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©Tom Oxley

昨年末、予告されたように、元オアシスのリアム・ギャラガーと元ストーン・ローゼズのジョン・スクワイアがニューシングル「Just Another Rainbow」を発表した。今年リリース予定の2人のコラボレーション・アルバムからの第1弾シングルとなる。以下よりチェックしてみよう。


リアム・ギャラガーは、このアルバムを「リボルバー以来の傑作」と称しており、確かな手応えを感じているようだ。ニューシングルについて、シンガーソングライターは以下のように説明している。


「”Just Another Rainbow"の最も明白な解釈は、”失望”についてであり、本当に欲しいものは決して手に入らないという感情なんだ。しかし、私は曲についてくだくだしく説明するのが好きではない。私にとっては、この曲は私たちが一緒に作った曲の中で最も気分を高揚させる曲のひとつでもある」


リアム・ギャラガーはこう続けている。「ジョンは一流のソングライターであると思う。みんなはいつもギタリストとしての彼を非難するけど、彼は一流のソングライターでもあるんだ。ローゼズであれ彼自身であれ、彼の音楽は世の中に十分に出回っていない。彼がまた曲を書いているのを見るのは素晴らしいことだよ。メロディーはメガ級で、ギターも然りだよ。でも、ギターを全部外しても、アコースティックで演奏しても、心を揺さぶられる曲ばかりだと思うよ」


新作アルバムの最初のシングル「Just Another Rainbow」は、ストーン・ローゼズの名曲「Waterfall」を彷彿とさせるギターラインから始まる。リアム・ギャラガーのボーカルラインはストーン・ローゼズにとどまらず、ザ・スミスを始めとするブリット・ポップ誕生前夜の音楽の影響も垣間見える。

 

近年、ブリット・ポップに拘りをみせていたリアム・ギャラガーであるが、この新曲では、ビートルズ風のアート・ロックに象徴される6/8の変拍子を取り入れたり、ハードロック風のギターソロをスクワイアが披露したりと、以前のソロ作に比べると、オープンな音楽性を選び、工夫を凝らしていることが分かる。曲の終盤では、ジョン・スクワイアの70年代のギターヒーローのような白熱したギターソロが披露される。これはUKロックの全時代へのロマンチシズムともいえるだろうし、昨年この世から去ったジェフ・ベックに捧げられた追悼のようでもある。

 

 

「Just Another Rainbow」



 

今年ブレイク必至のロンドンのロックバンド、ザ・ラスト・ディナー・パーティー(The Last Dinner Party)がデビューアルバム『Prelude to Ecstasy』のシングル「Caesar on a TV Screen」を公開。ロンドンのニューライザーの新曲は、バンドの「My Lady of Mercy」映像も手掛けたハーヴ・フロストが監督したミュージックビデオと共に到着。以下よりご覧ください。


「エクスタシーとは、情熱の恍惚から苦痛の崇高まで、人間の感情の両極端の間を揺れ動く振り子のことであり、このコンセプトが我々のアルバムを結びつけている」とバンドはプレスリリースで述べている。

 

このアルバムは、私たち自身の考古学であり、私たちの集団的、個人的な経験や影響を掘り起こすことができる。私たちはソロのためにギターを悪魔払いし、日記のページから直接告白をさらけ出し、私たちのビジョンに命を吹き込むため、オーケストラを招集した。

 


昨年、ザ・ラスト・ディナー・パーティーにとって飛躍の年となった。BBC Radio 1が選出するSound Of 2024のロングリストに選出され、最終的に栄冠に輝いた。その他BRITS Rising Starにも選ばれている。昨年、バンドは、シネイド・オコナーのカバーにも挑戦している。新作アルバム『Prelude to Ecstasy』はアイランド・レコードから2月2日にリリースされる。

 

日本国内では、ユニバーサルミュージックから二枚組の輸入アナログ盤として発売されます。(詳細はこちら)タワーレコード他、ディスクユニオンでも予約受付中です。 先行シングルのテースターは下記より。

 

 

 

 

The Last Dinner Party  『The Prelude Of Ecstasy』

 

Label: Island

Release: 2024/02/02


Tracklist:

 

A1.Prelude to Ecstasy 

A2.Burn Alive 

A3.Caesar On a TV Screen 

A4.The Feminine Urge 

A5.On Your Side 

A6.Beautiful Boy

 

B1.Gjuha 

B2.Sinner 

B3.My Lady of Mercy 

B4.Portrait of a Dead Girl 

B5.Nothing Matters 

B6.Mirror

©︎Matt Crocket

ブリットポップのレジェンドであり、元オアシスのメンバーでもあるノエル・ギャラガーは、自身のプロジェクト、High Flying Birdsの新デモ曲として「In A Little While」を発表した。『Council Skies』に続いて公開されたこの曲でも、ノエル・ギャラガーのスタンスには大きな変更はない。歌詞の通り、世界に希望を見出すことの重要性について歌っているが、直接的には歌われず、サブテクストの範疇に留められている。


ノエル・ギャラガーは、大晦日に自身のX/Twitterアカウントでこの曲を初めて予告し、タイトルとリリース日をシンプルに記したキャプションと共に新曲のスニペットをシェアした。曲自体は、シンガーソングライターでありギタリストでもある彼が、アコースティック・ギターで演奏し、メランコリックでエモーショナルな歌詞を歌うという、シンプルなアプローチをとっている。


「彼らはもう終わりだと言っている。でも、僕は信じない/彼らはもう終わりだと言っている。でも、そんなはずはない/もし、それが失われたなら、僕はそれをどこかで見つけるだろう/ページをめくって、新しいなにかを始めてみよう」と彼はコーラスで歌っている。この曲の試聴は以下から。


ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズの最新作『Council Skies』はBest Rock Album 2023としてご紹介しています。



「In A Little While」

 

©Todd Weaver


2000年代のロックシーンの象徴的な存在であるThe Killers(ザ・キラーズ)は、未発表曲「Spirit」を収録したベストアルバム『Rebel Diamonds』をリリースした。彼らは、White Stripes、Strokesと並んで、ガレージ・ロックリバイバル最盛期のシーンにダンスロックという新風を吹き込んだ。その功績は計り知れない。

 

バンドのファンは、このベスト・アルバムでこのバンドに対する熱狂を取り戻すことになるだろう。プレスリリースでは、この曲を「世界中のフェスティバルで歌われるアンセム」と表現している。このコメントは彼らが押しも押されぬライブ・バンドであることの証明代わりでもある。

 

キラーズは、今年、惜しくも解散を発表した、Panic! At The Disco(パニック・アット・ザ・ディスコ)とならんで、ダンス・ロックの象徴的なグループである。ラスベガスのバンドではありながら、当初、イギリスで人気を獲得した。デビュー・アルバムから最新アルバムまで、UKチャートで七回、一位に輝いている。『Wonderful Wonderul」はUSチャートでも一位を獲得。キラーズ旋風は日本にも沸き起こり、 2004年には、フジ・ロックで来日している。バンドは以後、ウェンブリースタジアムでの公演を成功させ、イギリスでの評価を不動のものとした。


『Rebel Diamonds』は、2013年の『Direct Hits』に続くバンドにとって、2枚目のベスト・アルバムとなり、年代順に20曲が収録されている。バンドの軌跡を追うのに最適な作品となる。旧来のファンはもちろん、新規のファンもチェックしておきたい一枚。キラーズの最新アルバムは2021年の『プレッシャー・マシーン』。このアルバムもUKチャートで一位を獲得した。

 

 

 


ロンドンのロックバンド、The Vaccines(ザ・ヴァクシーンズ)がニュー・シングルを発表しました。 「Love To Walk Away」は、1月12日にリリースされるバンドのニュー・アルバム『Pick-Up Full of Pink Carnations』からの最新カット。このシングルについてバンドは以下のように説明しています。


「アルバムに入るとき、音楽に何をさせたいかはっきりわかっているときもあれば、音楽が何をすべきかを教えてくれるのを待っているときもある。でも、アンドリューとスタジオに入った初日に "Love To Walk Away "を書いて初めて、このアルバムがどんなサウンドとフィーリングになるかわかったんだよ」

 

「だから、この曲は、サウンド的にもテーマ的にも、アルバムの方向性を決定づけた曲なんだ。このアルバムの中心的なテーマが、自分がどんな方向へ向かっているのかわからないということを考えると、音楽がこれほど早く自分自身を確信できたことは痛烈なことだと感じているよ」

 

「Love To Walk Away」

 


ザ・リバティーンズは、「Run Run Run(ラン・ラン・ラン)」に続く最新曲「Night Of The Hunter(ナイト・オブ・ザ・ハンター)」を発表しました。

 

この曲は、4作目のアルバム「All Quiet On The Eastern Esplanad(オール・クワイエット・オン・ザ・イースタン・エスプラネード)」(EMIから2024年3月8日発売)に期待される新たなテイスト。


この新曲のコンセプトについて、ピート・ドハーティは、「この曲は、法律より先に進まないことについて歌っている。この男はなぜ仲間が死んだのかよくわからないが、仲間の自業自得だと感じている。悪い奴らと関わって、持ってはいけないものを盗んで、刺された。だから彼は怒り、傷つき、復讐しなければならない。仲間を刺した若者を刺してしまえば、それで終わりだ。彼は復讐のために暴言を吐き、彼らが自分を捕まえに来ることを知っていて、逃げようともしない」


「リフを書き始めたら、白鳥の湖のような感じになった。「それからピーターのテルミン奏者を呼んで、チューニングを合わせるのに1日くらいかかった」


「Night of the Hunter」は、アレックス・ブラウン(ラ・ルー、ジェイムス・ブレイク)が監督した新しいビデオと一緒にリリースされた。ファーストシングル「Run Run Run」と同様、マーゲート周辺で撮影された。

 

「Night of the Hunter」




レビューは以下よりお読み下さい。
 


 





アルバム「Pick-Up Full of Pink Carnations」の第3弾となるThe Vaccines(ザ・ヴァクシーンズ)の最新シングルは、彼ららしいギター・ドライヴのアップビート・インディーで、フェスティバルの野原と暖かいビールをすぐに思い起こさせる。「Lunar Eclipse」と題されたこの曲は、フロントマンのジャスティン・ヤングが2022年にジョシュア・ツリーの砂漠を訪れた際に書かれた。
 

「常にオープン・ロードを走っているようなイメージが好きなんだけど、前方の道を見ているのか、それともバック・ミラーに映っているものだけを見ているのか、本当にわからないんだ。「占星術の専門家たちは、日食は変化と進化を求める人生を変える時だと信じたがっているようだが、私はそれにしては皮肉屋すぎる。変化は、それを感じるか感じないかにかかわらず、毎日私たちの周りで起こっている。それは時に恐ろしく、時にエキサイティングだが、常に終わりのないものだ」
 

アルバムのタイトルにもなっている花をフィーチャーした「Lunar Eclipse」のビデオを以下からチェックしよう。
 
 
The Vaccinesのニューアルバム 「Pick-Up Full of Pink Carnations」は1月12日に発売される。
 
 

 

Zazen Boys


向井秀徳率いるZazen Boysがおよそ12年ぶりとなるニューアルバム「らんど」の制作を発表した。今作はバンドの自主レーベル”Matsuri Studio”から来年1月24日(水)に発売される。発売はCD/Digitalの2バージョン。アルバムのアートワークと収録曲は下記よりご覧下さい。「すとーりーず」以来となるファン待望の新作アルバムについて、向井秀徳は次のように説明している。

 

 

ZAZEN BOYSのニューアルバムのタイトルは「らんど」だ。
乱土世界の夕焼けにとり憑かれ続けている人間の歌がここにある。 ー向井秀徳

 

 

さらに新作アルバム発表と同時に、10月から開催されているライブツアー、Zazen Boys Tour Matsuri Sessionの日程が追加された。こちらのツアー日程についても下記よりご確認下さい。




Zazen Boys  『らんど』


 

 

 

アーティスト ZAZEN BOYS
タイトル   らんど
Label     MATSURI STUDIO
発売日    2024年1月24日(水)
価格     3000円+税(CD)
品番     PECF-3287
POS     4544163469411
形態     CD、Digital

 

 

Tracklist: 


1 DANBIRA
2 バラクーダ
3 八方美人
4 チャイコフスキーでよろしく
5 ブルーサンダー
6 杉並の少年
7 黄泉の国
8 公園には誰もいない
9 ブッカツ帰りのハイスクールボーイ
10 永遠少女
11 YAKIIMO
12 乱土
13 胸焼けうどんの作り方

 

 

 

・ ZAZEN BOYS TOUR MATSURI SESSION

 


ZAZEN BOYS オフィシャル先行


受付URL:https://ticket-frog.com/e/zbtms2024
受付期間:2023/11/6(月)20:00〜2023/11/12(日)23:59



・2月3日(土)熊本 B.9 V1

 
開場17:00/開演18:00
(問)BEA 092-712-4221<平日12:00〜16:00>



・2月4日(日)福岡 DRUM LOGOS 

 
開場17:00/開演18:00
(問)BEA 092-712-4221<平日12:00〜16:00>



・2月28日(水)東京 TOKYO DOME CITY HALL

 
開場18:00/開演19:00
(問)ホットスタッフ・プロモーション 050-5211-6077<平日12:00〜18:00>



・3月10日(日)大阪 なんばHatch 

 
開場17:00/開演18:00
(問)YUMEBANCHI(大阪) 06-6341-3525<平日12:00~17:00>



・3月20日(水・祝)名古屋 ダイアモンドホール

 
開場17:00/開演18:00
(問)クロスロードミュージック 052-732-1822<平日:11:00〜17:00>

前売¥6,600(税込・ドリンク代別)
一般発売:11月25日(土)10:00 

 

 

ライブツアーに関する詳細:

 

http://mukaishutoku.com/live.html



今日、ビートルズは正真正銘の彼らの最後の曲をリリースします。45年の歳月をかけて制作された『Now And Then』は、ジョン・レノンが70年代に録音したヴォーカルをフィーチャーしており、AIを駆使したステム分離技術によって1978年のデモ・カセットから抽出されている。


ここ数年のステム・セパレーションの進歩のおかげで、ピーター・ジャクソン(ドキュメンタリー映画『ゲット・バック』シリーズの製作者)とエンジニアのチームは、ポールとリンゴが新たに録音したベースとドラム、そしてジョージ・ハリスンが1995年に録音したギター・パートをフィーチャーした新バージョンの曲にミックスするために、デモからレノンのヴォーカルを抽出することができた。


ステム・セパレーション・ソフトウェアは、複数の楽器を含むレコーディングを構成するパーツ、つまりステムに分離するもので、これによってプロデューサーたちは、この曲の新バージョンをミックスする際に、レノンのヴォーカルを他の音楽要素と統合することが可能になった。残されたビートルズが最初にデモのレコーディングを検討した1995年当時、このソフトウェアはまだ存在していなかったため、この曲はお蔵入りとなった。


ステム・セパレーション・ツールは、ボーカル、ギター、ドラムといったミックスの各要素が通常占める傾向のある周波数帯域を理解・認識するために、何千もの既存の楽曲を使ってソフトウェアが学習された機械学習の一種を利用している。


時間周波数(TF)マスキングと呼ばれるプロセスを使用すると、音楽を構成する周波数の組み合わせがフィルタリングされ、どの周波数を残すか、または取り除くかを選択できるようになります。こうして、レノンがピアノの上で歌っている低品質のデモテープから、比較的クリーンなヴォーカル・アカペラが取り出された。デモ録音とレノンの分離されたヴォーカルは、以下のショートフィルムで聴くことができる。


ゲット・バック・チームは、ドキュメンタリーの制作中に "Mal "というニックネームのカスタムメイドのステム・セパレーション・ソフトウェアを開発したと伝えられているが、この種のツールは、多くのアプリやプラグイン、ブラウザベースのプラットフォームにもあり、最近では人気のDAW FL Studioにも統合されている。(試してみたい方は、無料のステム・セパレーション・プラットフォーム、Gaudio Studioの使用をお勧めする)


「音の復元は最もエキサイティングなことだ」とジャクソンは2021年のVarietyのインタビューで語った。「私たちはオーディオの分野で大きなブレークスルーを成し遂げました。私たちは機械学習システムを開発し、ギターの音、ベースの音、声の音を教えました。実際、ジョンの音やポールの音をコンピューターに教えたんだ」


「モノラルのトラックを分割して、ボーカルとギターだけを聴くことができるんだ。リンゴがバックでドラムを叩いているのは見えるけど、ドラムの音はまったく聞こえない。そのおかげで、本当にきれいにリミックスできるんだ」


ジャクソンは『ゲット・バック』の制作でステム・セパレーションを活用したが、同じ技術で亡きバンドメイトが彼に残したデモ・カセットからレノンの声を救い出せるのではないかと最初に考えたのはマッカートニーだった。彼はそれが可能だと知って大喜びした。


「いつも問題のひとつだったピアノを持ち上げることなく、ジョンの声を持ち上げることができた。これでミックスして、ちゃんとしたレコードを作ることができたんだ」 


マッカートニーは、この曲のリリースを記念して制作されたショートフィルムの中でこう語っている。「そこにあったのは、透き通ったジョンの声だった。とてもエモーショナルだ」


「彼が部屋に戻ってくるというのは、これまでで一番近いことだったから、僕ら全員にとってとても感動的だった」とリンゴは続けた。「ジョンがそこにいるみたいだった。はるか遠くにね」


「父もそれを気に入っていただろうね。彼はレコーディング・テクノロジーを使うことを決して恥ずかしがらなかった」


この曲の制作に人工知能が使用されたことで、当初は賛否両論が巻き起こった。一部のファンは、AIがどのように利用されるのか、またAIの音声モデリングによってレノンが本来録音したものではない偽のボーカルを生成するために使用されるのかどうか、正確なところがわからなかったからだ。


しかし、マッカートニーはすぐにファンを安心させるために、ザ・ビートルズはAIを使ってレノンの声を "決して "偽造しないとRolling Stone誌に語った。「人工的、合成的に作られたものは何もない」と彼はTwitter/Xの投稿で続けた。「すべて本物で、私たち全員がその上で演奏しています。我々は既存の録音をクリーンアップした」


「Now and Then」 Short Film






往年の名盤を振り返る ーGEORGE HARRISON 「ALL THINGS MUST PASS」1970ー

 

©︎Steve Gullick

UKのロックバンド、Feeder(グラント・ニコラスと、デビュー前に中日新聞のロンドン支局に勤務していたタカ・ヒロセ)昨年の『Torpedo』に続く "三部作 "を完成させる新作2枚組アルバム『Black / Red』を発表した。アルバムは、タウンゼント・ミュージック/アブソリュート・レーベル・サービス経由でビッグ・ティース・ミュージックから2024年4月5日に発売される。


『Black / Red』は、2022年のUKトップ5アルバム『Torpedo』に続くアルバム3部作を完成させる。この発表を記念し、「Playing With Fire」と「ELF」を収録した両A面シングルがリリースされる。


リード・シンガーでギタリストのグラント・ニコラスが "武器への呼びかけ "と表現する「ELF」と、"ジェットコースターに乗っているような自己発見 "の「Playing With Fire」は、中毒性のあるメロディーとスパークするリフに対するバンドの才能を再確認させてくれる。



「コンセプトというより、まとまりとつながりがある」Black / Redは、Torpedoの会話の続きであると同時に、バンドにとって多作な作曲期間に終止符を打つ作品である。



ニコラスは、「このアルバムは、リスナーにとってCD1とCD2、黒と赤の2つのパートに分かれたものにしたかったんだ」と説明する。「このアルバムの制作は、作家としてとてもクリエイティブな時間であり、本当に愛の労働だった。個人的にブラック/レッドのアルバム制作は音楽的な巡礼の旅であり、最終的な結果は紛れもないフィーダーだと感じている。



Feederは、2024年にイギリス全土でこのアルバムのツアーを行う予定。

 

「Playing With Fire」
 

「ELF」

The Rolling Stones  『Hackney Diamonds』



Label: Polydor

Release:2023/10/20


Review 


''Huckney''というのはファッション・ブランドもあるが、一般的にロンドンにほど近い(イギリス人にしか知られていない)隠れた魅力がある行政区のことを指す。 また、英語の原義としては、「使い古された」という意味もあるようだ。「隠れた魅力」、「使い古された」、これらの二重の意味をダイアモンドなる言葉と繋げ、ビンテージ的な意味合いを持つ作品に仕上げようというのが、ミック・ジャガー、リチャーズの思惑だったのではないだろうか。実際、アルバムはストーンズらしいリフが満載である。そして、長きにわたりバンドサウンドの重要な骨組みを支えて来たチャーリー・ワッツはいないけれど、ローリング・ストーンズらしいアルバムであり、予想以上に聴きごたえがある。もちろん、過去のいかなるアルバムよりも友情と愛を重視している。マッカートニー、ガガ、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーの参加は、ジャクソンやライオネル・リッチーの時代の”We Are The World”のロックバージョンを復刻するかのようである。

 

年を経た時にどのような音楽が作れるのか、そういったことに思いを馳せることは、若い頃に、どんな可能性のある音楽が作れるのかを構想するのよりも遥かに重要である。例えば、ココ・シャネルがいうように、「じぶんの顔に責任を持ちなさい」という言葉がある。つまり二十代までは遺伝的なものが強く、個人的には顔つきや風貌はどうしようもないが、40代、50代、また、それ以降になると、その人の考えや人生観がその顔つきに反映されるようになってくる。ポップ・パンクの伝説のBlink 182のトリオを見ればよく分かるが、 彼らもまた悪童の頃のおもかげを留めながらも、素晴らしい顔つきをしている。その表情には、自分の人生を生きてきたという満足感が宿っている。他人に振り回されず、世間の情勢にも流されない。そして自分が信ずることのみをとことん追求していく。60、70年代頃の全盛期には麻薬問題で空港で逮捕されたこともあったリチャーズ。彼は、その後に裁判所に出頭し、弁論供述を行った。しかし、ジャガーとともに、その表情には自分の人生を一生懸命に生きてきたことに対する自負が現れている。パンデミックが起ころうが、世界各地で紛争が起きようが、ストーンズはストーンズであることをやめたりしない。また、みずからの人生や音楽観に非常に忠実であるのだ。そのことはアルバム『Huckeney Diamonds』が何よりも雄弁に物語っているではないか。

 

アルバムのサウンド・プロダクションの重要な指針となったと推測されるのが、彼らの盟友ともいうべきThe Whoの作品だ。ロジャー・ダルトリー率いるバンドは、実は、密かに2020年のアルバム『The Who(Live at Kingston)』で実験的なロックサウンドを確立していた。このアルバムでは、旧来のモッズ・ロック時代の若い時代のフーの姿と、また、年を重ねて円熟味すら漂わせるフーの姿をサウンドの中に織り交ぜ、革新的なロック/フォークサウンドに挑んだ。今回、ローリング・ストーンズは、ザ・フーの例に習い、同じように若い時代の自己と現在の自己の姿を重ね合わせるような画期的なロック・ミュージックを作り上げている。これらの懐古的なものと現代的なものを兼ね備えたロックサウンドは、ある意味ではミドルエイジ以上のロックバンドにとって、未だ発掘されていないダイアモンドの鉱脈が隠されていることを示唆している。


しかし、ローリング・ストーンズはザ・フーと同じく、自分たちが年を重ねたことを認めているし、若作りをしたりしない。また、年を重ねてきたことを誇りに思っている。それは自分の人生に責任を持っているからだ。しかし、同時に彼らがデビュー当時や、『Let It Bleed』の時代のバラのような華麗さや鋭さのある棘を失ったというわけでもない。もちろん、いうまでもなく、青春を忘れたというわけでもない。彼らは年代ごとに何かを失うかわりに常に何かを掴んで来たのだ。

 

アルバムのオープニングを飾る「Angry」は、全盛期にも劣らぬアグレッシヴかつ鮮明なロックンロール・サウンドで旧来のファンを驚かせる。同じくらいの年代の人はストーンズの勇姿を見て、「老け込んではいられない」と思うかもしれないし、それとは対照的に彼らより20歳も30歳も若いリスナーが、自分よりも若く鮮烈な感性を持っているジャガーやリチャーズの姿を見出すこともあるかもしれない。 少なくとも、AC/DCもそうなのだが、この年代でロックンロール(ロックにはあらず)をプレイするということ自体が、アンビリーバブルであり、エクセレントであり、ファンタスティックでもあるのだ。続く「Get Close」では、80年代のダンス・ミュージックに触発された時代のアプローチをダイナミックに呼び覚ます。シャリシャリとしたストーンズ・サウンドの真骨頂をリアルタイムで味わえることは非常に光栄なことだ。

 

ピーター・ガブリエルのリリース情報の際にも書いたが、ミック・ジャガーというシンガーは、稀代のロックミュージシャンであるとともに、ボウイ、マーレー、レノン、マッカートニーといった伝説と同じように、メッセンジャーとしての役割を持っている。全盛期は、黒人の音楽と白人の音楽をひとつに繋げる役割を果たしてきたが、「Depending On You」は、「己を倚みとせよ」というシンプルなメッセージがファンに捧げられている。つまり、ミック・ジャガーが言わんとするのは、他に左右されることなく、己の感覚を信じなさいということなのかもしれない。それは名宰ウィストン・チャーチルの名言にも似たニュアンスがある。運命に屈するな、ということである。歴代のストーンズのヒットナンバーの横に並べても遜色がない。ストーンズは、「寄せ集めのようなアルバムにしたくなかった」とプレスリリースで話していたが、新しいフォーク・ロックを生み出すため、ストーンズは再び制作に取り組んだのである。

 

 

「Depending On You」

 

 

 

 以後、ローリング・ストーンズはポール・マッカートニーが参加した「Bite My Head」では、アグレッシヴなロックサウンドで多くのリスナーを魅了する。マッカートニーはコーラスのいち部分に参加しているに過ぎないが、これはかつてのストーンズとビートルズの不仲の噂を一蹴するものである。そして、意外にも、ジャガーとマッカートニーのボーカルの掛け合いは相性が良く、上手くシンプルなロックンロールサウンドの中に溶け込んでいることがわかる。80年代のハードロックを彷彿とさせる軽やかさとパワフルさを兼ね備えたナンバーである。

 

 

前曲と同じようにローリング・ストーンズは、英国のTop Of The PopsやMTVの全盛期の時代のロックを現代の中に復刻させている。こういったサウンドはその後のインディーロックファンから産業ロックとして嫌厭されてきた印象もあるのだが、実際、聴いてみると分かる通り、まだこの年代のサウンドには何かしら隠れた魅力が潜んでいるのかもしれない。ストーンズ・サウンドの立役者であるリチャーズが若い時代、モータウン・レコードやブルースの音楽に親しかったこともあり、ブギーやブルースを基調にした渋いロックサウンドがバンドの音楽性の中核を担ってきたが、続く、ストーンズは、「Whole Wide World」では珍しく、メロディアスなサウンドを織り交ぜたギターロックサウンドに挑んでいる。

 

こういったベタとも言える叙情的なハードロックは、全盛期の時代にあまり多くは見られなかった作風であり、ストーンズはあえてこのスタイルを避けてきた印象がある。チューブ・アンプの音響の特性を生かしたギターソロはギタリストの心技体の真骨頂を表しており、一聴に値する。さらい、ダイナミックな8ビートのロックサウンドを下地に歌われるミックの歌声はこれまでにないほど軽快である。同時に、彼は、センチメンタルであることを恐れることはない。続く「Dream Skies」は、ブルース/ブギーとは別のストーンズの代名詞的なスタイルである「アメリカーナ(カントリー/ウェスタン)」の系譜に属するサウンドに転回する。アコースティックによるスライド・ギターはリスナーを『悪魔を憐れむ歌』の時代へと誘い、その幻惑の中に留める。ストーンズはデビュー当時から英国のバンドではありながら、アメリカの音楽に親しみを示してきた。それは「Salt On The Earth」で黒人霊歌という形で最高の瞬間を生み出した。ある意味では、そういったストーンズの歴史をあらためて踏まえて、彼らのアメリカへに対する愛着がこういった巧みなカントリー/ウェスタンという形で昇華されたとも解釈出来る。


明確な年代こそ不明であるが、ストーンズはダンスロックというジャンルも既に00年代以前に挑戦してきた。もちろん、「(I Can’t Get No)Satisfaction」の時代からミック・ジャガーはダンスミュージックとロックンロールの融合の可能性を探ってきたのだったが、そういったダンス・ミュージックに対する愛情も「Mess It Up」において暗に示唆されていると思われる。むしろ経験のあるバンドとして重厚感を出すのではなく、MTVのサウンドよりもはるかにポップなアプローチでリスナーを拍子抜けさせる。ここにはジャガーの生来のエンターティナーとしての姿がうかがえる。もちろん、どのバンドよりも親しみやすいサウンドというおまけつきなのだ。

 

もう一つ、ザ・フーの『The Who』と同じように、スタジオレコーディングとライブレコーディングの融合や一体化というのがコンセプトとなっている。その概念を力強くささえているのはエルトン・ジョン。「Live By The Sword」では、やはり米国のブルース文化へのリスペクトが示されており、両ミュージシャンの温かな友情を感じ取ることが出来る。そして、コーラスで参加したエルトンは、ストーンズのお馴染みの激渋のブギースタイルのロックンロールを背後に、プロデューサーらしい音楽的な華やかさを添えているのにも驚きを覚える。曲調はエルトンのボーカルを楔にし、最終的にライブサウンドを反映させたブルースへと変化していく。ここには、モータウンの前の時代のブルースマンのライブとはかくなるものかと思わせる何かがある。



もちろん、チャーリー・ワットは、この作品には参加していない。しかし、アルバムのどこかで、彼のスピリットがドラムのプレイを彼の演奏のように響かせていたとしても不思議ではない。Foo Fightersのテイラー・ホーキンスのような形のレクイエムは捧げされていない。しかしもし、チャーリー・ワットというジャズの系譜にある伝説的なドラム奏者に対する敬意が「Driving Me Too Hard」に見出せる。ここに、わずかながらその追悼が示されている。ただストーンズの追悼やレクイエムというのは湿っぽくなったりしないし、また、暗鬱になったりすることもない。死者を弔い、そして天国に行った魂を弔うためには悲嘆にくれることは最善ではない。むしろ、自らが輝き、最も理想とするロックンロールを奏でて、生きていることを示すことが死者への弔いとなる。ストーンズはそのことを示すかのように、全盛期に劣らぬ魂を失っていないことを、天国にいるはずのチャーリー・ワットの魂に対して示して見せているのだ。

 

 「Tell Me Straight」では、『The Who』におけるロジャー・ダルトリーのボーカルを思わせるような渋いポップスを示している。近年の作品では珍しくかなりセンチメンタルなバラードでアルバムの後半部の主要なイメージを形成していく。 

 

  「Tell Me Straight」

 

 

 

このバラード・ソングは、『Aftermath』(UK Version)に収録されているローリング・ストーンズの最初期の名曲「Out Of Time」とははっきりとタイプが異なっているが、むしろ、しずかに囁きかけるようなミック・ジャガーのボーカルは、若い時代のバラードよりも胸に迫る瞬間もあるかもしれない。ここに、年を経たからこその円熟味や言葉の重さ、そして、思索の深さをリリックの節々に感じ取ったとしても不思議ではない。「使い古されたダイヤモンド」、あるいは、「隠されたダイヤモンド」の世界は濃密な感覚を増しながら、いよいよクライマックスへと向かっていく。レディー・ガガとスティーヴィー・ワンダーが参加した「Sweet Sounds of Heaven」は、新しい時代の「Salt Of The Earth」なのであり、ローリング・ストーンズのライフワークである黒人文化と白人文化をひとつに繋げるという目的を示唆している。もちろんそれは、ブルースとバラードという、これまでバンドが最も得意としてきた形でアウトプットされる。そして、この7年ぶりのローリング・ストーンズのアルバムは最後、最も渋さのあるブルース・ミュージックで終わりを迎える。  

 

「The Rolling Stones Blues」は、Blind Lemon JeffersonRobert Johnson、Charlie Pattonを始めとする、テキサスやミシシッピのデルタを始めとする最初期の米国南部の黒人の音楽文化を担ってきたブルースのオリジネーターに対するローリング・ストーンズの魂の賛歌である。これらのブルース音楽は、ほとんど盲目のミュージシャンにより、それらのカルチャーの基礎が積み上げられ、その後のブラック・カルチャーの中核を担って来た。それはある時は、ゴスペルに変わり、ある時はジャズに変わり、そして、ソウルに変わり、ロックンロールに変わり、以後のディスコやダンスミュージックを経て、現代のヒップホップへと受け継がれていったのである。



90/100


The Menzingers 『Some Of It Was True』

 

 

Label: Epitaph

Release: 2023/10/13



Review 



最近、パンク/ハードコア界隈を見ても、硬派なパンクロックバンドが減ってきているという印象も拭いきれない。しかし、ニューヨークのターンスタイル等のハードコアは現地のファンには人気があるかもしれないが、日本のパンクファンからすると、少し取っ付きづらいところもあり、USパンクらしいバンドを無性に聴きたくなる時がある。そんな人に打ってつけなのが、ザ・メンジンガーズのニューアルバム『Some Of It Was True』。最近の売れ線を狙ったパンクではないものの、Social Distortion、Samiam、Jimmy Eat Worldあたりが好きな人はぜひぜひチェックしてみよう。

 

 「アルバムは、ホテル、楽屋、地下室、リハーサル室で2年半かけて書かれた。南部にある人生を変えるような隠れ家でレコーディングされた『Some Of It Was True』は、17年前に自分たちがバンドを始めたときに目指したこと、つまり、楽しみながら自分らしくいることを最も実現したものだ」と、The Menzingersのヴォーカル兼ギタリストのグレッグ・バーネットは声明で述べている。楽しみながら自分らしくいるということが重要で、実際のアルバムもプレイを心から楽しんでいるような雰囲気が漂っている。スクリーモのシャウトもあり、Fall Out Boyのようなエモさもある。もちろん、新しいパンクロックソングとも言えないけれど、こういったパンクサウンドには普遍的な良さを感じるのも事実である。また、そういったUSパンクの王道のスタイルを図りながらも、ブライアン・アダムスやスプリングスティーンの系譜にあるアメリカン・ロックの雄大さもある。少なくとも、アメリカンな感じがこのアルバムの一番の魅力なのだ。

 

メンジンガーズのパンクは、OSO OSO、Origami Angel、Perspective,a Lovely Hand To Holdのポスト・エモ的な味わいとも異なる。90年代から00年代にかけてのUSパンクの醍醐味を抽出したようなサウンドで、この時代のパンクを知るリスナーを懐かしがらせてくれる。もちろん、コアなリスナーとしては、新しいパンクロックを登場を願う反面で、こういった普遍的で王道を行くパンクサウンドを心のどこかで待望していたことがわかる。

 

例えば、アルバムの冒頭の「Hope Is Dangerous Little Thing」では、パンクバンドらしい社会的な提言を思わせながらも、Dropkick Murphysを思わせるダイナミックなパンクサウンドでリスナーを熱狂の中に取り込む。若いバンドにありがちな気負いはなく、自然体のバンドサウンドやパンク・スピリットを体現させている。二曲目の「There's No Place in This World For Me」ではスクリーモの様式を交え、Jimmy Eat Worldの最初期の様なエモーショナル・ハードコアのアプローチを図り、アルバム全体に多彩さと変化をもたらそうとしている。曲のタイトルには、悲嘆的なメッセージも感じるが、ザ・メンジンガーズは、そういったルーザー的な人々に対して、心を鼓舞させるようなメッセージを痛快なパンクロックサウンドの中に取り入れているのだ。

 

 

さらに、結成から17年というベテラン・バンドらしい渋さのあるアメリカン・ロックサウンドもタイトル曲「Come on Heartache」を通じて体感することが出来る。特に、後者ではDon Henleyのようなソフト・ロックサウンドにも挑戦していることは驚きだ。表向きにはロックであるが、ジャンルに囚われず、良質なUSロックを追求していこうとするザ・メンジンガーズのスタンスを、これらの収録曲に感じ取ることが出来る。そして、タイトルこそ差し迫った現代的な社会の危機、及び、個人的な問題にまつわる危機が符牒のように取り入れられているが、一方、全体にはそれとは対象的に、爽快なエバーグリーンなパンクロックサウンドの片鱗が随所に散りばめられる。「Ultraviolet」では、結成時代に立ち返ったかのように、純粋で精細感溢れるロックサウンドを示し、旧来のファンを大いに驚かせる。ここには、重ねた年は関係なく、現実をリアルに愛らしく生きている人々に、青春という賜物が訪れることが表されている。

 

もうひとつ、音楽的なアプローチとは別に、ロックサウンドそのものから滲み出る哀愁もまたアルバムの主要なイメージを形成している。彼らのパンクロックは、長い時間、陽の光にさらされた紙のように少し黄ばんで、味のあるページへと変化をしていくようなものなのだ。またメンジンガーズのパンクロックは、ブルース・スプリングスティーンが年を重ねるごとに、そのサウンドも渋みのある内容となっていったのと同じように、「Take It To Heart」を始めとする曲では、ブルージーな味わいに加えて、ロックサウンドに強かな印象と精彩な感覚をもたらしている。同時に、歌声にはティーンネイジャー・パンクよりも若々しい感性が見出される瞬間もある。渋さの中にある若さ、もしくは若さの中に漂う渋さ、なんとでも言いようがあるが、それは実際、精細感のあるミドルテンポのパンクロックサウンドという形で昇華されているのだ。

 

アルバムの終盤にも懐かしさのある曲が収録されている。「Love Of The End」では、ボーカルの質感こそ異なるが、クラッシュのジョー・ストラマーが体現しようとしていたフォークロックとパンクの絶妙な融合を図り、「Alone In Dublin」でも、ブライアン・アダムスに代表されるUSロックの核心にある男らしさやワイルドさを探求している。こういったサウンドは確かに現代のグローバリズム・サウンドに辟易してやまないリスナーにとっては、信頼感と癒やしを感じさせる。他にも、ジョニー・キャッシュの影響下にある、古典的なフォーク・ロックの源流の音楽性を「High Low」でパンクというフィルターで示したかと思えば、「I Didn't Miss You」では再びアメリカン・ロックの南部的なロマンに迫る。アルバムの最後では、米国南部のアメリカーナを内包させたロックサウンドを示した上で、彼らは次なるステップへと歩みを進めている。

 

ザ・メンジンガーズの新作は新しくも画期的でもない。にもかかわらず、普遍的なアメリカン・ロックに大きなロマンチシズムを覚えてしまう。果たして、それは気のせいなのだろうか??



78/100

 

 

 

©︎Ed Cooke

ザ・リバティーンズがアルバム『All Quiet On The Easterrn Esplanade』の詳細を発表した。待望の4枚目となるこのアルバムは、2015年の『Anthems For Doomed Youth』に続く作品で、2024年3月8日にリリースされる。


ピート・ドハーティと共同制作者は本日、親密なライヴを行う計画とともに、このアルバムからリード・トラック『Run Run Run』を発表した。

 
バンドがクラシックで騒々しいサウンドに戻ったこの曲について、カール・バラットはこう語っている。


この曲は、奔放な人生の生涯のプロジェクトなんだ。ブコウスキーの『郵便局』に登場する男のように。ザ・リバティーンズにとって最悪なのは、"ラン・ラン・ラン "の轍を踏むことだよ。



「Run Run Run」



アルバム発売の後、「Night of The Hunter」「Shiver」が先行シングルとして公開されています。
 
 
 
レビューは以下よりお読み下さい。
 
 




The Libertines 『All Quiet On The Easterrn Esplanade』



Label: Universal Music

Release: 2024/3/8


Tracklist:

Run, Run, Run
Mustang
Have A Friend
Merry Old England
Man With The Melody
Oh Shit
Night Of The Hunter
Baron’s Claw
Shiver
Be Young
Songs They Never Play On The Radio

 くるり 『感覚は道標』

Label: Victor

Release:2023/10/4

 

Review 

 

立命館大学のサークルで結成されたQurulli(くるり)。1990年代から日本のロックシーンを支えてきた貢献者でもある。


親しみやすいメロディー、ロックバンドとしての卓越した演奏力、そしてグルーブ感を生かしたライブサウンドをモットーに、これまで数々の邦楽のロックを作り出してきた。2021年の『天才の愛』発表後、パンデミックを経て、お目見えとなった『感覚は道標』は、輝かしいロックンナンバーが満載である。(先日、Real Soundに掲載された田中宗一郎さんとのインタビューにおいて、その全貌が語られています。曲の採点もなさっているので、ぜひ興味のある方はチェックしてみましょう)

 

このインタビューでも語られている通り、岸田繁さんは「片面がはっぴいえんど、もう片方がビートルズ」と、このアルバムについて仰っている。また、田中宗一郎さんは「桑田佳祐を思わせるものがあった」と語っていた。

 

個人的な感想としては、はっぴいえんど、及び、大滝詠一のソロ作品が一番近いのではないだろうかという印象を持った。加えて、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズが好むようなブギーやブルースを取り入れたギター・リフを活かし、時には、ビートルズの『ラバー・ソウル』時代の音楽性を取り入れ、それらをQurulliらしい戯けたような感じのロックとして昇華している。くしゃみから始まる「Happy Turn」はオアシスの「ワンダーウォール」の咳払いに対するオマージュ。しかし、その後に始まるのは、ビートルズ/ローリング・ストーンズ調のギターリフと、大瀧詠一のソロ作品のような甘い感じのメロディーが歌われる。その合間には、ザ・フーのピート・タウンゼントのモッズ・ロック時代の爽快なリフが小節間に導入され、軽やかな印象を生み出す。他にも、繋ぎとしてローリング・ストーンズの「Rocks Off」のギターラインのオマージュを導入し、彼等のキャリアの中でも最もロックンロール性を感じさせる。

 

 

大瀧詠一の「君は天然色」、「幸せな結末」に象徴されるサウンドからの影響は次の「I'm Really Sleepy」においても反映されている。しかし、岸田繁が歌うと、それがいささか渋みのある印象に縁取られる。おそらく、このあたりがタナソーさんが指摘する、桑田佳祐らしさなのかもしれない。続く「朝顔」は、後に、レイ・ハラカミがリミックスとして発表した「バラの花」のミュートを用いた軽妙なバッキングギターで始まる。これらは旧来のファンとしてはイントロを聴くだけで、気持ちが沸き立つものがある。そして、その期待感を裏切らず、エレクトロニックを取り入れた洗練されたロックサウンドへと移行していく。センチメンタルで湿っぽい歌詞は、Qurulliの代名詞的なリリックであるが、シンプルではありながら掴みのあるサウンドは、The Policeのスティングが書いたMTV時代のポップサウンドに近い雰囲気が漂っている。現在のUKロックにも近い清涼感のあるナンバーは、多くのファンの期待に添えるものとなっている。

 

大滝詠一を彷彿とさせるサウンドの風味は「California coconuts」でも受け継がれ、甘酸っぱい感覚が全体に迸っている。コード進行はきわめてシンプルではありながら、長調の中に単調を巧緻に取り入れながら、ジャングル・ポップやパワー・ポップ風のサウンドとして昇華している。リズムを生かしたバッキング・ギターは、The Knackの「Oh Tara」を思わせる。このあたりの口当たりの良さと渋さを兼ね備えたロックサウンドは、Qurulliの代名詞的なものである。サビの前に現れるメロディーの駆け上がりもワクワクした感覚を与え、軽快なウェイヴを生み出している。ここには三人組であるがゆえに作り出せる綿密なバンドサウンドと、岸田繁の傑出したメロディーセンスが、2020年代の優れたJ-POPサウンドの精髄を生み出すことに繋がった。

 

 もうひとつ、新しい要素として加わったのが、幻想的なアメリカーナ(カントリー/ウェスタン)からの影響である。これらの幻惑的なサウンドの影響を彼らは巧みに取り入れ、それをやはり親しみやすいロックサウンドの中に落とし込んでいる。これは、くるりのオルタナティヴ・ロック・バンドとしての性質が色濃く反映されている。例えば、現行の米国のインディーロックバンドの多くはごく普通のアメリカーナの影響を昇華し、現代的なループ・サウンドの中に反映させているが、そういった現代的なUSロック・バンドからヒントを得た一曲でもある。まったりとしていながらも乾いたギターサウンドが、聞き手を安らいだ幻惑の中に引き込む。

 

バグパイプの演奏をイントロに取り入れた「LV69」もQurulliが常に新鮮なサウンドを思索していることの証左となる。 ここでは、サザン・オールスターズのようなソウルフルかつニヒリスティックなリリック、そしてボーカルの節回しを卒なく取り入れ、ブギー/ブルース色の強い個性的なロックサウンドを生み出してみせている。ループ・サウンドを基調としているが、それらの中に印象の変化があるのは、セッションから生じる実験的な部分を重んじているがゆえなのだろう。特に中盤のギターソロに関しては、白熱したバンドセッションの息吹を録音に留めている。これらの精細感のあるライブサウンドは、旧来のスタジオ・アルバムという観点を飛び越え、ライブ録音とスタジオ録音の中間にあるユニークな性質をもたらすことに成功している。

 

ロックバンドとしての多彩な性質は以後、才気煥発な瞬間性を見せる。続く「daraneko」ではサーフ・ロックやヨット・ロックを意識したコアなギターサウンドを特徴としている。 しかし、そういったイントロの印象も前衛的な印象性を擁するシンセサイザーのシークエンスや、岸田繁の抽象的なボーカルが加わると、化学反応を起こし、単なるリバイバルサウンドの範疇から離れ、清新な印象のあるロックサウンドへと様変わりする。さらにシンセにより具象的なドラネコの声を表現したりと、遊び心溢れるロックサウンドに仕上げているのは見事としか言いようがない。これまでのくるりの主要なイメージであるユニークさが反映された一曲として楽しめる。

 

 

アルバムの終盤に至ると、より渋みのあるサウンドが立ち現れる。「馬鹿な脳」では、ブルースとミュージカルを掛け合せたようなサウンドに挑戦し、「世界はこのままでは終わらない」では、スライド・ギターを取り入れ、はっぴいえんどに近い70年代のロックサウンドを体現している。ローリング・ストーンズ、はっぴいえんどの「台風」のようなブルージーなロックサウンドに果敢に挑戦し、しかもときには、ブリット・ポップのメロディーラインと合致し、最終的には、90年代のBlurのような精細感のあるロックサウンドへと昇華されている。以上の変幻自在なアプローチは、ロック、ポップ、J-POPと、その楽曲の展開ごとに、くるくると印象が様変わりする。歌詞の中では、世の嘆かわしい出来事を断片的に織り交ぜながらも、表現性は明るい未来に向けられている。これらの批評的な精神とメッセージ性に溢れた曲は、現代の日本の音楽の中にあって鮮やかな印象を及ぼす。事実、この曲で繰り広げられるサウンドは、くるりがロックバンドとして、これまでとは別のステップに歩みを進めたことの証となるだろう。 

 

くるりが三十年近いキャリアの中で一貫して示してきたのは、音楽をそれほどシリアスに捉えず、万人が楽しめ、なおかつまたユニークなものとしてアウトプットしようということである。「お化けのピーナッツ」は、タイトルからも絵本のような可愛らしさがあるが、実際の音楽性も、それ以上にユニークである。サルサ、フラメンコを始めとする南米圏の音楽の旋律とリズムを巧みに取り入れて、それらを奇妙なほど親しみやすい日本語のポップスに組み上げている。戯けたような印象は、サザン・オールスターズの全般的な楽曲や、松任谷由実の「真夏の夜の夢」の時代の華やいだJ-POPの最盛期を彷彿とさせる。


日本の音楽と世界の音楽の双方の影響を織り交ぜた新たなクロスオーバーの手法は、その後も続き、「no cherry no deal」では、ミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティ、ギター・ウルフを思わせる、硬派で直情的なシンプルなガレージ・ロックへと変貌し、更に「In Your Life」では、Sebadoh、Guded By Voices、Pavementに象徴される90/00年代の米国のオルト・ロックの影響を反映させたコアなアプローチへと変遷を辿る。また、クローズで示される「aleha」における、ニック・ドレイク、ジャック・ジャクソンを思わせるオーガニックなフォーク音楽へのアプローチもまた、彼らが音楽に真正面から向き合い、それをいかなる形で日本の音楽にもたらすべきか、数しれない試行錯誤を重ねてきたことを明かし立てている。

 

アーティストやバンドは、よくデビューして数年が旬であり、華であるように言われる。しかし、アメリカやイギリスの例を見ていて、最近つくづく感じるのは、デビューから30年目前後に一つの大きな節目がやって来るということである。音楽家としての研鑽を重ねた結果、十年後、二十年後、時には、三十年後になって、最大の報酬が巡ってくる場合もある。今回のQurulliの新作アルバム『感覚は道標(Driven By Impulse)』には心底から驚かされるものがあった。

 

 

90/100

Meerena ©︎ Keeled  Scales



Meernaaは、このニューアルバムを通じて、ネオ・ソウル、R&B、インディー・ポップの情熱的な側面を参照し、セード、ケイト・ル・ボン、ミニー・リパートン、トーク・トークなど様々な影響を受けたソングライター、カーリー・ボンドのくすんだボーカルと、官能的で技術的に洗練された楽曲を提供している。


Meernaa(ミールナー)名義の作品を通して、カーリー・ボンドは中毒や喪失といった重いテーマを愛というレンズを通して捉えようとしている。


「I Believe In You」について彼女はこう語っている。「彼らはやがて麻薬と手を切りましたが、断酒中も彼らの精神衛生は軽視され、私も、彼らと同じ運命からは逃れられないという物語が私の観念に植え付けられた。この曲は、自己成就的予言に挑戦し、変えていくこと、そして、自分の人生にポジティブなことが起きる権利があると自らに信じさせる気概を奮い立たせることについて歌っている」


「On My Line」は、ジョニ・ミッチェルの「Car On A Hill」にインスパイアされた。拒絶されることを悲しく、クールに受け入れ、その中で解放される感覚を表現している。


「Another Dimension」は、ボンドが実際に出会う10年前にタイムスリップしてパートナーに会うという鮮明な夢を見たことを歌っている。目覚めた後、彼女は内面に残る余韻を振り払うことができずにいた。


カーリー・ボンドは、ベイエリア北部の町で育ち、詩や音楽を逃避や感情処理の手段として使っていた。幼い頃、ホイットニー・ヒューストンのセルフタイトルアルバムのカセットを贈られ、音楽がいかにパワフルで癒しであるかを学んだ。クラシック・ロックのラジオ局を聴いたり、オークランドのジャズ・クラブ「Yoshi's」に行ったり、Daytrotterからダウンロードできるものは何でもダウンロードしたりと、思春期を通じてさまざまなジャンルを聴き、探求することで、しばしば自己を癒していた。


やがて、ボンドは、高校のジャズ・プログラムでギターを習い始め、自分で曲を作るようになった。音楽の知識を深めたいと思い、大学に進学するかどうか悩んでいたボンドは、2013年にサンフランシスコのタイニー・テレフォン・レコーディングでインターンを始めた。このスタジオに魅了されたボンドは、ピザ・レストランでのバイト代を貯めて、1日レコーディングをする余裕を作り、後にバンドメイトとなる夫のロブ・シェルトンと仕事をすることになった。


シェルトンとボンドは、その後すぐに一緒に音楽を演奏し始め、ボンドはベイエリアのミュージシャン、ダグ・スチュアート(ブリジャン)やアンドリュー・マグワイアとコラボし、Meernaaとして音楽を発表し始めた。2020年、シェルトンとボンドは一緒にロサンゼルスに移住し、タイニー・テレフォンのOBであるジェームス・リオット、アンドリュー・マグワイアとともに、自身のスタジオ、アルタミラ・サウンドをオープンした。


ロサンゼルスの音楽シーンで花開いたカーリー・ボンドは、ルーク・テンプル、ジェリー・ペーパー、スザンヌ・ヴァリー、ミヤ・フォリックらとセッションやツアーを行うギタリストでもある。




『So Far So Good』/ Keeled  Scales



2019年のデビュー・アルバム『Heart Hunger』に続いて発表された『So Far So Good』は、Meernaaのシンガーソングライターとしての飛躍を約束するような画期的なアルバムとなっている。

 

アーティストはみずからの持ちうる音楽的な語法を駆使し、気品のあるロック/ポップスの世界を構築しようとしている。ホイットニー・ヒューストンやジョニ・ミッチェルから習得した音感の良さと普遍的な音楽に対する親しみは、セカンドアルバムの10曲に艷やかな印象性をもたらす。70、80年代のポップスからの影響は、ダンサンブルなビートと軽快なグルーブ感を付与している。ソロアーティスト名義ではありながら、バンドサウンドの醍醐味を多分に意識したケイト・ル・ボン(シカゴのロックバンド、Wilcoの最新アルバム『Cousin』のプロデュースを手掛けている)のプロダクションも、Meernaの音楽に初めて触れる人々に抜けさがないイメージを与えるに違いない。 

 

 

「Oh My Line」

 

 

アートワークの印象もあいまってか、Meernaの音楽は、心なしかスタイリッシュな感覚を与える。そしてミールナーの音楽は、カルフォルニアの青い空、燦々たる太陽に対する陰影をわずかに留めているように思える。


アルバム『So Far So Good』のオープナー「Oh My Line」を聞けば、彼女がどのような音楽的な知識の蓄積を築き上げて来たのか、その一端に触れることが出来るだろう。


ジョージ・クリントン擁する Funkadelic(ファンカデリック)の『Maggot Brain』、William ”Bootsy” Collins(ウィリアム・ブーツイー・コリンズ)のアルバムに見受けられるファンクやソウルを基調としたミクスチャーサウンドを反映させ、しなやかなロックとポップスの形に落とし込む。バンドサウンドの上に軽快に乗せられるカール・ボンド(その名は映画俳優のようであるが、彼女は歌手である)の飄々としたボーカルが舞う。


ボンドのボーカルは、サザン・ソウル/ノーザン・ソウルの影響下にあると思えるが、スタックスやモータウンのアーティスト程には泥臭くはない。ボーカルの佇まいから匂い立つのは、しなやかな印象である。段階的にスケールを駆け上がっていく軽妙なギターライン、そして、ほんのりと哀愁を漂わせるエレクトリック・ピアノのフレーズがカーリー・ボンドのボーカルを艶やかに引き立てる。ベースラインはグルーヴに重点が置かれているが、それらはサビの中で跳躍するような影響を及ぼし、カール・ボンドのスタイリッシュなボーカルの感覚を上手く引き出している。

 

 

一曲目でファンク/ソウルという切り口を見せた後、カーリー・ボンドは「Another Dimention」において、彼女のもう一つのルーツであるインディーロックやフォークへの傾倒をみせている。マイルドではありながら深みを併せ持つ豊かな感性に根差したボーカルは、ボーイ・ジーニアスとして活動するLucy Dacus(ルーシー・デイカス)の2021年のアルバム『Home Video』で披露した秀逸なメロディーラインと重なるものがある。


そういった2020年代前後の現代的なポップスへのアクセスに加え、ソウルの進化系であるネオソウルからの影響を巧緻に取り入れ、夢見心地に浸されたうるわしきポピュラー・ワールドを追求している。そして、それらのドリーミーな感覚を擁する軽妙なギターラインと上品なストリングスが、感覚的な要素を引き上げていく。音楽の中には聞き手を惑わす心地良さがあり、その音の波の中にいついつまでも浸っていたいと思わせるものがある。それは、制作者が80年代のヒューストンの音楽から学び取った音楽の愉楽であり、そしてポップネスの核心でもあるのかもしれない。

 

「As Many Birds Flying」でも同じように、ソフト・ロック/AORに近い音楽を下地にして、感覚的なポップスを作り上げる。イントロのギターラインとシンセの組み合わせは、The Policeの80年代のMTV時代の全盛期の音楽の影響をわずかに留めているが、カーリー・ボンドのボーカルが独特な抑揚を交え、それらのバックバンドの演奏をミューズさながらにリードすると、その印象は、立ちどころにAOR/ソフト・ロックとは別の何かに変貌する。 


ネオソウルなのか、ニューロマンティックなのか、それとも……? いかなる音楽がその背後にあるかは定かではないが、官能的な雰囲気を擁するボンドのボーカルは、ドリーム・ポップのようなアンニュイな空気感を帯びる。それらの夢見心地の雰囲気はやがて、ロサンゼルスのAriel Pink(アリエル・ピンク)のようなローファイ/サイケを下地にしたプロダクションと結びつき、最終的に先鋭的な印象を及ぼすに至る。これらの1980年代から2010年代にひとっ飛びするような感覚は、『Back To The Future』とまではいかないが、SFに近い快感や爽快味を覚えさせる。

 

「Mirror Heart」でも、それらの現代的な感覚を擁する音楽を踏襲している。 インディーフォークやフリー・フォークを根底に置いた曲で、アコースティックギターのストロークとシンセのシークエンスという2つの側面からポップスへのアクセスしている。そして、その上に乗せられるカーリー・ボンドのヴォーカルは、やはり一貫して、涼しげでしなやかな印象に彩られている。これは例えば、昨年、SUB POPからデビューしたNaima Bock(ナイマ・ボック)による爽やかなモダン・ポップのアプローチにも近いものがある。


もちろん、ボンドの場合は、微妙なフレーズのニュアンスの変化、言葉の持つ抑揚の微細な変容により、それらの内面的な音楽を艶気のある表現性に変貌させている。さらに、驚くべきことに、曲の中にサビや見せ場のような形で現れる高音部のビブラートで抑揚をもたらそうとも、その歌の表現性は中音域のときと同じように昂じるわけでもなく、また、激しくなるわけでもなく、一定の落ち着きとしなやかさを維持し続けていることが美点である。


こういった歌による精彩なニュアンスの変化は、平均的な才質の歌手では表現しきれない高水準にカーリー・ボンドが到達していることの確かなエヴィデンスとなるかもしれない。またそれらの歌の世界観を巧緻に引き出すのが、シンセサイザーのトーンシフターによる変化なのである。

 

アルバムの序盤を通じ、こういった盤石かつ安定感のある音楽の世界を示した上で、ボンドは、中盤の収録曲を通じてさらに多彩な表現性を示す。特に、『Black Eyed Susan』では、ワールド・ミュージックに傾倒を見せる。バックビートを意識した軽妙なアコースティック・ギターの演奏は、ボサノヴァ・ブームの火付け役である、Stan Gets(スタン・ゲッツ)/Joao Gilbert(ジョアン・ジルベルト)のオシャレなブラジル音楽のポップスの性質を取り込み、それをモダン・ポップスという形で昇華している。

 

ボンゴのような打楽器のリズムを活かしたワールド・ミュージックを踏襲した音楽はやがて、Miya Folickに象徴されるアヴァン・ポップの性質を帯びる。本作の主な特徴である新時代と旧時代を往来するような不可思議な感覚は、現行の世界のポップス・シーンを俯瞰した際、新鮮な印象を受ける。



続いて、アヴァン・ポップにも近い雰囲気のある曲調は、曲の中盤から終盤にかけて、木管楽器やオーケストラ・ストリングスを配することで、アーティストの重要なルーツの一つであるジャズの気風を反映させ、ノルウェーのJaga Jazzist(ジャガ・ジャジスト)や、クラリネット奏者/Lars Horntvethの『Pooka』で見受けられる、フォークトロニカ/ジャズトロニカの範疇にある先鋭的な音楽へと変遷を辿っていく。これらの一曲を通じて繰り広げられる変容の過程には瞠目すべき点がある。次曲と共にアルバム中盤のハイライトを形成している。


 

その後も、多彩な音楽性はその奥行きを敷衍していく。「I Believe In You」では、シンプルなマシンビートと、「Hum〜」というフレーズを通じて、甘酸っぱく、メロウなムードを反映させたAOR/ソフト・ロックの音楽性を楔にし、彼女の音楽の重要なルーツであるホイットニー・ヒューストンの1985年のセルフタイトル・アルバムの懐かしいR&Bを基調にしたポップスを展開させる。



プレスリリースで紹介されている通り、ボーカリストの艶やかで官能的なイメージは、80年代への懐古的な印象とともに、聞き手を現代のノイズや喧騒から遠ざけ、音楽の持つ深層へと至らせる。


これらのアーカイブからもたらされる音の懐かしさを、カーリー・ボンドはいかなるアーティストよりも巧みに表現しようとしている。ある意味では、ビヨンセの前の時代のR&Bの核心を誰よりも聡く捉え、それらを超えの微妙なトーンの変化、その歌声の背後にある感情の変化により、温かみのある感情性へと変換させる。この技術には感嘆すべき点がある。


もちろん、彼女の夫を擁するバンドアンサンブルの妙も素晴らしい。中盤における金管楽器/木管楽器の芳醇な響きにも注目したいが、ファンク/ソウルを反映させたベースラインがグルーブ感を付加している。音楽はリズムが混沌としていると、メロディーが優れていても残念なものになってしまうが、これらの均衡が絶妙に保たれていることが、こういった、ハリのある音楽を生み出す要因となったのである。

 

「Believe In You」

 

アルバムの中で最も繊細でありながら大胆さを兼ね備えるバラード「Framed In A Different State」も聴き逃せない。静かなギターとエレクトリック・ピアノ、そしてビートルズがよく使用していたメロトロンの音色を掛け合せ、チェンバー・ポップを下地にしたバラードに挑戦している。



そして、この情感溢れる傑出したバラードは、ギターラインやシンセのフレーズをコール&レスポンスのように織り交ぜることにより、温かな雰囲気を持つ曲へと仕上がっている。また、アメリカーナの影響もあり、ペダルスチールの音色が聞き手を陶酔した境地へと誘う。


その上に漂う、ボンドのボーカルは、往年のフォークシンガーのような信頼感がある。そして一方で、涙ぐみそうな情感を込めて歌われるボンドのヴォーカルは、曲の中盤にかけて何かしら神々しい雰囲気に変わる。それはシンガーという人間の性質が変化し、神聖な雰囲気のある光を、その歌の印象の中に留めるということでもある。しかもそれは感情を高ぶらせることではなく、心を包み込むかのような慈しみによってもたらされるものなのである。

 

アルバムのタイトル曲「So Far So Good」は、レトロな感覚を持つテクノを主体として繰り広げられる、少しユニークな感覚を持つポップミュージックである。それほど真新しい手法ではないにも関わらず、インディーロックに触発されたギターライン、そして、やはり一貫して飄々とした印象のあるボンドのボーカルに好印象を覚えない人はいないはず。



しかし、やはりアルバムの全般的な楽曲と同じように、序盤のユニークな印象は中盤にかけて変化していき、Funkadelicの演奏に見られる休符とシンコペーションを効かせた巧みなアンサンブルに導かれるようにし、ボーカルラインは、気品に満ちた印象を帯びながら、淑やかなポップスへと変化してゆく。


それほど意図的にアンセミックなフレーズを作ろうとはしていないにもかかわらず、なぜか歌を口ずさんでしまう。この音楽的な親しみやすさにこそ、Meernaの音楽の醍醐味が求められる。そして、アルバムのタイトル曲として申し分のない名刺代わりの一曲である。

 

これらのコアなポップスのアプローチは最終的に、クローズを飾る「Love Is Good」という答えに導かれる。トライアングルを織り交ぜたパーカッシヴな手法は、ベースラインとシンセの緊張感のあと、ドラムのロールにより劇的な導入部となって、カール・ボンドの歌の存在感を引き立てる。その期待感に違わず、ネオ・ソウルやモダン・ポップの王道にあるフレーズを丹念に紡いでいく。


コーラスワークや、背後にあるシンセやギターは、より深みのあるソウルミュージックの領域へと達する。それはスタックス・レコードのソウルや、カーティス・メイフィールドのジャズ/フュージョン/ファンクに触発された演奏に比する水準に位置する。しかしながら、こういったコアなアプローチを取りつつも、しっとりとしたボーカルラインが維持されることで、ポップスとしての妙味を失うことがない。 



さらに、バンドアンサンブルの妙は、この曲の中盤から後半にかけて最高潮に達し、Jeff Beckの『Blue Wind』、Eric Claptonを擁するCreamの「Sunshine Of Your Love」で示されたような、ロックンロールの真髄である玄人好みのロックサウンドへと瞬間的に変化していく様は圧巻と言える。


数限りない音楽が内包されながらも、全くブレることのない本作の根幹には、どのような音楽の背景があるのか。少なくとも、表面的なものばかり持てはやされる音楽が散見される現代のシーンにあって、こういった本当の音楽は、他のいかなる音楽よりも深い意義を持つ。Meernaaというシンガーが今後どれくらいの活躍をするのかは予測出来ない。しかし、このアルバムを手にした、あるいは、聴くという幸運に肖った人々は、このアーティストに出会えて良かったという実感をもっていただけると思う。

 

 

Weekend Featured Track- 「So Far So Good」

 

 

 

 

90/100

 

 

Meernaのニュー・アルバム『So far So Good』はKeeled Scalesから発売中です。

©Maclay Heriot

キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードは、最新アルバム『The Silver Cord』を10月27日にリリースすると発表しました。


アルバムの冒頭を飾る組曲「Theia」、「The Silver Cord」、「Set」は、付属ビデオと共に本日公開された。


6月の『PetroDragonic Apocalypse; or, Dawn of Eternal Night(惑星地球の消滅と無慈悲な天罰の始まり)』に続く新作アルバムは、2つのバージョンで発売される。「最初のバージョンは、本当に凝縮されたもので、脂肪分をすべてカットしている」とフロントマンのステュー・マッケンジーはプレスリリースで説明している。

 

「そして、2つ目のバージョンでは、1曲目の "Theia "が20分もある。これは "すべて "のバージョンで、最初のバージョンですでに聴いてもらった7曲に、制作中にレコーディングした他の曲を加えたんだ。ギズヘッズ向けだよ」


「私はドナ・サマーのジョルジオ・モロダーとのレコードが大好きだけど、ショート・バージョンは絶対に聴かない。私たちは音楽を聴くということに関して、人々の注意力の限界を試しているのかもしれない」





King Gizzard & The Lizard Wizard 『The Silver Cord』


 

Label: KGLW

Release: 2023/ 10/ 27


Tracklist:

1. Theia

2. The Silver Cord

3. Set

4. Chang’e

5. Gilgamesh

6. Swan Song

7. Extinction


60年代、及び、70年代のアメリカン・ロックにも様々なジャンル分けがある。CSN&Y、イーグルスに象徴されるカルフォルニアを中心とするウェストコースト・サウンド、オールマン・ブラザーズに代表される南部のブルースに根ざしたサザン・ロック、ニューヨーク、デトロイトを中心に分布するイーストコーストロックに分かたれる。特に、西海岸と東海岸のジャンルの棲み分けは、現在のヒップホップでも行われていることからも分かる通り、音の質感が全然異なることを示唆している。兼ねてからロサンゼルスは、大手レーベルが本拠を構え、ガンズ・アンド・ローゼズを輩出したトルバドールなどオーディション制度を敷いたライブハウスが点在していたこともあり、米国の音楽産業の一大拠点として、その歴史を現代に至るまで綿々と紡いでいる。


当時、最もカルフォルニアで人気を博したバンドといえば、「Hotel California」を発表したイーグルスであることは皆さんもご承知のはずである。しかしながら、のちのLAロックという観点から見て、また当地のロックのパイオニアとしてロック詩人、ジム・モリソン擁するドアーズを避けて通ることは出来ないのではないだろうか。ジム・モリソンといえば、ヘンドリックスやコバーンと同様に、俗称、27Clubとして知られている。今回は、このバンドのバックグランドに関して取り上げていこうと思います。

 

 

1967年、モリソン、マンザレク、デンズモア、クリーガーによって結成されたドアーズ。本を正せば、詩人、ウィリアム・ブレイクの「天国と地獄の結婚」の「忘れがたい幻想」のなかにある一節、

 

近くの扉が拭い 清められるとき 万物は人の目のありのままに 無限に見える

 

に因んでいるという。そして、オルダス・ハックスレーは、この一節をタイトルに使用した「知覚の扉」を発表した。ドアーズは、この一節に因んで命名されたというのだ。


いわば、本来は粗野な印象のあったロック・ミュージックを知的な感覚と、そしてサイケデリアと結びつけるのがドアーズの役目でもあった。 そして、ドアーズは結成から四年後のモリソンの死に至るまで、濃密なウェスト・コースト・ロックの傑作アルバムを発表した。「ロックスターが燃え尽きる」という表面的なイメージは、ブライアン・ジョーンズ、ヘンドリックスやコバーンの影響も大きいが、米国のロック・カルチャーの俯瞰すると、ジム・モリスンの存在も見過ごすことが出来ないように思える。

 

ただ、ドアーズがウェスト・コーストのバンドであるといっても、その音楽は一括りには出来ないものがある。カルフォルニア州は縦長に分布し、 また、サンフランシスコとロザンゼルスという二大都市が連なっているが、その2つの都市の両端は、相当離れている。そして、両都市は同州に位置するものの、文化的な性質がやや異なると言っても過言ではない。ドアーズもまた同地のグループとは異なる性質を持っている。


そもそも、ウェスト・コースト・サウンドというのは、1965年にオープンした、フィルモア・オーディオトリアムを拠点に活躍したグループのことを示唆している。ただ、これらのバックグランドにも、ロサンゼルスの大規模のレコード産業と、サンフランシスコの中規模のレコード産業には性質の違いがあり、それぞれ押し出す音楽も異なるものだったという。つまり、無数の性質を持つ音楽産業のバックグランドが、この2つの都市には構築されて、のちの時代の音楽産業の発展に貢献していくための布石を、60年代後半に打ち立てようとしていたと見るのが妥当かもしれない。

 

ザ・ドアーズの時代も同様である。60年代後半のロサンゼルスには、サンフランシスコとは雰囲気の異なるロック産業が確立されつつあった。ドアーズはUCLAで結成され、この学校のフランチャイズを特色として台頭した。一説によると、同時期にUCLA(カルフォルニア州立大学)では、ヘルマン・ヘッセの『荒野のオオカミ』が学生の間で親しまれ、物質的な裕福さとは別の精神性に根ざした豊かさを求める動きが大きなカウンター・カルチャーを形成した。


この動きはサンフランシスコと連動し、サイケデリック・ロックというウェイブを形成するにいたったのであるが、レノンが標榜していた「ラブ・&ピース」の考えと同調し、コミューンのような共同体を構築していった。そういった時代、モリソン擁するドアーズも、この動向を賢しく読み、西海岸の若者のカルチャーを巧みに音楽性に取り入れた。一つ指摘しておきたいのは、ドアーズは同年代に活躍したグレイトフル・デッドを始めとするサイケ・ロックのグループとは明らかに一線を画す存在である。


一説では、サンフランシスコのグループは、オールマン・ブラザーズやジョニー・ウィンター等のサザン・ロックと親和性があり、ブルースとアメリカーナを融合させた渋い音楽に取り組んでいた。対して、ロサンゼルスのグループは、明らかにジャズの影響をロックミュージックの中に才気煥発に取り入れようとしていた。これはたとえば、The Stoogesが「LA Blues」でイーストコーストとLAの文化性をつなげようとしたように、他地域のアヴァンギャルド・ジャズをどのように自分たちの音楽の中に取り入れるのかというのを主眼に置いていた。


サンフランシスコのライブハウスのフィルモア・オーディオトリアムの経営者であり、世界的なイベンター、ビル・グラハムは、当初、ドアーズがLAのバンドいうことで、出演依頼を渋ったという逸話も残っている。ここにシスコとロサンゼルスのライバル関係を見て取る事もできるはずである。

 

 


 

さて、ザ・ドアーズがデビュー・アルバム 『The Doors』(邦題は「ハートに火をつけて」)を発表したのは1967年のことだった。後には「ロック文学」とも称されるように、革新的で難解なモリソンの現代詩を特徴とし、扇動的な面と瞑想的な面を併せ持つ独自のロックサウンドを確立した。

 

デビューアルバム発表当時、モリソンの歌詞そのものは、評論家の多くに「つかみどころがない」と評されたという。


デビュー・シングル「Light My Fire」は、ドアーズの代表曲でもあり、ビルボードチャートの一位を記録し、大ヒットした。その後も、「People Are Strange」、「Hello I Love You」、「Touch Me」といったヒットシングルを次々連発した。ドアーズのブレイクの要因は、ヒット・シングルがあったことも大きいが、時代的な背景も味方した。

 

当時、米国では、ベトナム戦争が勃発し、反戦的な動きがボブ・ディランを中心とするウェイヴが若者の間に沸き起こったが、ドアーズはそういった左翼的なグループの一角として見なされることになった。しかし、反体制的、左翼的な印象は、ライヴステージでの過激なパフォーマンスによって付与されたに過ぎない。ドアーズは、確かに扇動的な性質も持ち合わせていたが、 同時にジェントリーな性質も持ち合わせていたことは、ぜひとも付記しておくべきだろう。

 

ドアーズの名を一躍全国区にした理由は、デビュー・アルバムとしての真新しさ、オルガンをフィーチャーした新鮮さ、そして、モリソンの悪魔的なボーカル、センセーショナル性に満ち溢れた歌詞にある。ベトナム戦争時代の若者は、少なくとも、閉塞した時代感覚とは別の開放やタブーへの挑戦を待ち望んだ。折よく登場したドアーズは、若者の期待に応えるべき素質を具えていた。同年代のデトロイトのMC5と同じように、タブーへの挑戦を厭わなかった。特にデビュー・アルバムの最後に収録されている「The End」は今なお鮮烈な衝撃を残してやまない。 


 

 

「The End」の中のリリックでは、キリスト教のタブーが歌われており、ギリシャ神話の「エディプス・コンプレックス」のテーマが現代詩として織り交ぜられているとの指摘もあるようだ。


歌詞では、ジークムント・フロイトが提唱する「リビドー」の概念性が織り込まれ、人間の性の欲求が赤裸々に歌われている。エンディング曲「The End」は、究極的に言えば、セックスに対する願望が示唆され、人間の根本的なあり方が問われている。宗教史、あるいは人類史の根本を形成するものは、文化性や倫理観により否定された性なのであり、その根本的な性のあり方を否定せず、あるがままに捉えようという考えがモリソンの念頭にはあったかもしれない。性の概念の否定や嫌悪というのは、近代文明がもたらした悪弊ではないのか、と。その意味を敷衍して考えると、当代の奔放なカウンター・カルチャーは、そういった考えを元にしていた可能性もある。



これらのモリソンの「リビドー」をテーマに縁取った考えは、単なる概念性の中にとどまらずに、現実的な局面において、過激な様相を呈する場合もあった。それは彼のステージパフォーマンスにも表れた。しかし、性的なものへの欲求は、ドアーズだけにかぎらず、当時のウェスト・コーストのグループ全体の一貫したテーマであったという。つまり、性と道徳、規律、制約、抑圧といった概念に象徴される、社会的なモラル全般に対する疑念が、60年代後半のウェストコーストを形成する一連のグループの考えには、したたかに存在し、時にそれはタブーへの挑戦に結びつくこともあった。その一環として、現代のパンク/ラップ・アーティストのように、モリソンは「Fuck」というワードを多用した。今では曲で普通に使われることもあるが、この言葉は当時、「フォー・レター・ワード」と見なされていた。放送はおろか、雑誌等でも使用を固く禁じられていた。”Fuck”を使用した雑誌社が発禁処分となった事例もあったのだ。


それらの禁忌に対する挑戦、言葉の自由性や表現方法の獲得は、モリソンの人生に付きまとった。特に、1968年、彼は、ニューヘイブンの公演中にわいせつ物陳列罪で逮捕、その後、裁判沙汰に巻き込まれた。しかし、モリソンは、後日、この事件に関して次のように供述している。「僕一人が、あのような行為をしたから逮捕された。でも、もし、観客の皆が同じ行為をしていたら、警察は逮捕しなかったかもしれない」


ここには、扇動的な意味も含まれているはずだが、さらにモリソンのマジョリティーとマイノリティーへの考えも織り込まれている。つまり多数派と少数派という概念により、法の公平性が歪められる危険性があるのではないかということである。その証として彼は、この発言を単なる当てつけで行ったのではなかった。当時の西海岸のヒッピーカルチャーの中で、コンサートホール内は、無法状態であることも珍しくはなく、薬物関連の無法は、警官が見てみぬふりをしていた事例もあったというのだから。

 

さらに、ジム・モリスンのスキャンダラスなイメージは、例えば、イギー・ポップやオズボーンと同じように、こういった氷山の一角に当たる出来事を取り上げ、それをゴシップ的な興味として示したものに過ぎない。上記二人のアーティストと同様に、実際は知性に根ざした文学性を発揮した詩を書くことに関しては人後に落ちないシンガーである。文学の才覚を駆使することにより、表現方法や言葉の持つ可能性をいかに広げていくかという、モリソンのタブーへの挑戦。それは、考えようによっては、現代のロック・ミュージックの素地を形成している。


デビュー作から4年を経て、『L.A Woman』を発表したドアーズの快進撃は止まることを知らなかった。しかし、人気絶頂の最中にあった、1971年7月3日、ジム・モリソンは、パリのアパートにあるバスタブの中で死去しているのが発見された。死亡時、パリ警察は検死を行っていないというのが通説であり、一般的には、薬物乱用が死の原因であるとされている。



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THE VELVET UNDERGROUND(ヴェルヴェット・アンダーグランド)  NYアンダーグランドシーンの出発点、その軌跡



ザ・ローリング・ストーンズが、アルバム『Huckney Diamonds』のセカンド・シングル「Sweet Sounds Of Heaven」をリリースした。レディー・ガガとスティーヴィー・ワンダーをフィーチャーしている。

 

この曲は、ロサンゼルスのヘンソン・レコーディング・スタジオ、ロンドンのメトロポリス・スタジオ、バハマのナッソーのサンクチュアリ・スタジオでレコーディングされ、ミック・ジャガーとキース・リチャーズが作曲した。ロサンゼルスでのセッション中、ザ・ローリング・ストーンズはスティーヴィー・ワンダーとレディー・ガガを『Heaven』の制作に招いた。


レディー・ガガとスティーヴィー・ワンダーは、実は以前にもザ・ローリング・ストーンズと共演したことがある。レディー・ガガは、2012年、50 & Countingツアーの一環としてストーンズのステージに参加した。「Gimme Shelter」のステージパフォーマンスは、最終的にアルバム『GRRR Live』に収録された。スティーヴィー・ワンダーは、1972年のストーンズのアメリカン・ツアーで、「Satisfaction」と「Uptight (Everything's Alright)」のメドレーで定期的に共演していた。


「Sweet Sounds Of Heaven」

 

 

『RUSH!』で世界デビューを果たしたばかりのマネスキンが早くも最新アルバムのニュー・エディションのリリースを発表した。

 

『RUSH!』の新バージョンには、最新シングル 「Honey (Are U Coming?)」を含む5曲の新曲が収録。このリリースは全く新しいアルバム・アートワークと共に発表となった。『RUSH! (Are U Coming?) 』は11月10日にオンセールとなる。先行予約は今週金曜日に開始されるという。


バンドは、世界制覇に向けた快進撃を続けている。『RUSH !』のリリースに付随するワールド・ツアーは、先週、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、タイムズ・スクエアでのサプライズ・ポップアップ・パフォーマンスの後に行われた。

 

ワールド・ツアーは、絶賛の嵐を世界各地で巻き起こしている。ワールド・ツアーでは、バンドの派手なライブ・セットと壮大なステージ・プロダクションは、北米、南米、日本、ヨーロッパ、イギリス、アイルランドで好評を博し、アリーナ公演を軒並みソールドアウトさせている。2022年12月の日本公演はソールドアウトとなった模様だ。


マネスキンは2022年度のVMA(MTV Video Music Awards)で、「The Loneliest」のミュージック・ビデオが最優秀ロック賞を受賞、グループ・オブ・ザ・イヤーにもノミネートされ、「Honey (Are U Coming) 」を披露した。

 


 「Honey (Are U Coming?)」

 

 

 

 


オーストラリアのロックバンド、キング・ギザード&ザ・リザード・ウィザードが、25枚目のスタジオ・アルバム『The Silver Cord』を発表し、そのトラックリストを公開した。アルバムは10月27日に発売される。

 

今年初め、バンドは『PetroDragonic Apocalypse; Or, Dawn Of Eternal Night』をリリースした(レビューはこちら)。2022年に『Butterfly 3001』、『Made In Timeland』、『Omnium Gatherum』を含む6枚のアルバムをリリースしている。これらのうち3枚(『Ice, Death, Planets, Lungs, Mushrooms and Lava』『Laminated Denim』『Changes』)はすべて昨年の10月に一挙にドロップされた。


『The Silver Cord』には7曲が収録される。インスタグラムの投稿にあるように、全曲のエクステンデッド・バージョンも付属する。


最近のリリースではメタルの世界に回帰したが、『The Silver Cord』のイメージは、次のアルバムがよりエレクトロニック・ミュージックに根ざしたものになることを示唆しているようだ。