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 Fucked Up 『One Day』

 

 


Label: Merge Records

Release :2023/1/28



Review 

 

2001年にカナダ/トロントで結成され、USインディー・ロックの総本山、Matador”,Promise Ringを輩出したエモ・コアの名門レーベル”Jade Tree”を渡り歩いてきたFucked Upの通算5作目となるフル・アルバム『One Day』は、近年のパンクシーンにあって鮮烈な印象を放つ傑作となっている。今作のリスニングは多くのコアなパンクファンの熱狂性を呼び覚ます機会を与えるはずだ。

 

「One Day」と銘打たれた5thアルバムは、文字通り、一日で録音されたコンセプト・アルバムとなる。ただ、バンドの一発取りではなく、トラックごとに分けられて、八時間ごとの三つのセクションに分割してレコーディングが行われ、2019年と2020年の二回にわたって制作された作品であるが、それらの個別のトラックは正真正銘、「一日」で録音されたものだという。これはポスト・ハードコアバンドとして20年以上の長いキャリアを積むバンドの一つの高い山へのタフな挑戦ともなった。

 

Fucked Upは、プロフィールとしてポスト・ハードコアという形で紹介される場合が多いが、その内実はエモーショナル・ハードコア・バンドに近い音楽性を擁している。それは近年あまり見られなくなった形ではあるが、彼らの哀愁に充ちたハードコア・サウンドはどちらかといえば、メロディック・ハードコア・バンド、Hot Water Musicに近いものである。ボーカルについてはニュースクール・ハードコアの範疇にあり、かなりゴツさのあるメタリックなデス・ヴォイスが展開されている。これらは旧来のボストンのハードコアバンド、Negative FX、またはデトロイトのNegative Approachに匹敵する無骨な雰囲気に満ちている。その反面、この屈強なメイン・ボーカルに対するコーラスワークは明らかにエモに近い質感が込められており、サウンドのバランスが絶妙に保たれている。そして曲の全般においてシンガロング性が強いという側面、また、ライブサンドに重点を置くサウンドという側面では、マサチューセッツのDropkick Murphysのように力強く痛快なサウンドの特徴も併せ持つ。今作で繰り広げられるパンクロックサウンドはパワフルであるだけでなく、爽快な雰囲気が漂い、さらに繊細性をも兼ね備えているのだ。

 

「一日」というシンプルなタイトルには、バンドがファンに伝えておきたい趣旨がすべて集約されている。


パンク・ロックに長い時間はいらず、ただ、言いたいことの核心を叩きつければよく、余計な言葉や音を徹底的に削ぎ落とした表現がパンクの核心と言える。しかし、このアルバムは必ずしも勢いに任せたハードコア・サウンドとはいえない。実際の収録曲は綿密に作り込まれている。レコーディング以前からスタジオで演奏を通じて曲の原型となるアイディアを練り上げて行った感もある。つまり、これらの曲の制作に費やした時間は1日ではあるが、その中には気の遠くなるような時間が内包されている。そして、20年のキャリアを誇るバンドとしての豊富な経験に裏打ちされた信頼感と聞き応えのある名曲がレコードには数多く収録されているのである。

 

近年では、アメリカには、Turnstile等の勢いのあるハードコアバンドが数多く登場し、これらはNew York Timesの記事でも紹介されていた。そこには、ハードコアは、ニューヨークの文化でもあると記されていた覚えもある。そして、カナダのファックト・アップもまた、米国の現代的なハードコア・サウンドに良い刺激を受けつつ、上記のHot Water Musicのような往年のメロディック・ハードコアやエモーショナル・ハードコアの良い影響を受け、それらをシンプルでキャッチーな楽曲として提示している。Fucked Upのパワフルな音楽性は、大衆にわかりやすいように作り込まれており、拳を突き上げ、共にシンガロングせずにはいられないアジテーションが内包されている。そして、何より、アルバムの収録曲は聴いていると、不思議と元気が漲り、気分が明るくなってくる。もう、それでパンクロックソングとしては百点満点といえるのではないか。

 

このレコードの中には、パンク・ソングとして傑出した曲が複数収録されている。#4「Lords Of Kensington」は、新時代のメロディック・パンクの名曲であり、ここには近年のハードコアバンドが実際の音楽を生み出す上で見過ごしてきたエモーションと哀愁が曲全体に押し出されている。もちろん、線の太い迫力満点のボーカルと、それと相対する清涼感のあるコーラスワーク、ポップパンクのキャッチーなメロディー、いかにもこのバンドらしいキャラクター性に彩られた激情ハードコアサウンドは一連のイギリスを題材とするコンセプトアルバムとして緊密に紡がれていくのである。

 

他にも続く、#5「Broken Little Boys」では、Dropkick MurphysやSocial Distortionのようなロックンロール/ロカビリーサウンドを反映させながら現代的なパンク・ロックアンセムを生み出している。#7「Failing  Right Under」も、エバーグリーンな雰囲気を持った硬派なニュースクール・ハードコアとして聞き逃せない。さらにアルバム発売直前にリリースされた#9「Cicada」はひときわ強い異彩を放っている。他のメンバーがメインボーカルをとり、Hüsker Dü/Sugar(Bob Mould)を彷彿とさせる哀愁溢れるメロディック・パンクを聴かせてくれる。


近年、さらに細分化しつつあるハードコア・パンク界隈ではあるが、『One Day』を聴いて分かる通り、本来、パンクロックに複雑性はそれほど必要ではないように思える。それは、複雑化して難解になったプログレッシブ・ロックやハード・ロックのアンチテーゼとして、音楽に詳しくない人でも親しめるものとして、この音楽ジャンルは70年代に登場した経緯があるからである。


現在、あらためて多くのファンから望まれるのは、パンクロックの原点にある痛快さ、明快さなのだろう。Fucked Upは、頼もしいことに、そのパンクの本義を『One Day』で見事に呼び覚ましてくれた。意外にも、現代のパンクとして多くのファンの心の掴む鍵は、時代を経るごとに細分化されていったマニア性にあるのではなく、パンク・ロックの簡素な音楽性に求められるのか。まだ、2023年始めなので、断定づけるのはあまりに性急のように思えるが、『One Day』は今年度のパンクロックの最高傑作となる可能性がきわめて高い。

  

100/100(Masterpiece)

 

 Melaine Dalibert  『Magic Square』

 

 

Label: FLAU

Release Date: 2023年1月20日



Review

 

 

現代音楽シーンで注目を浴びるフランスの音楽家、Melaine Dalibert(メレーヌ・ダリベール)は、David Sylvian、Sylvain Cheauveauともコラボレーションを果たしている。ダリベールはパリ音楽院で現代音楽を専攻し、オリジナルのピアノ作品の他、ジェラール・ペソン、ジュリアーノ・ダンジョリーニ、トム・ジョンソン、ピーター・ガーランドなど多くの作品の斬新な解釈を行っている。数学的な観点からピアノの作曲を組み立てる音楽家という紹介がなされている。



 

昨年のフルアルバム『Three Extended Pieces for Four Pieces』に続く今作は、ミニマリズムのピアノ音楽に位置づけられる作品と言える。初見として聴いた時の印象として、一番近い作風に挙げられるのが、ドイツの現代音楽シーンで活躍したHans Otte(2007年に死去)のピアノ曲である。ピアニスト、Hans Otteは、稀有な才能に恵まれた作曲家/演奏家ではあったが、舞台音楽の監督や、ラジオ・ブレーメンの音楽監督など大きな国家的な仕事に忙殺されてしまったせいか、結果的に、作曲家としては寡作なアーティストとなってしまった。彼は、Herbert Henrikとのピアノの連弾を行った『Das Buch Der Klange』という作品、『Stundenbuch』の二作を再構築することに作曲家としての後世を費やした。特に、『Das Buch Der Klange』は、現代音楽の最高峰の作品のひとつで、おそらく、以前の日本の駅のプラットフォームで使用されていた環境音は、この中の一曲をモチーフにしていたのではなかったかと思われる。



 


メレーヌ・ダリベールのミニマル学派のピアノ曲は、#4「Perpetuum Mobile」に象徴されるように、Hans Otteの系譜に位置づけられてもおかしくない静謐で情感に富んだ作風となっている。また、それに加えて、これらの音楽は、雨の日に書かれたものが多いように思える。実際の風景から想起されるような哀感とせつなさが、このアルバム全体の音楽には漂っている。演奏の技術的なことはほとんどわからないけれど、きわめて緻密な音の構成がなされていることに注目しておきたい。その一方で、これらの楽曲からは一種のペーソスが醸し出されている。しかし、それほど重苦しくならず、爽やかな情感が全編には感じられるのである。

 

ついで、メレーヌ・ダリベールの楽曲の主要な性質を形成しているのが、ピアノの音が減退した後の凛とした静寂である。

 

これらは、作曲者が作曲時、及び演奏時に細心の注意を払うことによって、持続音の後に不意に訪れる休符から齎される静寂に重点が置かれていることが分かる。たとえば、「Choral」に見られるように、実際に鳴らされるピアノの構成音(縦向きの和音はコラールという形式の基本形を踏襲していると言えるか)と共に、音が途絶えた際に訪れる奇妙な清々しさという形で現れる場合もある。古典的なバッハのコラールでなく、現代的なコラール曲とも称することが出来るだろうか。



 

他にも、坂本龍一へのトリビュートとして制作されたという「A Song」では、エリック・サティのような癒やし溢れる情感を伴うピアノ曲として楽しめる。換言すれば、”ポスト・サカモト”とも称するべき独特な繊細性に富んだこの曲は、坂本龍一氏の作曲の核心を捉え、そのDNAを受け継ぎ、未来型を示唆している。さらに、これらのピアノ曲は、ミニマル学派に属するだけでなく、オリヴィエ・メシアンの代表作のように涼やかな和音に彩られ、レナード・バーンスタインの『5 Anniversary』の収録曲のように、近代和声以降の自由性のある和音の配置ーー徹底して磨き上げられた和声感覚ーーによって構成されていることにも着目しておきたい。

 

タイトル曲「Magic Square」では、モダンなエレクトロニカに近い手法を取り入れ、ピアノの演奏をグリッチ・ノイズの新奇性と融合させている。ダリベールは空間性の演出とそれに対比する形で繰り広げられる詩情溢れるピアノの演奏を繰り広げている。近年フランスのピエール・ブーレーズが設立した国立音楽機関”IRCAM”ではジョン・アダムズのような現代音楽の他、音響学的な前衛性を重きに置いた教育が行われていたと記憶しているが、ここには、ダルベールという人物のフランスの音楽家としての矜持も込められているような気もする。



 

さらに、タイトル曲では、運動している音符と休んでいる音符が連動しつつ、実際のリバーブの効果とあいまって、独特の雰囲気に充ちた奥行きのある空間性ーアンビエンスをもたらしている。これは、Christian Fennezと坂本龍一の2007年のコラボ・アルバム『cendre」で取り入れられた前衛的な技法に近い作風となっている。また、この曲は、アルバムの中で最も力強い存在感を擁するにとどまらず、ダルベールの作風の中心にある癒やしの情感も堪能することが出来るはずだ。 



 

最新作の全8曲は、現代音楽の作曲技法の蓄積により生み出された作品であるのは事実と言えるが、それほどマニアックな作風とはなっておらず、飽くまで一般的なリスナーの心に共鳴するような内容となっている。これはメリーヌ・ダリベールという音楽家が様々な音楽に親しんでいることの証拠ともいえるか。それは、心温まる情感、凛としたしなやかさ、そして、空間性に重点を置いた奥行きのあるピアノ音楽という形で多彩に表現されているのである。また、実際の音楽に触れた後の余韻……、これもまた本作の大きな醍醐味となるに違いない。『Magic Square』は、現代音楽に詳しくない方にも強くおすすめしておきたいアルバムとなる。

 

 

85/100 

 

「A Song」 
 



Kali Malone 『Does Spring Hide Its Joy』



Label: Xkatedral

Release Date: 2023年1月日

 

 

Review


三枚組の新作アルバム『Does Spring Hide Its Joy』は、現在、スウェーデンを拠点に活動するアメリカ人実験音楽作曲家、Kali Malone(カリ・マローン)による没入型オーディオ体験で、マローンの他、スティーブン・オマリーとルーシー・レイルトンがミュージシャンとして参加している。2020年春のロックダウンの期間中に、ベルリン・ファンクハウス&モノムで制作・録音された。音楽は、音の信号として数学的な技術が用いられており、7進数のジャスト・イントネーションとビートの干渉パターンに焦点を当てた、長尺の非線形デュレーション作曲の研究となっている。これまでのこのアーティストと同様、ドローンの音響の可能性を追求している。

 

昨年、『Living Torch』というドローンの傑作を残したカリ・マローンであるが、今回、アーティストはパイプオルガンの演奏から離れ、 シンセサイザーのサイン波に焦点を絞ったドローン・ミュージックを制作している。そして、イギリスのメディア、The Quietusによれば、上記の2人のコラボレーターとしての役割は歴然としているという。ルーシー・レイトンの音楽的な背景は、コンテンポラリー・クラシックにある。一方、オマリーの方はSunn O)))の活動をみても分かる通り、ブラック・メタルや実験音楽にある。レイトンはチェロ奏者として、オマリーは、Bowed Guiterという形で作品に参加している。ある意味では異色のコラボレーションともいえるが、この三人には、方向性こそ違えど、ドローンという共通項を見出すことが出来る。


今回、パイプ・オルガンを離れ、シンセサイザーの世界に没入したことは、他の側面から見ると、既存作品とは異なるドローンミュージックのアプローチを探究したかったように思える。そして、例えば、ルネッサンス期の宗教曲のような重厚さを全面に押し出していた既存作品とは異なり、どちらかといえば今作のドローン・ミュージックはアフガニスタンの弦楽器ラバールの音色に近い音響の特性を持ち、エキゾチックな雰囲気に充ちたドローンへカリ・マローンは歩みを進めた。ただ、クラシック音楽の通奏低音のような形で常に一つの音が長く維持される点や、音の増幅と減退を用いてトーンの揺らぎを与えるという点、そして、時折、Bowed GuitarやCelloを通じてもたらされるアナログ信号のノイズのようなアバンギャルドな音の断片は、もしかするとこれまでのマローンの作品には見られなかった新鮮な要素といえるかもしれない。

 


 

今作『Does Spring Hide Its Joy』は、映画音楽のサウンドトラックとして制作された。 この映像作品に登場する1868年にエンジニアのジェシー・ハートリーによって設計された中央水力塔とエンジン・ハウスは、イタリアのフィレンツェにあるルネッサンス期の洞窟、パラッツォ・ヴェッキオを基にしている。映像作品『Does Spring Hide Its Joy』は、Abandon Normal Devicesの依頼を受け、アーツカウンシル・イングランドの資金援助を得て、オイスター・フィルムズが配給している。助監督はスウェットマザーが担当した。映像監督は以下のようなコメントを提出している。

 

  「私は、この作品に付随するフィルムを監督しました。バーケンヘッド・ドックの水圧塔とエンジンハウスの廃墟を撮影し、自然が静かにその権利を取り戻したこの工業地帯の震えるような肖像画を作りました。
私は、カメラの熱っぽい動きと彷徨によって、この荒涼とした空間に人間の存在を導入しようとした。建物を巨大な空の骨格として撮影するだけではなく、建物や崩壊した屋根、穴、床に散らばる苔や瓦礫、焼けた木片、そしてこの廃墟を彼らの王国としたすべての生き物たちと一緒に撮影しようとしたのである」

 

つまり、映像監督が語るように、これらルネッサンス期のイタリアの廃墟、他にもイギリスの古い廃墟など、古びた遺構のサウンド・スケープとして制作されている。これらはもちろん世の多くのサウンドトラックと同様、あくまで映像作品の質感を損ねないように、極力主張性が抑えられている。しかし、もちろんこのサントラの音楽は、映像の雰囲気を掻き立てるために存在するのであり、それはそのまま存在感が希薄であるということではない。それよりも実際の音楽から想起される古典的な宗教音楽の雰囲気が全面に満ち渡っているのである。

 

一方、音楽の製作者はこのサウンド・トラックについて、どのような見方をしているのか、断片的ではあるが、その一部を抜粋しておきたい。


「世界中のほとんどの人と同じように、私の時間に対する認識は、2020年の春の大流行の閉塞感の中で、大きな変容を遂げました。慣れ親しんだ人生の節目もなく、日や月が流れ、本能的に混ざり合い、終わりが見えなかった。時間が止まっているのは、環境の微妙な変化により、時間が経過したことが示唆されるときである。記憶は不連続に曖昧になり、現実の布は劣化し、予期せぬ関係が生まれては消え、その間、季節は移り変わり、失ったものはないまま進んでいく。この音楽を何時間もかけて演奏することは、数え切れないほどの人生の転機を消化し、一緒に時間を過ごすための深い方法だった」

 

カリ・マローン本人が説明するとおり、アーティストはあくまで、映像作品の付属であることを弁別しながらも、これらのドローン・ミュージックは制作時期のアーティストの感情や人生を色濃く反映している。それは孤独感に充ち、寂寥感に溢れ、茫漠とした荒野の最果てに浮かぶ霧のようである。しかし、その一方で、普通のドローンには見られない温かな感情もその冷たさの中に滲んでいる。ただ、これは表題にあるように喜びという単純な言葉ではいいあらわせないなにかがある。そして、これらの厳粛な抽象的な音楽に耳を澄してみると、没空間、没時間といった、すべてのこの世にある常識的観点から解き放たれた反転の概念が存在している。それは、チベット密教の概念、時間そのものは一方方向に流れず、円環を形成しているというニュアンスに近い。

 

そもそも、これらのドローンという実験音楽を通じての哲学的考察は、外側に流れる時を表現したものではないように感じられる。それは、人間の内側にある内的な時間の流れ、つまり、過去から現在、未来へと繋がる本来の時流とは異なる混沌とした合一の時間が、このレコードの中には内包されている。そしてまた、外的な風景ではなく、外の風景に接した際の内的風景が描写的に音の増幅や減退の反復によって永遠と続いていく。つまり、カリ・マローンが近年探究するアブストラクト・アンビエントとは、現実の物理空間に内在する法則とは異なる何かを追い求めようというのかもしれない。それはこの長大なサウンドトラックを聴いてみると分かるとおり、物質の持つ無限性や合一性、そういった超越的な観点に集約されているようにも思えるのである。

 

この新作アルバムの収録曲を逐一説明することは、あまり有益ではないように思える。その理由は、これらの四時間以上に及ぶ収録曲は、始まりもなければ、終わりもない、無限の空間とも称せるからなのだ。この最新作において、前作で金字塔を打ち立てたカリ・マローンはそれとは異なる崇高性を追い求めている。アバンギャルド・ミュージックとしては、未曾有の孤絶した領域にあり、こういった音楽について、評価付けることすら愚かしいと思える。もしかすると、今作は、前作『Living Torch』と同様、前衛音楽の伝説的な作品として後に語り継がれるような作品となるかもしれない。



98/100

 

 Subway Daydream 『RIDE』

 


 

Label: Rainbow Entertainment

Release Date:2023年1月18日

 



Review 

 


Sensaによると、Subway Daydreamは、双子の藤島裕斗(Gt.)、藤島雅斗(Gt.Vo.)と幼馴染のたまみ(Vo.)、そしてKana(Dr.)によって結成された大阪の四人組ロックバンド。


結成直後にリリースした「Twilight」は、自主盤にも関わらずタワーレコード・オンラインのJ-POPシングルウィークリーTOP30にランクインするなど異例のヒットを記録し、更には関⻄の新人アーティストの登⻯門として知られるeo Music Try 20/21において、結成1年目にして1,279組の中から準グランプリに選出された。2021年4月28日にリリースした初のEP「BORN」では、オルタナ/グランジからネオアコ、シューゲイズまで、幅広い音楽性を取り入れながら瑞々しいポップセンスに落とし込み話題を呼んだ。今、勢いに乗る注目の新世代バンドであるとの説明がなされている。

 

『RIDE』は、大阪の新星、Subway Daydreamの記念すべきデビュー・アルバムで、Youtube Musicでも既に大きな注目を受けている。バンドは、デビューアルバムの宣伝を兼ねて渋谷WWW Xでのレコ発ライブの開催を予定している。また地元の大阪でも記念ライブが行われる。

 

オープニング・トラック「Skyline」から、青春味のあるサウンドが全面展開され、バンドは初見のリスナーの心をしっかり捉えてみせている。ボーカルについては、Mass Of Fermenting Dregsを彷彿とさせるものがあるが、MOFDがよりバンドサウンドそのものがヘヴィネスに重点が置かれているのに対して、Subway Daydreamの方は、サニーデイ・サービスの90年代のネオ・アコースティック時代のサウンドに近い青春の雰囲気に充ちたサウンドを押し出しているように思える。そして、ボーカルのメロディに関してはパワー・ポップに近い甘さもあり、メロディーの運びのファンシーさについては、JUDY AND MARRYの全盛期を彷彿とさせる。それに加え、サビでの痛快なシンガロング性についてはパンチ力があり、ロックファンだけでなくパンク・ファンの心をも捉えてみせる。そして、このバンドのキャラクターの核心にあるものは、ツインボーカルから繰り広げられる音楽性の多彩さ、そして、ハイレンジのボーカルと、ハスキーなミドルレンジのツインボーカルなのである。これらの要素は、パンキッシュなサウンドの中にあって、バンドサウンドに「鬼に金棒」ともいうべき力強さをもたらしている。

 

一般的に、デビュー・アルバムは、そのバンドやアーティストが何者であるかを対外的に示すことが要求されている。もちろん、あまり偉そうなことは言えないけれど、その点については大阪のSubway Daydreamはそのハードルを簡単にクリアしているどころか、要求以上のものを提示している。The Bugglesのポピュラー性を骨太のロック・サウンドとして昇華した「Radio Star」で分かるように、溌剌としていて、生彩味に富んだエネルギッシュなサウンドは、多くのJ-Popファンが首を長〜くして待望していたものなのだ。もちろん、サブウェイ・デイドリームは、日本らしい唯一無二の魅力的なポピュラー・サウンドを提示するにとどまらず、シューゲイザー/オルタナティヴロックを、バンド・サウンドの中にセンスよく織り込んでいる。このアルバム全体にある普遍的な心楽しさは、リスナーを楽しみの輪に呼び込む力を兼ね備えているように思える。

 

これらのコアなサウンドの中にあって、力強いアクセントとなっているのが、ノスタルジア溢れる平成時代のJ-Popサウンドの反映である。

 

例えば、七曲目の「ケセランパサラン」では、Puffyのような日本語の語感の面白さの影響を取り入れ、それらをノイジーなギターサウンドで包み込んだ。その他、「Yellow」では、ディストーションギターを全面に打ち出したノイジーなサウンドに挑戦している。これは、大阪のロックバンドが地元を中心とするライブ文化の中で生きた音楽の影響を取り込み、自分たちの音として昇華していることの証立てともなっている。


収録曲のサウンドは、ポピュラー・ミュージックとして傑出しているばかりか、実際のライブを見たいと思わせる迫力と明快なエネルギーに満ちている。何より、サブウェイ・デイドリームのエヴァーグリーンなロック・サウンドは、デビュー作特有の爽やかさがあり、それは他ではなかなか得られないものなのだ。彼らこそ、2020年代という新しい時代の要請に応えて登場したロックバンドである。今後、着実に国内のファンのベースを拡大していくことが予想される。

 

 

 90/100

 

Featured Track 「ケサランパサラン」

Mac Demarco 『Five Easy Hot Dogs』 

 

 

Label: Mac's Record Label

Release:  2023年1月20日


Review

 

米国のインディー・ロックシンガー、マック・デマルコの自主レーベルからの二作目のフルレングスは意外にもインスト作品となりました。デマルコはリリースに際して次のように語っています。

 

「このように、僕は、あちこちに出かけてレコーディングや旅行をする性質上、座って計画したり、自分がやろうとしたことが何だったのかを考えたりするのには向いていないんだ。サウンドもテーマも何も考えず、ただレコーディングを始めてみたんだ」

 

「幸運なことに、この時期のレコーディング・コレクションはすべてリンクしていて、全体として現在の音楽的アイデンティティを持っているんだ。僕はその中にいながら、その中から出てきたものがこれなんだ」


「このレコードは、そんな風に転げまわっているような感じの音だ。楽しんでもらえると嬉しい」

 

レコードに収録された全16曲には、デマルコが実際に旅行をする過程で、その土地の地元の人と一緒にレコーディングされたものも含まれているようです。アルバム収録曲には、マック・デマルコがどのような旅の過程をたどったかが分かる。カルフォルニアのグアララ、クレセントシティを始めとする西海岸からポートランド、テキサスのヴォクトリア、そして、カナダのヴァンクーバー、エドモントン、シカゴ、そして、最終的にはニューヨークのロッカウェイへとたどり着く。

 

これらの楽曲は、前作『Here Comes The Cowboy』の音楽性を引き継ぎ、そして、アコースティック・ギターとシンセを中心に組み立てられています。ほかにもリコーダーのような吹奏楽器、それから、おもちゃのカスタネットが登場したり、このアーティストらしいユニーク性が漂う。デモ曲のように気安く書かれ、ラフなミックスがほどこされているため、ローファイ感も満載です。そして、スロウ・テンポのインディー・フォークをアシッド・ハウス的に解釈しているあたりが、いかにもマック・デマルコらしい作品と呼べるでしょう。

 

これは憶測に過ぎませんが、それ以前のロックダウンの時代を過ぎて、ぜひともマック・マルコは当時の閉塞した気分を解消するため、旅をする必要性を感じていたのではないでしょうか。そこで、彼は、実際に米国やカナダの土地の風景、また、そこで出会う人達とのコミニケーションを通じて、これらのサウンド・スケープや内的な心象風景をくつろいだ感じのあるローファイ音楽という形で書き留めておきたいと思ったのかもしれません。聴いてみると分かる通り、これらの短くまとめられた全曲は、その土地の風景や人の雑踏や、街角の景色を聞き手の脳裏に呼び覚ます喚起力を持ち合わせており、さらに、近年のマック・デマルコの作品の中では最もロマンチックで、繊細で、叙情性に溢れています。それはまた、旅をしたあとの儚い回想録のようにも喩えられる。しかし、それほどセンチメンタルにも生真面目にもならず、デマルコらしいユニークな観点から、これらの追憶の音楽は紡がれていくのです。

 

このアルバムは、おおよそ、米国、カナダ、米国と、3つの旅の工程に分かれ、大きく聞き分けていくとより解釈がしやすい。それぞれの土地の雰囲気をかたどった音楽を楽しむことが出来、曲が進んでいくごとに風景がたえず移ろっていくようにも思えて面白いです。序盤の「Gualala1-2」では、カルフォルニアの海沿いの美しさ情景が繊細かつワイルドに表現されたかと思えば、「Portland」では既存の作品と同様、ハウス・ミュージックに根ざしたインディー・フォークが展開されます。

 

続く「Victoria」は、これまでのマック・デマルコの作風とは異なるものがあり、メキシコの国境近くにあるような砂漠地帯の風景、他にも、海沿いの穏やかなリゾート地の景色が秀逸なオルタナティヴ・カントリー/オルタナティヴ・フォークによって表現される。序盤から中盤にかけてはミート・パペッツのサイケ・フォークに近いメキシカンな雰囲気が感じられるでしょう。

 

さらに、中盤になると、カナダをモチーフにした楽曲「Vancouver1」で、チルアウト風のフォーク音楽に様変わりし、「2」では、クラシカル風のギター音楽の影響を感じさせる涼やかな曲が繰り広げられる。続いて「3」では、ミニマル・ミュージックに根ざした淡々とした音楽が展開される。これらはマック・デマルコが体験した情景の儚さが上手く表現されているように思えます。また、同じく「Edmonton」は、移調を交えた気安いオルタナティヴ・フォークという形で展開される。

 

クライマックスになっても、曲調は流動的に移ろい変わり、「Chicago」では、雰囲気がガラッと変わり、アシッド・ハウスやローファイに根ざしたフォーク音楽に転じていき、「Chicago 2」では、ディズニーのテープ音楽のようなアナログ・シンセの音色をセンスよく融合させたダウンテンポへと引き継がれていきます。アルバムのラストに収録されている「Rockaway」では、以前の活動拠点であったニューヨークを懐かしく振り返り、淡い郷愁のような感慨が端的に表現されています。


 

72/100

 


 New Album Review  坂本龍一 『12』

 

 


Label: Commons/ Avex Entertainment

Release: 2023年1月17日



Review

 

これまでYMOのシンセサイザー奏者、ピアニスト、そして作曲家、様々なシーンで活動を行なう坂本龍一の待望の最新作。このアルバムは、近年、癌の闘病のさなかに書かれた彼の魂の遍歴ともいうべき作品である。そして、これらの12曲は、癌との闘いの中で、音を浴びたいという一心により書かれたピアノ作品集となっている。先日、放映されたNHKのピアノ・ライブではこの中の一曲が初めて披露された。また、その出演時のインタビューにおいて、坂本龍一はこのアルバムについてコメントしており、予め12曲を予期していたわけではなく、書き溜めていた楽曲を厳選していったところ、偶然、12曲になったという。『12』は、これ以上はない作曲者自身の選りすぐりのクロニクルとなっている。おそらくこれまで坂本氏の作品に触れてこなかったリスナーの入門としても最適なアルバムといっても差し障りはないように思える。

 

では、坂本龍一という音楽家の本質は何であるのか。先述のNHKのインタビューでは、「自分はピアニストとしてはそれほど優れているわけではないが、自分の作曲を演奏者として表現することが最適な方法だと考えてきた」というような趣旨の発言を行っている。一般に独り歩きするイメージとは裏腹に、自己に対して謙遜すらいとわない慎み深い音楽家のイメージが浮かび上がってくる。まさに、以上の言葉はこれまで明かされることのなかった坂本龍一という人物像を何よりも奥深く物語っている。そして、YMOのメンバーとして、あるいは戦場のクリスマス時の俳優として、その後のニューヨーク移住の時代、その後の音楽的な転向の時代ーーアルヴァ・ノトやクリスティアン・フェネス、ゴルトムントといったアーティストとコラボレーションを行った実験音楽家、そして文芸誌『新潮』でのがん闘病記の執筆。実は、そのどれもが坂本龍一という人物を表しているのである。

 

『12』は、プレスリリース時に発表されたとおり、制作された時期がそのまま曲名となっている。そして、その多くがパンデミックの始まりから一年あまりして書かれ、そして、およそ2年の歳月をかけてこれらの曲は書き上げられていったことが分かる。曲名は時系列ごとに並んでいるわけではなく、ランダムに配置されている。そして、作品を俯瞰してみると、その内容は、先にも述べたように、これまでの坂本龍一という音楽家のクロニクルとも捉えられないことはない。しかし、この作品を記念碑というようなかたちで解釈することは妥当とは言い難い。確かにピアノ曲、アンビエント、エレクトロニカ、この3つの柱が作品の核心にあることが理解出来る。しかし、それは、これまで彼が行ってきた事や、過去を回想するということではないように思える。坂本龍一という音楽家は、過去に埋没するわけではなく、さながら端的な日記を綴るかのようにその時々の内的な感性を探り、それらをピアノ曲、アンビエント、エレクトロニカというかたちで追究するのである。これは単なる音楽の提示ではなくて、音楽を通じての魂の探究なのだ。

 

個々の楽曲については、オーストリアのクリスティアン・フェネスとの共作の時代から探究してきたピアノ・アンビエントが作品の中心的な要素として据えられている。そして、ところどころには、近年、ご本人が探ってきた、日本的な感性や情緒というのがさり気なく込められているように思える。しかし、これまでの作風とは明らかに一線を画している。それはある意味で、オープニングの「20210310」や「20220214」で分かるとおり、神秘的な何かに対する歩み寄りが以前の作品に比べると顕著なかたちで刻印されている。それは、また、シンセサイザーのパッドを通じて、かつてのブライアン・イーノの『Apollo』の時代のようなアンビエントの厳選に迫ろうとしているとも解釈出来るのかもしれない。そして、これらの電子音楽としての間奏曲が、ソロ・ピアノをフィーチャーした楽曲の中にあって、強い生彩を放っているのである。

 

そして、これらのピアノ曲には、これまでのフランス近代和声からの影響に加えて、明らかにジャズの和音であったり、ドゥワップの時代のモード奏法の影響が取り入れられている。このジャズに対する親和性は、坂本龍一の以前の作品には求められなかった要素として注目しておきたい。これらの新味は、新作アルバムの終盤になって現れ、特に「20220404」において、これまでの戦場のクリスマスの時代のピアノ曲の作風に加えて、どのようなかたちで和音や対旋律の技法を駆使し、それらの要素を取り入れるのか試行錯誤している様子を伺うことが出来る。


不思議なことに、新作を聴いて一番驚いたのは、最後のクローズド・トラック「20220304」で実験音楽に挑戦していることである。アルバムのラストには、ピアノ曲を収録するかもしれないと考えていたが、オーケストラ楽器のクロテイルのような音(ガラスの破片がぶつかるような音)を捉える事ができる。この風鈴の音にも聴こえる音が、果たしてサンプリングによるものなのか、以前から試作していたフィールドレコーディングによるものなのかまでは定かではない。それでも、これらの全体的な流れを通じて感じられるのは、音楽家の神秘的なものに対する憧憬や親しみであると思う。そして、これらの12曲は、全体的な印象を通じ、”無限なる何か”に直結しているような気がする。もちろん、この『12』が、坂本龍一の最後の作品になるかどうかはわからない。それでも、坂本龍一さんが今もなお、新しい音楽に挑戦しつづけるだけでなく、さらなる高い理想を追い求めようとしていることだけは全く疑いないことなのだ。

 

 97/100

 New Album Review  Rozi Plain 『Prize』

 


 

Label: Memphis Industries

Release Date: 1月13日

 

 

Review

 

ロンドンを拠点に活動するシンガーソングライター、ロジー・プレインの通算5作目となるアルバム『Prize』 は、2015年のブレイクスルーとなったアルバム『Friend』で均した音楽的土壌を押し広げたものとなっている。この新作は、パンデミック期に制作が開始され、グラスゴー、エイグ島、フランスのバスク地方の海辺の町、マーゲット、さらにはロンドンジャズの中心地、トータル・リフレッシュメント・センターまで、複数の場所で録音が行われている。コラボレーターもかなり豪華で、Kate Stablesをはじめ、コンテンポラリー・ジャズの巨匠、Alabaster De Plume、Danalogue,Serafina Steer,Shigihara Yoshino,その他、ミネアポリスのサックス奏者 Cole Puliceがこの作品に参加している。

 

この5作目では、細やかなエレクトロ・サウンドに裏打ちされたほんわかとしたフォークサウンドが展開される。それは”ほんわか”というより、”ホワーん”とたとえるべきであり、さながら上記の風光明媚な土地の風合いを受けた伸びやかなサウンドとも言えるが、近年流行りのBig Thiefにも似た質感を持つ内省的なオルタナティヴ・フォークにも位置づけられる作品である。これらの音楽は、トレンドを意識したものではあるが、そこにサックス、フィドル、パーカッションを細やかなエレクトロ・サウンドに織り交ぜることにより、独特の雰囲気を与えている。基本的には穏やかなフォークミュージックと思わせておきながら、ときに、このアーティストらしい鋭気のようなものが随所にほとばしっている。それはケルトの細やかなフォークサウンドを想起させたかと思えば、アバンギャルド・ジャズやサイケデリアの主張性を交えたコアなロックサウンドまでをも内包している。牧歌的なインディーフォークを志向しながらも、そこにはなにか抜けさがないものも含まれている。これはまったく油断のならないサウンドでもあるのだ。

 

作品の表向きのイメージ、それはこれらのマニアックなトラック・メイクにより、ラン・タイムが進んでいくうちに、その流行り物という最初のイメージが覆され、ケルト的な世界観が内包されていることにリスナーは気づくことだろう。それはロジー・プレインの囁くようなボーカル、浮遊感に充ちたコーラス、そして、ハープ、多彩な音色を交えたシンセサイザー、テレミンのような音色、ヨーロッパの古い民族楽器の打楽器、様々な観点からこれらのサウンドは吟味され、そしてつややかなサウンドに昇華されていく。アルバムの流れは、常に淡々としていながらも、流動的なエネルギーが満ちていることが分かる。それはよく聴き込めば聴き込むほど、内側で変化している渦を感じとることが出来る。感覚的な音楽ともいえるが、それは確かに聞き手に、この音楽に波に長く浸っていたいと思わせるような心地よさをもたらすのである。


他に、この作品からどのようなイメージを汲み取るのか、それは聞き手の感性いかんによると思われる。先述したスコットランドの牧歌的な風景を思いかべるのも自由であるし、同じくバスク地方の山岳地帯の荘厳な風景が思い浮かぶというリスナーもいることだろう。ある意味では、すでに鋳型に入れた何かをこの音楽は提示するわけではなく、ある種の漠然としたイメージが示され、それを聞き手がどのように自由に拡げていくのかに重点が置かれている。独りよがりの音楽ではなく、聞き手が反対側に存在することによって完成形となるようなアルバムである。確かに『Prize』は、そこまで人目を引くような派手さはないけれど、この作品に内包される素朴な輝きは、むしろその音楽に触れるたび、いや増していくように感じられるはずである。

 

82/100 

 

Fatured Track 「Agreeting For Two」
 
 

New Album Review  CVC 『Get Real』 


 

 

Label:  CVC Recordings

Release Date: 2023年1月13日

 


Review



昨年9月、最初のEP『Reel To Real』をリリースしたウェールズ出身の6人組のロックバンド、CVC(Church Village Collective)は『Get Real』で、ついに本格的なデビューを果たします。カーディフの北部にあるチャーチ・ヴィレッジから登場したコレクティヴは、すでに国内で人気を着実に積み重ねており、彼らのウェールズでのライブのスペースは、いつも満員となっているようです。

 

以前にも紹介したとおり、CVCのロックサウンドは必ずしも新しいものとは言いがたい。彼らは、60、70年代のロックやR&Bやファンクを聴き、ビートルズ、ビーチ・ボーイズを始めとする古典的なロックミュージックがバックグランドにあり、そのサウンドは懐古的で、ノスタルジア満載です。古いビンデージレコードに漂うような懐かしさをあえて志向しているとも言えます。

 

ファーストEPでは、70年代のハードロック・バンドの音楽を彷彿とさせるものがあり、フルアルバムでは、よりビンテージ・ソウルやファンク、それから、ドゥワップを始めとする、古い年代の音楽の要素を下地に渋い雰囲気に充ちたサウンドに重点を置いています。さらに、この音楽には彼らの無類のレコード好きとしての矜持が至る所に散りばめられている。そして、このバンドのユニークなキャラクター性、ときにサイケデリック・ソウルの色合いもあいまって、このグループにしか醸し出せない魅力が存分に引き出された快作となっています。

 

ただし、いくつか難点を挙げると、いわば、活発な動きのあるサウンドであったファーストEPに比べると、このデビュー・アルバムは停滞したサウンドに変わってしまった印象もある。言い換えれば、ファーストEPはドライブ感のあるサウンドでしたが、フル・アルバムになったとたん、サウンドがまったりとしすぎ、間延びしまっているため、もしかすると、このことが実際のバンドのポテンシャルの高さを考えてみると、本作の評価が今ひとつ奮わない原因となってしまうかもしれません。ことデビュー・アルバムに関しては、ジャム・セッションの楽しさをレコーディングを通じて引き出そうとしており、それはある面では成功していますが、他の側面では、一作品として今ひとつ迫力に欠けるという心残りもある。


しかし、CVCは、バンドアンサンブルとしてはオーディエンスを惹きつけるパワーを持っているのは事実で、サウンドの中には非凡な才覚も見て取れる。デビュー・シングル「Docking The Party」は、依然として、このバンドの重要なレパートリーとなるだろうし、そして、EPには収録されなかった新曲の中には、キラリと光るセンスを感じさせるトラックも多く含まれています。


たとえば、オープニング・トラック「Hail Mary」では、往年のモータウン・サウンドやビンデージ・ソウルを基調にしたロックを提示している。ここでは、CVCのバンド・サウンドの核心にあるソウルフルな温みや、グループとしての結束の強さが反映されています。また、その他、#3「Knock Knock」では、ビンテージ・ファンクを基調にしたフックの利いたサウンドを提示している。これらのソフト・ロック/AORの音楽の影響下にある楽曲は、さっぱりとしていて、爽快味を感じさせてくれます。特に、演奏面での技術の高さについては目をみはるものがあり、ベースライン、ドラム、シンセの演奏から引き出される分厚いグルーブ感、及びR&Bの要素の色濃いソウルフルなボーカルが、これらの曲に力強いパンチとスパイスをもたらしています。

 

その他、CVCは、ビートルズのリバプール・サウンドを基調にし、エリック・クラプトン(Cream)の影響を感じさせる渋さ抜群のブルース・ロック、Sladeの名曲「Come on The Feel the Noize」のようなカラフルなロックンロール、オールディーズのドゥワップのコーラスといった要素を交え、さらに、「Mademoiselle」では、アース・ウインド&ファイアのディスコ調のファンクを展開させてみたりと、音楽性の間口はきわめて広く、そのバリエーションの豊富さにおいては他のバンドを圧倒するものがある。何より、CVCは、とことん自分たちの好きな音楽を掘り下げているのが頼もしい。これらの気質の良さに基づく楽しいサウンド、パーティーでの演奏を志向したような陽気なエネルギーは、聞き手の気分を和ませてくれるだろうと思われます。


ラグビー場とパブに象徴されるカーディフに在するのどかな街、チャーチ・ヴィレッジから登場した6人組のCVC。彼らはビンテージ・ソウルやファンクをルーツに持つロック・バンドであることを、このアルバムで力強く示してくれました。これらのサウンドが、今後、どんなふうに成長していくか、ファンとして楽しみにしています。そして、こういった形で心弾ませるようなサウンドを追及していけば、シングル・リリース時に掲げていた野望ーー「ウェールズを飛び出して、世界で演奏してみたい」という夢は、必ずや現実のものになるものと思われます。

 

85/100


Featured Track 「Hail Mary」


 Leland Witty  『Anyhow』


 

 

Label:  Innovative Leisure

Release: 2022年12月9日



Review

 


近年のジャズシーンに、飛びきり風変わりなサックス奏者が出てきた。カナダ・トロントを拠点に活動するレランド・ウィッティだ。これまでのジャズ・シーンでは、1つの楽器をとことん一生涯を通じて追究するタイプの演奏家が一般的な支持されてきたように思えるが、その流れは今後少しずつではあるが変わっていくかもしれない。少なくとも、ウィッティは自由性の高いプレイヤーである。この四作目のアルバム『Anyhow』において、基本的な演奏楽器はテナー・サクスフォンではあるが、バイオリン、シンセ、ギター、木管楽器と複数の楽器をレコーディングで演奏しており、マルチ・インストゥルメンタリストとしての才覚が伺える。彼は、Abletonにギターの短い録音を送り込み、多角的なジャズ・サウンドを探究している。




2020年、映画音楽のスコアを手掛けた後、レランド・ウィッティはこの四作目の制作に着手したという。そして、即興演奏をどのように洗練されたプロダクトとして仕上げるのか、プロデューサーとして思考を凝らした痕跡も見受けられる。そして、プレスリリースによれば、それらの即興演奏の中にある物語性をどのようにして引き出すのかに重点が置かれている。いまや時代遅れの言葉となりつつあるジャズ・フュージョンの名は今作の音楽を端的に表する上で最もふさわしい形容詞となる。しかし、本作のジャズは新鮮味を感じさせるもので、エレクトロとジャズ、映画音楽のように叙事的な音楽を独自の視点から解釈するという面において、ノルウェーのエレクトロ・ジャズバンド、Jaga Jaggistのように、ジャズの近未来を予感させる内容になっている。サウンドは徹底して磨き上げられ、逆再生のループなど細部に至るまで緻密に作り込まれているが、それらの緊張感のあるサウンドは、ウィッティのサクスフォンの独特な奏法によって精細感を失うことはほとんどない。



 

作品の全編には、電子音楽とジャズ、その他にも、プレグレッシヴ・ロックやポップスを内包したサウンドが展開されている。それらの楽曲に説得力をもたらしているのが、レランド・ウィッティ自身のサックスの卓越した演奏力である。自身のサックスの演奏をある種のサンプリングのように見なし、音形を細かく刻んで繋ぎ合わせ、リバーブ/ディレイなどを施してダブ的な効果をもたらすという面では、ブライアン・イーノとの共同制作でお馴染みのトランペット奏者、Jon Hassel(ジョン・ハッセル)の手法に通じるものがある。今作の音楽の核にあるものをアンビエントやニューエイジと決めつけることはできないが、ジョン・ハッセルがかつてそうであったように、その楽器の音響における未知の可能性を、レランド・ウィッティも今作において見出そうとしているように感じられる。しかし、それはもちろん、この奏者がサクスフォンという楽器の音響の特性を把握しているから出来ることであり、演奏自体をごまかしたりするような形で過度な演出が加えられているわけではない。レランド・ウィッティの演奏は伸びやかであり、目の覚めるような意外性に富んでいる。とにかく、聴いていて心地よいだけでなく、トーンの繊細な揺らぎによって意外性を感じさせるのが彼の演奏の特性と言えるかもしれない。



 

アルバム全体には確かにプレスリリースに書かれている通り、何らかのドラマ性や物語性が内包されているように思える。しかしそれは非常に抽象的であり、一度聴いただけでその正体が何なのか把握することは難しい。そして、作品全体に満ち渡る叙情性と神秘性も最大の魅力に挙げられる。作曲の技術の高さ(細かな移調を連続させたり、ループなどを駆使している)については群を抜いており、ハンバー・カレッジで学んだ体系的な音楽の知識にとどまらず、実際のセッションにおける生きた音楽の経験、映画音楽の制作経験の蓄積が生かされているように見受けられる。

 

それらは、流動的なセッションの音の流れやグルーヴを綿密に形成し、ハイセンスな電子音楽のバック・トラックと相まって前衛的な音楽性として昇華されている。かといって、技法に凝るというわけでもなく、各楽曲にはLars Horntveth(ラーシュ・ホーントヴェット)の書く曲のようにユニークさが滲み出ている。



これらをこのミュージシャンの人物的な面白さと決めつけるのは暴論といえるが、少なくとも、古典的なジャズ、クラシックを踏まえた上で、それを新しい音楽としてどのように組み上げていくのかに焦点が絞られている。そして、この点がアルバムそのものに多様性を与え、さらに聴き応えあるものとしている。これまでニューエイジ、エキゾチック、ニュー・ジャズ、様々な開拓者がシーンには登場してきたが、カナダ・トロントのサックス奏者、レランド・ウィッティも同様にジャズのまだ見ぬ魅力を伝えようとしている。

 


92/100

 

 

  



 

 

 Leland Witty

 

レランド・ウィッティは、Badbadnotgoodのメンバーとして最も有名なサックス奏者、マルチインストゥルメンタリスト。

 

コーチェラ、グラストンベリー、ケープタウン・ジャズ・フェスティバル、ロスキレ・フェスティバル、ジャカルタ国際ジャワ・ジャズ・フェスティバルなど、世界各地のフェスティバルで演奏している。

 

パフォーマンスやプロダクションを通じて、Kendrick Lamar、Tyler the Creator、Ghostface Killah、Snoop Dogg、Colin Stetson、Mary J. Blige、Camila Cabelo、Earl Sweatshirt、Frank Dukes、Kaytranadaらと仕事をしてきた。現在、ツアーと制作・作曲の仕事を分担している。

 

レランド・ウィティは、トロントを拠点とするバンドBADBADNOTGOODに7年間所属している。彼は2015年にBBNGに加入したが、全員がハンバー・カレッジのジャズ・プログラムで学んでいた2010年にこのグループと出会っていた。

 

バンドが3枚目のアルバムを出した後にラインナップの再編成を決めた際、アレクサンダー・ソウィンスキー(ドラムス)、チェスター・ハンセン(ベース)、マシュー・タヴァレス(キーボード)がサックスとギターでカルテットを完成させるためにWhittyにアプローチしてきた。Whittyは、Charlotte Day Wilson, Kali Uchis, Kendrick Lamar, Ghostface Killah, Snoop Dogg, Mary J. Blige, Earl Sweatshirt, Kaytranadaなどのアーティストとも仕事をしている。



 amiina 『Yule』

 

 

Label: Aamiinauik Ehf

Release: 2022年12月9日


Listen/Buy



Review 


 

mumの後に続き、アイスランドのフォークトロニカ・シーンに台頭した、国内の音楽大学で結成された室内楽団、amiina(アミーナ)。

 

基本的に、室内楽の多重奏の形式をとるが、首都レイキャビクのfolktronica(フォークトロニカ)のシーンの気風をその音楽性の中に力強く反映しており、もはや、このジャンルのファンにとって、2007年の「Kurr」、2013年の「The Lightning Project」といった作品はマスター・ピースと化している。ロシアの発明家が考案した高周波振動機の間に手をかざすことで音を発生させるテルミン等のオーケストラ発祥の楽器を使用し、既存の作品中で、子供むけの絵本にあるような幻想的な世界観を確立している。上記のmum、シガー・ロスとの共通点は見いだされるものの、体系的な音楽教育に培われたオーケストラ寄りの音楽性がamiina(アミーナ)の特徴と言えるだろう。

 

近年、レイキャビクでは、レイキャビク・オーケストラを始め、国家全体としてオーケストラ音楽を独自文化として支援していこうという動きがあるが、オーラブル・アルナルズやビョークを始め、どのような音楽形式を選んだとしても、古典音楽や現代音楽の要素はアイスランドのアーティストにとって今や不可欠なものとなりつつある。他の地域に比べると、ポピュラー・ミュージックとオーケストラの区別がなく、双方の長所を引き出していこうというのが近年のアイスランドの音楽の本質である。そして、もちろん、アミーナはもまた同じように、古典音楽に慣れ親しんで来たグループだ。近年、エレクトロニカと弦楽器の融合にメインテーマを置いていたアミーナではあるものの、この12月9日に自主レーベルから発売された最新EPでは、電子音楽の要素を排して、チェロ、ビオラ、バイオリンをはじめとする室内楽の美しい響きを探究している。このリリースに際し、アミーナは、クリスマスの楽しみのために、これらの細やかな室内楽を提供する、というコメントを出しているが、その言葉に違わず、クリスマスで家庭内で歌われる賛美歌に主題をとった聞きやすい弦楽の多重奏がこのEPで提示されている。

 

アルバムの全7曲は細やかな弦楽重奏の小品集と称するべきものだろう。厳格な楽譜/オーケストラ譜を書いてそれを演奏するというよりも、弦楽を楽しみとする演奏者が1つの空間に集い、心地よい調和を探るという意味合いがぴったりで、それほど和音や対旋律として難しい技法が使われているわけではないと思われるが、長く室内楽を一緒に演奏してきたamiinaのメンバー、そしてコラボレーターは、息の取れた心温まるような弦楽器のパッセージにより美麗な調和を生み出している。それらは賛美歌のように調和を重んじ、amiinaのメンバーは表現豊かな弦のパッセージの運びを介し、独立した声部の融合を試みている。これらの楽曲はほとんど3分にも満たない小曲ではあるけれど、クリスマスの穏やかで心温まるような雰囲気を見事に演出している。

 

連曲としての意味合いをもつ六曲は、流麗な演奏が繰り広げられ、クリスマスの教会で歌われるようなミサの賛美歌の雰囲気に充ち、何かしら心ほだされるものがある。演奏というものの本質は、演奏者の心の交流で、彼らの温和な関係がこういった穏やかな響きを生み出したと推察される。


それに対して、最後の一曲だけは曲調が一変し、旧い教会音楽やグレゴリオ、さらにケルト音楽に根ざした精妙な弦楽のパッセージが展開される。全6曲は、弦楽のハーモニーの妙味や流れに重点が置かれているが、他方、最終曲だけは、澄んだ弦楽の単旋律のユニゾンがこれらの調和的な響きとコントラストを成している。もし、前6曲が細やかな弦楽の賛美歌と解釈するなら、最終曲は古楽や原初の教会音楽に挑戦しており、この室内楽団のキャリアの中では珍しい試みと言える。

 

音楽は単一旋法がその原点にある。原初的なユニゾンの響きにあらためて着目するラスト・トラックは、複雑化し、枝分かれした現代の無数の音楽の混沌の中にあって、逆に、新鮮に聴こえるかもしれない。『Yule』は、浄夜のムード作りにうってつけの作品と言えるのではないだろうか??

 


78/100


 Little Simz 『No Thank You』

 

 

Label: AWAL Recordings

Release: 2022年12月12日


Listen/Stream



Review

 

2022年度のマーキュリー賞受賞の熱狂の余韻も冷めやらぬ中、先日発表されたUKのラッパー、リトル・シムズの最新作は、ベスト・アルバムリストには間に合わなかったものの、それに匹敵する高いクオリティーを持つ。正直を言うと、この新作アルバムの凄さには本当に驚いた。


幼い時代からラップをしていたというナイジェリアからの移民の両親を持つリトル・シムズは、特にこのジャンルをゴスペルやネオ・ソウル、エレクトロと融合させ、これまでに存在しえなかった形式を打ち立ててみせている。

 

オープニングを飾る「Angel」は、特に、このアーティストのラップが独自性に支えられていることを示している。淡々と紡がれるライムは爽やかな雰囲気を擁しているが、背後のバックトラックには強固なブラックミュージックへの憧憬が滲んでおり、ゴスペルのコーラス、ブレイクビーツを交えたソウルが爽快でありながら陶然とした空気感を演出している。特に、このゴスペル的なコーラスは、リトル・シムズの音楽を敬虔あふれるものとしている。その後も、モータウンサウンドのイントロをモチーフとして展開される#2「Gorilla」では、アシッド・ハウスのコアなグルーブをいかしつつ、このアーティストらしい、さっぱりとしたライムが繰り広げられる。

 

その後も、アルバムの音楽は、1つのジャンルに規定するのを忌避し、#3「Siloulette」では、ソウル/ファンクのグルーヴ感を存分に活かしながら、ポップミュージックのダイナミクスとの融合を図っている。しかし、ミステリアスな雰囲気を擁するトラックには、やはりゴスペル・コーラスにより上質な音楽として昇華されている。曲のクライマックスでは、シネマ音楽のようにダイナミックなホーンとともにフェイド・アウトしていく。ここまでの音楽は、往年のソウルの大掛かりな舞台装置のような演出もあるが、その内郭には、リズムに対してどのような言葉を配置すればよいのか入念に注意が払われている。バックビートを活かしたリリックはリトル・シムズの特徴ではあるが、それは幼い時代から感覚的なものとして定着しているのだろう。

 

さらに「No Merci」からはおそらく近年のハウス・ミュージックに呼応した現代的なサウンドで聞き手の心を捉えてみせる。表面上は、メインストリームの音楽を志向してはいると思われrうが、そこにはリトル・シムズらしい叙情性と繊細性もこの曲には感じ取る事もできる。この曲はアルバムの中でバンガーとして機能しているが、やはりクライマックスにかけては、ダイナミックなソウルへと発展し、ストリングスとホーンのアレンジが深みと迫力をもたらし、続くエレクトロへの意外な展開への呼び水となっている。これらの曲の展開力というのは目を瞠るものがある。

 

続いて、アルバムの音楽はより多彩さとバリエーションを増していき、「X」ではアフリカン・ミュージックのリズムを取り入れつつ、特異なリズム性に根ざしたラップ・ミュージックにブレイクビーツの要素を重ね合わせて楽曲を展開していく。何かひりつくようなシムズのリリックとライムは刺激的であり、前衛的なものであり熱狂性を帯びている。そして、それはやはり、このアーティストの音楽性の核心にあるゴスペルの要素と合致し、イントロからは想像しがたいトリッピーな展開の仕方をする。このあたりに、シムズの才覚が表れ出ているように思える。アウトロのメロウな雰囲気は、往年のソウル・レジェンドに全く引けを取らないものがある。

 

「Heart on Fire」ではメロウなソウルとエレクトロを融合し、淡々とライムを紡ぎ出していく。バックトラックに導入されるエレクトリック・ピアノの響きは、既にソウルミュージックの要素としては不可欠だが、この曲もまたシンプルなビートから一転、クライマックスではドラマティックな展開が待ち受けている。それはリトル・シムズの簡素なライムを中心としてストリングス・アレンジとゴスペル・コーラスが、このアーティストの核心にある叙情性を華やかに演出するかのようにも感じられる。さらに、ゴスペル風のイントロをモチーフにしたソウルのバックトラックに対して、センスよくリリックを紡ぎ出すリトル・シムズのスタイルはその後の「Broken」そして「Sideways」に引き継がれていく。しかし、それはあくまでブレイクビーツの最新鋭のスタイルに根ざし、原型の形を破壊し、それを再構築しようというアーティストの意図も見受けられる。こういった新奇なチャレンジは、むしろ、往年のソウル/ゴスペルの音楽の特性を知悉しているからこそ出来ることだ。リトル・シムズは、それらの音楽にある核のような何かをサンプリングとして抽出し、それを軽快なラップ・ミュージックとして昇華されているのである。

 

もはや終盤の段階に来て、このアルバムの良盤としての評価を疑うリスナーは少ないと思われる。その後に続く「Who Even Cares」は、アルバムの中盤にかけての良質な音楽の魅力をより引き立てる働きをしている。

 

リラックス感のあるチルウェイブに近いこの楽曲は、いわばそれらの中盤までの聴き応えのある楽曲のクールダウンのような役割を果たしている。さらにラスト・トラックで、リトル・シムズはジャズ・ピアノのアレンジを交え、クールなライムを展開させる。このゴージャスな雰囲気を要するラスト・トラックこそ、マーキュリー賞の授賞が名ばかりではなかったと証立てるものとなっている。

 

総じて、リトル・シムズの「No Thank You」は、始めから終わりまで一貫した音楽性を掲げ、それを中心とし、ゴスペル、ファンク、ソウル、ジャズという多彩な側面をみせつつ、タイトなラップ・ミュージックとして仕上げられている。本作はキャッチーではありながら深みもある。知りうる限りでは女性のラップ・アーティストとしては、2022年度の最高傑作の1つに挙げられる(と思われる)。ラップ・ファンにとどまらず、ソウルファンもチェックしてみてほしい。

 

 

97/100

 

 

Featured Track「Control」

 

Drew Wesely 「Blank Bldy」 

 

 

Label: Infrequent Seams

 

Release: 2022年11月18日


Genre: Experimental Music/Noise Avant-garde



Listen/Buy



Review 

 

レビューのご依頼を頂いたので、ニューヨークの実験音楽家、Drew Weselyの最新作「Blank Bldy」の批評を以下に掲載します。

 

ニューヨークには、パーカッション奏者、Eli Keszlerをはじめ、秀逸な実験音楽家が数多く活躍してします。そのアバンギャルド・ミュージックの聖地とも言える場所から登場したのが、Drew Weselyで、革新的な音楽家の一人に挙げられるでしょう。プリペイド・ピアノを発明したことで有名なジョン・ケージは、ピアノの弦に金属片を施し、ピアノの音の発生の意義を覆しましたが、つまりDrew Weselyは、そのプリペイドの手法をギターで試みようというのです。

 

プレスリリースによると、「Blank Body」 は、Drew Weselyによるインターメディア・オーディオビジュアル作品で、プリペイド・ギターを通じての即興演奏が行われています。つまり、音楽を1つの表現性から開放し、音楽の持つ可能性を拡張した作品であり、オーディオとビジュアルの融合という効果を意図したアルバムのようです。実際、アートブックには、半透明のページから構成され、映画の個別ビジュアルのような視覚効果を有しています。例えば、フランスで活動する池田亮司は、音楽とインスタレーションの融合というテーマを掲げていますが、Drew Wesleyも同じく、音楽をより広い表現へと解放するという手法をこの作品で探究しています。実際の音楽と合わせて、これらのアートブックを眺めると、驚くような効果があるかもしれません。

 

実際の音楽についても言及しておくと、「Blank Bldy」の収録楽曲は、アヴァンギャルド・ミュージックの領域にあり、また、偶然に生み出された音をピエール・シェフェールの考案したミュージック・コンクレートの技法を取り入れることにより、断続的な音楽として組み上げています。つまり、デビュー・アルバム「Blank Bldy」の重点は、チャンス・オペレーションとミュージック・コンクレートの融合にあるといえるでしょう。ついで、Drew Weselyは、ギターという楽器をパーカッションとして解釈しているように見受けられる。ギターの弦を調整し、パーカッションに近い特異な音の響きを生み出し、そして、その不可思議な音響に加え、チベット・ボウルのようなパーカッションを導入する場合もある。これらの近代の実験音楽のアプローチを駆使することにより、ノイズ・ミュージックに近い手法を生み出しています。これらの音響学としての興味の反映については、贔屓目に見ても聞きやすい形式とは言い難いですが、他方、ジョン・ケージの最初期のチャンス・オペレーションのように先鋭的な手法が取り入れられており、音響学としての面白さを見出すことも出来るはずです。

 

「Blank Bldy」の音楽には、チャンス・オペレーションを通じて解釈されるカール・シュトックハウゼンのセリー主義の影響も見受けられ、それは12音技法の音符の配置とはまた異なる形式、「1つもまったく同じ音が発生しない」という概念によって支えられているように思える。つまり、このデビュー・アルバムを聴くことは、同じプリペイド・ギターの音が空間中に発生したように見えたとしても、その中に、1つたりとも、同じ形質の音は存在しないという事を発見することでもある。他にも、収録楽曲の中には、チベット・ボウルのようなパーカッションが導入され、これが、チベット密教のマントラのような異質な雰囲気に彩られています。実際のマントラの言葉はないものの、何かしら、東洋的なアンビエンスを至るところに見出す事もできるかもしれません。

 

また、これらのアヴァンギャルド・ミュージックは、未知なる音響との邂逅とも言える。実際のオーディオ・ビジュアル(アートブック)と合わせて聴いてみると、さらにストーリー性が加味され、製作者の意図することがより理解出来るようになるかもしれません。総じて、Drew Weselyのデビュー・アルバム「Blank Bldy」は、正直なところ、まだ作品という面ではいささか物足りなさを感じますが、プリペイド・ギターというこれまで存在しえなかった前衛的な技法を生み出したことに関しては素晴らしい。これらの音楽的な手法が後にどのような音楽形式として発展していくのか心待ちにしたいところです。また、実験音楽家、Drew Weselyは、まだ詳細についてはわからないものの、2023年に日本で公演を予定しているとのことで楽しみです。
 
 
下記に英語の翻訳文を掲載しておきます。細かな文法の間違い、スペルの誤りについてはご容赦下さい。

 


75/100

 

 

 

 

Translation In English

 

 In response to your request for a review, we are pleased to offer the following review of New York experimental musician Drew Wesely's latest work, "Blank Bldy".

 
New York City is home to many outstanding experimental musicians, including percussionist Eli Keszler. From the mecca of avant-garde music comes Drew Wesely, one of the most innovative musicians of all time. John Cage, famous for inventing the prepaid piano, overturned the significance of sound generation on the piano by inserting metal strips into the piano strings, and Drew Wesely is attempting that same prepaid technique on the guitar.

 
According to the press release, "Blank Body" is an intermedia audiovisual work by Drew Wesely, improvising through a prepaid guitar. In other words, the album seems to be an album intended to have the effect of merging audio and visuals, a work that opens music from one expressive form to another and expands the possibilities of music. In fact, the art book consists of translucent pages and has a visual effect similar to that of individual visuals in a movie. For example, Ryoji Ikeda's theme is the fusion of music and installation, and Drew Wesley similarly explores the technique of releasing music into a broader expression in this work. Viewing these art books in conjunction with the actual music may have a surprising effect.

 
To mention the actual music, the compositions in "Blank Bldy" are in the realm of avant-garde music, and by incorporating the technique of "music concrète", devised by Pierre Scheffert, the accidentally created sounds are assembled into intermittent The music is assembled as intermittent music by incorporating the technique of music concrète, a technique developed by Pierre Henri Marie Schaeffer In other words, the emphasis of the debut album "Blank Bldy" is on the fusion of chance operations and music concrete. Secondly, Drew Wesely appears to interpret the guitar as a percussion instrument. By rubbing the strings of the guitar together, he creates a peculiar percussion-like sound, and then, in some cases, introduces percussion such as Tibetan bowls to add to the mysterious acoustics of the instrument. These modern experimental music approaches are used to create a technique that is similar to noise music. Regarding the reflection of these interests as acoustics, it is difficult to say that the format is easy to listen to in a patronizing way, but on the other hand, it incorporates radical techniques such as John Cage's earliest chance operations, and it should be possible to find some interest in it as acoustics.

 
The music of "Blank Bldy" also shows the influence of Carl Stockhausen's "Selialism", interpreted through chance operations, which seems to be supported by a different form from the arrangement of notes in the 12-tone technique, the concept that "no two notes are exactly alike. It seems to be supported by a form different from the arrangement of notes in the twelve-tone technique, the concept that "no two notes are exactly alike. In other words, to listen to this debut album is to discover that even though the same prepaid guitar sounds seem to occur throughout the space, no two of them are identical. Other percussion, such as Tibetan bowls, are introduced in the recorded music, and this is colored by the alien atmosphere of a Tibetan esoteric mantra. Although there are no actual words of the mantra, one may find some kind of oriental ambience throughout.


These avant-garde music pieces can also be described as encounters with unknown acoustics. Listening to them together with the actual audio visuals (art book) may add even more storytelling and help us better understand what the producers intended. All in all, Drew Wesely's debut album "Blank Bldy" is, to be honest, still somewhat underwhelming in terms of production, but it is great for its creation of prepaid guitar, an avant-garde technique that could not have existed before. I look forward to seeing how these musical techniques will develop into musical forms in the future. We are also looking forward to seeing experimental musician Drew Wesely, who is planning to perform in Japan in 2023, although details are not yet available.Thank you so much,Drew Wesely!!

 Sophie Jamieson 『Choosing』

 

 Label: Bella Union

 Release: 2022年12月2日




 Review

 

ロンドンを拠点とするシンガーソングライター、ソフィー・ジェイミーソンは、デビュー・アルバム『Choosing』で、自己破壊の苦しいどん底からかすかな希望の光に包まれた安全な旅を描いたパーソナル・ドキュメントを生み出している。

 

先行シングルを聴く限りでは、フォーク・ミュージックの印象が強かったものの、実際のアルバム全体を聴くと、オーケストラ、ポップス、フォーク、ロックと、かなりバリエーションに富んだ楽曲を楽しむことが出来る。

 

ソフィー・ジェイミーソンは、Elena Tonra,Sharon Van Etten、Scott Gutchisonといったソングライターから影響を受けているというが、上記のようなミュージシャンのメロディーセンスや歌唱法を受け継いだ、一聴しただけでは理解しえないような奥深さのある楽曲が本作には多く収録されている。ソフィー・ジェイミーソンの歌声は淑やかであり、内面を深く見つめるかのような思索性に富んでいる。ギター、そして、上品なモダン・クラシカルを思わせるピアノ、チェロ、そして、ローファイ調のドラムといった複数の楽器が配置されたバックトラックがソフィー・ジェイミーソンのソングライティングやボーカル/コーラスの持つ音響的な世界を徐々に押し広げていく。

 

全体的に囁くように繊細なジェイミーソンのボーカルは、その上辺の印象とは裏腹に、聞き手を心地よくさせ、さらに陶然とさせるパワーを有している。そしておもてむきにはそのかぎりではないが、内なる迫力を持ち合わせている。そして、ギターの弾き語りや、オーケストラのアレンジを通じて、これらのささやかな音楽の世界は、ひとつひとつの歌を通して、深みを増していき、複雑な音響の世界を形作る。まだ、デビュー・アーティストとして、歌をうたうこと、そして、曲を書くことに関して手探りであるような雰囲気も見られるが、そこには奇妙な自負心や勇ましさも感じられる。

 

特にこのデビュー作では、ギターの穏やかな弾き語り曲とピアノの弾き語りのトラックがひときわ美麗な印象を放っている。アルバムの序盤の収録曲「Crystal」は、ピアノに深いリバーブを施した楽曲であるが、ソフィー・ジェイミーソンは、何かそれらのピアノの音色を噛みしめるかのように、淡々と歌を紡ぎ出していくのが印象に残る。内面的な情感に彩られた一曲だが、ジェイミーソンの歌は時にソウルフルであり、シンプルなピアノの伴奏と相まって、静か深い情感を誘う内容となっている。ソフィー・ジェイミーソンの描き出す音の物語は時に「Sink」のような楽曲において、このアーティストにしか生み出し得ない情感によって内面にそれらのエネルギーが積み上げられることにより多面的な角度から紡がれていく。時に、それは、ドラムとシンセに乗じて繰り広げられるリフレインの恍惚性が楽曲の複雑さを強調するである。

 

また、そのほかにも、「Fill」は、米国のシャロン・ヴァン・エッテンを彷彿とさせるような、神秘的な雰囲気に彩られた楽曲もまた、ポップスとして味わい深い一曲となっている。ここでは、暗鬱な感じに満ちているが、ひとつひとつの言葉や旋律が丁寧に歌いこまれているので、聞き手を歌手のいる空間に惹きつけるような力学が働く。静かで落ち着いた一曲ではあるのだが、聴いていると、じっと耳をそばだててしまうような説得力を持ち合わせていることにお気づきになられるはずだ。これらの淑やかさに満ちた曲は、その後も同じような心地よく美しい空間を演出している。「Empties」でも心地よいポップ/フォーク・ミュージックが繰り広げられるが、ギターのアルペジオとコーラスとシンセサイザーが綿密に折り合わせられることにより、ジェイミーソンの歌声の美しさを余すところなく引き出している。特に、これは、このアーティストのメロディーセンスが最も感じられる一曲となっており、コーラスと絶妙にメインボーカルが混じり合う箇所は、美麗なゴスペルのような雰囲気を擁しており、その凄みに圧倒されてしまう。

 

その後も、 内省的な質感に彩られたギターソングが続く。「Violence」ではジャズ調のアンニュイな雰囲気に充ちた特異な空間を生み出している。ギターの繊細な指弾きのアルペジオは一聴の価値があり、滑らかなギターのアルペジオの上に、ジェイミーソンは囁くように歌っているが、詩的な表現性が込められているため、かなり聴き応えがあり、そして陶然とさせる力がある。背後に薄く重ねられたシンセサイザーのシークエンスが、これらの音の世界をドラマティックに、じわりじわりと盛り上げていく。そして、この曲の終盤では、美しいコーラスを交え、シンプルなイントロは目の覚めるようなダイナミックな楽曲に変化を遂げていく。このあたりの劇的な変化はぜひとも、じっくりと曲を聴いてみて、歌の凄さの一端を体感してみていただきたい。

 

「Boundary」もまた、コーラスワークが本当に美しく、せつない雰囲気が漂う一曲である。ジェイミーソンは、前の曲の形式を受け継ぎ、ギターの弾き語りを通じて、ハミングやコーラスワークを通じ、持ちうる情感を余す所なく表現している。特に、ビブラートが伸びていく時、 そしてそれがシンセサイザーやコーラスと劇的な融合を果たす時、息を飲むようなドラマティックな瞬間が生み出される。そして、このイントロからは想像しがたい歓喜的な瞬間がアルバムの核心ともいえる箇所となるはずだ。

 

アルバムの終盤になっても、美しい楽曲が目白押しとなっている。「Who Will I Be」はソングライターとしての才覚を遺憾なく発揮され、クランキーなエレクトリック・ピアノを交えながら、ソウルフルな趣きに支えられた情感豊かな楽曲が繰り広げられる。特に、この曲でもクライマックスにかけて、ビートの変更を途中に交えることにより、前半部とはまったく異なる情熱的な瞬間を見せるが、その後、イントロの美麗な主題が最後に陶然とした余韻を残している。

 

クローズ・トラックとして収録されている「Long Play」は、前の曲の続きとしても聴くことが出来る。このジャズ調のギターの弾き語り曲は、精妙な切なさによって彩られているが、ソフィー・ジェイミーソンの生み出す音楽は決して安っぽくはないし、センチメンタリズムの悪弊に堕するものでもない。素朴で上質な質感によってこれらの感情表現を巧みに彩り、聞き手を音楽の持つ奥深い世界の中へ引き込んでいく。


取り分け、アルバムのクライマックスでの細やかなギター演奏による奥深い音響世界と、このアーティストの高らかで抑揚に溢れる歌声は、目を瞠るような迫力と凄みがある。これらの楽曲は、単なる商業的なポップ・ミュージックとはいいがたい。強固な音楽のバックボーンを持ちあわせており、何度聴いても飽きさせない深さがある。


84/100

 

 

 Featured Track 「Boundary」


 

 Louis Culture  『When Life Presents Obstacle」EP

 


 

Label: Different Recordings

Release: 2022年11月25日

 

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サウスロンドンのライマー、ルイス・カルチャーはこれからの活躍が非常に楽しみなアーティストの一人に挙げられる。

 

2020年のデビュー作『Smile Soundsystem』で刺激的なオルタナティヴ・ラップを展開し、シームレスにマルチジャンルの領域にラップを開放している。 先週末にリリースされた『When Life Presents Obstacle』では、シンガーソングライター、HALINAをフューチャーしている。プロデュースには、フィン・ウィガン、サモ、マックス・フリス、キイナ、カルマ・キッド、カール・フォレスト、ジム・リード、デロン、IDHEMを迎え、そして、ルイス・カルチャーが共同プロデュースを行った作品だ。


ルイス・カルチャーはこの作品について、「このEPは(心の)空白を埋めるものだ」と説明している。

 

「私が言いたいことはすべてここにある、あなたに知ってもらいたいこともここにある。愛、悲しみ、成功、終わり、うつ病、痛み、起きていること、痩せていること、欲望、モチベーション、思春期、忘却、忍耐力、楽観主義、孤独を和らげる歌が少なくとも一曲はあることを願っている」

 

ルイス・カルチャーの言葉は誇張ではない。ここでは、ロンドンの真夜中のクラブサウンドの幻影的な響きを残しつつ、内的な感覚と外的な感覚を兼ね備えた痛快なラップ・ミュージックが繰り広げられる。ルイス・カルチャーのラップは、UKドリルを基調としているように感じられるが、彼のリリックや節回しの端々には、ほのかなエモーションが漂い、これがルイスの売れ筋のラップソングと一線を画すように聴こえる理由なのである。この作品では、ルイス・カルチャーは、ロンドンの若者の日常の生活や、日々の暮らしから引き出される感情性が素直に表現されている。

 

内面をじっくりと見つめ、それらをラップとして表現するという点では、同じサウス・ロンドンのロイル・カーナーと同様だが、ルイス・カルチャーの音楽性の原点は、どちらかといえば、UKグライム/ベースラインに代表されるクラブサウンドに求められると思う。そして、彼の今作におけるラップは、それらの白熱したクラブサウンドを遠巻きに体感するという雰囲気である。つまり、フロアの熱狂性のさなかにルイス・カルチャーは身を置くのではなく、それらの熱狂性を遠くから、冷静に見つめ、大衆と自己を照らし合わせるという感じなのだ。これがルイスのラップが一定の熱量がありながらも、奇妙な内面性を持ち合わせている部分なのである。

 

『When Life Presents Obstacle』は、UKドリルのメインストリームにあるラップとは一味違う性質を帯びている。現代的なクラブ・ミュージックに根差したラップの中に、サンプリング/チョップなどの技法を駆使しながら、グリッチ的なビートを生み出し、時に、旋律的な要素が特異なエモーションが漂っている。それは、さながら、狂乱的なパーティーの後の奇妙な虚脱、その時に感じる自己の心に満ちる空白を彼はラップを通じて表現しようとしているように思える。

 

今作は、ロンドンの若いカルチャーと向き合った音楽であるかと思うが、その熱狂を体験した後に、改めてそこから一歩身を引いて、より自己の内面深くに迫るかのような冷静さに充ちている。これらのラップ・ミュージックは、自分達がメインストリームの中心にいることを疑わないリスナーよりも、そういった文化の中に身を置きつつ、そこにある種の違和感や虚しさを見出すようなリスナーの感性に強く共鳴する作品となるだろう。ルイス・カルチャーは、傷つきやすい若者に寄り添うような温かみのあるラップ・ミュージックを『When Life Presents Obstacle』において体現している。

 

 

 87/100

 

 

Featured Track 「7AM」

 

 Caitlin Rose  『CAZIMI』

 

 

 Label: Pearl Tower

 Release: 2022年11月18日


 

Review

 


米・ナッシュビルのソングライター、ケイトリン・ローズは、シングルこそ2012年からリリースしているようですが、最初のアルバムのリリースは21年で、九年の月日を要している下積み期間を長く積んできたシンガーです。

 

占星術の専門用語に因んだタイトルが冠されて発表されたセカンド・アルバム『CAZIMI』は、パンデミック以前に録音が行われ、プロデューサーのJohn Lehningと二人三脚で生み出された作品となっています。前作のリリース後、ケイトリン・ローズは、一時的に、ミュージシャンとして完全に自信を喪失しかけており、やめようとも考えていたようですが、結果的にプロデューサー、ジョン・レーニングに後押しされる形で、2ndアルバムのリリースにこぎつけています。この作品『CAZIMI』はこの歌手としての自信を取り戻すためのきっかけともなりえるでしょう。

 

ケイトリン・ローズの音楽は、古き良きUSポップスを彷彿とさせ、温和な雰囲気に彩られています。それほど肩肘をはらず、自然体で歌う姿勢は、多くの共感を呼び覚ますものとなっている。しかし、その現実的な姿勢は常に、ロマンチックな感慨へと眼差しが注がれている。このあたりのメルヘンチックな感じに本作の最大の魅力が込められています。これはこのアーティストの神秘的な概念に対する憧れがいわく言いがたいミステリアスな雰囲気として、このアルバムの全編を覆い、音楽性の表面性を形作っています。また、音楽的にいえば、本作では、スティールギターを交えたカントリーソングや、キッシュな感じのあるインディーロックソングと、このシンガーソングライターらしさが全面的に引き出されています。70年代の懐かしのポップス、ファンシーなキャラクターが、このアルバムの独特なまったりとしながらも神秘的な世界観を形成し、それらはシンセやグロッケンシュピールといった楽器、他にもギターの絶妙なカッティングにより、楽曲本来の持つドラマ性やダイナミック性が引き立てられているのです。

 

明らかに古典的なカントリー/フォークを志向していたデビューアルバム「Own Side Now」とは打って変わって、やはり、ミュージシャンとしての試行錯誤の跡が残っている作品で、ケイトリン・ローズは、オルタナティヴ・ロックの性質を突き出し、前作よりもフックの効いた楽曲が目立ちます。そして、この点については、未知の領域を開拓しているように感じられますが、あくまでケイトリン・ローズの音楽性の核心にあるのは、ささやかなフォーク/カントリー性にあり、ラジオ全盛期にかかっていたような名ポピュラー・ミュージックの踏襲にあるわけなのです。


それに加え、オープニングトラック「Carried Away」や「Black Obsidan」で見られるこのアーティストの占星術に対する興味が窺えるような曲も作品全体に強い個性をもたらしています。ケイトリン・ローズは、これらの懐古的なフォーク・カントリーの要素に、占星術への興味からくる特異なミステリアスな雰囲気を付け加えて、それを包み込むような温みのあるボーカルでさらりと歌いこんでいます。このあたりの漂うチェンバーポップ/バロックポップの要素は、じっくりと聴きこめる要素を作品自体に与えており、先日リリースされたウェイズ・ブラッドと同様、古い時代の音楽への共鳴が示されているようにも思えます。ケイトリン・ローズのヴォーカルはそれらの往年の名ポピュラー・ミュージックへの大いなる讃歌ともなっているわけです。

 

本作には他にも聴き逃がせない曲が収録されており、「Holdin'」やクローズを飾る「Only Lies」では、ファースト・アルバムとは異なるアプローチを図り、現代的なオルタナティヴ・ロックへの傾倒を見せています。これらの二曲は、はつらつとしたエネルギーに満ちていて、リスナーを巻き込む力に溢れており、このシンガーソングライターが次のステップへ進んだことを証明するものとなっています。


現時点では、カルト的な立ち位置に甘んじている感のあるケイトリン・ローズではあるものの、ソングライティングにおける高い能力は、この作品で証明しているので、もし、フォーク/カントリーというルーツをより究め、このアーティストの意外な魅力の1つであるオルタナティヴな要素がより強く出た場合には、より幅広い人気を獲得出来る余地があるように感じられます。



72/100

 

 

Featured Track 『Black Obsidian」


 Pole  『Tempus』

 

 

 Label: Mute

 Release: 2022年11月18日

 

 

Review

 

 

ドイツ/ベルリンのプロデューサー、ステファン・ベトケは、既に長いキャリアを持つ電子音楽家で、ドイツのテクノ・ミュージックの伝統性を受け継ぐミュージシャンとして知られている。2000年代後半に発表した、三部作『I』『Ⅱ』『Ⅲ』において、このサウンド・デザイナーの持つ強固な個性を見事な電子音楽として昇華した。この三部作は、コンピューターシステムのエラーを介して発生するグリッチを最大限に活かした傑作として名高い。冷徹なマシンビートが重層的に組み合わされて生み出される特異なグルーブ感は、ベトケの固有の表現性と言えるだろう。


先週金曜日に発売された『Tempus』は、ステファン・ベトケ曰く、2020年の前作アルバム『Fading』の流れを受け継いだもので、その延長線上にあるという。しかし、2000年代の三部作とは異なる作風を今作を通じてベトケが追い求めようとしているのは、耳の肥えたリスナーならばきっとお気づきのことだろう。ステファン・ベトケは、今回の制作に際して、母親の認知症という出来事に遭遇したのを契機として、その記憶のおぼつかなさ、認知症の母に接する際の戸惑いのような感覚を、今作に込めようとしたものと推測される。しかし、記憶というのは、常に現在の地点から過去を振り返ることによって発生する概念ではあるが、ーー過去、現在、未来ーー、と、ベトケは異なる時間を1つに結びつけようとしている。これが何か、本作を聴いた時に感じられる不可思議な感覚、時間という感覚が薄れ、日頃、私達が接している時間軸というものから開放されるような奇異な感覚が充ちている理由とも言えるのである。


今作のアプローチには、2000年代のグリッチ/ミニマルの範疇には留まらず、実に幅広いベトケの音楽的な背景も窺える。そこには、メインとするグリッチの変拍子のリズムに加え、CANの『Future Days』のクラウト・ロック/インダストリアルへの傾倒もそこかしこに見受けられる。他にも二曲目の「Grauer Saound」では同じベルリンを活動拠点とするF.S. Blummのようなダブへの傾倒も見られる。しかし、ベトケの生み出すリズムは常に不規則であり、リスナーがリズムを規定しようとすると、すぐにその予想を裏切られ、まさに肩透かしを喰らってしまう。そして、ダブのようにリバーブを施したスネアの打音が不規則に重ねられることによって、ダブというよりもダブステップに近い複雑怪奇なグルーブ感が生み出される。聞き手はステファン・ベトケの概念的なテクノサウンドに、すっかり幻惑されてしまうという始末なのである。

 

アンビエントに近いテクスチャーにこういったダブに近いリズムが綿密に組み合わされ、『Tempus』の音楽性は構築されていくが、時に、これらの楽曲にはジャズに近いピアノのフレーズが配置され、これが無機質なアプローチの中に、僅かな叙情性を漂わせる理由といえる。しかし、それらのフレーズは常に断片的であり、何か人間の認識下に置かれるのを拒絶するかのような、独特な冷たさが全編を通じて漂っている。このあたりの没交渉的な感覚にクールさを見出すかどうかが、この最新アルバムを好ましく思うかの分かれ目となるかもしれない。

 

『Tempus』は、かなり前衛的なアプローチが図られており、聴く人を選ぶというより、聴く人が選ばれる、というような作品となる。しかし、この近未来へのロマンチシズムを思わせるようなアプローチ、モダン・インダストリアルな雰囲気の中に、今回の制作において、ステファン・ベトケの構想した、過去、現在、未来を1つに繋げるという、SFの手法が上手く落としこまれているのもまた事実だ。ステファン・ベトケは、リズムの面白さを脱構築的に解釈し、あえて不規則なリズムをランダムに配置することによって、自身の不安めいた感覚を電子音楽として表現しようとしているように思える、それは彼の内面の多彩性がこのような複雑な形で表れ出たとも言える。

 

最新作『Tempus』において、ドイツテクノシーンの最前線に位置するステファン・ベトケは、新しい立体的な電子音の構築を試みているが、彼の模索する新たなリズム構築の計画は未だ途上にあると思われ、今作で、ステファン・ベトケの最新の作風が打ち立てられたと考えるのは、やや早計となるかもしれない。しかし本作は、CANを始めとする、プリミティブなクラウト・ロックを現代的な視点から電子音楽により再構築したアルバムとして、多様な解釈を持って聴き込めるような作風となっている。


78/100


 

 Anorak! 『Anorak!』

 



Label: Superniceboys

Release: 2022年11月16日

 

 

 

Review

 

 

 中央線沿線のミュージック・シーンから登場した気鋭のインディーロックバンド、Anorak!は、今日の東京のシーンを牽引する有望なバンドの1つに数えられます。既に八王子でEnzweckとの対バンなど、パンクハードコアシーンの大御所との対バンを経て、着実に実績を重ねようやくデビュー・アルバムが到着しました。

 

 昨日、リリースされたばかりのセルフタイトルのデビュー・アルバム『Anorak!』はトゥインクル・エモの王道を行く疾走感と青春性を兼ね備えた作品となっており、まず、驚くのは、アルバムの曲名が全部、地名になっているんです。彼らがライブ活動拠点の中心に置いている吉祥寺を始めとする東京、及び、埼玉の地名がずらりと並んでいる。

 

 Anorak!の音楽性は、フランスのSport、米国のAlgernon Cadwallder、Empire!Empire!の直系に当たり、タッピング奏法を駆使したギターチューンに加え、激情スクリーム、グルーヴの効いたリズムを擁するインディーロック/エモーショナル・ハードコアが中心となっている。ただ、既に以前からEmpire! Empire!とのスピリットをリリースし、Algernon Cadwallderとの米国ツアーを敢行しているmalegoatがいるわけで、八王子のミュージックシーン直系のインディーロックとも言えるかもしれません。

 

 記念すべきデビュー・アルバム『Anorak!』は、地名をもとにその土地の持つイメージであったり記憶のようなものが引き出されているように思える。同じトゥインクル・エモとはいえど、若干ではあるものの曲調が異なっている。疾走感のあるロックソングを基調に、そこに2010年代の東京のオルタナティヴ・ロックバンド(akutagawa etc.)の影響下にあるような楽曲も複数見受けられる。これらの米国とは若干異なるオルタナティヴな雰囲気を持った音楽性が展開されてゆく。


 Anorak!の音楽性の最大の魅力は、青春の色合いを感じさせるエモ性にあるように感じられますが、これらの14曲は、このトリオが相当長い時間をかけてスタジオやライブで煮詰めた曲/温めてきた曲であるように思え、細部にわたり綿密に作り込まれており、かなり聴き応えがある。キャッチーな印象を持ち、現代風のオルトロックとしても聴くことが出来る「吉祥寺」とは裏腹に、「八王子」ではニュースクール・ハードコア寄りの楽曲にも挑戦していたり、このあたりはAnorak!のバンドとしてのスタンスが顕著に示されており、以前からOrtegaやWell Wellsを始め、オルタナよりもパンクが強い八王子らしい音楽性を感じさせ、ニヤリとさせるものがある。

 

 「調布」では、スクリームを交えた激情系のエモの王道を行く楽曲に挑戦し、見事なひねりを加えている。また「下北沢」では、トゥインクル・エモの核心を受け継いだ楽曲を提示している。ミッドウェストエモの基調にしつつ、そこに独特のオルタナの色合いを持つのも面白い特徴となっている。このあたりのオルタナティヴのアプローチには少し切ない雰囲気が漂っており、ときおり、インスト曲を交えながら、痛快なトゥインクルエモが繰り広げられていき、アルバムの終盤には最大のハイライト「池袋」が待ち受けている。ここでは、”手刀”を始めとするライブハウスを擁する池袋へのリスペクト、街そのものの雰囲気が爽快感/疾走感のあるインディロックソングとして仕上げられている。この「池袋」の熱狂性こそ、インディーロック/エモファンにとって本作の最高の瞬間となると思われる。これらの曲は、吉祥寺ワープや八王子のリップスといった東京のコアなライブハウスで醸成された生きた音楽となっているのかもしれません。その他「品川」では、このアルバムの中で、最もポスト・ロックに近い音楽性を提示しており、Anorak!のライブハウス仕込みの演奏のテクニックの高さを体感することが出来る。

 

 アルバム全体としては、東京や埼玉といったバンドに馴染みのある街を取り上げたコンセプト・アルバムに近い作品という印象です。既に解散したフランスのSportが『Demo 2011』でこういった異なる場所/異なる時間に因んだ作品を残していて、それに近い斬新なアプローチが取り入れられていて、このあたりが、音楽を通して様々な土地を巡るかのような不思議な感覚を与える。

 

 記念すべきデビュー作『Anorak!』において、3人組のバンドは、東京のインディーズシーンにAnorak!あり、ということを証明づけたにとどまらず、より広く全国的に聴かれるようになる足がかりを作ってみせたと言えるでしょう。今後の彼らの活躍にも期待していきたいところです。


 

78/100

 

 

 Featured Track 「吉祥寺」


 

 

 

 

Holiday Records:

 

https://holiday2014.thebase.in/items/67439798 

 

 Christina Vanzou 『No.5』

 

 

 Label: Kranky

 Release: 2022年11月11日


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Review


 

 ベルギー在住の実験音楽家、クリスティーナ・ヴァンゾーは、インド古典音楽のラーガに触発された前作『Christina Vanzou,Michael Harrison,John Also Benett』において、複数のコラボレーターを見事にディレクションすることにより、殆ど非の打ち所がない傑作を生み出したが、わずか二ヶ月という短いスパンで発表された『No.5』では、前作とはまったく異なる境地を開拓している。


この作品『No.5』は、2011年から発表されている連作の第5作目となるが、クリスティーナ・ヴァンゾー自身は、この曲を「ファースト・アルバムのようだ」と称している。その言葉通り、これまでとは一風異なる新鮮な実験音楽のアプローチを図っている。『No.5』は、ヴァンゾーがギリシャのエーゲ海に浮かぶシロス島にショーのために滞在していたとき、「集中する瞬間」を見出し、レコーディングが行われた。その後、ヴァンゾーは、別の島に移動し、ラップトップとヘッドフォンを持って屋外に座り、サウンド・プロダクションを生み出していったという。


今作は、シカゴのKrankyからのリリースというのもあり、全体的にはアンビエントに近い作風となっている。メレディス・モンクのように神秘的なヴォーカル、そして、洞窟の中に水がしたたり落ちる音を始めとするフィールド・レコーディング、家具音楽に近いピアノのフレーズ、モジュラーシンセの実験音楽的なアプローチ、もしくは、映画音楽のサウンドトラックに触発された間奏曲、これらが一緒くたになって、1つのフルアルバムの世界が綿密に構築されていく。そして、『No.5』は、近年のヴァンゾーの作風の中で最も静謐に充ちた作品となっているように思える。この作品を通じて、神秘的な洞窟の中で音に耳をすましているかのような異質な体験をすることが出来る。この作品は音を介して繰り広げられる不可思議な旅とも称することができよう。

 

オープニングトラックの「Enter」のイントロにある外気音や、そして、洞窟の中に風が通り抜けていくようなアンビエンスを導入し、異世界への神秘的な扉が開かれる。その後に続く音楽には、足音の反響が響き渡る中、シンセサイザーのシークエンスを通じて、特異な音響性が生まれる。その合間に挿入されるヴォーカルは、奇妙であり、神秘的であり、それらの奥に続く得体のしれない異空間に繋がっていくようでもある。映画のようにストーリテリング的でありつつ、ここには実験音楽でしか生み出し得ない深い情緒的な物語が充ちているのだ。

 

続く、「Greeting」では、一転して、マンチェスターのModern Lovers所属の電子音楽家、ダムダイク・ステアやアンディ・ストットのような妖しげな音響をシンセサイザーを通じて展開していく。もちろん、ダブステップのようなダンサンブルなリズムは一切見られないが、ボーカルを音響として捉え、シンセサイザーのトーンのゆらぎの中、幻想的な実験音楽が繰り広げられる。その後の「Distance」では、メタ構造の音楽を生み出しており、映画の中に流れるショパンの音楽を1つのフレーム越しに見ることが出来る。その後も映画音楽に近いアプローチが続き、「Red Eal Dream」では、ピアノのフレーズ、虫の声のサンプリング、グリッチ的なノイズを交え、視覚的な効果を強めていく。音楽を聴き、その正体が何かを突き詰める、そのヒントだけ示した後、このアーティストは、すべて聞き手の解釈に委ねていくのである。続く「Dance Reharsal」では、20世紀の実験音楽家、クセナキスやシュトゥックハウゼンに近い、電子音楽の原子的な音楽性を踏まえた音楽を提示している。無調性の不気味な感じの音楽ではあるが、近年こういった前時代的な方向性に挑戦する音楽家は少ないので、むしろ新鮮な気風すら感じ取れる。 


これらの一筋縄ではいかない複雑な音楽が続いて、連曲の1つ目の「Kimona 1」はこのアルバムの中で最も聞きやすい部類に入る楽曲である。モートン・フェルドマンのような不可思議なピアノのシュールレアリスティックなトーンの中に響くボーカルは、神秘的な雰囲気に充ちている。ピアノのフレーズは一定であるが、対比的に広がりを増していくヴォーカルの音響は、さながら別世界につながっているというような雰囲気すら漂う。嘆きや悲しみといった感情がここでは示されていると思うが、その内奥には不可思議な神聖さが宿り、その神聖さが神々しい光を放っているのである。さらに続く「Tongue Shaped Shock」では修道院の経験溢れる賛美歌のような雰囲気に満ち、その後はオーボエ(ファゴット)の音色を活かし、シンセサイザーとその音色を組み合わせることにより、得難いような神秘的な空間を押しひろげていく。この上に乗せられるボーカルのフレーズの運びは不可解ではあるのだが、はっきりとメレディス・モンクのようなアプローチが感じられ、それはひろびろとした大地を思わせ、表現に自由な広がりがある。

 

その後もアルバムの音楽は、崇高な世界へと脇目も振らず進んでいく。バッハのチェロの無伴奏ソナタの影響を色濃く受けた「Memory of Future Melody」は、チェロの演奏の緻密なカウンターポイントを駆使した音楽ではあるが、その和音の独特な進行の中には、ストラヴィンスキーの新古典派に象徴される色彩的な管弦楽のハーモニーの性質と、その乾いた響きとは正反対にある華美な音の運びを楽しむことが出来、サウンドプロダクションを通じてのチェロの信じがたいようなトーンのゆらぎにも注目したい。これらの現代音楽のアプローチに続き、7曲目の連曲「Kimona Ⅱ」では、「Ⅰ」の変奏を楽しむことが出来る。落ち着いたピアノ音楽、そして、シンセサイザーのオシレータを駆使したクセナキスのような実験音楽的な音色、そして、ヴォーカルの神秘的な音響が一曲目とは異なる形で展開されている。作曲のスタイルは、ブゾーニのバッハのコラールの編曲のように、不思議な荘厳さや重々しさに満ちている。さながらそれは内的な寺院の神聖さを内側の奥深くに追い求めるかのようだ。しかし、この二曲目の変奏もまた、ピアノ演奏は非常にシンプルなものはありながら、崇高で、敬虔な何かを感じさせる。しかし、その敬虔さ、深く内面に訴えかける感覚の正体が何であるのかまでは理解することは難しい。 


これらのきわめて聴き応えがあり、一度聴いただけでは全てを解き明かすことの難しいミステリアスなアルバムの最後を飾る「Surreal Presence for SH and FM」では、クリスティーナ・ヴァンゾーの音楽家としての原点であるDead Texanのピアノ・アンビエントの音楽性に回帰している。

 

この後にStars Of The Lidとして活動するAdam Witzieとのプロジェクト、The Dead Texanの一作のみリリースされた幻のアルバム『The Dead Texan』で、クリスティーナ・ヴァンゾーは、Adam Wiltzieの導きにより、映画の世界から、音楽家ーー実験音楽やアンビエント・プロデューサーに転身することになったが、それは2004年のことだった。最初のデビュー作からおよそ18年の歳月を経て、このアーティストは今作を通じて、人生の原点をあらためて再訪したかったように感じられる。

 

そのことを考えると、ある意味で、本作は、このアーティストの1つの区切り、分岐点になるかもしれない。『No.5』は、クリスティーナ・ヴァンゾーのキャリアの集大成のような意味を持つと共に、このアーティストが新しい世界の次なる扉をひらいた瞬間である。しかし、果たして、次に、どのような音楽がやってくるのか・・・、それは実際、誰にもわからないことなのだ。

 

 

 

96/100






昨日、米国のシンガーソングライター、Sharon Van Etten(シャロン・ヴァン・エッテン)は最新アルバム『We've Been Going About This All Wrong』のデラックス・エディションをリリースしました。アルバムのレビューは下記よりお読み下さい。

 

リリースに合わせて、このアルバムの収録曲「When I Die」のリリックビデオが公開されました。この曲のリリック・ビデオも公開されています。


Sharon Van Ettenは以前のプレスリリースで、リスナーがアルバム全体を一度に聴くことを望むことについて、次のように語っている。

 

「最初から最後まで、このアルバムは、私たちがそれぞれの方法で経験したこの2年間のジェットコースターを記録した感情の旅です。その旅に一緒に乗っていただければと思います。私の側にいてくれてありがとう」


以前、ヴァン・エッテンがアルバムの予告編を公開していた。このアルバムには彼女の2022年のシングル「Used to It」は収録されておらず、またデラックス・エディションにも収録されていない。


『We've Been Going About This All Wrong』は、Jagjaguwarから2019年にリリースされた『Remind Me Tomorrow』に続く作品である。


ヴァン・エッテンは『We've Been Going About This All Wrong』をダニエル・ノウルズと共同制作し、ロサンゼルスの実家に新設した特注スタジオでそのほとんどを自らレコーディング、エンジニアリングしている。Van Ettenはこのアルバムでギター、シンセサイザー、ピアノ、ドラムマシン、ウーリッツァー、鍵盤などを演奏していますが、ドラムにJorge Balbi、ベースにDevon Hoff、シンセサイザーとギターにライブ音楽監督のCharley Damskiという彼女の通常のツアー・バンドが参加しています。


ヴァン・エッテンは、前回のプレスリリースで、「今回のリリースでは、アルバム全体をひとつの作品として提示するために、これまでとは異なるアプローチで、意図的にファンを巻き込みたかった」と語っています。「この10曲は、希望、喪失、憧れ、回復力といったより大きな物語が語られるように、順番に、一度に聴くことができるように設計されている」


アルバム・ジャケットについて、ヴァン・エッテンはこう語っている。「必ずしも勇敢ではなく、必ずしも悲しくもなく、必ずしも幸せでもない、全てから立にち去る私をイメージして、それを伝えたかった」

 

 

 

 

 

 Sharon Van Etten  『We've Been Going About This All Wrong』 deluxe edition



 

Label: jagujaguwar

 

Release: 2022年11月11日

 


Review 

 

オリジナル盤は5月に発売され、軒並み、海外のレビューは概ね好評であったものの、傑作以上の評価まで到達したわけではなかった。この作品のレビューを飛ばしたのは、その週に多くの注目作がリリースされたことがあったのが1つ、そして音楽性の本質を掴むことが出来なかったという理由である。

 

アルバムは、ロックダウン中、LAの自宅のスタジオでレコーディングされた。5月に聴いた際には、オープンニングトラック「Darkness Fades」を始め、重苦しい雰囲気に充ちた楽曲が印象的であった。これは、シャロン・ヴァン・エッテンが、この作品に、家族との生活を通して見る、内面の探求というものがテーマに掲げられているからだと思う。このアルバムは非常に感覚的であり、抽象的な音楽性であるためか、第一印象としては影の薄い作品の一つだった。


ところが、このアルバムは聴いてすぐ分かるタイプの作品ではないのかもしれないが、少し時間を置いて改めて聞き返したとき、他のアルバムより遥かに優れた作品であることが理解出来る。アルバムの出足は鈍さと重々しさに満ちているが、徐々に作品の終盤にかけて、このシンガーの存在感が表側に出てきて、クライマックスでは、このアーティストらしい深い情緒が出てきて、その歌声に、神々しい雰囲気すら感じられるようになるのである。特に、オリジナル盤の収録曲として、#7「come back」と#8「Darkish」が際立っている。この2曲は、このアーティストのキャリアにおける最高傑作の1つと言っても差し支えなく、ダイナミックさと繊細さを兼ね備えた傑出したポップミュージックであるため、ぜひとも聞き逃さないでいただきたい。

 

しかし、全般的に高評価を与えられたにも関わらず、傑作に近い評価が出なかったのには原因があり、全体的に素晴らしい作品ではあるものの、オリジナル盤は、展開が盛り上がった来た時に、作品の世界が閉じてしまうというような、いくらか寂しさをリスナーにもたらしたのも事実だったのだろうと思われる。これらは5月の始めに聴いた時も思ったことで、オリジナル・バージョンについては作品自体が未完成品という感もあり、聞き手が、この音楽の世界にもっと浸っていたいと思わせた瞬間に、作品の世界が終わり、突如として遠ざかっていってしまったのである。つまり、この聞き手の物足りなさや寂しさを補足する役目を果たすのが、今回、4曲を新たに追加収録して同レーベルからリリースされたデラックスバージョンなのではないかと思う。

 

オリジナルアルバム発売の直前に公開された、Covid-19のロックダウン中の閉塞した精神状態からの回復について歌った「Porta」や、同じく発売以前に公開された「I Used To」といったスタイリッシュな現代的なシンセ・ポップが追加収録されている。二曲目は、曲名が似ているが、昨年リリースされたエンジェル・オルセンとのフォーク・デュエット曲「Like I Used To」とは別作品となっている。これらの曲については、アーティスト本人が、この最新アルバムの収録曲にふさわしくないと考えたかもしれない。


しかし、改めてこのデラックス・バージョンを聴くと、作品の印象が一転しているのに気がつく。不思議なことに、オリジナルバージョンでなくて、今回発売されたデラックスバージョンこそが完成品なのではないかと思えてくる。デラックスバージョンとして見ると、名盤に近い、傑出した作品である。

 


95/100

 

 

Feature Track 『Come Back』

 



Cavetown 『Worm Food』

 



 Label: Sire Records 

 Release 2022年11月4日


 

 

Review 

 

 UKのシンガーソングライター、Robin Skinnerは、2015年にデビューを果たした若いアーティストなのだが、既に膨大なバックカタログを有しており、多作なミュージシャンとして知られる。もともとyoutubeを通じて音楽をアップロードしていたところに、人気に火が付き、大ブレイクを果たしている。既にspotifyでは、総ストリーミング再生が2億5千回を越えており、ストリーミング界隈では世界的な知名度を持つミュージシャンとしての地位を確立している。

 

しかし、これらの話題先行のアーティスト像を先入観に入れて、ケイヴタウンの音楽を耳にすると意外の感に打たれると思われる。ロビン・スキナーの楽曲は、鋭い感性に裏打ちされた親しみやすいポップスであり、しかも聴き応えと説得力を兼ね備えている。現時点で、ベッドルームポップ系のアーティストの最高峰にあり、その繊細なアーティスト像とは裏腹に、ポスト・エド・シーランと称しても差し支えないような大きなオーラを持つミュージシャンなのである。

 

このアルバムは、TikTok世代のミュージシャンとして、若い世代の心に共鳴させる何かが込められている。ロビン・スキナーは、LGBTを公言するアーティストではあるが、それらの固定化された性のアイデンティティに対する何らかの怒り、そして戸惑いのようなものもこれらの楽曲には音楽的な表現やときには詩の表現として多角的な視点を持って捉えられている。ロビン・スキナーの楽曲は、既に与えられた固定概念から心を開放させてくれる癒やしがある。それはこのミュージシャンが固定概念を超える考えを持っている証拠でもある。

 

アルバム全体を見ると、細部まで緻密に作り込まれた楽曲が際立つ。オープニングを飾るタイトルトラック「worm food」は本作のハイライトの一つであり、繊細でソフトなポップスをロビン・スキナーは提示しているが、面白いことに彼の楽曲は非常にストイックである。 口当たりの良いポップスを演じつつも、曲の小さな構成部分に目を凝らすと、エレクトロニカのドリルンベースの要素も取り入れられている。しかし、それらはエイフェックスのようにエクストリームな表現にはならず、あくまで、口当たりの良いポップスの範疇に留められているのである。

 

このアルバムの中には、若い世代として生きる人間として、今ある世界と、また目の前の日常とどのように接していくのか、その戸惑いのような感覚がひとつずつ歌詞や音楽という表現を介して繊細かつ叙情的に発露していく。


それらは、ぽっと目の前で発光したかと思うと、ふっとその光はたちどころに立ち消えてしまい、次の情景や感覚へと絶えず移ろい変わっていく。それはロビン・スキナーが内的な感覚の流れを微細な観点から捉え、それらをモダンなポップス、インディーフォーク、エレクトロニカ、実に多彩な表現を、みずからの感覚を通じて、ひとつの音楽作品として丹念かつ緻密に組み上げているように思える。これらの曲は、キャッチーでありながら、深く聞き入らせる何かがある。

 

他にも、日本文化に少しの親しみを表した「Wasabi」は、穏やかな自然の雰囲気を感じさせる穏やかなインディーフォークとして楽しめると思われるが、ここにもやはり内的な風景をソフトに表現しようとするレコーディング時のロビン・スキナーの姿が垣間見えるかのようである。そして、ロビン・スキナーは、驚くべきことに、アルバムの序盤では、デジタル社会へ最接近し、その中に腰を下ろしているのだが、一方で、それとは対極にあるデジタル社会とは正反対にある自然派としての感覚を同時に探求しようとしている。それはまったく世代を問わない、人間としての原初の渇望、本質的な性質ともいえるのだろうか?? 他にも、このミュージシャンには、優しさ、怒りといった対極にある感覚が、かなり明け透けに表現されているが、この両極端の対極性の中にこそ、この秀逸なシンガーソングライターの進化が込められている。

 

さらに、この最新アルバムの中で、最もベッドルーム・ポップの色合いを感じさせるのが、フィリピン/イロイロ出身のシンガーソングライター、beabadoobeeが参加した「fall in love with a girl」となるはずだ。オープニングトラック「Worm Food」と共に今作のハイライトとなるこの楽曲では、beabadoobeeとのボーカルの息の取れた掛け合いにより、涼やかなポップスの色合いを見事に引き出して見せている。ロビン・スキナーは、最近、LGBTQを支援する独立団体をみずから立ち上げているが、この楽曲は、それらの考えを直接的に後押しするような内容となっている。


本作は、冷たさー温かさ、怒りー優しさ、機械的なものー人間的なもの、こういった対極にある概念が、一つの作品の枠組みの中に自然に取り込まれて、それが複雑な機微として綿密に絡み合いながら、多彩なバリエーションを持つ楽曲を通じて滑らかに繰り広げられていく。これらのロビン・スキナーにしか生み出しえない感性の尖さが聞き手の心をしっかりと捉えてやまない。

 

 

84/100

 

 

 

Featured Track  「Worm Food」