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Weekly Recommendaiton

 

John Roberts 『Like Death A Banquet』

 


Label: Brunette Editions

Release: 2022年12月23日 


Genre: Electronic/Ambient/Experimental

 

 

Review

 


ジョン・ロバーツは、”音楽家”という肩書きでは一括りに出来ない幅広い領域で活躍するアーティストです。敏腕プロデューサーの表情を持つ一方で、8ミリのフィルムのリリースや、彼の出版する雑誌のカバーアートなど、写真作品を見るかぎり、強固な美学に裏打ちされた作品を複数リリースしています。映画、写真、メディア・アート、異なる分野に及ぶ見識については、彼自身の音楽や音源のアートワークに力強く反映されています。2019年からのリリースでは、ボーリングの球体の写真を始めとする円状のアートワークが並ぶ。球体という図形に関する興味は、このアーティストが空間芸術に高い関心を持つことを示しているかも知れません。


12月23日に発売となった最新EP『Like Death A Banquet』において、ジョン・ロバーツは既存の作品とは一風異なる作風に挑んでいます。これまで前衛的な電子音楽を複数リリースしていましたが、今回の作品ではピアノと電子音楽の組み合わせに挑戦している。これまで、先鋭的なエレクトロニックを作曲してきたロバーツの新たな表現性を本作に見出すことができるはずです。

 

2曲入りのEPというと、シンプルではありますが、これは単なるシングルとも言いがたい。抽象的な概念を通じて繰り広げられるピアノ・アンビエントのフレーズの単位はミクロ的な視点で構成され、大掛かりな作品が生み出されている。


ロバーツは、シンプルな楽曲構成を心がけ、単調さの陥穽を上手く避けている。アンビエンスの効果を最大限に活用し、教会や高い天井を持つ空間を演出する奥行きあるリバーブ・エフェクトやディケイを取り入れ、音響中に微細な変化をもたらしています。

 

『Like Death A Banquet』に内包される音楽は、ジョルジョ・デ・キリコの絵画作品のごとくシュールレアリスムのような不思議な感じに満ちている。意味のない空間のように思え、その中に何らかの意味を見出したくなるという趣旨もある。しかし、また、キリコのように、音を俯瞰して眺めていると(聴いていると)現実的な感覚が希薄なため、そこに奇妙な安らぎを覚えることも事実です。ここには、現実性と一定の距離を置いた異質な空間が広がり、現実空間とは没干渉な音楽が展開されています。いわば、人気のない奇妙な空間に足を静かに踏み入れ、その中に安寧を見出したり、また、人気のない美術館に足を踏み入れる際におぼえる安心感にも喩えられる。そこでは、己の中にある美的感覚がはっきりと浮き彫りとなる。まさに、この2曲収録のEPは、以上のような、ジョン・ロバーツの持つ、きわめて強固な美的感覚が緻密に提示されており、凛とした静けさと安らぎに充ちた音響空間はこの再生時間の中で維持されている。そして、この音楽において、その内なる美的感覚は鑑賞者の手に委ねられるわけです。つまり、この音楽の中に、どのような美的感覚を見出すのかは聞き手の感性如何に一任されているのです。

 

この作品は、常に静けさに満ちており、その中には異質な神秘性すら見出すことができる。このミステリアスな感覚を加味するのは、ピアノのフレーズの合間に導入されるパーカーションや、弦楽器のピチカートの切れ端、断片的なサンプリングといった複数の要素です。ロバーツは、音源の素材をシンセとミックスダウンで巧みに処理し、ピアノのフレーズを後に繋げていきます。さらに、抽象的なフレーズの合間に、木の打音や弦楽器の演奏の断片を導入し、音の配置を緻密に入れ替えたり、フレーズを組み替えた変奏を重ねることにより、同じフレーズであるものを、まったく別のフレーズのように聴かせる。それまでの意味を新しく塗り替えてしまうわけです。

 

このEPは、単一の主題によって立体的に組み上げられた趣のある作品ですが、驚くべきことに、音楽に対する見方や角度を変えれば、異なる音楽のように聴こえることを暗示しています。これらのリズムやフレーズの配置の多彩なバリエーションにより、「Like Death A Banquet」は、16分もの間、別のフレーズが独立して存在するように感じられる。表面上だけを捉えると、よくあるようなアンビエント/モダン・クラシカルではないかとお考えになるかもしれません。しかし、ジョン・ロバーツは、『Like Death A Banquet』において、聞き手の予測を上回る前衛的な作風を確立しています。ここで、ロバーツは、ミニマル・ミュージックの先にあるアブストラクト・ミュージックの未知の可能性を実験的かつ断片的に示しているといえそうです。

 

 

 86/100

 






John Roberts


ニューヨークを拠点に活動するプロデューサー/演奏家であるジョン・ロバーツは、2010年のデビュー・アルバム「Glass Eights」、2013年の2ndアルバム「Fences」のリリースで批評家の称賛を浴び、エレクトロニック・ミュージックのトップ・イノベーターとしての地位を確固たるものにしました。また、Rough Trade、Hyperdub、Young Turks、R&S Recordsなどの著名レーベルのリミックスを手掛けている他、国際的な高級ブランドであるプラダ、エルメス、モンクレール、ブガッティに、オリジナルの作曲とサウンドデザインを提供しています。


2015年、ジョン・ロバーツは、ジャンルやメディアに縛られない特異で学際的な作品のリリースに焦点を当てた自主レーベル、”Brunette Editions”を設立。2016年には、3枚目のフルレングス・アルバム『Plum』、さらに、それに付随するスーパー8mmフィルムをリリースしています。


Pitchforkは、「ロバーツは、彼の同業者が、ただ12インチを売りさばいているように思えるほど、個人的かつ芸術的なセンスで活動している」と評しています。2019年には、ミュージシャン、仮想楽器、フィルム編集技術との関係を探求した「Can Thought Exist Without The Body」をリリースしました。


さらに、ロバーツは、アーティスト、映画制作者、ミュージシャンの視点から、仮住まいを検証する、世界的に著名な印刷物「The Travel Almanac」の共同創設者兼編集長を務めています。(公式サイトはこちらより)この雑誌では、デヴィッド・リンチ、イザベル・ユペール、リチャード・プリンス、ハーモニー・コリン、コリアー・ショールとの対談が掲載されています。




*本レビューが2022年最後のウィークリー・レコメンドになります。今年もありがとうございました。皆さん、良いお年をお迎えください。

Weekly Recommendation For Tracy Hyde  『Hotel Insomnia』

 

 

 

 

Label: P-Vine

Release: 2022年12月14日


 

 

Review

 

2016年にファースト・アルバム『First Bleu』をリリースし、デビューを飾ったオルタナティヴ・ロックバンド、For Tracy Hyde(フォー・トレーシー・ハイド)は東京のシーンの中で要注目のシューゲイザー・トリオ、今後、国内にとどまらず、海外での活躍が予想される。宇宙ネコ子とのコラボレーター”ラブリーサマーちゃん”が在籍していたことでも知られ、辻村深月の原作の演劇『かがみの孤城」への楽曲提供等、他ジャンルの媒体と豊富なコラボ経験を持つグループです。

 

通算5作目となるフルレングス『Hotel Insomnia』は、13曲収録というボリューミーな内容となっています。本作は、シューゲイズサウンドを基調とし、ニューゲイズ、モダンなインディーロック、渋谷系、ネオアコースティックと、幅広いライブサウンドが展開され、このバンドのバックグランドがどのようなタイプの音楽で構成されているのかを知る手立てになると思われます。

 

My Bloody Valentine、RIDE直系の轟音のディストーション・ギター、ダンサンブルなビートはこのジャンルに属するバンドとしては王道を行くもので、加えて、日本のバンド、Passepied(パスピエ)の大胡田なつき、平成ポップ・チャートを席巻したJudy and MaryのYukiに象徴されるファンシーなボーカルに通じるものがあり、彼らの織りなすタイトなアンサンブルーードリーミーなサウンドとJ-POPサウンドの劇的な融合ーーが心ゆくまで楽しめる内容となっています。

 

オープニングを飾る「Undule」は、ギター・トラックの多重録音による重厚なディストーションサウンドを体感できますが、あくまでそれらのバックトラックと対象的に、幻想的なボーカルがが乗せられ、同時にスタイリッシュな雰囲気を漂わせています。MBVの音楽の最大の特徴はエレクトロを基調としたダンサンブルなビートとスコットランドのキャッチーなネオ・アコースティックの融合にありましたが、このバンドはそれを十分再現する作曲能力と演奏力を兼ね備えています。二曲目の「The First Time」では、オリジナルのシューゲイズ・サウンドとは対象的なニューゲイズ・サウンドが展開されており、甘美でノスタルジア満載のインディーロック、渋谷系に代表される多幸感のあるメロディーやコードに裏打ちされた楽曲が一曲目とは対象的な趣を持つ。

 

その後も、オルタナティヴ・ロックとネオ・アコースティック、J-POPの本質を見事に捉えた個性的なサウンドが続いていきますが、その中に微妙な楽曲のメリハリや緩急があり、聞き手の集中力をほとんど途切れさせることはない。特に、ノイズ・アヴァンギャルドやアート・ロックを意識したディストーション・ギターは、ソニック・ユースの最初期のような感性の尖さと抽象性の高いサウンドとして昇華され、中盤に収録されている楽曲は、純粋なギターロック/ネオ・アコースティックとしても聴いてみても楽しめるはずです。また、アルバムの中盤に収録されている「Friends」では、繊細な感覚と青春時代の切なさ兼ね備えたJ-POPの本質的な魅力の未知の可能性を追究しています。もちろん、彼らは、この曲に象徴されるように、J-POPのメロとサビの対比、サビのキャッチーさとシンガロング性を踏まえつつ、それらを最新鋭のオルタナティヴ・ロックとして再構築している。以上の特性は、彼らが、単なるPassepied(パスピエ)のフォロワーでなく、その未来系を行く新鮮なサウンドを提示している証ともなっています。

 

終盤になっても、バンドの音楽におけるチャレンジ精神は旺盛で、奥深いインソムニアの世界が果てしなく広がりをましていき、ローファイ・サウンドやチルウェイブを一緒くたにした彼らの構想するモダンなオルタナティヴの理想郷は破られることがない。序盤でキャッチーな表情をみせながら、中盤から終盤にかけてマニアックなサウンドに様変わりする瞬間は圧巻ともいえ、それらはアルバムの全体像にカオティックな印象を形作っている。このバリエーションに富んだオルタナティヴ・サウンドがこのアルバムそのものの価値を高め、一方ならぬ聴き応えをもたらしている要因でもある。これらの新旧のオルタナティヴ・ロックサウンドを自在に去来する伸びやかなライブ・セッション、そして、手強さのある骨太サウンドは、22年の東京に新たな音楽が到来した瞬間を告げている。この清新なサウンドが持つ妙味は、今後、連続したウェイヴのような形で魅力的なバンドが次々に台頭することを予兆的に示しているように思える。

 

現在も、無数のバンドがひしめく東京のミュージック・シーンにあって、For Tracy Hydeのサウンドは、力強い存在感を放っている。ある意味で、自由奔放と称せる伸びやかな表現性は、ロンドンの2022年のインディー・シーンに相通じる要素があり、今後、アンダーグランド・レベルで、世界的人気を獲得する可能性も少なくないように思えます。彼らが今作において日本のポップの要素を核心に置き、洋楽の感性に近い音楽を確立し、それが意外な形で反響を呼んだことは、最新アルバム『Hotel Insomnia』が発売後、タイニー・デスクで名高い米メディア、NPRのレビューとして率先して特集されたのを見てもわかる。For Tracy Hydeは、既に5作をリリースしている経験のあるロックバンドですが、作品リリースやツアーを介し、今後どのような形でブレイクを果たすのかに注目していきたい。オルタナ・ファンとしては、東京のミュージック・シーンに個性的な実力派バンドが登場したことを心から祝福しておきたいところです。



87/100



Weekend Featured Track 「Friends」

 

 Weekly Recommendation 

 

Ian Hawgood 『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』

 


 

Label: Home Normal

Release: 2022年12月9日



Review


Ian Hawgoodは、アンビエント/ポスト・クラシカル/に属するミュージシャンで、これまでピアノやギターを用いたアンビエントを制作している。成人してから、日本、イタリア、といった国々で生活を送っている。彼は、特に日本に深い思い入れを持っているようで、2021年の『朝』や2018年の『光』、それ以前の二部作の『彼方』を始め、日本語のタイトルのアンビエント・ミュージックをリリースしています。(これらの作品はすべて日本語が原題となっている)

 

また、イアン・ホーグッドは、イギリス/マンチェスターのポスト・クラシカル・シーンの若手チェロ奏者、Danny Norbury(ダニー・ノーベリー、2014年の傑作『Light In August』で知られる)との共作もリリースしている。また、イアン・ホーグッドは、複数のレーベルを主宰している。詳細は不明ではあるものの、東京のレーベル”Home Normal"を主宰していたという。現在は、イギリスのブライトンの海岸にほど近い街に拠点を置いて音楽活動を行っているようです。

 

Ian Hawgoodの最新作『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』はbandcampでは、11月から視聴出来るようなってましたが、昨日(12月9日)に正式な発売日を迎えた。このアルバムは、ギターとトング・ドラム(スティール・ドラムに近い楽器)を使用し、その音源をReel To Reelのテープ・レコーダーに落とし込んで制作された作品となります。定かではないものの、海岸のフィールド・レコーディングも音源として取り入れられている可能性もありそうです。

 

イアン・ホーグッドの今作でのアンビエントの技法は、それほど新奇なものではありませんが、表向きにはブライトンの海岸の風景を彷彿とさせるサウンドスケープが巧みに生かされた作品となっています。日本で生活していたこともあってか、シンセサイザーの音の運び、広げ方については、Chihei Hatakeyama(畠山地平)の作風を彷彿とさせる。畠山と同じように、日本的な情緒のひとつ「侘び寂び」が反映された作品で、落ち着きがある。そして、音楽自体にそれほど強い主張性はなく、自然の中にある音を電子音楽として捉えたような趣きが漂う。つまり、今作のアンビエントを聴いていると、ただひたすら心地良いといった感じであり、シンセサイザーのパッドに加えて、ギターの音源を複雑に重ねたレイヤー、トング・ドラムに深いリバーブとディレイを施した連続音が聞き手を癒やしの空間に誘う。音の微細な運び、そのひとつひとつが優しげな表情を持ち、美しく、穏やかな抽象的な音の広がりが重視されています。

 

このアルバムの音楽に耳を澄ますと分かる通り、アンビエントの世界はどれだけ跋渉しつくしも果てしないように思える。それは表現性を1つのアンビエントという概念中に窮屈に押し込めるのではなくて、それとは正反対に、1つの概念から無限の広がりに向けて音楽を緻密に拡張していくからでもある。イアン・ホーグッドは、まさにこのことを心得ており、聞き手の心を窮屈な狭い世界から抜け出させ、それとはまったく異なる広々とした表現の無限の領域へと解放する。イアン・ホーウッドの音楽は、明確な答えを急ぐことなく、その刹那にみいだす事のできる美という概念を踏まえ、その美の空間がどこまで永続していくのかを、このアルバムを通じて真摯に探求しているように思える。また、イアン・ホーウッドは、音楽の絶対的評価を聞き手に徒らに押し付けようとするのではなく、音楽を聴き、どのように感じるかを聞き手の感性に委ねようとしている。この音楽を刺激に欠けると感じるのも自由であり、また、それとは逆に禅的な無限性を感じるのも自由。今作で、イアン・ホーグッドは、音楽を、窮屈な絶対的な善悪の二元論から救い出し、それとは対極にある無数の意味や可能性を提示しているのです。

 

アルバムの全体の詳細を述べると、オーストリアのギタリスト、Christian Fennesz(クリスティアン・フェネス)のようなアバンギャルドなギターの多重録音から緻密に構築される質の高いアブストラクト・アンビエントから、スロウコア/サッドコアのようなインディーロック性を基礎に置く楽曲「Call Me When The Leaves Fall」を、アンビエントとして音響の持つ意味を押し広げたものまで、かなり広範なアプローチが図られている。この最新アルバムにおいて、イアン・ホーウッドは、これまでの人生経験と音楽的な蓄積を踏まえながら、ありとあらゆるアンビエントの技法に挑戦し、多面的な実験音楽を提示していると言っても過言ではありません。

 

しかし、特筆すべきは、ホーグッドは、2021年のアルバム『朝』にも象徴されるように、西洋的な美的感覚と日本的な美的感覚の融合に焦点を当て、侘び寂びのような枯れた情感に充ちた日本の原初の美の世界と、華美さが尊重されるヨーロッパの美の考えを改めて吟味していること。聞き手側の空間を重んじるという要素は、ブライアン・イーノに代表される原初的なアンビエントではあるものの、このアルバムでは、初期のジョン・ケージのピアノ曲のような東洋的な静寂の気付きの瞬間がもたらされる。彼の音楽の本質は、神社仏閣の枯れ寂びた庭園で、秋の色づいた落葉の様子を見入る瞬間の情緒、その瞬間のはかなさにも喩えられるかもしれません。

 

ギターの音色を中心に緻密に組み上げられたアンビエントの重層的なシークエンスの中に、不意をついて導入されるトング・ドラムの神秘的なフレーズは、リバーブやディレイにより、その情感がしだいに奥行きを増していくように感じられますが、これは言い換えれば、ある種の静寂の本質における悟りの瞬間を表現したとも読み取れます。おわかりの通り、本作は、基本的には、穏やかな情感を重視したアンビエント・ミュージックではありながら、時折、得難いような神秘的な音響空間が生み出される。今作の作風は、以前まで、ポスト・クラシカル寄りのピアノ奏者としての印象が強かったアーティストがその枠組みを越え、新たな境地を見出した証ともいえ、アブストラクト(抽象的)な表層を成しながら、穏やかな情感が綿密に引き出された奥行きのあるアンビエント・ミュージックは、他のアーティストの表現性とは明らかに一線を画している。

 

特に、アルバムの前半部では、ミニマル・アンビエントの持つ心地よさ、癒やしという側面に焦点が絞られており、中盤から後半部では実験的かつアヴァンギャルドな側面が見え隠れするのが、このアルバムの魅力となっている。分けても、表題曲の前半部の緩やかさとは異なるシリアスなドローンは、現代のミュージック・シーンにおいても先鋭的で、まだ見ぬアーティストの次作の世界観の神秘的な扉を静かに開くかのようにも思える。この後の作風が、どのように変化していくのか考えながら聴いてみると、より楽しいリスニング体験になるかもしれません。

 

また、タイトル・トラック『Mystery Shapes and Remembered Rhythms』にもある通り、西洋的な概念から見た「日本の神秘性」という伏在的なテーマが、本作に読み解くことが出来る。ついで、Rhythm(リズム)というのは、本来の意味は一定の「拍動」を指すものの、ここでは、その語句の持つ意味が押し広げられ、その空間に満ち、その場にしか見出すことのかなわない連続した「気(空気感)」の性質を暗示している。その場所にいる時には気付かなかったけれど、その場から遠く離れた際、その場所の持つ特性が尊く感じられることがある。たとえば、ホームタウンから遠く離れた時、その土地が恋しくなったり、その場に満ちる独特な空気感が何故か懐かしくなる。そういった制作者の日本に対する淡い郷愁が随所に感じられるのです。

 

つまり、今回の作品では、アンビエント・プロデューサー、Ian Hawgoodにとって、西洋的な概念から見た日本の「気」、そして、その得がたい概念に象徴される美しさが、この作品を通じて抽象的ではあるが、端的に、みずみずしく、伸びやかに表現されているように見受けられる。だとすれば、イアン・ホーグッドは、みずからの記憶の中に揺らめく、日本の幽玄な美を、今作を通して見出そうと試みたかったのかもしれません。それは、品格ある芸術性によって縁取られており、かすかで幻影のような儚さを漂わせている。特に、日本、イギリス、イタリアを渡り歩き、日本的な美と西洋的な美との差異を体得しているという意味において、ホーグッドの紡ぎ出す美の概念は、日本人が感じうる美と同様、自然な穏やかさを持ち合わせている。それは、西洋の美と、東洋の美をアンビエントを通じて、1つに繋げてみせたとも言える。

 

Ian Hawgood(イアン・ホーグッド)の最新アルバムは、2022年のアンビエント・ミュージックの中では、白眉の出来栄えとなっており、William Basinsky(ウィリアム・バシンスキー)の『on reflection・・・』、Rafael Anton Irisarri(ラファエル・アントン・イリサーリ)の『Agitas Al Sol』と並んで傑作の1つに数えられる。 ぜひ、これらの作品と合わせてチェックしてみて下さい。



 94/100

 


Weekly Recommendation 
 
 
 
Move D& D man 「All You Can Tweak」
 
 


Label : Smallville Records   

Genre: Techno/House
 
Release: 2022年12月2日 
 
 



Featured Review    
 
 
ードイツ/ライン地方のダンス・ムーブメントの30年の集大成ー



1990年頃、ドイツ・ハイデルベルクは、アンダーグラウンド・レベルでダンスシーンがこれまでになく盛り上がりをみせていた。ゲーテ、ヘンダーリン、アイヒェンドルフで有名なネッカー川にほど近いフィロゾーフェン通り(哲学者の道)や、ドイツで最も美しい古城を始めとする由緒ある旧市街地、また学生街でもある--ハイデルベルクのベルクハイマー通りにある「Blaues Zimmer」(ブルールーム)というライブ・スペースには、当時、定期的に優秀なプロデューサがここぞとばかりに集っていた。
 
 
このドイツのアンダーグラウンド・シーンの一端を担った「Blaues Zimmer(ブルー・ルーム)は、Dirk Mantei(Dman)が所有するスタジオであり、David Moufang(Move D)は、この場所を、その後の10年間にライン・マイン地域で起こったエレクトロニック・ミュージック・ムーブメントの「種(Keimzellenーカイムツェーレン)」と呼びならわしている。ハイデルベルクは、マンハイム、ルートヴィヒスハーフェン、ダルムシュタット、といった中堅都市が比較的近くに位置し、フランクフルトにも簡単に行くことが出来たためか、この町の90年代のダンスフロアは活況をきわめ、その頃、多くのクラブやパーティーが開催されたが、プロデューサー、Dirk Mantei(ディルク・マンテイ)とDavid Moufang(ダビデ・モウファン)は、当地のクラブシーンの一翼を担う存在だったという。


Dirk Mantei & David Moufang,、Eric D Clark、Robert Gordon、Nils "Puppetmaster" Hess、DJ Cle-、などなど、ハイデルベルクに住んでいた秀逸なプロデューサーたちが、この時期にダークなフロアに集まっていた。このことに関して、Discogsは、Dirk Mantei(ディルク・マンテイ)を「南ドイツの1990年代のテクノ・シーンの中心的人物」と呼んでいるが、これにはそれなりの理由があるのだという。他でもない、Dirk Mantei(ディルク・マンテイ)は、地元のミュージック・シーンを盛り上げてきた人物であり、南ドイツのクラブ・ミュージックの地盤を築き上げた人物でもあるのだ。
 
 
Dirk Manteiは、個人経営のレコード店(Dubtools)を経営しながら、Planet Bass(1988年頃、ハイデルベルクのNormalで行われた日曜日のパーティ)、Hot Lemonade(1990年頃、マンハイムでの日曜日のパーティ)といった、伝説的なパーティを開催しながら、地元ハイデルベルクのダンスシーンを活性化させようとしていた。その後、ハイデルベルクからマンハイムに拠点を映すやいなや、Dirk Mantei(ディルク・マンテイ)は、伝説的なクラブ”Milk!”(1990年~)をオープンし、その後、HD800(MS Connexion内)というクラブを経営するに至った。この2つのクラブには、彼自身が購入し、調整した、巨大なサウンドシステムが導入された。David Moufangは、クラブ”Milk!”について、自分のソロ名義/Move Dとレーベル名Source Recordsの発祥の地と呼びならわしているようだ。


Dirk Mantei & David Moufangの実質的なデビュー・レコードは、Davids Sourceからリリースされた「Homeworks 1」という12インチだ。また、その1年前には、Source Recordsから最初のCDとしてリリースされた4曲もあった。また、「Wired To The Mothership」は、このCDコンピレーションに収録されている32秒のトラックで、あまりにも短いが、特別なものであるのだという。


シェフィールドにインスパイアされたブリープ、タイムレスなパッド、デトロイトなストリングス、JXP-3のオルガンソロ、アナログドラム、アナログ・ベースラインなど、時代を超えたコンポーネントが最も素晴らしい方法で織り成されてから消えていく。DavidとDirkは、この曲のロングバージョンが何故今まで存在していなかったかという点について、「当時のミックスダウンに満足おらず、30年近くかけてようやく2021年のフルバージョンを完成させた」と語っている。


 
今回、Smallville Recordsからリリースされた『All You Can Tweak』の全てのトラックは、1992年から2021年の間にDavid MoufangとDirk Manteiによって書かれ、プロデュースされ、ミックスされた作品である。
 

Move D


昨日、12月2日に発売された南ドイツのダンスシーンを象徴する二人のプロデューサーDirk Mantei & David Moufangの最新作『All You Can Tweak』は、先述したように、90年代に録音されていながら、長らく発表されていなかったトラックも複数収録されているという点で、伝説的なアルバムと呼べるかもしれない。二人のプロデューサー、Dirk Mantei (ディルク・マンテイ)& David Moufang(ダビデ・モンファン)のダンスミュージックは、デトロイト・テクノや初期のハウス・ミュージックに象徴される4つ打ちのきわめてシンプルなハウス・ミュージックが基本的な要素となっている。シンプルなスネアとドラムのキックに支えられた基本的なテクノ/ハウスではありながら、反復的に繰り返されるビートに、アシッド・ハウスやサイケの要素が加わっていくことにより、途中から想像しがたいような展開力を持ち合わせるようになる。
 
 
Move D/Dmanの最新作『All You Can Tweak』は、彼らのテクノ/ハウスの原点を探るような作品といえそうだ。この作品は、ジェフ・ミルズ、オウテカ、クラーク、ボノボの初期のように、最もテクノが新しい、と言われていた時代の熱狂性の痕跡を奇跡的に残している。時代を経るごとに、これらの4つ打ちのリズムは徐々に複雑化していき、ヒップ・ホップのブレイクビートの要素が付け加えられ、ほかにもロンドンのドラムン・ベースの影響が加わり、さらに細々と不可解に電子音楽は枝分かれしていった印象もあるが、『All You Can Tweak』を聴くとわかるように、これらの基礎的な4つ打ちのビートにも、まだ音楽として発展する余地が残されていることを、二人のプロデューサーはあらためて、この最新作『All You Can Tweak』ではっきり証明している。一方で、この作品は、単なるデトロイト・テクノや旧来のハウス・ミュージックへの原点回帰とはいいがたいものがある。三十年という月日は、Move D/Dmanにとって、これらの原始的なダンスミュージックを、さらに深化/醸成させるための準備期間であったのだろうと思う。二人のプロデューサーは、実際に、レコード店を経営しながら、そして、地元ハイデルベルクのダンスシーンと密接に関わりながら、イギリスにもない、イタロにもない、そして、アメリカにもない、特異なGerman-Techno(ゲルマン・テクノ)を綿密に構築していった。
 
 
彼らは、80年代のテクノやハウスのシンプルなビートの要素に加え、デュッセルドルフのテクノ、トランス、構造的なエレクトロの要素をもたらし、他にも、ホルガー・シューカイのダブの多重録音や、サイケの色合いを付け加える。ハウスの16ビートに、シャッフルビートを加え、グルーブの揺らぎを生み出し、オシレーターを駆使したフレーズを重ね、トーンの絶妙な揺らぎをトラックメイクに施し、音の進行に流動性を与え、曲そのものに多重性をもたせている。ビートは、常に反復的で、キックが強調されていることからも分かる通り、フロアの重低音の実際の音響に重点が置かれているが、軽薄なダンスミュージックを極力遠ざけて、思索的な音の運びを尊重している。二人のプロデューサーは、オシレーターによるトーンの微細な変化により、信じがたい音色を生み出す。多くの曲がイントロから中盤にかけて、印象がガラッと一変するのはそのためである。そして、これが今作を聴いていて、ランタイムが進むごとに、音楽の持つ世界が深度や奥行きを増していくように感じられる理由でもあるのだろう。
 
 
アルバムのアートワークを見ても分かる通り、これらのテクノ/ディープ・ハウスは一筋縄ではいかない。製作者の音楽的な背景を実際の音楽に反映したかのように、サイケデリックな色合いを持ち、アンダーグラウンド性の高い、緊迫したトラックが続く。リスナーはオープニングを飾る日本の江戸時代後期の浮世絵画家にちなんだオープニング「Hokusai」で、異質な何かを発見することになる。コアなグルーブと共に、ベースラインを強調させたリード、ハイハットのシンプルな連打がアルバムの世界観を牽引する。 これらは、二人のプローデューサーの豊かな創造性により、浮遊感が加味され、ときに、サイケデリック・アンビエントの領域に踏み込む場合もある。
 
 
一転して、#2「All You Can Tweak」では、落ち着いたIDM寄りの電子音楽が展開される。ミニマル・グリッチ的なアプローチの中にチルアウトの要素が加味される。金属的なパーカションを涼し気な音響の中に落とし込むという点では、Bonobo(サイモン・グリーン)に近い手法が取り入れられている。さらに、#3「Colon.ize」は、本作の中でハイライトの1つとなる。4つ打ちの簡素なビートは、ハウスの基本的な要素を突き出しているが、特にバスドラムのベースラインを形成するシンセが絡み合うことにより、コアなグルーブ感を生み出していく。しかし、この曲が既存のハウス/ ディープ・ハウスと明らかに異なるのは、デュッセルドルフのテクノ、つまり、クラフトベルクのロボット風のシンセのフレーズがSFに近い特異な音響空間を導出する点にある。不思議なのは、これらのロボット・シンセが宇宙的な雰囲気を演出するのである。さらに続く、#4「Weierd To The Mothership 2021」は、ユーロ・ビートやトランスが隆盛をきわめた時代のノスタルジアが揺曳する。これらのアプローチは古びている感もなくはないが、その点を二人のプロデューサーは、リミックスを通し、アシッド・ハウスの要素を加味することによって克服し、淡白なダンスミュージックを避け、鮮やかな情感を添えることに成功している。

 
その後もまた、4つ打ちのシンプルなビートがタイトル・トラック「All You Can Tweak」で続くが、ここでは複合的なリズム性が現れ、シャッフル・ビートの手法を駆使し、特異なグルーブを呼び覚ましている。この曲でも、ビートやリズムは、新旧のハウス/ディープ・ハウスをクロスオーバーしているが、そこにシンセのオシレーターのトーンの振幅により、音色に面白い揺らぎがもたらされ、曲のクライマックスでは、ボーカルのサンプリングを導入し、近未来的な世界観をリスナーに提示している。ただ、ひとつ付け加えておきたいのは、それは人間味というべきなのか、電子音楽の良曲を見極める上で欠かすことの出来ない仄かな情感を漂わせているのである。
 
 
 
アルバムの終盤では、この二人のダンスフロアへの熱狂性がさらに盛り上がりを見せ、90年代のハイデルベルクのアンダーグランドのダンスフロアに実際に踏み入れていくかのようでもある。続く、#6「Doomstorlling」では、シンセ・リードにボコーダーのエフェクトで処理した面白い音色を生み出していてユニークであるが、やはり、80年代のイタロ・ディスコに触発されたマンチェスターのミュージック・シーンとも異なる、バスドラムのキックのダイナミクスを最大限に活かした少しダークな雰囲気を持つダンス・ミュージックを体感することが出来る。そして、アルバムのクライマックスを飾る#7「Luvbirdz」は、「Hokusai」「Colon.ize」「All You Can Tweak」と合わせて聞き逃すことの出来ない一曲である。彼らは、シャッフル・ビートを交えつつ、アシッド・ハウスの極北を見出す。タイトルに纏わる鳥のシンセの音色についても、二人のプロデューサーの斬新なアイディアを象徴するものとなっている。
 
 
 
総じて、『All You Can Tweak』は、90年代から続く、南ドイツのアンダーグラウンドのダンス・ミュージックの二人の体現者であるDavid&Dirkが、それをどのような形で現代に繋げていくのか、真摯に探求しているため、歴史的なアーカイブとしてみても、意義深い作品となっている。これらの7つのトラックは、90年代のハイデルベルクのミュージック・シーンの熱狂性を余すことなく継承しているばかりか、現在も新鮮かつ刺激的に感じられる。いや、それどころか、これらの楽曲が、2020年代の世界のダンス・ミュージックの最高峰に位置することに疑いを入れる余地はない。信じがたいことに、彼ら(David&Dirk)が90年代にハイデルベルクに蒔いたダンス・ミュージックの種-Keimzellen-は、30年という月日を経て実に見事な形で結実したのである。
 

98/100
 
 
 
 Weekend Featured Track #1「Hokusai」
 

  Weekly Recommendation    


Marker Starling 『Diamond  Violence』



 




Label: Tin Angel/ 7.e.p

Release: 2022年11月25日

 




カナダ/トロントのクリス・A・カミングスは、長年Mantler(マントラー)としてレコーディングや演奏を行ってきた。2012年にMarker Starlingと改名し、カミングスはキャリアの大半をソロで活動し、ドラムマシンの伴奏でウルサイザー・エレクトリック・ピアノを使用した彼特有のメランコリックなスタイルで知られるようになった。


ドイツのTomlabレーベルとの長年の交流の後、カミングスは、2010年にTin Angelと活動を開始し、2015年に4thアルバム『Monody』、5thアルバム『Rosy Maze』を共同リリースして大好評を博した。

 

以来、Tin Angel Recordsは、『I'm Willing』(2016)、『Anchors and Ampersands』(2017)、『Trust an Amateur』(2018)、英国で録音されショーン・オヘイガン(The High Llamas, Stereolab)が制作した『High January』(2020)、以上の4枚のマーカー・スターリングのレコードをリリースしている。


クリス・A・カミングスは、ドイツのバンド、フォン・スパーとコラボレーションし、彼らのアルバム『ストリートライフ』(2014)と『アンダー・プレッシャー』(2019)にヴォーカルと歌詞を提供している。


日本でも、7e.p.Recordsから楽曲がリリースされており、人気アニメ『キャロル&チューズデー』(2019年)ではキャラクター・デズモンドの歌声も披露している。



Marker Starling With Band



Featured Review

 

 以前は、マントラーとして活動していたカナダ/トロントの音楽家、クリス・A・カミングスは、近年のカナダのミュージックシーンにおけるフリー・ソウル・アーティストの代表格に挙げられる。カナダのRobert Wyatt、ロバート・ワイアット(Soft Machineでお馴染みのUKのソウルミュージシャン)とも称される場合もある。カミングスは、大の映画好きとして知られ、トロント国際映画祭のスタッフとして勤務しており、日本映画にも一方ならぬ愛着を持っているという。


2000年代からMarker Starlingを名乗り、ソロミュージシャンとして活動する。ソウル、AOR,ブラジル音楽、ボサノヴァ、ジャズ、様々な音楽を吸収したフリーソウルの音楽性を展開するに至る。メロウなR&Bを音楽性の根幹に置きながらも、自由なスタイルのソングライティングがクリス・A・カミングスの最大の魅力である。フリーソウルの代表格であるホセ・ゴンザレス、ベニー・シングルの開拓したニューソウルの延長線上に、カミングスは存在している。

 

『Diamond Violence』は、7年ぶりにトロントでレコーディングが行われ、上記写真の気心の知れたトリオのバックバンドと共に、クリス・A・カミングスは制作を行っている。近年の作品を聴くかぎりでは、ソロ・アーティストの活路を見出そうとしていたものと思えるが、最新作『Diamond  Violence』では心機一転、バックバンドと足並みを揃え、一体感抜群のファンクアンサンブルを確立している。あらためて、クリス・A・カミングスは、R&B/ファンクというジャンルのバンドサウンドとしてのグルーブにスポットライトを当てようと試み、その妙味を探ろうとしているのだ。

 

アルバムの発表と同時に、アメリカの70年代の映画に深い敬愛を込めたタイトル曲「Daimond Violence」のミュージックビデオが、公開とともに一部の耳の肥えたR&Bファンの間で話題を呼んだ。この曲は、アルバム全体がどのようなものであるのかを聞き手に印象づけようとしており、ハモンド・オルガン、エレクトリック・ピアノ、ギター、ピアノ、ドラムという簡素な編成を通じてもたらされるメロウなファンク・ソングとなっている。心地よいカッティング・ギター、Pファンクの要素を交え、しなるような図太いベースライン、複雑性を削ぎ落とした8ビート主体のシンプルなドラミング、そのバック・トラックの上に乗せられるクリス・カミングスのボーカルは、既存の作品と同様、物憂げで、内省的であるが、ソウルミュージックらしい温かい情感が漂っている。カミングスは、囁くか、自分自身に語りかけるような思慮深いボーカルで、聞き手を自らの心地よい音楽の空間に招き入れる。さらに、そのボーカルトラックのゴージャスな雰囲気を盛り上げるのは、センス抜群のミュート・トランペットの枯れた音色である。


このオープニング曲で、カミングスは、リスナーの興味を惹きつけることに成功しているが、二曲目の「Out Of This Mess」で、アルバム全体のイメージを膨らませるかのように、バンドアンサンブルのファンクサウンドは、一段ギアを上げ、エンジンが全開となる。レトロ・ファンクを下地にしたワウ・ギター、エレクトリック・ピアノのメロウさ、シンセサイザーのグロッケンシュピールの音色、同様にシンセサイザーの口笛の音色は、あくまで、カミングスの音楽の持つ本格派ソウルの性質の一端を示しているに過ぎない。カミングスは、巧みなソングライティングを駆使し、時に、移調を散りばめながら、曲のメロウな雰囲気を面白いように盛り上げていく。彼は、この曲で、バンドとともに、R&Bの最大の根幹ともいえるロマンチックな空気感を見事に演出しているのである。

 

アルバムの冒頭で、70年代の古典的なR&B/ファンクの世界観を聞き手に提示した上で、4曲目「Diehards」では、一風変わった音楽性が繰り広げられる。おそらく有名アクション映画「ダイ・ハード」に因んだと思われるこの曲では、フリーソウルの多彩性にスポットライトが当てられている。この曲で、ソロアーティストとしての長年のソングライティングの経験の蓄積を踏まえ、AOR,ソフト・ロック、ボサノヴァに属する、聴き応えのあるバラード・ソングを提示している。全3曲とは一転して、カミングスは、この曲をカーティス・メイフィールドの系譜にある哀愁に充ちたボーカルで丹念に歌いこみ、曲の終わりに切ないような余韻が漂わせている。

 

これらのアルバムの中盤までの収録曲において、クリス・A・カミングスとバンドメンバーは、耳の肥えたR&Bファンの期待に沿う以上の聴き応えのある曲を披露しているが、中盤に差し掛かると、なおカミングスの世界は多彩さとエモーションを増していく。特に、今回、気心の知れたバンドと共に録音した効果が良い形で表れたのが、「(Hope It Feel Like)Home」であり、ファンクバンドのリアルなライブサンドを体感出来る。カミングスのハスキーなボーカルは序盤よりも艶かさたっぷりで、バンドアンサンブルは常にメロウな演奏で彼のヴォーカルを引き立てている。

 

問答無用に素晴らしいのは、センスよくフレーズ間に導入されるシンバルの鳴りの爽快さにある。そして、ドラムとエレクトリック・ピアノのリズムを基調としたメロウなバラードに近い性質を持つR&Bの中に、アコースティックギターのしなやかなストローク、高らかに導入されるシンバル、ミュート・トランペットの高音域のエフェクトが強調されたアレンジが、この曲に鮮やかな息吹を与える。序盤では、まったりと展開されるファンクで、聞き手にグルーブ感をもたらすが、終盤になると、イントロから維持されるシンプルなビートを踏まえながら、序盤とは異なる華やかなジャズ・フュージョン調のエンディングを迎え、聞き手を魅惑してみせる。続く「Experience」もまた同じように、実際のライブセッションを通じて生み出された感のある曲で、同様にメロウな雰囲気を活かしたジャム・セッションを楽しむことが出来るはずだ。

 

これらのライブ・セッションの延長線上にあるサウンドが続いた上で、ご機嫌なR&Bナンバーの最後を飾るのは、「Yet You Go On(Ft.Dorothia Peas)」。 このアルバムの中では、最もファンクへの傾倒を感じさせる一曲。しかし、ここで注目したいのは、カミングスは、これまでのキャリアを総括するように、自身のソングライティングの温和な要素を重んじた曲を生み出していることである。さらに、ゲストボーカルで参加したドロシア・ピアスは、カミングスと息の取れたコール・アンド・レスポンス形式のツインボーカルを繰り広げ、今作の最後に華やかな印象を添えている。


このラストソングでは、淡い愛情の感覚が軽やかに歌われているように感じられるが、劇的な展開をあえて避け、穏やかな余韻を残しつつ、アウトロは神妙にフェードアウトしていく。この点に関して、ダイナミックスに欠けるという指摘もあるかもしれないが、しかし、この淡白さ、後腐れのない、こざっぱりとしたダンディズム性こそ、クリス・A・カミングスのソングライターとしての一番の魅力が込められていると言えるのではないだろうか。

 


90/100

 

 

Weekend Featured Track 「Diamond Violence」

 

 


※日本盤も現在発売中です。このバージョンにはオリジナルの9曲に加え、5曲のボーナス・トラックが追加収録されています。

 

Weekly Recommendation

 

 Weyes Blood 『And In The Darkness,Hearts Glow』

 

 

 Label: Sub Pop

 Release: 2022年11月18日

 

 

Review

 

 ウェイズ・ブラッドの名を冠して活動するナタリー・メリングは、前作『Titanic Rising』で歌手としての成功を収め、その地位を確立したが、この三部作の二作目となる『And In The Darkness,Hearts Aglow』で今日のディストピアの世界の暗闇に救いや明るい光を見出そうとしている。三部作は、ナタリー・メリングのとって、恋愛小説のような意義を持ち、それはいくらかロマンティックな表現によって縁取られている。

 

しかし、理想主義者としての表情を持つこのシンガーソングライターは、それらのロマンチシズムを絵空事として描こうとはしていないことに気づく。幼い時代からのキリストの信仰における宗教観、近年では、仏教の中道の観点から現代社会の問題を直視し、その中にある問題解決の端緒を訪ね求めようとする。しかし、これらの二作目のアルバムの楽曲は、問題解決の答えを独りよがりに提示するのではなく、聞き手とともに、またそれらの問題に直面する人たちと、同じ歩みで、その問題について議論を交わし、そして何らかの解決策を求めようとする試みなのである。

 

「この音楽に対してカタルシスを感じてもらいたい」という趣旨のメッセージを込めるナタリー・メリングではあるが、これは2020年の時代に絶望を感じていた人々にとり、いや、それにとどまらず2022年の世界に絶望を感じている人々にとって、大きな癒やしとなり、そして、その心の傷を癒やす、言わば、ヒーリングのようなエネルギーを持ち合わせる作品となるだろう。それは、メリング本人にとってもソングライティングや実際の録音、全般的な作品制作の過程において同様の感慨をもたらしたに違いない。ちょうど歌手としての地位を盤石にした傑作『Titanic Rising』から一年、パンデミックが発生し、LAでレコーディングを開始したメリングではあるが、皮肉にも前作アルバムに込めたテーマは予言的なものとなった。このセカンド・アルバムは、単なるコンセプチュアルな作品の続編であるにとどまらず、絶望的な世界の到来を未来に見る時間から、メリングはその地点から移動し、それらの次の段階へと進み、その渦中に自分/自分たちが存在することを、このセカンド・アルバム全体で概念的に描き出そうというのである。


 Weyes Blood


 世界を描く・・・。こういった壮大な試み、あまりにも大がかりにも思えるテーマが成功することは非常に稀有なことである。アーティスト、もしくはバンドが、それらのテーマをどのように描くか、自分の現時点の位置を嘘偽りのない目で見極めながら、それらの理想郷に手を伸ばさねばならない。しかしながら、ナタリー・メリングは、もともとが電車に乗って、路上ライブを行っていた人物であるからか、様々な階級の世界をその目で見てきた人物としての複数の視点、それは王侯から奴隷までを愛おしく描くウィリアム・シェイクスピアのような、すべての世の人を愛するという温かい心に満ちあふれているのだ。にとどまらず、ナタリー・メリングは、時に、実際的な社会の問題を見た際には悲観的にならざるをえない、きわめて理知的かつ現実的な視点を持ちあせ、さらに、そのユートピア的な思想を実現するための音楽的な素養と深い見識に裏打ちされた「知」がしっかりと備わっている。暗澹とした先行き不透明なディストピアの世界に対峙する際、その暗闇の向こうにかすかに見える一筋の光を手がかりに、メリングはモダン/クラシカルの双方のポップスの世界を探訪していく。これらの音楽を思想的に強化しているのが「God Turn Me Into a Flower」のナルキッソスの神話や、オープニング・トラック「It's Just Me,It's  Everyone」での傷ついた人を温かく、慈しみ深く包み込むような共感性にあるのだ。これらは、単なる作品舞台の一装置として機能しているのではなく、その楽曲を生み出すためのバックボーン、強い骨組みのようなものになっているため、そこで、実際の音楽として聴くと、深く心を打たれ、そして、深く聴き入ってしまうような説得力を持ち合わせているのである。

 

ナタリー・メリングは、その他にもソーシャルメディア全盛の時代に警鐘を鳴らす。もちろん、多くの人々が経験していることではあるが、日々、我々は何かにリンクするという感覚を持っているか、それを何がしかのツールで、そのリンクという概念を体験する。しかし、そもそも、それはその名が示すように本当に誰かしらとリンクしているのだろうか。それはリンクしていると考えているだけにとどまらないのではないか、という疑念も生ずることも少なくはない。ナタリー・メリングは、それらのソーシャルメディアを通じて行われる交流が人間そのものの分離を加速させているのではないかという提言を行う。つまり、このシンガーソングライターの考えでは、それらのデジタルでの交流はインスタントなものであり、本質的な人間の交流とは異なるものという意見なのである。それらの考えを足がかりにして、メリングは本質的な人間の交流という概念が何であるのかを探求していく。そして、それは前にも述べたように、そのための議論が人々の間で建設的に何度もかわされることがこれらの問題解決への糸口となるというのだ。最初から明確な答えを求めるのではなく、その間にある過程を重視するのがナタリー・メリングというアーティストであり、世界で数少ない正真正銘のSSWなのである。

 

 それでは、実際の音楽はどうか。ナタリー・メリングの楽曲は古き時代のポップスやフォークを彷彿とさせるのみならず、それ以前の時代の偉大な音楽への眼差しが注がれている。表向きには、カーペンターズの音楽を思い起こさせるが、アーティスト本人によれば、それはカーペンターズの音楽をなぞらえたいというけではなく、カーペンターズと同じ音楽のルーツを持っているとメリングは考えている。つまり、このアーティストの楽曲に現れるチェンバロのアレンジを用いたバロックポップ/チェンバーポップの要素は、本人の話では、ビートルズのジョン・レノンにあるわけでもなく、カレン・カーペンターに求められるわけでもなく、それよりもさらに時代をさかのぼり、ジュディー・ガーランドの時代のモノクロの映画音楽、ホーギー・カーマイケル、ジョージ・ガーシュウィン、バート・バカラックの時代の音楽に求められるという。もちろん、知られているように、幼年時代に聖歌隊に属していたということから、教会音楽やルネッサンス音楽の影響が、このアーティストの楽曲に崇高性を付与していることは容易に窺える。

 

ナタリー・メリングのセカンド・アルバム『And In The Darkness,Hearts Aglow』の収録曲は、クラシカルなポップスの雰囲気に彩られている。それは実際に、ナタリー・メリング自身が最近の音楽をあまり聴かず、シューマンや、メシアンを始めとする新旧の古典音楽に親しんでいるのが主な理由として挙げられる。しかし、ドローン・アンビエントのシーンで活躍するブルックリンの電子音楽家、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーのDanel Lopatin(ダニエル・ロパティン)がシンセの反復的なフレーズを提供した、「God Turn Me Into a Flower」にも見受けられるように、これらの曲は、決して、古びているわけでもないし、懐古的なアプローチであるとか、アナクロニズムに堕しているとも言いがたい。常に、このセカンドアルバムでは、ポスト・モダンに焦点が絞られ、そして、メリング本人が話している通りで、既存の音楽を破壊し刷新するような「脱構築主義」にポイントが置かれているのである。古典的なポップス、映画音楽、そして、ジャズ、クラシックの要素がごく自然に入り混じったナタリー・メリングの楽曲は、モダンなエレクトロのアレンジが付け加えられることで、複雑な構造を持つ音楽へと転化されている。さらに、メリングの女性的なロマンチシズムを込めた叙情的な歌詞や、伸びやかな歌唱によって、これらの曲は、ほとんど信じがたい、神々しい領域にまで引き上げられていくのである。

 

これらの「ポスト・モダン・ポップスの最新鋭」とも称すべき、親しみやすさと円熟味を兼ね備えた楽曲の合間に、オーケストラ・ストリングスを交えた間奏曲が導入され、作品として十分な緩急を織り交ぜながら、空気や水の流れのように、流動的な雰囲気を持ち、その場に一時たりともとどまらず、音楽における贅沢な恋愛物語がロマンチックかつスムーズに展開されていく。そして、メリングは、それらのロマンチシズムに現実的な視点を込めることにより、我々が生きる先行きの見えない、2020年代の灰色の時代の中にある救いや光を見出そうとするのだ。

 

では、果たして、ナタリー・メリングが追い求めようとする救いは、ここに見いだされたのだろうか? それはアルバム『And In The Darkness,Hearts Aglow』全編を聴いてのお楽しみとなるが、このアルバムの中で「God Turn Me Into a Flower」と合わせて、最もロマンティックな楽曲といえるクローズド・トラック「A Given Thing-与えられたもの」では、昨今の二年間にわたり、このアーティストが訪ね求めていた答えらしき何かが、暗喩的に示されているのに気がつく。

 

ピアノのシンプルな伴奏、古めかしいハモンド・オルガンのゴージャスなアレンジを交えたクラシック・ジャズ的な芳醇さを持ち合わす、このクライマックスを劇的に彩る楽曲において、ウェイズ・ブラッドは、楽曲が幾つか出来つつあり、今後開催するツアーで段階的に観客の前で新曲を披露していくと話す、三部作の最後のスタジオ・アルバムのテーマがどうなるのかを予兆的に示し、二年間にわたる分離された社会に自分が見出した感慨を、さながら劇的な恋愛小説のクライマックスを演出するかのように、甘美に、あまりにも甘美に歌いながら、『And In The Darkness,Hearts Aglow』の持つ、穏やかで、麗しい、この壮大な物語から名残惜しげに遠ざかっていく。「ああ、それは、きっと与えられたものなのだ、愛は、永遠に続く・・・」 というように。

 

 

97/100 

  

 

Weekend Featured Track 「A Given Thing」 

 

Weekly Recommendation

 

Smut 『How The Light Felt』



 Label: Bayonet

 Release: 2022年11月11日


 

 


Review


 オハイオ州、シンシナティで2017年に活動を開始した5人組のインディーロックバンド、Smutは、Tay Roebuck,Bell Conower、Andrew Mins、Sum Ruschman、Aidan O' Connerからなる。Smutは、2017年の結成以来、Bully、Swirlies、Nothing、WAVVESとともに全国ツアーを制覇して来た。

 

 2020年にリリースされた『Power Fantasy』EPは、どちらかというと実験的な内容だったが、シンガーTay Roebuck(テイ・ローバック)を中心としたバンドは、現在、90年代の影響を受けた巨大なプールに真っ先に飛び込み、その過程でサウンドを刺激的な高みへと持ち上げている。

 

最新アルバム『How The Light Felt」では、OASISの作曲センスとCOCTEAU TWINSのボーカル、GORILLAZのパーカッシブなグルーヴとMASSIVE ATTACKの官能性を融合させている。


2017年に妹を亡くした後、ボーカルのテイ・ローバックは執筆活動に専心した。"このアルバムは、2017年に高校卒業の数週間前に自殺した妹の死について非常によく描かれている。 私の人生が永久に破壊された瞬間で、それは準備できないものだ "と。

 

こういった悲惨な状況にもかかわらず、ローバックは「How the Light Felt」で前を向き、痛みをほろ苦いカタルシスに変える厳格な誠実さを示している。最初のリードシングル「After Silver Leaves」は、たまらなく耳に残る曲で、他のアルバムと同様、"私たちを支えてくれる人たちへのラブレター "である。現在、バンドはオハイオからシカゴを拠点に移して活動している。

 

Smut


 シカゴのインディー・ロックバンド、Smutの新作『How The Light Felt』は、Beach Fossilsのダスティン・ペイザーが(当時のガールフレンドであり現在の妻)ケイシー・ガルシアとともに立ち上げた、ブルックリンのインディペンデント・レーベル、Bayonet Recordsからリリースされている。


元来、Smutは、シューゲイズの要素を強いギターロックをバンドの音楽性の主なバックボーンとしていたが、徐々にポップスの要素を突き出しいき、2020年のEP『Power Fantasy』ではドリーム・ポップ/オルト・ポップの心地よい音楽性に舵取りを進めた。セカンドアルバムとなる『How The Light Felt』は前作の延長線上にある作品で、ドリーミーでファンシーな雰囲気が満ちている。


バンドは、オルタナティヴ・ロック/シューゲイザーに留まらず、90年代のヒップホップやトリップ・ホップに影響を受けていると公言する。それらはリズムのトラックメイクの面で何らかの形で反映されている。このバンドの主要な音楽的なキャラクターは、コクトー・ツインズを彷彿とさせる暗鬱さ、恍惚に充ちたドリーム・ポップ性にある。そもそも、コクトー・ツインズもマンチェスターのクラブムーブメントの後にシーンに登場したバンドで、表向きには、掴みやすいメロディーを打ち出したドリーム・ポップが音楽性のメインではあるものの、少なからずダンサンブルな要素、強いグルーブ感を擁していた。Smutも同じように、ドリーム・ポップ/オルトポップの王道にある楽曲を提示しつつ、時折、エレクトロの要素、トリップ・ホップの要素を織り交ぜて実験的な作風を確立している。ハイエンドのポップスかと思いきや、重低音のグルーブがバンドの骨格を形成するのである。

 

 セカンド・アルバム『How The Light Felt』は、表向きには、聞きやすいドリーム・ポップであると思われるが、一方で、一度聴いただけで、その作品の全貌を解き明かすことは困難である。それは、ソングライターを務めるテイ・ローバックの妹の自殺をきっかけにして、これらの曲を書いていったというが、その都度、自分の感情にしっかりと向き合い、それを音楽、あるいは感覚的な詩として紡ぎ出している。


論理よりも感覚の方が明らかに理解するのに時間を必要とする。それらは目に見えず、明確な言葉にするわけにもいかず、そして、曰く言いがたい、よく分からない何かであるのだ。それでも、音楽は、常に、言葉に出来ない内的な思いから生ずる。そして、テイ・ローバックは、妹の死を、どのように受け止めるべきか、作曲や詩を書く行為を通じて、探求していったように思える。

 

このレビューをするに際して、最初は「明るいイメージに彩られている」と書こうとしたが、肉親の死をどのような感覚で捉えるのか。それは明るいだとか暗いだとか、二元的な概念だけでこの作品を定義づけるのは、甚だこのアーティストや故人に対し、礼を失しているかもしれないと考えた。


死は、常に、明るい面と暗い面を持ち合わせており、そのほか様々な感慨をこの世に残された人に与えるものだ。作品を生み出しても結果や結論は出るとは限らない。気持ちに区切りがつくかどうさえわからない。それでも、このアルバム制作の夢迷の音楽の旅において、このアーティストは、Smutのメンバーと足並みを揃えて、うやむやだった感情の落とし所を見つけるために、その時々の感情や自分の思いとしっかりと向き合い、故人との記憶、出来事といった感覚を探っていこうとしたのだ。

 

勿論、これらの音楽は必ずしも一通りの形で繰り広げられるというわけではない。もし、そうだとするなら、何も音楽という複雑で難しい表現を選ぶ必要がない。まるで、これらの複数の楽曲は、ある人物の人生の側面を、音楽表現として刻印したものであるかのように、明るい感覚や暗い感覚、両側面を持ち合わせた楽曲が展開されていくのだ。


「Soft Engine」では、比較的エネルギーの強いエレクトロポップのアプローチを取り、ダンサンブルなビートとオルト・ロックの熱量を掛け合わせ、そこにコクトー・ツインズのように清涼感のあるボーカル、そしてアクの強いファンキーなビートを加味している。

 

「After Silver Leaves」では、Pavement、Guided By Voicesを始めとする90年代のUSオルト・ロックに根差した乾いた感覚を追求する。そして、次の「Let Me Hate」では、いくらかの自責の念を交え、モチーフである妹の死の意味を探し求めようとしているが、そこには、暗さもあるが、温かな優しさが充ちている。夢の狭間を漂うようなボーカルや曲調は、このボーカリストの人生に起きた未だ信じがたいような出来事を暗示しているとも言える。曲の終盤には、ボーカルの間に導入される語りについても、それらの悲しみに満ちた自分にやさしく、勇ましく語りかけるようにも思える。

 

これらの序盤で、暗い感情や明るい感情の狭間をさまよいながら、「Believe You Me」ではよりセンチメンタルな感覚に向き合おうとしている。それらはドリーミーな感覚ではあるが、現実的な感覚に根ざしている。ギターのアルペジオとブレイクコアの要素を交えたベースラインがそれらの浮遊感のあるボーカルの基盤を築き上げ、そのボーカルの持つ情感を引き上げていく。


「Believe You Me」


 



 しかし、必ずしも、感情に惑溺するかぎりではないのは、アウトロのブレイクコアのようにタイトな幕引きを見れば理解出来、この曲では、感覚的な要素と理知的な要素のバランスが図られているのである。1990年代のギターロックを彷彿とさせる「お約束」ともいえる定型フレーズからパワフルなポップスへと劇的な変化を見せる「Supersolar」は、このアルバムの中で最も叙情性あふれるカラフルな質感を持った一曲となっている。しかし、それは、夕景の微細な色彩の変化のように、ボーカルとともに予測しがたい変化をしていき、現代的な雰囲気と、懐古的な雰囲気の間を常に彷徨うかのようである。新しくもあり、古めかしくもある、このアンビバレントな曲が、近年、稀に見る素晴らしい出来映えのポップスであることは間違いない。これは、メロディーやコード、理知的な楽曲進行に重点を置き過ぎず、その瞬間にしか存在しえない内的な微細な感覚を捉え、それを秀逸でダンサンブルなポピュラー・ミュージックとして完成させているからなのである。

 

その後は、このバンドらしいシューゲイズ/ドリーム・ポップ/オルト・フォークの方向性へと転じていく。「Janeway」ではシューゲイズに近いエッジの聴いたギターとこれまでと同様に夢見がちなボーカルを楽しむことが出来る。これらは、序盤から中盤にかけてのパワフルな楽曲とは正反対の内向的な雰囲気を持ったトラックである。この後のタイトルトラック「How The Light Felt」に訪れる一種の沈静は、内的な虚しさや悲しさと向き合い、それらを清涼感のあるオルト・ポップとして昇華している。その他、Joy Divisionのようなインダストリアル・テクノの雰囲気を漂わせる「Morningstar」やブレイクコアをオルタナティヴ・フォークのほどよい心地よさで彩った「Unbroken Thought」と、アルバムのクライマックスまで良曲が途切れることはない。

 

このアルバムは、人間の感覚がいかに多彩な色合いを持つのかが表されている。悲しみや明るさ、昂じた面や落ち着いた面、そのほか様々な感情が刻み込まれている。そして、本作が、ニッチなジャンルでありながら、聴き応えがあり、長く聴けるような作品となったのは、きっとバンドメンバー全員が自分たちの感情を大切にし、それを飾らない形で表現しようとしたからなのだろうか?

 

日頃、私達は、自分の感情をないがしろにしてしまうことはよくある。けれども、その内的な得難い感覚をじっくり見つめ直す機会を蔑ろにしてはならない。そして、それこそアーティストが良作を生み出す上で欠かせない要素でもある。Smutの最新作『How The Light Felt』は、きっと、人生について漠然と悩んでいる人や、悲しみに暮れている人に、前進のきっかけを与えてくれるような意義深い作品になるかもしれない。

 

 

90/100

 

 

Weekend  Featured Track「Supersolar」


Music Tribune   

 Weekly Recommendation 

 

 

 

Julien Chang 『The Sale』




 Label: Transgressive

 Release: 2022年11月4日


 

 

 

Review

 

米国のシンガーソングライター、ジュリアン・チャンは、若き天才であり、その多岐に亘る作曲能力、そして複数の楽器を演奏し、伸びやかな歌唱力を誇る点で、プリンスを彷彿とさせる。十代からすでに本格的なソングライティングを開始していたというエピソードも相通じるものがある。アーティストとしての道を歩むきっかけ、つまり音楽の道を目指すようになった理由について、「人々に衝撃を与えたかった」とジュリアン・チャンは端的に語っている。「人々が慣れ親しんできた私のイメージに挑戦するようなものを、期待されることなく密かに作りたかったのです」というのだ。


デビュー・アルバム「Jules」で、Julian Changは最初の目標を達成するのみならず、それ以上のものを手に入れた。19歳(ファーストアルバムリリース時)のボルチモア出身の彼は、プログレッシブなジャズの即興演奏と洗練されたクラシックの構成に、ポップなメロディーと実験的なサイケロックを融合させ、その驚くべきビジョンと素晴らしい楽器演奏の才能を披露している。そのアレンジは、予想を裏切り、若さゆえの自由と発見に満ちあふれている。同時に、Changの繊細で抑制されたヴォーカルは、愛と友情、成長と変化、記憶と後悔に取り組む彼の若さとは裏腹に、思慮深さすら感じさせる。彼が敬愛してやまないスティーヴィー・ワンダー、ビートルズ、テーム・インパラ、ロバート・グラスパー、あらゆるアーティストを意識した、トリッピーなサウンド・コラージュであり、カテゴライズされないアルバムを生み出したのだ。


Changは、Baltimore School for the Artsでクラシックとジャズの演奏を学びながら育った。地元のヒップホップ・アーティストのためにビートを作るのが趣味だったが、クラスメートや教師のほとんどは、彼をトロンボーン奏者としてしか知らなかった。彼が自宅で独学で楽器を学び、地元の食料品店で働いたお金で地下にスタジオを建てていたことなど、知る人はほとんどいなかった。


「制作中に何かを話したり、共有したりすることで、自分が作っているもののインパクトを減らしたくなかったんです」とジュリアン・チャンは言う。「誰も予想していないものをリリースすることで得られる力を利用したかったのです」。実際、チャンは、昨年、この作品集をオンラインで公開し、CDを少量生産して自主的にリリースした時点では、さほど騒がれることもなかった。ところが、このレコードは、その後、ボルチモアの音楽コミュニティーで徐々に広まり、最終的にはロンドンまで届き、Transgressive Records(SOPHIE, Let's Eat Grandma, Neon Indian)の目に留まり、関係者はニューヨークまでチャン本人に会いに行き、間もなくレコード契約を申し込んだのだった。

 


Julian Chang
 

 以上のようなデビューの経緯を持つ、ジュリアン・チャンは、2020年のデビュー・アルバム「Jules」でPitchfork、Fader、The Guardian、NME、Loud & Quiet、DIY、Billboard等、錚々たる音楽メディアから歓迎を受け、最初の成功を掴んだが、このセカンド・アルバムで彼は才覚により磨きをかけている。

 

ホームタウンのボルチモアとプリンストン大学の寮の二箇所で録音されたという2nd「The Sale」は、ホームレコーディングのラフさが引き出されているが、他方、ジュリアン・チャンの広範な音楽知識とリスニング経験に裏打ちされた宝玉のような輝きを放つ作品と言える。アルバムは、全体的に、モダンなインディー・ロックが楽曲の基礎に置かれているが、その他、ピンク・フロイドからテーム・インパラに至るまで新旧のサイケデリック、そして大学で専攻していたクラシック、ジャズの技術を曲や演奏の中に多彩な形で散りばめている。およそ、シームレスに音楽の領域を行き来し、ジャンルレスとも言えるような多彩なアプローチが今作には取り入れられている。

 

ジュリアン・チャンは、グレゴリオ聖歌からスティーヴ・ワンダーまでの幅広い楽曲を楽理的に解釈し、その関連性を見出す知性溢れるアーティストではある、しかし、このセカンドアルバムにはそういった衒学的な概念はほとんど感じられない。アルバムの冒頭、二曲目収録の「Mermalade」を始めとする楽曲で、チャンは感覚的なインディーロックソングを書き、論理性に傾くのではなく、感性に重きを置いている。ジュリアン・チャンは自分の感覚を信じきり、作品を生み出す。彼は衒学を厭い、リスナーに堅苦しさを与えず、爽快なイメージをリスナーと共有しようとしているのだ。

 

 感覚の共有というひとつのテーマは、チャンの繊細な感性により、みずみずしい表現性へと昇華されている。そして、そのイメージは、中盤から終盤にかけて、さらにおどろくべき展開力を見せる。往年のディスコ時代のダンスミュージック、ロックの最盛期、そして、近年の米国のオルタナティヴロックを、ジュリアン・チャンは自分なりの手法で表現しようと試みている。さらに彼は、ほんのわずかながら、サイケ、ソウル・ロック、最近のLAの宅録のローファイアーティストのようなジャンク・ミュージックの要素を加えて、それをほとんど呆れるような多彩さで変幻自在に展開させる。


それは、このアーティスト、ジュリアン・チャンがジャンル、カテゴライズという概念を軽々と超越しようとしている証左でもある。これらの涼やかな雰囲気に充ちた多彩なインディーロックのボーカルトラックの中には、鋭い感性に裏打ちされたモダン・ジャズとミラーボール時代のディスコ・ロックの中間点にある「Snakebit」のような楽曲がひときわ強烈な印象を放つ。ジュリアン・チャンは、スティーリー・ダンの「Aja」やプリンスの最盛期のような艶気のある中性的なボーカルを活かした楽曲でリスナーを魅了し、幻惑させてみせる。


「Snakebit」


 


続く「Time And Place」では、シド・バレット在籍時のピンク・フロイドのような独特なサイケデリアの中へ踏み入れていく。モダンフォークの要素を取り入れ、サイケとアンビエントの中間点を探る。しかし、驚くべきなのは、ジュリアン・チャンの楽曲は常にコントロールが効いているためか、自由奔放になったり、放埓の罠に陥ることはない。ここでは、みずからの感性を頼りにし、豊富な楽理知識に裏打ちされた楽曲進行が取り入れられている。さらに、次曲の「Bellarose」では、前曲のインディーフォークのアプローチにより強い焦点を絞り、それを感性豊かな楽曲へ昇華させようという意図も見受けられる。そして、その先鋭的な試みは、実際のところ、成功しており、聞き手を陶然とさせる甘美さと艶やかさの妙味を持ち合わせているのである。

 

一般的なアーティストの場合、作品の中盤から終盤に差し掛かると、ほとんど相手の手の内がすっかり明かされ、その作品がどのような指針を持って製作されたのか、おおよそ把握できるようになるが、まったく不思議なことに、ジュリアン・チャンのレコードは、そのかぎりではないのである。彼はこの終盤部において、リスナーをさらなる混迷の中に引き込み、華麗なマジックを目の前で披露するかのように、リスナーの集中力を絶えず惹きつける。むしろ、クライマックスで、このアーティストの曲が良く理解出来るようになるというよりも、さらに予測不能で不可解な部分も出てくるのが面白い。そう、音楽というのは、よくわからない部分があるからこそ魅力的なのだ。

 

「Ethical Exceptions」では、ローファイアーティストを彷彿とさせる楽曲に取り組んでおり、クラシックとは程遠い、ヒップホップ/ローファイヒップホップのアプローチをオルタナティヴ・ロックと劇的に融合させている。ここで、ジュリアン・チャンは、Part TimeやBlack Marble、Ariel Pinkのようなジャンク感のある音楽の方向性に挑み、現代的な米国の音楽文化を、クラシックやジャズのように、既に評価が確立されている音楽文化と対峙させる。これは、このアーティストが、それらの現代の音楽が、古典音楽やジャズと同等の価値を持つ音楽なのだと主張するかのようでもある。さらに、2ndアルバムのクローズを飾る「Competition's Friends」では、ビートルズのアート・ロック、ピンク・フロイドのサイケ・ロックを見事な形で現代に蘇らせている。


ボルチモアが生んだ鬼才--ジュリアン・チャンは、この作品で、過去と現代を一つの線で結ぼうとしている。『The Sale』はまさしく「温故知新」という故事を音楽表現として表したかのような味わい深い作品である。

 

 

 

92/100

 

 

Weekend Featured Track 「Competition's Friend」

 

 Olafur Alnorlds 『some kind of peace - piano reworks』

 


 

 Label:  Mercury xx/Universal Music

 Release:  2022年10月28日

 




Review   


 

 今週、皆様にご紹介するMercury xxから今週金曜日に発売された『some kind of peace - piano reworks』は、2020年にオーラブル・アルナルズが発表したオリジナルアルバムのピアノのリワーク作品/再構築である。このオリジナル作品は、2020年以前にレイキャビクのハーバースタジオで制作されたが、今作はパンデミックの最初期にリリースされた。発表当時は世界中でロックダウンが敷かれ、およそアイスランドも同じような状況にあったものと思われる。

 

オーラブル・アルナルズは、タイトルに表されている通り、アルバムのコンセプトに「ある種の平和を見出す」という主題を置いている。

 

2020年のリリース時、オーラブル・アルナルズは、Apple Musicのインタビューで、「パンデミックは、私達にコミュニティの重要性を思い出させます、そして、それは私たちの毎日の伝統的かつ宗教的な儀式と、私達の相互の重要性を思い出させる、それが私がここで探求していることです」とコメントしている。2020年代の世界的な状況を鑑み、結束力を取り戻すことの大切さについて述べている。ロックダウンや隔離は、世界の人々の間に一種の分離状態を惹起させた。しかし、当時、オーラヴル・アルナルズは、その状況に反し、今一度、人々がコミュニティの重要性に気が付き、そして、今一度、結束力を取り戻すことを呼びかけていたのだ。

 

2020年発表のオリジナル盤『some kind of peace」は、Bonobo(サイモン・グリーン)を始め、秀逸なエレクトロニックプロデューサーがコラボレーターとして参加し、ポスト・クラシカル寄りの作品でありながら、モダンなエレクトロの雰囲気も併せ持つ快作であったが、今回、発表されたリワーク作品は、全く同じ楽曲構成であるものの、全曲がピアノのみで構成され、原曲の持つ抽象的な情感が前作よりも引き出されている。今回の再構築時に曲の順序が入れ替わったことも、音楽を聴くに際してオリジナルとは異なる印象をおぼえることになるだろう。

 

リワークに参加したコラボレーターも豪華である。同じくアイスランド、レイキャビクのポスト・クラシカルシーンの旗手で、音楽家になる以前、NYでファッションモデルを務めていたEydis Evensen、ポーランドのピアニスト、Hania Rani、アイスランドのシンガーソングライター、JFDR(ヨフリヅル・アウカドゥッティル,オーストラリアのシンガーソングライター、Sophie Hutchingsと、アイスランド国内のアーティストを中心に、世界の個性的なアーティストがこの作品に参加しており、オーラブル・アルナルズのピアノ演奏に深い情感を付け加えている。

 

原曲はBonoboとのコラボレーションでエレクトロの雰囲気を擁する「Loom」を始め、アルバムにゲスト参加したアーティストを中心に、ピアノのみで原曲の意外なリワークがなされている。これらは、アルナルズのピアノ演奏を始め、他のコラボレーターのアレンジや演奏によって、その魅力がわかりやすく示されており、繊細なメロディーの運びにより、豊かな詩情が丹念に引き出されている。それは、やはり、彼の故郷であるアイスランド・レイキャビクの海沿いの風景や、豊かな自然をありありと想起させるものがある。

 

本作の中で、ボーカル・トラックは、ピアニストとしてポーランド国内で活躍するハニヤ・ラニのハミングを収録した「Woven Song」、同郷アイスランドのシンガーソングライター、JFDRの伸びやかで清涼感に満ちたボーカルが収録された「The Bottom Line」の二曲となる。ポスト・クラシカルとして王道ーー静謐であり内省的な質感を持った美麗な楽曲ーーの中にあって、これらの二曲は、アルバム全体の印象に変化と抑揚をつけるものであるとともに、よりドラマティックな雰囲気を擁する。全体的に、エレクトロニックなエフェクトが施された楽曲群の中で、これらのボーカルトラックは、聞き手に癒やしをもたらしてくれるものと思われる。

 

 「Woven Song-piano reworks」 

 

 

 

そのほかにも、抽象主義の近代フランスの作曲家、クロード・ドビュシーの晩年の作品を思わせる「Undone」も、静謐かつ色彩的な音の運びがあり、澄明な響きが感じられる秀逸な一曲であるが、やはり、このアルバムで傑出しているのは、#9「We Contain Multitudes」とになるだろう。

 

今回の再構築では、原曲の印象的な部分を形成していたイントロの朗らかな対話のサンプリングを排していることに注目したい。オーラヴル・アルナルズは、楽曲の構成自体を完全に組み替えただけでなく、この静謐で繊細な性質を擁するピアノ曲に、以前のバージョンに比べ、よりゆったりとしたテンポを与え、さらに調性まで変え、この曲の持つ自然味と純粋かつ豊かな情感を引き出そうと努める。さながら、ひとつひとつ心の中で音をじっくり噛みしめるかのようなオーラブル・アルナルズの演奏は、同年代のポスト・クラシカルシーンのアーティストをはるかに凌駕している。

 

ここで、オーラヴル・アルナルズは、コラボレーターである韓国のミュージシャン、Yirumaの助力を得ることにより、アイスランド/レイキャビクの海岸近くのコンサートホールで録音された「Sunrise Session」の時と同様、ピアノの蓋を外し、ハンマーの軋む音を活かしたプロダクションを志向しているものと思われるが、しかし、ほとんど信じがたいことに、アルナルズは、時にはこのジャンルの欠点となる窮屈な表現、萎縮した感覚をここで軽やかに乗り越え、この原曲を伸びやかさのある藝術の領域に引き上げている点が見事というよりほかない。


全般的に、この作品はただ美しい旋律を紡ごうという意図が込められているだけにとどまらず、オーケストラの再構築のように、曲の持ち味をより繊細な形で表現しようとしている。そして、これらの曲の雰囲気は細やかなものであるからこそ心にじんわり響くのである。そのため、何度も聴く返したくなるような深みを持つ。そして、今回、クラシック音楽のcodaのように、このリワーク作品になんらかの言い残したメッセージを付け加えたかったようにも思える。

 

総じて、Olafur Alnorlds(オーラヴル・アルナルズ)は、このピアノによるリワーク・アルバムを通じ、オリジナルアルバムとは異なる鮮やかな命を吹き込んでみせた。さらに、2020年のパンデミック期と同様、戦争やエネルギー供給、物価高騰問題により真っ二つに離反するにとどまらず、俄に剣呑な雰囲気になりつつある現今の世界情勢に蔓延する憂いに際し、それとは対極にある価値観、「人間として結束すること」の大切さと「ある種の平和の見出すこと」の尊さをより大衆に理解しやすいかたちで再提示したかったのかもしれない。仮に、もし、そうであるとするなら、今作は、現代のミュージックシーンの中においてきわめて重要な意義を持つと言える。

 

 

97/100

 

 

Weekend Featured Track 「We Contain Multitudes - piano reworks」

 



 
*現在、本作は、日本国内で、Tower Recordsにて海外盤がお買い求めいただくことが出来ます。

 Dry Cleaning 『Stumpwork』

 


 

 

 Label: 4AD Ltd

 Release: 2022年10月21日

 


 

 

Review

 

 デビュー作「New Long Leg」で全英チャート4位を獲得したドライ・クリーニングの2ndアルバム『Stumpwork』は、サウス・ロンドンのミュージックシーンの気風を色濃く反映した作品といえるでしょうか。バンドメンバーのルイス・メイナード、ニック・バクストンの二人は別のバンド、元々は、La Sharkとして活動を行っていたそうなんですが、2017年にパーティーで出会ったというトム・ダウズが参加している。

 

以後、トム・ダウズと同じく、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで、絵画の研究を行っていたフローレンス・ショーが参加、結成当初は、インストバンドとして活動していたものの、フローレンス・ショーがボーカルを取るようになる。フローレンス・ショーのボーカルはパティ・スミスのように、ポエトリー・リーディングに近いクールなスタイルが取り入れられていますが、これは、フローレンス・ショーが、人前で歌うのが恥ずかしいという理由で、ほかのメンバーが、演奏に合わせて喋るようにとアドバイスし、スポークンワードの手法で行くようになったのだそう。つまり、アートの学術論文の発表に慣れ親しんでいると思われるボーカリスト、フローレンス・ショーにとっては、スポークンワードという手法が理にかなっていたのかもしれません。


Dry Cleaning

 ドライ・クリーニングのセカンド・アルバム『Stumpwork』は、UKの70年代のアートパンクのオリジナル世代、そしてNYの同年代のアンダーグラウンドミュージックの影響が色濃いように感じられる。音程を極力排したスポークンワード/ポエトリー・リーディング、The Jamのようなアートパンクに象徴されるような硬質なギターロックの瞬発性、さらに、ソニック・ユースの1985年の『Bad Moon Rising』の時代を彷彿とさせる変則チューニングを駆使したアバンギャルド/サイケデリックなギターのアプローチが絶妙な合致を果たし、見事にスパークしている。このセカンドアルバムは、内的な抒情性を漂わせつつも、外向きの強いパンチ力やフックも兼ね備えています。

 

さらに、ドライ・クリーニングの音楽のアプローチは、ソニック・ユースの最初期のアートロックの強い影響を感じさせるとともに、今年劇的なデビューを果たしたYard Actに近い雰囲気もあり、ヒップホップの性質を削ぎ落とし、ポスト・パンク/ノーウェイヴの要素である語りの技法を取り入れようという作風です。そして、ソニック・ユースのサーストン・ムーアのトレモロを活かしたギターのトーンのゆらぎを再現し、うねるようなギターリフの合間にフローレンス・ショーの、ダウナーでアンニュイなスポークンワードが取り入れられています。

 

バックバンドとしては、激情的な雰囲気も背後に滲んでいますが、ショーのボーカルは常に冷静な語り口で昂ずるところは殆どなく、一見、相容れないと思われる要素をとことんまでバンドサウンドとして前面に突き出しており、この対極性の中にかっこよさを感じるかどうかが、このアルバムを気に入るかの分かれ目となるかもしれませんね。しかし、フローレンス・ショーのボーカルスタイルというのは、音程自体は、殆ど一定で変わらないものの、その中にはハミングに近い歌の旋律が隠れている。歌いたいけれども、歌いたくもない、というようなシニカルな相反する精神性が、おそらくフローレンス・ショーのボーカルの特色なのかもしれません。この特異なボーカルが、ファンクのようにしなりのある図太いベースライン、そして、ファズ・ギターのうねりの向こうから不意に立ち現れたとき、ほのかな心情的な温かさを通わせるようになる。つまり、音楽そのものが生きた生命体さながらに鮮やかにいきいきとしはじめるのです。そして、あらかじめ意図したものでなく、アンサンブルやセッションを通じて偶然に生じたエモーションが序盤から中盤にかけて増幅されていく。この中盤の盛り上がり、徹底してコントロールの効いた内省的な激情性こそ、このセカンドアルバムの傑出した要素として指摘しておきたい。

 

 各々の楽曲についての説明は省略しますが、デビュー・アルバムの延長線上にある音楽性が引き継がれており、それがさらに先鋭的な気風すら帯びている。例えば、ソニック・ユースの最初期(「Goo」以前)を彷彿とさせる#2「Kwenchy Kups」、The Jam、The Fallのような硬質な精神性と抒情性を兼ねそなえた#3「Gary Ashby」、#4「Driver's Stroy」を始めとする、繊細性と力強さを併せ持つソフトな楽曲がこの作品の世界観を引っ張っていきますが、その中に、それほど肩肘をはらず、一貫したテンションで紡がれるフローレンス・ショーのスポークンワードが、これらのアート・パンクの流れの中にほのかな情感をもたらしています。フローレンス・ショーのボーカルは、さほど派手さがない性質がゆえ、主役を演じたかと思えば、コアなバンドサウンドの脇役を演じたりと、その立ち回りが一瞬で変化する。それは、このバンドサウンド、ひいては、アルバム全編に流動的な力を与え、 内包される空間が進むごとに押し広げられていくようにも感じられるのです。

 

アルバムの中盤に差し掛かっても、彼らの求心力が衰えることはありません。いや、それどころかむしろ、このアルバムの凄さは中盤部にこそ込められていると言える。それは外向きの力ではなく、内向きな想念がひたひたと渦巻いているようにも感じられる。前半部の世界観ーートレモロを活かしたサイケデリックなギターのフレーズ、そして、タイトでありながらダイナミックなリズムが、フローレンス・ショーのシュールな詩を湧きたて、音楽/バンドサウンドの持つ力を徐々に拡大していく。嘯くかのような力の抜けたフローレンス・ショーの語り口は、#7「No Decent Shoes For Rain」で最高潮に達する。テンションを一定に保ったまま、奇妙な熱を帯びていくのです。

 

また、The Jamのポール・ウェラーの若い時代の楽曲を彷彿とさせる、ポストパンク/モッズの影響を感じさせる#8「Don' t Press Me」では、現代社会に対する反駁のような考えを暗示しているように感じられます。そして、ひねりの効いたポスト・パンクのアプローチには、Wire,The Wedding Presentsといったバンドの系譜にある、強固な反骨精神すら見出す事も出来るはずです。

 

 このセカンド・アルバムで、 ドライ・クリーニングは、デビュー作のセールス面での大成功が偶然ではなく必然であったこと、そして、前作で表現しきれなかった真の実力を対外的に示すことに成功しています。『Stumpwork』は、2022年のインディーロック/ポスト・パンクのリリースの中では傑出した作品に位置付けられるでしょう。



 

94/100

 

 

 Weekend Featured Track 「No Decent Shoes For Rain」



 

PVA 「Blush」

 


Label: Ninja Tune


Release: 2022年10月14日



Review


Ninja Tuneからリリースされるサウスロンドンのバンド、PVAのデビューアルバム『BLUSH』は、エレクトロニックミュージックの鼓動と人生を肯定するライブギグのエネルギーを巧みに統合し、これまで語られてきた以上のトリオの姿を明らかにするものとなる。



エラ・ハリスとジョシュ・バクスター(リード・ボーカル、シンセ、ギター、プロダクションを担当)、そしてドラマーとパーカッショニストのルイス・サッチェルによる11曲は、アシッド、ディスコ、強烈なシンセ、ダンスフロア、クィアコード・シュプレヒゲサングのポストパンクで構成されている。



このトリオは、ハリスとバクスターが2017年に一緒に「カントリー・フレンド・テクノ」と名づけたものを作り始めたことから始まった。最初の曲のひとつは、ハリスが自分の夢を新しいバンドメイトに口述したことから生まれ、最初のライヴは、ニュークロスのThe Five Bells pubで行われたNarcissistic Exhibitionismという伝説の一夜であり、彼らが出会ってからわずか2週間後に開催された。このショーはエラ・ハリスのキュレーションによるもので、2階は絵画、彫刻、写真、1階はバンドがフィーチャーされていた。彼女は、PVAをヘッドライナーとしてブッキングした。

 


 この初期の段階を経て、彼らはライブショーに新しい次元をもたらすためにルイス・サッチェルを採用した。このように、より硬派なライブを行うことで、PVAはロンドンのギグファンの間でカルト的な評判を確立した。

 

その時点ではライブをおこなことが彼らの唯一の選択肢であった。トリオは、Squid、black midi、Black Country、New Roadと並んで、南ロンドンの熱狂的なインディー・シーンにおける最重要アーティストとしての地位を確立する。その後、「SXSW」、「Pitchfork Music Festival」、「Green Man」に出演し、Shame、Dry Cleaning、Goat Girlと共に国内ツアーを行うようになった。だが、初期の段階から、従来のバンド編成の枠を超えた存在であることは明らかだった。ブリクストンのスウェットボックス「The Windmill」と、デプトフォードの地下クラブ「Bunker」で早朝からDJをする彼らを一晩で2回も見ることも珍しいことではなかったという。



PVAは、2019年末、Speedy Wundergroundからデビュー・シングル「Divine Intervention」をリリースした。その1年後には、Young FathersやKae Tempestといった同様に、イギリス国内の象徴的なアーティストが所属する”Ninja Tune”からデビューEP「Toner」をリリースしている。このEPには、ムラ・マサの「Talks」のリミックスが収録されており、2022年のグラミー賞のベスト・リミックス・レコーディング部門にもノミネートされた。


PVA

 

10月14日、Ninja Tuneから発売された『Blush』は、過去のどのアルバム、どのアーティストとも似ていない、孤絶した領域にある作品です。このような音楽に接した際、多くのリスナーは戸惑いを覚えると共に、本当の意味での熱狂的なリスナーであれば、いくらかの興奮を覚えざるをえなくなる。

 

アルバムには、このトリオの幅広い音楽のバックグラウンドを伺わせる様々な要素が込められている。多彩な音楽が溢れるサウスロンドンのダンスフロアから登場したという経緯もあってか、エレクトロ、 ポスト・パンク、アシッドハウス、トランスを主体においた、実験的なアプローチが今作において図られていますが、それは、エラ・ハリスとジョシュ・バクスターの両ボーカルによって全体的な作品の均衡が絶妙に保たれいるだけでなく、また、ヴァラエティーに富んだアルバムとなっている。シンセサイザーを担当するジョシュ・バクスターは、アナログのモジュラーシンセの音色をフル活用し、これらのトラックに思わぬ魔法をかけてみせるが、全体的なトリオとしてのサウンドの枠組みを支えているのは、ドラムのルイス・サッチェスです。ジャズや民族音楽の要素を多分に感じさせるルイス・サッチェスのダイナミックで変則的なリズムが、時折創造性が豊かすぎるゆえ奔放になりがちなサウンドに統一感を与えているのです。


さて、PVAのエレクトロに根差したサウンドは、西洋的な美学の一つである対比の概念によって強固に支えられている。このギリシャ哲学の時代から綿々と引き継がれるアート全般の美学は、もちろんクラシック音楽の作曲を行う上で、そして、ポピュラー音楽の構成面でぜひとも必要な要素なのですが、その対比の美学は、エラ・ハリスとジョッシュ・バクスターのボーカルの対称性に反映されている。


前者のエラ・ハリスのボーカルは、Sprechgesang(シュプレヒゲサング)のスタイルをとり、語りにも似たた性質であるが、冷徹な雰囲気を感じさせるとともに、時にそれとは逆の華やいだ抒情性にも成り代わる場合もある。さらに、もう一方のジョッシュ・バクスターのボーカルは常に強い熱量に支えられており、まるでロンドンのダンスフロアの熱狂を体現したようなエナジーを擁している。これらの両者のまったく温度差の異なるトラックが対比的に配置されることで、このアルバム全編は多彩性溢れるものとなり、ダイナミックな印象を与えるのです。

 

オープニング「Untetherd」では、ゴアトランスに近い過激なアプローチをPVAは採用しているが、この音楽の欠点となりがちな刺激性と興奮性にばかりに焦点が当てられているわけではありません。エラ・ハリスは、典型的なヘテロ的な男性像というものに強い抵抗と怒り、エナジーを込め、それらを知的かつ理性的な表現として昇華している。他にも、ドイツのインダストリアルや古典的なテクノミュージックに依拠した「Hero Man」は、典型的なテクノを、現代のエレクトロ、ハウス、そして、鋭い感覚を持ったポスト・パンクと融合しているが、このトラックにおいても、エラ・ハリスのボーカルには Sprechgesang(シュプレヒゲサング)のスタイルが導入されている。 

 

 

「Hero Man」 

 

 

 

ハリスは、このパンデミックのロックダウンの時期を、この曲の中で表現し、「眠れない、食べれない、仕事にいけない」と、この時代における苦悩を解き明かしている。ボーカルのピッチは殆ど常に一定で変わりませんが、微細なトーンの変化の中に特異な抒情性がほのかに揺曳している。これは機械的な何か、またはシステム的な何かへの人間の強い抵抗とも取られることも出来る。

 

アルバムの中盤に差し掛かってもなお、PVAの掲げる音響世界は極限まで押し広げられ、特異性を増していく。中盤のハイライトといえる「Bunker」では、バクスターがボーカルを担当し、ゴツゴツとした雰囲気のエレクトロを提示している。特に、この曲におけるモジュラー・シンセサイザーを駆使した展開力や創造性には驚嘆するよりほかありません。バクスターは、シンセサイザーに使われるのではなく、彼は自発的にアナログシンセをコントロールし、彼自身の創造性を最大限に活用し、楽曲は中盤から終盤にかけて思わぬ展開へと繋げていくのです。常に、バクスターのボーカルは、サウスロンドンの最もアンダーグラウンドにあるダンスフロアの熱気を感じさせ、そこには、彼のこの土地のシーンへの深い愛情と敬意が多分に込められている。彼の生み出すシンセのフレーズ、そして、ボーカルは聞き手を圧倒させるものがあります。それは電子音楽のまだ見ぬ可能性を感じさせるとともに、さらに、これまで誰もアプローチしてこなかったデジタルのように音の増幅の受けないアナログ信号の未来の可能性をここで追求している。

 

先行シングルとして発表された「Bad Dad」の新世代のエレクトロ・ポップのバンガーと称するべき良質なトラックですが、特に、ひとりのリスナーとして大きな驚きを覚えたのが9曲目に収録されている「Transit」です。エラ・ハリスがボーカルをとるこの曲では、近年隆盛のエクスペリメンタルポップの一歩先を行き、時代に先んじた新鮮な方向性が取り入れられている。この曲は、ピアノアレンジが取り入れられたアルバムの中では、ポピュラーミュージック寄りの楽曲に感じられるものの、もちろんこの曲の魅力はそれだけに留まりません。ダークな雰囲気をもちあわせた独特なトラックで、アシッド・ハウスの要素を交え、執拗なフレーズを合間に織り交ぜたあと、曲のクライマックスでは誰も予測出来ない展開が待ち受けている。ここで、PVAは、インダストリアル、エレクトロ、フォークトロニカの未来にある、これまでに存在しなかった類の音楽を提示している。


なぜ、このような音楽が出来たのか、と不思議に思っているが、これは、エラ・ハリスが「このような音楽になるとは想像できなかった、一種の天啓だった」と語っているように、このトリオが事前に設計していた通りの作品よりも、はるかにものすごい音楽が生まれたことを証左しているのです。

 

しかし、芸術全般にこのことは言えますが、自分たちの手から創作物が離れていき、それが作者があらかじめ予想していたのとは全然別の何かに成り代わる時、つまり、本人たちも予期せぬ偶然の要素が入り込んだ瞬間に傑作というのは誕生する。しかし、それは、常に真摯に音楽に向き合い、誰よりも真摯に音楽に取り組んでいる製作者にしか訪れない数奇な瞬間でもある。


更にいえば、PVAは、その幸運に預かる資格を与えられ、幸運なる瞬間を自らの手で力強く掴んでみせた。こういった、どこから生まれたのか容易に解きほぐせない、偶発的な音楽が生み出されるためには、時代的な出来事や、日常のおける身近な出来事、その他、様々な要素が偶然に入り込むのが1つの条件ではありますが、PVAは、ロックダウン時における苦悩を、ロンドンのフロアシーンを中心とするライブの熱狂を介して、創作的な前向きなエネルギーへと変換させてみせた。その大きな成果が、Ninja Tuneからのデビュー作「Blush」には顕著な形で表れているのです。


「Blush」は、多くのリスナーにPVAなるトリオがいかなる存在であるかを力強く示す作品であるとともに、デビュー作としては、ほとんど非の打ち所のない作品です。サウスロンドンから登場した新星ーPVAは、音楽の未知の可能性と明るい未来をここに示してみせています。今後、彼らがどのような傑作をこの世に生み出していくのか心から楽しみにしていきたいところです。

 

 

 

100/100(Masterpiece)

 

 

 

Weekend Featured Track 「Bunker」

 

 

 

 

Label: Polyvinyl/P-Vine

 

Release:  2022年10月7日


 


 

 

 

Review

 

 

 カナダ・ トロントを拠点に活動するインディーロックバンド、アルヴェイズは、2014年にリリースされたセルフタイトルアルバムに収録されている、大学卒業後の世代の若者の声を代弁した「Archie,Marry Me」で一躍、注目を浴びるに至った。その後、リリースされた2ndアルバム「Antisocialites」も好評を博し、カナダ国内のポラリス音楽賞にもノミネートされています。

 

続く、3rdアルバム「Blue Rev」は五年ぶりのアルバムとなる。なぜ、これほど長い期間を擁することになったのか? それは、レコーディングの最初期には多くの障壁がバンドの前に立ちはだかったことによる。多くのファンが知っていることではあるが、モリー・ランキンのデモテープが盗まれたり、地下のスタジオが洪水に見舞われたりと散々だった。もちろん、パンデミックの国境封鎖もそのひとつで、レコーディングが遅遅として進まなかったのも頷ける。こんなことが起きれば、普通なら嫌になりそうなのだけれど、しかし、意外に、フロントパーソンのモリー・ランキンは、これらの難事に対し、あっけらかんと対処している。人生という荒波を乗りこなすには、こういった一種の豪放磊落な性質が、時にはぜひとも必要となってくるのでしょう。

 

2021年10月、改めてバンドは、カナダ人のプロデューサーのショーン・エヴェレットとLAに場所を変え、レコーディングを開始する。そして、このアルバムの制作を急ピッチで仕上げたという。どのような作品でも同じことですが、出来上がった作品を聴くのは、一瞬のことだとしても、その背景にある出来事が作品には反映され、そして、製作者の実体験がその作品に(本人たちが否定するとしても)何らかの形で表れてくるものです。そして、このアルヴェイズの三作目は、アルバム全編を聴き通した時に、スピード感のある作品だという印象を受けます。

 

もちろん、これまでのジャグリーなインディー・ポップ、そして、My Bloody Valentineのようにシューゲイザー寄りのアプローチ、さらに、このバンドの最初期からのエヴァーグリーンな音楽性の要素などなど、一作目、二作目のバンドとしての成果をしっかり踏まえたアルバムとなっている。ところが、二作目とは何かが異なっています。

 

一体、それは何なのか?? それは、バンド自体の音楽性の変化よりも、モリー・ランキンのヴォーカルスタイルの微細な変化、モデルチェンジにあるように思える。前作まで、このヴォーカリストは少なくともインディーロックバンド内のシンガーという役割を十二分に果たしていましたが、この作品からバンドには収まりきらない圧倒的な存在感が現れている。モリー・ランキンのボーカルは、以前よりも抒情的で、さらにエヴァーグリーンな雰囲気を醸し出している。これは紆余曲折あったにせよ、三作目にチャレンジしたバンドのみに与えられる収穫をカナダ・トロントのオールヴェイズはこのアルバムで大いに享受しているのです。


先週も同じようなことを述べましたが、バンド、ひいては、このボーカリストの音楽に対する喜びが凝縮されたのがサード・アルバム「Blue Rev」の本質であり正体です。それは、曲のドライブ感、パンキッシュなサウンドアプローチにより、アルバムの序盤から中盤にかけて加速していくようにも感じられる。始めこそ遅かったが、エンジンをかければ、このバンドは、誰よりも速く、誰よりも遠くへリスナーを運んでみせてくれる何とも頼もしい存在なのです。

 

本作には、ハイライトが幾つもある。それはバンドのたどってきた軌跡のようなものが反映されているとも言え、しっかりと聴きこまなければ、その全容を把握することは難しそうな作品です。オリジナル・シューゲイズの要素を受け継ぎ、このバンドらしい音楽性のひとつ、Nu-Gazeとして昇華させた「Pharmacist」、「Easy On Yoru Own?」、その他にも、村上春樹の小説にインスピレーションを受けた「After The Quake」をはじめ、インディーロックバンドらしからぬ、アンセミックなポップソング、そして、アリーナで演奏されるとシンガロングを誘うようなポップ・バンガーも収録されています。その他、メロウなポップソング、ローファンに触発された楽曲も中盤の展開を強固にしており、バラエティに富んだ世界観を体験することが出来るはずです。

 

特に、オールヴェイズのバンドとしての進化を示しているのがアルバムの終盤に収録されている「Belinda Say」ではないでしょうか。ここでは、このバンドの最初期からの特徴であるエバーグリーンな性質を受け継いだポップ・バラードが提示されていますが、それはショーン・エヴェレットのマスタリングの手腕により、クオリティの高い楽曲に引き上げられており、圧倒されるものがある。アルバムを聞き終えた後には、”アルバムを聴いた”という実感がある。きっと、それは、全14曲が細部まで丹念に作り込まれており、それらが、LAのレコーディングにおいて一気呵成に演奏されているため勢いがあるからなのでしょう。


米国、英国を始め、国外でも評価が高まっているオールヴェイズでありますが、この勢いに満ちたパワフルな作品『Blue  Lev』を聴くかぎりでは、今後、さらにワールドワイドな活躍が期待出来るかもしれません。

 

 

 84/100

 

 

Weekend Featured Track 「Easy On Your Own?」



 Yeah Yeah Yeahs 『Cool It Down』



 

Label: Secretly Canadian

Release: 2022/9/30

 

 

 

Review

 

  カレン・O率いるヤー・ヤー・ヤーズは、 知るかぎりにおいて、当初、シカゴのレーベル、Touch And Goが発掘したロックバンドで、最初のEP作品のリリースを契機に、当時のジャック・ホワイト擁するホワイト・ストライプスを始めとするガレージ・ロックリバイバルのムーブメントの機運を受け、着実な人気を獲得していきました。


デビューEP「Yeah Yeah Yeahs」を聴く限りでは、ニューヨークのバンドらしく、アーティスティックな雰囲気を持ち合わせており、ローファイやアート・ロックの色合いを持つバンドとしてミュージック・シーンに登場したのだった。しかし、意外なことに、当時、この流れに準じて登場したこれらのガレージロックバンドのいくつかは解散してソロ活動を転ずるか、それとは別の音楽性へ舵取りすることを余儀なくされる場合もあった。というのも、こういった直情的なロックを長く続けることは非常に難しく、それは限られたミュージシャンのみが許される狭き道でもあるわけです。

 

そしてまた、ヤー・ヤー・ヤーズも2013年に発表された前作「Mosquito」で同じような岐路に立ったように感じられます。彼らはすでにこの前作で、音楽性の変更に挑戦していたが、それはいささか評価の難しい作品になってしまった印象も見受けられる。それは、以前のアート・ロック/ガレージロック/ローファイバンドとしてミュージック・シーンに台頭してきたときの成功体験を手放すことが出来なかったからというのが主な理由であるように思える。そして、前作から九年の時を経て、LAとニューヨークの公演と並行して新作アルバムの発表が行われました。それ以前から新作が出るという噂もありましたが、実際、その時のカレン・Oのライブステージ写真での表情を見るかぎりでは、いささか安堵の雰囲気すら見て取ることが出来たのだった。

 

Yeah Yeah Yeahs

 九年という歳月は、決して短い期間ではありません。カレン・Oは、すでに母親になっており、以前のように若さと衝動性で何かの表現性を生み出すミュージシャンではなくなっている。そこにはすでに思慮深さだけでなく、慈しみのような性質も立ちあらわれるようになった。これはロックミュージシャンとしての人生の他にも様々な貴重な人生体験を得たからであると思われる。


それは残りの二人のミュージシャンについても同様のことがいえ、つまり、このヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『Loaded』の曲にちなんで名付けられたという「Cool It Down」には、カレン・O、ニック・ジナー、ブライアン・チェイスという三者三様の人生が色濃く反映されているともいえる。一般的に、家庭の生活とミュージシャンの両立ほど難しいものはない。そして、憶測ではあるものの、カレン・Oはこの九年間に苦悩していたかもしれず、ファンもそのことを考えると、どうするのかとやきもきするような気持ちになったに違いありません。しかし、今回の新作はこのボーカリストからのファンに対する明るい回答とも言える。今作を聴くかぎり、彼女は音楽を心から愛していることが分かる。


 フロントパーソンのカレン・Oは、今回の新作『Cool It Down』のリリースに関して以下のようなメッセージを添えています。下記のコメントにはこのボーカリストの作品に対する一方ならぬ思いが込められています。

 

 

「この21年間、音楽は、わたしとニック(ジナー)とブライアン(チェイス)にとって命綱のようなものだったし、多くの人にとってもそうだった。大きな感情に対する安全な避難所なんだ。だから、2021年に再びほかのふたりと一緒になれたとき、音楽に対する喜び、痛み、そして深い感謝の気持ちが、1曲1曲、私達の心から溢れ出てきたんだ。


このアルバムの多くの曲は、私が、音楽で返して欲しい感情を声にしている。誰も見たがらないようなことに向き合い、感情的になっている。アーティストとして、それを行う責任があります。それが自分に返ってくるのを感じると、とてもありがたく思います。なぜなら、そうすることで自分がおかしくなくなり、この世界で孤独でなくなると感じるからです。

 

そこに音楽がある。このレコードは、そのスーパーパワーを発揮するチャンスだった。このレコードは、これまでとは違う緊急性を持っているように感じる。


『クール・イット・ダウン』は多くの意味で、そこに、ぶら下がって待っていたあなたや、私たちを見つけたばかりのあなたへの私たちのラブレターです。

 

戻ってこれて本当に嬉しい! ええ、戻ってこれて本当に嬉しい。待って! 他の人は私たちみたいにあなたを愛していない」

 

 

 アルバムの全体は、デビュー当時とは全く別のバンドの音楽に様変わりしていて、華麗なる転身ぶりが窺えます。「Cool It Down」の全編は、シンセ・ポップやポスト・ディスコを基調としており、ハイパーポップとまでは行かないのかもしれませんが、最新鋭のポピュラーミュージックが提示されていることに変わりなく、そこにはやはり、アート・ロック/ガレージロックバンドとしての芯がしっかり通っている。この作品はいくらかポピュラリティーに堕している部分もあるものの、カレン・Oの歌声は以前よりも晴れやかです。何かしら暗鬱な雰囲気を漂わせていた『Mosquito』に比べ、良い意味で、吹っ切れたかのような清々しさがアルバムの全編に漂っている。


次いで言えば、ヤー・ヤー・ヤーズは新しいバンドとして生まれ変わることを、あるいは、以前のイメージから完全に脱却することをきっぱりと決意したかのように思える。その決意が、実際の歌にも乗り移ったかのようで、カレン・Oのこれらの八曲の歌声に、凄まじいパワーとエネルギーがこもっています。そして、それは、先行シングルとしてリリースされたオープニング「Spitting off the Edge of the World」に象徴されるように、外向性と内向性を兼ね備えた麗しい楽曲群がそのことを如実に物語っている。さらに「Burning」において、ポストディスコ、R&B、ロックの融合に果敢にチャレンジしており、カレン・Oの音楽に対するダイナミックな情熱が表現されている。ほかにも、バンドはこのアルバムの終盤に収録されている「Different Today」では、シーンの最前線のシンセポップのモダニズムに挑んでおり、これらの楽曲は、カレン・Oの音楽に対する深い愛情と慈愛に根ざしているように感じられます。 

 

「そのことを心から楽しむ人間に叶う者は居ない・・・


 ひとつの結論として、『Cool It Down』は、以上の格言を体現する一枚であり、ここには、カレン・Oの音楽に対する大きな愛情と喜びが満ちている。今作はきっと長らく復活を待ち望んでいたファンにとっては記憶に残るようなアルバムとなるでしょう。

 

90/100


 

Weekend Featured Track 『Different Today」


  Pixies    『Doggerel』

 

 

 

Label:  BMG

Release:  2022 9/30

 


 

 

Review

 

 

 US・インディーロックの伝説であるピクシーズは、最新アルバム「Doggerel」で復活の兆しを見せたと言えるでしょう。

 

 1980年代後半から、ニルヴァーナ、ウィーザー、日本のナンバーロックバンドに強い影響を及ぼしてきたピクシーズは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドに次いで、このオルト・ロックという文脈を語る上で欠かすことが出来ない最重要バンドです。以前にも記しましたが、元々、マサチューセッツの大学生だったブラック・フランシスがハレー彗星を見るか、大学に残るか迷ったあげく、この伝説的なプロジェクト、Pixiesを立ち上げることになったというエピソードもある。




80年代後半から90年代にかけて、ピクシーズは「Surfer Rosa」「Come On Pilgrim」「Bossanova」といった名作群で、数々のオルタナティヴ・ロックの金字塔を打ち立てました。(『Surfer Rosa』収録の「Where is My Mind?」は、ブラッド・ピット主演映画『ファイト・クラブ』の主題歌としても知られています)

 

その後、ピクシーズのベーシストのキム・ディールは、Amps,Breedersといったバンドで活躍しました。その後、ピクシーズは一度は解散をするものの、2004年に再結成を果たす。その後、脱退したオリジナル・メンバー、キム・ディールの後任として、パズ・レンチャンティンをメンバーに迎え再結成。以後、今作『Doggerel」を含め、二作のオリジナルアルバムをリリースしている。



 

 

Pixies

 

  『Doggerel』は、まさにオルタナティヴ(亜流)という概念を掴む上で聞き逃すことが出来ない作品であるとともに、以前より普遍的なロックミュージックへ傾倒をみせたレコードとなっている。今作には、ピクシーズの雑多な音楽、ロカビリー、カントリー、スパニッシュ、アメリカーナにいたるまで、幅広いジャンルが内包されている。

 

 アルバムの序盤は、マイナーコード主体のミドルテンポの楽曲が繰り広げられていく。『No Matter Day』でピクシーズは、ピクシーズワールドの中にリスナーを誘う。その次のトラック「Vault Of Heaven」では、ピクシーズ節ともいうべき独特なコード進行で、さらに、その世界観を徐々に押し広げていく。ブラック・フランシスのボーカルはこれらのオープニングをさらりと歌い上げ、作品のテーマ性を丹念に引き出し、中盤部分へと物語を引き継いでいきます。




 #3の「Dregs Of Wine」では、ビートルズの「Because」を彷彿とさせるマイナー調のチェンバー・ポップ風のイントロから、曲のサビにかけて渋さのあるロックミュージックへと変容していく。ここでもピクシーズらしさは健在であり、特異なコード進行が見られる点にも注目したいが、さらにツインボーカルの兼ね合いにも着目です。


 ブラック・フランシスのボーカルは、90年代は勢いのみで突っ走るような感もありましたが、現在ではそれに加え、ヴォーカリストとしての貫禄が備わっており、それはまさに「オルタナティヴ界のボス」とも称すべき。フランシスのボーカルは、迫力とパワフルさに独特なダンディズムが加わっていることを確認出来る。そのアクの強さを上手く中和するのが、パズ・レンチャンティンのコケティッシュなコーラスです。レンチャンティンのボーカルは、以前のキム・ディールの雰囲気を顕著に受け継いでいるため、以前からのファンも、それほど違和感をおぼえることはないと思われます。



 

 アルバムの序盤において、ピクシーズはより円熟味を帯びたクラシカルなロックバンドの一面を見せているが、中盤にさしかかると、オルタナティヴ・ロックの始祖としての独特なひねりを持つ楽曲が徐々に現れて来る。「Get Simulated」から、変拍子を交えた荒削りなギターフレーズを生かした、ピクシーズらしいサウンドに回帰を果たしています。「The Lord Has Come Back Sound」は、往年の名曲「Here Comes Your Man」を彷彿とさせる、温和なインディー・ロックで、初見のリスナーにも親しめるような楽曲となっている。これらの曲の流れに、ピクシーズの熱烈なファンは、甘美なノスタルジアを覚えるに違いありません。さらに、それに続く「Thunder and Lightning」で、ピクシーズは、クラシカルなフォークミュージックに依拠したオルト・ロックに挑戦している。ブラック・フランシスは、近年のソロ活動の経験を踏まえ、シンガーソングライターとしての才覚を十分発揮してみせている。聴けば、聴くほどに、渋さが滲み出てくるような楽曲です。



 

 「Pegan Man」を聴いた時、リスナーは、このピクシーズの真の魅力の一端に触れることが出来る。こういった素朴な哀愁あふれるバラードソングは、涙を誘うような温かな情感が漂う。曲のクライマックスに挿入される口笛は、モリコーネ・サウンドの影響か、はたまた坂本九の影響なのか、ワイルドでありながら淡い哀愁に満ちている。

 

 

「Pegan Man」 

 



 

  最新アルバム『Doggrel』は隙きがなく、細部まで入念に作り込まれており、終盤からエンディング近くになっても、このアルバムは緊張感を緩めることを知りません。


#11「You’re Such A Sadduce」で、ピクシーズは、オルト・ロックの未知なる領域に踏み入れている。ジョーイ・サンティアゴの名ギタリストとしての才覚が遺憾なく発揮されているにとどまらず、バンドサウンドとしての1つのスパークが見受けられる。ブラック・フランシスの覇気のあるパワフルなボーカル、パズ・レンチャンティンのキム・ディールを彷彿とさせるコケティッシュなボーカル、さらに、デイヴィッド・ラヴァリングのシンプルでタイトなドラミングが見事に劇的な合致を果たし、緊密なバンドアンサンブルが生み出されている。さらに、ジョーイ・サンティアゴのギターは、かつての「River Euphrates」時代のように、宇宙的な壮大さを内包しています。



 

「You’re Such A Sadducee」は、ピクシーズの”New Classic”と称すことが出来る。さらにクローズド・トラック「Doggerel」で、ピクシーズは、この作品で終わりではないという宣誓をファンに提示し、ダブ、ファンクの雰囲気を取り入れたロックソングで、リスナーの期待を良い意味で裏切ってみせる。これまでのピクシーズの音楽性からは想像できないような楽曲となっている。

 

少なくとも、私見においては、ピクシーズは、このアルバム「Doggerel」で、復活の呼び声を高らかに告げており、現行のオルタナティヴ・ロックバンドとの存在感の違いを明確に示すことにも成功している。また、前作「Beneath the Eyrie」とは別のバンドに転身を果たしたような印象を受ける。

 

 

86/100

 

 

Weekly Featured Track 「You’re Such A Sadducee」

 



 Lande Hekt 『House Without A View』

 


Label: Get Better Records

Release: 2022年9月23日


 

Review


 今週の一枚としてご紹介するのは、元、マンシー・ガールズのメンバーとして知られるランデ・ヘクトの三作目のスタジオ・アルバム「House Without A View」となります。

 

ソロ・デビューを飾る以前、イギリスのパンクロックバンドに属し、このバンドのフロントマンとしても活動していたランデ・ヘクトは、バンドとしては政治的なメッセージを込めてソングライティングを行っていたという。

 

しかし、19年にデビュー作「Gigantic Dissapointment」、さらに、翌年に2ndアルバム「Going to Hell」をリリースするうち、次第にパワー・ポップ寄りのインディーロックに方向転換を図るようになり、最近ではスコットランド、グラスゴーの1990年代のギターロック/ネオアコースティックを彷彿とさせるオルタナティブロックを音楽性の中心に据えるに至る。また、他にも、ランデ・ヘクトの楽曲は、The Wedding Present,The Replacements,The Sunday,Sharon Van Etten,Sleeper等のアーティストが引き合いに出される場合もあるようです。


 

今年の始め、7インチ・シングルとしてリリースされたパワー・ポップ/インディーロックの名曲「Romantic」は、残念ながら、このニューアルバム『House Without A View』には収録されませんでしたが、上記のシングルの音楽観を引き継いだ、親しみやすいインディーロックが繰り広げられる。さながら、それはこのアーティストの深い内面の世界が描かれているようでもある。

 

オープニング・トラック「Half With You」、3rdトラック「Cut My Hair」で、シンプルな8ビートのインディーロックソングを提示することにより、ランデ・ヘクトは初見のリスナーのみならず、耳の肥えたリスナーの心を惹きつけてみせる。さらに、このアーティストの内面を赤裸々に告白した4thトラック「Gay Space Cadets」を始めとする楽曲では、若い時代からの自身の人生における、ジェンダーとの真摯な向き合い方、世間のマイノリティーとして生きる姿を、親しみやすいインディーロックとして反映させていることにも着目しておきたい。


アルバムの序盤において、ランデ・ヘクトは、スコットランド・グラスゴーの1990年代に隆盛したギター・ポップの系譜にあるノスタルジックなインディーロックソングを提示している。これらの楽曲は、内的感情から汲み出されたものであるため、リスナーの共感を誘うものとなっている。次いで、中盤から、序盤の力強い印象を持つ楽曲とは対象的に、落ち着いた牧歌的なインディー・フォークが展開される。さらに、終盤になると、個人的な出来事にテーマの焦点を絞り、家の飼い猫との繊細な出来事を描いた「Lola」を始めとする、爽やかなギターロック/ネオアコースティックの方向性に回帰していきます。

 

このレコードは、パンクバンドのフロント・パーソンとしてのルーツを伺わせるもので、たしかに、荒削りな部分もあり、現時点では音楽性の引出しの少なさという難点を抱えているのは事実ではありますが、何かソングライターとしてのセンスにキラリと光るものがあるだけでなく、以前の自己から脱却し、新たな姿に生まれ変わろうという、このシンガーソングライターのささやかな成長の過程も感じ取られます。


イギリス、エクセター出身のランデ・ヘクトは、ソングライターとして、自分の存在の価値をしかと認め、それをこの作品に音楽的な表現として真摯にパッケージしようと試みているのが素晴らしい。ランデ・ヘクトは、マイノリティーとして生きることがどういうことであるかを、温和な形で自然に表現しようと努めており、この素朴な表現性に、深く心打たれるものがあります。3rdアルバム『House Without A View』の全編には、総じて、そういう作者の意図もあってか、やさしく、温かく包み込むような、曰く言いがたい不思議な雰囲気が漂っています。

 

 

85/100


 

Weekend Featured Track 「Half With You」

 

Weekly Recommendation

 

 

Marina Allen   「Centrifics」

 


Label:   Fire Records

Release:  2022年9月16日

 

Listen/Buy

 

 

Review 


 "Centrifics "を書くにあたって、自分自身に許可を出したいと思っていました。自分を隠すことにうんざりしていた私は、曲の中に猛々しさが入り始め、徐々にそれに傾倒していったのです。

 

書いている間は、ずっと「イエス」と言い続け、それが私の唯一のルールでした。ある意味、これらの曲は私が向こう側に行くための橋になったので、「Centrifics」は、志の高いものになったのです。石を思いっきり海に投げ入れて、そこに向かって泳ぐ方法を考えていた。

 

完璧にしようとするのではなく、このアルバムは、すべてのハードル、壁、挫折、苦しみに立ち向かい、自分を吊り上げるための梯子として機能する。そうすることで、イマジネーションは後退する場所ではなく、私が必死にしがみつく道具になった。

                                                             Marina Allen

 

 

ロサンゼルスのシンガーソングライター、マリナ・アレンが語るように、このアーティストにとっての2ndアルバムは、様々な人生の困難を直視した上でそれを乗り越えようという過程が描かれた快作となっています。

 

2021年のデビュー作「Candlepower」に続く「Centrifics」は、マリナ・アレンがカルフォルニア北部に六ヶ月滞在していた間にソングライティングが行われている。ロフト・ジャズ、カレン・カーペンター、メレディス・モンク、ニューヨークのアバンギャルド、ジョアンナ・ニューソム、ネコ・ケース、さらに、フィオナ・アップルからの影響をマリナ・アレンは挙げています。

 

このアルバムは、古き良き70年代の古典的なポップス/R&Bのロマンチシズムを現代に呼び醒ましている。アコースティック・ギター、ピアノ、金管楽器、エレクトリック・ピアノ、チェンバロ、メトロトロン、その他にも、クロテイルを始めとするオーケストラ・パーカッションを楽曲の中に導入し、多角的な観点からノスタルジアあふれるポピュラー音楽を体現しようとしている。

 

「自分を隠すことにうんざりしていた」という、上記のプレスリリースにおけるソングライターの言葉は、この作品の本質、そして、このソングライターの飾らぬ魅力を最も端的に表していると思われます。

 

マリナ・アレンは、コンテンポラリー・フォーク、チェンバーポップ、古典的なR&B,ジャズをこの作品の基礎に置き、豊潤なロマンチシズムを提示しています。それは、喩えるなら、うららかな日差しの差し込む休日午後の穏やかなひととき/真夜中の寝る前の微睡みを思わせるものがある。しかし、古典的なポピュラー音楽を基調としつつも、インディーフォーク、アヴァンギャルド・ジャズのアレンジも取り入れられており、この点にこのアーティストの多彩で幅広い音楽経験の蓄積が伺え、これらの瞑想的な要素が作品全体に強かさと聴き応えをもたらしている。

 

オープニングトラック「Celadon」で、実力派のシンガーソングライターとしての才覚を発揮したかと思えば、二曲目収録の「Getting Better」を始めとする楽曲において、4つ打ちのシンプルなリズム/メロディーに根ざした、親しみやすいポピュラーソングを提示している。これらの曲では、ビブラート、ウィスパー、ファルセットと、マリナ・アレンは、ポピュラーシンガーとして、多彩な歌唱法を駆使している。マリナ・アレンの歌声は、何も飾らないからこそ、人の心を癒やし、穏やかさをもたらす。分けても、このシンガーのファルセットの伸びやかな歌声は天才的であり、現今のミュージックシーンのシンガーの中でも比肩する存在が見当たらない。

 

このセカンド・アルバムの中で、特に推薦しておきたいのが、六曲目のバラード・ソング「New song Rising」、さらに、8曲目に収録されている「My Stranger」の二曲となります。

 

前者の楽曲は、クランキーなエレクトリック・ピアノを生かしたムーディーなR&B調のポピュラー・ソングで、この秀逸なシンガーのウィスパー、ハミングを交えた、淑やかで上質な歌声を十分にお楽しみいただけます。


他方、後者の楽曲で、アレンは、素朴なフォーク・ミュージックの礎を受け継いだ上、現代的な質感を交えたポピュラー・ソングを生み出している。ほどよく力が抜けたハミング、穏やかな歌声は、今は亡き伝説的なシンガーソングライター、カレン・カーペンターの全盛期を想起させるものがある。

 

 

95/100

 


 

 Weekend Featured Track 「New Song Rising」

 

 Sarah Davachi 『Two Sisters』

 


 

Label: Late Music 


Release: 2022年9月9日


 

 

Review


 カナダ出身の作曲家、オルガン演奏家のサラ・ダヴァチーは、現在、ロサンゼルスを拠点に活動している。2021年からUCLAでポピュラー音楽、現代音楽、古楽等を中心に学んでいるアーティストです。ドローンアンビエントのシーンで存在感を持つ作曲家で、パイプオルガン/リードオルガンの持続音を生かした作風という点では、スウェーデン・ストックホルムを拠点に活動するポスト・ミニマルのシーンに属する作曲家Kali Maloneが引き合いに出される場合もある。

 

 最新作『Two Sisters』はLP盤として二枚組の作品となり、サラ・ダヴァチー自身の主宰するレーベル”Late Music"からリリースされている。

 

本作には、室内アンサンブルとパイプオルガンが収録されている。他にもカリヨン(鋳鉄製のベルで構成された鍵盤楽器)、合唱、弦楽四重奏、低音の木管楽器、トロンボーンの四重奏、その他にもサイントーンや電子ドローンを中心とする様々な楽器が楽曲の中で使用される。中でも、サラ・ダヴァチーが演奏に使用するパイプ・オルガンは、1742年製のイタリア製トラッカーオルガンで、現在、このオルガンはアメリカの南西部の砂漠地帯に設置されているという。

 

 一曲目の「Hall Of Mirrors」は、アルバムの前奏曲とも呼ぶべきで、上記のカリヨンが導入されています。既存の作品において、アンビエントだけではなく、古楽/バロック的なアプローチを図ってきたサラ・ダヴァチーらしい前奏曲で、このアルバム全編に充溢する荘厳な雰囲気をカリヨンの鐘の音で予告する。さらに、二曲目「Alas,Departing」は、ポストモダン的な雰囲気を持つ声楽の澄明さを生かした楽曲で、活動中期のメレディス・モンクのような前衛的な声楽のアプローチに取り組んでいる。静謐で瞑想的ではありながら、人間の声の音響そのものの美しさを体感出来ますが、ここにはやはり古楽的な旋律と和声法が組み込まれていることに注目です。


 以上の二曲から一転して、三曲目の「Vanity Of Ages」以降は、サラ・ダヴァチーのパイプオルガン(トラッカーオルガン)の演奏を中心に木管楽器や弦楽器の重奏といった楽曲で構成される。

 

例えば、ストックホルムのKali Maloneがオルガンの通奏低音を最初の持続音を徹底して引き伸ばす作曲技法を好むのに対して、サラ・ダヴァチーはそれらのオルガンの器楽的な特性を活かしつつ、音響的実験に取り組み、音を重ねながら、特異な和音を組み上げていくのがひとつの特徴です。それは、時に、調性のある和音/前衛的な不協和音/と、様々な形質をとり、縦向きの音階の連なりが次々現れ出てきますが、長く持続される通奏低音の上に、次にどのような音階が重ねられるのかを予測して楽しむというような聴き方も出来ます。しかし、それは時にこの作曲家の鋭い才覚により、予期される出現する音が高い確率で裏切られることにもなるのが惹かれる点でもある。

 

その他にも、二枚組のアルバムには、連曲形式の楽曲が収録されています。「Icon StudiesⅠ、Ⅱ」では、オルガンと木管楽器の音の連なりを対比的に表現した曲であると思われます。オルガンの低音が生み出す雰囲気と、バスフルート等を中心とした低音の木管楽器の重奏のコントラストを楽しむことが出来るはずです。しかし、これらの低音を生かした慎重なハーモニーは常に何らかのセレモニーのような厳粛性が尊重され、木管楽器の重奏については、アラビア風の旋法が現れることもあるため、かなりエキゾチックな雰囲気を醸し出していることも確かなのです。

 

 アルバムの中で最も美しい調性が保たれているのが「Harmonies in Green」となるでしょう。ここで、サラ・ダヴァチーは古楽時代のパイプオルガンの領域に踏み入れ、それを厳粛な形で表現しています。もちろん、そういった中世の西洋音楽への興味にとどまらず、アンビエント・ドローンのアーティストとしての1つの音響学的な研究の大きな成果が近年の作品以上に表れ出た楽曲といえるかも知れません。曲の序盤は、このアルバム全体の作風と同じく、厳かで重々しさがありますが、最終盤に差し掛かるにつれて、曲の雰囲気がガラリと一変し、美麗なハーモニーが現れ、荘厳で、神々しい、息を飲むような瞬間がクライマックスに立ち現れるのです。

 

その他にも、アルバムのクライマックスを飾る「O World And The Clear Song」において、音響学の観点から未曾有の領域に踏み入れていきます。サラ・ダヴァチーは、18世紀のイタリア製のオルガンを駆使し、バッハの宗教音楽、それ以前のイタリアのバロック音楽にも比する、重々しく厳格な現代音楽を、構造的解釈を交えながら、魅惑的なエンディング曲として組み上げています。

 

 

92/100 



Weekend Featured Track  「O World And The Clear Song」(#9)

 

 

 

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