気を獲得し、グラミー賞にも、当該作がノミネートされている理由は、トラック自体のノリの良さに加え、その中にも深い味わい、一種のアンビエンス、ソウルという表現性を介してのメロウな雰囲気をもつ、秀逸なソウルミュージックを生み出しているから。そして、表向きの音楽性の中に強いソウルミュージックへのハイエイタス・カイヨーテの滾るような熱い気持ちが表された作品ともいえる。  

 

 

  

 


 

 

 

 


・Mild High Club 

 

「Going Going Gone」 Stones Throw



 


Going Going Gone


マイルド・ハイ・クラブはイリノイ州シカゴを拠点とするサイケデリックポップ・グループである。表向きにはローファイ寄りのロックバンドではあるものの、このバンドの音楽性には、ほのかにソウル、R&Bの雰囲気が漂っているため、モダンソウルの枠組みの中で紹介しておきたいバンドでもある。


「Going Going Gone」は近年、LAを中心に盛んなリバイバルサウンド、ローファイ感を前面に打ち出したモダンな作品といえる。


この作品の良さ、魅力については、「雰囲気の良さ」という一言で片付けたとしてもそこまで的外れにはならないと思える。


それに、加えて、MHCの生み出すメロウなメロディは、コアなリスナーに一種の安らいだ時間を与えてくれるはず。


しかし、もうひとつ踏み込んで、マイルド・ハイ・クラブの音の魅力を述べるならば、彼らの音楽のフリークとしての表情、矜持とも呼ぶべきものが、これまでの作品、そして、最新作「Going Going Gone」に表れ出ていることであろう。それは、俺たちは他のやつらより音楽を知ってるんだぜ、という矜持にも似た見栄とも言える。


無論、マイルド・ハイ・クラブの音楽性はお世辞にも、それほど、上記の作品ほどには存在感があるわけではないけれども、彼らの音楽に深い共感を見出すリスナーは少なくないはずである。

 

いわば、「レコードマニアが生み出したレコードマニアのための音楽」と喩えるべきフリーク性がこの作品には発揮されていて、それが音楽ファンからみても、とても頼もしくもあり、痛快でもあるのだ。


また、それは、別に喩えるなら、アナログレコードプレーヤーに針を落とし、実際にノイズがぱちぱち言う中、音がゆっくり流れ始める、あの贅沢で素敵なタイムラグ、そういったコアな音楽ファンのロマンチズムが、このアルバム全体にはふんわり漂っている。マイルド・ハイ・クラブの音楽に対する尽きせぬロマンチズム。


その感覚というのは、何故かしれないが、実際のサイケデリック寄りの音楽を介し、心にじんわりした温みさえ与えてくれるのである。

 

 

 




Album of the year 2021 

 

ーSinger-Songwriterー 

 

 



 

・Angel Olsen

 

「Aisles」 jagujaguwar

 

 


 

通称、シンガーソングライターというのは、男性アーティストにしろ、女性アーティストにしろ、そのミュージシャンの個性、キャラクターがバンド形態よりはるかに色濃く出る場合がある。


そのことをこれまでの快作において示してきたのが、素晴らしい声量、そして伸びのある美しい歌声を持つ、ノースカロライナ州アシュビル出身のシンガーソングライター、Angel Olsenである。


エンジェル・オルスンは、ジョアンナ・ニューサム以降のフォーク・ロック、オルタナ・カントリーの系譜から登場したと言われていて、作品のプロモーションビデオごとに様変わりするド派手なキャラクターを演じるユニークなアーティストだ。


表向きの演出に加え、音楽性についても個性的であり、カントリー、フォーク、グラムロック、シンセ・ポップ、グランジ、1960年代から1990年代までの、幅広いポピュラー音楽を自由自在に縦断し、新鮮味あふれる未来のポップス/ロックの作風を、これまでの作品において展開している。そのスター性は、ミネアポリスサウンドの立役者Princeのド派手な雰囲気に近い、と言っても差し支えないかもしれない。

 

8月にjagujaguwarからリリースされたEP「Aisles」は、シャロン・ヴァン・エッテンとのコラボレートした名シングル「Like I Used To」に続く作品で、1980年代のクラシックソングのカバーで構成されている。


「Aisles」は、2020年の冬、アッシュビルのDrop of Sun Studioでレコーディングされ、エンジニア、Adam Mcdanielをと共に制作された一作である。


アダム・マクダニエルの妻のエミリーは、自宅を提供し、エンジェル・オルソンに実際の録音を始めるまで、様々な創造性と安心感を与えた。


その甲斐あってか、この作品は、全てカバー曲で構成されているが、シンセサイザーを介して自由性の高いアレンジメントが行われている。さらに、それに加えて、この夫妻とともに睦まじい時間を過ごしたエンジェル・オルセンの、のびのびとした歌声を全曲に渡って聴くことができる。


特に、オリジナル曲から想像だにできない独創的なアレンジが行われていることに注目である。その点については、作品中の一曲、「Gloria」についてのエンジェル・オルセン自身のコメントに共感を見出していただけるはず。



「クリスマスで家族で集まったときにはじめて、”Gloria"を聴いたのですが、皆が立ち上がって踊りまくっているのに驚きました。そこで、スローモーションで踊って皆が笑っている姿を想像してみたら、なんだか楽しそうで、実際にこんなふうにやってみようかなと思いついたんです」

  


 




 

 


・Sam Fender 

 

「Seventeen Going Under」Polydor



 


Seventeen Going Under  

 

 

サム・フェンダーは、イギリス、ノースシールズ出身のシンガーソングライター。


個人的にこのアーティストを何度か推すのは、ヴォーカリストとして高音のビブラートの伸びが独特であること、そして、歌詞についても、若者がぜひともいわなければならないことをまったく気後れなく歌っており、監視社会、フェイクニュース、セクシャル・ハラスメント、と、社会的な問題について、自分なりの考えを歌詞を通じて歌っているアーティストであるがゆえなのだ。


特に、今夏にリリースされた「Seventeen Going Under」はアルバムとして聴いても粒ぞろいの楽曲ばかりで聴き応えも十分といえるし、また、現代の歌手らしいメッセージ性溢れる傑作といえる。

表題曲の「Seventeen Going Under」は、イギリスのミュージックシーンの新たな象徴的な楽曲ともいえる影響力を持った一曲。国内の若者の苦悩に寄り添ったヒットナンバーのひとつで、サム・フェンダーは、社会全体の若者の苦悩を自らの体験に根ざし、明るい側面ではなく暗い側面をあるがままに見据え、それを秀逸なポップソングとして昇華しているのが見事である。


サム・フェンダーは、既にブリットアワードの批評家賞を受賞していて、UKの音楽評論家の評価についてはお墨付きといえるが、これから一般のリスナーにも、その楽曲の持つ良さが理解されていくはず。未だブリット・ポップというジャンルはイギリスに健在であること、そして、自分が気骨あるアーティストだと示してみせたのが「Seventeen Going Under」なのである。

 

これまで、サム・フェンダーがボブ・ディランやニール・ヤングといった大御所のサポート・アクトを務めているのには明確な理由があって、それは、UKの音楽シーンが彼に大きな期待を寄せているからなのだ。これから、世界で大きな人気を獲得しそうな雰囲気のあるアーティストとしても注目である。

 

 

 

 

 




・Courtney Barnett 

 

「Thinking Take Time,Take Time」Marathon Artists


 



Things Take Time, Take Time

 


Covid19のパンデミック、それに伴う社会的活動の制限という抜き差しならぬ問題は、私達一般の市民はもとより、アーティストにも何らかの行き止まりに突き当たらせ、そして、そこで、新しい考えに転換を図らざるをえなくなる契機となった。しかし、一方で、それは何らかの重要な教えをもたらすことでもあった。そのことを示すのが、オーストラリア、メルボルン出身のシンガーソングライター、コットニー・バーネットの最新作「Things,Take Time,Take Time」といえる。

 

コットニー・バーネットは、私達が日々直面する問題や障壁について、それほど重苦しく考えず、長く生きていると、そういった出来事もあるんだから、そのことについてそれほど重く思い悩む必要などない、気長にやっていこう、というメッセージをこのアルバム自体にこめているように思える。


それは表題にある通り、「なにかをなすのには長い、長い時間を要する」と銘打たれている通りで、バーネット自身が音楽を完成させること、アーティスト活動を通じて、物事がより良い方に向かうには、それなりの長い時間の経過が必要であることを熟知しているから。この作品で展開されるサウンドアプローチは、これまでのコットニー・バーネットの作風に通じるもので、Pavementを始めとする、1990年代のインディーロックに対する深い愛情が込められていて、それがゆったりして穏やかなローファイ感あふれるニュアンスと見事な融合を果たしている。

 

そして、この作品が、2021年に生きる、それから2022年以降を生きていく人にとってマストアイテムともなりえるのは、ひとつひとつの問題についてあまりにも現代の人はその瞬間にすぐさま解決へ導こうとしていて、それがそのまま社会の疲弊につながっているのはないか、ということにあらためて気が付かせてくれるからなのだ。偶には、時間にゆとりをもち、本当の意味でのゆったりとした時間を大切にすることが幸福に繋がる。

 

コットニー・バーネットの新作「Thinking Take Time,Take Time」は、なにも、おおそれた幸福ばかりではなく、目の前にあるささやかな幸せ、そういうものも尊いということにあらためて気付かせてくれる。


もちろん、そういった難しい問題を度外視したとしても、この作品の素晴らしさは、失われることはない。「Write A List Of The Things To Looking Foward To」を始め、インディーロックの名曲が数多く収録された2021年の隠れた傑作として挙げておきたい。

 

 

 

 



 

 

 

・Oscar Lang

 

「Chew The Scenery」 Dirty Hit



 


 Chew The Scenery [Explicit]

 

 


オスカー・ラングは、「インディーロック界の鬼才」とも呼ばれている、今最も注目するべきシンガーソングライターのひとりだ。

 

今年、華々しいデビューを飾ったばかりの18歳のイギリスロンドン出身のシンガーソングライターである。


サイケデリックをはじめ、ピアノポップ、ローファイ、多種多様なサウンドを自在にクロスオーバーした楽曲を、これまでに四枚のEPを通じて発表している。今まさにUKのミュージックシーンの中でもホットで話題性あふれるアーティストと言えるだろう。


オスカー・ラングのデビューアルバム「Chew The Scenery」は、ギターロックにノイズ性を交え、そこに絶妙なポップセンスが加味された作品で、あふれんばかりの創造性がこの作品には溢れ出ている。


もちろん、ノイズ性を徹底的に押し出したロックサウンドというのは、表面的にサイケデリック、いくらかアヴァンギャルドの色合いさえ併せ持つのだが、何と言っても、この作品を魅力的にしているのは、オスカー・ラングの天性のポップセンス、ブリット・ポップの時代を彷彿とさせるノスタルジア感満載の旋律を次々に生み出す、類まれなるソングライティング能力。それにくわえて、無尽蔵のはちきれんばかりのクリエイティヴィティを感じさせるギターの演奏の迫力にある。

 

2020年代のニューミュージックというべきフレッシュな音楽性を引っさげて台頭したユニークなシンガーソングライター、オスカー・ラングのデビューアルバム「Chew The Scenery」を聞き逃すことなかれ。UKロンドンのミュージックシーンにあざやかな息吹を吹き込んでみせた痛快な作品と呼べる。

 


 


 

Album of the year 2021 

 

ーIndie Rock/Alternativeー





 

・Lightning Bug

 

 「The Color Of The Sky」 Fat Possum



Lightning Bug 「The Color Of The Sky」

 

 A Color Of The Sky  

 

 


ライトニング・バグは、ニューヨークを拠点に活動するドリーム・ポップバンド。Audrey Kangを中心に、Kevin Copeland,Logan Mlleyの3人で結成された。

 

その後、Dane Hagen,Vincent Pueloが加わり、五人編成となった。2015年には、自主レーベルから「Floaters」をリリースしてデビューを飾り、その後、ミシガン州のFat Possumと契約を結び、今年、最新作を発表している。


この「The Color The Sky」は、米国ニューヨーク北部の山岳地帯”キャッツキル”でレコーディングされた作品で、夜空の満点の星空を眺めるかのようなロマンチシズムに満ちている。何と言っても、このバンドのサウンドの骨格を形作るのは、Audrey Kangの透き通るような歌声、そして、その歌を背後から支える、おだやかでやさしいインディー・ロックサウンドにあるといえる。

 

レコーディングが行われたニューヨーク北部キャッツキルの山々の清涼感を呼び覚ますような作品であり、それが聞きやすいポップス、フォーク、ロックという3つの形態をとって上質な楽曲として提示されている。


Audrey Kangの生み出す楽曲はどこまでも素朴で、純粋な響きが込められているが、この作品「The Color The Sky」について、ライトニング・バグの楽曲の多くのソングライティングを手掛けるAudrey Kangは以下のように語っている。

 

「リスナーには、自分の内面の世界を探求してほしいと思います。この作品は、自分を信頼すること、自分に深く正直になること、そして、自己受容が無私の愛を生み出すことを主題にしています」

 

この作品は実際の音楽性については無論、自分の中にある本来の美しさ、そして、自分という存在の尊さはこの世のすべての人に存在する、自分が存在していることがそのまま大きな価値という真理に思い至らせてくれる作品。


「無私の愛」という、この世の中で唯一の真理に根ざして制作されたレコードであること、それこそが私がこの作品を心から愛し、今年のインディーミュージックの最高の一枚として挙げておきたい理由である。 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

・Mdou Moctar

 

「Afrique Victime」 Matador


 

Mdou Moctor 「Afrique Victime」 

 

Afrique Victime [解説・歌詞対訳 / ボーナストラック収録 / 国内盤] (OLE1614CDJP)  

 

 

エムドゥー・モクターは、既に日本のサイケデリックロックファンの間でも注目度が高まっている、西アフリカのジミ・ヘンドリックス、ヴァン・ヘイレンの再来とも称される左利きの天才ギタリスト、エムドゥー・モクターを擁するロックバンドである。


昨日、バラク・オバマ元大統領のお気に入りの楽曲を集めたプレイリスト「Barack Obama's Playlist」がSportifyで公表されたが、そのプレイリスト中に「Afrique Victime」の「Tala Tannam」がリストアップされている。バラク・オバマ元大統領は相当な音楽通であることは疑いないようである。

 

元々は、両親にギターを演奏することを反対され、自転車のワイヤーを改造して自作のエレクトリックギターを作り、演奏法を独学で習得し、自作の音源集を音楽アプリケーションを介して発表していたエムドゥー・モクターは、西アフリカ、砂漠地帯のニジェールのタマシェク族の出身であり、その西アフリカの砂漠地方の伝統、文化、そして思想を、一身に背負ったアフリカの伝道師とも呼ぶべき人物である。


アフリカという土地が世界でも辺境ではないことを、彼はエレクトリックギターの演奏を通じて、勇ましく主張している。


もちろん、そのような思想じみたことはそれほど重要ではない。エムドゥー・モクターの演奏というのは、思想を越えた偉大な芸術のひとつである。それが何度も私がこのギタリストの記事を書いてきた理由でもある。


しかし、アフリカ大陸にルーツを持つが故にデビューする年代も一般のミュージシャンよりも遅れてしまったことも事実である。


それでも、いよいよ米国の名門インディーズレーベル「Matador」との契約を果たし、アフリカだけではなく、世界的なロックミュージシャン、ギタリストとして活躍し始めるようになったことは世界的に見ても重要なことといえる。


このエムドゥー・モクターの最新作「Afrique Victim」は、アルバム全体を通して、一部がフランス語で歌われているのを除いては、すべてがアフリカの固有の言語「タマシェク語」で歌われている。


言語というのが今日の世界において、どこまで後世に残るものなのかは疑わしいところである。いつ、何時、どの民族が憂き目にさらされるのか、それはたとえばウイグルのチベット民族の排斥という事実をみても、明日、どの民族の文化、言語が失われていくかわかったものか知れない。

 

だからこそ、この作品「Afrique Victime」は、今年のインディー・ロックのリリースの中で最も象徴的な一枚として挙げておく必要があるのだ。


「アフリカの犠牲」は何を語るのか? 


それはこの天才ギタリストの唸るような迫力満点のギターののびのびとした演奏に込められている。悲哀、歓喜、祝福、すべての神々しい感情がエムドゥー・モクターの演奏には宿っており、とりもなおさず、そのことがこの作品に、神聖な雰囲気を与えている理由でもある。そして、エムドゥー・モクターが、西アフリカの固有言語「タマシェク語」で真心を込めて歌うこと、また、西アフリカの伝統音楽を下地にしたサイケデリック・ロックを奏でること、この2つは冗談でもなんでもなく、「世界」という大きな視野を持った際には意義深いと言えるだろうか。  


 


 

 


 



 

 

・Beach Fossils  

 

「The Other Side Of Life:Piano Ballads」 Beyonet

 

 Beach Fossils  「The Other Side Of Life:Piano Ballads」  


The Other Side of Life: Piano Ballads (AMIP-0268)  




音楽というのは、時に、実際の表側に顕れた音よりもはるかに味わい深い何かを聞き手の情感に呼び覚ますことがある。


そのことを端的に表すのが、ニューヨーク、ブルックリンのインディー・ロックシーンをCaptured Tracks の旗手としてワイルド・ナッシングやマック・デマルコと牽引してきたビーチ・フォッシルズの最新作「The Other Side Of Life:Piano Ballads」である。


この作品は、「Somersault」や「What A Pleasure」をはじめ、これまでビーチ・フォッシルズが発表してきた代表的な作品を下地にし、バンドの中心人物であり、ビーチ・フォッシルズの楽曲のソングライティングの多くを手掛けてきたダスティン・ペイザー、そして、既にこのバンドを脱退している元ドラマー、トミー・ガードナーが再び協力し、二人三脚で生み出された美麗な感情を感じさせるジャズアレンジアルバムである。


作品の制作が開始されたのは、パンデミックが始まった時だ。ダスティン・ペイザーがトミー・ガードナーに連絡をとり、作品に取り掛かった。そこで、ペイザーは、このかつてはバンドで演奏や作曲をともにした友人のこれまで見いだされなかった隠れた才能に気がついた。それは、ニューヨークのジュリアード音楽院で体系的にジャズ音楽を学んだがゆえのジャズマンとしての才覚だった。


トミー・ガードナーのサックスやピアノを始めとするジャズ奏者としての際立った演奏力は、全てこの作品の中に表れている。それは、かつての往年のニューヨークのジャズマン、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのような正統派の才覚がこのアルバムの全体に表れ出ているように思える。


そして、この作品が美しい響きを持つ理由は、これまで多くの時間をバンドメンバーとして過ごしてきたからこその味わい深い人情、この世で最も美しい感情が「The Other Side Of Life:Piano Ballads」には貫流しているからだ。言ってみれば、なにか、この作品の実際の録音から感じ取れるのは、この二人が隣に座ってピアノを一緒に演奏しているような微笑ましい姿なのである。

 

音楽を通して繋がってきた友人の清らかな感情、思いのようなものが、美麗に、弛まず、ゆるやかなジャズアレンジ曲を通して流れていく。


これらの8つの楽曲には、二人のバンドメンバーの互いの敬意、そして、感謝、また、それより上の愛情のようなものがじんわり感じられる。このアルバムでの音楽をとおして伝えられる二人の感情表現は、きっと、聞き手の心を掴み、ぐっと何か惹きつけられるものがあるに違いない。 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

・The Album Leaf 

 

「In An Off White Room」 Album Leaf /Eastern Grow


 

Album Leaf 「In An Off White Room」  


In an Off White Room  

 

 

アルバム・リーフは、Tristezaを解散させた後に、ジミー・ラヴェルがあらたに立ち上げたポストロックバンドである。


2000年代からモグワイ、シガー・ロスと並んでポストロックのセカンドウェイヴを牽引してきた偉大なロックバンドだが、上記の二バンドに比べると、一般的な知名度という点ではいまいち物足りないように思える。それはひとつ、アルバム・リーフは生粋のインディー・ロックバンドといえ、商業的な成功を度外視し、DIYバンドとしてのスタイルを維持してきているからである。


アルバム・リーフは、myspace等の配信サイトを中心に2000年代から2010年代にかけて楽曲の発表を行ってきたこともあり、これまでリリースした多くの作品の原盤は既に入手困難となっている。


しかし、表向きの知名度とは別に、アルバム・リーフはやはり素晴らしいインディーロックバンドであることには変わりはない。作品毎に成長を緩やかに続け、他のロックバンドには紡ぎ出せないエモーション、繊細さ、そしてギターロックとしての深みを追究してきた硬派のグループでもある。


今作「In An Off White Room」は、ミニアルバム形式ではありながら、アルバム・リーフの集大成ともいえるような作品である。


これまでのアンビエントとポストロックの中間をいくかのような絶妙なサウンドアプローチは維持しつつ、鳥の声のサンプリングをはじめ、実験音楽の要素が込められている。電子音楽家とは異なり、ロックという領域において、ここまでアンビエントという音楽に近づいたバンドはアメリカのアルバム・リーフを差し置いてほか見当たらない。


最初期からのクリーントーンのギターの美しいアルペジオは健在、 ハーモニーの凄みはすでに名人芸の領域に達している。十数年間、流行の商業音楽からかけ離れた正真正銘のインディーロックをたゆまず追究してきたバンドの精神力と忍耐力が生み出したひとつの音楽スタイルの頂点である。

 

 

 

 


 

Album of the year 2021 

 

ーPost Classicalー





  

 

・Lucinda Chua 

 

 「Antidotes Ⅱ」 4AD


 

 Lucinda Chua  「Antidotes Ⅱ」 


 Antidotes 2

 

 

ルシンダ・チュアは英国、マレーシア、中国、と3つの国のルーツを持つチェロ奏者、ヴォーカリストである。

 

3歳の頃からSuzuki Methodを介してピアノ、チェロの学習をはじめ、その後、ノッティンガム大学で写真を学び、写真家として活動を行った後、音楽家としての道を歩みはじめた。Stars Of the Lidsといったアンビエントミュージシャン、FKA Twingsといったポピュラー音楽のアーティストのライブで共演を果たしたことが、 ソロアーティストとして活躍する布石となった。英国の名門インディーレーベル”4AD”からの「Antidotes」を引っさげてのデビューは、写真家として、チェリストとしての下積みの後に訪れた、満を持してのシーンへの台頭と言えるだろうか。


そして同じく、4ADから今年の夏にリリースされた二作目のミニ・アルバム「Antidotes Ⅱ」はアンビエントという枠組みでも語られるべき作品で、次いで、モダンポップス、ポスト・クラシカルとしても良質な名盤のひとつには違いあるまい。


この作品は、ピアノ、チェロ、そして、ルシンダ・チュアのヴォーカルをフーチャーし、クラシック、ポップス、ジャズ、アンビエントといった様々なジャンル要素が渾然一体となった作品である。


そのように言うと、いくらか堅苦しい印象を覚えるかもしれない。それでも、実際の楽曲を聴いてみれば、この作品はそれほど難解ではなく、ゆったりくつろいで聞けるアルバムであることが理解していただけるはずである。


この作品で繰り広げられるエキゾチックな雰囲気の漂うクラシカルやR&Bを基調にしたポピュラーミュージック(この作品にどことなく西洋ではない東洋の雰囲気がほのかに漂っているのは、取りも直さず、ルシンダ・チュア自身が中国というルーツを、ことのほか気に入っているからでもある)は、現代のモダンクラシカル、ポスト・クラシカルという2つのジャンルに新鮮な息吹をもたらしている。


依然として、それほどまでには大きな注目を受けていない作品ではあるものの、あらためて、今年のポスト・クラシカルの名盤として、ここで紹介しておきたい傑作のひとつ。

 

 

  

 


 

 

 

 

Nils Frahm 

 

「Old Friends,New Friends」 Leiter


  

Nils Frahm 「Old Friends,New Friends」 


 OLD FRIENDS NEW FRIENDS [2CD]  

 

 

「Old Friends,New Friends」について何度も書いてきているが、再度この作品を取り上げるのは、ニルス・フラームはポスト・クラシカルというジャンルを2000年代の黎明期から開拓してきた立役者の一人であるとともに、今作品がポスト・クラシカルというジャンル自体のクロニクル、このそれほど一般的には浸透していないジャンルをよく知る手がかりともなっているからである。


「Old Friends,New Friends」はフラームが自身のマネージャーと設立した”ライター”から12月3日にリリースされた作品で、ニルス・フラームがこの約十年間未発表曲として温めていた楽曲を収録したレコード。


これまで古典音楽、電子音楽、そして、F.S,Blummとのダブ作品を始めとするクラブ・ミュージックの作風というように実に多彩なジャンルのレコードを発表しているので、その内のどの性格がこのアーティストの実像であるのかについて、多くのリスナーは不可解に思っているかもしれないが、実際、くるくると変化する表情、あるいは、作風、まるで掴みどころのないような変身。そのうちのどれもが、ニルス・フラームという人物の本質ともいえるかもしれない。そして、今作「Old Friends,New Friends」は、彼の最初のキャリアを形作ったクラシカル、つまり、ドイツロマン派に近い雰囲気を持った、このアーティストの姿が見いだせる作品でもある。

 

2021年現在、アメリカのJoep Beving、アイスランドのOlfur Arnoldsをはじめ、世界を股にかけて活躍をするアーティストが増えてきた。


その中でも、ニルス・フラームは、やはり、ドイツのロマン派の音楽の継承者として、過ぎ去った時代の東欧の音楽の伝統性を次世代に引き継ぐ役割を担っているように思える。それが、最も、わかりやすい形で体現されたのが、このニルス・フラームのクロニクル的な作品だ。

 

ーーロマンチシズム、エモーション、ノスタルジアーーといった、シューベルト、リストの時代に最も繁栄したロマン派の音楽の可能性を、現代において新たにスタイリッシュに組み直した作品である。

しかし、この作品は決してアナクロニズムと喩えるべきではない。これはまた、新時代のモダン・クラシック音楽の形の一つで、2020年代の新しい音楽として解釈されてしかるべきなのだろう。 

 

 

Listen on 「All Numbers End」:

 

 https://www.youtube.com/watch?v=SgKjNXxNaSQ

 

 



 

 

 

The Floating Points・Pharoah Sanders ・London Sympony Orchestra 

 

「Promises」 Luaka Bop



The Floating Points・Pharoah Sanders ・London Sympony Orchestra 「Promises」 


 Promises  

 


どちらかといえば、厳密には「Promises」はモダン・クラシカルの枠組みで紹介されるべき作品ではあるものの、2021のポスト・クラシカルとしての最高傑作に挙げることをお許し願いたい。


フローティング・ポイントとして活動するサム・シェパード、モダンジャズのサックス奏者として長年活躍するファラオ・サンダース。そして、ロンドン交響楽団。見るからに豪華な三種三様のアーティストが制作、録音にたずさわり、電子音楽、ジャズ、クラシック、3つのジャンルをクロスオーバーして生み出された新時代の音楽である。この「Promises」は、2020年、パンデミックが到来し、最もロックダウンが厳格だった時代に録音された作品ということもあって、後世の歴史から見たときにとても重要な意味を持つレコード、「音楽による記録」のひとつである。

 

「Promises」という連作形式の作品のプロジェクトを最初に働きかけたのは、モダン・ジャズの巨匠ファラオ・サンダースだった。彼が、フローティング・ポインツの作品を聴き、それに感銘を受け、食事を実際にともにすることで、2020年代を代表する大掛かりな音楽プロジェクトは始まった。

 

その後、ファラオ・サンダースがロンドン交響楽団に依頼し、ヴァイオリン、チェロ、ビオラ、コントラバスのスペシャリストがこの録音に加わることになった。


フローティング・ポインツとして活動するサム・シェパードは、チェレスタの音色を使用したシンセサイザー演奏者として、ファラオ・サンダースは、即興演奏、インプロヴァイぜーションのサックス奏者として、ロンドン交響楽団は、由緒ある楽団の弦楽器奏者として、この作品の完成を異なる方向性から支えている。


「Promises」は、未来、現代、過去、3つの並行する時間軸を、サム・チェパードのチェレスタの演奏を中心点として、その周囲を無限に彷徨うかのような作品である。そして2020年の世界の奇異な閉塞感を、音楽芸術という形でリアルに表現している。 また、この作品は、米、ロサンゼルスの「サージェント・レコーダー」、英、ロンドンの「AIRスタジオ」という遠く離れた国を横断して制作されたことについても、前代未聞といえる。これまで歴代の音楽史では見られなかった稀有な事例「リモートレコーディング」に近い意味を持つ、前衛的な作品と呼べるのである。


もちろん、これはうがった見方なのかもしれないが、作品中に漂っている異様な緊迫感というのは、Covid19のパンデミックが始まった最初期の社会情勢を暗示しているといえる。英国と米国、2つの国を跨いで録音された楽曲「Moviment1−9」は、連作形式の交響曲であり、ミニマル・ミュージックとしての構造を持ち、サム・シェパードの演奏する短いモチーフを限りなく繰り返すことにより展開され、それが様々な形で変奏され、9つのセクションを構成している。


これは単なる楽しむための音楽というふうに捉えるべき作品ではないのかもしれない。言ってみれば、異なる音楽ジャンルの行き詰まった先にある究極のアート形態の完成系、アメリカとイギリス、2つの国を通じての「コールアンドレスポンス」が、前衛的にこれまでにない迫力をもって繰り広げられている。これは音楽や楽器の演奏を通しての音楽家のメッセージ交換といえる。また、「Promises」という傑作は、今後、如何に移ろっていくかきわめて不透明な時、我々が未来に向けて歩いていく上での重要な指針ともなり、啓示的な教訓を授けてくれるかもしれない。

 

 

 

 


 

Album of the year 2021 

 

 

ーIndie Folkー

 

 


 

・Lord Huron

 

 「Long Lost」Republic

 

 Lord Huron 「Long Lost」 


 

 

元来、コンテンポラリーフォークの魅力というのは、もしかしたら、音楽性における時間性の欠如、音楽を介して現代という時間を忘れさせてくれることなのかもしれない。もし、仮にそうだとしたら、ニール・ヤングの2021年の新作「Barn」の他に、今年のフォーク音楽として出色の出来栄えの作品を挙げるなら、Lord Huronの作品「Long Lost」がふさわしいと言えるだろう。


ロード・ヒューロンの中心人物、ベン・シュナイダーは、ミシガン州出身のマルチインストゥルメンタルミュージシャンで、ヴィジュアルアートの領域でも活躍する人物である。


彼は故郷のミシガンからLAに旅行した際に、ヒューロン湖で音楽上のインスピレーションを得て、最初のレコード「Lord Huron」の制作に取り掛かった。その後、幼馴染を中心にバンドを結成、現在はLAを拠点として四人組で活動している。

 

今作「Long Lost」の魅力は、ベン・シュナイダーのフォーク音楽の伝統性、そして、アメリカの伝統的な音楽、アメリカーナに対する敬意に尽きるだろう。

 

それは、このレコードにおいて多種多様な形で展開される。時に、戦後間もない頃のUSAのテレビ番組のオマージュであったり、はるか昔の西部劇のサントラ、マカロニウエスタンやノワールといった映画の持つロマンチシズム、そして、第二次世界大戦後まもない頃、フォーク音楽家として国内で大人気を博した、レッド・フォーリーへの憧憬にも似たエモーションがこの作品には漂っている。


ロード・ヒューロンの描き出すフォーク音楽は、アメリカの独特なノスタルジアに彩られている。そして、表題にもあるとおり、現代と過去の間に時間性を失いながら音楽が続く。それは、この作品中のコラボレーション楽曲「I Lied(with Allison Ponthier)」にて最高潮に達する。

 

しかし、この作品で表現される主題は、果たして、アメリカの人々にだけ通用するものなのだろうか。いや、多分、そうではないように思われる。


この独特な第二次大戦直後の時代を覆っていた雰囲気、一種のロマンチシズムにも喩えられる感慨は、実は、アメリカだけでなく、世界全体に満ち広がっていたのかもしれない。いうなれば、絶望の後のまだ見ぬ明るい希望の満ち溢れた未来に対する希望でもあるのだ。それは現代の我々からの目からみても、一種の陶酔感、ロマンスを覚えるのかもしれない。そして、それは、現代のパンデミック時代にこそふさわしい、多くの人に明るい希望を与える音楽でもあるのだ。


 

  

 


 

 

 

 

・Surfjan Stevens Angelo&De Augustine 

 

「Beginner’s Mind」 Athmatic Kitty

 


Surfjan Stevens Angelo&De Augustine 「Beginner’s Mind」  


A BEGINNER'S MIND 

 


スフィアン・スティーヴンス、アンジェロ・デ・オーガスティンは、双方ともアメリカ国内では根強い人気を誇るフォークアーティストである。特に前者のスフィアン・スティーヴンスは、コンテンポラリーフォークに神話性や物語性を加味した幻想的なフォーク音楽で多くの人を魅了している。


そして、アメリカの人気フォークアーティストの二人が共同制作した「Beginner's Mind」はニューヨーク北部の友人の山小屋に共同生活を営み、生み出されたヘンリー・D・ソローの「ウォールデン森の生活」の現代版といえるレコードである。


もちろん、アルバムアートワークのガーナのモバイルシネマを象徴するデザインも、味わい深い雰囲気がかもしだされているが、実際の音楽については、痛快ともいえるほどのストレートなフォーク音楽が今作では堪能できるはずだ。


それは、二人が山小屋の中で毎晩のように、「羊たちの沈黙」をはじめとするホラー映画、そしてヴィム・ヴェンダースの「欲望の翼」といった名画を見ながら音楽的なインスピレーションを得た、というエピソードにも見受けられるように、ユニークな質感、そして、スフィアン・スティーヴンスの持つ物語性、幻想性、神話性というのが、この作品の中で遺憾なく発揮されている。

 

また、このニューヨーク北部の山小屋での作品制作中、彼ら二人が、易経をはじめとする禅の思想に触発されたことや、ブライアン・イーノの「Oblique Strategies」(メッセージを書いたカードを介して偶然性を交えて物事を決定に導く実験的手法)が作曲中に取り入れられている。もちろん、言うまでもなく、難しい話を抜きにしたとしても、遊び心満載の魅力的な楽曲が数多く収録されている作品。「Beginner's Mind」は、2021年のフォーク音楽の象徴的なレコードの一つに挙げられる。

 

 

 

 

 


 

 

 

・Shannon Lay 

 

「Geist」 Sub Pop

 

Shannon Lay 「Geist」 


GEIST  

 

 

シャノン・レイは、ここ数年、フォーク音楽をどういった形で自分なりのスタイルにするのか絶えず模索し続けてきたアーティストである。


元々、パンク・ロックバンド、Feelsのギタリストとして活動していたシャノン・レイは、ソロ活動の最初期、そのパンクロックの色合いを残したコンテンポラリー・フォークを主な特徴としていた。しかし、Sub Popと契約を結んで発表された前作「August」から、強いフォーク性を押しだすようになった。


例えば、それは、アコースティックギターの演奏の面でいうなら、フィンガーピッキングの弛まざる追究、自分らしい奏法を探求した結果が、演奏面、作品制作に良い影響を与え、以前に比べると、演奏面で、音楽性に幅広いニュアンス、特に、淡い叙情性が引き出されるようになっている。そして、目下のところ、シャノン・レイの作品の主題がどこに置かれているのかについては、自分自身のアイルランド系アメリカ人としての移民のルーツを、「フォーク音楽」というギターの表現を介して、ひたすら真摯に、探求しつづけることにほかならないのかもしれない。

 

おそらく、彼女自身が探し求める、はるか遠くの精神的な故郷、そして、その土地の風合いを表す音楽、アイルランドフォークロアに対する接近、それは、前作に続いてSub Popからリリースされた「Geistー概念」の背後を通して、展開される重要な主題に近いものである。もちろんこの作品は、最初のソングライティングの骨格をシャノン・レイ自身が生み出し、その後、シャロン・ヴァン・エッテンをはじめ、多くのアメリカのミュージシャンが携わることにより、完成した作品であるので、個人的な音楽というよりかは、複数のミュージシャンによる作品でもある。

 

しかし、それでも、この作品に、シャノン・レイらしい概念性が失われたわけではない。それどころか、以前の作品よりも強いアイルランド音楽の色合いが出たシャノン・レイというミュージシャンにとって、一つの到達点、もしくは、記念碑的なレコードといえるかもしれない。


以前まではたしかに、シャノン・レイにとって、アイルランドのフォークロアは憧憬の対象であったかもしれないが、それを、今回の作品において、シャノン・レイは過去に埋もれかけた時の中からその原石ともいうべきものを見出し、それを自分の元に手繰り寄せることに成功し、シャノン・レイ自身のフォーク音楽として完成させていることが、このレコードが魅力的にしている。もちろん、こういった深みのある音楽は、短期間で生み出されるものではない、そう、一夜の生半可の知識や技術、浅薄な楽曲の理解により、生み出されるものではないのだ。

 

つまり、このレコード「Geist」が今年リリースされた作品中で、なぜ、コンテンポラリーフォークとして傑出し、華やいだ印象を聞き手に与えるのだろうか。その理由は、近年、シャノン・レイ自身が、フォーク音楽に、誰よりも長く、真剣に向き合ったがゆえに生み出されたレコードだからである。一見、聴いて楽しむためのように思えるフォーク音楽というのは、実は徹底的に突き詰めると、概念的な表現に変容すると明示した意義深い作品である。


 

 




Album of the year 2021  

 

ーPost Punk/Post Rockー




 

・Idles  

 

「Crawler」 Patisan Records 

 



Crawler 

 

英ブリストル出身のポスト・パンクバンド、アイドルズはデビュー時から凄まじいポストパンク旋風を巻き起こし、快進撃を続けてきた。昨年リリースされた「Ultra Mono」ではUKチャート初登場3位、最終的には首位を奪取してみせ、英国に未だポスト・パンクは健在であるという事実を世界のミュージックシーンに勇ましく示し、2021年の最高のアルバムと呼び声高い作品を生み出した。


もちろん、今年、2021年もまた、アイドルズ旋風はとどまるところを知らなかったといえよう。このロック史に燦然と輝く「Crawler」の凄まじい嵐のようなポスト・パンクチューン・ハードコア・パンクの激烈なエナジーを見よ。ケニー・ビーツ(Vince Staples、Freddie Gibbs)を招き、アイドルズのギタリスト、Mark Bowenが共同プロデューサーとして名を連ねる11月十二日にリリースされた作品「Crawler」は、Idlesの新代名詞というべき痛快な作品である。


このアルバムは、パンデミックの流行に際し、世界中の人たちの精神、肉体的な健康状態が限界に達したことを受け、反省と癒やしのために制作された。


「トラウマや失恋、喪失感を経験した人たちに、自分たちは一人ではないと感じてもらいたい、そうした経験から喜びを取り戻すことが可能であることを知ってもらいたい」


Idlesのフロントマン、ジョー・タルボットは、この作品について上記のように語る。彼の言葉に違わず、アイドルズの「Crawler」は、パンデミックの流行により、失望や喪失を味わった弱い人々に強いエナジーを与え、前進する活力を取り戻させる迫力に満ちた重低音のパワーが、アイドルズの凄まじい演奏のテンションと共に刻印されている。特に#2の「The Wheel」は聞き逃してはならない。この豪放磊落な楽曲はあなた方の疲弊した精神に生命力を呼び戻してくれるだろう。


 

 

 


 

 

 

 


 ・Black Midi

 

  「Cavalcade」 Rough Trade 

 

 Black Midi  「Cavalcade」

 

 

ワインハウスやアデルを輩出したご存知ブリット・スクールから、ミュージックシーンを揺るがすべく登場したブラック・ミディ。フロントマンのGeordie Greepをはじめ、メンバーの四人全員が19歳という若さであり、近年、ラフ・トレード・レコードが最大の期待を持って送り出した大型新人である。


ブラック・ミディは、既に、日本に来日しているアヴァンギャルド・ロックバンドであるが、彼ら四人がリリースした「Calvalcade」もまた上記したアイドルズの「Crawaler」と共に今年一番の傑作に挙げられる。


この作品「Calvalcade」の制作は、デビューアルバム「Schlangenheim」2019の発表後それほど時を経ずに開始された。 


フロントマンのGeordie Greepは、このアルバムの制作の契機について、「Schlangenheimの発表後、多くの人達がこのデビュー作品を素晴らしいと評価してくれたこと自体はとても嬉しかった。でも、僕たちはこのアルバムに飽きが来てしまって。そこで、もっと素晴らしいアルバムを作ろうじゃないかと他のメンバーたちと話し合って、次作「Calvalcade」の制作に取り掛かることに決めたんだ」と語っている。


アルバム制作時までに、ギタリストのMatt Kwazsniewski-Kevinが一時的にメンタルヘルスの問題を抱え、休養を余儀なくされたが、彼はこのアルバムのソングライティング、レコーディングに参加している。


前作までに、ドイツのCanに影響を受けたインダストリアル・ロック、ヒップホップ、ポストロック、フリージャズ、前衛的な音楽のすべてを経験したブラック・ミディは今作においてさらに強いアヴァンギャルドの領域に入り込んでいる。


サックス奏者としてKaidi Akinnnibi、キーボード奏者としてSeth Evansがゲスト参加した「Calvalcade」は、2020年の夏の間にアイルランドのダブリン、モントピリアヒルのリハーサルスタジオでレコーディングされた作品であり、窓の外を飛び交っていたヘリコプターの音が録音中に偶然に入り込んでいることに注目である。


前作では、ジャムセッションを頼りにソングライティングをしていたブラックミディの面々は、今作で、よりインプロバイゼーション、即興演奏を繰り返しながら、アルバムを完成へと近づけていった。


その過程で、ラフ・トレードの主催するライブで、何度も実際に演奏を重ねながら無数の試行錯誤を重ねながら、より完成度の高い作品へつなげていこうとする彼らの音楽にたいする真摯な姿勢が、作品全体に宿っている。それがこの作品を飽きのこない、長く聴くに足る作品となっている理由なのだ。


そして、この作品は、ロック作品でありながら、偶然にもマイクロフォンが拾ってしまったヘリコプターの音のエピソードをはじめ、自分たちが演奏している空間の外側に起きている現象すら、一種の「即興演奏」のように捉えた、実験性の強い作品である。


実際、ブラック・ミディは、CANのダモ鈴木と共演、その強い影響も公言しているが、今作において衝撃的に繰り広げられる新時代のクラウトロック/インダストリアル・ロック、ポストロックというのは、前時代の音楽をなぞらえたものではなく、SF的な雰囲気すら感じられる未来のロック音楽の模範だ。


個々の楽曲の凄さについて七面倒な説明を差し挟むのは礼に失したことだ。ただ「John L」、ポストロックの一つの完成形「Chondromalacia Patella」の格好良さに酔いしれてもらえれば、音楽としては十分だ。

また、独特なバラード「Asending Forth」というブラック・ミディの進化を表す落ち着いた楽曲に、このロックバンドの行く先にほの見える、明るい希望に満ち溢れた未来像が明瞭に伺えるように思える。 

 

 

 

 


 

 



・Black Country,New Road 

 

「For The First Time」 Ninja Tune 

 

Black Country,New Road 「For The First Time」  



For the First Time 

 


ロンドンを拠点に活動する七人組のBCNRは、ブラック・ミディと同じように、十代の若者を中心に結成された。


既存のロックバンドのスタイルに新たな気風を注ぎ込み、バンドメンバーとして、サックス,ヴァイオリンといったオーケストラやジャズの影響を色濃く反映させた新時代のポスト・ロックバンド。彼らの音楽の中には、ロック、ジャズ、その他にも東欧ユダヤ人の伝統音楽、クレズマーからの影響が入り込んでいることも、このバンドの音楽性を独立独歩たらしめている要因である。


このデビュー作「For The Fiest Time」のリリース前から、先行シングル「Track X」がドロップされるなり、ロックファンの間では少なからず話題を呼んでいたが、実際にアルバムがリリースされると、その話題性はインスタントなものでなく、つまり、BCNRの実力であることが多くの人に知らしめられた。 


特に「Track X」に代表されるように、このアルバムは、閉塞した・ミュージックシーン(ミュージックシーンというのは、我々の日頃接している社会を暗示的に反映させた空間でもある)に新鮮味を与えてくれる作品だったし、言い換えてみれば、既存のロックに飽きてきた人にも、ロックって、実はこんなに面白いものだったんだという、ロック音楽の新たな魅力を再発見する重要な契機を与えてくれた作品でもあった。


これまでスティーヴ・ライヒ的なミニマル構造をロック音楽の構造中に取り入れること、あるいはテクノのような電子音楽の構造中に取り入れることを避けてきた風潮があり、それはこれまでのミュージシャンが、自分たちの領域とは畑違いの純性音楽の音楽家に対して気後れを感じていたからでもあるが、しかし、BCNRは、前の時代の音楽家たちの前に立ち塞がっていた壁を見事にぶち破ってみせた。


ブラック・カントリー、ニューロードの七人は若い世代であるがゆえ、そういった歴史的な音楽における垣根を取り払うことに遠慮会釈がない。また、そのことがこの作品を若々しく、みずみずしく、安らぎに近い感慨溢れる雰囲気を付与している要因といえるのである。


つまり、これまで人類史の中で争いを生んだ原因、分離、分断、排除、そして、差別といった概念は既に前の時代に過ぎ去った迷妄のようものであることを、ブラック・カントリー、ニューロードは「音楽」により提示している。そのような時代遅れの考えが彼らを前にしてなんの意味があろうか。


このロンドンの七人組ブラックカントリー、ニューロードの新しい未来の音楽は、それらとは対極にある概念、融合、合一、結束、そういった人間が文明化において忘却した概念を、再び我々に呼び覚ましてくれる。それがスタイリッシュに、時に、管弦楽器などのアレンジメントを介して、きわめて痛快に繰り広げられるとするなら、ロックファンは、彼らのこのNinja Tuneから発表されたデビュー作を、この上なく歓迎し、好意的に迎えいれるよりほかなくなるはずだ。


 

 

 


 

Album of the year  2021 

 

ーAmbientー



 

・Christina Vanzou /Lieven Martens  

 

「Serrisme」 Edicoes CN

 

 

Christina Vanzou /Lieven Martens  「Serrisme」  

Serrisme  


 

Stars Of The Ridの活動で知られるアダム・ウィットツィーとの共同プロジェクト、The Dead Texanとして音楽家のキャリアを開始したベルギーを拠点に活動するクリスティーナ・ヴァンゾー、リーヴォン・マルティンス、ヤン・マッテ、クリストフ・ピエッテの四者が携わった今年9月1日にベルギーのレーベルからリリースされた「Serrisme」は、それぞれが独特な役割を果たすことにより、アンビエント音楽の新たな形式、ストーリー性のある環境音楽を提示している。

 

この作品において、クリスティーナ・ヴァンゾー、リーヴェン・マルティンスは、サウンドプロデューサーとしての立ち位置ではなく、サウンドイラストレーション、つまり、音楽を絵画のように解釈し、雨の音、ドアの音、そして風の唸るような音、多種多様のフィールドレコーディングの手法により表現することで、作品に物語性、また音楽の音響自体を大がかりな舞台装置のような意味をもたせた画期的な作品である。


今作品の音楽の舞台は、ベルギ、フランダースにある広大な田園風景の中にある葡萄の栽培温室で繰り広げられる。雨の音、風の音、嵐、小石が転がる音、ドアのバタンという開閉、時には、鳥の鳴き声。これらはすべて、音楽そのものにナラティヴ性、視覚的効果を与えるための素材として副次的役割を果たす。これらの環境音は、実際のフィールドレコーディングにより録音され、様々な形でサンプリングとして挿入されることにより、物語性を携えて展開されてゆく。

 

近年、クリスティアン・ヴァンゾーが取り組んできたサウンド・デザインの手法は今作でも引き継がれている。BGMのような効果を介して、一つの大掛かりなサウンドスケープー音風景を建築のような立体性を持って体現させている。

 

作品の前半部は完全な環境音楽として構成されるが、後半の2曲「GlistenⅠ、Ⅱ」は電子音楽寄りのアプローチが図られている。

 

これまで、ドイツのNative InstrumentsをはじめとするDTM機材、実際のオーケストラの演奏を交えて、アンビエントをサウンドデザインの形に落とし込むべく模索しつづけてきたクリスティーナ・ヴァンゾウはこの二曲において完全な独自のアンビエントの手法を完成させている。

 

そこには、アルバムの前半部の物語性を受け継いで、フランダースのぶどうの農園のおおらかな自然、そして、広々とした風景が電子音楽、それから、人間の歌という表現を通して絵画芸術のごとく綿密に描き出される。

 

今作は、前衛性の高い実験音楽の性格が強い一方で、聞き手との対話が行われているのが画期的な点だ。「Terrisme」の7つの楽曲で繰り広げられる音楽ーー音楽を介しての絵の表現力ーーは、聞き手に制限を設けるのでなく、それと正反対の自由でのびのびとした創造性を喚起させる作品である。

 

芸術性、創造性、実際の表現力どれをとっても一級品、今年のアンビエントのリリースの中で屈指の完成度を誇る最高傑作として挙げておきたい。 

 

 

  

 

 

 

 

 

・Isik Kural 

 

「Maya's Night」 Audiobulb Records



Isik Kural 「Maya's Night」  

Maya's Night

 

 

トルコ、イスタンブール出身で、現在はスコットランドグラスゴーを拠点に活動するisik kuralは、今年デビューを果たしたばかりの気鋭の新進音楽家。アンビエント界のニューホープと目されており、アンビエント音楽を先に推し進めるといわれる音楽家である。マイアミ大学で音楽エンジニアリングを専攻したKuralの音楽は、ブライアン・イーノの初期のシンセサイザー音楽を彷彿とさせる。

 

Kuralのデビュー作となる「Maya's Night」はブライアン・イーノの音楽と同じように、徹底して穏やかで、清らかなアトモスフェールに彩られている。

 

聞き方によってはテクノ寄りのアプローチともいえるかもしれないが、この癒やし効果抜群の音に耳を傾ければ、この音楽がアンビエント寄りのアプローチであると理解していただけると思う。シンセサイザーの音色自体は古典的な手法で用いられるが、Kuralは、そこに粒子の細やかな精細感ある斬新なシンセサイザー音色アプローチを取り入れ、驚くほど簡素に端的に表現している。

 

特に、Isik Kuralのデビュー作「Maya's Night」が画期的なのは、シンセサイザーの音色、実にありふれたプリセットを独創的に組み立てることにより、これまで存在しなかったアンビエントを生み出していることだろう。そして、近代から現代の作曲家が取り組んできた作曲の技法、例えば、レスピーギの「ローマの松」を見れば一目瞭然であるが、自然の中に在する生物のアンビエンス、例えば、「Maya's Night」の作中では、鳥の声をはじめとする本来電子の音楽ではない音までも、Isik Kuralはシンセサイザーを用いてそれらの生命を鮮やかに表現しているのは驚くべきことで、そこには、Kuralの夾雑物のない生まれたての子供のような精神の純粋さが見て取れる。

 

加えてKuralのサウンドエンジニアとしての知性、哲学性、表現性、すべてが自由にのびのび表現されているのがこの作品をとても魅力的にしているといえる。秀逸なサウンドエンジニアとしてのテクニックを惜しみなく押し出し、テープディレイをトラックに部分的に施すことにより特異なミニマル構造を生み出し、サウンドデザインに近い形式に昇華させているのも素晴らしい。アンビエント音楽を次の段階に推し進めるアーティストとして注目しておきたい作品である。  

 

 
 

 

 



 

・A Winged Victory  for the Sullen 

 

「@0 EP2」 Ahead Of Our Time



A Winged Victory  for the Sullen 「@0 EP2」  

@0 EP2  

 

 

2021年のアンビエントの傑作の中で最も心惹かれるのが、これまでBBC Promsでロイヤル・アルバート・ホールでの公演も行っているA Winged Victory  for the Sullenの「@0 EP2」である。

 

このアンビエントプロジェクトのメンバー、アダム・ウィットツィーはかつてクリスティーナ・ヴァンゾーとの共同制作を行っていた人物で、現代のアンビエントシーンでも著名なプロデューサーに挙げられる。これまで2000年代から長きに渡ってアンビエントシーンを牽引してきたミュージシャンだ。

 

近年のアンビエントシーンにおいて残念なことがあるなら、プリセット、音色の作り込みにこだわり過ぎ、楽曲の持つ叙情性、表現性が失われた作品が数多く見受けられることだろう。

 

しかし、そういった叙情性、表現性を失わずに秀逸なアンビエントとして完成させたのが10月14日にリリースされた「@0 EP2」である。

 

ここでアダム・ウィットツィーとダスティン・オハロランのアンビエントの名手たちは、広大な宇宙に比する無限性をアンビエント音楽として描出しようと試み、それがアンビエント本来の持つ叙情性を交えて組み立てられる。これまでアンビエントシーンのプロデューサーたちは、アナログ、デジタル問わず、どこまでシンセサイザーによって音の空間性を拡張させていくのかをひとつのテーマに掲げていたように思われるが、今作において、その空間性はいよいよ物理的な制限がなくなり、「Σ」に近づいた、と言っても良いかもしれない。シンセサイザーのシークエンスの重層的な構築はまるで、地球内の空間性ではなく、そこから離れた無辺の宇宙の空間を表現しているように思える。


これまで多くのアンビエントプロデューサーたちが、「宇宙」という人間にとって未知数の形態を、音楽という芸術媒体を介して表現しようと試みてきたが、そのチャレンジが最も魅力的な形で昇華されたのが今作品といえるかもしれない。

 

宇宙という、これまでアポロ号の月面着陸の時代から人類が憧れを抱いてきた偉大な存在、そのロマンともよぶべきものが今作でついに音楽芸術という形で完成された、というのは少し過ぎたる言かもしれない。

 

それでも、アダム・ウィットツィーとダスティン・オハロランのアンビエントの名手が生み出した新作「@0 EP2」は、ミニアルバム形式の作品ながら、広大無辺の広がりを持ち、未知なる時代のロマンを表現した快作。そしてまた、現代を越えた未来への扉を開く重要な鍵ともなりえる。






Album of the year  2021   


ーElectronicー





・Squarepusher 

 

「Feed Me Weird Things」 Warp Records

 

Squarepusher「Feed Me Weird Things」 

 

Feed Me Weird Things [先着特典キーホルダー付/リマスター/高音質UHQCD仕様/本人よる各曲解説対訳・解説 / 紙ジャケット仕様 / 国内盤] (BRC671)  


今年6月4日リリースされたスクエアプッシャーの「Feed Me Weird Things」はトム・ジェンキンソンの幻のデビュー作、今から25年前の1996年、エイフェックス・ツインの所属するレーベルからアナログ盤としてリリースされた再発盤である。


この作品は、英国のドラムンベースの伝説的な作品で有るとともに、その後のイギリスのエレクトロニックシーンの潮流をひとつの作品のみの力で一変させてしまった、超がつくほどの名盤である。


この作品は、当時、トム・ジェンキンソンは、チェルシー・カレッジ・オブ・アートの学生であったが、入学時に還付された奨学金をレコーディング機材に充て、制作されたアルバムでもある。


トム・ジェンキンソンは、これらの奨学金で購入した90年代のレコーディング機器、そして友人から借りたベース等の楽器、そして、旧来の英国のダンスミュージックにはなかった音楽を新たに生み出した。


作品がリリースされた当時、英国の音楽メディアはこの作品をフュージョンジャズの名作として取り上げたけれど、当の本人、トム・ジェンキンソンはその評価を意に介しはしなかった。なぜなら、ジェンキンソンは、このデビュー作において、彼が若い時代に夢中になった、ジミ・ヘンドリックスのようなハードロックの音楽の熱狂性をあろうことか、ホームレコーディングにおいて、電子音楽で再現しようと試みていたのだ。リリースから二十五年、初めて今作はデジタル盤、CD盤として、音楽ファンの前にお目見えしたが、2021年になっても、今作を上回る電子音楽は存在しないと言って良い、おそらく、今年の中で最も衝撃的な作品のリリースだった。 

 

 

  

 

 

 

 

・Andy Stott 

 

「Never The Right Time」 Modern Lovers 

 

Andy Stott 「Never The Right Time」 

 

 Never The Right Time  

 

ダムダイク・ステアと共にマンチェスターのモダン・ラヴァーズのコアメンバーとしてダブステップ・シーンの最前線を行くアンディ・ストットの4月16日にリリースされた最新作は今年の一枚にふさわしい出来栄えである。


「ノスタルジアと自己省察」という哲学的なテーマを掲げて制作された「Never The Right Time」は世界情勢が混迷を極める2021年という年に最もふさわしいアルバムである。

 

これまでストットは、複雑なダビングの手法を用い、リズム、メロディ、曲構成という多角的な視点から、作品ごとに異なるアプローチに取り組んできた電子音楽アーティストで、この作品は、ストットの十年の活動の集大成と捉えたとしても的外れではない。テクノ、ダブステップ、ダウンテンポ、ヴォーカルトラック、この十年で取り組んできたアプローチを総まとめするような形で今作の楽曲は構成されている。


特に、「Faith In Stranger」時代からゲストヴォーカルとして長年制作をともにしてきたストットのピアノの先生を務めるアリスン・スキッドモアの独特な妖艶ともいえるヴォーカルの妙味は今作においても健在である。


「決して(未だ)正しい時ではない」と銘打たれたアルバムタイトルについてもレコーディングが行われた2020年の英マンチェスターの世相を色濃く反映している。作品中には、民族音楽、特にインド音楽の香りが漂うが、アンディストットの描き出す世界というのは、ーー現実性を失い、場所も時間もない、完全に観照者が行き場を失ったーーような孤絶性にまみれている。

でも、この奇妙な感覚というのは、ほぼ間違いなく、2020年のロックダウン中のマンチェスターの人々の多くが感じていた情感ではなかっただろうか。そして、この作品には、なにかしら窓ガラスを透かして、「現実性の乏しい夢のような現実社会」を、束の間ながらぼんやり眺めるような瞬間、そのなんともいえない退廃美が克明に電子音楽として昇華されている。「Never The Right Time」は、電子音楽でありながら、非常に内的な感情を表現した人間味あふれる作品である。 

 

 

 

 

 

 

 

・John Tejada

 

 「Year of the Living Dead」Kompakt 

 

John Tejada 「Year of the Living Dead」  

 

Year Of The Living Dead  

 

オーストリア・ウィーン生まれ、現在LAを拠点とするジョン・テハダはアメリカ西海岸のテックハウスシーンの生みの親ともいうべき偉大な電子音楽家で、アメリカで最も実力派のサウンドプロデューサーのひとりだ。これまで、二十年以上にも渡り、自主レーベルPalette recordingを主宰してきたジョン・テハダは、今年2月26日にドイツのKompaktからリリースされた今作において、実にしたたかで、名人芸ともいうべき、巧みなデトロイトテクノを完成させている。


「Year of the Living Dead」というアルバム・タイトルも上記のアンディ・ストットと同じくロックダウンの世相を反映した作品である。


今回、ジョン・テハダは、思うように、外的な活動が叶わなかった年、それを逆に良い機会と捉えて、新たな機材、これまで録音に使ったことのない機材をいくつか新たに使用し、今作を生み出している。既に、名人、達人ともいうべき領域に達してもなお、チャレンジ精神を失わず、そういった新たな機材、音色を使用する楽しみをその苦境の中に見出していたのだ。

 

「Year of the Living Dead」は、デトロイト・テクノの正統派として受け継いだ数少ない作品である。

 

中には、グリッチ、ダウンテンポ、といったテクノの歴史を忠実になぞらえるかのようなアプローチが図られ、やはり、今作でも、テハダの音楽性は、知的であり、哲学的でもある。それは一見、電子音楽として冷ややかな印象を受けるかもしれないが、それこそ、まさに表題に銘打たれている通り、ーー生きているもの、と、死んでいるものーー、これは、必ずしも有機体とはかぎらないように思えるが、これらまったく相容れないなにかが混在する今日の世界において、生きている自分、貴方、それから、我々のことを、電子音楽として体現した実に見事な作品である。

 

ドイツのKompaktのレビューにも書かれているとおり、この電子音楽は、極めて現実的でありながら、その中にテハダのユニークさが見いだされる。何か、その冷厳で抜き差しならない現実を、一歩引いて、ほがらかな眼差しで眺めてみようという、この電子音楽アーティストからの提言なのかもしれない。


もちろん、ジョン・テハダのこれまでの作風と同じように、頭脳明晰で、いくらか怜悧な雰囲気も漂うが、その上に叙情性もほのかに感じられる作品でもある。


実に、2020年の世の中に生きる我々の姿を、哲学的な鏡のように反映させた作品であり、生者と死者の間に彷徨う幽玄さに満ち溢れた傑作に挙げられる。


もちろん、本作「Year of The Living Dead」のアルバムアートワークを手掛けた「瞑想的なアーティスト」と称されるグラフィックデザイナー、デイヴィッド・グレイの仕事もまた音源と同じように名人芸といえるだろうか。  

 


 

 

 


 

・Clark

 

「Playground In a Lake」 Deutsche Grammphon

 

Clark「Playground In a Lake」  

 

プレイグラウンド・イン・ア・レイク  

 

これまでエイフェックス・ツイン、上記のスクエアプッシャーと列んでWarp Recordsの代表格として活躍してきたクラークは、近年、イギリスからドイツに拠点を移して、クラシックレコードのリリースを主に手掛けるドイツグラムフォンに移籍した。


代表作「Turning Dragon」では、ゴアな感じのテクノ、相当、重低音を聴かせたダンスフロア向けのトラックメイクを行っていたクラークは、ドイツグラムフォンに移籍する以前からより静謐なテクノ、またクラシックと電子音楽の融合を自身の作風の中に取り入れていこうという気配があった。


クリス・クラークのそういった近年のクラシックへの歩み寄りが見事な形で昇華されたのが「Playground In a Lake」の醍醐味と言えそうだ。


ブダペストアートオーケストラをはじめ、本格派のクラシック奏者を複数レコーディングに招聘し制作された今作はリリース当初からクラークが相当気に入っていた作品であった。ポスト・クラシカルとも、映画音楽のサウンドトラックとも、また、旧来のテクノ、エレクトリックとも異なる新時代のクロスオーバーミュージックが新たに産み落とされた、といっても誇張にはならない。


この高級感のある弦楽器のハーモニーの流麗さ、端麗さの凄さについては、実際の音楽に接していただければ充分と思う。


ピアノのタッチ、弦楽の重厚感のあるパッセージ、電子音楽家としてのシンセサイザーのアーキテクチャー、これらの要素は全て、新たな時代のクリス・クラークの芸術性を驚くほど多彩に高めている。