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©Matilda Hill-Jenckins

 

アフロ・ビートとエレクトロを融合させる多国籍のグループ、Ibibio Sound Machine(イビビオ・サウンド・マシーン)が次作『Pull The Rope』を発表した。2022年の『Electricity』に続くこのアルバムは、Mergeから5月3日にリリースされる予定。


「”Got to Be Who U Are”は、私たちを結びつけるものは、私たちを隔てるものよりも強いという考えについて歌っている」とバンドはプレスリリースで説明している。

 

私たちを隔てる場所や物事は、信じられているほど重要ではない。自分が誰であるか、何であるかに幸せと誇りを持とう。


音楽的には、この曲は伝統的なアフリカのムビラのパートでメッセージを述べて始まり、同じようなヴォーカルになり、今度はエレクトロニック・ダンス・ヴァイブになる。

 

サビの中で出てくる "スルレレ、イサレ・エコ、イコイ、ヤバ "という場所はすべて、イーノ・ウィリアムズが育ったナイジェリアのラゴスにある地域だ。音楽の異なる部分は、まったく異なる音を使っているにもかかわらず、つながっており、世界中を移動する人々や、どこにいても場所と人の根本的なつながりを象徴している。

 

 

「Got to Be Who U Are」



ロンドンは、スペシャルズを筆頭に、1970年代から人種を越えたグループを輩出してきた。音楽という言語は国境を超えざるを得ないことを考えると、Ibibio Sound Machineはエズラ・コレクティヴのように、音楽の持つ本来の意義を呼び覚ます重要なグループだ。それはかつてアフリカの一地域でとどまっていたアフロビートが世界的な音楽と認められるようになった証拠でもある。



Ibibio Sound Machine 『Pull the Rope』


Label: Merge

Release: 2024/05/03

 

Tracklist:


1. Pull The Rope

2. Got To Be Who U Are

3. Fire

4. Them Say

5. Political Incorrect

6. Mama Say

7. Let My Yes Be Yes

8. Touch The Ceiling

9. Far Away

10. Dance in the Rain


Squarepusherが新作アルバム『Dostrotime』の制作を発表した。3月1日にWarpからリリースされる。


アルバムのリード・シングル「Wendorlan」はBMPを極限まで引き上げたドリルンベースにブレイクビーツを対比的に配置している。幻のデビューアルバム『Feed Me Weird Things』の時代の作風を思わせるものがある。


同時公開されたミュージックビデオは、まるで原子核の視点がセルンのハドロン衝突型加速器の中を旅しているように見えるかもしれない。しかし、実際はトム・ジェンキンソン自身がオシロスコープを使って作ったビデオである。フラッシュが苦手な方はご視聴をお控え下さい。


このミュージックビデオについて、ジェンキンソンはこう語っている。「トラック・オーディオとコントロール・データのコンポーネントからXY信号を生成するカスタム処理を使い、CRTオシロスコープで1テイクで撮影した。土壇場でスコープを貸してくれたデビッドに感謝したい」


「私にとって、2020年のパンデミックのロックダウンは、その恐怖の直感的なものだけでなく、その斬新で不気味で崇高な静寂のために、注目すべき時間として常に際立っているんだ。何もしないこと、つまり、音楽のレコーディングをはじめとする重要なことを邪魔しようとする絶え間ない雑念から、私(そして間違いなく他の幸運な一匹狼たちも含めて)を解放してくれたんだ」



「Wendorlan」

 



Squarepusher  『Dostrotime』


Label: Warp

Release: 2024/03/01


Thy Slaughterがデビューアルバムの制作を発表した。A.G.Cook&EASYFUNによるプロジェクト。

 

「Soft Rock」は、PC Musicから12月1日に発売。先行シングルとして、SOPHIEとの共作でウルフ・アリスのエリー・ロウセルが参加した「Lost Everything」と「Reign」の2曲がリリースされる。


PC Musicの新譜リリースの最終月にあたるこのレコードでは、デュオは友人でありコラボレーターでもあるCharli XCX、Caroline Polachek、Alaska Reidとも共演している。 

 

 

「Lost Everything」

 

 

 「Reign」

 



Thy Slaighter 『Soft Rock』

Label: PC Music

Release: 2023/12/1


Tracklist:

 

Sentence

Immortal

Reign

Heavy

Bullets

If I Knew

Flail

Lost Everything

O Fortuna

Shine A Light

Don’t Know What You Want

Fountain


Craig Armstrong
 

 

Massive Attackのコラボレーターとして、また『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』など数々の映画音楽で知られるスコットランド出身の作曲家、Craig Armstrong(クレイグ・アームストロング)の楽曲をausがリミックス。2曲入りのリミック・シングルはNocturne 8 (aus Remodel)として、Modern Recordingsからデジタルで発売となった。配信リンクとアートワークは下記よりご覧ください。

 

この曲は、ロックダウン中に2台のピアノのために制作された『NOCTURNES - MUSIC FOR TWO PIANOS』に収録されていた。Alva Noto、Mogwai、Scott Fraserらが参加してきたリミックス・プロジェクトの最後を締めくくる作品となっている。



Massive Attackとの長年に渡るコラボを経て、Massive Attackのレーベル”Melankolic” (Virgin Records)から、リリースしたソロ・アルバムの二枚、『The Space Between Us』と『As If To Nothing』でソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートしたクレイグ・アームストロング。

 

その後、クラシック、映画音楽などジャンルの壁を越えて、繊細かつ詩情溢れる色彩豊かな音楽を発表することで高い評価を築いてきた彼の作品を、日本人プロデューサーausがリミックス、本日リリースした。

 

aus

 

クラシカルでメロディックな楽曲の世界を引き継いだ「aus Remodel」、躍動感溢れるパーカッションとシンセを加え、メランコリックなダブ・エレクトロニカへと変貌させた「aus Reprise」の2曲を収録。




Craig Armstrong - Nocturne 8 (aus Remodel)

 




発売日:2023年11月10日
フォーマット:DIGITAL
レーベル:MODERN RECORDINGS



Tracklist:

 
1. Nocturne 8 (aus Remodel)
2. Nocturne 8 (aus Reprise)

 

配信リンク:


https://aus.lnk.to/CraigArmstrong

 

 

 
 NOCTURNES: MUSIC FOR 2 PIANOS:



『ロミオ+ジュリエット』や『ムーラン・ルージュ』、『華麗なるギャッツビー』などのバズ・ラーマン監督映画のスコアや、マッシヴ・アタックとのコラボレーションで知られるスコットランドはグラスゴー出身の作曲家/アレンジャー/現代音楽/エレクトロ・アーティスト、クレイグ・アームストロングが贈る、長く、静かな夜の癒しのピアノ・ナイト・ミュージック。

 

ロックダウン中に制作された『NOCTURNES - MUSIC FOR TWO PIANOS』。本作には彼が2020年から2021年の間に制作した14曲が収録されているが、そのほとんどが、英国中がロックダウンとなっていた時期に、外出禁止となっていた夜の間で作られたものだという。

 

アームストロング曰く、「2台のピアノのための楽曲としたことで、より抽象的な曲を作ることができ、メロディーやハーモニーの輪郭がぼやけた拡散した音を作ることができた」という。収録されているノクターンは繊細なメロディの断片に焦点を当て、作曲の過程を明らかにしながら展開されている。そして、それぞれの小品は独立していながらも、各楽章の雰囲気や意図は全体としてまとまったものになっている。



自宅で作曲・録音した本作の制作は、アームストロングにとってパンデミックの中である意味、癒しの時間でもあったという。

 

それゆえに彼は、アルバムの音の美しさと音楽の内省性が、リスナーにとってこの奇妙な時代に慰めを見出す助けになるかも知れないと思っている。本作『NOCTURNES』をアコースティックなアルバムにしたいと考えたのも、「この形式であれば、演奏したいと思う2人のピアニストがいれば、誰でも楽曲を演奏することができるから」と彼は語った。音楽の持つ癒しの力が込められた本作『NOCTURNES: MUSIC FOR 2 PIANOS』。長く静かな夜にぴったりの作品である。


Peggy Gou/ Lenny Kravitz


韓国出身のDJ/プロデューサー、さらにはレーベル・オーナーとしても活動するPeggy Gouが大スター、Lenny Kravitzと組んでニューシングル「I Believe In Love Again」を発表した。この曲は、来年リリース予定のペギー・グーのデビュー・アルバムに収録される。

 

Peggy Gouは、”Gudu Recording”を主宰し、エレクトロニック・デュオ、Salamanderを輩出した。ペギーは、元々、ドイツのハイデルベルクのアンダーグランドのクラブシーンに関わりを持ち、その中でこの都市のシーンの重要な立役者、D-Man(昨年、Move Dと組み、南ドイツのダンスミュージックの集大成を形成するアルバム『All You Can Tweak』 をリリース)と親交を持つようになった。

 

以後、イギリスのダンス・ミュージックシーンに傾倒するようになった。今年に入り、ペギーは、XL Recordingと契約を交わし、ソロアーティストとしても注目が高まっている。

 


90年代は、私の音楽に大きな影響を与えてくれた。当時のダンス/ハウス/レイヴ・シーンに対する私の愛は知られているけど、私はずっとR&Bの大ファンだったし、レニーの大ファンでもあった。

 

彼の1998年のアルバム『5』は個人的にお気に入りなんだけど、彼のディスコグラフィ全体が素晴らしく、時代を超越している。彼はスタジオに来て、ガイド・ヴォーカルを魔法に変え、新しい歌詞を書き、素晴らしいギター・リフを作り上げた。『I Believe In Love Again』は前向きさと希望の強いメッセージで、この曲を聴いてみんながそう感じてくれることを願っている。



今年初め、Peggy GouはXL Recordingsでの初シングル「(It Goes Like) Nanana」を発表した。

 

John Tejada 『Resound』

 

 

Label: Palette Recordings

Release: 2023/11/3

 

Review

 

オーストリア出身で、現在ロサンゼルスを拠点に活動するジョン・テハダ。もはや、この周辺のシーンに詳しい方であればご存知だろうし、テック・ハウスの重鎮と言えるだろうか。テクノ的なサウンド処理をするが、ハウス特有の分厚いベースラインが特徴である。もちろん、ジョン・テハダのトラックメイクは、ダンスフロアのリアルな鳴りを意識しているのは瞭然であるが、アルバムの中にはいつも非常に内的な静けさを内包させたIDMのトラックが収録されている。さらに、数学的な要素が散りばめられ、理知的な曲の構成を組み上げることで知られている。近年のジョン・テハダの注目曲を挙げておくと、「Father and Fainter」、「Reminische」等がある。 



今年既に3作目となる『Resound』はテハダ自身がこれまで手掛けてきた音楽や映画からインスピレーションを得ている。クラシックなアナログのドラムマシンとフィードバック、そしてノイジーなディレイによるテクスチャを基盤として、テハダは元ある素材を引き伸ばしたり、曲げたり、歪ませたりしてトーンに変容をもたらす。さらにはシンセを通じてギターのような音色を作り出し、テックハウスの先にあるロック・ミュージックに近いウェイブを作り出すこともある。

 

「Simulacrum」は、テハダの音楽性の一貫を担うデトロイトテクノのフィードバックである。さらに、Tychoが近年、ダンスミュージックをロックやポップス的に解釈するのと同じように、テハダもロック的なスケールの進行を交え、ロックに近いフレーバーを生み出していることがわかる。ただ、複雑なEDMの要素を散りばめたダンスビートの底流には、CLARKのデビュー作で見受けられたロック的な音響性や、ダンスミュージックの傑作『Turning Dragon』でのゴアトランスの要素が内包されているように思える。これらのベテランプロデューサーらしい深い見地に基づくリズムの運行は、ループサウンドを徐々に変化させていくという形式を取りながらも、より奥深い領域へとリスナーを導いてゆく。ダンスフロアでの多幸感、それとは対極にある冷静な感覚が見事に合致した、ジョン・テハダの代名詞的なサウンドとして楽しめる。

 

 続く「Someday」では、Authecre(オウテカ)の抽象的なビートと繊細なメロディーを融合させている。ベースラインを元にしたリズムに、Tychoのようなギターロックの要素を加味することにより、一定の構造の中に変容と動きをもたらしている。その中には、Aphex Twinの「Film」に見受けられるような内省的な感覚が含まれているかと思えば、それとは対極に、ダブステップのしなやかなリズムが強固なコントラストを形成している。その後、ノイジーなテクスチャーが音像の持つ空間性をダイナミックに押し広げ、その中にグリッチテクノで使用されるようなシンプルかつレトロなシンセリードが加わる。リズム的には大げさな誇張がなされることはないにせよ、入れ子構造のような重層的なリズムが建築さながらに積み上げられていき、しなやかなグルーブを生み出す。曲のクライマックスでは、ノイジーなテクスチャーに加えて崇高な感覚のあるシークエンスを組み合わせることで、シネマティックな効果を及ぼしている。

 

 

三曲目の「Disease of Image」はテックハウスの代名詞的なサウンドといえるかもしれない。ループサウンドを元に、複数のトラック要素を付け加えたり、それとは反対に減らしながら、メリハリのあるダンストラックを制作している。特にリズム、メロディー、テクスチャーの3つの要素をどこで増やし、どこで減らすのか。細心の注意を払うことによって、非常に洗練されたサウンドが生み出されている。5分40秒のランタイムの中には音によるストーリー性や流れのようなものを感じ取ることもできる。アウトロに至った時、最初のループサウンドからは想像もできないような地点にたどり着く。こういった変奏の巧緻さも醍醐味のひとつ。

 

「Fight or Flight」ではテハダのバンド、オプトメトリーのパートナーであるマーチ・アドストラムがボーカルを担当している。ビートのクールさは言わずもがな、このボーカルがトラック自体に奇妙な清涼感を与えている。Massive Attackの黄金時代のサウンドを思わせる瞬間もある。こういったボーカルトラックが今後どのような形で集大成を迎えるのかを楽しみにしたい。

 

 次の「Centered」は、シンセの音色の選択と配置がかなりユニークな魅力を放つ。 反復的なビートはアシッド・ハウスのエグみのある幻惑の中に誘う。バスドラムのビートに対比的に導入されるシンセベースは色彩的な響きを生み出し、さらに続いてゴアトランスのような抽象的なサウンドへと行き着く。 テハダは、アルバムの序盤のトラックとおなじようにトーンシフターを駆使し、音響性に微妙な変化を与える。しかし、音の運びは、脇道にそれることは殆どなく、力学的なベクトルやエネルギーを、中心点に向け、的を射るかのように放射する。これが実際に表向きに鳴らされるサウンドに集中性を与え、音に内包される深層の領域に踏み入れることを促すのである。

 

「Trace Remnant」は、ダウンテンポのイントロからしなやかなテックハウスに展開していく。この曲でも従来のループ構造のトラック制作から離れ、より劇的な展開力のある曲構成へと転じており、ドラムに関してはロック的な効果が重視されている。これらはTychoが近年制作しているような「ポップスとしてのダンスミュージック」の醍醐味を味わえる。アルバムのクローズでも凄まじい才覚が迸る。「Different Mirror」は、TR-909によるドラムマシンのジャムである。しかし、アシッド・ハウスの核心をつく音楽的なアプローチの中には、アルバムの全般的なトラックと同様、遊び以上の何かが潜んでいることが分かる。

 

 

86/100

 


「Fight or Flight」

 Sofia Kourtesis 『Madras』


 

Label: Ninja Tune

Release: 2023/10/27

 


Review



ドイツ、ベルリンを拠点とするシンガーソングライター、ソフィア・クルテシスの最新アルバム『Madras』は、ハウスをベースとして、清涼感と強いグルーブを併せ持つ快作となっている。


『マドレス』は、レーベルのプレスリリースによると、クルテシスの母親に捧げられた作品だ。しかし、もっと驚くべきことに、この曲は世界的に有名な神経外科医ピーター・ヴァイコッツィにも捧げられている。世界的に有名な神経外科医がこのレコードのライナーノーツに登場することになった経緯は、粘り強さ、奇跡、すべてを飲み込む愛、そして最終的には希望の物語である。オープニング曲「Madras」を聴くと分かる通り、原始的なハウスの4つ打ちのビートを背に、ソフィア・クルテシスの抽象的なメロディーが美麗に舞う。歌の中には取り立てて、主義主張は見当たらない。しかし、そういった緩やかな感じが心地よさを誘う場合がある。メロディーには、ジャングルの風景を思わせる鳥の声のサンプリングが導入され、南米やアフリカの民族音楽を思わせる時もあり、それが一貫してクリアな感じで耳に迫る。フロアで聴いても乗れる曲であり、もちろんIDMとしても楽しめる。オープニングの癒やしに充ちた感覚はバックビートを背に、少しずつボーカルそのものにエナジーを纏うかのように上昇していく。

 

アルバムの制作の前に、アーティストはペルーへの旅をしているが、こういったエキゾチックなサウンドスケープは、続く「Si Te Portas Bonito」でも継続している。よりローエンドを押し出したベースラインの要素を付け加え、やはり4ビートのシンプルなハウスミュージックを起点としてエネルギーを上昇させていくような感じがある。さらにスペイン語/ポルトガル語で歌われるボーカルもリラックスした気分に浸らせてくれる。Kali Uchisのような艶やかさには欠けるかもしれないが、ソフィア・クルテシスのボーカルにはやはりリラックスした感じがある。やがて、イントロから中盤にかけて、ハウスやチルと思われていたビートは、終盤にかけて心楽しいサンバ風のブラジリアン・ビートへと変遷をたどり、クルテシスのボーカルを上手くフォローしながら、そして彼女の持つメロディーの美麗さを引き出していく。やがてバック・ビートはシンコペーションを駆使し裏拍を強調しながら、 お祭り気分を演出する。もし旅行でブラジルを訪れて、サンバのお祭りをやっていたらと、そんな不思議な気分にひたらせてくれる。

 

クルテシスの朗らかな音の旅は続く。北欧/アイスランドのシーンの主要な音楽であるFolktoronica/Toytoronicaの実験的な音楽性が、それまでとは違い、おとぎ話への扉を開くかのようでもある。しかしながら、クルテシスはこの後、このイントロの印象を上手く反転させ、スペインのバレアック等のコアなダンスフロアのためのミュージックが展開される。途中では、金管楽器のサンプリング等を配して、この南欧のリゾート地の祝祭的な雰囲気を上手くエレクトロニックにより演出する。しかしながらクルテシスのトラックメイクはほとんど陳腐にならないのが驚きで、トラックの後半部では、やはりイントロのモチーフへと回帰し、それらの祝祭的な気風にちょっとしたエスプリや可愛らしさを添える。ヨーロッパの洋菓子のような美しさ。


「How Music Makes You Better」では、Burialのデビュー当時を思わせるベースライン/ダブステップのビートが炸裂する。表向きには、ダブステップの裏拍を徹底的に強調したトラックメイクとなっているが、その背後には、よく耳を済ますと、サザン・ソウルやアレサ・フランクリンのような古典的な型を継承したソフィア・クルテシス自身のR&Bがサンプリング的に配されている。それらのボーカルラインをゴージャスにしているのが、同じくディープソウルの影響を織り交ぜたゴスペル/クワイア風のコーラスである。そしてコーラスには男性女性問わず様々な声がメインボーカルのウェイブを美麗なものとしている。 曲の後半部ではシンセリードが重層的に積み重ねられ、ビートやグルーヴをより強調し、ベースラインの最深部へと向かっていく。


「Habla Con Ella」は、サイモン・グリーンことBonoboが書くようなチルアウト風の涼し気なエレクトリックで、仮想的なダンスフロアにいるリスナーをクールダウンさせる。しかし、先にも述べたようにこのアルバムの楽曲がステレオタイプに陥ることはない。ソフィア・クルテシスは、このシンプルなテクノに南米的なアトモスフィアを添えることにより、エキゾチックな雰囲気へとリスナーを誘う。ビートは最終的にサンバのような音楽に変わり、エスニックな気分は最高潮に達する。特に、ループサウンドの形態を取りつつも、その中に複雑なリズム性を巧みに織り交ぜているので、ほとんど飽きを覚えさせることがない。分けてもメインボーカルとコーラスのコールアンドレスポンスのようなやり取りには迫力がある。ダンスビートの最もコアな部分を取り入れながらも、アルバムのオープナーのようなくつろぎがこぼたれることはない。

 

 

「Funkhaus」はおそらくベルリン・ファンクハウスに因んでいる。2000年代、ニューヨークからベルリンへとハウス音楽が伝播した時期に、一大的な拠点となった歴史的なスタジオである。この曲では、スペーシーなシンセのフレーズを巧みに駆使し、ハウスミュージックの真髄へと迫る。00年代にベルリンのホールで響いていたのはかくなるものかと想像させるものがある。しなるようなビートが特徴で、特に中盤にかけて、ハイレベルなビートの変容を見いだせる。このあたりは詳細に説明することは出来ない。しかし、ここには強いウェイブとグルーブがあるのは確かで、そのリズムの連続は同じように聞き手に強いノリを与えることだろう。この曲もコーラスワークを駆使して、リズム的なものと、メロディー的なものをかけあわせてどのような化学反応を起こすのかという実験が行われている。それはクライマックスで示される。

 

一転して「Moving House」はアルバムで唯一、アンビエント風のトラックに制作者は挑戦している。テープディレイを用いながら、ちょっとした遊び心のある実験的なテクノを制作している。ただこの曲もまたインストでは終わらずに、エクスペリメンタルポップのようなトラックへと直結していく。しかし、こういったジャンルにある音楽がほとんどそうであるように、ボーカルは器楽的な解釈がなされている。これはすでにトム・ヨークが「KID A」で示していたことである。



アルバムの終盤にかけては、タイトルを見るとわかる通り、南欧や南米のお祭り的な気分がいよいよ最高潮を迎える。「Estacion Esperanza」は、土着的なお祭りで聴かれるような現地の音楽ではないかと思わせるものがあり、それは鈴のような不思議な音色を用いたパーカッション的な側面にも顕著に表れている。ただイントロでの民族音楽的な音楽はやはり、アーバン・フラメンコを吸収したハウスへと変遷を辿っていく。この両者の音楽の相性の良さはもはや説明するまでもないが、特にボーカルやコーラスを複雑に組み合わせ、さらに金管楽器のコラージュを混ぜることで、単なる多幸感というよりも、スパニッシュ風の哀愁を秘めた魅惑的なダンスミュージックへと最終的に変遷を辿っていく。ベースラインを吸収し、「Cecilla」はサブウーファーを吹き飛ばす勢いがある。さらにダンス・ミュージックの核心を突いており、おしゃれさもある。クローズ「El Carmen」はタイトルの通り、カルメンをミニマル的なテクノへと昇華させて、南欧的な雰囲気はかなり深い領域にまで迫っていく。これらの音楽は南欧文化にしか見られない哀愁的な気分をひたらせるとともに、その場所へ旅したかのような雰囲気に浸ることができる。そういった面では、Poolsideの最新作とコンセプト的に非常に近いものがあると思う。



82/100


Weekly Music Feature


Hinako Omori


大森日向子 ©︎Luca Beiley


大森日向子にとって、シンセサイザーは潜在意識への入り口である。ロンドンを拠点に活動するアーティスト、プロデューサー、作曲家である彼女は、「シンセは、無菌的で厳かなものではありません」と話す。

 

「ストレスを感じると、シンセのチューニングが狂ってしまうことがあった。一度、シンセの調子が悪いのかと思って修理に出したことがあるんだけど、問題なかった。だから、私が座って何かを書くとき、出てくるものは何でも、その瞬間の私の気持ちに関係している。音楽は本当に私の感情の地図になる」


大絶賛されたデビュー作『a journey...』(2022年、Houndstooth)が、その癒しのサウンドで他者を癒すことをテーマにしていたとすれば、大森の次のアルバムは思いがけず、自分自身を癒すものとなった。stillness,softness...』の歌詞を振り返ると、「自分自身の中にある行き詰まりを発見し、それと平穏な感覚を得るための内なる旅でした」と彼女は言う。


大森はとりわけ、シャドウ・セルフ、つまり私たちが隠している自分自身の暗い部分、そして自由になるためにはそれらと和解する必要があるという考えに心を奪われた。「自分自身との関係は一貫しており、それが癒されれば、そこから素晴らしいものが生まれるのです」と彼女は付け加えた。


2022年のデビューアルバム「a journey...」で絶賛されて以来、大森日菜子はクラシック、エレクトロニック、アンビエントの境界線を曖昧にし、イギリスで最も魅力的なブレイクスルー・ミュージシャンの一人となった。

 

日本古来の森林浴の儀式にインスパイアされたコンセプト・アルバム「a journey...」は、自然に根ざしたみずみずしいテクスチャーで、Pitchforkに「驚くべき」と評され、BBC 6Musicでもヘビーローテーションされた。以後、ベス・オートン、アンナ・メレディス、青葉市子のサポートや、BBCラジオ3の『Unclassified』で60人編成のオーケストラと共演、今年末にはロサンゼルスのハリウッド・ボウルで、はフローティング・ポインツのアンサンブルに加わり、故ファロア・サンダースとのコラボ・アルバム『Promises』を演奏する。


「stillness、softness...」は、大森のアナログ・シンセの世界ーー、すなわち、彼女のProphet '08、Moog Voyager、そしてバイノーラルで3Dシミュレートされたサウンドを生み出すアナログ・ハイブリッド・シンセサイザー、UDO Super 6ーーの新たな音域を探求している。このアルバムは、彼女の前作よりもダークで広がりがあり、ノワールのようにシアトリカル。デビュー作がインストゥルメンタル中心だったのに対して、本作ではヴォーカルが前面に出ており、「より傷つきやすくなっている」と彼女は説明している。夢と現実、孤独、自分自身との再会、そして最終的には自分自身の中に強さを見出すというテーマについて、彼女は口を開いている。


大森は「静けさ、柔らかさ...」を「実験のコラージュ」と呼び、それを「パズルのように」つなぎ合わせ、それぞれの曲が思い出の部屋を表している。最終的にはシームレスで、13のヴィネットが互いに出たり入ったりする連続的なサイクルとなっている。「とてもDIYだったわ」と彼女は笑う。「誰も起こしたくなかったから、マイクに向かってささやいたの」


大森は日本で生まれたが、ロンドン南部で育ち、サリー大学でサウンド・エンジニアリングを学習した。彼女がマシン・ミュージックに興味を持ち始めたのは、それ以前の大学時代、アナログ・シンセサイザーを授業で紹介した教師のおかげだった。「好奇心に火がつきました」と大森は説明する。


「クラシック・ピアノを習って育った私が、初めてシンセサイザーに出会った瞬間、完全に引き込まれました。シンセサイザーでは、サウンドを真に造形することができる。それまで考えたこともなかったような、無限の表現の可能性が広がった」


大学卒業後、大森はEOB、ジェイムス・ベイ、KTタンストール、ジョージア、カエ・テンペストといったインディーズ・ミュージシャンやアリーナ・アクトのツアー・バンドに参加した。「これらの経験から多くのことを学びました」と大森は言う。「素晴らしいアーティストたちとの仕事がなかったら、今のようなことをする自信はなかったと思います」 


彼女の自信はまだ発展途上だというが、それは本作が物語っている部分でもある。タイトルは "静寂、柔らかさ... " だけど、このアルバムは成長するために自分自身を不快にさせることをテーマにしている。「それは隠していたいこと、恥ずかしいと思うことを受け入れるということなのです」と彼女は言う。


アルバム全体を通して、大森はこれまでで最も親しみやすく、作曲家、アーティスト、アレンジャー、ヴォーカリスト、そしてシンセサイザーの名手としての彼女の真価が発揮された1枚となっている。このアルバムは、タイトル・トラックで締めくくられ、ひとつのサイクルを完成させている。


「自分の中にある平和な状態を呼び起こすような曲にしたかった」と大森。「毛布のようなもので、とても穏やかで、心を落ち着かせるものだと思っています」。その柔らかさこそが究極の強さなのであり、自分自身と他者への愛と思いやりをもって人生を導いてくれるものなのだ」と彼女は言う。




「stillness、softness...」/Houndstooth

 

大森日向子は既に知られているように、日本/横浜出身のミュージシャンであり、サウスロンドンに移住しています。


厳密に言えば、海外の人物といえますが、実は、聞くところによれば、休暇の際にはよく日本に遊びにくるらしく、そんなときは本屋巡りをしたりするという。ロンドン在住であるものの、少なからず日本に対して愛着を持っていることは疑いのないことでしょう。知る限りでは、大森日向子は元々はシンセ奏者としてロンドンのシーンに登場し、2019年にデビューEP『Auraelia』を発表、続いて、2022年には『A Journey...』をリリースした。早くからPitchforkはこのアーティストを高く評価し、ピッチフォーク・フェスティバル・ロンドンでのライブアクトを行っています。

 

エクスペリメンタルポップというジャンルがイギリスや海外の音楽産業の主要な地域で盛んなのは事実で、このジャンルは基本的に、最終的にはポピュラー・ミュージックとしてアウトプットされるのが常ではあるものの、その中にはほとんど無数と言って良いくらい数多くの音楽性が内包されています。エレクトロニックはもちろん、ラップやソウル、考えられるすべての音楽が含まれている。リズムも複雑な場合が多く、予想出来ないようなダイナミックな展開やフレーズの運行となる場合が多い。このジャンルで、メタルやノイズの要素が入ってくると、ハイパーポップというジャンルになる。ロンドンのSawayamaや日本の春ねむりなどが該当します。

 

先行シングルを聴いた感じではそれほど鮮烈なイメージもなかったものの、実際にアルバムを紐解いてみると、凄まじさを通りこして呆然となったのが昨夜深夜すぎでした。私の場合は並行してデ・ラ・ソウルやビースティー・ボーイズのプロデューサーと作品をリリースを手掛けているラップアーティストとのやりとりをしながらの試聴となりましたが、私の頭の中は完全にカオスとなっていて、現在の状況的なものがこのアルバムを前にして、そのすべてが本来の意味を失い、そして、すぐさま色褪せていく。そんな気がしたものでした。少なくとも、そういった衝撃的な感覚を授けてくれるアルバムにはめったに出会うことが出来ません。このアルバム「stillness,softness…」の重要な特徴は、今週始めに紹介したロンドンのロックバンド、Me Rexのアルバムで使用されていた曲間にあるコンマ数秒のタイムラグを消し、一連の長大なエレクトロニックの叙事詩のような感じで、13のヴィネットが展開されていくということなのです。

 

アルバムには、独特な空気感が漂っています。それは近年のポピュラー音楽としては類稀なドゥームとゴシックの要素がエレクトロニックとポップスの中に織り交ぜられているとも解釈出来る。前者は本来、メタルの要素であり、後者は、ポスト・パンクの要素。それらを大森日向子は、ポップネスという観点から見直しています。このアルバムに触れたリスナーはおしなべてその異様な感覚の打たれることは必須となりますが、その世界観の序章となるのが、オープニングを飾る「both directions?」です。ここでは従来からアーティストみずからの得意とするアナログ・シンセのインストゥルメンタルで始まる。シンプルな音色が選択されていますが、音色をまるで感情の波のように操り、アルバムの持つ世界を強固にリードしていく。アンビエント風のトラックですが、そこには暗鬱さの中に奇妙な癒やしが反映されています。聞き手は現実的な世界を離れて、本作の持つミステリアスな音像空間に魅了されずにはいられないのです。

 

続いて、劇的なボーカル・トラックがそのインタリュードに続く。#2「ember」は、アンビエント/ダウンテンポ風のイントロを起点として、 テリー・ライリーのようなシンセサイザーのミニマルの要素を緻密に組み合わせながら、強大なウェイブを徐々に作りあげ、最終的には、ダイナミックなエクスペリメンタル・ポップへと移行していく。 シンセサイザーのアルペジエーターを元にして、Floating Pointsが去年発表していた壮大な宇宙的な感覚を擁するエレクトロニックを親しみやすいメロディーと融合させて、それらの感情の波を掻い潜るように大森は艶やかさのあるボーカルを披露しています。描出される世界観は壮大さを感じさせますが、一方で、それを繊細な感覚と融合させ、ポピュラー・ミュージックの最前線を示している。それらの表現性を強調するのが、大森の透き通るような歌声であり、ビブラートでありハミングなのです。これらの音楽性は、よく聴き込んで見るとわかるが、奇妙な癒やしの感覚に充ちています。

 

このアルバムには創造性のきらめきが随所に散りばめられていることがわかる。そしてその1つ目のポイントは、シンセサイザーのアルペジエーターの導入にある。シンセに関しては、私自身は専門性に乏しいものの、#3「stalactities」では繊細な音の粒子のようなものが明瞭となり、曲の後半では、音そのものがダイヤモンドのように光り出すような錯覚を覚えるに違いありません。不用意にスピリチュアルな性質について言及するのは避けるべきかとも思いますが、少なくとも、シンセの音色の細やかな音の組み合わせは、精妙な感覚を有しています。これらの感覚は当初、微小なものであるのにも関わらず、曲の後半では、その光が拡大していき、最初に覆っていた暗闇をそのまばゆいばかりの光が覆い尽くしていくかのような神秘性に充ちている。

 

 「cyanotype memories」

  

 

 

続く「cyanotype memories」は、アルバムの序盤に訪れるハイライトとなるでしょう。実際に前曲の内在的なテーマがその真価を見せる。イントロの前衛的なシンセの音の配置の後、ロンドンの最前線のポピュラー・ミュージックの影響を反映させたダイナミックなフレーズへと移行していく。そして、アルバム序盤のゴシックともドゥームとも付かないアンニュイな感覚から離れ、温かみのあるポップスへとその音楽性は変化する。エレクトロニックとポップスを融合させた上で、大森はそれらをライリーを彷彿とさせるミニマリズムとして処理し、微細なマテリアルは次第に断続的なウェイブを作り、そしてそのウェイブを徐々に上昇させていき、曲の後半では、ほのかな温かみを帯びる切ないフレーズやボーカルラインが出現します。トラック制作の道のりをアーティストとともに歩み、ともに体感するような感覚は、聞き手の心に深く共鳴を与え、曲の最後のアンセミックな瞬間へと引き上げていくかのような感覚に充ちている。この曲にはシンガーソングライターとしての蓄積された経験が深く反映されていると言えます。 

 

 

 

#5「in limbo」では、テリー・ライリー(現在、日本/山梨に移住 お寺で少人数のワークショップを開催することもある)のシンセのミニマルな技法を癒やしに満ちたエレクトロニックに昇華しています。そこにはアーティストの最初期のクラシックへの親和性も見られ、バッハの『平均律クラヴィーア』の前奏曲に見受けられるミニマルな要素を現代の音楽家としてどのように解釈するかというテーマも見出される。平均律は元は音楽的な教育のために書かれた曲であるのですが、以前聞いたところによると、音楽大学を目指す学習者の癒やしのような意味を持つという。本来は、教材として制作されたものでありながら、音楽としての最高の楽しみが用意されている平均律と同じように、シンセの分散和音の連なりは正調の響きを有しています。素晴らしいと思うのは、自身のボーカルを加えることにより、その衒学性を衒うのではなく、音楽を一般的に開けたものにしていることです。前衛的なエレクトロニックと古典的なポップネスの融合は、前曲と同じように、聞き手に癒やしに充ちた感覚を与える。それはミニマルな構成が連なることで、アンビエントというジャンルに直結しているから。そして、それはループ的なサウンドではありながら、バリエーションの技法を駆使することにより、曲の後半でイントロとはまったく異なる広々とした空へ舞い上がるような開けた展開へとつながっています。

 

 

#6「epigraph…」では、アンビエントのトラックへと移行し、アルバムの序盤のゴシック/ドゥーム調のサウンドへと回帰する。考えようによっては、オープナーのヴァリエーションの意味を持っています。しかし、抽象的なアンビエントの中に導入されるボーカルのコラージュは、James Blakeの初期の作品に登場するボーカルのデモーニッシュな響きのイメージと重なる瞬間がある。そして最終的に、ミニマルな構成はアンビエントから、Sara Davachiの描くようなゴシック的なドローンを込めたシンセサイザー・ミュージックへと変遷を辿っていく。しかし、他曲と同じように制作者はスタイリッシュかつ聴きやすい曲に仕上げており、またアルバム全体として見たときに、オープニングと同様に効果的なエフェクトを及ぼしていることがわかるはずです。 

 

 

「foundation」



しかし、一瞬、目の前に現れたデモーニッシュなイメージは消えさり、#7「foundation」では、それと立ち代わりにギリシャ神話で描かれるような神話的な美しい世界が立ち現れる。安らいだボーカルを生かしたアンビエントですが、ボーカルラインの美麗さとシンセサイザーの演奏の巧みさは化学反応を起こし、エンジェリックな瞬間、あるいはそのイメージを呼び起こす。音楽的にはダウンテンポに近い抽象的なビートを好む印象のある制作者ではありながら、この曲では珍しくダブステップの複雑なリズム構成を取り入れ、それを最終的にエクスペリメンタルポップとして昇華しています。しかし、ここには、マンチェスターのAndy Stottと彼のピアノ教師であるAlison Skidmoreとのコラボレーション「Faith In Strangers」に見られるようなワイアードな和らぎと安らぎにあふれている。そして、それらの清涼感とアンニュイさを併せ持つ大森の歌声は、イントロからまったく想像も出来ない神々しさのある領域へとたどりつく。そして、それはダンスミュージックという制作者の得意とする形で昇華されている。背後のビートを強調しながら、ドライブ感のある展開へと導くソングライティングの素晴らしさはもちろん、ポップスとしてのメロディーの運びは、聞き手に至福の瞬間をもたらすに違いありません。

 

アルバムのイメージは曲ごとに変わり、レビュアーが、これと決めつけることを避けるかのようです。そしてゴシックやドゥームの要素とともに、ある種の面妖な雰囲気はこの後にも受け継がれる。続く、#8「in full bloom」では、アーティストのルーツであるクラシックの要素を元に、シンセサイザーとピアノの音色を組み合わせ、親しみやすいポピュラー音楽へと移行する。しかし、昨晩聴いて不思議だったのは、ミニマルな構成の中に、奇妙な哀感や切なさが漂っている。それはもしかすると、大森自身のボーカルがシンセと一体となり、ひとつの感情表現という形で完成されているがゆえなのかもしれません。途中、感情的な切なさは最高潮に達し、その後、意外にもその感覚はフラットなものに変化し、比較的落ち着いた感じでアウトロに続いていく。

 

 

前の曲もベストトラックのひとつですが、続く「a structure」はベストトラックを超えて壮絶としか言いようがありません。ここではファラオ・サンダースやフローティング・ポインツとの制作、そして青葉市子のライブサポートなどの経験が色濃く反映されている。ミニマル・ミュージックとしての集大成は、Final Fantasyのオープニングのテーマ曲を彷彿とさせるチップチューンの要素を絶妙に散りばめつつ、それをOneohtrix Point NeverやFloating Pointsの楽曲を思わせる壮大な電子音楽の交響曲という形に繋がっていく。本来、それは固定観念に過ぎないのだけれど、ジャンルという枠組みを制作者は取り払い、その中にポップス、クラシック、エレクトロニック・ダンス・ミュージック、それらすべてを混合し、本来、音楽には境目や境界が存在しないことを示し、多様性という概念の本質に迫っていく。特に、アウトロにかけての独創的な音の運びに、シンセサイザー奏者として、彼女がいかに傑出しているかが表されているのです。

 

アヴァンギャルドなエレクトロニックのアプローチを収めた「astral」については、シンセサイザーの音色としては説明しがたい部分もあります。これらのシンセサイザーの演奏が、それがソフトウェアによるのか、もしくはハードウェアによるのかまでは言及出来ません。しかし、Tone 2の「Gladiator 2」の音色を彷彿とさせる、近未来的なエレクトロニックの要素を散りばめ、従来のダンス・ミュージックやエレクトロニックというジャンルに革命を起こそうとしています。アンビエントのような抽象的な音像を主要な特徴としており、その中には奇妙なクールな雰囲気が漂っている。これはこのアーティストにしか出し得ない「味」とでも称すべきでしょう。

 

 

これらの深く濃密なテーマが織り交ぜられたアルバムは、いよいよほとんど序盤の収録曲からは想像もできない領域に差し掛かり、さらに深化していき、ある意味では真実性を反映した終盤部へと続いていきます。「an ode to your heart」では驚くべきことに、日本の環境音楽の先駆者、吉村弘が奏でたようなアンビエントの原初的な魅力に迫り、いよいよ「epilogue...」にたどり着く。ホメーロスの「イーリアス」、ダンテ・アリギエーリの「神曲」のような長大な叙事詩、そういった古典的かつ普遍性のある作品に触れた際にしか感じとることが難しい、圧倒されるような感覚は、エピローグで、クライマックスを迎える。海のゆらめきのようにやさしさのあるシンセサイザーのウェイブが、大森の歌声と重なり、それがワンネスになる時、心休まるような温かな瞬間が呼び覚まされる。その感覚は、クローズで、タイトル曲であり、コーダの役割を持つ「stillness,softness…」においても続きます。海の上で揺られるようなオーガニックな感覚は、アルバムのミステリアスな側面に対する重要なカウンターポイントを形成しています。

 

 

100/100

 

 

Hinako Omori(大森日向子)のニューアルバム「stillness,softness…」は、Houdstoothより発売中です。

 Wild Nothing  『Hold』 

Label: Captured Tracks

Release: 2023/10/28



Review


2010年に発表された『Gemini』からニューヨークのキャプチャード・トラックスの屋台骨となり、同レーベルの象徴的な存在として名を馳せてきたWild Nothing(ワイルド・ナッシング)こと、ジャック・テイタム。

 

デビュー時からの盟友とも称せるBeach Fossils(ビーチ・フォッシルズ)のジャスティン・ペイザーと同様に、ミュージシャンとしての道のりを歩む傍ら、家庭を持つに至り、人生における視野を広げ、新たな価値観を作りあげつつあるのを見ると、確実に十三年という時の流れを象徴づけている。5thアルバムは、ジェフ・スワン(キャロライン・ポラチェックやチャーリーXCXの作品を手掛ける)がミックスを担当。パンデミック時に書かれ、現代的な時代背景から「模索的で実存的な音楽になるのは必然だった」とレーベルのプレスリリースには明記されている。

 

デビュー当時の名曲「Golden Haze」(同名のEPに収録)の時代からインディーロックやシューゲイズ/ドリーム・ポップのポスト世代の担い手として日本国内でも紹介されてきたワイルド・ナッシングではありながら、プレスリリースでも言及されている通り、オルタネイトなロックのみが、このアーティストの音楽的なバックグランドを構築しているわけではないことは瞭然である。そして、ひとつこのアルバムを聴くとよく分かることがあるとするなら、シューゲイズ/ドリームポップと、ポスト世代で多くのバンドが追求してきた当該ジャンルの主要な要素であるメロディーの甘美さや陶酔感と併行して、ダンス・ミュージックからの強いフィードバックが、テイタムのオルタナティヴ・ロックサウンドの背後には鳴り響き、重要なバックボーンを形成していたという意外な事実である。さらに、「ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュに最も触発を受けた」とテイタム自身が説明している通り、彼がこの13年間を通じて、良質なポピュラー音楽から何かを掴み、それを一般的に親しめる曲としてアウトプットしてきたという事実を物語っている。つまり、表面上からは伺いしれないワイルド・ナッシングの本質的な音楽性にふれることが出来るという点に、本作の最大の魅力が反映されているのだ。デビュー時の派手な印象は薄れてはいるものの、一方、かなり聴き応えのある作品となっている。少なくとも、オルトロックファンとしては素通りできないレコードとなるかもしれない。おそらく、このアーティストの作品に幾度となく慣れ親しんできたリスナーにとどまらず、新たにワイルド・ナッシングの作品に触れようという方も、そのことを痛感いただけるものと思われる。

 

ファーストシングルとして公開された「Headlights On」は、ホルヘ・エルブレヒトやBeach Fossilsのトミー・デイヴィッドソン、ハッチーが参加し、「アシッド・ハウスに匹敵するベースグルーヴとブレイクビーツが特徴ではあるが、このクラブの雰囲気はミスディレクション」と記されている。テイタムはオープニング曲を通じて、バランスを取ることを念頭に置いており、背後のダンスビートの中にAOR/ソフト・ロックに象徴される軽やかで涼し気なサウンドを反映させる。表面的な印象に関しては、ダンスロックやシンセポップからのフィードバックを感じ取る場合もあるかもしれないが、同時にビリー・ジョエルのサウンドに関連付けられる良質なバラードやポップスにおけるソングライティングがグルーブの中に何気なく反映されている。モダンなトラックとしても楽しめるのはもちろんなのだが、往年の名バラードのような感じで聞き入る事も出来るはずだ。「Headlights On」は、いわば、キャッチーさと深みを併せ持つ音楽の面白みを凝縮させたシングルなのである。アルバムのイントロとも称すべき一曲目で、懐かしさと新しさの融合性を示した後、#2「Basement El Dorado」では、さらにユニークなダンス・ポップが続く。Dan Hartmanの「Dream About You」を思い起こさせる懐かしのシンセ・ポップを背後に、テイタムはそれとは別の彼らしいオリジナリティを発揮する。現在、ニューヨークでトレンドとなっているシンセ・ポップのモダンな解釈を交え、それらにHuman Leagueのような軽やかなノリを付加している。

 

こういった新鮮な音の方向性を選んだ後、#3「The Bodybuilder」では2010年のデビュー当時から続くドリームポップのメロディー性を踏襲し、新鮮な音楽性を開拓しようとしているように感じられる。メロディーの中にはSheeranのようなポップネスもあり、LAのPoolsideと同様にヨット・ロックからのフィードバックも感じとれる。リゾート的な気分を反映しつつも、Cocteau Twinsのような陶酔的なメロディーもその音の中に波のように揺らめいている。しかし、曲の途中からは雰囲気が一変し、マーチングのようなドラムビートを交えた聴き応えのあるギターロックへと移行していく。断片的なバンドサウンドとしての熱狂性を見せた後、クラブのクールダウンのような感じで、曲も落ち着いた印象のあるコーラスが続き、そして再び、サウンドのバランスを取りながら、それらの二つの音楽性を融合させ、メロディーとビートの両方の均衡を絶妙に保ち、曲はアウトロへと向かう。そのサウンドの中に一瞬生じるグルーブは旧来のワイルド・ナッシングの音楽とは別の何かが示されていると思う。

 

中盤でもダンスミュージックを意識したモダン/レトロのクロスオーバー・サウンドが続く。 「Suburban Solutions」でも、やはりドリーム・ポップの基礎的なサウンドを形成しているAOR/ソフト・ロックのサウンドからの影響を織り交ぜ、MTV時代のディスコサウンドに近いナンバーとして昇華している。こういったサウンドでは、旧来よりもエンターテイメント性に照準を絞っているという印象も受ける。実際に、そのことはアウトロでのコーラスワークに反映されており、単なる旋律の良さにとどまらず、清涼感を重視した意外性のあるナンバーとなっている。その後、「Presidio」でも同じように、比較的新しい試みがなされ、アンビエント/エレクトロニックの中間の安らいだ電子音楽を制作している。クオリティーの高さに照準を置くのではなくて、聴きやすさと安らぎに重点を置いているのに親近感を覚える。電子音楽ではありながら、シンセ音源のシンプルな配置を通じて、温かい感情が波のように緩やかに流れていく。こういった心がほんわかするような気分は、もちろん、次の曲でも健在だ。「Dial Tone」では日本のJ-POPの音楽性にも近い叙情的なインディーロック・サウンドが展開される。この曲もまた同様にローファイな感覚が生かされていて、欠点があることに最高の美点が潜んでいる。

 

 「Histrion」でもダンス・ミュージックとソフト・ロックが曲の核心を形成しているが、その中にはやはりオープニング曲と同じように現代的なポップネスが反映されており、彼が尊敬するガブリエルやケイト・ブッシュの良質なソングライティング性を継承し、それらをどのような形で次のポピュラー音楽に昇華するのかという試行をリアルなサウンドメイクにより示している。それはまだ完全に完成されたとは言えない。ところが、その中に何かきらめいた一瞬を見出せる。デペッシュ・モードを彷彿とさせるダンスビートを背に歌われるボーカルラインの節々に本質的な概念が現れ、きらびやかな印象を醸し出す。そのことをひときわ強く象徴づけるのが、アウトロにかけて導入されるダンスビートをバックに歌われるアンセミックなフレーズなのだ。

 

「Prima」では、アルバムのハイライト、象徴的な音楽性が表れている。言い換えれば、今までになかった次なる音楽が出現したという感じだ。ミステリアスな印象のあるシンセサイザーのシークエンスの中に、それらの抽象的な空間に向けて歌われるジャック・テイタムのボーカルに要注目である。和音的な枠組みの中にテイタムのボーカルのメロディーが対旋律のような効果を与える瞬間がある。従来のインディーロックという枠組みを離れて、まだ見ぬ未知の段階にアーティストが歩みを進めた瞬間でもある。レーベルのプレスリリースにも書かれている通り、ジャック・テイタムは、地球の温暖化や、その他、政治的な問題に無関心というわけではない。しかし、それらの考えを言葉でストレートに表現するのではなく、言葉の先にある音楽という形に落とし込んでいる。つまり咀嚼しているということなのだ。ワイルド・ナッシングの音楽に対する探究心は尽きることがないし、それは本作のクライマックスを飾る収録曲においても断続的に示されている。「Alex」では、親しみやすい良質なインディー・フォーク、「Little Chaos」ではエレクトロニック/アンビエント。クローズ曲は『Toto Ⅳ』に見いだせるような、爽やかな感じで、アルバムはさらりと終わる。

 

 

 

88/100

 


 

Pole

Sleaford Modsがダブ・テクノ・プロデューサー、Poleの楽曲を新たにリミックスした。このシングルはPoleの「Tempus Remix EP」に収録される。『Tempus Remix EP』は2023年11月24日にMuteから発売予定。


UKデュオは、2022年のアルバム『Tempus』に収録されたドイツ人プロデューサーのトラック「Stechmück」をリワークを手掛けた。

 

リミックスは、近日リリースされる『Tempus Remix EP』に収録される。下記よりご視聴下さい。アレッサンドロ・コルティーニとローズは、11月にリリースされる同リリースにもリミックスを提供している。


Sleaford ModsのAndrew Fearns(アンドリュー・ファーン)は声明の中で次のように述べている。 「ポールは素晴らしいプロデューサーだよ。彼とコラボレーションできることは、とても嬉しく光栄なことだ。僕は長い間ファンで、去年ロンドンのカフェOTOで彼がプレイするのを見たときは感動した」


 

Patricia Wolf/  Cassandra Croft

 

東京のプロデューサー、ausにとって、15年ぶりの復帰作となった新作アルバム『Everis』レビュー)のリミックス集をデジタルで10月27日にリリースすることを発表した。すでにパトリシア・ウルフのリミックスを中心に複数の先行シングルが公開となっている。多数のプロデューサーによるオリジナル曲とは一味異なるリミックスのニューバージョンをチェックしてみましょう。

 

Warp Recordsからトリップ・ホップ〜ポスト・ロックを橋渡しした先進的なバンド・サウンド、Massive Attack、Björk、The Prodigy、De La Soul、The FugeesをサポートしたRed Snapperを筆頭に、Metron Recordsからのリリースで知られる中国出身のサウンドアーティスト、Li Yilei。

 

デトロイト・テクノ第二世代の名プロデューサー、John Beltran、Doves、Peter Hook(Joy Division、New Order)のキーボード・プレイヤーとして活躍するRebelski、現代ジャズとミュージックコンクレートを融合させる”Gondwana Records”に所属する新世代ピアニスト、Hanakiv。


さらには、Depeche Mode、The Boo Radleysへのリミックスを提供した、Mo’ WaxのHeadz 2、Cup Of Teaのコンピレーションへの参加で知られるトリップ・ホップ幻の伝説、”Grantby”など、世代やジャンルを超えた強力なラインナップがausのリミックスに参加した。

 

 

Grantby

 

Li Yilei - Joan Low

 


 

Hanakiv

 

Rebelski

 

 

さらに、Lo Recordingsのオーナーにして、SeahawksのOcean Moon。Gondwana Recordsの人気グループ、Forgivenessのメンバー、JQ。アメリカ・オレゴンのPatricia Wolf。現行のアンビエント/ニューエイジ・シーンで注目を浴びる3組、日本からはデビュー作「In her dream」が各地で絶賛を浴びた”marucoporoporo”が、自身初のリミックスを披露する。


ストリングス、ピアノ、クラリネット、フルート、ドラムなど様々な楽器と声、エレクトロニクス、さらに、大量のフィールド・レコーディング、レコードのサンプルが含まれたオリジナル・アルバムの素材に新しい視点で光を与え、紐解いていく珠玉のリミックス集となっている。 

 

 

 

 

 

Celebrated for encompassing ideas plucked from disparate genres such as classical, spiritual jazz, indie, avant-garde and folk, Yasuhiko Fukuzono founded the internationally renowned FLAU record label in Japan in 2006. He has since gained worldwide attention as aus, through his skillful and delicate sound production, exquisitely combining cinematic strings and electronics with sounds from everyday life.
 
Being born and bred in Tokyo, the city is an indisputable reflection of the loud-and-quiet dynamics that permeate Fukuzono’s sound. With a passion for rediscovering and reinventing the very nature of sounds around him a palette of samples are merged and manipulated into a state of almost nonrecognition, including train station ticket gates; computer keyboards; airport runways; a brass band practising in a schoolyard and many other fragments of everyday life 
 
The original ‘Everis’ album was recorded following a major burglary at his home studio and label HQ, from which he lost his entire catalogue of completed and work-in-progress music. Fukuzono decided to create something away from the precarious confines of his PC and armed with only some basic stems salvaged from an audio/video installation project he had been working on with contemporary artist Karin Zwack, Fukuzono set about combining the long-existent melodies in his head with the video and remaining field recordings on his phone, in order to create musical synapses between memories which had remained unconnected.

 

 

 

 

aus 『Everis』‐ Remix 

 




アルバム発売日:2023年10月27日
フォーマット:DIGITAL
レーベル:Lo Recordings x FLAU

 

 

Tracklist:

 

1 Halsar Weiter
2 Landia (John Beltran Remix)
3 Past From (Rebelski Remix)
4 Steps (Li Yilei Remix)
5 Make Me Me (marucoporoporo Remix)
6 Flo (Red Snapper Rework)
7 Swim (Hanakiv Remix)
8 Memories (JQ Remix)
9 Further (Grantby Remix)
10 Neanic (Patricia Wolf Remix)
 

 

 

Buy(アルバムのご購入):

https://flau.bandcamp.com/album/revise-everis-remixed 

 

 

Streaming/Download(ストリーミング/ダウンロード):

https://aus.lnk.to/Revise 


 

マンチェスターのエレクトロニック・プロデューサー、Floating Pointsが新曲「Birth4000」を発表。シングルのジャケットワークは、日本人アーティストAkiko Nakayamaが手掛けています。昨年のシングルの音楽性とは異なるダンスフロアを意識したライブ感満載のテックハウス。

 

サム・シェパードは、近年では、ソロ作品の他、宇多田ヒカルの『Bad Mode』、偉大なサクソフォニスト、ファラオ・サンダースの遺作『Promises』にも共同制作者/プロデューサーとして参加しています。


2022年、四作のシングル「Someone Close」「Problems」「Grammar」「Vocoder」を発表している。確証はないものの、来年あたりにフルアルバムも期待出来るかもしれませんね。

 


「Birth4000」

 Ellen Arkbro『Sounds While Waiting』


 

Label: W25TH/ Superior Vladuct

Release: 2023/10/14



Review


スウェーデンの現代音楽家/実験音楽家、エレン・アルクブロ(Ellen Arkbro)は2019年に、パイプオルガンの音色を用いたシンセサイザーとギターのドローン音による和声法を対比的に構築した2015年のアルバム『CHORD』で同地のミュージック・シーンに台頭すると、続く、2017年の2ndアルバムでは、本格派の実験音楽に取り組むようになり、パイプオルガンとブラスを用いた「For Organ and Brass」を発表した。スウェーデンにはドローン音を制作する現代音楽家が数多い印象があるが、気鋭のドローン制作者として注目しておきたいアーティストである。


ドローン音楽といえば、いわば音楽大学で体系的な学習をした現代音楽家から、エレクトロニックを主戦場とするプロデューサー、そしてまったくそれらの枠組みには囚われないアウトサイダー・アートの範疇にある音楽家までを網羅しており、どのようなシーンから台頭してくるのかも定かではない。しかし、この音楽のテーマは、音響の変容であるとか、音響の可能性の追求にある。それは和音や単音の保続音が限界まで伸ばされた時、最初に出力される出発点となる音と、いわば終着点にある音がどのように変容するのかの壮大な実験である。一般的に考えてみると、音楽的な変奏(Variation)とはモチーフを断片的に組み替え、装飾音を付加することによって発生するものと定義付けられるが、これはバッハ、モーツアルト時代からの普遍的な作曲技法の主要な観点であった。これは、シェーンベルクが指摘するように、同じモチーフが何度も繰り返されると、観客が飽きてしまうからという単純明快な理由によるものである。これらのベートーベンのディアベリ変奏曲のような変奏の形式は、ながらく音楽家が忘却していたものであったが、それを例えばダンス・ミュージックの改革者たちや、現代音楽の作曲家たちが再び20世紀末に、その変奏の形式を現代の音楽の語法に取り入れようと試みるようになった。


ドローン音楽というのは、グラス、ライヒ、ライリー、イーノが20世紀を通じて構築したミニマル音楽の兄弟分にあるジャンルなのであり、モチーフの反復が飽きるという点を逆手に取り、あえて通奏低音を繰り返すプロセスの中で発生する倍音の効果を最大限に活かし、音楽そのものに変革をもたらそうという趣旨で行われる。これはまた音の最小化というのが顕著だった20世紀終わりの風潮とは逆の音を最大化する試みである。2020-30年代に新しい音楽が出てくるとすれば、このドローン音楽の系譜にある何かであると思われる。つまり、例えばタイムトラベラーが自分のところにやって来て、「2020年代の最新鋭の音楽は何なのか?」と問われれば、「ドローン音楽です」と、私は即答するよりほかないのである。20代のエレン・アルクブロのドローンミュージックは、同地のカリ・マローンに象徴される現代音楽や実験音楽の領域に属するものであることは確かなのであるが、アルクブロはこの保続音と倍音の形式に変革をもたらそうとしている。アルバムのアートワークにも象徴されるパターン芸術の手法が、中世のパイプオルガンを用いたドローン音の中に導入され、このアルバムに関しては、一曲目に音の「オン オフ」という新しい技法が取り入れられていることに注目したい。例えば、デジタル信号のように、コードやプログラム言語によって、別の場所にある装置に何らかの信号を送り、別の場所にある装置を稼働させ、そして何らかの動作を発生させたり停止するというものである。

 

さらにアルクブロのドローン音楽は、ポリフォーニーの保続音を限りなく伸ばすという点では、現行の主流派のドローン音楽と同様ではあるけれど、その保続音がランダムな手法で発生したり、消えたりを繰り返す。どの場所で生じるのか、あるいは、どの場所で消えるのか。それを予測するのは不可能だ。これはジョン・ケージがハーバード大学の無響音室、つまり発生される音が四壁に吸収されてしまう中での悟りの体験に比するものである。アレクルボのドローン音は有機物さながらに空間に揺動し、音波を形成する。しかし音響発生学としては、音が消えた瞬間にも、音は消えず、その後も残りつづける。音はランダムに発生し、消そうと思っても消すことが出来ないということである。また、自然発生的な音について考えてみると、よく分かる。

 

例えば、外を歩いていて、工事現場付近の側壁に、DECIBELを測る装置を見つけたとしよう。聴覚を澄ましたところ、何も自分の外側では、音がひとつも発生しているとは思えないにもかかわらず、DECIBELの数値が計測されているのを見たことはないだろうか。つまりそれは、人間の聴覚では感知できない音が存在しているが、それを一般的な聴覚では捉えることが出来なかったということである。また、音響の聴取としては、人間は年を取るとともに、聴覚が衰えるのは事実であり、若い時代に聞き取れていた音域の音が聞き取れないようになる。そして、アルクブロの録音が示唆しているのは、音楽をすべて聴いているという考えは迷妄や錯誤に過ぎず、私達はその一部分しか聴いていない、聴いている振りをしているに過ぎないというパラドックスを示唆している。また、高低の双方に超音域のHzのゾーンがあり、これはマスタリングをしたことがある方であればご理解いただけることだろう。それに加えて、中音域に音が集中すれば、音が密集している帯域の音は曇り、いずれかの音が掻き消えてしまうということになる。

 

つまり、日本の環境音楽家の先駆者である吉村弘さんが生前に指摘していた通りで、生物学的な聴覚には限界があるため、「無数の音楽の情報をキャッチすることは不可能である」ということである。そもそも、人間にはどうあっても聴きとることが出来ない音域や音像がある。しかし、反面、その聴き取れない音域に発生する音は、(たとえ普通の聴覚では認知できぬものであるとしても)音響の持つ印象に一定の変化を及ぼすということなのである。例えば、重低音域に何らかの音が発生していれば、「音楽そのものに重々しさがある」という印象に変わり、超高音域にある音が発生していれば、「音楽そのものに明るい印象がある」という感覚を持つ。これはケージが、ハーバード大学の無響音室の中で、外側の音が消えたため、自らの心臓の鼓動を感じた、という現象に似ている。別の音域にある音が消えると、別の音域にある音が立ち替わりに現れるということを、ケージは内的な感覚によって現象学的に証明してみせたのだった。もっと言えば、ケージが発見したのは、一般的な聴覚では認知出来ない帯域にある音である。

 

同様に、『Sounds While Waiting』のオープニングでは、「音は、その音を生じさせる有機体が存在するかぎり、音の実存を消し去ることは不可能である」という発見が示されている。「Changes」では、音響学の観点から、「音の発生と減退」というパターンを組み合わせ、音響の変容を及ぼそうとしている。マスタリングソフトをデスクトップに出すのが面倒なので、Hzの帯域に関しては確認してはいないが、このオープニングは、おそらく人間の聴覚では一般的に捉えることが出来ない超低音域をある音と、対極にある超高音域にある音が聞き手の印象を様変わりさせている。つまり、聴覚や音響発生学の観点から見た変化ということである。二、三の音のパターンが変化するに過ぎないのに、この曲には、それ以上の変容があるように感じる。

 

反対に、シンセサイザーで構成されるドローン音を収録した「Sculpture 1」は、むしろ変化と変容を徹底して拒絶するような音楽である。一定の音域にあるシンセサイザーの音が保続音として持続し、それが14分あまり続く。音楽というよりも断続的なモールス信号のようでもある。分割して聴くとわかるが、最初の音と最後の音は変化していない。けれども、これらの音の連続性の中には新しい発見がある。つまり、音楽という概念を客観視することは到底不可能であり、どこまでも主観的な印象を表面的に濾過したものに過ぎないということを表しているのかもしれず、また、音楽を認識させているのは、人間の聴覚からもたらされる固定概念に過ぎないという事実を示唆している。音は、ただ発生しているに過ぎず、それ以外の意味を持たない。有史以来、多くの音楽家は、音の連続や構成に何らかの印象性をもたらそうとしてきたが、それはある意味では、人間の脳にまつわる錯誤、及び、固定観念が累積したものでしかないことを暗示している。例えば、楽しい音楽というのは、何らかの蓄積された経験によってもたらされるし、また、悲しい音楽というのも同じように、以前に蓄積された経験によってもたらされる概念でしかない。そして、無機質な印象のあるこのトラックは、そういった固定概念や既成概念を覆すような意味を兼ね備えている。この点をどのように捉えるのかは受け手次第となる。

 

一方で、三曲目の「Leaving Dreaming」では、二曲目と同じようでいて、パイプオルガンの持続音の中に微細な変化がある。ある意味では、音の変化が乏しかった前曲とは裏腹に、そういった音の変化を覚知するために存在するようなトラックである。イントロから重厚なパイプオルガンのポリフォニーの手法により、ひとつずつ水平線上に音が付加されている。こういった作風として、ロシアの現代音楽家、Alexsander Knaifel(アレクサンダー・クナイフェル)が好んでオーケストラの形式や宗教的な合唱の形式に取り入れているが、 この曲の場合は、通奏低音をベースとして、音がひとつずつ主音を取り巻く装飾音のように付加されている。中世のバッハの宗教音楽の現代音楽としてのルネッサンスとも解釈出来る。ひとつの印象論に過ぎないが、曲の終盤では前2曲とは異なり、感情性のある和音構造の変化の瞬間を捉えることが出来る。 


続く「Untitled Rain」では、パイプオルガンの保続音を強調したドローン音楽という点では同じであるが、ニューヨークのパーカッション奏者、Eli Keszlerのようにパーカッシヴな観点からのミクロの構成をドローン音楽と組み合わせる。マクロな要素とミクロな要素を融合させているが、これらがアルバムの序盤における単調なイメージを後半部で一転させ、印象性を変化させる。


アルバムのクロージング・トラックであり、二曲目の変奏でもある「Sculpture Ⅱ」は、前者のポリフォニーの和音構成を組み替えたものに過ぎない。ところが、全体として聴いた時、全5曲の中の和音的な感覚の中に印象的なコントラストを形成する。それは実例では表現出来ず、どこまでも感覚的なものである。そして、この説明についても主観における印象性の変化を述べるに過ぎないが、制作者が音響やスコアを通じてコントロール下に置くのではなく、「受け手の印象性の変容によってもたらされるバリエーション」が示唆されているのが革新的だ。これらの曲には洗練される余地が残されているかもしれない。ともかく、スウェーデンのドローンミュージックのシーンの象徴的な若手ミュージシャンが台頭したと考えても良いのではないか。

 

 

86/100

 



 


PinkPantheress(ピンク・パンテレス)がデビュー・アルバム『Heaven Knows』を発表した。このアルバムは11月10日にワーナー・レコード/300エンタテインメントからリリースされ、ニューシングル「Capable of love」が先行発売される。


このアルバムについてピンク・パンテレスは次のように語っている。「地獄から煉獄への旅、でも私はそこにいてもいい」


シングルについて、彼女はこう付け加えた。「私の曲の中で、おそらく最もファン待望の曲をリリースできることに、驚きと感激でいっぱいです。この曲は、私がいつもやってみたかったジャンルに進もうとしていて、ここから始められて嬉しいわ」  


「Capable of love」



PinkPantheress  『Heaven Knows』

  Slauson Malone  『Excelsior』

 

Label: Warp

Release: 2023/10/6


Review 



最近、電子音楽/エレクトロニックの界隈を見ると、その要素が、全般的あるいは部分的に取り入れられるかに依らず、「コラージュ」の手法を図った音楽が多いという印象を受ける。例えば、先々週のローレル・ヘイローの『Atlus』は、かなり画期的なアルバムであり、今後の音楽シーンに強い影響をもたらす可能性がきわめて高い。このアルバムは、ワシントン・ポストでレビューで取り上げられたし、また、ロレイン・ジェイムスが「美しい作品」と形容していた。

 

「ミクロのマテリアルを組み合わせて、元の音楽を別の何かに再構成する」というのがコラージュの手法である。この制作法はプロセスを通じて、当初意図していたものとは異なる予期せぬ何かが出来上がる。自分の手を離れた時、また、言い換えれば、コントロール下を離れた時に、音楽というのは傑出したものに変化する。スティーヴ・ライヒやバシンスキーのようにラジオの録音を元にし、再構成するのか。はたまた、ウィルコの『Cousin』のプロディースを務めた、ケイト・ル・ボンのように、バンドのスタジオ録音を元に、何か別の意味合いを持つ構成に組み直すのか。考えられるだけでも、色々なコラージュの手法があり、未知の可能性がある。

 

ライセンス的には、オリジナルのものなのか、元あるものを再構成したものなのか、という点は重要視されることは避けられないが、リスナーにとっては、その音楽の大本が何によって構成されているのかは大して重要ではない。一般的な聞き手としては、完成されたものを聴くので、そのプロセスはどうしても第二義的な要素となる。ともあれ、過去は、ヒップホップのサンプリングという手法で親しまれ、また、モダン・アートの一般的な形式でもある「コラージュ」という形式、つまり、別のものをランダムに組み合わせて、新しいものを作り出すというスタイルは、今後、電子音楽にとどまらず、 ロックやヒップホップに頻繁に使用されていくかもしれない。少なくともこれは、「ローファイ」というジャンルの進化系が示されているのである。

 

Slauson Malone 1の『Excelsior』でもコラージュの手法が部分的に示されている。近年、ロサンゼルスに移住したというスラウソーン・マローンによる6作目のアルバム。プレスリリースでは「エッセイのような作品として組み上げられている」と説明されている。本作は、Oneohtrix Point Neverが『AGAIN』で示された個人的な思索や、Jayda Gの『GUY』で示された父祖の時代の出来事を描いた文学的な意味を持つ構成をR&Bやハウスとして昇華させた作品に近似するものがある。上記の作品は、表向きに現れる成果がどうであれ、現代の音楽の強い触発を与え、一定の影響を及ぼす可能性が高い。未だミステリアスな印象のあるスラウソン・マローンの作品も、エレクトロニックの位置づけにありながら、本来別のリベラルアーツに属し、また、その表現方法が音楽が最適解とは言いがたいものを、あえて音楽の形式として昇華しているのである。そしてエッセイ的な叙述は断片的に組み合わせたコラージュの要素により示唆されている。


今回、曲数が多いため、Track By Trackは遠慮させていただきたいが、このアルバムには無数の音楽的な要素がひしめいていることがわかる。ヒップホップのドリルや、Caribouのようなグリッチ/ミニマル、ハウス、ネオソウル、ダブ/ダブステップ、アヴァン・ポップ、ボーカルのコラージュ、モダン・クラシカル、インディーロック/フォーク、ジャズ。広汎なマテリアルを吸収し、前衛的な音楽が作り出された。根幹にあるのは電子音楽ではありながら、多様な音楽の要素を散りばめて、一定の音楽のジャンルに規定されない前衛的なスタイルが生み出されている。

 

電子音楽の側面では、エイフェックス・ツインのようなミクロなビートを生かした曲もあれば、スクエアプッシャーのようなパーカッシヴな観点から生のジャズ・ドラムやベースを電子音楽として再構成した曲もあり、この点はワープ・レコードのアーティストらしい。音楽性の多彩さに関しては、Kassa Overallの最新作を彷彿とさせる。しかし、スラウソン・マローンの音楽的な感性の中には落ち着きと重々しさがある。一見、散漫な印象を与えかねない無尽蔵の音のマテリアルのコラージュをもとにした電子音楽は、比較的纏まりのある作品として提示されている。

 

数えきれない音楽性の中には、Alva Notoを思わせる精彩な電子音楽も「Undercommons」に見いだせる。他にも、モダンジャズと電子音楽を絡めた「Olde Joy」では、ヒップホップやネオソウルを風味をまぶし、前衛的な形式に昇華している。また、「New Joy」では、ジェフ・パーカーが好むようなジャズと電子音楽の融合を探求している。Gaster Del Solのようなアヴァン・フォークをネオソウルから捉え直した「Arms, Armor」も個性的な印象を残す。ボーカルをコラージュ的な手法で昇華した「Fission For Drums, Pianos & Voice」は、アヴァン・ジャズの性質を部分的に織り交ぜている。「Love Letter zzz」も同じように、チェロの演奏とスポークンワードを掛け合わせ、画期的な作風を生み出している。これらの無尽蔵な音楽性には白旗を振るよりほかない。

 

『Excelsior』の中盤の収録曲には冗長さがあるものの、 終盤に至ると、静謐な印象に彩られた作風がクールな雰囲気を醸し出している。「Destroyer x」は、エヴァンスのような高級感のある古典的なジャズ・ピアノの雰囲気を留めている。「Voyager」は、インディーフォークと電子音楽を掛け合せ、安らいだイメージが漂う。「Decades,Castle Romeo」では、ジェフ・パーカー、ジム・オルークに近い、先鋭的な作風を示している。クローズ曲「Us(Towar of Love)」では、アコースティックギターの弾き語りによって、インディーフォークの進化系を示している。この曲のスラウソン・マローンのアンニュイなボーカルは、バイオリンの演奏に溶け込むようにし、メロウな瞬間を呼び起こし、アルバムを聞き終えた後、じんわりとした余韻を残す。

 

Slauson Malone 1のアルバム『Excelsior』は、革新的な手法が各所に取り入れられながらも、全般的に切なさを中心としたエモーションが漂っている。こういった情感豊かな電子音楽やフォーク、ネオソウルやラップの混合体が今後どのように洗練されていくのか楽しみにしていきたい。 

 

80/100

 

 

 

「New Joy」

 Akumi 『Lines』

 

Label: Total Union

Release: 2023/10/6


Review


先日、ロンドンのレーベルのオーナーから連絡が入り、ぜひレビューをしてもらいたいというご要望をいただきました。その手始めとして、フランス出身、現在、ロンドンを拠点に活動する実験音楽家、Akumi(パスカル・ビドー)の新作アルバム『Lines』を読者の皆様にご紹介したいと思います。

 

ロンドンの自宅スタジオで全曲録音されたこの作品について、Akumiこと、パスカル・ビドーは次のように語っている。「もう少し水平的でアンビエントな感じで、点線か直線かわからないような線を何層にも重ね、それを展開させながら、その線が私をどこに連れて行くかを見てみたかった」

 

このアルバムは、アルトサックス、クラリネット、ピアノの演奏を中心に徹底したミニマリズムと点描主義が貫かれている。またアートワークからも伺えるように、パターン芸術のようなコンセプトが作品全体に散りばめられて、インテリアのような趣のあるスタイリッシュな音楽が出来上がった。


オープニング「Secant」では、ピアノの演奏を通じて、ミニマリズムの極致を表現し、そしてさらに、このアルバム全体のコンセプトでもあるスティーヴ・ライヒへのオマージュをパスカル・ビドーは示そうとしている。ピアノとクラリネット、アルトサックスという組み合わせは、既にECMから発表されたライヒの『Octet Music For A Large Ensemble」で示された前衛音楽の作風である。しかし、これらのオマージュは、アルトサックスのリズムと、クラリネットのレガートという微細な点まで網羅しているが、その中にマニュエル・ゲッチングのような電子音楽の要素が加わることで、新鮮な印象をもたらす瞬間もある。そしてこの電子音の要素は、やがてパルス音のような形式へと変化する。現代音楽としても電子音楽としても楽しめる。


同じようにアルトサックスのリズムの要素を強調する二曲目「Oblique」でも、スティーヴ・ライヒのミニマリズムを継承しているが、パスカル・ビドーは、のちのミニマル・ミュージックが見落としていたジャズの要素を反映させて、清新な作風を追求している。そして一曲目と同様にゲッチングのテクノのパルス音を組み合わせ、ミクロな電子音楽へと変容していく。そしてそのパルス音はやがてクラスター音のように音像を変えていき、短い楽曲の中で印象が面白いように変わっていく過程を捉えることが出来る。やがて、曲の後半部では、ピアノの奥行きのある演奏が加わることにより、この実験音楽はある種の美麗な瞬間を出現させるのである。

 

上記2曲で一貫したミニマリズムを表現しているパスカル・ビドーではあるが、前曲の連曲である三曲目「Oblique」は少しだけ作風が異なり、パターン芸術とは別のインプロヴァイゼーションの面白みを追求している。前曲のパルス音/クラスター音の余韻を巧みに活かし、アンビエントに近い印象のある音楽を変奏的な手法で示している。その中に、アヴァン・ジャズの影響を加味した木管楽器のトリルを加えることで、空間芸術のようなテクノ/アンビエントの領域へと移行していく。その複数の楽器や電子音が織りなすシークエンスを背後にし、クラリネットの響きがソリストのような働きをもたらすことによって、前衛的な音像空間を生み出している。前の2曲と同様に断続的な音響の変化という点に焦点が絞られていることは疑いないが、しかし、それはより自由性の高い寛いだ印象のある音楽性がしめされていることが理解出来る。

 

四曲目「Parallel」でも、アンビエントに近い癒やしと安らいだ印象のある楽曲が続く。そして上品なピアノやクラリネットの演奏を交え、温かみのある音像を生み出している。オーケストラ楽器の演奏は稀に前衛的な奏法も取り入れられているが、それらの前衛性を安らいだ感じのピアノの優しげな響きが包み込む。何かこの複数の楽器によりもたらされる音像空間に身を任せていたいと思わせるような一曲である。時に、クラリネットの演奏は抽象的な概念に限らず、具象的な何か、心安らぐ風景や温かな情景を巧みにその音の中に映し出し、聞き手の心を捉える。アヴァンギャルドな方向性を取りながらも、その中には人間味溢れる温かさが漂っている。

 

五曲目「Tangent」では再び、スティーヴ・ライヒやのミニマリズムの手法に回帰している。冒頭の2曲とは異なり、ライヒがエレクトリック・ギターという観点からミニマリズムを探求した画期的な作品『Electric Counterpoint』の作曲技法を踏襲している。ミクロの音の要素が所狭しと敷き詰められているが、そのパターン的な印象性を変化させるのがベース音だ。表面的なフレーズは反復に過ぎないけれど、高音部と対比的に導入される低音部の迫力ある響きが全く違う印象を及ぼす。 この曲で示されているのは、バッハからライヒ、グラス、ライリーまで継承されている現代音楽におけるカウンター・ポイント(対旋律)の未知なる技法である。

 

ヴァイナル・バージョンには続いて2曲が収録されている。「Oblique」の長尺バージョンである「Oblique (Exclusive)」に加えて、「Longing For Tomorrow」が収録されている。そしてこのアルバムの中では最も着想性と想像性に溢れる一曲として聞き逃すことが出来ない。特に、後者の楽曲は、笙のような音色と、マニュエル・ゲッチングの前衛的な響きを重ね、独特な音響性を生み出している。さらに曲調はやがて中盤では、ロンドンのエレクトロニック・デュオであるMarmoの音楽を彷彿とさせるアヴァンギャルドなテクノへと転化する瞬間が留められている。最終的に、この曲はIDMの領域を離れて、EDMのライブセットを思わせるフロアのダンスミュージックへと劇的に変化する。『Lines』は、ミニマリズムを中心として作風では有りながら、同時に、電子音楽家のファンの好奇心を十分に掻き立てる素晴らしい内容となっている。 

 

 

 

 

 

 

88/100 

 

 

 In English--


We were recently contacted by the owner of a London-based label and asked us to do a review for them. As a start, we would like to introduce to our readers the new album "Lines" by Akumi (Pascal Bideau), a French-born experimental musician currently based in London.

Recorded entirely at his home studio in London, "Pascal Bideau", aka "Akumi", describes the album as follows: "It's a bit more horizontal, more ambient. I wanted it to be a little more horizontal and ambient, with layers of lines that I don't know if they are dotted lines or straight lines, and I wanted to let them unfold and see where they would take me."
 

The album is thoroughly minimalist and pointillist, with alto saxophone, clarinet, and piano playing at its core. Also, as the artwork suggests, the concept of pattern art is scattered throughout the work, creating a stylish music with the quaintness of an interior.


In the opening track, "Secant," Pascal Bideau attempts to pay homage to Steve Reich through the piano, the ultimate expression of minimalism, and also the concept of the entire album. The combination of piano, clarinet, and alto saxophone is in the style of the avant-garde music already presented in Reich's "Octet:Music For A Large Ensemble," released on ECM Records. However, while these homages cover the minute details of alto saxophone rhythm and clarinet legato, there are moments when the addition of electronic music elements, such as Manuel Göttsching, bring a fresh impression. And this electronic sound element eventually transforms into a pulsing form of sound. It can be enjoyed as both contemporary music and electronic music.

The second track, "Oblique," which similarly emphasizes the alto saxophone rhythmic element, continues Steve Reich's minimalism, but Pascal Bideau pursues a fresh style by reflecting elements of jazz that were overlooked by later minimal music. Then, as in the first track, he combines the pulsing sounds of Göttsching,' techno and transforms it into a micro electronic music. The pulsing sound eventually changes its sound image like a clustered sound, and the listener can capture the process of the interesting change of impression in the short piece. Eventually, in the latter part of the piece, the piano adds depth to the piece, and this experimental music emerges as a kind of beautiful moment.

Although Pascal Bideau expresses a consistent minimalism in the above two pieces, the third piece, "Oblique," which is a series of the previous pieces, has a slightly different style and pursues the interest of improvisation, which is different from pattern art. It skillfully utilizes the lingering pulse/cluster sounds of the previous piece to present music with an almost ambient impression in a variant manner. The addition of woodwind trills, which add an Avant-jazz influence, moves the piece into the techno/ambient realm of space art. With its multiple instruments and electronic sound sequences behind it, the clarinet's resonance brings a soloist-like function to the piece, creating an avant-garde sonic space. Like the previous two pieces, there is no doubt that the focus is on intermittent sonic changes, but it can be understood that the music has a freer and more relaxed impression. 

 

The fourth track, "Parallel," also continues with a soothing and restful, almost ambient impression. It is then interspersed with elegant piano and clarinet playing, creating a warm and welcoming soundscape. The orchestral instruments play with some avant-garde techniques, but these avant-garde elements are enveloped by the gentle sounds of the piano, which seems to be at ease. This is a piece that makes one want to lose oneself in the soundscape created by the multiple instruments. At times, the clarinet's performance is not limited to abstract concepts, but it skillfully projects something concrete, a comforting landscape or a warm scene in its sound, capturing the listener's heart. While taking an avant-garde direction, there is a humanistic warmth in the music.

The fifth track, "Tangent," once again returns to the minimalist approach of Steve Reich and others. Unlike the first two tracks, it follows the compositional techniques of "Electric Counterpoint," Reich's groundbreaking exploration of minimalism from the perspective of the electric guitar. Microscopic sound elements are laid down in many places, but it is the bass sound that changes the patterned impressionistic nature of the music. The superficial phrases are merely repetitive, but the powerful sound of the bass part, introduced in contrast to the treble part, creates a completely different impression. What this piece demonstrates is the unknown technique of counterpoint in contemporary music, which has been inherited from Bach to Reich, Glass, and Riley.


The vinyl version includes two more pieces. The vinyl version is followed by two more songs: "Oblique (Exclusive)," a longer version of "Oblique," and "Longing For Tomorrow. And it is one of the most imaginative and imaginative songs on the album that cannot be missed. The latter piece, in particular, layers sho-like tones with Manuel Göttsching avant-garde sound, creating a unique acoustic quality. Furthermore, there are moments in the middle of the song where the tune eventually turns into avant-garde techno, reminiscent of the music of London electronic duo "Marmo". Ultimately, the song leaves the realm of IDM and dramatically transforms into dance music for the floor, reminiscent of a live EDM set. ''Lines" is an excellent listen, with a style centered on minimalism, but at the same time, enough to pique the curiosity of fans of electronic music.


ベルリンを拠点に活動する日本人アーティスト、Tetsumasaが新作EP『Lots of Questions』のリリースを発表しました。MVや先行シングルは発売日当日解禁とのことです。下記よりアートワークと収録曲をチェックしてみて下さい。

 

Tetsumasaは名古屋市出身の日本のエレクトロニック・プロデューサー、DJ、シンガー/ラッパー。Downtempo、Hip Hop、House、Dub、Bass Music全般に深い影響を受け、2016年よりベルリンを拠点に活動中。類似アーティストは、Yaeji, 박혜진 Park Hye Jin, BABii, Sassy009, Moderat.が挙げられている。


Tetsumasaは、2000年代には別名義の”Dececly Bitte”としてU-cover、Sublime Porte、AUN Muteや+MUS等、ヨーロッパ/日本のレーベルから、ダブ/テクノ/アンビエント等の音響作品を発表してきた。その後、”Tetsumasa”名義で活動を開始し、実験的な電子音楽の作品 『ASA EP (vinyl)”』、『Obake EP (cassette)』をリリースしました。Urban Spree for Libel Null Berlin、Griessmühle (Berlin)、OHM Berlin、ATOM Festival (ウクライナ) などでもライブセットでプレイしている。

 

Tetsumasaの新作『Lots Of Questions』は、2023年11月2日木曜日に発売予定。神秘的な音の迷宮に足を踏み入れ、Tetsumasaは幅広い影響力を活かした電子サウンドの折衷的な融合を提供する。



「Moment in Berlin」で始まるこのトラックは、暗く謎めいた低音と突き刺すような明快な瞬間を融合させた実験的なサウンドスケープにリスナーを引き込む。それはベルリンの霧の夜の感覚を呼び起こし、そこでは何でも可能であるように見えるが、実のところは明確なものは何もない。



より内省的な「Lots Of Questions」は、ミニマリズムの痕跡を呼び起こしながらも、親しみやすくも独特なTetsumasaの雰囲気を醸し出している。 あたかもアーティストがあなたを、ささやき声の会話と反響する思考で満たされた薄暗い部屋に招待したかのようである。


 

「Leave Now」はTetsumasaの心の奥深くに突き刺さる曲。抽象的なシンセの組み合わせの深さを掘り下げて、リスナーに別世界のサウンドスケープを思い出させる要素を組み合わせた。



一瞬、親近感を覚える瞬間もあるが、『Lots Of Questions』は本質的には自己探求の旅。それはすべて音楽の曖昧さによる美しさ。 Tetsumasaの世界では、答えよりも質問が強力で、目的地よりも旅が重要である。 

 

 


Tetsumasa's new release, "Lots Of Questions," is set to land on Thursday, November 2, 2023. Venturing into the mysterious labyrinth of sound, Tetsumasa offers an eclectic fusion of electronic sounds, drawing on a broad spectrum of influences.

Starting off with "Moment In Berlin", the track immerses listeners in an experimental soundscape, blending dark, enigmatic undertones with moments of piercing clarity. It evokes the feeling of a foggy night in Berlin, where anything seems possible but nothing is quite clear.

The more introspective "Lots Of Questions" beckons with traces of minimalism yet exuding a familiar yet uniquely Tetsumasa vibe. It's as if the artist has invited you into a dimly lit room, filled with whispered conversations and echoing thoughts.

Finally, "Leave Now" is the deepest plunge into Tetsumasa's mind. A track that delves into the depths of abstract synth combinations, combining elements that may remind listeners of the otherworldly soundscapes.

While there are fleeting moments of familiarity, "Lots Of Questions" is, at its core, a journey of self-exploration. it is all about the beauty of musical ambiguity. Let Tetsumasa guide you through his universe - one where questions are more potent than answers, and the journey is more important than the destination.



Tetsumasa 『Lots Of Questions』 EP


Tracklist:

1. Moment In Berlin
2. Lots Of Questions
3. Leave Now



Pre-order(先行予約):

 

https://linktr.ee/tetsumasa 

 Oneohtrix Point Never 『Again』

 

 

Label: Warp

Release: 2023/9/29


Review

 

イギリスのOneohtrix Point Neverこと、ダニエル・ロパティンの2年振りのアルバムは、「思索的な自伝」と銘打たれている。


Boards Of Canada、Aphex Twin、Squarepusher、Autechreと並んで、ワープ・レコードの代表的なアーティストで、レーベルの知名度の普及に貢献を果たした。


表向きには、ダニエル・ロパティンはアンビエントのアーティストとして紹介される場合もあるが、印象的には、オウテカのようにノンリズムや無調、ノイズのアプローチを取り入れ、電子音楽という枠組みにとらわれず、前衛音楽の可能性を絶えず追求してきた素晴らしい音楽家である。


今回のアルバム、「よく分からなかった」という一般的な意見も見受けられた。もしかすると、ダニエル・ロパティの『Again』は分かるために聴くという感じでもなく、また、旧来のジャンルに当てはめて聴くという感じでもないかもしれない。ランタイムは、54分以上にも及び、電子音楽による長大な叙事詩、もしくは、エレクトロニックによる交響曲といった壮絶な作品である。


実際に、畑違いにも関わらず、交響曲と称する必要があるのは、すべてではないにせよ、ストリングの重厚な演奏を取り入れ、電子音楽とオーケストラの融合を図っている曲が複数収録されているからだ。また、旧来の作品と同様、ボーカルのコラージュ(時には、YAMAHAのボーカロイドのようなボーカルの録音)を多角的に配し、武満徹と湯浅譲二が「実験工房」で制作していたテープ音楽「愛」「空」「鳥」等の実験音楽群の前衛性に接近したり、さらに、スティーヴ・ライヒの『Different Trains/ Electric Counterpoint』の作品に見受けられる語りのサンプリングを導入したりと、コラージュの手法を介して電子音楽の構成の中にミニマリズムとして取り入れる場合もある。


さらに、ジョン・ケージの「Chance Operation」やイーノ/ボウイの「Oblique Strategy」における偶然性を取り入れた音楽の手法を取る時もある。Kraftwerkの「Autobahn」の時代のジャーマン・テクノに近い深遠な電子音楽があるかと思えば、Jimi Hendrix、Led Zeppelinのようなワイト島のロック・フェスティヴァルで鳴り響いた長大なストーリー性を持つハードロックを電子音楽という形で再構成した曲まで、ジャンルレスで無数の音楽の記憶が本作には組み込まれている。そう、これはアーティストによる個人的な思索であるとともに、音楽そのものの記憶なのかもしれない。

 

一曲の構成についても、一定のビートの中で音のミクロな要素を組み立てていくのではなく、ノンリズムを織り交ぜながら変奏的な展開力を見せる。ビートを内包したミニマル・テクノが現れたかと思えば、それと入れ替わるようにして、リズムという観念が希薄な抽象的なドローン/アンビエントが出現する。そして、聞き手がそのドローンやアンビエントを認識した瞬間、音楽性をすぐに変容させて、一瞬にして、まったく別のアプローチへと移行する。良く言えば、流動的であり、悪く言えば、無節操とも解釈出来る「脱構築の音楽」をロパティンは組み上げようとしている。建築学的に言えば、「ポスト・モダニズムの電子音楽」という見方が妥当なのかもしれない。ロパティンは、構造性や反復性を徹底して排除し、ある一定のスタイルに止まることを作品全体を通じて、忌避し、疎んじてさえいる。それに加えて、曲の中において自己模倣に走ることを自らに禁じている。これは、とてもストイックなアルバムなのだ。

 

平均的な創造性をもとに音源制作を行う制作者にとっては、それほどクリエイティビティを掻き立てられないようなシンプルきわまりないシンセの基礎的な音源も、ダニエル・ロパティンという名工の手に掛かるや否や、驚愕すべきことに、優れた素材に変化してしまう。オーケストラのストリングスの録音とボーカルのコラージュを除けば、ロパティンが使用しているMIDI音源というのは、作曲ソフトやDTMの最初から備わっているシンプルで飾り気のない音源ばかり。

 

しかし、偉大な音の魔術師、ロパティンは、パン・フルート、シンセ・リード、シークエンス、アルペジエーター、エレクトリック・ピアノ、そういった標準的なシンセの音源を駆使して、最終的にはアントニオ・ガウディの建築群さながらに荘厳で、いかなる人も圧倒させる長大な電子音楽のモニュメントを構築してしまう。おそらく、この世の大多数の電子音楽の制作者は、ロパティンと同じ様な音源を所有していたとしても、また、同じ様な制作環境に恵まれたとしても、こういったアルバムを書き上げることは至難の業となるだろう。微細なマテリアルを一つずつ配し、リズムをゼロから独力で作り出し、彼はほとんど手作業で精密模型のような電子音楽を丹念に積み上げていく。そこに近道はない。アルバムの制作には、気の遠くなるような時間が費やされたことが予測出来る。そして驚くべきことに、そういったものはなべて、アーティストの電子音楽に対する情熱のみによって突き動かされ、オープニング「Elsewhere」からクローズ「A Barely Lit Path」に至るまで、その熱情がいっかな途切れることがないのだ。

 

このアルバムには、モダン・オーケストラ、ミニマル・ミュージック、プログレッシヴ・テクノ、ノンリズムを織り交ぜた前衛的なテクノ、アンビエント/ドローン、ノイズ、ロック的な性質を持つ曲に至るまで、アーティストが知りうる音楽すべてが示されている。アルバムのオープニングとエンディングを飾る「Elsewhere」、「A Barely Lit Path」は、Clarkが『Playground In A Lake』で示した近年の電子音楽として主流になりつつあるオーケストラとの融合を図っている。

 

これらのアルバムの主要なイメージを形成する曲を通じて、制作者は、従来の音楽的な観念の殻を破り、現代音楽の領域へと果敢に挑戦し、ダンス・ミュージック=電子音楽という固定観念からエレクトロニックを開放させ、IDMの未知の可能性を示している。「World Outside」、「Plastic Antique」では、ノイズ・ミュージックとミニマル・テクノの中間にある難解なアプローチを図っている。他方、比較的、取っ付きやすい曲も収録されている。「Gray Subviolet」では、ゲーム音楽が示した手法ーーレトロな電子音楽とクラシックの融合ーーに焦点を当て、RPGのサントラのような印象を擁する作風に挑む。ゲームミュージック的な手法は、ボーカル・コラージュとチップ・チューンを融合させた「Again」にも見いだせる。彼は、8ビットの電子音を駆使し、レトロとモダンのイメージの中間にある奇妙なイメージを引き出そうとしている。


その他にも、同レーベルに所属する”Biblo”のような叙情的なテクノ・ミュージックを踏襲した曲も聞き逃すことは出来ない。「Krumville」、「Memories of Music」では、電子音楽のAI的な印象とは別のエモーショナルなテクノを制作している。電子音楽というのが必ずしも、人工的な印象のみを打ち出したものではないことを理解していただけるはず。 他にも、ボーカル・アートの領域を追求した「The Body Train」では、スティーヴ・ライヒのミニマリズムとボーカルのコラージュを踏襲し、電子音楽という切り口から現代音楽の可能性に挑んでいる。カール・シュトックハウゼンが夢見た電子音楽の未来に対するロパティンの答えが示されていると言えそうだ。


さらに、ロック・ミュージックをテックハウスから解釈した曲も収録されている。とりわけ、「On An Axis」では、リズム・トラックにギターの演奏を交え、ケミカル・ブラザーズ、プライマル・スクリームが志向したようなダンスとロックのシンプルな融合性が示されている。最終的には、ロパティンの音楽性の一つの要素であるノイズが加味されることで、ポスト・ロックのような展開性を呼び起こす。


他にも、Clarkが『Body Riddle』の時代に試行した、ロックとテクノを融合させ、ある種の熱狂性を呼び起こそうという、90年代のテクノが熱かった時代の手法を「Nightmare Paint」に見いだせすことができる。ここでは、静と動を交え、緩急のあるテクノを作り出している。こういった旧来の手法一つをとっても、曲そのものから只ならぬ熱狂性が感じられるのは、制作者が受け手と同じか、それ以上の熱情を持ってトラックの制作に取り組んでいるからに違いない。つまり、制作者が徹底して熱狂しなければ、潜在的な聞き手を熱狂させることは難しいのである。

 

 

こういった無数の数限りない音楽ジャンルや手法が複雑に絡み合いながら、電子音楽の一大的な構成は、サグラダ・ファミリアの建築物のような神聖な印象を相携えながら、アルバムのサブストーリーを形成している。そして、音楽の印象を絶えず変化させながら、アルバムはクライマックスに至る。


「Memories of Music」は、叙情的なイントロから始まり、ハードロックのような音楽性へと変化する。そして、その中にはシンセのギターリードの演奏を交え、ギター・ヒーロに対するリスペクトが示されている。また、70年代のジャーマン・テクノへの愛着も、長大なストーリー性を持つ電子音楽に副次的に組み込まれている。そして、圧倒的な電子音楽の創造性は、終盤で花開く。アンビエントとテクノの中間点に位置する「Ubiquity Road」では、古典的なアプローチや音色を選び、ストーリー性を擁する電子音楽の理想形を示している。さらに、アルペジエーターを駆使したミニマル・テクノ「A Barely Lit Path」は、わずかに神聖な感覚を宿している。

 

このアルバム『Again』を聞き終えた頃には、プレスリリースに違わず、ダニエル・ロパンティンの長大な個人的な思索を追体験したような気がし、また、同じように、広大な電子音楽の叙事詩を体験したような不思議な達成感を覚えてしまう。少なくとも、難解なリズム、構成、着想を併せ持つ本作ではあるが、これらの音楽には、「未来への希望」という明るいイデアを部分的に感じとることが出来る。希望というのは何なのか。それは、次にやってくる未知なるものに対し、漠然と心湧き立つような期待感を覚えるということ。電子音楽としては、極めて前衛的でありながら、気持ちが晴れやかになってくる稀有な作品の一つだ。これもまた、長きにわたり、ワープ・レコードというダンス・ミュージックの本丸を支えてきたアーティストの矜持にも似た思いが、こういった長大かつ聴き応え十分のアルバムを生み出したのかもしれない。

 

 

88/100

 


「Ubiquity Road」

Loraine James 『Gentle Confrontation』 

 

 

 

Label: Hyper Dub

Release: 2023/9/22

 



Review


「James」という名のエレクトロニック・プロデューサーに外れなし。イギリス/エンフィールド出身の若きプロデューサー、ロレイン・ジェイムスの五作目のアルバム『Gentle Cofrontation』はシネマティックなシンセのテクスチャーを交え、ブレイクビーツ、ラップ、グリッチ、ソウル、ダブ・ステップを軽快にクロスオーバーしている。今週の要注目のアルバムとしてご紹介しておきたい。

 

タイトル曲は、シネマティックなシンセのシークエンスから始まり、ミニマル・グリッチのコアなアプローチを展開させる。 ボーカル・テクスチャーを交えた変幻自在のブレイクビーツは一聴の価値あり。UKドリルのビートを孕んだリズムは、ボーカルのコラージュを交え、リスナーを幻惑へと呼び込む。稀にリズムトラックの中に挿入されるボーカルは、会話のような形式となり、単なるエレクトロニック・ミュージックというよりも、ラップに近い意味を帯びる。オープニングの曲中には、ミステリアスな雰囲気のあるアーティストの魅力が凝縮されている。続く「2003」は、実験的な電子音楽で、ボーカルのコラージュをノイズ的なシンセと絡め、ボーカルトラックへと繋がっていく。ジェイムスのボーカルは、ソウルのような渋さがあるが、前衛的なコラージュをもとにしたエレクトロニックがメロウさを上手く引き出している。

 

KeiyaA をゲストボーカルに招いた「Let U Go」は、グリッチとポップスを劇的に融合させている。トラックメイクの刺激性も魅力なのだが、グリッチを背景にメロウなボーカルを披露するKeiyaAのボーカル、また、そのリリックさばきにも注目したい。エレクトロニックとソウルを絡めたネオソウルの最前線を行くようなトラック。まさにハイパー・ダブらしい一曲として楽しめる。「Deja Vu」でもゲストボーカルのRiTchieが参加し、グリッチとラップの融合体を生み出している。グリッチとしてもクールなバックトラックではあるのだが、RiTchieのリリック捌きにも光る点がある。 ボソボソとつぶやくようにリリックを披露するボーカルラインとソウルフルに歌う2つのRiTchieの声が合わさることで、前衛的なアヴァン・ポップが生み出されている。


「Prelude of Tired Of Me」もグリッチを基調にしたアヴァンギャルドなトラック。ドリルのようなドラムのビートが暴れまわるが、一方、そのトラックに乗せられるジェイムスの声はメロウかつ物憂げである。これらのアンビバレントな方向性を持ったトラックがアルバムの序盤の流れを形作っている。以上の5つのトラックはアルバムの印象に絶妙な緊張感をもたらしている。

 

中盤に差し掛かってもなお、ロレイン・ジェイムスの実験性における意欲は途絶えていない。「Glitch The System」は、あらためてアーティストのグリッチに関する愛着が示されている。しかし、アルバムの序盤に比べると、Aphex Twinのドリルン・ベースにも比するアヴァンな方向性が示されている。ジェイムスは自分の感情を電子音に乗り移らせ、不安定に揺れ動く感情性を、これらの複雑でシーケンサーによる変幻自在なビートに声を乗せる。また、このトラックでは、ボコーダーを効果的に用い、いくらかサイケデでリックな領域へと踏み入れていく。続く「I DM U」は聴き応え十分のトラックであり、アルバムのハイライトの一つに数えられる。アコースティックドラムをエレクトロニック風に配し、その上にオーガニックなシンセのシークエンスが被され、ダイナミックな音像が生み出されている。この曲に見受けられるスペーシーな感覚と現代的なエレクトロニック、そしてアヴァンギャルド・ジャズの融合は、アーティストが未知の領域へと足を踏み入れたことの証となる。特に、スネア、タムのハイエンドの強調により、ジャズドラムのような効果が生まれ、刺激的なインプレッションを及ぼしている。 

 

「I DM U」

 

「Emo」と銘打たれた次のトラック「One Way Ticket To Midwest(Emo)」は、おそらくアーティストの隠れたエモへの愛着が示されているのだろう。もちろん、シカゴを始めとする米国中西部のエモシーンを意味する「Midwest」という言葉も忘れていない。リバーブを掛けたギターラインから始まるイントロは、エモとまではいかないが、少なくともエモーショナルな気分を際どく表現している。しかし、その後は、北欧のエレクトロニカのような展開へと続く。本物志向が続いたアルバムの序盤に比べると、安らいだ感覚を味わえるトラックとなっている。ここにアーティストのちょっとしたユニークさや可愛らしいものへの親しみを感じ取ることも出来る。


「Cards With The Grandparents」は、アーティストの家族への親しみが歌われている。これは以前発売されたJayda Gのアプローチにも近いものである。しかし、ボーカルのサンプリングによって始まるこの曲は、やがて今作の重要なモチーフとなるグリッチ・サウンドの中に導かれていく。やがてそれは心地よいブレイクビーツ風のリズムと掛け合わされ、特異なグルーヴ感を生み出す。まるでアーティストは今や切れ切れとなりつつある記憶の断片を拾い集めるかのように、それらの破砕的なブレイクビーツを丹念に、そして重層的に折り重ねていく。それはやがて、アルバムのオープニングと同じように幻惑的な感覚を呼び覚ます瞬間がある。ネオソウルの方向性はほとんど取り入れられてはいないが、なぜかソウルにも近いメロウな雰囲気が生み出されている。これはアーティストの繊細な感覚がエレクトロニカ・サウンドに上手く乗り移った証でもある。いかなる感情や魂も音楽に乗り移らなければなんの意味もなさないのだから。


ロレイン・ジェイムスは音楽の実験性と並行して、茶目っ気というか、ユニークな手法も取り入れている。続く「While They Are Singing」は、そのことをよく表している。ボーカルのボコーダーのエフェクトは、一見するとアーティストによる戯れにしか過ぎないようにも思える。しかし、そのぼんやりとした音像に聴覚をよく澄ましてみると、意味深な目論見が込められているように感じる。グリッチ的な早いBPMを用いたトラックには、アーティストの人生に存在した複数の人物の声がコラージュのように散りばめられ、それは時に淡い悲しみや憂い、悲しみといった感情を伴い、ソウル音楽に近い印象を帯びる。単なるエレクトロニックと思うかもしれない。ところがそうではなく、アーティストは、みずからの人生や記憶に纏わる何らかの思いや感情を、実験的なエレクトロニック・サウンドに複合的な要素として織り交ぜているのだ。


「Try For Me」は、アーティストとしては珍しくアンビエントのトラックに挑戦している。ドローンに近い抽象的な音像はそれほど真新しいものとは言いがたい。けれど、その後、グリッチとハウス、そして、R&B寄りのボーカルトラックと結びつくことにより、新鮮なアヴァン・ポップ/エクスペリメンタル・ポップが生み出されている。この曲は、宇多田ヒカルの『Bad Mode』にも近い方向性が選ばれているが、難解なフレーズやリズムを擁する曲を軽快なポップスとして仕上げている。これはボーカリストとして参加したEden Samaraの貢献によるものなのかもしれない。アルバムの序盤の収録曲において、曲調という形で暗示的に示されていた物憂げな印象は、続く「Tired Of Me」では、フラストレーションや苛立ちに近い感覚を介して示されている。このトラックでも、アルペジエーターを駆使したユーロ・ビートとグリッチの融合という新しい型に取り組んでいる。ロレイン・ジェイムスの感情をあらわにした声については、他の曲にも増して迫力があり、真実味があり、なんとなく好感を覚えてしまう。しかし、スポークンワード風のリリックは、劇的なミニマル/グリッチによる中間部を越えると、一挙に虚脱したかのようなメロウでダウナーな瞬間に変わる。テンションの落差というべきか、抑揚の変化、あるいは感情の振れ幅にこそ、このアーティストの最大の魅力を感じ取ることが出来る。


「Speechless」「I DM U」と合わせてチェックしておきたい。まったりしたビートの中を揺れ動くように歌われるGeroge Rileyのセクシャルなボーカルの魅力は何ものにも例えがたいし、ジェイムスのボーカルとライリーのボーカルの掛け合いには、対話のような形式を感じ取ることが出来る。シンセのメロウなフレージングの妙はもとより、両者のボーカリストとしての相性の良さもあり、感情の交流が多彩な形で繰り広げられる。この曲において、ジャンルの選別はアーティストにとって第一義的なことではあるまい。両者の感情を巧緻に通わせて、感覚的なウェイブを、親しみやすいメロディーやリズムとして昇華させることの必要性を示唆している。 

 

「Speechless」

 

 

「Disjoined」もまたアーティストのユニークな性質が見事に反映されているのではないか。ジャズ・ピアノのコラージュを効果的に散りばめ、ブレイクビーツを展開させた後、ネオソウルに根ざしたボーカルトラックという形に引き継がれる。アルバムの中で最もアヴァンギャルドなポップスだが、むしろ音像という全体的な構造の中で、リズムやメロディー、ボーカルという複数のマテリアルをどのように配置するのかという点に、アーティストのこだわりや工夫を見いだせる。断片的に自己嫌悪が歌われた後、「I'm Trying To Love Myself」では、トラップの要素を活用しつつ、その後にやはり、アルバムの重要なモチーフであるグリッチを取り入れ、前衛的なダンスビートとして仕上げている。手法論としては、かなり難解ではあるが、少なくとも、これらは実際のフロウが欠落しているとしても、ラップのバック・ミュージックのような感覚で楽しめるはず。当然のことながら、ロレイン・ジェイムスのセンス抜群のアプローチにより、それは一定以上の水準にあるダンス・ミュージックとしてアウトプットされているのだ。

 

クローズ曲「Saying Goodbye」では少なくとも、アーティストのSSWとしての成長を感じ取れる。ネオソウルという切り口はロレイン・ジェイムスの得意とするところであると思われるが、その中には、作品全般のナラティヴな試みとともに、人生観の深み、あるいは自己的な洞察の深さも読み解くことが出来る。

 

このレコードの音楽は、前衛的な手法が用いられているため、マニアックな印象もある。けれども、実際、アバンギャルドな音楽に親近感を持たないリスナーにも少なからず琴線に触れるものがあるはずだ。それはアーティストがこの音楽性に関して、感情性に一番の重点を置いているからである。そして、音楽の設計的な考えを重要視する代わりに、己の感覚を大切にすることを最重要視しているからこそ、こういった説得力溢れるアルバムが生み出されたのだろう。

 

 

84/100